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【事件名】研究論文の類似事件(2)
【年月日】平成17年4月28日
 大阪高裁 平成16年(ネ)第3684号 損害賠償等請求控訴事件
 (原審・大阪地裁平成15年(ワ)第6252号)
 (口頭弁論終結の日 平成17年2月3日)

判決
控訴人(1審原告) A
同訴訟代理人弁護士 豊田幸宏
同 仙波啓孝
被控訴人(1審被告) B
同訴訟代理人弁護士 橋本長平
同 小林千春


主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実及び理由
第1 控訴の趣旨等
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は、「Bioorganic & Medicinal Chemistry」誌に掲載された原判決別紙(2)の論文について、同論文が控訴人の著作である原判決別紙(1)の論文の研究成果に依拠しているものであることを同誌に通知せよ。
3 被控訴人は、控訴人に対し、550万円及びこれに対する平成15年6月29日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人の負担とする。
5 仮執行宣言
第2 事案の概要
1 本件は、大学の研修員であった控訴人が、同大学の教授である被控訴人に対し、被控訴人外3名がその名義で発表した論文は、控訴人の著作物である論文の複製ないし翻案であって、控訴人の著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)を侵害するものであると主張し、著作権法115条に基づく名誉回復措置として、被控訴人外3名の発表した論文は控訴人の著作物である論文の研究成果に依拠していることを被控訴人外3名の発表した論文を掲載した雑誌に通知することを請求し、また、上記著作者人格権侵害に基づく損害賠償を請求した事案である。
 原審は、被控訴人外3名の発表した論文は控訴人の著作物である論文の複製ないし翻案に当たらず、控訴人の著作者人格権を侵害するものではないとして、控訴人の請求をいずれも棄却したため、控訴人が本件控訴を提起した。
 (以下、控訴人を「原告」、被控訴人を「被告」という。)
2 前提となる事実
 当事者間に争いのない事実並びに各項に掲げた証拠及び弁論の全趣旨により容易に認定できる事実は、原判決2頁6行目から3頁7行目までに記載のとおりであるから、これを引用する。ただし、2頁23行目及び3頁2行目の各「別紙」をいずれも「原判決別紙」と、同5行目の「C」を「D」と各改める。
3 争点及び争点に関する当事者の主張
 次のとおり付加、訂正等するほかは、原判決3頁9行目から8頁10行目までに記載のとおりであるから、これを引用する。
(1) 3頁15行目の「立案し、」の次に「同年8月から実験を開始し、」を、同行目の「Eから」の次に「同年9月に」を各加え、同行目から16行目にかけての「同年8月から同年10月までにかけて」を「同月から同年10月にかけて更に」と改め、同17行目の「そのころから」の次に「原告が」を加える。
(2) 4頁10行目、同22行目から23行目にかけて及び5頁1行目の各「科学的知見」をいずれも「自然科学上の知見」と改め、4頁12行目の「同じか」の次に「、」を加え、同14行目の「別紙」を「原判決別紙」と、同末行の「科学分野」を「自然科学分野」と各改める。
(3) 5頁8行目から同12行目までを次のとおり改める。
 「 自然科学上の知見は、単なるアイデアではないが、一方で誰しもが認識できる客観的な存在としての社会的事件というものでもない。
 自然科学上の知見を認識できるように表現する場合、知見を得た者の論理的な説明すなわち表現によって、当該知見は初めて一般的に理解され得るものとなるのであるから、その説明の表現技法は十分尊重されなければならない。その表現技法は、論理性、一義性、明確性等の要請があるのであって、当該自然科学上の知見を一般的に認識できるような論理的かつ簡潔な表現も、著作権法上保護されるべきものである。」
(4) 5頁17行目の「位置づけており」を「位置づけられており」と改め、同25行目の「Eの」の前に「、」を加え、6頁16行目の「上記」を「前記」と、同20行目の「別紙」を「原判決別紙」と各改め、同23行目から同25行目までを削る。
(5) 7頁8行目の「原告が作成し、Eに提出されたレポートは、」を「原告は、平成11年1月、Eに対してレポートを提出したが、上記レポートは、」と改め、同11行目の「していない」の次に「(上記レポートは、原告論文と類似しているが、細部において異なる点がある。)」を加え、8頁6行目の「遂行」を「追行」と改める。
(6) 原判決別紙A1頁3行目の「論点は同じ」の次に「で」を加え、同4行目の「ウィタノライドY」を「ウィタノサイドY」と、同2頁17行目の「(4頁)」を「(4〜5頁)」と、同4頁11行目から12行目にかけて及び同16行目の各「あたえませんでした」をいずれも「与えなかった」と、同5頁8行目の「(8頁)」を「(8〜9頁)」と各改める。
第3 当裁判所の判断
1(1) 言語の著作物の翻案とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして、著作権法は、思想又は感情の創作的な表現を保護するものである(2条1項1号参照)から、既存の著作物に依拠して創作された著作物が、思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において、既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には、翻案には当たらないと解するのが相当である(最高裁判所第一小法廷平成13年6月28日判決・民集55巻4号837頁参照)。
 なお、既存の著作物に依拠し、その表現上の本質的な特徴の同一性のあるものを作成する行為のうち、新たな思想又は感情の創作的な表現が加えられていない場合は、複製に当たる。
(2) そうすると、被告論文に、原告論文に記載されているのと同一の自然科学上の知見が記載されているとしても、自然科学上の知見は表現それ自体ではないから、このことをもって直ちに被告論文が原告論文の複製又は翻案であるとはいえず、原告の著作者人格権が侵害されたということもできない。被告が被告論文を作成し、発表したことが、原告論文についての原告の著作者人格権としての氏名表示権ないし同一性保持権を侵害したものであるか否かを判断するためには、原告論文の表現と被告論文の表現とを対比するのが相当であって、両論文に記載されている自然科学上の知見、すなわち研究の過程や成果についての内容を対比すべきものではない。
 原告論文及び被告論文は、いずれも英文の論文であり、対比すべきは上記のとおり両論文の記載内容ではなく表現それ自体であるから、その対比は、原文である英文同士で行うのが相当である。
 これに対し、原告は、実験分野の論文では、何よりもその表現によって裏付けられている論理の過程そのものがより重要な要素であるから、表現上の相違があるからといって著作者人格権を侵害していないとはいえないなどと主張するが、上記主張は前記説示に照らして採用することができない。
(3) また、前記のとおり、表現それ自体の同一性が認められる場合であっても、当該記述が、表現上の創作性がないものであるときには、当該記述は著作権法の保護を受けることができない。
 自然科学論文、ことに本件のように、ある物質の性質を実験により分析し明らかにすることを目的とした研究報告として、その実験方法、実験結果及び明らかにされた物質の性質等の自然科学上の知見を記述する論文は、同じ言語の著作物であっても、ある思想又は感情を多様な表現方法で表現することができる詩歌、小説等と異なり、その内容である自然科学上の知見等を読者に一義的かつ明確に伝達するために、論理的かつ簡潔な表現を用いる必要があり、抽象的であいまいな表現は可能な限り避けられなければならない。その結果、自然科学論文における表現は、おのずと定型化、画一化され、ある自然科学上の知見に関する表現の選択は、極めて限定されたものになる。
 したがって、自然科学論文における自然科学上の知見に関する表現は、一定の実験結果からある自然科学上の知見を導き出す推論過程の構成等において、特に著作者の個性が表れていると評価できる場合などは格別、単に実験方法、実験結果、明らかにされた物質の性質等の自然科学上の知見を定型的又は一般的な表現方法で記述しただけでは、直ちに表現上の創作性があるということはできず、著作権法による保護を受けることができないと解するのが相当である。
 これに対し、原告は、自然科学上の知見の表現においては、表現技法は、論理性、一義性、明確性等の要請があり、当該自然科学上の知見を一般的に認識し得るようにするための論理的かつ簡潔な表現技法も、著作権法上保護されるべきものであると主張する。
 しかしながら、原告主張のような表現技法について著作権法による保護を認めると、結果的に、自然科学上の知見の独占を許すことになり、著作権法の趣旨に反することは明らかである。
 したがって、原告の上記主張は、採用することができない。
(4) さらに、原告は、複数の研究者で共同研究した場合の研究成果については、個々の研究者がその役割に応じて、論文発表に際しては当然に共同執筆者としての地位が与えられるべきであり、研究者の了解なく、その氏名を表示せずに論文を発表することは著作者人格権としての氏名表示権及び同一性保持権を侵害するものであるとも主張する。
 確かに、証拠(甲第6ないし第9号証、第18号証、乙第12、第13号証、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、本件研究において原告が相当程度の役割を果たし、原告が得た研究成果の一部が被告論文に反映されていることが認められ、これによれば、被告論文が原告論文に依拠していると考えられなくはないが、原告が本件研究の共同研究者であるという一事をもって当然に被告論文の共同著作者の地位を取得するということはできず、上記主張は独自の見解であって採用することができない。
2 以上の見地から、原告論文(甲1)と被告論文(甲2)とを原文(英文)同士で対比して検討すると、以下のとおり、原告論文のうち原告が両論文が類似している点として主張する部分は、表現それ自体ではない部分(自然科学上の知見)を除けば、表現上の創作性があるとは認められず、また、そうでないとしても、原告論文と被告論文は、表現上の本質的な特徴の同一性があるということができないか、類似しているとはいえない。
 なお、原告が両論文が類似している点として主張するもののうち、原判決別紙A「類似点についての原告の主張」(1)@ないしM部分の両論文の原文は、原判決別紙C17頁8行目の「torelance」を「tolerance」と、同20頁24行目の「0.3nM」を「0.3」と各改めるほか、それぞれ原判決別紙C「原告主張(1)部分の原文」のとおりである(原判決別紙Cは、原判決別紙B「類似点についての被告の主張」記載のものと異なる部分があるが、これは原判決別紙Bに記載された両論文の引用が不正確なことによる。)。
(1) @部分について
ア 原告論文の@部分の意味内容は、「インド人参の二つの主成分であるウィタフェリンA及びWS−4(ウィタノサイドY)は、クロニジンによって誘発される耐性を減弱化させた」という自然科学上の知見を記述したものであり、被告論文の@部分の意味内容も、ほぼ同旨の自然科学上の知見を記述したものであると認められる。
イ しかしながら、原告論文の@部分には、特に原告の個性が表れた表現は見当たらず、同部分は、前記自然科学上の知見を読者に一義的かつ明確に伝達するために、一般的に用いられる表現を用いているにすぎないと認められる。
 そうすると、原告論文の@部分は、表現上の創作性があるとはいえない。
ウ また、前記イの点をおいても、被告論文の@部分は、原告論文の@部分と異なり、クロニジンによって誘発される耐性について、「試験管内の実験において、モルモット回腸の電気刺激で」(on electrically stimulated guinea-pig ileum in vitro)という説明がされていること、原告論文の@部分と被告論文の@部分は、英文表現の構文において全く異なること、例えば「耐性」という単語につき、原告論文は「tolerance」、被告論文は「tachyphylaxis」を用いているなど、具体的な表現において異なったものとなっていることが認められる。
 してみると、被告論文の@部分のうち、原告論文の@部分と同一性を有する部分は、表現それ自体ではない部分(自然科学上の知見)にすぎず、他方、上記相違点を考慮すれば、被告論文の@部分の表現から原告論文の@部分の表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないというべきであるから、原告論文の@部分と被告論文の@部分は、表現上の本質的特徴の同一性があるということもできない。
(2) A部分について
 原告論文のA部分及び被告論文のA部分は、いずれも冒頭に「It is(was) reported that」という記載があり、また、出典が明記されていることからすれば、いずれも他の論文(Kulkarni,S.K.;Ninan,I.J.Ethnopharmacol. 1997,57,213.)中の記載を引用したものにすぎず、原告論文のA部分の表現自体に創作性があるとは認められない。
(3) B部分について
ア 原告論文のB部分の意味内容は、「クロニジン(0.3から100nM)は用量依存的に回腸の収縮の阻害を示す。その50%阻害する用量は4.2nMであった。クロニジン(10nM)と90分接触させておくと、その収縮は68.6±11.4%にまで減弱された。収縮抑制力が減弱されたことを示す。この時の50%阻害する用量は15nMに移動した。」という実験結果及びこれにより導かれる自然科学上の知見を記述したものである。
 他方、被告論文のB部分の意味内容も、ほぼ同旨の実験結果等を記述したものであると認められる。
イ しかしながら、原告論文のB部分には、特に原告の個性が表れた表現は見当たらず、同部分は、前記実験結果等を読者に一義的かつ明確に伝達するために、一般的に用いられる表現を用いているにすぎないと認められる。
 また、文章の順序も、前記実験結果及びこれにより導かれる自然科学上の知見を論理的に表現するためには、原告論文のB部分のような順序で記述するのが通常であると認められる。
 そうすると、原告論文のB部分は、表現上の創作性があるとはいえない。
ウ また、前記イの点をおいても、原告論文のB部分と被告論文のB部分は、説明の順序が共通することが認められるけれども、「収縮抑制力が減弱された」という部分については、原告論文は「the original active doses were less effective in causing a reduction in the twitch」という表現を、被告論文は「their effective concentrations in the first treatment were less effective to the twitch responses」という表現をそれぞれ用いるなど、具体的な表現において異なったものとなっていることが認められる。
 してみると、被告論文のB部分のうち、原告論文のB部分と同一性を有する部分は、表現それ自体ではない部分(実験結果及び自然科学上の知見)にすぎず、上記相違点を考慮すれば、被告論文のB部分の表現から原告論文のB部分の表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないというべきであるから、原告論文のB部分と被告論文のB部分は、表現上の本質的特徴の同一性があるということもできない。
(4) C部分について
ア 原告論文のC部分の意味内容は、「クロニジンの耐性の生じていない回腸片にまずクロニジンだけの反応曲線を得、2回目はその10分前にウィタフェリンA及びWS−4(10μMと30μM)を添加した。このときはクロニジンの収縮に何ら変化はなかった。一方、クロニジンと2検体を長時間接触させると、用量依存的にクロニジン耐性の発生を抑制した。用量曲線は、左へシフトしてほとんどクロニジン処置なしの対照群のレベルまでになった。」という実験方法及び実験結果を記述したものである。
 他方、被告論文のC部分の意味内容も、ほぼ同旨の実験方法及び実験結果を記述したものであると認められる。
イ しかしながら、原告論文のC部分には、特に原告の個性が表れた表現は見当たらず、同部分は、前記実験方法及び実験結果を読者に一義的かつ明確に伝達するために、一般的に用いられる表現を用いているにすぎないと認められる。
 また、文章の順序も、前記実験方法及び実験結果を論理的に表現するためには、原告論文のC部分のような順序で記述するのが通常であると認められる。
 そうすると、原告論文のC部分は、表現上の創作性があるとはいえない。
ウ また、前記イの点をおいても、原告論文のC部分と被告論文のC部分は、例えば「添加した」という単語につき、原告論文は「administrated」、被告論文は「applied」を用いており、「このときはクロニジンの収縮に何ら変化はなかった。」という意味内容につき、原告論文は「showed no significant effect on clonidine」、被告論文は「did not show any significant effect on the action of clonidine」という表現を用いているなど、具体的な表現において異なったものとなっていることが認められる。
 してみると、被告論文のC部分のうち、原告論文のC部分と同一性を有する部分は、表現それ自体ではない部分(実験方法及び実験結果)にすぎず、他方、上記相違点を考慮すれば、被告論文のC部分の表現から原告論文のC部分の表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないというべきであるから、原告論文のC部分と被告論文のC部分は、表現上の本質的特徴の同一性があるということもできない。
(5) D部分について
 原告論文のD部分と被告論文のD部分は、ほぼ同一の表現が用いられているが、これらは、いずれも他の論文(Ramaswamy,S.;Pillai,N.P.; Gopalakrishnan, V.; Ghosh,M.N.Eur.J.Pharmacol. 1980, 68,205.)中の記載を引用ないし要約したものであると認められる。
 また、原告論文のD部分と被告論文のD部分は、いずれも、「最近、摘出平滑筋が耐性やその発生の検定に有用とされてきている」という自然科学上の知見を記述したものであるが、原告論文のD部分には特徴的な表現が見当たらず、同部分は、上記知見を読者に一義的かつ明確に伝達するために、一般的に用いられる表現を用いているにすぎないから、原告論文のD部分の表現自体に創作性があるとは認められない。
(6) E部分について
 原告論文のE部分と被告論文のE部分は、ほぼ同一の表現が用いられているが、これらは、いずれも他の論文(Drew,G.M.Br.J.Pharmacol.1978,64,293及びColado,M.I.;Martin.M.I.J.Pharm.Pharmacol.1992,44,101)中の記載を参考にしたものと認められるから、原告論文のE部分の表現自体に創作性があるとは認められない。
(7) F部分について
ア 原告論文のF部分の意味内容は、「この結果、今回の研究は、摘出モルモット回腸にクロニジンを長時間処理することはクロニジン耐性(クロニジンの回腸収縮抑制作用が失われること)及びAChへの感受性向上を誘発することを明らかにした。」という自然科学上の知見を記述したものである。
 他方、被告論文のF部分(ただし、「In agreement with...」以下)は、同旨の意味内容を含むものの、AChへの感受性向上に関する言及はない。
イ しかしながら、原告論文のF部分には、特に原告の個性が表れた表現は見当たらず、同部分は、前記自然科学上の知見を読者に一義的かつ明確に伝達するために、一般的に用いられる表現を用いているにすぎないと認められる。そうすると、原告論文のF部分は、表現上の創作性があるとはいえない。
ウ また、前記イの点をおいても、原告論文のF部分の後段と被告論文のF部分の後段は、英文の構文、個々の表現とも全く相違することが認められ、被告論文のF部分のうち、原告論文のF部分と同一性を有する部分は、表現それ自体ではない部分(自然科学上の知見)にすぎず、他方、被告論文のF部分の表現から原告論文のF部分の表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないというべきであるから、原告論文のF部分と被告論文のF部分は、表現上の本質的特徴の同一性があるということもできない。
(8) G部分について
 原告論文のG部分と被告論文のG部分は、ほぼ同一の表現が用いられている部分があるが、原告論文及び被告論文には出典が明記されていることからすれば、これらは、いずれも他の論文(Bentley,G.A.;Newton,S.H.;Starr,J.Br. J.Phamacol.1983,79,125.及びColado,M.I.;Martin.M.I.J.Pharm.Pharmacol.1992,44, 101.)中の記載を引用ないし要約したものであると認められるから、原告論文のG部分の表現自体に創作性があるとは認められない。
(9) H部分について
ア 原告論文のH部分の意味内容は、「ウィタフェリンAとWS−4は、クロニジンの短時間処理に対して何らモルモットの回腸の電気刺激による収縮に影響を与えなかった」という実験結果ないし自然科学上の知見を記述したものである。
 他方、被告論文のH部分の意味内容も、ほぼ同旨の実験結果ないし自然科学上の知見を記述したものであると認められる。
イ しかし、原告論文のH部分には特徴的な表現が見当たらず、同部分は、前記実験結果ないし自然科学上の知見を読者に一義的かつ明確に伝達するために、一般的に用いられる表現を用いているにすぎないものと認められる。
ウ 以上によれば、原告論文のH部分は、表現上の創作性があるとは認められない。
(10) I部分について
ア 原告論文のI部分の意味内容は、「モルモットの回腸端部(1.5〜2cm)をとり、1gの張力をかけて、以下の組成(mM)の生理栄養液を含む、いわゆるマグヌス槽の中に酸素を飽和にして37℃に保った。;NaCl、119;KCl、4.7;CaCl2、2.5;MgSO4、1.0;NaHCO3、25;KH2PO4、1.2;(+)-glocose、11.1。β交感神経受容体の効果を除去するためにプロプラノール(1μM)を常に栄養液中に添加した。」という実験方法の説明を記述したものである。
 他方、被告論文のI部分の意味内容も、ほぼ同旨の実験方法の説明を記述したものである。
イ しかしながら、原告論文のI部分には、特に原告の個性が表れた表現は見当たらず、同部分は、前記実験方法を読者に一義的かつ明確に伝達するために、一般的に用いられる表現を用いているにすぎないと認められる。そうすると、原告論文のI部分は、表現上の創作性があるとはいえない。
ウ また、前記イの点をおいても、原告論文のI部分と被告論文のI部分とは、英文の構文が全く異なり、個々の表現及び使用された単語において相違することが認められ、被告論文のI部分のうち、原告論文のI部分と同一性を有する部分は、表現それ自体ではない部分(実験方法)にすぎず、他方、被告論文のI部分の表現から原告論文のI部分の表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないというべきであるから、原告論文のI部分と被告論文のI部分は、表現上の本質的特徴の同一性があるということもできない。
(11) J部分について
 原告論文のJ部分と被告論文のJ部分には、ほぼ同一の表現が用いられている部分があるが、これらは、いずれも他の論文(Bj.J.Pharmacol.,52.597-603(1974),P.598)中の記載を参考にしたものと認められるから、原告論文のJ部分の表現自体に創作性があるとは認められない。
(12) K部分について
 原告論文のK部分と被告論文のK部分は、英文の構文、使用された単語とも相違しており、類似しているとはいえない。
(13) L部分について
 原告論文のL部分は、一つの文章の一部にすぎず、創作性のある表現とはいえない。
(14) M部分について
 原告論文のM部分と被告論文のM部分は、英文の構文、使用された単語とも相違しており、類似しているとはいえない。
(15) 表について
 原告論文の表1及び表2と被告論文の表2は、表の形式や記載されたデータの種別等が全く相違しており、類似しているとはいえない。
3 なお、原告論文の全体の構成と被告論文のそれとを対比してみても、原告が類似点であると主張する部分の記載順序は、原告論文においては、@、E、I、J、B、C、L、K、D、F、G、A、H、Mであるのに対し、被告論文においては、@、A、B、C、D、E、F、G、H、M、I、J、K、Lであって、全く相違している。(甲1、2)
 そして、他に被告論文が原告論文の複製ないし翻案であるとか、被告が原告論文について原告が有する著作者人格権を侵害することを認めるに足りる的確な証拠はない。また、原告が被告論文の共同著作者に当たるというべき証拠もない。
4 その他、原審及び当審における当事者提出の各準備書面記載の主張に照らし、原審及び当審で提出、援用された全証拠を改めて精査しても、当審及び当審の引用する原審の認定、判断を覆すほどのものはない。
5 以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がないから、これを棄却した原判決は相当であり、本件控訴は理由がない。
 よって、主文のとおり判決する。

大阪高等裁判所第8民事部
 裁判長裁判官 竹原俊一
 裁判官 小野洋一
 裁判官 中村心
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日本ユニ著作権センター
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