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【事件名】化粧品「アザレ」の商標事件C(2)
【年月日】平成17年3月16日
 東京高裁 平成16年(ネ)第2000号 不正競争行為差止等請求控訴事件
 (原審・東京地裁平成13年(ワ)第21187号)
 (口頭弁論終結日 平成17年1月17日)

判決
控訴人兼被控訴人(一審原告、以下単に「一審原告」という。) 株式会社アザレインターナショナル
訴訟代理人弁護士 野邊寛太郎
同 村岡みち代
同 楠眞佐雄
同 本郷誠
同 田中正和
同 小西輝明
一審原告補助参加人 X2
一審原告補助参加人 X3
一審原告補助参加人ら訴訟代理人弁護士 中田祐児
同 島尾大次
同 川島清嘉
同 川島志保
同 関本和臣
控訴人(一審被告、以下単に「一審被告」という。) アザレ東京株式会社
控訴人(一審被告、以下単に「一審被告」という。) アザレアルファ株式会社 (旧商号 アザレアゼット株式会社)
控訴人(一審被告、以下単に「一審被告」という。) アザレウイング有限会社
控訴人(一審被告、以下単に「一審被告」という。) アザレ武蔵野株式会社
一審被告ら以上4名訴訟代理人弁護士 横山雅文
被控訴人兼控訴人(一審被告、以下単に「一審被告」という。) アザレプロダクツ株式会社
被控訴人兼控訴人(一審被告、以下単に「一審被告」という。) 共和化粧品工業株式会社
被控訴人(一審被告、以下単に「一審被告」という。) Y
一審被告ら以上7名訴訟代理人弁護士 濱ア憲史
同 濱ア千恵子


主文
1 一審被告ら(一審被告Yを除く。)の各控訴に基づき、
(1) 原判決中、同一審被告らの敗訴部分を取り消す。
(2) 一審原告の同一審被告らに対する請求を棄却する。
2 一審原告の本件控訴及び当審において拡張した請求を棄却する。
3 訴訟費用は、第一、二審を通じ、補助参加によって生じた費用は補助参加人らの負担とし、その余は一審原告の負担とする。

事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 一審原告
(1) 原判決中、一審原告の敗訴部分を取り消す。
(2) 一審被告Yは、原判決別紙表示目録1ないし3記載の各表示を付した化粧品、石けん類又は香料類を製造、出荷又は販売してはならない。
(3) 一審被告Y及び同共和化粧品工業株式会社は、原判決別紙表示目録1ないし3記載の各表示を付した化粧品、石けん類及び香料類を廃棄せよ。
(4) 一審被告Y、同アザレプロダクツ株式会社及び同共和化粧品工業株式会社は、一審原告に対し、連帯して29億0378万4687円及びうち3億9053万6218円に対する平成12年12月31日から、うち7億2128万7706円に対する平成13年12月31日から、うち6億5902万7501円に対する平成14年12月31日から、うち6億7975万9957円に対する平成15年12月31日から、うち4億5317万3305円に対する平成16年8月31日から各支払済みに至るまで年5分の割合による金員を支払え(上記請求のうち、18億6121万7534円及びこれに対する平成13年10月20日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求める部分を超える請求は、当審において拡張した請求である。)。
(5) 原判決主文5項中の「「アザレアゼット株式会社」なる商号」を「「アザレアルファ株式会社」なる商号」と変更する(請求の趣旨の訂正)。
(6) 訴訟費用は、第一、二審を通じ、一審被告らの連帯負担とする。
2 一審被告ら
 主文同旨
第2 事案の概要
1 本件は、一審原告が、原判決別紙表示目録1ないし3の各表示(以下「本件各表示」という。)は自己の商品等表示として需要者の間に広く認識されているものであり、一審被告らが本件各表示を付した化粧品、石けん類及び香料類(以下、これらを総称して「アザレ化粧品」という。)を製造、販売等する行為や「アザレ」を含む商号を使用する行為は、不正競争防止法2条1項1号の不正競争行為に該当すると主張して、同法3条及び4条に基づき、一審被告らに対し、アザレ化粧品の製造、販売等の差止め及び製品の廃棄、並びに「アザレ」を含む商号の抹消登記手続を求めるとともに、損害賠償を求めている事案である。
 原判決は、本件各表示は一審原告の周知商品等表示であり、一審被告アザレプロダクツ株式会社(以下「一審被告アザレプロダクツ」という。)はOEM契約による製造業者であって、一審被告Y(以下「一審被告Y」という。)を除くその余の一審被告らの行為は不正競争行為に該当するが、一審被告Yによる不正競争行為は認められないなどとして、一審被告Yに対する請求の全部、一審被告アザレプロダクツに対する損害賠償請求の一部、一審被告共和化粧品工業株式会社(以下「一審被告共和化粧品」という。)に対する廃棄請求及び損害賠償請求の一部をそれぞれ棄却し、その余の請求を認容した。
 そこで、一審原告、一審被告ら(一審被告Yを除く。)がそれぞれ各敗訴部分について控訴を提起し、一審原告は、当審において、一審被告Y、同アザレプロダクツ及び同共和化粧品に対する損害賠償請求について請求を拡張したものである。
2 前提となる事実(当事者間に争いがない事実並びに証拠(甲29、30、78、134〜136、乙ロ1ないし3)及び弁論の全趣旨により認定できる事実)
(1) 当事者
ア アザレインターナショナルは、昭和52年10月ころ、個人企業として創業され、アザレ化粧品の販売を開始した。その後、昭和53年3月に有限会社アザレインターナショナルが設立され、昭和57年1月20日には同有限会社を解散して一審原告が設立された。
 一審原告代表者であるX1(以下「X1」ということがある。)は、有限会社アザレインターナショナルの時代及び一審原告設立後の期間を通じて代表者の地位にあった。
イ 一審被告アザレ東京株式会社(以下「一審被告アザレ東京」という。)はアザレ東京有限会社(平成12年7月24日設立)を組織変更して平成14年9月5日に、同アザレアルファ株式会社(以下「一審被告アザレアルファ」という。)はアザレアゼット株式会社として昭和60年4月11日に(平成16年8月13日、アザレアルファ株式会社に商号変更)、同アザレウイング有限会社(以下「一審被告アザレウイング」という。)は昭和61年5月22日に、同アザレ武蔵野株式会社(以下「一審被告アザレ武蔵野」という。)は昭和57年10月8日に、それぞれ設立登記をした会社である。
ウ 一審被告YとA(以下「A」という。)は、平成5年4月20日に婚姻した夫婦であるが、平成9年11月4日、Aは死亡した。一審原告補助参加人X2及び同X3(以下「補助参加人ら」という。)は、Aと先妻B(平成5年3月18日離婚)との間の子である。
エ 一審被告アザレプロダクツは、昭和60年7月1日に設立された各種化粧品の製造販売等を目的とする株式会社であり、一審被告共和化粧品は、昭和34年2月25日に設立された各種化粧品の製造販売等を目的とする株式会社である
(2) 一審被告アザレプロダクツは、平成12年4月ころから、一審原告を介することなく、本件各表示を付した化粧品、石けん類又は香料類(以下「被告製品」という。)を製造販売し、一審被告アザレ東京は、これを一審被告アザレプロダクツから仕入れて、一審被告アザレアルファ、同アザレウイング及び同アザレ武蔵野に販売し、同一審被告らはそれぞれ傘下の販売員を通じて被告製品を消費者に販売している。
3 争点及び争点に関する当事者双方の主張は、次の4及び5のとおり付加訂正するほか、原判決の「第2 事案の概要」の「2 争点及び当事者の主張」記載のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決6頁11行目の「商品等表示として」を「商品等表示としてのみ」に、同30頁15行目の「ンフレット」を「パンフレット」に改める。)。
 なお、以下、原判決の用法に従い、「ジュポン社」、「ワンダフル」、「本件各商標」、「本件各商標権」などの略称を用いる。
4 一審原告の主張
(1) 一審被告Yの共同不法行為責任
 原判決は、一審被告Yは、外観上被告製品の注文の取次行為を行っているに過ぎないとして、一審被告Yに対する請求をすべて否定した。
 しかし、一審被告Yは、平成10年2月ころから、C(以下「C」という。)らと共謀して、一審原告の経営権の掌握とアザレ化粧品の製造販売事業による利益の独占等を図り、これに失敗すると、一審被告アザレプロダクツが本件各商標を冒用して偽アザレ化粧品の製造販売事業を行うという不正競争行為を計画し、これに積極的かつ主体的に加担して、不正競争行為の継続に必要不可欠の重要な役割を果たしてきたものであって、不正競争行為について、一審被告アザレプロダクツらとの共同不法行為者であり、差止等請求及び損害賠償請求を免れることはできない。すなわち、一審被告Yは、本件の不正競争行為において、ワンダフルの代表者として、一審原告に対し、本件各商標の使用契約を解除してその使用の差止め訴訟を提起するなどして、一審原告のアザレ化粧品の製造販売を妨害したり、一審被告アザレプロダクツによる偽アザレ化粧品の製造販売事業の立ち上げなどについて資金面で多大な協力をしたりしたほか、本件各商標権の処分禁止仮処分違反等を潜脱するために本件各商標権の自己使用の外観を積極的に作出するなどして、一審被告アザレプロダクツの偽アザレ化粧品の製造販売事業に協力し、さらに代金数百万円を分担支出して、一審原告のアザレ化粧品が被告製品に切り替わったかのごときパンフレットを作成・配布するなど、主体的・積極的に不正競争行為に加担、協力しているものであり、これにより、平成12年度は4億6654万円余、平成13年度は3億0155万円余、平成14年度は3億7677万円余もの莫大な利益の分配を受けている。このような一審被告Yの行為は、原判決が認定したような「外観上取次行為を行っているにすぎない」などという軽微なものではなく、不正競争行為を行う上で不可欠なものであって、不正競争行為につき共同不法行為責任を免れないというべきである。
(2) 請求の拡張に伴う主張の訂正
 請求の拡張に伴い、原判決39頁13行目から40頁16行目までの一審原告の主張を次のとおり改める。
 「(イ) 一審被告Y、同アザレプロダクツ及び同共和化粧品(以下「一審被告Yら」という。)に対し請求し得る損害額について
 @ 一審被告Yらの不正競争行為により一審原告が被った営業上の利益に係る損害
 @ 一審被告Yらの不正競争行為が始まる前3年間の一審原告の営業利益は、次のとおり合計18億8851万0811円であり、1年間の平均営業利益は6億2950万5604円である。
  第16期(平成9年1月1日から同年12月31日)
   3億5086万0391円
  第17期(平成10年1月1日から同年12月31日)
   5億8472万9473円
  第18期(平成11年1月1日から同年12月31日)
   9億5292万0947円
A ところが、一審被告Yらによる不正競争行為が始まって以降、一審原告の営業利益は、次のとおり激減した。
  第19期(平成12年1月1日から同年12月31日)
   9695万6217円
  第20期(平成13年1月1日から同年12月31日)
   −2621万0492円
  第21期(平成14年1月1日から同年12月31日)
   3038万9694円
  第22期(平成15年1月1日から同年12月31日)
   1154万2007円
  第23期(平成16年1月1日から同年8月31日)
   (前年の利益の8か月分) 769万4671円
B @による1年間の平均営業利益額6億2950万5604円からAによる実際の営業利益額を控除した損害額は次のとおりである。
 平成12年 3億5503万2925円(ただし、不正競争行為開始後である5月1日から12月31日までの8か月分)
 平成13年 6億5571万6096円
 平成14年 5億9911万5910円
 平成15年 6億1796万3597円
 平成16年 4億1197万5732円(ただし、1月1日から8月31日までの8か月分)
 計 26億3980万4260円
C 弁護士費用としては、上記金額の1割である2億6398万0426円が相当である。
D よって、上記BとCの合計29億0378万4687円及びBによる各年毎の損害額に弁護士費用(1割)を加えた額について、不法行為の後である各年末日(ただし、平成16年分については8月31日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める。
 A 不正競争防止法5条1項に基づいて算定した一審原告の損害額
 @ 一審被告Yの売上単価と商品構成が一審原告と同様であると仮定し、両者の売上高の比較から、侵害者たる一審被告Yらの譲渡数量を算定する。
 A 一審原告の平成13年ないし平成15年各12月期の決算書から、商品毎の売上単価、売上原価、荷造運賃、支払保険料、支払手数料、商標使用料の各変動費について単価を算定する。
 B Aの各単価に@の譲渡数量を乗ずると、
  売上高 98億5654万4000円
  売上原価 44億1938万2000円
  荷造運賃 2億1965万5000円
  支払保険料 2953万5000円
  支払手数料 703万5000円
  商標使用料 8億3531万1000円
 となるので、この売上高から各費用を控除し、
 さらに、個別固定費である
  給料手当等 3341万1000円
  法定福利費 227万4000円
  広告宣伝費 6億5474万4000円
  販売促進費 2億5053万8000円
 を控除すると、34億0466万円となる。
 C この損害額34億0466万円の内金請求として上記@のDの限度でその支払を求める。
 B 一審被告Yらが不正競争行為により受けた利益の額に基づいて計算される一審原告の損害額(不正競争防止法5条2項)
 @ 一審被告Yの得た利益
  平成12年5月1日から同年12月31日 4億6654万2773円
  平成13年1月1日から同年12月31日 3億0155万8318円
  平成14年1月1日から同年12月31日 3億7677万8589円
  平成15年1月1日から同年12月31日 3億6634万5827円
  平成16年1月1日から同年8月31日 (平成15年の金額の8か月分)2億4423万0551円
  計 17億5545万6058円
 A 一審被告アザレプロダクツの得た利益
  平成12年6月1日から平成13年5月31日 2億1342万9725円
  平成13年6月1日から平成14年5月31日 1億2502万2477円
  平成14年6月1日から平成15年5月31日 1億1331万3207円
  平成15年6月1日から平成16年5月31日 (前年と同額と推定)1億1331万3207円
  平成16年6月1日から平成16年8月31日 (前年の金額の3か月分)2832万8302円
  計 5億9340万6918円
 B 一審被告共和化粧品の得た利益
  一審被告共和化粧品の利益全体の額に「アザレ化粧品」の利益が占める割合8割を乗じた金額
   平成12年5月1日から平成13年1月31日 2億9832万9240円
   平成13年2月1日から平成14年1月31日 1億8080万7030円
   平成14年2月1日から平成15年1月31日 2億3416万9786円
   平成15年2月1日から平成16年1月31日 (前年と同額と推定)2億3416万9786円
   平成16年2月1日から平成16年8月31日 (前年の金額の7か月分)1億3659万9042円
   計 10億8407万4884円
 C 弁護士費用としては、上記@ないしBの合計額が34億3293万7860円であることにかんがみると、2億9958万4143円が相当である。
 D そうすると、一審被告Yらの得た利益を基準として計算される一審原告の損害額は合計37億3252万2003円となり、その内金請求として上記@のDの限度でその支払を求める。」
(3) 一審被告らの当審における主張について
ア 一審被告らは、一審被告Yが同アザレプロダクツに対し本件各商標について使用許諾したと主張するが、この主張は、訴訟上の信義則に反し、「時機に後れた攻撃防御方法」として、許されない。また、一審被告らは、原審において、一審被告Yが同アザレプロダクツに対して本件各商標の使用を許諾した事実を否定し、許諾したことはないとの主張をしていたから、当審における上記主張は、自白の撤回に当たり許されない。
イ 一審被告Yが一審原告との間のワンダフルを介した独占的通常使用契約、処分禁止の仮処分及び商標法35条に違反して、一審被告アザレプロダクツに本件各商標の使用を許諾することは、一審被告らの違法行為に加担するものであり、権利の濫用として許されない。
5 一審被告らの主張
(1) 本件各表示は、一審原告及び一審被告アザレプロダクツらで構成されたアザレグループの出所表示として取引者・需要者に広く認識されていたものであり、このようにグループ企業を構成して事業を展開していた企業グループが分裂して、それぞれが従前の商品表示で商品の製造・販売を行った場合、それぞれが表示主体と認められるか否かは、分裂時までの周知性・著名性の獲得についての寄与の程度によって判断されるべきである。一審被告アザレプロダクツは、アザレグループの中核企業として、本件各表示の周知性・著名性の獲得に当たって、相当の寄与をしてきたものであり(一審被告共和化粧品の活動による周知性の承継を含む。)、本件各表示に対する信用は、一審原告のみならず、一審被告アザレプロダクツにも帰属しているというべきである。したがって、たとえ一審原告がアザレグループ内で中心的な地位にあったとしても、一審原告のみが本件各表示の独占的な表示主体であったものではなく、一審被告アザレプロダクツもその表示主体であったというべきである。そして、その他の一審被告らも、グループ分裂後、一審被告アザレプロダクツの供給する化粧品を販売しているものであるから、本件各表示の表示主体というべきである。
 したがって、本件各表示は、一審被告らとの関係においては、不正競争防止法2条1項1号にいう「他人の商品等表示」に当たるとはいえない。
(2) 使用権限(使用許諾)の抗弁
 仮に、一審被告Yによる本件各商標の自己使用が認められないとしても、Aの死亡により本件各商標権を単独相続した一審被告Yは、平成12年3月ころ、一審被告アザレプロダクツに対し、本件各商標について黙示の使用許諾をした。したがって、一審被告アザレプロダクツは、平成12年4月以降、本件各表示を付した被告製品を製造販売する正当な権限を有していたものであり、その余の一審被告らによる販売も正当な権限に基づくもので、不正競争行為は成立しない。
 なお、本件のように、アザレグループの中核企業である「製造元」の一審被告アザレプロダクツと「発売元」の一審原告の決別という事態を受けて、商標権者である一審被告Yが一審被告アザレプロダクツに対して本件各商標権の使用許諾をしたことは、商標権の価値の維持及び分配利益の確保の両面から考えて当然、あるいはやむを得ぬ選択であって、権利濫用とはいえない。
(3) 一審原告の請求拡張に伴う主張の訂正について
 一審原告の損害額の主張、その算定根拠及び算定方法は争う。
第3 当裁判所の判断
1 前記前提となる事実並びに証拠(書証の枝番のすべてを引用するときは、枝番号の表示を省略する。)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。
(1) アザレ化粧品の製造販売に至るまでの経緯(甲1の3、6、35の1、92、99、101、117、乙1、2、13、30、95、乙ロ6、一審原告代表者本人、一審被告共和化粧品及び同アザレプロダクツ代表者本人)
ア Aは、昭和37年ころ、それまで勤務していたポーラ化粧品をやめて、D、E、Fと共にヴァロー化粧品(東京都葛飾区所在)を創業し、専務取締役となった。X1は、昭和37年にDと結婚し、ヴァロー化粧品に勤務していたが、夫のDは昭和40年7月交通事故で死亡した。その後、ヴァロー化粧品の経営方針をめぐってAと代表者のFとの間に対立が生じ、Aは、福岡に事務所を新設してヴァロー化粧品を販売することとし、X1も一緒に福岡に移り、Aの事業に従事した。
 ところが、「ヴァロー」という商標の使用について問題が生じるなどしたため、Aは、昭和45年ころ、新たに福岡市内でジュポン社を設立し、「ルールジュポン」という商標の商標権を取得して、化粧品の販売を行うようになり、X1もその業務に従事していた(当時、Aは36歳、X1は26歳であり、両者は親密な関係にあった。)。その後、ジュポン社は、大阪市内、東京都板橋区内と本店を移し、営業していた。
イ ジュポン社設立当時、大手化粧品メーカーの化粧品公害が問題となっており、黒皮症をめぐる訴訟も提起されていた状況であったことから、ジュポン社においては、Aの発案により、黒皮症を念頭に置き、石油由来の界面活性剤を使用せず、「肌に負担をかけない」「植物性」「自然派化粧品」などを謳い文句に水溶性ファンデーションを開発し、これに「エレガンスカラー」と名付けて販売を開始した。ジュポン社は、当初、同商品を含む「ジュポン化粧品」の製造については、大阪府所在の永田美研工業に内容物の製造を委託し、ジュポン社においてこれを容器に詰めるなどして製品として完成させて、各地の販売店に販売していた。
ウ しかしながら、永田美研工業が、ジュポン社の関知しないところで「ジュポン化粧品」と同一仕様の製品を製造し、直接販売店に出荷していたことが判明したため、昭和48年ころ、ジュポン社は永田美研工業との契約を解除し、大阪府内で化粧品の受託製造を専門に行っていた一審被告共和化粧品との間で、新たに化粧品の製造委託を内容とする契約を締結した。
 上記契約の契約書は「製造請負契約書」と題するもの(甲1の3は同契約書の草稿)であり、概要、次のような内容となっていた。
@ ジュポン社は、一審被告共和化粧品に対し、ジュポンエレガンススペシャル、ジュポンゴールドエレガンス、ジュポンウェディングカラー、ジュポンエレガンスソープ、ジュポンナイトビューティの製造を請け負わせるものとして、それに必要な資材の容器、化粧箱、ダンボール小箱、ダンボール大箱は、ジュポン社が支給し、内容製造原料は一審被告共和化粧品が負担する。
A 一審被告共和化粧品がジュポン社より供給を受けた材料はすべてジュポン社の所有であり、一審被告共和化粧品は、これを処分したり担保に供したりしてはならず、また、その明細書の提出を求められた場合は、一審被告共和化粧品はこれに直ちに応じなければならない。
B 一審被告共和化粧品は、ジュポン社より交付を受けた注文書により製造するものとし、納品はジュポン社の指定する場所に発送する。
C 一審被告共和化粧品は、ジュポン社の取引先、及びジュポン社の営業活動にて該当製品の存在を関知した他者より問合わせや注文があった場合は、直ちにジュポン社に連絡して、ジュポン社の指示に従いジュポン社及びジュポン社の取引先の営業権を擁護し、ジュポン商標や他のブランドの製品を理由の如何を問わずまた直接、間接にても取引することは決してできない。
D 一審被告共和化粧品は、ジュポン社が製造を委託したジュポンエレガンススペシャル、ジュポンゴールドエレガンス及びジュポンウェディングカラーの3種類の製品と同一様式の水溶性ファンデーションの製造は、ジュポン社以外の業者に対しては請け負えない。
E ジュポン社は、一審被告共和化粧品以外の業者に対しては、ジュポンエレガンススペシャル、ジュポンゴールドエレガンス、ジュポンウェディングカラー、ジュポンエレガンスソープ、ジュポンナイトビューティと同一様式の製品の製造は委託できない。ただし、ジュポン社の発注数量に対して、一審被告共和化粧品がその70%の生産数量を3か月連続して達成し得ない場合は、ジュポン社は、他の業者に対して委託できる。
エ 一審被告共和化粧品は、上記契約に基づいて製品の製造を始めることになったが、ジュポン社からは、基本的な製品のコンセプトの指示があっただけで、具体的な成分、原材料の種類・内容・割合、製法など具体的な処方について知らされることはなく、また、永田美研工業からも特段の引継ぎを受けられなかったため、Aの意向に沿うべく、独自の立場でその製品化を進めた。
オ 上記の「エレガンスカラー」の販売が好調であったこともあって、ジュポン社の売上は伸びていたが、「ルールジュポン」の商標が、米国の化学メーカーであるデュポン社の名称と類似することが問題となって紛争が生じたこと、「ルールジュポン」商標には化粧品が指定商品とされていなかったことなどから、昭和50年12月ころ、Aは「ジュポン化粧品」の事業及び「ルールジュポン」の商標権を取締役のEに譲り、X1を連れて福岡に戻り、一時化粧品業界から離れた。
カ なお、Aには、昭和33年7月11日に婚姻した妻B、その間の子である補助参加人らがおり、これら家族も福岡で生活をしていた。
(2) アザレ化粧品の創業(甲1の2、4、5、12、35の1、90〜92、96、101、乙13、95、乙ロ6、7の1・2、81、一審原告代表者本人、一審被告共和化粧品及び同アザレプロダクツ代表者本人)
ア 化粧品事業から手を引いたAに対しては、G(以下「G」という。)を初めとするジュポン社当時の取引先や、一審被告共和化粧品の代表者であるCから、化粧品業界に戻るように強い要請、説得がなされた。
 このようなCらによる強い要請、説得を受けたAは、ジュポン社当時に引き続き、「自然派化粧品」の理念のもとに、再び化粧品販売事業に乗り出すこととし、製品の開発、製造についてはCに委せることとする一方、昭和52年10月ころ、福岡市内のA所有の建物を事務所とし、X1を代表として「アザレインターナショナル」の名称で、アザレの商標(昭和49年8月12日にB名義で出願していた「AZARE アザレ」の商標が昭和52年5月12日に設定登録された。)を用いた化粧品の販売を始めることとした。Aは、その後も別紙商標一覧のとおりアザレに関する商標登録出願をし、その商標登録を受けた。
イ 個人企業としての「アザレインターナショナル」は、昭和53年1月に法人化されて、有限会社アザレインターナショナルとなり、代表取締役にX1、取締役としてC、Hが就任した。その後、業績も次第に上がってきたため、Aは、大阪市内に営業の本拠地を移すこととし、有限会社アザレインターナショナルを解散した上で、昭和57年1月、資本金1000万円で一審原告を設立し(本店所在地・大阪市)、販売事業を行うようになった。一審被告共和化粧品は、当時から大阪府八尾市に本店及び自社工場を持って事業を行っていた。
 一審原告の設立当時の持ち株比率は、Aの意向により、X150%、A14%、C10%、佐賀本舗のI(以下「I」という。)10%などとされ、代表取締役にはX1、取締役にC及びAがそれぞれ就任した。
ウ アザレ化粧品の製造は、ジュポン社時代に引き続いて一審被告共和化粧品が行い、個人企業時代の「アザレインターナショナル」と一審被告共和化粧品の間で製品取引契約が締結され、一審原告が設立された昭和57年1月、改めて、一審原告と一審被告共和化粧品との間でアザレ化粧品の製造委託を内容とする契約が締結されたが、これら契約の内容は、専らAとCの間で話し合われ、決められていた。
 上記契約の契約書は「製品取引契約書」と題するもの(甲1の2)であり、概要、次のような内容を持つものであった。
@ 一審原告は、製品を完成するのに必要な外装用資材を一審被告共和化粧品に供給し、一審被告共和化粧品は、製品中身の製造に必要な原料を仕入れ、加工完成して一審原告の販売機構である各県の販売指定店に一審原告の指示に基づいて送付し、納品する。
A 一審原告は、一審被告共和化粧品に対して、一審原告の営業活動により設置する販売店全部の住所氏名を通知し、一審被告共和化粧品はこの名簿により出荷する。
B 一審被告共和化粧品は、Aにより一審原告の販売経路や販売方法等の詳細を知る立場を利用して、一審原告の経営を阻害する行為を行ってはならない。
C 一審原告が一審被告共和化粧品に支払うべき製品の代価は、一審被告共和化粧品の見積書を一審原告が承認して決定する。
D 一審被告共和化粧品は、一審原告の主たる商品であるメイクアップ料を水溶液中に保留した通称水彩カラーと称するアザレグレイスカラーと同一様式の製品を一審原告以外の第三者より受注してはならない。
E 一審原告は、Dの製品及びアザレの商標を使用する製品のすべてを一審被告共和化粧品以外の第三者に発注してはならない。
F 一審被告共和化粧品は、一審原告の販売機構内の指定販売店・販売店・販売員から一審原告の商品と異なる種類の製品でも受注してはならない。
G 一審被告共和化粧品の製造品種以外の製品については、一審原告は、一審被告共和化粧品を製造元と定め、一審被告共和化粧品を通じて他業者に下請けを発注する。
H 製品の内容処方や成分については、一審被告共和化粧品が決定して製造し、一審原告は一審被告共和化粧品の製造内容に準じてこれを販売する。
I 一審被告共和化粧品が一審原告より供給を受けた資材はすべて一審原告の所有資産であり、一審被告共和化粧品は、これを流用し、処分し、又は担保に供する等の行為をしてはならない。
エ 一審原告は、個人企業の時代、有限会社アザレインターナショナルの時代を含め、本件各表示を一審被告共和化粧品(一審被告アザレプロダクツ設立後は同一審被告)の製造した化粧品に付して使用している。
 アザレインターナショナルの創業後、最初に商品として発売されたのは、「アザレグレイスカラー」という水溶性ファンデーションであり、これは、ジュポン社時代のヒット商品である「ジュポンエレガンスカラー」のノウハウを生かして改良を重ねたものであった。その後、一審被告共和化粧品からの提案等により新商品も開発、販売され、一審原告が設立された昭和57年1月ころには、20種類以上の商品がアザレ化粧品として販売されるようになった。
(3) アザレ化粧品の販売網の形成(甲2、7の1〜10、11、17、24の2、59、65〜68、70、71、73、98、101、151〜153、165、167、242、乙14、17、20、32、71の4、80、81、95、乙ロ1〜3、14、20〜56、61、62、原審証人J)
ア 一審原告では、個人企業の時代から、「本舗」と呼ばれる販売指定店を設け、本舗に属する販売員などによる訪問販売、直接対面販売方式によってアザレ化粧品を販売するという流通方法を採ることとし、全国各地で本舗ないしは販売協力店、販売普及員を募集した。この本舗は、それぞれ販売活動のできる地域が厳格に定められ(原則として都道府県毎に1本舗)、アザレ化粧品以外の商品の販売を禁止された専属的な販売店であった。この本舗の開拓は、Aが、CやX1を同行して行っていたが、順次その数も増え、昭和57年には全国に39本舗、昭和58年には43本舗となり、ほどなく50以上の本舗が開設されるに至った。これらの本舗のほとんどは、株式会社や有限会社など独立した法人となり、大半の本舗において商号に「アザレ」の語を用いている。また、各本舗は独自に営業その他の目的を持つ子会社を設立させる場合もあり、そのような子会社の多くも「アザレ」を含む商号を使用している。
イ 一審原告と本舗との間には販売指定店契約が締結されたが、これらの契約書には、昭和53年ころのものには、「契約立会人」として一審被告共和化粧品及びAの記名(署名)押印があり、また、昭和57年以降平成2年までのものには、同じく「契約立会人」として、一審被告共和化粧品又は一審被告アザレプロダクツのほか、K弁護士などの記名押印がある。このように、Cは、Aの意向により、当初から本舗の開拓や契約締結にも関わりを持つなど、アザレ化粧品の事業の展開に協力していた。
 この契約には、前記のとおり各県1本舗とする厳格な地域割りと、一審原告と本舗との間における製品の扱いなどを中心とする詳細な規定が設けられていたが、一審原告による販売方法に関する指導などについての具体的な定めはなく、「乙(本舗)は、・・・自己専有地域内の販売店に対する教育、講習等は自らこれを実施して、甲(一審原告)にその代行を求めないこととする」との条項が定められていた。
ウ 当時、一審原告には、AとX1以外に販売方法などについて指導するスタッフが存在した形跡はなく(薬剤師を雇用した後である平成11年4月12日更新の東京商工リサーチ企業情報によると、一審原告の従業員は3名とされている。乙71の4)、AとX1が各本舗の開催する講演会や講習会などへ出席していたが、それらはアザレの理念の啓蒙や美容実演などが主であり、機関誌などで情報提供するなどのほかは、基本的には、市場開拓や販売活動の具体的な方法などについては、各本舗それぞれの独自の工夫や自助努力に委されていた。
 そこで、各本舗は、一審原告が理念とする訪問、直接対面販売といった基本的な枠組みの下で、それぞれの工夫や努力によって販売手法の確立や販売組織の形成を行っていた。後に全国の本舗において共通して採用されるに至った販売方法やノウハウも、当初は各本舗における工夫の中から生み出され、定期的な本舗の社長会、一審原告や各本舗が発行する機関誌やパンフレット類によって紹介されるなどして、各本舗の間の営業成績の競争を促す中で広まっていったものであった。
 例えば、東京地区の本舗として設立されたアザレコーポレーション株式会社(代表取締役・L(以下「L」という。))は、独自に作成したチラシなどを用いた販促活動のほかに、昭和57年ころから(販売指定店契約は昭和58年10月30日付けで締結されているが、それ以前から本舗活動をしていた。)、「講習会」制度や「アドバイザー資格」制度を考案して実践するうちに効果が上がり、昭和58年度には本舗中1位の成績である全国の売上の18パーセントを占めるに至った(平成元年には全国の売上の約43パーセントを東京本舗が占めるに至っている。)。また、昭和62年7月には、有力本舗の代表者などを中心として、アドバイザーや営業所長教育の講座や講習会の運営ノウハウ、教育・講習用の教材、カタログや営業用ツールの作成、提供などのためのアザレアカデミー株式会社が設立され、各本舗は、ここで作成された教材、資料等を使用するなどしてそれぞれの販売活動を行っていたが、その成果は、一審原告の機関誌や社長会などを通じて全国の本舗に知らされ、同種の運営方法が採用されるようになっていった。
エ このような中で、一審原告は、主として、本舗からの製品受注と一審被告共和化粧品(一審被告アザレプロダクツ設立後は同一審被告)への発注(製品は製造元から各本舗へ直接納入)、容器等の業者への発注、販売促進品の提供、パンフレットの作成配布、各本舗が開催する講演会、講習会などへの出席、本舗の表彰や毎月の機関誌の発行、新聞、雑誌等への宣伝広告など、アザレ化粧品の総発売元としての業務を行い、各本舗の努力等もあって、アザレ化粧品の販売事業は順調に発展していった。なお、Aは、各本舗や傘下の販売員から「先生」とも呼ばれ、多くの講演や機関誌(各本舗作成のものを含む。)への寄稿によって、「自然派化粧品」というアザレの理念を説き、アザレ化粧品のいわば象徴的存在としての役割を担っており、また、X1は、各本舗が開催する美容講習会や展示会において化粧実演を行うなど、女性の立場で実践的な活動を担当していた。
(4) 一審被告アザレプロダクツの設立(甲1の1、27、34、76、178〜186、乙78、81、91、92、95、乙ロ12〜16、20、78、79、95、一審被告共和化粧品及び同アザレプロダクツ代表者本人)
ア 一審被告共和化粧品は、一審原告と製品取引契約を締結した後も、アザレ化粧品以外の化粧品の製造を行っていた。しかしながら、アザレ化粧品が徐々に消費者に受け入れられ、知名度が上がってきたことから、一審被告共和化粧品に化粧品製造を請け負わせている他の化粧品会社が、アザレ化粧品と同一の製造元による製品であるとの宣伝を行うようになり、アザレ化粧品のブランドの価値が損なわれるおそれが生じたこと、アザレ化粧品だけの専用工場を持つことがアザレグループ全体の発展に資すると考えられたことなどから、Aの意向もあって、一審被告共和化粧品のアザレ化粧品製造部門を分社化して独立させ、アザレ化粧品専門の製造会社が設けられることになった。そして、昭和60年7月、一審被告アザレプロダクツが設立され、Cとその親族のほか、AとX1が株主兼発起人となり、Cが代表取締役、M(Cの父で一審被告共和化粧品の前代表者)とX1が取締役にそれぞれ就任した。
イ 一審被告共和化粧品は、アザレ化粧品の製造開始後の昭和54年2月、工場を新設していたが、その後、アザレ化粧品の製造部門の独立のため、新たに土地を取得して工場等を建設することとし、昭和60年7月、一審被告アザレプロダクツのための鉄骨造3階建事務所・工場を完成させ(この土地建物は、平成13年1月25日、一審被告アザレプロダクツが買い受けた。)、さらに、平成元年5月には、隣接する土地及び工場・倉庫を借り受けて、施設を拡充した。この一審被告アザレプロダクツの工場建物正面には、大きく「AZARE」という表示が付され、敷地入口や建物入口には一審被告アザレプロダクツの社名のみが掲げられ、外形的にもアザレ化粧品の専用工場としての体裁が採られている。この新工場建設の経過などは、一審原告発行の機関誌「アザレリポート」でも、「”アザレプロダクツ”・・・全国の本舗のみなさんの意欲的な活動が予定よりもなんと二年も早くアザレプロダクツ建設を実行させることになりました。」(1984年11月号)、「アザレプロダクツ完成」(1985年7月号)、「プロダクツ拡張 全国アザレグループの躍進が業界の注目を浴びていますが、・・・隣地に大きな原材料倉庫を建て終り、・・・新倉庫の上に爽やかにたったアザレグループの看板が、ひときわ目を引きますね。」(1988年8月号)などと紹介されている。
 一審被告アザレプロダクツは、設立後、薬事法に基づく化粧品及び医薬部外品の製造許可を取得し、一審被告共和化粧品の上記工場設備等を使用してアザレ化粧品だけの製造を始め、一方、一審被告共和化粧品は、従前の工場において、アザレ化粧品以外の製品の製造に専念することとなった。
ウ 一審被告アザレプロダクツの設立後、平成元年12月18日に一審原告と一審被告アザレプロダクツとの間で、それまでの製品取引契約に代えて新たに契約を締結した。
 同契約の契約書は「委託製造取引契約書」と題するもの(甲1の1)であり、概要、次のような内容のものであった。
@ 一審原告は製品を完成するのに必要な外装用資材を自己資金で作り、一審被告アザレプロダクツに預け、一審被告アザレプロダクツは製品中身の製造に必要な原料を仕入れ、加工完成して一審原告の販売機構である各県の販売指定店に一審原告の指示に基づいて送付し、納品する。
A 一審原告は一審被告アザレプロダクツに対して一審原告の営業活動により設置する販売店全部の住所・氏名を通知し、一審被告アザレプロダクツはこの名簿により出荷する。
B 一審被告アザレプロダクツは、Aにより一審原告の販売経路や販売方法等の詳細を知る立場を利用して、一審原告が開発した取引先と直接談合したり、一審被告アザレプロダクツが別に経営する一審被告共和化粧品と一審原告の得意先と取引したりして信頼に背き、一審原告の経営を阻害する行為を行ってはならない。
C 一審原告が一審被告アザレプロダクツに支払うべき製品の代価は一審被告アザレプロダクツの見積書を一審原告が承認して決定する。
D 一審被告アザレプロダクツは、アザレの商標を使用する製品を一審原告の指示する所以外に、いかなる理由でも出荷してはならないこととする。
E 一審原告は、アザレの商標を使用する化粧品の製造を一審被告アザレプロダクツ以外の下請業者に発注してはならない。ただし、医薬品及び医薬部外品は除外する。
F 一審被告アザレプロダクツは、一審原告の販売機構内の販売指定店、販売店、販売員から一審原告の商品と異なる種類の製品でも受注してはならない。
G 製造の内容処方や成分については、一審原告と一審被告アザレプロダクツが協議の上決定して製造するものとし、一審原告の承諾なく変更してはならない。
H 一審被告アザレプロダクツが一審原告より供給を受けた資材はすべて一審原告の所有資産であり、一審被告アザレプロダクツはこれを流用し、処分し、又は担保に供する等の行為をしてはならない。
エ 上記契約内容によれば、一審原告は、アザレ化粧品の製造(医薬品・医薬部外品を除く)を一審被告アザレプロダクツ以外の者にさせることはできないのに対して、一審被告アザレプロダクツは、他社に外注することを禁じられておらず、もともと製造設備を用意していない石けん、口紅などは、同一審被告において外注に出しており(このことは、一審被告共和化粧品と一審原告との契約当時も同様であり、当時の契約書では、前記のとおり、同一審被告の製造品種以外の製品については、一審原告は、同一審被告を製造元と定め、同一審被告を通じて他業者に下請けを発注すると定められていた。)、また、その他の一部製品についても株式会社日本色材工業研究所に製造委託していたが、それらの製品にはすべて製造元として一審被告アザレプロダクツが表示され、製品自体も委託先から一審被告アザレプロダクツに納品され、同一審被告から各本舗に発送されていた。
オ 一審原告が販売員など会員用に作成配付した「躍進AZARE」と題するパンフレットには、表紙に「全国アザレグループ」との記載があり、「真の美を追求するアザレ製造グループ」として、一審原告の紹介に続けて、「アザレプロダクツ株式会社」の工場や製造場面などの紹介のページがあり、一審被告アザレプロダクツをアザレ製造グループとして表示している(そのほかに、同パンフレットには、「日本中に拡がったアザレオフィス」、「お客様のニーズに応える信頼のアザレグループ」などの記載の下に、各地の本舗オフィスなどの写真が掲載されている。)。
(5) アザレ化粧品の売上及び広告宣伝等(甲16、24、25、29、59〜66、79、146〜150、211、230、234、乙16、49〜52、乙ロ20、57〜61、76、81)
ア 一審原告の設立以降の売上の推移は、原判決別紙「売上高・営業利益・商標使用料比較一覧表」の売上高欄記載のとおりである。一審原告が設立された昭和57年度に既に売上高は6億7628万0760円にのぼっていたが、それが昭和59年には、12億2526万6090円になり、その後も平成8年ころまで順調に売上を伸ばし、平成8年度の売上高は71億円超を記録した。
イ 一審原告と一審被告共和化粧品、同アザレプロダクツとの契約関係が存続中に販売されたアザレ化粧品の外箱や化粧瓶には、本件各表示が付され、その外箱あるいは瓶底のシール等には、「発売元」として一審原告が記載され、「製造元」として一審被告共和化粧品、同アザレプロダクツが記載されていた。
ウ アザレ化粧品用のパンフレットやチラシには、一審原告が作成し、一審原告の名前が出所として記載されているもの(その中には、最初のページに「全国アザレグループ」との表示があり、最終ページの末尾に「アザレ ビューティフル エッセンス 発行:AZARE INTERNATIONAL CO.LTD」との表示があるものもある。乙ロ76)だけではなく、各地の本舗において作成され、各本舗の会社名が表示されているもの、「AZARE GROUPE」と表示されているものなど多種にわたっていた。
エ アザレ化粧品の新聞広告は、平成8年以降、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞に年間延べ120回、半2段(縦約7p×横約19p)の大きさで掲載され、その文面には、いずれも一審原告のみが広告主として記載されていた。もっとも、この広告内容は、「アザレ化粧品から訪問・直接対面販売のお知らせ」と題されたもので、商品の紹介を内容とするものではなかった。
 雑誌広告については、昭和57年2月から7月まで及び昭和58年2月から5月までを除いて、月刊「健康ファミリー」に商品広告が連続掲載されたほか、女性誌「主婦の友」、「ヘア&メーク」、「MiL」においても商品広告が掲載された。これらの商品広告において、広告主の名前が掲載されるときには、一審原告の名前が掲載されていた。
 これらの新聞及び雑誌広告のための支出額は、平成8年度で約3089万円、平成9年度で約5532万円、平成10年度で約7648万円である。
オ 各種ファッション雑誌、婦人雑誌での化粧品の記事には、他の化粧品と並んでアザレ化粧品が取り上げられることがあったが、そこでは、概ねアザレ化粧品は、植物性の自然派化粧品として紹介されており、出所が表示されるときには、一審原告が記載されていた。
カ 一審原告は、毎月「アザレリポート」を販売店向けに発行して、各種の連絡、情報の提供などを行っていたほか、昭和56年以降「販売店コンクール」等を開催して販売店及び販売員の競争意欲を高めるようにしていた。これに応じて各本舗・販売店でも独自に販売員向けの資料を作成したり、販売員の研修を行い、独自のパンフレット、機関誌などを作成配布して活発な販売活動等をしていた本舗もあった。
 また、一審原告は、各本舗用に、多数の販売促進品を提供した。
キ 上記の各広告などにおける一審原告の表示は、「株式会社アザレインターナショナル」、「潟Aザレインターナショナル」「AZARE INTERNATIONAL」と表示されたもの、問合わせ先として「潟Aザレインターナショナル」と表示されたもの、「アザレ高級化粧品」あるいは「アザレビューティフルエッセンス」との表示の下に小さく「潟Aザレインターナショナル」と表示されたもの、比較的大きく「AZARE」との表示の下に小さく「INTERNATIONAL」と表示されたものなど多様なものがあった。また、各本舗やその傘下の会社などが発行したパンフレット、機関誌などにも、それぞれの本舗名や「AZARE」「AZAREX」「アザレア会」その他「アザレ」や「ASARE」を含む表示が使用されていた。
 なお、前記のとおり、一審原告では、各本舗における具体的な販売活動等については、基本的に各本舗の工夫や自助努力に委せており、各本舗等で販売促進活動の一環として上記のようなパンフレット等を使用することを禁じていた形跡はない。
ク 一審原告は、上記のような販売及び広告宣伝のために、別紙「売上高・広告宣伝費・販売促進費比較一覧表」記載のとおりの広告宣伝費、販売促進費を支出した。
(6) アザレ化粧品の製品開発等(甲9、13〜16、21の1、76、93、96、101、102、乙95、乙ロ20、77、一審被告共和化粧品及び同アザレプロダクツ代表者本人)
ア 化粧瓶及び外箱について
 前記(4)ウ記載のとおり、アザレ化粧品の化粧瓶及び外箱については一審原告が一審被告アザレプロダクツに供給することとされており、また、当初使用されていた各種化粧瓶の意匠については、Aを創作者として意匠登録出願がされ、一審原告が意匠権を取得している。
イ 一審原告の研究体制等について
 アザレ化粧品の製造は、前記のとおり、当初は一審被告共和化粧品が、その後一審被告アザレプロダクツがそれぞれ担当し、新製品などの基本的なコンセプトなどはともかく、製品の技術的な研究、開発、製造は同一審被告らが主体となって行っていたものであり(前記のとおり、一審被告共和化粧品との契約書では、製品の内容処方や成分については、同一審被告が決定して製造するものとされており、また、一審被告アザレプロダクツとの契約書では、製品の内容処方や成分については、同一審被告と一審原告が協議の上決定して製造するものとされていた。)、平成の初めころまでにはアザレの主力製品はほぼ出揃い、販売体制も全国的に本舗が展開され、アザレ化粧品の販売事業の基礎ができていた。
 一審原告は、平成2年、ワンダフル所有の福岡県内の土地建物で研究所を開設し、平成3年4月、X1とAの面接を受けて、薬剤師のNが入社した。それまでの間、一審原告の試験研究費は、年間30万円を超えたことはなく、その後もN以外の技術者が存在した形跡は窺われない。一審原告は、平成4年以降、社団法人福岡県製薬工業協会の正会員となり、平成10年に化粧品製造業許可を、平成12年には医薬部外品製造業許可を福岡県知事から受けた。
 一審原告の研究所では、アザレ化粧品の成分や効能に関する質問が本舗から寄せられたときに、その質問に答えたり、クレーム品について微生物検査をするなどしてその原因を究明する業務を行ったり、クリームや化粧水についての新しい処方を考え、サンプルを作ることなどをするようになっていった。
 また、一審原告では、平成8年ころからPL法相談室を設け、X1の姪で一審原告の取締役になっていたOがこれを担当するようになった。
(7) 本件各表示についての商標権(甲3、4、5、20の3・4、23、28、32の1〜3、33、35の1、92、99、101、102、108、114、172、乙4、5、72、90、94、95、丙5の2、6、10)
ア 本件各表示のうち、原判決別紙表示目録2及び3の元となったと思われる商標は、別紙商標一覧のとおり、昭和49年8月12日にB名義で商標登録出願がなされ(実質的にはAが出願をしたもの)、同人を商標権者として、昭和52年5月商標権の設定登録がされた後、昭和57年7月12日、Aに権利移転登録がされているものであり、同目録1の元となったと思われる商標は、昭和56年9月7日に同じくB名義で商標登録出願がされ、昭和61年9月Aを商標権者として商標権の設定登録がされたものである。
イ Aは、昭和54年1月10日、有限会社アザレインターナショナルとの間で、商標使用を許諾することを内容とする次のような契約を締結した。
@ 有限会社アザレインターナショナルは、Aの商標である「アザレ」を使用する。
A 有限会社アザレインターナショナルは、当該商標の価値と信用を高めるように常に留意する。
B 有限会社アザレインターナショナルは、Aに対して、使用料として、当該商標を使用した製品の出荷高につき末端小売定価の1.8%を支払う。
C 当該商標使用製品の1か年合計額が実際取引入金金額で4億円を超過した場合は、小売定価の0.5%を支払う。
ウ その後、Aは、ワンダフルを設立し(設立登記は昭和57年3月31日)、昭和57年1月5日、ワンダフルに対し、Aが権利を有する商標を再許諾権付きで使用許諾する契約を締結した。ワンダフルは、設立以来Aが唯一の取締役であり、その出資持分は、設立当初はAが400口、X1の母親が100口であり、この母親の分は昭和63年6月8日に補助参加人X3に譲渡された。なお、ワンダフルの収入の大部分は一審原告からの下記商標使用料であった。
 ワンダフルは、昭和57年1月5日、一審原告に対し、上記商標の使用を許諾する旨の次のような内容の契約を締結した(以下「本件各商標使用許諾契約」という。)。
@ 一審原告は、ワンダフルの商標である「アザレ」を使用する。
A 一審原告は、当該商標の価値と信用を高めるように常に留意する。
B 一審原告は、ワンダフルに対して、使用料として、当該商標を使用した製品の出荷高につき末端小売定価の2%を支払う。
C 当該商標使用製品の1か年合計額が実際取引入金金額で1億円を超過した場合は、小売定価の1.5%を支払う。
D 一審原告よりワンダフルに支払う商標使用料の1年間合計額が2000万円を超える場合は、本商標の価値を高める目的で、一審原告の要求によりワンダフルは広告援助金を支払い、一審原告の営業活動を支援しなければならない。
E アザレ関係パッケージボトル販促物品のデザイン使用料及び一審原告に対するワンダフルの営業協力歩合も、本商標使用料に含まれる。
エ その後、ワンダフルから契約改訂の申し入れがあり、昭和60年1月16日、上記ウ記載のC及びDが削除された。
 そして、本件各商標使用許諾契約に基づき、一審原告からワンダフルに対して、原判決別紙「売上高・営業利益・商標使用料比較一覧表」記載の商標使用料が支払われた。なお、「アザレ」の表示は、一審被告ら(一審被告Y、同共和化粧品を除く。)やその他多くの本舗の商号にも用いられ、本件各表示も各本舗や販売店などによって、パンフレットなどを含めアザレ化粧品の販売活動に関係する様々な場面で使用されていたが、ワンダフルは、一審原告との間で商標使用についての契約を締結したのみで、他の者との間で商標使用契約を締結することはなかった。
オ Aは、平成9年3月に入院し、同年11月4日に死亡した。その法定相続人は、妻である一審被告Y、先妻Bとの間の子である補助参加人らであったが、Aは、全財産を一審被告Yに相続させること、ワンダフルの持分全部も一審被告Yが相続し、代表取締役に就任することなどを内容とする遺言書を残していた。
 一審被告Yは平成10年11月にAの有していたすべての商標権につき相続を原因とする移転登録を了し、有限会社ワンダフルの代表者に就任した。
 その後、後記紛争の過程で、ワンダフルは、一審原告に対し、平成11年12月13日付け通知書により、本件各商標使用許諾契約を書面到達後6か月の経過をもって解約する旨通知し、さらに平成12年2月10日付け通知書により、同契約を即時解除する旨を通知した。
カ 上記各通知に先立ち、補助参加人らは、一審被告Yに対する上記商標権の遺贈を対象として遺留分減殺請求権を行使し、共有持分移転登録請求権を被保全権利とする商標権の処分禁止の仮処分を福岡地方裁判所に申し立て(同裁判所平成11年(ヨ)第928号)、平成11年12月10日に申立て認容の決定を受け、保全異議(同裁判所平成12年(モ)6018号)でも同仮処分決定が認可され、その抗告審(福岡高等裁判所平成12年(ラ)第95号)でも抗告を棄却する旨の決定がなされた。
 もっとも、平成12年9月5日に言い渡された補助参加人らと一審被告Yの間の本案訴訟の第一審判決(福岡地方裁判所平成11年(ワ)第3714号)では、一審被告Yが主張した遺留分減殺請求権行使に対する価額賠償の抗弁が認められ、一審被告Yが補助参加人らに一人当たり約2億6000万円を支払うことによって、遺贈に係る商標権を完全に保有できることとされ、その控訴審判決(福岡高等裁判所平成12年(ネ)第979号、平成16年10月20日言渡)は、補助参加人らと一審被告Yとの間に有効な遺産分割協議が存在するとして、補助参加人らの遺留分減殺請求権を否定し、補助参加人らの請求をすべて棄却した。この控訴審判決に対しては上告・上告受理が申し立てられている。
(8) 紛争の経緯(甲17、20の1・2、21、29、30、31、77、78、84、89、100、128ないし133、191、194、195、199、200、乙18、19、33〜48、59、72、90、95、101、102〜105、乙ロ20、65、68、69、一審原告代表者本人、一審被告共和化粧品及び同アザレプロダクツ代表者本人、一審被告Y本人)
ア Aの死亡後、一審原告の取締役として、それまでのX1、C、Iに加え、平成10年2月27日付けで一審被告Yが、同年4月3日付けでL(東京本舗であるアザレコーポレーション株式会社の代表取締役)がそれぞれ就任した。そして、平成10年3月以降、これら取締役、監査役等が毎月1回以上「株主定例会」と称する会議に集合し、一審原告、一審被告アザレプロダクツ、各本舗などにおけるアザレ化粧品の製造販売に関する様々な問題点を話し合って解決していくようになり、その定例会の詳細な記録も残された(それまでの間、取締役会など経営のための実質的な会議等が行われていたかどうか明確ではなく、少なくとも証拠上、そのような会議等の記録は存在しない。)。
イ ところが、次第に、取締役らの間で、それぞれの利害なども絡んで意見が合わなくなり、C、L、I及び一審被告Yは、X1及びGらと対立するようになった。
 そして、平成11年2月の役員改選期において、Lが取締役に再任されない見通しとなったことを不満として、C、I及び一審被告Yは、一審原告の取締役に再任されることを拒否し、平成11年3月以降、C、I、L及び一審被告Yの4名は株主定例会に出席しなくなった。
 その後、一審被告アザレプロダクツは、平成11年11月4日付けの催告書を一審原告に送付し、一審原告の姿勢にはアザレ化粧品の理念に反するものがあり、また、一審原告が一方的に新製品の販売を会員に約束したことなどを不満として、従来同様の新商品の開発及び販売のルールを確認することなどを要求し、納得できる説明がなければ3か月の経過により委託製造取引契約を解約する旨を申し入れた。これに対して、一審原告は、同年11月17日付けの回答書をもって、一審原告及びX1にアザレ化粧品の精神にもとる行動はなく、今後も一審原告と一審被告アザレプロダクツとの契約を継続していきたい旨回答した。
 しかしながら、両者の関係は修復されることなく、一審被告アザレプロダクツは、平成12年2月2日付けの通知書により、同月5日の経過をもって同契約を解約することを一審原告に申し入れ、一審原告も解約に同意したため、両者の契約は同月5日限りで合意解約された。
ウ 上記解約後の平成12年4月ころから、一審原告は、日本コルマー株式会社を新たな製造元として、本件各表示を付した化粧品等の販売を開始した。
 他方、一審被告アザレプロダクツも、被告製品の製造販売を開始し、この動きに呼応して、平成12年4月以降、約18の本舗が、一審被告アザレプロダクツ製造の製品を取り扱うことができなくなることなどを理由として、一審原告との間の販売指定店契約の解約の意思表示を行い、被告製品の取扱いを開始した。
 一審被告アザレ東京、同アザレアルファ、同アザレウイング及び同アザレ武蔵野は、被告製品を販売している。なお、被告製品及びその包装の外観の色彩や瓶の形状は一審原告製品とは若干異なっているものの、本件各表示と同一の表示が付されている。
 被告製品には製造元として一審被告アザレプロダクツの表示が付されているもの、発売・製造元として同一審被告の表示が付されているものが流通し、しばらく後に発売元として「アザレ化粧品 福岡市中央区天神2−3−10」、製造元として一審被告アザレプロダクツの表示が付されているものが流通するようになった。これに合わせて、被告製品に関するパンフレットには出所の表示として一審被告アザレプロダクツ又は「アザレグループ」の表示があるのみであったが、その後上記「アザレ化粧品」を発売元とするものが配布されている。上記発売元(アザレ化粧品)の住所は、一審被告Yが借り受けているマンションであるが、現実の製品の発注処理は、各本舗から一審被告Yの上記事務所と一審被告アザレプロダクツの双方に注文書を送付し、製品は一審被告アザレプロダクツから各本舗に直接送られるという処理をしていたものであり(その後も、一審被告Yの事務所では、各本舗から送付されてくる発注書をそのまま被告アザレプロダクツに転送するという処理をしているに過ぎない。)、商品のクレーム対策や品質の管理もすべて一審被告アザレプロダクツが行い、一審被告Yの事務所の郵便受け等にもアザレ化粧品の事務所であることを示すような表示はない。
2 争点(1)(本件各表示は一審原告の商品等表示としてのみ需要者の間に広く認識されているか)について
(1) 以上認定したアザレ化粧品の創業の経緯、その後の事業体制や事業展開の実際などからすると、アザレ化粧品は、Aが、ジュポン社時代の化粧品製造業者や販売業者の強い要請を受けて、それまでの経験と見識に基づいて培った自然派化粧品という基本的な理念に則り、製造技術者の協力の下に、商品化したものであって、その「アザレ」という名も、Aの考案によって商標登録を受けるに至ったもので、形式的にも実質的にも、Aのブランドということができるものである。
 このアザレの商標について、一審原告代表者X1の陳述書(甲35の1、90、92、101)及び本人尋問の結果中には、@昭和52年になって化粧品の製造販売業を再開するに当たり、ヴァローとジュポンと2度の失敗があるため、商標の問題に注意した、Aそこで、自分が、イスラエルの地名「ナザレ」から、「アザレ」という商標を考案した、B「アザレ」の商標は自分とAが相談しながら決めたが、一審原告の代表取締役を自分がすることにしたので、商標の登録はAにすることにした旨の記載及び供述部分がある。
 しかしながら、「アザレ」についての最初の商標登録出願は昭和49年8月であり、この時期は、ジュポン社が製造委託先を一審被告共和化粧品に代えて1年余り経過し、エレガンスカラーの販売が好調になっていたころであって、事業の再開に当たり、X1がこれを考案したというのは不自然であること、アザレ新鹿児島ディストリビューター(甲11によれば、唯一の一審原告直営の本舗である。)発行の広報誌には、「アザレネームの由来」として、「(アザレア)アザレア属・つつじ属の亜属、西洋つつじ、オランダつつじとも称す」との記載があり(乙ロ5)、X1の認識とは異なる説明がなされていること、当時、Aと親密な関係にあったX1がその考案に関与した商標を、Aが妻のB名義で出願するというのも考えにくいことなどに照らすと、上記記載及び供述部分は、採用することができず、他にAのブランドであるとの上記認定を覆すに足りる証拠はない。
(2) そして、前記認定したところからすれば、Aは、CやGなどの要請を受けてアザレ化粧品の事業を始めるに当たり、その販売部門についてはA側が、製造部門についてはCが、それぞれ分担し協力していくことを前提として、全国各地にGなど販売担当の本舗を置いてその事業展開をしていくこととしたものであり、このような基本的な考えに基づき、販売部門として、X1を代表者に据えた一審原告(その前身の有限会社)を立ち上げ、他方、製造部門としては、当初、Cが経営する一審被告共和化粧品にこれを委ねていたが、その後、Cが中心となって設立された一審被告アザレプロダクツがこれを担当するようになったものであって、そのような体制の下で、アザレ化粧品の販売事業は、一審原告を総発売元、一審被告共和化粧品、同アザレプロダクツを製造元として、全国各地に展開される本舗、販売店に商品を供給し、それら本舗等による販売活動等を通じて、次第に消費者の信頼を得て発展していったものということができる。このアザレ化粧品については、本舗等に属する販売員による訪問販売方式が採用されており、本件各表示が付されたアザレ化粧品の外箱あるいは瓶底のシール等には、発売元として「株式会社アザレインターナショナル」、製造元として「アザレプロダクツ株式会社(その設立前は共和化粧品工業株式会社)」と表示され、また、各本舗のほとんどは、その商号に「アザレ」の語を用い、パンフレットなど様々な形でアザレの名称等を用いて、消費者に対する販売活動を行っていたものであって、一審原告、一審被告アザレプロダクツ(その設立前は一審被告共和化粧品)及び各本舗等は、アザレ化粧品の販売普及という共通の目的の下に、発売元、製造元及び販売店として、それぞれの役割を分担し合いながら結合した一つのグループを形成し、対外的にもそのような結合関係にあることを表示していたものとみるのが相当である。このことは、前記認定のとおり、一審原告自身も、アザレリポートやパンフレットにおいて、一審被告アザレプロダクツ及び各本舗等を含めて「アザレグループ」と表示していたことからも明らかである。
 そして、消費者にとってみれば、アザレ化粧品は、そのようなアザレグループが提供する化粧品であり、「アザレ」の表示は、上記グループ全体の営業あるいは商品を示すものとして認識されていたものとみるのが自然であって、本件各表示は、そのようなグループ共通の商品等表示として、消費者の信頼を獲得し、周知になっていったものと認めるのが相当である。
(3) このようなアザレグループの中で、@一審原告は、販売を担当する本舗を募集し、各本舗との間で販売指定店契約を締結して、アザレ化粧品の販売権を付与する一方で、一審被告アザレプロダクツとの間で委託製造取引契約を締結し、これらの契約に基づいて、各本舗から製品の注文を受け付け、一審被告アザレプロダクツに発注して、各本舗に製品を供給していたこと、Aアザレ化粧品には一審原告の名称が発売元として表示され、アザレ化粧品の宣伝広告にも一審原告の名称が表示されていたこと、B一審原告は、各本舗全体に対する情報提供などを行い、パンフレットなどを作成配布し、販促品の提供などをしていたこと、C一審原告は、ワンダフルとの間で、唯一本件各商標の使用許諾契約を締結して、毎年相当額の商標使用料の支払をしていたことなどからすると、一審原告は、アザレグループの組織内における中心的な役割を果たしており、対内的にも対外的にも、アザレグループの中核的な企業として認識され、グループ全体の発展に貢献してきたものであることは明らかである。
 他方、一審被告アザレプロダクツの設立により、グループの体制が名実ともに確立されることとなったアザレグループにおいて、同アザレプロダクツは、アザレ化粧品創業当時からの一審被告共和化粧品のアザレ化粧品製造部門を分社化して設立された会社であり、@一審被告共和化粧品が製造していた当時と同様に、アザレ化粧品について、独占的な製造権を有し、Aの追求する自然派化粧品の理念に沿うべく、主体的に製品の技術的な研究、開発、品質の保持等に努めてきたこと、Aその製造する製品は、全国各地の本舗等を通じて消費者の信頼を獲得し、一審原告の売上高ベースでみても、昭和59年当時12億円余であったものが、平成8年にはその6倍弱の71億円余に達する程の成長を遂げるなど、昭和60年の設立以降、長年にわたりアザレグループ全体の発展に貢献してきたものであること、Bアザレ化粧品には、一審原告と並んで、製造元として一審被告アザレプロダクツ(その設立前は一審被告共和化粧品)の名称も表示されており、一審原告も、パンフレットなどで、一審被告アザレプロダクツをアザレ化粧品の専用工場として、工場の建設や拡張等について紹介するなど、一審原告と並ぶアザレ製造グループの一員として宣伝していたこと、C一審被告アザレプロダクツについては、X1が株主となるとともにその取締役に、一審原告については、Cが株主となるとともにその取締役に、それぞれ就任していたものであり、このような株式の所有や役員就任は、アザレグループ内では同一審被告と一審原告との間だけであることなどからすると、一審被告アザレプロダクツも、同共和化粧品のアザレ化粧品製造部門を引き継いで、アザレ化粧品の製造を一手に引き受け、主体的に製品の開発、製造に関わる重要な役割を果たしてきたものであり、対内的にも対外的にも、一審原告と並んでアザレグループの中核的な企業として認識され、グループ全体の発展に貢献してきたものということができる。
(4) 一審原告は、一審被告アザレプロダクツは、同共和化粧品と同様に、単にアザレ化粧品をOEM製造していたものに過ぎないと主張するが、上記のような一審被告アザレプロダクツがグループ内において果たしてきた役割などの事情に加え、前記認定のとおり、@アザレ化粧品の創業はCらのAに対する積極的な働きかけが発端であり、Aとしては、事業展開に当たって、その製造部門はCに委せることとしていたこと、Aアザレ化粧品の創業後、Cは、A及びX1と同行するなどして、アザレ化粧品の本舗網の拡充に協力し、一審被告共和化粧品、その後同アザレプロダクツが、各本舗・一審原告間の販売指定店契約書に立会人として関与するなど、アザレ化粧品の事業展開に深く関わっていたこと、B一審原告と一審被告共和化粧品、同アザレプロダクツとの間のアザレ化粧品の製造に関する契約において、一審原告は、同一審被告らに対してのみアザレ化粧品の製造を委託するものとされ、同一審被告らだけがアザレ化粧品の製造元になるとされていたこと、C一審被告共和化粧品との契約書では、製品の内容処方や成分については、同一審被告が決定して製造するものとされており、また、一審被告アザレプロダクツとの契約書では、製品(契約書では「製造」)の内容処方や成分については、同一審被告と一審原告が協議の上決定して製造するものとされていたことなど、本件に現れた諸事情を総合考慮すると、一審被告共和化粧品は、アザレ化粧品のほかにも、他社から化粧品製造の委託を受けていたものではあるが、そのことから直ちに一審原告との関係をOEMに過ぎないとすることはできず、アザレ化粧品の創業の経緯、その後の事業展開への関わり、契約内容などからみても、同一審被告は、アザレ化粧品の販売事業において、単なるOEM業者とは異なる役割を担っていたものというべきであるし、また、一審被告アザレプロダクツは、まさにアザレグループの中核としてその役割を果たしていたことが明らかであって、ともに単なる相手先ブランドで販売される製品を製造するOEM業者に過ぎないということはできないのであり、一審原告の上記主張は採用できない。
 また、一審原告は、一審被告アザレプロダクツは、アザレ化粧品が専用工場で製造されているとの外観・外形を示すことだけを目的に設立されたペーパーカンパニーに過ぎないなどとして、商品表示の主体としての「アザレグループ」は存在していないと主張する。
 確かに、前記認定のとおり、一審被告アザレプロダクツは、最近まで、同共和化粧品の工場設備等を使用してアザレ化粧品を製造していたものであるが、一審被告アザレプロダクツは、その設立後、薬事法に基づく製造許可を得て、専用の工場でアザレ化粧品を製造し、アザレ化粧品に製造元として表示されているのであり、また、一審原告自身も、パンフレットで、アザレ化粧品の専用工場として一審被告アザレプロダクツを紹介しているのであって、一審被告共和化粧品の施設、人員を使用するなどしているとしても、一審被告アザレプロダクツの代表者であるCがこれを管理監督していたとみることもできるのであり、そのことは系列会社の関係にある同一審被告ら内部の問題に過ぎず、そのような施設の所有関係等や経理上の処理などをとらえて、一審被告アザレプロダクツが実体のないペーパーカンパニーに過ぎないということはできない。そして、本件のアザレ化粧品の販売事業において、一審原告、一審被告アザレプロダクツ、各本舗等はアザレ化粧品の販売普及という目的の下に結合した一つのグループを形成しているものであり、本件各表示がそのグループ全体を表示するものとして認識され、周知になっていったものであることは、前記のとおりである。
 さらに、一審原告は、一審被告アザレプロダクツの設立以前にアザレ化粧品が一審原告の商品であり、本件各表示が一審原告の商品表示であることの周知性が確立されていたと主張する。
 しかし、前記認定のとおり、アザレ化粧品の販売事業は、販売部門についてはA側が、製造部門についてはCが、それぞれ分担し協力していくことを前提として、全国各地に本舗等を置いて事業展開していくこととして始められたものであり、一審被告アザレプロダクツが設立される前までは、一審原告、一審被告共和化粧品、各本舗等が一つのグループをなして、アザレ化粧品の普及に努め、発展してきたものであって、消費者にとって、「アザレ」の表示は、それら営業主体の全体、すなわちアザレグループの商品等表示として認識され、周知になっていったものである。したがって、一審原告が主張するように、一審被告アザレプロダクツの設立以前に本件各表示が一定の周知性を獲得していたとしても、それは、あくまでアザレグループの商品あるいは事業という、アザレグループ全体と結びついたものとして周知になり、信用を形成していったものであって、アザレグループを離れて一審原告のみの商品等表示として周知になったものではないというべきであるから、一審原告の上記主張は採用することができない。
 また、一般に、商品等表示の周知性、著名性は、その周知等の程度において初期の状態から、よりその程度の高い状態まで、企業活動や取引の動向等に応じて拡充されていくのが通常であるところ、アザレ化粧品の売上高の推移に照らして考えれば、たとえ一審被告アザレプロダクツ設立前に、一定程度の周知性を獲得していたとしても、その時期における周知性の程度は、未だそれほど高いものとはいえないというべきであり、専用工場としての一審被告アザレプロダクツが設立された後の売上高の顕著な増加からしても、同アザレプロダクツが、一審被告共和化粧品の果たした役割を引き継いで、さらにその周知性の維持、拡大に貢献していることは明らかであって、一審被告アザレプロダクツが、本件各表示が一定程度の周知性を獲得した後に設立され、アザレグループの一員となったものであるとしても、そのことから、同アザレプロダクツが本件各表示の周知性の獲得に貢献していないとか、グループの中核的企業としての役割を持たないなどということができないことは当然である。
 なお、本件各商標については、一審原告のみが使用許諾を得て毎年相当額の商標使用料を支払っていることは前記認定のとおりである。しかし、前記認定した事実を総合すると、Aは、自然派化粧品という基本的な理念に基づき、アザレのブランドを用いて、アザレ化粧品の販売事業に乗り出したものであるが、自らは、単にその商標権者の地位にとどまり、実質的にはともかく、形式的には、一審原告の代表取締役に就任することもせずに、専らアザレ化粧品の普及のために全国の各本舗等でアザレ化粧品の理念を啓蒙するなどして、いわばアザレグループの象徴的存在としての役割を果たしていたものであり、一審原告が、ワンダフル(実質的にはAの個人会社である。)との間で本件各商標使用許諾契約を締結し、毎年相当額の商標使用料を支払うこととされたのは、Aがアザレグループによるアザレ化粧品販売事業による収益の分配を商標権の使用対価という形で受けるための手段として採られた方法とみるのが合理的であって(一審原告と一審被告アザレプロダクツあるいは各本舗との契約関係において、一審原告のみが商標使用料を支払っていることはその契約条件の設定に当たり当然考慮されていたであろうことは、推測するに難くない。)、本件において、一審原告のみが商標使用料を支払っていることは、前記認定説示したようなアザレグループの存在や一審被告アザレプロダクツの中核的役割などを否定する理由となるものでないことも明らかである。
(5) 以上のとおり、一審原告と一審被告アザレプロダクツ(その設立前は一審被告共和化粧品)は、いずれもアザレグループにおいて、組織的にはアザレ化粧品の発売部門と製造部門をそれぞれが分担し合う形でその役割を果たし、対内的・対外的にともにグループの中核的な企業として認識され、それぞれの立場でグループ全体の発展に貢献してきたものであって、このような一つのグループ内において、ともに組織的かつ対外的に中核的な地位を占めてきた一審原告と一審被告アザレプロダクツが袂を分かち、傘下の各本舗等を含めてグループ組織が分裂することとなった場合には、そのアザレグループの商品等表示として周知となっていた本件各表示については、それらグループの中核的企業であった一審原告及び一審被告アザレプロダクツのいずれもが、グループ分裂後も、その商品等表示の帰属主体となり得るものと解するのが相当であるから(もっとも、そのような場合の取扱いについて予め企業間に特段の合意が存在する場合は、その合意の内容に従うことは当然であるが、本件においては、そのような特段の合意の存在は認められない。)、一審原告と一審被告アザレプロダクツとの間においては、その商品等表示、すなわち本件各表示は、互いに不正競争防止法2条1項1号所定の「他人の」商品等表示には当たらないというべきであり、グループ分裂後にその商品等表示を使用することについて、互いにこれを不正競争行為ということはできないと解すべきである。
 なぜなら、不正競争防止法2条1項1号の規定は、他人の周知な商品等表示と同一又は類似する表示を使用して需要者を混同させることにより、当該表示に化体した他人の信用にただのりして顧客を獲得する行為を、不正競争行為として禁止し、もって公正な競業秩序の維持、形成を図ろうとするものであるところ、本件のように、販売部門と製造部門を分担し合い、ともにグループの中核的企業として本件各表示の周知性の獲得に貢献してきた一審原告と一審被告アザレプロダクツは、いずれもが当該表示により形成された信用の主体として認識される者であり、グループの分裂によっても、それぞれに帰属していた本件各表示による信用が失われることになるわけではなく、互いに他人の信用にただのりするものとはいえないからである。
 そうすると、一審被告アザレプロダクツが本件各表示の付された被告製品を製造販売する行為は、不正競争防止法2条1項1号所定の不正競争行為に該当するものではなく、また、一審被告アザレプロダクツの傘下に属して、アザレの商号を使用し、同一審被告の製造する本件各表示の付された被告製品を販売する一審被告アザレ東京、同アザレアルファ、同アザレウイング、同アザレ武蔵野の行為も、同号所定の不正競争行為に該当しないというべきである。また、前記認定した事実からすれば、一審被告共和化粧品及び同Yは、いずれも自らの業務として本件各表示の付された被告製品の製造販売を行っているものではないから、同一審被告らについて不正競争防止法2条1項1号所定の不正競争行為が成立するとは認められないし、一審被告アザレプロダクツの被告製品の製造販売行為は不正競争行為に該当するものではないから、これが不正競争行為に当たることを前提に、一審被告共和化粧品及び同Yについて共同不法行為の成立をいう一審原告の主張も理由がない。
3 以上によれば、その余の点について検討するまでもなく、一審原告の本訴請求は当審において拡張した部分を含めて理由がない。よって、一審原告の請求を一部認容した原判決は相当でなく、一審被告ら(一審被告Yを除く。)の本件控訴は理由があるが、一審原告の本件控訴(及び当審において拡張した請求)は理由がないから、訴訟費用の負担につき民事訴訟法67条、66条、61条を適用して、主文のとおり判決する。

東京高等裁判所知的財産第3部
 裁判長裁判官 佐藤久夫
 裁判官 設樂驤
 裁判官 若林辰繁
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