判例全文 | ||
【事件名】中川秀直前官房長官の名誉毀損事件 【年月日】平成16年12月21日 広島地裁 平成13年(ワ)第356号 謝罪広告等請求事件 判決 主文 1 被告らは、原告に対し、各自金80万円及びこれに対する平成12年10月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 原告の被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。 3 訴訟費用は、5分し、その4を原告の負担とし、その余を被告らの連帯負担とする。 4 この判決の第1項は、仮に執行することができる。 事実及び理由 第1 請求 1 被告らは、原告に対し、各自1000万円及びこれに対する平成12年10月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 被告らは、原告に対し、別紙1記載の「謝罪文」を、被告H社発行の週刊誌「週刊J1」に、別紙2記載の掲載条件で、2回掲載せよ。 第2 事案の概要 原告は、被告H社の元従業員であり、被告H社発行の写真週刊誌「K」の編集人兼発行人であった被告Jが、被告Dから提供された情報及び写真に基づいて、K平成12年11月1日号(以下「本誌」という。)に、「拝啓B官房長官殿 『これでも記憶にございませんか』健忘症克服のためのショック療法」との見出しで、広島県選出の衆議院議員である原告に関する記事及び写真を掲載し、もって、原告の名誉を毀損したとして、被告らに対し、不法行為による損害賠償金及びこれに対する遅延損害金の連帯支払を求めるとともに、謝罪広告の掲載を求めた。 1 争いのない事実(末尾に証拠の記載がないもの)及び証拠等により容易に認められる事実 (1) 原告は、広島県第4選挙区選出の自由民主党に属する衆議院議員であり、平成12年10月25日当時、内閣官房長官の地位にあった者である。 被告H社は、K(ただし、平成13年8月7日号をもって休刊となった。)を含む書籍を出版する株式会社である。 被告Jは、被告H社の元従業員であり、Kの編集人兼発行人としてK誌上に掲載される記事を統括していた者である。 (2) 被告H社による記事の記載 被告H社は、平成12年10月25日、本誌を発売した。本誌4頁及び5頁には、次の内容の記述及び各写真から成る記事(以下「本件記事」という。)が掲載されている。(甲2の(1)、(2) ア 「拝啓B官房長官殿 『これでも記憶にございませんか』健忘症克服のためのショック療法」(4頁見出し) イ 「多分、彼にとって、愛人との交際は封印した過去。その心理が記憶をぼかしているのかもしれない。が、重責を担う官房長官として、失われた時を求めるために見ていただきたいのが左の写真。'95年の春先、ちょうど、愛人A子さんが妊娠し、彼のデタラメなサインの中絶同意書で処置が行われた約1月後、彼女がB長官の広島県の実家を訪れた際のスナップだ。夫人の留守中に彼女を家に上げ、彼は自宅の各部屋を案内して、自らの手で何枚もの記念写真を撮ったという。実は、Tシャツと短パン姿の彼女が腰掛けているのはB夫妻の寝室のベッド。抱いているのは夫人の愛犬。脇にB夫妻の結婚式の記念写真まで飾られているこの部屋に、彼女は一泊したのだ。」(4頁3段3行目ないし19行目) ウ 上記文章とともに、本件記事には、半袖Tシャツとショートパンツを着用した被告Dが、小型犬を抱いてベッドに腰をかけている姿を写した写真(「A子さんを夫婦の寝室に PHOTO B」との説明を付したもの)(以下「本件写真@」という。)及び被告Dが黒っぽい長袖のスーツを着て住宅の玄関前に立っている姿を写した写真(「自宅の前で記念撮影 PHOTO B」との説明を付したもの)(以下「本件写真A」という。)がそれぞれ掲載されている(5頁)。 2 争点 (1) 被告Jの不法行為の成否 (2) 被告Dの不法行為の成否 (3) 原告の損害及び謝罪広告掲載請求の当否 3 争点(1)(被告Jの不法行為の成否)に関する当事者の主張 (1) 原告の主張 ア 被告Jの不法行為 本件記事は、「夫人の留守中に彼女を家に上げ、彼は自宅の各部屋を案内して、自らの手で何枚もの記念写真を撮ったという。」、「実は、Tシャツと短パン姿の彼女が腰掛けているのは、B夫妻の寝室のベッド。抱いているのは夫人の愛犬。脇にB夫妻の結婚式の記念写真まで飾られているこの部屋に、彼女は一泊したのだ。」というものであり、原告が愛人を自宅及び自宅寝室に連れ込んだとの虚偽の事実を断定的に指摘している。また、本件記事の見開き半分以上は、「A子さんを夫婦の寝室に PHOTO B」との説明を付した本件写真チ、「自宅の前で記念撮影 PHOTO B」との説明を付した本件写真Aによって占められており、この各説明書きは、撮影者が自宅及び自宅寝室に愛人を連れ込んだことを効果的に一般読者に告知して撮影者の反倫理性を読者に訴え、同時に読者の覗き見的欲求を満足させている。本件記事は、単に原告に愛人がいるということ以上に、原告が反倫理的な人格を有するとの印象を読者に与え、原告の社会的評価を著しく低下させるものである。 したがって、被告Jが本件記事を本誌に掲載し、これを頒布した行為は、原告の名誉を毀損し、不法行為を構成する。 イ 公共の利害及び公益目的について 本件記事の内容は、原告の私生活に関わる事項であって、公共の利害に関わる事項ではない。また、記事の目的は、専ら読者の覗き見的趣味を満足させ、Kの販売数を増加させて経済的利益を得ることにあり公益目的はない。 ウ 真実性について 被告H社及び被告Jは、原告が本件写真@及びAを撮影したとの事実は真実であると主張する。 しかし、原告が本件写真@及びAを含む9枚の写真(乙11の(1)ないし(9)(以下「本件各写真」という。)は、平成7年9月5日及び6日、被告Dが原告の元秘書兼運転手であったA1と、原告に無断で原告宅に侵入した上、A1に撮影させたものである。被告Dは、原告に対するストーカー行為の一環として、A1に近づき、A1を利用して原告に関する情報を収集し原告宅に侵入したのである。秘書であったA1は、原告事務所に保管されている鍵を利用して原告宅に自由に出入りすることができたから、被告DがA1と共に原告自宅の寝室等に侵入し写真を撮影することは容易であった。上記と同旨のA1の証言は、具体的で矛盾点もない上、被告Dと会うために利用した航空券等のチケットや振込み記録(甲49ないし53、枝番を含む。)が存在していること、同証言に符合するB1やWの供述(甲57(1)、(3))もあることからして、十分信用できる。 次に、本件各写真の撮影時期についてであるが、本件各写真の日付は平成7年9月5日又は6日と映し出されていること、本件各写真のうちの1枚(乙11の(8))の背景に写された「Uシンポジウム」のポスターは、東広島青年会議所が平成7年9月30日に開催した講演会用のポスターであるが、同ポスターが作成され原告自宅敷地内にあるL1会館内の壁に貼られたのは同年8月以降であること、被告Dの服装は半袖Tシャツと短パンであり、写真(乙11の(5))に写っている原告の妻の服も半袖であること、原告のポスターに印刷されているカレンダーが7月から12月までのものであること、写真撮影の時期についての被告Dの供述は曖昧で一貫していないこと等からすると、本件各写真が撮影されたのは平成7年9月5日又は6日であることが明らかであり、「本件各写真は、被告Dが中絶した平成7年2月下旬か3月初めころから同年5月ころまでの間に撮影されたものである。」との被告H社及び被告Jの主張は事実に反する。 そして、上記各撮影日、原告夫婦は、H1元首相の合同葬に参列するために上京していたのであるから、原告が本件各写真を撮影することは不可能であった。また、原告は、平成7年5月ころから、被告Dと会うのを避けるようになっていたことからすれば、それ以降に、原告が被告Dを、常に後援会関係者等が出入りし人目のある自宅に入れ、自宅前の中門や講堂内で写真撮影まですることは考えられない。さらに、被告Dが原告の子を妊娠し中絶したという事実はなく(被告Dが所持していたという中絶同意書は偽造である。)、原告が被告Dを自宅に入れる動機もない。 以上によれば、原告が本件写真@及びAを撮影したとの事実は真実に反する。 エ 相当性について (ア) 報道機関に求められる相当の理由は、報道機関をして一応真実であると思わせるだけの合理的な資料又は根拠を要し、記事掲載の仕方や表現の方法をも考慮すべきである。そして、Kのような写真週刊誌においては、読者は、掲載された写真を「動かぬ証拠」として、その撮影された背景に対する興味をかき立てられるとともに、仮に写真の解説記事が虚偽であったとしても写真と相まって真実であると誤信する危険性が極めて高い。したがって、写真週刊誌を発刊する報道機関は、その写真が第三者より提供されたものである場合には、当該写真の撮影者、撮影時期、被写体等について第三者が説明する事実について、より綿密な裏付け取材や分析・検討をする必要がある。特に、提供された写真により、事実を摘示された者が重大な影響を受ける場合には、報道機関は、提供者が復讐等の不当な目的で当該写真を提供しているか否かを調査し、写真に関する説明も虚偽である可能性を考慮して、より慎重に裏付け取材等をする特段の注意義務を負うと解するべきである。 (イ) 裏付け取材の欠如 @ 裏付け取材の経緯 本件各写真に関する取材経過を、Q記者及びP記者の供述・陳述を中心として再現すると、次のとおりである(以下、いずれも平成12年である。)。 @)10月11日 Q記者は、被告Dの話をデータ原稿にまとめ、11日に取材班に配り、予定どおり今週記事を作るつもりである旨を被告Dに伝えたところ、被告Dは、「週刊L」のB夫人の記事にひどく気分を害していて「同じようなシチュエーションで撮った写真がある・・・この犬を抱いている写真・・・こんなデタラメな記事を出されるんじゃ、私も納得できないから、この際、Qさんにその写真も提供しようかな」と述べた(Q陳述書(乙21)21頁)。 A)10月18日 K10月25日号(乙4)発売 B)10月21日 東京駅近くの国際観光ホテルのラウンジでP、Q両記者と被告Dが面談し、P記者とQ記者が2回目の記事掲載を依頼し、被告Dの了解を得るとともに、本件各写真を見せられた。Q記者は、「これまで彼女が私に証言してくれた話と同様、この写真についても、B氏が撮影したとする彼女の説明に、疑いを差し挟む余地も何もありませんでした。・・・こうした一連の写真はそれだけで、二人の深い関係を如実に物語るものであり、本誌ではその写真を使って、再度、記事を作ることが決定されたのです。」と述べている(Q陳述書(乙21)31、32頁)。 C)10月21日又は10月22日 Q記者は、「うちのRという記者が広島に行っておりまして、後援会関係者とか、家に入ったことがある人に聞いたりし、特徴的には符合しているというような裏付け取材をした」と証言している(Q証言第4回62頁)。 D)10月22日夜 P記者が、本件記事を執筆した(P陳述書(乙22)12頁)。「『PHOTO B』というキャプションについてですが、この表記は、私とQデスクがDさん自身から聞いた自宅訪問のエピソードから記述したものです。数十時間に及ぶDさんへのインタビューと裏付取材から、DさんとB官房長官に愛人関係があることについては確証を持っておりましたし、写真の確認のため、R記者に広島へ出張してもらい、B宅の外観がDさん提供の写真と一致することも確認しております。この時点で、DさんがB官房長官の自宅で犬を抱いて写っている写真の撮影者がB官房長官でないと推測する理由はどこにも見あたりませんでした。」(P陳述書(乙22)13頁)。 被告Dには「都内のホテルで待機してもらい、記事化に向けての体制を整えました。実際の記事はPが22日中に執筆し、その日の夜までにゲラ刷りではなく、生原稿の形で彼女に中身を確認してもらいました。こうして第2弾の記事(まさにB氏が問題として訴訟提起している記事)が誕生したのです。」(Q陳述書(乙21)32頁) E)10月25日 本誌発売。 A 以上のとおり、被告H社が「撮影者」について行った裏付け取材は、10月21日から22日の正味1日間程度であって、しかも、その内容は、せいぜい建物の同一性を確認するだけであった。原告が被告Dを東広島の自宅に招き入れ、夫婦の寝室で同衾したのみならず、写真撮影までしたとの事実を摘示することは、原告の非人間性及び反倫理性を指摘し、原告の人格に対する社会的評価を著しく損なう行為であるから、それなりの裏付け取材がなされて然るべきである。建物の同一性を確認するだけで、「撮影者」についての裏付け取材を尽くしたとは到底いえない。 (ウ) 原告が被告Dを自宅に招き入れたことの合理性について 被告H社及び被告Jは、「原告宅とりわけ寝室等には、特段の事情がない限り原告でなければ被告Dを招き入れることは困難であるから、原告が本件各写真を撮影したという被告Dの説明も合理的であると判断した。」と主張している。 しかし、@愛人を自宅寝室に引き入れる行為自体が奇異である。愛人を持つ男性が、その愛人を妻と暮らす自宅に招き入れることに抵抗がないはずはなく、原告が被告Dを自宅に招き入れたとすれば相当な動機が必要となるはずであるが、このような動機は窺えない。被告Dが堕胎手術をした直後であったということを理由としているが、その説明は、真実の写真の撮影時期からみて、信用できないものである。被告Jは、男性が自己の愛人だった女性を自宅に招き入れるということを奇異と考え、その奇異な行動の動機を徹底的に取材すべきであり、それが堕胎手術直後ということであれば、堕胎手術が本当に行われていたのかどうか、その時期と写真の撮影時期との関係を被告Dの協力を得て徹底的に取材すべきであり、これは容易にできたはずである。にもかかわらず、被告Jは、かかる取材を怠り、不合理な被告Dの説明を鵜呑みにして報道をした。 A仮に、原告が被告Dを自宅に招き入れたという点を信じるとしても、寝室のベッドの上で妻の愛犬を抱かせた状態で写真撮影するという行為はまさに異常であり、その動機は、被告Dが堕胎手術直後で落ち込んでいたということから十分説明できるものではない。本件各写真を撮影させた被告Dの行為には、かかる写真を後日公表するという悪意が感じられるのである。 B被告Dが多数の写真、録音テープ、中絶同意書コピーを所持していたことそれ自体が不自然である。 以上の点からすれば、被告H社及び被告Jが主張する被告Dの説明の合理性はないといえる。 (エ) 撮影者特定のための取材について @ 撮影日付が変更されたとの説明の不自然さとカメラの不特定 写真の日付は平成7年9月5日又は6日と記録されているが、同両日、原告はH1元首相の合同葬出席のため広島にはいなかった。この事実は、被告Jが少し真剣に調べればすぐに判明することである。これについて、P記者は、誰かにデータ検索をかけさせたがH1元首相の合同葬は分からなかった、H1元首相の合同葬があれば原告が出席することは分かると述べ、新聞の縮刷版等で9月5日及び6日の出来事を調べてみなかった、「日付が間違っているというふうに考えた上で、出来る限りのことをやった。」と証言しているが、Q記者が本件各写真の提供を受けたのは10月21日であり、P記者が本件記事を執筆したのが翌22日であることやQ記者らが被告Dの話を鵜呑みにしていることを考慮すると、P記者が実際に9月5日、6日についてデータ検索してみたとは到底考えられないし、仮にデータ検索したとしても、調査の方法としては余りにも安易である。 また、Q記者は、被告Dから取材した結果、原告が適当に日付を変えていたと判断したと述べるが、日付はどうであっても自宅内での被告Dを被写体とした写真という事実は残るのであるから、原告がカメラの日付を変えることは極めて不自然な行動である。この点、被告Dは、原告は後でフィルムを抜けばよいと考えていたのではないかと言っていたとのことであるが、フィルムを抜き取るのならわざわざ日付を変える必要もなかったはずである。さらに、Q記者は、堂々と撮影時期は重要ではないとさえ証言しているのである。 加えて、本件各写真を撮ったカメラの機種・形状、誰の所有であったかという基本的取材が根本的に欠落している。この点は、証拠調べの中でも鮮明にされておらず、被告らは説明しようとする姿勢すら持っていない。 上記の点は、被告JやQ記者の被告Dを軽信した姿勢、取材の甘さを物語っている。 A 被写体の精査による撮影日付の確認方法の存在 写真の日付が変えられたのかどうかを確認するために、写真に撮影されているカレンダーの日付や体育館内に掲示されていた「Uシンポジウム」のポスター等、被写体の内容を吟味して撮影時期を調査することは極めて容易である(印刷密度の高い生写真なのだから、被告Dが持ち込んだカラー写真を拡大して見ればすむことである。)。これらの取材をしておけば、写真の撮影日は被告Dが言うような平成7年春ではなく、早くとも同年7月以降であることが判明し、そうであれば、平成7年2月の堕胎手術直後の平成7年春という被告Dの説明も辻褄が合わなくなることが容易に判明していたはずである。 B 原告自宅内に第三者を招き入れることの困難さ 被告H社及び被告Jは、写真撮影者として、原告本人、被告D本人、第三者という3つの可能性を検討した結果、原告本人が撮影したとするのが最も合理的という結論に達したという。しかし、取材を尽くせば、原告の東広島事務所兼自宅には、年間を通じて毎日秘書が交替で宿泊しているという事実を掴めたはずであり、原告が秘書がいるにもかかわらず本件各写真を撮影できるはずがないことは容易に判明したはずである。そうすると、第三者が撮影したということ、それは必ず宿泊している秘書ないし運転手ではないかという結論こそが合理的であるということに気付いたはずである。被告Jは、かかる極めて容易な取材もせずに原告が撮影したと断定している。これはその方が記事として面白いからにほかならない。 C 妊娠中絶の確認 妊娠中絶は、原告の東広島市の自宅を訪問する重要な動機になっていたのであるから、被告Dの協力を得て妊娠中絶の存否を確認すべきところ、かかる調査はなされていない。ましてや、妊娠中絶に関しては既に10月7日時点で被告Dから情報提供され、乙8のコピーの提供も受けていたのだから、十分な取材時間もあった。また、被告Dの提供した情報を元に作成されたはずのK10月25日号の記事には乙8の妊娠中絶同意書を使って中絶手術がなされていると記載されているのに、被告D本人尋問になって、乙8の同意書は中絶のときには使用されなかったという供述が出てくるに及んでは、QやP両記者は一体何を取材していたのかということになる。 (オ) まとめ 以上のとおり、被告JやQ記者は、本件各写真に関する被告Dの説明には多々不合理な点があったにもかかわらず、なすべき取材を怠り、漫然と被告Dが提供した情報全体を鵜呑みにして、本件記事の報道をしたのであって、被告H社及び被告Jの相当性の抗弁には全く理由がない。 (2) 被告H社及び被告Jの主張 ア 名誉毀損性について 原告と被告Dが「愛人関係にあった」事実は、原告本人も否定しておらず、本件記事掲載以前にも複数の週刊誌が報道しており、本件記事掲載時において原告の社会的評価は相当程度低下していた。これに加えて原告が交際している女性を妻の留守中に自宅に上げて写真を撮影したとの事実を摘示しても、更なる社会的非難を浴びるとは考えられない。また、本件記事の別の部分には、原告が被告Dを自宅に招き入れたのは被告Dが中絶手術を行った1か月後であるとの記載があり、この記載と併せ読むと、原告が妊娠中絶で傷ついた愛人を気遣い、敢えて自宅に招き入れたと読み取ることもできるから、原告の社会的評価を低下させることとはならない。 イ 公共の利害及び公益目的について 原告は、現職の国会議員で、本件記事の掲載当時は内閣官房長官という政権中枢の要職にあった者であり、本件記事は、上記の国政上重要な地位にある者に関するものとして公共の利害に関わる事実に当たり、かつ、原告の政治家としての資質を問うものであるから、公益目的が存在する。 ウ 真実性及び相当性について (ア) 主張立証事項及びその責任について 民主主義にとって自由な言論は不可欠であり、とりわけ公共性のある事項や公人についての表現の自由は原則として絶対的に保障されるべきであるから、これらに関する言論、報道は、事実の真実性を一応推測させる程度の合理的な根拠又は資料に基づくものであれば足り、虚偽であることを知りながら、又は虚偽であるか否かを全く確かめずに報道した場合でない限り、報道機関に対し名誉毀損の責めを問うべきではない。 加えて、真実性の立証責任の分配については、公平の観点に立ち、真実性立証の難易、証拠との距離等を考慮し、個別事例ごとに定めるべきであり、特に公人の場合にはメディアにアクセスして反論することが容易であるから、公人側に立証責任を負担させることの弊害はない。本件においては、真実性の立証の対象は、被告Dの写真の撮影者が原告であるか否かであるところ、これは原告と被告Dにしか知り得ない事実であるから、その立証責任は原告が負うべきである。 また、報道機関の取材手段には限界があり、報道に要求される迅速性のための時間的制約もあるから、真実と信じる相当の理由については、報道機関をして、一応真実であると思わせるだけの合理的な資料又は根拠があることをもって足りるというべきである。 以上をまとめると、報道機関が限られた時間の中でなし得る裏付け取材を行ったといえる場合には、真実性又は真実と信じるにつき相当の理由があったというべきである。 (イ) 本件各写真の撮影者について 本件各写真は週刊Lに掲載された原告の妻の発言がきっかけで被告Dが埼玉県熊谷市の実家から見つけてきたものである。 被告Dは、平成12年10月21日、Q記者に対し、本件各写真を渡し、「本件各写真は、平成7年の春ころ、原告が、妊娠中絶した被告Dを気遣い、広島県東広島市の原告宅に宿泊させ、自ら写真を撮ってくれたものである。」と説明し、Q記者に本件各写真を見せた理由として、原告の妻が女性週刊誌のインタビュー記事で語った内容に刺激されたからであると述べた。また、本件各写真の日付が「5 9’95」ないし「6 9’95」となっている理由については、原告が撮影する際にいたずらをしてカメラの日付を変えたと説明した。 Q記者や被告Jは、被告Dの上記説明を鵜呑みにして信じたわけではなかった。この写真の撮影者については三つの可能性、すなわち、@原告、A原告の秘書等の関係者、B被告D自身のいずれかが想定されるが、被告D自身が単身で原告宅に入り込みセルフタイマー等で撮影をすることは著しく困難であり可能性は皆無に近いし、原告の秘書等の関係者については、原告に露見したときの危険性や重大性を考えれば、それらの者が原告に無断で被告Dを家に上げ撮影するという行動をとる可能性も極めて低い。そうすると、残るのは原告が撮影した可能性のみである。とはいえ、一般的に愛人をたとえ妻の留守中とはいえ本宅に入れ、その様子を撮影することの危険性を考えると、原告自身が本件各写真を撮ることもまた「特段の事情」がなければ考え難いともいえる。しかし、当時原告は被告Dに中絶させた負い目があり、逆に被告D自身それを理由に原告にわがままを言える立場にあったこと、写真を一旦は撮影しても、後にフィルムを回収するなどして外部流出を防ぐことは不可能ではなく、現に過去に赤坂のマンションで原告がそうしたこともあったとの被告Dの説明には十分な説得力があって不自然性はなく、これらの点は、前述した「特段の事情」に当たると考えられた。もちろん、この点について、原告自身の説明を求めて裏付けをとる必要があったが、原告は取材を拒否したのであり、他の事項に関するDの供述の重要な部分はその真実性が裏付けられたことから、撮影者についての被告Dの説明は十分に措信し得るものと考えられた。 原告は、原告宅に愛人を連れ込むことができるか等をさらに事務所関係者等に対し調査を尽くすべきであったとも主張するが、原告が取材を拒否している以上、地元広島の事務所関係者も取材に応じるはずもない。また、Kの記者は、原告宅に入ったことのある関係者から原告宅の構造について事前に取材した上で原告宅を訪れ、被告Dが持ち込んだ写真と原告宅の外壁等が同じであるかどうか確認し写真を撮影しており、それ以上は原告宅の中の様子をうかがい知ることはできなかった。被告JやQ記者は、本件各写真が原告宅で撮影された写真であるかどうか確認できれば、それ以上に詳細を知る必要もなかった。また、P記者は、念のため、平成7年9月5日及び6日の原告の行動について新聞データベースで検索をかけ調査をしたが、該当項目がなかったため、記事掲載時には両日の原告の行動は不明であった。 以上のとおり、被告Jは公正な報道をするため、然るべき取材は尽くしたといえる。 (ウ) 本件各写真の撮影時期について 本件各写真には、いずれも「5 9 ’95」、「6 9 ’95」という撮影日時が刻印されている。したがって、一般的にはその刻印された日付に撮影されたものと考えるのが通常である。しかし、被告DのQ記者に対する説明によれば、本件各写真はあくまでも平成7年春先に撮られたものであり、日付は原告がカメラをいじって変えたというものであった。刻印された日付に撮影されたものであると説明する方が極めて容易であるにもかかわらず、被告Dは敢えて原告がカメラをいじって日付を変えたと説明し、かつ、撮影時期が「平成7年2月末か3月初めの中絶の後」であることを説明し、被告Dの上記説明は、写真(乙11の(7))で被告Dが黒っぽい厚手の春先に着るようなスーツを身に着けていることとも矛盾しなかったため、Q記者は、被告Dの撮影時期についての説明に不自然性は全く感じなかった。さらに、「日付を原告がカメラをいじって変えた。」という行動も、原告が写真を撮影しても後日フィルムを回収すればよいと思っていたのではないかといういわば「証拠隠滅」の可能性に関する被告Dの説明と符合し、不自然と思えるものではなかった。 原告は、写真(乙11の(8))に写っている、「Uシンポジウム」のポスターの開催時期等を調べれば、このポスターが作成されたのは平成7年7月の終わりか8月であることが分かったはずであると論難する。しかし、「Uシンポジウム」というのはそもそも広く世間に知られた企画ではなかったから、上記写真を見たことから、直ちにこの「Uシンポジウム」がいつ、どのような団体によって開催されたものであるかについてまでの調査を要求するのは、明らかに常識の範囲を超えたものと言わざるを得ない。加えて、Q記者は、平成12年10月21日、被告Dから本件各写真を見せてもらい、白黒写真の形で保管し、被告Dから見せてもらった手のひらサイズの写真は同人に返還した。K誌では写真が白黒の形で掲載されるため、カラーで保存しておく必要がなく、保管の便宜上白黒写真で保管していたが、この保管にかかる写真では「Uシンポジウム」の開催時期や主催者すらよく見えるものではない。 原告は、写真(乙11の(1)、乙11の(4))の左端に写っているカレンダーを見れば、平成7年の下半期のカレンダーであることが分かる旨論難する。しかし、このカレンダーだけを見ても、これが平成7年下半期のカレンダーかどうかは気付きようもない。確かに甲58号証のカレンダーと対比するとそのように思えるが、一般に流布されているわけでもない甲58号証の存在を知らないK編集部が上記写真からそこまで読み取るのは困難であり、原告の論難は的はずれである。 仮に、百歩譲って、本件各写真が原告主張のとおり9月5日又は6日に撮影されたものであったとしても、撮影時期の点は本件においてはさほど重大な意味を持つものではない。なぜならば、原告は、原告と被告Dが別れたのが平成7年8月24日であるから、それ以降である9月5日又は6日には本件各写真が撮られるはずがない旨主張するかのようであるが、そもそも8月にはXの仲裁により二人は今後年一、二回は会うとの約束の下円満に別れており、「二度と会わない」という約束で決別したものではないから、本件各写真が仮に9月に撮られたものであるとしても、撮影者が原告であるという点について何ら不自然性はないのである。 4 争点(2)(被告Dの不法行為の成否)に関する当事者の主張 (1) 原告の主張 被告Dは、原告が交際を拒否するようになった後も、原告につきまとい、A1を通じて原告の情報を収集したり、平成7年9月5日及び6日、原告自宅に侵入して本件各写真を撮影した。そして、原告から一方的に交際を拒否されたことを恨み、原告に対する復讐のため、雑誌に虚偽の事実を掲載させて原告の名誉を毀損しようと企図し、平成12年10月初めころ、Q記者の取材に応じ、原告の名誉を毀損することを知りながら、本件各写真を提供した上、これらが原告自身の撮影によるものであるなどと虚偽の説明をし、よって、被告Jをして本件記事を本誌に掲載させたのであり、被告Dの上記情報提供行為が不法行為に当たることは明らかである。 被告Dは、「被告Dは本件記事の掲載や記事内容を決定する権限を持たない単なる情報提供者に過ぎず、被告Dの情報提供と本件記事とは因果関係がない。」旨主張する。 しかし、被告Dは、原告に対するストーカー行為を完遂させるため、メディアを利用しようと考え、Kに掲載させる目的で、上記情報提供行為に及んだのであり、しかも、本誌の発売に先立って生原稿を見せられ、その内容を確認し、自己の提供した情報が記事となり報道されることを容認したのである。被告Dが本件において果たした役割は、単なる情報提供者にとどまらず、被告Jと共謀して原告の名誉を毀損し、あるいは被告Jによる原告の名誉毀損行為を教唆又は幇助したものといえるから、被告Dの上記情報提供行為と本件記事による原告の名誉毀損との間に因果関係があることは明らかである。 (2) 被告Dの主張 ア 被告Dは、単なる情報提供者に過ぎず、記事を掲載するか否か、あるいは、その内容をどのようなものとするかについては何ら決定権を有する立場になかったから、被告Dの情報提供行為と本件記事による原告の名誉毀損との間には因果関係がない。 イ 仮に、被告Dの行為によって原告の名誉が毀損されたとしても、被告Dの情報提供による本件記事の内容は、全部真実である。 被告Dは、原告と交際中であった平成7年春ころ、原告宅を訪れて一泊し、その際、原告が自ら本件各写真を撮影した。原告は、被告Dが同年2月16日ころ原告の子を妊娠中絶し、体調を崩して精神的に滅入った状態にあるのを慰めるため、被告Dを原告宅に招き入れ、記念写真を撮ったのである。写真の日付が9月5日又は6日となっているのは、原告がふざけてカメラの日付を変えたためである。 したがって、被告Dの上記情報提供行為は不法行為を構成しない。 5 争点(3)(原告の損害及び謝罪広告掲載の必要性)に関する当事者の主張 (1) 原告の主張 ア 本件記事の掲載により、原告は著しい精神的苦痛を被った。そして、以下の事情からすれば、上記精神的苦痛に対する慰謝料は1000万円を下るものではない。 本件記事を掲載した被告H社の目的はKの発行部数を増加させて経済的利益を得ることにあった。また、被告Dの動機は、原告に対するストーカー行為を完遂させることにあり、悪質である。 本件記事の内容は、見出し、本文、写真の説明書きにおいて虚偽事実を述べるとともに、揶揄的表現や侮辱的表現をもって原告を激しく攻撃している。また、本件記事の真実性の欠如の程度は極めて大きく、その内容は原告の人格に関するものであって、虚偽情報を流布されたことによる原告の精神的打撃は極めて大きい。さらに、被告H社及び被告Jには真実と信じるについて相当の理由はなく、その欠如の程度も著しい。 Kは、平成12年10月25日当時、我が国の代表的な写真週刊誌であって、全国で多数の一般人に向けて販売されていた上、電車や新聞の広告にも本件記事に関する刺激的な見出しが掲載された。しかも、本件記事の掲載後も、被告Jは、K誌上で、「『食欲旺盛!?』針の筵に正座中の『B』前官房長官」や「前略 B・前官房長官殿 訴状拝読。笑っちゃいました」等の見出しで、本件記事の内容が真実であることを前提とし、原告を揶揄する記事を連載し続けたのである。 本件記事の掲載により、被告H社はKの売上げ増加による経済的利益を得ており、被告Jも編集者としての名声を確保した。また、被告Dは原告に対するストーカー行為を完遂し、被告らはそれぞれ利益を得ている。 名誉毀損によって被る精神的苦痛の程度は、特に被害者が著名人の場合には類型的に大きいと考えられるところ、原告は、平成12年当時、第2次Z内閣の国務大臣兼内閣官房長官の地位にあり、本件記事を含む一連の報道により内閣官房長官を辞任せざるを得なくなり、その後、その社会的評価を回復するため多大な労力等を費やすことを余儀なくされた。 イ また、Kの販売数、本件記事の内容、原告の今後の政治活動、被告H社の報道姿勢に照らすと、本件記事により低下した原告の社会的評価を回復するためには、金銭賠償のみならず謝罪広告が不可欠である。 (2) 被告らの主張 争う。 第3 当裁判所の判断 1 前記争いのない事実、証拠(甲1ないし4、6ないし15、31、33、39ないし44、46ないし53、57ないし59、65、66、71ないし75、81ないし88、乙1ないし13、15ないし17、20ないし24、26ないし35、39、丙1、証人Q、同P、同A1、被告J本人、被告D本人)(書証については、特に記載がない限り、いずれも枝番の書証をも含む。)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。 (1) 原告と被告Dとの交際の経緯 ア 原告は、平成6年ころ、東京都中央区銀座のナイトクラブ「V」において、同店でホステス(ホステス名はF)をしていた被告D(当時26歳)と知り合い、同年7月初めころ、被告Dと、金銭的援助をして情交を持つ交際を始めた。 平成7年5月上旬ころ、上記交際が雑誌「K1」の記者に知られるところとなり、原告は被告Dを避けるようになった。被告Dは、原告から一方的に交際を解消されることをおそれ、原告の携帯電話に面会や交際の復活を要求する電話を頻繁に入れた。 原告は、同年8月、赤坂の原告所有のマンションにおいて、原告の知人であるX同席の上、被告Dと話し合い、被告Dに、原告との交際を断ち今後原告に対して電話をかけたりしないことを約束させた。 イ 原告は、妻とともに、平成7年9月4日午前8時50分、広島発の飛行機で上京し、同月8日まで東京に滞在して、同月4日及び5日には会議やパーティ等に出席し、同月6日、内閣及び自由民主党によるH1元首相の合同葬に参列し、同月8日、広島に戻った(甲65、66)。 ウ 被告Dは、同年12月2日、原告が出席していた、広島県安芸郡府中町で開催の自民党府中支部の設立総会に、偽名を用いて参加し、同月17日には、突然原告の議員宿舎を訪問し、原告に交際の復活を求めるなどした。そこで、原告は、X同席の上、被告Dと話し合った。その結果、被告Dは、原告との接触を断つことを誓約し、被告Dの旧姓であるE名義で、「私 Eは今後年1回2月XとB先生と3人で食事をいたします。それ以外一切B先生の家に訪問したり、電話したり後援に顔を出したりいたしません。今までB先生に誤解を生むような迷惑をかけましたけれども ここにおわびをいたします。」と記載した誓約書(甲4)を作成した。 エ 被告Dは、平成8年4月15日、会社社長と結婚して札幌市に転居し、一児をもうけたが、平成9年10月離婚した。 (2) 本件記事の掲載に至る経緯 ア 原告は、平成8年11月、第1次I1内閣の科学技術庁長官に就任した。 同年10月14日、原告の事務所に右翼団体であるD1社副会長のYから原告宛の内容証明郵便(甲8)が送付された。同内容証明郵便は、「貴殿とは広島県の呉市で何度か食事をし、選挙も票の売収までして協力したことは、承知している事と思います。しかし、そういう私に対して、一度ならず二度までも侮辱されたのでは見過ごすわけにはいきません。」とし、@原告が被告Dを愛人として月々の手当を渡し赤坂のマンションで関係を持っていたこと、A@の件でYがマスコミを行かせたこと、B原告が、政府の要人として北朝鮮訪問に出発する前日、被告Dと会っていたために集合時間に遅刻したこと、C被告Dが覚せい剤中毒であることを知りながら何の処置もせず、一緒に覚せい剤を使用し、赤坂のマンションに覚せい剤を隠し持っていたこと等の点が事実かどうか同年10月18日までに回答することを求める趣旨のものであった。 イ 原告は、平成12年7月4日、第2次Z内閣の内閣官房長官に就任した。 同月6日、週刊誌「週刊M」7月20日号(乙1)が発行された。同誌は、「B新官房長官に送られていた内容証明付き『愛人スキャンダル』文書!」という見出しで、「ある右翼団体の会長が原告に内容証明郵便を送ったが、これには原告が交際していた愛人の実名、生年月日、関係を持った場所、月々150万円の手当が支払われていたことが書かれている。同会長は、本誌の取材に対し、『同会長もその女性と交際していたが、同女に原告からの電話がかかり、その声で相手が原告であることを知った。原告は、翌日訪朝の予定であったのにベロベロに酔っていた。しかも、同会長が保証人にもなって借りたその女性のマンションに原告が出入りしたことに怒っている。』と語った。」旨報道した。 一方、同記事には、原告秘書であるC1より、「原告は事実無根であると述べており、Yに対してはC1秘書から、そのような事実はないと電話で回答した。」旨の反論があったことが記載されていた。 同月25日発行の、Yが副会長を務める右翼団体であるD1社の機関誌(乙7に添付)は、同団体が国立国会図書館に尖閣諸島問題に関するビデオテープを贈呈したことについて原告が同団体に感謝する旨の礼状を掲載した。 同年8月下旬ころ発行の月刊誌「O」9月号(乙2)は、「Z首相の女房役・B官房長官の“大嘘”スクープ!半同棲歴のあった元愛人が本誌に告白」との見出しで、「前記週刊Mの記事において原告側が事実無根と主張した件について元愛人A子から取材した。A子は、平成6年6月から原告と交際し、一時は半同棲生活を送っていたと語った。」旨報道し、原告とA子(ただし、特定できないよう両眼部分は黒線で塗られていた。)とが写された写真も掲載した。 同年9月25日発行の週刊誌「週刊N」10月6日号(乙3)は、「B官房長官の愛人が告白10時間」との見出しで、被告Dの告白形式により、原告と被告Dとのマンションでの生活ぶりや原告がひどく清潔好きの性格であること等について詳しく報道した。 これに対し、原告は、国会における答弁等や記者会見において、Yとは面識がなく、D1社とは関わりがない、内容証明に記載された内容についてはすべて事実無根である旨述べていた。 ウ Q記者は、平成12年9月下旬ころ、前記週刊誌等の報道関係者から、被告Dが原告の覚せい剤使用についても語ったが記事にしなかったと聞かされ、Yから原告に送付された内容証明郵便のコピーの交付も受けたことから、被告Dに原告の覚せい剤使用の事実を取材しようと考え、被告Jに相談した。被告Jは、取材価値があると判断し、被告Dを取材することを決定した。 Q記者は、同年10月5日、大阪府所在の被告Dのマンションを訪ね、被告Dに対し、原告との関係に関する取材を申し込んだ。被告Dは、当初、自分が原告の愛人であった女性であることを認めようとしなかったが、同月7日、Q記者がD宅を訪れて取材に応じるよう食い下がると、ようやく自分が原告の愛人であったことを認め、「私、Yさんに殺されちゃう。」と言った。 Q記者は、マンション付近の喫茶店で約4時間、その後、大阪市内のホテルで七、八時間、深夜より明け方にかけて被告Dから話を聞いた。その取材における被告Dの供述の要旨は次のとおりであった。 すなわち、「自分は、Yが原告に内容証明郵便を送りつけた件には一切関知していない。広島で行われた後援会の会食で原告とYが同席している写真を見た記憶がある。原告の子を妊娠したが、原告が中絶同意書に偽名で署名をした。原告と半同棲の状態にあった時期に原告が覚せい剤を使用しているのではないかと思われるような言動をした。原告から電話で、警視庁保安課が被告Dに対する覚せい剤使用の容疑で捜査していると忠告されたことがあり、その会話を録音したテープを所持している。以前、Yが、被告Dとの関係を材料に、内閣官房長官となった原告から官房機密費を取る旨述べていたことがある。後日、Yから、『原告から金を取ったのでお前にも1000万円から2000万円の分け前をやる。受け取り書類にサインしろ。』などと言われたが断った。右翼団体が『週刊N』に圧力をかけて、自分に関する記事の掲載を止めさせたことがあるが、これはYが原告を恐喝したことに関係があると思う。自分がYの支配下にはなく、原告に対する恐喝の共犯ではないことを明らかにするために、自ら『O』に話を持ち込み、『週刊N』の取材にも応じた。Yは、自分の行動に激怒しているはずである。」というものであった。 そして、被告Dは、Q記者に対し、原告との会話を録音したテープ七、八本を提供した。そのうち平成7年5月上旬ころに録音したと被告Dが説明したテープには、原告らしき男性が被告Dに対し、警察(警視庁保安課)が被告Dに対する覚せい剤取締法違反容疑で内偵しているので交友関係等に注意するよう忠告する発言が録音されていた。また、被告Dは、被告Dと原告が二人で写っている写真や、赤坂にある原告のマンションの室内で撮影したものであると説明して、原告が上半身裸で寝ている様子等を撮影した写真も提供した。 さらに、被告Dは、「人工妊娠中絶に対する同意書」と題し、末尾に「社団法人 G1医師会」の名称が入った文書で、「本人」欄に被告Dの旧姓である「E」の署名があり、「配偶者」欄には「港区六本木7−6−1」「C」と記載があるもののコピー(乙8)を見せ、「これは原告の子を妊娠中絶する際に、原告が署名した中絶同意書である。原告は、虚偽の住所と名前を筆跡が分からないように左手で書いていた。」旨述べた。 被告Dは、大量のテープや写真を残していた理由として、「原告との関係が発覚し、原告が被告Dを避けるようになったため、会えない寂しさを紛らわすために原告の声を録音するようになった。また、原告に捨てられるのではないかと恐れ、原告と交際していた証拠になるとも思った。テープ等は、引っ越しの際に実家に送り、そのままになっていた。」旨説明し、中絶同意書のコピーについては「原告との記念になる物はとっておきたかったのでコピーした。」旨述べた。 Q記者は、被告Dが「手術をしたのは、浅草にある『寿』が付く名前の病院である。」旨述べたため、元浅草(当時)にF1病院が存在することを確認した。インターネットで「G1医師会」を検索したところ、数件を見つけたので、かかる団体が実在すると考えた。さらに、被告Dから提供されたテープ中に、被告Dが「私、妊娠してるときにね、先生の子供がおなかにいるときに」などと述べ、それに対し原告が「分かった、分かった」などと応えている箇所があることから、被告Dが妊娠中絶した事実は真実であると考えた。しかし、中絶手術が実際に実施されていたか否かについては、被告Dが同行取材を拒み、F1病院からも取材を拒否されたため、これを明確にすることはできなかった。 エ 被告Jは、平成12年10月8日、Q記者から、上記の取材結果の報告を受け、原告に関する記事を編集することを決定し、Q記者、P記者、R記者、S記者、T記者の記者5名からなる原告に関する取材チームを編成した。取材は同月11日から開始することとし、Q記者が被告Dを引き続き取材し、S記者及びR記者が右翼関係者、政治家及び原告の地元関係者を取材し、T記者が原告の国会における発言を調査することとなった。 Q記者は、同月9日、被告Dから得た情報を辿り、原告とYが会食している様子を写した写真を入手した。同写真の提供者からは、十七、八年前に広島県呉市のふぐ料理屋において会食した際のものであるとの説明を受けた。Q記者は、その写真に写っている男性がYであること、Yが当時「E1社」という右翼団体の会長を務めていたことを確認した。 同月11日午前、Q記者が被告Dに電話をしたところ、被告Dは、「週刊L」平成12年10月24日号に掲載された原告の妻に対するインタビュー記事に触れ、原告と被告Dとの交際期間など原告の妻が述べる事実は嘘であること、原告の妻が広島の自宅の一室で犬を抱いている写真が掲載されているが、被告Dも同じ部屋で同じ犬を抱いて原告に写真を撮影してもらったことがあり、その写真をQ記者に提供してもよい旨述べた。 同月11日午後、Q記者は、被告Dから、電話で、「被告Dの母からマスコミの取材を受けるのを止めるよう懇願されているので、今後取材に応じるのを控えたい。」と言われ、さらに翌12日には、被告Dの母から、電話で、「従前の週刊誌報道の際に、Yから、被告Dがマスコミの取材を受けるのを止めさせるよう脅迫されたことがあるから、被告Dを取材しないよう求める。」旨の申入れを受けた。Q記者は、Yが原告に対する恐喝の発覚を恐れて被告Dの口を封じようとしており、これは、「被告Dが取材に応じる動機はYの原告に対する恐喝の共犯であると思われないためである。」旨の被告Dの供述を裏付けるものであると考えた。 Q記者は、同日午後、大阪に行き、被告Dに対し、取材を応じるよう説得するとともに、原告と別れた後の経緯等について四、五時間取材をし、覚せい剤の使用容疑で任意同行された警察を特定するために上京するよう依頼した。 オ 一方、P記者は、「O」の記者から、同誌が10月号で原告と被告Dの特集記事を掲載する予定であったところ、Yの働きかけで記事の掲載が取り止めになったと聞かされた。 P記者は、同月11日、Yの事務所を訪問したが、同人は海外出張中ですぐには帰国しないと聞かされたため、P記者の名刺を職員に渡して辞した。その後、Yの代理人と称する人物から、取材を受けてもよいとの連絡があったため、P記者及びS記者は、同日午後11時ころから翌日午前1時ないし2時ころまでの間、都内のマンションの一室において、Yの代理人と称する人物及びY本人と電話を通じて、Yが原告と面識があることを確認し、他の週刊誌が原告に関する記事の掲載を1回で止めた経緯について取材をした。 被告Jは、上記Q記者及びP記者らの取材結果から、Yが愛人問題を材料に原告を恐喝したことがあるのではないかと推測し、被告Dが取材に応じる理由は、原告との関係を明らかにして被告DがYの恐喝行為に加担していると疑われるのを避けるためであると考えた。 カ P記者は、同月12日、東京の議員会館内の原告事務所に電話をし、応対したC1秘書に対し、原告への取材を申し込み、「被告Dが、原告との愛人関係だけでなく、官房長官の職を失いかねないほどの疑惑行為について証言している、被告Dがどのような証言をしているかお話しするので、その上で取材に応じてほしい。単なる女性問題の醜聞記事ではない。」旨伝え、Yとの会食の写真、被告Dとの会話を録音したテープ、中絶同意書の存在とその内容を説明し、深夜でも早朝でも原告の都合のよい時間に取材したいと重ねて申し入れた。C1秘書は、「こちらから電話をする。」旨述べて、即座には回答しなかった。 キ Q記者は、同月13日、都内のホテルにおいて、上京した被告Dから、これまでの被告Dからの聴取内容の真否について、その細部にわたり五、六時間かけて確認した。また、Q記者は、翌14日、被告Dを同道して、被告Dが覚せい剤の自己使用容疑で任意同行された警察署を探し、その際、被告Dが小岩警察署との記憶があると述べていたところ、同日夜、警視庁薬物対策課及び小岩警察署が平成7年5月下旬に被告Dの自宅を捜索していたとの裏付け情報を得るに至った。 P記者は、平成12年10月14日夜、C1秘書から、「原告に確認したが、事実無根である。」、「原告に対する取材も拒否する。」旨の電話による回答を受けた。 Q記者及びS記者は、同月15日午後、都内のホテルの一室において、被告Dに、P記者が執筆した原告とYとの会食及び捜査情報漏洩疑惑についての記事の原稿を見せ、事実関係を確認させた。 ク 同月18日、被告H社は、K平成12年10月25日号(乙4)を発売し、「B官房長官の『犯罪』!!その決定的証拠 虚偽答弁から捜査情報漏洩まで」との見出しで、原告の国会における虚偽答弁、原告と被告Dとの不倫関係、妊娠中絶の際の文書偽造、薬物使用、捜査情報の漏洩に関する各疑惑について報道した。 上記記事の要旨は次のとおりである。「原告は、国会における答弁において、『右翼団体関係者との面識はなく、内容証明において指摘された事実については、天地神明に誓ってそのようなことはあり得ない』旨述べた。しかし、それは真っ赤な嘘であり、本誌が入手した写真には、右翼の大物と親しく会食している原告の姿が写っていた。さらに、原告の元愛人であったA子(被告D)が本誌に語ったところによると、『平成6年6月、原告と深い仲となり、月に五、六十万円の手当をもらい、原告のマンションに通って半同棲の生活をした。平成7年2月、原告の子を妊娠した。原告は認知はできないが産んでほしいと言った。すごく嬉しかったけれど、こんな良い人に迷惑をかけてはいけないと思い中絶することにした。原告は、中絶同意書に架空の住所と電話番号を書き、『C』という偽名で署名した。』ということである。二人にハッキリと亀裂が生じたのは平成7年5月ころのことであり、きっかけはある雑誌の記者が二人の取材を始めたことである。A子の話によれば、『突然記者が銀座のお店に来て、原告との関係を聞かれた。原告の事務所にも取材がかかったようだった。店にも迷惑をかけられないので、仕方なく仕事を辞め、原告に会うこともできなくなった。原告からは、君がオレとのことを周りの友達に喋るから、話が流れた、不注意だと言って叱られた。原告のマンションにも行けなくなった。寂しくて、辛くて、何度も電話したが、そのたびに会うのを断られた。とても不安だったので、いつでも原告の声を聞けるように、電話の会話をテープに録音し始めた。』ということであった。本誌は、当時の原告とA子の会話を録音したテープを入手したが、これには、原告がA子に、覚せい剤の関係で警視庁保安課が動いていることを告げ、気を付けるよう繰り返し切迫した様子で忠告している声が録音されている。そして、この会話の数日後、A子は覚醒剤所持の疑いで警察の家宅捜索を受けたのである。さらに、A子の話によれば、『原告がトイレで注射器を持っているのを見た。原告は強壮剤だと言っていた。』『テレビ台のキャビネットの奥にビデオテープを発見し、ビデオデッキに入れようとしたら入らないので、調べると、裏側の回転軸の間に白い粉の入った小さなビニール袋が幾つか押し込まれているのに気付いた。』ということである。原告の事務所は本誌の取材に対し、『内容証明の送り主と会った記憶はない。捜査情報を漏洩した事実もない。』と繰り返したが、現に写真とテープは存在する。『天地神明に誓った』原告の返答はむなしく聞こえるのみである。」というものであった。 ケ 被告Jは、上記記事が国会で取り上げられるなど反響が非常に大きかったこと、一方で、原告が国会における答弁や記者会見においてYとの会食やテープの内容については記憶がなく、捜査情報を漏洩したとの事実は無根である旨述べていたことから、さらに被告Dと原告との関係を明らかにする記事を掲載することを決定した。 Q記者は、同月21日、P記者とともに都内のホテルにおいて被告Dに会い、2回目の記事を掲載することの承諾を得た。その際、被告Dは、Q記者及びP記者に対し、本件各写真を見せ、平成7年春の初めころ、東広島市の原告宅を訪問した際に撮影したもので、妊娠中絶をした被告Dからの頼みを断れない状態にあった原告が被告Dから求められるまま撮ってくれたものであり、写真の日付が「5 9 ’95」あるいは「6 9 ’95」となっているのは、原告がいたずらして日付を変えたためであると説明し、原告自宅の原告夫婦の寝室で一泊した経緯を述べた。 本件各写真のうち、本件写真@(乙11の(1))及び本件写真A(同(6)))のほかは、B畳の部屋で被告Dが半袖ショートパンツ姿で小型犬を抱き座卓の前に座っている写真(同(2))、Cソファーに腰掛けている写真(背後に原告のポスターが写っている。)(同(3))、D飾り戸棚の前に立ちVサインをしている写真(両脇に原告のポスターが写っている。)(同(4))、E原告の妻の物と思われる女性の衣服や鏡台とともに写っている写真(同(5))、F被告Dが黒っぽい長袖のスーツを着て住宅の玄関前に立っている写真(表札が写っている。)(同(7))、G被告Dが会議室か講堂と思われる建物の中に立っている写真(原告のポスター及び「Uシンポジウム」と文字が書かれたポスターが写っている。)(同(8))、H被告Dが原告の等身大パネルとともに写っている写真(同(9))であった(以下、上記BないしHの写真を「本件写真BないしH」という。)。 Q記者は、仮に本件各写真の撮影日が上記の日付どおりであったとしても、以前被告Dから、原告と被告Dは同年8月にXを仲裁人として別れ話をしたこと、その際、二人は別れるが今後も会うという約束をしていたことを聞いていたので、この点からすれば、その直後の9月に二人が会ったとしてもさほど不自然なことではないと考えた。また、P記者は、平成7年9月5日及び6日の原告の行動について、新聞データベースに日付と原告の氏名を打ち込んで検索したが、原告に関する記事はなく、同月6日にH1元首相の内閣及び自由民主党による合同葬が東京で行われていた事実は知るに至らなかった。 R記者は、原告宅に入ったことがある者から原告宅の構造について聞き取りをし、さらに、自ら東広島市の原告宅に赴き、外壁のタイルの特徴、屋根のアンテナの位置、隣家との位置関係及び隣家の様子が本件写真Aに写っている建物のそれと一致すること、原告宅の構造が被告Dの供述に沿うことを確認した。 被告Jは、上記の取材の結果に加え、従前の取材の経緯からして被告Dの供述の信用性が高いとの印象を抱いていたこと、被告Dが一人で原告自宅の寝室等に忍び込み写真を撮影したり、原告の関係者が被告Dを同寝室まで立ち入らせて写真を撮影することは困難であると考え、本件各写真は原告が撮影したものであると確信した。 同月22日、P記者は本件記事の原稿を作成し、被告Dに内容を確認させた。被告Jは、本件記事の見出しを作成し、本件写真@及びAの説明書きをQ記者とP記者に作成させ、本件記事を編集した。 P記者は、同月23日、衆議院議員会館の原告事務所に電話をし、応対した事務員に対し、本件各写真の件及び捜査情報漏洩の件で再び原告に取材をしたい旨を申し入れ、C1秘書への伝言を依頼したが、原告側からの回答はなかった。 被告H社は、同月25日、本誌を発売し、本誌は日本全国の書店及び駅売店等で販売された。 (3) 本件記事掲載後の経緯 原告は、平成12年10月25日号の記事及び本件記事の内容を否定していたが、10月26日、テレビで原告と被告Dの電話における会話を録音したテープの内容が報道されると、翌27日、上記テープの声が自分のものであることを認め、内閣官房長官を辞任した。 2 争点(1)(被告Jの不法行為の成否)について (1) 本件記事の名誉毀損性について ア 雑誌記事中の記載が他人の名誉を毀損するものとして不法行為を構成するか否かを判断するにあたっては、一般読者の読み方を基準としてその記事の意味内容を解釈した場合、当該記事が対象者の社会的評価を低下させるといえるかどうかを基準として判断すべきである。 イ 一般読者からみて、本件記事の文章、本件各写真の映像及び写真に付けられた「PHOTO B」という説明書きは、その内容にかんがみると、原告が妻の留守中に自宅に愛人を招き入れ、夫婦の寝室において原告自ら写真を撮影し愛人と共に一泊したことを意味するものと読み取ることができ、その報道は、一般読者に対し、原告が妻に対する誠実さを欠き、政治家に期待される清潔感のない人物であるという印象を与え、原告の社会的評価を一定程度低下させるものといえる。したがって、本件記事を掲載した本誌の発行は、原告に対する名誉毀損に当たるというべきである。 被告H社及び被告Jは、原告に愛人がいたことは他誌の報道により社会に周知されていたのであり、本件記事は、原告がその愛人を自宅に招き入れて写真を撮ったことを報ずるものに過ぎないから、本件記事の掲載によりさらに社会的評価が低下することはないと主張し、前記のとおり本誌に先立ち他誌によって原告に愛人がいることは報道されていたことが認められる。しかし、単に愛人と交際していたという事実と、愛人を妻が生活する自宅にまで招き入れ写真を撮影し同寝室で一泊したという事実とを比較すると、後者の事実が、より原告の社会的評価を低下させるものであるといえるから、被告H社及び被告Jの上記主張は採用することができない。 (2) 公共の利害性及び公益目的について 国会議員は、国民の代表として立法に携わる立場にあり、その経歴、思想及び言動は国民の大きな関心の対象となるところ、前記認定事実によれば、本件記事は、現職の国会議員であり当時内閣官房長官の地位にあった原告の女性問題等に関する事実を摘示し、原告が国会における答弁等について女性問題を含む種々の疑惑を否定している姿勢を批判して、原告が内閣官房長官としての適性を欠く旨を示唆するものであり、これは国民の正当な関心に応える事柄に関するものというべきである。そうすると、本件記事が摘示あるいは示唆する事実は公共の利害に関する事実であり、本件記事の報道は専ら公益を図る目的でなされたものといえる。 原告は、本件記事の報道は、専ら読者の覗き見趣味を満足させ、Kの売上げを伸ばすという経済的な目的に基づくものであり、専ら公益を図る目的に基づくものではない旨主張するけれども、同主張は上記説示に照らし採用できない。 (3) 真実性について ア 週刊誌等の報道が名誉毀損に当たる行為であっても、当該行為が公共の利害に関する事実に関わり、その目的が専ら公益を図る目的である場合には、当該事実が真実であることの証明がなされれば、その行為は違法性がなく、また、真実の証明がなくとも、行為者がそれを真実であると誤信したことについて相当の理由があるときは、同行為には故意、過失がないといえるから不法行為が成立しないと解せられる(昭和41年6月23日最高裁第一小法廷判決参照)。立証責任に関し上記解釈と異なる被告H社及び被告Jの主張は、独自の見解であって、採用しない。 イ 原告の主張する被告Jの不法行為は、本件記事のうち原告が自ら被告Dを原告宅に招き入れて本件写真チ及びツを撮影したとの記事の編集、報道行為をその基礎事実とするものと解される。 そして、被告H社及び被告Jは、上記事実が真実であると主張し、この主張に沿う被告Dの本人尋問における供述があるところ、その要旨は次のとおりである。 すなわち、「被告Dは、平成7年春の初めころ、原告が東広島市の自宅に帰るのを追って二、三便後の飛行機で広島に行き、夕方まで時間をつぶした後、原告の携帯電話に連絡した。原告は当初、被告Dの来訪に驚きとまどっていたが、被告Dを自宅に招き入れた。被告Dが同年2月中旬ころに原告の子を妊娠し中絶していた事情から、原告は被告Dのわがままを聞かざるを得ない状態にあった。被告Dは、原告から貸してもらったTシャツとショートパンツに着替えた。原告は自ら自宅内を案内して回り、記念写真と称して被告Dの写真を撮影した。そのときの写真が本件各写真である。カメラは、当日被告Dが東広島市で購入したものであった。写真の日付が9月5日又は6日となっているのは、原告がいたずらをして変えたからである。原告は、被告Dの写真を後に処分するつもりであったから、このような写真を撮影しても問題はなかった。被告Dは、原告が写真を始末することをおそれて、フィルムをすり替えた。写真のネガは現在手元にはない。」というものである。 しかし、本件各写真の日付はいずれも9月5日及び6日であるところ、前記認定のとおり、原告は、上記両日には、H1元総理の合同葬に出席すること等のため東京に滞在していたのであるから、原告が上記両日に本件各写真を撮影することは不可能であった。また、本件写真Gには「Uシンポジウム」と記されたポスターが写っているが、証拠(甲6ないし7)によれば、「Uシンポジウム」は、平成7年9月30日に東広島青年会議所の主催で開催された企画であり、同年3月31日に第1回実行委員会が開催され、ポスターが印刷され原告事務所に貼られたのは同年8月ころであったことが認められ、この事実に加えて本件写真@及びDに写っている原告ポスターのカレンダーが7月から12月にかけてのものであることをも併せ考慮すると、本件各写真は、少なくとも同年8月ころ以降に撮影されたものと認められる。そして、前記認定のとおり、原告は、雑誌の取材を受けるようになったことから、同年5月以降、被告Dと情交を持つ関係を断ち、被告Dと会うのを止めたのである(この事実は被告Dも概ね認めるところである。)から、原告が同年8月ころ以降に被告Dを原告宅に招き入れ、本件各写真を撮影したとは考え難い。さらに、撮影時期についての被告Dの供述は曖昧であり、6月であったかもしれないと述べるなど著しく変遷している。 以上の点を総合勘案すると、被告Dの前記供述はたやすく信用できないというべきである。そして、本件各写真の被写体や撮影場所が原告が妻とともに暮らしていた自宅であることをもって、直ちに原告がこれらを撮影したと認定することも困難であり、他に前記不法行為の基礎事実が真実であることを証明するに足りる証拠はない。したがって、被告H社及び被告Jの前記主張は採用できない。 ウ 付言するに、原告は、本件各写真の撮影者は、当時原告の秘書兼運転手であったA1であると主張し、A1はこれに沿う証言をしている。その証言の要旨は、「平成7年春ころ、被告Dと知り合い交際を始めた。被告DはGと名乗り、原告のファンであると述べていた。同年9月5日午後5時ころ、被告Dが原告事務所に現れ、A1は当直であったため、当直室で二人で食事をした後、被告Dから原告宅の中を見たいと言われ、被告Dとともに原告自宅に入り、さらに被告Dから請われるままに、居間や原告夫妻の寝室等で写真を撮影した。撮影後は宿直室に戻り、そのまま宿直室でシングルベッドで一緒に就寝した。被告Dとは広島又は東京で7回会い、A1の両親に被告Dを婚約者として紹介したこともあったが、結局、平成9年2月に札幌市内のレストランで1時間ほど話したのを最後に被告Dから一方的に別れを告げられた。」というものである。 しかし、原告の愛人であった被告Dが、敢えて一介の秘書兼運転手であったA1と交際するとは考え難いこと、A1は「G」なる女性と結婚を考え両親に紹介することまでしたと供述するにもかかわらず、Gの正確な住所等は知らないと述べるなど、被告DとGなる女性が同一人物であるかどうか疑わしいこと、原告宅が事務所を兼ねており開放的であったとしても、運転手が雇い主である原告夫婦の寝室に無断で入り込み、被告Dに言われるままに各部屋で写真を撮影して回るという行動に及ぶこともまた通常考え難いこと、本件各写真の撮影者がA1であるという客観的な証拠がないこと等の点にかんがみれば、A1の上記証言はたやすく信用できない。したがって、原告の主張は採用することはできない。 (4) 真実と信じたことについての相当の理由について 被告H社及び被告Jは、被告Jが本件各写真の撮影者は原告であると信じたことについて相当の理由があると主張する。 上記主張に沿うものとしては、以下の@及びAの点を指摘することができる。 すなわち、@本件各写真の映像及び前記認定のR記者の原告宅に対する調査結果等から、本誌発行当時、被告J及びQ記者にとって、本件各写真が原告宅で被告Dを撮影したものであることは明らかであった。また、被告Dの供述やテープの内容等から、過去に被告Dが原告と愛人関係にあったこともほぼ客観的事実であった。そして、原告宅の状況の詳細を知らない被告Dが、単独で東広島市に出向き原告宅に侵入して本件各写真を撮影したとはまず考えられない。また、原告の秘書等の関係者が原告に無断で被告Dを自宅に招き入れて写真を撮影することは、その可能性がないわけではないが、それが原告あるいは原告の妻に発覚した場合には重大な結果を招くことは明らかであり、それを敢えて実行する人物も窺われなかった。そうすると、被告JやQ記者が原告が撮影者であると判断したことには一定の合理性があるといえる。 また、AQ記者は、被告Dから、「本件各写真は、妊娠中絶をした被告Dの頼みを断れない状態にあった原告が、被告Dから求められるまま撮ってくれたものである。」との説明を受け、その裏付けとして、人工妊娠中絶同意書の写し、被告Dと原告との会話を録音したテープの提供を受け、被告Dが「手術をしたのは、浅草にある『寿』が付く名前の病院である。」旨述べたため、元浅草(当時)にF1病院が存在することを確認し、インターネットで「G1医師会」を検索したところ、これを数件見つけたので、この団体が実在すると考えた。さらに、被告Dから提供されたテープ中に、被告Dが「私、妊娠してるときにね、先生の子供がおなかにいるときに」などと述べ、それに対し原告が「分かった、分かった」などと応えている箇所があるのを確認した。このように、原告が本件各写真を撮影したことの経過に関する被告Dの説明は、一応の裏付け資料を伴うものであった。 しかし、本件各写真にはその撮影日付が平成7年9月5日又は6日と刻印されているところ、実際の撮影日もまた上記両日であるとみるのが通常であること、被告Dの説明は、「本件各写真は原告が同年春の初めころ撮影した写真である。写真の日付は原告がいたずらをして変えた。」というもので、その説明にある撮影日と上記写真の日付とは大きく食い違っていたばかりか、原告が日付を変えた理由も「原告がいたずらをした」というのみで必ずしも合理的なものであったとはいえないこと、原告は、「K1」の取材があったことを契機に、同年5月ころから、被告Dと会うのを止め、被告Dからの誘いにも応じようとしなくなったのであるから、その4か月も後である同年9月に原告が被告Dを自宅に招き入れ、その姿を撮影するということは通常考えられないこと、この点を考えた被告Dが、写真の日付を消すこともできないため、上記のような虚偽の説明をした可能性は十分考えられること等の点に加えて、原告が自宅に愛人を招き入れて妻との寝室にいるのを撮影し、しかも、同所で一夜を過ごしたとの事実を本誌に掲載して一般読者に報道する行為は、単に愛人がいるということを報道する行為とは質の異なった名誉の毀損をもたらすものであることをも併せ考慮すると、被告JやQ及びP両記者は、本件各写真に関する被告Dの上記説明の信用性を疑い、まず、本件各写真中の被写体を手掛りにその信用性を慎重に検証すべきであったといえる。そして、被告JやQ及びP両記者が本件写真@及びDに写されたカレンダーが7月から12月にかけてのものであることを確認することは、被告Dから提供された写真を拡大したり、原告事務所に問い合わせたりするなどの方法によれば極めて容易なことであり、また、本件写真Gに写された「Uシンポジウム」と記されたポスターがいつごろ印刷、発行されたものかを調べることも、主催者へ問い合わせるなどすれば、さほど困難なことではなく、このような調査等を通じて、被告Jが本件各写真が撮影されたのは同年7月以降であるとの認識に至り、被告Dの上記説明が信用できないと判断することは十分可能であったといえる。ところが、被告JやQ記者は、被告Dを原告宅に招き入れて本件各写真を撮影できる者は原告のほかにはまず考えられないと速断し、被告Dの前記の説明を信用して、上記のような検証をしないまま、本件各写真を入手した日のわずか4日後である10月25日、本件記事の報道に及んだのであって、この点で軽卒のそしりを免れないというべきである。 以上の点にかんがみれば、被告H社及び被告Jの前記主張は、これに沿う前示の各点を考慮しても、採用することはできない。 3 争点(2)(被告Dの不法行為の成否)について 前記1に認定の事実、特に、本件記事の内容や本件記事の報道当時、原告は内閣官房長官という要職についていたことに照らすと、被告Dは本件各写真に関する情報の報道によって原告の社会的評価が低下することを予見して本件各写真をQ記者に提供したことが認められる。 ところで、一般に、雑誌記事の編集権は当該報道機関が独占的に有するものであるから、情報提供者が報道機関に対し、報道の基礎となる情報を提供しても、報道機関による裏付け取材や編集作業による取捨選択等の過程を経て報道されるのが通常であり、被取材者としても自己の発言等がそのまま記事になることを予見してはいないのが通常である。したがって、仮に情報提供者が第三者の社会的評価を低下させるような情報を提供した場合でも、当然に名誉毀損との相当因果関係があるとはいえず、取材を受けた者が、自分が提供する情報を元に記事が作成された場合に第三者の社会的評価を低下させることが明らかであって、当該情報をそのまま報道することについて予め報道機関と意を通じた上で情報を提供し、あるいは自己の提供した情報がそのまま記事になることを承諾していた場合には、上記相当因果関係があると解するのが相当である。 そこで、これを本件についてみるに、前示のとおり、本件記事のうち、本件写真@及びAが原告の撮影によるものであること、原告が原告宅において被告Dと一夜を共にしたことの報道が、原告の社会的評価を低下させるものであることは明らかであり、前記1に認定のとおり、被告Dは、本件記事の編集前に本件記事の原稿を見せられその内容を確認し、これが報道されることを承諾したのであるから、被告Dの上記情報提供行為と名誉毀損との間には相当因果関係があるといえる。 4 争点(3)(原告の損害額及び謝罪広告掲載の必要性)について (1) 損害額について 前示のとおり、被告らは、原告に対し、前記名誉毀損による精神的苦痛に対する慰謝料を支払う義務を負うといえるところ、その名誉毀損の内容、すなわち原告が愛人である被告Dを自宅の寝室等に招き入れて写真を撮影した上、愛人と自宅で一夜を共にしたという事実の報道によって、一般読者に原告が反倫理的な人物であるとの印象を抱かせ、原告の社会的評価を低下させたこと、Kは著名な週刊誌で販売数も多く、本件記事の内容については電車等のつり革広告でも宣伝されたことから、上記記事内容は社会に広く流布されたこと、一方で、原告に被告Dという愛人がいたことは本誌発行に先立ち他の週刊誌等によって報道され、これによって既に原告の社会的評価はかなり低下していた上、本件はこの報道による損害賠償責任を問うものではないこと、原告は内閣官房長官を辞したが、その主な理由は右翼団体関係者との交際や捜査情報漏洩の点で虚偽の国会答弁をしたことにあると推認されること等の点を総合考慮すると、上記慰謝料は80万円と認めるのが相当である。 (2) 謝罪広告の掲載について 名誉毀損を内容とする不法行為が成立するとしても、謝罪広告等の名誉回復処分が認められるためには、名誉毀損による損害がなお存続し、かつ、名誉回復処分が必要、かつ、効果的であるといえることを要すると解せられる。 本件では、名誉毀損行為から既に4年が経過し、情報がかなり風化したものとなっていること、本件で不法行為に当たると判断される名誉毀損行為は「原告が愛人である被告Dを自宅の寝室等に招き入れて写真を撮影した上、愛人と自宅で一夜を共にした。」という事実の報道に限定されたものであり、同報道は、原告に被告Dという愛人がいたこと、被告Dが原告の子を妊娠中絶したこと、原告がその同意書に偽名を用いたこと、原告と右翼団体関係者との交際があったこと、被告Dに覚せい剤使用等の嫌疑がかかり原告がその捜査情報を被告Dに漏洩したこと等に関する事実の報道と一体としてなされたものであること等の点にかんがみれば、上記不法行為に当たる事実の摘示のみを取り上げて名誉回復のために処分をしたとしても、その必要性及び実効性は極めて低いといえるから、原告の謝罪広告の掲載の請求は、必要性及び実効性の要件を欠くものとして、理由がないというべきである。 5 結論 よって、原告の被告らに対する請求は、慰謝料80万円及びこれに対する不法行為の日である平成12年10月25日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の各自支払を求める限度で理由があり、その余はいずれも理由がないから、主文のとおり判決する。 広島地方裁判所民事第3部 裁判長裁判官 能勢顯男 裁判官 田中一隆 裁判官 財津陽子 |
日本ユニ著作権センター http://jucc.sakura.ne.jp/ |