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【事件名】“天理教”名称の不正競争事件(2) 【年月日】平成16年12月16日 東京高裁 平成16年(ネ)第2393号 名称使用差止等請求控訴事件 (原審・東京地裁平成15年(ワ)第23164号) (当審口頭弁論終結の日 平成16年9月7日) 判決 控訴人 宗教法人天理教豊文教会 同訴訟代理人弁護士 岡田弘隆 被控訴人 宗教法人天理教 同訴訟代理人弁護士 今中道信 同 羽成守 同 日野修一 同 鳩谷邦丸 同 別城信太郎 同 大畑道広 主文 1 原判決を取り消す。 2 被控訴人の請求をいずれも棄却する。 3 訴訟費用は第1、2審を通じて被控訴人の負担とする。 事実及び理由 第1 当事者の求めた裁判 (控訴人) 主文同旨 (被控訴人) 1 本件控訴を棄却する。 2 控訴費用は控訴人の負担とする。 第2 事案の概要等 1 事案の概要 本件は、宗教法人である被控訴人において、被控訴人との被包括関係を解消した宗教法人である控訴人が「天理教豊文教会」の名称を使用する行為について、これが不正競争防止法2条1項2号又は1号所定の不正競争行為若しくは被控訴人の宗教上の人格権を侵害する行為に当たると主張して、上記名称の使用の差止め及び上記名称の抹消登記手続を請求する事案である。 原審は、控訴人の名称使用行為が不正競争防止法2条1項2号及び1号所定の不正競争行為に当たると判断し、被控訴人の請求をいずれも認容した。 2 本件の争点 (1) 本件訴えは、「法律上の争訟」(裁判所法3条1項)に当たるか(本案前の申立て) (2) 不正競争防止法に基づく請求(不正競争防止法2条1項2号又は1号)について ア 不正競争防止法の適用の有無 イ 同法2条1項2号該当性(著名な商品等表示該当性及び名称の類似性の有無) ウ 同法2条1項1号該当性(周知性及び誤認混同のおそれの有無) エ 控訴人が「天理教豊文教会」との名称を使用することの正当性の有無 (3) 宗教上の人格権に基づく請求について 控訴人が「天理教」を含む名称を使用することは被控訴人の人格権に由来する名称権の侵害となるか 第3 争点に関する当事者の主張 1 争点(1)(法律上の争訟性)について [控訴人の主張] (1) 宗教上の性質を有する事項については、国家といえどもこれに関与することはできない。日本国憲法は政教分離の原則を採用し、国家があらゆる宗教から絶縁し、宗教を私事に任せ、もって信教の自由の保障を完全ならしめているからである。 いかなる名称を名乗って宗教活動を行うかは、宗教活動の根幹にかかわることであり、まさに宗教上の性質を有する事項である。裁判所が被控訴人の請求どおり控訴人に「天理教」の名称の使用を禁じることは、他の名称に変更することを命じるに等しいが、これは、信教の自由に対する国家の不当な介入であって、許されない。 したがって、本件訴訟は、裁判所法3条1項にいう「法律上の争訟」に当たらないものとして却下されるべきである。 (2) 控訴人が「天理教」を含む名称を用いることは、単なる表示の選択の問題ではなく、天理教という宗教の系統に属することを表明するためのものである。控訴人が被控訴人との被包括関係を廃止したこと、及び宗教法人の規則に定める目的を被控訴人と異にすることについては、当事者間に争いはないが、天理教という宗教の系統に属するか否か、すなわち、同一の宗教を奉ずるものといえるか否かについては争いがある。本件訴えは、控訴人が被控訴人とは奉ずる宗教を異にすることを前提にするものであって、まさに両者の奉ずる宗教が同一の系統に属するか否かが争点となるのであるから、宗教上の教義にわたる事項についての判断を必要とするものであり、法律上の争訟に当たらない。 [被控訴人の主張] 本件は、当事者双方とも宗教法人ではあるが、争点となるのは、専ら天理教とは無関係となった控訴人が「天理教」の表示を使用することの当否であり、教義にわたる事項につき判断を要する宗教紛争ではないから、「法律上の争訟」に当たる。 2 争点(2)ア(不正競争防止法の適用の有無)について [被控訴人の主張] (1)ア 不正競争防止法の目的 不正競争防止法は、国民経済の健全な発展のために、不正競争行為を明確に規定し、かつこれを禁止することを通じて、広く競業秩序の確保を目的とする法律にほかならない。ある競業行為が公正な競争行為であるか又は不正な競争行為であるかの判断に際しては、その行為をする者が他の競争関係にある者に比べて不当に競争上有利な地位を占めているか否かが決定的な判断基準となる。 イ 不正競争防止法1条の「事業者」及び同法2条1項1号、2号及び3条にいう「営業」の解釈 不正競争防止法1条にいう「事業者」とは、商業、製造業等あらゆる事業を行う者であり、営利事業に限らず、広く経済収支上の計算に立って行っている者であればよい。事業者間の公正な競争という場合の「事業」については営利事業に限らず、広く経済収支上の計算の上に立って行われるものをいうのであるから、公正な競争を通じて公衆の利益をも保護する不正競争防止法の展開を考えるとき、営利を目的としない事業全般に不正競争防止法の適用を認めるべきである。 不正競争防止法2条1項1号、2号、3条にいう「営業」は、日常用語の「営業」とも商法上の「営業」とも異なる同法独自の概念であり、同法の目的に照らして広く解し、単に営利を直接の目的として行われる事業に限らず、事業者間の公正な競争を確保する必要性が認められる以上、非営利団体の活動も同法の「営業」に該当すると解すべきである。 ウ 宗教法人の宗教活動への不正競争防止法の適用 (ア) 宗教法人法においては、「業務」とは、宗教上の本来的活動(以下において「宗教活動」ともいう。)、すなわち教義を広め、儀式行事を行い、信者を教化育成する等の活動及びそれに伴う直接間接の事務をいうものとされ、宗教団体の行う公益事業その他の事業を総称するものとしての「事業」(宗教法人法6条2項)とは区別して用いられている。しかし、宗教法人となるためには、宗教団体の永続性が求められること、宗教法人は、宗教活動以外の事業を実施しているか否かを問わず、財産目録と収支計算書を作成し、これを事務所に備え付ける等の義務を負うこととされていること(同法25条)等を勘案すると、上記の「業務」は、すべて広く経済収支の計算の上に立って行われるものに該当するというべきである。 また、宗教法人の「業務」についても、他の宗教法人との競争を観念し得るのであり、したがって、需要者において誤認混同の事実が認められる場合には、その競争行為を市場から排除して、事業者間の公正な競争を確保する必要性がある。しかして、不正競争防止法2条1項1号等にいう「営業」の意義を同法の目的に照らして広く解すべきことは、前記イに述べたとおりであり、宗教法人の宗教活動について事業者間の公正な競争を確保する必要があるにもかかわらず、これが同法の「営業」に当たらないとし、他の非営利団体の場合と異なる扱いをする理由はない。 したがって、宗教法人の宗教活動も同法の「営業」に含まれるというべきである。 (イ)(控訴人の主張(1)ウに対する反論) 控訴人は、宗教団体の名称は宗教活動の根幹にかかわることであり、これを不正競争防止法によって規制することはできないと主張する。 しかしながら、本件に不正競争防止法を適用しても、控訴人は、「天理教」と類似しない名称に変更しさえすれば宗教活動を行うことができるのであり、現に、被控訴人から離脱した宗教法人で控訴人と同一の目的を掲げるものは「陽気づくめ○○教会」の名称を使用しているのであるから、「天理教」の名称使用の可否は、宗教活動の根幹にかかわるような問題ではない。 (2)(控訴人の主張(2)に対する反論) 控訴人は、変更後の規則第1条「名称」において、「この教会は、宗教法人法による宗教法人であって『天理教豊文教会』という。」と定めているのであり(乙3の2)、被控訴人は、控訴人のかかる名称の使用が、宗教上の人格権を侵害し、不正競争防止法違反となると主張しているのであるから、本件では「天理教豊文教会」という控訴人法人の名称を問題とすれば足り、「天理教と称する場合は二義がある」等という反論は成り立たない。 (3) したがって、本件について不正競争防止法が適用される。 [控訴人の主張] (1)ア 不正競争防止法の立法の趣旨、目的は、同法1条にあるように、経済活動における事業者の公正な競争の確保により国民経済の健全な発展に寄与することにある。 イ 「事業者」とは、商業、製造業、電気ガス業、サービス業、農林水産業などの事業を営む者である。この場合の事業は、営利事業に限らず、広く経済収支上の計算の上に立って行われるものであればよいと解されるが、上記の法の目的から「事業者」に該当しない者のあることは明らかであり、宗教と宗教の間の競争は、不正競争の防止という主として商業活動の間の公正な競争の確保を目的とする本法の適用の範囲外である。 ウ 不正競争防止法2条1項1号及び2号で定める「人の業務」には「宗教団体の本来の業務」(宗教法人法1条1項の業務)は含まれない。そして、宗教団体の名称は、宗教団体の本来の業務の最も根幹をなすものであるから、同法は適用されない。 (2) 天理教と称する場合は、@ 宗教名としての天理教、A 宗教法人としての天理教の二義があるが、控訴人の名称である「天理教豊文教会」の「天理教」は前者の意である。何故なら、後者の意と解したならば、互いに独立した宗教法人たる「天理教」と「豊文教会」との2宗教法人が、控訴人の名称の規定の中に併存する結果となり、どちらが真の名称であるか不明となり、名称の規定としては全く意味をなさないからである。そうすると、被控訴人が宗教の名称としての「天理教」という文字の使用を禁止することは、控訴人に対し天理教という宗教の信仰を禁止することを意味する。 宗教上の性質を有する事項については、国家といえどもこれに関与することはできないという意味において、不正競争防止法の適用は認められない。被包括関係廃止後にそこから離脱した宗教法人が従前の名称をどの範囲で使用できるかを巡る紛争事案については、宗教上の性質を有する事項についての判断を要するから、控訴人の名称について不正競争防止法は適用されない。 (3) したがって、本件について不正競争防止法は適用されない。 3 争点(2)イ(不正競争防止法2条1項2号該当性)について この点に関する当事者の主張は、原判決の「事実及び理由」中「第3」の3(原判決8頁9行目から24行目まで)に摘示のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決8頁20行目の「識別不能の」を「被控訴人の名称と識別することが不能な」と改める。)。 4 争点(2)ウ(不正競争防止法2条1項1号該当性)について この点に関する当事者の主張は、原判決の「事実及び理由」中「第3」の4(原判決8頁25行目から9頁22行目まで)に摘示のとおりであるから、これを引用する。 5 争点(2)エ(控訴人の名称使用の正当性)について [控訴人の主張] 控訴人は、後記6の[控訴人の主張]欄記載のとおり、控訴人の信教の自由の範囲内の行為として、控訴人の名称を使用する正当な地位を有しており、被控訴人の上記名称の使用行為が不正競争防止法2条1項1号又は2号に該当するとしても、違法性がないというべきである。 [被控訴人の主張] 控訴人が、控訴人の名称を使用する相当性がないことは、後記6の[被控訴人の主張]欄(2)及び(3)に記載のとおりである。控訴人は控訴人の名称の使用が信教の自由の範囲の行為であるなどと主張するが、同(4)に述べるとおりいずれも理由がない。 6 争点(3)(控訴人が「天理教」を含む名称を使用することは被控訴人の人格権に由来する名称権の侵害となるか)について [被控訴人の主張] (1) 宗教団体の名称権と信教の自由との関係 宗教団体の名称は、個別的人格権の1つとして、自然人の氏名権に準ずるものとして保護されるべきである。 憲法20条1項の保障する信教の自由には宗教的結社の自由が含まれるところ、ある宗教団体が多年にわたって特定の名称を使用し、その名称が直ちに当該宗教団体を指すものとして社会一般に広く認識されている場合に、新しい宗教団体がその名称と同一又は類似の名称を使用し宗教活動を行うことは、宗教活動の相手方となった一般人に自己がいかなる宗教団体から宗教活動を受けているのかについて誤認混同を生じさせ、従前からの宗教団体の宗教活動の妨害となることが明らかであるのみならず、信仰の本質上、従前からの宗教団体の信者にも耐え難い精神的苦痛を与える。宗教団体の名称権はこうした特質を持つものであって、憲法20条1項の趣旨からしても、強い法的保護に値する権利である。 もっとも、宗教団体の名称については、@ 歴史的にみて同一又は類似の名称を採択使用している宗教団体の存する例も少なからずあるのが実態であり、また、A 名称自体がその宗教の教義上の主張、立場と密接な関連性を有し、これを象徴的に表象する役割を担っていることも少なくないから、従前からの宗教団体の名称使用を保護するために新しい宗教団体に対しその名称決定の自由を制限することが、宗教団体の宗教活動に対する不当な制限とならないように留意する必要がある。 このため、新たな宗教団体の名称使用行為の違法性については、新たな宗教団体の当該名称使用行為の態様、名称を使用した目的、従前からの宗教団体が被る損害、差止めを認めることにより新たな宗教団体が被る不利益等を全体的に考察して判断すべきである。 (2) 控訴人の名称使用行為の違法性について ア 名称使用行為の態様 (ア) 「天理教」という名称については、天理教の一般教会等被控訴人と共通の教義の下でこれと一体的な宗教活動を行う団体か、被控訴人やその関係者が名称使用を許諾する団体以外の者が使用している例は、過去に天理教から分派した宗教団体や近時被控訴人から離脱した宗教団体を含めても存在しない(甲5)。したがって、「天理教」の名称は、被控訴人及びその包括下にある多数の教会の呼称として定着した名称であることは明らかであり、この名称は法律上の保護に値する。 (イ) 被控訴人においては、天理教教会本部を除く全ての教会(一般教会)の名称は、国内にあるものについては「天理教○○大教会」又は「天理教○○分教会」と呼称する例とされており(一般教会規程第1条)、国内のすべての天理教の一般教会(1万7000箇所以上)の名称は、いずれも冒頭に「天理教」、末尾に「教会」との文言を置く特徴を有している。そして、控訴人の使用する「天理教豊文教会」という名称は、従前の「天理教豊文分教会」から「分」の一文字を削除するのみのものであり、名称の冒頭に「天理教」、末尾に「教会」との文言を置き、上記天理教の一般教会と同じ特徴を備えたものとなっている。以上の事情を併せ考慮すると、一般人はもとより、天理教関係者であっても「天理教豊文教会」と天理教の一般教会とを識別することは不可能である。 イ 名称使用行為の相当性 「天理教」の名称は著名性を有し、被控訴人と共通の教義の下でこれと一体的な宗教活動を行う団体か、被控訴人やその関係者が名称使用を許諾する団体以外の者が「天理教」の名称を使用した例はないところ、被包括関係の解消とこれに伴う規則変更において、控訴人は、上記「天理教」の教義を否定するとともに信仰対象自体を変更し、被控訴人と共通の教義の下でこれと一体的な宗教活動を行う関係から離脱したものである。 被包括関係から離脱する前の天理教豊文分教会を含む被控訴人の分教会は、@ 天理教の真柱より祀ることを許された「天理王命目標」を祀り、A 「天理教教会本部が編述し、真柱が裁定した天理教教典」に依拠して天理教の教義を広めることから、「天理教」の名称使用が許されたものである。したがって、天理教の分教会が当該法人の目的を変更し、当該法人の目的から「天理王命目標」を祀ることや「天理教教典」に依拠して天理教の教義を広めることを削除した場合、当該法人は自己の名称中に「天理教」の文言を用いる根拠を失うこととなる。 しかるに、控訴人は、上記規則変更において、法人の目的を全面的に改め、上記「天理王命目標」、「天理教教典」に係る記載を全く削除している。したがって、被包括関係の解消に伴う規則変更の後の控訴人は、信仰の対象自体を変更し、被控訴人と共通の教義の下でこれと一体的な宗教活動を行う関係から離脱したものであるから、自己の名称中に「天理教」の文言を使用する相当性を失ったものである。 ウ 控訴人が「天理教」の名称を使用する目的 信仰対象自体を変更し、「陽気づくめ○○教会」と同一の目的を掲げるに至った控訴人には、自らの名称の一部に「天理教」の文言を用いて社会的に天理教の一般教会との識別が不能な名称を選択する合理的な理由はない。控訴人の上記名称選択の目的が、あえて天理教の一般教会と識別が不能な名称を選択し、被控訴人の長年にわたる社会的活動の成果を利用する点にあることは明らかである。 エ 被控訴人の被る損害 一般に、宗教の信者にとっては、宗教法人の包括被包括関係や規則に定められている教義よりも、自らの信仰する宗教団体の名称の方が重要な関心事である場合が少なくない。天理教の一教会である「天理教豊文分教会」の信者の多くにとっても、教会の名称自体が例えば「陽気づくめ○○教会」と変更されるならばともかく、従来の教会の名称から「分」を削除しただけの「天理教豊文教会」が、「天理教」とは異なる信仰対象、教義を異にするに至ったという事態は容易に理解し得るものではない。当該信者に「天理教豊文教会」への参拝等が「天理教」の一教会での宗教活動であるとの誤認混同が生じる蓋然性は極めて高く、「天理教豊文分教会」の信者以外の一般の天理教関係者や第三者にとって、上記誤認混同が生じることは当然である。控訴人の「天理教」を称する宗教活動が放置される結果、「天理王命目標」を祀り、「原典及びこれに基づいて天理教教会本部が編述し、真柱が裁定した天理教教典」に依拠して天理教の教義を広める被控訴人及びその被包括法人の活動が妨害されるおそれが高い。このように被控訴人の活動が妨害されることは、これを知るに至った被控訴人の信者にも耐え難い精神的苦痛を与える。 オ 差止めにより控訴人が被る不利益 控訴人が、被控訴人との被包括関係の解消後、その名称を「天理教」という文言を用いないものに改めることに特段の不利益がないことは明らかである。被控訴人から離脱した宗教法人で、当該法人規則に離脱後の控訴人と同一の目的を掲げるものは、例外なく法人の名称に「天理教」の文言を用いず、「陽気づくめ○○教会」との名称を付しており、かかる目的変更を行った控訴人に「天理教」の名称を使用することを認めないとしても、特段の不利益が生じるとは考えられない。 (3) 以上により、控訴人が本件被包括関係解消後も「天理教豊文教会」と称し、その名称の一部に被控訴人の名称を用いることは被控訴人の人格権に対する重大な侵害となる。 (4) 控訴人は、後記[控訴人の主張](1)ないし(3)記載のとおり、控訴人の名称の使用が信教の自由の範囲の行為であるなどと主張するが、以下に述べるとおりいずれも理由がない。 ア 控訴人の主張(1)について (ア)a 控訴人は、宗教団体の名称は宗教活動の根幹にかかわることであるから、「天理教豊文」という名称の使用は控訴人の信教の自由の行使であり、国家がこれを禁じることはできないと主張する。 しかしながら、「天理教豊文」という名称の使用を禁じられても、控訴人は、「天理教」と類似しない名称に変更しさえすれば宗教活動を行うことができるのであり、現に、被控訴人から離脱した宗教法人で控訴人と同一の目的を掲げるものは「陽気づくめ○○教会」の名称を使用しているのであるから、「天理教」の名称使用の可否は、控訴人の宗教活動の根幹にかかわるような問題ではない。 b 控訴人は、「天理教豊文」の名称を自らの名称として使用してきたと主張するが、同名称は、大正14年に、控訴人が被控訴人の一般教会の1つとして設置されるに際して、被控訴人の管長の許可を受けて使用を開始したものである。このような経緯でその名称に「天理教」を冠し始めた控訴人において、被控訴人との被包括関係を解消した後は、控訴人の信仰内容の如何を問わず、「天理教」を冠する名称を使用できなくなるのは当然である。 (イ)a 「天理」が一般名詞であるとしても、前記(2)ア(ア)のとおり、宗教団体の名称としての「天理教」を用いる法人ないし団体は、被控訴人と共通の教義の下でこれと一体的な宗教活動を行う法人か、被控訴人又はその関係者から許諾を受けた団体以外には存在しない。控訴人の主張は、このような「天理教」の名称の使用状況を無視するものであり、かかる使用状況にかんがみれば、「天理教」の名称は被控訴人が独占的に使用する権利を有する。 また、「天理」が一般名詞であって、教義と密接不可分のものではないとの控訴人主張を前提とすれば、控訴人にとっても、自らの名称の一部に、被控訴人との誤認混同を生じる「天理」を用いる合理的理由は存在しないというべきである。 b 控訴人は、現実に、被包括関係の廃止後も名称ないし名称の一部が同一であるという宗教法人は多く存在すると主張する。 確かに、仏教系の宗教法人について控訴人主張のような例があることは事実であるが、こと「天理教」の名称に関する限りは、前記(2)ア(ア)のとおり、被控訴人と共通の教義の下でこれと一体的な宗教活動を行う法人か、被控訴人又はその関係者から許諾を受けた団体以外には、「天理教」の名称を冠した団体は一切存在しない。このような特殊な事情にかんがみれば、「天理教」の名称については、被控訴人が独占的に使用する権利を有するのであって、被控訴人との被包括関係を解消した控訴人のような他人が自由に使用しうるものではない。 イ 控訴人の主張(2)について 宗教法人法の規定する「包括する」という文言については、宗教法人法2条1号の宗教団体と共通の教義の下で、かつ、これと一体的な宗教活動を行う教派、宗派、教団、教会、修道会、司教区その他これらに類する団体がある場合に、後者は前者を包括する、前者の団体は後者に包括される、といい、また、前者の団体は後者の団体と被包括関係にあると解されている。こうした被包括関係に係る一般的な理解からすれば、被包括関係の廃止とは、それ自体は、包括法人と被包括法人が共通の教義の下で、かつ、これと一体的な宗教活動を行うという関係を解消する意味しか持たない。被包括関係の廃止に係る宗教法人法の規定は、被包括関係廃止後の被包括法人の名称継続使用について、何らかの権利を付与するものではない。したがって、名称規制とは直接関係のない、宗教法人法26条や被包括関係の廃止自体から、名称継続使用に係る一定の権利の発生を導くことはできないというべきである。 ウ 控訴人の主張(3)について 宗教法人法65条が商業登記法27条を準用していない理由は、宗教法人法が宗教法人の設立・規則変更に所轄庁の認証を要求し、宗教法人の名称について、不正競争防止法や商法に違反したり、他人の人格権を侵害したり、あるいは商業登記法27条に該当する違法なものの出現を未然に防止する仕組みが整えられていること等を背景とするものである。当該法人の名称が各種法令に違反しないことにつき、行政官庁の一定の関与が予定されている法人の場合、むしろ商業登記法27条の準用はされないのが一般的である。したがって、設立及び規則変更に所轄庁の認証が必要な宗教法人について、宗教法人法65条が商業登記法27条を準用していないのは、他の法人法制と比較すればむしろ普通のことであるから、控訴人の主張はその前提において誤りである。 [控訴人の主張] (1) 控訴人が「天理教」の文字を含む名称を使用することは、控訴人の信教の自由の範囲内の行為である。 ア(ア) 控訴人は、宗教法人として、これまで「天理教」の文字を含む「天理教豊文」の名称を使用して活動してきたものであるが、被包括関係を廃止した後においても、「天理教豊文」の名称を引き続き使用して活動することが、宗教活動の継続と法人の宗教団体としての一貫性の確保等のために不可欠のものである。すなわち、「天理教」の文字を含む名称の使用は、基本的には控訴人の信教の自由の範囲内の行為である。 (イ) 上記(ア)の点をさらに敷衍すると以下のとおりである。 控訴人は、大正14年以来一貫して「天理教豊文」の名称のもとで宗教活動を行ってきたのであり、被包括関係の解消にあたって「天理教豊文」を新しい名称として選択したものではない。 天理教の教団内部においては、歴史的に神道派と復元派の対立があったが、現在は、神道派が被控訴人の教義及び運営を掌握している。控訴人は復元派の立場に立つものであり、被控訴人との被包括関係の下ではその信仰を貫徹できないことから、被包括関係の解消に踏み切ったものである。このように、被包括関係の解消は天理教という教団の分裂を意味しており、控訴人は、天理教の本来の信仰を変えるつもりはないのであるから、その名称中に「天理教」の文字を含む「天理教豊文」の名称の使用を継続することは当然の帰結である。 このように、控訴人の「天理教豊文」という名称の使用は、単なる文字看板の選択の問題ではなく、控訴人の信仰そのものと密接に関連しているのであるから、控訴人に対して名称使用の差止等を命じることは、信教の自由の侵害ともなるのである。 (ウ) なお、被控訴人は前記[被控訴人の主張](2)イにおいて、控訴人の名称中の「天理教」の語は天理教本部の管長の許可を得て付けられたものだと主張するが、天理教本部の管長の許可を得たのは、当時の宗教団体に関する法令において、宗教施設の設置について当局の許可を得るためには上部団体の許可が前提とされていたからに過ぎない。 イ 「天理」の語は一般名詞であり、教義と不可分のものではないし、被控訴人が宗教団体ないし宗教法人として確立する前から存在していたものであるから、被控訴人の独占物ではない。被包括関係の廃止後も名称ないし名称の一部が同一である宗教法人は多く存在するのであって、被包括関係を廃止した後に天理教の本来の信仰を守ろうとする控訴人が「天理教」の語を含む名称を使用できないとする理由はない。 (2) 控訴人は、被包括関係の廃止に係る規則変更認証申請を行い、長野県知事は、平成15年4月16日付け15文第21号により、控訴人の規則変更を認証した。変更後の規則第1条は、被包括関係廃止後の控訴人の名称について「この教会は、宗教法人法による宗教法人であって『天理教豊文教会』という。」との定めを置いている。被控訴人は、上記長野県知事の認証につき審査請求をしたが、文部科学大臣は、同年10月1日の宗教法人審議会の答申を受けて、同月8日、審査請求を棄却する旨の決定をした。同決定において、「同一の宗教を奉ずる宗教法人の間で被包括関係の廃止があった場合に、一方の宗教法人がその宗教を表示し又は標榜する名称を含む法人名に改めたとしても、そのことをもって直ちに他の宗教法人の人格権若しくはその営業上の利益を侵害し又は侵害するおそれがあると解することはできない。」と判断されている。 (3) 株式会社や有限会社の商号については、同一の市町村内では同一ないし類似商号の使用禁止という制度があるが(商法19条、商業登記法27条)、宗教法人は商人ではないので、商号についての同法の適用はなく、宗教法人法にも同様の制度は存在しない。宗教法人法65条、非訟事件手続法124条に商業登記法の準用規定があるが、そこでも商業登記法27条は準用されていない。反面、商人以外の法人に商業登記法27条を準用する場合は個別に規定を置いている。例えば、中小企業等協同組合法による組合には同法103条で、信用金庫法による信用金庫には同法85条で、保険業法による相互会社には同法施行令1条で個別規定を置いている。しかし、宗教法人法にはこうした個別規定はない。それは、元来歴史的に宗教団体には名称を同一にしたり類似にしたりしてきた歴史があり、こうした歴史的背景から、宗教法人の名称の採択・決定については、各法人の自由に委ねることの方が、同一又は類似を理由にこれを規制するよりも、信教の自由及び宗教団体組織の自由の原則に沿うとの判断が広く認められているからである。 第4 前提事実 当事者間に争いのない事実、後記括弧内の各証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下のとおりの事実が認められる。 1 当事者 (1) 被控訴人 被控訴人は、肩書地に本部を置く宗教法人法による宗教法人である。被控訴人は、中山みきを教祖とする天理教の教義に基づく宗教活動を行うものであり、「親神天理王命の思召す世界一れつ陽気ぐらしを実現する教義を広め、儀式行事を行い、信者を教化育成し、教会を包括し、その他この宗教団体の目的を達成するための業務及び事業を行うこと」を目的とする(甲1)。 被控訴人が包括する教会は、本部及び一般教会であり、一般教会の呼称は、「天理教○○大教会」又は「天理教○○分教会」であり(甲1、3、9、16)、その擁する教会は、平成15年2月現在で1万6832箇所を超え、諏訪市にも教会を有する。被控訴人は、我が国有数の信仰集団であり、その名称は周知である。 (2) 控訴人 控訴人は、従前「天理教豊文分教会」との名称で、被控訴人に包括される一般教会たる宗教法人であったが、平成13年7月3日付け通知書をもって、被控訴人に対し、被包括関係を廃止する旨の通知を行った(以下これを「本件被包括関係解消」という。)。控訴人は、長野県知事に対し、本件被包括関係解消に係る規則変更認証申請を行い、平成15年4月16日付け15文第21号により、控訴人の規則の変更が認証された。上記規則変更後の控訴人の規則(乙3の2)は、本件被包括関係解消後の控訴人の名称について「この教会は、宗教法人法による宗教法人であって『天理教豊文教会』という。」との定めを置いており(第1条)、控訴人の目的は、「教祖と仰ぐ中山みきの、一れつ陽気づくめ世界を実現するとの立教の本義に基づき、教祖の教えられたみかぐらうた及びおふでさきの教えを広め、儀式行事を行い、信者を教化育成し、並びにこの教会の目的を達成するための業務を行うこと」にある(第4条)。 控訴人は、以後「天理教豊文教会」との名称で、その一部に「天理教」を含む名称を使用している。 2 「天理教」に関する一般的記述等について (1) 一般に市販された百科事典類には、「天理教」の項目について次のとおりの記載がある(いずれも甲9の添付資料)。 ア 平凡社「大百科事典」(1985年発行) a「習合神道系の創唱宗教。1838年(天保9)、………中山みき(1798−1887)が開教した。」 b「開教後、中山家は没落の一途をたどったが、みきは近隣の農民、職人らに安産と病気なおしのたすけを通じて、親神<てんりんおう>の信仰を広めるようになった。幕末、みきは寺院、神社、山伏などの既成宗教から圧迫を受けたが、これに抗して神道化を進め、1867年(慶応3)神道家元の吉田家から<天輪王明神>として公認され、教義をよんだ数え歌<みかぐらうた>をつくった。」 c「87年みきが没し、大工出身の飯降伊蔵(1833−1907)が<本席>となり、神がかりして<おさしづ>を出し、教団を指導した。88年本部は神道本局の所属教会となり、日清・日露戦争では国策に積極的に奉仕して、1908年教派神道の一派として独立を公認された。」 d「独立後の天理教は、第1次大戦中から戦後、昭和初期の2回にわたってめざましい発展をとげ、………。この教勢発展には、真柱の権威を頂点とする大教会、分教会、宣教所の整然たる中央集権組織、………が大きな役割を果たした。」 e「明治20年代以後、教団は公認活動をつうじて政府への奉仕と迎合を強め、本来の信仰に国家神道的教義を、矛盾をはらんだまま結びつけた。」 f「現行の《天理教教典》の原典は、教祖の《おふでさき》《みかぐらうた》、教祖と本席の《おさしづ》などである。」 イ 吉川弘文館「国史大辞典 第9巻」(昭和63年発行) g「天保9年(1838)より明治20年(1887)にかけて大和国の中山みきによって説かれた人類創造神(「親神」「天理王命」と呼称される)の教えに基づいて成立した宗教。」 h「みきはまず中山家の財産をつぎつぎと人々に施し「貧のどん底」状態にまで落ちきるが、………」 i「なお、天理教の分派としては大正2年(1913)大西愛治郎に始まる「ほんみち」がある。」 (2) 高等学校用の日本史の教科書には、天理教について次のとおりの記載がある(いずれも甲9の添付資料)。 ア 明成社「最新日本史」(平成14年4月4日文部科学省検定済) a「やがて、幕末の不安な世相を背景にして、新しい宗教がおこった。………、民間信仰を拠りどころとした中山みき(天理教)………らが独特の信仰生活をもって人々を指導し、教団を組織していった。」 イ 三省堂「日本史A」(平成15年4月2日文部科学省検定済) b「幕末におこった天理教………などの民衆宗教は、社会不安の増大とともに、民衆に広まり、1876年以降、国家神道に従属する形で政府に公認され、教派神道と総称されるようになった。しかし、………や天理教は、政府の政策に妥協しなかったので、明治時代の後半になってから公認された。」 3 被控訴人の来歴 (1) 明治21年に、天理教会所の担任教師である中山新次郎は、東京府知事あての「教会所設置願」を提出して、被控訴人の前身である「神道天理教会所」を設置した。その規約である「神道天理教会規約」の第1条には、「本会ヲ名テ神道天理教会ト稱ス」と定められている。また、同第2条によれば、同教会所は神道本局に「部属」するものとされていた(乙11の1及び2)。 (2) 明治41年に、一派独立請願が認可され、「神道直轄天理教会本部」は「天理教教会本部」に改称された。これに伴い、同年、天理教教規(甲11の1)及びこれに付属する教会規程(甲11の2)が定められた。 (3) 昭和15年4月の宗教団体法の施行に伴い、昭和16年3月31日付の新たな「天理教教規」(甲12)が制定、実施された。「天理教教規」の第1条には、「本教ハ天理教ト稱ス」との定めが置かれている。また、昭和21年4月には、これに代わるものとして、「天理教教規及規程」が制定された。 (4) 昭和26年の宗教法人法の施行に伴い、被控訴人が同法に基づく宗教法人として設立された。 4 控訴人の来歴 (1) 明治27年頃、川上沓次郎(以下「川上」という。)は、中山みきに関する話を聞いてその教えに入信し、以来布教を重ねた(乙24)。 (2) 大正14年4月、川上を設立者兼担任教師として天理教豊文宣教所が設置されることとなり、川上らは設置願を長野県知事に提出するとともに、当時の教会規程(甲11の2)に基づいて天理教管長にも設置願を提出し、天理教管長は設置に同意する旨の意見を長野県知事に具申した(乙5の1)。天理教豊文宣教所の「豊文」は、所在地の地名であった「長野県諏訪郡豊田村文出」に由来するものである(乙24)。 これを受けて、長野県知事は大正14年6月7日に、天理教豊文宣教所の設置を許可した(乙5の2)。 なお、当時適用されていた天理教の教会規程(甲11の2)は、教会の設置について次のとおり定めていた。 「第16条 新ニ教會ヲ設置セントスルモノハ願書ニ維持費ノ概算支辧ノ方法及永續基本財産ノ有無ヲ詳記シタル書面並ニ信徒ノ名簿ヲ副ヘ管長ニ差出シ許可ヲ得テ行政官廰ニ出願スルモノトス」 (3) 大正15年3月17日に川上が死亡すると、後任の担任教師として、控訴人の現在の代表役員の祖父であるAが就任することとなり、その就任につき、上記(2)と同様、天理教管長及び長野県知事の同意及び許可を得た(乙6の1及び2、乙24)。 (4) 昭和28年7月10日に、被控訴人と控訴人は宗教法人法に基づく被包括関係を結び、同月17日、控訴人が宗教法人として設立された(乙24)。 (5) 昭和47年11月26日、控訴人の現在の代表役員B(以下「B」という。)が就任した。Bは、地区の教会職を務め、信徒の拡大に努めた。平成13年7月現在、控訴人は、ようぼく35人、別席運び中であった者29人を擁していた(乙24)。 5 本件被包括関係解消の経緯及びその後の控訴人の活動の実態(乙24) (1) 本件被包括関係解消に至った経緯及び理由として控訴人が主張するところは、次のとおりである。 ア Bは、昭和45年に訴外Cと知り合い、同人との交流を経て、被控訴人の定める天理教教規は、教祖である中山みきの教えとは異なったものであると確信するに至った。そこで、礼拝所の施設や儀式の方法についても天理教教規の定めに従わなかったところ、これを天理教教規に沿って改めるようにとの被控訴人の指示を受けた。Bは、これに反発し、自らの信ずるところに沿って礼拝及び儀式等を行うため、本件被包括関係解消に踏み切った。 イ 控訴人が被控訴人との間で宗教法人法に基づく被包括関係を結んだ昭和28年当時、被控訴人の内部には、中山みきの教えに復元するという考え方が一方にあり、控訴人が被包括関係を結ぶにあたっても、かかる考え方に即した天理教教規の改訂などが行われるという期待を有していた。しかるに、その実現の目処が立たない現状にあることから、控訴人は、被包括関係を維持する理由がないと判断するに至った。 (2) 本件被包括関係解消後も、控訴人は、月次祭等の年中行事、毎日朝夕の勤行、月2回の信徒宅廻り等の宗教活動を継続的に行っている。 控訴人は、その規則に定めた目的のとおり、中山みきの教えを記した「みかぐらうた」及び「おふでさき」を教義としている。 (3) 控訴人が「天理教」を含む名称を用いる理由として主張するところは、次のとおりである。 ア 「天理教豊文」の名称は、大正14年以来、自己の名称として使用してきたものであり、自己の同一性を表わすうえでも不可欠となっている。 イ 中山みきが天理教教祖である限り、中山みきと天理教とは不可分の関係にある。したがって、中山みきを教祖として仰ぎ、中山みきの教えである「みかぐらうた」及び「おふでさき」を教義とする限りは、その信徒が天理教を名乗るのは当然であり、これ以外の名称を使用することは考えられない。 第5 争点に関する当裁判所の判断 1 争点(1)(法律上の争訟性)について (1) 裁判所法3条1項にいう「法律上の争訟」とは、当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって、かつ、それが法令の適用により終局的に解決することができるものを指す(最高裁昭和39年(行ツ)第61号 昭和41年2月8日第三小法廷判決・民集20巻2号196頁)。 本件についてこれをみるに、本件請求は、被控訴人が控訴人の「天理教豊文教会」なる名称の使用差止め等を求めるものであり、その訴訟物は、被控訴人の控訴人に対する不正競争防止法又は宗教法人の人格権に基づく差止め等の請求権の存否であるから、具体的権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であるといえる。 もっとも、訴訟が具体的な法律関係に関する紛争の形式をとっており、信仰の対象の価値ないし宗教上の教義に関する判断は請求の当否を決するについての前提問題にとどまるものとされていても、それが訴訟の帰すうを左右する必要不可欠のものであり、紛争の核心となっている場合には、法律上の争訟に当たらないと解されるが(最高裁昭和51年(オ)第749号 昭和56年4月7日第3小法廷判決・民集35巻3号443頁参照)、本件請求の内容及び被控訴人がその理由として主張するところからすれば、本件においては、控訴人の名称が被控訴人の名称と同一又は類似であって、その使用が不正競争防止法上の不正競争行為ないし被控訴人の人格権に由来する氏名権を違法に侵害する行為に当たるか否かが争点となるものであり、したがって、争点について判断をするにあたって、天理教という宗教の教義に立ち入って判断をする必要は認められない。 したがって、本件の紛争については法令の適用により終局的に解決することができるというべきであり、本件訴えは「法律上の争訟」に当たるというべきである。控訴人の本案前の主張は、採用できない。 (2) 控訴人は、本件訴えは、宗教的な性質を有する事項について裁判所の判断を求めるものであると主張するが、本件請求の趣旨、内容を正解しないものであり、採用できない。 2 争点(2)(不正競争防止法に基づく請求の成否)について (1) 不正競争防止法は、事業者間の公正な競争及びこれに関する国際約束の的確な実施を確保するため、不正競争の防止等に関する措置等を講じ、もって国民経済の健全な発展に寄与することを目的とするものである(同法1条)。 かかる同法の目的に照らせば、同法1条の「事業」又は同法2条1項1号、2号、同法3条にいう「営業」とは、単に営利を直接の目的として行われる事業に限らず、事業者間の公正な取引秩序を形成し、その公正な競争を確保する必要が認められる事業を含むというべきであり、したがって、役務又は商品を提供してこれと対価関係に立つ給付を受け、これらを収入源とする経済収支上の計算に基づいて行われる非営利事業もこれに含まれると解される。 しかしながら、宗教法人の本来の業務である宗教活動は、教義を広め、儀式行事を行い、信者を教化育成することを内容とするものであり、収益を上げることを目的とするものではなく、信者の提供する金品も、寄付の性格を有するものであって、宗教活動と対価関係に立つ給付として支払われるものではない。このように宗教活動は、これと対価関係に立つ給付を信者等から受け、それらを収入源とする経済収支上の計算に基づいて行われる活動ではない。また、不正競争防止法は、営業(事業活動)の自由が保障される市場経済の下で事業者間に行われる競争を公正の理念に基づいて規制することを目的とするものであるところ、宗教活動について競争を観念することができても、それは、当該宗教法人の布教を通じての信者の拡大や教義の宗教的・哲学的な深化の程度といった市場経済と関わりのない分野においてであって、市場経済の下における顧客獲得上の競争ないしこれに類する競争ではなく、不正競争防止法が公正の理念に基づいて規制しようとする競争には当たらないというほかない。 したがって、宗教法人の宗教活動は、上記の各規定にいう「事業」又は「営業」には該当しないというべきである。 (2) 被控訴人の主張について 被控訴人は、本件に不正競争防止法の適用がある旨るる主張するが、以下のとおりいずれも採用できない。 ア 被控訴人は、宗教法人の宗教活動についても、他の宗教法人との競争を観念することができ、かかる競争についても公正な競争を確保する必要がある旨主張する。 しかしながら、宗教法人の宗教活動について市場経済の下における顧客獲得上の競争ないしこれに類する競争を観念することはできず、仮に宗教活動について競争を観念することができても、それは市場経済の下における顧客獲得上の競争等とは著しく性格を異にするものであり、不正競争防止法が規制の対象としているものに当たらないことは、前記(1)に説示したとおりである。 イ 被控訴人は、宗教法人には永続性が求められ、宗教法人に対し収支報告書や財産目録の作成が義務付けられていることからしても、宗教法人の業務は収支計算の上に立って行われるものであると主張する。 しかしながら、宗教法人法が宗教法人に財産目録、収支報告書の作成、備え付けを義務づけ、信者及び利害関係人の求めに応じこれを閲覧させなければならない旨規定している(25条)のは、宗教法人の信者やこれと取引をする者等が当該宗教法人の資産状況を知ることができるようにし、これにより信者において当該宗教法人の財産管理、会計が適正に行われているかどうかを監視し、あるいは取引をする者等において取引の便宜及び安全を図ることができるようにしたものに過ぎない。しかして、宗教法人も、社会的に独立した存在として、本来の業務である宗教活動を行うものであり、その活動に必要な財産を管理し、その活動に伴う収支計算を行うことは被控訴人の主張するとおりであるが、宗教法人の活動が不正競争防止法の「営業」に該当するといえるためには、それが、市場経済の下で役務等を提供し、その対価ないしこれと対価関係に立つ給付を受けるという性質を有することが必要であるところ、宗教法人の宗教活動がそのような性質を有する活動といえないことは既に説示したとおりである。 被控訴人のこの点の主張は採用できない。 ウ 被控訴人は、現在は、控訴人が公益事業その他の事業を行っていないとしても、規則の変更により容易に事業を行うことが可能であり、その場合には事業上の競争が生じることになると主張する。 確かに、宗教団体も教育施設・福祉施設の経営、霊園・墓地の分譲、儀式・礼拝の用品の販売、書物の出版等の活動を行うことがあり、かかる公益活動等の事業は、役務等を提供してこれと対価関係に立つ給付を受け、それらを収入源とする経済収支上の計算に基づいて行われる非営利事業に該当することは明らかであるから、このような事業活動の分野において、他の宗教団体が同一又は類似の名称を使用するときは法的な不利益を被ることがあり、不正競争防止法による規制を行うべき場合がありうるといえる。しかしながら、そのことは、上記事業の分野に限定して不正競争防止法を適用し、当該事業分野に関し被控訴人が控訴人の名称を使用することを差し止める法的根拠とはなり得ても、宗教活動の分野をも含めて控訴人の名称の使用を差し止めること等の法的根拠とはなり得ないというべきである。のみならず、本件全証拠によるも、被控訴人は現時点においてそのような事業を行っているとは認められないし、また近い将来において事業を行う蓋然性が高いとも認められない。 被控訴人のこの点の主張も採用できない。 エ 被控訴人は、宗教団体の名称につき不正競争防止法の適用がないとすると、これを規制する法律がないという法の欠缺を認めることになり不当であるとも主張する。 しかし、不正競争防止法の適用がないとしても、後記3において検討するとおり、人格権に由来する名称権に基づく保護の可能性はある。しかして、宗教法人法は、宗教法人の名称に関して、これを直接規制する規定を設けていないばかりか、商法、商業登記法の規定を準用する規定を設けていないのであって、このことからすれば、宗教法人法は、宗教法人の名称の使用が他の宗教法人等の人格権を侵害するなど一般の社会通念に照らし許されないという場合は格別、それ以外は、宗教法人がその名称を自由に定めることができるとしているものと解するのが相当であって、その名称を規制する法律がないからといって、法の欠缺があるということはできない。 3 争点(3)(名称権に基づく請求)について (1) 被控訴人の名称権に基づく差止請求権 自然人の氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、同時に、その個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であって、人格権の一内容を構成するものというべきであるから(最高裁昭和63年2月16日第3小法廷判決・民集42巻2号27頁)、他人によりその氏名を違法に無断使用された者は、人格権である氏名権に基づき、その侵害行為の差止を求めることができると解すべきである(最高裁昭和61年6月11日大法廷判決・民集40巻4号872頁参照)。 宗教法人の名称も、社会的にみれば、当該法人を他から識別し特定する機能を有し、同時に、当該法人が宗教法人として尊重される基礎であり、その宗教法人の人格的なものの象徴であって、法人について認めることができる個人的人格権の一つとして、自然人の氏名権に準ずるものとしてこれを保護すべきである。したがって、他人が同一又は類似の名称を無断で利用して、当該宗教法人の人格的利益を違法に侵害するものと認められるときは、人格権である自然人の氏名権に準じて、その侵害行為の差止めを求めることができると解するべきである。 (2) 控訴人の名称決定の自由と制約 他方において、以下に説示するとおり、控訴人にはその名称を決定する自由が認められていると解されるから、控訴人の名称の使用が被控訴人の名称権を違法に侵害するものといえるためには、それが宗教団体の名称決定の自由の範囲を超えていると認められる場合に限られるものというべきである。 ア 団体が自己の名称をいかなるものに決定するかは、法律にこれを規制する定めがない限り、基本的には当該団体の自由に属する事柄である。 もっとも、名称の決定が自由であるとはいっても、不特定かつ多数の一般人を相手方として社会的諸活動を行う団体においては、団体の名称は、社会的に当該団体を他から識別する機能を有するとともに、その名称の下に行われる当該団体の社会的諸活動の活動の目的及び成果を象徴的に表象する機能をも有するものであり、かかる機能を損なうような誤認・混同を生じる同一又は類似の名称を使用することは、社会生活上無視し得ない混乱を招来しかねないから、そのような団体の名称決定の自由には、法的に見ても自ずから一定の制約があるというべきである。 しかして、市場経済の下での利潤追求を目的とする私的経済活動の分野においては、他人が努力して獲得した名声をそのまま冒用するなどの不正競争が行われたり、他人と同一又は類似の名称の使用により消費者の利益が損なわれりするおそれが高いことなどから、不正競争防止法等により他の団体が使用する名称と同一又は類似の名称を使用することについて法律上種々の制約が定められているが、団体の名称決定についてこのような法律上の規制がない場合においては、その制約の内容は、団体の行う社会的諸活動の性質を考慮し、社会通念に照らしてこれを判断しなければならない。 イ 宗教団体も、不特定かつ多数の一般人を相手方として宗教活動を行うものであるから、前記アで説示したところがそのまま当てはまるというべきところ、宗教法人法は、宗教団体が宗教法人を設立するに当たっては、規則を作成して所轄の行政庁の認証を受け、また規則の変更についてもその認証を受けなければならないとし、その規則には当該法人の名称を定めなければならない規定している(12条)が、宗教法人の本来の業務である宗教活動が不正競争防止法の適用を受けないことは前記2に説示したとおりであるし、それ以外にも宗教団体の名称の使用を規制する法律の定めは見当たらないから、宗教団体の名称決定の自由にいかなる制約があるかは、宗教団体の行う本来的活動である宗教活動の性質を考慮し、社会通念に照らしてこれを判断すべきである。 そこで検討するに、宗教の分野では、その性質上、一つの宗教から複数の宗派が生じてくる傾向が顕著であるところ、宗教団体の名称は、その宗教の教義上の立場・主張と密接な関連性を有し、これを象徴的に表象する役割を担っていることも少なくないため、先行の宗教団体の名称権の保護を理由に、後行の宗教団体の名称決定の自由を制約し、あるいは複数の宗教団体を包括する宗教団体の名称権の保護を理由に、この宗教団体との被包括関係を解消した宗教団体の名称決定の自由を制約することは、後者の宗教活動に対する不当な制限を伴いかねないのであって、このような事態は回避されなければならない。 他方、他の宗教団体と同一又は類似の名称を採択使用することに何らの制約もないとすると、宗教活動の相手方になった一般人の間に、自己がいかなる宗教団体から宗教活動を受けているのかについて誤認混同を生じることがあるし、また、宗教団体同士の間においても、宗教上の教義の異なった他の宗教団体の行為が自己の行為と誤解されることがあり、社会的にも無視できない混乱が生ずる可能性は否定できない。そして、この観点からすると、他の宗教団体の名称と同一又は類似の名称の使用はできる限り避けられるべきものと考えられる。 宗教法人の名称決定の自由については、これを規制する法律が存在せず、その意味で広範な自由が保障されていることを前提に、上記の二つの側面の調整という見地に立って制約の範囲を考えるべきであり、この見地からすれば、後行の宗教団体等による先行の宗教団体等と同一又は類似の名称の採択使用が先行団体等の社会的活動の成果を不当に利用しようとするなど不正の目的による場合、後行団体等の設立の経緯及び宗教活動の実態等に照らし先行団体等と同一又は類似の名称を採択使用することに相当な事由がない場合、あるいは、上記名称の採択使用に相当な事由があっても、同一又は類似の名称の使用が先行団体等との識別を不可能又は著しく困難とする事態をもたらす場合、などには、上記名称決定の自由は制約を免れないというべきであるが、それ以外は、宗教団体の名称決定は基本的に自由であり、後行の宗教団体等において先行の宗教団体等と同一又は類似の名称を採択することも制約されないと解するのが相当である。 (3) 控訴人の「天理教豊文教会」の名称の使用の適法性について 前記(2)に検討したところからすれば、控訴人の名称の使用が、前記(2)で判断した宗教団体の名称決定の自由の範囲を超えていると認められる場合には、その名称の使用は違法となるものというべきである。そこで、以下、控訴人の「天理教豊文教会」の名称の使用がその自由の範囲を超えているかどうかについて検討する。 ア 控訴人が「天理教豊文教会」の名称を使用することが不正な目的によるものか否かについて 被控訴人は、控訴人は「天理教」をその名称に冠することによって、被控訴人の長年にわたる社会的活動の成果を不当に利用しようとしていると主張するが、具体的にどのような事実を指しているのか必ずしも明確でないし、証拠に裏付けられた主張でもないから、採用することができない。 かえって、前記第4の4に認定したとおり、控訴人自身も、豊文宣教所の設置から数えても約80年、川上沓次郎の入信から数えれば100年以上にわたる社会的活動を「天理教豊文」の名の下に行っているのであるから、その社会的活動の対象となってきた区域(長野県諏訪市)及び現在の信者に対する限りにおいては、「天理教豊文」の名を用いることは、控訴人自身の社会的活動の成果を背景として宗教活動を行っていることにほかならない。そして、控訴人がこれらの区域外において、あるいはこれら以外の信者に対して積極的な布教活動を展開していることをうかがわせる特段の証拠もないのであるから、控訴人が、「天理教」の名のもとに被控訴人の社会的活動の成果を利用しようとしていると認めることはできない。 他にも、控訴人が不正な目的をもって「天理教豊文教会」の名称を採択使用しているものと認めるに足りる証拠は存在しない。 イ 控訴人が「天理教」をその名称に冠することの相当性について (ア) 前記第4の3及び4のとおり、明治21年ころ被控訴人の前身である「神道天理教会」が設置されたが、川上沓次郎は、明治27年ころ中山みきの教えに入信し、布教活動を行っていた。そして、川上は、当時の法制に基づき、大正14年の豊文宣教所の設置に当たり、明治41年制定の教会規程により、天理教本部の許可を受けて「天理教」の名称をこれに冠し、「天理教豊文宣教所」を設置し、以来、「天理教豊文」という名称を使用して、宗教活動を行ってきたこと、控訴人は、昭和28年、被控訴人と被包括関係を結び、宗教法人として設立された宗教団体であり、天理教豊文宣教所の後身として当該宗教団体を承継したものであり、被控訴人との被包括関係を廃止し、今日に至っていることが認められる。 このように、控訴人は、本件被包括関係解消にあたって新たに「天理教豊文」という名称を選択したものではなく、その前身である天理教豊文宣教所の設立から数えても、約80年にわたって「天理教豊文」という名称を使用して、宗教的活動を行ってきたものである。そして、このような経過及び弁論の全趣旨によれば、「天理教豊文」の名称は、本件被包括関係解消当時、控訴人を表示する標章としてその所在地を中心とする周辺地域その他において一定の周知性を獲得していたものと認めることができる。 一方、前記第4の2に摘示した百科事典及び高校教科書の記載並びに弁論の全趣旨によれば、控訴人が名称として採択した「天理教豊文教会」のうち、「天理教」の語は、被控訴人の信者の間において、及び被控訴人と被包括関係にある宗教団体の所在地の周辺地域においては、被控訴人を表示する標章として知られていると認められるが、社会一般においては、むしろ、中山みきが創始した宗教を意味するものとして認識されているものと認められる。 上記のとおり、控訴人の名称は、「天理教豊文」の名称の歴史的由来と周知性を踏まえたものであり、また、控訴人が本件被包括関係解消後も中山みきを教祖として仰ぎ、中山みきの教えを記したものとされる「おふでさき」及び「みかぐらうた」を基本的な教典として位置付けていること、及びこれに則った宗教活動を現に行っていることは、前記第4の5のとおりであるところ、弁論の全趣旨によれば、控訴人がその名称に「天理教」の語を冠したのは、その語について社会一般の認識する意味合いに照らし、自らの信仰する宗教を表すものとして相応しいとの判断に基づくものと認められる。 したがって、控訴人が「天理教豊文教会」の名称を使用することには相当な事由があるというべきである。 (イ) この点につき、被控訴人は、被控訴人が定めた天理教教規に依拠して教義を広めるもののみが「天理教」であり、「天理教○○大教会」「天理教○○分教会」を称する被控訴人の被包括法人である一般教会もすべてこの前提の下に被控訴人の本部の許可を得ているのであり、被控訴人と同一の教義の下で被控訴人と一体となった宗教活動を行う団体以外に「天理教」の名称が用いられた例はないから、控訴人が天理教教規を否定し、本件被包括関係解消に伴い当然に上記許可も失効した以上、控訴人が「天理教」を名乗ることに正当な理由はないと主張する。 被控訴人の上記主張は、「天理教」の名称の使用について、被控訴人がいわば独占的地位を有しているという趣旨のものであると理解される。しかしながら、このような主張は、前記(ア)のとおり、「天理教」という名称が中山みきの創始した宗教を意味するものとして社会一般に認識されていることに照らしても、採用することはできない。そもそも、宗教法人の名称の使用について、特定の宗教法人に独占的地位を付与する法律の定めはないのであるから、過去において控訴人が被控訴人の許可を得て「天理教」を冠した名称を使用していたという経緯があったとしても、それは控訴人が被控訴人と被包括関係にあったことに起因するものであり、また、過去に被控訴人との被包括関係を廃止して離脱した宗教法人で「天理教」の名称を利用した法人がないという事実があるとしも、それは、当該宗教法人が特定の名称を採択することについて独自にその是非、利害得失を考慮して「天理教」を冠しない名称を採択した結果であるとみるほかはない。被控訴人との被包括関係を廃止した以上、控訴人は被控訴人内部の規律に拘束されることなく、宗教法人の名称決定についての自由の範囲を逸脱しない限り、自由に自らの名称を決定することができるのであり、このことは既に説示したところから明らかというべきである。 なお、被控訴人の上記主張が、一般社会が認識する広い意味の天理教のうち、被控訴人が「天理教教規」において定めるものだけが「正しい」天理教であって「天理教」の名称を用いることができるというものであるとすれば、それは、人格権に基づく本件請求において、天理教の教義に関する正統・異端の判断を求めるに等しいことになるが、そのような事項が裁判所の判断事項でないことはもとよりであるし、被控訴人自身、教義の中身に関する判断は求めないことを明言しているところである。 ウ 控訴人が「天理教」を含む名称を使用することにより控訴人と被控訴人の宗教活動を識別することが不可能ないし著しく困難となるか否かについて 弁論の全趣旨によれば、控訴人の名称である「天理教豊文教会」のうち「天理教」の部分は、被控訴人の通称でもあり、被控訴人の正式名称と同程度に全国的に一定の周知性を獲得しており、また、被控訴人の宗教規則34条(甲1)、一般教会規程(甲3)によれば、被控訴人に包括される一般教会には「天理教○○大教会」、「天理教○○分教会」との名称が付けられていると認められるから、「天理教豊文教会」の名称は、「天理教」の語と「豊文教会」(前記第4の3のとおり、豊文地区に所在する教会であることを意味する。)の語を結合したものとして、宗教活動の対象となる一般人に対し被控訴人の被包括団体であるとの印象を与えるもであり、一般人が、控訴人と被控訴人の各宗教活動を識別することは必ずしも容易ではないといわざるを得ない。 しかしながら、前記第4の5のとおり、本件被包括関係解消にあたり、控訴人はその信者に対して、被控訴人が中山みきの教えを歪めているから中山みきの教えに復元するために本件被包括関係解消という道を選んだことを明確に表明しているところであり、これら信者の間には、本件被包括関係解消後の控訴人が被控訴人と一体的な宗教活動を行っているという誤認混同を生ずるおそれは認められない。 また、そもそも、人が宗教に入信するにあたっては、宗教団体の名称のみで判断するわけではなく、その現実の教義及び社会的活動に対する理解と共感が基礎となるものであるところ、本件被包括関係解消の経緯にかんがみれば、信者以外の一般人に対する布教活動においても控訴人は被控訴人と教義を異にすることを明確にしたうえで布教活動を行うものと推認されるから、控訴人が「天理教豊文教会」の名称を使用することにより、一般人において控訴人と被控訴人の識別が不可能又は著しく困難となる事態は生じないと考えられる。 (4) 以上によれば、控訴人の名称の採択使用は宗教団体の名称決定の自由の範囲を超えた違法なものとは認められず、したがって、控訴人の名称の使用が被控訴人の名称権を違法に侵害するということはできない。 被控訴人は、「天理教」の名称が被控訴人固有のものであり(被控訴人を表示する標章として社会一般に認識されている。)、その名称の使用について独占的地位を有し、あるいはその名称権は強い法的保護に値するものであるとの前提に立って、控訴人による「天理教」を冠した名称の使用が被控訴人の名称権を侵害する旨主張するが、「天理教」の語は、一般社会においては、被控訴人を表示する標章としてよりは、中山みきの創始した宗教を意味するものとして認識されていることは既に説示したとおりであり、被控訴人のこの点についての主張はその前提を誤るものであり、採用できない。 第6 結論 以上の次第で、不正競争防止法違反ないし人格権の侵害を理由として控訴人の名称の使用の差止め等を求める被控訴人の請求は、いずれも理由がなく、棄却すべきものである。 よって、これと異なる原判決を取り消したうえ、被控訴人の請求をいずれも棄却することとして、主文のとおり判決する。 東京高等裁判所知的財産第1部 裁判長裁判官 青柳馨 裁判官 清水節 裁判官 上田卓哉 |
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