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【事件名】商標“自由学園”侵害事件(2) 【年月日】平成16年8月31日 東京高裁 平成16年(行ケ)第168号 審決取消請求事件 (口頭弁論終結日 平成16年7月13日) 判決 原告 学校法人自由学園 同訴訟代理人弁護士 熊倉禎男 同 富岡英次 同 竹内麻子 同 外村玲子 同訴訟代理人弁理士 加藤ちあき 被告 学校法人神戸創志学園 同訴訟代理人弁理士 角田嘉宏 同 西谷俊男 同 古川安航 同訴訟復代理人弁理士 三上真毅 主文 1 原告の請求を棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。 事実及び理由 第1 当事者の求めた裁判 1 原告 (1) 特許庁が無効2003−35230号事件について平成16年3月15日にした審決を取り消す。 (2) 訴訟費用は被告の負担とする。 2 被告 主文と同旨 第2 当事者間に争いがない事実 1 特許庁における手続の経緯 (1) 被告は、「国際自由学園」の文字を横書きしてなり、商標法施行令(以下「法施行令」という。)1条別表第41類の「技芸・スポーツ又は知識の教授、研究用教材に関する情報の提供及びその仲介、セミナーの企画・運営又は開催」を指定役務(以下「本件指定役務」という。)とする登録第4153893号商標(平成8年4月26日登録出願。平成10年6月5日設定登録。以下「本件商標」という。)の商標権者である。 (2) 原告は、平成15年6月2日、被告を被請求人として、本件商標の登録を無効とすることを求めて特許庁に審判を請求した。特許庁は、同請求を無効2003−35230号事件として審理を行った上、平成16年3月15日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決(以下「本件審決」という。)をし、その謄本は、同月25日に原告に到達した。 2 本件審決の理由の要旨 (1) 本件商標と原告がその役務の提供について使用する商標の類否について 本件商標は、「国際自由学園」の文字よりなるところ、該文字は、同じ書体、同じ大きさで一体的に表されていて、6文字という文字数あるいはこれより生ずる「コクサイジユウガクエン」の称呼も、全体をもって学校の名称ないしはその略称を表したものとみて何ら不自然なものではない。 そして、「国際」及び「自由」の両語は日常的に使用される一般的な語であって、これら両語に学校の名称に使用されることの多い「学園」の語を付した場合、それぞれの語には軽重の差異は見いだせないものである。しかも、かかる構成においては「国際」の文字が本件指定役務の提供場所、質(内容)を表したものとして直ちに理解し得るものともいい難いところであるから、構成全体をもって一体不可分のものと認識し把握されると見るのが自然である。 してみれば、本件商標は、全体の構成文字に相応して「コクサイジユウガクエン」の称呼のみを生じ、「国際自由学園」の全体をもって学校の名称ないしはその略称を表したものと認識されるものといわざるを得ない。 これに対し、原告がその役務の提供について使用する商標は「自由学園」の文字よりなるものであり(以下、この商標を「原告商標」という。)、該構成文字に相応して「ジユウガクエン」の称呼を生じ、「自由学園」という学校の名称ないしその略称を表したものと認識されるものというべきである。 そうとすれば、本件商標より生ずる「コクサイジユウガクエン」の称呼と原告商標より生ずる「ジユウガクエン」の称呼とは、構成音数の相違、各音の音質の差異により明確に聴別し得るものであり、かつ、それぞれより生ずる「国際自由学園」と「自由学園」の観念においても相紛れるおそれのないものといわなければならない。 したがって、本件商標と原告商標である「自由学園」とは、外観においてはもとより、称呼上においても、観念上においても、類似するものではないといわなければならない。 (2) 出所の混同等の有無について 原告は、大正10年に東京目白に女子のための中等教育を行う学校として創立され、昭和2年に初等科を設立し、昭和9年に東京都東久留米市に移転した。その後、昭和10年に男子部を、昭和14年に幼児生活団を創設し、昭和24年に男子最高学部を、翌25年に女子最高学部を開設するなど、80年以上の歴史を有する学校であることが認められる。 しかしながら、本件商標は、前述のとおり一体不可分の構成よりなるものであり、原告商標に類似するものではない。しかも、原告商標を構成する「自由」及び「学園」の両文字は、原告の述べるように学園設立当初においては学校の名称に用いられる文字として極めて新しい印象を与えるものであったとしても、現今においては、共に広く一般に親しまれている一般的な語であることを併せ考えると、原告商標が一定の著名性を有するものであることを勘案しても、本件商標を本件指定役務に使用した場合、これに接する取引者、需要者が、これより、直ちに原告商標を連想、想起し、該役務を原告又は原告と何らかの関係を有する者の業務に係る役務であるかのように、その役務の出所について混同するおそれがあるものとは認められない。 また、本件商標を本件指定役務に使用した場合、これに接する取引者、需要者が、構成中の「自由学園」の文字に着目し、これより原告の著名な略称を含むものと認識するとは認めることができない。 以上からすると、本件商標は、原告商標と類似するものでないばかりでなく、不正に利益を得る目的、他人に損害を加える目的など、不正の目的をもって使用するものでないことも明らかである。 (3) 結論 したがって、本件商標の登録は、商標法(以下「法」という。)4条1項8号、同項10号、同項15号及び同項19号のいずれにも違反するものではない。 第3 当事者の主張 (原告主張の取消事由) 次に述べるとおり、本件商標が法4条1項8号、同項10号、同項15号及び同項19号に違反して登録されたものではないとした本件審決の認定判断は誤りであり、本件審決は取り消されるべきである。 1 原告商標である「自由学園」の周知性について (1) 原告は、大正時代の日本を代表する先駆的な女性思想家であるAとその夫Bにより、大正10年、東京目白(現在の豊島区西池袋)に、A主宰の「婦人之友」(明治36年創刊)で自分たちが主張してきたキリスト教精神に基づく理想の教育を女子のための中等教育を通じて実現するため、当時の女学校令によらない「各種学校」として設立された。昭和2年からは現在の東京都東久留米市に移転し、昭和3年に初等部を開設した。その後、昭和10年に男子部、昭和14年に幼児生活団(幼稚園)を設置し、昭和24年に男子最高学部(大学)、翌25年には女子最高学部(短期大学)を開設するなど、4歳児から22歳までの青年男女を育てる一貫教育校となって現在に至っており、80年以上の歴史を有する学校である(なお、当初は、文部省令によらない各種学校であった女子、男子の中等科、高等科は、戦後の学制改革の際に文部省の許可を受けて新制中学、高等学校となったが、最高学部は今日においても文部科学省の省令によらない各種学校のままである。)。そして、原告商標は、原告により、大正10年から80年以上の永きにわたり、「教育(知識の教授)」及び「教育」に関連するサービスについて使用されてきた。 原告が実践する、キリスト教精神に基づき、「思想しつつ生活しつつ祈りつつ」を標語として自治と労働を基調とする教育の独自性は、社会的に大きな反響を呼び、高い評価を得、それ故に、原告商標は、教育関係の書籍にはもちろんのこと、日本を代表する一般的な辞書、百科事典に掲載され、また、週刊誌、受験情報誌、テレビ放送等のマスコミ媒体において、数多く取り上げられてきており、加えて、原告自身も新聞等に「自由学園」の生徒募集を定期的に行ってきており、これらのことがあいまって、原告商標は、本件商標の出願時はもとより、そのはるか以前から、本件指定役務が最も関連性を有する「教育」の分野において、高度かつ独自の周知性を獲得し、現在に至っているものである。 (2) のみならず、原告商標は、大正時代の日本を代表する先駆的な女性思想家「A」の自由教育思想、キリスト教精神、夫・Bの協力、A主宰の雑誌「婦人之友」、そして同雑誌の読者を幹として全国的に組織されている「友の会」の会員の粘り強い活動とが互いに強く結びついて、独特の印象を備えたものとして、日本社会に深く根づいており、その意味でも、高度の周知性を有するといえる。 すなわち、@Aが大正時代を代表する著名な女性思想家であることは、各事典類の記載や発刊された著作集全21巻を引くまでもなく、争いの余地のないことと考えるが、自由学園はその思想の実践として創設されたものであり、原告の創設者、その思想を体現した校風と学校の名称は、強い結びつきを有するものであり、教育関係者のみならず、多くの国民にとっても、「A」といえば「自由学園」を、「自由学園」といえば「A」を想起するものとなっているはずである。Aまた、原告商標は、Aが創刊し、現在までに100年を超えて発刊され続け、その内容も水準の高い、日本の婦人雑誌としては異色の「婦人之友」という雑誌と、当時から現在まで密接不可分の関係を有していたため、現在に至るまで、その独特の印象を失うことなく、周知性を保ち続けているものである。「婦人之友」の誌上には、創刊当初から現在にいたるまで、「自由学園」についてのページが用意されている。昭和7年10月号から昭和30年11月号までは、Bが筆をとった「雑司ヶ谷短信」、昭和33年6月号から昭和59年6月号までは、AB夫妻の3女で2代目学園長でもあったCによる「南沢だより」、そして、昭和59年11月号から現在までは、歴代の学園長や教職員による「学園昨日今日」である。この「婦人之友」の主な販売形態は、通常の婦人雑誌と異なり、返品がない完全受注販売方式である。つまり、10〜12万部という膨大な数の冊子が毎月販売されるが、そのほとんどすべてが国内外の読者の手に届いているということになる。Bさらに、特筆されなければならないことは、「自由学園」は、「友の会」の地道でかつ幅広い全国的な活動により、揺らぐことのない根強い周知性を維持してきていることである。「友の会」は、大正から昭和にかけて各地に生まれていた「婦人之友読者組合」が、A著作集の刊行を機縁に、昭和5年に「全国友の会」として発足したものである。「友の会」は、平成15年調べによれば、日本全国に192、海外に10箇所の会を持ち、会員数は、2万3500人である。この「友の会」には、全国各地に263の母親グループが存在する。これらは「乳幼児グループ」と呼ばれ、0歳から4歳までの乳幼児を持つ母親たちの集まりである。この「乳幼児グループ」の子どもたちは、やがて各地の「幼児生活団」に入り、成長して、東京の「自由学園」へ入学を希望することになる。現在、「友の会」幼児生活団は、北海道・札幌から九州・熊本まで計15団に上り、このほか通信教育のグループも会員数を伸ばしている。各地の乳幼児グループ、幼児生活団のメンバー募集や、自由学園の生徒募集、学校説明会の案内は、「友の会」新聞で行われている。「自由学園」という学校は、東京に1つしかないけれども、その精神や名声は「友の会」を通じて、全国各地や海外に広く知られている。そして、その評価は、阪神・淡路を始め、札幌やネパールなど、遠く離れた土地に暮らす人の胸にも、いつか「自由学園」のような学校に通いたい、我が子を、孫を通わせたいという希望を抱かせている。 「自由」、「学園」という一般的な語は、それぞれ使用される時代や結合する語によって様々に意味合いや印象を変化させてきたものであるが、原告商標は、そのような変化によって影響を受けることのない、確固とした独自の印象を備えた周知性を築きあげているものである。 (3) 原告商標の周知性は、また、原告の特徴的な教育理念、Aの思想と同一思想に基づいて実践されている関連団体の活動によっても強められていった。その代表的なものが「自由学園 工芸研究所」と「自由学園 明日館」である。「自由学園 工芸研究所」は、昭和7年(1932年)秋、「自由学園」女子部8回生が中心となって設立された。「自由学園 工芸研究所」で生み出された「プラネテ(盛夏の布)」と呼ばれるデザインや工芸品、家具、おもちゃなどは、やはり、上記思想と根幹を同じくする製作方針に基き、安全かつ堅牢で、質素かつ単純で、子どもの自由な創造性を育むことができる、その特色ある優れた品質から、今日なお高い名声を得ている。 (4) アメリカの建築家Dが設計した「自由学園」の最初の校舎は、「自由学園 明日館」として国の重要文化財に指定されている。また、ここには、「自由学園 工芸研究所」が存在しており、現在では、有料で一般公開がされ、結婚式やコンサートなどの会場として利用されているほか、地域交流、国際交流、生涯学習の場としても利用されており、そのため、原告商標は、「教育」のみならず、法施行令1条別表第41類の「セミナーの企画・運営又は開催」についても周知性を獲得している。 このような建築物を学校の校舎として採用すること自体、当時としては驚きの目で見られることであり、これが、極めて斬新な教育方針、制度を採用していた「自由学園」の名称の顕著性を高めたことは容易に推測できることである。しかも、現在に至るまで、このような校舎を有する学校が稀有であることから考えても、未だにその独特の印象をもつ周知性を支えているものということができる。 (5) 原告は、前述のような独特の教育を行い続けてきたため、その卒業生は現在までにも1万人に満たないという少数であるにもかかわらず、個性的で実力を有することにより高い社会的評価を得ている卒業生が輩出しており、しかも、卒業生らは、原告に対し愛着を感じ、また、誇りを抱いているため、自己を語る際に原告に触れることが多く、その経歴にも敢えて「自由学園」卒業を記すことが多い。これは、原告商標が、「東大」、「早大」等とは意味が異なるひとつのブランドであることを示している。また、政財界の著名人、知識人、有名人にも「自由学園」とゆかりのある人々が多く、高松宮日記を始め、有名知識人の著作には「自由学園」に関する記述が数多く登場する。 これらの我が国を代表者する知識人、政財界人、文化人の原告に対する愛着心が、原告商標の独特のブランド価値を高め、維持してきたものであることはいうまでもない。 (6) 以上述べてきたように、「自由学園」が、原告の運営する学校名及び原告の略称として、また、原告が提供する役務(知識の教授ほか)についての商標として、本件商標の出願日である平成8年4月26日はもとより、そのはるか以前から、わが国及び一部外国において広く知られていたことは明らかである。 2 本件商標の法4条1項10号及び15号該当性 (1) 本件商標と原告商標の類似性 ア 称呼類似 本件商標の「コクサイジユウガクエン」の称呼は、全体で11音と冗長 で一息で称呼するには長すぎる。したがって、本件商標を需要者、取引者が必ず一体のものとして観念し、「コクサイジユウガクエン」を途中で分断することなく、一連で称呼する理由、必然性は存在せず、需要者等がこれを呼称する場合に、都合により、任意の部分で分断し、その一部を省略し、残部のみを略称として呼称する可能性は十分に存在し、これを否定する理由は存在しない。特に本件商標のような学校名については、その役務の需要者等に学生、児童も多いことから、適宜に略称されることが多いものと考えられる。 ところで、需要者等が本件商標を略称するとき、例えば、他の大学等の略称において見られるように、「青山学院大学(アオヤマガクインダイガク)」であれば「青学(アオガク)」、「横浜国立大学(ヨコハマコクリツダイガク)」であれば「横国(ヨココク)」と略称されることがある。しかし、これらは、古くからある著名な大学であり、いつとも知れず、学生等による愛称が普及した特別な略称と考えることが相当である。これに対し、このような条件を全く有しない本件商標が、「国自(コクジ)」等と略称されるとは考えらず、したがって、「国際」と「自由学園」のいずれかに省略されるほかはない。しかし、「国際」の語のみをもって略称することは、「国際」の語の識別性のないことからあり得ないものであり、結局「自由学園」との部分をもって短く称呼させざるを得ない。 他方、原告商標は、常に「自由学園」として一連で表記され、称呼され、高い周知性を獲得してきたことは、前述したところ及び原告提出の書証に例外なくそのように示されていることからも明らかであり、「ジユウガクエン」が一息で称呼するに困難という事情もない。 また、「自由学園」、「ジユウガクエン」といえば、教育関係者および教育を受ける層を中心とした需要者等において、原告を想起することは既に主張したとおりであり、仮に具体的に想起することがないとしても、「ジユウガクエン」という名称を少なくとも聞き覚えているはずである。その反面として、「国際」、「コクサイ」の語は、これに付加されたものという印象を抱かせることになる。 しかも、本件商標が原告商標の前に付加しているのは、「国際」という識別力が無いか、又は著しく弱い語である。「国際」の語は「教育(=知識の教授)」といった指定役務との関連では、例えば、海外に分校があるとか、国際性の修得、語学教育に力を入れている、教師に外国人が多い、帰国子女を優先して入学させているなどといった、役務の提供場所や態様(内容)表示として一般的に使用される日本語である。 以上によれば、本件商標を区切って、その一部を省略して称呼することは十分に考えられ、その場合には「教育」役務の需要者等は、「コクサイ」と「ジユウガクエン」とを分離し、前者を省略することが通常であると考えることができる。 本件商標「コクサイジユウガクエン」が、上記のとおり、通常、単に「ジユウガクエン」と称呼され、あるいは少なくともその可能性が否定できない以上、本件商標は、「ジユウガクエン」の称呼を生ずる原告商標と称呼を共通にし、両商標は、類似するということができる。 また、本件指定役務は、法施行令1条別表第41類の「技芸・スポーツ又は知識の教授、研究用教材に関する情報の提供及びその仲介、セミナーの企画・運営又は開催」であるが、これらは、原告が永年携わってきた「教育」事業そのもの、もしくは、それと深い関連を持った類似の役務である。 したがって、本件商標は、観念においても原告商標と類似するということができる。 イ 観念類似 本件商標は、前記のとおり、原告商標の周知性から、需要者等に「国際」と「自由学園」とが結合した商標と理解されるところ、「自由学園」からは原告の役務、原告の営む学校が観念され、「国際」が教育の役務、特に学校の名称に使用されるときには、海外に分校があるとか、国際性の修得、語学教育に力を入れている、教師に外国人が多い、帰国子女を優先して入学させている、というような観念を生ずるから、両者が結合された場合には、国際的教育を重視し、あるいはそのための人的、物的設備を整えた「自由学園」という観念を生ずるものと認められる。 したがって、両商標は、観念においても類似するものといえる。 ウ 本件商標と原告商標とは、以上に述べたとおり、称呼及び観念において類似するものであるが、特に両者の役務はいずれも知識の教授(=教育)という点において同一であり、したがって、需要者等もかなりの範囲で重なる。しかも、特に学校名は、前述のとおり、略称されることが多いため、その場合、両者は全く同一の称呼となり、本件商標は、原告商標と誤認混同されるおそれがきわめて高いものであり、後述するとおり、同様の「自由学園」を含む商標を使用している教育役務との間には、実際に混同が生じている。 エ 以上によれば、本件商標と原告商標とが類似するものであることは明らかである。 (2) 出所混同の可能性 ア 本件審決は、前述のとおり、原告商標の一定の著名性を認めているところ、原告商標は「自由学園」と一連で表記されているものであって、「自由」と「学園」とが分離して表記されているものではない。一連に表記された文字商標が著名となった場合には、その一連の表記の全体が、特別顕著性、識別性を取得するものであり、需要者等は、これを一体のものとして認識するものであるから、この一連の「自由学園」を本件商標「国際自由学園」と対比し、両者の間における誤認混同のおそれの有無を論ずるべきである。 しかるに、本件審決は、この著名性を認めている一連表記を、再度「自由」と「学園」に分離し、各表示がそれぞれ個別的にいずれも広く一般に親しまれるようになったことをもって、これらを一連として表記しても、需要者等が直ちに原告商標を連想・想起することはないと認定しているものであり、このような本件審決の認定・判断方法が矛盾し、誤っていることは明らかである。 (なお、「自由」、「学園」という語についても、設立当初の大正10年(1921年)当時は、学校名に「学園」と付けること自体が最初のことであったのみならず、「自由」という名称も、極めて新しい印象を与えるものであった。これは、真理こそ自由を与えるのだというA・B夫妻の信仰に基づいた教育理念の強い表白であり、のちに、太平洋戦争の厳しい思想統制の中で、軍や文部当局が執拗に名称変更を迫ってきた時も、二人の棄て身の決意によって、守り抜かれ、このことにより、一体としての「自由学園」が独特の強い印象を抱かせる校名として社会に定着したものである。他方、日本全国に所在する学校法人のうち、「自由」を校名に含む学校はごくわずかであり、現在においても、「自由」の語は、学校の名称に用いられる文字としては未だに極めてめずらしい語であるといっても過言ではない。この点において、既に本件審決は、認定を誤っている。) イ 上記のことは、「教育」の分野における原告商標に化体した高度な周知性と表裏一体の関係をなすものである。すなわち、原告と経済的又は組織的に何らつながりを持たない第三者が「○○自由学園」という校名を選択した場合、「自由学園」の持つ高度な周知性から、これに接する需要者等は、構成中の「自由学園」の文字に着目し、これより直ちに原告商標を連想・想起し、その「○○自由学園」が原告と何らかの関係を有する者の学校であるかのように誤認・混同することは必至である。 特に、原告の「自由学園」では、古くから「国際」的な「教育(=知識の教授)」に積極的に取り組んできた。初等部から最高学部まで体育の根幹におかれている「デンマーク体操」もその1つであるし、設立当初から外国人教師により英語の講義が行われたことや、ドイツ、チェコで学んだ女子部の卒業生を中心に「自由学園 工芸研究所」が発足したことなども挙げることができる。そして、何より、昭和13年5月、中国の北京に、言語・生活・技術を学ぶための「自由学園北京生活学校」を開校したことは、「国際」的な「教育(=知識の教授)」活動の1つとして、特筆されなければならない。 このように「自由学園」では、古くから「国際」的な「教育(=知識の教授)」に積極的に取り組んできた歴史があり、他方、本件商標「国際自由学園」の頭に付された「国際」は、省略されて称呼・観念される場合があり得る。したがって、原告は、原告商標と本件商標との間に「狭義の混同を生ずるおそれ」(法4条1項10号該当性)があるものと思料するが、仮に、同号に該当しないと判断される場合であっても、「○○自由学園」といった標章を使用している第三者について、原告と何らかの関係(姉妹校や提携校、あるいは資本的な繋がり)があるのではないか、との問い合わせがなされていることは事実であり、現実に出所の混同が生じている。なお、本件商標との混同事例が見当らないことは、本件商標が、後述するように、実質的に使用されていなかったためであると考えられる。したがって、本件商標が、原告商標との関係で、少なくとも「広義の混同を生ずるおそれ」があることは疑いない。 (3) 以上の点から考えて、本件商標を本件指定役務に使用した場合、その役務の出所について混同するおそれがあるとは認められないとして、法4条1項15号の適用を否定し、また、同項10号の類似性をも否定した本件審決の認定・判断は誤りである。 3 本件商標の法4条1項8号該当性 既述のとおり、原告商標は、原告が80年以上にわたって使用してきた学校名であり、法4条1項8号が保護法益とする原告の「人格」が化体したものであって、これが、原告の周知な略称となっており、本件商標を本件指定役務に使用した場合、これに接する需要者等が、「自由学園」の文字に着目し、原告の著名な略称を含むものと認識することは明白である。しかして、被告は、本件商標の出願にあたり、原告から何らの承諾も得ていない。 したがって、本件審決には、本件商標の法4条1項8号該当性を否定した点で誤りがある。 4 本件商標の法4条1項19号該当性 原告商標には、これまで80年以上にもわたり培ってきた「イメージ(印象)のよさ」が備わっている。一方、被告は学校法人であり、同じ「教育」という分野におけるいわば「同業者」であるから、原告商標に化体した名声や、原告商標の莫大な顧客吸引力について十分な認識を持っていたものと推認できる。そして、自らが運営する学校名の採択にあたって、わずかな注意を払えば、他の周知な学校名との抵触は避けられたはずである。 まして、被告は「神戸創志学園」というユニークで識別力の強い学校名を有していたのであるから、これを使用することが自然であるにもかかわらず、それを使用せず、「国際自由学園」という紛らわしい名称をあえて採択し、全国規模で生徒を募集する他の通信制高校のパンフレットに本件商標を付している。したがって、本件商標が原告商標と無関係に選択されたとは考えられず、被告は、被告が経営する他の通信制高校に、全国各地から生徒を集めるにあたって、原告商標に化体した名声や、原告商標の有する莫大な顧客吸引力を利用しようとしたものと推測することが合理的である。すなわち、被告は、本件商標を「不正の目的」をもって使用するものというべきである。 以上のとおり、本件商標は、「教育(=知識の教授)」を表示するものとして、日本国内及び一部外国における需要者等の間に広く認識されている原告商標と、同一の文字を構成要素とする類似の商標であって、不正の目的をもって使用するものというべきであるから、法4条1項19号に該当する。 したがって、本件審決には、本件商標の法第4条1項19号該当性を否定した点において事実認定の誤りがある。 (被告の反論) 以下に述べるとおり、本件審決の判断は正当であり、本件審決に原告主張の誤りはない。 1 原告商標の周知著名性 原告商標「自由学園」は我が国で周知著名ではない。 (1) 周知性の判断主体について 教育に係る商標の主たる需要者は、原告の主張するような有識な教育関係者や卒業生では決してなく、学生、生徒、学校入学を志望する子女及びその者らの父母(以下「学生等」という。)であると判断してしかるべきである。事実、原告も、原告と親密な関係にある「友の会」の会員誌において生徒募集を行うだけでなく、近年、広く一般紙においても生徒募集を行い、学校入試説明会に積極的に参加していることから、学生等を直接的に役務の提供を受ける者として認識している。 (2) 周知性の判断について 自由学園が、大正デモクラシー期に自由教育運動の先駆者としてのA女史により創立された学校であるという歴史的事実とその歴史的意義、また、同校が、校風、教育理念において、他の学校とは異なる際立った特徴を有し、中高一貫教育を行っている事実については、被告はこれを争うものではない。しかしながら、教育に関する商標の周知性の判断においては、教育の提供を受ける学生等の立場に重点を置いて検討すべきところ、原告が提出した証拠から認められる事実関係からは、上記の需要者との関係で、原告商標が、原告の行う教育事業及び原告の運営する学校を表す名称又は略称として、学校教育の分野において周知なものになっていたものということはできない。なお、本件商標の出願時においての周知性の判断においては、出願日前に作成された証拠のみに基づいて評価すべきことはいうまでもない。 2 法4条1項10号について (1) 本件商標の「コクサイジユウガクエン」の称呼は学校名称としては決して冗長とはいえない11音により構成され、また、「国際」の語が教育との関連で他の文字と結合して全体として識別力を有する語であること、さらに「コクサイ」を省略した「ジユウガクエン」との略称が取引の実情からは想定し難いことを考慮すれば、本件審決の認定判断するとおり、本件商標は、構成全体をもって一体不可分のものと認識し把握されるとみるのが自然であり、ここからは「コクサイジユウガクエン」、「コクサイジユウ」又は略称としての「コクジ」の称呼が生じ、原告商標より生ずる「ジユウガクエン」の称呼とは、構成音数の相違、各音の音質の差異により明確に聴別し得るのである。 また、原告商標は学生等の需要者にとって周知ではないため、本件商標「国際自由学園」から「国際」的教育を重点におく「自由学園」との観念を生ずるものとは到底認められず、本件商標からは「国際自由学園」という学校が想起されるのみであり、「自由学園」が想起される原告商標とは観念上においても相紛れるおそれのないものとして、明確に区別されるのである。 さらに、本件商標と原告商標とが、外観において非類似であることは明らかである。 (2) 以上のとおり、本件商標と原告商標とは、外観においてはもとより、称呼上においても、観念上においても、類似するものではない。 3 法4条1項15号について (1) 法4条1項15号は、登録主義を原則とする商標法制度において、未登録であっても周知著名な商標を公益的見地より例外的に保護する趣旨より、出願に係る商標が出願時において既に周知著名な商標と非類似であったり、商品又は役務が非類似の関係であっても、個別具体的に出所混同を防止するために設けられたものである。このような規定の趣旨からすれば、同号の出所混同の原因となる他人の業務を示す表示の認知度が、同項10号の「需要者の間に広く認識されている」との要件を満足しない表示についての同項15号の該当性は、当然否定されるべきである。また、同号の認知度及び混同のおそれは、同項10号と同様に本件指定役務の需要者について判断すべきである。 (2) 前記1で述べたとおり、原告商標は、本件指定役務の需要者、すなわち学生等の間で広く認識されているとは認められないため、本件商標との関係において法4条1項15号の該当性についても否定されてしかるべきである。実際にも、原告商標と本件商標との間で混同が生じた事実は認められていないのである。 4 法4条1項19号について 前記1で述べたとおり、原告商標は、本件商標の出願日において、本件指定役務の需要者との関係で周知とは認められず、また、前記2で述べたとおり、本件商標とは非類似のものであり、したがって、原告が、本件商標を不正に利益を得る目的、他人に損害を加える目的等、不正の目的をもって使用するものではないことも明らかである。 以上により、本件商標の法4条1項19号の該当性は否定されてしかるべきである。 5 法4条1項8号について 本号は「他人の著名な略称を含む商標」について、当該他人の人格権保護の観点より規定されたものであるところ、ここでいう「著名」の程度の判断については、当然、本件指定役務の属する分野との関連において検討されるべきであり、本件指定役務の分野において、法人の著名な略称が特定の法人を想起させ判別させる程度の知名度を有しないと認定される場合には、当該略称の世間一般における著名性もまた認め難いとされる。 これを、本件にあてはめてみると、原告商標は、本件商標の出願日において、本件指定役務である教育の分野における需要者たる学生等において周知であるとは認められないため、学校法人自由学園の略称として世間一般に広く知られているとは、到底認められるものではない。 しかるに、本件商標を本件指定役務に使用した場合、これに接する需要者等が構成中の「自由学園」の文字に着目し、これより原告の著名な略称を含むものと認識するとは認めることができないものであり、本件商標の法4条1項8号の該当性も否定されてしかるべきである。 第4 当裁判所の判断 原告は、本件商標の登録が法4条1項8号、同項10号、同項15号、同項19号に違反するものではないとした本件審決の認定判断は誤りであり、本件審決は違法として取り消されるべき旨主張するので、以下検討する。 1 法4条1項10号違反の有無 (1) 法4条1項10号は、「他人の業務に係る商品若しくは役務を表示するものとして需要者の間に広く認識されている商標又はこれに類似する商標であって、その商品若しくは役務又はこれらに類似する商品若しくは役務に使用するもの」については、商標登録を受けることができない旨規定している。この規定の趣旨は、需要者の間に広く認識されている商標、すなわち周知商標との関係で、商品又は役務の出所の混同を防止することにあると考えられるところ、この場合、商標の類否は、対比される両商標が同一又は類似の役務等に使用された場合に、役務等の出所につき誤認混同を生ずるおそれがあるか否かによって決すべきであり、誤認混同を生ずるおそれがあるか否かは、そのような役務等に使用された商標がその外観、観念、称呼等によって取引者及び需要者に与える印象、記憶、連想等を考察し、これらに加え、その役務等についての取引の具体的な実情に照らし、その役務等の取引者及び需要者において普通に払われる注意力を基準として、総合的に判断すべきものと解される。 (2) 原告商標の周知性 ア 証拠(甲3ないし9、14ないし23、26ないし36、39ないし42、45、47、49、50、99ないし104、105の(1)、(2)、133ないし136、148、191ないし203、206ないし213、216ないし222、224ないし228、236、237、279、377、401、402、405、413)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、大正時代の日本を代表する先駆的な女性思想家であるAとその夫Bにより、大正10年、東京目白(現在の豊島区西池袋)に、キリスト教精神に基づく理想の教育を女子のための中等教育を通じて実現するため、当時の高等女学校令によらない「各種学校」として設立されたこと、昭和2年からは現在の東京都東久留米市に移転し、昭和3年に初等部を開設したこと、原告は、その後、昭和10年に男子部、昭和14年に幼児生活団(幼稚園)を設置し、昭和24年に男子最高学部(4年制男子)、翌25年には女子最高学部(2年制女子)を開設するなど、4歳児から22歳までの青年男女を育てる一貫教育校となって現在に至っており、80年以上の歴史を有する学校であること、当初は、勅令によらない各種学校であった原告の女子、男子の中等科、高等科は、戦後の学制改革の際に文部省の許可を受けて新制中学、高等学校となったが、最高学部は今日においても文部省令によらない各種学校のままであること、そして、原告商標である「自由学園」は、原告により、大正10年から80年以上の永きにわたり、「教育(知識の教授)」及び「教育」に関連するサービスについて使用されてきたことが認められる。 イ 原告は、原告が実践する、キリスト教精神に基づき、「思想しつつ生活しつつ祈りつつ」を標語として自治と労働を基調とする教育の独自性は、社会的に大きな反響を呼び、高い評価を得、それ故に、原告商標は、教育関係の書籍にはもちろんのこと、日本を代表する一般的な辞書、百科事典に掲載され、また、週刊誌、受験情報誌、テレビ放送等のマスコミ媒体において、数多く取り上げられてきており、本件商標の出願時はもとより、そのはるか以前から、本件指定役務が最も関連性を有する「教育」の分野において、高度かつ独自の周知性を獲得し、現在に至っている旨主張する。 ところで、商標の周知著名性は、当該商標に係る役務等の取引者及び需要者を基準に判断すべきところ、原告の提供する役務は教育ないしこれに関連する分野に属するものであり、その需要者は、学生等であると認めるのが相当である。そこで、学生等を基準にして、原告商標が原告が主張するように本件商標の出願当時に周知性を獲得していたか否かについて検討する。 まず、百科事典等の辞書・事典(甲19、99ないし101、103、104、398)、教育史に関する書籍(甲7、20、24、29、31、34ないし36、201、285)、一般の史実に関する書籍(甲21ないし23、26、30、33、88)についてみるに、これらには、原告の創立の経緯、建学の精神等が記載されているが、その記事の内容からすれば、原告が旧憲法下の大正時代に著名な女性思想家であるA及びその夫Bによりキリスト教精神に基づき独自の理想を掲げて教育を実施すべく設立されたこと、その教育の独自性に一定の歴史的意義を認めて、その歴史的事実及び評価が記載され、付随的にその教育内容が紹介されているにとどまるものと認められ、このような辞書・事典等への掲載自体は、本件商標の出願当時における原告商標の周知性の一資料とはなり得ても、それだけでその周知性を認めるには足りないというべきである。また、人物名に関する事典を含む書籍等(甲26、32、191、192、194、196、198ないし200、202、203、215、392)には、原告の創立者であるA又は「自由学園」に関わった有識者の著名性により「自由学園」が取り上げられているが、その内容は専門的であり、読者層も教育研究者等の専門家に限定され、発行部数も少ないと推認されるし、また、Aに関する新聞記事(甲231、238ないし243)は、原告の創立者であるAの著名性により「自由学園」が取り上げられたものであり、その内容は自由学園創立の歴史的意義について触れるものであり、本件指定役務の需要者である学生等に向けた記事ではないと考えられ、したがって、原告商標がこれらの書籍等に記載されているとの事実をもって、原告商標の周知性を認めることはできない。さらに、学校情報に関する書籍、雑誌(甲8、9)のうち、甲9は単なる学校法人名簿にすぎないし、また、甲8は幼児教育に関するものであり、読者層はかなり限定されていると推認されるのであって、これらの書証をもって原告商標の周知性を認定することは困難である。 原告の行っている教育の独自性あるいは原告の生徒、学生が行った独創的な学問的成果等の紹介記事のある他の文献等(甲27、37ないし44、46、51ないし54、87ないし91、206ないし208、210、211、229、283、288、290、396、412ないし414)についてみるに、これらは、広く一般の学生等を購読者層とする文献ではなく、読者層、発行部数が限定されたものであるか、または自由学園におけるエピソードを伝える断片的記事を掲載したにすぎないものであり、一般の学生等が注意を払う内容が記載されているものとは認められず、また、英字新聞・雑誌(甲384ないし387、389ないし391、393ないし395、397)は、我が国の学生等が一般的に購読するものではなく、したがって、これらの文献等の記事をもって、「自由学園」の周知性を認めることはできない。また、証拠(甲74ないしないし78、80、81、172、173、233ないし235、244)によれば、新聞、雑誌等に「自由学園」関連の記事が掲載されたことが認められるが、「自由学園」で発生した出来事及びその関連施設に関する事柄を紹介するものであり、同学園の教育理念、教育内容とは関係のない記事であるか、学校である「自由学園」との結びつきが一般に知られていない事柄であって、原告商標がその所在する地域で一定の知名度を有することの根拠とはなり得るものであっても、本件指定役務の需要者である学生等との関係で周知性を有することの裏付けとはなり得ない。さらに、証拠(甲168)には、大正6年から昭和19年までの間、讀賣新聞に62回にわたり「自由学園」に関する記事が掲載されたことが記載されているが、これらの記事は太平洋戦争終戦前の時代のものであり、その内容も具体的に明らかではないのであって、これらの報道記事の存在から、本件商標の出願時に原告商標が周知性を獲得していたと認定することはできない。 「自由学園」に関して放送されたテレビ番組(甲407、408の各(1)、(2))についみても、甲407の(2)に記載の収録番組10本中、本件商標の出願日前に放送されたものは1本、甲408の(2)に記載の収録番組7本中、上記出願日前のに放送されたものは3本のみであり、原告が上記出願日までに積極的にテレビ放送等を通じてその広報活動を行ってきたとは認められない。 ウ 原告商標は、大正時代の日本を代表する先駆的な女性思想家Aの自由教育思想、キリスト教精神、夫・Bの協力、A主宰の雑誌「婦人之友」、そして同雑誌の読者を幹として全国的に組織されている「友の会」の会員の粘り強い活動とが互いに強く結びついて、独特の印象を備えたものとして、日本社会に深く根付いおり、その意味でも、高度の周知性を有するといえる旨主張する。 しかしながら、原告が大正時代の先駆的思想家であるAとその夫Bによりキリスト教精神に基づく自由教育思想の実現の場として創設されたという経緯が、歴史的意義を有するものであっても、必ずしも教育というサービスの需要者との関係における原告商標の周知性を基礎づけるものでないことは、既に説示したとおりである。 また、証拠(甲83、99、100、143ないし148、150)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、Aが創刊した「婦人之友」が基本とする教育思想の実際機関であり、両者の間には密接な関係があり、また、「婦人之友」が創刊以来現在に至るまで一定の読者層に支えられて存続してきたことが認められるが、我が国の学生等を含む一般人が当該雑誌と「自由学園」との関係を認識していることを認めるに足りる証拠はない。また、証拠(甲369)及び弁論の全趣旨によれば、「婦人之友」の誌上には、創刊当初から現在にいたるまで、「自由学園」についてのページが用意されており、昭和7年10月号から昭和30年11月号までは、Bが筆をとった「雑司ケ谷短信」、昭和33年6月号から昭和59年6月号までは、AB夫婦の3女で2代目学園長でもあったCによる「南沢だより」、そして、昭和59年11月号から現在までは、歴代の学園長や教職員による「学園昨日今日」が掲載されていたことがうかがわれるが、それは原告の「自由学園」で生じた出来事等を素材とした随筆風の記事にすぎないと推測され、上記雑誌の購読者が必ず目を通す記事というものでもないと推察されるから、これらの記事をもってしても、原告商標の周知性を認めることは困難である。 原告は、「友の会」と「自由学園」との結びつきを示す出願日前の書証として、「友の新聞」(甲332ないし347)及び記念誌等(甲378ないし380)を挙げているが、「友の新聞」は「友の会」の会員誌であり、また記念誌等も「友の会」の記念誌であり、これら購読者層は、「友の会」の会員といったごく限定された者であると推察される。のみならず、「友の会」の存在、活動が、我が国の学生等を含む一般人に広く認識されていると認めるに足りる証拠はない。したがって、会員誌の発行を含む「友の会」の活動等により、原告商標が周知性を獲得しているとすることはできない。 原告は、原告の卒業生は現在まで1万人に満たない少数であるにもかかわらず、個性的で実力を有することにより高い社会的評価を得ている知識人、文化人が多数輩出しており(甲310ないし331、400、403、404)、これらの卒業生らは原告に愛着を感じ、誇りを抱いており、経歴に「自由学園」と記すことが多いとか、政財界の著名人、知識人、有名人にも「自由学園」にゆかりのある人々が多く(97、230、232、273ないし275、291ないし309、400)、それらの人物の著作物には「自由学園」に関する記述が多く登場する(甲56ないし73)とした上、これら卒業生やゆかりのある人物の愛着心等が「自由学園」の独特のブランド価値を高め、維持してきていると主張し、その裏付けとして文中掲記の証拠を提出している。しかしながら、原告が卒業生が少ないわりに社会的に高い評価を受けている卒業生を多数輩出していることはそのとおり認められるが、上記証拠からは、それら人物が「自由学園」の卒業者であることが需要者である学生等に広く知られているとは必ずしも認められないし、また、政財界の著名人、有識者に原告とゆかりのある人々が多く、その間に交流があることはそのとおり認められるが、上記証拠からは、それらの交流の事実が需要者である学生等に広く知られていると認めることはできない。 原告は、卒業生、元講師等の学校関係者、有識者の陳述書(甲97、291ないし309、400)を提出し、これらの陳述書には、「自由学園」が「近代日本の学校教育の歴史のなかで・・・他に類を見ない学園」であること(甲291)、「わが国はもとより、海外の教育者、学者や一般識者の間でも夙に著名である」こと(甲97)、「その知名度は、ひろく国の内外に行き渡っている」こと(甲296)、「自由学園には、ただの学校というコンセプトでは律しきれない特別の広がり」があること(甲300)、「創立当初から注目され、世に既知のものである」こと(甲308)等が述べられているが、いずれも、自由学園が独自の教育理念を有する学校として設立されたものであり、学校教育の中で歴史的な意義を有すること、有識者の間でそのことがよく知られていることを述べるか、あるいは卒業生等の学校関係者の「自由学園」に対する愛着心等に基づく主観的な見解が述べられているにとどまるものであって、需要者である学生等の関係で原告商標が周知性を獲得していることの裏付けとはなり得ないものである。 エ 以上検討した結果によれば、原告は、大正時代の日本を代表する先駆的な女性思想家Aがが夫Bとともに、キリスト教精神、自由主義教育思想に基づきその理想とする教育を実現すべく設立した学校として、歴史的な意義を有するものであり、その設立の歴史的経緯、教育の独創性についてはいわゆる教育関係者をはじめ、いわゆる知識人の間ではよく知られているところであるということができるが、本件指定役務の需要者である全国に散らばる学生等との関係でいえば、周知性を獲得するに至っていたとまでいうことはできず、せいぜいその所在する東京都東久留米市を中心として東京都内及びその近郊において上記のような独自の教育を実施している学校として一定の知名度を有するにすぎないと認められる(なお、この事実は、上記イ、ウにおいて個別に検討した証拠を総合的に判断しても同一である。)。 他に、本件商標の出願当時、原告商標が、需要者である学生等との関係で周知性を獲得していたと認めるに足りる的確な証拠はない。 (3) 本件商標の法4条1項10号該当性について ア 原告商標が原告の業務に係る役務を表示するものとして需要者の間に広く認識されている、すなわち周知性を獲得しているとまでいえないことは前記(2)で説示したとおりであり、したがって、本件商標が原告商標に類似しているとしても、本件商標は法4条1項10号には該当しないというべきである。 イ また、仮に、原告商標が原告の所在する東京都東久留米市を中心として東京都内及びその近郊において一定の知名度を有することをもって一定の周知性を獲得しているといえるとしても、本件商標と原告商標とが類似するということはできない。その理由は、以下に述べるとおりである。 すなわち、本件商標は、「国際自由学園」の文字よりなるところ、当該文字は、同じ書体、同じ大きさで一体的に表されており、また、これを構成する6文字という文字数、これより生ずる「コクサイジユウガクエン」という11音の称呼は、省略を要するほどに冗長なものということはできない。そして、「国際」及び「自由」の両語は日常的に使用される普通名詞であって、それぞれの語は本件指定役務(技芸・知識の教授等)についての識別力を有しないし、また、「国際」の語は、学校の名称の中で用いられる場合、帰国子女のための学校であるとかの役務の内容を表示したり、外国に分校を有するなど役務の提供場所を表示するものとして使用されるとは限らず、国際的な視野を有する人物を育成するといった漠然とした意味で用いられることが多いことは公知の事実である。したがって、これら両語に学校ないしいくつかからなる学校の組織を意味する普通名詞である「学園」の語を付した場合、「国際」及び「自由」の両語が重なりあって当該学園を特定することになるが、両語の間に識別力に関して軽重がないことから、これらの各語は学校の名称を表示する一体不可分の標章として認識把握されると考えるのが自然である。そして、原告商標は、その構成文字の一体不可分性から、当該構成文字に照応して「コクサイジユウガクエン」の称呼を生ずるものと認められる。 「国際自由学園」には原告商標である「自由学園」の文字が含まれているが、上記のとおり、「国際自由学園」は通常は学校の名称を表示する一体不可分の標識と認識されるものである上、前記(2)に認定したとおり、原告商標は、需要者である全国に散らばっている学生等との関係では、せいぜい東京都内及びその近郊で一定の知名度を有するにすぎず、広範な地域において周知性を獲得しているとはいえないものであり、また、本件指定役務が教育に係るものであることから、その需要者である学生等がその役務の提供者を選択するに当たっては、その教育方針、教育内容等の吟味を行うのが通常であると考えられるのであって、これらの点を考慮すれば、本件商標に接した学生等がその構成文字のうち「自由学園」の部分に注意を惹かれ、これを「自由学園」ないしこれに関連する学校ないし団体であると誤認し、「ジユウガクエン」という略称により称呼するとは考えにくいことである。 したがって、本件商標と原告商標とは、外観において類似しないことはもとより、称呼、観念上も類似するものではないというべきである。 (4) したがって、本件商標の登録は法4条1項10号に違反するものではないというべきである。 2 法4条1項15号違反の有無 (1) 法4条1項15号の規定は、周知表示又は著名表示へのただ乗り及び当該表示の希釈化を防止し、商標の自他識別機能を保護することによって、商標を使用する者の業務上の信用の維持を図り、需要者の利益を保護することを目的とするものであるから、同号にいう「他人の業務に係る商品又は役務と混同を生ずるおそれがある商標」には、当該商標をその指定役務等に使用したときに、当該役務等が他人の業務に係る役務等であると誤信されるおそれがある商標のみならず、当該役務等が上記の他人との間にいわゆる親子会社や系列会社等の緊密な営業上の関係又は同一の表示による役務等提供事業を営むグループに属する関係にある営業主の業務に係る役務等であると誤信されるおそれ、すなわち、広義の混同を生ずるおそれがある商標を含むものと解するのが相当である。そして、この場合、本号にいう「混同を生ずるおそれ」があるかどうかは、当該商標と他人の表示との類似性の程度、他人の表示の周知著名性及び独創性の程度や、当該商標の指定役務等と他人の業務に係る役務等との性質、用途又は目的における関連性の程度並びに役務等の取引者及び需要者の共通性その他取引の実情等に照らし、当該商標の指定役務等の取引者及び需要者において普通に払われる注意力を基準として、総合的に判断すべきである。 (2) そこで、上記の観点から、本件商標の登録が法4条1項15号に違反するものであるか否かについて検討するに、本件商標と原告商標とは、外観において類似しないことはもとより、称呼、観念上も類似するものではないことは、前記1(3)に説示したとおりであり、また、本件指定役務の需要者である全国に散らばる学生等との関係でいえば、原告商標が、本件商標の出願当時において、広範な地域で周知性を獲得するに至っていたとまでいうことはできず、せいぜいのところその所在する東京都東久留米市を中心として東京都内及びその近郊において前記のような独自の教育を実施している学校として一定の知名度を有するにすぎないというべきことは、前記1(2)で説示したとおりである。 また、本件指定役務が教育に係るものであることからすれば、その需要者である学生等がその役務の提供者を選択するに当たっては、役務を提供する学校の本拠地、その教育方針、教育内容等の吟味を行うのが通常である。しかるところ、証拠(乙2ないし5、6の(1)ないし(3)、12、16、19、21ないし23、26、27、30)及び弁論の全趣旨によれば、被告はその主たる事務所を神戸市に置く、ビジネス専修学校「国際自由学園」(以下「国際自由学園」という。)の営業主体であること、国際自由学園は、昭和61年2月25日付で学校教育法45条の2の規定による技能教育のための施設として文部大臣によって指定され、本校を兵庫県芦屋市に置き、開校時から平成4年までは東京都内の通信制高等学校の技能連携校として運営されていたが、平成4年以降は北海道深川市(以下省略)所在の同法1条に規定された通信制のクラーク記念国際高等学校の技能連携校となり、国際自由学園の技能教育をクラーク記念国際高等学校の学習の一部とみなす措置がとられ、クラーク記念国際高等学校の通信制の課程等に在籍する生徒に対し、クラーク記念国際高等学校の履修科目に加えて、コンピュータ関連の授業や、経営及び貿易関係等の授業を実施しており、同学園の卒業生には、クラーク記念国際高等学校の高校卒業資格が付与される仕組みとなっていることが認められるのであって、その本拠地、教育方針、教育内容等は、東京都に所在し、前記のような独自の教育を実施している原告と大きな差異があるものである。 しかして、上記の諸点を考慮すれば、本件商標をその指定役務に使用した場合に、これに接した需要者である学生等が、原告商標である「自由学園」を想起し、その役務が原告ないし原告と何らかの関係を有する者の業務に係る役務であるかのように、その出所につき誤認を生じさせるおそれがあると認めることはできない。 (3) したがって、本件商標の登録は法4条1項15号に違反するものではないというべきである。 3 法4条1項8号違反の有無 (1) 法4条1項8号は、「他人の肖像又は他人の氏名若しくは名称若しくは著名な雅号、芸名若しくは筆名若しくはこれらの著名な略称を含む商標(その他人の承諾を得ているものを除く。)」については、商標登録を受けることができない旨規定している。 そこで、本件商標の登録が同号に違反するものか否かについて検討するに、本件商標である「国際自由学園」は、通常、学校の名称を表示する一体不可分の標章として、称呼、観念されるものと認められること、そして、原告商標である「自由学園」は、需要者である全国に散らばっている学生等との関係では、せいぜい東京都内及びその近郊で一定の知名度を有するにすぎず、広範な地域において周知性を獲得しているとはいえないものであることを考慮すれば、本件商標に接する需要者である学生等において、本件商標中の「自由学園」に注意を惹かれ、それが原告の一定の知名度を有する略称を含むものと認識するとは認められない。 (2) したがって、本件商標の登録は法4条1項8号に違反するものではないというべきである。 4 法4条1項19号違反の有無 原告商標である「自由学園」は、需要者である全国に散らばっている学生等との関係では、せいぜい東京都内及びその近郊で一定の知名度を有するにすぎず、広範な地域において周知性を獲得しているとはいえないものであることは、前記1(2)に説示したとおりであり、また、本件商標が原告商標と類似するものでないことは、前記1(3)に説示したとおりである。 したがって、上記と異なる見解に立って、本件商標の登録が法4条1項19号に違反するとする原告の主張は、その前提において理由がないというべきである。 5 以上によれば、原告が取消事由として主張するところは理由がなく、その他本件審決にこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。 よって、原告の本件請求は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。 東京高等裁判所知的財産1部 裁判長裁判官 北山元章 裁判官 青蜉] 裁判官 沖中康人 |
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