判例全文 line
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【事件名】住基ネット・プライバシー侵害事件(関東、近畿66人)
【年月日】平成16年2月27日
 大阪地裁 平成14年(ワ)第11440号 損害賠償請求事件

判決


主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 被告豊中市は、別紙原告目録A記載の各原告らに対し、それぞれ5万円及びこれに対する平成14年8月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告箕面市は、別紙原告目録B記載の各原告らに対し、それぞれ5万円及びこれに対する平成14年8月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被告吹田市は、別紙原告目録C記載の原告に対し、5万円及びこれに対する平成14年8月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 被告大阪市は、別紙原告目録D記載の原告に対し、5万円及びこれに対する平成14年8月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
5 被告守口市は、別紙原告目録E記載の各原告らに対し、それぞれ5万円及びこれに対する平成14年8月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
6 被告泉佐野市は、別紙原告目録F記載の原告に対し、5万円及びこれに対する平成14年8月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
7 被告東大阪市は、別紙原告目録G記載の原告に対し、5万円及びこれに対する平成14年8月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
8 被告八尾市は、別紙原告目録H記載の原告に対し、5万円及びこれに対する平成14年8月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
 原告らは、住民基本台帳ネットワークシステム(以下「住基ネット」という。)により、人格権、公権力から監視されない権利、自己情報コントロール権及び平穏な生活を営む権利が侵害され、精神的損害を被ったと主張して、原告らが居住する被告各市に対し、国家賠償法1条に基づく損害賠償請求権により各5万円の慰謝料の支払及びこれに対する住基ネットが施行された平成14年8月5日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
1 前提となる事実(争いがない事実又は証拠上明白な事実)
(1) 住民基本台帳法は、平成11年法律第133号により改正され、この改正法は、平成14年8月5日から施行された。住基ネットは、この改正法(以下「住基法」と略称する。)に基づく仕組みである。
(2) 住民基本台帳は、市町村の住民に関する記録を統一的に行うことにより、市町村における住民の居住関係の公証、選挙人名簿の登録その他住民に関する種々の事務の基礎となる公簿である。住民基本台帳の情報は、住民基本台帳を保有する各市町村内で利用されてきたが、住基ネットは、地方公共団体の共同のシステムとして、住民基本台帳のネットワーク化を図り、特定の情報の共有により、全国的に特定の個人情報の確認ができる仕組みを構築し、市町村の区域を越えて住民基本台帳に関する事務処理を行うものである。
(3)ア 平成14年8月5日から施行されている住基ネットの構造は、概略的には次のようなものである。
 市町村に電子計算機等が設置され、これに、市町村の既存の住民基本台帳システムと連携した各住民の本人確認情報(住基法30条の5第1項で、氏名、出生の年月日、男女の別、住所及び住民票コード並びに住民票の記載等に関する事項で政令で定めるものとされている。)が保存される。都道府県に、電子計算機等が設置され、都道府県内の市町村から送信された住民の本人確認情報が保存される。都道府県知事は、総務大臣の指定する者(以下「指定情報処理機関」という。)に本人確認情報処理事務を行わせることができる(住基法30条の10第1項本文)。指定情報処理機関に本人確認情報処理事務を行わせることとした都道府県知事(以下「委任都道府県知事」という。)から送信された住民の本人確認情報が、指定情報処理機関に設置された電子計算機等に保存される(住基法30条の11)。指定情報処理機関として、財団法人地方自治情報センターが指定されている。市町村の電子計算機、都道府県の電子計算機及び指定情報処理機関の電子計算機は、電気通信回線で結ばれている。住基法別表第1の上欄記載の国の機関又は法人は、都道府県知事(指定情報処理機関に本人確認情報処理事務を行わせることとした場合には指定情報処理機関)から、本人確認情報の提供を受ける(住基法30条の7第3項)。
イ 住基ネットにおける本人確認情報の処理及び利用等の詳細は、次のとおりである。
 市町村長は、本人確認情報を、市町村長の使用に係る電子計算機から電気通信回線を通じて都道府県知事の使用に係る電子計算機に送信して通知する(住基法30条の5第1、2項)。
 都道府県知事は、市町村長から通知された本人確認情報を磁気ディスクに記録し、保存する(住基法30条の5第3項)。
 市町村長は、他の市町村の市町村長その他の執行機関であって条例で定めるものから、条例で定める事務の処理に関し求めがあったときには、条例で定めるところにより、本人確認情報を提供する(住基法30条の6)。
 都道府県知事は、住基法別表第1の上欄に掲げる国の機関又は法人から同表の下欄に掲げる事務の処理に関し、住民の居住関係の確認のための求めがあったときに限り、政令で定めるところにより、保存期間に係る本人確認情報を提供する(住基法30条の7第3項)。
 都道府県知事は、当該都道府県の区域内の市町村の執行機関であって住基法別表第2の上欄に掲げるものから同表の下欄に掲げる事務の処理に関し求めがあったとき又は当該都道府県の区域内の市町村の市町村長から住民基本台帳に関する事務の処理に関し求めがあったときには政令で定めるところにより、当該都道府県の区域内の市町村の執行機関であって条例で定めるものから条例で定める事務の処理に関し求めがあったときには条例で定めるところにより、当該都道府県の区域内の市町村の市町村長その他の執行機関に対し、保存期間に係る本人確認情報を提供する(住基法30条の7第4項)。
 都道府県知事は、他の都道府県の執行機関であって住基法別表第3の上欄に掲げるものから同表の下欄に掲げる事務の処理に関し求めがあったとき又は他の都道府県の都道府県知事から住基法30条の7第10項に規定する事務の処理に関し求めがあったときには政令で定めるところにより、他の都道府県の執行機関であって条例で定めるものから条例で定める事務の処理に関し求めがあったときには条例で定めるところにより、他の都道府県の都道府県知事その他の執行機関に対し、保存期間に係る本人確認情報を提供する(住基法30条の7第5項)。
 都道府県知事は、当該他の都道府県の都道府県知事を経て当該他の都道府県の区域内の市町村の執行機関であって住基法別表第4の上欄に掲げるものから同表の下欄に掲げる事務の処理に関し求めがあったとき又は当該他の都道府県の都道府県知事を経て当該他の都道府県の区域内の市町村の市町村長から住民基本台帳に関する事務の処理に関し求めがあったときには政令で定めるところにより、当該他の都道府県の都道府県知事を経て当該他の都道府県の区域内の市町村の執行機関であって条例で定めるものから条例で定める事務の処理に関し求めがあったときには条例で定めるところにより、他の都道府県の区域内の市町村の市町村長その他の執行機関に対し、保存期間に係る本人確認情報を提供する(住基法30条の7第6項)。
 都道府県知事は、住基法別表第5に掲げる事務を遂行するとき、条例で定める事務を遂行するとき、本人確認情報の利用につき当該本人確認情報に係る本人が同意した事務を遂行するとき又は統計資料の作成を行うときには、保存期間に係る本人確認情報を利用できる(住基法30条の8第1項)。
 都道府県知事は、都道府県知事以外の当該都道府県の執行機関であって条例で定めるものから条例で定める事務の処理に関し求めがあったときは、条例で定めるところにより、保存期間に係る本人確認情報を提供する(住基法30条の8第2項)。
 都道府県知事は、住基法30条の7第1項の規定による住民票コードの指定及びその通知、住基法30条の7第2項の規定による協議及び調整、住基法30条の7第3項の規定による本人確認情報の国の機関等への提供、住基法30条の7第4項の規定による本人確認情報の区域内の市町村の執行機関等への提供、住基法30条の7第5項の規定による本人確認情報の他の都道府県の執行機関等への提供、住基法30条の7第6項の規定による本人確認情報の他の都道府県の区域内の市町村の執行機関等への提供並びに住基法37条2項の規定による本人確認情報に関する資料の国の行政機関への提供につき、指定情報処理機関に行わせることができる(住基法30条の10第1項)。
 委任都道府県知事は、市町村から通知された本人確認情報を、委任都道府県知事の使用に係る電子計算機から電気通信回線を通じて指定情報処理機関の使用に係る電子計算機に送信して通知する(住基法30条の11第2項)。
 指定情報処理機関は、委任都道府県知事から通知された本人確認情報を磁気ディスクに記録し、保存する(住基法30条の11第3項)。
(4) 市町村長は、個人を単位とする住民票を世帯ごとに編成して、住民基本台帳を作成しなければならない(住基法6条1、2項)。住民票には、住基法7条各号に規定される事項が記載される。住基ネットの施行により、市町村長から、市町村長の使用に係る電子計算機から電気通信回線を通じて都道府県知事の使用に係る電子計算機へ送信される情報は、住民票記載の事項のうち、氏名、出生の年月日、男女の別、住所及び住民票コード並びに住民票の記載等に関する事項で政令(住民基本台帳法施行令30条の5)が定める、その記載、消除及び記載の修正に関する情報である(住基法30条の5第1項)。
 住民票コードは、番号、記号その他の符号であって総務省令で定めるものをいい、住民票に記載される(住基法7条13号)。
 住民基本台帳に記録されている者は、その者が記録されている住民基本台帳を備える市町村の市町村長に対し、自己に係る住民基本台帳カード(以下「住基カード」という。)の交付を求めることができる(住基法30条44)。住基カードは、その者に係る住民票に記載された氏名及び住民票コードその他政令で定める事項が記録されたカードである。
2 争点
 被告らが、住民票コードを原告ら住民に割り振り、住民票コードを住民票に記載し、平成14年8月5日、住基ネットに接続したことにより、原告らの主張するところの人格権、公権力から監視されない権利、自己情報コントロール権又は平穏な生活を営む権利が侵害されたと認められるか。
(1) 原告らの主張
ア 住基ネットを推進してきた総務省は、住基ネットの存在意義として、@国の行政機関等に何らかの申請、届出をするときに住民票の写しの添付が不要となること、A住基カードを所持する者は、全国どこの市町村からでも住民票の写しの交付を受けられること、B住基カードを持っている人については、市町村を越えた転居の際に、転出市町村役場へ行く必要がなく、転入市町村役場へ1回行けばすむことを、指摘し、宣伝してきた。
 しかしながら、@については、一般市民が国の行政機関等へ申請、届出をする場合はほとんどない。一般市民が住民票の写しを必要とする場合は、パスポートの取得や運転免許証の取得の場面である。しかしこれらの場合、通常は同時に戸籍謄抄本も必要とされ、いずれにしても一般市民は市町村役場へ行かなければならない。Aについては、一般市民にとって、住民票の写しを必要とする場合自体ほとんどない。また、住基カードを所持する場合でも、住民票の写しの交付を受けるためには、どこかの市町村役場へは行かなければならない。さらに、昨今では、ほとんどの自治体で、夜間サービスや、土曜日、日曜日の行政サービスを実施している。Bについては、一般市民が市町村を越えて転居することが頻繁にあるとは通常考えられない。また、一生で数回あるかないかの転居の際、転出先、転入先の各市町村役場に出向くことを不便と感じている市民は少ない。さらに、現在でも転出届は、郵送で可能であり、転出元の市町村役場に出向く必要はない。転出地での住民票の情報を記載した転出証明書が必要な場合も、郵送によって取得することが可能である。
 したがって、総務省の強調する、市民にとっての利益はほとんどない。
 さらに、総務省の作成した住基ネットに関する条例規定例によれば、各市町村において、各個人の健康診断結果、血液型、公共施設予約サービス等に利用することが想定されている。氏名、住所、生年月日、性別そして住民票カードという情報だけが住基ネットを流れるのではなく、各個人が知らない間に、それぞれの個人の様々な情報が、市町村から都道府県、そして財団法人地方自治情報センター、国へと住基ネット上を流されることになる。しかも、そうした情報が流されることを、その当該個人が確認することができないシステムである。
 以上のとおり、住基ネットシステムには、その立法事実がない。
イ 住基ネットによる原告らの個人情報の流出の危険性が、次のとおり考えられる。
(ア) ハッカー等による外部からのネットワークへの侵入の危険性
(イ) 運用関係者などによる漏洩等の危険
a 住基ネットの運用従事者による情報漏洩等の危険
b 公務員等の職権濫用等による情報利用の危険
c 民間委託者の不正行為による情報漏洩の危険
d バックアップデータの紛失、窃取による情報の漏洩
(ウ) セキュリティ対策の不整備
a ハード面でのセキュリティ対策の不整備
b ソフト面でのセキュリティ対策の不整備
ウ 被告らが、一方的に11桁の住民票コードを割り振り、住民票コードを住民票に記載し、平成14年8月5日、住基ネットに接続したことにより、原告らは、次の権利を侵害された。
(ア) 人格権侵害
 憲法13条は個人の尊厳を保護し、人格権を保護している。人は個人としての尊厳を有し、その人格は最大限尊重されるべきことは論をまたない。人はそれぞれに姓名を持ち、人格を持っているのであって、番号ではない。人を番号で呼び合うような生活に人間らしい生活は考えられない。被告らが、勝手に、11桁の番号を原告らにつけることは、そのこと自体、原告らの人格権、幸福追求権を侵害している。各行政機関が、その各行政機関ごとに国民の情報を保有することはその限りでやむを得ないものであるが、個人のあらゆる行政情報を1か所にまとめられるべき理由もない。住民票コードなる11桁の番号によって、個人の情報が1か所に集められるのは、行政目的をはるかに越え、その個人の人格権を侵害するものである。
(イ) 公権力から監視されない権利の侵害
 国民は、プライバシーの権利の一貫として、公権力から監視されない権利を有している。公権力から監視されない権利の根拠は憲法13条であり、公権力から監視されない権利は、プライバシー権をより具体的に述べたものである。住基ネットによる個人情報は、現状では、一応限定されているが、住基法は、政省令に多くを委任しており、将来、住基ネットによる個人情報の拡大を防ぐ保証はない。また、情報が限定されているとしても、そもそも個人の情報を1か所に集中させること自体、その個人の公権力から監視されない権利を侵害するものである。さらに、本人確認情報の送信は、将来のいわゆる国民総背番号制に道を開くものであり、国民総背番号制となれば、まさに監視社会そのものであり、公権力から監視されない権利を侵害するものである。
 その意味で、現時点では、権利侵害の危険性がある。
(ウ) 自己情報コントロール権の侵害
 プライバシー権は、自己情報コントロール権である。自己情報コントロール権は、憲法13条に定める幸福追求権を根拠に、プライバシーの権利を自己に関する情報をコントロールする権利として定義付けたものであり、単に自己の情報の秘匿のみならず積極的にその閲覧、訂正、削除を求める権利をも包摂するものである。個人の情報が、個人の手を離れると、漏洩、目的外利用、悪用、改ざんのおそれが生じ、秘匿はもちろんのこと、訂正、削除はもとより困難となる。その意味で、情報コントロール権を侵害する。住基ネットが施行されれば、個人の情報は、その個人の手を離れておりコントロールの術がない。
(エ) 平穏生活権の侵害
 プライバシー権は、それが個人の尊厳に由来するものであることから、さらに、そこに多様な権利概念を含むものとして認識されるようになった。それらは、自己情報コントロール権であり、私事についての自己決定権、個人の私的領域や自己が秘密としたい事柄について保護を求める権利、そして平穏生活権である。平穏生活権は、法的保護に値する人格的利益として観念される。すなわち人は、他者から、自己の欲しない刺激によって心の静穏を乱されない利益を有する。自己の個人情報が、住基ネットで国によって集中的に管理されることにより、それが漏洩されるのではないか、他人に知られたくない自己の情報が不当に利用されるのではないか、ときには公開されるのではないか、との不安感、危惧、危機感を常に抱きながらの生活が余儀なくされる。これは、まさに、他者から自己の欲しない刺激によって心の静穏を乱されることにほかならず、これは、生活における精神的平穏の侵害であって、プライバシー権の一態様である平穏生活権を侵害するものである。
エ 被告らは、住基法に基づき、各被告の電子計算機と電気通信回線を接続し、原告らの本人確認情報を大阪府に提供している。これは、被告らの各市長が、公権力の行使として、職務を行うにつきなした行為である。被告らの各市長は、住基ネットに接続すれば、原告らの本人確認情報が、住民登録をした地方自治体から、外部に漏出し、これにより原告らの権利が侵害されることは容易に認識予見できたものであるから、被告らの各市長には、故意又は過失がある。
オ 原告らは、被告らの地方公共団体に住む一般市民である。原告らは、ウ項記載の権利侵害を受け、これを慰謝するに、各5万円を下らない精神的損害を受けた。
(2) 被告らの主張
ア 住基ネットは、行政サービスの向上と行政事務の効率化を目的とするシステムである。住基ネットにより、パスポート申請の際の住民票の写しの提出の省略をはじめ、行政機関等への申請、届出の際に、住民票の写しの提出が不要になった事務が多数あり、将来的には、より多数の事務で、住民票の写しの提出を不要とする計画である。これにより、住民は、住民票の写しの交付に伴う負担を免れ、市町村は、交付事務に伴う行政経費を削減できることとなった。また、年金受給者は、毎年現況届又は身上報告書を提出しなければならなかったが、住基ネットにより、加給年金対象者を除き、上記書面の提出が不要となった。このように、住基ネットにより、住民の申請、届出、住民票の写しの添付等の負担が解消され、行政側としても、事務効率の向上や、事務の正確性が向上している。さらに、住基ネットにより、行政機関への申請、住民の転入、転出事務の簡素化、住民票の写しの交付の広域化も実現されている。
イ 住基ネットにおいては、運用関係者による情報漏洩を防止するための各種の措置がとられ、セキュリティー対策が具体的に講じられている。
ウ(ア) 住民票コードは、住基ネットにおいて本人確認を確実かつ効率的に行うために使用される10桁の数字及び1桁の検査数字にすぎず、住民基本台帳に記録されている者は、理由のいかんを問わず、住民票コードの記載の変更を請求することができる(住基法30条の3第1項)のであるから、住民票コードは、個人の人格的価値とは無関係である。住民票コードの記載により、原告らの人格権及び何らかの人格的利益が侵害されるとはいえない。
(イ)a プライバシーは、憲法13条に規定された幸福追求権によって基礎づけられる法的に保護に値する人格的利益である。しかし、プライバシーの概念は多義的であるとともに、プライバシーは、一般人を基準として通常他人に知られたくないか否かによって保護範囲が左右されるものであるから、同じ情報であっても、利用される場面あるいは公表される相手方によってその侵害となるか否かが左右される外延の極めて不明確なものであり、権利としての明確性がない。プライバシーは、その概念の不明確さゆえに、それ自体は一個の統一的な憲法上の権利とまでは認められないというべきである。
b プライバシーの法的保護の内容は、みだりに私生活(私的生活領域)へ侵入されたり、他人に知られたくない私生活上の事実又は情報を公開されたりしない利益として把握されるべきであって、原告らが主張するように、プライバシーに属する情報をコントロールすることを内容とする権利とは認められない。公権力から監視されない権利を含むものでもない。したがって、憲法13条により自己情報コントロール権、公権力から監視されない権利が保障されているという原告らの主張は失当である。
(ウ) 住基ネットは、原告らの主張する情報コントロール権、公権力から監視されない権利を侵害するものではない。
(エ) 住基ネットは、原告らの平穏な生活を犯すものではない。
エ 住基ネットは、何ら憲法に違反するものではなく、原告らの主張するプライバシー権等を侵害するものではない。被告らの各市長が、住基法に基づいて実施することは、もとより職務上の法的義務に違反するものではなく国家賠償法1条1項の違法に当たるとはいえない。
第3 争点に対する判断
1 住民票コードについて
(1) 住民票コードは、住基ネットにおいて本人確認を確実かつ効率的に行うため、平成11年法律第133号により、新たに住民票の記載事項(住基法7条13号)として追加されることになったものである。
 そして、住民基本台帳法施行規則1条によれば、住民票コードは、無作為に作成された10桁の数字と1桁の検査数字 (住民票コードを電子計算機に入力するときの誤りを検出することを目的として、総務大臣が定める算式により算出される数字) によるものとされており、全国を通じて重複しないように指定されている。
 市町村長は、平成11年法律133号の施行日に、現に住民基本台帳に記録されている者に係る住民票に、他の住民の住民票に記載する住民票コードと重複しない住民票コードを記載するものとし(平成11年法律133号附則3条)、住民票コードを記載したときは、当該記載に係る者に対し、その旨及び当該住民票コードを書面により通知しなければならないとされている(平成11年法律133号附則5条)。
 また、市町村長は、新たにその市町村の住民基本台帳に記録されるべき者につき住民票の記載をする場合に、その者がいずれの市町村においても住民基本台帳に記録されたことがない者であるときは、その者に係る住民票に、他の住民の住民票に記載する住民票コードと重複しない住民票コードを記載するものとし(住基法30条の2第2項)、住民票コードを記載したときは、当該記載に係る者に対し、その旨及び当該住民票コードを書面により通知しなければならないとされている(住基法30条の2第3項)。
 住民基本台帳に記録されている者は、その者が記録されている住民基本台帳を備える市町村の市町村長に対し、その者に係る住民票に記載されている住民票コードの記載の変更を請求することができる。この場合、市町村長は、従前記載されていた住民票コードに代えて、新たな住民票コードをその者に係る住民票に記載するものとし(住基法30条の3第3項)、新たな住民票コードを記載したときは、変更請求をした者に対し、住民票コードの記載を変更した旨及び新たに記載された住民票コードを書面により通知しなければならないとされている(住基法30条の3第4項)。
(2) 以上のとおり、住民票コード自体は、無作為に作成された数字であるから、住民票コードの数字そのものからは、氏名、住所、男女の別、生年月日等の個人情報が推知されるものではない。また、住民票コードは、市町村長に対する変更請求により、いつでも何度でも変更できるものであり、いったん市町村長から振り当てられると、振り当てられた者が、一生、固定的に、その住民票コードを使用し続けなければならないものでもない。さらに、行政機関からの住民に対する呼称に、氏名等ではなく、住民票コードの数字が用いられるというものでもない。
したがって、原告らが、住民票コードを割り振られたことにより、原告らの人格権、あるいは何らかの人格的利益が侵害されたとは認められない。
2 本人確認情報について
(1) 住基ネットでは、前記前提となる事実記載のとおり、市町村に設置された電子計算機等に、各住民の本人確認情報が保存され、この本人確認情報が、電気通信回線等を通じて、都道府県知事、他の市町村の市町村長その他の執行機関に通知され、都道府県知事が、市町村長から通知された本人確認情報を、都道府県に設置された電子計算機等に保存し、この本人確認情報が、電気通信回線等を通じて、国の機関又は法人、他の都道府県、当該都道府県の区域内の市町村、財団法人地方自治情報センター等の機関に提供されることになる。
 しかし、住基ネットにおいて、市町村に設置された電子計算機等に保存される本人確認情報は、住民票記載の事項のすべてではなく、このうち、氏名、出生の年月日、男女の別、住所及び住民票コード並びにその変更に関する情報に限定されている(住基法30条の5第1項)。
 これら限定された個人情報であっても、みだりにこれを開示されたくないと考えるのは自然なことであり、そのことへの期待は保護されるべきであるから、原告ら主張のごとき権利性を認めるか否かはともかく、原告らのプライバシーに係る情報として法的保護の対象にはなるものというべきである。
(2) しかしながら、住民票の記載事項のうち、氏名、出生の年月日、男女の別及び住所は、請求事由を明らかにすれば、不当な目的によることが明らかな場合等でない限り、何人でも閲覧しうる事項であり(住基法11条)、また、これらの事項を記載した住民票の写しは、同様の手続で、何人でも交付を請求できるものである(住基法12条)。
 してみると、これらの個人情報は、住民票の他の記載事項に比べて秘匿されるべき必要性が必ずしも高いものということはできない。
 これに対して、住基ネットは、前記前提となる事実記載のとおり、地方公共団体の共同のシステムとして、住民基本台帳のネットワーク化を図り、特定の情報の共有により、全国的に特定の個人情報の確認ができる仕組みを構築し、市町村の区域を越えて住民基本台帳に関する事務処理を行うものである。
 したがって、当該住民の住民票を備える市町村以外の行政機関等が、その事務処理の範囲内において、本人であるか否かを確認するため、氏名、出生の年月日、男女の別、住所及び住民票コードを利用する必要性は、相当程度に認められるというべきである。
(3) このような住基ネットにおいて市町村に設置された電子計算機等に保存される本人確認情報の内容・性質と、公益の必要性とを照らし合わせてみると、住基法30条の5第1項に規定された本人確認情報が、被告らの市長によって住基ネットに接続され、大阪府知事の使用に係る電子計算機に送信され、保存されたことをもって、原告らのプライバシーに係る法的利益が直ちに侵害されたとみることはできない。
3 目的外使用について
 もっとも、このような本人確認情報であっても、本人の確認という目的以外に利用される場合には、原告らのプライバシーに係る法的利益を侵害することも考えられる。
 しかし、原告らは、この点について請求をしている訳でもなく、原告らの氏名、出生の年月日、男女の別、住所及び住民票コードが、被告らの各市長及びその他の執行機関によって、目的外使用されたり、被告らの各市長が、他の者に目的外使用させた事実をうかがわせる証拠はない。
4 住基ネットの安全性について
(1) 原告らは、住基ネットには、ハッカー等による外部から侵入される危険性、運用関係者による情報漏洩等の危険性、セキュリティ対策の不整備などがあり、本人確認情報の流出の危険性があると主張する。
(2) しかし、住基ネットが、原告らのプライバシーに係る法的利益に対する侵害を容易に引き起こすような危険なシステムであるとは、認められない。理由は次のとおりである。
ア 住基ネットにおいては、次のような措置等が講じられている。
(ア) 住基ネットに係る事務に従事する市町村、都道府県及び指定情報処理機関並びに本人確認情報の提供を受けた市町村、都道府県及び国の機関等の役員、職員又はこれらの職にあった者に対し、本人確認情報処理事務等に関して知り得た本人確認情報に関する秘密又は本人確認情報の電子計算機処理等に関する秘密の保持義務を課し(住基法30条の17第1項、30条の31第1項、30条の35第1項及び第2項)、これに違反した者は、2年以下の懲役又は100万円以下の罰金という刑罰を科している(住基法42条)。さらに、市町村、都道府県及び指定情報処理機関並びに本人確認情報の提供を受けた市町村、都道府県及び国の機関等から、本人確認情報の電子計算機処理等の委託を受けた者、その役員若しくは職員又はこれらの者であった者に対しても、本人確認情報処理事務等に関して知り得た本人確認情報に関する秘密又は本人確認情報の電子計算機処理等に関する秘密の保持義務を課し(住基法30条の17第2項、30条の31第2項、30条の35第3項)、これに違反した者は、2年以下の懲役又は100万円以下の罰金という刑罰を科している(住基法42条)。
(イ) 指定情報処理機関は、総務大臣による役員の選任等の認可、解任命令(住基法30条の16)、本人確認情報管理規程の認可(住基法30条の18)、事業計画等の認可(住基法30条の19)、監督命令(住基法30条の22第1項)、報告及び立入検査(住基法30条の23第1項)、指定の取消し(住基法30条の25)等による監督に服するほか、委任都道府県知事による指示(住基法30条の22第2項)、立入検査(住基法30条の23第2項)等の監督も可能である。また、本人確認情報の保護に関する事項等を調査審議するため、指定情報処理機関には、本人確認情報保護委員会が設置され(住基法30条の15)、都道府県には、本人確認情報の保護に関する審議会が設置されている(住基法30条の9)。
(ウ) 本人確認情報の提供を受ける行政機関の範囲や利用目的を法律で規定し、これを限定している(住基法30条の6、30条の7第3項ないし第6項、30条の8及び別表)。
 さらに、法律に基づき本人確認情報の提供を受ける受領者に対し、目的外の利用又は提供を禁止する(住基法30条の34)とともに、都道府県知事及び指定情報処理機関に対し、法律の規定によらない本人確認情報の利用及び提供を禁止している(住基法30条の30)。
(エ) 行政機関以外の者が住民票コードを利用することを禁止している。契約に際し住民票コードの告知を要求したり、住民票コードの記録されたデータベースであって、当該住民票コードの記録されたデータベースに記録された情報が他に提供されることが予定されているものを構成した場合、都道府県知事は中止勧告や中止命令を行うことができる。都道府県知事の中止命令に違反した者は、1年以下の懲役又は50万円以下の罰金が科せられる(住基法30条の43、44条)。
 行政機関が住民票コードを利用する場合も、目的外利用の禁止、告知要求制限等の規定により利用が制限(30条の42、30条の43)されている。
(オ) 総務大臣は、平成14年6月10日付け総務省告示第334号(乙2の1)、平成15年5月27日付同告示391号(乙2の2)及び同年9月29日付同告示601号(乙2の3)等により、住基ネットにおける電気通信回線を通じた送信、磁気ディスク記録及びその保存方法に関し、電子計算機等のハードウェア、住基ネットにおけるソフトウェア、住基ネットを運用する職員の事務処理体制、電子計算機等のハードウェアが設置される施設の環境、市町村の既存の住民基本台帳システムとの接続条件及び本人確認情報の保存期間経過による消去等種々の定めをしている。
イ 以上のとおり、住基ネットの施行に伴い、本人確認情報保護のため、種々の措置が講じられており、住基ネットが、本人確認という目的以外に使用されたり個人のプライバシーに係る法的利益に対する侵害を容易に引き起こすような危険なシステムとは認められない。
5 本人確認情報の訂正等について
 原告らは、また、住基ネットに接続されることにより、原告らの本人確認情報がコントロールできなくなり、訂正、削除が困難になる旨主張する。
 しかし、住基法は、何人も、都道府県知事又は指定情報処理機関に対し、住基法30条の5第3項、30条の11第3項により磁気ディスクに記載されている自己の本人確認情報について、その開示(自己に係る本人確認情報が存在しないときにその旨を知らせることを含む。)を請求することができ、都道府県知事又は指定情報処理機関は、上記請求に対し、本人確認情報につき開示しなければならない(住基法30条の37)し、開示を受けた者が、本人確認情報につき、その内容の全部又は一部の訂正、追加又は削除の申出があったときは、都道府県知事又は指定情報処理機関は、遅滞なく調査を行い、その結果を通知しなければならない(住基法30条の40)と規定しており、住民からの本人確認情報の開示、訂正の申出を認めている。
第4 結論
 以上説示のとおり、被告らが、住民票コードを割り振り、住民票コードを住民票に記載し、平成14年8月5日、住基ネットに接続したことにより、原告らの権利、法的利益が侵害がされたとは認められないので、原告らの請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がない。
 よって、原告らの請求をいずれも棄却する。

大阪地方裁判所第12民事部
 裁判長裁判官 中村隆次
 裁判官 宮武康
 裁判官 芝本昌征
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