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【事件名】顧客データの不正競争事件(佃煮卸業)
【年月日】平成15年7月24日
 大阪地裁 平成14年(ワ)第3162号 損害賠償等請求事件
 (口頭弁論終結日 平成15年5月23日)

判決
原告 金正食品株式会社
訴訟代理人弁護士 渡辺隆文
同 坂野真一
被告 七海物産有限会社
被告 A
被告ら訴訟代理人弁護士 田渕学


主文
 原告の請求をいずれも棄却する。
 訴訟費用は原告の負担とする。

事実
第1 当事者の求めた裁判
1 請求の趣旨
(1) 被告らは、原告に対し、連帯して金400万円及びこれに対する平成14年4月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2) 被告らは、別紙目録記載1、27、30ないし34の原告の得意先に対して、昆布、佃煮、乾物等の販売及び販売活動をしてはならない。
(3) 訴訟費用は被告らの負担とする。
(4) (1)項につき仮執行宣言
2 請求の趣旨に対する答弁
 主文同旨
第2 当事者の主張
1 請求原因
(1) 当事者
ア 原告は、昆布、佃煮等の卸売を業とする株式会社である。原告の顧客は、昆布、佃煮等の小売店である。
イ 被告Aは、昭和40年9月1日から原告に従業員として勤務していたが、平成13年8月20日、原告を退社した者である。
ウ 被告有限会社七海物産(以下「被告七海物産」という。)は、平成13年11月13日設立された、昆布、佃煮等の卸売、小売等を業とする有限会社である。被告七海物産の顧客は、昆布、佃煮等の小売店である。
 昆布、佃煮等の販売業界においては、得意先との関係が密接なため、新規参入が困難であるにもかかわらず、被告七海物産は、それらの販売業界に新規参入していること、被告A以外の被告七海物産の従業員が原告の得意先を訪れたことはないこと、被告七海物産には、被告A以外に昆布、佃煮等の販売に長けた者はいないことから、被告七海物産は、被告Aが原告に対して負っている競業避止義務等を回避するために被告A以外の者の名義で設立された会社であり、その事実上の設立者は被告Aである。したがって、被告七海物産は、その法人格を否認されるべきであり、被告Aと実質的に同一とみるべきである。
(2) 被告らの競業行為
ア 被告Aは、平成13年9月初め以降は個人で、被告七海物産の設立後の同年11月14日以降は被告七海物産の名で、原告の得意先を訪問し、原告と同一の商品を原告の卸売価格より低い価格で販売する旨申し入れ、又は低い価格で販売している。
 被告Aの上記のような競業行為により、原告は、別紙目録記載2ないし29の得意先とほとんど取引がなくなった。被告Aは、競業行為により、同目録記載30ないし34の顧客を原告から奪おうとしている。
イ 被告七海物産は、同被告の名で、被告Aに競業行為を行わせている。
(3) 労働契約に基づく債務不履行
ア 労働契約に基づく義務
(ア) 被告Aは、原告に対し、労働契約に基づき、同契約終了後も、同契約継続中に獲得した使用者たる原告の取引の相手方に関する知識を利用して、使用者たる原告の取引継続中の相手方に対して働きかけをして競業を行ってはならないという義務(競業避止義務)を負っている。
(イ) 前記(1)ウのとおり、被告七海物産は、その法人格を否認されるべきであり、被告Aと実質的に同一とみるべきである。そして、被告Aが原告に対し前記(ア)のとおり競業避止義務を負っていることから、被告七海物産も、原告に対し、前記(ア)と同様の競業避止義務を負っている。
 仮に被告七海物産の法人格が否認されないとしても、前記(1)ウのとおり、被告七海物産は、被告Aが原告に対して負っている競業避止義務等を回避するために被告A以外の名義で設立された会社であることから、被告七海物産は、原告に対し、信義則上、前記(ア)と同様の競業避止義務を負っている。
イ 債務不履行
(ア) 被告Aの競業行為は、被告Aの競業避止義務に違反し、債務不履行を構成する。
(イ) 被告七海物産の競業行為は、被告七海物産の競業避止義務に違反し、債務不履行を構成する。
(4) 不正競争防止法
ア 営業秘密
(ア) 有用性
 原告及び被告らが業とする昆布、佃煮等の販売は、急激な需要増が見込めず、製造元が限られていて商品内容に大差がない。このような昆布、佃煮等の販売事業の特徴からして、顧客の住所、顧客の取引履歴、顧客の商品の購入傾向(各顧客がどのような商品を多く注文して購入する傾向があるかということ)、顧客に対する卸売価格は、原告及び被告らの事業活動にとって有用な営業上の情報である。
(イ) 非公知性
 原告の顧客の住所、顧客の取引履歴、顧客の商品の購入傾向、顧客に対する卸売価格は、公然とは知られていない。
 原告を含む昆布、佃煮等の卸売業者が、いずれも同一の製造業者から商品を仕入れており、卸売業者間で卸売価格に大差がないとしても、卸売業者間では、わずかの価格差によって販売の可否が決まるのであるから、正確な卸売価格は公然とは知られていない。
(ウ) 秘密管理性
a 顧客の住所は、顧客台帳に記載され、原告の本店及び営業所において管理されており、営業所外への持ち出しは禁じられている。
b 顧客の取引履歴は、コンピューター上の売掛元帳にコンピューターデータの形で保存され、その閲覧、プリントアウトは禁じられている。
c 商品の購入傾向は、特にその記入欄を設けるなどして情報の管理がされているものではないが、取引履歴から容易に認識することができ、この取引履歴は秘密として管理されているから、商品の購入傾向も秘密として管理されているといえる。
 原告の従業員は、請求書の控えを見ることによって、自らが担当する顧客の商品の購入傾向を把握する。
 顧客の商品の購入傾向は、最終購買者である消費者のニーズによって全面的に左右されるわけではない。
d 顧客に対する卸売価格は、原告代表者の指示により決定され、請求書等には記載されるが、他の顧客や他社に対して情報を漏泄することは禁じられている。
(エ) 営業秘密該当性
 したがって、原告の顧客の住所、顧客の取引履歴、顧客の商品の購入傾向、顧客に対する卸売価格は、原告の営業秘密である。
イ 営業秘密の不正使用等
(ア) 不正競争防止法2条1項7号
a 被告Aは、かつて原告の北部店の店長であり、原告から、原告の顧客の住所、顧客の取引履歴、顧客の商品の購入傾向、顧客に対する卸売価格を示された。
b 被告Aは、不正の競業その他の不正の利益を得る目的で、又は原告に損害を加える目的で、原告の営業秘密である原告の顧客の住所、顧客の取引履歴、顧客の商品の購入傾向、顧客に対する卸売価格を使用し、競業行為を行っている。
c 被告Aは、不正の競業その他の不正の利益を得る目的で、又は原告に損害を加える目的で、原告の営業秘密である原告の顧客の住所、顧客の取引履歴、顧客の商品の購入傾向、顧客に対する卸売価格を被告七海物産に開示した。
d 被告Aの前記b、cの行為は、不正競争防止法2条1項7号の不正競争に該当する。
(イ) 不正競争防止法2条1項8号
a 被告七海物産は、被告Aが、不正の競業その他の不正の利益を得る目的で、又は原告に損害を加える目的で、原告の営業秘密である原告の顧客の住所、顧客の取引履歴、顧客の商品の購入傾向、顧客に対する卸売価格を被告七海物産に開示することを知って、又は重大な過失により知らないで、これらの営業秘密を取得し、又はその取得した営業秘密を使用し、競業行為を行っている。
b 被告七海物産の前記aの行為は、不正競争防止法2条1項8号の不正競争に該当する。
(ウ) 共同不法行為
 被告Aの前記(ア)bの競業行為と被告七海物産の前記(イ)aの競業行為は、共同不法行為を構成する。
(5) 一般不法行為
ア 被告A
(ア) 原告代表者が被告Aに対し嫌がらせをした事実はなく、被告Aは自ら原告を退職したにもかかわらず、被告Aは、原告の顧客に対し、原告代表者から嫌がらせを受けて退職させられたという虚偽の事実を述べ、原告の信用を失墜させ、顧客を奪っている。
(イ) 被告Aは、その担当する原告の北部店のやり方を原告の本店や木津店に押しつけようとして原告代表者の指示に従わなかったことから配置転換されたものであり、自動車の使用の必要がなくなったことから自動車の返還を求められたものであり、自ら退職を申し出たものである。
イ 被告七海物産
 被告七海物産は、被告Aにあえて前記ア(ア)のような行為を行わせている。
ウ 共同不法行為
 被告Aの前記ア(ア)の行為と被告七海物産の前記イの行為は、共同不法行為を構成する。
(6) 損害
 被告らの債務不履行(前記(3)イ(ア)、(イ))、不正競争(前記(4)イ(ウ))又は一般不法行為(前記(5)ウ)によって原告が被った損害は、被告らのこれらの行為がなければ原告が得られたであろう利益の額である。
 この利益の額は、平成13年9月1日から平成14年2月28日までの原告の売上額(201万5680円)と平成12年9月1日から平成13年2月28日までの売上額(2003万1631円)の差額(1801万5951円=2003万1631円−201万5680円)に、原告が得られる利益の率を乗じて算出される。
 原告が得られる利益の率は、粗利の率(20.06%)に、仕入れ先からのリベートや値引きにより得られる利益の率(粗利の15%であり、売上額の3.009%である。)を加えて求められる(23.069%=20.06%+3.009%)。
 そうすると、原告が得られたであろう利益の額は、415万6100円(415万6100円=1801万5951円×0.23069)であり、原告の被った損害は、少なくとも400万円である。
(7) 結論
 よって、原告は、被告に対し、次のとおり請求する。
ア 債務不履行、不正競争防止法4条又は一般不法行為に基づく損害賠償として、連帯して金400万円及びこれに対する請求の後であり不正競争及び不法行為の後である平成14年4月17日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
イ 不正競争防止法3条1項、民法723条準用に基づき、別紙目録記載1、27、30ないし34の原告の得意先に対して、昆布、佃煮、乾物等の販売及び販売活動をすることの差止めを求める。
2 請求原因に対する認否
(1)ア 請求原因(1)(当事者)ア、イの事実は認める。
イ 請求原因(1)ウの事実のうち、被告七海物産が、平成13年11月13日設立された、昆布、佃煮等の卸売、小売等を業とする有限会社であること、被告七海物産の顧客が昆布、佃煮等の小売店であること、被告七海物産が、昆布、佃煮等の販売業界に新規参入していることは認め、その余は否認する。
 被告七海物産は、原告と同じ製造業者から商品を仕入れて昆布、佃煮等の販売業界に新規参入しているから、昆布、佃煮等の販売業界に新規参入するのが困難とはいえない。被告七海物産には、営業担当の従業員としてBがおり、被告Aから昆布、佃煮の見方や顧客との商談の仕方を学んでおり、被告Aと二人で又はB一人で営業を行っていることから、被告七海物産は、実体があり、法人格を否認されるべきものではないし、被告Aと実質的に同一とみることもできない。
(2)ア 請求原因(2)(被告らの競業行為)アの事実のうち、原告が、別紙目録2ないし29記載の得意先とほとんど取引がなくなったことは不知であり、その余は否認する。
イ 請求原因(2)イの事実は否認する。
 被告七海物産は、被告Aとの間で、昆布、佃煮等の卸売及び小売販売等の業務を委託し、売上額の5%を報酬として支払うという内容の業務委託契約を締結しており、これに基づいて、被告Aが、昆布、佃煮等の卸売及び小売販売等を行っている。
(3)ア 請求原因(3)(労働契約に基づく債務不履行)ア(労働契約に基づく義務)(ア)、(イ)の事実は否認し、主張は争う。
イ 請求原因(3)イ(債務不履行)(ア)、(イ)の主張は争う。
(4)ア(ア) 請求原因(4)(不正競争防止法)ア(営業秘密)(ア)(有用性)のうち、原告及び被告らが業とする昆布、佃煮等の販売が、製造元が限られていて商品内容に大差がないことは認め、その余の事実は否認し、主張は争う。
 昆布、佃煮の小売店は、新規開店されることがほとんどないから、各卸売業者はそれらの小売店をすべて把握しており、顧客の住所は、営業上有用な情報とはいえない。
(イ) 請求原因(4)ア(イ)(非公知性)の事実は否認し、主張は争う。
 顧客の住所は、電話帳や広告によって公然と知られているし、前記(ア)のとおり、各卸売業者は小売店をすべて把握しているから、顧客の住所は、公然と知られている。
 顧客の商品の購入傾向は、顧客である小売店の店頭に並べられた商品を見ることにより把握できるから、公然と知られている。
 原告を含む関西方面の昆布、佃煮等の卸売業者は、いずれも同一の製造業者から商品を仕入れているから、卸売価格は卸売業者間で大差がないこと、卸売価格は、卸売業者の店頭の値札に記載された一般消費者向けの価格の約80%程度というのが業界の常識であり、値札に記載された価格から知ることができること、顧客から容易に同業他社の卸売価格を教えてもらえることから、卸売価格は公然と知られている。
(ウ)a 請求原因(4)ア(ウ)(秘密管理性)aの事実のうち、顧客の住所が顧客台帳に記載されていたことは認め、その余は否認する。
 顧客台帳は、すべての従業員が閲覧可能な状態に置かれており、秘密として管理されていなかった。
b 請求原因(4)ア(ウ)bの事実のうち、コンピューター上の売掛元帳にコンピューターデータの形で取引履歴が保存されていたことは認め、その余は否認する。
c 請求原因(4)ア(ウ)cの事実のうち、商品の購入傾向が、特にその記入欄を設けるなどして情報の管理がされているものでなかったこと、原告の従業員が、請求書の控えを見ることによって、自らが担当する顧客の商品の購入傾向を把握していたことは認め、その余は否認する。
 顧客の商品の購入傾向は、売掛元帳に記載された取引履歴そのものではなく、営業担当者が、請求書の控えに記載された過去の取引の実績や顧客等から入手した情報を総合して判断した結果であり、管理可能な状態で客観的に存在する情報ではない。また、顧客の商品の購入傾向は、最終購買者である消費者のニーズに応じて日々変化し、一定しておらず、この点からも、管理が可能な情報とはいえない。
 顧客の過去の取引履歴は、消費者のニーズに伴う顧客の購入傾向の変化に伴って陳腐化するものであり、秘密管理性とは相容れない。
d 請求原因(4)ア(ウ)dの事実のうち、顧客に対する卸売価格が請求書等に記載されていたことは認め、その余は否認する。
(エ) 請求原因(4)ア(エ)(営業秘密該当性)の主張は争う。
イ(ア) 請求原因(4)イ(営業秘密の不正使用等)(ア)(不正競争防止法2条1項7号)aないしcの事実は否認し、dの主張は争う。
 顧客の取引履歴は、原告のコンピューター内に保存されていたが、被告Aは、コンピューターを操作することができなかったし、原告のコンピューターは、原告代表者とその妻が管理し、従業員にはパスワードが知らされていなかったから、被告Aが原告から取引履歴を示されたことはなかった。
(イ) 請求原因(4)イ(イ)(不正競争防止法2条1項8号)aの事実は否認し、bの主張は争う。
 被告七海物産と顧客の間の取引は、すべて、被告七海物産の自由競争の範囲内の営業活動により顧客の意思に基づいて行われているものである。
(ウ) 請求原因(4)イ(ウ)(共同不法行為)の主張は争う。
(5) 請求原因(5)(一般不法行為)ア(被告A)(ア)、(イ)、イ(被告七海物産)の事実は否認し、ウ(共同不法行為)の主張は争う。
 原告代表者は、古参の従業員であった被告Aの解雇を望み、原告において約35年間営業を担当してきた被告Aを営業の部署から配置転換し、アルバイトにも貸与している自動車の返還を求めたり、早朝出勤から外して事実上の賃金カットを行うなど、被告Aを退職させるための嫌がらせを行った。被告Aは、自ら退職すると発言し、原告を退職したが、原告代表者から事実上解雇されたものである。
(6) 請求原因(6)(損害)の事実は否認し、主張は争う。
(7) 請求原因(7)(結論)は争う。

理由
1(1) 請求原因(1)(当事者)ア、イの事実は、当事者間に争いがない。
 請求原因(1)ウの事実のうち、被告七海物産が、平成13年11月13日設立された、昆布、佃煮等の卸売、小売等を業とする有限会社であること、被告七海物産の顧客が昆布、佃煮等の小売店であること、被告七海物産が、昆布、佃煮等の販売業界に新規参入していることは、当事者間に争いがない。
(2) 請求原因(4)(不正競争防止法)ア(営業秘密)(ア)(有用性)のうち、原告及び被告らが業とする昆布、佃煮等の販売が、製造元が限られていて商品内容に大差がないこと、請求原因(4)ア(ウ)(秘密管理性)aの事実のうち、顧客の住所が顧客台帳に記載されていたこと、同bの事実のうち、コンピューター上の売掛元帳にコンピューターデータの形で取引履歴が保存されていたこと、同cの事実のうち、商品の購入傾向が、特にその記入欄を設けるなどして情報の管理がされているものでなかったこと、原告の従業員が、請求書の控えを見ることによって、自らが担当する顧客の商品の購入傾向を把握していたこと、同dの事実のうち、顧客に対する卸売価格が請求書等に記載されていたことは、いずれも当事者間に争いがない。
2 上記当事者間に争いのない事実並びに甲第3号証、第5号証(後記の採用することができない部分を除く。)、乙第1号証の1ないし14、第2号証、原告代表者本人尋問の結果(後記の採用することができない部分を除く。)、被告A本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。
(1) 原告は、昆布、佃煮等の卸売を業とする株式会社であり、原告の顧客は、昆布、佃煮等の小売店である。被告Aは、昭和40年9月1日から約35年間にわたり、原告に従業員として勤務していたが、平成13年8月20日、原告を退社した。
(2) 被告Aは、原告において、昆布の見立て方、営業における心がけなどを、先代の代表者から丁寧に教えられ、昆布、佃煮等の商品を顧客である小売店に販売する営業の業務に従事していた。被告Aは、顧客が原告との取引をやめて同業他社と取り引きするようにならないようにし、顧客への販売額を増加させるように努めるため、2日に1度の割合で顧客先を回り営業を行っていた。顧客に対しては、その時期に他の小売店等でよく売れている売れ筋商品や新商品の情報提供を行い、顧客の在庫に注意して在庫が減少する前に絶えず納品するようにし、急ぎの注文にも応じていた。納品に当たっては、新しい商品と従前の商品の入れ替えなどを考慮して、顧客の店舗における商品の管理に助力した。顧客への販売価格(卸売価格)の決定については、被告Aを含む営業担当者に、一定の範囲内で裁量が与えられていた。顧客は、価格について交渉するために、同業他社の卸売価格を被告Aに告げることもあった。また、多くの顧客は、長年の付合いを通じて被告Aを信頼し、被告Aとは親密な関係にあったから、同業他社の売込みがあったこと、同業他社が売込みに来た商品の内容、同業他社の卸売価格等を被告Aに告げ、また、被告Aに問われれば、それらの情報を提供した。
(3) 原告の卸売に係る昆布、佃煮等については、製造元が限られていることから、商品内容に大差がなく、いずれの卸売店又は小売店で取り扱っている商品の種類もあまり変わらず、また、仕入価格は、原告も同業他社もほぼ同じであるため、小売店等に対する卸売価格も、原告と同業他社であまり差がなかった。そのため、小売店等に対する販売に成功するかどうかは、同業他社より安価な卸売価格を設定することができるかどうかに係るところもあったが、前記のとおり卸売価格にあまり差がないことから、卸売価格が少々高くても、被告Aが労を惜しまず上記のようなきめ細かなサービスを心がけることにより、販売に成功することも少なくなかった。
(4) 原告において、顧客の住所は、顧客台帳に記載されており、取引履歴はコンピューター上の売掛元帳にコンピューターデータの形で保存されており、顧客に対する卸売価格は請求書等に記載されていた。
 被告Aは、自分の担当する顧客名をすべて把握しており、頻繁に顧客先を訪れていたので、顧客の住所は、原告の顧客台帳を見なくても分かる程度に把握しており、担当地域における同業他社約10社や、担当地域にある昆布、佃煮等の小売店で原告と取引のない者などの情報も把握していた。また、被告Aは、コンピューターを操作することができなかったので、コンピューター上の売掛元帳に保存されていた取引履歴を使用することはできなかった。
(5) 原告の現在の代表者(以下「現代表者」という。)は、大学卒業後、原告に入社したが、顧客先を回ることなどに積極的ではなく、同業他社や、昆布、佃煮等の小売店で原告と取引のない者などの情報を、あまり把握していなかった。現代表者は、先代の代表者が引退した後、平成11年8月ころ、原告の代表者となった。現代表者は、被告Aが心がけていたような顧客に対するきめ細かなサービスをそれほど重視していなかったため、従前通りの営業の方法を採ろうとする被告Aとの関係は次第に悪化していった。
 現代表者は、昼以後に来店した顧客に対して、もう売ることはできないから翌日来るように言うことがあり、また、顧客先へアルバイトの店員とともに配送に行って、自分は自動車にとどまって顧客先に挨拶せず、アルバイトの店員に配達させることがあった。このような現代表者の態度について、顧客が被告Aなどに苦情を言うことがあった。
(6) 被告Aは、原告の北部店が約20年前に開店してからは、北部店の営業を担当してきたが、平成13年6月、北部店は閉鎖され、被告Aは、原告の木津店、更にその後本店の勤務とされた。被告Aは、木津店に勤務するようになってから、従前の営業方法を伝えようとして、木津店の従業員に注意することがあったが、現代表者は、これを木津店に対する過度の介入と捉え、木津店の従業員に委せるよう、被告Aに申し付けることもあった。
 被告Aは、北部店に勤務していたときは、午前5時半ころからの早朝勤務であり、原告から自動車の貸与を受けていたが、北部店閉鎖後は、早朝勤務でなくなり、早朝勤務がなくなったことなどを理由に、給料等を減らされ、自動車の貸与も行われなくなった。被告Aは、昆布の包装に顧客の苦情があったことから、原告の従業員に、包装を改善するよう指導したところ、これについて、現代表者から、そのような指導は不要である旨言われたことがあり、また、定期的に顧客先を訪れる日以外の日に顧客からの急な注文に応じたことを現代表者にとがめられたことなどがあった。このような状況の下で、被告Aは、自らが培ってきた営業の能力を原告において生かすことができなくなったと考え、平成13年8月20日、原告を退社した。
(7) 被告七海物産は、平成13年11月13日設立された、昆布、佃煮等の卸売等を業とする有限会社であり、その顧客は小売店等であり、昆布、佃煮等の販売業界に新規参入したものであった。被告七海物産の代表者は、従前、佃煮の小売等に関与したことがあったが、昆布、佃煮等について特に詳しい知識はなかった。被告Aは、原告を退社した後、被告七海物産との間で、被告七海物産が被告Aに乾物、佃煮等の卸売及び小売販売の業務を委託し、売上額の5%の報酬を支払うことなどを内容とする業務委託契約を締結し、被告七海物産の名の下に昆布、佃煮等の販売を行っている。被告七海物産には、被告A以外には、昆布、佃煮等について詳しい知識を有する者はおらず、被告Aが業務委託契約を締結した後、従業員が1名入社し、被告Aとともに昆布、佃煮等の販売に従事した時期もあったが、その後、その従業員は退社し、現在は従業員がおらず、被告七海物産が行った昆布、佃煮等の取引は、実際上は、ほとんどすべて被告Aが担当したものであった。
(8) 別紙目録記載の者は、過去に原告と取引のあった者であるが、同目録2ないし29記載の者は、現在は原告と取引がない。別紙目録記載の者のうち、同目録19、20、25、27、32以外の者は、被告七海物産と過去に取引があり又は現在も取引がある者である。これらの取引先の中には、長年営業を担当してきめ細かなサービスを心がけてきた被告A個人の信用を重視して、同被告が原告を退社した後、同被告が取引に従事することを望み、被告七海物産と取引を始めた者も少なくなかった。
 以上の事実が認められ、甲第5号証及び原告代表者本人尋問の結果のうち、上記認定に反する部分は、採用することができず、他に上記認定を左右するに足りる証拠はない。
3 請求原因(3)(労働契約に基づく債務不履行)について検討する。
(1)ア(ア) 原告は、被告Aが、原告に対し、労働契約に基づき、同契約終了後も、同契約継続中に獲得した使用者たる原告の取引の相手方に関する知識を利用して、使用者たる原告の取引継続中の相手方に対して働きかけをして競業を行ってはならないという義務(競業避止義務)を負っている旨主張する(請求原因(3)ア(ア))。
(イ) 労働契約は、その契約の存続中において、労働者が雇用主に対して労務を提供し、雇用主がその報酬を支払うことを基本的な内容とする継続的契約であり、労務の提供を確保するために、労働者に、労務を提供する義務に付随して、前記(ア)のような競業避止義務が認められる場合があることは、否定し得ない。しかし、労働契約の終了後は、労働者は労務提供義務を負わないから、それに付随する競業避止義務も負わないものと解すべきであり、労働契約の終了後は、特約のない限り、労働者に前記(ア)のような競業避止義は認められないというべきである。
 本件において、被告Aが、原告との間で、労働契約終了後も前記(ア)のような競業避止義務を負う旨の特約を締結していたと認めるに足りる証拠はないから、被告Aが、原告に対し、そのような競業避止義務を負っていたと認めることはできない。
イ 原告は、被告Aが原告に対し前記ア(ア)のような競業避止義務を負っていることから、被告七海物産も、原告に対し、同様の競業避止義務を負っている旨主張し、また、被告七海物産は、被告Aが原告に対して負っている競業避止義務等を回避するために被告A以外の名義で設立された会社であるとして、被告七海物産は、原告に対し、信義則上、前記ア(ア)と同様の競業避止義務を負っている旨主張する(請求原因(3)ア(イ))。このような原告の主張は、被告Aが前記ア(ア)のような競業避止義務を負うことを前提として、被告七海物産もそのような競業避止義務を負うとするものである。
 しかし、前記ア(イ)で判示したとおり、被告Aは、原告に対し、前記ア(ア)のような競業避止義務を負っていたと認めることはできないから、被告Aがそのような競業避止義務を負っていたことを前提として、被告七海物産も同様の競業避止義務を負っていたとする原告の主張は、採用することができない。
(2) そうすると、被告らは、原告に対して、いずれも、前記(1)ア(ア)のような競業避止義務を負っていたと認めることはできないから、被告らについて、競業避止義務に違反したことによる債務不履行は認められない。したがって、原告の被告らに対する労働契約に基づく債務不履行の主張は、いずれも理由がない。
4 請求原因(4)(不正競争防止法)について検討する。
(1) 原告は、原告の顧客の住所、顧客の取引履歴、顧客の商品の購入傾向、顧客に対する卸売価格が原告の営業秘密であると主張し(請求原因(4)ア)、被告Aが被告七海物産にこれらの情報を開示した旨主張する(同イ(ア))。
 そこでまず、原告が営業秘密として主張する顧客の商品の購入傾向が、不正競争防止法2条4項所定の秘密としての管理の対象となる情報に当たるかについて検討する。
 前記2で認定したとおり、原告の顧客の商品の購入傾向は、顧客台帳や売上元帳に特にその記入欄を設けるなどして情報の管理がされているものでなく、原告の従業員が、請求書の控えを見ることによって、自らが担当する顧客の商品の購入傾向を把握していたものであって、個々の従業員の判断の結果ともいうべきものであり、個々の従業員が内心に有していたものであり、また、弁論の全趣旨によれば、時期によって変化することが認められるから、秘密として管理の対象とすることのできる性質の情報とは認められない。原告は、取引履歴が秘密として管理されているから、取引履歴から容易に認識することができる顧客の商品の購入傾向も、秘密として管理されていたと主張するが、取引履歴は、商品の購入傾向の判断の根拠の一つにとどまり、商品の購入傾向とは別の情報であるから、そのような原告の主張は、採用することができない。なお、前記2(4)のとおり、被告Aは、コンピューターを操作することができなかったから、同被告が、コンピューター上の売掛元帳に保存されていた取引履歴から顧客の商品の購入傾向を認識していたと認めることはできない。
 したがって、顧客の商品の購入傾向は、不正競争防止法2条4項所定の秘密としての管理の対象となる情報に当たらず、営業秘密に当たらないものというべきである。
(2) 前記2(7)、(8)のとおり、被告七海物産が行った昆布、佃煮等の取引は、実際上は、ほとんどすべて被告Aが担当したものであり、別紙目録記載の者のうち、同目録19、20、25、27、32以外の者は、被告七海物産と過去に取引があり又は現在も取引がある者である。そこで、被告Aが、原告を退職した後、原告が営業秘密であると主張する原告の顧客の住所、顧客の取引履歴、顧客に対する卸売価格を使用して、これらの者と取引を行ったと認められるか(請求原因(4)イ(ア)b)、被告Aが、これらを被告七海物産に開示したと認められるか(請求原因(4)イ(ア)c)について検討する。
 前記2(4)のとおり、被告Aは、自分の担当する顧客名をすべて把握しており、頻繁に顧客先を訪れていたので、顧客の住所は、原告の顧客台帳を見なくても分かる程度に把握していた。また、被告Aは、コンピューターを操作することができなかったので、コンピューター上の売掛元帳に保存されていた取引履歴を使用することはできなかった。したがって、被告Aが、原告の顧客台帳に記載されていた顧客の住所、原告のコンピューター上の売掛元帳に保存されていた取引履歴を使用して取引をしたと認めることはできないし、これらを被告七海物産に開示したと認めることもできない。
 前記2(2)のとおり、顧客は、価格について交渉するために、同業他社の卸売価格を被告Aに告げることもあり、また、多くの顧客は、長年の付合いを通じて被告Aを信頼し、被告Aとは親密な関係にあり、同業他社の卸売価格等を被告Aに告げ、また、被告Aに問われれば、その情報を提供した。そうであるから、被告Aは、原告を退社した後、仮に原告の卸売価格を知ろうと思えば、顧客である小売店等から容易に知ることができたものと推認される。そして、前記2(2)のとおり、原告の営業担当者には、価格の決定について、一定の範囲内で裁量が与えられていたから、被告Aが退社した後は、原告の卸売価格は、新たな営業担当者によって裁量の範囲内で決せられ、被告Aの在職中とは必ずしも同一でなかったことが推認される。これらの事情に鑑みれば、被告Aがその取引に当たって、原告在職中に知り得た原告の卸売価格を使用したとは認められず、また、これを被告七海物産に開示したと認めることはできない。
 したがって、被告Aが、原告の顧客の住所、顧客の取引履歴、顧客に対する卸売価格を使用して取引を行ったとは認められないし、これらを被告七海物産に開示したとも認められない。
(3) 以上によれば、原告の被告Aに対する不正競争防止法2条1項7号に基づく請求は理由がない。
 また、原告の被告七海物産に対する不正競争防止法2条1項8号に基づく請求は、被告Aが被告七海物産に原告の営業秘密である原告の顧客の住所、顧客の取引履歴、顧客に対する卸売価格を開示し、これを被告七海物産が取得したこと(請求原因(4)イ(イ)a)を要件とするところ、被告Aが被告七海物産に対してそのような開示を行ったことは認められないから、原告の被告七海物産に対する不正競争防止法2条1項8号に基づく請求も理由がない。
5 請求原因(5)(一般不法行為)について検討する。
 乙第1号証の1ないし14、被告A本人尋問の結果によれば、被告Aが、原告の顧客であった取引先に対し、原告を退職した理由について、給料を減額されたり、他の従業員に対する指導を現代表者からとがめられたりして嫌がらせを受け、退職を余儀なくされた旨述べたことが推認される。
 しかし、前記2(5)、(6)認定の退職の経緯に鑑みれば、被告Aは、原告の先代の代表者に教えられ、30年以上にわたる営業において心がけてきたことを、十分な理由を示されることなく現代表者に受け入れられず、給料の減額等の処置を受けたのであるから、被告Aが、北部店の閉鎖以後の一連の措置により、嫌がらせを受け退職を余儀なくされたと受け止めるのもやむを得ない面があるということができ、形式上は原告が被告Aを解雇したものではなく、被告Aが退職を申し出たものであるとしても、嫌がらせを受け退職を余儀なくされたということが虚偽の事実であるとまでいうことはできない。また、前記2で認定したとおり、被告Aは、営業に当たって、長年にわたり顧客に対するきめ細かなサービスに努め、多くの顧客の信頼を得ていたのに対し、現代表者は、顧客先を回ることなどに積極的ではなく、同業他社や、昆布、佃煮等の小売店で原告と取引のない者などの情報をあまり把握しておらず、被告Aが心がけていたような顧客に対するきめ細かなサービスをそれほど重視せず、現代表者の態度に対して苦情を述べる顧客もあった。そうであるとすれば、原告の顧客であった者が被告Aと取引を開始した理由は、被告Aのきめ細かなサービス等が顧客に評価されたことによるものと推認され、嫌がらせを受け退職を余儀なくされたと被告Aが述べたことによるものと認めることはできない。
 したがって、原告の被告Aに対する一般不法行為に基づく請求は理由がなく、また、被告七海物産に対する一般不法行為に基づく請求も理由がない。
6 以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。

大阪地方裁判所第21民事部
 裁判長裁判官 小松一雄
 裁判官 中平健
 裁判官 大濱寿美


別紙目録 省略
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