判例全文 | ||
【事件名】R・シュトラウス作品の保護期間事件 【年月日】平成15年2月28日 東京地裁 平成14年(ワ)第15432号 損害賠償請求事件 (口頭弁論終結日 平成15年1月31日) 判決 原告 ブージー・アンド・ホークス・ミュージック・パブリッシャーズ・リミテッド 同訴訟代理人弁護士 桑野雄一郎 被告 日独楽友協会 主文 1 原告の請求を棄却する。 2 訴訟費用は、原告の負担とする。 事実及び理由 第1 請求 被告は、原告に対し、金88万0615円及びこれに対する平成14年6月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要 1 争いのない事実等 (1) 原告は、音楽の著作物について、著作者である作曲家若しくはその相続人又はその他の著作権者から著作権の譲渡を受け、音楽出版社として著作権の管理を行っているイギリス法人である。 被告は、平成3年に結成され、メンバーである演奏家及び指揮者による演奏会、指揮者及び指導者の養成、演奏指導などを行っている権利能力なき社団である。 (2) 被告は、平成14年6月29日、東京都渋谷区(以下略)所在の新国立劇場中劇場において、ドイツの作曲家であるリヒャルト・シュトラウス(1949年死亡)が作曲した音楽の著作物である歌劇「ナクソス島のアリアドネ」(以下「本件楽曲」という。)を上演した(以下「本公演」という。)。被告は、本公演に際し、原告から著作権の使用許諾を得なかった。 2 本件は、本件楽曲の著作権を有すると主張する原告が、被告に対し、本件楽曲の上演権及びパート譜の複製権に基づき損害賠償を求めた事案である。 第3 争点及びこれに関する当事者の主張 1 争点 (1) 本件楽曲の著作権の保護期間は満了しているか。 (2) 損害の発生及び額 2 争点に関する当事者の主張 (1) 争点(1)について (原告の主張) リヒャルト・シュトラウスは、1912年2月29日、本件楽曲の著作権をドイツ法人であるアドルフ・フュルストナー社に譲渡した。同社の経営者であったAは、1935年10月24日、ナチスの支配下で、同社をBに委譲し、本件楽曲を含むリヒャルト・シュトラウスの作曲した楽曲の著作権について、ドイツ帝国領土内については引き続き同社が、その他の地域についてはAが有することとした。その後、Aは、グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国(以下「連合王国」という。)に亡命し、連合王国においてフュルストナー・リミテッドを設立し、同社が本件楽曲の著作権を管理・行使することとなった。原告は、1943年4月29日、フュルストナー・リミテッドを買収し、これに伴い、本件楽曲に関する著作権を含む同社の有していた著作権のすべてを取得した。 リヒャルト・シュトラウスは、1949年に死亡し、すでに死後50年が経過しているが、本件楽曲の著作権は、1941年12月7日の時点で、フュルストナー・リミテッドが有しており、同社は、日本国との平和条約25条の連合国である連合王国の法律に基づいて設立されたから、連合国及び連合国民の著作権の特例に関する法律2条2項の「連合国民」に該当する。したがって、本件楽曲の著作権については、同法4条1項により、日本国内においては3794日間保護期間が延長されるため、著作権の保護期間は満了していない。 (被告の主張) リヒャルト・シュトラウスとアドルフ・フュルストナー社の契約書(甲10)の内容からすれば、アドルフ・フュルストナー社はあくまでリヒャルト・シュトラウスの代理人として、本件楽曲の出版権と上演権の管理を委託され、それを行使する立場にあるだけであって、本件楽曲の著作権を譲渡されたものではない。したがって、本件楽曲の著作権は、ドイツ人であるリヒャルト・シュトラウスが有しており、戦時加算の対象にはならない。 また、文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約パリ改正条約3条ないし11条の規定により、本件楽曲の著作権は、リヒャルト・シュトラウスの死後50年の経過によって消滅している。 (2) 争点(2)について (原告の主張) 原告の損害は、以下のとおり、合計88万0615円である。 ア 上演権侵害による損害 原告は、本件楽曲の上演を許諾する際には、許諾料として入場料収入の7%を受領している。 新国立劇場中劇場の座席数は、プロセミアム形式の場合が1038席、オープン形式の場合が1010席である。本公演が座席数の少ないオープン形式で行われたと仮定すれば、座席数は車椅子席8席を含む1010席である。本公演のチケットは、S席8000円、A席6000円、B席4000円、学生券2000円及び車椅子席2000円である。 車椅子席2000円×8枚=1万6000円に、車椅子席以外のチケット代金の平均である5000円×車椅子席を除いた座席数1002席=501万円を加えると、本公演の入場料収入は、502万6000円と想定される。 したがって、入場料収入502万6000円の7%に相当する額である35万1820円が原告の損害である。 イ 複製権侵害による損害 被告は、本来であれば、原告が日本国内でのパート譜の管理を委託した日本ショット株式会社からパート譜のレンタルを受け、レンタル料を支払うべきであったのに、これを行わなかったから、当該レンタル料が被告の受けた利益であり、原告の受けた損害と推定される。 日本ショット株式会社において、演奏時間が140分である本件楽曲のパート譜をプロである被告に対して演奏会用にレンタルをする際のレンタル料は22万8795円(消費税込み)である。 ウ 弁護士費用 本件訴訟のための弁護士費用は、着手金10万円及び成功報酬20万円の合計30万円を下ることはない。 (被告の主張) ア 本公演の入場券販売の総数は、S席126枚、A席187枚、B席179枚、学生席7枚、合計286万円であり、それに7%を乗じた額は20万2000円である。 イ 複製権侵害による損害と弁護士費用については争う。 第4 当裁判所の判断 1 争点1について (1) 日本国との平和条約15条C項で、日本国が、連合国及びその国民の著作物に関して第二次世界大戦中の著作権を承認し、その戦時加算義務を認めたことを受けて、連合国及び連合国民の著作権の特例に関する法律4条1項は、昭和16年12月7日の時点で連合国及び連合国民が有していた著作権については、昭和16年12月8日から日本国と当該連合国との間に日本国との平和条約が効力を生じる日の前日までの期間を保護期間に加算する旨定めている。これは、文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約パリ改正条約20条で規定された、同条約が許与する権利よりも広い権利を著作者に与える同盟国相互間の特別の取極めである。 この戦時加算が認められるためには、昭和16年(1941年)12月7日の時点において、連合国又は連合国民が著作権者でなければならず、単に連合国又は連合国民が著作権の管理を委託されていたに過ぎない場合は含まれないものと解される。なぜならば、日本国との平和条約15条C項が「連合国及びその国民の著作物」を保護するものとしており、連合国及び連合国民の著作権の特例に関する法律4条1項は、昭和16年12月7日の時点で連合国及び連合国民が「有していた」著作権について保護するものとしていることからすると、文言上、昭和16年12月7日の時点において、連合国又は連合国民が著作権者でなければならないことは明らかであるうえ、この戦時加算は、戦時中に日本国内で連合国又は連合国民が有していた著作権が実質的に保護されなかったことから定められたものであるところ、連合国又は連合国民以外の者が著作権者であった場合には、他に単に著作権の管理を委託されたに過ぎない者がいたとしても、戦時中に日本国内において著作権を行使することが可能であったのであるから、戦時加算を認める理由がないからである。 (2) そこで、まず、本件楽曲について、昭和16年(1941年)12月7日の時点において、連合国民が著作権者であったかどうかについて検討する。 ア リヒャルト・シュトラウスとアドルフ・フュルストナー社の1912年2月29日付けの契約書(甲10)には、次のような記載がある。 第1条 シュトラウス氏は、さらに、アドルフ・フュルストナー社に対し、「ナクソス島のアリアドネ」及び「町人貴族」用に作曲される音楽の、独占的かつ無制限の複製・頒布を委ねる。 第7条 この作品の上演権は、音楽の面からも、台本の面からも全面的に、なおかつ、あらゆる国々、あらゆる言語において、シュトラウス氏が留保する。 第8条 シュトラウス氏は、前記作品の販売と上演権の管理を、作品全体かその一部かにかかわらず、それが法的保護を受ける期間において、また本契約9条で別段の定めがない限り、アドルフ・フュルストナー社に対し、「ubertragt」する。これに基づき、アドルフ・フュルストナー社は、シュトラウス氏の名前で劇場と上演権につき交渉し、上演権に関する諸契約を締結し、上演権の対価をシュトラウス氏に代わって取り立てなければならない。シュトラウス氏は、このために、アドルフ・フュルストナー社に対し、特別の代理権を与える。シュトラウス氏又は彼の相続人は、全体及び一部について、また、場合によってはその都度、上演権を譲渡し、また管理する権利を留保されている。しかし、同人らは、上演権を管理する権利の全部であれ一部であれ、他の音楽出版社又は第三者に譲渡することはできない。 イ 第8条に記載されている「ubertragen」という語は、ドイツ語では、「譲渡する」という意味と「委任する」という意味がある(甲14)。しかし、上記のとおり、同契約書において、リヒャルト・シュトラウスは上演権を自分に留保していること(7条)、リヒャルト・シュトラウスは、アドルフ・フュルストナー社に対して、リヒャルト・シュトラウスの名前で上演権に関する契約を締結する権限を与えているが、アドルフ・フュルストナー社は、上演権の対価をリヒャルト・シュトラウスに代わって取り立てなければならないとされており、リヒャルト・シュトラウスは、このために、アドルフ・フュルストナー社に代理権を与えるとしていること(8条)、リヒャルト・シュトラウスに上演権の譲渡権及び管理権が留保されていること(8条)からすると、「ubertragen」という語は、「譲渡する」ではなく「委任する」という意味に理解するのが相当である。なぜならば、上演権がアドルフ・フュルストナー社に譲渡されたのであれば、アドルフ・フュルストナー社は、当然に自ら上演権に関する契約を締結できるはずであって、上演権の対価をリヒャルト・シュトラウスに「代わって」取り立てたり、リヒャルト・シュトラウスから「代理権」を与えられたりすることはないはずであるし、リヒャルト・シュトラウスが自己に上演権(上演権の譲渡権及び管理権)を留保しているということもないはずであるから、このような契約は、譲渡契約ではなく管理委託契約というほかないからである。 ウ また、アドルフ・フュルストナー社の経営者であったAが、ナチス支配下で、同社をBに委譲し、リヒャルト・シュトラウスがアドルフ・フュルストナー社に委ねた諸権利について、ドイツ帝国領土内については引き続き同社が、その他の地域についてはAが有することについて、リヒャルト・シュトラウスは、Aに対し、1935年10月31日付けで了承する書面を送付している(甲11)。この書面には、「同社(アドルフ・フュルストナー社)は、ドイツ帝国領土において、貴殿がこれまで経営者として私に対して負ってきた義務を全て引き継ぎ、他方、世界のその他の地域に関する権利については貴殿が依然として私の契約相手のままであるということです。」「私は、貴殿が、貴殿に留保されている権利を国内外の会社に(資本参加の際に)譲渡することについては、貴殿が少なくとも50%の割合でその会社から利益配分を受けるとの条件で同意します。」との記載がある。以上の事実からすると、リヒャルト・シュトラウスとアドルフ・フュルストナー社との本件楽曲に関するものを含む契約関係のうち、ドイツ帝国領土外に関する契約関係については、1935年に、リヒャルト・シュトラウスの同意を得て、リヒャルト・シュトラウスとAとの契約関係に移転したこと、Aは、リヒャルト・シュトラウスから、Aが少なくとも50%の割合で利益配分を受けるのでなければ同人が有する権利を譲渡することができないとの条件を付されたこと、以上のとおり認められる。 さらに、その後、1938年に、Aは、連合王国においてフュルストナー・リミテッドを設立し、本件楽曲に関するものを含む同人が有する権利は、フュルストナー・リミテッドに譲渡された(甲2、弁論の全趣旨)。そして、フュルストナー・リミテッドは、1943年4月29日、原告に対し、同社の有していたすべての権利を譲渡した(甲12)が、その際にも、リヒャルト・シュトラウスは、1945年1月7日付けで、このことに同意した上で、原告に委ねる権利が、「上演権の管理権」と「機械的複製権、映画化権及びラジオ放送権を管理する権利」であると述べ、上演権の管理権については、フュルストナー・リミテッドに課せられていたのと同じ制限的条件が、機械的複製権、映画化権及びラジオ放送権を管理する権利については、アドルフ・フュルストナー社に課せられていたのと同じ条件がそれぞれ原告にも課せられる旨述べている(甲13)。 そして、リヒャルト・シュトラウスの相続人も、原告を故リヒャルト・シュトラウスの作品に関し著作権財団にかかる権利の「代行者」であるとの認識を有している(甲3)。 エ 上記ア及びイ認定のリヒャルト・シュトラウスとアドルフ・フュルストナー社の1912年2月29日付けの契約書の記載に加え、その後もアドルフ・フュルストナー社の有する権利の承継者に対してリヒャルト・シュトラウスが承継の同意と契約条件の確認を行ってきたこと等上記ウ認定の事実からすると、本件楽曲の著作権は、リヒャルト・シュトラウス及びその相続人が有しており、アドルフ・フュルストナー社、A、フュルストナー・リミテッド及び原告は、いずれも、リヒャルト・シュトラウスからの委託により、著作権の管理を行っていたに過ぎないものと認められ、リヒャルト・シュトラウス及びその相続人には、上演権や上演権を管理する権限が留保されているから、自ら権利行使することは可能であったものと認められる。 オ 原告は、甲第10号証の契約書によれば、アドルフ・フュルストナー社は、いわゆるグランド・ライツであるオペラ作品の上演権に関する契約交渉及び締結を自らの判断で行う権利を独占的に行使する地位が認められており、これは、単なる権利の委託ではなく、まさに著作者としての権利の全面的な譲渡であると主張する。そして、同契約書第8条で、リヒャルト・シュトラウスに本件楽曲の上演権を譲渡・管理する権利が留保されているのは、リヒャルト・シュトラウス自らが指揮者となる例外的な場合についての規定に過ぎないと主張する。 しかし、同契約書8条に「アドルフ・フュルストナー社は、シュトラウス氏の名前で劇場と上演権につき交渉し、上演権に関する諸契約を締結し、上演権の対価をシュトラウス氏に代わって取り立てなければならない。シュトラウス氏は、このために、アドルフ・フュルストナー社に対し、特別の代理権を与える。」、「シュトラウス氏又は彼の相続人は、上演権を管理する権利の全部であれ一部であれ、他の音楽出版社又は第三者に譲渡することはできない」と定められていることから、アドルフ・フュルストナー社は、上演権に関する契約交渉及び締結を自らの判断で行う権限を有しており、それは、他の第三者が同じ立場に立たないという意味で「独占的な」ものであると解することができるとしても、このような権限は、管理を委託された者であれば行使することができるのであって、直ちに著作権の譲渡がされたことの根拠となるものではない。また、同契約書第8条で、リヒャルト・シュトラウスに本件楽曲の上演権を譲渡・管理する権利が留保されているのは、リヒャルト・シュトラウス自らが指揮者となる例外的な場合についての規定に過ぎないとの事実は、同契約書に「リヒャルト・シュトラウス自らが指揮者となる場合」といった文言がないことからすると、同契約書から認められるものではなく、甲第16号証の記載も、同契約書の文言にない事実までも認めるに足りるものとはいえないから採用できず、他にこの事実を認めるに足りる証拠はない。したがって、原告の上記主張は、上記エの認定を覆すに足りるものではない。 また、原告は、一般に、著作者は音楽出版社に著作権を譲渡し、音楽出版社が自ら著作権者となっていると主張するが、一般的な取扱いがどうかということは、上記のとおり本件において契約書等から認められる具体的な事実を覆すに足りるものではないことは明らかである。 カ そうすると、本件楽曲については、昭和16年(1941年)12月7日の時点において、連合国民が著作権者であったとは認められないから、原告の戦時加算の主張は認められない。 (3) したがって、本件楽曲については、既に著作権の保護期間を経過したものと認められる。 2 よって、原告の請求は、理由がないから、棄却することとし、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第47部 裁判長裁判官 森義之 裁判官 東海林保 裁判官 瀬戸さやか |
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