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【事件名】日本経済新聞『20世紀日本の経済人』引用事件(2)
【年月日】平成14年11月27日
 東京高裁 平成14年(ネ)第2205号 著作権侵害等請求控訴事件
 (原審・東京地裁平成13年(ワ)第16152号)
 (平成14年10月7日 口頭弁論終結)

判決
控訴人 株式会社日本経済新聞社
訴訟代理人弁護士 光石忠敬
同 光石俊郎
被控訴人 A
被控訴人 株式会社晶文社
訴訟代理人弁護士 杉本昌純


主文
 本件控訴を棄却する。
 控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由
第1 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人株式会社晶文社(以下「被控訴人晶文社」という。)は、原判決別紙第1目録記載の書籍を印刷、製本、発売又は頒布してはならない。
3 被控訴人晶文社は、原判決別紙第1目録記載の書籍を書店等から回収し、その占有する在庫品とともに裁断その他の方法により廃棄せよ。
4 被控訴人らは、控訴人に対し、控訴人発行の新聞「日本経済新聞」の全国版朝刊社会面に、原判決別紙謝罪広告目録(1)記載の謝罪広告を同目録(2)記載の条件で1回掲載せよ。
5 被控訴人らは、控訴人に対し、各自1000万円及びこれに対する平成13年8月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
 本件は、「20世紀 日本の経済人R挑戦編『伊庭貞剛』」との題号の原判決別紙第2目録記載の新聞記事(控訴人新聞記事)の著作者であり、かつ、同記事を日本経済新聞に掲載して発行した控訴人が、被控訴人A(以下「被控訴人A」という。)の執筆、同晶文社の発行に係る「運鈍根の男 古河市兵衛の生涯」との題号の同別紙第1目録記載の書籍(被控訴人書籍)中には、控訴人の名誉又は声望を害する方法により控訴人新聞記事を利用し、又は控訴人の名誉を毀損する記述があると主張して、主位的に著作者人格権(著作権法113条5項)に基づき、予備的に名誉毀損の不法行為に基づき、被控訴人晶文社に対し、被控訴人書籍の頒布等の差止め等を求めるとともに、被控訴人らに対し、謝罪広告の掲載及び損害賠償の支払を求めた事案である。
 本件の争いのない事実、争点及び争点に関する当事者の主張は、次のとおり当審における当事者の主張を付加するほかは、原判決「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要及び争点等」1、3項及び「第3 争点に関する当事者の主張」のとおりであるから、これを引用する。
1 控訴人の主張
(1) 原判決は、著作権法113条5項所定の著作者人格権侵害と民法上の名誉毀損とが同一の法理であるとの前提に立ち、後者に該当しなければ前者にも該当しないと解釈し、著作者人格権侵害の主張につき判断を示さなかった。しかし、両者は次元を異にする法理であるから、別個に判断が必要というべきであり、原判決には著作権法113条5項の解釈を誤った違法がある。また、著作権制限規定によって著作者人格権が制限や影響を受けるものではないから(著作権法50条)、著作権法113条5項の適用においては、「引用」は正確であることを要し、原判決のように「全体として正確性を欠く」というあいまいな要件では足りない。
(2) 記述(1)(被控訴人書籍中の原判決別紙第3目録(1)記載の記述)に係る名誉毀損の成否に関し、原判決は、最高裁平成10年7月17日第二小法廷判決・裁判集民事189号267頁の法理を本件に適用しているが、この判例は、第三者の談話の引用か著者の見解かが争われた特殊な事例であるところ、本件でこの点が争いになっているわけではない。記述(1)に係る名誉毀損については、事実を摘示しての名誉毀損に係る最高裁昭和61年6月11日大法廷判決・民集40巻4号872頁又は同平成9年9月9日第三小法廷判決・民集51巻8号3804頁が適用されるべきである。そして、記述(1)における控訴人新聞記事の引用の正確性に関し、原判決は、当該引用紹介が全体として正確性を欠くとまでは認められないとするとともに、当該判断においては、読者の読み方を基準として判断することができるとしている。しかし、本件は、控訴人新聞記事自体が第三者の名誉を毀損するかどうかが問題となっている事案ではないから、最高裁昭和31年7月20日第二小法廷判決・民集10巻8号1059頁の「読者の読み方」基準は適用できないはずであるし、被控訴人書籍の読者がわざわざ控訴人新聞記事を入手して読むということはあり得ないのに、そのような通常存在しない読者を想定している点でも誤りである。また、控訴人新聞記事の引用紹介が全体として正確性を欠くとまでは認められないとする判断の論理過程は根拠を欠くものであって、上記引用が正確性を欠くことは明らかである。控訴人新聞記事中には、「ただ、伊庭の意に反して移転は煙害の完全な解決にはならず、その除去には操業から三十五年もかかった」との記載があるのに、この部分を省いて、「煙害問題に対応するため別子銅山の製錬所を無人島の四阪島に移した」との前段部分のみを引用している記述(1)を読む読者とすれば、日本経済新聞が間違った記事を書いた、すなわち誤報をしたと思い込むのは当然である。
(3) 記述(2)(被控訴人書籍中の原判決別紙第3目録(2)記載の記述)に係る名誉毀損に関し、原判決が、前掲最高裁平成10年7月17日第二小法廷判決の法理を本件に適用しているが、同判決が特殊な事案に関するものであることは上記(2)で述べたとおりである。本件においては、記述(2)中の控訴人新聞記事の引用自体はほぼ正確にされているからこの点に問題はなく、むしろ、「デタラメの話まで・・・真実らしく報道するのは罪つくり」としている点が問題とされなければならない。ここでは、特定の事実を基礎とする意見ないし論評の表明が行われているから、前掲最高裁平成9年9月9日判決の法理が適用されるべきである。そうすると、田中正造の演説が「デタラメ」であることの証明が必要であるところ、本件においてこの主張立証はない。
 また、原判決は、記述(2)の上記表現は「人身攻撃に及ぶなど意見としての域を逸脱するものであるとまでいうことはできない」と判断する。しかし、この表現は、控訴人がでっち上げの報道をしたというに等しく、これは新聞記者にとって致命的なものであって、言論機関の存立基盤を脅かす最大級の誹謗中傷といわざるを得ない。
(4) そもそも控訴人新聞記事は、伊庭貞剛の人格の高潔さに焦点を当てたものであり、古河市兵衛の批判を意図したものではないし、そのことは同記事の内容から容易に判読することができる。ところが、被控訴人Aは、同記事の趣旨を、なぜか自分の擁護する古河市兵衛を攻撃したものと受け取り、害意をもって、悪質な誹謗中傷を行ったものである。
2 被控訴人らの主張
 控訴人の主張は争う。控訴人の主張する趣旨は、言論の自由市場において言論をもって対抗すべき問題である。
第3 当裁判所の判断
1 主位的請求(著作者人格権侵害)について
(1) 著作権法113条5項の規定が、著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為を著作者人格権の侵害とみなすと定めているのは、著作者の民法上の名誉権の保護とは別に、その著作物の利用行為という側面から、著作者の名誉又は声望を保つ権利を実質的に保護する趣旨に出たものであることに照らせば、同項所定の著作者人格権侵害の成否は、他人の著作物の利用態様に着目して、当該著作物利用行為が、社会的に見て、著作者の名誉又は声望を害するおそれがあると認められるような行為であるか否かによって決せられるべきである。したがって、他人の言語の著作物の一部を引用して利用した場合において、殊更に前後の文脈を無視して断片的な引用のつぎはぎを行うことにより、引用された著作物の趣旨をゆがめ、その内容を誤解させるような態様でこれを利用したときは、同一性保持権の侵害の成否の点はさておき、これに接した一般読者の普通の注意と読み方を基準として、そのような利用態様のゆえに、引用された著作物の著作者の名誉又は声望が害されるおそれがあると認められる限り、同項所定の著作者人格権の侵害となることはあり得るが、その引用自体、全体として正確性を欠くものでなく、前後の文脈等に照らして、当該著作物の趣旨を損なうとはいえないときは、他人の著作物の利用態様により著作者の名誉又は声望を害するおそれがあるとはいえないのであるから、当該引用された著作物の内容を批判、非難する内容を含むものであったとしても、同項所定の著作者人格権の侵害には当たらないと解すべきである。控訴人は、著作権制限規定によって著作者人格権が制限や影響を受けるものではないから(著作権法50条)、著作権法113条5項の適用においては、「引用」は正確であることを要し、上記のように「全体として正確性を欠く」というあいまいな要件では足りないと主張するが、以上の説示に照らし、採用することができない。その場合において、当該引用に係る著作物の内容を批判、非難する表現が、別途名誉毀損の不法行為を構成するかどうかは別論である。なぜならば、著作権法113条5項は、上記のとおり、著作物の利用行為に着目した規定であって、名誉毀損の不法行為の成否とは場面を異にするからである。
(2) そこで、以上の見地に立ち、被控訴人書籍の記述(1)、(2)について、著作権法113条5項所定の著作者人格権の侵害の成否について判断するのに先立ち、被控訴人書籍の論述の全体の流れとその中での記述(1)、(2)の位置付けを見ることとする。
 被控訴人書籍の記載(丙1)及び被控訴人Aの陳述書(乙13)によれば、同書籍は、古河財閥の創設者である古河市兵衛の伝記であること、その著作者である被控訴人Aは、「まえがき」の中で、我が国で最初の公害問題とされる足尾鉱山の鉱毒問題に関し、被害者側の運動家としての田中正造は高く評価されているのに、加害者側というべき立場の古河市兵衛は「悪の権化」と見なされたままほとんど注目されていないが、実は偉大な経済人であったとして、その再評価を試みたものであると執筆動機を記載していること、被控訴人書籍は、古河市兵衛の生い立ちや「鉱山王」といわれるようになった半生の歩みと、足尾鉱毒問題の概要を記述した1〜5章に続き、「6 田中正造と古河市兵衛」の章で、「実は、田中正造によって足尾鉱毒問題があまりにもクローズ・アップされたため、その陰に隠れてしまったものがある。一つはこのことで悪役と見なされた古河市兵衛の実像であり、一つは同業他社が撒きちらしていた鉱毒の実態である」(171頁)との問題意識から、別子銅山や小坂銅山の公害の実情に触れていること、記述(1)、(2)は、6章中の上記文脈において記載されたものであること、以上の事実が認められ、被控訴人書籍の一般読者の普通の注意と読み方を基準として見ても、このような流れを理解した上で、記述(1)、(2)に接するものと認めるのが相当である。
(3) まず、記述(1)について検討する。
ア 記述(1)中で、控訴人新聞記事を利用しているといえるのは、「・・・まことに不思議な新聞記事を見て私はびっくりした。『日本経済新聞』は平成11(1999)年の1月から『20世紀・日本の経済人』という大型連載記事を始めたが、その19回目に『住友』の伊庭貞剛をとりあげた(平成11年5月10日)。読者の目を引きつけるために使われた写真は四阪島の製錬所であるが、その写真説明文は『煙害問題に対応するため別子銅山の製錬所を無人島の四阪島に移した』となっているのである。この説明にはまったく嘘はない。しかし、読者は疑いなくこれで住友の煙害問題は解決したと信ずるはずである。本文も『彼(伊庭)が打った最大の(煙害)解決策は、巨費を投じて製錬所を・・・四阪島に移転したことである』となっている。」との部分である。そして、これに続く記述(1)の後半部分で、別子銅山の煙害問題は、控訴人新聞記事から理解されるほど容易には解決しなかったとの趣旨を指摘し、むしろ古河市兵衛による足尾銅山での対処が見事であったことが述べられている。
イ 上記の被控訴人書籍における控訴人新聞記事の利用態様について見るに、確かに、控訴人の主張するように、控訴人新聞記事中には、「ただ、伊庭の意に反して移転は煙害の完全な解決にはならず、その除去には操業から三十五年もかかった」との記載があり、控訴人新聞記事の記載を全体として読めば、別子銅山の煙害問題が決して簡単に解決されたものでないことが理解される内容である。そうすると、控訴人新聞記事の上記記載部分を引用していない被控訴人書籍の記述(1)には、その読者に、控訴人新聞記事の正確な内容について誤解を生じさせかねない面がないとはいえない。
 しかし、著作権法113条5項所定の著作者人格権の侵害があったといえるためには、他人の著作物の利用行為が、社会的に見て、著作者の名誉又は声望を害するおそれがあると認められるような行為といえなければならないことは前示のとおりである。記述(1)では、上記のとおり、その引用する控訴人新聞記事の内容に「まったく嘘はない」ことをわざわざ明言しているのであるから、記述(1)の引用紹介において、別子銅山の煙害問題が決して簡単に解決されたものでないとする控訴人新聞記事の上記内容が正確に表れていないとしても、被控訴人書籍に接する一般読者の普通の注意と読み方を基準として考えた場合、当時の鉱毒問題は足尾銅山に固有の問題ではなく、他の大手の銅山においても深刻な公害問題が存在していたという事実を認識し、足尾鉱毒問題でいわば敵役となった古河市兵衛が真しにこれに対処したという著者の主張を理解するにとどまり、更に進んで、控訴人新聞記事の内容が虚偽であるとか、信用することができないといった印象を与えるものとはいえず、記述(1)を読む読者とすれば、日本経済新聞が間違った記事を書いた、すなわち誤報をしたと思い込むのは当然であるとする控訴人の主張は失当である。したがって、記述(1)における控訴人新聞記事の引用は、社会的に見て、著作者の名誉又は声望を害するおそれがある行為とは認められず、控訴人の名誉又は声望を害する方法による著作物利用行為には当たらないというべきである。
(4) 次に、記述(2)について検討する。
ア 記述(2)では、@ まず、「前に少し触れた伊庭貞剛にかかわる『日本経済新聞』の記事は、田中正造が議会に提出した質問書(明治34年3月23日)からの、次の引用文ではじまっている。『(別子銅山は)足尾銅山とは天地の差があるので、実に何とも譬え較べ合いのならぬ程の事情がある。・・・別子銅山は、第一鉱業主は住友である(伊庭はその総理事だった)。それゆえ社会の事理人情を知っておる者で、己が金を儲けさえすれば宜しいものだというような、そういう間違いの考えを持たない』そして記事は『義人田中が手放しで称賛するほどに、この山を改革したのが伊庭貞剛である』とつづいている。」として控訴人新聞記事の内容を紹介した上、「しかし、右の正造の言葉には何一つ真実が見当たらない。」として、足尾銅山(その経営者である古河市兵衛)が別子銅山(その経営者である伊庭貞剛)より劣っていたとはいえないとの趣旨を述べているものである。
 記述(2)では、次いで、A「この記事はまた、伊庭が『まったく精神の腐敗にもとづく』住友の内紛を解決した、と説明している。」として控訴人新聞記事の内容を紹介した上で、住友の内紛を示す資料がないとして、「正造の主張は全く根拠がない」との主張が述べられている。
 続いて、記述(2)では、上記@、Aを踏まえた主張として、B 田中正造が、別子銅山の住友(伊庭貞剛)を賞賛し、足尾銅山の古河を非難する主張は、「公害の被害者の立場から言えば、加害企業の親玉を敵にし、戦闘意欲を沸かそうとする」ための「つくり話」であるとの認識に基づき、「彼が戦略的につくったデタラメの話まで、何十万という新聞の読者に真実らしく報道するのは罪つくりではないか。古河系の会社関係者はこの記事を読んで何と思うだろうか。」との問題提起がされている。
イ 上記の記述(2)における控訴人新聞記事の引用態様の正確性の有無について見るに、控訴人新聞記事の記載(甲1)によれば、同記事は、田中正造の演説を引用した上、これに依拠する形で、「義人田中が手放しで称賛するほどに、この山(注、別子銅山)を改革したのが伊庭貞剛である」との論旨につなげているものであるから、記述(2)における控訴人新聞記事の引用は、控訴人新聞記事の趣旨をゆがめたり、その内容を誤解させるような態様で行われているものではなく、むしろ、控訴人新聞記事が、田中正造の演説に依拠する形で伊庭貞剛の評価を行っていることを正確に示しつつ、そのような評価の在り方を批判しているにすぎない。なお、控訴人自身、記述(2)における控訴人新聞記事の引用はほぼ正確にされていて問題がない旨を自認しているところである。
 上記@、Aの記述部分に関していえば、いずれも「正造の言葉」ないし「正造の主張」に真実ないし根拠がないと主張しているものであって、この記述に接した一般読者の普通の注意と読み方を基準として考えた場合、控訴人の名誉又は声望を害するおそれがある引用方法とはいえない。
 また、上記Bの記述部分は、上記@、Aの主張を踏まえて、そのような内容の田中正造の主張に依拠して伊庭貞剛を賞賛する控訴人新聞記事への批判へと論旨を進めているものであり、ここでは、批判、非難の対象は控訴人に向けられているが、著作者人格権の侵害を生じさせるものでないことは前示のとおりである
 そうすると、後記2で検討する名誉毀損の不法行為の成否は別論として、記述(2)における被控訴人新聞記事の引用も、控訴人の名誉又は声望を害する方法による著作物利用行為には当たらないというべきである。
(5) 以上のとおり、被控訴人書籍の記述(1)、(2)に関し、著作権法113条5項所定の著作者人格権侵害をいう控訴人の主張は理由がない。著作者人格権侵害に基づく請求を棄却した原判決の判断は、結論において是認することができる。
2 予備的請求(名誉毀損の不法行為)について
(1) 被控訴人書籍の記述(1)及び記述(2)中の前記@、Aの記載部分が、控訴人の社会的評価を低下させるものといえないことは、上記1(3)、(4)の認定判断に照らして明らかである。そこで、以下、記述(2)中の前記Bの記載部分(以下「本件記述部分」という。)について、名誉毀損の不法行為の成否を検討する。なお、控訴人の主張も、記述(2)に係る名誉毀損に関しては、専ら本件記述部分を問題にしているものと解される。
(2) 一般に、ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合には、その意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り、その行為は違法性を欠くというべきである(最高裁昭和62年4月24日第二小法廷判決・民集41巻3号490頁、同平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2252頁、同平成9年9月9日第三小法廷判決・民集51巻8号3804頁)。そして、意見ないし論評が他人の著作物に関するものである場合には、その著作物の内容自体が意見ないし論評の前提となっている事実に当たるから、当該意見ないし論評における他人の著作物の引用紹介が全体として正確性を欠くものでなければ、前提となっている事実が真実でないとの理由で当該意見ないし論評が違法となることはないものと解すべきである(最高裁平成10年7月17日第二小法廷判決・裁判集民事189号267頁)。
(3) 本件において、被控訴人書籍の本件記述部分、すなわち、「彼(注、田中正造)が戦略的につくったデタラメの話まで、何十万という新聞の読者に真実らしく報道するのは罪つくりではないか」との部分が、田中正造の主張には根拠がないと考える被控訴人Aの認識に基づいて、そのような内容の田中正造の主張に依拠して伊庭貞剛を賞賛する控訴人新聞記事を批判、非難する意見ないし論評を表明するものであることは、前示のとおりである。そして、当該意見ないし論評の基礎として前提にしている事実は、控訴人新聞記事の内容自体、すなわち、同記事が田中正造の主張に依拠して伊庭貞剛を賞賛しているという記載内容にほかならない。したがって、控訴人新聞記事がそのような内容であるとの引用紹介が全体として正確性を欠くものでなければ、前提となっている事実が真実でないとの理由で当該意見ないし論評が違法となることはないというべきである。
 なお、本件記述部分は、田中正造の主張が「デタラメな話」であるとの内容を含んでいるところ、控訴人は、田中正造の主張が「デタラメな話」であることの真実性の証明が必要である旨主張する。しかし、ここでいう田中正造の主張とは、控訴人新聞記事が引用し、被控訴人書籍が再引用している明治34年3月23日の質問書にある「(注、別子銅山は)足尾銅山とは天地の差があるので、実に何とも譬え較べ合いのならぬ程の事情がある。(中略)別子銅山は、第一鉱業主は住友である。それゆえ社会の事理人情を知っておる者で、己が金を儲けさえすれば宜しいものだというような、そういう間違いの考えを持たない」というものである。すなわち、別子銅山と足尾銅山とは「天地の差」があり、住友は義理人情を知っており、金儲けしか考えない者(古河市兵衛を暗示している。)とは違うという主張であり、これが証拠等によって証明可能な特定の事実とは到底いえないものである。換言すれば、上記趣旨をいう田中正造の主張が「デタラメな話」であるとする被控訴人書籍の記述は、意見ないし論評の前提となる特定の事実を成すものではなく、それ自体が被控訴人書籍における意見ないし論評と見るべきものである。
 したがって、本件記述部分については、これが公共の利害に関する事実に係り、その目的が専ら公益を図ることにあり、控訴人新聞記事の引用が全体として正確性を欠くものでなく、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでないといえる場合には、名誉毀損の不法行為としての違法性を欠くというべきである。以下、これらの点について順次検討する。
(4) まず、本件記述部分が、古河市兵衛の再評価を行うとともに、これに関連して、足尾銅山以外の鉱山の公害の実態を再検討しようという学術的な意図に基づくものであることは、前記1(2)の認定から明らかであり、他方、控訴人新聞記事の掲載された媒体である日本経済新聞は、発行部数300万部を超える、我が国を代表する日刊新聞の一つとしてその信頼性について各方面から高い評価を得ているものである(甲5、6)から、このような新聞に掲載された控訴人新聞記事について、上記の問題意識に基づいて行う意見ないし論評の表明は、公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認められる。なお、甲11(控訴人編集委員小嶋英熙の陳述書)中には、被控訴人Aが控訴人に持ち込んだ原稿の掲載を断られたことが本件と関係しているとの趣旨の記載があるが、乙12、13に照らすと、想像の域を出ないものといわざるを得ず、上記認定判断を左右するものではない。
 次に、被控訴人書籍の記述(2)において、控訴人新聞記事の引用が全体として正確に行われていることは、控訴人も自認するところであり、かつ、前記1(4)の認定からも明らかである。
 そして、「彼(注、田中正造)が戦略的につくったデタラメの話まで、何十万という新聞の読者に真実らしく報道するのは罪つくりではないか」との本件記述部分の表現が、意見ないし論評としての域を逸脱したものかどうかを見るに、被控訴人Aの「実は、田中正造によって足尾鉱毒問題があまりにもクローズ・アップされたため、その陰に隠れてしまったものがある。一つはこのことで悪役と見なされた古河市兵衛の実像であり、一つは同業他社が撒きちらしていた鉱毒の実態である」との問題意識(前記1(2)参照)からすれば、田中正造の主張に専ら依拠する形で足尾銅山の同業他社(伊庭貞剛)を賞賛する控訴人新聞記事の論旨に疑問を感じ、これを批判的に取り上げざるを得ないことは、公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにある健全な言論活動の範囲内として当然のことと理解されるものであり、その具体的な表現態様を含め、人身攻撃に及ぶようなものではないことはもとより、意見ないし論評としての域を逸脱したものとは到底いえない。控訴人は、この表現は控訴人がでっち上げの報道をしたというに等しく、新聞記者にとって致命的なものであって、言論機関の存立基盤を脅かす最大級の誹謗中傷であり、害意をもってする悪質な誹謗中傷である旨主張するが、公共的事項に関する自由な言論を基盤とする民主主義社会が備えるべき寛容さに加え、我が国を代表する新聞媒体機能を担う控訴人の地位、性格等にかんがみると、独自の見解の憾みを免れず、採用することができない。
(5) したがって、名誉毀損の不法行為をいう控訴人の主張は理由がない。
3 以上のとおり、控訴人の被控訴人らに対する請求はいずれも理由がないから、これを棄却した原判決は相当であって、本件控訴は理由がない。
 よって、本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

東京高等裁判所第13民事部
 裁判長裁判官 篠原勝美
 裁判官 長沢幸男
 裁判官 宮坂昌利
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