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【事件名】『石に泳ぐ魚』のプライバシー侵害事件(3)
【年月日】平成14年9月24日
 最高裁(三小) 平成13年(オ)第851号、平成13年(受)第837号 損害賠償等請求事件
 (原審・東京高裁平成11年(ネ)第3989号)

判決


主文
 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人らの負担とする。

理由
 上告代理人岡田宰、同舟木亮一、同復代理人広津佳子の上告理由及び上告受理申立て理由第3について
1 本件は、原審控訴人A(以下「A」という。)が執筆し、上告人B(以下「上告人B」という。)が編集兼発行者となって上告人株式会社新潮社(以下「上告人新潮社」という。)が発行した雑誌において公表された小説「石に泳ぐ魚」によって名誉を毀損され、プライバシー及び名誉感情を侵害されたとする被上告人が、A及び上告人らに対して慰謝料の支払を求めるとともに、A及び上告人新潮社に対し、同小説の出版等の差止めを求めるなどしている事案である。原審が適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
(1) 被上告人は、昭和44年に東京都で生まれた韓国籍の女性であり、同55年以降韓国に居住してきたが、韓国ソウル市内のC大学を卒業した後の平成5年に来日し、D大学の大学院に在籍していた。被上告人は、幼少時に血管奇形に属する静脈性血管腫にり患し、幼少時からの多数回にわたる手術にもかかわらず完治の見込みはなく、その血管奇形が外ぼうに現れている。また、被上告人の父は、日本国内の大学の国際政治学の教授であったが、昭和49年に講演先の韓国においてスパイ容疑で逮捕され、同53年まで投獄された。
 Aは、昭和43年生まれの著名な劇作家、小説家であり、平成9年には芥川賞を受賞するなどしている。
 被上告人とAは、平成4年8月にAが訪韓した際に知り合い、交友関係を持つようになり、Aが日本に帰国した後も手紙等のやり取りをしていた。
(2) Aは、「石に泳ぐ魚」と題する小説(以下「本件小説」という。)を執筆し、これを、上告人Bが編集兼発行者で、上告人新潮社が発行する雑誌「新潮」平成6年9月号において公表した。本件小説には、被上告人をモデルとする「朴里花」なる人物が全編にわたって登場する。本件小説中の「朴里花」は、小学校5年生まで日本に居住していた日本生まれの韓国籍の女性で、被上告人が卒業した韓国ソウル市内のC大学を卒業し、被上告人が在籍しているD大学の大学院に在籍して被上告人の専攻と同一の学科を専攻しており、その顔面に完治の見込みのない腫瘍がある。また、「朴里花」の父は、日本国内の大学の国際政治学の教授をしていたが、講演先の韓国でスパイ容疑により逮捕された経歴を持っていることなど、「朴里花」には被上告人と一致する特徴等が与えられている。一方で、本件小説中において、「朴里花」が高額の寄附を募る問題のあるかのような団体として記載されている新興宗教に入信したとの虚構の事実が述べられている。さらに、本件小説中において、「朴里花」の顔面の腫瘍につき、通常人が嫌う生物や原形を残さない水死体の顔などに例えて描写するなど、異様なもの、悲劇的なもの、気味の悪いものなどと受け取られるか烈な表現がされている。
(3) 被上告人は、上記雑誌において本件小説が公表されたことを知ってこれを読むまで、Aが被上告人をモデルとした人物が登場する本件小説を執筆していたことを知らず、また、本件小説の公表を知った後も、Aに対し、本件小説の公表を承諾したことはなかった。
 被上告人は、本件小説を読み、本件小説に登場する「朴里花」が自分をモデルとしていることを知るとともに、Aを信頼して話した私的な事柄が本件小説中に多く記述されていること等に激しい憤りを感じ、これにより、自分がこれまでの人生で形成してきた人格がすべて否定されたような衝撃を覚えた。
(4) 上告人新潮社は、本件小説の日本語版の販売等を行う権利を有している。
2 以上の事実関係の下で、原審は、次のとおり判断し、A、上告人新潮社及び上告人Bに対して100万円の慰謝料並びにこれに対する遅延損害金の連帯支払を命じ、また、A及び上告人新潮社らに対し、本件小説の出版等の差止めを命じるべきものであるなどとした。
(1) 本件小説中の「朴里花」と被上告人とは容易に同定可能であり、本件小説の公表により、被上告人の名誉が毀損され、プライバシー及び名誉感情が侵害されたものと認められる。
(2) 本件小説の公表により、被上告人は精神的苦痛を被ったものと認められ、その賠償額は、1審判決が肯認し、被上告人が不服を申し立てていない金額である100万円を下回るものではないと認められる。A及び上告人らは、被上告人に対し、連帯して100万円及びこれに対する遅延損害金の支払義務がある。
(3) 人格的価値を侵害された者は、人格権に基づき、加害者に対し、現に行われている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止めを求めることができるものと解するのが相当である。どのような場合に侵害行為の差止めが認められるかは、侵害行為の対象となった人物の社会的地位や侵害行為の性質に留意しつつ、予想される侵害行為によって受ける被害者側の不利益と侵害行為を差し止めることによって受ける侵害者側の不利益とを比較衡量して決すべきである。そして、侵害行為が明らかに予想され、その侵害行為によって被害者が重大な損失を受けるおそれがあり、かつ、その回復を事後に図るのが不可能ないし著しく困難になると認められるときは侵害行為の差止めを肯認すべきである。
 被上告人は、大学院生にすぎず公的立場にある者ではなく、また、本件小説において問題とされている表現内容は、公共の利害に関する事項でもない。さらに、本件小説の出版等がされれば、被上告人の精神的苦痛が倍加され、被上告人が平穏な日常生活や社会生活を送ることが困難となるおそれがある。そして、本件小説を読む者が新たに加わるごとに、被上告人の精神的苦痛が増加し、被上告人の平穏な日常生活が害される可能性も増大するもので、出版等による公表を差し止める必要性は極めて大きい。
 以上によれば、被上告人のA及び上告人新潮社らに対する本件小説の出版等の差止め請求は肯認されるべきである。
3 原審の確定した事実関係によれば、公共の利益に係わらない被上告人のプライバシーにわたる事項を表現内容に含む本件小説の公表により公的立場にない被上告人の名誉、プライバシー、名誉感情が侵害されたものであって、本件小説の出版等により被上告人に重大で回復困難な損害を被らせるおそれがあるというべきである。したがって、人格権としての名誉権等に基づく被上告人の各請求を認容した判断に違法はなく、この判断が憲法21条1項に違反するものでないことは、当裁判所の判例(最高裁昭和41年(あ)第2472号同44年6月25日大法廷判決・刑集23巻7号975頁、最高裁昭和56年(オ)第609号同61年6月11日大法廷判決・民集40巻4号872頁)の趣旨に照らして明らかである。論旨はいずれも採用することができない。
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

最高裁第三小法廷
 裁判長裁判官 上田豊三
 裁判官 金谷利廣
 裁判官 奥田昌道
 裁判官 濱田邦夫
 
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【事件名】『石に泳ぐ魚』のプライバシー侵害事件(3)
【年月日】平成14年9月24日
 最高裁(三小) 平成13年(オ)第852号 損害賠償等請求事件
 (原審・東京高裁平成11年(ネ)第3989号)


主文
 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人らの負担とする。

理由
 上告代理人富永赳夫、同喜田村洋一、同森川文人、同和田千代の上告理由について
1 本件は、上告人A(以下「上告人A」という。)が執筆した小説(「石に泳ぐ魚」)の発行等によって名誉を毀損され、プライバシー及び名誉感情を侵害されたとする被上告人が、上告人Aらに対して慰謝料の支払を求めるとともに、上告人A及び同小説の韓国版の出版についての権限を有する上告人B(以下「上告人B」という。)に対し、同小説の出版等の差止めを求めるなどしている事案である。原審が適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
(1) 被上告人は、昭和44年に東京都で生まれた韓国籍の女性であり、同55年以降韓国に居住してきたが、韓国ソウル市内のC大学を卒業した後の平成5年に来日し、D大学の大学院に在籍していた。被上告人は、幼少時に血管奇形に属する静脈性血管腫にり患し、幼少時からの多数回にわたる手術にもかかわらず完治の見込みはなく、その血管奇形が外ぼうに現れている。また、被上告人の父は、日本国内の大学の国際政治学の教授であったが、昭和49年に講演先の韓国においてスパイ容疑で逮捕され、同53年まで投獄された。
 上告人Aは、昭和43年生まれの著名な劇作家、小説家であり、平成9年には芥川賞を受賞するなどしている。
 被上告人と上告人Aは、平成4年8月に上告人Aが訪韓した際に知り合い、交友関係を持つようになり、上告人Aが日本に帰国した後も手紙等のやり取りをしていた。
(2) 上告人Aは、「石に泳ぐ魚」と題する小説(以下「本件小説」という。)を執筆し、これを、原審控訴人株式会社新潮社(以下「新潮社」という。)が発行する雑誌「新潮」平成6年9月号において公表した。本件小説には、被上告人をモデルとする「朴里花」なる人物が全編にわたって登場する。本件小説中の「朴里花」は、小学校5年生まで日本に居住していた日本生まれの韓国籍の女性で、被上告人が卒業した韓国ソウル市内のC大学を卒業し、被上告人が在籍しているD大学の大学院に在籍して被上告人の専攻と同一の学科を専攻しており、その顔面に完治の見込みのない腫瘍がある。また、「朴里花」の父は、日本国内の大学の国際政治学の教授をしていたが、講演先の韓国でスパイ容疑により逮捕された経歴を持っていることなど、「朴里花」には被上告人と一致する特徴等が与えられている。一方で、本件小説中において、「朴里花」が高額の寄附を募る問題のあるかのような団体として記載されている新興宗教に入信したとの虚構の事実が述べられている。さらに、本件小説中において、「朴里花」の顔面の腫瘍につき、通常人が嫌う生物や原形を残さない水死体の顔などに例えて描写するなど、異様なもの、悲劇的なもの、気味の悪いものなどと受け取られるか烈な表現がされている。
 さらに、上告人Aは、本件訴訟1審係属中に、本件小説の登場人物「朴里花」のモデルとなった顔面に腫瘍のある女性が存在し、同人と裁判になっていることなどを記述した「表現のエチカ」と題する文章を執筆し、新潮社発行の雑誌「新潮」平成7年12月号において公表し、また、同文章は、同8年12月に株式会社角川春樹事務所発行の単行本「窓のある書店から」に転載された。
(3) 被上告人は、上記「新潮」平成6年9月号において本件小説が公表されたことを知ってこれを読むまで、上告人Aが被上告人をモデルとした人物が登場する本件小説を執筆していたことを知らず、また、本件小説の公表を知った後も、上告人Aに対し、本件小説の公表を承諾したことはなかった。
 被上告人は、本件小説を読み、本件小説に登場する「朴里花」が自分をモデルとしていることを知るとともに、上告人Aを信頼して話した私的な事柄が本件小説中に多く記述されていること等に激しい憤りを感じ、これにより、自分がこれまでの人生で形成してきた人格がすべて否定されたような衝撃を覚え、さらに、「表現のエチカ」が公表されたことにより、精神的な苦痛が増大し、平成9年には在籍していた大学院を休学するに至った。
(4) 上告人Bは、上告人Aの代理人として、本件小説の韓国版の出版等を行う権限を有する者である。
2 以上の事実関係の下で、原審は、次のとおり判断し、上告人A及び新潮社らに対して100万円の慰謝料及びこれに対する遅延損害金の連帯支払を、これとは別に、上告人Aに対して30万円の慰謝料及びこれに対する遅延損害金の支払を命じ、また、上告人ら及び新潮社に対し、本件小説の出版等の差止めを命じるべきものとした。
(1) 本件小説中の「朴里花」と被上告人とは容易に同定可能であり、本件小説及び「表現のエチカ」の公表により、被上告人の名誉が毀損され、プライバシー及び名誉感情が侵害されたものと認められる。
(2) 被上告人は、本件小説及び「表現のエチカ」の公表により精神的苦痛を被ったものと認められ、その賠償額は、本件小説の公表につき、1審判決が肯認し、被上告人が不服を申し立てていない金額である100万円を下回るものではなく、また、「表現のエチカ」の公表につき、同じく、1審判決が肯認し、被上告人が不服を申し立てていない金額である30万円を下回るものではないと認められる。被上告人に対し、上告人A及び新潮社らは、連帯して100万円及びこれに対する遅延損害金の、更に上告人Aは、30万円及びこれに対する遅延損害金の支払義務がある。
(3) 人格的価値を侵害された者は、人格権に基づき、加害者に対し、現に行われている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止めを求めることができるものと解するのが相当である。どのような場合に侵害行為の差止めが認められるかは、侵害行為の対象となった人物の社会的地位や侵害行為の性質に留意しつつ、予想される侵害行為によって受ける被害者側の不利益と侵害行為を差し止めることによって受ける侵害者側の不利益とを比較衡量して決すべきである。そして、侵害行為が明らかに予想され、その侵害行為によって被害者が重大な損失を受けるおそれがあり、かつ、その回復を事後に図るのが不可能ないし著しく困難になると認められるときは侵害行為の差止めを肯認すべきである。
 被上告人は、大学院生にすぎず公的立場にある者ではなく、また、本件小説において問題とされている表現内容は、公共の利害に関する事項でもない。さらに、本件小説の出版等がされれば、被上告人の精神的苦痛が倍加され、被上告人が平穏な日常生活や社会生活を送ることが困難となるおそれがある。そして、本件小説を読む者が新たに加わるごとに、被上告人の精神的苦痛が増加し、被上告人の平穏な日常生活が害される可能性も増大するもので、出版等による公表を差し止める必要性は極めて大きい。
 以上によれば、被上告人の上告人ら及び新潮社に対する本件小説の出版等の差止め請求は肯認されるべきである。
3 原審の確定した事実関係の下において、原審の上記各判断がいずれも憲法21条1項に違反するものでないことは、当裁判所の判例(最高裁昭和41年(あ)第2472号同44年6月25日大法廷判決・刑集23巻7号975頁、最高裁昭和56年(オ)第609号同61年6月11日大法廷判決・民集40巻4号872頁)の趣旨に照らして明らかである。所論のその余の違憲の主張は、その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものにすぎない。論旨はいずれも採用することができない。
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

最高裁第三小法廷
 裁判長裁判官 上田豊三
 裁判官 金谷利廣
 裁判官 奥田昌道
 裁判官 濱田邦夫
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