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【事件名】ソニーの経営を描いた二著の著作権侵害事件(講談社)(2)
【年月日】平成14年9月19日
 東京高裁 平成13年(ネ)第602号 書籍発行差止等請求控訴事件
 (原審・東京地裁平成11年(ワ)第26366号)
 (平成14年6月20日 口頭弁論終結)



判決
控訴人(原告) A
訴訟代理人弁護士 山下幸夫
被控訴人(被告) B
被控訴人(被告) 株式会社講談社
両名訴訟代理人弁護士 美勢克彦
同復代理人弁護士 秋山佳胤


主文
 本件控訴を棄却する。
 控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人
 原判決を取り消す。
 被控訴人らは、原判決別紙目録記載の書籍のうち、同別紙一覧表A欄記載部分をすべて削除しない限り、同書籍を発行し、販売し又は頒布してはならない。
 被控訴人らは、控訴人に対し、連帯して、金231万4431円及びこれに対する平成10年7月14日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人らの負担とする。
 仮執行宣言
2 被控訴人ら
 主文同旨
第2 事案の概要
 本件は、被控訴人B(以下「被控訴人B」という。)が執筆し、被控訴人株式会社講談社が出版している原判決別紙目録記載の「ソニーの「出井」革命−リ・ジェネレーションへの挑戦」と題する書籍(平成10年7月14日初版第1刷発行。以下「被控訴人書籍」という。なお、同目録に発行者「山越通子」との記載があるが、「野間佐和子」の誤記と認める(甲3)。)の一部分(本文230頁中の226頁以下の「井深の死を悼む人々」と題するエピローグの一節)が、平成10年1月28日発行(同月29日付け)の「夕刊フジ」における控訴人の執筆に係る連載記事である「デジタル・ドリーム・キッズ ソニー燃ゆ」中の第65回「天才を送った日」と題する記事(以下「控訴人著作物」という。)について控訴人が有する著作権(複製権)及び著作者人格権(氏名表示権、同一性保持権)を侵害したとして、控訴人が被控訴人らに対し、被控訴人書籍の出版の差止め及び損害賠償を求めた事案であり、原判決は、これらの請求をいずれも棄却したものである。これに対し、控訴人から本件控訴が提起された。なお、控訴人は、当審において、上記著作権侵害の点に関し、複製権の侵害をいう主張に加え、予備的に翻案権の侵害をいう主張を追加した。
 本件における「事案の概要」は、次のとおり当事者の主張の要点を付加するほか、原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」のとおりであるから、これを引用する。
1 控訴人の主張の要点
(1) 複製権侵害
ア 依拠性
(ア) 原判決には、法令の解釈適用の誤り、審理不尽の違法がある。
 原判決は、依拠の有無と著作物としての同一性の存否とを混同するという法令の解釈適用を誤った違法があり、依拠について控訴人が立証する機会を奪い、その結果、審理不尽となっている。
(イ) 被控訴人書籍(226頁ないし230頁)には、控訴人著作物を利用せずに作成したとは考えられないほど共通の内容、表現がある。原判決別紙一覧表に基づいて具体的に指摘すると次のとおりである。
原判決別紙一覧表2
・ 宮沢喜一氏が葬儀に出席していたという事実に反する記述
・ 「カラープロジェクション」「カラーモニター」という同一の表現
・ 葬儀出席者についてのほとんど同一の記述
・ 「隣室で・・葬儀に参加」という同一の表現
原判決別紙一覧表3
・ 「敬虔なクリスチャンだった」という同一の表現
・ 「宗教色の・・強くない」という同一の表現
・ 「映像と音楽」という同一の表現
原判決別紙一覧表4
・ 「午前十一時五十五分の献灯で式が開始された」とほぼ同一の表現
・ 「祭壇の左隅に置かれたグランドピアノ」とほぼ同一の表現
・ 「ショパンの『葬送行進曲』」という同一の表現
原判決別紙一覧表5
・ 「葬送行進曲とともに」という同一の表現
・ 「制服姿のボーイスカウト」という同一の表現
・ 「亮の胸に抱かれた」という同一の表現
・ 「祭壇一番上に安置された」とほぼ同一の表現
・ 「黒い布で覆われ、十字架をかけた遺骨を納めた箱」とほぼ同一の表現
・ 「それを見下ろすように飾られた大きな遺影・・」「飾られた井深の遺影は、首を少し左側にかしげ、頬づえをつくように左手を頬に添えて微笑んでいる」とほぼ同一の表現
原判決別紙一覧表6
・ 「会葬者・・による黙祷が一分間」とほぼ同一の表現
・ 「ハワイで病気療養中」とほぼ同一の表現
・ 「夫人の良子が盛田のメッセージを代読することになった」とほぼ同一の表現
・ 「今日、ここにいなくてはならない人、一番初めに葬儀委員長として弔辞を読まなければならない人、それは私の夫である盛田昭夫でございます」という同一の表現
(ウ) 以上のほか、被控訴人Bは、前著である「井深大とソニースピリッツ」においては、石川六郎氏と平岩外四氏の記述順序を控訴人著作物と同じ順序で記述していたが、被控訴人書籍ではこれを逆に記述している。また、上記前著では、「正午と同時に」「『葬送行進曲』が流された」と記述されていたが、被控訴人書籍では、この点が「つづいて」「『葬送行進曲』が流された」と変更されている。このような不自然な変更は、依拠したことを裏付ける間接事実である。
 また、控訴人は、平成9年10月13日から「夕刊フジ」誌上において、「デジタル・ドリーム・キッズ ソニー燃ゆ」の連載を開始したが、同年12月19日に死亡した井深氏に対する追悼の意を込めて、同誌上に、同月23日付けから27日付けまでの4回にわたって、上記連載の番外編として、「井深大追悼緊急特別編」を執筆して掲載し、さらに、平成10年1月29日付けの同誌に掲載した控訴人著作物の後にも、故井深大氏のソニーグループ葬(以下、「本件葬儀」という。)に関する記事として同年1月30日付けから2月18日付けまでの合計13回に及ぶ執筆をしている。このように控訴人は、本件葬儀に関して詳細な文章を明らかにしていた。当時、本件葬儀についてこのように詳細に記述した記事は、株式会社ソニー(以下「ソニー」という。)の広報部門が作成した資料以外には皆無であった。ソニー元従業員である控訴人による上記記事は、ソニー内部で大きな話題となっており、ソニー関係者の間では控訴人の連載記事のことは周知の事実であり、被控訴人Bが、本件葬儀のことを執筆しようとする者であれば、控訴人著作物を参照するのはむしろ通常である。「ソニーウオッチャー」を自称する被控訴人Bが、当時ソニー関係者にとって周知であった「夕刊フジ」連載中の控訴人の記事を入手して閲覧したであろうことは間違いない。
(エ) 被控訴人Bは、ソニーの全面的協力を得て取材し、ビデオを入手したが、本件葬儀自体には自らは参列できなかったことを認めている。しかしながら、被控訴人Bが見たというソニー広報室作成のビデオ(乙5)は、本件葬儀場面の3分の1程度の長さに大幅にカット、編集されたものであり、時間的推移を認識することは不可能である上、ソニー広報室からは詳細なタイムテーブルも公表されていない。ジャーナリストとしての執筆姿勢からすれば、自らが葬儀に出席しなかった以上は、実際の葬儀の雰囲気等を知るためには、葬儀に関する記事はすべて収集した上で執筆に臨むのが当然の姿勢であると考えられるのであり、独力で被控訴人書籍の該当部分を記述することは困難であったと認められるのである。
(オ) 以上のことから、被控訴人書籍が控訴人著作物に依拠して執筆されたことを優に認定することができる。
イ 創作性、同一性
(ア) 複製権侵害の検討においては、著作権侵害訴訟の原告の著作物における表現形式と被告の作品における表現形式とを対比して、共通する表現形式と、異なる表現形式とを把握した上で、この両者のそれぞれにおける創作的な表現形式としての価値(創作性)の存否及び程度をそれぞれ検討し、両者の創作的価値の相関関係を考慮(比較衡量)して、既存の著作物としての創作的な表現形式(全体)の同一性を判断することになる。そして、言語の著作物については、個々の用語や一文ごとに、原告の著作物における表現形式を微視的に分析して検討すると、個性を表出することができる表現形式の選択の幅(多様性)が極めて狭い場合であっても、ある程度の「まとまり」として総合評価すると、その表現形式の選択の幅は格段に拡がっていき、著作者の個性が何らかの形で表れているとみられる場合が多くなるのであるから、その創作性の認められるまとまりとして把握することのできる部分を複製して利用する行為は著作権侵害を構成すると解すべきである。さらに、控訴人著作物及び被控訴人書籍は、本件葬儀の模様を素材とするという意味において、歴史的又は時事的な事実を素材とする作品である。このような著作物につき、個々の文章に分離するなど微視的に評価すると、それぞれは、単なる事実について、ありふれた表現による文章であって、創作的な表現形式ではないとみられるおそれがある。事実を素材とする著作物の表現形式の創作性の程度を評価するためには、素材としての事実の中から選択した事項の内容、量、配列、組み合わせ、構成等を総合して創作性の存否及び程度が評価され、創作的な表現形式やその特徴の同一性が判断されるべきである。特に、著作者の当該事実に関する印象、評価、感想、憧憬、見識等が込められた表現がされる場合には、これらも重要な創作性の評価の要素となり、独創性を具備する場合もあるというべきである。
(イ) そこで、「まとまり」として把握すべき控訴人著作物(甲1)と被控訴人書籍(乙1)の文章を比較したのが、【別表】(本判決末尾添付)である。なお、別表中の下線部分は、両者を比較して、要旨、言い回し、用語が同一又は類似する部分であり、太字(ゴシック体)部分は、用語が同一又は酷似する部分である。
 これにより、控訴人著作物の構成をみると、@本件葬儀の日時・場所等(別表の(2)、(3))、A会葬者の数(同(4))、B本件葬儀への主要な参加者名と所属(同(5))、C隣室の状況(同(6))、D葬儀の形式(同(7))、E故井深氏の遺影の情景(同(8))、F故井深氏の遺影の下の状況(同(9))、G故井深氏が文化勲章を授与されていること(同(10)、(11))、H本件葬儀の進行役(同(12))、I献灯で式が開始されたこと(同(13))、J葬儀の冒頭の状況(同(14))、K「葬送行進曲」が流れ、それを大賀会長の夫人が演奏したこと(同(15)〜(17))、L故井深氏の遺骨の入場の状況(同(18))、M遺骨を収めた箱の状況(同(19))、N黙祷の状況(同(20)、(21))、O盛田名誉会長のメッセージを良子夫人が代読したこと(同(22)、(23))、Pメッセージの前置き部分の紹介(同(24)前半)、Q良子夫人のメッセージの内容が会場の参列者と著者の涙を誘ったこと(同(24)後半、(25)、(26))というようになっている。本件葬儀の模様については、控訴人著作物ほど詳細に記述した文章は、被控訴人書籍を除いては、後にも先にも発表されておらず、このような構成で記述した文章も被控訴人書籍を除いては存在していない。本件葬儀という事実の中から、@からQまでの事項を選択したこと、特に、遺影に関するE、Fや遺骨に関するMを選択したことには、控訴人の独創性がある。Bの参加者として、誰をどういう配列で記述するかということも、他の選択と相まって控訴人の独創性の一部をなすものである。
 原判決は、控訴人著作物につき「社葬の模様を記載した部分の表現は、葬儀という歴史的事実をテーマとしてこれを客観的に表現するというその性質上、さほど執筆者の個性を強く打ち出すことなく、事実をありのままに記載した叙述が多い」とし、控訴人著作物と被控訴人書籍につき「いずれも井深大の葬儀という同一の歴史的事実を対象として、これを客観的に記述するという内容・表現態様の論稿である」としているが、事実誤認である。
 控訴人著作物は、必ずしも「執筆者の個性を強く打ち出すことなく、事実をありのままに記載」したものではないし、「客観的に記述」したものではない。控訴人は、ソニーの元従業員であったもので、井深大氏に対してとりわけ深い思い入れがあった。この思い入れや尊敬の念は、控訴人著作物にも色濃く反映しており、とりわけ遺影や遺骨の描写に強く反映している。そのため、前記E、F、L、M(別表(8)、(9)、(18)、(19))などの記述は極めて独創性が強い。また、控訴人は、ディテールを描写して映像的・主観的な表現を多用している。
 控訴人著作物には、別表(6)の「カラープロジェクションとカラーモニターを通して葬儀に参加した」、同(7)の「宗教色のさほど強くない「映像と音楽による葬儀」だった」、同(8)の「遺影は、首を少し左側にかしげ、頬づえをつくように左手を頬に添えて微笑んでいる」、同(13)の「献灯で式は開始された」、同(18)の「制服姿のボーイスカウト日本連盟の隊員たちに守られて、子息の亮の胸に抱かれた井深の遺骨が入場」、同(19)の「それを見下ろすように飾られた大きな遺影」という表現は、控訴人の本件葬儀に関する印象、評価、感想等が込められた表現であり、独創性がある。
 以上から、控訴人著作物は、1つの「まとまり」として総合的に考察すれば、その全体につき創作性がある著作物と認められるべきである(ただし、別表(24)中の盛田良子夫人のメッセージ部分を除く。)。
(ウ) 控訴人著作物と被控訴人書籍とを比較すると、次のとおりである。
 被控訴人書籍のうち別表(カ)から(フ)までについてみると、控訴人著作物とその構成は、控訴人著作物の別表(8)の遺影の描写が、被控訴人書籍の(ナ)、(ニ)に移動されている点が異なるだけで、それ以外は、ほとんど同一である。
 被控訴人書籍のうち別表(カ)から(フ)までの部分で控訴人著作物と異なる部分もあるが、それはいずれも控訴人著作物にある事項について説明を付加しただけで、新たな創作性は認められない。
 したがって、被控訴人書籍のうち別表(カ)から(フ)までについては、その構成だけでなく、その表現形式についても同一又は類似である。
 ところで、被控訴人書籍のうち、(イ)から(オ)までについては、一部を除き、控訴人著作物にはない記述があるが、(イ)、(オ)は客観的事実を記載したもの、(ウ)は病歴と生活状況のほか、「大往生」という平凡な評価にすぎないもの、(エ)は公知の事実であって、いずれも何ら創作性は認められない。また、(ヘ)から(ヨ)までは、盛田夫人のメッセージをそのまま引用するものであり、被控訴人Bの著作物としての創作性は認められない。
 以上のように、被控訴人書籍の別表(カ)から(フ)までの部分について、控訴人著作物から多少の修正、増減、変更があるものの、控訴人著作物の創作的な表現形式全体の同一性は損なわれずにこれが維持されているものである。
(2) 翻案権侵害(予備的主張)
 被控訴人書籍中の控訴人著作物と異なる部分、すなわち、別表(イ)ないし(オ)並びに(キ)、(サ)、(ソ)、(チ)、(ツ)及び(ノ)の記述には、前記のとおり創作性がないが、この点につき、新たな創作性があると判断され、複製権侵害が認められない場合には、以下のとおり、従前の主張に加えて、予備的に翻案権侵害を主張する。
 翻案権侵害の検討においても、著作権侵害訴訟の原告の著作物における表現形式と被告の作品における表現形式とを対比して、共通する表現形式と異なる表現形式とを把握した上で、両者の創作的な表現形式としての価値(創作性)の存否及び程度を検討し、両者の創作的価値の相関関係を考慮して、既存の著作物としての創作的な表現形式の特徴の同一性の有無を判断するべきである。
 前記のとおり、控訴人著作物の創作的な表現形式は、被控訴人書籍の別表(カ)、(ク)、(ケ)、(コ)、(シ)、(ス)、(セ)、(タ)、(テ)、(ト)、(ナ)、(ニ)、(ネ)、(ハ)、(ヒ)及び(フ)(ただし、盛田夫人のメッセージの引用部分は除く。)においてみられ、既存の著作物としての創作的な表現形式の特徴は控訴人著作物と被控訴人書籍とでは同一性があると認められ、被控訴人書籍から控訴人著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるから、翻案権侵害となる。
2 被控訴人らの主張の要点
(1) 控訴人が別表のようにひとまとまりとして範囲を示し対比することによってする複製権侵害、翻案権侵害の主張は、時機に後れた攻撃防御方法であって、却下すべきものである。
(2) 控訴人は、原判決に法令の解釈適用の誤り、審理不尽の違法があるなどと主張するが、複製権侵害の依拠の要件について認定した上でなければ、同一性の要件を判断し得ないものではなく、同一性がなく、著作権侵害とならないときに、さらに依拠の有無について独立して論じる必要性は皆無である。原審は、同一性がない以上、依拠についてさらに主張、立証の機会を与える必要性がないとの判断の下で訴訟指揮をしたものであり、控訴人の非難は当を得ない。
 被控訴人Bは、控訴人著作物に依拠してはおらず、控訴人の主張、立証は、いずれも依拠を立証するものではない。
(3) 控訴人著作物と被控訴人書籍についての別表(対比表)の記述は、葬儀という事実を伝えるに当たって一般的に記述する事項について、いかなる者が記述しても同様にならざるを得ないような慣用的表現やありふれた表現にほかならない。そもそも控訴人著作物中の創作性が認められるような特徴的表現部分は、たとえ存在するとしてもごくごくわずかである上、被控訴人書籍中には、控訴人著作物の特徴的表現部分など全く存在しない。すなわち、控訴人著作物と被控訴人書籍とで共通するのは、本件葬儀を記述する以上共通せざるを得ない、共通しなければおかしい葬儀の日時、場所、参列者の数、参列者の氏名、葬儀の模様等の何ら創作的表現に関係しない記述や、その他は時系列に沿って葬儀の模様を記述する際の創作性のないありきたりの言い回しにすぎず、著作権法上の保護対象ではない語や句にすぎない。したがって、そもそも両者には、創作性のある表現の共通性などは存在しない。
 控訴人の主張は、著作権法上の保護対象でない上記記述をかき集めて主張しているにすぎず、選択、配列についてはもとより、内容についても、共通する部分には何らの創作性など認められない。しかも、選択、配列についても同一でないし、共通するのは井深大の葬儀という共通の対象を客観的に記述する以上避け得ない著作権法の対象として控訴人に独占させることなどできない部分にすぎない。すなわち、別表の具体的表現において、両者が共通する部分は、表現上の創作性ないし個性が認められない部分のみであり、著作権性すら認められない。控訴人の主張するひとまとまり論についてみても、別表を全体としてみれば、著作物性を肯定し得るが、表現上の創作性ないし個性は、本件葬儀という時事的、歴史的事実を正確に記載している事実に関する著作物としての制約上、もともと高いものではない上に、両者の間には相違部分もあることによって、両者の間で具体的表現における実質的同一性が認められないのはもちろん、表現上の特徴を感得することもできない。
 よって、被控訴人書籍は、対比された個々の部分においてはもとより、別表を全体としてみても、控訴人著作物を複製ないし翻案したものではあり得ない。
第3 当裁判所の判断
1 複製権侵害について
(1) 控訴人は、原審以来、原判決別紙一覧表に基づき、被控訴人書籍のうち、同一覧表A欄の各記述部分は、控訴人著作物の同B欄の各記述部分と完全に同一であるか、ほとんど同一である旨を主張する。
 この点については、当裁判所も被控訴人書籍における原判決別紙一覧表A欄の各記述部分は、控訴人著作物における同B欄の各記述部分を複製したものとは認められないものと判断する。その理由は、原判決33頁5行目から37頁10行目まで、同38頁8行目から40頁8行目まで、及び同41頁8行目から42頁11行目まで(ただし、同41頁8行目の「被告書籍中には、」から42頁1行目の「右の点を含めて、」までの部分を除く。)の判示のとおりであるから、これを引用する。
(2) 控訴人は、当審において、言語の著作物については、ある程度の「まとまり」として総合評価すべきであるとした上、「まとまり」として把握すべき控訴人著作物(甲1)と被控訴人書籍(乙1)の文章を比較した本判決末尾添付の別表に基づいて主張をする。
 被控訴人らは、この主張を時機に後れた攻撃防御方法として、却下すべきものと主張するが、本件記録及び訴訟の経緯等に照らすと、時機に後れた主張として却下すべきものとはいえず、上記被控訴人らの主張は採用しない。そこで、以下、控訴人の上記主張の内容に沿って判断する。
ア 控訴人は、控訴人著作物の構成が、@本件葬儀の日時・場所等(別表の(2)、(3))、A会葬者の数(同(4))、B本件葬儀への主要な参加者名と所属(同(5))、C隣室の状況(同(6))、D葬儀の形式(同(7))、E故井深氏の遺影の情景(同(8))、F故井深氏の遺影の下の状況(同(9))、G故井深氏が文化勲章を授与されていること(同(10)、(11))、H本件葬儀の進行役(同(12))、I献灯で式が開始されたこと(同(13))、J葬儀の冒頭の状況(同(14))、K「葬送行進曲」が流れ、それを大賀会長の夫人が演奏したこと(同(15)〜(17))、L故井深氏の遺骨の入場の状況(同(18))、M遺骨を収めた箱の状況(同(19))、N黙祷の状況(同(20)、(21))、O盛田名誉会長のメッセージを良子夫人が代読したこと(同(22)、(23))、Pメッセージの前置き部分の紹介(同(24)前半)、Q良子夫人のメッセージの内容が会場の参列者と著者の涙を誘ったこと(同(24)後半、(25)、(26))というようになっていること、本件葬儀という事実の中から、上記@からQの事項を選択したこと、特に、遺影に関するE(同(8))、F(同(9))や遺骨に関するM(同19))を選択したことには、控訴人の独創性があること、B(同(5))の参加者として、誰をどういう配列で記述するかということも、他の選択と相まって控訴人の独創性の一部をなすものであること、他方、被控訴人書籍の構成(別表(カ)ないし(フ))は、一部を除き、控訴人著作物の構成と同一又は類似である旨主張する(前記第2、1(1)イ(イ)(ウ))。
 証拠(甲1、乙1)によれば、控訴人著作物及び被控訴人書籍の記述が別表の各欄に記載されたとおりであることが認められ(もっとも、(1)、(ア)などの分類番号ないし記号、下線、ゴシック体の表示は、控訴人によるものである。)、また、控訴人著作物は、上記主張どおりの構成、流れで記述されており、被控訴人書籍も、一部を除き、概ね同様の事項が取り上げられて構成されていることが認められる。
 しかしながら、控訴人著作物の上記構成をみても、表現上の創作性を認めるには足りない。すなわち、その構成は、本件葬儀の日時・場所、会葬者数、参加者名などという葬儀の概況や式次第に沿った葬儀の状況などを記述したものであり、控訴人著作物及び被控訴人書籍は、本件葬儀の模様を素材とするという意味で、歴史的又は時事的な事実を素材とするノンフィクションの作品である(この点は、控訴人も自認するところである。)ことからすれば、上記のような構成自体は、通常想定し得るものの域を出ず、独創的なものとはいい難い。
 さらに、記述対象事項の選択という観点からみると、控訴人著作物と被控訴人書籍で共通する部分はあるが、本件葬儀の模様を素材としたノンフィクションの作品として、記述されることが通常想定されるものと認められる事項であるといわざるを得ない。例えば、遺影、遺骨に関する記述がある点についても、掲載字数が極めて限定されている新聞の報道記事では、遺影、遺骨にまで記述が及ばないことがあるとしても、葬儀を素材としたノンフィクションの作品としてある程度の字数が予定される場合には、遺影、遺骨にまで記述が及ぶことは十分に想定されるところである上、本件証拠(甲6〜9、16、29、30、乙3の1〜4、乙5、6)によって認められる本件葬儀における遺影、遺骨の状況、取り扱われ方、葬儀の演出などの事情に照らせば、遺影、遺骨について記述することはむしろ自然であるものと認められ、記述対象事項の選択が独創的であるとはいえない。他方、控訴人著作物に記述されながら、被控訴人書籍に記述がないものや(例えば,別表の(9),(14),(21),(23),(24)後半部分,(26))、逆に、被控訴人書籍に記述されながら、控訴人著作物に記述がないもの(例えば、別表の(ウ)の死因を除く部分、(エ)、(サ)、(ソ)、(チ)、(ツ)、(ヌ)、(ノ)、(ヘ)ないし(ヨ))も多い。したがって、記述対象事項の選択においては、むしろ、両者は、相当の部分において相違するものと認められるのであり、記述対象事項選択の独創性ということから同一性があるとは認めるに足りない。
イ 控訴人は、控訴人著作物は客観的に記述したものではなく、ソニーの元従業員としての井深大氏に対する深い思い入れや尊敬の念があって、これが控訴人著作物にも色濃く反映し、とりわけ遺影や遺骨の描写である前記E、F、L、M(別表(8)、(9)、(18)、(19))などの記述は極めて独創性が強いこと、また、控訴人はディテールを描写して映像的・主観的な表現を多用していること、控訴人著作物の別表(6)の「カラープロジェクションとカラーモニターを通して葬儀に参加した」、同(7)の「宗教色のさほど強くない「映像と音楽による葬儀」だった」、同(8)の「遺影は、首を少し左側にかしげ、頬づえをつくように左手を頬に添えて微笑んでいる」、同(13)の「献灯で式は開始された」、同(18)の「制服姿のボーイスカウト日本連盟の隊員たちに守られて、子息の亮の胸に抱かれた井深の遺骨が入場」、同(19)の「それを見下ろすように飾られた大きな遺影」という表現は、控訴人の本件葬儀に関する印象、評価、感想等が込められた表現であり、独創性があること、他方、被控訴人書籍の構成(別表(カ)ないし(フ))は、控訴人著作物から多少の修正、増減、変更があるものの、控訴人著作物の創作的な表現形式全体の同一性は損なわれずに維持されていることを主張する(前記第2、1(1)イ(イ)(ウ))。そこで、以下に検討する。
(ア) まず、遺影や遺骨に関する控訴人著作物の前記E、F、L、M(別表(8),(9),(18),(19))の表現と、これに対応する被控訴人書籍の表現についてみる。
 同一又は類似する表現としては、次のものが認められる。
・ 控訴人著作物で「首を少し左側にかしげ」(別表(8))とされているのに対し、被控訴人書籍で「首を少し左に傾げ」(別表(ニ))とされている点、
 以下同様に、
・ 「左手を頬に添えて(微笑んで)」(同(8))に対し、「左手を頬に添えて」(同(ニ))という点、
・ 「葬送行進曲とともに、制服姿のボーイスカウト日本連盟の隊員たちに守られて、子息の亮の胸に抱かれた井深の遺骨が入場」(同(18))に対し、「葬送行進曲とともに、制服姿のボーイスカウトの少年隊員に先導された格好で、長男・亮の胸に抱かれた井深の遺骨が入場」(同(タ))という点、
・ 「祭壇一番上に安置された」(同(18))に対し、「祭壇のいちばん上に安置された」(同(テ))という点、
・ 「黒い布で覆われ、十字架をかけた遺骨を収めた箱」(同(19))に対し、「骨箱は黒い布で覆われ、十字架がかけられていた」(同(ト))という点、
・ 「それを見下ろすように飾られた大きな遺影」(同(19))に対し、「それを見下ろすかのように(微笑む)井深の大きな遺影」(同(ナ))という点、
 である。
 そして、控訴人は、ソニーの元従業員として、井深氏に対するとりわけ深い思い入れがあり、この思い入れや尊敬の念が、控訴人著作物、とりわけ遺影や遺骨の描写に強く反映しており、控訴人著作物中の上記の表現は、極めて独創性が強いなどと主張する。
 しかしながら、著作権法上保護されるのは、思い入れや尊敬の念などではなく、これらの表現における創作性であることは、いうまでもないところ、控訴人著作物と被控訴人書籍は、いずれも本件葬儀という歴史的又は時事的な事実を対象とするノンフィクションの作品であることからすれば、上記の同一又は類似する表現は、遺影、遺骨の状況等に関して一般的に用いられる語句や文章による客観的記述ないしありふれた表現にとどまっており、著作権法上保護されるべき表現上の創作性を認めるには足りない。
 むしろ、原判決(39頁4行、5行)が適切に指摘するとおり、控訴人著作物中でも「(遺骨を収めた箱は)遺影のなかの井深自身の手のひらにすっぽり入る大きさであった。」(別表(19))という表現は、創作性を認め得るものではあるが、被控訴人書籍には、この表現に対応する表現は存在しないのである。
(イ) 控訴人は、上記のほか、控訴人著作物中の「カラープロジェクションとカラーモニターを通して葬儀に参加した」(別表(6))、「宗教色のさほど強くない「映像と音楽による葬儀」だった」(同(7))、「献灯で式が開始された」(同(13))という表現にも本件葬儀に関する印象、評価、感想等が込められた表現であり、独創性があり、被控訴人書籍中に同一又は類似の表現があると主張する。
 証拠(甲1、乙1)によれば、控訴人著作物中に上記の記述があること、被控訴人書籍中には、「カラープロジェクションやカラーモニターを通して葬儀に参加し」(別表(ク))、「宗教色があまり強くなく、・・・「映像と音楽」で彩られた」(同(ケ))、「献灯で式は始まった」(同(シ))との記述があること、そして、両者の記述の間には、共通の用語や類似する部分などがあることが認められる。しかしながら、上記表現は、証拠(甲6〜9、29、30、乙5、6、17〜21等)に照らしても、本件葬儀の状況や、本件葬儀から受ける印象ないし認識を記述したものと受けとめられるところ、その表現において格別の創作性を認めることはできない。
(3) 以上によれば、控訴人著作物と被控訴人書籍について、各記述部分の対比においても、別表のまとまりとしての対比においても、表現上の創作性のある部分において同一性があるものとは認めることはできず、表現上の創作性の認められない部分において同一性を有するにすぎないのであって、被控訴人書籍の表現から控訴人著作物の内容及び形式を覚知することはできない。そして、控訴人の種々主張するところを考慮しても、この認定を覆すに足りない。
 よって、依拠性の点について判断するまでもなく、また、被控訴人書籍の表現のうち、控訴人著作物にない記述について、創作性がないか否かについて判断するまでもなく、複製権侵害をいう控訴人の主張は、採用することができない。
2 翻案権侵害について
 控訴人は、被控訴人書籍中の控訴人著作物と異なる表現部分について、仮に、新たな創作性があって複製権侵害が認められない場合には、予備的に翻案権侵害を主張するとし、依拠性のほか、控訴人著作物と被控訴人書籍との表現の対比などにつき、複製権侵害の主張をほぼ援用している。
 被控訴人らによる時機に後れた攻撃防御方法の主張が採用の限りでないことは、複製権侵害についての項(前記1(2))で判示したとおりである。
 そこで、控訴人の翻案権侵害の主張について検討するに、控訴人著作物と被控訴人書籍について、各記述部分の対比においても、別表のまとまりとしての対比においても、表現上の創作性のある部分において同一性があるものとは認めることはできず、表現上の創作性の認められない部分において同一性を有するにすぎないことは、前記1に判示したとおりである。そうすると、被控訴人書籍の表現から控訴人著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないものと認められる。
 よって、依拠性の点について判断するまでもなく、また、被控訴人書籍の表現のうち、控訴人著作物にない記述について、創作性があるか否かについて判断するまでもなく、翻案権侵害をいう控訴人の主張も採用することができない。
3 著作者人格権侵害について
 控訴人は、著作者人格権侵害の点も主張しているが、以上の判示に照らせば、その主張は前提を欠き、理由がないことは明らかである。
4 結論
 以上によれば、控訴人の被控訴人らに対する請求は理由がなく、これを棄却すべきものとした原判決の認定判断は相当である。よって、本件控訴は理由がないので、これを棄却することとして、主文のとおり判決する。

東京高等裁判所第18民事部
 裁判長裁判官 永井紀昭
 裁判官 塩月秀平
 裁判官 田中昌利


【別表】
控訴人著作物(甲第1号証) 被控訴人書籍(乙第1号証)
(1) 天才を送った日 (ア) 井深の死を悼む人々
(イ) 井深大が都内の自宅で息を引き取った
のは,平成九(一九九七)年十二月十九
日午前三時三十八分だった。
(ウ) 死因は急性心不全と発表されたが,五, 
六年ほど前から頸椎の異常や脳梗塞な
どのため車椅子の生活を余儀なくされて
おり,その後徐々に身体が衰えてきてい
たことを考えるなら,八十九歳の大往生
だったといえるのではなかろうか。    
(エ) 井深は成功した経営者としての「顔」だけ
でなく,本格的な幼児教育の研究に取り
組んだのをはじめ,「気」や超能力,ヨ ガ
など゛科学的゛なものの対極に位置すると
考えられているものにも強い関心を示し,
科学者として幅広い「顔」を持っている。
(オ) そうした幅広い功績が,平成元年に文化
功労者,平成四年には文化勲章を受章し
た要因のひとつになっているのであろう。
(2) 昨年十二月十九日に急性心不全で天に召された井深大の
社葬は,「ソニーグループ葬として,去る一月二十一日,東京
都港区にある新高輪プリンスホテル国際館パミールで行わ
れた。
(カ) 井深の葬儀および告別式などは,二日後
には密葬として執り行なわれたが,「ソニー・
ファウンダー,最高相談役」としての葬儀(社
葬)は,「グループ葬」として年の明けた平成
十年一月二十一日,東京・港区の新高輪プ
リンスホテル国際館パミールで行なわれた。
(3) 葬儀委員長は,会長の大賀典雄が務めた。 (セ)
(4) 会葬者の数は,メーン会場だけで千八百人 (キ) 会場には,政財界をはじめ電機業界などか
ら三千五百人近い会葬者が押し寄せ, 井深
の人柄を偲ばせた。
(5) 政界では中曽根康弘,宮沢喜一,海部俊樹,羽田孜の総理
大臣経験者,財界では石川六郎(日商,東商名誉会長),平
岩外四(経団連名誉会長),電機業界では松下正治(松下電
器産業会長),関本忠弘(日本電気会長)といった人たちの顔
が見えた。
(ク) 主会場には,政界から中曽根康弘,宮沢喜一,
海部俊樹,羽田孜の歴代総理大臣経験者を
はじめ主な政治家たちが,財界からは平岩外
四・経団連名誉会長(元経団連会長)や石川
六郎・日本商工会議所名誉会頭(元日商会
頭)などが,同じ電機業界からはライバル企
業である松下電器産業の松下正治会長など
主要メーカーの経営トップが一堂に会した。
(6) そのほか,隣室でも,千五百人を超える人々がカラープロジ
ェクションとカラーモニターを通して葬儀に参加した。
  隣室では,主会場に入り切れなかった会葬者
たちが,カラープロジェクションやカラーモニタ
ーを通して葬儀に参加し,井深の冥福を祈った。
(7) 葬儀の形式は井深が敬虔なクリスチャンだったので,キリスト
教スタイルだったが,宗教色のさほど強くない「映像と音楽に
よる葬儀」だった。
(ケ) 井深は敬虔なクリスチャンだったが,
葬儀の形式それ自体は宗教色があまり強
くなく,むしろAVメーカー「ソニー」を
育てた井深に相応しい「映像と音楽」で彩
られた,どこか晴れやかな雰囲気をかも
し出していたものの,だからといって荘
厳さを損なうものでもなかった。
(8) 正面祭壇に飾られた井深の遺影は,首を少し左側にかしげ,
頬づえをつくように左手を頬に添えて微笑んでいる。
(ナ)(ニ)
(9) その遺影の真下には,天皇陛下から贈られたカスミソウや菊
花の白い花が飾られ,贈正三位の勲章が並べられた。
(10) 井深は,天皇陛下から九二年十一月に皇居で文化勲章を
授与されている。
(オ)
(11) そのとき井深は,車椅子であった。    
(12) 進行役は,井深がNHKのテレビに出演
したときの縁で,アナウンサーの桜井洋子
が務めた。
(コ) 進行を担当したのは,生前取材を通じ
て親交のあったNHKのアナウンサー・
桜井洋子である。
(サ) 彼女の落ちつきのある,哀惜のこもっ
た言葉が式場に流れるなか,葬儀が進む
につれて場内のあちらこちらから会葬者
のすすり泣きが漏れだし,いっそう井深
を悼む気持ちが会場を包み込んでいった
のだった。
(13) 午前十一時五十五分の献灯で式が開始された。 (シ) 午前十一時五十五分,献灯で式は始まった。
(14) ほの暗い場内にフォーレ作曲の「レクイエム第一番」が
流れ,六人の女子社員がロウソクを手に入場し,祭壇に
点灯,会場が明るくなった。
(15) 時計の針が正午を指したとき,ショパンの「葬送行進曲」が
流れ始めた。
(ス) つづいて,祭壇の左隅に置かれたグラ
ンドピアノからショパンの「葬送行進曲」
が流された。
(16) 祭壇の左端に置かれたグランドピアノを使った演奏である。
(17) 桜井はピアニストを紹介しなかったが,演奏したのは大
賀夫人の緑だった。
(セ) 演奏者は,葬儀委員長を務めるソニー
会長・大賀典雄の夫人,緑である。
(ソ) 大賀夫人も,芸大で夫とともに音楽を
学んだ音楽家である。
(18) 葬送行進曲とともに,制服姿のボーイスカウト日本連盟の
隊員たちに守られて,子息の亮の胸に抱かれた井深の
遺骨が入場,祭壇一番上に安置された。
(タ) 葬送行進曲とともに,制服姿のボーイ
スカウトの少年隊員に先導された格好で,
長男・亮の胸に抱かれた井深の遺骨が入
場してきた。
(チ) 井深とボーイスカウトとの関係は,彼
が昭和六十年,七十七歳のとき,財団法
人ボーイスカウト日本連盟理事長に就任
して以来のものである。
(ツ) 幼児教育や少年の育成に心血を注いだ
井深らしい。
(テ) 遺骨を収めた箱は,祭壇のいちばん上
に安置された。
(19) 黒い布で覆われ,十字架をかけた遺骨を収めた箱は,それを
見下ろすように飾られた大きな遺影のなかの井深自身の手
のひらにすっぽり入る大きさであった。
(ト) 骨箱は黒い布で覆われ,十字架がかけ
られていた。
(ナ) それを見下ろすかのように,微笑む井
深の大きな遺影が飾ってあった。
(ニ) 遺影のなかの井深は,首を少し左に傾
げ,左手を頬に添えていた。
(ヌ) 普段からあまり怒ることのなかった井
深の優しい眼差しに溢れた写真である。
(20) 会葬者三千数百人による黙祷が一分間,行われた。  (ネ) 会葬者全員による黙祷が一分間捧げら
れたあと,関係者からの井深の死を悼む
メッセージがつづいた。
(21) 黙祷の間,大賀典雄作曲による印象的なトランペット演奏曲
が流された。 
(ノ) いちばん最初に祭壇の前のマイクに進
み出たのは,井深の生涯のパートナー・
盛田昭夫の夫人だった。
(22) 黙祷に続いて,ハワイで病気療養中の盛田昭夫名誉会長から
のメッセージを良子夫人が代読した。 
(ハ) 盛田自身も,平成五年十一月に脳内出
血で倒れて以来,不自由な身体になり,
ちょうどハワイで病気療養中であった。
(ヒ) そのため,葬儀に参列できない盛田に
代わって,夫人の良子が盛田のメッセー
ジを代読することになったのである。
(23) だがそれは,盛田自身が書いたものではなく,彼の意をくんで
夫人が綴ったものであった。 
(24) 「今日,ここにいなくてはならない人,一番初めに葬儀委員長
として弔辞を読まなければならない人,それは私の夫である
盛田昭夫でございます」という言葉で始まる,そのメッセージ
には,病に倒れ,ともに言葉の自由を失った井深と盛田の悲
しいエピソードが散りばめられており,会場のあちこちで目頭
を熱くする光景が見られた。 
(フ) 「今日,ここにいなくてはならない人,
いちばん初めに葬儀委員長として弔辞を
読まなければならない人,それは私の夫
である盛田昭夫でございます」という彼女
の前置きのあと,次のような盛田のメッ
セージが読み上げられた。
(25) かくいう筆者も,こらえきれずに涙を流してしまった一人であ
る。 
(ヘ) 「井深さん。
(26) それほど辛い内容であった。  (ホ) あなたは,とうとうひとりで新しい世
界に旅立ってしまわれました。
(マ) 戦時中,あなたに初めてお会いして五十余年。
(ミ) ふたりで会社を作って五十一年。
(ム) 苦しいときも楽しいときも,いつもふ
たり一緒でした。
(メ) いま,ふたりは別れ別れになってしま
いましたが,これからは,井深さんは新
しい世界から,私はこの世の中にいまし
ばらくとどまって,次の世代の若者がど
のようにこの難しい世の中を乗り切って
いくかを,じっと見つめてまいりましょう。
(モ) 『さようなら』とは申しません。
(ヤ) またいつの日かお会いできる日がくる
でしょう。それまでしばらくのお別れです。
(ユ) そして私は,いま改めて,私にこんな
にも素晴らしい人生を与えてくださった
井深さんに,心からお礼を申し上げます。
(ヨ) 井深さん,本当にありがとうございました」
line
 
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