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【事件名】『コルチャック先生』著作権侵害事件(2) 【年月日】平成14年9月18日 大阪高裁 平成14年(ネ)第287号 損害賠償等請求控訴事件 (原審・京都地裁平成11年(ワ)第111号) (平成14年6月26日 口頭弁論終結) 判決 控訴人(第1審原告) A 訴訟代理人弁護士 井上二郎 被控訴人(第1審被告) B 被控訴人(第1審被告) C 被控訴人ら訴訟代理人弁護士 羽倉佐知子 同 岡山未央子 主文 1 本件控訴をいずれも棄却する。 2 控訴費用は控訴人の負担とする。 事実及び理由 第1 控訴の趣旨 1 原判決を取り消す。 2 被控訴人らは、下記作品を複製、出版又は頒布してはならない。 記 「戯曲『コルチャック先生』ある旅立ち」と題する戯曲(著者を被控訴人B、発行者を被控訴人C、発行所を文芸遊人社とする、平成7年8月1日付出版に係るもの) 3 被控訴人らは、控訴人に対し、各自1000万円及びこれに対する被控訴人B(以下「被控訴人B」という。)については平成11年1月28日から、被控訴人C(以下「被控訴人C」という。)については平成11年1月29日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要 事案の概要は、原判決「事実及び理由」中の「第2 事案の概要」(2頁5行目から3頁22行目まで)のとおりであるから、これを引用する。 ただし、原判決2頁7行目、3頁19行目、同24ないし25行目、4頁1行目の各「個々の翻訳」を各「個々の対応する該当部分」と、同7行目の「翻訳」を「翻訳の複製権侵害」、「200頁」を「199〜200頁」とそれぞれ改める。 第3 争点に関する当事者の主張 次に当審における当事者の主張を付加するほか、原判決「事実及び理由」中の「第3 争点に関する当事者の主張」(3頁24行目から21頁17行目まで)のとおりであるから、これを引用する。 1 争点(1)(本件戯曲は原判決摘示の原告著作(以下「控訴人著作」という。)の翻案に当たるか。また、本件戯曲中の個々の対応する該当部分が控訴人著作中の翻訳の複製権侵害に当たるか。)について (控訴人の主張) (1) コルチャックの生涯は、次のように約20年ずつの概ね3期と、最後の3年に区分できる。 ア 1878年〜1898年(出生から医学部入学まで)資本主義批判・社会改革。教育改革を夢見た青少年時代。 イ 1898年〜1918年(医学生からロシア革命を経てポーランド独立まで)社会主義の実現とポーランド独立を目指して戦った時代ー孤児院(ホーム)の草創期 ウ 1918年〜1939年(両世界大戦間)ポーランド独立後、ナショナリズム、反ユダヤ主義、ナチズムの狭間で、政治的思想的にも最も困難な時代、しかし、コルチャックにとって二つの孤児院を創立し夢と実り多き時代 エ そして、1939年〜1942年8月(ドイツ軍ポーランド侵攻、第2次世界大戦勃発からワルシャワゲットー・トレブリンカでの死まで) 控訴人著作は、上記アないしエを描いているが、このうちアないしウは、いわばクライマックスというべきエへの導入部としての意味が大きい。そして、控訴人著作は、エをコルチャックの思想・実践の核心として位置付けている。ワルシャワゲットーの飢餓地獄の中で子供たちを守るため、人間の尊厳をかけて闘い、吹きすさぶファシズムの嵐の中、コルチャックは自分だけに差し伸べられた救いの手を拒んで、子供たちと共にガス室への道を選んだ。そこにファシズム・ナチズムの本質とコルチャックの子供たちに対する深い愛情と、子供の人間としての尊厳を求め続けたコルチャックの教育者としての神髄が活写されている。これが控訴人著作の本質的な特徴である。 本件戯曲は、まさに控訴人著作のこの本質的な特徴が顕現された部分を戯曲化しているのである。 (2) 控訴人著作に著されているのは、まさに歴史的事実が中心になっており、それはノンフィクションであるから当然のことである。だが、歴史的事実の単なる羅列的描写と、事実の取捨選択、選択に要する感性、書き手の価値判断、評価、歴史解釈とそれを基にした表現とは、その本質を異にする。後者は、まさに書き手の思想の表れであり、これこそ書き手の主観の所産による創作にほかならず、これが著作権の保護対象である。 (3) 仮に本件戯曲の作成に当たり、一部他の文献が使用されたとしても、本件戯曲の翻案性が払拭されるわけではない。翻案・戯曲化とは、原作をベースとして舞台化し、ときには原作にない架空の人物や事柄を自由に加えたり、他の参考資料を一部参考にしたりなどして、観客が原作品をより理解しやすく構成するものだからである。また、舞台劇では、劇的効果を高めるために事柄の時間的飛躍を行うことは、翻案・戯曲化の常識的技法である。時間的順序が平板であっては、劇的効果が薄くなるからである。一般に原作と寸分違わない戯曲はなく、原作のエッセンス・本質・核心を基調として、脚本作者によりいろいろな工夫がなされ、脚本作者はこのようにして原作の地の文に依拠し、ト書き、台詞を作成し、原作の翻案としての二次的著作物を作成するのである。なお、コルチャックの「舞台化作品」は、ヨーロッパに数多くあるが、すべてワルシャワゲットー以後を中心に描かれているのであり、この手法は決して本件戯曲の独自性を示すものではない。 (被控訴人らの主張) ノンフィクションに書かれる歴史的事実は、歴史的事実の叙述そのものに意味があるのではなく、歴史的事実の叙述を用いて、書き手の思想、歴史観、解釈、書き手が訴えたいことを表現することに意味がある。そして、比較対照の作品との間で、その創作性ある表現それ自体の部分において同一性が認められ、当該作品の本質的特徴を直接感得できるような場合において、初めて翻案性が認められるのである。 この基準によると、本件戯曲からは控訴人著作の表現上の本質的特徴を直接感得することはできない。 2 争点(2)(控訴人は被控訴人らに控訴人著作の利用を許諾したか。)について (被控訴人らの主張) 控訴人は、利用許諾不存在の根拠として、排他的許諾か単純許諾か、許諾の範囲はどこまでか、著作権者に支払われる許諾料はどれだけかなどが約定されるのが常であるにもかかわらず、本件ではそれが明確かつ具体的に約定された証拠がないと指摘する。しかし、数年間にわたる控訴人・被控訴人間の膨大な文書のやりとりの存在に示される当時の両者の親密な関係、それもコルチャックの生涯を日本国内に知らしめるという共通目標のために共同歩調を取ってきたことに鑑みれば、そのような具体的な取り決めが交わされていないのは、むしろ極めて当然なことである。営業行為として出版活動を行っている出版社でさえ、必ずしも著作者との間で正式な出版権設定契約を交わしていない場合があるのが我が国の著作権の現状である。そうした社会一般の現状の当否はともかく、少なくとも本件においては、当時、控訴人も被控訴人も営利活動目的などさらさら持ち合わせないままに、いわば持ち出しで、コルチャックの活動の普及活動に邁進していた。許諾料などの話が出るはずがない。また、控訴人の翻訳をできる限り使用して、統一した表現で、日本にコルチャックの言葉を広めようとしたのであるから、そこに「排他的許諾」等という概念の登場するはずもない。それが「単純許諾」であることは当事者間で明白に合意されていたはずである。控訴人が被控訴人に与えた控訴人著作の使用許諾は、まさに翻訳部分の使用を含めた包括的許諾である。 (控訴人の主張) (1) 被控訴人ら提出のファックスや手紙類のいずれを精査しても、控訴人著作の利用許諾を明確かつ具体的に示す文言・表現は見当たらない。許諾とは、著作物の利用を求める者に対し、一定の範囲ないし方法で著作物の利用を認める意思表示をいうが、許諾の際には排他的許諾ないし単純許諾か、著作権者に支払われる許諾料はどれだけかなどが約定されるのが常である。 (2) 翻案の許諾は、原作の全部か又はある部分を、いつ、どのように利用するかを特定して求めるものであるし、許諾者も同様、許諾する場合は、これらを特定して許諾するものであり、包括的な許諾はあり得ない。 第4 当裁判所の判断 1 争点(1)(本件戯曲は控訴人著作の翻案に当たるか。また、本件戯曲中の個々の翻訳が控訴人著作中の翻訳の複製権侵害に当たるか。)について (1) 本件戯曲の翻案性について ア 言語の著作物の翻案とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして、ここに同一性を維持しつつ、直接感得することのできる表現上の本質的な特徴とは、創作性のある表現上の本質的な特徴をいい、思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において既存の言語の著作物と同一性を有するにすぎない著作物を創作する行為は、翻案には当たらないと解するのが相当である(最高裁判所平成13年6月28日判決・民集55巻4号837頁参照)。 イ 引用に係る基本的事実関係並びに下記認定・説示中に記載の各書証及び弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。 (ア) 全体 a 控訴人著作(甲2)は、コルチャックのほぼ全生涯を対象としているのに対し、本件戯曲(甲1)は、序幕シーン1にコルチャックの幼年時代を取り上げているほかは、1940年ナチスドイツによりワルシャワに設置されたゲットーに、コルチャック(当時62歳)と子供たち及びホームの職員が移住した以降を対象としている。 b 本件戯曲及び控訴人著作に描かれた1935年以降のコルチャックの生涯の大枠をみると、@ポーランドの首都ワルシャワにユダヤ人として生まれたコルチャックは、ワルシャワに二つの孤児院を作ったが、ナチスドイツが台頭し、反ユダヤ主義が激化したため、それまで担当していたラジオ番組を中止され、また、自らが設立したポーランド人孤児のホームを追われ、ユダヤ人孤児のホームの運営のみを行うようになった、Aその後、ポーランドに侵攻したナチスドイツ軍により、ユダヤ人特別居住区のワルシャワ・ゲットーが作られ、コルチャックとそのホームの子供たちはゲットーに強制移住させられた、Bゲットーでの生活は苛酷なものであったが、コルチャックは、子供たちの生活のために、食糧・寄付集めに奔走しつつ、ホームの自活による生活を守り、ハヌカの祭りを祝い、劇を上演するなどした、Cしかし、ナチスドイツは、ゲットーのユダヤ人をトレブリンカ絶滅収容所に移送することを開始し、コルチャックとその子供たちにも移送命令が下りた、Dコルチャックが子供たちと共に移送用の貨車に乗り込もうとした時、関係者の努力でコルチャックに対する助命の知らせが届いたが、コルチャックは、自分だけの助命を受け入れず、子供たちと共に貨車に乗り込んでトレブリンカへ旅立った、というものである。 そして、コルチャックの客観的人間像が、ポーランドで生育し、ユダヤ人であるために迫害を受け、これに苦悩しつつも、極限状態の中で子供たちと共に生き、子供たちと共に死の道を選んだ人物として描かれている。 c しかし、控訴人著作においては、基本的に、史実と先行資料及び関係者の証言を織り混ぜ、それに説明を加えることによって、時代状況やコルチャックの行動、心情、人間関係等を客観的に描き出すという表現方法が採られているのに対し、本件戯曲は、舞台演劇という性質もあって、コルチャックや周囲の人々の会話(台詞)によって、時代状況、コルチャックと関係者の人間関係や心情等を描くという表現方法が採られている。 また、控訴人著作及び本件戯曲に描かれているコルチャックの生涯の大枠ないし客観的人物像については、ベティ・j・リフトン著「コルチャック物語 子供たちの王様」(乙4。以下「リフトン著作」という。)及びアンジェイ・ワイダ監督の映画「コルチャック先生」(以下「ワイダ映画」という。乙5がその採録シナリオであり、以下、乙5のページ数で記す。)においても同様にコルチャックの生涯の大枠ないし客観的人物像が描かれているところであって、上記内容、表現に関する限り、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり、基礎的な事実として一般に認識されているものと考えられ、上記生涯の大枠ないし客観的人物像において、控訴人著作のみに見られる表現上の本質的な特徴があるとはいえず、したがって、その同一性もない。 d 登場人物については、控訴人著作では、前記のような叙述の関係上、実在した人物しか登場せず、しかもその行動は客観的に記述され、コルチャック以外の関係者の心情が描かれることはほとんどない。これに対して、本件戯曲では、控訴人著作にも登場する実在の人物のほかに、リフトン著作には登場するが控訴人著作には登場しない人物(シムエル、ジーナなど)及び本件戯曲において創作された人物(ミリアム)なども登場する。 また、登場人物の呼称については、原判決添付登場人物対照表記載のとおり、本件戯曲と控訴人著作は同一であるところ、控訴人は、特にコルチャックの本名をヘンルィクと表記する点及びステファに夫人と付けた点に、控訴人著作の創作性がある旨主張する。しかし、前者は人名の発音表記にすぎず、また、後者についてもワイダ映画(18頁)で、「ミス・ステファが帰ってきた。」と言う子供たちに対して、ステファが、「今日からはミセス・ステファよ。女性も私の歳になるとミスではないのよ。」と述べる場面があり、ミセスを邦訳すると夫人となることからすると、ステファに夫人を付けたことをもって控訴人著作の創作性を認定することはできない。 (イ) 序幕シーン1 コルチャック五歳 愛するカナリアの死 a 5歳の少年であったコルチャックが、可愛がっていたカナリアが死んだとき、管理人の息子から、「カナリアはユダヤ人だから天国にはいけない」などと言われたことを通じてユダヤ人であることの暗い宿命を知らされる(本件戯曲《以下当該表記を省略する。》17頁〜21頁。原判決添付別紙「著作対照表」《以下「著作対照表」という。》1〜3頁上欄)。 b コルチャックの幼年時代における、カナリアが死んだときのエピソードは、控訴人著作(20、21頁)に該当する記述があるが、コルチャックの「GHETTO DIARY」(乙3の1〜15。「JANUSZ KORCZAK THE GHETTO YEARS」に収録。以下「ゲットー日記」という。)の111頁(乙3の3・15)や、リフトン著作(20〜21頁)、ジョセフヒュームJoseph Hyams「A FIELD OF BUTTERCUPS」(以下、書名のみで表示する。)の45ないし47頁(乙12の10・11・18)、マークベルンハイムMark Bernheimの「FATHER OF THE ORPHANS」(以下、書名のみで表示する。)の11ないし13頁(乙15の3・4・11)及びワイダ映画(26頁)にも描かれているものであり(原判決添付別紙「原告第一準備書面添付「著作対照表」に対する反論」(以下「反論一覧」という。)の番号2参照)、コルチャックにとって、このエピソードがユダヤ人問題の原体験となったことについては、ゲットー日記では「死ーユダヤ人ー地獄。暗黒のユダヤ人天国。いろいろ考えなければならないことだ。」として、また、リフトン著作(21頁)でも「それは彼が決して忘れえなかった啓示の瞬間であった。」として触れられており、また、ワイダ映画(26頁)にも触れられているところであって、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり基礎的な事実として一般に認識されているものと考えられる。 したがって、当該部分に係る基本的内容・表現は、原則的に自由な使用に供されるべきものであるから、翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭いというべきところ、本件戯曲の上記部分は、具体的表現が控訴人著作と異なる点があり、本件戯曲の上記場面は、控訴人著作の上記部分と表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。 また、控訴人著作の上記記述は、ゲットー日記の翻訳といい得るが、本件戯曲の表現と異なる点があり、本件戯曲の上記部分が複製に該当しないことはいうまでもない。 (ウ) 中間シーン ドキュメンタリー映画上演(5分) a この場の概要は次のとおりである。 ヒットラーの反ユダヤ人スピーチ。ドイツ軍ニュールンベルグスタジアムでの大行進。第2次大戦勃発。ユダヤ人弾圧、ワルシャワゲットー建設シーンなどのドキュメンタリー映画が抜粋して上映される(22頁)。 b この場面に対応する事項は、控訴人著作にも一部記述があるが、同記述は歴史的事実を普通に表現したものにすぎず、控訴人著作のみに見られる表現上の特徴はない。したがって、上記控訴人著作の記述に創作性を認めることはできない。 (エ) シーン2A 一九四〇年秋、ワルシャワ・ゲットーのホーム a この場の概要は次のとおりである。 @ スピーカーから、ユダヤ人に対する各種の制限(ダビデの星の腕章の着用、強制労働義務、ワルシャワ・ゲットーへの強制移住等)が告知されている(23、24頁。「著作対照表」3、4頁上欄)。 A ゲットー内の新しいホームとして割り当てられた建物に到着したコルチャックと子供たちが、将来への不安を隠せないながらも、片付けと掃除などの作業に取りかかる(24〜27頁)。 b この場の@でスピーカーから流される布告の内容は、控訴人著作(145頁)に記述があるが、リフトン著作(262、263、270頁)や「ホロコースト」(乙10。以下、書名のみで表示する。)にも記述され、ワイダ映画(19頁)でも描写されており(「反論一覧」番号3参照)、歴史的事実を普通に表現したものにすぎず、控訴人著作のみに見られる表現上の特徴はない。したがって、上記控訴人著作の記述に創作性を認めることはできない。 c この場のAで、ゲットー内の新しいホームとして割り当てられた建物の様子については、控訴人著作(154、156頁)に記述があるものの、上記建物に到着した際の、コルチャックらの本件戯曲のような具体的やり取りについては、控訴人著作にこれに該当ないし類似する記述はない。 (オ) シーン2B 同夜ホームにて a この場の概要は次のとおりである。 ゲットー内のホームに移住した最初の夜、コルチャックは、子供たちを寝かしつけた後、ステファと語り合う。その中でコルチャックは、ゲットーが5万人の生活するスペースに50万人を収容したオリであることを述べ、一方、ステファは、ラジオでの講義や、ホームで子供の議会、子供の裁判、子供の法典を作ったことなどコルチャックの各種業績を賞賛する。コルチャックがクロフマルナの元使用人ザレツキー(控訴人著作でいうザレフスキ)がジャガイモをゲットーに届けてくれると喜んでいるのに対し、ステファがポーランド人であるザレツキーを疑うようなことを言う。これに対し、コルチャックは、ポーランド人とユダヤ人を分断しようとするナチスの策にはまってはいけないと諌め、コルチャックがポーランド人として4度の戦争と3度の革命に参加したこと、ドイツ軍侵入の際は300ズウォティの高い金で買ったポーランド軍の軍服を着用して救援活動をし、ラジオ放送でワルシャワ防衛のアピールをしたことを述べる(28〜37頁、「著作対照表」4、5頁上欄)。 b この場の、子供たちを寝かしつけた後のコルチャックとステファの語り合いについては、控訴人著作には記述がなく、むしろワイダ映画(21頁)に極めて類似するシーンがある。しかし、本件戯曲でコルチャックとステファが語り合う内容については、ワイダ映画とも相当に異なっている。そして、コルチャックの業績や、ポーランド軍の軍服を購入し着用したこと、コルチャックが4度の戦争と3度の革命に参加したことなどは、いずれも控訴人著作(8、143、146頁)に記述があるものの、リフトン著作(257頁)やマイケル・ベーレンバウム「ホロコースト全史」(乙20。以下、書名のみで表示する。)の168、169頁、「Document」(乙36、37の2。「JANUSZ KORCZAK THE GHETTO YEARS」に収録。)の217、218頁にも紹介されている(「反論一覧」番号5参照)ものであり、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり基礎的な事実として一般に認識されているものと考えられる。 したがって、当該部分に係る基本的内容・表現は、原則的に自由な使用に供されるべきものであるから、翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭いというべきであるところ、本件戯曲の上記部分は、具体的表現が控訴人著作と異なる点があり、本件戯曲の上記場面は、控訴人著作の上記部分と表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。 (カ) シーン3 ゲットーの街路地 a この場面の概要は、次のとおりである。 ザレツキーが馬車に積んだジャガイモをゲットーに持ち込もうとして、ゲシュタポに没収される。それを聞いたコルチャックがゲシュタポに赴き、軍曹に抗議したが、逆に暴行を受けて逮捕される。事件のことをザレツキーから聞いたステファは、ザレツキーを疑ったことを恥じる(38〜46頁。「著作対照表」5頁上欄)。 b ゲットーへの移住の際に、ジャガイモを積んだ馬車がドイツ軍に没収されたこと、それを聞いて抗議に赴いたコルチャックが逆に暴行され逮捕されたことについては、控訴人著作(154頁)に記述がある(ただし、控訴人著作では、ジャガイモの搬入をしたのはザレツキーではなく子供たちである。)が、リフトン著作(276、277頁)や「A FIELD OF BUTTERCUPS」(91、92頁。乙12の12・13・18)、Yithak Perlisの「Final Chapter」(40頁。乙36、37の1。「JANUSZ KORCZAK THE GHETTO YEARS」に収録。以下、書名のみで表示する。)にも記述され(「反論一覧」番号6参照)、ワイダ映画(19頁)でも具体的に描写されており、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり、基礎的な事実として一般に認識されているものと考えられる。 したがって、当該部分に係る基本的内容・表現は、原則的に自由な使用に供されるべきものであるから、翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭いというべきであるところ、本件戯曲の上記部分は、具体的表現が控訴人著作と異なる点があり、本件戯曲の上記場面は、控訴人著作の上記部分と表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。 むしろ、本件戯曲におけるコルチャックに対する暴行及び逮捕のシーンは、リフトン著作(276頁)及びワイダ映画の方が、会話の形でより具体的に描写されており、これらとの類似性が強く窺われる。 なお、ザレツキーから事件のことを聞いたステファの心情等については、控訴人著作に該当ないし類似する記述はない。 (キ) シーン4 ホームの広間(一九四〇年十二月中旬) a この場面の概要は、次のとおりである。 ポーランド人ホーム卒業生の努力の結果、3000ズウォティのわいろによって釈放されたコルチャックがホームに戻ってきた。子供たちとステファは大喜びでコルチャックを迎える。その後、コルチャックとステファの間で、客船サント・ルイス号の悲劇、プラハの駅でユダヤ人の子供が地球儀を見て「ここより安全なところないの。」と言ったエピソード、ステファが、金髪で目も青くアーリア人に似ているハンナを、マリーナ・ファルスカの経営するポーランド孤児院である「僕たちの家」に預けたこと、コルチャックは翌日から食料カンパの集金に出かけるつもりであること、ヤミ取引で儲けたユダヤ人が集まるキャバレーの話などが語られる(47〜53頁。「著作対照表」6頁上欄)。 b コルチャックが投獄から帰還した日の子供たちやステファとのやりとりについては、控訴人著作では言及されておらず、ワイダ映画(21頁)にのみ描写されている。また、本件戯曲でコルチャックとステファとの間で語られている客船サント・ルイス号やプラハの駅のエピソードは、控訴人著作には該当ないし類似する記述がなく、アーリア系の顔立ちのハンナをマリーナに預かってもらったことについても、控訴人著作には記述がなく、「子供たちを守る救援活動はひんぱんに行われていた。ただし、その子供がポーランド人と全く見分けがつかないような同化したユダヤ人でなければならなかった。」(177頁)と記述されるにとどまっている。 次に、コルチャックがホーム卒業生の集めた賄賂によって釈放されたことについては、控訴人著作でも、コルチャックの保釈金はかつての教え子が調達したことが記述されている(154頁)。しかし、この点はリフトン著作(277頁。「反論一覧」番号7参照)や「A FIELD OF BUTTERCUPS」(95頁。乙12の14・18)にも記述されており、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり基礎的な事実として一般に認識されているものと考えられる。 したがって、当該部分に係る基本的内容・表現は、原則的に自由な使用に供されるべきものであるから、翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭いというべきであるところ、本件戯曲の上記部分は、具体的表現が控訴人著作と異なる点があり、本件戯曲の上記場面は、控訴人著作の上記部分と表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。 (ク) シーン5 ゲットーの中のキャバレー a この場面の概要は、次のとおりである。 @ 盛り場で寄付を求めるコルチャックとテーブルの男とが押し問答をした後、その場にレジスタンスの青年が乱入する。 A ここで盛り場で歌っていた女歌手ミリアムがレジスタンスの青年の1人と旧知であったこと、コルチャックのホームの出身者であったことが判明し、ミリアムは、コルチャックのために寄付を募る。一方レジスタンスの青年は、闘争への参加を呼びかけ、寄付を募り、ナチスの緒戦の勝利をもとに反論する客に対し、ゲビルティッヒの歌を歌って感動を呼ぶ。 B レジスタンスの青年らが引き上げた後、客たちは寄付に応じ、それに対し、コルチャックはまず余興としてナチスの幹部らの身体的特徴の物真似をし、かつ、その実名を挙げ、「ナチのならず者」と言い、これに対し観客は笑い転げる者、逃げ出す者などいたが、最後にコルチャックが一礼して自分は子供たちの宝を守るいわば管理人にすぎない旨述べる(54〜66頁。「著作対照表」7〜9頁上欄)。 b この盛り場のシーンは、控訴人著作には「ゲットーには、一部の特権階級や、金持ちのために、ナイトクラブ、レストラン、カフェなどが開かれていた。コルチャックはこういうところも訪ね、乞食のように食料を乞い、時には凄まじい形相で、彼らを怒鳴り付け、脅迫すらしたという。」(172頁)と記述されているのみで、それ以上の具体的な記述はない。 これに対し、ワイダ映画では、コルチャックがホーム出身のシュルツに連れられて場末の酒場に行き、帽子を回して客たちから寄付を募るシーンがあり、ここでコルチャックがガンツバイクと話をしていると、ユダヤ抵抗組織がガンツバイクを暗殺しようとして発砲する事件が起こり、その逃走中に、抵抗組織の青年が「あなたの誇りは?」と訪ねるのに対し、コルチャックが「ない…200人の子供がいるだけだ。」と答えることが描写されている(27、28頁)。本件戯曲の盛り場のシーンは、このワイダ映画の酒場のシーンと比較的類似しており、控訴人著作とは類似性もない。 なお、ゲットーに秘密のレジスタンス組織があったことは、控訴人著作(159、161頁)に記述がある。しかし、これはリフトン著作(310頁)や「ホロコースト」(乙20)にも記述のある歴史的事実を普通に表現したものにすぎないから、上記控訴人著作の記述に創作性を認めることはできない。 c これに対し、この場のAでレジスタンスの若者が歌い始める「燃えている。…」との詩は、詩人ゲビルティヒ作詞に係るレジスタンスの歌(Our little village is Aflame)の一節を採ったものであるが、控訴人著作において翻訳されて紹介された詩と内容・表現ともほぼ同一である。 そして、控訴人著作の同翻訳部分は、原文を翻訳するに当たっての語句の選択や配列の点において創作性があると認めることができる。さらに、後記2の引用に係る事実認定に、控訴人及び被控訴人井上の各本人尋問の結果を総合すると、本件戯曲の前記各部分は、控訴人著作の上記部分に依拠したものであると認められるから、控訴人著作の複製というべきである。 d 次に、この場のBで、コルチャックが盛り場の客の前で、コルチャックがヒットラー等ナチスの指導者を風刺する自作の詩を披露し、そのため客の間で混乱が起こり、その場から逃げ出す者がいたことは、音楽会におけるエピソードとして控訴人著作に記述がある(163、164頁)が、同様の記述はリフトン著作(289頁)やミシェル ジルバベルグMichael Zylberbergの「A WARSAW DIARY 1939-45」の37ないし39頁(乙17の1・2)にも存し(「反論一覧」番号11参照)、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり基礎的な事実として一般に認識されているものと考えられ、「黒いチョビヒゲ」(ヒトラー)、「脂肪の固まり」(ゲーリング)、「猫背」(ゲッペルス)の各表現は、それぞれ彼らの外観を端的に表す一般的なもので、上記著作に同趣旨の表現がある。 したがって、当該部分に係る基本的内容・表現は、原則的に自由な使用に供されるべきものであるから、翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭いというべきであるところ、本件戯曲の上記部分は、具体的表現が控訴人著作と異なる点があり、本件戯曲の上記場面は、控訴人著作の上記部分と表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。また、コルチャックの述べるお礼の言葉は、そのうち、自分が子供たちの宝を守るいわば管理人にすぎないとの部分が、控訴人著作(168頁)の一部に類似する以外、控訴人著作にこれに該当する記述はなく、同一性があるとはいえない。 (ケ) シーン6A ホームにて(一九四一年一二月クリスマスの夜 その一) a この場面の概要は、次のとおりである。 @ ステファがコルチャックに、レジスタンスのラジオの情報として、アメリカがドイツに宣戦布告し、ドイツ軍はロシア戦線で苦戦し、ゲットー内のユダヤ人から毛皮を取り上げたのもロシア戦線のドイツ兵のためと考えられる旨述べる。 A ステファがコルチャックの業績を載せたユダヤ新聞を持ってくると、コルチャックは最初、執筆者が寄付を断った者であったことから怒るが、結局ステファが我慢するように言ったのに応じて、返事の手紙を書く。 B その後、コルチャックはステファに対し、ジェルナ通りの乳児院の劣悪な環境(職員が乳児の食料を横取りしている)に対処するのに協力を求める。 C その後、コルチャックがハヌカのお話をし、子供たちがペレツの詩「同胞」を歌う。(67〜80頁、「著作対照表」9、10頁上欄) b この場の@について、1941年にアメリカが参戦し、ドイツ軍がロシアで苦戦していたことは歴史的事実であり、これがゲットーのユダヤ人にとって希望の灯火となっていた点も、リフトン著作(304頁)にも記述がある歴史上の基本的な視点であり、また、ドイツ軍がユダヤ人から毛皮を供出させたことも、リフトン著作(305、306頁。「反論一覧」番号13参照)や「THE WARSAW DIARY OF CHAIMA.KAPLAN」(乙13の4・5)の288頁、「Final Chapter」の70、71頁(乙36、37の1)等にも記述されている歴史的事実にすぎず、これに関する控訴人著作の記述は、いずれも、歴史的事実を普通に表現したものにすぎないから、創作性を肯定し得ず、対応した本件戯曲とは、対象事項が同一であるにすぎず、表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。 c これに対し、この場のAにおける、ゲットーで発刊されている「ユダヤ人の新聞」に掲載されたコルチャックの業績を大きく讃える記事に対するコルチャックの手紙については、同内容の寄稿を同新聞にしたことが控訴人著作(168頁)に記述があり、同記述は、上記寄稿を翻訳したものといえ(「著作対照表」9頁)、その内容は、「Document」の228頁(乙3の13、36、37の2)にも収録されているところ、本件戯曲の記述は、控訴人著作(168頁)における翻訳文とほとんど同一である。そして、控訴人著作の翻訳部分は、原文を翻訳するに当たっての語句の選択や配列の点において創作性があると認めることができる。さらに、後記2の引用に係る事実認定に、控訴人及び被控訴人Bの各本人尋問の結果を総合すると、本件戯曲の前記記述は、控訴人著作の上記部分に依拠したものであると認められるから、控訴人著作の複製というべきである。 d また、この場のBのジェルナ通りの乳児院の惨状及びこれに対しコルチャックが救援を決意したことは、控訴人著作に記述がある(168、169頁)が、同様の内容はリフトン著作(306〜308頁),「FAHTER OF THE ORPHANS」(135頁。乙15の7・11)、「Studies in the Heritage of Janusz Korczak New sources from the Ghetto」(144頁。乙18の4、5)及びワイダ映画(24頁)などでも取り上げられており(「反論一覧」番号15参照)、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり基礎的な事実として一般に認識されているものと考えられる。そうすると、控訴人著作のジェルナ乳児院への救援活動の部分に係る基本的内容・表現は、原則的に自由に使用されるべきものであり、翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭いというべきところ、対応した本件戯曲の本場面は控訴人著作の上記箇所と具体的表現が異なり、表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。 また、この場のCにおけるコルチャックの「ハヌカのお話」及び子供たちがペレツの詩「同胞」を歌うシーンについては、控訴人著作にこれに該当ないし類似する記述はない。 (コ) シーン6B ホームにて(クリスマスの夜 その二) a この場面の概要は、次のとおりである。 @ 「僕たちの家」の卒業生たちがゴミの運搬車の中に贈り物の箱を隠してホームを訪れる。驚くコルチャックに、卒業生のうちの一人が。第2次大戦前はユダヤ人のための「孤児たちの家」とポーランド人のための「僕たちの家」で、お互いの祝日に他のホームを訪れあっており、この年はポーランド人の青年たちがゲットー内のユダヤ人孤児のために贈り物をホームに届けただけと説明する。なお、そのうちの1人はエステルの恋人である。 A 彼らが帰った後、箱を開けると、たくさんの小箱がこぼれ落ち、その中の1つはコルチャック宛のもので、ウォッカと黒パンが入っている。コルチャックはこれを抱きしめて姿を消す(81〜86頁、「著作対照表」11、12頁上欄)。 b この場の@について、このころ、ホームでハヌカの祭りが行われたが、その数日前に、ごみ運搬車に隠れてポーランド人の地下抵抗組織からホームの子供たちにプレゼントが贈られてきたことは控訴人著作に記述がある(167頁)が、同様の記述はリフトン著作(305頁。「反論一覧」番号16参照)にも記述があり、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり基礎的な事実として一般に認識されているものと考えられる。したがって、控訴人著作のうち、ハヌカの祭りの際のプレゼントの部分に係る基本的内容の表現は、原則的に自由に使用されるべきものであって、翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭く、これに対応した本件戯曲は、類似している(もっとも、この場で、プレゼントを持ってきたのが「ぼくたちの家」の孤児たちである点は、本件戯曲独自の創作に係るものである。)とはいえ、表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。 c また、この場のAの、青年たちのプレゼントにコルチャック宛のものがあったこと、それをコルチャックが抱きしめて姿を消すシーンについては、控訴人著作に該当ないし類似する記述はない。 (サ) シーン7 夜、ゲットーのホームにて a この場面の概要は、次のとおりである。 子供たちが寝静まった後、コルチャックが箱の中から黒パンを取り出してこっそりと食べる。その後、眠りについたコルチャックは、少年コルチャックの口に、コルチャックの父親が、盗んできたパンを押し込むという悪夢に悩まされる(87、88頁、「著作対照表」12頁上欄)。 b この場面については、コルチャックがパンを盗み食いしたことについては1989年10月19日付エルサレムポストマガジンに記載がある(乙19の2・4)。また、リフトン著作(328頁)では、コルチャックの見た夢の内容について、本件戯曲とほとんど同一の記述があり、コルチャックのゲットー日記(171頁。乙3の7・15)にも同じ記述があるのみで(「反論一覧」番号17参照)、控訴人著作には該当ないし類似する記述がない。 (シ) シーン8 その翌朝、ホームにて a この場面の概要は、次のとおりである。 コルチャックが、子供たちによる裁判の予定を繰り上げて今日行うことを提案し、子供たちによる裁判が開かれる。ヤコブに対する裁判が終わった後、コルチャックは、黒パンを一人で食べたことを子供達に自首し、自ら子供たちによる裁判にかけられ、二度としないことを誓う(89〜100頁)。 b コルチャックのホームで子供による裁判が行われることについては、控訴人著作(80〜87頁)にも記述があるが、同時にリフトン著作(146〜152頁、155頁)にも記され、ワイダ映画(23頁)にも描写されており、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり、基礎的な事実として一般に認識されているものと考えられる。したがって、当該部分に係る基本的内容・表現は、原則的に自由な使用に供されるべきものであるから、翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭いというべきであるところ、本件戯曲の上記部分は、具体的表現が控訴人著作と異なる点があり、本件戯曲の上記場面は、控訴人著作の上記部分と表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。 また、コルチャック自身が子供たちの裁判にかけられたことは、控訴人著作(87〜89頁)に記述があるものの、これに対応した本件戯曲の本場面とは、内容及び表現において、かなりの違いがあり、表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。 (ス) シーン9 ゲットーの街路地(一九四二年七月二十一日頃) a この場面の概要は、次のとおりである。 @ トレブリンカへの強制移動が始まり、ゲシュタポの布告(強制移住命令、黒パン2個、ジャム缶1個の支給、労働証明を持つ者等は移送を免除されること等)がスピーカーで流される。 A ユダヤ人の死体や物乞いの様子が描かれ、子供が物乞いの歌を歌う。ドイツ軍将校が写真を撮り、ユダヤ人警官が同胞を駆り立てる。 B 半裸裸足の男が走り回り、コルチャックにすがって、移送先がガス室である旨を叫ぶ。ゲシュタポはこの男を射殺する。 C ドイツ軍将校が射殺された男の写真を撮る(101〜107頁、「著作対照表」13頁上欄)。 b この場の@のゲシュタポの布告については、控訴人著作(200頁、202頁)に類似の記述がある(別紙対照表13頁)が、同様の記述は、ルーシー・S・ダビドビッチ(大谷堅志郎訳)の「ユダヤ人はなぜ殺されたか」(乙7の1〜8。以下、書名のみで表示する。)の206頁、213頁にもあり(「反論一覧」番号18参照)、歴史的事実を普通に表現したものにすぎないから、控訴人著作の当該記述について著作物性を肯定し得ず、対応した本件戯曲とは、対象事項が同一であるにすぎず、表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。 c また、この場のAのゲットー内の状況についても、控訴人著作(172頁)に類似の記述があるが、同様の記述はゲットー日記(147頁。乙3の5・15)にも存し、また、「A birthday trip in Hell」と題された1988年4月7日付エルサレム・ポスト・マガジンの掲載記事の掲載写真(乙9。誕生日にゲットーを訪れたナチスの将校が撮影したもの。なお掲載記事の訳文は乙38)でも同様の状況が写されており(「反論一覧」番号19参照)、控訴人著作の当該記述部分(物乞いの歌の部分を除く。)は、歴史的事実を普通に表現したものにすぎず、創作性を認めることはできない。 これに対し、この場のAの物乞いの歌については、「母ちゃんもどっかへ逃げちゃって」の一節が被控訴人Bによって加えられていることを除いて、控訴人著作(172頁)における翻訳と同一である。そして、控訴人著作の同翻訳部分は、原文を翻訳するに当たっての語句の選択や配列の点において創作性があると認めることができる。さらに、後記2の引用に係る事実認定に、控訴人及び被控訴人Bの各本人尋問の結果を総合すると、本件戯曲の物乞いの歌の部分は、控訴人著作の上記部分に依拠したものであると認められるから、控訴人著作の複製というべきである。 d また、この場のBについては、控訴人著作に該当ないし類似する記述は見当たらず、むしろワイダ映画に、ナチスがユダヤ人を焼き殺す炉を製造中である旨叫びながらゲットーの中を走り回る男が、ドイツ軍に射殺される場面がある(28頁)。 e この場のCについても、控訴人著作に該当ないし類似する記述は見当たらず、むしろ前記「A birthday trip in Hell」に基づいて被控訴人Bが創作したものと考えられる。 (セ) シーン10 ホームのホール(一九四二年七月中旬) a この場面の概要は、次のとおりである。 @ コルチャックによる子供たちの健康診断の場面で、最初に診察した男の子との間では、その日に開かれる子供の裁判のことでユーモラスな対話が行われるが、次に診察した少年アハロンについては肺結核で死期が近いことがステファに示される。 A 両親を失ったシムエルとジーナの兄妹がコルチャックのもとにやってくる。シムエルは年齢の関係でホームに入れないが、ジーナはシムエルと別れたくないと泣く。 B コルチャックとステファとの間で、近々子供たちによって行われるタゴールの劇「郵便局」の上演が話題となるが、コルチャックは唐突に、自分が自殺を考えることがあるという話や悪夢(外出時間も過ぎたのにゲットーの外にいる夢、死人たちと一緒に列車の中に押し込められ、中には子供たちの死骸もある夢)の話をし始め、茫然自失の状態となる(117、118頁、「著作対照表」13、14頁上欄)。 b この場の@のコルチャックによる子供たちの健康診断の場面に関し、控訴人著作では、コルチャックの子供たちとの触れ合いの様子は、本件戯曲のように生き生きとは描写されておらず、「コルチャックは、ユーモアに富んでいて、子供たちを笑わせ、ホームはいつもなごやかな雰囲気に包まれていた。コルチャックは良き父、ステファ夫人はよき母であり、温かい一つの家庭のようであった。」(72頁)等の記述や、コルチャックの教育理念の形で、客観的に記述しているにとどまる。したがって、本件戯曲の本場面と控訴人著作の記述部分とは、一部事実として共通する事項があるのみで、表現上の本質的特徴に同一性があるとまではいえない。 c この場のAについては、前記(ア)のとおり、シムエルとジーナに該当する人物自体、控訴人著作には登場せず、本場面に該当ないし類似する控訴人著作の記述はない。 d この場のBについても、タゴールの劇「郵便局」の上演に関するコルチャックとステファの対話は、控訴人著作に該当ないし類似する記述がない。また、コルチャックが自殺することを考えたことがあるとの告白と、控訴人が指摘する「精神が、身体という狭い籠の中で苦しんでいる」とのコルチャックの詩の一節が、同一の内容であるとはいい難い。さらに、コルチャックが見たという悪夢の内容については、控訴人著作に同一内容の記述がある(186、187頁)が、これらとほぼ同様の内容の記述は、コルチャックのゲットー日記(171頁。乙3の7・15)やリフトン著作(328頁)にも見受けられ(「反論一覧」番号20参照)、上記コルチャックの悪夢に関する基本的内容の表現は、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり基礎的な事実として一般に認識されているものと考えられる。 したがって、当該部分に係る基本的内容・表現は、原則的に自由な使用に供されるべきものであるから、翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭いというべきであるところ、本件戯曲の上記部分は、具体的表現が控訴人著作と異なる点があり、本件戯曲の上記場面について控訴人著作の上記部分と表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。 (ソ) シーン11 ホームのホール(一九四二年七月十八日頃) a この場面の概要は、次のとおりである。 @ 子供たちによるタゴールの劇「郵便局」の上演当日、それに先だって主役オモルの役のアブラシャが、コルチャックらにバイオリン演奏を披露し、アブラシャのバイオリンの才能を示すものとして、9歳の時にワルシャワの音楽院でブラームスの「バイオリンとチェロの協奏曲」を共演したエピソードが、劇を演出したエステルの口から語られる。 A その後、コルチャックからエステルらに、上演する劇として「郵便局」を取り上げたのが、子供たちに近づきつつある死に対する心の準備をさせ、死に向かっての勇気を与えるためであったことが明かされる。 B 劇中劇として「郵便局」の最終シーンが上演され、子供たちが観劇する様子が描かれる。上演が終わる。コルチャックは、片隅で身をもたせかけ、うなだれている(119〜131頁、「著作対照表」14頁ないし17頁上欄)。 b この場の@に関し、エステルが「郵便局」の劇の演出をしたことは、控訴人著作(198頁)に記述があるが、リフトン著作(333頁。「反論一覧」番号21参照)にも同様の記述がある。「郵便局」の上演に先立ってアブラシャがバイオリンの演奏を披露することは、控訴人著作に該当ないし類似する記述はない。また、アブラシャのバイオリンの才能を示すワルシャワの音楽院でのエピソードは、控訴人著作(198頁)に記述がある(「著作対照表」14頁下段)が、同様の記述は「A FIELD OF BUTTERCUPS」にも見受けられ(弁論の全趣旨。なお、同著作の原文は乙12の5。「反論一覧」番号22下段参照)、上記アブラシャのバイオリンの才能に関する基本的内容の表現は、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり基礎的な事実として一般に認識されているものと考えられる。 したがって、当該部分に係る基本的内容・表現は、原則的に自由な使用に供されるべきものであるから、翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭いというべきであるところ、本件戯曲の上記部分は、具体的表現が控訴人著作と異なる点があり、本件戯曲の上記場面は、控訴人著作の上記部分と表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。 なお、控訴人は、「A FIELD OF BUTTERCUPS」の英語原文には、アブラシャが「ブラームスのヴァイオリン二重協奏曲の第3楽章を演奏した。」との記述があるものの、ブラームスにヴァイオリン二重協奏曲はないから誤りであり、本件戯曲で、アブラシャがブラームスの「バイオリンとチェロの協奏曲」を共演したとの記述は、控訴人著作によったもの以外には考えられない旨指摘するが、上記結論を左右するものではない。 c この場のAに関し、コルチャックが「郵便局」を子供たちに上演させた理由について、控訴人著作(192頁、193頁、197頁)では、「タゴールの宗教的思想によって、子供たちをやさしさと、やすらぎのある、遠い世界へと誘うことを願ったのである。」(「著作対照表」15頁下段)、あるいは「劇が終わった後に、この戯曲をとくに選んだ理由を問われると、コルチャックは、「最後にオモルを迎えにきた死の天使を、やはり子供たちも、やさしく安らかな気持で迎えることを究極的には学ばなければならないだろう」と答えたという」(「著作対照表」16頁下段)としている。しかし、「Final Chapter」(79〜81頁。乙36、37の1)で「なぜ、彼がこの劇を特に選んだのか、と聞かれたとき・・コルチャックは『子供達が、どうやって死の天使を安らかに迎えられるかを学んで欲しかった』と答えた」との内容が記述されていることに照らすと、「郵便局」の上演に係る基本的内容・表現はコルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり基礎的な事実として一般に認識されているものと考えられる。 したがって、当該部分に係る基本的内容・表現は、原則的に自由な使用に供されるべきものであるから、翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭いというべきであるところ、本件戯曲の上記部分は、具体的表現が控訴人著作と異なる点があり、本件戯曲の上記場面は、控訴人著作の上記部分と表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。 d この場のBに関し、劇に先立って来賓代表として挨拶したチェルニアクフは、ユダヤ人自治会の議長であり、実在の人物である(リフトン著作266頁など)。チェルニアクフが孤児たちの置かれている境遇に心を痛めていた点は、控訴人著作(202頁)に記述があるが、同人が児童福祉に熱心であったことは、リフトン著作(266頁)にも記述があり、これに関する基本的内容の表現は、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり基礎的な事実として一般に認識されているものと考えられる。したがって、当該部分に係る基本的内容・表現は、原則的に自由な使用に供されるべきものであるから、翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭いというべきであるところ、本件戯曲の上記部分は、具体的表現が控訴人著作と異なる点があり、本件戯曲の上記場面は、控訴人著作の上記部分と表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。 また、子供たちが演じる「郵便局」の内容は、招待状の点を含め、控訴人著作に記述がある(196、197頁)が、リフトン著作(333〜336頁)や「Final Chapter」(79〜81頁。乙36、37の1)にも同様の記述があり(「反論一覧」番号23参照)、ワイダ映画でも子供たちが演じる様子が描写されており(26頁)、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり基礎的な事実として一般に認識されているものと考えられる。そうすると、控訴人著作のタゴールの郵便局の部分に係る基本的内容・表現は、原則的に自由に使用されるべきものであり、翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭いというべきところ、対応した本件戯曲の本場面は控訴人著作の上記箇所と表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。 (タ) シーン12 寝静まった夜のホーム(一九四二年八月一日頃) a この場面の概要は、次のとおりである。 @ アブラシャがコルチャックに、エステルが街路でゲシュタポに捕らえられたとの噂の真偽を問い質し、それが本当であることを知り、嘆く。 A コルチャックが、エステルへの挽歌というべき日記を書く(132、133頁、「著作対照表」18頁上欄)。 b この場の@でアブラシャがコルチャックに問い質す内容は、控訴人著作(198頁)に記述があるが、リフトン著作(349頁、350頁。「反論一覧」番号24参照)にも記述がある。エステルが「人狩り」に遭うことはワイダ映画でも描かれており(26頁)、歴史的事実であると同時に前同様の基礎的事実であり、控訴人著作の当該部分について翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭く、本件戯曲の該当個所との間で具体的な表現の共通性を欠き、表現上の本質的特徴に同一性があるとはいえない。 c この場のAでコルチャックが書く「エステル嬢よ・・」で始まるエステルへの挽歌というべき日記については、控訴人著作(198頁、199頁)にほぼ同一の記述があり、同記述は、コルチャックのゲットー日記(209頁。乙3の10・15)の翻訳といい得る(「著作対照表」18頁下欄)。そして、控訴人著作の同翻訳部分は、原文を翻訳するに当たっての語句の選択や配列の点において創作性があると認めることができる。さらに、後記2の引用に係る事実認定に、控訴人及び被控訴人Bの各本人尋問の結果を総合すると、本件戯曲の上記部分は、控訴人著作の上記部分に依拠したものであると認められるから、控訴人著作の複製というべきである。 (チ) シーン13 ユダヤ自治会議長チェルニアクフ氏の自宅 a この場面の概要は、次のとおりである。 @ コルチャックは、チェルニアクフ夫人が押しとどめるのを振り切ってチェルニアクフに会う。チェルニアクフはコルチャックの質問に対して、子供たちの移送はないと請け合う。 A コルチャックと入れ替わりに、ゲシュタポ将校が入って来て、チェルニアクフに対し、子供たちの東部移送を開始することを伝え、子供たちのリストの提出を命じる(134〜140、142、143頁、「著作対照表」18、19頁上欄)。 b この場の@のコルチャックとチェルニアクフとのやりとりは、控訴人著作には該当ないし類似する記述がないが、ワイダ映画では、チェルニアクフがコルチャックから孤児たちのことを問われて「私が生命を賭けて彼らに答える」と述べるシーンが描かれている(27頁)。 この場のAのチェルニアクフとゲシュタポ将校とのやりとりについては、控訴人著作には直接の記述がなく、ただドイツ軍による布告の内容と、チェルニアクフが子供たちの境遇に心を痛めており、彼らを救えればとドイツ当局との交渉に努めていたが受け入れられなかったとの記述(202頁。「著作対照表」18頁下欄)があるにすぎない。また、このような記述は、リフトン著作(341、342、344頁)や「ユダヤ人はなぜ殺されたか」(207頁。乙7の6)にも記述があり(「反論一覧」番号25参照)、更にワイダ映画には、チェルニアクフがドイツ軍の命令書への署名を拒否したため暴行を受けるシーンが描かれている(27頁)。したがって、いずれにしろ本件戯曲の場面は、控訴人著作と本質的特徴の同一性があるとはいえない。 (ツ) シーン14 同夜ホームにて a この場面の概要は、次のとおりである。 @ チェルニアクフ宅から帰ってきたコルチャックは、子供たちの安全を保障する旨のチェルニアクフの言をステファに伝え、起きてきたジーナに子守歌を歌って寝かしつけてやるなどする。 A シュルツが入ってきて、チェルニアクフの自殺の知らせを告げ、手紙(遺書)をコルチャックに渡す。コルチャックは、これを読み上げ、子供たちの運命を知る。 B コルチャックは、シュルツに対し、エステルと親しくしていたことに謝意を述べた上で、ゲットーに残るシムエルの世話を依頼する。また、コルチャックは、ステファに、移送の際の準備を頼む。 C コルチャックが日記を朗読する(148〜152頁、「著作対照表」19、20頁上欄)。 b この場の@については、これに該当ないし類似する記述は控訴人著作に見当たらないが、ワイダ映画では、ホームの幼子が、夜中に銃声が聞こえて泣き出すのをコルチャックが安心させるシーン(21頁)があり、それとの類似性が見られる。 c この場のAについて、チェルニアクフが服毒自殺をする点は、控訴人著作(202頁)に記述がある(「著作対照表」19頁下欄)が、リフトン著作(344頁。「反論一覧」番号26参照)や「A FIELD OF BUTTERCUPS」(乙12の16・18)、「ホロコースト全史」(169頁)などにも記述があるほか、ワイダ映画でも描写されており(29頁)、これに関する基本的内容の表現は、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり基礎的な事実として一般に認識されているものと考えられる。したがって、当該部分に係る基本的内容・表現は、原則的に自由な使用に供されるべきものであるから、翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭いというべきであるところ、本件戯曲の上記部分は、具体的表現が控訴人著作と異なる点があり、本件戯曲の上記場面は、控訴人著作の上記部分と表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。そして、この場のAに関するその他の描写は、後記チェルニアクフの遺書の内容を除き、控訴人著作に該当ないし類似する記述は見当たらない。 この場のAにおいてコルチャックが読み上げるチェルニアクフの遺書については、その内容は、控訴人著作の記述と全く同一であり、同遺書の翻訳といい得る(「著作対照表」19頁)。そして、控訴人著作の同翻訳部分は、原文を翻訳するに当たっての語句の選択や配列の点において創作性があると認めることができる。さらに、後記2の引用に係る事実認定に、控訴人及び被控訴人Bの各本人尋問の結果を総合すると、本件戯曲の上記チェルニアクフの遺書の部分は、控訴人著作の上記部分に依拠したものであると認められるから、控訴人著作の複製というべきである。 d この場のBについて、ステファが、子供たちの死への旅立ちのために晴れ着を準備していたこと(151頁)は、控訴人著作(211頁)に「ステファ夫人は、出発の日に備えて、子供たちのために一番上等な服を用意していた。せめて子供たちを、その日にふさわしい晴着で着飾ってやりたかったのである。」と記述されている以外、本件証拠として提出されている他の文献には該当ないし類似する記述はない。しかしながら、控訴人著作の該当部分はわずか2行であり、その量的なまとまりの面からみても、また、内容面からみても、当該部分に関する控訴人による創作性を認めるには足りない。 e また、この場のCのコルチャックの日記の部分は、控訴人著作の記述(199〜200頁)と内容・表現がほとんど同一であり、同記述はゲットー日記(197、198頁。乙3の8・9・15)の翻訳といい得る(「著作対照表」20頁)。そして、控訴人著作の同翻訳部分は、原文を翻訳するに当たっての語句の選択や配列の点において創作性があると認めることができる。さらに、後記2の引用に係る事実認定に、控訴人及び被控訴人Bの各本人尋問の結果を総合すると、本件戯曲の上記ゲットー日記の引用部分は、控訴人著作の上記部分に依拠したものであると認められるから、控訴人著作の複製というべきである。 (テ) シーン15 ワルシャワ近郊「僕たちの家」 a この場面の概要は、次のとおりである。 コルチャックが、マリーナに最後の別れを告げるため、レジスタンスの若者たちの助けを得て、地下道を通ってゲットーを抜け出し、「僕たちの家」にやって来る。コルチャックは、スープを飲むようにとのマリーナの勧めを「子供たちはもう2日も何も食べていない」と言って断る。マリーナが匿っていたコルチャックのホームの子供たちのことを語り合った後、コルチャックはレジスタンスの若者たちと共に再びゲットーの中に戻って行く。あとに残ったマリーナは泣き崩れる。(154〜157頁、「著作対照表」20、21頁上欄) b 控訴人著作部分のうち、本場面に対応するマリーナとの別れの部分(175、176頁)は、身の危険を顧みず、「ぼくたちの家」にコルチャックのための隠れ家を用意していたマリーナの救援の申し出が拒否されたこととともに、イゴール・ネヴェルリイの話として、トレブリンカに送られる直前にコルチャックがマリーナに別れを告げに「ぼくたちの家」を訪れたことが具体的に著述されており、近づく死を覚悟したコルチャックの具体的行動を表現している点に表現上の本質的特徴があるといえ、思想感情の創作的表現も認められ、著作物性を肯定し得る。 そして、この場に描かれているように、強制移送の直前にコルチャックが「ぼくたちの家」に別れを告げにやってきたことは、控訴人著作に記述されているが、他の著作にはない。 コルチャックが、ゲットーでの生活中にゲットーを抜け出して「ぼくたちの家」を訪れマリーナと会ったことについては、リフトン著作(303、304頁。「反論一覧」番号28参照)に記述があるが、強制移送前年の1941年11月ころのこととされており、コルチャックらがトレブリンカに送られる時よりも相当前であり、しかも別れの要素がなく、内容上・表現上の違いが大きい。 他方、ワイダ映画では、強制移送の直前に、ゲットーを抜け出したコルチャックがマリーナと会い、マリーナによるゲットー脱出の勧めを断るシーンが描写されている(28頁)が、墓地での出来事であり、「ぼくたちの家」でのことでない上、マリーナがコルチャックに食べ物や飲み物を勧める描写はなく、具体的表現上の違いが大きい。 そして、本件戯曲におけるマリーナとの別れの部分は、時期や場所等を初めとして、子供たちが何日も食べ物を口にしていないことを理由にマリーナの勧めるスープに手を付けなかったことについても共通しており、控訴人著作との表現の同一性が顕著である。 さらに、後記2の引用に係る事実認定に、控訴人及び被控訴人Bの各本人尋問の結果を総合すると、本件戯曲の上記シーンは、控訴人著作の上記部分に依拠して創作されたものであると認められる。 したがって、本件戯曲の上記シーンは、控訴人著作の翻案といえる。 (ト) シーン16 最後の朝(一九四二年八月上旬) a この場面の概要は、次のとおりである。 @ コルチャックは、ジョウロで花に水をやりながら、こちらを眺めているドイツ軍の歩哨の徴用前の職業に思いを巡らし、ステファと語り合う。 A ホームの朝食の席で、少女ポーラは、死んでしまったアハロンのためにパンとジャムを用意する。 B レジスタンスに加わったシムエルが、ジーナの様子を見にホームにやってくる。ジーナと言葉を交わした後、労働に出かける少年たちと共に去っていく。 C ドイツ軍軍曹が現れ、コルチャックらに対し、即座にダンツィヒ駅に集まるよう命じるが、コルチャックの、子供たちに着替えをさせたい、ピクニックとして行きたいという要請に応じ、20分の猶予を与える。コルチャックは、少年の1人に、旗を持たせ、4列に並んだ子供たちを先導するように指示する(158〜169頁、「著作対照表」21、22頁上欄)。 b この場の@については、控訴人著作(208頁)にも本件戯曲と同内容の記述があるが、この部分は、コルチャックの「ゲットー日記」の最後の日の記述(209、211、212頁。乙3の10〜12、35)であり、リフトン著作(354頁)にも同様の記述があり(「反論一覧」番号29参照)、ワイダ映画にも同様のシーンがある(28頁)。したがって、控訴人著作の上記部分に係る基本的内容・表現は、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり基礎的な事実として一般に認識されているものであって、原則的に自由に使用されるべきものであり、翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭いというべきところ、これに対応した本件戯曲の場面は、具体的表現が控訴人著作と異なる点があり、控訴人著作と本質的特徴の同一性があるとはいえない。 c この場のAないしCについては、控訴人著作に該当ないし類似する記述はない。Cのドイツ兵に移送開始を告げられたコルチャックが、若干の時間的猶予をもらい、ピクニックに行くと言って子供たちに準備をさせるシーンは、むしろリフトン著作(354〜358頁)及びワイダ映画(29頁)と、内容及び表現上の同一性が顕著であり、控訴人著作との同一性はない。 (ナ) ラストシーン(シーン1〜4)ある旅立ち a この場面の概要は、次のとおりである。 (a) シーン1 ワルシャワ・ダンツィヒ駅 ドイツ軍とユダヤ人カポが、駅のプラットホームで、ユダヤ人を貨車に乗り込ませようと駆り立てている。 ドイツ軍兵士2人が、黒パン2個のエサで集まってくるユダヤ人を嘲笑すると共に、ユダヤ人カポが、自分と家族可愛さに同胞を駆り立てているが、いずれ同胞と同じ運命になるのにと語り合う(171〜173頁)。 (b) シーン2 同駅 子供たちの、ペレツの詩「同胞」の歌が聞こえてくる。 ロムチアを抱き、もう1人の男の子の手を取ったコルチャックを先頭に、整然として、晴着姿の子供たちが入場する。アブラシャもヴァイオリンを持って加わっている。コルチャックがドイツ軍将校と言葉を交わし、子供たちに何が待っているかを知らせたくないので、ドイツ軍兵士とユダヤ人カポを遠ざけてくれるよう頼む(173〜179頁)。 (c) シーン3 同駅プラットホーム ポーランド人シュルツが現れる。コルチャックにパスポートを示し、逃げるように言うが、コルチャックは子供たちやステファの分がないことを知るとこれを拒否する。ドイツ軍将校は、自分が子供のとき「ジャックの破産」を読んで感銘を受けたこと、コルチャックが「ジャックの破産」を書いた著者であることを思い出し、コルチャックにそのことを確認した上、シュルツと共に逃げるように勧めるが、コルチャックは、盗んだパンを食べたのと同じことはしたくないとして、ドイツ軍将校らの勧めを拒否し、子供たちの方に向かう。(179〜187頁) (d) シーン4 出発(終幕) コルチャックと子供たちが列車に乗り込む。「別れの言葉」を語るコルチャックの声がホームに響き渡る(190、191頁。「著作対照表」25、26頁上欄)。 b この場のシーン1における移送当日の駅のホームの状況描写について、控訴人著作(213頁)では、「積換場は、数千の群衆でごったがえしていた。」という記述しかない。むしろリフトン著作(360頁、361頁)に詳細な描写があり、ワイダ映画(29頁)にも同様の場面があり、本件戯曲の上記ホームの状況は、これらとの類似性が強い。 c この場のシーン2における、コルチャックに引率された子供たちがホームの旗を掲げ、4列で整然と行進して駅に到着し、貨車に乗り込もうとする状況については、控訴人著作(211頁、212頁)に記述がある(「著作対照表」24頁下欄)。しかし、リフトン著作(356〜362頁)やワイダ映画(29頁)、それに「ユダヤ人はなぜ殺されたか」(乙7の8)にも同様の記述があることに鑑みると、前記コルチャック及び子供たちの行進に関する基本的内容の表現は、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり基礎的な事実として一般に認識されているものと考えられる。したがって、当該部分に係る基本的内容・表現は、原則的に自由な使用に供されるべきものであるから、翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭いというべきであるところ、本件戯曲の上記部分は、具体的表現が控訴人著作と異なる点があり、本件戯曲の上記場面について控訴人著作の上記部分と表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。 この場のシーン2におけるコルチャックとドイツ軍将校のやりとりについては、控訴人著作にこれに該当ないし類似する部分はない。 d この場のシーン3に該当する場面は、コルチャックに関する他の作品にも触れられている。 本件戯曲の本場面のうち、ポーランド人シュルツが、コルチャックにパスポートを示し、逃げるように勧めたのに対し、コルチャックがこれを拒否する部分は、控訴人著作に該当ないし類似するエピソードがないのに対し、ワイダ映画(29頁)にほぼ同一の場面がある。 また、子供のとき「ジャックの破産」を読んで感銘を受けたドイツ軍将校が、コルチャックが「ジャックの破産」を書いた著者であることを思い出し、逃げるように勧める部分については、控訴人著作に記された貨車積換場に着いて貨車に乗り込むまでのコルチャックの状況に関する複数の事実(証言にかなりの食い違いがあることが指摘されている。)のうちの最後のエピソード(217、218頁)と同趣旨の内容といえるが、控訴人自身もネヴェルリイからの再伝聞として引用しているのであり、また、前記「FATHER OF THE ORPHANS」の146頁(乙15の10・11)でも、「物語は、最後の瞬間にコルチャックが、自分が子供のころ愛した本の著名な作家であることを知ったドイツ指揮官が、子供達を行かせることで彼自身の追放を遅らせ、さらには安全を約束した、と言われている。」とのエピソードが紹介されており、更に「Final Chapter」の98頁(乙36、37の1)にも控訴人著作の最後のエピソードと同内容の記述がされていることなどに照らすと、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり基礎的な事実として一般に認識されているものであって、原則的に自由に使用されるべきものであり、翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭いというべきところ、本件戯曲の上記部分は、具体的な表現が控訴人著作と異なる点があり、控訴人著作の上記部分と表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。 e シーン4のコルチャックの独白「別れの言葉」については、控訴人著作にほとんど同一の記述がある(95、96頁)。控訴人著作では、ホームの卒業の際のコルチャックの別れの言葉として1919年に青少年向けの雑誌「太陽のもと」に掲載されたものとして引用されており(95頁)、控訴人著作も上記雑誌に掲載されたものを翻訳したものであるが、原文を翻訳するに当たっての語句の選択や配列の点において創作性を認めることができる。さらに、後記2の引用に係る事実認定に、控訴人及び被控訴人Bの各本人尋問の結果を総合すると、本件戯曲の上記「別れの言葉」の部分は、控訴人著作の上記部分に依拠したものであると認められるから、控訴人著作の複製というべきである。 ウ 以上のとおり、本件戯曲の各場面のうちには、コルチャックのゲットー日記や手紙及び詩等控訴人著作の翻訳部分の複製であると認められるものがあり、また、シーン15 ワルシャワ近郊「僕たちの家」の場面が、控訴人著作の翻案であると認められるが、その余の各場面については、いずれも控訴人著作の複製又は翻案であるとは認められず、上記複製ないし翻案とされる場面は、その本件戯曲において有している意味・効果を考慮すると、本件戯曲全体に占める重要性や分量が小さく、その余の各場面の占める重要性や分量の方が大きいから、本件戯曲全体が控訴人著作の複製又は翻案であるとすることはできない。 なお、控訴人は、本件戯曲のうち当裁判所が認めた箇所以外にも控訴人著作の翻案部分が存在する旨を、陳述書(甲9、16)においてるる指摘するが、いずれも当該部分に関する翻案性を否定した前記認定・判断を左右するものではない。 2 争点(2)(控訴人は、被控訴人らに控訴人著作の利用を許諾していたか。)について (1) 認定事実 本争点に関する認定事実については、次のとおり訂正するほかは、原判決「事実及び理由」第4の2(1)(41頁19行目から45頁21行目)のとおりであるから、これを引用する。 ア 44頁12行目から13行目にかけての「本件戯曲71、72頁」から同14行目「(若干異なる部分もあるが)が」までを「本件戯曲中、コルチャックのゲットー日記や手紙及び詩等控訴人著作の翻訳部分の複製であると認められる部分並びに控訴人著作の翻案であると認められるシーン15 ワルシャワ近郊「僕たちの家」の場面が」と改める。 イ 45頁18行目「(被告らは、」から21行目「明確ではない。)」までを、次のとおり改める。 「しかし、被控訴人Bは、本件戯曲の第1稿、第2稿と同様、その後に完成させた本件戯曲の第3稿、第4稿についても、被控訴人Cに送付した原稿のコピーを控訴人に送付することとし、平成7年(1995年)1月24日付劇団ひまわりの砂岡誠宛のファックス通信でも、本件戯曲の第4稿につき同旨の依頼を砂岡に行っていた(乙78)。また、控訴人は、第4稿で新たに挿入されたシムエルとジーナのエピソードは事実無根であり、劇団ひまわりの上演台本から削除すべきであるとの申入れを、劇団ひまわりないし朝日新聞社に対してしたが、それ以上に本件戯曲につき苦情を述べなかった。被控訴人Bは、イスラエルに帰国後、シムエルのモデルであった人物を探しだし、上記エピソードが事実であることを確認し、その旨平成7年(1995年)4月25日付ファックスで朝日新聞社の伊藤正孝編集委員に送信した(乙54、被控訴人B)。」 (2)ア 上記引用に係る認定事実、ことに@平成4年1月上旬、控訴人がイスラエルの被控訴人B方に滞在した際、被控訴人が控訴人に対し、コルチャックの生涯の劇化の構想を述べ、被控訴人Bがその脚本を書くのに控訴人著作を参考にしてよいかと尋ねたところ、控訴人は、「一緒に雑魚寝をし、飯を食べた仲。それに、その本は井上君が活躍し、伊藤さんのおかげで出たもの。本はもちろん手許の資料も好きなだけ使ってください。だが友人の間でそんなことを聞く方がおかしい。」と述べていること、A控訴人は、本件戯曲の第1稿(前記1で控訴人著作の複製・翻案と認められる部分が既に描写されている。)について、気がついた点について被控訴人Bの原稿に自ら手を入れたり、被控訴人宛の書簡等で指摘し、また、控訴人の講演において、本件戯曲の第1稿の一部を一般聴衆に披露していること、B控訴人は、本件戯曲の最終稿である第4稿についても、サムエルとギエナのエピソードは事実無根との指摘を行ったものの、控訴人著作の利用自体については特に異議を述べていないことなどに照らすと、控訴人は、被控訴人Bに対し、本件戯曲制作に当たって控訴人著作を使用することについて、包括的許諾を行ったものと認めるのが相当である。 なお、控訴人は、本人尋問において、第3稿、第4稿を見ていないと供述するが、乙54、78に照らして、採用できない。 イ 控訴人は、許諾に係る書面が作成されていないことを問題とするが、乙56ないし77から窺える控訴人と被控訴人Bの親密な関係に照らせば、書面の作成がなくとも、控訴人が許諾したと認めることは不自然とはいえない。さらに、控訴人は、控訴人から被控訴人Bに宛てた手紙に本件戯曲の第1、2稿に対する賛辞のようなものがあったとしても、表面的・儀礼的なものである旨主張するが、例えば乙68(1992年7月17日の控訴人の被控訴人B宛の手紙)は6枚にわたり横書きでびっしりと書き込まれたものであり、表面的・儀礼的なつきあいであったとするのは不自然であり、また、同号証の2頁には、当時企画されていた本件戯曲に基づくドイツ公演について「初日にはぜひ2人揃って行きましょう」と、5頁には「井上さんの台本、成功間違いなしです。」とあり、さらに、平成6年2月15日には、控訴人から被控訴人に対し、本件戯曲に基づくドイツ公演の企画(乙82)について報じる朝日新聞を添付した上で、「ドレスデンでの勝利の暁には劇場のテッペンでビールで乾杯」とするファックス(乙76)をも送っていることなどに照らすと、前記本件戯曲の第1、2稿に対する控訴人の批評が表面的・儀礼的なものにとどまると解することはできず、控訴人の主張は採用できない。 ウ また、控訴人は、被控訴人Bの本件戯曲創作に当たっての控訴人著作の利用に関し、利用の範囲、許諾内容、許諾料等が約定されていないことを指摘する。しかし、原判決引用に係る前記(1)の認定事実に徴すると、昭和61年1月ころに知り合った以降の控訴人と被控訴人Bの交友状況や、被控訴人Bの尽力もあって控訴人著作の出版に漕ぎ着けられたことなどもあり、孤児院等の運営や児童の教育に関するコルチャックの思想、実践活動を日本等に普及させるという控訴人と被控訴人Bの一致した方針のもと、控訴人が被控訴人Bによる本件戯曲の制作に控訴人著作の利用を含めて全面的に支援・協力していく旨意思表明していたのであって、両名の関係は、控訴人著作の利用に関し、利用の範囲、許諾内容、許諾料等を問題として許諾するか否かを決めるというようなものではなく、何の留保もなく、当然に包括的に許諾を与える間柄であったというべきである。したがって、控訴人の前記主張を採用することはできない。 エ そのほか、本争点に関する控訴人の主張は、いずれも前記認定・判断を左右するものではなく、採用の限りでない。 オ したがって、前記1のとおり本件戯曲において、控訴人著作の複製又は翻案と認められる部分が複数箇所存するとしても、いずれも控訴人の事前の包括的許諾に基づき利用されたものである以上、被控訴人Bによる本件戯曲の制作及び被控訴人Cによる本件戯曲の出版は、いずれも控訴人著作物に関する複製権ないし翻案権を侵害するものとはいえない。 第5 結論 以上の次第で、その余の争点について判断するまでもなく、控訴人の被控訴人らに対する請求はいずれも理由がなく、これを棄却した原判決は、結論において相当であって、本件控訴はいずれも理由がない。 よって、主文のとおり判決する。 大阪高等裁判所第8民事部 裁判長裁判官 若林諒 裁判官 小野洋一 裁判官 西井和徒 |
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