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【事件名】講談脚本「はだしのゲン」事件
【年月日】平成14年8月28日
 東京地裁 平成13年(ワ)第5685号 著作物使用禁止等請求事件
 (口頭弁論終結日 平成14年5月27日)

判決
原告 X
訴訟代理人弁護士 山近道宣
被告 Kこと Y
訴訟代理人弁護士 米澤幸子


主文
1 被告は、別紙目録記載の講談用各脚本「はだしのゲンパート1」、「はだしのゲンパート2」及び「新釈四谷怪談」を上演してはならない。
2 被告は、前項各脚本の上演の宣伝行為をしてはならない。
3 被告は、第1項記載の各脚本の原本及び複写物(いずれも有体物)を廃棄せよ。
4 訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由
第1 請求
 主文と同旨
第2 事案の概要
 原告は、講談用各脚本「はだしのゲンパート1」(以下「本件著作物1」という。)、「はだしのゲンパート2」(以下「本件著作物2」という。)及び「新釈四谷怪談」(以下「本件著作物3」という。)を創作し、著作権を取得したと主張して、被告に対し、本件各著作物の上演の差止め等を求めた。
1 前提となる事実(当事者間に争いがない。)
(1) 当事者
 原告は、音楽家であり作曲家であったが、現在は、家業を引き継いで病院を経営している。被告は、Kとの芸名で活動をする講談師であり、本件各著作物を上演している。
 原告と被告とは、昭和60年2月19日婚姻したが、平成7年4月26日調停により離婚した。
(2) 本件各著作物の内容等
 漫画「はだしのゲン」(以下「はだしのゲン」という。)は、N(以下「N」という。)が、広島での自らの被爆体験に基づいて、太平洋戦争末期から原爆投下及びその後の混乱の時期を力強く生き抜いた中学生ゲンの行動を通して、反戦反核を訴えた漫画作品である。また、エッセー「はだしのゲンはピカドンを忘れない」(以下「はだしのゲンはピカドンを忘れない」という。)は、Nが、自らの被爆体験をドキュメンタリー風に記述しながら、反戦反核を訴えた作品である。いずれも、本件著作物1及び2の原作である。
 本件著作物1(乙1の2)は、「はだしのゲン」及び「はだしのゲンはピカドンを忘れない」を原作として、各作品の中の原爆投下の直前から原爆投下時までの複数のエピソードを選択、再構成して、講談用に脚色したものである。昭和61年6月ないし8月ころ、第1稿(乙1の1)を完成させ、同年8月に、これに若干、加筆修正した初演時脚本(甲21の1)を完成させ、被告において初期公演を行い、さらに、これに若干加筆修正して本件著作物1(乙1の2)を完成させた。
 本件著作物2は、本件著作物1と同様に、「はだしのゲン」及び「はだしのゲンはピカドンを忘れない」を原作として、各作品の中の原爆投下時からその後の混乱期のエピソードを選択、再構成して、講談用に脚色したものであり、本件著作物1の続編である(乙2)。
 本件著作物3は、鶴屋南北作の「四谷怪談」を原作として、原告が、平成4年5月に、講談用に脚色した作品であり(乙3)、原告が著作権を取得した。
 被告は、現在、本件各著作物を上演している。
(3) 本件各著作物の上演許諾及びその解約の意思表示
 平成7年6月ころ、原告と被告との間において、被告が、本件各著作物を上演することについて、許諾する旨の合意をした(以下「本件上演許諾合意」という。)。
 原告は被告に対し、平成12年10月8日、本件上演許諾合意を解約する旨の意思表示をした(ただし、その効力が生じているかについては争いがある。)。
2 争点
〔本件著作物1について〕
(1) 本件著作物1は、原告が創作したか。(請求原因)
(原告の主張)
 本件著作物1は、原告が単独で創作した。
 被告は、「はだしのゲン」及び「はだしのゲンはピカドンを忘れない」の脚本化を試みようとしたが、結局一行も書くことができずに困っていたため、それを見かねた原告が申し出て、脚本化した。原告は、昭和61年6月ないし8月ころ、「はだしのゲン」等を読んで、他の資料を参照しながら、脚本を執筆した。原告は、その当時は作曲活動をしていたが、音楽家らしくリズミカルな修羅場調子をふんだんに取り入れた。原告は、このような創作活動によって、第1稿(乙1の1)を完成させた。
 その後、原告は、第1稿(乙1の1)に、若干手を加えて初演時脚本(甲21の1)を完成させ、さらに、手を加えて本件著作物1(乙1の2)を完成させた。その際に、語り方や「てにをは」等の細部を修正したが、基本的な変更はしていない。本件著作物1は、第1稿と実質的に同一である。
 被告は、被告が脚本の作成に関与したことがあると主張する。しかし、被告の関与は、上演をする上での些細な工夫にすぎず、共同で創作したと評価できる行為はされていない。原告は、本件著作物1の創作に当たり、被告と意見交換も協議もしたことはない。
(被告の反論)
 本件著作物1は、被告が単独で創作した。
 被告は、昭和60年原告とサイパン島のバンザイクリフに行き、同61年広島県の原爆資料館を訪れ、戦争と原爆の惨状を知り、このことを人々に伝えたいと考えた。被告は、「はだしのゲン」を入手して読み、講談として上演することにし、Nから「はだしのゲン」及び「はだしのゲンはピカドンを忘れない」を講談用に脚色することの許諾を得た。
 被告が講談用の脚本作成の準備を始めたところ、原告がこれを手伝うことを申し出たので、その協力を仰いだが、作成に当たり、被告の創作意図を反映させるようにした。すなわち、被告は、原爆の悲劇性を明らかにするため、原爆が引き起こした直接の惨状のみならず、ゲンらの生活の悲惨さを描くようにした。また、戦争や人種差別に反対するゲンの父に弾圧が加えられたことを描くことにより、愚かな戦争指導者により原爆投下が招かれてしまったことを訴えようと努めた。そのために、被告は、原爆や戦争などの資料を参照したり、原告及び支援者らと話し合ったりして、「はだしのゲン」及び「はだしのゲンはピカドンを忘れない」の中から、被告の意図に沿ったエピソードを選択し、再構成して、物語を組み立てた。原告が、他のエピソードへ移るための説明部分や、場面と場面をつなぐ部分を執筆し、被告が、実際にそれらを語ってみて、標準語を方言に直したり、語りにくい部分や不明確な部分の言い回しを変更し、冗長な部分等を削除し、わかりにくい部分の説明を追加した。これらの作業を経て、本件著作物1を完成させた。
 以上の経緯によれば、本件著作物1は、被告が単独で創作したといえる。
(2) 本件著作物1は、原告と被告との共同著作物であり、正当な理由がないので、原告は、被告が単独で実演することについて拒否できないか。(抗弁)
(被告の主張)
 仮に、被告が単独で創作したといえないとしても、少なくとも、原告と共同で創作した。
 共同著作権の行使は、共同著作者全員の合意によらなければならないが、共有者の一人である原告は、正当な理由がなければ、共有者の一人である被告が共有著作権を行使するについての合意の成立を拒むとができない(著作権法65条2項、3項)。
 本件著作物1は、被告が「はだしのゲン」等を講談として上演したいと考えて、原作を講談用に脚本化することについて原告に協力を求めたものである。被告が本件著作物1を上演することについては、当初から原告、被告間で合意があったといえるし、原告が、被告の上演についての許諾を拒む正当な理由はない。
(原告の反論)
 否認する。
〔本件著作物2について〕
(3) 本件著作物2は、原告が創作したか。(請求原因)
(原告の主張)
 本件著作物2は、昭和63年ころ、原告が単独で創作した。原告は、「はだしのゲン」の中の原爆投下後のエピソードを講談用に脚色したが、単なる引用ではなく、表現上の創作をした。創作の際に、被告と話し合ったこともないし、被告から示唆を受けたこともない。そして、原告は、被告に、草稿に基づいて稽古をつけ、原告が必要に応じて修正を加えて、本件著作物2を完成させた。本件著作物2は、原告の単独著作物であり、被告との共同著作物とはいえない。
(被告の反論)
 昭和63年夏ころ、原告と被告が、話し合いながら、「はだしのゲン」及び「はだしのゲンはピカドンを忘れない」の中の、@ゲンが、食糧難の中、米を求めてさまよう中で、原爆投下直後の広島の惨状や原爆症の状況を目撃する、Aゲンが農家の庭先で浪曲を披露して、米を譲ってもらう、Bゲンが、家族からも疎まれていた原爆被災者の世話をする、C終戦を迎える様子などのエピソードを選択して、本件著作物2を完成させた。
 原告が第1稿を書いて、被告がそれを語り易いように修正したり、講談特有の修羅場調子に表現を修正したり、不要な場面を削除したり、全体の修正を施したりして、本件著作物2(乙2)を完成させた。
 以上の作成経緯に照らすならば、本件著作物2は、原告と被告の共同著作物である。
(4) 本件著作物2は、原告と被告との共同著作物であり、正当な理由がないので、原告は、被告が単独で実演することについて拒否できないか。(抗弁)。
(被告の主張)
 本件著作物2は、被告が「はだしのゲン」等を講談として実演したいと考えて、原作を講談用に脚本化することについて原告に協力を求めたものである。被告が本件著作物2を上演することについては、当初から原告、被告間で合意があったといえるし、原告が、被告の上演についての許諾を拒む正当な理由はない。
(原告の反論)
 否認する。
〔本件各著作物について〕
(5) 原告、被告間に成立した本件上演許諾合意についての解約の意思表示は有効か。原告が本件上演許諾合意を解約し、被告の上演の差止め等を求めることは権利濫用に当たるか。(抗弁)
(被告の主張)
ア 解約の意思表示の有効性
 本件各著作物は、講談師としての被告のために、継続的に上演することを予定して作成されたものである。したがって、本件上演許諾契約は、一般の継続的契約と同様に、信義則上正当な理由なしには契約関係を解消することはできないというべきである。被告は、本件各著作物を上演するについて、稽古を重ね、音響照明などのスタッフを訓練し、道具、装置、衣装などを準備するなど、相当の投資をし、また、上演がより良くなるように努力を重ね、工夫を凝らした。原告の本件上演許諾合意の解約の意思表示は、正当な理由がないので、効力を生じないというべきである。
イ 権利濫用の有無
(ア) 被告がその代表作品である本件各著作物を上演できなくなると、講談師としての活動に支障を来し、被告の生活が脅かされる。原告は、これを知りながら、その上演の差止めを求めているのであり、被告を害する意図がある。
 このことは、被告が原告へ離婚の話合いを求めた直後に、原告が被告に対し上演の中止を求めてきたこと、原告と被告との離婚調停が成立した当時、原告は本件各著作物の上演を認めていたのに、原告と被告との間の子供の親権を原告から被告に変更する審判がされて以降、被告に対し本件各著作物の上演禁止を求めてきたこと、被告の参議院選挙立候補に際し、原告が、被告を中傷してこれを妨害する活動をしたことなどからも明らかである。
(イ) 原告が本件著作物1及び2の上演差止めを求める理由として挙げる思想信条の変化については、上演差止めとは関連がない。また、本件著作物3についても、被告に対する人格評価を理由に挙げているが、原告の被告に対する評価には誤りがある。原告には被告の上演の差止めを求める利益も合理性も存在しない。
 他方、本件各著作物は被告が上演する目的で創作されたものであり、被告の代表作品である。被告は、その上演に当たり、多大な投資をしてきた。もし、これらの上演が出来なくなれば、その投資が一切無に帰するし、被告の講談師としての活動が阻害され、十分な収入も得られず、親権を有する子供の養育にも窮する。このように、被告が本件各著作物を上演できないことは、被告に大きな不利益を与える。
(原告の反論)
ア 解約の意思表示の有効性
 被告の主張は否認する。
 原告による本件上演許諾合意の解約の意思表示には、以下のとおり、正当な理由があるので、有効である。
 原告と被告は、被告は、上演した場合には、1上演について使用料を支払うこと、毎年1月1日から1年間分の上演明細を翌年の1月末日までに原告に提出することを内容とする本件上演許諾合意をした。しかし、被告は、同合意に沿った義務を履行せず、原告からの督促に対しても、これに応じようとしなかった。また、被告は、平成12年7月下旬発売の「婦人公論」85巻14号において、原告及びその両親の名誉を毀損し、プライバシーを侵害する記事を掲載させるなどして、原告との関係を悪化させた。このような被告の行為は信頼関係を破綻させる行為というべきである。さらに、原告の著作意図や思想信条は、著作当時と大きく変化し、被告が本件各著作物を上演することは、原告の思想良心に反する。
 そこで、原告は被告に対し、平成12年10月8日、上演許諾の合意を解約する旨の意思表示をしたのであり、その解約の意思表示には正当な理由がある。
イ 権利濫用の有無
 原告が本件各著作物に関する被告の上演を差し止めることは、正当な権利行使である。原告には、被告が主張するような害意を有していない。原告が被告に対し、上演差止めを求めたのは、著作意図や思想信条が著しく変化したからであって、被告を困惑させる目的からではない。
 本件各著作物が被告の上演のためだけに創作されたものであることは否認する。子供二人の養育については、原告は現在も離婚調停の際に定められたとおりに養育費を支払っており、何ら問題はない。本件各著作物の上演差止めを認めることにより、被告に格別の不利益が生ずるものではない。
第3 争点に対する判断
〔本件著作物1について〕
1 争点(1)及び(2)(本件著作物1は、原告が創作したか。原告と被告との共同著作物であり、原告は、正当な理由がないので、被告が単独で実演することについて拒否できないか。)について
(1) 事実認定
 昭和61年6月ないし8月ころ、第1稿(乙1の1)が完成し、同年8月、これに若干の修正が加えられて初演時脚本(甲21の1)が完成し、被告はこれを用いて初演を行い、さらに、若干の修正が加えられて本件著作物1(乙1の2)が完成し、被告はこれを用いて上演を続けている。そこで、以下、第1稿(乙1の1)の作成経緯を中心に検討する。
 証拠(甲19、21の1、乙1の1、1の2、12ないし14)及び弁論の全趣旨によれば、以下のとおりの事実が認められる。
ア 第1稿の作成経緯
 被告は、講談師であるが、昭和61年ころ、原告とともに、太平洋戦争の戦跡や広島の原爆資料館を訪れたことが契機となって、講談によって、戦争や原爆の惨状を伝えたいと考え、Nの漫画「はだしのゲン」を講談で上演することを思い立った。そして、Nから、同作品の脚本化について許諾を得た。
 被告は、「はだしのゲン」及び「はだしのゲンはピカドンを忘れない」を基に脚色しようとしたが、被告は、脚本を作成できずに悩んでいた。そこで、夫である原告が、被告のために、講談用の脚本を作成することにした。
 原告は、当時、音楽家であって、脚本作成の経験はなかったが、被告の師匠であるSが既に作成した「はだしのゲン」の講談用の脚本及び太平洋戦争や核兵器に関する資料を参照して、作成を開始した。なお、その後執筆した「新釈四谷怪談」(原告が創作したことについて争いはない。)の筆致、構成、展開等の完成度に照らして、原告は脚本作成について抜きんでた力量を有していると推認される。
 原告は、「はだしのゲン」及び「はだしのゲンはピカドンを忘れない」の中から、
@ ゲンの父が戦争反対の信条を抱いており、竹槍訓練をまじめに行わない。
A そのため、ゲンとその姉弟が、父の塗装した下駄を納品にいく途中、町会長の息子らから下駄を川に落とされ、けんかになり、ゲンが町会長の息子の指を噛み切る。
B ゲンの父が警察に逮捕される。
C ゲンの家族は非国民との非難を受け、いじめを受ける。兄が耐えかねて海軍に志願する。母が、町内会長の抗議に対して、包丁を持って追い返す。
D 隣人の朝鮮人と親密な交流があった。
E ゲンの母が栄養失調で倒れ、ゲンとその弟が道端で浪花節を披露して金を稼ぎ、家計を助ける。
F 原爆が投下され、ゲンと母だけが助かり、父と兄弟が焼死する。
G 原爆の被害を受けた人々の姿、ゲンの母が錯乱する様子、妹の誕生
 これらに関するエピソードを選択し、並べ替えをして、原作の地の文章や会話文をそのまま引用したり、新たに書き加えたりして、第1稿(乙1の1)を完成させた。
 原告は、「はだしのゲンはピカドンを忘れない」の中で、N自身がその心境を言葉で表現している部分については、怒りを込めているものの静かな抑制した調子でまとめ、「はだしのゲン」の中で、絵柄でストーリーを展開している部分については、リズムを重視して、徐々に盛り上げるようにした。原爆投下後の悲惨な状況については、原爆で火傷を負った人々の姿や腐乱した死体の山を詳細克明に描写することにより、聴衆に強い感動を与えるように意図した。また、ゲンの台詞部分(乙1の1の43丁表末行ないし同丁裏6行目)は、原作とは異なり、未来に向かって希望を抱くような台詞に変更した。このような作業を経て、出来上がったものを被告が清書して、本件著作物1の第1稿(乙1の1)が完成した。
イ その後の修正(初演時脚本及び本件著作物1)
 第1稿を完成させた後、初公演脚本及び本件著作物1を作成するに至るまでの経緯は以下のとおりである。
 原告及び被告は、当時、演出、音楽や文芸を専門としている知人に呼びかけ、完成した第1稿に基づき講談を実演し、同人らから表現振りや演出に関する意見や感想を聴取し、これらを参考にして、2人で脚本に手直しを加えた。
 具体的には、被告が第1稿を練習し、練り上げていく過程で、語りが難しい部分を語り易いように修正したり、重要でない部分や理屈っぽい部分を削除したりした。会話部分を、標準語から方言(広島弁)に修正した。また、原告及び被告は、会話が長く続く部分において、誰の台詞かが分かるように説明のためのナレーションを補ったり、語りにメリハリがつくように工夫した。さらに、結末部分についても、独白で終わっている部分を、主人公ゲンの台詞へと変更した。
 被告が清書して、初演時脚本(甲21の1)を完成させ、昭和61年8月の初演に使用した。その後、被告は、初演時脚本(甲21の1)中の一部の言い回しを変更、削除し、本件著作物1(乙1の2)とした。被告は、現在、本件著作物1を上演に使用している。
ウ 被告の主張について
 被告は、原告とともに、「はだしのゲン」の中で、原爆投下直後までの時期のゲンを中心とした場面に限定するという方針を立てたこと、前記A及びEのエピソードについては、特に、被告が原告に対して、選択するように意見を述べたことから、原告が単独で第1稿を創作したのではない旨主張し、乙14(被告陳述書)には、これに沿う記載が存在する。また、被告は、原告が執筆した脚本について、被告が実演に当たり語りにくい部分、説明不足で分かりにくい部分、講談用の語りとしては不自然な部分を、原告とともに推敲し、講談用に演じやすい言い回しに修正したので、原告が単独で本件著作物1を創作したのではない旨主張し、乙14には、これに沿う記載もある。
 しかし、上記陳述書を除いて、これに沿う他の証拠は存在せず、被告の上記主張を採用することはできない。
 かえって、被告は、平成6年以前から、原告の許諾を受けた上で、本件著作物1をはじめとする本件各著作物の上演を行っていたこと(甲12)、平成7年6月には、原告との間で、本件上演許諾合意を締結したこと、被告は、「女医レニヤの物語」(甲1)を執筆したが、その著書の中でも、本件著作物1及び2について、原告が執筆したと記述していること、被告が、本件著作物1及び2について、自ら創作したと主張したのは、原告から本件訴訟を提起された後に至ってからであること等の事実に照らすと、被告の前記主張を採用することはできない。
 のみならず、被告が主張するような関与があったとしても、原告が、原作を脚色した創作性の程度に比較すると、被告の関与は、アイデアの提供や助言や上演をする上での工夫にすぎず、それにより、共同で創作したと評価することはできない。
(2) 判断
 上記認定した事実によれば、本件著作物1の第1稿は、原告が単独で創作したと認めることができる。そして、初演時脚本は、第1稿を講談としての上演にふさわしいように、若干の修正を加えたものであり、さらに、本件著作物1は、初演時脚本の言い回しの一部を修正削除したものであり、いずれも、第1稿と実質的に同一であると解される。
 そうすると、被告が、本件著作物1に基づいて上演することは、原告が第1稿、初演時脚本及び原告著作物1について有する著作権を侵害することになる。
 なお、原告と被告との共同著作物であることを前提とする被告の主張は、採用できないことになる。
〔本件著作物2について〕
2 争点(3)及び(4)(本件著作物2は原告が創作したか。原告と被告との共同著作物であり、原告は、正当な理由がないので、被告が単独で実演することについて拒否できないか。)について
(1) 事実認定
 証拠(甲1、19、乙2、14)及び弁論の全趣旨によれば、以下のとおりの事実が認められ、これに反する証拠はない。
 原告は、昭和63年5月ころ、当時米国留学から一時帰国したとき、本件著作物2(乙2)を単独で執筆して、完成させた(原告が単独で脚本を執筆したことは当事者間に争いがない。)。原告は、本件著作物1と同様に、Nが著作した原作「はだしのゲン」及び「はだしのゲンはピカドンを忘れない」の中から、原爆が投下された時からその後の混乱期のエピソードを選択、再構成して、講談用に脚本化する作業を行った。原告は、本件著作物1を執筆した経験から、講談用の脚本作成に慣れたため、助力を受けずに、講談独特の修羅場調子や五、七調を盛り込んだり、結末部分をNの原作「はだしのゲン」と異なる内容にするなどの創作を加えて、独りで、第1稿を作成した。本件著作物2は、本件著作物1の続編に位置付けられる作品である。
 これに対して、被告は、原告と被告とが話し合って、原作品から4つのエピソードを選択した旨主張するが、これを裏付けるに足りる証拠はない。また、被告は、第1稿の完成後、被告が単独で、第1稿について、講談独特の修羅場調子に変えたり、最終場面を、ゲンと弟の隆太が土手を歩いていくシーンに変更し、未来に希望を与えるような表現にした旨主張し、これに添う陳述記載(乙14)もあるが、この主張を認めるに足りる証拠はない。のみならず、被告が主張するような関与があったとしても、原告が、原作を脚色した創作性の程度に比較すると、被告の関与は、アイデアの提供や上演をする上での工夫にすぎず、それにより、共同で創作したと評価することはできない。
(2) 判断
 以上認定した事実及び前記1(1)ウ記載の事実を総合すると、本件著作物2は原告が単独で創作したと解するのが相当である。そうすると、原告と被告との共同著作物であることを前提とする被告の主張は、採用できないことになる。
〔本件各著作物について〕
3 争点(5)(原告、被告間に成立した本件上演許諾合意についての解約の意思表示は有効か。原告が本件上演許諾合意を解約する旨の意思表示をすることは権利濫用に当たるか。)について
(1) 事実認定
 前記争いのない事実、証拠(甲4、9、15、19、乙6、14)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
ア 昭和60年2月19日、原告と被告は婚姻したが、平成4年ころから原、被告間の夫婦関係は悪化するようになった。平成6年2月19日、原、被告間で、「夫婦関係継続についての合意書」が交わされた。同合意書中には、被告は原告の許諾の下に、本件各著作物等について上演をしていたことを窺わせる条項が存在する(第9条)。その後、同年9月9日、原告から被告に対して上演中止の申入れがあった。原告と被告の夫婦関係は、さらに悪化して、平成7年4月26日、原告と被告は、調停により離婚した。
イ 平成7年6月19日及び22日に、原告及び被告の間で、本件各著作物の上演について協議をし、原告が著作権を有する『はだしのゲン』『新釈四谷怪談』について、原告は、被告がそれを上演その他実演することを許諾すること、及び、被告が上演した場合は、毎年1月1日から同年末日までの間の上演日時、場所、主催者を翌年1月末日限り原告に書面で報告することなどの許諾条件が確認された。しかし、最終段階で、「原告が、許諾の期間を1年間とし、期間満了3か月前までに原告から別段の意思表示がない場合は、更に1年間期間を更新するとの修正案を提案しため、明確な合意を形成することははできなかった。もっとも、被告は、原告から、平成12年10月8日、上演許諾に関する解約通知を受けるまでの間、本件各著作物を上演し、毎年1月1日から同年末日までの間の上演日時、場所、主催者を翌年1月末日限り原告に書面で報告し、本件著作物1及び2については、上演1回につき1000円、本件著作物3については、上演1回につき500円を支払い、原告もこれを受領していた経緯がある。そうすると、原告と被告との間で、本件各著作物の上演許諾に関して交渉がされていた平成7年6月19日ないし22日ころ、少なくとも、期間の定めのない本件上演許諾合意(原告の修正提案前の内容)が成立したと認められる。
ウ 被告は、平成12年ころ、同11年分の上演に係る許諾料の支払を怠るようになった。また、平成12年8月号婦人公論に、被告が原告やその父母を中傷する内容を発言したインタビュー記事が掲載されたりした。
 原告は、本件各著作物1及び2について、創作した当時有していた反戦反核の思想信条を変更したため、思想信条を異にする被告に上演させたくないと考えている。また、原告は、本件著作物3について、原作「四谷怪談」及び「お岩」に対して、特別な思い入れを持っており、被告に上演させたくないとの心情を有している(甲2、7、弁論の全趣旨)。
 原告は、被告に対し、平成12年10月6日付け書面及び同月19日付け書面で、本件上演許諾合意を解約し、各著作物の上演禁止を求めた。
(2) 判断
 以上認定した事実を基礎にして判断する。
 原、被告間に成立した本件上演許諾合意は、いつでも解約の申入れをすることができると解すべきであること、被告は、平成11年分の上演に係る許諾料の支払について、その履行を怠っていること、原告は、本件著作物1及び2を創作した当時に有していた著作意図や思想信条を変え、現在同著作物の上演を好んでいないこと、本件著作物3についても、被告との関係の悪化から、思い入れの深い同著作物を被告に上演させたくないとの心情を有していること、原告と被告は離婚していること等の一連の経緯に照らすと、原告が被告に対してした解約の意思表示が効力を有しないとすべき理由はない。また、本件訴訟において、原告が被告に対して本件各著作物の上演の差止めを求めることが権利の濫用に当たるとする理由もない。
4 結論
 以上によれば、原告の請求は理由がある。
 なお、付言する。
 本件著作物1及び2は、被告が上演する講談の中で代表的な位置を占める。ところで、本件著作物1及び2は、原告が、Nの原作「はだしのゲン」及び「はだしのゲンはピカドンを忘れない」に依拠して、そのエピソード及び場面の設定を選択、再構成し、原文の一部を生かしたり、新たな文章を書き加えたりして、創作した二次的著作物である。前記の経過から明かなように、本件著作物1及び2について原告が有する各著作権の範囲及び内容は、必ずしも広範なものではなく、二次的著作物である本件著作物1及び2において創作された表現をそのまま利用する場合及び直接感得できる程度に改変したものを利用する場合に限られる。仮に、被告が、二次的著作物を直接感得できる程度に改変するのではなく、専らNが著作した原作に依拠して、新たな講談用の脚本を作成した上で、これを上演するとすれば、当該行為は、本件著作物1及び2について有する原告の著作権に抵触することはない。したがって、上記のような試みをすることにより、被告の講談師としての活動が制約される不利益を回避することができると解される。

東京地方裁判所民事第29部
 裁判長裁判官 飯村敏明
 裁判官 今井弘晃
 裁判官 石村智は、転補のため、署名押印することができない。
 裁判長裁判官 飯村敏明


目録
第1 表題
1 「はだしのゲンパート1」
2 「はだしのゲンパート2」
3 「新釈四谷怪談」

第2 冒頭部分と終了部分(明らかな誤記も含めて、そのまま表記した。)
1 「はだしのゲンパート1」
(1) 冒頭部分
 『舞台は後ろ幕が降りており、ホリゾントはダークブルー 高座には尺台がセットされ、緞帳はあいている。
 一ベル カゲナレ(必要なら)
 二ベル(本ベル)
 客電 F・O
 舞台に明かり
 出囃し「乱蝶」
 (一分〜 )K 上手より登場
 高座に板付いて出囃しF・O
 「前説(一五分〜二〇分)
 〜それでははだしのゲンのテーマ曲からお聞き下さい。」
 キリエ1
 K いったん上手に引っ込む
 (一分〜二分)うっすらと舞台に明かりが入る
 K 上手袖のところで歌い始める、唄いながら上手より登場し高座に板付く
 歌う”朝だ五時半だ弁当箱下げて〜”
 (張り扇 パン!)
 昭和二十年は忘れようにも忘れられない年です。太平洋戦争も末期となり戦局は誰の目にも敗色濃厚となっていました。B29の連日の爆撃に日本本土は焦土と化し、物資不足、食糧不足は深刻になっていました。
 薩摩芋の茎などは高級品で大豆の絞りかすや薩摩芋の干したもの、コーリャンを粉にしてダンゴにして食べるという状態が続きました。』
(2) 終了部分
 『ゲン「もう、二度と、こんな事はさせんでぇ、わしが仇、取ってやる。わしの力で戦争なんかない、ええ世の中にしちゃる。そしてお前が大きうなる頃には、母ちゃんもお前もわしもいつも一緒にいられて、飯が腹一杯食えるようにするんじゃ、わしゃ、お前を守ってやる。守ってやる。守ってやるでぇー!!」
 キリエ2
 〜はだしのゲン、これにて読み終わりでございます。』 

2 「はだしのゲンパート2」
(1) 冒頭部分
 『「6日7時50分頃、B29、2機は広島市に侵入、焼夷爆弾をもって同市付近を攻撃、この為同市付近に若干の損害を被った模様である。」(この部分は記事の切り抜きを読む)これは、昭和20年8月7日付の朝日新聞の記事です。「広島を焼爆」という見出しに続いてたった4行の記事があるのみです。
 しかし、事実は新聞の報道にある様な「若干の損害」というものではありませんでした8月6日の閃光は、一瞬にして広島市を消減させ、20万の人々を焼き尽くしました。5千度以上の熱線で焼かれ、凄まじい爆風で飛ばされ、人々は見るも無残な姿で死んでいったのです。』
(2) 終了部分
 『ゲンの耳にははっきりと父がいつも言っていた言葉がよみがえって参りました。「そうじゃ、わしゃクヨクヨしとる場合じゃない。踏まれるたんびに強うなる麦の様に生きるんじゃ。やっと、やっと、やっと戦争が終わったんじゃ。父ちゃんや、姉ちゃんや、しんじの分も政二さんの分も生きて、生きて、生きちゃるでー」。
 夕日に向かって力強くちかうのでございました。』

3 「新釈四谷怪談」
(1) 書出し部分
 『時、ところ。ご推察におまかせいたします。
 筋立ては忠臣蔵。
 金もなく力もない田舎藩主。「太平記」に名を借り塩治判官といたしましょう。これに対し、足利将軍の流れをくむ名家を高野家。幕府高家衆の筆頭を勤める高野諸直が主でございます。』
(2) 終了部分
 『次の日の朝、一家惨殺の事件を知った人々が民谷家にやってまいります。その中には伊藤喜平もおります。
 喜平らは血のこびりついた部屋で悲惨な死に方をしているお花や家人の姿を見つけると、あまりのことに目をそむけます。そして、程なくして庭の片隅の古井戸に首のない伊右衛門の死体を発見いたします。
 その側には小さな二十日ネズミの死骸があるのを気がついた者はおりませんでした。
 また、民谷家の門に貼られていたお札がはがされており、何本もの小さな引っかき傷が残っていたのを人々が見つけたのはしばらく経っての事でありました。』
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