判例全文 line
line
【事件名】「すてイヌシェパードの涙」事件
【年月日】平成14年8月27日
 横浜地裁小田原支部 平成11年(ワ)第762号 謝罪広告請求事件

判決
原告 X
同訴訟代理人弁護士 小林元
被告 秦野市
同代表者市長 二宮忠夫
被告 Y
被告両名訴訟代理人弁護士 井上文男


主文
一 被告秦野市は、原告に対し、三〇万円を支払え。
二 被告Yは、原告に対し、六〇万円を支払え。
三 訴訟費用は被告らの連帯負担とする。
四 この判決は、一項及び二項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由
第一 請求
 主文同旨
第二 事案の概要
 本件は、被告Y(以下「被告Y」という。)が著作し、被告秦野市が頒布した書籍が、原告が著作した書籍の翻案権を侵害するものであるとして、原告が、不法行為に基づき、被告らに対しロイヤルティー相当額の損害賠償を、被告Yに対して慰謝料を、それぞれ請求する事案である。
一 争いのない事実等(証拠の掲記のない事実は、争いのない事実である。)(編注・証拠の表示は一部を覗き省略ないし割愛します)
(1) 原告は、昭和六二年六月、自ら著作した「すてイヌシェパードの涙」(甲1。以下「原告著作物」という。)を、株式会社ポプラ社から発行した。
 原告著作物は、原告が昭和六一年一〇月に自宅付近の山中に捨てられていたシェパードを助け出したという体験(以下「原告体験」という。)を基に著作された、子供向けの読み物(ノンフィクション)である。
(2) 原告体験は、昭和六一年一一月一五日、読売新聞の記事(以下「本件記事」という。)として紹介された。本件記事の内容は、およそ次のようなものである(記事の内容は全て昭和六一年中の出来事である。)。
 一〇月一六日の昼ころ、玄岳(標高七九四メートル)ふもとの別荘地に住む主婦である原告は、野犬の遠吠えにしては弱々しい悲鳴を聞く。鳴き声は、原告宅の東側にそびえる玄岳の中腹あたりから間断なく続いた。住民のほとんどがその異常さに気付き、原告には、その悲鳴が次第に「ママ助けて」と原告に助けを求める叫びに聞こえてきた。
 同月一八日、連日の悲鳴に心を痛めた愛犬家の原告は、家族の制止も開かず、意を決して単独で玄岳に登る。しかし、なだらかに見える山は意外に険しく、厳しい冷え込み、深いやぶと木立に阻まれて撤退する。
 翌一九日には、近所の男性も登山に同行したが、四五度以上の急斜面に五〇メートルも進めなかった。
 しかし、途中で、別荘管理センターの職員ら男性二人と捜索犬の応援が加わり、同月二一日にはコースを変えて再び捜索を試みる。突然、犬の一頭が激しくほえ、木々を払って進むと、直径一五、六センチメートルの立木に生後一年ほどの雄のシェパードが鎖でつながれたまま捨てられ、歯をむき出しにしてうなっていた。
 鎖は約二〇センチメートルの長さしかなく、犬は苦しまぎれに掘った穴の中で宙づり状態だった。犬は、同行の男性さえ怖くて近づけないほどの形相であったが、原告が駆け寄り、鎖を外して水筒の水や持参したドッグフードを与えると、すぐにたいらげた。餓死寸前に一命を取り留めた犬は、救助の瞬間、大粒の涙を流し、その姿に同行の男性たちももらい泣きした。
 救出したとき、木々の間から雪を頂く富士山がくっきりと見えたことから、犬は「富士号」と名付けられた。犬は沼津市内の動物病院で手当てを受け、当時二四キロだった体重も四キロ増えて一一月六日に無事退院し、同月一八日から、御殿場市内の施設で、元気に警察犬としての訓練に入る。
(3) 被告Yは、平成一〇年一一月ころ、「百合子おばさんの捨て犬救出大作戦」(甲8。以下「被告著作物」という。)を執筆し、平成一一年三月、秦野市教育委員会生涯学習課から発行した。
 被告著作物は、原告体験を題材とし、小学校中・高学年の児童の教育を目的として著作された童話である。
(4) 被告秦野市は、同年二月初旬、被告著作物を頒布した。
二 争点
(1) 被告著作物は原告著作物の翻案権を侵害するか。
(原告の主張)
ア 被告著作物は、原告著作物のうち原告が犬を救出して下山するところまでを描いた部分と、基本的内容、ストーリー展開、テーマ、作品の性格が同一である。その詳細は、別紙「ストーリー展開の類似性一覧」の「共通点」覧記載のとおりである。
 さらに、別紙「表現の類似性一覧」の「類似点」欄記載の点において、表現が類似している。
イ 両著作物の類似性の程度からしても、被告著作物が、本件記事からは窺い知ることができず、原告著作物を見なければ書けないはずの内容を有していることからしても、被告著作物が、原告著作物に依拠して著作されたことは明らかである。
 原告著作物は、全国学校図書館協議会はじめ各種の推薦、選定、賞を受ける等して全国的に販売された図書であり、平成八年三月には第三一版が出版されているのであって、小学校教員であった被告Yが原告著作物を知らないはずがない。
(被告らの主張)
ア 原告著作物と被告著作物は、いずれも同一の事実を題材とした子供向けの動物物語ないしは冒険物語であるため、その限度において基本的内容やストーリー展開、使用語句が類似しているが、全く性格の異なる作品であるし、細部を具体的に見れば、両著作物は大幅に内容を異にしている。両著作物の相違点についての主張は、別紙「Y作品におけるX作品との相違点一覧」記載のとおりである。
 また、原告が類似しているとする表現については、原告独自の表現とはいえない部分が多い。
イ 被告Yは、本件記事と、自らの現地取材に基づいて被告著作物を著作した。類似している部分が多いのは、両著作物が同一の事実を題材とした子供向けの物語であることによるものであり、偶然の暗合である。
 被告Yが勤務した経験のある小学校の図書室に原告著作物は備え付けられておらず、被告Yが原告著作物を初めて見たのは、被告著作物執筆後の平成一一年四月二七日である。
(2) 損害の発生及び額
(原告の主張)
ア 被告著作物が小学生に対する教育的資料とする目的で作成されたものであることに鑑みると、ロイヤルティーとして相当な額は、被告らにつき各三〇万円である。
イ 原告は、被告Yが一度は原告に詫びたいと述べておきながらその後翻意し、頑なに原告著作物の著作権侵害を否定したことにより精神的損害を受けたところ、これを慰謝するに相当な額は三〇万円である。
(被告らの主張)
 争う。
第三 当裁判所の判断
一 争点(1)(被告著作物は原告著作物の翻案権を侵害するか。)について
(1) 言語の著作物の翻案とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直線感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。事実に基づいた著作物においても、実際に起こった多くの事実の中からどれを取り上げ、各事実にどの程度の比重をおいて、どのくらいの分量で、どのような順序で、どう表現するかについては著作者の創意工夫がされるものであるから、そこに当該作品の表現上の特徴が現れ、著作権法の保護が及んでくるというべきである。
 そして、表現上の本質的な特徴を直接感得することができるかについては、既存の著作物と問題となっている著作物との間の、ストーリー展開、登場人物や場面の設定、描写方法等の類似性の程度、類似性を有する部分の分量等を総合勘案して判断するのが相当である。
(2) 以上を前提に、まず、被告著作物が原告著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得できるものかについて、両著作物のあらすじを比較しながら検討する。
ア 甲1によれば、原告著作物のうち原告が犬を救出して下山するところまでを描いた部分(八八頁まで)のあらすじは、次のようなものである。
 「ひとりっきりの救出作戦」
 (悲しいなき声)
 昭和六一年一〇月一六日の朝、自宅のドアを開け外に出た原告は、すさまじい犬の鳴き声を聞く。原告は、誰かが犬をいじめているに違いないと思い、声のする玄岳のふもとまで行くが、鳴き声がこだまして数か所から聞こえてくるため、どうすることもできず引き返す。午後になって、飼い犬二匹の散歩がてら再び玄岳へ向かうが、玄岳の前まで行くと鳴き声は止んでしまい、二匹の犬も反応を示さない。原告は再び家に戻るも、犬の鳴き声が気がかりで食事ものどを通らないため、知り合いに電話して相談したところ、罠に野良犬がかかっているのかもしれないと言われる。原告は、とにかく犬の身の上に何かが起きているに違いないと確信する。
 (自分でやるしか……)
 翌日になっても、やはり犬の鳴き声は聞こえてくる。一晩中眠れなかった原告は、飼い犬の散歩がてら玄岳の方まで行くが、やはり近くまで行くと鳴き声が止んでしまう。帰宅した原告は、女友達の佐伯さんに相談し、玄岳の前まで一緒に行ってもらう。犬の鳴き声は、前日までの高い鳴き声から低いうめき声に変化していた。佐伯さんから玄岳に登って欲しいと頼まれた原告は、そうしてみようと思い、夫に一緒に登って欲しいと頼むが、すげなく断られてしまう。そこで、自分一人でやるしかないと決心し、準備を整え、翌日の早朝、車で玄岳のふもとへ向かった。
 (「ママ、たすけて!」)
 八時ころ、原告は登山を始める。山中は険しく、寒く、気味が悪いが、「ママ、助けて」と聞こえる犬の鳴き声に、原告は歩を進める。しかし、近くまで行くと、やはり鳴き声は止んでしまう。また、崩れそうな大岩でできた傾斜のきつい沢を、犬の鳴き声も聞こえないまま、たった一人で、不安定な足下に苦労しながら登らねばならず、原告は悲しくなってくる。
 (「アカンカッタ」)
 原告は、気味の悪い山中を、孤独と絶望感にさいなまれつつ泣きながら進むが、犬は見つからない。反対した夫の顔がちらつきながらも、佐伯さんの言葉を思い出して登るが、五〇〇メートルほど登ったところで、疲れ切って岩に座り込んでしまう。時計を見ると、既に昼近くになっていた。原告は、今度は林を登り始めるが、やはり犬の気配はない。そのうち木々に囲まれ暗くなってきたため、原告はあきらめて下山し、車に戻るが、そのとたん犬が鳴き始め、悔しい思いをする。帰宅後、佐伯さんにだめだったと報告し、翌日の救出作戦を立てて床につくが、鳴き声が気になって眠れない。原告は、以前飼っていた犬の位牌に向かって救出できるよう祈る。
 「ひとりじゃない、いつもだれかが」
 (ぶきみな樹海)
 夜明けを待って、原告は、前日と同じように玄岳に行き、沢へと向かう。滑るヒノキ林を気味の悪さをこらえながら登っていくと前日とは別の沢に、さらに登ると不気味な樹海に出る。原告は、歌を歌ったり口笛を吹いたりして心細さを紛らわしながらさらに進むが、身震いする気持ちが続くため下山することにする。
 (ひとりではあぶない)
 二日間の孤独な登山にもかかわらず成果がないため、原告はもうあきらめようと自分に言い聞かせ、車へ戻る。しかし、そこで近所に住む知らない男性から一緒に登るとの申し出を受けたため、再び登山をする。帰宅後、知り合いの獣医に電話をしてアドバイスを求めると、猟犬を連れて登る方法を提案され、猟犬を持つ知り合いに交渉してくれるとのことだったため、原告はその返事を待つことにする。
 (「猟犬をみつけて!」)
 翌朝、原告は同じように玄岳に登るが、猟犬についての返事を聞くために午前中に帰宅する。結局猟犬は見つからないという返事だったが、原告は、別荘地の管理センターに電話して、溝田さんに、猟犬を持つ人を知らないか尋ねてみる。さらに、事情を説明するため管理センターの杉原さん、鈴木さん、榎本さんに来てもらい、一時間ほど一緒に玄岳を探してもらうが、やはり犬は見つからない。三人はセンターに戻り、入れ替わりに今度は溝田さんが日吉さんと一緒にやってくる。溝田さんに事情を話したところ、知り合い二人にあたってみるという返事だったため、原告は、溝田さんの退社後一緒に訪ねるも、一人目には断られ、二人目の家に向かう。
 (午後ではおそすぎる)
 二人目の家で事情を話すと、翌日の午後でよければ犬を貸すと言われ、原告はほっとして家に戻る。夜空は美しいが、原告は疲れ、気持ちは沈んでおり、かすかに聞こえてくる犬のうめき声が断末魔のように聞こえ、原告は泣いてしまう。天気予報を聞くと、明後日は朝から雨だと言っている。原告は、どうしても明日中に見つけなければ犬が凍え死んでしまうので、午後までは待てないと思っていたとき、六郷さんのことが頭に浮かぶ。
 (才蔵がいた)
 原告は、六郷さんに電話して、猟犬を飼っている人を知らないか尋ね、事情を話す。六郷さんは、猟犬代わりになるからと言って、自分の飼い犬である才蔵を使うよう勧める。原告も、六郷さんの提案を名案だと思い、六郷さんの、翌朝に才蔵と清四郎の二匹の飼い犬を連れて車で迎えに行くとの言葉に、重苦しい気持ちが吹っ切れ、体中が熱くなる思いがする。
 「ついに発見!」
 (最後のチャンス)
 原告は、とぎれとぎれに聞こえる苦しそうな犬の鳴き声に眠ることができず、疲れ切っていたが、一〇月二一日の朝、迎えに来た六郷さんと二匹の犬と共に、張り切って玄岳に向かう。玄岳のふもとに着くと、やはり鳴き声は止んでしまったが、車をバックさせていなくなった振りをしたところ、鳴き声が聞こえたため、原告は、才蔵に、鳴き声の主を助けるよう言い聞かせる。続いて来てくれた溝田さん、鈴木さん、二匹の犬と一緒に、原告は沢のところまで行く。途中まで沢を登ったところで、溝田さんが急に、スカイラインの方から下りてくる方法を提案し、原告たちはこの新たな方法を試してみることにする。
 (「才蔵はなして!」)
 原告たちはクマザサや樹海の中を、かき分けるようにして下っていった。天気が心配な原告は、どのようなルートを取るかについて悩み、三方向に分かれることにするが、とりあえず右方向に賭けてみることにし、そちら側に頼みの才蔵と鈴木さんに行ってもらうことにする。突然、原告の頭を予感が走り、原告は鈴木さんに才蔵を放してもらう。
 (「でかいぞ、でっかい!」)
 間もなく、威勢のいい才蔵のほえ声と、もう一つのうなり声が山中にこだまする。原告たちが、才蔵の声がする方に駆け上がると、才蔵が大きな犬の周りをほえながら回っている。原告は、怒りと恐怖の形相で暴れる犬に向かって飛び込んでいき、犬の顔を殴った上、落ち着かせようと声をかけながら抱きしめてやる。犬は短い鎖と苦しまぎれに掘った穴のために宙づり状態だった。鈴木さんが、犬の鎖を苦労して外してやった。
 (涙の合唱)
 原告は、才蔵にお礼を言いながら、犬を抱えて少し平らな場所に移動する。ドッグフードを与えたところ、犬はあっという間にたいらげ、水を与えると、顔中水だらけにしながら水を飲んだ。原告は、犬の顔を拭いてやるが、拭いてもすぐに濡れてしまう。よく見ると、犬は涙を流していた。原告は胸が張り裂けそうになり、犬を抱きしめながら泣いてしまう。それを見ていた二人ももらい泣きをし、涙の合唱となる。
 (富士山のように)
 少し休んでから、原告たちは、才蔵を先頭に下山を始める。下山途中、富士山が見えたとき、ふと犬を見ると、犬は足の爪から血を流し、やせこけている。原告は犬の哀れさに泣きながら、犬に向かってもう一度人間を信じるよう話しかけ、富士号という名前を付け、抱きしめてやった。富士号は、お礼を言うかのように、原告の顔中をなめ回した。
イ 甲8によれば、被告著作物のあらすじは、次のようなものである。
(一)
 百合子おばさんは、女友達の春江さんと一緒に自分の別荘に来ている。到着の翌日、朝から続けていた庭掃除を終え、花壇に水をまいていると、玄岳の方から悲しげな犬の鳴き声が聞こえてきた。二匹の犬を飼うほどの犬好きで、鳴き方で犬の気持ちが分かる百合子おばさんは、犬の鳴き声が身に危険が迫っているときの鳴き方であることから、犬に何か非常事態が起きているに違いないと思い、また、犬の鳴き声が同じ方向から聞こえてくることが気になる。
 昼食を取る間も、犬の鳴き声は聞こえてくる。春江さんは、罠に野良犬がかかったか、飼い犬を立木につないだまま捨てたのではないかと言うが、百合子おばさんは、そんなむごい捨て方はできないはずだから、罠にかかったのだと思う。犬が助けを求めていると感じた百合子おばさんは、翌日の山歩きは玄岳にしようと春江さんに提案し、二人で準備に取りかかる。百合子おばさんは、救出計画を電話で母親に話すが、母親は誰かがやってくれるからやめておけと百合子おばさんを止める。しかし、百合子おばさんは行ってやらなければと思う。
 その夜、百合子おばさんはなかなか眠れなかった。犬の姿を思い浮かべ、助けてあげようと思いながら、百合子おばさんはいつしか眠っていた。
(二)
 翌朝、百合子おばさんはいつもより早く目を覚ました。窓を開けると、庭にいる春江さんから、まだ鳴き声が続いていることを告げられる。二人は身支度をして出発する。鳴き声の位置から、犬は玄岳の中腹にいるものと考えられた。百合子おばさんは、ハイキングコースの入口まで車で行き、登山を開始した。見込みどおりの場所から犬の鳴き声が聞こえ、二人は元気づけられる。鳴き声はいつしか頭上から聞こえるようになり、遭難現場の真下に到着したと考えた二人は、休憩を取る。百合子おばさんは、犬を呼ぶ合図の口笛を鳴らすと、これに答えるように犬の鳴き声が返ってくる。助けが来たことを知らせたことで、二人には、犬の鳴き声に元気が出てきたように思えた。木や草がうっそうと茂り、暗く湿った空気がよどむ林の中を、二人は慎重に進んでいった。
 大尾根の向こう側から犬の鳴き声が聞こえ、あとわずかで犬の居場所へたどり着けると考えた二人は、苦戦をしながら大尾根の上にたどり着く。しかし、大尾根の南側は、崩れそうな大岩でできた深い谷になっていた。百合子おばさんが口笛を吹くと、鳴き声が聞こえてくるが、谷を突破することはできそうにない。時計を見ると、午後四時を回っていた。二人は全身から力が抜けてしまい、とりあえずお弁当を食べるが、うす暗くなってきたためやむなく撤退することにする。あとは、犬の強い生命力を祈るばかりだった。
(三)
 三日目の朝、百合子おばさんは、夕方から夜半にかけて大雨との天気予報を聞き、あわてて飛び起きる。今日中に救出しなければ犬の命が絶望的となると考えた二人は、救出作戦会議を始める。百合子おばさんは、犬は伊豆スカイラインを車に乗せられてきて捨てられたのだと思いつき、それに沿ったコース変更を提案すると、春江さんもこれに賛成する。そのとき、二匹のビーグル犬を連れた別荘管理センターの倉沢さんと野口さんが百合子おばさん宅を訪れ、手伝いをしたいと申し出る。四人は打ち合わせをし、すぐ出発する。
 四人は、玄岳の北の斜面を目指して進む。百合子おばさんと春江さんは筋肉痛で脚が痛むが、犬を救出したい気持ちに支えられて歩を進める。しかし、標高四〇〇メートルあたりで百合子おばさんは一歩も歩けなくなり、草の上に座り込んでしまう。
 百合子おばさんは、横になって口笛を吹くが、鳴き声は返ってこない。心配する百合子おばさんと春江さんを、倉沢さんが元気づける。
 再び出発したところ、ビーグルは捨て犬のにおいを感じ取ったようである。急に濃くなってきた霧の中から二人の若者が現れたため、犬の鳴き声について尋ねてみるも、良い返事は返ってこない。百合子おばさんは、手遅れかもしれないと不安になり、前日に救出できなかったことを悔やむ。そのうち雨が降り始め、ひどい雨に、四人はたまらず雨宿りをする。天候の様子を見ている百合子おばさんの頭の中で、母親の言うとおり誰かに任せればよかったという思いと、行動して良かったという思いが交錯する。
 天候は回復しない。明日はきっと良い日になるとの倉沢さんの言葉を信じ、四人は明朝の捜索に賭けることにして下山する。
(四)
 四日目の朝、雨は止み、百合子おばさんと春江さんは、美しい玄岳を見ながら静かな闘志を燃やす。
 二時間後、ビーグルを連れた四人が、明るい山中を登っていると、突然ビーグルが反応し綱を引く。倉沢さんが綱を外すと、二匹のビーグルは駆け出していき、百合子おばさんたちもその後を追う。尾根の先から、ビーグルの鳴き声に混じって、犬のうなり声が聞こえてくる。四人が斜面を下っていくと、尾根の先が平地となっていて、シェパードが鎖でつながれており、その周りでビーグルがほえかかっている。鎖の長さは約二五センチメートルしかなく、身動きができないのに暴れたため、地面が掘れ、シェパードは宙づり状態だった。首輪でこすれた部分から血が流れている。そんな状況の中でも、シェパードは、人間に対する怒りを爆発させ、ものすごい形相で暴れている。百合子おばさんは、とっさに、シェパードに向けて口笛を吹く。すると、シェパードの興奮がおさまり始めた。
 シェパードは、百合子おばさんが自分を励ましてくれた人間であることを悟り、鎖をほどいてもらうと、喜んで百合子おばさんに飛びつき、涙でぐちゃぐちゃの顔をなめ回した。シェパードの目にも涙が流れており、それを見守る三人も涙を流していた。シェパードは、水をたくさん飲み、ドッグフードをお腹いっぱい食べ、傷の手当てを受け、安心したように眠った。
 帰り道、シェパードを連れた百合子おばさんを先頭に歩く四人は、無事救い出せた喜びを語り合い、百合子おばさんは、さらに、協力してくれた人たちがいたことの喜びを感じる。
 木々の間から、くっきりとそびえる富士山が見えている。百合子おばさんは、明日は良い日になると言った倉沢さんの言葉が本当になったと、幸せな気持ちになった。
ウ 以上のあらすじを基に、両著作物のストーリー展開、登場人物や場面の設定、描写方法等を比較する。
 被告著作物には、原告著作物とは異なり、登山中に二人の若者と遭遇するエピソードが盛り込まれているほか、救出登山に際して終始女友達が同行する、主人公が口笛を利用して犬と意思疎通する、捜索中に大雨が降るなどの設定がされている特徴がある。一方で、原告著作物に存在する、原告が登山前に玄岳のふもとまで何度も様子を見に行く、知らない男性が一緒に登山をしてくれる、原告が猟犬探しに奔走するなどの場面は盛り込まれておらず(その結果、犬の悲鳴を聞いてから四日間で救出が終了している。)、近づくと犬の鳴き声が止んでしまう様子、時の経過に従って犬の鳴き声の声質や間隔が変化していく様子、原告が頻繁に泣いてしまう様子、犬の顔にかかった水から涙への発展などは描かれていない。
 しかしながら、両著作物は、以下の多くの点においてストーリー展開等が一致している。すなわち、主人公が二匹の犬を飼っていること(本件記事には単に「愛犬家」とあるのみである。)、主人公が「罠に野良犬がかかったのではないか」と言われること、登山口まで自動車を利用すること(被告著作物には、その理由として「犬を発見できたときのことを考えて」とあるが、原告著作物とは異なり、発見後に自動車を利用した様子は描かれていない。)、主人公の行く手を阻む山中の様子として岩場が描かれていること(本件記事では「深いやぶと木立に阻まれて撤退」とあり、登山を邪魔したものは山林である。)、犬の鳴き声に主人公が鼓舞されたり不安になったりすること、反対した家族のことを思い出して登山中にふと後悔の念に駆られる主人公がそれを振り払うこと、主人公が雨の天気予報を聞いて犬の命を危倶すること(本件記事においては、悪天候を示す記載はないし、「餓死寸前」と記載されているように、犬の命を脅かすものは空腹とされている。)、捜索犬として猟犬あるいは猟犬代わりとなる犬が登場すること(本件記事には「捜索犬」とあるのみだが、被告Yは、捜索犬イコール猟犬と考えた旨供述している。)、捜索コースを伊豆スカイラインから下るコースに変更すること(本件記事には単に「コースを変えて」とあるのみで、コースの中身は記述されていない。また、捜索のため苦労して登る様子が強調されている一方、山を下る様子は出てこない。)、救出直前に連れてきた捜索犬を放すこと、救出された犬が怪我をしていること(本件記事では「餓死寸前」の犬が「手当てを受け」たことが記載されているのみで、絶食による犬の衰弱は容易に想像できても、負傷の事実を窺わせる記載はない。)主人公らが山中で休憩した後に下山する様子が描かれていること(本件記事では、原告らが涙を流す状況で救出場面が終わっている。また、被告著作物には下山後の様子は措かれていないのであるから、下山の場面を描く必要性もない。)、下山途中に富士山が見えること(本件記事では「救出した時」に富士山が見えたとある。)など、本件記事には全く出てこない、あるいは本件記事から直ちには導かれないはずの多くの点において、ストーリー展開、登場人物や場面の設定、描写方法等が一致している。
 そして、これらの具体的場面は、いずれも、原告著作物の中心部分あるいは個性を形成するものであり、原告の創意工夫が現れた表現上の特徴といえる箇所である。
エ これに加え、原告著作物の主題は「動物の命の大切さ」、被告著作物の主題も「生命の大切さ」であり、いずれも、それを子供に伝えようとする性格のものであること(甲1、8の各あとがき部分)をも併せ考えると、本件記事の存在を考慮に入れた上でもなお、被告著作物に接する者は原告著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することができると認められる。
(3) 次に、被告著作物が原告著作物に依拠して作成されたかについて判断する。
ア 原告著作物は、財団法人日本動物愛護協会推薦図書、日本書店組合連合会主催、日本児童図書出版協会・日本出版取次協会協賛「こどもの本・ベストセラー一二〇選」、多くの地方公共団体における推薦図書に選定され、平成八年三月までに第三一刷まで一五万五五〇〇冊が出版されているものである。そして、被告Yは元小学校教員であり、長期間にわたって国語教育の実践研究に携わってきたというのであるから、原告著作物に接触する機会が十分にあったことは明らかである。
イ そして、上記認定のとおり、被告著作物には、本件記事、本件記事に基づいた推測・想像からは直ちには出てこないであろう原告著作物とのストーリー展開、登場人物や場面の設定、描写方法等の共通点が、不自然なほどに数多く存在し、これらを全て偶然の暗合と考えるのは困難である。
 また、被告著作物は、以下の多くの点において原告著作物の影響を受けていることが窺われる。すなわち、被告著作物には、主人公の女友達の存在、犬がいじめられて鳴いているとの発想(原告著作物六頁九ないし一〇行目、被告著作物五頁七ないし一〇行目)、犬の身を案ずる主人公が眠れないこと、玄岳への登山を「山歩き」、と表現すること(原告著作物一八頁三行目、被告著作物七頁一一行目)、玄岳山中が気味が悪いものとして描かれていること、救出計画を「作戦」と表現すること(原告著作物三六頁一行目等、被告著作物八頁四行目等)、登山に疲れた主人公が座り込んでしまうこと、主人公が登山中に口笛を吹くこと、崩れそうな岩場の様子(原告著作物二八頁一三行目ないし二九頁一三行目、被告著作物二〇頁五行目ないし九行目)、主人公を不安がらせる鳥の鳴き声(原告著作物三一頁七ないし九行目、被告著作物三二頁一〇行目)、山中に茂るくまざさ(原告著作物七二頁一ないし二行目等、被告著作物二〇頁九ないし一一行目等)、まむしへの危倶(原告著作物二五頁写真説明文、被告著作物一七頁一〇行目)、シェパードを発見した捜索犬がその周りでほえかかっていること、山中に存在する平地、下山の様子として「ゆっくり」と表現され(原告著作物八七頁二行目、被告著作物四六頁一二行目)、先頭が明記されていることなど、ストーリー展開とは必ずしも結びつかない細部における設定や描写、あるいは表現においても共通する要素・表現が数多く存在し、被告著作物が原告著作物の影響を受けていることが窺われる。
 被告らは、これらについて、本件記事及び現地取材に基づいた被告Yの発想によるものであるとして、その過程を縷々主張するが、いずれもそのような発想に至るのが必然というものではなく、上記のような多数の共通点の存在を合理的に説明するに足るものではない。また、現地取材をしても、原告が実際に捜索したルートをたどれるわけではないのであるから、両著作物における自然描写等が共通していることに、必ずしも結びつくものではない。
ウ さらに、原告著作物一四三頁に掲載されている原告体験についての新聞記事では、原告が、犬の捨て方について、「動物を飼う人に、よくこんなむごいことができたものです。」とコメントしている。これは、本件記事には記載されていない内容であり、被告Yが認識していないはずの事情である。しかし、被告著作物には、主人公のセリフとして、「でも、捨て犬をするのに、そういう捨て方をするかしら。そんなむごいことって出来ると思う? 今まで家族と同じように過ごしてきたのよ。」という部分があり、これは、原告の上記コメントを連想させるものである。
 また、被告著作物のあとがき部分には、原告体験に係る客観的事実として、救出された犬が下山と同時に入院した旨の記述があるが、本件記事にはそのことを示す記述はなく、被告Yは関係者への取材を行っていないのであるから(被告Y本人)、これは、被告Yにとって、原告著作物を読まない限り知り得ない事実である。
エ 被告らは、被告Yが原告著作物を読んだのは、被告著作物が原告著作物の著作権を侵害するとの原告からの抗議を受けて調査を開始し、原告著作物を発見した平成一一年四月二七日が初めてであると主張し、被告Yもそれに沿う供述をする。
 しかしながら、被告Yがその経緯として述べているところは、反論資料(乙1)、陳述書、本人尋問の結果のそれぞれにおいて、原告著作物が存在するかを調査し始めた時期、調査の時点で得ていた情報、調査にかけた日数などの点において一貫しないが、このことは、原告からの抗議が被告Yにとって相当印象深い出来事であったと考えられることからして不自然である。このうち、被告Yの記憶が最も新しい時期(提訴前である平成一一年夏ころに作成された乙1によれば、被告Yは、原告著作物のタイトル、出版社、種類(子供向けのノンフィクションであること)も知らないまま、やみくもに書店を回るという方法で原告著作物を探したことになり、この点もまた不自然である。さらに、昭和六一年の出来事について書かれたものであり、出版もそのころと一応は推測できる書物を、平成一一年において、まず図書館へ行くことなく書店の店頭で探すというのも不自然である。
 なお、被告Yは、平成一一年四月二七日に原告著作物を読んだものの、救出・下山の場面までの三分の一程度を一回早読みしただけであとは読む気にならなかったとしており、その点を盛んに強調するが、そのとき読み進めながら取ったというメモには、救出された犬が下山後入院し、さらに退院してからの内容(原告著作物一〇五頁あたりまで)を示す「富士号誕生 風呂場 どうぞよろしく」との記載がある。
 これらの点からして、被告らの上記主張は採用できない。
オ 以上の事実によれば、被告著作物は、原告著作物に依拠して作成されたものと認められる。
(4) 以上のとおり、被告著作物は、原告著作物の翻案権を侵害するものであるところ、この点について、被告Yに故意又は過失があり、不法行為が成立することは明らかである。
 また、被告秦野市は、原告及び原告著作物の発行所である株式会社ポプラ社から、被告著作物が原告著作物の著作権を侵害するとの抗議を受け、一度はその廃棄を決定し、原告に謝罪文を送っていたものである。そして、廃棄の決定及び謝罪文の送付は、被告著作物が原告著作物の著作権を侵害するかについて、地方公共団体として相応の検討をした上で行われたものと考えられるから、その後被告著作物を頒布するにあたっては、被告著作物が原告著作物の著作権を侵害するものであることを知っていたか、又は不注意によりこれを知らなかったものと認められ、翻案権侵害についての故意又は過失があるから、不法行為が成立する。
二 争点(2)(損害の発生及び額)について
(1) 被告著作物が小学生に対する教育的資料とすることを目的に作成されたものであること、印刷部数が一〇〇〇部であること、原告著作物について、著作権料を三八〇万円として映画化の話があったことなどの事情を考慮すると、原告著作物の著作権の行使について、被告らから受けるべき金銭は、各三〇万円を相当と認める。
(2) 本件に現れた一切の事情を考慮すると、原告著作物の翻案権が侵害されたことにより原告が被った精神的苦痛に対し、被告Yが支払うべき慰謝料としては、三〇万円が相当である。
三 以上のとおり、原告の本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容し、主文のとおり判決する。

横浜地方裁判所小田原支部民事部
 裁判長裁判官 矢崎博一
 裁判官 新堀亮一
 裁判官 達野ゆき


別紙 ストーリー展開の類似性一覧表≪略≫
別紙 表現の類似性一覧表≪略≫
別紙 Y作品におけるX作品との相違点≪略≫
line
 
日本ユニ著作権センター
http://jucc.sakura.ne.jp/