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【事件名】顧客データの不正競争事件(デザイン会社) 【年月日】平成14年7月18日 大阪地裁 平成13年(ワ)第6368号 不正競争行為差止等請求事件 (口頭弁論終結の日 平成14年6月21日) 判決 原告 株式会社メイテック(商業登記簿上の商号 株式会社メイテツク) 訴訟代理人弁護士 久保隆 被告 デジタルフィールド株式会社 被告 A 被告ら訴訟代理人弁護士 松本藤一 同 山本菜穂子 主文 1 原告の請求をいずれも棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。 事実及び理由 第1 請求 1 被告らは、別紙「営業目録」記載の営業行為を行ってはならない。 2 被告らは、原告に対し、連帯して金4000万円及びこれに対する平成13年7月6日(訴状送達日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要 (略称)被告デジタルフィールド株式会社 ― 被告会社 被告会社代表者兼被告A ― 被告A 後記基本的事実3記載の各社員 ― 本件原告社員 本件は、被告Aが原告の営業秘密を不正に取得し、被告らがこれを利用している(不正競争防止法2条1項4号)として、原告が、被告らに対し、不正競争防止法3条1項に基づく差止めを請求するとともに、原告の取締役の地位にあった被告Aが、忠実義務(商法254条の3)又は競業避止義務(商法264条1項)に違反して、取締役の辞任届を一方的に提出した上、@原告と競合する被告会社を設立し、A同社に原告従業員を引き抜き、B原告の取引先に対し営業誹謗的な言動を行ったとして、原告が、被告らに対し、民法709条、被告Aに対し、商法266条1項5号、同条4項に基づく損害賠償を請求した事案である。 (基本的事実) 1(1) 原告は、コンピュータ画像処理を駆使した、各種広告の企画、立案、製作並びに衣料デザイン及び建築デザインの企画、立案等を目的として、昭和58年5月17日(甲1)、成立した株式会社である。 (2) 被告会社は、平成13年3月1日(以下、年月日の記載については、平成13年に限り、年の記載を省略する。)、設立された株式会社である。同社も、コンピュータグラフィックスの企画、制作及び販売並びに商業、工業デザインの企画、設計、制作及び販売等を目的とする(甲2)。 (3) 被告Aは、被告会社の設立当初からの代表取締役である。 2(1) 被告Aは、昭和59年1月、原告に入社し、平成10年1月、同社の取締役に就任した(甲17、18及び弁論の全趣旨。ただし、その就任登記は平成10年10月(乙8)である。)。 (2) 被告Aは、原告に対し、@2月19日、原告取締役を2月26日をもって辞任する旨を(甲3)、A3月1日、原告従業員としても3月31日をもって退職する旨を(甲4)、B3月16日、Aの退職日を3月20日に変更する旨を(甲5)それぞれ通知した。 3 原告の次の社員(本件原告社員)は、原告においてオペレーターの職にあったが、次のとおり、原告に退職届を提出し(甲11の1ないし5)、その後、被告会社に就職した。 退職者 届出日 退職日 (1) a 2月20日 3月20日 (2) b 2月20日 3月20日 (3) c 2月21日 3月20日 (4) d 2月22日 3月20日 (5) e 3月 2日 3月20日 4 原告は、3月30日開催の臨時株主総会において、被告Aを同社取締役から解任する旨を可決するとともに、その後任として、新たな取締役1名を選任した(甲6)。 (争点) 1 被告Aによる営業秘密の不正取得行為等(不正競争防止法2条1項4号) (原告の主張) (1) 原告の営業秘密は、「顧客名」のほか、「継続的取引の中で培われた個々の顧客の商品に対する要望等」という顧客情報である(画像処理のノウハウではない。)。すなわち、原告は、コンピュータ導入につき億単位の投資を行った上で顧客を獲得し、その後も、原告の経費負担により、顧客に対する営業を行ってきたものであり、本件原告社員は、原告における就業期間中、原告の顧客名を知り、顧客との打ち合わせ等で顧客の商品に対する要望等を熟知することができた。前記要望等は、その顧客の仕事を行っている中で形成され、次にその顧客から与えられた仕事の中で生かされていくものであって、コンピュータソフトがあれば足りるというものではない。ただし、原告は、中小企業であり、業種柄、それほど多くの顧客を有しているわけでもないから、顧客名簿等の管理は行っていなかった。 (2)ア 被告Aは、原告のコンピュータ画像処理事業部の長にあり、同部が他の部と一線を画していたことを奇貨として、原告の営業秘密を培った本件原告社員に対し、「自分が会社を立ち上げるので、参画してほしい。」などと告げて、これらの者を被告会社へ引き抜き、原告の顧客に対し、営業活動を行っている。 イ 被告らは、原告の顧客に対し、ダイレクトメールを送付した。 (被告らの主張) (1) 原告の主張(1)は否認する。原告の主張する営業秘密は、不正競争防止法2条4項にいう「営業秘密」には該当しない。すなわち、原告と取引のあった住宅会社がコンピュータグラフィックスを利用して住宅の建築販売をしている事実は、コンピュータグラフィックス処理業界においては、容易に知り得る事実にすぎず、個々の住宅会社からパンフレット等を入手すれば、そのコンピュータグラフィックスの好みの集積も容易に入手することができる点で、非公知性がない。また、顧客の特定の又は個別的な嗜好には普遍性がないから、有用性にも問題がある。さらに、原告は、本件原告社員に対し、その主張する営業秘密の保守を約束させたことはないし、コンピュータグラフィックスの画像処理を外注した際も、その外注先に対する情報管理を何ら行っていなかったから、秘密管理性もない。 (2)ア 原告の主張(2)アは否認する。原告において、コンピュータ画像処理事業部が他の部(クリエイテイブ事業部、プリンテイング事業部)と分かれたのは2月のことであり、かつ、各事業部の業務内容に明確な区別はなく、従来の事業活動と異なるところはないから、他の部と一線を画していたということはない。また、2月に原告取締役を退職した被告Aがコンピュータ画像処理事業部の長を任されることなどあり得ない。 被告Aが、本件原告社員に対し、被告会社への採用を予定して原告の退職を勧めたこともない。本件原告社員が原告を退職したのは、同社における待遇の悪さ、人事労務管理の問題、倒産寸前の経営状態等が原因であり、各人の自由意思に基づくものである。被告会社が本件原告社員を原告退職後に雇用するのは、契約の自由や自由競争原理に照らし、当然許される。 イ 原告の主張(2)イは否認する。コンピュータ画像処理業界において、単価の高い住宅等の建築に関しては、取引先を直接訪問した上で営業活動を行うのが通常であり、ダイレクトメールによる勧誘のような方法では到底顧客を獲得することはできない。 2 被告Aの忠実義務(商法254条の3)及び競業避止義務(商法264条1項)違反並びに被告らの過失(民法709条) (原告の主張) (1) 被告Aは、原告による解任時(3月30日)まで、同社取締役の地位にあり、原告の利益のために忠実にその職務を遂行すべき義務があったにもかかわらず、3月1日に原告と競合する被告会社を設立した(商法254条の3、264条1項違反)。仮に被告Aによる2月26日付け取締役辞任が有効であったとしても、原告の当時の取締役は被告Aを含めて3人しかいなかったから、新たな取締役が選任された3月30日まで被告Aが前記義務を負うことに変わりはない。 また、被告会社の設立時期に照らすと、被告Aは、未だ原告取締役の地位にあった時から、その設立を準備していた(被告会社の定款認証は2月20日に行われている。)点でも、忠実義務違反及び競業避止義務違反がある。 (2) 被告Aは、本件原告社員に対し、「自分が会社を立ち上げるので、参画してほしい。」などと告げて、これらの者を被告会社へ引き抜いた。原告の取引先に対しても、この点を強調した営業活動を行った(商法254条の3、264条1項違反)。 (3) 被告Aは、@原告取締役の地位にあった時から、原告の顧客に対し、「原告を退職して独立する、独立時には原告の画像処理事業部の社員も一緒に退職するから、原告は仕事ができなくなる。」等を吹聴して、被告会社に仕事を依頼するように画策した(商法254条の3、264条1項違反)。また、A原告の退職後も、原告の取引先に対し、「原告は、従業員に給与も払えず、画像処理事業部もすべて引き抜いたから、仕事もできない。」等と吹聴した(民法709条)。 (被告らの主張) (1) 原告の主張(1)は否認する。被告Aが原告の取締役の地位にあったのは2月26日までのことであり、被告会社の設立は原告取締役を辞任した後のことである。仮に被告Aの取締役辞任により原告の取締役数に欠員が生じたとしても、被告Aは1週間の余裕をおいて辞任しており、一人会社である原告としては、その欠員を補充する時間的余裕は十分あったはずであるから、原告による新たな取締役選任まで、被告Aが同社取締役の地位にあったということはできない。また、次のような従前の経緯に照らしても、原告が、被告Aに対し、取締役の忠実義務違反、競業避止義務違反を主張することは、信義則に反し、許されない。 ア 原告には、いずれも原告代表取締役であったB(原告代表者Cの夫、以下「B」という。)の家族から成る同族会社である関連会社2社があり、原告を含む3社すべての問題は、Bの家族間で決められていた。被告Aは、原告の営業部長として活動していたにすきず、原告の取締役会に出席したことは一度もなく、その取締役の地位は名目的なものであった。 イ 原告単独では黒字であった時にも、前記関連会社の業績不振を理由に多くの負担を強いられ、原告自体の業績悪化を招いた。その結果、原告は、平成10年ころ、消費税の滞納を理由として売掛債権の差押えを受けた。また、原告営業部長であった被告Aが保証金の一部1500万円の返還を受けて平成10年年末の賞与の支払に充てようとしたにもかわわらず、Bは、内1000万円を原告の別債務の支払に充ててしまった。平成11年1月には、3社全体での業績悪化を理由として、給料の遅配が発生していた。 ウ Bは、被告Aの反対にもかかわらず、平成8年に入社したばかりの平社員で何の実績もなく、勤務態度にも問題の多かった二男を、その発案に係るヤマト運輸との提携プロジェクトの部長に昇格させた。被告Aにおいて、Bの二男に対し、その勤務態度等を再三にわたり注意し、Bにも注意を要請したにもかかわらず、Bはこれを放置したばかりか、平成11年8月17日には、被告Aに対し、退社を勧告するに至った。前記プロジェクトは、リスクが大きく、結果的にも失敗に終わり、投資資金の損失のみならず、人件費の増大という新たな負担を負うことになった。 エ Bは、1月末に開催された原告を含む3社の幹部会において、2月分の社員の給与を支払う資金の手当てがつかない旨を告げた。これを聞いた被告Aは、原告の倒産は時間の問題であると認識した。結果的にも、原告は、7月には、本社の看板を外し、事実上、廃業した。 (2) 原告の主張(2)は否認する。前記(1)アないしエの事実に照らすと、本件原告社員が原告からの退社を決意したのは、原告を含む3社全体の業績悪化を理由として冷遇され、自己の業績が正当に評価されなかったことにもともと不満を有していたことや、原告が経営不振のため倒産に瀕していたことが原因であり、同人らの自由意思に基づくものにすぎない。 (3) 原告の主張(3)は否認する。 3 原告の損害 (原告の主張) (1) 被告らの行為により営業停止状態とされた原告の事業処理部が、営業力を回復するには最低でも1年を要する。 (2) 原告の事業処理部における逸失利益(年間売上から経費及び人件費を控除した粗利の趣旨である。)は1年当たり4000万円を下らない。 (被告らの主張) いずれも否認する。 第3 判断 1 争点1(被告Aによる営業秘密の不正取得行為等(不正競争防止法2条1項4号)) 原告は、原告の営業秘密として、「顧客名」及び「継続的取引の中で培われた個々の顧客の商品に対する要望等」という顧客情報(画像処理のノウハウではない。)を主張する。 しかし、原告における受注から納品までの取引の流れは、@ 取引先の担当者と原告の営業担当者及びディレクター(オペレーターのうち全体構成を作成する担当者)とが打ち合わせ、原稿を入手する、A @で依頼を受けた内容に沿う構成、背景、組み合わせ、配色、影の入れ方等を、原告の内部(営業担当者とオペレーター)において打ち合わせる、B Aで打ち合わせた内容で、ディレクターが、指示原稿を作成し、それを基に色を入れ、組み合わせ画像を入れていく、C Bで処理を行ったものをカラープリント出力し、それについて原告内部で検討し、取引先の営業担当者と打ち合わせる、D 修正があれば、再度@からCを繰り返し、良ければカラーポジフィルム及びデータを取引先に納品する、というものである(甲8の1ないし5、弁論の全趣旨)。この間、原告において、その「顧客名」につきアクセスできる者を特に制限していたという事情や顧客名の開示を防止する措置を講じていたという事情は全く窺われず、「顧客名」につき顧客名簿等による管理すら行っていなかったことは原告の自認するところでもある。また、「継続的取引の中で培われた個々の顧客の商品に対する要望等」という顧客情報についても、原告から納品を受けた取引先は、原告から特段の情報管理を要請されていたわけではなく、これを利用したカタログを作成して広く頒布していた(甲7)ものであるから、原告の主張する前記顧客情報は、一般に公開されているということができる。 以上のような点に照らすと、原告の主張する「顧客名」及び「継続的取引の中で培われた個々の顧客の商品に対する要望等」という顧客情報は、いずれも秘密管理性があるとはいえず、不正競争防止法2条4項にいう「営業秘密」には該当しないというべきである。この点に関する原告の主張は採用することができない。 したがって、これを被告Aが不正に取得し、被告らが利用している(不正競争防止法2条1項4号)か否かについて判断するまでもなく、不正競争防止法3条1項に基づく差止請求は理由がない。 2 争点2(被告Aの忠実義務(商法254条の3)及び競業避止義務(商法264条1項)違反並びに被告らの過失(民法709条)) (1) 原告と競合する被告会社設立について 被告Aが原告の取締役の地位にあった時期について、原告は、一次的には解任時である3月30日までと主張する。しかし、取締役と会社との間の関係は委任に関する規定に従うものであり、委任契約においては、各当事者はいつでもこれを解除することができる(商法254条3項、民法651条1項)ところ、本件において、被告Aによる取締役辞任の意思表示には、同被告自ら設定した期限以外に、特段の制限が付されているわけではないから、被告Aは、2月26日をもって原告の取締役の地位を失ったというべきである。原告の前記主張は採用することができない。 次に、原告は、被告Aの原告取締役の地位にあった時期が前記辞任時までとしても、欠員を補充する新たな取締役が選任される時まで被告Aは取締役としての義務を負担する旨を主張する。確かに、2月26日当時における原告の取締役数は、被告Aを含めても3人であり(甲1)、被告Aの辞任により法定員数(商法255条)を欠くことになるから、辞任した取締役は、新たに選任された取締役が就職するまで、なお取締役としての義務を負担することになる(商法258条1項)。しかし、その結果、退任取締役としては、後任の取締役が新たに選任されるまで、個人として本来有する経済活動の自由(営業の自由)が制限されることになるのであるから、会社としても、そのような状態が発生することをそもそも防止すべきであり、仮にそのような状態が発生した場合には、速やかにこれを解消すべき義務を負担しているというべきである(取締役の法定員数を欠くに至ったにもかかわらず、その選任手続を懈怠した場合に過料の制裁を受けることにつき、商法498条1項18号参照)。したがって、会社が、後任の取締役の選任を自ら懈怠することにより、退任取締役の個人として本来有する経済活動の自由(営業の自由)を制限しておきながら、商法258条1項を根拠に、退任取締役に対し、忠実義務違反や競業避止義務違反を主張することは、信義則に反し、許されないというべきである。 これを本件についてみると、前記基本的事実に証拠(後掲各書証のほか、甲18、19、乙8〜14、原告代表者、被告代表者兼被告A)を総合すれば、次の事実が認められる。 ア 原告における2月当時の役員構成は、被告Aを取締役とするほか、代表取締役にはB(なお、同人は平成13年5月に死亡した。)、平取締役には同人の妻(現代表取締役)、監査役にはその間の子(長女)が就任していた。原告の資本の額は金1000万円であり、その発行済株式総数200株全部を一人の株主が保有する(甲1、6)、いわゆる一人会社であった。 イ 被告Aは、昭和59年1月に営業課長として原告に入社し、平成元年に次長、平成6年には営業部長の地位に就任し、東京営業所も監督することになった後は統括営業部長と呼ばれるようになった。被告Aは、原告の資金繰りを担当するなど、日常的な業務については決して小さくない役割を果たしていたが、原告の経営方針や従業員人事等の重要事項については、原告代表取締役のB又はその家族間で決定されており、被告Aは、原告取締役に就任した後も、会社の基本的な意思決定に関与したことはなく、その決算報告書を閲覧することすらなかった。もっとも、被告Aとしては、Bに対し、リスクの大きいプロジェクトの実施や問題のある従業員人事には反対の意見を述べることもあったが、Bからは、社内融和ができないなどとして、被告A自身が退職勧告を受ける結果に終わったこともあった。 原告の業績は、後記(2)認定のとおり、次第に悪化するようになり、平成11年1月以降は、被告Aを含む原告役員全員に対する報酬の一部カットも行われるようになった(甲17、21)。さらに、原告において、平成12年3月、被告Aの反対があったにもかかわらず、Bの二男の発案に係る新規プロジェクトを実行したところ、同プロジェクトは失敗に終わり、その投資資金(4000万円)を無駄にすることともなった。このようなことが重なったため、被告Aとしては、自己の処遇に対する不満のみならず、原告の倒産の危険性を次第に強く感じるようになっていった。そして、被告Aは、1月末に開催された幹部会において、Bから、翌月分の給料の支払に当てる資金繰りの目途が立たない旨を告げられるに至り、原告の倒産の危険が現実化するものと考え、この時点で、原告を退社することを決意した。 ウ 被告Aは、当初、他社への就職活動を行うなどしていたが、その再就職が極めて困難であったため、次第に新会社の設立を考えるようになり、2月17日に96万円、同月19日に100万円を自己の普通預金口座から引き出す(乙22)などして、被告会社の設立に向けて準備を開始するようになった。被告Aが原告に取締役の辞任届(甲3)を提出したのは、2月19日のことであったが、同届出には同月26日をもって取締役を辞任する旨が明記されていた。ただし、被告会社が実際に設立されたのは、同猶予期間を経過した3月1日(甲2)のことであり、同社設立の案内が外部に配布されるようになったのも3月に入った後のことであった(甲10。被告会社の営業開始日は3月21日と予定されていた。)。なお、被告会社の取締役に就任した本件原告社員の一人(e)が、原告に退職届を提出したのは、他の本件原告社員(2月20日〜同月22日)とは異なり、3月2日のことであった(甲11の1)。 エ 被告Aは、原告の取締役辞任後である2月27日の時点において、自己の取締役退任登記手続が行われていなかったことから、3月1日到達の内容証明郵便(乙15)をもって、原告に対し、同社取締役の退任届を提出したことを指摘した上、その退任登記手続を速やかに行うことを要求した。また、被告Aは、従業員としての退職届(甲4。退職予定日は同月31日と記載されていた。)の提出後である3月16日、当初の退職予定日を3月20日に変更する旨を原告に通知した(甲5)こともあったが、その際、3月末までの残務処理については、その退職後も、原告に出社の上、責任をもって対応する、その他の引継に関しても、必要があればいつでも原告に赴く旨を申し出ていた。実際上も、原告において被告Aの後任者が配置されなかったこともあって、被告Aは、3月末まで原告の売上集計等の事務を処理せざるを得なかった。 オ これに対し、原告は、被告Aの要求していた取締役退任登記手続を行うことはせず、@忠実義務違反及び競業避止義務違反を理由とする被告Aの取締役解任の件とA欠員取締役選任の件を議案として、3月30日、同社の臨時株主総会を開催することとした。一人会社である原告の同株主総会における出席株主はもとより一人であったから、前記@の議案は直ちに可決され、Aの議案も、新たな取締役の就任予定者がBの二男(平成8年には既に原告に入社していた。)であったため、同人が直ちに選任されるに至った。同株主総会の審議に要した時間は、わずか15分であった(甲6)。原告が被告Aの取締役解任登記手続及び後任の取締役就任登記手続を行ったのは、いずれも4月25日のことであった(甲1)。これに対し、その後、Bの長男が原告の取締役に選任されたことがあったが、その登記手続は、就任翌日には履践されていた(甲1)。 前記認定事実によれば、一人会社である原告においては、その一人の株主が出席すれば、それで株主総会は成立し、招集手続を要せず(最高裁昭和46年6月24日第一小法廷判決・民集25巻4号596頁参照)、実際に選任された後任の取締役というのも、原告従業員であり、かつ、Bの子というのであって、同選任手続の履践に特段の障害や困難があったとは窺われないのであるから、原告が、新たな取締役を選任しようとすれば、数日のうちに行うことも、可能かつ容易であったと考えられる。そうだとすれば、かつて退職勧告まで行ったことのある被告Aから取締役辞任届を受領した原告としては、遅くとも同届出に記載された期限(2月26日)までに後任の取締役を選任すべきであったというべきである。ところが、原告は、これを怠り、2月27日には、被告Aから、わざわざ書留内容証明郵便による同被告の取締役退任登記手続の早期履践を強く要求されながら、この要求も放置し、後任の取締役選任を懈怠し続けていながら、被告Aが原告と競合する被告会社を設立し、同社に本件原告社員が入社して営業を開始するようになったことから、被告Aの取締役辞任届に記載された期限から既に1か月以上も経過した後に、突然、臨時株主総会を開催し、前記辞任届出を無視するかのように、忠実義務違反のみならず、競業避止義務違反をも理由とする被告Aの取締役解任を議案として提出し、これを可決した(なお、Bの長男の取締役就任登記手続に比し、前記解任登記手続のみをことさら遅らせることにより、被告Aに対する取締役の責任追及の危険性を速やかに解消することもしなかった。)ものである。前記認定事実によれば、原告が、後任の取締役の選任を自ら懈怠することにより、退任取締役である被告Aの個人として本来有する経済活動の自由(営業の自由)を制限しておきながら、商法258条1項を根拠に、被告Aに対し、取締役の忠実義務違反や競業避止義務違反を主張することは、信義則に反し、許されないというべきである。 したがって、原告としては、2月26日までの間における被告Aの忠実義務違反及び競業避止義務違反を主張し得るにとどまるところ、前記認定事実によれば、上記時点までに被告会社が「会社ノ営業ノ部類ニ属スル取引」(商法264条1項)を行っていたとは認めるに足りず、競合する会社の設立準備行為がこれに当たるということもできないから、競業避止義務違反に関する原告の主張は採用することができない。もっとも、被告Aが、2月中旬ころから、新会社設立に向けて何らかの準備を行っていたことは窺われ、その予定する同社の目的も、職を失うことになる被告Aが、生計を維持するために、自らのこれまでの経験を生かそうと考えることは自然であるから、原告と競合する会社を当初から予定していたことは容易に推認することができる。しかし、実際に設立された被告会社は、発行済株式総数を200株、資本の額を1000万円とし、株式の譲渡制限もあるという小規模な閉鎖的株式会社であって、その設立に要する準備期間というのも、さほど長期ではないと考えられる。新会社設立に要したと思われる資金の移動の観点からこれを検討しても、2月中旬以前には、その痕跡は全く窺われない(乙22)。確かに、前記認定事実によれば、被告会社の設立登記それ自体は、被告Aの取締役辞任日に比較的接着して行われているとはいえ、その営業開始日は、人材の確保に合わせて、更に20日間ほど遅れることが当初から予定されており、被告A自身も、被告会社設立時である3月1日の時点においても、原告従業員としての残務処理のため、同月末日までは原告で従事する必要があることを認識しており、その後の退職日の変更も、被告会社の営業開始予定日の前日である3月20日に遡及させるにとどまり、同月末までの残務処理を行う意向であったことは依然として変わらなかったものであり、取締役辞任後における被告Aの原告従業員としての実際の事務処理状況と対比しても、被告会社は、その設立後に直ちに稼働できるほどの人的物的な準備が整っていなかったと推認される。加えて、この点に関する原告の主張立証が何ら具体的なものではないことにも鑑みると、2月26日までに限定する限り、被告会社の設立準備は、さほど進行していなかったとみるのが相当であり、同日までの間に、被告Aにおいて、取締役の忠実義務違反を基礎づけるほどの行為がなされたと推認するには足りない。したがって、忠実義務違反に関する原告の主張も採用することができない。 (2) 本件原告社員の被告会社への引き抜きについて 原告は、被告Aが、本件原告社員に対し、「自分が会社を立ち上げるので、参画してほしい。」などと告げて、これらの者を被告会社へ引き抜いたと主張するが、これを認めるに足りる証拠はなく、かえって、証拠(後掲各書証のほか、甲18、19、乙8〜14、証人e、被告代表者兼被告A)によれば、次の事実が認められる。 ア 原告は、その設立当初からしばらくの間は、新型のコンピュータを導入するなどして、一定の売上高を確保していたものの、その業績自体が悪化したり、関連会社(甲15、16)の運転資金の不足を補う等の措置を講じたりした(甲17、21)こともあって、原告の経営状態は次第に悪くなり、従業員の賞与の原資にすら不足を来すようなこともあった(甲17の18頁)。原告の従業員としては、残業が極めて多い(甲17の22頁)にもかかわらず、給与、賞与、手当等の面で冷遇されている(乙20)として、原告の処遇に不満を抱く者も少なくなかった。 イ 原告の経常利益は、平成9年度及び同10年度が約31万円、平成11年度も約45万円程度にとどまっていた(甲14)。特に、平成10年ころには、原告が消費税を滞納し、再三の督促にもかかわらず、これを納入しなかったため、取引先に対する売掛債権の差押えを受けたこともあった。そのころから、原告の従業員の中には、原告の将来に対する不安や、原告の経営方針に不満を募らせていく者もあり、実際上も、給与等又は長時間労働に対する不満を理由に退職する者が出るようになった。他方、原告自身も、平成10年以降、リストラを理由に原告従業員を解雇するようになった(甲21、乙7)。 ウ 前記(1)認定のとおり、1月末の時点で、給与不払の可能性を知らされ、原告を退社することを決意した被告Aは、給与不払の可能性の事実を自分だけに秘匿しておくことは相当でないと考え、原告の従業員にも同事実を告げた。また、被告Aは、平成13年2月中旬ころ、被告会社設立の話を原告の従業員に告げたこともあった。しかし、本件原告社員のほかに、原告を退職していった従業員もいたが、退職した原告従業員が、すべて被告会社に再就職したというわけではなかった(甲17の13頁)。なお、2月分の給与は実際には支払われたが、原告において、これまでわずかながらも経常利益を出していたことから一転して、平成12年度(平成12年5月1日〜同13年4月30日)には、約5000万円もの経常損失を生じるほど経営状態が悪化していた(甲13)。 前記認定事実によれば、原告の従業員としては、原告の将来に対する不安や、自己の処遇に対する不満を次第に募らせていた中で、給与の不払の可能性を知らされ、原告倒産の現実的な可能性まで認識したことにより、自らの意思により、原告を退職することを決意したものと推認される。確かに、退職した原告従業員のうち、被告会社に再就職した本件原告社員については、同社への再就職の期待が原告を退職する動機付けの一つになったことは否定し難い。しかし、オペレーターという専門職としての他社への再就職が一層困難な状況下で、生活の糧を得るために、本件原告社員がこれまでの職務経験を生かし得る途を選ぶことは自然の成り行きであるばかりか、この点に関する被告Aの原告従業員に対する言動も、前記認定程度にとどまり、その際、被告Aが原告を退職して被告会社へ就職することを勧誘するような発言があったとしても、被告会社に再就職しないまま原告を退職した者も存在することに照らすと、被告Aの言動を不当な退職勧奨であり、違法であるとまでは評価することはできない。したがって、原告の従来の取引先が原告に代わって被告会社と取引を開始するようになった後、原告の売上が更に悪化し、解散するに至った(甲12、甲14(平成13年5月1日〜同年8月31日)、原告代表者)としても、それは自由競争の結果にすぎないから、この点に関する原告の前記主張は採用することができない。 なお、原告は、被告Aが、原告の取引先に対し、被告会社の構成員が本件原告社員から成る点を強調した営業活動を行っている点も問題視するかのようでもあり、確かに、被告会社の設立案内上、被告会社の製作スタッフはすべて従来メンバーを引き継いだ旨の記載は認められる(甲10)。しかし、一般に、会社がその従業員の過去の職歴や経験を自社の利点としてアピールすること自体は何ら違法でないばかりか、証拠(甲10)上、認定し得る被告Aの営業活動の始期は、原告が同被告に忠実義務違反又は競業避止義務違反を主張し得る終期(2月26日)よりも後であるから、この点に関する原告の主張も採用することができない。 (3) 被告らによる営業誹謗行為(不法行為)について 原告は、被告Aが、@原告取締役の地位にあった時から、同社の顧客であるナショナル住宅産業株式会社担当者等に対し、「原告を退職して独立する、独立時には原告の画像処理事業部の社員も一緒に退職するから、原告は仕事ができなくなる。」等を吹聴して、被告会社に仕事を依頼するように画策した(商法254条の3、264条1項違反)、A原告の退職後も、原告の取引先に対し、「原告は、従業員に給与も払えず、画像処理事業部もすべて引き抜いたから、仕事もできない。」等と吹聴した(民法709条)と主張し、証拠(甲17、甲21、原告代表者)中、これに沿うかのような部分もないわけではない。 しかし、前記各証拠は、その内容が極めて抽象的であったり(甲21)、その依拠するところが単なる伝聞にすぎず(甲17の28〜29頁、原告代表者27〜28頁)、その信用性は低いといわざるを得ない。そして、被告Aは、基本的にはこれを一貫して否定するほか、同被告のわずかに自認するところによっても、被告会社設立の経緯の一環として、原告における給与遅配や一部カットの客観的事実を説明したことがあるというにすぎず(甲18の24頁。なお、同事実のみをもって、被告らによる営業誹謗行為又は不法行為があったというには足りない。)、この事実をもって原告の前記主張事実を推認するに足りず、被告会社の設立案内の記載(甲10)から、これを推認するにも足りない。 したがって、この点に関する原告の主張は、その前提を欠くから、いずれも採用することができない。 第4 結論 以上によれば、原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がない。 大阪地方裁判所第21民事部 裁判長裁判官 小松一雄 裁判官 中平健 裁判官 田中秀幸 営業目録 コンピュータによる画像処理を行う次の営業行為 1 平面図面や立体図面から立体映像を作成する。 2 立体映像に他の映像を加えてイメージ映像を作成する。 3 立体映像の色彩、模様等を変えていろいろなイメージ画像を作成する。 4 以上のような画像処理を行ったものをカラーポジフィルム及びデータとして生産し、譲渡し、貸し渡し、又はその譲渡若しくは貸渡しの申出をする。 ただし、営業業種としては、建築デザイン、衣料デザイン、各種広告等に対して使用するものである。 |
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