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【事件名】歯科教科書の無断改変事件(2)
【年月日】平成14年7月16日
 東京高裁 平成14年(ネ)第1254号 謝罪広告等請求控訴事件
 (原審・横浜地裁平成11年(ワ)第2997号)
 (平成14年5月21日 口頭弁論終結)

判決
控訴人 A
控訴人 B
両名訴訟代理人弁護士 中山吉弘
同 中山徹
同 柿沼太一
被控訴人 C
訴訟代理人弁護士 黒田和夫
同 黒田陽子
同 小倉孝之
同 高田涼聖
同 服部伸二郎
同 濱田慶信


主文
1 本件控訴をいずれも棄却する。
2 当審における訴訟費用は、控訴人らの負担とする。

事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人ら
(1) 原判決のうち、控訴人ら敗訴の部分を取り消す。
(2) 上記部分に係る被控訴人の請求をいずれも棄却する。
(3) 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人の負担とする。
2 被控訴人
 主文と同旨
第2 事案の概要
 本件は、小児歯科学の教科書的書籍のうち被控訴人が執筆した部分が、控訴人らによって、被控訴人に無断で、その内容が一部変更された上、執筆者名も控訴人らと表示されて出版されたとして、被控訴人が、その執筆部分についての著作者人格権(氏名表示権、同一性保持権、名誉又は声望)を侵害されたことを理由として、控訴人らに対し、民法710条に基づき、上記著作者人格権の侵害による慰謝料500万円及び遅延損害金の支払をすることを、著作権法115条に基づき、謝罪広告をすることを、それぞれ請求をした事案である。原審が上記各著作者人格権の侵害を認め、慰謝料150万円とその遅延損害金の範囲でその請求を認容したのに対し、控訴人らが、原判決の取消し等を求めて控訴しているものである。
 当事者の主張は、次のとおり付加するほか、原判決の「事実及び理由」の「第2 事案の概要等」欄記載のとおりであるから、これを引用する(以下、「本歯大」、「本教室」、「D」、「E」、「F」、「G」、「H」、「本書店」、「甲1書籍」、「甲1部分」、「甲1記述」、「甲1写真等」、「甲2書籍」、「甲2部分」、「甲2記述」、「甲2写真等」、「執筆要綱」、「執筆留意点」の語を、原判決の用法に従って用いる。)。
1 控訴人らの当審における主張の要点
(1) 教科書的書籍の改訂作業についての原著作者の包括的許諾ないし事実たる慣習の存在
 大学の研究室である本教室においては、主任教授は、甲1書籍のような教科書的書籍について、出版社から改訂作業を依頼された場合、改訂前の原著作の執筆者が教室に在籍していないときには、その異動先まで連絡して改訂作業を依頼したり、改訂についての承諾を求めたりすることはせずに、他の者に改訂作業を割り振るのが通例である。それは、他へ異動した者は、一般に、教科書的書籍中のその者が著作した部分の改訂については、主任教授に対し、あらかじめ黙示の承諾を与えているか、あるいは、主任教授に対し改訂をすることを許諾する、との事実たる慣習があるか、いずれかであるからである。したがって、本教室の主任教授である控訴人Aが、既に本教室に在籍しなくなっていた被控訴人に、甲1記述の改訂作業を依頼することも、改訂についての承諾を求めることもしなかったとしても、そのことは何ら違法ではない。
(2) 主任教授による執筆者表示指定の慣習
 大学の研究室においては、教科書的書籍の著作については、実際の執筆者を逐一執筆者として表示することはなく、だれを執筆者として表示するかについては、主任教授がこれを決定する、との事実たる慣習がある。したがって、控訴人Aらが甲2部分の執筆者として被控訴人を指定しなかったことに、違法性はない。
(3) 写真の共同利用の慣習
 本教室を含む本歯大の教室内で、同大学所有のカメラ及びフィルム等を使用して撮影される写真については、原著論文や症例報告等に利用される、学術的価値が高い写真の場合は別として、教室でネガが共同保管され、当該教室の教室員が自由にこれを利用することができる。これは、撮影者が当該教室の教室員に対し包括的に黙示的にその写真の利用を許諾しているか、あるいは、写真については、当該教室の教室員が共同利用することができるとの事実たる慣習があるか、のいずれかのためである。
(4) 執筆者表示行為と本書店の責任
 控訴人らは、甲1部分について、改訂作業を行い、その原稿を本書店に対して送付しただけである。甲2書籍において、控訴人らを執筆者として表示したのは、控訴人らではなく、本書店であるから、著作者人格権侵害について控訴人らに責任はない。
 控訴人らは、本書店から依頼されて、甲1部分について改訂作業をしただけであるから、この改訂作業について被控訴人から承諾を得る義務を負担することはない。本書店は、甲1書籍を発行した出版社であり、甲1部分の内容を知っていたのであるから、その改訂作業について、著作権や著作者人格権の侵害といった事態が生じるのを回避するために、甲1部分の著作者の承諾を得るべき義務があったのに、これを怠ったのである。
(5) 故意・過失について
 平成4年当時、本教室の主任教授であったDと助教授であった控訴人Aの両名に対し、甲1書籍の執筆依頼がなされた。Dと控訴人Aは、それを受けて執筆当事者の割り振りについて協議をし、同控訴人は、自ら、甲1部分のE及びG執筆部分の内容についてのチェック(確認作業)もした。控訴人Aは、このことから、甲1部分は、本教室の共有物であると考えていた。
 控訴人Aは、このような状況の下で、軽い気持ちで、控訴人Bとともに、甲1部分の改訂作業を行ったのである。したがって、同控訴人には、著作者人格権侵害について、故意も過失もない。なお、控訴人らが、本書店に対し、加筆訂正した甲1部分の形式ではなく、フロッピーディスクの形式で甲2部分の原稿を送ったのは、甲1部分に加筆訂正したものであることを隠蔽するためではなく、単に、手書きのままでは読みづらく誤りが生じやすいことから、これを避けるためである。
(6) 慰謝料の額
 原判決は、慰謝料の額として150万円という異例の高額を認定した。しかし、原判決が認定した事実は、いずれもその根拠とはなり得ない。また、甲2部分において、平成4年当時の情報を平成11年当時における最新情報として記述している部分があるとしても、甲2書籍においては、甲2部分の執筆者として被控訴人の名前は表示されていないのであるから、上記の誤りによって、被控訴人の社会的評価が低下することはない。
2 被控訴人の当審における反論の要点
(1) 教科書的書籍の改訂作業についての原著作者の包括的許諾ないし事実たる慣習について
 甲1部分の執筆を被控訴人に依頼したのはD教授であり、控訴人Aは全く依頼していない。したがって、同控訴人が甲1部分の著作者である被控訴人の承諾を得ずにその改訂作業をなし得るなどということは、あり得ない。他の大学においても、このような場合には、前任の執筆者の承諾を取るなり、前任の執筆者との共著とするなりするのが通例であり、控訴人らが主張するような慣行は存在しない。また、被控訴人は、平成10年から湘南短期大学に出向しているものの、同大学は、本歯大と同じ敷地内にあり、内線電話によっても結ばれているのであるから、改訂作業を被控訴人に依頼することは何ら困難なことではなかったのである。
(2) 主任教授による執筆者表示の指定の慣習について
 本教室においては、主任教授が、各教室員が著作した著作物について、その裁量により、執筆者の表示を指定する、というような慣習はない。
(3) 写真の共同利用の慣習について
 甲1写真は、甲1部分作成のために、被控訴人自らが撮影したものである。現像等の費用も、本教室の負担ではなく、被控訴人個人が負担している。ネガも被控訴人が保有している。したがって、甲1写真は、本教室共有の写真ではない。
(4) 本書店の責任について
 本書店は、控訴人らも含めて、甲2書籍の執筆者に対しては、事前に執筆要綱及び執筆留意点を送付し、あらかじめ、「引用、転載」について細かい注意を与えている。仮に、本書店にも、本件の著作者人格権侵害について責任の一端があるとしても、そのことは、控訴人らの責任を否定する根拠となるものではない。控訴人らは、本書店が「引用、転載」について指定した方法に従わずに、甲2部分の原稿を作成し、これを送付したのであるから、被控訴人が甲1部分について有する著作者人格権を侵害したことについて、控訴人らにも責任があることは、明らかである。
(5) 故意・過失について
 控訴人らは、甲1部分の一部が被控訴人の著作物であることを認識しながら、被控訴人に無断でその改訂行為をし、執筆者として控訴人2名を表示させて、被控訴人の著作者人格権を侵害したのであるから、控訴人らの行為は、故意に基づくものである。
 本書店の執筆要綱によれば、新設項目であればフロッピーディスクを使用するという方法を、改訂項目であれば「過日お渡し済みの既刊本に記入」という方法を、それぞれ選択することが求められている。控訴人らは、この執筆要綱に反して、改訂項目(原稿)をフロッピーディスクで送付するという例外的な入稿方法を取ったまま、本書店に対し何らの連絡もしなかったのである。この点からは、むしろ、控訴人らが、本書店に対しても、著作者人格権侵害行為を隠蔽しようとしたことがうかがわれる、というべきである。
 控訴人らが前記1(5)で主張する事実は、いずれも証拠がなく、控訴人らが、甲1部分を本教室の共有物と考えていたとする主張は、その根拠を欠くものである。
(6) 慰謝料の額について
 甲2書籍に被控訴人の名前が執筆者として表示されていなくとも、甲2書籍の一部が社会的にみて被控訴人の著作物として認識される可能性があれば、甲2書籍中の甲2部分に存在する、最新情報についての不正確な内容の記載は、一般に被控訴人の社会的評価を低下させるものということができる。
第3 当裁判所の判断
 当裁判所は、控訴人らの主張はいずれも理由がなく、被控訴人の請求は、氏名表示権及び同一性保持権侵害の限度で理由があり、その損害としての慰謝料の額は、原判決が認容した額である150万円と認めるのが相当である、と判断する。その理由は、以下のとおり付加、訂正するほか、原判決の「第3 当裁判所の判断」のうち、原判決33頁19行から35頁12行までの部分、及び、46頁13行から49頁10行までの部分を除いて、これを引用する。
1 甲1記述の執筆者、甲1写真等の撮影者及び甲1部分への控訴人らの関与の有無について
(1) 甲1記述の執筆者及び控訴人らの関与の有無について(甲12、甲25、甲29、甲31、甲33、調査嘱託の結果〔本書店取締役桂川啓子の回答〕、原告本人尋問7頁ないし20頁)
 本書店は、平成4年6月ころ、教授であり本教室の代表者であるDに対し、写真を中心にした学生向けの小児歯科の教科書を刊行するとして、甲1書籍の3章「小児の齲蝕」の執筆を依頼した。Dは、被控訴人と執筆項目の分担について相談し、次のとおり執筆分担を決定し、各分担者が実際に各担当部分を執筆した。
 題目・細目……………………………………(実際に執筆を行った者)
 1.小児齲蝕の診断…………………………(被控訴人)
 2.乳歯齲蝕に対する歯冠修復処置
  1)コンポジットレジン修復……………(E)
  2)グラスアイオノマーセメント修復…(被控訴人とF)
  3)コンポジットレジン冠………………(被控訴人とF)
  4)アマルガム修復………………………(E)
  5)インレー修復…………………………(被控訴人)
  6)既製金属冠修復………………………(被控訴人)
 3.幼若永久歯齲蝕に対する歯冠修復処置…(G)
 控訴人Bは、平成4年6月末日で本歯大を退職し、福岡歯科大学小児歯科に講師として勤務する予定であったため、甲1書籍の執筆には関与しなかった。また、控訴人Aは、当時助教授ではあったものの、Dとの関係が疎遠であり、学生に対する授業の担当からも外されている状況であったため、甲1書籍の執筆分担の決定の段階から関与させてもらえず、甲1部分の執筆には全く関与していない。
(2) 甲1写真等の撮影者について(本項全体について、甲14、甲31、原告本人尋問21頁ないし26頁、69頁ないし70頁、被告B本人尋問1頁)
 被控訴人とDは、相談の上、甲1書籍に掲載する症例写真については、新規に撮影したものを使用することにした。
 被控訴人は、F及びHが当時担当していた患者の症例写真を撮影することとし、平成4年6月から8月にかけて、F、H、患者及び患者の保護者の承諾を得て、FやHが治療しているところを撮影した。Hは、Fの患者の撮影の際に立ち会い、ライトをつける、患者の位置を動かすなどの補助もした。したがって、甲1写真は、被控訴人の撮影に係るものである。
 控訴人らは、本歯大の教室内で、同大学所有のカメラ及びフィルム等を使用して撮影される写真については、原著論文や症例報告等に利用される、学術的価値が高い写真の場合は別として、当該教室でネガが共同保管され、当該教室の教室員が自由にこれを利用することができる、これは、撮影者が、当該教室の教室員に対し、包括的に黙示にその写真の利用を許諾しているか、あるいは、写真については、当該教室の教室員が共同利用することができるとの事実たる慣習があるか、のいずれかのためである、と主張する。
 しかし、本教室内で共同利用されている写真の場合は、そのネガは、症例ごとあるいは患者ごとに分類されて、本教室内で保管されていたものであるのに対し、甲1写真等のネガについては、被控訴人が甲1部分に使用する目的で新規に撮影したものであるため、現像の費用も個人で負担し、甲1書籍出版のために、本書店に送付したネガ以外のネガは、被控訴人個人でこれを保管していたものである。
 したがって、本歯大において、教室の費用で現像等をして、当該教室でそのネガが共同保管されている写真については、写真の撮影をした者が、当該教室に所属する者の利用について、包括的に許諾していたということ、あるいは、当該教室に所属する者が共同利用することができるという事実たる慣習が存在することがあり得るとしても、甲1写真等の場合は、これらとは取り扱いを異にし、被控訴人が個人で費用も負担し、そのネガの保管もしていたのであるから、その写真の利用を教室員に対し包括的に許諾していたものとも、これが上記事実たる慣習の対象となるとも認めることはできない。控訴人らの上記主張は、少なくとも甲1写真等については、理由がないことが明らかである。
2 甲2部分執筆と甲2書籍出版の経緯について(本項全体について、甲4、甲17、甲23の1・2、甲50、甲54、乙22、被告A本人尋問20頁ないし24頁、被告B本人尋問2頁ないし3頁、8頁ないし11頁、28頁)
(1) 本書店は、甲1書籍が出版されてから6年近く経って内容的に古くなったところも出てきたことなどから、平成10年春ころ、新しい教科書的書籍を発行することとし、そのころ、D教授の後継教授であった控訴人Aに対し、甲2部分の執筆ないし甲1部分の改訂作業を依頼し、甲2書籍の執筆要綱及び執筆留意点を送付した。控訴人Aは、被控訴人の承諾を得ないまま、助教授であった控訴人Bに依頼して、甲1部分の改訂作業を行わせた。控訴人Bは、甲1部分に加筆訂正、一部削除等した改訂作業案を控訴人Aに提出し、控訴人Aがこれを最終的に加筆訂正した上で、秘書にワープロで浄書させ、その原稿をフロッピーディスクの形式で本書店に送付した。控訴人らは、その上で、甲2部分の執筆者を控訴人A及び控訴人Bとすべきことを本書店に対し指示した。
(2) 被控訴人は、平成10年当時、本歯大の講師ではあったが、湘南短期大学に出向していた。ただし、同大学は、本歯大と同じ敷地内にある大学であり、本歯大とは内線電話で結ばれていたため、控訴人Aが、甲1部分の改訂作業を被控訴人に依頼したり、その改訂について、了解を得るために、被控訴人に連絡したりすることは、何ら困難なことではなかった。それにもかかわらず、控訴人Aは、被控訴人に甲1部分の改訂について何の連絡もしなかった。
(3) 本書店が、控訴人Aに対し送付した執筆要綱には、@新設項目については、フロッピーディスクと打ち出し原稿とを提出する、A改訂項目については、既刊本に記入する、との入稿方法の指示があり、また、執筆留意点においては、他人の著作物からの引用、転載についての注意事項が記載されていた。本書店は、甲2部分の執筆ないし甲1部分の改訂作業については、本教室の代表者である控訴人Aに依頼していたことから、甲1部分の執筆者の承諾が必要な改訂作業においては、当然に甲1部分の執筆者の承諾を得ているものと理解していたため、甲1部分の執筆者の一人である被控訴人の承諾を得ないまま、甲2書籍を出版した。また、甲2部分の執筆者については、控訴人らの指示により、控訴人2名の氏名を表示した。
(4) 甲2書籍は、その題号が「小児歯科疾患の治療 診査・診断・処置」であって、甲1書籍の題号「エッセンシャルカラーアトラス 小児歯科疾患の診断と治療」とは異なり、その装丁も異なるのみならず、甲1書籍の改訂版であるとの表示も記載もなされていない。
(5) 上記事実から明らかなように、甲2書籍においては、甲1部分の一部につき加筆訂正、削除のなされたものである甲2部分が掲載され、その執筆者として控訴人2名が表示されている。甲1部分の一部を執筆した被控訴人の著作者人格権である氏名表示権及び同一性保持権が、これにより侵害されたことは明らかである(甲1部分の著作物性と、甲1部分と甲2部分との同一性についての詳細は、原判決22頁13行ないし29頁23行、35頁24行ないし43頁1行のとおりである。)。また、控訴人らは、甲1部分の一部が被控訴人によって記述されたものであることを知りながら、その部分につき、被控訴人に無断で、加筆訂正、削除等し、その原稿を本書店に送付した上で、甲2部分の執筆者を控訴人名とするように本書店に対して指示したものであるから、故意又は過失(重過失)により、被控訴人の著作者人格権である氏名表示権及び同一性保持権を侵害したことは、明らかなことというべきである。
3 控訴人らの反論について
(1) 教科書的書籍の改訂作業についての原著作者の包括的許諾ないし事実たる慣習について
 控訴人らは、大学の研究室である本教室においては、主任教授は、甲1書籍のような教科書的書籍について、出版社から改訂作業を依頼された場合、改訂前の原著作の執筆者が教室に在籍していないときには、その異動先まで連絡して改訂作業を依頼したり、改訂についての承諾を求めたりすることはせずに、他の者に改訂作業を割り振るのが通例である。それは、他へ異動した者は、一般に、教科書的書籍中のその者が著作した部分の改訂については、主任教授に対し、あらかじめ黙示の承諾を与えているか、あるいは、主任教授に対し改訂をすることを許諾する、との事実たる慣習があるか、いずれかであるからである、と主張する。しかし、控訴人らが主張するような黙示の許諾あるいは事実たる慣習があることを認めるに足りる証拠はない。そもそも、本件においては、甲1部分の一部の著作者である被控訴人は、平成10年当時、湘南短期大学に出向していたとはいえ、同短期大学は、本歯大と同じ敷地内にあり、本歯大とは内線電話で結ばれていたことは、上記認定のとおりであるから、控訴人Aが被控訴人に対し甲1部分の改訂作業を依頼したり、その改訂につき承諾を得たりすることについては、何の困難も不都合もなかったのである。
(2) 主任教授による執筆者表示の指定の慣習について
 控訴人らは、大学の研究室においては、教科書的書籍については、実際の執筆者を逐一執筆者として表示することはなく、だれを執筆者として表示するかについては、主任教授がこれを決定する、との事実たる慣習がある、と主張する。しかし、本件全証拠によっても、このような事実たる慣習を認めるに足りる証拠はない。控訴人らの主張は失当である。
(3) 執筆者表示行為と本書店の責任について
 控訴人らは、甲2書籍に、執筆者として控訴人らを表示したのは本書店である、と主張する。しかし、甲2書籍において、甲2部分の執筆者として、控訴人2名を表示するように指示したのは、上記認定のとおり、控訴人らである。実際に甲2書籍を印刷製本して発行したのが本書店であるとしても、控訴人らが、甲1部分を被控訴人に無断で改変し、その原稿を本書店に送付し、その執筆者の氏名を控訴人2名とするように指示したのであるから、控訴人2名は、本書店と共同して、被控訴人の著作者人格権(氏名表示権、同一性保持権)の侵害行為をなしたものというべきである。
 控訴人らは、被控訴人の承諾を得るべき義務は、本書店にあったと主張する。しかし、控訴人らにおいて被控訴人の著作物を無断で改変し、本書店がこれを出版した以上、被控訴人に対し著作者人格権侵害の責任を負うべきは、控訴人両名と本書店の双方であるというべきである。控訴人らと本書店のいずれが被控訴人の承認を得るべきであったかは、控訴人らと本書店の内部関係の問題にすぎず、この点を、被控訴人との関係において、その責任に何らかの消長をきたすべき問題とすることはできない(この内部関係の問題についても、本書店は、上記認定のとおり、控訴人Aに対し、甲2書籍の執筆要綱及び執筆留意点と題する文書を送付しており、その執筆留意点においては、他人の著作物からの引用、転載についての注意事項を記載しており、甲2部分の執筆ないし甲1部分の改訂作業については、本教室の代表者である控訴人Aに依頼していたことから、甲1部分の執筆者の承諾が必要な改訂作業においては、当然にその執筆者は控訴人Aの研究室の内部の人間であるから、その承諾を得ているものと理解していたとしてもおかしくはない。したがって、控訴人Aと本書店の関係においては、改訂作業をする場合に必要な原著作者の承認を控訴人Aの責任において得ることが、了解されていた、とみるのが自然である。)。
(4) 故意・過失について
 控訴人らは、控訴人Aは、自ら甲1部分のE及びG執筆部分の内容についてチェック(確認作業)をしたことなどから、甲1部分は、本教室の共有物であると考えていた、控訴人Aは、このような状況の下で、控訴人Bとともに、軽い気持ちで、甲1部分の改訂作業を行ったのであり、著作者人格権侵害について、故意も過失もない、と主張する。しかし、控訴人Aが甲1部分のE及びG執筆部分の内容についてチェックしたことを認めるに足りる証拠はない。逆に、控訴人Aは、平成4年当時、D教授と疎遠であったため、甲1書籍の執筆作業については、全く関与させてもらえず、甲1部分全体の内容をチェックしたのは被控訴人であったと認められることは、前記のとおりである。控訴人Aが甲1部分の一部についてでも、何らかの形でこれに参加したとの事実を認めることはできない。控訴人らの主張は、その前提において既に失当である。
 控訴人Aは、甲1部分が控訴人ら以外の者により著作されたことを知りながら、これを被控訴人を含む各執筆者に無断で改変し、その結果、作成された原稿を本書店に送付し、本書店に指示して甲2部分の執筆者を控訴人2名の名義としたものであるから、故意又は過失(重過失)により、被控訴人の著作者人格権を侵害したものという以外にない。また、控訴人Bが甲1部分の改変行為(改訂作業)を行ったのは、控訴人Aに指示されるままにしたことではあるものの(被告B本人尋問)、被控訴人に改訂版作成についての承諾の有無等を問い合わせることも可能であるのに、一切このようなことをせずに、甲2部分の作成に主体的に関与し、控訴人Aの意を受けて、本書店に対し、甲2部分の執筆者名義を控訴人2名とするように指示するなどしたものであるから、控訴人Aと同様に、故意又は過失(重過失)により、被控訴人の著作者人格権を侵害したものというべきである。
(5) 慰謝料の額について
 控訴人らは、慰謝料150万円というのは異例に高額である、と主張する。しかし、控訴人らは、上記のとおり、故意又は重過失により、被控訴人の著作者人格権である氏名表示権及び同一性保持権を侵害したものであること、甲1書籍のような教科書的な書籍は、研究者が学会等に発表する研究論文が持つほどの重要性はないとしても、一般的な知識、情報を、最新のものも含めて、学生に伝えるためのものであり、理解しやすく体系立てて記述されるべきものであり、その読者が学生等多数に及ぶために、被控訴人のような講師の立場にあるものが、教授と連名でその著者として表示されることは、名誉なことでもあること、その他、原判決が損害額算定に当たり認定した諸事情を考慮すれば、被控訴人が控訴人らの行為によって被った精神的損害を慰謝するのに、150万円との金額は、決して高すぎるものではないというべきである。なお、次に述べるように、控訴人らの上記の行為は、原判決がいうように被控訴人の名誉又は声望を害する著作物の利用行為とまでいうことはできないものの、このことは、原審が認定した慰謝料の金額が相当であると判断することの妨げとなるものではない。
4 著作者の名誉又は声望を害する利用行為の有無について
 被控訴人は、甲1部分において平成4年当時の最新情報として記載したことが、控訴人らによって、平成11年4月に出版された甲2書籍の甲2部分においても、そのまま掲載されており、このことは、被控訴人の社会的評価を低下させるものであり、甲1部分の一部の著作者である被控訴人の名誉又は声望を害する方法によりその著作物が利用されたものである、と主張し、原判決は、これを著作権法113条5項の「著作者の名誉又は声望を害する著作物の利用行為」に当たると認定した。しかし、当裁判所は、本件については、次に述べる理由により、控訴人らの上記行為は、同項の「著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為」には当たらない、と判断する。
 被控訴人は、平成4年出版の甲1書籍中の甲1部分を執筆するに当たり、甲1書籍が学生に向けた教科書であることから、最新の情報、材料、道具、治療法を紹介するように務めた。具体的には、@光重合型充填用グラスアイオノマーセメントについて、「20秒の可視光線照射によって硬化するため・・・白濁化の問題がほぼ解決され、特に、小児に用いやすい材料となりつつある・・・。」(甲1、53頁)、Aチタン乳歯冠について、平成4年当時、新しく開発され使用されつつある材料として「金属アレルギー・・・を避ける目的をもって、近ごろ新材料として出現したのがチタン乳歯冠である・・・」(甲1、64頁)と紹介している。(原告本人尋問51頁ないし53頁)
 そして、現に、アナトムチタン乳歯冠については、平成4年3月に金属アレルギーの心配のない素材として新たに発売され、同年4月にそのパンフレット及び臨床マニュアルが各歯科大学に配布された(乙23、24、29)。また、光硬化技術を世界で初めて導入した充填用のグラスアイオノマーであるフジアイオノマータイプULCが、平成4年3月に、株式会社ジーシーからシャープな光硬化により、感水による白濁や物性劣化という不安を解消したものとして新発売され、同年6月にそのパンフレットが各歯科大学に配布された(甲49、乙25、26、29)。当時のグラスアイオノマーセメントの化学重合型と光重合型の販売量の比率は3:1であったが、平成11年当時は1:5に逆転した。(甲49)
 これに対し、甲2部分においては、上記部分は、@光重合型充填用グラスアイオノマーセメントについて、「最近では、光重合型のグラスアイオノマーセメントが主流になりつつあり・・・」(甲2、61頁)、Aチタン乳歯冠について、「金属アレルギー・・・を避ける目的をもって、近ごろ新素材として市販されたのがチタン乳歯冠である・・・」(甲2、74頁)と記載されている。
 この両者の記載を比較すると、@光重合型充填用グラスアイオノマーセメントについては、甲1部分では「小児に用いやすい材料となりつつある」という程度の記載であったものが、甲2部分においては、「主流になりつつあり」との記載に変わっており、平成4年と平成11年の間の上記変化を考慮した記載となっている。もっとも、被控訴人は、平成11年においては、既に光重合型が主流となっているのであり、「主流となりつつある」との表現は誤りである、と主張しており、甲2部分の上記表現が被控訴人が満足することができる表現にはなっていなかったとは、認めることができる。
 しかし、著作権法113条5項に規定されている「著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為」とは、著作者の創作意図を外れた利用をされることによって、その著作物の価値を大きく損ねるような形で利用されることをいう、と解するのが相当である(本件に即していえば、教科書的書籍である甲1書籍を、全く別な目的で利用し、その著作物の価値を大きく損なうような場合が考えられる)。これに対し、上記のような著作物の利用行為は、甲2書籍を甲1書籍と同様に教科書的な書籍として利用しようとするものであり、しかも、甲1書籍の出版後6年近く経過したため、大学関係者による改訂作業により古くなった内容を改めたものが甲2書籍であるから、その改訂された甲2書籍の表現の一部に原著作者である被控訴人の意に添わない部分があったとしても、これは、上記規定が想定している場合には該当しないというべきである。これは、むしろ、被控訴人が、その著作部分について、無断で改訂版を出版され、その氏名表示権及び同一性保持権を害されたことによる損害の中の一事情として考慮されれば足りる範囲の事柄であって、これをもって、著作者の名誉又は声望を害する著作物の利用行為とすることまではできないというべきである。
 また、Aチタン乳歯冠については、「近ごろ新材料として出現したのがチタン乳歯冠である」あるいは「近ごろ新素材として市販されたのがチタン乳歯冠である」と両者が類似の表現となってはいるものの、このことも、本件の同一性保持権及び氏名表示権侵害行為による損害の一事情として考慮されれば足りる範囲の事柄であって、このような利用行為が、著作権法113条5項の規定に該当するものではないことは、上述したところから明らかである。
5 上述のとおり、控訴人らの主張はいずれも理由がない。被控訴人の主張は、著作者人格権(氏名表示権、同一性保持権)を侵害されたとの限度で理由があり、被控訴人がその名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用されたとまでは認めることはできないものの、著作者人格権侵害の態様について原判決が認定したところには何ら誤りはなく、原判決の誤りは、認定された態様について、法令の当てはめの一部にあるにすぎない。慰謝料の額については、本件全資料に照らし、原判決と同様に、150万円とするのを相当と認める。
 以上のとおりであるから、被控訴人の本訴請求をその一部において認容した原判決は、結論において相当であり、本件控訴は理由がない。そこで、本件控訴を棄却することとして、当審における訴訟費用の負担につき民事訴訟法67条、61条を適用して、主文のとおり判決する。

東京高等裁判所第6民事部
 裁判長裁判官 山下和明
 裁判官 設樂隆一
 裁判官 高瀬順久
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