判例全文 line
line
【事件名】『コルチャック先生』無断舞台化放映事件(2)
【年月日】平成14年6月19日
 大阪高裁 平成13年(ネ)第3226号 損害賠償等請求控訴事件
 (原審・大阪地裁平成11年(ワ)第5026号)
 (平成14年3月25日 口頭弁論終結)

判決
控訴人(第1審原告) A
訴訟代理人弁護士 井上二郎
被控訴人(第1審被告) 株式会社朝日新聞社
訴訟代理人弁護士 秋山幹男
被控訴人(第1審被告) 株式会社劇団ひまわり
訴訟代理人弁護士 山本繁樹
被控訴人(第1審被告) D
訴訟代理人弁護士 高木一彦
被控訴人(第1審被告) 日本放送協会
訴訟代理人弁護士 杉本幸孝
同 永野剛志
同 大西剛
同 梅田康宏


主文
1 本件控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由
第1 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人株式会社朝日新聞社(以下「被控訴人朝日新聞社」という。)、被控訴人株式会社劇団ひまわり(以下「被控訴人劇団ひまわり」という。)及び被控訴人D(以下「被控訴人D」という。)は、控訴人に対し、連帯して8000万円及びこれに対する平成9年8月31日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被控訴人朝日新聞社は、控訴人に対し、1000万円及びこれに対する平成8年11月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 被控訴人朝日新聞社は、控訴人に対し、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞及び産経新聞の各全国版朝刊社会面に、原判決添付別紙謝罪広告目録記載の謝罪広告を各1回掲載せよ。
5 被控訴人日本放送協会は、控訴人に対し、1000万円及びこれに対する平成8年3月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
 事案の概要は、原判決「事実及び理由」中の「第2 事案の概要」(2頁21行目から5頁23行目まで)のとおりであるから、これを引用する。
第3 争点に関する当事者の主張
 次に当審における当事者の主張を付加するほか、原判決「事実及び理由」中の「第3 争点に関する当事者の主張」(5頁25行目から18頁21行目まで)のとおりであるから、これを引用する。
(控訴人の主張)
1 争点(1)ア(97年公演は原告著作の翻案によるものか。)及び争点(3)ア(本件放送は控訴人の著作権を侵害するものか。)について
(1) 最高裁昭和55年3月28日判決民集34巻3号244頁で示された判断基準は、あくまでも著作者人格権としての同一性保持権の侵害の判断基準を示すものであり、それが間接的には著作(財産)権の制限規定としての引用の限界を示す機能を持つものであったとしても、これを著作(財産)権である翻案権の侵害の有無という極めて複雑な判断の基準として安易に援用することは基本的に誤りである。
 文学・文芸作品やノンフィクション作品が翻案されたかどうかの判断は、例えばコンピューターソフトやプログラムの著作権の侵害の有無の判断がいわば即物的なものであるのと質的に異なり、歴史認識や社会的事象に対する社会的・歴史的視点に立った価値判断による必要がある。
 まず、写真や文章表現の剽窃・複製の場合ならば、依拠性、「表現の本質的特徴」の類似性の判断は比較的容易であるが、本件のようにノンフィクション作品が戯曲化された場合、表現の意義が明らかにされない限り、基準としての機能を果たし得ない。戯曲化する場合に「表現」が変えられることは当然のことであり、表現の変更なくして戯曲化はそもそも不可能だからである。
 著作権法が保護対象とする「表現」には、外面的表現形式と内面的表現形式が含まれ、外面的表現形式を維持して再生するのが「複製」であり、外面的表現形式を変更して内面的表現形式を維持するのが「翻案」とする見解があるが、そこでいう「内面的表現形式」の内実が明らかにされないと、やはり基準としての機能を十分に果たし得ない。「内面的表現形式」とは、そこに顕現された原著作者の独創的な個性・思想・感情・着眼点・モチーフの表れと解され、これが著作権法の保護対象となると解すべきである。これを端的に言えば、筋、仕組み、ストーリーの主たる構成など原著作物における思想感情の流れを取り入れて、原著作物を感知させるような作品を作成する行為が「翻案」である。また、一般に、言語の著作物でその思想内容が原著作者の独創による文芸作品等については、その具体的な表現形式ばかりでなく、思想体系である基本的な筋(ストーリー)、仕組み、主たる構成等の思想内容自体も、著作者の個性が表れた創作的な表現形式やその特徴を形成するものとして著作権の保護対象となると解されている。本件に即してより端的にいえば、原告著作を読んだことのある者が本件舞台劇を見て、原告著作が原作であると分かれば、原告著作の翻案といえる。
 また、ドラマの場合、感得の直接性は、翻案性判断の基準になり得ないか、又は、極めてなり難い。舞台劇に原著作物と同じ言葉が使われていたり、同じ背景や風景が舞台にセットされていれば、まさに直接感得できるであろうが、ドラマは、必ずしも原著作物に忠実に作られず、原著作物のエッセンスを利用・そしゃくして活用し、主人公をより魅力的にするために、原著作物に味付けがなされ、視覚上も様々な工夫がなされるからである。
(2) また、著作権法が保護する著作物とは、「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である。原告著作は、コルチャックを我が国に紹介した最初の著作物であり、コルチャックの生涯やコルチャック像につき一般的な知見に属するありふれた事実を叙述するものでなく、事実若しくは事件など表現それ自体でないものや表現上の創作性のないものを叙述するものでもない。したがって、最高裁平成13年6月28日判決(江差追分事件)は、本件戯曲が原告著作の翻案であることを否定する根拠にはならない。
 また、同判決にいう「表現上の本質的な特徴の同一性」という場合の「表現」とは、そこに顕現された原著作者の独創的な個性・思想・感情・着眼点・モチーフの表れ、すなわち、原著作者の思想・感情などの内容と密接不可分の内面的形式を指すものと解すべきである。本件戯曲は、これら内面的形式においても、原告著作に依拠し、共通面が極めて多い。本件戯曲の個々のシーンに原告著作と異なる箇所があっても、本件戯曲自体、別の著作物の創作なのであるから、それをもって本件戯曲の翻案性を否定し得ない。
 さらに、どのように創作された著作であっても、多かれ少なかれ先人の業績や研究成果に負っており、通常その末尾に多くの「参考文献」が掲記される。しかし、先行著作が存在するからといって、当該著作物の創作性はいささかも減殺されるものでない。原告著作は、控訴人の書き手としての独自の視点、歴史観、思想等が顕現されている。リフトン、ペルツ及び日本公開に係るワイダ映画は、原告著作と同じ視点、歴史観等で書かれたものでない。
(3) 著作権法の保護の対象となる著作物とは、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう」(著作権法2条1項1号)。そこでいう「創作的」表現とは、思想の内容について独創性や新規性があることを必要とするものでなく、思想又は感情を表現する具体的形式に作成者の個性が現われていれば足りる。したがって、客観的な事実を素材とする表現であっても、取り上げる素材の選択、配列や具体的な用語の選択、言い回し、その他の文章表現に創作性が認められ、作成者の評価、批判等の思想、感情が表現されていれば著作物に該当する。
 原告著作は、まさに歴史的事実が中心となっている。しかし、歴史的事実の単なる羅列的描写と事実の取捨選択、事実に対する書き手の認識・価値判断・解釈、それをもとにした表現とは、著作権上その本質を異にする。後者においては、その表現は、書き手の思想の現れであり、書き手の主観的視点に基づく創作性に他ならず、まさに著作権上の保護対象である。したがって、既存の他の資料が存在することが原告著作の「著作物性」をいささかも失わせるものでないことはもちろん、それが本件舞台劇の翻案権侵害の判断に特段の影響を与えるものではない。原告著作は、先人の著作等に多くを依拠して創作されたものではなく、むしろ、控訴人自身の約10年にわたる長期間の直接の実地調査・体験の所産である。
(4) 原告著作は、冒頭部に、控訴人がコルチャックの生涯とその人物像並びにナチスとホロコーストを象徴的に現す地トレブレンカを自ら訪れ、そこで深い感動をもって得た心象風景を個性的な文章で表現している。この風景の描写は他のどの著作にも見られない。他方、被控訴人Dが書いた95年上演の準備稿のトレブレンカの風景が、この原告著作の翻案であることは、誰の目にも明らかである。本件舞台劇の演出家の太刀川、主演者加藤剛がトレブレンカを訪れたのは平成7年5月であって、被控訴人Dを初め、被控訴人ら側の誰も、この準備稿が書かれた同年2月までにトレブレンカを訪れていないのであり、現地を訪れずにトレブレンカを描写できるはずがない。
 このシーンでの翻案性判断の要素は、ホロコーストを文字どおり彷彿とさせるトレブレンカの荒寥たる風景の描写・表現であり、歴史的事実そのものでない。また、ドラマを象徴する地の現在の様子の描写から始めるのがドラマの一般的手法などという事実はない。
 被控訴人Dの脚本は、97年公演も、95年公演も、プロローグ・トレブリンカの心象風景からエピローグ・彼方への旅立ちに至るまでを、原告著作の「序 トレブリンカの森」から「X 死への行進」までの創作的表現形式の本質を翻案し、ト書、台詞を作成したものである。D脚本の各シーンには原告著作の基調をなす思想・感情が主流として描かれ、原告著作の本質的特徴が再現されている。本件舞台劇の各シーンの表現は、原告著作に描写された控訴人の主観的視点からの表現と同一又は類似するものが頻繁に見られ、本件舞台劇から原告著作の本質的特徴を十分感得できる。
(5) 原告著作の出典をなす資料、伝承は、個人的聞き書きなどから選択されたものが多数を占め、その解釈もコルチャックへの敬愛を込めた控訴人の主観に基づいており、他の文献と重なる歴史的事実も、控訴人の主観によって濾過されて叙述されているのであって、控訴人の想像力に支えられた表現は、単なる客観的歴史的事実の自然的描写と質的に異なる。原告著作中、原典の翻訳は、控訴人の主観的見地から行った、加除、要約、編述した超訳、創作訳であり、被控訴人Dの原典利用法は原告著作の翻案である。
(6) 被控訴人朝日新聞社が、原作者でない者を殊更に原作者と虚偽の表示、偽装をするとは到底考えられない。原作者と表示したから原作者になるわけでないことはもちろんであるが、被控訴人朝日新聞社は、控訴人を名実ともに原作者と認識していたからこそ、「原作A」と再三にわたり表示したのである。被控訴人朝日新聞社が控訴人の研究業績に敬意を表するためかかる表記をしたなどという主張をするようになったのは、本件で控訴人と交渉中の平成10年7月22日になってからのことであり、それまで何回かの交渉では原作者が控訴人であることが当然の前提となっていた。
2 争点(1)イ(被控訴人3名が97年公演を行うことを控訴人は許諾していたか。)について
 平成8年11月26日に朝日新聞に掲載されたケムニッツでの公演に係る本件記事が事実に反し、不正確なものであったので、著作者である控訴人は、それに抗議し、本件記事を訂正するように求めた。何よりも報道の正確性を旨とし、まして95年公演につき控訴人を終始原作者として扱い、それを自社の新聞などにおいて大々的に宣伝してきた被控訴人朝日新聞社としては、当然、本件記事を訂正するのが新聞の倫理であるばかりか、控訴人を終始原作者として遇してきた被控訴人朝日新聞社の控訴人に対する信義則上の義務である。しかるに、被控訴人朝日新聞社は、本件記事の訂正をせず、かくして無償契約(覚書)存立の基礎をなしていた当事者間の信頼関係は根底から覆された。そこで、控訴人は、本件覚書による契約を解除したものであり、この点に照らしても、覚書が失効していることは明らかである。
3 争点(2)ア(本件記事の掲載が、控訴人の名誉及び信用を侵害する違法性を有するか。)、イ(損害額)について
 本件記事は、客観的事実に反し、95年公演がF戯曲を上演したものとの認識を生じさせるから、控訴人の名誉・信用を毀損し、控訴人に損害を与えた。本件記事には、95年公演においてFが脚本原作者と表示されていたとの記載がない上、95年公演における脚本原作なる趣旨不明で無意味なクレジットを含む「脚本原作F」との表示の有無にかかわらず、「原作A」との表示は、あくまでも原作者がAだけであることを示し、他に原作者の表示はない。したがって、本件記事は内容に誤りがあった以上、95年公演が控訴人の原作であることを否定することとなる。控訴人の損害を否定する理由はない。
4 争点(3)イ(本件放送について控訴人は許諾していたか。)について
 控訴人は、黙示的にも控訴人の妻に対し許諾の権限を与えておらず、妻の言動によって控訴人の権利が失われる法的理由は見出し難く、放送許諾そのものを示す妻の言動もない。著作物の利用許諾とは、一定の範囲ないし方法で、その利用を認める意思表示をいい、一般に経済的収益をも伴うから、著作権者の有する権能のうち最も重要なものであって、許諾の際には、排他的許諾か否か、許諾の範囲、期間、著作権者に支払われる許諾料の額などの事項が約定されるのが常である。したがって、明確な証拠もないのに安易に黙示の承諾なるものを認めることは、知的所有権の保護に重大な関心が向けられている近時の動向にも反し、失当である。
(被控訴人3名の主張)
1 争点(1)ア(97年公演は原告著作の翻案によるものか。)について
(1) 本件訴訟で問題となっているのは、本件舞台劇が「原告著作」の翻案であるか否かである。そして、トレブリンカの風景に関する両者の共通点は、他の著作にも記載されている歴史的事実や客観的事実であり、本件舞台劇が原告著作の創作性ある表現上の本質的特徴を直接感得させるものでないことは明らかである。原告著作に描かれたコルチャックの生き方や人間像は、先行文献等にも見られるものであり、控訴人自身、原告著作がこれと異なる独自のものであることを示していない。
 ペルツ著作、マリア・ファルスカ著作、リフトン著作、ワイダ映画等のコルチャック関連作品においても、原告著作が取り上げ、紹介しているコルチャックのエピソードが紹介されているから、原告著作の記述に創作性はない。控訴人の「地の文」が単なる歴史的事実の記述であったり、原典を有し、他の著作でも紹介されている記述である場合には、その記述に創作性は認められない。したがって、被控訴人Dの台詞が、仮にその「地の文」を参考資料の一つとしていたとしても、翻案性は認められない。
(2) 被控訴人Dは、脚本を構想した当初から、少年アデクがトレブリンカ絶滅収容所の跡地に立ち、そこで殺された妹フリーダを思うシーンをプロローグとして設定していたのであるが、本件舞台劇及び95年公演のトレブリンカの場面は、コルチャックを演じる俳優加藤剛が上演時の時点でトレブリンカの地に立ち、トレブリンカ絶滅収容所跡地の情景を語るように変更された。これは、演出の太刀川や主演の加藤らが平成7年5月下旬から6月上旬にかけてポーランドに取材に赴き、トレブリンカ絶滅収容所跡地を訪問して感銘を深くし、「コルチャック先生」の演劇を現在の私たちの生活と時間的にどうつなぐかを考えた末に変更したものである。すなわち、「今」の時点でトレブリンカの跡地に立って「過去」を想起することにより、「過去は今にある」ことを示そうとしたものである。
 また、ドラマにおいて、そのドラマを象徴する地の現在の様子の描写から始めることは、多くのドラマに見られる一般的手法である。
(3) 「原作」として扱ったからといって、当然に「翻案」になるものではなく、また、著作権法上「翻案」とはいえないものであっても、原作として扱うことはあり得る。すなわち、必ずしも原作との表記、即翻案該当ではないのであるから、「原作A」の表記は虚偽の表示ではない。著作権法にいう翻案に該当しない場合でも、その著作を重要な参考文献としたような場合に、原作と表記することはあり得ることであり、商品の原産地の虚偽表示とは異なる。
 被控訴人朝日新聞社は、控訴人の著作「コルチャック先生」を出版していること、控訴人が95年公演の協力者であること、そして、コルチャック研究者としての控訴人に敬意を表するために、「原作A」として95年公演において、控訴人を原作者として扱っていたものであり、97年公演についても同様とする方針であった。ところが、本件記事が原因で控訴人が原告著作を絶版とし、コルチャック先生の演劇公演には一切かかわらないと言明したため、やむなく97年公演は「原作A」の表示をしなかったものである。
 被控訴人朝日新聞社は、控訴人から97年公演は翻案権の侵害であるとの指摘がされて初めて翻案権の議論がされ出したため、交渉中の平成10年7月22日以降、翻案該当性を否定したのであって、翻案該当性を認めていた事実もない。
2 争点(2)ア(本件記事の掲載が、控訴人の名誉及び信用を侵害する違法性を有するか。)について
 本件記事は、平成7年夏、日本で初演された劇(95年公演)の原作者が控訴人でないとしたものではなく、また、同劇は原告著作の翻案でもないから、控訴人の名誉・信用を毀損するものではない。
(被控訴人日本放送協会の主張)
 争点(3)イ(本件放送について控訴人は許諾していたか。)について
 被控訴人朝日新聞社や被控訴人劇団ひまわりとの対応は、控訴人の妻が行うことが多かったこと、その妻はその交渉内容を控訴人に報告していたこと、妻自身もコルチャック研究者であり、コルチャック関係については控訴人夫婦が行動を共にすることが多かったことなどを考慮すると、その妻の手紙や言動も、控訴人自身の黙示の許諾を認定する際に重要な要素となることは疑いの余地がない。
第4 当裁判所の判断
1 争点(1)ア(97年公演は原告著作の翻案によるものか。)について
(1) 事実経過について
 原判決「事実及び理由」中の第4「争点に対する当裁判所の判断」(1)「事実経過」(原判決18頁25行目から31頁5行目まで)のとおりであるから、これを引用する。
 ただし、
ア 原判決26頁10、11行目全部及び27頁6行目から17行目までを削る。
イ 30頁8行目から31頁5行目までを次のとおり改める。
 「このような状況を受けて、Gは、平成8年12月以降、被控訴人Dに対し、原告著作を原作と表記しないこととなったので、原告著作の内容、表現から離れるように脚本を書き直してほしいと依頼した。
 被控訴人Dは、この依頼に基づき、95年公演よりも、子供たちや抵抗組織の若者などコルチャックを取り巻く人物を数多く描くという新たな視点から97年公演用の台本を執筆し、平成9年4月にいったん脱稿したが、演出を務める太刀川敬一や主演の加藤剛の意見によって95年公演の内容に戻る方向での修正を経た後、平成9年6月5日に決定稿が完成した(甲11)。しかし、その後の稽古の中でも更に上演内容に修正が加えられた結果、結局、同年8月に東京と大阪で行われた97年公演の本件舞台劇は、95年公演とほとんど変わらない内容となった(検甲1、2の1・2、3)。
 また、この間、Gは、控訴人に対し、97年公演の企画書や上演台本を送付するなどした(丙1〜8)が、平成9年7月24日、控訴人に対し、次のような文面のファックスを送った。
 「・・2年前の公演がA先生の原作ということで、関係者が先生の本を読んでいるのは当然です。今の状況は、以前読んだ本を忘れて舞台作りをするということは不可能です。・・今年の公演の台本をお読みになっていただいていると思いますが、2年前のものとは全く別のものとは言い切れません。A先生の本を原作として舞台を作りなさいということが前提で進められてきたプロジェクトですから。・・俳優にとって生命となる「言葉」で表現するときに、A先生の本を参考にさせていただいている部分が、これまでの経緯からどうしても発生してしまいます。」
 97年公演に当たっては、95年公演に見られたような、原告著作を「原作」、F戯曲を「脚本原作」とするクレジット表示はなされず、「監修・企画協力 アンジェイ・ワイダ」と表示された(甲26)。ただし、97年公演のプログラム(甲26)中には、「舞台劇『コルチャック先生』が誕生するまで」と題する箇所で、「舞台劇『コルチャック先生』は戦後50年にあたる1995年8月、東京と大阪で公演され、大好評を博しました。この公演が誕生するまでには、『コルチャック先生』(朝日新聞社)の著者で舞台劇の『原作』を担当された国際コルチャック協会理事のA氏(控訴人)、戯曲『コルチャック先生・ある旅立ち』(文芸遊人社)の著者で舞台劇実現に努力し『脚本原作』を担当されたF氏……に一方ならぬ協力をいただきました。」と記載されていた。
 本件舞台劇の内容は、本判決添付別紙「本件舞台劇と原告著作等との対照表」(以下「別表」という。)の「本件舞台劇」欄のとおりであり、これに対応する原告著作の内容は「原告著作」欄のとおりであり、同じく他の著作の内容は「他の著作」欄のとおりである(甲1、11、乙3〜8、11、12、検甲3。)。」
(2) 97年公演の翻案性について
ア 言語の著作物の翻案とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして、ここに同一性を維持しつつ、直接感得することのできる表現上の本質的な特徴とは、創作性のある表現上の本質的な特徴をいい、思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において既存の言語の著作物と同一性を有するにすぎない著作物を創作する行為は、翻案には当たらないと解するのが相当である(最高裁判所平成13年6月28日判決民集55巻4号837頁参照)。
イ 前記事実経過並びに証拠(甲1、11、乙3〜8、11、12)及び弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。
(ア) 全体
 原告著作は、コルチャックのほぼ全生涯を対象とし、本件舞台劇は、ナチスドイツによるポーランド侵攻を間近に控えた1935年(コルチャック57歳)以降を対象としている。
 1935年以降のコルチャックの生涯の大枠をみると、@ポーランドの首都ワルシャワにユダヤ人として生まれたコルチャックは、ワルシャワに二つの孤児院を作ったが、ナチスドイツが台頭し、反ユダヤ主義が激化したため、それまで担当していたラジオ番組を中止され、また、自らが設立したポーランド人孤児のホームを追われ、ユダヤ人孤児のホームの運営のみを行うようになった、Aその後、ポーランドに侵攻したナチスドイツ軍により、ユダヤ人特別居住区のワルシャワ・ゲットーが作られ、コルチャックとそのホームの子供たちはゲットーに強制移住させられた、Bゲットーでの生活は苛酷なものであったが、コルチャックは、子供たちの生活のために、食糧・寄付集めに奔走しつつ、ホームの自活による生活を守り、ハヌカの祭りを祝い、劇を上演するなどした、Cしかし、ナチスドイツは、ゲットーのユダヤ人をトレブリンカ絶滅収容所に移送することを開始し、コルチャックとその子供たちにも移送命令が下りた、Dコルチャックが子供たちと共に移送用の貨車に乗り込もうとした時、関係者の努力でコルチャックに対する特赦の知らせが届いたが、コルチャックは、自分だけの特赦を受け入れず、子供たちと共に貨車に乗り込んでトレブリンカへ旅立った、というものである。
 そして、コルチャックの客観的人間像が、ポーランドで生育し、ユダヤ人であるために迫害を受け、これに苦悩しつつも、極限状態の中で子供たちと共に生き、子供たちと共に死の道を選んだ人物として描かれている。
 しかし、原告著作においては、基本的に、史実と先行資料及び関係者の証言を織り混ぜ、それに説明を加えることによって、時代状況やコルチャックの行動、心情、人間関係等を客観的に描き出すという表現方法が採られているのに対し、本件舞台劇は、舞台演劇という性質もあって、コルチャックや周囲の人々の会話(台詞)によって、時代状況、コルチャックと関係者の人間関係や心情等を描くという表現方法が採られている。
 登場人物については、原告著作では、前記のような叙述の関係上、実在した人物しか登場せず、しかもその行動は客観的に記載され、コルチャック以外の関係者の心情が描かれることはほとんどない。
 これに対して、本件舞台劇では、原告著作にも登場する実在の人物のほかに、リフトン著作には登場するが原告著作には登場しない人物(ルビンシュタイン)や、同公演において創作された人物(フリーダ、ユゼフ、イレーナ、ボレクなど)も登場する。このうちユゼフは、妹のフリーダをコルチャックのホームに預けた兄としての役割のほかに、ゲットーにおける少年たちの代表としての役割を与えられて、ゲットーにおける少年たちの状況やユダヤ人抵抗組織の活動などを描写するに当たって重要な役割を与えられているといえる。また、イレーナは、コルチャックのホームの卒業生であり、ドイツ軍によって収監されたコルチャックの保釈に尽力するとともに、ガンツバイクを初めとするゲットーでのユダヤ人裏社会に通じ、最後は独力でゲットーを脱出して生き抜く途を選ぶなど、ゲットーの中でコルチャックを慕いつつ、独力で生き抜く女性を描いたものとして、重要な役割を与えられているといえる。さらに、ボレクは、かつてユゼフの家の近所に住んでいたユダヤ人であるが、現在ではユダヤ人警察に所属し、ナチスドイツの指令に基づき同胞を取り締まる立場になった者であって、ゲットー内におけるユダヤ人社会の複雑さを描写する重要な役割を与えられている。
 ところで、原告著作、本件舞台劇に描かれているコルチャックの生涯の大枠ないし客観的人物像については、リフトン著作、乙4(モニカ・ペルツ著「コルチャック」。昭和60(1985)年にドイツで発刊され、平成6年7月に我が国で邦訳出版された。以下「ペルツ著作」という。)及びワイダ映画においても同様の生涯の大枠ないし客観的人物像が描かれているところであって、上記内容、表現に関する限り、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり、基礎的な事実として一般に認識されているものと考えられ、上記生涯の大枠ないし客観的人物像において、原告著作のみに見られる表現上の本質的な特徴があるとはいえず、前記相違点を考慮すると、表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。
(イ) プロローグ(トレブリンカ)〔別表1、2頁参照〕
a この場は、現在のトレブリンカの地を訪れた俳優が、その様子や歴史について独白をするものである。
b 原告著作は、冒頭の「序 トレブリンカの森」において、控訴人が秋に訪れたトレブリンカ現地の情景を描写した上、往時のユダヤ人絶滅収容所の説明に至り、テーマとなっているコルチャックの業績の核心の著述への導入部としている。そして、森の暗さと森を抜けて目の前に開けた荒寥とした草原を描写し、一面に立っている角ばった石がコルチャックと子供たちを含む死者の人影のようであり墓標であるとの記述とユダヤ人絶滅収容所の説明とにより、ユダヤ人絶滅政策の犠牲となったコルチャックと子供たちに馳せる思いと、その死に対する静かな悲憤・懼れを表現している。上記のように、冒頭に現在のトレブリンカの風景をその歴史と共に描写するシーンが置かれている点は、いずれもコルチャックに関する他の文献や映画には見られない原告著作の特徴的な点であって、思想感情の創作的表現が認められ、著作物性を肯定し得るところであり、上記の点に表現上の本質的特徴があるといえる。
c 本件舞台劇は、冒頭、暗い舞台に、俳優の独白でトレブリンカの情景が語られ、トレブリンカの森の中に立って、ユダヤ人絶滅収容所がこの地にあり、80万人を超すユダヤ人が貨車で送り込まれてガス室に送られたことが回想され、石の枕木、引き込み線の跡、ユダヤ教の墓石の形をした慰霊碑を中心に大地から無数の石が突き出し、静かであることが強調され、暗い舞台が次第にわずかな明るさを増すにつれ子供たちが白い衣装に身を包み石を表現する様子が浮かび上がり、それらの石がコルチャックと子供たちの墓であることが描写され、次いで、石が人影になり歌い始めて、プロローグのシーンが締めくくられているのであって、コルチャックと子供たちに馳せる思いと、その死に対する悲痛な思いが静かに表現されている。そうすると、本件舞台劇の上記表現は、俳優の独白と白い衣装に身を包んだ子供たちが登場し、子供たちが歌うという表現形式により、原告著作の前記表現上の本質的な特徴との同一性を維持しつつ、具体的な表現に修正、増減、変更を加えたものであり、上記表現上の本質的な特徴を直接感得させるものということができる。
d もっとも、リフトン著作(370頁)に、エピローグとして「戦後その地に、広大な石の庭園が設置された。ポーランドの石切り場からもちこまれた、1万7千個の岩石は、この地で最期をとげた何百万の男女や子どもの、町や村や国を象徴している。」とあり、ユダヤ人が貨車で送り込まれてガス室に送られた旨の記述に続き、大きな石碑について記述されている。また、乙7(ブラドカ・ミード著「壁の両側」平成4年11月邦訳出版)の436頁に、エピローグとして、「あちこち走りまわったあげく、私たちは、森を通る小道へ車を入れてしばらく走っていると、突然、視界がひらけ、雪におおわれた広大な原野が見えてきました。大小様々な形をした無数の石が、天を仰いで立っています。私たちは、何度も何度もこの広大な墓地を見渡しました。そして、幻を見ました。石は生き返り、ユダヤ人となって動き始める。」とあり、生き返った男、女、老人、家族、母、妹、弟、友人、隣人の姿に心が張り裂けるようでしたとの悲痛な思いが記述され、さらに、記念碑、石碑、数本の木製の枕木に言及して、ユダヤ人の大半が輸送された戦慄の抹殺工場は、ドイツ軍により始末され、「いまここに残るのは、空漠たる荒野と、沈黙の告発を続けながら天に向かって突き刺すように立っている、一五〇〇の石柱だけです。」と記述され、大きな石柱の周りに多数の石の散在する写真が掲載されている。
 しかしながら、リフトン著作やミードの著作においては、現在のトレブリンカの情景描写は、エピローグとして記述されている。そして、リフトン著作は、簡潔で客観的な表現に特徴があり、石を墓とする直接的な表現がなく、本件舞台劇の表現との同一性が乏しい。また、ミードの著作は、同じユダヤ人としての怒り、告発が表現され、石をコルチャックと子供たちとするものでなく、本件舞台劇の表現との同一性が薄い。
 なお、本件舞台劇において、石の群が人影となるという点は、ミードの「石が生き返る」という記述部分と類似するが、石が人影のようであり、コルチャックと子供たちであるとする点では原告著作と類似性があり、いずれにしろ、「歌う」点は本件舞台劇で付け加えられた創作性のある表現というべきであって、前記cの結論を左右しない。
e そして、前記引用に係る事実経過に被控訴人D本人尋問の結果を併せ、上記表現上の本質的特徴の同一性を考慮すると、本件舞台劇の上記プロローグのシーンは原告著作の「序 トレブリンカの森」の部分に依拠して創作されたものと認められる(被控訴人Dは、本人尋問において、無数の墓石が子供たちを象徴しているイメージをミード著作から着想したとの誘導的供述の後に、原告著作をも含めた様々な資料から着想した旨供述しており、原告著作に基づいていることを肯定している。)。
 被控訴人3名は、俳優の独白がトレブリンカ現地を実際に見た主演俳優の創作したものと主張し、甲6、被控訴人D本人尋問の結果中にこれに沿う部分があり、これによると、同俳優が平成7年5月に現地を見たことが認められ、同人が何らかの感銘を受けたことが推認されるが、同人が前記プロローグの独白に係る台詞を創作したとまでは認められない。
f したがって、本件舞台劇プロローグのトレブリンカの場面は、原告著作の「序 トレブリンカの森」の翻案といえる。
 この点に関し、被控訴人3名は、ドラマを象徴する地の現在の様子の描写から始めることは、多くのドラマに見られる一般的手法である旨主張し、その例として乙29、30を提出するが、本件舞台劇プロローグのトレブリンカの場面が原告著作の翻案であるという前記認定判断を左右するものではない。
(ウ) 第1幕・1(ユダヤ人兄妹)〔別表3〜6頁〕
a この場の概要は、次のとおりである。
 二人暮らしのユダヤ人の兄妹(ユゼフとフリーダ)の家にユダヤ人排斥の投石等がなされる中、フリーダがおびえながらコルチャックのラジオ番組を待っていると、ユゼフが戻ってきてフリーダに母の形見のペンダントを渡し、その後、ラジオで、コルチャックが担当していた「老博士のお話」の番組が始まり、「雪の日の馬車」の話を語るコルチャックの声が流れてくる。
b このようなユダヤ人の兄妹は、原告著作には登場しない。もっともリフトン著作(318頁)に記載されたユダヤ人兄妹サムエルとギエナをモデルとしたものとも思われ、このことは、Gが製作途中に控訴人に宛てた手紙の中で、「リフトン氏の引用についてはサミエルとギエナの表現が一番問題です。名前と設定を変更して、プログラムにのみリフトン氏の引用クレジットを入れる方針です。」(甲12の2)と記載していることからも裏付けられる。しかし、その後の場に見られるユゼフとフリーダの役割は、リフトン著作にも見られない本件舞台劇独特のものである。
 また、反ユダヤ主義のくだり、すなわち、当時、ポーランド国内でユダヤ人に対する投石や侮辱が行われていたことは、原告著作にも記述があるが、同記述は、歴史的事実を普通に表現したものであり、リフトン著作(196、197、235、246頁)及びペルツ著作(123頁)にも同様の記載がある(別表3、4頁下段)上、対応する本件舞台劇とは事項が共通するにすぎず、具体的な表現の上でも共通性を欠くものである。
c 次に、「老博士のお話」の「雪の日の馬車」の話の点は、原告著作に記載があるが、コルチャックが「老博士のお話」というラジオ番組を担当していたことは歴史的事実(リフトン著作224頁以下。別表4、5頁下段)であり、少年時代の雪の日に馬車に乗って通学したときのエピソードも歴史的な事実であってペルツ著作7頁以下に記載がある(別表5、6頁下段)。
 もっとも、コルチャックが「老博士のお話」の番組で語ったものには多数のものがあると思われる(リフトン著作225頁)のに、その中から紹介されているのは、原告著作でも本件舞台劇でも、少年時代、雪の日に馬車に乗って通学したときの話のみである。しかし、この話は、ペルツ著作の冒頭においても紹介されているから、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり基礎的な事実として一般に認識されているものと考えられる。
 したがって、原告著作の上記部分に係る基本的な内容・表現は、原則的に自由な使用に供されるべきものであり、翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭いといえるところ、本件舞台劇でのコルチャックが語る話の表現は、原告著作のそれと具体的表現が異なっており、原告著作と表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。
 なお、控訴人は、原判決添付別紙対照表4頁において、ラジオ番組の名前を「老博士のお話」としたのは、控訴人の独自訳であると指摘するが、リフトン著作(224頁以下。別表4頁下段)によれば、コルチャックは同番組に「オールド・ドクター」として登場したことが認められるから、そこから番組名を「老博士のお話」と翻訳する点に創作性があるとはいえない。
(エ) 第1幕・2(ぼくたちの家)〔別表6〜14頁〕
a この場の描写内容は次のとおりである。
 @コルチャックとマリーナが運営しているポーランド人孤児のための施設である「ぼくたちの家」において、マリーナが数人の役員から、コルチャックはユダヤ人だから時勢柄ポーランドの子供を教育させるのは適当でないとして「ぼくたちの家」の役員を解任するよう求められ、コルチャックのホームにおける教育理念が成果を上げていることを示して言い争っているところに、コルチャックが現れ、辞任を受け入れる。A役員たちが去った後、コルチャックは、マリーナに「老博士のお話」も中止になったことを伝え、「ポーランドで生まれてポーランドで育ち、ポーランド語を話す自分がポーランド人の子の教師になれないなんて」と嘆く。Bそして、コルチャックは、マリーナに、子供のころ、飼っていたカナリヤが死んだとき、管理人の息子から、「カナリヤはユダヤ人だから天国にはいけない」と言われたことを話す。
b この場の@で、マリーナと役員がコルチャックの辞任を巡って口論し、最後にコルチャックが辞任するところは、原告著作ではわずか2行で「『ナシュ・ドム』と、一切かかわりを持たないよう、ファルスカより伝えられた。いずれもその理由は明らかにされなかった。」(別表10頁中段)と記載されているにとどまる上、これは歴史的事実を普通に表現したものである(リフトン著作232頁以下、ペルツ著作123〜124頁。別表9、10頁下段)。これに対し、本件舞台劇では、マリーナとコルチャックとの人間関係、役員がコルチャックに辞任を求める理由等が、具体的な台詞を通じて描写されており、これらのやりとりは原告著作には記載がない。むしろ、ここの描写は、リフトン著作(232、233頁)に台詞の題材を求めたものと推認される。したがって、原告著作部分とこれに対応する本件舞台劇とは、一部に共通な事項の記述があるにすぎず、表現上の共通性を欠くものである。
 控訴人は、原判決添付別紙対照表6ないし10頁において、この描写について、(a)「ぼくたちの家」とは控訴人の訳に係るものであること、(b)マリーナが語る「ぼくたちの家」の理念は原告著作にも記載があること、(c)コルチャックの本名である「ヘンルィク・コールドシュミット」の「ヘンルィク」は控訴人の訳に係るものであること、(d)当時のポーランドの情勢は原告著作に記載があること、(e)コルチャックが濃紺の作業着を着ているのは原告著作に記載があることを指摘する。
 しかし、(a)は、「ナシュ・ドム」の訳語であるが、リフトン著作(232頁)では「われらの家」、ペルツ著作(59頁)でも「われらの家」と訳されており、これを「ぼくたちの家」と訳することに創作性があるとはいえない。次に、(b)のマリーナの語る教育理念は、原告著作によれば「ぼくたちの家」を設立する際にマリーナ(ファルスカ)の書いた設立趣意書によるものであり、原告著作では当初に「ぼくたちの家」を設立する際の文脈で記載されているにすぎず、本件舞台劇とは語られる場面が異なる上、ペルツ著作(60頁)にも同様の記述があり、本件舞台劇のマリーナの台詞は、これらの記述に沿ってはいるが、具体的表現が異なる。次に、(c)のように人名のカタカナ表記の仕方に創作性は認められない。次に、(d)は歴史的な事実を普通に表現したものにすぎず、本件舞台劇と具体的表現も異なる。次に(e)は、原告著作にのみ記載がある部分であることは控訴人主張のとおりであるが、このような単純な事実の描写に創作性があるとはいえない。
c この場のAで、コルチャックの「老博士のお話」が中止になったのは、歴史的事実を普通に表現したものであり(リフトン著作227、245頁、ペルツ著作123頁、ワイダ映画。別表10、11頁下段)、当時のポーランド情勢も同様であって、原告著作のみに見られる表現上の本質的な特徴はない。
 また、コルチャックがポーランド的な人物であったこと、コルチャックをとらえるのにはポーランド人とユダヤ人の両方として見る必要があるとの点はリフトン著作(7、8頁。別表11頁下段)に記載されており、控訴人独自の見方によるものではないと認められる。そしてまた、この部分のコルチャックの台詞自体は、本件舞台劇の創作に係るものであって、原告著作を始め、他のコルチャックの伝記にも、このような心情の吐露を直接記載したものは見当たらない。
 したがって、この場のAに関しても、これに対応する原告著作部分とは一部に共通な事項の記述があるにすぎず、表現上の共通性を欠く。
d この場のBでコルチャックが語る、彼の幼年時代にカナリヤが死んだときのエピソードは、原告著作にあるが、リフトン著作(20〜21頁)、ペルツ著作(15〜17頁)、ワイダ映画にも描かれているものであり、コルチャックにとって、このエピソードがユダヤ人問題の原体験となったことについては、リフトン著作(21頁)に「それは彼が決して忘れえなかった啓示の瞬間であった。」として触れられており、また、ワイダ映画(乙6の26頁)にも触れられているところであって、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり基礎的な事実として一般に認識されているものと考えられる(以上について別表11〜14頁下段)。
 したがって、当該部分に係る基本的内容・表現は、原則的に自由な使用に供されるべきものであるから、翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭いというべきである。
 しかるところ、本件舞台劇の上記部分は、具体的表現が原告著作と異なる点がある上、記載されている場所についても、原告著作では、コルチャックが5歳のときの箇所で記載されているのに対し、本件舞台劇では、コルチャックがユダヤ人であるために「ぼくたちの家」の役員を辞任させられ、ラジオ番組を中止されるという困難に遭ったときの心情を描写するエピソードとして描かれている点において異なる。 そうすると、本件舞台劇の上記場面は、原告著作の上記部分と表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。
(オ) 第1幕・3(みなしごの家)〔別表14〜25頁〕
a この場の概要は次のとおりである。
 @ユダヤ人の孤児のためのホーム「みなしごの家」で、身体測定が行われており、コルチャック、ステファ、エステルと子供たちとの無邪気なやりとりが交わされているところへ、Aネヴェルリイがやってきて、ドイツの動向、食料の備蓄の必要、ポーランド国内でのユダヤ人への嫌がらせなどを話す。Bそこへ、マリーナがやってきて、フリーダをコルチャックに預けると、ホームの子供たちは、フリーダに、コルチャックが書いた本の話、ホームでの生活(けんかや裁判)の話、キャンプの話をしてあげて、フリーダを歓迎する。Cユゼフの独白で、1939年にドイツがポーランド侵攻を開始し、ポーランドが占領されたこと、ユダヤ人だけの特別居住地区ワルシャワ・ゲットーへの強制移住が行われたことが語られる。
b この場の@では、身体測定を題材に、みなしごの家におけるコルチャックと子供たちの触れ合いを描写しており、好き嫌いをしないことや、裸で生活すること、歯が抜けたといってきた子供の歯を買い取ることなどについての台詞のやりとりを通じて、コルチャックがユーモアたっぷりに子供たちに接し、子供たちがコルチャックを慕っている様子が具体的に描写されている。これに対し、原告著作では、コルチャックの子供たちとの触れ合いの様子は、本件舞台劇のように生き生きとは描写されておらず、別表記載14頁中段のとおり、「コルチャックは、ユーモアに富んでいて、子供たちを笑わせ、ホームはいつもなごやかな雰囲気に包まれていた。コルチャックは良き父、ステファ夫人はよき母であり、温かい一つの家庭のようであった。」(72頁)等の記載や、コルチャックの教育理念の形で、客観的に記載しているにとどまる。
 この点について控訴人は、「みなしごの家」との訳語は控訴人の了解の下で使用されたこと、身体測定は原告著作に記載されていることを指摘する。しかし、「みなしごの家」の訳語は、「ドム・シェロット」の訳語として、原告著作における「孤児たちの家」と異なるから、原告著作の翻案性とは直接の関係はない上、リフトン著作では「孤児の家」(224頁)、ペルツ著作でも同様であって(53頁)、それらとも大差がないものであり、コルチャックがホームで身体測定を実施していたことは、原告著作でゲットー生活中の日記に断片的に記述されるにとどまる(184頁、204頁)上、リフトン著作(312頁)及びペルツ著作(63頁)にも記載され、ワイダ映画においても描写されているところであり(以上、別表14、15頁下段)、いずれも、原告著作のみに見られる表現上の本質的特徴とはいえず、本件舞台劇との同一性もない。
c この場のAで、コルチャックがかつて編集長を努めていた子供新聞「小さな瞳」の現編集長であるネヴェルリイとステファが、ドイツ、ポーランドの情勢を語る内容は、いずれも歴史的事実を普通に表現したものであり、原告著作のみに見られる表現上の本質的特徴はない。また、「小さな瞳」についても、原告著作と本件舞台劇との間の表現の共通性がない上、コルチャックが編集長として始めた子供向けの新聞「リトル・レビュー」で、子供たちが皆、通信員となり、子供たちから送られた記事や手紙から紙面が構成されていたこと、初代編集長のコルチャックはネヴェルリイと編集長を交代したことは、いずれもリフトン著作(194〜204頁)に記されていること(別表18、20頁下段)である。
d この場のBでは、マリーナがやってきて、フリーダをみなしごの家に預けることとなり、ホームの子供たちがフリーダにホームの紹介をすることを通じて、ホームの運営の実情や子供たちがコルチャックを慕っている様子を描写しているが、このような描写は原告著作にはない。原告著作では、ホームの運営の実情は客観的に記載されているにとどまる(別表21頁中段)。このように、ホームの子供たちが、新たにホームに入ってきた子供にホームの案内をする描写は、むしろワイダ映画において、新たに入ってきたシロマをユゼフが案内するシーンに類似するものであるといえる(同下段)。
 また、この部分で、子供たちが語る内容をみると、コルチャックが注射の嫌いな医者だとの子供の発言は、原告著作(77頁に「彼はホームで仕事をしている時は、いつも濃紺の作業着を着ていた。白衣を着ると注射でもされるのではないかと、子供たちがおびえるのを気にしていたのである。」との記述がある。)に基づくものと思われるが、表現されている具体的な内容は異なる。
 さらに、コルチャックが「王様マチウシ一世」を含む多数の著書を書いていること、子供による裁判が行われること、キャンプに行くことについては、原告著作にも記載があるが、同時にリフトン著作(155頁、270頁)及びペルツ著作(44頁、68頁以下)にも記され、ワイダ映画にも描写されており(以上は別表22〜24頁下段)、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり、基礎的な事実として一般に認識されているものと考えられ、原告著作のみに見られる表現上の本質的特徴はない。また、ルールを守れば殴り合いをしてもよいとの点は、原告著作には記載がない。
e この場のCでは、ユゼフが独白で、ナチスドイツ軍がポーランドに侵攻し、ワルシャワ・ゲットーが作られてユダヤ人が詰め込まれたことが語られるが、これらはいずれも歴史的事実を普通に表現したものにすぎず、原告著作のみに見られる表現上の本質的特徴はない。
f そうすると、上記みなしごの家のシーンは、原告著作の記述部分と一部共通な事項があるのみで、表現上の本質的特徴に同一性があるとはいえない。
(カ) 第1幕・4(ゲットーへの道)〔別表25〜29頁〕
a この場の概要は、次のとおりである。
 @スピーカーから、ユダヤ人に対する各種の制限が告知されているところを、コルチャックと子供たちが列をなして歩いて来ると、ジャガイモの馬車がドイツ軍に没収された旨が報告され、それを聞いたコルチャックは、取り戻して来ると言って、ステファが制止するのも聞かずに走り去る。Aそこへマリーナがやって来て、高熱を出した幼子のエドナを引き取る意思を表明するとともに、コルチャックの身分証明書と隠れ家を用意した旨をステファに伝える。B他方、コルチャックは、ドイツ軍将校にじゃがいもを返すよう要求するが、逆にユダヤ人なのに腕章を着けていなかったことを詰問され、抗弁したために暴行を受け、投獄される。
b この場の@でスピーカーから流される布告の内容は、原告著作に記載がある(別表25頁中段)が、リフトン著作(262、263、270頁)にも記載され、ワイダ映画でも描写されており(以上は別表25、26頁下段)、歴史的事実を普通に表現したものにすぎず、原告著作のみに見られる表現上の特徴はない。また、本件舞台劇では、大道具としてゲットー内にかかっている陸橋が配置されているが、原告著作に陸橋について言及した部分はなく、他の著作でも、ワイダ映画のみに見られるものである。
 次に、ゲットーへの移動時にジャガイモの馬車がドイツ軍に没収される点も、原告著作に記載がある(別表26頁中段)が、リフトン著作(276、277頁)及びペルツ著作(139頁)に記載され、ワイダ映画でも具体的に描写されており(以上別表26、27頁)、前同様の基礎的事実として一般に認識されているものと考えられ、原告著作にのみ見られる表現上の本質的特徴とはいえない。
 なお、本件舞台劇では、ジャガイモの馬車が没収されたことを知ったコルチャックが、直ちにステファの制止も聞かずに抗議に行くように描かれており、これはワイダ映画と同様である(別表26頁下段)。
c この場のAで、ゲットーへの移動の途中に、マリーナが孤児のうちの一人を預かって保護する点及びその際にマリーナがステファにコルチャックの身分証明書等を用意したと告げる点は、原告著作には記載がなく(ただし、マリーナが隠れ家等を用意したとの点は、ゲットーに入ってから後のこととして記載がある。)、むしろワイダ映画中にほぼ同様のシーンがある(別表27、28頁下段)ことから、それとの類似性が認められる。
d この場のBでは、コルチャックがドイツ軍に抗議に赴いたところ、ドイツ軍将校は、最初は丁寧に応対していたが、コルチャックがユダヤ人であると分かるや、逆に、腕章を着けていないことを詰問し、コルチャックに暴行を加えた上で投獄したことが描写されており、これは原告著作に一応記載があるが(別表29頁中段)、リフトン著作(276頁)及びワイダ映画では、会話の形でより具体的に描写されており、この部分の本件舞台劇の台詞は、リフトン著作との類似性が認められる(別表28、29頁下段)。
(キ) 第1幕・5(ゲットーの中・『みなしごの家』の前)〔別表30〜35頁〕
a この場の概要は、次のとおりである。
 @ユゼフら少年たちがゲットー内の状況を話し合っていると、闇屋の少年がやって来て、抜け道を通って入手したたばこを売り付ける。A仲間と別れたユゼフに、コルチャックのホームで育ったイレーナが声をかけて、ホームのエステルを呼んでもらうと、イレーナは、投獄されているコルチャックの保釈金をエステルに渡す。Bイレーナは、ホームから出てきたユゼフと共に歩き出すと、ユダヤ警察に出会い、身分証明書の提示を拒否したが、ユダヤ人警察の一人ボレクがユゼフと知り合いであったことから解放してもらう。イレーナはユダヤ人警察を悪し様に言うのに対し、ユゼフは、ボレクのことをとても良い人なんだと言い、ボレクをかばう。
b この場の@で少年たちが語るゲットーの状況は、原告著作では所在箇所が各所に散らばっており、断片的である(別表30、31頁中段)。しかも、いずれも歴史的事実を普通に表現したものであり、サクソン広場がヒトラー広場に改名された点及びゲットーの建設がユダヤ人の資金で行われた点、ゲットー内には、ましな地区と、人間でごったがえしている地区がある点はリフトン著作(270、271頁、280〜282頁)に記載がある(別表30、31頁下段)。
 また、子供が抜け道を通って商品や食糧を運搬していたことは、原告著作(170頁)にその事実の記載があるが、ペルツ著作(141頁)にも記載があり、ワイダ映画にも描写されており(別表31頁下段)、歴史的事実を普通に表現したものにすぎない。
 しかも、これらの記述がいずれも客観的な説明として記載されているのに対し、本件舞台劇では、闇屋の少年がユゼフらにタバコを売り付けるシーンによって、ゲットー内における少年たちの境遇を具体的に描写している点で、これらの文献の記載等とは異なる。
c この場のAで、ホームの卒業生であるイレーナがエステルにコルチャックの保釈金を渡す点は、原告著作でも、コルチャックの保釈金はかつての教え子が調達したことが記載されている(154頁。別表32、33頁中段)。しかし、この点はリフトン著作(277頁。別表32、33頁下段)にも記載されており、前同様の基礎的事実として一般に認識されているものと考えられ、原告著作のみに見られる表現上の本質的特徴とはいえない。
d この場のBで描写されている、イレーナやユゼフとユダヤ人警察とのやりとりは、ユダヤ人警官の高圧的な態度、イレーナの反抗的な姿勢、ユゼフの知り合いで現在はユダヤ人警官をしているボレクに、昔、ユゼフやフリーダが親切にしてもらったことを通じて、ゲットー内におけるユダヤ人社会の複雑さを具体的に描写しているものであるが、原告著作には、ユダヤ人警官の非情な面は記載されている(別表33頁中段)ものの、ボレクのような人物の存在には触れるところがない。
(ク) 第1幕・6(ゲットーの中の『みなしごの家』・コルチャックの帰還)〔別表35〜41頁〕
a この場の概要は、次のとおりである。
 @「みなしごの家」で子供たちが言い争っているところに、釈放されたコルチャックが帰って来る。A子供たちは喜んでコルチャックに次々と話しかけ、コルチャックの要望に応えて歌を歌うなどする。Bその後、コルチャックはステファと語り合い、ホームの子供をマリーナなどに預けポーランド人として育ててもらうことについて反対し、コルチャック自身もゲットーを出るべきだとのステファの勧めを断り、明日から自分が食糧を調達するなどと言う。
b この場の@については、このようなホームの子供たちの具体的なやりとりは、原告著作には記載されていない。また、コルチャックが投獄から帰還した際の記載は、原告著作にはなく、ワイダ映画にのみ描写がある。
c この場のAについて、コルチャックが突然帰って来ると、子供たちが大はしゃぎしてコルチャックに次々と話しかけ、皆で汽車のような列を作って走るという描写は、原告著作には記載がなく、むしろワイダ映画に同様のシーンがある(別表37頁下段)。
d この場のBには、(a)コルチャックが帰還後、ステファと語り合うこと、(b)ゲットーへの移動時にエドナをマリーナに預かってもらったことやアーリア系の顔立ちの子供は何人かかくまえるという話を聞くと、コルチャックが、自分たちが子供たちを選り分けるのかと反対すること、(c)ステファがコルチャックにマリーナの伝言を伝えてゲットーを出るように勧めたところ、コルチャックが拒絶することが描かれているが、これらは、いずれも原告著作には記載がなく、むしろワイダ映画に極めて類似するシーンがある(別表39頁下段)。前記Aと並んで、この部分は、ワイダ映画との類似性が強く認められる部分である。
 また、この場のBには、(a)コルチャックとステファが今後の方針について話し合い、物資の調達はコルチャックがすること、(b)子供たちをホームの外に出さないようにしようとしたことが描写されているが、これらも原告著作には直接の記載はなく、ワイダ映画には、コルチャックがホームに帰還した後に、コルチャックとステファのほかエステラ(本件舞台劇のエステル)らが加わった話し合いで同様のことが語られている(別表41頁下段)。ここもワイダ映画との類似性が強く認められる部分である。
 なお、ここでコルチャックが語るゲットーの状況については、原告著作に記載があるが、リフトン著作(280、295頁)及びペルツ著作(141、142頁)にも同様の記載があり(別表40、41頁下段)、歴史的な事実を普通に表現したものにすぎず、原告著作のみに見られる表現上の本質的特徴があるとはいえない。
(ケ) 第1幕・7(ゲットーの中で)〔別表41〜49頁〕
a この場の概要は、次のとおりである。
 @ゲットーの中をコルチャックが歩いていると、古着を売る女、道化のルビンシュタインに声をかけられた後、イレーナに会う。Aコルチャックはイレーナにいつでもホームに来るよう言い、寄付を頼んで回っていると言うと、イレーナは、店で歌を歌っているが、客に金持ちが多いから一度来てみてと言って紙片を渡して去る。B2人が去ると、闇屋の少年(サムエル)が再びやってきて、ルビンシュタインにたばこをやる。
 他方、ホームへの寄付の依頼に奔走するコルチャックは、Cユダヤ人評議会に赴き、チェルニアクフに対し、「子供のために何かすることはとても幸せで、大人の責任である。あなたは寄付をする余力がおありになる。寄付をできる幸せをかみしめて下さい。」と言い、チェルニアクフが100ズウォティ寄付すると言うと、「もっと幸せをかみしめて」と促し、最終的に500ズウォティを引き出す。D次の寄付依頼に赴く途中のゲットーの路上で、金をせびるルビンシュタインにチェルニアクフからもらったタバコをやり、Eビスケット売りから「ユダヤ人に売ることを禁止されている」と言われると、「それでは寄付すればよい」と応じ、F肉屋からハムを寄付してもらう。
 さらに、Gゲットーの路上では、ユゼフら少年たちが秘密集会に集まる打ち合わせをしている。
b この場の@について、ゲットーで、ドイツ兵が巡回し、物乞いや路上生活者が多数おり、生活品の売買がされている状況は、リフトン著作(280〜282頁。別表41、42頁下段)に記載があり、ワイダ映画でも描写されている。
 また、ルビンシュタインという道化がゲットーにいたことは、原告著作では記載されていないが、リフトン著作(282頁)では触れられている。リフトン著作では、ルビンシュタインは金を恵んでもらわないと、くたばれヒトラーなどとわめくことが記載されており(別表42、43頁下段)、本件舞台劇のルビンシュタインの描写は、リフトン著作に基づくものであると推認される。
c この場のAについて、コルチャックの保釈金がホーム出身者によって調達されたことは、前記(キ)cのとおり、リフトン著作等にも記載がある。また、ホーム出身のイレーナが歌を歌っている店に富裕者が来ることから、コルチャックに寄付の依頼に来るよう誘う点は、原告著作には記載がない。
 他方、ワイダ映画においては、ドイツ兵から腕章を着けないことで詰問されているコルチャックを、ホーム出身のシュルツが救い、富裕者が集まる酒場に案内する描写があり、本件舞台劇のイレーナは、このワイダ映画の設定に基づくものであると推認される。
d この場のBの様子は、原告著作や他の文献にも、これに該当する記載は見当たらない。
e この場のCについて、チェルニアクフは、ユダヤ人評議会の議長であり、実在の人物である(リフトン著作266頁など)。チェルニアクフが孤児たちの置かれている境遇に心を痛めていた点は、原告著作に記載があるが、同人が児童福祉に熱心であったことは、リフトン著作(266頁)にも記載があり(別表44頁下段)、原告著作にのみ見られる表現上の本質的特徴はない。また、「ユダヤ人評議会」との訳語は、原告著作に見られるものであるが、リフトン著作では「ユダヤ協会」(266頁)、ペルツ著作では「ユダヤ人評議会」(136頁)、ワイダ映画では「ユダヤ自治会」と訳されており、原告著作の訳語に創作性はない。
 ここで、コルチャックは、チェルニアクフに対し、「子どもを助けたい。これは大人の責任であり、義務であり、権利でもあるんです。」と述べているが、これは、原告著作では、コルチャックがポーランド陥落後に出した寄付を求める声明として記載されている。他方、ワイダ映画では、コルチャックが慈善家に寄付を依頼する際に、「これはあなたの義務です。」と述べるくだりが描写されており(別表44、45頁下段)、ワイダ映画の方により類似している。
 また、このシーンで、コルチャックは、チュルニアクフを持ち上げつつ半ば強要するような調子で寄付額をつり上げており、ユーモラスな中にコルチャックのなりふり構わず寄付を求める姿勢が描写されている。これに対し、原告著作では、コルチャックが寄付を依頼して回ったことと、そのためにある偉い人に後味の悪い手紙を書くこともあったことが記されているが、このようなコルチャックの寄付の依頼の仕方は、ペルツ著作(145頁。別表45頁下段)にも記載されている。むしろ、本件舞台劇のような具体的な描写は、ワイダ映画(慈善家ブラウネル宅で寄付を依頼するシーン)によく描かれており(別表44、45頁下段)、そこで、コルチャックがブラウネルの嘆きにもかかわらず、申し出よりも多い寄付を強引に求める姿は、本件舞台劇の本シーンと類似するものがある。
f この場のDで描写されている、ルビンシュタインが叫ぶ、ヒトラーとキリストを題材にしたジョークは、原告著作には記載がないが、リフトン著作(294頁。別表46頁下段)には、当時ユダヤ人社会で語られていたジョークとして記載されている。
g この場のEについて、コルチャックが、ビスケット屋に対し、「ユダヤ人が作ったビスケットだ。売って悪いなら寄付すればよいじゃないか。」と述べる点は、ビスケットでなくひまわりの種で同様の話が原告著作に記載がある(152頁。別表46頁中段)が、これは原告著作によればチェルニアクフの日記に原典があるもので、同じ話(穀物)がリフトン著作(271頁。同表下段)にも記載があり、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり基礎的な事実として一般に認識されているエピソードと考えられる。
h この場のFについて、コルチャックが肉屋からハムの寄付を受ける部分では、肉屋は、寄付に反対する妻の手前、ハムの切れ端と言いつつ、ハム1本を寄付することがユーモラスに描かれており、このようなコルチャックに対する協力的な姿勢を示すエピソードは、原告著作には記載されていない。原告著作に記載されている肉屋のエピソード(別表47頁中段)は、このシーンとは内容が全く異なる。
i この場のGについて、ユゼフらが秘密集会の打ち合わせをしているが、ゲットーに秘密のレジスタンス組織があったこと、ユダヤ人の中にはドイツ軍と通じる者もいたことは、原告著作に記載がある(別表48頁中段)。しかし、これはリフトン著作(309、310頁。別表48頁下段)にも記載のある歴史的事実を普通に表現したものにすぎない。また、ゲットー内で多くのユダヤ人が死亡していったことは、リフトン著作(301、302頁。別表49頁下段)など随所に記載のある単純な歴史的事実である。
j そうすると、原告著作のうち、ビスケット工場でのエピソードの部分に係る基本的内容・表現は、原則的に自由な使用に供されるべきもので、翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭く、ユダヤ人のレジスタンス組織、ドイツと通じる者の存在、ユダヤ人の死亡の点は、原告著作のみに見られる表現上の本質的特徴があるとはいえず、また、その余は、対応した本件舞台劇の場面と表現上かなりの違いがあり、いずれも、表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。
(コ) 第1幕・8(ハヌカの祭りの夜)〔別表49〜54頁〕
a この場の概要は、次のとおりである。
 @ステファとコルチャックの対話の中で、コルチャックが、アメリカが参戦したから希望が出てきたと言うと、ステファは、ゲットーの状況を嘆き、間もなくこのゲットーからの移住が始まるといううわさがあると言う。Aみなしごの家でハヌカのお祝いが始まり、コルチャックがあいさつをし、皆で歌を歌っていると、「ぼくたちの家」の子供たちが、ユダヤ人地下組織の協力を得て、ゲットーの外からプレゼントを持って来る。
b この場の@について、1941年にアメリカが参戦し、ドイツ軍がロシアで苦戦していたことは歴史的事実であり、これがゲットーのユダヤ人にとって希望の灯火となっていた点は、リフトン著作(304頁)にも記載がある歴史上の基本的な視点であり、また、ここでステファが語るゲットーの状況は、リフトン著作(304、305、314頁。別表50、51頁下段)、ペルツ著作(141頁。別表40頁下段)に記載され、ワイダ映画でも描写されており、また、このころ、ゲットーで移住のうわさが流れていたことも、リフトン著作(310頁。別表51頁下段)に記載がある歴史的な事実であって、原告著作の記載は、いずれもこれを普通に表現したものにすぎない。
c この場のAについて、このころ、ホームでハヌカの祭りが行われたが、その数日前に、ごみ運搬車に隠れてポーランド人の地下抵抗組織からホームの子供たちにプレゼントが贈られてきたことは原告著作に記載がある(別表52、53頁中段)が、同様の記載はリフトン著作(305頁。別表52頁下段)にも記載があり、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり基礎的な事実として一般に認識されているものと考えられる。もっとも、この場で、プレゼントを持ってきたのが「ぼくたちの家」の孤児たちである点は、本件舞台劇独自の創作に係るものである。
d そうすると、原告著作のうち、ハヌカの祭りの際のプレゼントの部分に係る基本的内容の表現は、原則的に自由に使用されるべきものであって、翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭く、これに対応した本件舞台劇は、類似しているとはいえ、表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。
 また、その余の部分は、いずれも、歴史的事実や思想を普通に表現したものにすぎないから、著作物性を肯定し得ず、対応した本件舞台劇とは、対象事項が同一であるにすぎず、表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。
(サ) 第2幕・10(ゲットー)〔別表54〜57頁〕
a この場の概要は、次のとおりである。
 @ゲットーの路上で、ユゼフら少年たちが、ユダヤ人がガスで殺されているとのうわさ話をしていると、一人がビラを持って来て、配りに去って行く。A路上を歩いていた女性がユダヤ警察からとがめられ、ジャガイモ等を隠し持っていることが分かり、連行される。そこへコルチャックがやって来て、路上に散乱したジャガイモ等を拾い集め、自分の袋に入れる。そこへルビンシュタインがやって来て、共にタバコを吸う。
b この場の@について、このころユダヤ人が収容所に送られ、ガス室で虐殺されるとのうわさが流れ始めたことは、原告著作に記載があるが、これは歴史的事実である。
c この場のAでは、ユダヤ警察の非情な行為と、それに便乗してまで食料集めをするコルチャックの姿が描写されているが、このような生々しい描写は、原告著作にはない。
d この場に関する原告著作部分の記載は、2箇所に分かれており、いずれも、断片的で、歴史的事実を普通に表現したものにすぎず、著作物性を肯定し得ず、また、対応した本件舞台劇とは、基本的・一般的事項の共通点があるにすぎず、表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。
(シ) 第2幕・11(再会)〔別表57〜64頁〕
a この場の概要は、次のとおりである。
 @ゲットーの路上で、ユダヤ警察がユダヤ人に抵抗を呼びかけるビラを見つけて破り捨てる。A場末風の酒場で、イレーナが酔った男にからまれていると、コルチャックがやって来てイレーナと話をする。背後では、酒場の客がヒトラーに関するジョークを飛ばしている。そこへ、ガンツバイクがやって来て、ここの連中は金には不自由していない、金とコネの力で生き残れると信じているなどと話し、マダムが客たちにコルチャックへの寄付を呼びかけ、歌手が歌っている間にガンツバイクやその他の客が寄付をする。すると、突然銃声が響く。Bゲットーの街角で、ルビンシュタインがユダヤ抵抗組織だ、ユダヤ人よ立ち上がれなどと叫んでいると、コルチャックが歩いて来て、その後をユゼフが銃を持って走って来る。ユゼフは、何故ガンツバイクのような汚い奴の金を受け取るのか、あなたに人間としての誇りはないのかなどとコルチャックを責めるが、コルチャックは、私には200人の子供がいるだけだと答える。Cコルチャックは、歩きながら、「ユダヤ人の子どもであるのが悪い。もっと悪いのは、貧しくて親を失ったユダヤ人の子供。一番悪いのは、年を取って、お金がなかったら。おまけに200人の子だくさんのユダヤ人、あちこち痛んで疲れていたらもっと悪い。」などと独白する。
b この場の@のようなビラがゲットー内に貼られていたことは、原告著作には特に記載はない。もっとも、本件舞台劇では、この貼り紙は、後のガンツバイクの襲撃を予測させる位置付けを与えられている点にドラマとしての工夫が見られる。
c この場のAの酒場のシーンは、原告著作には「ゲットーには、一部の特権階級や、金持ちのために、ナイトクラブ、レストラン、カフェなどが開かれていた。コルチャックはこういうところも訪ね、乞食のように食料を乞い、時には凄まじい形相で、彼らを怒鳴り付け、脅迫すらしたという。」(172頁)と記載されているのみで、それ以上の具体的な記載はない。また、ナチス協力者とみられていたガンツバイクにも寄付を求めたというエピソードは、原告著作にはなく、リフトン著作(293頁。別表59頁下段)に記載がある。
 これに対し、ワイダ映画では、コルチャックがホーム出身のシュルツに連れられて場末の酒場に行き、帽子を回して客たちから寄付を募るシーンがあり、ここでコルチャックがガンツバイクと話をしていると、ユダヤ抵抗組織がガンツバイクを暗殺しようとして発砲する事件が起こり、その逃走中に、抵抗組織の青年が「あなたの誇りは?」と訪ねるのに対し、コルチャックが「ない…200人の子供がいるだけだ。」と答えることが描写されている(別表57〜59頁、62、63頁下段)。本件舞台劇の酒場のシーンは、このワイダ映画の酒場のシーンと酷似しており、ワイダ映画に基づいて創作されたものと考えられる。
d この場のBは、先に見たように、ワイダ映画のシーンと酷似している。
 なお、ここでルビンシュタインが叫んでいる台詞のうち、「金持ちが腐ってとけてく。これで脂身にありつけるぞ。」との台詞は、原告著作にはないが、リフトン著作(294頁。別表62頁下段)に類似の記述がある。
 また、ルビンシュタインの「燃えている。…」との台詞は、原告著作によったものであると思われるが、原告著作(161頁。別表61、62頁中段)に引用された詩人ゲビルティヒ作詞に係るレジスタンスの歌の一節を採ったものであるにすぎず、本件舞台劇の本場面とは、「町が燃えている」という表現が同一であるだけで、他の表現に共通性はない。
e この場のCのコルチャックの独白「子供であるのはよいことか」は、リフトン著作(264頁。別表63頁下段)でもコルチャックの言葉として記述され、ワイダ映画でも描写されている(別表64頁下段)が、ワイダ映画では、酒場のシーンの直後で描かれており、ここでも本件舞台劇とワイダ映画との類似性が見られる。他方、原告著作では、ドイツ軍のポーランド侵攻より前の1930年代前半ころのユダヤ人についてコルチャックが記述したものとして引用され、また、多少おどけた調子で記述されており(別表63、64頁中段)、これらの点で本件舞台劇と相違する。
f そうすると、本件舞台劇のこの場は、原告著作部分と表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。
(ス) 第2幕・12(飢餓・子守り歌)〔別表64、65頁〕
a この場では、@食べ物の妄想に襲われたコルチャックが、次々と料理の名を言ってはパンのかけらを食べる一方で、Aフリーダがユゼフが連れて行かれる夢を見たと言ってベッドで泣いているのをステファが安心させる。
b この場の@は、原告著作には該当ないし類似する記載がないが、リフトン著作(316頁)では、ゲットーでの生活中に、飢餓感から、種々の食べ物がまぶたに浮かんだとして、この場でコルチャックが挙げるのとほぼ同じ料理名が記されている。また、ワイダ映画でも、コルチャックがステファに、食べ物についておかしな夢を見るとして、種々の料理を語るシーンがある(別表64、65頁下段)。
c この場のAは、原告著作には該当ないし類似する記載がないが、ワイダ映画では、ホームの幼子が、夜中に銃声が聞こえて泣き出すのをコルチャックが安心させるシーン(別表65、66頁下段)があり、それとの類似性が見られる。
d このように、この場に関する控訴人指摘の原告著作部分とこれに対応した本件舞台劇の本場面とは、内容及び表現において、かなりの違いがあり、表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。
(セ) 第2幕・13(ネヴェルリイのゲットー訪問)〔別表66〜73頁〕
a この場の概要は、次のとおりである。
 @ネヴェルリイがゲットーのホームを訪れ、身分証明書や隠れ家を用意したから早くゲットーを出るように勧めるが、コルチャックは、申し出を拒否する。Aネヴェルリイが辞去すると、エステルがステファに「郵便局」の劇の演出をするよう言われたことを告げ、なぜ死への準備をするのかと問うと、ステファは、子供たちが死を受け入れるようにするためとのコルチャックの考え方を説明する。B暗転の後、子供たちが劇中劇「郵便局」(タゴール作)を上演するシーンに移り、主人公が死ぬシーンが演じられる。
b この場の@では、ネヴェルリイがホームを訪問してコルチャックに脱出を求めると、コルチャックが「みなしごの家」の管理人(料理人)をしていたザレフスキのことを引き合いに出して申し出を断るエピソードが描かれている。これは、原告著作に記述がある(別表67、68頁中段)が、リフトン著作(339頁。別表67、68頁下段)にも記載されている事柄であり、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり基礎的な事実として一般に認識されているものと考えられる。そうすると、原告著作の上記部分に係る基本的内容・表現は原則的に自由に使用されるべきものであり、翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭いというべきところ、これに対応した本件舞台劇の場面は、原告著作と本質的特徴の同一性があるとはいえない。
 また、この場でコルチャックは、申し出を断る理由として、ザレフスキのことに触れる以外に、子供病院の勤めを辞めてホームを設立する際に、脱走したような気持ちが消えないので、そのような裏切りを二度としたくないと述べている。コルチャックがこのような思いを抱いていたことは、原告著作にも記載がある(61頁。別表68頁中段)が、それは、病院を辞めてホームを設立する記述の箇所で、そのときのコルチャックの気持ちとして記載されているにすぎず、トレブリンカに送られる直前にネヴェルリイの申し出を断り、子供たちとゲットーに残ることとすることとの関連は、特に記載されてはいない。また、鉢植えの緑の点やステファ夫人が新しい服を用意した点も原告著作に記載されているが、いずれもゲットーに残ることとの関連で記述されているわけでない。
 さらに、ここでネヴェルリイは、コルチャックの本はドイツでも出版されていると発言しているが、これは原告著作に記載があるものの、前記ネヴェルリイによる申し出の場面とは全く異なる1935年の箇所で客観的に記述されているにすぎない。
 次に、この場でコルチャックは、「わたしが強い?忙しくしている昼間はまだいい。だが夜になるともうだめだ。食べ物のことばかり考えている。」、「わたしはただの老いぼれさ。」と述べ、自分は弱い人間であると告白し、さらに、「犠牲になっているつもりはない。」「わたしにあの子たちが必要なんだ。」と述べるが、このようなコルチャックの心情は、原告著作にも他の文献にも記載されていない。
 したがって、本件舞台劇の以上の各部分は、原告著作と表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない
c この場のAで、エステルが「郵便局」の劇の演出をしたことは、原告著作に記述があるが、リフトン著作(333頁。別表69、70頁下段)にも同様の記載がある。なぜ死の準備をするのかというエステルの問いに答えて、ステファが、「尊厳を持って『死』さえも迎えられる、そういう生き方をしたいの。」、「コルチャック先生の闘いは子どもたちと生きることなの。」と語る考えは、原告著作や他の文献に直接の記載はない点であり、本件舞台劇の創作に係るものである。
d この場のBで、子供たちが演じる「郵便局」の内容は、招待状の点を含め、原告著作に記載がある(別表71〜73頁中段)が、リフトン著作(333〜336頁。別表69〜71頁下段)にも記載があり、ワイダ映画でも子供たちが演じる様子が描写されており(同表71〜73頁下段)、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり基礎的な事実として一般に認識されているものと考えられる。
 そうすると、原告著作のタゴールの郵便局の部分に係る基本的内容・表現は、原則的に自由に使用されるべきものであり、翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭いというべきところ、対応した本件舞台劇の本場面は原告著作の上記箇所と表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。
(ソ) 第2幕・14(チェルニアクフの選択)〔別表74〜80頁〕
a この場の概要は、次のとおりである。
 @ユダヤ人評議会において、コルチャックが、強制移送のうわさがあるとするのに対し、チュルニアクフは、単なるうわさだと反論する。コルチャックは「子供たちは絶対に渡さない」と言い、チュルニアクフは、「子供たちは必ず守る」と約束する。Aコルチャックが辞去すると、チェルニアクフは、ユダヤ人とドイツ軍の板挟みにあっている苦悩を妻に打ち明ける。Bそこへドイツ兵がやってきて、ゲットーのユダヤ人を強制移送するからユダヤ人評議会も協力するよう命じる。これに対し、チュルニアクフは子供たちまで連れていくのはやめるよう申し入れ、移送通知書にサインするのを拒否したため、ドイツ兵に殴り付けられる。ドイツ兵は、サインの有無にかかわらず、全員移送すると言い残して去る。チュルニアクフは、今まで私がしてきたことは何だったんだと言って、服毒自殺をする。Cユゼフにより、翌日からユダヤ人の強制移送が始まったことが語られる。そこへイレーナが現れ、ゲットーを出て生きると言い残して去る。そして、ユゼフにより、エステルが「人狩り」(ドイツ兵に強制的に連行されること)に遭ったことが語られる。
b この場の@のコルチャックとチェルニアクフとのやりとりは、原告著作には記載がないが、リフトン著作(337頁)では、「郵便局」の劇がホームで行われた当時、ゲットーでは、よそのゲットーの人々が列車で強制移送されたことはつかんでいたが、ガスによる大量殺人が行われていることの裏付けは取れなかったことが記載されている(別表74頁下段)。また、ペルツ著作(163頁)では、チェルニアクフが子供たちまでが移送されたら自殺すると言った旨が記載され(別表74頁下段)、ワイダ映画では、チェルニアクフがコルチャックから孤児たちのことを問われて「私が生命を賭けて彼らに答える」と述べるシーンが描かれている(別表78頁下段)。
c この場のAでチェルニアクフは、自分はこの国を出るべきだったが同胞を見捨てることはできなかった、ドイツ軍とユダヤ人の板挟みで、こんな仕事を誰がやりたくてやっているかという独白をしているところ、原告著作には、このようなチェルニアクフの立場についての記載がある(別表75頁中段)。しかし、チェルニアクフのこのような苦悩については、リフトン著作(338、339頁。別表75頁下段)にも同様の記載があり、前同様の基礎的事実として一般に認識されているものと考えられ、原告著作にのみ見られる表現上の特徴といえない。
d この場のBでのチェルニアクフとドイツ軍とのやりとりについては、原告著作には直接の記載がなく、ただドイツ軍による布告の内容と、チェルニアクフが子供たちの境遇に心を痛めており、彼らを救えればとドイツ当局との交渉に努めていたが受け入れられなかったとの記述(202頁。別表76頁中段)があるにすぎない。また、このような記載は、リフトン著作(341、342、344頁。別表75〜77頁下段)にも記載があり、更にワイダ映画には、チェルニアクフがドイツ軍の命令書への署名を拒否したため暴行を受けるシーンが描かれている(別表77、78頁下段)。
 さらに、チェルニアクフが服毒自殺をする点は、原告著作に記載があるが、リフトン著作(344頁。別表77頁下段)及びペルツ著作(169、170頁)にも記載があるほか、ワイダ映画でも描写されており(別表78頁下段)、前同様の基礎的事実である。
e この場のCでユゼフが語る内容は原告著作に記載があるが、リフトン著作(341、342頁、349頁。別表75、76、79、80頁下段)にも記載があり、歴史的事実であると同時に前同様の基礎的事実であり、翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭く、エステルが「人狩り」に遭うことはワイダ映画でも描かれており(別表79頁下段)、具体的な表現の共通性を欠き、表現上の本質的特徴に同一性があるとはいえない。
(タ) 第2幕・15(別れ)〔別表80〜84頁〕
a この場の概要は、次のとおりである。
 「ぼくたちの家」に、ゲットーを抜け出したコルチャックが抱えられてやって来て、マリーナからミルクを受け取って飲む。コルチャックはエステルが行方不明になった旨を告げ、彼女が残した詩のノートをヤネクに渡し、マリーナにこれまでの礼を述べる。マリーナは、このままここに残るよう求めるが、コルチャックは私は子供たちと離れられないと言って、ゲットーに帰っていく。そして、「明日は何が起こるかわからない」とのコルチャックの独白が流れる。
b 本場面に対応する原告著作部分は、3箇所に所在が分かれているところ、そのうち、マリーナとの別れの部分は、身の危険を顧みず、「ぼくたちの家」にコルチャックのための隠れ家を用意していたマリーナの救援の申し出が拒否されたこととともに、ネヴェルリイの話として、トレブリンカに送られる直前にコルチャックがマリーナに別れを告げに「ぼくたちの家」を訪れたことが具体的に著述されており(別表80、81頁中段)、近づく死を覚悟したコルチャックの具体的行動を表現している点に表現上の本質的特徴があるといえ、思想感情の創作的表現も認められ、著作物性を肯定し得る。
 そして、本件舞台劇におけるこの場面のマリーナとの別れの部分は、時期や場所等を初めとして原告著作との表現の同一性が顕著である。
 すなわち、この場に描かれているように、強制移送の直前にコルチャックが「ぼくたちの家」に別れを告げにやってきたことは、原告著作に記載されている(別表80、81頁中段)が、他の著作にはない。
 コルチャックが、ゲットーでの生活中にゲットーを抜け出して「ぼくたちの家」を訪れマリーナと会ったことについては、リフトン著作(303、304頁。別表80、81頁下段)に記載があるが、強制移送前年の1941年11月ころのこととされており、コルチャックらがトレブリンカに送られる時よりも相当前であり、しかも別れの要素がなく、内容上・表現上の違いが大きい。
 他方、ワイダ映画では、強制移送の直前に、ゲットーを抜け出したコルチャックがマリーナと会い、マリーナによるゲットー脱出の勧めを断るシーンが描写されている(別表81、82頁)が、墓地での出来事であり、「ぼくたちの家」でのことでない上、マリーナがコルチャックに食べ物や飲み物を勧める描写はなく、具体的表現上の違いが大きい。
 また、本場面におけるミルクを巡るやりとりは、原告著作(176頁)では、スープに手を付けなかったことになっているが、同じ飲食物を巡るやりとりということで共通しており、エステルについての部分とともに、原告著作の前記部分に加えられた修正・変更というべきものである。
c 本場面に対応する原告著作の他の2箇所のうち、「我々ユダヤ人には、明日何が起こるか分からない」という部分は、タゴールの「郵便局」上演に関する記述の一部として、その冒頭に掲げられ、また、エステルに関する部分は、タゴールの郵便局の記述の最後の部分で、劇を演出したホーム職員のエステルが上演の数日後にトレブリンカに送られたことを記述し、コルチャックの挽歌ともいえる文によりエステルの人柄を記述するものであって、いずれも死を示唆するものとして表現上の本質的特徴があるといえ、思想感情の創作的表現も認められ、著作物性を肯定し得る。
 これに対応する本件舞台劇の本場面のヤネクがコルチャックから渡されて読むエステルの詩のノートの内容・表現は、原告著作の表現とかなり異なるが、エステルの人柄をしのび同人との再会を信じるという点が共通しており、また、「我々ユダヤ人には、明日何が起こるか分からない」と語る部分は顕著に原告著作との同一性が認められる。
d そうすると、前記原告著作部分は、いずれも、ワルシャワゲットーのユダヤ人の身に現実に降りかかってくる死に対応するコルチャック等の行動・思いが表現されているところ、本件舞台劇も同様の内容で表現されている点において、表現上の本質的特徴の同一性があり、直接これを感得し得るといえる。
e 次に、前記引用に係る事実認定に被控訴人Dの本人尋問の結果を併せ、上記表現上の本質的特徴の同一性を考慮すると、本件舞台劇の上記シーンは、原告著作の上記部分に依拠して創作されたものと認められる。
f したがって、本件舞台劇の「別れ」の場面は、原告著作の翻案と認められる。
(チ) 第2幕・16(最後の朝)〔別表84〜90頁〕
a この場の概要は、次のとおりである。
 @ホームにドイツ兵がやってきて、東部への移送を命じる。コルチャックと子供たちは、ドイツ兵にせかされながら荷物を整理し、10分間の猶予を得た後、歌を歌い、ホームを出発する。A誰もいないホームにコルチャックの独白が流れる。Bするとユゼフが駆け込んで来て、事態を理解して走り去る。
b この場の@の様子に対応した原告著作の記載(別表84頁中段)は、対応する本件舞台劇と内容及び表現上かなりの違いがあり、表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。本件舞台劇のこの場は、むしろリフトン著作(354〜358頁)及びワイダ映画と、内容及び表現上の同一性が顕著であり(別表84〜88頁下段)、これらに基づいて創作されたものと認められる。
c この場のAの独白「別れの言葉」の内容は、原告著作に記載がある(95、96頁)が、原告著作では、ホームの卒業の際のコルチャックの別れの言葉として1919年に青少年向けの雑誌「太陽のもと」に掲載されたものとして記載されており(別表89、90頁中段)、マリア・ファルコフスカ著「ヤヌシュ・コルチャックの生涯、活動そして著作品の手引き」(1989年出版、乙8)にも同様の記載があり、ワイダ映画にも同様の台詞があり(別表89頁下段)、コルチャックに関する著述・製作に関わる者にとり基礎的な事実として一般に認識されているものと考えられる。
 したがって、原告著作の上記部分に係る基本的内容・表現は、原則的に自由に使用されるべきものであり、翻案権を肯定し得る表現上の本質的特徴と認め得る範囲は狭いというべきところ、これに対応した本件舞台劇は、原告著作と「別れの言葉」が用いられる場面が異なることにより、違うニュアンスを有している点で、表現上の本質的特徴の同一性があるとはいえない。
d この場のBの様子は、原告著作や他の文献にも、これに該当する記載は見当たらない。
(ツ) 第2幕・17(かなたへの旅立ち)〔別表90〜94頁〕
a この場の概要は、次のとおりである。
 貨物集積場にコルチャックと子供たちが歌を歌いながら列をなしてやって来る。そして、子供たちに続いてコルチャックが貨車に乗り込もうとしたとき、ドイツ軍将校が、コルチャックに対し、特赦が下りたから残ってよいと告げる。コルチャックが「子供たちもか。」と問うと、ドイツ軍将校は、「ばかなことを。戦争中のことだ。おまえひとり生きのびたって誰も責めるものはいやしない。」と答える。すると、コルチャックは、「あなたはまちがっている。」と言って、子供たちの中へと入って行き、子供を抱きかかえながら、「未来はここにある。」と述べる。
b 本場面に関する原告著作部分は、「X 死への行進」に記載されており、1942年8月にコルチャックと子供たちがガス室への道をたどったとして、同人らの貨車積換場までの行進とコルチャックのみの助命を拒否して全員貨車に乗り込む状況が描写されている。
 行進は、真昼の炎天下を「希望の旗ー緑の旗」とコルチャックを先頭にして4列で整然となされた様が表現され、次いで、貨車積換場で、コルチャック特赦の知らせを受け取った孤児援助協会事務局長ヴワディスワフ・フリートハイムの伝令が群衆をかきわけ一枚の紙片を示しながらコルチャックに向かって乗らないでよい旨を興奮して叫んだが、コルチャックの目が無言のうちにその申し出を退け、鉄のドアが、ガラガラと音を立てて閉まったと表現して、最後となったことが描写され、更に追加して、コルチャックの最後の日について十指に余る記録が残されていて、特に貨車積換場に着いて貨車に乗り込むまでのコルチャックの状況に関する証言にかなりの食い違いがあることが指摘されて複数の事実が具体的に紹介され、「最後にネヴェルリイが、1943年にアウシュヴィッツに囚人として収容されていた時、コルチャックが貨車に積み込まれるのを直接目撃したポーランド人から聞いた話を引用しておきたい。」として、旗を先頭に整然と4列に並んで到着した行列を引率する老人を、子供の時に読んで感動した本の著者コルチャックと知ったSS指揮官が、好意から独断で、残ってよいと命じたにもかかわらず、コルチャックが助命の申し出を退けて貨車に乗り込んだことが描写されている。したがって、この部分に関する原告著作は、移送されるコルチャックの貨車積換場における状況につき、食い違う複数の証言があるとして、その数例が具体的に著述され、特赦による釈放が無言のうちに退けられたとの記述と、ネヴェルリイの伝聞したところに基づくコルチャックとSS指揮官との具体的やりとり及びその後の助命拒否の記述とを、併せ記載している点に表現上の本質的特徴があるといえ、思想感情の創作的表現も認められ、著作物性を肯定し得るものである。
c この場面は、コルチャックに関する他の作品にも触れられているが、コルチャックと子供たちが整然と行進して貨車積換場に到着した後、貨車に乗り込む際の状況に関し、リフトン著作では、釈放許可を記載した書面をドイツ軍将校から示されたものの、コルチャックが首を振って拒否した旨の著述のみがされている点に特徴があり、ワイダ映画では、女のドイツ兵が紙片を渡してコルチャックへの伝言を他のドイツ兵に依頼しているシーンとアメリカへのパスポートがあるとのみなしごの家の卒業生の呼びかけが無視されるシーンの二つがある点に特徴があり、いずれもコルチャックとドイツ軍将校とのやりとりのある本件舞台劇とは表現上の違いがある。
 また、ネヴェルリイが1967年に出版した著作(乙11)及びヴォルガング・ペルツェルが1987年に出版した著作(乙12)でも記されている(別表92〜94頁)が、これらは、前記原告著作で紹介されているとおり、ドイツ軍指揮官の個人的好意から独断でコルチャックに対する助命が申し出られたとする点に特徴があり、本件舞台劇とは表現上の違いが認められる。
d 本場面は、特赦によってただ一人救命されることで子供らから解放されるよう勧めるドイツ軍将校に対し、コルチャックが「あなたは間違っている。」と断じた上で、子供たちとともに貨車に乗り込むという、本件舞台劇における最高潮の場面であるが、原告著作に最初に記載されている、一人の男がコルチャックに特赦が下りたことを興奮して知らせたのに対し、コルチャックは無言のうちにその申し出を退け、貨車に入って行ったという話と、複数の事実のうちの最後の、ネヴェルリイからの再伝聞として記載されているもの、すなわち、コルチャックらが貨車に積み込まれようとしているとき、コルチャックの名を知ったSS(親衛隊)指揮官が、「あなたは乗らずにここに残ってもよろしい。」と告げたのに対し、コルチャックは、「それで、子供たちは?」と訊ね、「子供たちは行かねばならない。」との返事を受けると、「あなたは間違っている。まず子供たちを。」と述べて自ら貨車へ入って行ったとされる話の二つを、部分的に結びつけた上で、若干の表現上の修正・増加・変更を加えたものと認められるのであり、原告著作の表現上の本質的特徴と同一性があるといえ、原告著作の本質的特徴を感得することができる。
 なお、「未来はここにある。」とのコルチャックの最後の台詞は、本件舞台劇で具体的表現が追加されたものであるが、上記本質的特徴の同一性を否定するまでには至らない。
e そして、前記引用に係る事実経過に被控訴人D本人尋問の結果を併せ、上記表現上の本質的特徴の同一性を考慮すると、本件舞台劇の上記「かなたへの旅立ち」のシーンは原告著作の「X 死への行進」の部分に依拠して創作されたものと認められる。
f したがって、本件舞台劇の上記「かなたへの旅立ち」のシーンは、原告著作の「X 死への行進」の部分の翻案というべきである。
ウ 以上のとおりであって、本件舞台劇の各場面のうち、「プロローグ トレブリンカ」、第2幕の15「別れ」及び同17「かなたへの旅立ち」の3場面は原告著作の翻案であると認められるが、その余の場面については原告著作の翻案であるとは認められず、したがって、また、本件舞台劇全体が原告著作の翻案であるとも認められない。
 なお、控訴人は、本件舞台劇のうち当裁判所が認めた箇所以外にも原告著作の翻案部分が存在することを、甲35、36においてるる指摘するが、いずれも当該部分に関する翻案性を否定した前記認定・判断を左右するものではない。
2 争点(1)イ(被控訴人3名が97年公演を行うことを控訴人は許諾していたか。)について
(1) 前記1(1)の引用に係る原判決「事実及び理由」第4の1(1)エ(ア)(28頁)のとおり、平成7年12月14日に控訴人と被控訴人朝日新聞社及び被控訴人劇団ひまわりとの間で取り交わされた本件覚書においては、1995年(平成7年)8月12日以降5年間にわたり、被控訴人朝日新聞社及び被控訴人劇団ひまわりは、「コルチャック先生」の公演を実施する際、被控訴人朝日新聞社及び被控訴人劇団ひまわりが保有する『上演台本』をもって、自由に公演を行うことができる旨定めた条項が存するが、この条項は、控訴人が平成7年8月12日以降5年間は、被控訴人朝日新聞社及び被控訴人劇団ひまわりが原告著作に基づき舞台劇「コルチャック先生」を上演すること、すなわち原告著作を翻案した舞台劇を上演することを許諾したものと解することができる。そして、このことは、控訴人が、本件舞台劇同様、原告著作の翻案であると主張する95年公演の舞台劇について、被控訴人3名に対する関係では原告著作の翻案を承認しているところ、前記覚書における上演許諾期間の始期が95年公演の初日であることからも、裏付けられるところである。
(2) もっとも、控訴人は、本件覚書による合意を解除した旨主張し、その理由をるる挙げるので、以下、順次検討する。
ア まず、控訴人は、平成8年11月26日に朝日新聞に掲載されたケムニッツでの公演に係る本件記事が事実に反し、不正確なものであったので、著作者である控訴人が、それに抗議し、本件記事を訂正するように求めたにもかかわらず、被控訴人朝日新聞社が本件記事の訂正をせず、かくして無償契約(覚書)存立の基礎をなしていた当事者間の行為、信頼関係は根底から覆されたため、控訴人は、本件覚書による契約を解除したので、本件覚書は失効した旨主張する。
 なるほど、後記3(1)のとおり、本件記事の記載内容からすると、本件記事に接した読者には、平成7年に俳優の加藤剛の主演により日本で初演された劇「コルチャック先生」(すなわち95年公演)はF戯曲を脚本として上演したものであったとの誤った認識が生じるものと認められ、本件記事が、この意味において、客観的事実に反する不正確なものであったことは否定できない。
 しかしながら、後記3(2)のとおり、本件記事は95年公演の原作については全く言及しておらず、一般的にも舞台劇の原作と脚本が必ずしも同一のものではないと認識されていることからすると、本件記事は、読者に95年公演の原作がFの著作であるとまでの認識を生じさせるものとはいえず、また、原告著作が95年公演の原作であることを否定する趣旨を含むものでもない。
 そうすると、被控訴人朝日新聞社が控訴人からの本件記事の訂正要求に応じないことは、本件覚書による合意の解除事由となり得る程に控訴人と被控訴人朝日新聞社の信頼関係等を覆滅するものとはいえない
イ 次に、控訴人は、平成8年11月20日ころ、被控訴人劇団ひまわりのG及びHの両名が控訴人宅を訪れ、突然「97年に再演を行う。そこでは95年公演と同様『原作A、脚本原作F』と表示するか、それともいずれとも全く表示しないことにする。」旨通告してきたが、これは原告著作の著作者である控訴人の精神的利益を甚だしく侵害するものである旨主張し、著作者人格権の一つである撤回権に基づき本件覚書による翻案許諾を撤回したとする。
 しかし、控訴人主張の撤回権については、その著作権法上の法的根拠が必ずしも明確でなく、認められない。
 のみならず、引用に係る原判決「事実及び理由」第4の1(1)エ(イ)(29頁)のとおり、控訴人指摘の上記Gらの言は、97年公演が被控訴人朝日新聞社と被控訴人劇団ひまわりとの共催になった場合と、被控訴人劇団ひまわりの単独主催になった場合の、それぞれの控訴人及びFのクレジット表示に関する見通しを示したにすぎず、具体的交渉は97年公演への被控訴人朝日新聞社の関与の態様が確定した時点で改めて行われる予定であったもので、そこではFの表示を除外しつつ、控訴人のクレジット表示を工夫する余地も十分存したと考えられる。また、引用に係る原判決「事実及び理由」第4の1(1)エ(ア)(28、29頁)の本件覚書の記載によると、「原作:A(『コルチャック先生』朝日新聞社刊)」と表記する「本公演」とは95年公演のことであり、97年公演以降も原告著作を原作表示することを定めたものとは解されないから、97年公演で原告著作を原作表示しなくても、本件覚書に反するとはいえない。
 したがって、前記Gらの言をもって、直ちに控訴人の精神的利益を侵害したものとは認めるに足りず、これをもって控訴人主張の撤回権行使の理由とすることはできない。
ウ 控訴人は、97年公演に先立っての控訴人と被控訴人劇団ひまわりらとの事前協議が全くなされなかったことは、本件覚書3項ただし書に反するとして、この協議義務不履行に基づき、本件覚書による契約を解除する旨主張する。しかし、引用に係る原判決「事実及び理由」第4の1(1)エ(イ)(29頁)のとおり、Gは、本件覚書締結後、何度か控訴人に対して97年公演の話を持ちかけており、平成8年11月26日の朝日新聞夕刊における本件記事掲載を契機に控訴人が演劇公演に関わらない旨表明するまで、控訴人と被控訴人劇団ひまわりとの交渉は行われていたのであるから、97年公演の事前協議が行われなかったとする控訴人の主張を採用することはできない。
エ そうすると、前記アないしウの理由はいずれも控訴人による本件覚書破棄の正当な理由となり得るものではなく、控訴人がこれらを理由として一方的に本件覚書による契約を解除する旨の意思表示をしたとしても、無効であるといわざるを得ない。
 したがって、97年公演が平成9年8月5日から同月30日にかけて行われたことは、引用に係る原判決「事実及び理由」第2の1(3)(3頁)のとおりであるから、控訴人が平成7年8月12日以降5年間の期間内において原告著作を翻案した舞台劇を上演することを許諾した本件覚書の効力は、97年公演にも及ぶものであり、控訴人が本件舞台劇につき原告著作の翻案権侵害等の主張をすることは許されないというべきである。
(3) そうすると、その余の点について判断するまでもなく、控訴人の被控訴人3名に対する著作権侵害を理由とする損害賠償請求は理由がない。
3 争点(2)ア(本件記事の名誉・信用毀損性)について
(1) 被控訴人朝日新聞社が平成8年11月26日の朝日新聞夕刊に本件記事を掲載したこと及びその内容は、引用に係る原判決「事実及び理由」第2の1(5)(4頁)のとおりである。
 そして、甲7によれば、本件記事は、F戯曲がドイツのケムニッツ市立劇場で地元の高校生によって上演され、観客に感動を与えたことを伝えるものであるところ、本件記事中には、@Fの脚本による劇「コルチャック先生−ある旅立ち」がドイツ(旧東ドイツ)のケムニッツ市立劇場で、日本の国外では初めて上演されたこと、Aこの劇は、戦後50年を記念して、昨年夏、俳優の加藤剛主演により日本で初演されたことが記載されていること、Bしかし、本件記事中には、原告著作や控訴人について触れるところはないことが認められる。本件記事のこのような記載内容からすると、本件記事に接した読者には、平成7年に俳優の加藤剛の主演により日本で初演された劇「コルチャック先生」(すなわち95年公演)はF戯曲を上演したものであったとの認識が生じるものといえる。
 しかしながら、95年公演は、被控訴人Dの脚本によって上演されたものであって、F戯曲を脚本として上演されたものではないことは、引用に係る原判決「事実及び理由」第4の1(1)ウ(ウ)、(エ)(25〜28頁)のとおりであるから、本件記事は、この意味で、客観的事実に反するものであったといえる。また、95年公演は、「原作 A、脚本原作 F、脚本 D」とのクレジット表示の下に行われたものであるから、この面からみても、本件記事が必ずしも正確なものでなかったことは否定できない。
(2) ところで、控訴人は、本件記事により、あたかも95年公演に係る舞台劇「コルチャック先生」の原作者が控訴人ではなかったかのように報道され、それによって名誉及び信用を毀損されたと主張する。
 しかし、本件記事は、直接には、Fの脚本による劇がドイツで上演され、かつ、日本でも95年公演で上演されたということを伝えるものであり、95年公演の原作が何であったかということまで言及しているものではない。
 したがって、本件記事が、95年公演がF戯曲を脚本とするものであったということを伝えるものとして読者に認識され得るとしても、一般の読者は95年公演とその原作との関係を知らないのが通常であるから、F戯曲を脚本とする舞台劇がドイツで上演され、かつ95年公演で上演されたということを伝える本件記事から、直ちに原告著作が95年公演の原作ではなかったとの認識が生じるとはいえない。
 また、95年公演の原作関係について知っている読者にとっても、95年公演では、F戯曲も「脚本原作」とのクレジット表示をされたのであるから、F戯曲がドイツで上演されたことの報道を中心とする本件記事において、F戯曲の紹介をするに当たって、それが95年公演の脚本とされたものであると読者に受け取られるような記載があったとしても、それによって直ちに、原告著作が95年公演の原作ではなかったとの認識が読者に生じるとはいえない。もっとも、控訴人本人は、本件記事の掲載後、原告著作の読者やヨーロッパのコルチャック研究者等から控訴人に対して、95年公演の原作は原告著作ではなかったのかとの問い合わせがあった旨供述するが、控訴人の供述以外にこれを裏付ける証拠はなく、また、前記のとおり、本件記事は、不正確な面があるにせよ、原告著作が95年公演の原作であることを否定した趣旨のものでもないから、上記控訴人供述を直ちに採用することはできない。
(3) 以上によれば、本件記事は、客観的事実に反する内容ではあるものの、控訴人の名誉及び信用を害するものとは認められない。
 したがって、その余の点について判断するまでもなく、控訴人の被控訴人朝日新聞社に対する、本件記事により控訴人の名誉及び信用を害されたことを理由とする損害賠償及び謝罪広告掲載の各請求については、いずれも理由がない。
4 争点(3)ア(本件放送の著作権侵害性)及びイ(本件放送の許諾)について
(1) 被控訴人日本放送協会が、平成8年3月25日及び同年9月5日、NHK衛星第2放送(11チャンネル)において、95年公演(東京公演)を収録した番組を放送したこと(本件放送)は、引用に係る原判決「事実及び理由」第2の1(4)(4頁)記載のとおりであるところ、97年公演における本件舞台劇が一部原告著作を翻案した場面を含むことは、前記1で認定・説示したとおりであり、かつ、前記引用に係る事実経過において当審認定として付加したとおり、本件舞台劇は95年公演とほとんど変わらず、95年公演の内容は97年公演とほぼ同一であるから、本件放送についての控訴人の承諾がない限り、本件放送は控訴人の著作権(公衆送信権)を侵害する余地があるというべきである。
(2) そこで、本件放送に対する控訴人の許諾の有無について検討する(本件放送のもととなった95年公演が原告著作の翻案といえるか否かの厳密な検討はひとまず措く。)。
ア 引用に係る原判決「事実及び理由」第2の1の事実に、証拠(後掲書証、戊5、7、証人I、同G、同J、控訴人本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(ア) 95年公演については、平成7年7月上旬ころに、被控訴人朝日新聞社から被控訴人日本放送協会に対し、テレビ中継の依頼がなされ、被控訴人朝日新聞社、被控訴人劇団ひまわり及び被控訴人日本放送協会の間で協議した結果、95年公演の主催者(被控訴人朝日新聞社及び被控訴人劇団ひまわり)において公演を収録したビデオを制作し、それを被控訴人日本放送協会の関連会社である株式会社NHKエンタープライズ21が買い取って放送することになった。この合意に関する契約書(覚書)が作成されたのは、平成8年2月1日である(戊2。ただし、覚書の当事者は被控訴人朝日新聞社、被控訴人劇団ひまわり及び株式会社NHKエンタープライズ21である。)。
(イ) この合意を受けて、被控訴人劇団ひまわりのGは、そのころ、本件放送を行うことについて、主演俳優であった加藤剛を始め、95年公演の関係者から承諾を取り付け、平成7年8月上旬ころには、控訴人宅に電話し、応対した控訴人の妻に、95年公演の舞台がテレビで中継放送されることが決まったことと、テレビの放送料は入るが、撮影に費用がかかって利益がほとんど出ないので協力してほしい旨を口頭で説明した。その後も95年公演の上演の際等に控訴人とGが顔を合わせるたびに、本件放送のことが話題に出たが、控訴人からは特に本件放送を行うことについて異論は出ず、控訴人は、本件放送を楽しみにしている、早く放映してほしいとの趣旨の言動に終始した。
 その後、Gは、平成8年1月には放送用に収録したテープのコピーを控訴人に送付し、同年3月上旬には、放送日が3月25日に決まった旨の案内も控訴人に送付した(甲8)。
 (控訴人本人は、甲8の案内を送付されるまで、本件放送についてGと話をしたことはないと供述するが、被控訴人朝日新聞社及び被控訴人劇団ひまわりが、少なくとも95年公演の段階においては、控訴人を原作者として扱い、そのように尊重して接してきたことは、前記引用に係る事実経過から明らかであるから、前記本件記事が掲載されて控訴人と被控訴人朝日新聞社らとの関係が悪化する平成8年11月26日以前の段階で、本件放送を控訴人に何の断りもなしに行うとは考え難い。したがって、控訴人本人の前記供述は採用できない。)
(ウ) 本件放送の初回放送は、平成8年3月25日に行われたが、その直後の同年4月上旬、自身もコルチャック研究者である控訴人の妻は、Gに手紙(戊4の1・2)を送り、その中では、「ビデオテープをお送りいただきありがとうございました。また先日はお忙しいところお電話を申し訳ございませんでした。」、「テレビやビデオテープをみますとまた感慨も新たになります。本当にいろいろと大変だったのではないでしょうか。」と記載されており、文中に、本件放送に対する抗議は全く記載されていない。
(エ) また、本件放送の2回目は、平成8年9月5日に行われたが、その直後の同年10月2日、控訴人の妻は、被控訴人日本放送協会の番組編集局長に手紙を送り、その中で、「B.S.でA原作の舞台劇(劇団ひまわり)を放映していただき厚く御礼申し上げます。」と記載した(戊3の1・2。ただし、この手紙の本来の趣旨は、別の番組制作に関する疑念を示し、質問をする点にあった。)。控訴人は、事前に同手紙を見たが、控訴人ないし控訴人の妻から本件放送に対する抗議は一切なかった。
(オ) ところが、控訴人は、その後2年5か月以上を経過した平成11年3月8日、代理人の弁護士を通じて、被控訴人日本放送協会に対し、本件放送について著作権侵害であるとして損害賠償を請求する旨の通知を送付した。
(カ) 被控訴人朝日新聞社や被控訴人劇団ひまわりからの控訴人に対する連絡は、電話でなされることが多く、その際には控訴人の妻が対応することも多かったが、控訴人は、その都度、妻から電話の内容について報告を受けていた。また、控訴人は、妻が被控訴人朝日新聞社や被控訴人劇団ひまわりに宛てて出した重要な手紙について、事前又は事後報告を受けていた。
イ これらの事実からすれば、控訴人は、被控訴人日本放送協会が本件放送を行うことについて、少なくとも黙示の許諾を与えていたというべきである。
 控訴人は、本件放送について知っていたにもかかわらず、初回放送後約3年近くも経過してから初めて抗議の意思を表明したことについて、当初は著作権のことをよく知らなかったので、被控訴人日本放送協会が放送してくれるのかという程度にしか思っていなかったが、その後にこのような放送を行うには原作者としての控訴人の許可を得なければならないことが分かってきたからであると供述するが、この控訴人の供述を前提としたとしても、控訴人が、事前及び事後に、本件放送のことを知りながら、それを黙認していたとの前記認定を左右するものではない。
 また、控訴人は、控訴人の妻の言動から本件放送に関する控訴人自身の黙示の許諾を推認することは許されない旨主張する。しかし、前記ア(エ)、(カ)のとおり、被控訴人朝日新聞社や被控訴人劇団ひまわりから控訴人に対し電話等で連絡がなされた際には、控訴人の妻が対応することも多かったが、控訴人は、その都度、妻から電話等の内容について報告を受けていたのであり、他方、妻が被控訴人朝日新聞社や被控訴人劇団ひまわりに宛てて控訴人に代わって手紙等を出す際にも、事前に目を通したり、報告を受けていたのであって、前記アの控訴人の妻の言動はいずれも控訴人の意向を受けたものと認められるから、前記控訴人の主張を採用することはできない。
(3) したがって、控訴人の被控訴人日本放送協会に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
第5 結論
 以上の次第で、控訴人の被控訴人らに対する請求はいずれも理由がなく、これを棄却した原判決は相当であって、本件控訴はいずれも理由がない。
 よって、主文のとおり判決する。

大阪高等裁判所第8民事部
 裁判長裁判官 若林諒
 裁判官 小野洋一
 裁判官 西井和徒

別紙 対照表[略]
line
 
日本ユニ著作権センター
http://jucc.sakura.ne.jp/