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【事件名】生徒会誌掲載原稿の無断切り取り事件(2)
【年月日】平成14年5月9日
 東京高裁 平成12年(ネ)第5863号 謝罪広告等請求控訴事件
 (原審・前橋地裁平成9年(ワ)第55号)

判決

当事者
 別紙当事者目録記載のとおり


主文
一 本件控訴をいずれも棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴の趣旨
(1)原判決を取り消す。
(2)被控訴人らはその費用をもって、控訴人のため、この判決の確定した日以降、群馬県立丙川高等学校の生徒会が発行する生徒会誌「丁川」に原判決別紙(一)記載の謝罪文を一回掲載せよ。
(3)被控訴人らは、控訴人のため、平成八年四月に群馬県立丙川高等学校に入学した生徒に対し、前項の謝罪文を付して、原判決別紙(二)記載の「四〇年の回想」を配布せよ。
(4)被控訴人らは、控訴人に対し、金一〇〇万円及びこれに対する平成八年六月一日から支払済みまで年五分の金員を支払え。
(5)訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人らの負担とする。
二 控訴の趣旨に対する答弁
 主文と同旨
第二 事案の概要
一 控訴入は、勤務していた群馬県立丙川高等学校(以下「丙川高校」という。)を定年で退職する前に、同校の生徒会誌「丁川」二一号(以下「本件生徒会誌」という。)に別紙「四十年の回想」と題する回想文(以下「本件回想文」という。)を寄稿した。本件は、同校校長である被控訴人乙山松夫(以下「被控訴人乙山」という。)が平成八年四月の新入生に配布予定の生徒会誌から本件回想文の切り取りを職務命令として指示(以下「本件職務命令」という。)をしたのは違法であるとして、控訴人が、被控訴人らに対し、著作権法一一五条の措置を求めるほか、被控訴人乙山に対しては民法七〇九条に基づき、被控訴人群馬県(以下「被控訴人県」という。)に対しては国家賠償法一条一項に基づき慰謝料の支払を求めた事案である。
二 第一審裁判所は、本件職務命令の違法性を否認し、控訴人の請求をいずれも棄却した。
三 争いのない事実
(1)控訴人は、平成八年三月三一日まで丙川高校の工業(色染化学、染色デザイン実習)の教科を担当する教諭であった。
(2)被控訴人乙山は、平成六年四月から丙川高校校長の地位にあった者で、国家賠償法において被控訴人県の公権力の行使にあたる公務員である。
(3)被控訴人県は、丙川高校を設置し、管理する者である。
(4)丙川高校において、本件生徒会誌が発行され、本件生徒会誌に控訴人が寄稿した本件回想文が掲載されていた。本件回想文は控訴人の著作物であり、控訴人が著作権者である。そして、本件生徒会誌は、平成八年四月に丙川高校に入学する生徒に配付されることになっていた。
(5)被控訴人乙山は、丙川高校の生徒会の担当教諭に対し、本件生徒会誌を新入生に配布する際は、本件回想文を削除するように職務命令として指示(本件職務命令)をし、その結果、本件生徒会誌は、目次にある本件回想文が切り取られた状態で新入生に配布された。
四 争点
(1)本件職務命令が違法であるか否か。
(2)被控訴人乙山が本件職務命令につき不法行為責任を負うか否か。
(3)控訴人の損害
(4)控訴人が、被控訴人らに対し、著作権法一一五条に基づき、前記第一の一(1)及び(2)の措置を請求できるか否か。
五 争点に対する当事者の主張
(1)本件職務命令が違法であるか否か。
(控訴人)
ア 本件職務命令は、何らの法的な根拠ももたない行為であり、違法である。
(ア)丙川高校に、丙川高校の全生徒を会員とする生徒会(以下「本件生徒会」という。)がある。本件生徒会は、会員相互の自主的活動と教職員の助言とにより、高校生たる品格と教養の陶冶向上を図り、学園の民主化を図り、公民としての良識を養い、これを実践すること等を目的とする団体であるが、団体としての組織を備え、代表選出の方法、総会の運営、財産の管理、その他社団としての主要な点が規則によって確定している。また、本件生徒会は、基本的人権を全面的に享受するだけでなく、その権利行使の主体である生徒によって組織され、運営されるもので、子どもの権利条約一五条の結社、集会の自由に基づく団体にも該当し、その自主性が尊重され、かつ、自治権を有し、権利行使の主体となり得る団体である。したがって、本件生徒会は、権利能力なき社団に該当する。
 本件生徒会は年一回「丁川」という表題の生徒会誌を発行している。生徒の中から、本件生徒会活動の一環として編集委員が選出され、編集委員が編集委員会を組織し、本件生徒会誌は、編集委員会の編集方針、構想の下に創作される。本件生徒会誌の編集は、民主的教育と生徒との自治的訓練等の重要な柱として特別活動と位置付けられ、この編集・発行活動の実態を直視すれば、生徒の学習活動そのものであり、本件生徒会誌担当の教師の教育活動そのものである。また、本件生徒会誌の費用は本件生徒会が支払い、本件生徒会誌に関する編集著作権の権利者は権利能力なき社団である本件生徒会である。そして、本件生徒会誌は、当該年度の卒業生、在校生、新入生全員に配布され、さらに、市内の高等学校、県内の工業高等学校等に贈呈されてきた。
 本件生徒会誌は、丙川高校の平成七年度生徒会誌編集委員会により編集され、平成八年二月一〇日の印刷を経て、同年三月一日を発行日として、現実には同年二月下旬頃から平成七年度の卒業生全員、在校生全員に配布された。
(イ)高等学校の校長は、教諭の職務命令上の上司ではない。学校教育法二八条三項は、校長の職務命令権を定めたものではなく、組織体としての学校の最終的な責任の所在と対外表示権の所在や、学校の教育条件を整える大きな責任を負っていることを定めたものである。教育自体については、同法二八条六項により、教師が教育をつかさどることとなる。教育の内的事項については、校長は、教師に対して指導・助言しかできない。そして、本件生徒会活動と本件生徒会誌の編集発行は、前記のとおり特別活動と位置付けられ、教育活動の範疇に属し、校長は、その教育活動に関し担当教師に対する指導・助言はできるが、担当教師に対して職務命令を発することはできない。
 また、本件回想文の一部に特定政党の主張と結果的に一致する部分があっても、控訴人は、憲法、教育基本法を尊重し、その精神を日常の教育活動、日常生活に生かそうと努め、その回想を本件回想文として表したのであり、本件回想文の発表が教育基本法八条二項が禁止する政治的活動、政治教育に該当するということにはならない。そして、教育基本法八条二項の禁止の主体は学校であり、さらに、同項においては特定の政党を支持し、又はこれに反対する行為を禁止しているのであるから、この観点からいっても本件回想文の発表が教育基本法八条二項の禁じ事項に該当するということはない。
 仮に、本件回想文の発表が教育基本法八条二項が禁止する政治的活動等に該当することになっても、本件生徒会誌は、編集委員会が編集し、本件生徒会が発行したものであり、これを無断で削除する行為は本件生徒会の権利侵害に該当し、他方で、本件回想文の読み方に付記事項を付ける等の教育的配慮をすれば、政治的活動の弊害や発表による混乱等を容易に回避できたのであるから、本件職務命令は校長としての裁量権を越える違法な行為である。
 また、校長に、本件生徒会に関する事項についての全体的な裁量権があるとしても、本件職務命令は、憲法上の基本的人権を制約するものであること、原稿削除の本件職務命令の対象が生徒が中心となって作成した生徒会誌であって、後記意見表明権を保障する手続が必要となること、一度完成した生徒会誌の一部を切り取るという手段は生徒らに与える衝撃も大きく、社会通念からみても乱暴であることからすると、厳格な基準で審査すべきものであり、原稿の削除を求めるだけの格別の根拠があり(目的の正当性)、削除するために必要な適正な手続を経ていること(手続の正当性)が必要である。そして、本件回想文に何ら問題はなく、削除しなければならない理由ないし、仮にあるとしても、生徒会に意見を求めるという必要な手続がとられていないし、本件回想文の読み方に付記事項を付けるなど教育的配慮の措置をとればその職務命令の目的を達成するに十分であって、明らかに本件職務命令は、校長としての裁量権を逸脱又は濫用した違法なものである。
(ウ)したがって、本件職務命令には法的な根拠がなく、本件職務命令は違法である。
イ 本件職務命令は、憲法二一条、二三条、二六条に抵触する違法な行為である。
(ア)控訴人は、昭和二八から四年間生徒として丙川高校に在学し、その後丙川高校に勤務し、工手、公手、実習助手等を経て、昭和四九年に教諭となり、以後、平成八年三月に定年退職するまで丙川高校の教諭として勤務していた者である。控訴人の専門は色染化学、染織デザインで、丙川高校における担当科目は色染化学、染織デザインである。控訴人は、本件生徒会誌の編集委員会及びその担当教諭から要請され本件回想文を書き上げた。そして、本件生徒会誌に本件回想文が掲載された。
(イ)控訴人が本件回想文を本件生徒会誌に寄稿し、本件生徒会誌という表現媒体を通じて自己の思想、信条、意見等を発表することは、憲法二一条一項で保障された表現の自由の行使にあたる行為であるが、本件職務命令は、本件回想文の内容を事前に検討し、その内容が教育の場にふさわしくない等の誤った判断をして、本件回想文を新入生の目に触れないようにした行為であるから、表現行為を事前に審査した行為であり、憲法二一条二項が禁止する検閲に該当し、仮に検閲に該当しないとしても、事前抑制禁止の原則に違反する行為であり、控訴人の表現の自由を侵害する違憲・違法な打為である。
(ウ)本件回想文は、一定の知識を一方的に伝授しようとするものではなく、訴訟人の丙川高校教員としての長年にわたる生活を通じ、課外活動なども含めた教育全体について先輩や生徒から学んだことなどを率直に述べたものであり、本件回想文は、控訴人の生徒にあてての最後のメッセージであった。控訴人の本件生徒会誌に対する寄稿は、控訴人の長年にわたる教育活動の中で極めて重要な位置を占め、憲法二三条、二六条等で保障された教師の教育の自由の行使にあたる行為であるから、本件職務命令は、控訴人の教育の自由を侵害する違憲・違法な行為である。
ウ 本件職務命令は、憲法一三条、二六条、子どもの権利条約一二条、一三条、二八条、二九条に違反する違法な行為である。
(ア)本件職務命令は、丙川高校の生徒の学習権を侵害している。
(イ)そして、生徒の側から校長である被控訴人乙山に対し、学習権が侵害されたと主張することは不可能ないし著しく困難であるから、控訴人にこの侵害の事実を主張し、丙川高校生徒に対する権利の侵害を阻止する訴訟上の利益があるというべきであるから、控訴人は、本訴において前記学習権の侵害を主張できる。
エ 本件職務命令は、国際法上の義務に違反する。
(ア)本件職務命令は、子どもの権利条約一二条における子どもの意見表明権、参加権等を侵害している。同条約一三条以下では市民的自由権を明示しており、それに先立つ同条約一二条は重要である。これは、個々の生徒の意見表明権の保障だけでは実質的に不十分であって、生徒会のような組織を通じて、民主的に決定された生徒総体の意見が表明され、正当に尊重されることが重要である。
(イ)本件職務命令は、ILO・ユネスコの「教員の地位に関する勧告」に違反する。なお、同勧告は、条約ではないが、確立された国際法規として我が国の法体系において法源として機能し、裁判規範たるべきものである。
オ 本件職務命令は、本件回想文に関する控訴人の著作者人格権を侵害するか、本件生徒会の本件生徒会誌に関する編集著作権を侵害する違法な行為である。
(ア)訴訟人の本件回想文は、著作権法上の著作物(同法二条一項一号)にあたるところ、本件職務命令は、控訴人の著作者人格権としての公表権(同法一八条一項)ないし同一性保持権(同法二〇条一項)を侵害する違法な行為である。
(イ)また、本件職務命令は、本件生徒会の本件生徒会誌に関する編集著作権を侵害する行為で、この観点からも違法である。
カ 本件職務命令は、手続的な正当性を欠くもので違法である。
(ア)被控訴人乙山は、本件回想文のどの部分が不適当だから表現に工夫を求めるとか、担当教諭や関係職員、本件生徒会や編集委員会にも諮らず、独断で本件回想文を削除することを決め、本件職務命令をし、担当教諭に命じて本件回想文の削除をさせた。
(イ)本件職務命令は、当然に聞かなければならない生徒会の意見を聞いていないなど、手続的な正当性が著しく欠け、また、教育的配慮も全くなされていない行為であるから、違法である。
(被控訴入ら)
ア 学校教育法五〇条一項は、高等学校には、校長、教頭、教諭及び事務職員を置かなければならないと規定し、同法五−条で準用される二八条三項は、校長は校務をつかさどり、所属職員を監督すると規定している。そして、本件生徒会活動は、教科以外の教育活動としての特別活動であり、校長が校務としてつかさどる教育の実施・実践そのものである。そして、丙川高校においては、本件生徒会の直接的な指導は校務分掌で本件生徒会係に指名された教師が行っている。また、本件生徒会の運営組織図によっても本件生徒会は校長の指導及び管理下にあり、本件生徒会が丙川高校とは別の権利能力なき社団となり、権利の主体となることはあり得ない。「丁川」に、発行者として「群馬県立丙川高等学校生徒会」と書かれるのは、高等学校学習指導要領にいうところの、「教師の適切な指導の下に、生徒の自発的、自治的な活動が展開されるようにすること」という観点や、生徒に成就感を味あわせるといった教育的な配慮に基づいたことであって、本件生徒会が法的な意味で権利の主体であることを意味しているわけではない。法的な意味では、「丁川」の発行者は丙川高校であり、その発行責任者は丙川高校校長である。丙川高校は、在校生徒の教育に必要な費用を生徒の父兄から徴収するが、その収支の業務は校務であるから、その費用の中から本件生徒会誌発行の費用が支出されているとしても、そのことにより本件生徒会が本件生徒会誌に関する権利者となるということはない。
イ 教育基本法八条は、良識ある公民たるに必要な政治的な教養は、教育上これを尊重しなければならないとする一方で、法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治的教育その他政治的活動をしてはならないと規定している。そして、高等学校学習指導要領公民科の現代社会において、政治及び宗教に関する事項を取り扱うにあたっては、これら(教育基本法八条及び九条)の規定に基づいて、内容の指導を適切に行うことが必要であると規定している。そこで、現実の政治にかかわる事項を学校教育でとりあげる場合には、その取扱いを慎重にしなければならないが、本件回想文には日米安保条約を破棄すればよいという控訴人の一方的な政治的意見が記載されている。被控訴人乙山は、この意見を、教育活動の一環でもある特別活動として発行される本件生徒会誌に掲載することは相当でないと判断し、本件職務命令による指示をしたのであるが、被控訴人乙山のこの行為は、校務をつかさどり、所属職員を監督する者として当然の行為である。
ウ 本件職務命令は、憲法一三条、二一条、二三条、二六条に抵触するものではなく、子どもの権利条約一二条、一三条、二八条、二九条やILO・ユネスコの「教員の地位に関する勧告」の国際条約・勧告を学校長が直接遵守すべきことを求める行政通達はなく、本件職務命令の適法性の解釈規範としてとりいれても、それらに抵触する点はない。また、本件職務命令により本件回想文に関する控訴人の著作者人格権や本件生徒会の本件生徒会誌に関する編集著作権が侵害されることはなく、本件職務命令に手続的な正当性がないということもできない。
(2)被控訴人乙山が本件職務命令につき不法行為責任を負うか否か。
(被控訴人乙山)
 本件職務命令は、被控訴人県の公務員である被控訴人乙山が、その職務として行ったものであるから、本件職務命令が違法であったとしても、控訴人に対する損害の賠償義務は被控訴人県が負担し、公務員個人である被控訴人乙山は、その責任を負わない。
(控訴人)
 被控訴人乙山には、本件職務命令につき、故意・重過失がある。そして、公務員に故意・重過失がある場合には、個人も不法行為の責任を負うと解すべきであるから、被控訴人乙山も本件職務命令につき損害賠償責任を負う。
(3)控訴人の損害
(控訴人)
控訴人は、被控訴人乙山の行為により、表現の自由、教育の自由、著作者人格権を侵害され、名誉、信用を毀損され、四三年の経験から控訴人が学んだことを生徒らに伝える場を奪われ、多大かつ深刻な精神的苦痛を受けたから、この精神的苦痛を慰謝する慰謝料の相当額が金一〇〇万円以下になることはない。
(被控訴人ら)
 否認する。
(4)控訴人が、被控訴人らに対し、著作権法一一五条に基づき、前記控訴の趣旨記載の(2)及び(3)の措置を請求できるか否か。
(控訴人)
 控訴人の損害を回復するためには慰謝料の支払では足りず、著作者であることの名誉もしくは声望を回復するために、丙川高校の生徒会誌に謝罪文を掲載することや本件回想文を平成八年四月の新入生に配布することが必要である。
(被控訴人ら)
 本件生徒会誌の編集著作権は丙川高校の校長にあり、著作権法二〇条の同一性保持権を有する者は校長であり、被控訴人乙山が本件回想文を切除させたのは何ら著作権法違反にならないし、故意又は過失により控訴人の著作者人格権を不法に侵害したものではない。
第三 当裁判所の判断
一 前記争いのない事実及び(証拠略)によれば、次の事実が認められる。
(1)本件生徒会誌は丙川高校の生徒会活動の一つとして発行されるもので、その編集委員には各クラスから一名ずつ選出された生徒等がなっていた。丙川高校教諭の丁原竹夫(以下「丁原教諭」という。)は生徒会係であり、生徒会誌の編集、発行について生徒を指導していた。
 本件生徒会誌の編集委員会は、平成七年一一月中旬ころと平成八年一月末ころの二回開かれた。第一回の編集委員会では本件生徒会誌の内容等が議論の対象となったが、特集の企画については、編集委員である生徒からの提案が特になかったので、生徒会誌担当の丁原教諭らで考え決定した。そのうちの一つである特集三「先生は卒業生」については、なかなか決まらず、丁原教諭が控訴人に「先生は卒業生」というテーマで本件生徒会誌の原稿作成を依頼したのは平成七年一二月下旬ころになった。
 丁原教諭らは、平成八年二月初めころから、本件生徒会誌の原稿の校正等を分担して行い、印刷所に回した。控訴人の原稿は、印刷所に回す直前に提出されたため、特に校正をせずに印刷所に回した。
(2)平成八年二月二七日、本件生徒会誌が印刷されたため、丁原教諭は、同日夕方、本件生徒会誌を被控訴人乙山に渡した。また、同月二八日には、本件生徒会誌が全校生徒に配布された。
(3)被控訴人乙山は、同月二九日に本件回想文を読み、その内容が本件生徒会誌にふさわしくないと考え、控訴人の自宅に電話した。そして、被控訴人乙山と控訴人は、本件回想文について、翌日丙川高校で話すことになった。
(4)同年三月一日、丙川高校の校長室で、被控訴人乙山と控訴人が本件回想文について話をした。被控訴人乙山は、評価が分かれている安保条約の問題について生徒会誌に載せるのはどうかなどと話したが、控訴人は、歴史的事実を書いたものであって、沖縄では怒っているなどと答え、納得はしなかった。
(5)同日ころ、被控訴人乙山は、丁原教諭に対し、本件回想文に問題があることを指摘し、既に配布済みの本件生徒会誌を回収できないか尋ねたが、丁原教諭のかえって混乱を来すとの意見を聞き入れて回収はやめた。そして、被控訴人乙山が丁原教諭に新一年生に対しては配布しないように言ったところ、丁原教諭が、生徒会誌は新一年生にとって役にたつものだから是非配布したい旨答えたため、被控訴人乙山は、配布するのなら本件回想文を切り取って配布したらどうかと話した。
(6)同月一二日、丁原教諭は生徒会係担当の教諭が集まる顧問会議において、被控訴人乙山の前記指示を報告した。顧問会議に集まった教諭は、改めて本件回想文を読み直し、感想を言い合った。安保や勤評に触れているが回想文として何が問題であるか理解できないなどの感想が多く、被控訴人乙山の指示に賛成する意見は出ず、新一年生を迎えるまでにはまだ時間的余裕があることから今後の控訴人と被控訴人乙山との話合い等の様子を見ようということになった。
(7)同月一三日、職員全員参加の朝会で、被控訴人乙山と丙川高校教諭との間で、本件生徒会誌についての話合いが行われた。この場において、被控訴人乙山が、本件職務命令についての質問に対し、「安保について問題がある。一般の生徒会誌以外で個人の意見を発表するのは自由であるが、生徒会誌に載せるのは困る。」などと説明し、戊田教諭、甲田教諭、控訴人からは本件回想文の切り取りについての反対意見が出たが、時間的な制約もあって、被控訴人乙山がそれに関する議論を打ち切った。
(8)同月二九日、控訴人と被控訴人乙山は丙川高校の校長室で本件回想文について話し合ったが、「どこが悪いのかわからない」という控訴人に対し、被控訴人乙山は、「そんなこともわからないのか」などと言った。
(9)同年四月から生徒会係の担当教諭が交代し、顧問会議で本件生徒会誌の取扱いが二、三回話題となった。その際の議論は、ニュアンスの違いはあるが概ねできればこのまま配布したいというものであったため、被控訴人乙山にその旨を伝えることとなったが、それでもだめだったら切るしかないとの話もしていた。
 同年五月三〇日、丙川高校の校長室で、被控訴人乙山と生徒会係の丙山教諭及び乙野教諭が本件生徒会誌について話し合った。その際、乙野教諭が、本件回想文を削除しないで本件生徒会誌を配布したい旨の生徒会係の意向を被控訴人乙山に話したが、被控訴人乙山は、もう決着済みであるとして、本件回想文を切り取って配布するよう職務命令として指示した。乙野教諭は、同指示に従うことは不本意であったが本件回想文を本件生徒会誌から生徒会係が切り取って新一年生に配布する旨を被控訴人乙山に言った。
(10)同月三一日、生徒会係の教諭らが本件回想文の切り取り作業を行い、同年六月三日、切り取り後の本件生徒会誌が新一年生に配布された。
二 争点について
 前記のとおり、被控訴人乙山は、本件回想文が掲載されていた本件生徒会誌を平成八年四月に丙川高校に入学した新入生に配付する際、生徒会の担当教諭に対し、本件生徒会誌から本件回想文を削除するように指示する本件職務命令を発したため、本件回想文が切り取られた状態で本件生徒会誌が新入生に配布された。そこで、被控訴人乙山による本件職務命令の違法性について判断する。
(1)本件生徒会誌の編集
ア 本件生徒会誌の編集は、生徒会活動の一つとして行われている。
 生徒会活動は教育活動の一環の特別活動の一つであり、特別活動は各教科と同様に高等学校の教育課程の編成内容となっている(学校教育法施行規則五七条)。高等学校の教育課程については、その基準として文部大臣が別に公示する高等学校学習指導要領(平成元年文部省告示第二六号、以下「学習指導要領」という。)によるとされている(平成一二年一〇月三一日文部省令第五三号による改正前の学校教育法施行規則五七条の二)。そして、学習指導要領は、高等学校教育における機会均等と一定水準維持のための教育内容及び方法についての必要かつ合理的な大綱的基準を内容とし、法規としての性質を有すると解すべきである(最高裁平成二年一月一八日第一小法廷判決・判例時報一三三七号四頁)。
 学習指導要領によると、特別活動の内容の一つである生徒会活動においては、学校の全生徒をもって組織する生徒会において、学校生活の充実や改善向上を図る活動、生徒の諸活動についての連絡調整に関する活動及び学校行事への協力に関する活動などを行うこととされ、教師の適切な指導の下に、生徒の自発的、自治的な活動が展開されるようにすることとされている。また、人間としての在り方生き方の指導が特別活動の全体を通じて行われるようにし、その際、他の教科、特に公民科との関連を図ること、学校の指導体制を確立し、全教師の協力により適切に指導するものとするとされている。
イ これらによると、生徒会活動は、学校教育の一環として行われる教育活動であって、その内容によっては他の教科との関連を図らねばならず、その指導も全教師の協力により適切に行わねばならないといえるので、生徒会誌の編集も同様に行われるベきものである。
 そして、生徒会誌は通常は生徒に一部ずつ配布されるだけのものであって、原稿を作成する者とそれを読む者との間には授業における公正かつ客観的な見方や考え方を深めさせるための補足説明や対話・議論が予定されておらず、一方的に自己の著作物を読ませるだけであることからすると、教師による生徒会誌の編集の指導又はその協力も、そのような点に配慮して行うべきであるといえる。
(2)本件回想文の寄稿及びその内容
ア 本件回想文は、前記のとおり、生徒会担当の丁原教諭から、本件生徒会誌に「先生は卒業生」というテーマで原稿を寄稿する依頼を受けたことにより、控訴人が作成して寄稿したものであるが、当該依頼を受けるかどうかは基本的に控訴人の自由であって、当該依頼を受けたこと自体は控訴人の自由意思に基づく自発的なものであるといえる。
 しかし、当該依頼を受けた当時、控訴人は丙川高校の工業教科担当の教師であったことからすると、生徒会誌に載せる原稿を作成する場合、控訴人は、教師として、前記学習指導要領の趣旨に従い、教育活動の一環である生徒会誌の編集等の適切な指導のために協力する立場にあったといえる。したがって、他の教科との関連を図る必要のない内容であれば個性のにじみでた回想文を寄稿することは自由であるといえようが、特別活動の教育目的を阻害したり、教科教育の目的と抵触するものであってはならず、内容によっては、教師である以上、歴史や社会等の他の教科との関連を図るよう配慮しなければならないものというべきである。特に、生徒会誌が、本来的には、一方的に自己の著作物を読ませるだけの配布物であって、授業における公正かつ客観的な見方や考え方を深めるための補足説明や対話・議論が予定されたものでないことからすると、自己の原稿を寄稿するという形で生徒会誌の編集の指導に協力する教師としては、他の教科との関連を図らなければならないような内容を記述しようとする場合には、生徒会誌には前記のように双方向の対話等が可能な授業による場合とは違った側面があるということを十分認識し、生徒会誌の読み手である生徒の立場や能力に配慮した内容とするように努めなければならないものといえる。
イ 本件回想文には、勤務評定に関し「現場は勤務評定は戦争への一里塚ととらえ勤評反対の斗争が全国的に拡がり、東の群馬・西に高知と云われた。私も群馬県高等学校教職員組合に結集し勤評反対の輪の中に入った。」とする部分があり、日米安保条約に関し「安保条約の……危険性は三十五年前に指摘されたもの現在となって沖縄の基地、日本のいたる所にある米軍基地問題はこの安保条約があるからだ。」「安保条約も破棄を通告すればよい。」とする部分がある。
 これらは、内容的に、意見が分かれる政治的問題である勤務評定及び日米安保条約に関する特定の立場のみを記述して強調するものであって、特定の立場での政治的見解の表明であると認められる。
ウ そうすると、本件回想文には、政治的問題である勤務評定及び日米安保条約に関する特定の立場での政治的見解が記述されている部分があるが、学習指導要領の第二章第二節「地理歴史」には「近・現代史の指導にあたっては、客観的かつ公正な資料に基づいて、事実の正確な理解に導くようにする」とあり、同章第三節「公民」の「現代社会」及び「政治・経済」には「広い視野に立って」行うことが目標として掲げられ、内容の取扱いにおいても政治に関する事項や現代の諸問題及び時事的事象の取扱いについては、教育基本法第八条の規定に基づき適切に行うとされており、当該条文の二項には「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又は、これに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。」と規定されていること、加えて、生徒会誌が一方的に配布を受けるだけのもので、授業において生徒に対し控訴人とは異なった見解等について補足説明して公正かつ客観的な見方や考え方を深める手段や生徒との対話・議論が通常は予定きれていないことにかんがみると、本件回想文は、日本史や現代社会の担当教師でない控訴人がそれらの科目の授業等と関連を全く考えずに、ただ単に自己の支持する特定の政治的見解のみを記述したものとみるほかなく、歴史や社会等の他の教科との関連を図るべきとする学習指導要領に反するものというべきである。日本史の教科書に日米安保条約や安保反対闘争のことが記述されているが、教科内容としてその事柄がとりあげられているからといって、その教科課程の具体的実施にあたって教科担任教師による教育的な補足説明や生徒との教育的対話・議論がされることを予定しているものであって、同じテーマを控訴人のようなやり方でとりあげることが教科教育として、特別活動として正当なものと評価し得るものではない。しかも、控訴人は、工業科目担当の教師にすぎず、本件生徒会誌編集後間もなくに丙川高校を定年退職する立場にあったことからすると、なおさらその内容に対する配慮が必要であったにもかかわらず、前記勤務評定及び日米安保条約についての自己の主張を一方的に記述するのみで、生徒会誌の読み手である生徒の立場や能力を考慮した形跡が全く窺われない。
エ 前記勤務評定及び日米安保条約の部分について、控訴人は、四〇年間の回想として触れざるを得ないものであるので、これらの問題へのかかわりについて簡潔に触れた旨を主張するが、平成七年度学校要覧によると、当時の丙川高校一年生は日本史も現代社会も履修していないことが認められ、四月に新たに入学してくる新一年生(新入生)への配布も予定されていたことからすると、読み手である生徒の中には理解能力や批判能力の点で十分でない者もいる可能性があることは当然に予想し考慮すべきである。このことは、現に、当時の新一年生であった生徒が、その陳述書において、三年生になってから本件回想文を読んだが、安保については教科書で文字として見た記憶がある程度で、勤評は全く初めての言葉だったので、その部分はほとんどわからなかった旨を述べていることからも窺える(もっとも、当該生徒はさらに教師に質問するなどし、理解を深める努力をしたようであるが、全ての生徒に同様の努力を求めるのは不可能であり、そのような行動を多くの生徒がとることを前提として考えるのは現実的とはいえない。)。また、多様な意見があることに触れ、その見方や考え方を深めることが生徒の人間としての成長に大事であるからこそ、本件回想文のように、意見の多様性に配慮することなく特定の見解のみを強調して生徒会誌に掲載することには看過し難い問題性があるといえるのであって、そのことが四〇年間の回想であるからといって許されるものではない。
 内容的にも「安保条約も破棄を通告すればよい。」という部分は、「米兵一人に千四百円を国家予算で支出している。先年フィリピンでも米軍の基地を撤去させたのである。」に続いての記述であることや「通告すればよい」という表現からすると、現在の控訴人の政治的主張ないし政治的情宣と考えざるを得ず、単に、歴史的事実とのかかわりを回想したものとみることはできないし、控訴人の個性の問題に過ぎないとすることもできない。
 しかも、このような読み手である生徒に対する配慮を欠き、自己の主張のみを強調するような記述を生徒会誌に掲載することは、教育基本法八条二項が「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。」と定めている趣旨にかんがみ、正当なものとはいえない。
オ したがって、本件回想文には、政治的問題である勤務評定及び日米安保条約に関する特定の立場のみを記述して強調する特定の立場での政治的見解ないし政治的情宣が記述された部分があるといえ、これは、教育活動の一環である生徒会誌の編集等の適切な指導のために協力し、内容によっては他の教科との関連を図るよう配慮しなければならない立場にある教師として、本来行うべき生徒一人一人の能力等に応じた配慮を欠いているものであって、学習指導要領にも反するものであると認めるのが相当である。
(3)本件職務命令の根拠
 学校教育法五一条で準用される二八条三項には「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する。」とあり、同法五一条が二八条四項及び六項をも準用していることからすると、校長には、生徒の教育をつかさどる教頭及び教諭(同法五〇条一項)を監督する権限があるといえるので、教諭の教育活動に対し職務命令を発することができると解すべきである。
 そうすると、丙川高校校長である被控訴人乙山には、学校教育法五一条、二八条三項により、校務としての特別活動である本件生徒会誌の編集・発行に関して担当教諭らを監督する権限があり、被控訴人乙山は、それに基づき必要な職務命令を発することができ、生徒の自発的、自治的な活動が展開されるようにするための配慮や、特別活動と他の教科との関連を図るなど、学校全体の適正な運営等の諸事情を総合考慮することも必要であるから、その権限は校長である被控訴人乙山の裁量に任されているものということができる。
(4)ところで、公権力の行使にあたる群馬県の公務員がその職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には、群馬県がその被害者に対して賠償の責に任ずるのであって、公務員個人はその責を負わないものと解すべきである(最高裁昭和三〇年四月九日第三小法廷判決・民集九巻五号五三四頁等)。本件の場合、被控訴人乙山は、校長として、前記根拠に従って本件職務命令を発したといえ、仮に本件職務命令が違法であるとしても、被控訴人乙山個人はその責を負わないものというべきである。したがって、その余の点を判断するまでもなく、被控訴人乙山に対する損害賠償請求は理由がない。
(5)本件職務命令の違法性
ア 前記のとおり、本件回想文は、特定の立場での政治的見解が強調され、学習指導要領にも反するものといえるので、日本史や現代社会等の他の教科との関連を図る必要性等からすると、本件回想文を漫然と生徒会誌に掲載したままで新入生に配布することには看過し難い問題があるというほかない。したがって、本件生徒会誌が、知識や理解力の面で卒業生や他の在校生と同列に扱うのが妥当とはいえない新入生に配布されるものであり、本来的には一方的な配布のみが予定され、生徒に対する授業における公正かつ客観的な見方や考え方を深めるための異なった見解や意見についての補足説明や生徒との対話・議論が通常は予定されていないことから、本件回想文を本件生徒会誌に掲載することが適当でないとの被控訴人乙山の判断は合理的であって、その裁量権を逸脱濫用したものとはいえない。
 さらに、被控訴人乙山が本件回想文を目にしたときには、既に本件生徒会誌は印刷製本済みであって、本件回想文の問題箇所のみを黒塗りするような方法はかえって刺激的であり、教育上好ましいとはいえない。しかも、前記のとおり、被控訴人乙山が、平成八年五月三〇日に生徒会係の丙山教諭及び乙野教諭に対し、本件回想文を切り取って配布するようにとの本件職務命令を発しているが、そこに至るまでに、被控訴人乙山は、控訴人との電話及び校長室での話合いのほか、職員全員参加の朝会での丙川高校教諭との話合いや生徒会係の担当教諭との話合いの機会を重ねていることなどからすると、生徒会係の教諭等の意見も開かずに本件職務命令を発したわけではない。前記切り取りという指示について、控訴人は、本件回想文の読み方に付記事項を付けるなどの教育的配慮をするとか、生徒会に問題提起をして議論をよびかけるべきものであったと主張する。しかし、本件回想文の読み方に付記事項を付けたとしても本件回想文のもつ問題性に変わりはないといえ、たしかに、生徒会誌の配布が教育活動である生徒会活動の一環として行われていることや、本件回想文のみが切り取られた本件生徒会誌を受け取る生徒の側の感情や関心を考慮すると、目次に残っている控訴人の名前等をわからなくしたり、生徒に配布する際に何らかの補足説明等をするなどの配慮があった方が教育上望ましいとも考えられるが、そうであるからといって、直ちに控訴人に対する関係での権利侵害とか違法処分・行為となるものでなく、本件職務命令に違法性をもたらす事情とまではいえない。したがって、本件回想文を切り取るという方法は、当時の状況の下では、必要最小限の合理的処置であったといえる。
イ 憲法二一条、二三条、二六条違反の主張について
(ア)控訴人は、本件職務命令が、憲法二一条一項で保障された控訴人の表現行為を事前に審査した行為であり、同条二項が禁止する検閲に該当し、仮に検閲に該当しないとしても、事前抑制禁止の原則に違反する行為であって、控訴人の表現の自由を侵害する旨を主張する。
 憲法二一条二項にいう「検閲」とは、行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的とし、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査したうえ、不適当と認めるものの発表を禁止することを特質として備えるものを指すと解すべきである(最高裁昭和五九年一二月一二日大法廷判決・民集三八巻一二号一三〇八頁)。本件職務命令によっても、本件回想文を一般出版物等としての掲載発表することは何ら妨げられるものではなく、現に本件生徒会誌は卒業生や在校生(平成八年三月当時)には配布されているなど、発表禁止目的や発表前審査等というものではないから、検閲にあたらないし、事前抑制禁止の原則に違反するとはいえない。
 また、表現の自由についての保障も無制限ではなく、公共の福祉による合理的で必要やむを得ない限度の制限を受けるものであって、特に本件回想文は教育という公の場における生徒に向けられたものであり、その表現は教育活動の目的に適合し、かつ、方法として相当であるべき制約を受けるのもやむを得ないことであり、前記のとおり、本件回想文を新入生に配布するには問題があって、不適切であるということからすると、本件回想文の本件生徒会誌への掲載を回避する必要があり、その制限も、印刷製本済みの本件生徒会誌から本件回想文のみを切り取るという合理的で必要やむを得ない限度のものというべきであって、憲法二一条一項の規定に違反するというものではない。
(イ)控訴人は、本件生徒会誌に対する寄稿は、控訴人の長年にわたる教育活動の中で極めて重要な位置を占めるのであって、憲法二三条、二六条等で保障された教師の教育の自由を侵害する旨主張する。
 しかし、教師の教育の自由といっても、教育という公の場で生徒に対し、自己の担当する教科科目に属さない事項について自由に主張したり表現することを保障するものでなく、そこには自ら公正で客観的な教育という制約があるというべきである。特別活動の内容の一つである生徒会活動においては、教科科目における教育と異なり、生徒の自発的、自治的な活動を通じての人間としての在り方生き方の指導が中核となることから、生徒会活動を指導又はそれに協力する教師にとって、特定の政治的主張を取り扱うことが直ちに教育基本法八条二項に反するとか、教師に認められた教育の自由の範囲を逸脱するということにはならないが、生徒の自発的・自治的な活動を認める種類の特別活動であるからといって、その指導にかかわる教師やそれに協力する教師が、生徒の自主性ないし自由に乗りかかる形あるいはそれを援用する形で、自由気ままな表現活動や思想活動をすることを保障するものでないことは、教育基本法や学習指導要領の理念や趣旨から明らかであり、その可否の判断は、具体的な個別の生徒会活動の形態、内容等を総合して行うべきものである。前記のとおり、控訴人が生徒会誌に載せる原稿を作成する行為は、教師として、教育活動の一環である生徒会活動としての生徒会誌の編集等の適切な指導のために協力する行為であって、教科教育を担当する教師としての行為と同列に扱うべきものではないし、特定の政治的教育を禁止する教育基本法八条二項の趣旨にかんがみ、生徒に対する公正かつ客観的な教育的補足説明や生徒との対話・議論が通常は予定されていない生徒会誌に特定の政治的主張を一方的に記述することは、教師に認められる教育の自由の範囲を逸脱するものといわざるを得ない。
 したがって、本件職務命令が控訴人の教育の自由を侵害するということはできない。
(ウ)よって、本件職務命令が憲法二一条、二三条、二六条に違反するとの控訴人の主張は理由がない。
ウ 憲法一三条、二六条、子どもの権利条約一二条、一三条、二八条、二九条違反の主張について
 控訴人は、本件職務命令は、丙川高校の生徒の学習権を侵害している旨を主張する。しかし、本件職務命令は、特定の立場での政治的見解が強調され、学習指導要領にも反する本件回想文を、新入生に配布する生徒会誌に掲載しておくことが不適切であるからこそ、その切り取りを命じたというものであって、前記のとおり、教育上その必要性があり、制限も合理的で必要やむを得ない限度のものといえるのであるから、生徒の学習権を何ら侵害するものではない。したがって、控訴人前記主張は理由がない。
エ 国際法上の義務違反の主張について
(ア)控訴人は、本件職務命令が、子どもの権利条約一二条における子どもの意見表明権・参加権等を侵害する旨主張する。
 たしかに、生徒の自発的、自治的な活動が展開されるべき生徒会活動の一環としての生徒会誌の編集等にかかわる問題であるから、生徒会を通じるなどして生徒の意見を聞くことが教育上望ましい場合もあるかもしれないが、前記のとおり、被控訴人乙山は本件職務命令を発するまでに生徒会係の担当教諭等との話合いの機会を重ねていることに加えて、実際に生徒に疑問を投げかけ、その意見を聞くとしても、そのための教師の準備や説明、生徒同士の議論、取りまとめ等、時間と労力が必要となるのであって、他の教科学習や生徒会活動等の時間も確保しなければならないという制約があり、そうすることが生徒にとって教育的成果があるか不明であったり、生徒にマイナスの教育効果を生ずる危険性も考えられることからすると、控訴人の本件回想文のためだけにそのような配慮をしなければならないとは一概にはいえない。したがって、生徒ないし生徒会の意見を直接聞かなかったからといって、そのことで、校長の教育監督・運営についての裁量権の行使に逸脱濫用があるとはいえない。
 したがって、控訴人の前記主張は採用できない。
(イ)また、控訴人は、本件職務命令が、ILO・ユネスコの教員の地位に関する勧告に違反する旨主張する。しかし、仮に同勧告に何らかの解釈法規範性を認めるとしても、これまで判断してきたとおり、本件職務命令は同勧告に何ら違反するものではない。したがって、控訴人の前記主張は採用できない。
オ 著作者人格権の侵害等の主張について
 控訴人は、本件職務命令が、控訴人の著作者人格権を侵害し、本件生徒会の本件生徒会誌に関する編集著作権を侵害する旨主張する。しかし、前記のとおり、校長である被控訴人乙山は、校務としての特別活動である本件生徒会誌の編集・発行に関して担当教諭らを監督する権限があり、必要な職務命令を発することができるのであって、前記のとおり、新入生に配布するには問題があって、不適切である本件回想文を切り取るということは、必要性があり、その制限も合理的で必要やむを得ない限度のものというべきであるので、控訴人の著作者人格権を何ら不法に侵害するものではない。また、生徒会活動自体が教育活動の一環としての特別活動として行われるに過ぎないのであるが、仮に控訴人主張のように本件生徒会の本件生徒会誌に関する編集著作権が認められるとしても、同様の理由により、本件職務命令は当該編集著作権を何ら侵害するものではない。また、そもそも、そのことが控訴人に対する関係で不法行為等になるものでもない。
 したがって、控訴人の前記主張は理由がない。
カ 手続的な正当性を欠くとの主張について
 控訴人は、被控訴人乙山が、本件回想文のどの部分が不適当だから表現に工夫を求めるとか、担当教諭や関係職員、本件生徒会や編集委員会にも諮らず、独断で本件回想文を削除することを決め、担当教諭に命じて本件回想文の削除をさせたなどと主張する。しかし、前記のとおり、被控訴人乙山は本件職務命令を発するまでに生徒会係の担当教諭等との話合いの機会を重ね、反対の意見も聞いたうえで、新入生に配布する生徒会誌に掲載することが不適切な本件回想文を切り取るという合理的で必要やむを得ない手段を選択したといえるのであるから、本件職務命令は手続的な面においても正当であって、被控訴人乙山が校長のもつ裁量の範囲を逸脱濫用したものということはできない。
キ これらに加えて、その他、種々の事情を考慮しても、本件職務命令が校長としての裁量の範囲を逸脱濫用したものと評価することはできず、したがって、控訴人の主張はいずれも採用できず、本件職務命令が違法であるとはいえない。
三 結論
 以上のように、その余の点について判断するまでもなく、控訴人の請求はいずれもその前提において失当であり理由がないので棄却すべきである。
 よって、これと同旨の原判決は相当であるから本件控訴を棄却し、主文のとおり判決する。

東京高等裁判所民事第16部
 裁判長裁判官 鬼頭季郎
 裁判官 慶田康男
 裁判官 任介辰哉


別紙 当事者目録
控訴人 甲野太郎
訴訟代理人弁護士 四位直毅
同 牛久保秀樹
同 小笠原彩子
同 石川憲彦
同 池末登志博
同 柿沼祐三郎
同 小林勝
同 春山典勇
同 富岡規雄
同 嶋田久夫
同 吉村駿一
同 田見高秀
同 大塚武一
同 石田吉夫
同 金井厚二
同 廣田繁雄
被控訴人 乙山松夫
被控訴人 群馬県
代表者県知事 小寺弘之
両名訴訟代理人弁護士 春田政義
同 岡安秀
同 三橋彰
被控訴人群馬県指定代理人 津久井勲(ほか七名)

別紙 「四十年の回想」(略)
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