判例全文 line
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【事件名】顧客データの不正競争事件(通販会社)
【年月日】平成14年4月23日
 東京地裁 平成12年(ワ)第15215号 損害賠償請求事件
 (平成14年1月22日 口頭弁論終結)

判決
原告 株式会社ジェイディ
訴訟代理人弁護士 高橋美成
被告 株式会社プロスティ
被告 A
被告 B
被告 C
被告ら訴訟代理人弁護士 大高満範
同 水庫正裕
同 井ノ上正男


主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由
第1 請求
1 被告らは、原告に対し、各自1億2000万円を支払え。
2 被告株式会社プロスティは、同被告が保管している原告の顧客データを、使用してはならない。
3 訴訟費用は、被告らの負担とする。
4 仮執行宣言
第2 事案の概要
 原告は健康食品の通信販売等を業とする会社である。被告A、同B(以下「被告B」という。)、同C(旧姓D。以下「被告C」という。)は、いずれも原告の従業員であった者であり、被告株式会社プロスティ(以下「被告会社」という。)は、被告Aが原告からの退社後に設立した会社である。本件において、原告は、被告らのうち被告会社を除く3名(以下「被告Aら」ということがある。)が原告の営業秘密である顧客データを持ち出し、その際に原告の顧客データの重要部分を消去して効用を喪失させ、被告会社が持ち出したデータを利用して、原告の事業の乗っ取りをしたと主張して、被告らに対し、民法709、719条に基づいて損害賠償の支払を求めるとともに、被告会社に対し、不正競争防止法3条1項、2条1項4号に基づいて原告の顧客データの使用の禁止を求めている。
1 争いのない事実
(1) 原告は、健康食品の通信販売等を業とする会社である。
(2) 被告Aは、原告の取締役であった者であり、同B、同Cは原告の従業員であった者であるが、いずれも平成11年12月に原告を退職した。被告Aは、原告を退職後、被告会社を設立した。被告会社は、上記原告が営んでいたのと同種の健康食品の通信販売等を業としており、被告Aは代表取締役として、被告Bは取締役として、被告Cは従業員として、被告会社に勤務している。
(3) 原告が、平成12年6月2日、被告会社において、証拠保全手続により検証を行ったところ、被告会社で当時使用していたコンピューターに収録されていた顧客データは、原告で使用していたものと、顧客の住所氏名に加え、コード番号まで同一のものであった。
2 争点
(1) 被告Aらが、原告の営業秘密である顧客データを不正に持ち出し、被告会社においてこれを使用したか(争点1)。
(2) 被告Aらが原告の顧客データを破壊したことなどの行為による、被告らの原告に対する共同不法行為が認められるか(争点2)。
(3) 原告の損害(争点3)
第3 争点に関する当事者の主張
1 争点1(被告Aらが、原告の営業秘密である顧客データを不正に持ち出し、被告会社においてこれを使用したか)について
(1) 原告の主張
ア 被告Aらの行為について
 被告Aは、原告の取締役として、原告のオーナー兼代表取締役(当時)であるEから、原告の業務を一任されていた。しかるに、同被告は、被告B、同Cらと共謀して、原告から独立し、原告の営業を丸ごと乗っ取ることを企て、原告やEには極秘に独立の計画を進めた。Eが平成11年11月に長期海外出張に出るや、被告Aは、その間に原告の従業員を全員解雇し、原告の営業秘密である、コンピューター内の顧客データをすべて盗み出した。
 すなわち、平成11年12月3日ころ、被告A及び同Cの2名が、原告の本店所在地であるビル4階の原告事務所において、原告のコンピューター内の顧客データをフロッピーに複写するなどして持ち出した。そして、被告らは、持ち出した顧客データを、被告会社の事業にそのまま利用している。
 また、原告は、自社の顧客データに、費用をかけて、外注でアウトバウンド(原告の顧客に個別に直接電話して、カタログ送付の承認を確認することにより、原告の顧客を選別すること)をしている。被告Aらは、このアウトバウンドの結果を記載した書面も窃取しているが、これも原告の営業秘密である。
イ 被告らは、原告の顧客データが、名簿業者である有限会社アイム(以下「アイム社」という。)から借りて使用していたもので、被告会社もアイム社から同じ顧客データを借りて使用していたので、両者が同一のデータなのだと主張する。しかし、原告の顧客データは、名簿業者から購入したデータだけで成り立っているものではない。むしろ、原告の広告等を見て注文、問い合わせをしてきた顧客の情報の方がはるかに重要であり、これらの情報を加えて打ち込んでいくことにより、データができあがっていく。さらにこれに加えて、この顧客データを、郵便、電話による照会等を繰り返して、顧客データとして効率のよいものに莫大な経費と時間をかけて更新し、作り上げた結果が原告の顧客データであり、原告の重要な財産であり、営業秘密である。通信販売事業は、そのような投資の上に成り立っているのである。
 原告の顧客データについては、Eは、Aから、名簿業者から購入したと聞いており、業者から無料で借りてその代わりに業者に情報提供するという話は聞いていない。前記のように、原告の顧客データは、原告が顧客データとして効率のよいものに経費と時間をかけて更新し、作り上げたものなのであるから、そのような原告の情報を無料で名簿業者に提供するなどということは、原告に対する背任行為であって、常識的にあり得ない。
(2) 被告らの主張
ア 顧客データについて
 原告の使用していた顧客データは、もともとアイム社から借りて使用していたものである。すなわち、原告が通信販売事業を開始する際、被告Aは、知人であるFに、顧客名簿が入手できないか打診した。そうしたところ、同人が経営しているアイム社から、顧客データを、例えば転居等により郵便が届かなくなった顧客はその旨チェックするなどして、データをより有用なものに更新し、そのデータをアイム社の求めに応じて提供するという条件の下に、無償で借りて使用できることになった。
 被告会社で使用していたデータも、同様な条件で、アイム社から借りて使用していたものである。このように、両者のデータはいずれもアイム社から借り受けたものなのであるから、両者に共通の部分があるのは当然であり、原告から非難されるいわれはない。
イ 被告会社は、平成12年6月以降は、新しい顧客データを入手して使用しており、現在のものにつき、原告から使用の差止めを求められる理由はない。
ウ 顧客データをアウトバウンドした結果は、書面で送られてきたものを原告のコンピューターに入力して、原告の顧客データに反映させており、その作業の後にその書面は廃棄した。
2 争点2(被告Aらが原告の顧客データを破壊したことなどの行為による、被告らの原告に対する共同不法行為が認められるか)について
(1) 原告の主張
ア 被告A及び同Cの行為
(ア) 上記1(1)のとおり、被告A及び同Cは、Eが平成11年11月に長期海外出張に出ている間に、原告の従業員を全員解雇し、原告のコンピューター内の顧客データをすべて盗み出して、持ち出した顧客データを、被告会社の事業にそのまま利用している。
 さらに、顧客データを盗み出す際、上記被告両名は、原告のコンピューター内の顧客データの重要部分を消去して、顧客データとしての効用を喪失させた。すなわち、顧客データのうちの「顧客タイプ」の部分には、「タイプコード」といい、0とか8とか9とかいう番号が付してある。この8とか9とかいう番号の付してある顧客が、ダイレクトメールを送る価値のある顧客である。上記被告両名は、これらをすべて消去し、12万件すべてについて、0にしてしまった。さらに、データの件数自体を9万1087件に減らしてしまった。
 被告Cは、被告Aが原告に入社させた者で、営業管理の担当者として、顧客データの管理も被告Cが行っていた。したがって、上記行為は、両被告の共謀により行われたことが明らかである。
(イ) 原告の事業の乗っ取りについて
 上記被告両名は、上記行為と同時に、原告にあった通信販売用健康食品のカタログ用写真もコピーして盗み出した。そして、原告のカタログと全く同じ写真を、商品番号も同じにして、被告のカタログに掲載している。さらに、値段も説明文も同じであるので、被告会社のカタログは原告のそれに酷似している。これでは、カタログを送付された顧客が同一会社のカタログと誤信してしまう。
 また、被告Aは、原告の従業員をすべて解雇したし、原告の取引先をことごとく被告会社の顧客にしてしまっている。
 被告会社は平成12年1月には顧客にカタログを発送しており、平成11年11月下旬には、その印刷の準備に取りかからなければいけないことなどからすると、被告Aらが、原告に在籍中から原告乗っ取りのため準備をし、Eが長期海外出張で不在であるのをいいことに、これを実行に移したことが明らかである。
イ 被告Bの行為
 被告Bは、被告Aが原告に入社させた者で、香港所在の原告の関連会社ジェイディライジングの責任者として、香港での仕入れなどを担当していた。被告Aらは、平成11年の早い時期から、原告からの独立と原告の事業の丸ごとの乗っ取りを計画し、平成11年1月にトータルコンフィデンス、同年9月にエンポリアという会社をいずれも香港に設立している。エンポリア社には、被告Aだけでなく、被告Bも責任者として名を連ねている。エンポリア社は、被告会社が設立されるや、それと時期を合わせてジェイディライジング社の従業員を引き抜いて、香港での被告会社のための仕入事業などをしており、その責任者が被告Bである。
ウ 上記のように、被告Aらは、共謀して、原告の事業を丸ごと乗っ取り、被告会社にこれを移転して被告会社をしてその事業を行わせているものであるから、被告らの共同不法行為が成立する。
(2) 被告らの主張
ア 顧客データの破壊について
 被告Aらは、原告主張のようなデータの破壊行為はしていない。Eの証言によっても、12万件の顧客データは復活できたというのであるから、削除されていなかったということである。
 なお、被告A、同Cが原告に在籍していた当時は、タイプコード0というのが、ダイレクトメールを送る価値のある顧客であった。
イ 原告の事業の乗っ取りについて
(ア) 原告は、オーナーであるEのワンマン会社であり、同人は、恣意的に従業員やパートタイマーを解雇したり配置転換してきた。被告Aは、Eにより、平成11年11月ころから、原告における業務の打合せから外されるようになった。この原因として、同被告は、Eから、同人と特別の関係があるとの噂であったジェイディアメリカ社の従業員Iが同被告を疎ましく思っていることによるものと聞いたことがあった。さらに、同被告は、平成11年11月8日に、Eから、ジェイディライジング社の預金残高の件について、理不尽な叱責を受けたこともあり、上記のような従業員等の解雇等に関する恣意的なEの態度が自分に向けられてきたと感じ、このような状況に置かれては、Eの下で仕事を続けることは困難であり、退職せざるを得ないと考えるようになった。
(イ) 平成11年12月4日、被告Aが、今年いっぱいで原告を退職したい旨及び退職後は原告と同じ業務をしたい旨をEに申し入れたところ、Eは、「応援する、がんばれ。」と同被告に述べた。このように、同被告は、原告退職後に通信販売事業を営むことにつき、Eの承諾を得ている。
 なお、その際、同被告は、12月末まで在職して引継ぎをしたい旨申し入れたが、Eは、辞めるなら今日即日辞めてもらいたい旨述べたため、十分な引継ぎを行うことができなかったのである。原告は、被告Aらの退職後、原告が事業を継続できなくなったと主張するが、それはこのようなことにも原因があるのである。
(ウ) 被告Aは、原告退職当時、健康食品の卸売業に携わることは考えていたが、通信販売事業に携わることは考えていなかった。その理由は、@通信販売事業には、カタログ作成費用、郵送費用、人件費などに多額の費用がかかるが、同被告には十分な資金の手当てがなかったこと、A通信販売事業は、多額の費用がかかる割には利益の薄い事業だと認識していたこと、Bたとえ同被告がこの分野に参入して原告と競合しても、以前からこの分野で営業している原告にはかなわないと思ったことなどからである。
 このような考えを有していた被告Aが、原告の名簿を盗み出したり破壊したりするわけがない。前記のような考えを有していたにもかかわらず、被告Aが被告会社を設立して健康食品の通信販売事業を営むようになったのは、原告が通信販売事業から撤退する予定であることを聞いたからである。すなわち、Eが被告Aらの退職後に原告において事務の処理をした訴外Gにその旨述べていたほか、原告は取引先に対して「営業は被告会社に引き継いだ」旨述べていた。さらに原告において平成11年12月ころに発行する予定で準備されていたカタログが、平成12年に入っても発行されなかった。被告Aは、このような事実から、原告は業務を止めるに違いないと判断し、資金を工面し、アイム社から名簿を入手して、通信販売事業を始めようと考えたのである。
(エ) 被告会社のカタログに使用された通信販売用健康食品の写真は、原告から入手したものではない。これらは、被告Aが独立したことから、原告在職中から被告Aが出入りしていた株式会社ティーネット及び株式会社オリジナルから、同被告に対して好意により提供されたものである。
(オ) 被告会社が原告の取引先を乗っ取ったとの原告の主張も虚偽である。被告会社が原告の取引先と取引を開始できたのは、例えば浜口通販株式会社などは、原告が同社等からの返品の問い合わせや注文に対応せず、「うちではわからないから被告会社に聞いてくれ」という対応をしていたため、仕方なく被告会社がこれらに対応することにしたからである。また、浜口通販の担当者は、被告Aが原告を退職したことを認識していたものであり、被告Aが、被告会社は原告が商号変更したものだと説明したこともない。
(カ) 被告Aが、原告の従業員をすべて解雇したこともない。従業員らは、自己の意思で退職したのである。
ウ 被告Cの責任について
 被告Cは、被告Aと共謀して、原告の顧客データを盗み出したり破壊したりしていない。被告Cが原告を退職したのは、それまでのEの態度に嫌気がさしていたところへ、被告Aが原告を退職するというので、それでは原告の業務の遂行は困難になると考え、被告Aと前後して原告を退職することにしたのである。被告会社に入社したのは、たまたま被告Aが被告会社を始めることを被告Aから聞いたので、これを手伝うことにしたにすぎない。
エ 被告Bの責任について
 被告Bも、Eの態度に嫌気がさしていた。被告Bは、Eから意に添わない海外赴任をさせられていたところ、被告Aが退職するのを聞いて、原告を退職することにしたものであり、また、東京で勤務することを望んでいたところ、被告Aから被告会社を設立することを聞いたので、被告Aと共同で事業をすることにしたにすぎない。
 エンポリア社を香港で設立したことが原告の事業を乗っ取るためだという原告の主張は虚偽である。すなわち、香港所在の原告の関連会社ジェイディライジングが、香港の厚生省の認可を取らないで健康食品を違法に輸入していたことが同省に発覚したことから、輸入業務ができなくなった。このため、Eがどういう手段を使ってもいいから何とかするよう被告Aに命じた。そこで、同被告と同Bは、まずトータルコンフィデンス社を香港に設立して同社を経由して輸入したが、同社も上記ジェイディライジング社と同様の状況となったため、同様の目的でエンポリア社を香港で設立したのである。したがって、これらの会社を設立したことが、被告A及び被告Bが原告の事業を乗っ取るためだというのは、いいがかりにすぎない。前記被告両名が、ジェイディライジング社の従業員を引き抜いたということもない。
3 争点3(原告の損害)について
(1) 原告の主張
 原告の売上げは、月額2000万円であり、そのうち1割の200万円が利益であった。被告らの行為により、原告は事業を継続することができなくなり、上記利益がすべて失われた。したがって、被告らの上記行為による損害は年間2400万円となる。この損害が少なくとも10年は続くところ、原告は、そのうち5年分を損害の一部として請求する。
(2) 被告らの主張
 原告は、その損益計算書で見る限り、営業損益の段階で赤字となっており、原告の主張するような利益が出ているという根拠はどこにもない。また、被告Aらの退職後、赤字が出ていたとしても、それは、原告が通信販売事業を止めたことによるものであって、被告らに何の責任もない。
第4 争点に対する判断
1 本件における事実関係等
 前記当事者間に争いのない事実に証拠(甲14ないし16、甲23、乙1、乙3、4、乙13ないし15、乙36、証人E、被告A及び同C各本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の各事実が認められる。
(1) 原告は、健康食品の通信販売等を業とする会社である。原告は、Eがオーナーとなっている会社である。Eは、原告のほかにも多数の会社を経営して、国内外で多様な事業を営んでいる。
(2) 被告Aは、原告を退職した平成11年12月まで、原告の取締役であった。同被告は、平成6年に原告に入社し、その後、Eから原告の事業をほとんど任されるようになった。原告は、中国製ゲーム機の輸入、雑貨の輸入等を手がけ、平成8年ころから通信販売業に進出した。原告が健康食品の通信販売を手がけるようになったのは平成10年ころからであるが、この事業は、被告Aが発案し、Eが同意することによって決定された。
 被告Aは、Eから原告の上記事業を一切任されていたが、同被告には従業員を採用・解雇したり、金銭の支出を決定する権限はなく、これらはすべてEが決定していた。
 被告B及び被告Cは原告の従業員であった者であるが、いずれも被告Aが面接をし、採用はEが決定した。被告Cは、営業管理の担当者として、コンピューターの入力やコンピューターに収録されている顧客データを管理するなどしていた。被告Bは、香港に駐在して、香港所在の原告の関連会社ジェイディライジング社の仕入れ担当などをしていた。
(3) Eは、オーナーとしての立場から、従業員やパートタイマーを自分の意のままに採用したり解雇したりした。ささいなことが気に入らずにパートタイマーを解雇してしまうようなこともあった。
 被告Aは、Eと意見が合わなくなったことから、平成11年11月ころから、Eにより、原告の経営に関する会議に出席を求められないようになった。また、同月初めには、Eから、香港にある関連会社のジェイディライジング社の預金残高の件で、理不尽な叱責を受けた。このようなことがあり、被告Aは、Eが、上記のように、従業員やパートタイマーを自分の意のままに解雇したりしがちであることから、自分もそのようにEの気に入らずに解雇されることになるであろうが、そのような職場で仕事を続けることはできないと考え、原告を退職する意志を固めた。
 被告A、同Cは、退職する前日の平成11年12月3日の夜、原告の事務所で、遅くまで引継ぎなどの残業をしていた。
(4) Eは、平成11年11月13日に海外出張に出かけ、同年12月4日ころ帰国した。12月4日に、Eが原告に出社すると、事務所がきれいに片付けられた状態となっており、被告Aが、原告を退職したい、退職後は、健康食品の卸売業をやりたいと述べた。Eは、これを了承したが、その際、同被告が、12月末まで在籍して引継ぎをしたい旨申し入れたのに対してはこれを断り、Eは、辞めるなら今日即日辞めてもらいたい旨述べたため、同被告は直ちに退職することになった。
 また、被告Cは、被告Aの親戚に当たる者でもあり、常日頃からEの被告Aに対する態度を快く思っておらず、同被告が退職した後は原告にいることも得策でないと考え、同被告と共に退職することとした。被告Bも、日本に帰国することを希望していたのに、なかなか叶えられないことなどから、原告を退職することとした。
(5) 被告Aは、原告を退職後、被告会社を設立した。同被告は、原告を退職する前から、退職した後は事業を営む決意を固めていたので、事務所探し等を始め、同年12月9日には、被告会社の事務所を立ち上げた。被告Aは、資金が十分でないことや原告と競合して原告と同じ事業をやっていける自信がないことなどから、Eに対して述べたように、当初は被告会社において、健康食品の卸売業のみをする予定でいた。ところが、被告Aは、Eが、被告Aらの退職後に原告において事務の処理をした訴外G(平成11年8月まで原告に在籍していた。)に対し、原告が健康食品の通信販売事業から撤退する予定である旨を述べたことをGから聞いた。また、原告では、被告Aらの退職後上記事業が継続できる状態でなくなったことから、取引先からの問い合わせに対して、「被告会社の方に連絡してもらいたい。」旨述べるなどしており、さらに、原告が平成11年12月ころに発行する予定で準備されていたカタログが、平成12年に入っても発行されなかった。これらの事実から、被告Aは、原告は業務を止めるのに違いないと判断し、それならば通信販売事業を始めようと考えた。同被告は、平成12年1月に入ってから、資金を工面して、名簿業者であるアイム社から顧客名簿を入手して、準備を始め、その後、原告が営んでいたのと同種の健康食品の通信販売事業をも営むようになった。平成12年7月現在、被告Aは代表取締役として、被告Bは取締役として、被告Cは従業員として、被告会社に勤務していたが、被告Cはその後被告Bと婚姻し、被告会社を退職した。
(6) 原告が、平成12年6月2日、被告会社において、証拠保全手続により検証を行ったところ、被告会社で当時使用していたコンピューターに収録されていた顧客データは、原告で使用していたものと、顧客の住所氏名に加え、コード番号まで同一のものであった。
2 争点1(被告Aらが、原告の営業秘密である顧客データを不正に持ち出し、被告会社においてこれを使用したか)について
(1) 顧客データの営業秘密性について
 不正競争防止法2条4項は、営業秘密として保護されるための要件として、@営業秘密として管理されていること、A事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であること、B公然と知られていないことを掲げている。そこで、本件において原告が営業秘密と主張する原告の顧客データが、上記要件を満たすかどうか検討する。
 通信販売事業において、顧客データは、顧客の住所氏名、電話番号、性別、送付した商品カタログに対する顧客の対応の有無といった内容を記したものである。この種の事業において、このようなデータは、ダイレクトメールを効率的に送付するために有用な情報であることは疑いがない。また、このようなデータは、その内容の優劣が競業他社との間の競争において有利な地位を占める上で大きな役割を果たすものであることから、一般に、各事業者ごとに独自のものとして保有され、他に公開されないものである。
 次に、秘密として管理されているというためには、当該情報にアクセスした者に当該情報が営業秘密であることを認識できるようにしていること、当該情報にアクセスできる者が制限されていることが必要である。そこで、本件について検討するに、原告の顧客データの管理方法については、証拠(甲15、被告A、同C各本人)及び弁論の全趣旨によれば、次のようなものであった。すなわち、顧客データは、原告のメインコンピューターのハードディスクに、アクセス(マイクロソフト社のデータベースソフト)のデータとして収録されていた。原告には他に4台のコンピューターがあり、他のコンピューターからもメインコンピューターにアクセスしてこのデータにアクセスすることが可能であった。このコンピューターを操作し得る立場にあるのは、被告A(もっとも同被告は、コンピュータ操作の知識を持たない。)、被告Cのほか、入力作業等に携わっている4名ほどのパートタイマーがいたが、原告の顧客データへのアクセスについてはパスワード等による保護はされておらず、事務所にいる者なら誰でもこのデータを見ることができる状態にあった。また、顧客データをコピーすることも禁じられておらず、かえって顧客データを使用する場合はコピーしてから行うこととされていた。また、コンピュータを操作し得る上記の各人と原告との間では、秘密保持契約も締結されていなかった。
 これらの認定事実からすれば、原告では、顧客データを他のデータと一応識別できる形で保管してあったものと認められるが、これにアクセスできる者は特に制限されておらず、コピーも禁じられておらず、パスワード等による保護もされていなかったため、事務所にいる者であれば誰でも見ることができ、また、これらの者との間に秘密保持契約も締結されていなかったのであるから、秘密としての管理がされていたと認めることはできない。したがって、原告の顧客データは、不正競争防止法にいう営業秘密の要件を備えているということはできない。
(2) 上記からすれば、本訴における原告の不正競争防止法に基づく請求は既に理由がないのであるが、なお所論にかんがみ、被告Aらによる顧客データの窃取等の行為があったかどうかにつき検討する。
 上記1判示のとおり、原告が、平成12年6月2日、被告会社において、証拠保全手続により検証を行ったところ、被告会社で当時使用していたコンピューターに収録されていた顧客データは、原告で使用していたものと、顧客の住所氏名に加え、コード番号まで同一のものであった。このことからすれば、原告で使用していた顧客データと被告会社で使用していた顧客データは、同一のものと認められる。この理由につき、被告らは、原告の顧客データも被告会社のそれも、被告Aの知人であるFとHが共同経営する名簿業者であるアイム社から入手したものであり、原告では、アイム社から無償で名簿の貸与を受ける代りに当該顧客データにつき、ダイレクトメールの着・不着の別などの情報を新たに付加して更新し、更新後のデータをアイム社の求めに応じて提供していたためであると主張する。
 そこで検討するに、証拠(乙2、証人H、被告C及び被告A各本人)によれば、被告ら主張事実に沿う事実が認められ、これを覆すに足りる証拠は存しない。
 この点につき、原告は、原告の顧客データは原告が名簿業者から購入したものであると主張し、証人Eの供述及び甲14(Eの陳述書)のなかには上記主張に沿う部分もある。しかし、証人Eの供述によれば、原告の顧客データは12万件分であり、これを名簿業者から購入するとすれば約3600万円の費用を要するというのであり、原告においてこれだけの額の金額を支出するとすれば被告Aのみの権限でこれを支出することはできず、Eの承認が必要であるところ、原告がこのような金額の支出をしたかどうかについてはE自身も記憶がない旨を供述しており、またこのような代金の支払を裏付ける書証が一切存在しないことに照らしても、E証人の供述及び甲14のうち原告の前記主張に沿う部分は措信することができない。そうすると、原告は通信販売事業を開始する際には十分な数の顧客データを有していなかったのであるから、第三者から名簿を入手したものであるところ、原告において名簿購入に必要な代金を支出した事実が認められないことからすれば、被告らの主張するように、名簿を日々使用し、アウトバウンドした分も含め、データを更新して、その効用を高めた上で名簿業者にその結果をフィードバックする代わりに無償で使用させてもらうという約定の下で被告Aの知人の経営する名簿業者から顧客データの提供を受けたものと認めるのが合理的である。そうすると、原告の顧客データと被告のそれはともにアイム社から貸与されたものであるから、両者の顧客の住所氏名及びコード番号が同一であるのは当然であり、被告Aらが原告から顧客データを窃取などした事実を認めることはできない。
(3) 小括
 以上説示したとおり、いずれにしても、本訴における原告の不正競争防止法に基づく請求は理由がない。
3 争点2(被告Aらが原告の顧客データを破壊したことなどの行為による、被告らの原告に対する共同不法行為が認められるか)について
(1) 顧客データの破壊の主張について
 原告は、被告A及び被告Cが、原告のコンピューター内の顧客データの重要部分である「顧客タイプ」の「タイプコード」をすべて消去し、12万件すべてについてコードを0に変更したうえ、データの件数自体を9万1087件に減らしてしまった、と主張する。しかしながら、前記被告両名により消去されたと原告の主張する顧客データがその後復活して結局原告において従前と同様の顧客データを保有していることは証人E自身がその供述において認めているところであり、この点からすればそもそもデータが消去されたという原告の主張自体の真実性が疑われる。加えて、前記被告両名がそのような行為をしたと原告が主張する根拠は、前記被告両名が原告を退職する前日の平成11年12月3日の深夜、原告の事務所で遅くまで残業しており、原告の関連会社で同じビルにあるディスカバリーファームの従業員が、エレベーター付近で上記被告両名と会ったところ、「会いたくない人に会ってしまった」という顔をしていたこと(甲15及び証人E)に基づく推測にすぎない。しかし、前記被告両名は本人尋問において、退職をひかえての引継ぎの事務処理のために残業していたと述べており、原告において残業が常態化していたことからしても、単に前記被告両名が残業していたという事実のみから前記被告両名が原告主張のような行為をしたと結びつけるのは根拠薄弱というほかはない。また、本件において、他に、原告主張のように被告A及び被告Cの両名が原告の顧客データを消去したことを、認めるに足りる証拠はない。
(2) 原告の事業の乗っ取りとの主張について
ア 原告は、被告Aが、原告在籍中から、原告の事業の丸ごとの乗っ取りを企て、従業員をすべて解雇し、取引先を奪ったり、カタログ用写真をコピーして奪って、写真や商品番号まで同じにし、顧客が原告のそれと誤信するようなカタログを作成して顧客に送ったり、事務所を開設する準備をしたりして、原告の事業を乗っ取ったと主張する。
イ しかし、被告Aが原告のカタログ用写真をコピーして奪ったとの原告の主張については、証拠(甲24の1及び2)によれば、たしかに被告のカタログに使用している商品の写真は原告のそれと同じであるが、同じ商品を通信販売の対象とすれば、当該商品の製造元等から同じ写真の提供を受けることも考えられるところであり、これをもって直ちに被告Aが原告主張のような行為をしたと認めるには足りない。この点につき、E証人は、原告の近所の写真屋から、何十万円というコピー代金の請求があったと述べるが、それが被告Aが被告会社で使うための写真のコピーのためのものであると認めるに足りる証拠はない。
ウ 次に、従業員の解雇については、上記1認定のとおり、原告において従業員を採用・解雇する権限は、Eに専属していたと認められるから、被告Aがそのような行為をしたとは認められない。
エ さらに、取引先を奪ったとの事実について検討する。上記1において認定した事実からすれば、原告においては、事業の運営は被告Aに完全に一任されていたのであり、オーナーであるEは、資金面と人事管理以外には原告の内情を把握していなかった。取引先との折衝も、すべて被告Aが担当していたのであるから、被告Aが独立して被告会社を設立すれば、顔なじみである取引先が被告会社との取引を開始するのも不自然でないといえる(乙43及び乙46はこれに沿う趣旨を述べる。)。他方、原告においては、被告Aや、さらにこれに加えて被告Cのような主要な従業員が退職すれば、事業の運営が立ちゆかなくなるのも当然のことである。
オ 原告は、被告らの不法行為により原告の営業上の利益が失われたというが、上記エに判示したように、原告は被告Aらが退職したことから事業を取りやめたものであるところ、被告Aらが退職したことは、Eの承認を得たことであり、原告に対する責任を生じるものではない。
(3) 被告C及び被告Bの責任について
ア 被告Cの責任について
 原告が被告Cの責任として主張するところは、要するに、上記(1)及び(2)における被告Aの行為を、同被告と共謀のうえ行ったというものである。上記判示のとおり、被告Aの行為として原告の主張する内容は認められないものであり、また、証拠上、他に被告Cの不法行為となるべき事実も特段認められない。
イ 被告Bの責任について
  原告が被告Bの責任として主張するところは、同被告は被告Aと共謀のうえ、香港に会社を設立し、原告の事業の乗っ取りを図ったというものである。しかし、これに沿う証拠は、Eの陳述(甲23、乙36、証人E)以外に存せず、これをもっては原告主張の事実の存在を認めるには足りない。かえって、証拠(乙14、被告A本人)及び弁論の全趣旨によれば、前記被告両名が香港に設立したエンポリア社やトータルコンフィデンス社は、香港所在の原告の関連会社ジェイディライジング社が、香港の厚生省の認可を取らないで健康食品を違法に輸入していたことが同省に発覚したことで、輸入ができなくなったため、Eの指示により、前記被告両名が、この会社を経由して日本に健康食品を輸出しようとしたものと認められる。
(4) 小括
 以上によれば、原告の主張する被告らの不法行為もまた、これを認めるに足りる証拠がない。
4 結論
 上記によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求はいずれも理由がない。
 よって、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第46部
 裁判長裁判官 三村量一
 裁判官 村越啓悦
 裁判官 青木孝之
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