判例全文 line
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【事件名】日本経済新聞『20世紀 日本の経済人』引用事件
【年月日】平成14年3月26日
 東京地裁 平成13年(ワ)第16152号 著作権侵害等請求事件
 (口頭弁論終結の日 平成14年2月8日)

判決
原告 株式会社日本経済新聞社
訴訟代理人弁護士 光石忠敬
同 光石俊郎
被告 A
被告 株式会社晶文社
訴訟代理人弁護士 杉本昌純


主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由
第1 請求
1 被告株式会社晶文社は、別紙第1目録記載の書籍を印刷、製本、発売または頒布してはならない。
2 被告株式会社晶文社は、別紙第1目録記載の書籍を書店等から回収し、その占有する在庫品と共に裁断その他の方法により廃棄せよ。
3 被告らは、原告に対し、原告発行の新聞「日本経済新聞」の全国版朝刊社会面に、別紙謝罪広告目録(1)記載の謝罪広告を同目録(2)記載の条件で1回掲載せよ。
4 被告らは、原告に対し、各自金1000万円及びこれに対する平成13年8月7日から支払済みに至るまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要及び争点等
1 争いのない事実
(1) 原告は、新聞の発行等を目的とし、日本経済新聞等の新聞を発行する株式会社であり、その発行する別紙第2目録記載の新聞記事(以下「原告新聞記事」という。)の著作者である。
 原告新聞記事は、日本経済新聞の月曜日付け朝刊に、平成11年1月から平成12年12月まで2年間にわたって連載された「20世紀 日本の経済人」中の一部である。
(2) 被告Aは、「大倉喜八郎の豪快なる生涯」その他の著作のある作家であり、被告株式会社晶文社(以下「被告晶文社」という。)は、書籍及び雑誌の出版並びに販売等を目的とする株式会社である。
(3) 被告Aは、平成13年3月5日、被告晶文社から別紙第1目録記載の書籍(以下「被告書籍」という。)を刊行した。そして、被告書籍には別紙第3目録(1)及び(2)記載の各記述がある(以下それぞれ「記述(1)」、「記述(2)」という。)。
2 本件は、被告Aが被告書籍中の記述(1)及び(2)が原告新聞記事を名誉声望を毀損する方法で利用した、又は原告の名誉を毀損したとして、被告らに対して、主位的に著作者人格権に基づき、予備的に名誉毀損による不法行為を理由として、被告晶文社に対して、被告書籍の頒布等の禁止、被告書籍の回収廃棄を求めるとともに、被告らに対して、謝罪広告の掲載及び損害賠償の支払を求める事案である。
3 争点
(1) 被告書籍の記述(1)は、原告の名誉又は声望を害する方法により原告新聞記事を利用したか、又は原告の名誉を毀損したか。
(2) 被告書籍の記述(2)は、原告の名誉又は声望を害する方法により原告新聞記事を利用したか、又は原告の名誉を毀損したか。
(3) 損害の発生及び額。
(4) 謝罪広告の要否。
第3 争点に関する当事者の主張
1 争点(1)について
【原告の主張】
 被告Aは、原告新聞記事に「ただ、伊庭の意に反して移転は煙害の完全な解決にはならず、その除去には操業から35年もかかった。」との記載が存在するにもかかわらず、これを故意に無視して、記述(1)記載のとおり、「読者の目を引きつけるために使われた写真は四阪島の製錬所であるが、その写真説明文は『煙害問題に対応するため別子銅山の製錬所を無人島の四阪島に移した』となっているのである。」、「本文も『彼(伊庭)が打った最大の(煙害)解決策は、巨費を投じて製錬所を・・・四阪島に移転したことである』となっている。」と記載して、原告新聞記事を引用して利用し、「読者は疑いなくこれで住友の煙害問題は解決したと信ずるはずである」が、事実は異なり、原告新聞記事には、製錬所の移転によって煙害問題は解決したとの誤った事実が記載されているとしているので、原告の名誉または声望を害する方法により原告新聞記事を引用して原告の著作者人格権を侵害し又は原告の名誉権を侵害したものである。
【被告らの主張】
 被告Aは、「ただ、伊庭の意に反して移転は煙害の完全な解決にはならず、その除去には操業から35年もかかった。」との記載について、故意に無視しておらず、被告書籍には、「製錬所の移転によって煙害問題は解決したとの誤った事実が記載されている。」との記載もしていない。
 被告Aは、原告新聞記事の、@見出しの「別子銅山の紛争を解決」、Aリード(前書きの部分)の「住友の命運がかかった別子銅山の紛争を見事に収めた」、B写真説明の「煙害問題に対応するため別子銅山の製錬所を無人島の四阪島に移した」、C本文における「彼が打った最大の解決策は、巨費を投じて製錬所を新居浜の沖合20キロにある無人島の四阪島に移転したことである」、D同記事全体の基調(伊庭が公害対策に成功した)等から、「読者は疑いなくこれで住友の煙害問題は解決したと信ずるはずである」と記載している。上記「別子銅山の紛争」とは、煙害問題のことを指していると解するのが自然であるし、上記記載における「ならず」との否定の対象は「完全」であり、同記載は「不完全ながら解決した」という意味であるから、被告Aが「読者は疑いなくこれで住友の煙害問題は解決したと信ずるはずである」と記載しても、原告新聞記事の引用に誤りはない。
【原告の反論】
 「煙害の完全な解決にはならず」の語義について、否定の対象は「煙害の完全な解決」であり、「不完全な解決」と同意義ではない。なぜなら、「最大の解決策」が実施されたにもかかわらず「伊庭の意に反して」と記載され、かつ、「完全な解決にならず」に続けて、「その除去には操業から35年もかかった」と記載されているからである。
 記述(1)は「別子銅山の紛争を解決」の見出しを引用していない。
2 争点(2)について
【原告の主張】 
(1) 記述(2)記載のとおり、被告書籍には「しかし、田中正造がいくら尊敬に価する人物だからといって、彼が戦略的につくったデタラメの話まで、何十万という新聞の読者に真実らしく報道するのは罪つくりではないか。」との記載があるが、田中正造が第15回帝国議会で演説したのは歴史的事実であり、その内容が虚偽であるとの評価が一般にされているわけではない。原告はその歴史的事実を真実として紹介したに過ぎず、デタラメの話を読者に真実らしく報道したのではなく、被告Aは、著作者の創作意図を外れた利用を意図的に行っている。
(2) Aが田中正造の演説をデタラメと理由付ける記載を検討すれば、以下のとおり何ら根拠がない。
ア 「足尾は、生産技術においても生産量においても別子の上を行っており、『天地の差』などあるはずがなかったし、」との記載につき、「天地の 差」云々とは、別子銅山と足尾銅山における公害対策の姿勢の総合的な差を論じているのであり、「生産技術」や「生産量」の差を論じているのではないことは本文及び前後の文脈から明らかであるにもかかわらず、被告Aは「生産技術」や「生産量」の差に論点を矮小化しすり替えている。
イ 「足尾の鉱毒問題に熱中していた正造が、住友の重役の人格まで知っているはずもなかった。」との記載につき、事業主としての住友の経営判断を論じているのであり、住友の重役の個々人の人格を論じているのではないことは本文及び前後の文脈から明らかであるにもかかわらず、被告Aは、重役個々人の人格の問題とすり替えている。
ウ 「鉱山業は十中八九は失敗するほど困難で、『金を儲けさえすれば宜しい』と考える人間にはとても手が出せない危険な事業なのである。」との記載につき、事業主としての住友が「社会の事理人情を知っておる者で、己が金を儲けさえすれば宜しい」というような金儲け至上主義でないと論じているのであり、「鉱山業」が「危険な事業」であることは全く関係がないことは本文及び前後の文脈から明らかであるにもかかわらず、被告Aは論点をすり替えている。
エ 「ということは、住友の重役たちこそ、精神的に腐敗し、『社会の事理人情』を知らなかった人たちということになる。」につき、原告新聞記事は、「意思の疎通を欠いた」と明確に定義しているにもかかわらず、被告Aは、「住友の重役こそ、精神的に腐敗し、『社会の事理人情』を知らなかった人たち」であると、「精神の腐敗」の意味をあえてすり替えている。
オ 「この当時までに古河で内紛があったという資料は何1つないことからいっても、正造の主張は全く根拠がないということができる。」との記載につき、被告Aは「正造の主張は全く根拠がない」と述べるが、その 「正造の主張」に「古河で内紛」なるものは何も存在しない。被告Aは、批判する対象が存在しないにもかかわらず、批判するという誤りを犯している。
カ 「公害の被害者の立場から言えば、加害企業の親玉を敵にし、戦闘意欲を沸かそうとするのは当然である。正造としては古河市兵衛をつねに悪玉に仕立てておく必要があった。だから時にはつくり話も必要だったかもしれない。」との記載は被告Aの推測に過ぎない。「つくり話」とする根拠は歴史的に存在しないし、被告Aもその根拠を何も示していない。
【被告晶文社の主張】
(1) 原告新聞記事は、田中正造の当該演説内容の真実性を検証することなく無批判に肯定し、そのまま真実であるとして引用・紹介し、「義人田中が手放しで称賛するほどに、この山を改革したのが伊庭貞剛である」として、伊庭の事績のひとつの根拠としている。被告Aは、田中正造の演説の内容を検証し、論拠を明確に示して「戦略的につくったデタラメの話」と論じ、同演説内容の真実性を検証することなく読者に報道していることを批判しているのであり、「公正な論評」の範疇に属する。
(2) 原告の「田中正造の演説を『デタラメ』と理由付ける」根拠はないとの主張は争う。
ア 「天地の差」について
 田中正造の演説でいう「天地の差」の具体的意味内容は必ずしも明らかではなく、よって読み手の解釈の問題であり、「公害対策の姿勢の総合的な差」という原告の解釈もひとつの解釈として成立し得る。
 被告Aは、具体的に生産技術や生産量に言及し、それらの点で、両者すなわち住友と古河は天地の差などあるはずがなかったと論じているのであり、生産技術や生産量の差に論点を矮小化しすり替えているということはできない。
イ 住友の重役の人格の点について
 田中正造の演説が、「第一鉱業主は住友である。それゆえ社会の事理人情を知っておる者で・・・そういう間違いの考えを持たない」と断言しているので、当時、東京にいて、足尾鉱毒問題に熱中していた田中正造が関西の「住友」の重役陣の人格まで知っているはずもなかったと同演説の内容に疑問を提起しているのである。
 原告の「事業主としての住友の経営判断を論じている」という解釈は、田中正造の演説のひとつの解釈として成り立つとしても、「事業主としての住友」とは住友の重役陣のことであり、「社会の事理人情を知っておる者」は住友の重役陣であると理解するのが自然かつ合理的であるから、重役個々人の人格の問題とすり替えているとはいえない。
ウ 金儲け至上主義の点について
 田中正造の演説は住友について暗に古河を金儲け至上主義であるかのように非難しているのに対し、被告Aは古河はそうではないということを述べているのであるから、すり替えているとはいえない。
エ 精神の腐敗の点について
 原告新聞記事は、「精神の腐敗」について「意思の疎通を欠いた」としている。しかし、精神の腐敗というのは、伊庭貞剛が「のちに親友、品川弥二郎にあてた手紙」の用語であり、「意思の疎通を欠いた」との原告新聞記事の明確な定義なるものは、あくまでも同記事の同用語についてのひとつの解釈にすぎない。その自らのひとつの解釈をもって、被告Aの伊庭の用語についての解釈に基づく言説を「『精神の腐敗』の意味のすり替えを敢えて行っている」と非難することは不当である。
オ 古河で内紛の点について
 被告Aが、古河で内紛があったという資料がないことに言及しているのは、田中正造の演説の古河非難に対する反証のひとつとしてである。被告Aの批判の対象は、田中演説の政治的な古河非難である。
カ 田中正造の演説のつくり話の点について
 原告新聞記事が引用した田中演説の内容がつくり話というべきことの根拠は被告書籍に明確に示されている。
3 争点(3)について
【原告の主張】
 「20世紀 日本の経済人」は高い評価を得て、平成11年度の新聞協会賞(企画・キャンペーン部門)の候補作品のひとつになり、平成12年4月から同年12月まで、テレビ東京系列で同名のシリーズ番組が計37回にわたり放送され、伊庭貞剛も同年7月15日に放送された。また、同企画は、日本経済新聞出版局から平成12年末に創設された「日経ビジネス人文庫」の目玉作品として上下2冊に分けて刊行され、上巻(「伊庭貞剛」を収載)は3万5000部、下巻は2万5000部販売した。
 したがって、原告が被告書籍の発行によって被った無形の損害は1000万円を下ることはない。
【被告らの主張】
 争う。
4 争点(4)について
【原告の主張】
 原告新聞記事は上記のとおり出版されており、被告らの行為による影響は甚大であるから、被告らに対して謝罪広告の掲載を命ずる必要がある。
【被告らの主張】
 争う。
第4 当裁判所の判断
1 他人の言動、創作等について意見ないし論評を表明する行為がその者の客観的な社会的評価を低下させることがあっても、その行為が公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出たものであり、かつ、意見ないし論評の前提となっている事実の主要な点につき真実であることの証明があるときは、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱するものでない限り、名誉毀損としての違法性を欠くと解される(最高裁判所平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2252頁、平成9年9月9日第三小法廷判決・民集51巻8号3804頁参照)。そして、意見ないし論評が他人の著作物に関するものである場合には、上記著作物の内容自体が意見ないし論評の前提となっている事実に当たるから、当該意見ないし論評における他人の著作物の引用紹介が全体として正確性を欠くものでなければ、前提となっている事実が真実でないとの理由で当該意見ないし論評が違法となることはないものと解すべきである(最高裁判所平成10年7月17日第二小法廷判決・最高裁判所裁判集民事189号267頁参照)。そして、以上の法理により意見ないし論評が名誉毀損とならない場合は著作権法113
条5項が規定する名誉声望毀損行為も成立しないものというべきである。
2 争点(1)について
(1) 記述(1)は、まず、@「住友別子鉱山史」と引用するなどして、別子銅山において製錬所が四阪島に移転された後、煙害の被害地域が広がったことを記載した後、A原告新聞記事について、「読者の目を引きつけるために使われた写真は四阪島の製錬所であるが、その写真説明文は『煙害問題に対応するため別子銅山の製錬所を無人島の四阪島に移した』となっているのである。」、「読者は疑いもなくこれで住友の煙害問題は解決したと信ずるはずである」、「本文も『彼(伊庭)が打った最大の(煙害)解決策は、巨費を投じて製錬所を・・・四阪島に移転したことである』となっている。」と記載し、さらに、B「『住友別子鉱山史』に書かれた事実は以下のとおりなのである。」として、製錬所が四阪島に移転された後の農民の住友に対する抗議の様子を記載し、「『住友』の場合、被害農民への損害賠償の支払いまでに、被害の発生から17年もの年月がかかったことになる。」と記載していることが認められる。
 以上の認定事実によると、記述(1)は、原告新聞記事を引用紹介した(上記A)うえ、事実を示し(上記@、B)、原告新聞記事が事実に反する旨の意見を述べているものと認められる。
(2) 証拠(丙1)と弁論の全趣旨によると、記述(1)は、被告Aが古河市兵衛の生涯について記載した書籍の中で、古河の同業他社が行った公害対策について述べた部分に含まれており、上記のとおり、原告新聞記事を批判する内容となっている。
 証拠(甲5、6)によると、日本経済新聞は、発行部数300万部を超える我が国を代表する日刊新聞の一つであって、その信頼性について各方面から高い評価を得ているものと認められるから、そのような新聞の内容の当否について述べる記述(1)は、公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出たものと認められる。この点について、甲11(原告編集委員Bの陳述書)には、被告Aは、原稿を原告に持ち込んだが断られたことあり、そのことが、本件に関係している旨の記載があるが、証拠(乙12、13)に照らすと、被告Aが原告に原稿を持ち込んだが断られたことの報復として、記述(1)(2)の批判を行ったとは認められないから、上記認定を覆すに足りるものではない。
(3) そして、証拠(乙3)と弁論の全趣旨によると、記述(1)の「住友別子鉱山史」の記載等に関する事実(上記(1)@、Bの各事実)は、真実であると認められる。
(4) そこで、次に、記述(1)における原告新聞記事の引用紹介が全体として正確性を欠くものであったかどうかについて判断する。
 証拠(甲1)によると、原告新聞記事は、伊庭貞剛の生涯を紹介したものであること、原告新聞記事の見出しに大きく「別子銅山の紛争を解決」とあり、続けて「公害対策進め、植林始める」との見出しが書かれていること、冒頭の編集委員による説明書きには「彼の最大の事績は、住友の命運がかかった別子銅山の紛争を見事に収めたことだ。田中正造も称賛した公害への真摯(しんし)な対応は、植林という自然回復のテーマを含み、来世紀に確かなメッセージを発信している。」とあること、原告新聞記事の本文は、足尾銅山の鉱毒問題を糾弾し、別子銅山を称賛した田中正造の演説の紹介から始まっていること、上記見出し「別子銅山の紛争を解決」の左横に原告新聞記事の約6分の1にわたって別子銅山の製錬所の写真を掲載し、その下には「煙害問題に対応するため別子銅山の製錬所を無人島の四阪島に移した。」と説明されていること、原告新聞記事本文中に「五年後、別子の支配人を鈴木馬左也に譲って本店に帰任するまでに彼が打った最大の解決策は、巨費を投じて製錬所を新居浜の沖合二十キロにある無人島の四阪島に移転したことである。・・・ただ、伊庭の意に反して移転は煙害の完全な解決にはならず
、その除去には操業から35年もかかった。環境アセスメントや技術の未発達が原因だが、地域住民の立場で誠心誠意、事に当たった姿勢が田中の評価につながったのだ。」との記載があること、以上の事実が認められる。
 ところで、原告は、@原告新聞記事の約4分の1を別子銅山の内紛に割いており、それは見出しの「別子銅山の紛争」と対応していること、A「別子銅山の紛争」が煙害問題を指すとすると、続けて「公害対策進め、植林始める」との見出しと重複すること、B原告新聞記事は内紛について「紛争」、「内紛」、「騒動」を「見事に収めた」、「解決」との表現を用いているのに対し、煙害問題については「公害」、「煙害」、「煙害問題」に「対策」、「対応」、「解決策」、「改善策」との表現を用い、両者を明確に区別していることから、上記「別子銅山の紛争」は煙害問題とは関係がなく、別子銅山における内紛のみを指すと主張し、原告新聞記事の執筆者の陳述書(甲11)にも同旨の記載がある。
 確かに、証拠(甲1)と弁論の全趣旨によると、原告新聞記事を注意深く読むと、上記Bのとおり、表現が使い分けられていることが認められる。しかし、証拠(甲1)によると、原告新聞記事本文には、「実は、これより7年前、住友は根幹の事業である別子銅山存続の危機に見舞われていた。」との記載に続けて「新居浜の製錬所から発生した深刻な煙害問題で、地元には怨嗟(えんさ)の声が満ちあふれた。これに拍車をかけたのが住友の内紛だった。鉱業所副支配人で住友分家になった大島供清が、総理代人(のちの総理事)広瀬宰平の独裁に反対して排斥運動を起こした。」との記載があり、別子銅山存続の危機の原因として煙害問題を最初に挙げ、次に内紛について述べていることが認められる。そして、上記認定のとおり、原告新聞記事においては、見出しの「別子銅山の紛争」に続けて「公害対策進め、植林始める」との見出しが書かれているのであるが、これらの見出しの位置関係からすると、読者はこれらを別のものではなく、一体のものとして理解すると考えられる。これらを別のものとして理解すると、原告が上記Aで主張するとおり、「別子銅山の紛争」が煙害問題と重複することもあり得るが、一体のものとして理解すると、重複することはなく、むしろ、「別子銅山の紛争」は煙害問題と同じ意味であるということになる。また、上記認定のとおり、原告新聞記事の見出し「別子銅山の紛争を解決」の左横には、原告新聞記事の約6分の1にわたって別子銅山の製錬所の写真が掲載されており、その下には「煙害問題に対応するため別子銅山の製錬所を無人島の四阪島に移した。」との説明が付されているが、この写真及びその説明も、上記見出し「別子銅山の紛争を解決」と一体となって、「別子銅山の紛争」が煙害問題であるとの印象を与えるものということができる。さらに、仮に原告が主張するとおり「別子銅山の紛争」が住友の内紛のみを指すとすると、端的に「住友の内紛を解決」あるいは「別子銅山の内紛を解決」という見出しをつければ足りると考えられるところ、そのような見出しにはなっていない。これらのことからすると、読者は、ここでいう「別子銅山の紛争」に煙害問題を含めて理解するということができる。
 以上の事実からすると、原告新聞記事は、「ただ、伊庭の意に反して移転は煙害の完全な解決にはならず、その除去には操業から35年もかかった。」との記載があるものの、全体としては、伊庭が製錬所を新居浜から四阪島に移転して別子銅山の煙害の解決に努力したことが強調されており、この記事に接した読者は、伊庭が製錬所を新居浜から四阪島に移転したことは、別子銅山の煙害の解決につながったが、その完全な解決にはさらに時間を要したという趣旨に受け取るものと解される。
 そうすると、記述(1)における「読者は疑いなくこれで住友の煙害問題は解決したと信ずるはずである」という記載を含む原告新聞記事の引用紹介(上記(1)A)は、完全な解決にはさらに時間を要したという趣旨を含んでいない点において適切でないが、原告新聞記事から、読者は、伊庭が製錬所を新居浜から四阪島に移転したことが、別子銅山の煙害の解決につながったと理解する点において、原告新聞記事と符合しているということができる。また、記述(1)は、別子銅山において製錬所が四阪島に移転された後、煙害の被害地域が広がり、住民の反対運動も収まらなかったとして、移転は煙害解決に効果がなかったことを述べているのであるから、原告新聞記事の引用紹介が完全な解決には時間を要したという趣旨を含んでいたとしても、記述(1)におけるものと同様の批判が可能であったものと考えられる。その意味では、原告新聞記事の引用紹介に完全な解決には時間を要したという趣旨を含んでいないことは、上記批判の前提となっているということはできない。以上述べたところからすると、記述(1)における原告新聞記事の引用紹介(上記(1)A)が全体として正確性を欠くとまでは認められない。
 なお、原告は、著作権法113条5項にいう原告の名誉又は声望を害する方法により著作物を利用したかどうかについては、著作物の客観的な意味内容を前提とすべきであって、読者の読み方を基準として判断すべきでないと主張するが、上記のとおり、記述(1)は、読者の読み方について述べ、それを前提として原告新聞記事を批判しているのであるから、記述(1)における原告新聞記事の引用紹介(上記(1)A)が正確性を欠くものかどうかは、上記のように読者の読み方を基準として判断することができるというべきである。
(5) 以上のとおり、記述(1)は、原告新聞記事について、それを批判する意見を表明したものであるが、その行為は、公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出たものであり、かつ、意見の前提となっている原告新聞記事の引用紹介が正確性を欠くものではなく、意見の前提となっている事実について真実であることの証明があるものと認められる。そして、この意見表明行為が人身攻撃に及ぶなど意見としての域を逸脱するものであるというべき事情も認められないから、名誉毀損としての違法性を欠くものと解され、著作権法113条5項が規定する名誉声望毀損行為も成立しないものというべきである。
3 争点(2)について
(1) 記述(2)は、まず、@原告新聞記事本文の冒頭部分の田中正造の演説からの引用文及びそれに続く「義人田中が手放しで称賛するほどに、この山を改革したのが伊庭貞剛である。」という記載を引用紹介し、A正造の言葉には何1つ真実が見当たらないとして、「足尾は、生産技術においても生産量においても別子の上を行っており、『天地の差』などあるはずがなかったし、」「足尾の鉱毒問題に熱中していた正造が、住友の重役の人格まで知っているはずもなかった。」「鉱山業は十中八九は失敗するほど困難で、『金儲けさえすれば宜しい』と考える人間にはとても手が出せない危険な事業なのである。」と田中正造の演説の内容を批判し、B原告新聞記事について、「伊庭が『まったく精神の腐敗にもとずく』住友の内紛を解決した、と説明している。」と引用紹介したうえ、「ということは、住友の重役たちこそ、精神的に腐敗し、『社会の事理人情』を知らなかった人たちということになる。」、「この当時までに古河で内紛があったという資料は何1つないことからいっても、正造の主張は全く根拠がないということができる。」と、田中正造の演説の内容を批判し、C「公害の被害者の立場から言えば、加害企業の親玉を敵にし、戦闘意欲を沸かそうとするのは当然である。正造としては古河市兵衛をつねに悪玉に仕立てておく必要があった。だから時にはつくり話も必要だったかもしれない。」と、更に田中正造の演説の内容を批判し、D最後に「田中正造がいくら尊敬に価する人物だからといって、彼が戦略的につくったデタラメの話まで、何十万という新聞の読者に真実らしく報道するのは罪つくりではないか。古河系の会社関係者はこの記事を読んで何と思うのだろうか。」と記載しているものと認められる。
(2) 証拠(丙1)と弁論の全趣旨によると、記述(2)は、被告Aが古河市兵衛の生涯について記載した書籍の中で、古河の同業他社が行った公害対策について述べた部分に含まれており、上記のとおり、原告新聞記事を批判する内容となっている。
 前記2(2)で述べたところからすると、原告新聞記事の内容の当否について述べる記述(2)は、公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出たものと認められる。
(3) 記述(2)のうち、田中正造の演説の内容を批判し、正造の主張は全く根拠がないとする部分(上記(1)ABC)は、被告Aが田中正造の演説について自らの意見を述べて、根拠がないと批判しているものであり、原告新聞記事を批判する部分(上記(1)D)は、上記田中正造の演説についての批判に基づき、被告Aが、原告新聞記事について、それを批判する意見を述べているものであると解される。したがって、その前提となる原告新聞記事からの引用紹介が正確である限り、前提となっている事実が真実でないとの理由で当該意見が違法となることはないものというべきである。
(4) そこで、記述(2)における原告新聞記事からの引用紹介が正確であるかどうかについて判断する。
 証拠(甲1)によって認められる原告新聞記事の内容と記述(2)の記載とを対比すると、記述(2)は、原告新聞記事の該当箇所をそのまま原文どおり正確に引用しているものと認められる。
 原告は、田中正造が第15回帝国議会で演説したのは歴史的事実であり、原告はその歴史的事実を真実として紹介したに過ぎないと主張するが、証拠(甲1)と弁論の全趣旨によると、原告新聞記事の本文は、まず、田中正造の演説内容をそのまま引用し、「義人田中が手放しで称賛するほどに、この山を改革したのが伊庭貞剛である。」と記載したうえ、伊庭が別子銅山の内紛の解決や煙害の防止に努めたことを記載し、煙害の防止について記載した最後に「環境アセスメントや技術の未発達が原因だが、地域住民の立場で誠心誠意、事に当たった姿勢が田中の評価につながったのだ。」と記載しており、全体として、伊庭貞剛の業績を高く評価する内容となっていることが認められるのであるから、原告は、田中正造の演説を単に歴史的事実として紹介したにとどまらず、田中正造が称賛、評価していることを、伊庭貞剛の業績を高く評価することの根拠としているものと認められる。そして、記述(2)は、田中正造の演説内容は「デタラメ」であるという立場から、その演説を自らの主張の根拠とした原告新聞記事を批判しているものと解されるから、原告新聞記事を引用紹介するに当たり、著作者の創作意図に沿った理解の下に、原告新聞記事を引用紹介したうえ、これを批判しているものということができる。
 したがって、記述(2)における原告新聞記事の引用紹介が全体として正確性を欠くということはできない。
(5) そうすると、記述(2)は、原告新聞記事を批判する意見を表明したものであるが、その行為は、公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出たものであり、かつ、意見の前提となっている原告新聞記事の引用紹介が正確性を欠くものではないと認められる。そして、記述(2)には、「デタラメ」、「罪つくり」といった強い表現があるものの、この意見表明行為が人身攻撃に及ぶなど意見としての域を逸脱するものであるとまでいうことはできない。したがって、記述(2)は、名誉毀損としての違法性を欠くものと解され、著作権法113条5項が規定する名誉声望毀損行為も成立しないものというべきである。
(6) 原告は、田中正造の演説を「デタラメ」と理由付ける根拠はないと主張し、前記第3の2【原告の主張】(2)のとおり、その理由を主張するが、既に認定したとおり、記述(2)において田中正造の演説が「デタラメ」であるとされている根拠に関する部分は、被告Aの意見であると認められ、前記第3の2【原告の主張】(2)の主張も、被告Aの意見の内容が不当であることを述べるに過ぎないから、この点は、名誉毀損としての違法性の判断にはかかわりないものというべきである。
(7) よって、記述(2)は、名誉毀損としての違法性を欠くものと解され、著作権法113条5項が規定する名誉声望毀損行為も成立しないものというべきである。
4 以上の次第で、その余の争点について判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がない。

東京地方裁判所民事第47部
 裁判長裁判官 森義之
 裁判官 内藤裕之
 裁判官 上田洋幸


第1目録
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著者 A
題名 運鈍根の男 古河市兵衛の生涯
第一刷発行日 2001年3月5日
発行者 株式会社晶文社

第2目録
 1999年(平成11年)5月10日発行の日本経済新聞に掲載された23面「20世紀 日本の経済人R挑戦編『伊庭貞剛』」と題する記事

第3目録(1)
 明治38(1905)年1月、瀬戸内海の四阪島にできた新製錬所が操業開始。新居浜の製錬所は廃止された。しかし、前年10月の試験操業の開始と同時に、対岸の村から煙害の苦情が出はじめ、本操業に入るとさらに広範囲の村々から「煙害防止か製錬所の廃止か」の叫び声が起こった。「被害地域は、新居浜製錬所当時よりもはるかに広い範囲にわたり、四阪島を中心にその半円内にある越智・周桑・新居・宇摩四郡の農村・山林地帯にまで拡大した」(『住友別子鉱山史』、住友金属鉱山株式会社、平成3年)。それまでは新居郡(現新居浜市)の範囲内にとどまっていた煙害が、4つの郡にまで拡まったのである。   ところで、右の事実に関連して、まことに不思議な新聞記事を見て私はびっくりした。『日本経済新聞』は平成11(1999)年の1月から「20世紀・日本の経済人」という大型連載記事を始めたが、その19回目に「住友」の伊庭貞剛をとりあげた(平成11年5月10日)。読者の目を引きつけるために使われた写真は四阪島の製錬所であるが、その写真説明文は「煙害問題に対応するため別子銅山の製錬所を無人島の四阪島に移した」となっているのである。この説明にはまったく嘘はない。しかし、読者は疑いなくこれで住友の煙害問題は解決したと信ずるはずである。本文も「彼(伊庭)が打った最大の(煙害)解決策は、巨費を投じて製錬所を・・・四阪島に移転したことである」となっている。しかし、『住友別子鉱山史』に書かれた事実は、以下のとおりなのである。
 明治41(1908)年8月、愛媛県知事の勧告で、住友本社から中田錦吉理事が被害地の越智郡富田村(現在今治市)に視察に赴くと、殺気だった農民1000余人は一行に向かって喚声をあげ、夜には宿舎を包囲し、視察3日目には5000人余の農民が大会を開いて「煙害除害同盟会」を組織し、4日目には食糧や鍋釜、薪炭類を数十台の荷車に満載して、夜を徹して住友支店のある新居浜にデモ行進をした。
 さまざまな経過の後、大浦兼武農商大臣の調停によって、農民側と住友側の最初の賠償契約が結ばれた。明治43年(1910)年11月のことである。その内容は、住友は明治43年までの過去3年分として23万9000円を、44年以降は毎年7万7000円を、賠償金として農民側に支払う、というものである。この契約により、住友は1年間の製錬鉱量を20万6250トンに、農作上重要な30日間については1日375トンに制限させられ、特に重要な10日間については製錬作業を中止しなければならなくなった。
 「住友」の場合、被害農民への損害賠償の支払いまでに、被害の発生から17年もの月日がかかったことになる。これに反して「古河」の場合は、前述したように、直接交渉による賠償金の妥結は2年後には実現していたし、政府も田中正造が動き出す前から被害調査を始め、正造らの訴えに答えて極めて短期間に公害防止工事を命じ、加害者である市兵衛は何1つ異議を唱えず命令に従った。実に見事な対応ぶりだったといえないだろうか。

第3目録(2)
 前に少し触れた伊庭貞剛にかかわる『日本経済新聞』の記事は、田中正造が議会に提出した質問書(明治34年3月23日)からの、次の引用文ではじまっている。
 「(別子銅山は)足尾銅山とは天地の差があるので、実に何とも譬え較べ合いのならぬ程の事情がある。・・・別子銅山は、第一鉱業主は住友である(伊庭はその総理事だった)。それゆえ社会の事理人情を知っておる者で、己が金を儲けさえすれば宜しいものだというような、そういう間違いの考えを持たない」
 そして記事は「義人田中が手放しで称賛するほどに、この山を改革したのが伊庭貞剛である」とつづいている。しかし、右の正造の言葉には何1つ真実が見当らない。足尾は、生産技術においても生産量においても別子の上を行っており、「天地の差」などあるはずがなかったし、足尾の鉱毒問題に熱中していた正造が、住友の重役の人格まで知っているはずもなかった。鉱山業は十中八九は失敗するほど困難で、「金を儲けさえすれば宜しい」と考える人間にはとても手が出せない危険な事業なのである。 
 この記事はまた、伊庭が「まったく精神の腐敗にもとずく」住友の内紛を解決した、と説明している。ということは、住友の重役たちこそ、精神的に腐敗し、「社会の事理人情」を知らなかった人たちということになる。この当時までに古河で内紛があったという資料は何1つないことからいっても、正造の主張は全く根拠がないということができる。
 公害の被害者の立場から言えば、加害企業の親玉を敵にし、戦闘意欲を沸かそうとするのは当然である。正造としては古河市兵衛をつねに悪玉に仕立てておく必要があった。だから時にはつくり話も必要だったかもしれない。しかし、田中正造がいくら尊敬に価する人物だからといって、彼が戦略的につくったデタラメの話まで、何十万という新聞の読者に真実らしく報道するのは罪つくりではないか。古河系の会社関係者はこの記事を読んで何と思うだろうか。

謝罪広告目録(1)
株式会社日本経済新聞社殿 
 平成  年  月  日

 株式会社晶文社

 私共は、株式会社晶文社発行の書籍、A著、『運鈍根の男 古河市兵衛の生涯』において、貴新聞社発行の日本経済新聞1999年5月10日付け朝刊「20世紀 日本の経済人R挑戦編『伊庭貞剛』」の記事を、記事中の重要な部分を無視して引用し、また、記事が引用した意図に反する引用をし、いずれも名誉・声望を害する方法で利用したことにより、貴新聞社の著作者人格権を侵害しました。多大な御迷惑をおかけしたことを深くお詫びいたします。

謝罪広告目録(2)
1 体裁
 スペース 二段抜き左右15センチメートル
 使用文字 「謝罪広告」との見出し 2倍
        本文及び日付 1倍
        被告2名および宛名の原告名 1.5倍
2 広告文 (但し、日付は広告掲載の日とする)
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