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【事件名】工業薬剤の商標権侵害事件
【年月日】平成14年3月25日
 東京地裁 平成13年(ワ)第4294号 商標使用差止請求事件
 (口頭弁論終結日 平成13年12月5日)

判決
原告 レイデント工業株式会社
訴訟代理人弁護士 森正博
被告 株式会社吉崎メッキ化工所
訴訟代理人弁護士 長瀬弘毅
補佐人弁理士 近藤豊


主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由
第1 請求
 被告は、提供するメッキ業務につき別紙被告標章目録記載の標章を使用してはならない。
第2 事案の概要
 本件は、メッキ業務について、別紙被告標章目録記載の標章(以下「被告標章」という。)を使用している被告の行為が、原告の有する商標権を侵害するとして、原告が被告に対し、同商標権に基づいて、上記標章の使用の差止めを求めた事案である。
1 前提となる事実(当事者間に争いがない。)
(1) 原告の有する商標権
 原告は、次の商標権(以下「本件商標権」といい、その登録商標を「本件商標」という。)を有している。
ア 登録番号 第3369910号
イ 出願日 平成6年5月19日
ウ 公告番号 09−044298号
エ 登録日 平成10年7月31日
オ 指定役務 第40類 電気めっき、フライス削り、焼きなまし、焼戻し、溶融めっき
カ 登録商標 別紙商標公報該当欄記載のとおり
(2) 被告の行為等
 被告は、その営業に係る電気メッキに含まれる黒色防錆導電性薄膜処理又は黒色防錆薄膜処理に関する役務について、被告標章を使用している。
 被告標章は本件商標と類似する。
2 争点(いずれも抗弁)
(1) 被告は被告標章の使用につき、原告から許諾を得たか。
(被告の主張)
 被告は原告から、黒色防錆薄膜処理に用いる黒色金属表面処理液(以下「レイデント処理液」という場合がある。)を購入したことがある。その際、被告は原告から、黒色防錆薄膜処理に関する役務の提供について、「レイデント」を含む標章(以下「レイデント標章」という場合がある。)についての使用許諾を得た。
 すなわち、被告は、昭和47年ころ、原告の開発した「黒色防錆薄膜処理法」に関する技術を導入しようとして、これに必要なレイデント処理液等を購入したが、その購入代金の中には、@黒色防錆薄膜処理の技術の利用料及びAその役務の表示としてレイデント標章についての使用許諾料が含まれていた。
 仮に、原告と被告との間のレイデント処理液購入等契約において、レイデント標章の使用許諾について明示の合意がされていなかったとしても、被告はその提供していた「電気メッキ」の役務に関して、「レイデント」「レイデント処理」「LAYDENT」の各標章を使用したところ、そのことについて、平成10年7月31日までの間、原告から何ら異議が述べられたことも中止を申し入れられたこともなかった。
 これらの経緯に照らすならば、被告は、レイデント処理液等を購入した際に、黒色防錆薄膜処理の役務について、レイデント標章を使用することを原告から許諾されたと解すべきである。
(原告の反論)
 被告がレイデント処理液等を原告から購入したからといって、黒色防錆薄膜処理の役務についてレイデント標章を使用することが許諾されたことにはならない。
 のみならず、原告は被告に対して、レイデント標章の使用等について「レイデント基本契約書」案によって契約の締結を求めたが、被告は、これを拒否したのであるから、被告がレイデント標章を使用する権利を有しないことは明らかである。
(2) 原告の権利行使は、権利濫用又は信義誠実の原則の違反として許されないか。
(被告の主張)
 被告は、昭和49年以降、平成10年10月2日に原告から警告を受けるまでの間、善意で被告標章を使用していた。原告は、長期間にわたり、被告による被告標章の使用について異議を述べることなく放置していた。このように原告の権利不行使によって、被告がレイデント標章の使用を許されたものと信じても差し支えないような客観的状況が生じていたといえる。
 また、前記(1)主張のとおり、被告は、原告からレイデント標章の使用について許諾を受けていたのであるから、原告の権利行使は専ら被告の営業を妨害するためにされたものといえる。
 以上のとおり、原告の権利行使は、権利の濫用又は信義誠実の原則に反して許されない。
(原告の反論)
 本件商標の登録年月日は、平成10年7月31日であるから、原告の被告に対する警告が同年10月2日にされたとしても、被告による被告標章の使用について放置していたことにはならない。
 また、前記(1)記載の原告の主張に係る事実を前提とすれば、被告が、善意で被告標章を使用し、それを許されたものと信じていたとは到底いえない。
(3) 被告は、被告標章について、商標法の一部を改正する法律(平成3年法律第65号。以下「改正法」という。)附則3条1項所定の継続的使用権を有しているか。
(被告の主張)
 被告は、被告標章について、改正法附則3条1項所定の継続的使用権を有しているので、被告が被告標章を使用することは本件商標権の侵害とならない。
 すなわち、被告は、改正法施行の日(平成4年4月1日)から6か月を経過する前(平成4年10月1日午前0時より前)である昭和49年から現在まで継続して日本国内において不正競争の目的でなく被告の役務の表示として被告標章を使用している。したがって、被告標章について継続的使用権を有している。
(原告の反論)
ア 被告が改正法施行の日(平成4年4月1日)から6か月を経過する前(平成4年10月1日より前)に被告標章を使用していたとの主張は否認する。被告が、被告標章の使用を開始したのは、平成6年6月以降である。
イ 被告がその役務の表示として被告標章を使用するに当たり、不正競争の目的がなかったとの主張は否認する。
 すなわち、被告は、原告がレイデント標章を長年使用した結果、レイデント標章が原告の役務を表示するものとして周知となり、一定の信用や顧客吸引力が化体されるようになったことを知りながら、平成6年6月7日、指定役務について、本件商標と重複する「電気めっき」等として、「レイデント」の商標登録出願をするなどした。被告のこのような行為は、原告のレイデント標章に化体された信用や顧客吸引力を利用し、稀釈化させるものである。しかも、被告は、平成10年9月4日に上記出願について拒絶査定を受けながら、なお、今日に至るまで、その役務に被告標章を付して、広く宣伝行為も行っている。被告には、不正競争の目的がなかったとはいえない。
第3 争点に対する判断
1 争点(3)(被告は、被告標章について、改正法附則3条1項所定の継続的使用権を有しているか)について
(1) 改正法附則3条1項によれば、改正法施行の日(平成4年4月1日)から6月を経過する前(平成4年10月1日より前)日本国内において不正競争の目的でなく他人の登録商標に係る指定役務又は指定商品若しくは指定役務に類似する役務についてその登録商標又はこれに類似する商標の使用をしていた者は、継続してその役務についてその商標の使用をする場合は、この法律の施行の日から6月を経過する際現にその商標の使用をしてその役務に係る業務を行っている範囲内において、その役務についてその商標の使用をする権利を有するとされている。
 そこで、@被告は、改正法施行の日から6月を経過する前(平成4年10月1日より前)、被告標章を使用し、以後継続してその使用をしていたといえるか(継続使用の事実)、A被告は、不正競争の目的でなく、被告標章を使用していたといえるか(不正競争の目的の不存在)について、順に検討する。
(2) 継続使用の事実について
ア 証拠(乙1ないし13、15ないし20、22、23、26、27、32、33、50、51、53ないし62、70、枝番号の表記は省略する。以下同じ。)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
(ア) 被告の業務
 被告は、昭和38年6月22日、「電気鍍金並びにアルマイト加工業」を主たる業務として、東京都三鷹市に本社を、東京都田無市(現在の西東京市)に工場を置く有限会社吉崎メッキ化工所として発足した。被告は、平成2年11月に株式会社へ組織変更し、同3年8月に本社を三鷹市から立川市へ移転し、現在に至っている。
 現在、被告は、はんだメッキ等の各種メッキ、陽極酸化皮膜(アルマイト)及び黒色防錆導電性薄皮膜等の多種類のメッキ加工(金属表面処理加工)を業とし、注文者からの依頼に応じて、金属機械部品等を預かり、その表面に、各種表面処理加工を行う等の業務を行っている。
(イ) 被告と原告との取引
 原告は、昭和47年以前に、黒色防錆薄膜処理法を開発した。原告は、同処理法をレイデント法と命名し、また、自己の製造に係る商品「黒色金属表面処理液」にも「レイデント」の標章を付して販売した。
 被告は、昭和47年ころ、原告から、原告の製造するレイデント処理液を購入して、黒色防錆薄膜処理法を用いて自己の営業をした。
 被告と原告との取引について、契約書は存在しない。被告は、原告から導入した技術に、被告独自の改良を加えて、営業を継続した。
(ウ) 被告の使用した標章
 被告は、自己の実施する黒色薄膜処理についての役務の提供に、レイデントの名称を使用した。
a 被告は、遅くとも昭和49年からから現在に至るまで、自ら実施する黒色防錆薄膜処理法を利用した役務の提供について、会社案内パンフレット、技術情報雑誌「M&E」及び新聞「日刊工業新聞」などに以下のとおりの標章を使用していた。
@ 「レイデント」と表記した標章
A 「レイデント処理」又は「LD処理」と表記した標章
B 「レイデント」を上段に、「処理」を下段に、横書きした標章
C 「LDレイデント」と表記した標章
D 「L」を左上に、「D」を右下に、重なるように記載した標章
E 「LAYDENT」と表記した標章
F 「LAYDENT」を上段に、「レイデント」を下段に、横書きした標章
G 「レイデント」を上段に、「(LAYDENT)」を小さく下段に、黒地に白抜きし、横書きした標章、すなわち被告標章
b また、被告は、昭和49年ころより現在に至るまでの間、日本電信電話公社の「職業別電話帳」及び日本電信電話株式会社の「タウンページ」に、同役務の提供について、以下のとおりの標章を用い広告を掲載した。
@ 「黒色レイデント」と表記した標章
A 「レイデント」と表記した標章
B 「L」を左上に、「D」を右下に、重なるように記載した標章
C 「レイデント処理」又は「LD処理」と表記した標章
c さらに、被告は、昭和52年ころから現在に至るまで、同業者団体の工場総覧、組合員名簿、会員録や会員名簿等において、同役務の提供について、「レイデント」を表示していた。
d 上記のうち、「被告標章」については、昭和49年5月30日、昭和50年3月31日、昭和53年8月28日、昭和55年5月29日発行の「日刊工業新聞」に掲載された広告中に表示があり、また、平成6年10月号、同年11月号、同年12月臨時増刊号、平成7年1月号、3月ないし5月号、7月号、9月号、11月号、平成8年1月号、4月号、6月号、9月号ないし11月号、11月臨時増刊号、平成9年1月号、4月号、6月号、9月号ないし11月号、11月臨時増刊号、平成10年1月号、4月号ないし6月号、9月号ないし11月号、平成11年3月号、平成12年1月号、平成13年1月号の技術情報雑誌「M&E」に掲載された広告中に表示がある(乙50、51)。
イ 以上認定した事実を基礎に、被告が平成4年10月1日より前に、被告標章を使用していたと認められるか否かについて検討する。
 被告が平成4年10月1日ころに、被告標章と同一の標章を使用したことを直接認める証拠はない。
 しかし、上記認定した事実、すなわち、@被告は、原告との取引を契機として、遅くとも昭和49年に、自己の黒色防錆薄膜処理についての役務の提供に、被告標章を含む上記各種のレイデント標章を広く使用していたこと、A被告は、その使用に関して原告から異議を受けたこともなく、継続使用には何ら支障はないと考えていたこと、B被告が実施した被告標章を含めたレイデント標章を使用した宣伝広告は、決して小規模のものとはいえないこと等の事実経緯に照らすならば、被告は、改正法施行の日から6月を経過する前(平成4年10月1日)に、被告標章と同一の標章を使用していたと認定するのが合理的である(もっとも、被告から、口頭弁論終結後に、この点の直接証拠が提出されている。しかし、当裁判所は、口頭弁論を再開して、原告からの書証の提出を待たなければ、事実認定をし得ないものではないと判断した。)。
(3) 不正競争の目的の有無について
ア 事実認定
 前記(2)に認定した事実、証拠(乙1、6、8ないし10、16ないし18、21ないし24、26、27、32、33ないし37、42ないし49、50、51)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
(ア) 原告は、昭和39年12月に設立された、商号をレイデント工業株式会社とする会社(同36年5月に設立された大日表面工業桃山研究所から組織替えをした。)であり、昭和42年以降、京都府久世郡に営業の本拠を置いている。前記のとおり、原告は、昭和47年より前に、黒色金属表面処理剤及びこれを用いる黒色防錆薄膜処理法を開発し、「レイデント」の標章を用いて、営業活動を行った。本件全証拠によるも、昭和47年から現在に至るまで、原告の「レイデント」の標章が、東京を初めとする関東において、原告の営業を表示するものとして周知であったと認めることはできない。
(イ) 被告は、前記のとおり、東京都の多摩地区等を拠点とする会社である。被告は、昭和47年ころ、原告から黒色防錆薄膜処理法の技術を導入し、昭和48年10月15日ころにレイデント処理液1000リットルを、昭和52年3月23日ころに同液2000リットルを、同55年10月下旬ころに、触媒1トンを原告から購入した。
 昭和47から昭和59年ころに至るまでの間、被告は原告から購入したレイデント処理液の使用に関して、一切指示を受けておらず、その管理は自由であった。被告は、原告から購入したこれらのレイデント処理液を用いて、黒色防錆薄膜処理法を実施して営業していた。なお、被告が実施していた同処理法については、当該処理法に関する的確かつ詳細な原告からの技術指導がされなかったために、被告が自ら研究して改良した。
 被告は、遅くとも昭和49年ころから、被告標章を含むレイデント標章を使用して営業していた。この間、被告は原告から、被告標章等の使用について異議を述べられたことはなかった。
(ウ) 昭和59年5月ころ、原告と被告との間で、基本契約の締結に関しての協議がされた。
 原告は、被告に対して、レイデント処理液(触媒)の使用及び同液を使用した金属表面処理加工に関して、基本契約書の原告案を送付した。原告案には、@原告が被告に対し、金属表面処理剤製造用の触媒(レイデント)を継続的に供給すること(1条)、A被告は、同触媒を使用した加工液の比重濃度が26度未満になった場合は、同加工液を使用して行う金属表面処理加工に関し、「レイデント」「レイデント処理」又はこれに類似する表現を付して営業してはならないこと(13条)、B被告は、「レイデント」あるいはこれに類する看板その他の表示により第三者に対し、被告の営業を原告の営業と誤信させるような行為をしてはならないこと(18条)などが提案された。
(エ) 被告は、原告案について検討した結果、被告に不利な片務的な内容であると判断したため、被告の対案を示し、併せて、原告の商標登録番号を原告に照会した。しかし、原告は、これに対して何らの応答もしなかったので、結局、原、被告間の契約は締結されないまま、原、被告間の従前の取引関係も自然に解消された。そして、昭和59年5月以降、被告が原告からレイデント処理液等を購入したことはない。
 その後も、平成10年10月2日に至るまでの間、被告は原告から、被告標章の使用について異議を述べられたことはない。
イ 判断
 以上認定した事実を前提として、不正競争の目的の有無を検討する。
 @被告は、原告との取引を契機として、遅くとも昭和49年に、自己の黒色金属表面処理についての役務の提供に、被告標章を含む上記各種のレイデント標章を広く使用していたこと、A被告は、長年にわたり、継続的に、多大の費用を掛けて、被告標章を含めたレイデント標章を宣伝広告していたこと、B被告が実施していた同処理法は、当該処理法に関する的確かつ詳細な原告からの技術指導がされなかったために、被告が自ら研究して改良したものであること、C昭和59年ころ、原告が被告に対し、従前の契約関係が解消されたのを機に、被告標章を含むレイデント標章の使用について異議を述べた形跡もなかったこと、D被告は、その使用に関して原告から異議を受けたこともなく、継続使用には何ら支障はないと考えていたこと、E原告のレイデント標章は、昭和47年ころから現在に至るまでの間、少なくとも、東京を含む関東において、原告の営業を表示するものとして周知ではなかったこと、他方、被告の営業の拠点は、東京都の多摩地区及び西東京市であること、F前記のとおりの事実経緯に照らすならば、本件商標が登録される前において、原告が被告に対して、被告標章を含むレイデント標章を使用する被告の行為を、契約、不正競争防止法又は商標法を根拠として差止めることができたか否かは、そもそも疑問があったこと等の事実を総合して考慮するならば、被告には、被告標章の使用について、不正競争の目的があったと解することはできない。
 確かに、被告標章は、そもそも、原告の商品又は役務に由来する標章であったということができるが、そのことから直ちに、被告の使用が、不正競争の目的でされたものではないとする前記認定に消長を来すと解すべきではない。また、被告と密接な関連を有する者が、本件商標に係る役務に含まれる役務について、「レイデント」の商標登録出願をしたことがあったとしても、この事実が前記認定に影響を及ぼすものではない。
(4) 以上によれば、被告は、平成4年10月1日より前、不正競争の目的でなく、本件商標に係る指定役務について、被告標章を使用をしていたのであるから、被告標章を使用してその役務に係る業務を行っている範囲内において、被告標章を使用する権利を有する
4 よって、原告の請求は理由がないので、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第29部
 裁判長裁判官 飯村敏明
 裁判官 今井弘晃
 裁判官 石村智
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