判例全文 line
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【事件名】『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』の名誉毀損事件
【年月日】平成14年1月30日
 東京地裁 平成8年(ワ)第13874号 損害賠償等請求事件

判決


主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由
第1 原告の請求
1 被告は、原告に対し、1000万円及びこれに対する平成6年8月8日(不法行為の日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は、原告に対し、別紙1記載の「判決の結論の広告」を、朝日新聞全国版社会面記事下7センチメートル2段に、「判決の結論の広告」の8文字は3号の活字、その他の部分は10ポイントの活字をもって掲載せよ。
第2 事案の概要
 被告は、非加熱濃縮血液凝固因子製剤(非加熱製剤)の投与により血友病患者に多数のエイズ感染者が出たという、いわゆる「薬害エイズ」を題材として雑誌に記事を連載し、これをもとに単行本を執筆した。
 雑誌記事と単行本には、原告が加熱濃縮血液凝固因子製剤(加熱製剤)の臨床試験を遅らせたなどの記載があり、原告は、その記載によって名誉を毀損されたと主張して、被告に対し、慰謝料1000万円の支払と、名誉回復の処分として新聞紙上への判決結論の広告の掲載を求めた。
1 前提となる事実(証拠を記載した事実以外は、争いがない)
(1) 当事者
ア 原告は、血液学(特に血液凝固、血友病など)を専門とする医学者であり、また、臨床医として多くの患者の診療に携わってきた。
 原告は、昭和16年に東京帝国大学医学部を卒業し、昭和17年に海軍軍医科士官として従軍した後、昭和21年に東京帝国大学医学部第一内科学教室に復帰し、昭和28年から昭和32年までの欧米留学を経て、昭和39年に東京大学医学部第一内科講師となった。その後、昭和46年の帝京大学医学部創設に際し、同大学医学部第一内科教授に就任し、昭和55年に同大学医学部長に就任し、昭和62年には、同大学副学長に就任して名誉教授の称号を受けたが、平成8年2月に辞職した(乙66)。
 原告は、その間、昭和58年6月から翌年3月まで、厚生省に設置された「後天性免疫不全症候群の実態把握に関する研究班」(いわゆるエイズ研究班)に所属し、主任研究者(班長)を務めていた。
イ 被告は、「乙」の名前で活動しているフリーのジャーナリストであり、昭和55年7月から平成8年3月まで、日本テレビのニュース番組「きょうの出来事」のニュースキャスターを務めていた。
(2) 被告による執筆
 被告は、株式会社中央公論社の発行する月刊誌「中央公論」の平成6年4月号に、「私の傍聴した『東京HIV訴訟』裁判(最終回)」と題する記事を執筆した(本件雑誌記事)。
 そして、被告は、「中央公論」に連載した記事をもとに、単行本「エイズ犯罪 血友病患者の悲劇」を執筆し、平成6年8月7日、中央公論社から初版本が出版された(本件単行本)。なお、本件単行本は「大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞した。
(3) 問題とされた記載
 本件雑誌記事(322〜323頁)と本件単行本(第8章 最高権威・甲氏の重い責任、237〜239頁)には、次の記載がある(本件で問題とされた記載に下線を付し、本件記載@、Aなどとして特定する)。
 《 それにしても、なぜ甲氏は治験の開始時期を遅らせたのか。厚生省が治験の説明会を業者向けに行なったのが83年11月である(本件記載@)。これでもアメリカが治験を許可した83年3月から8カ月遅い。それを甲氏は開発の遅れていたミドリ十字にあわせて全体の治験開始をさらに遅らせ、84年2月にやっと始めさせた(本件記載A)。
 「ミドリはうんと遅れてたんだ。(一方)トラベノールはもうずうっと前からやっていたんだ。だから差がつくわけだ」
  甲氏は1988年2月4日の『毎日新聞』とのインタビューでこのように述べ、さらに、
 「治験をやるのは僕らだからね。向こうが急いでやってこられたから、僕がちょっと調整する意味もあった」
  と話している。
  日本の血液製剤市場の4割を占める最大手、ミドリ十字にあわせて全体の治験を「調整」した結果、日本での加熱製剤の認可は最終的に85年7月にずれこんだのだ(本件記載B)。アメリカより2年4カ月遅い。
  こうして本来ならHIVに感染しなくてもすんでいたはずの多くの患者に感染させてしまった理由は、結局甲氏の欲≠ノほかならないのではないか。
  治験の時期、甲氏がメーカー各社から寄付を募っていたことはつとに知られている。甲氏が理事長をつとめる財団法人「血友病総合治療普及会」設立の資金としての寄付である(本件記載C)。(中略)
  甲氏は一体いかほどの資金提供を受けたのか。通帳を確認する姿が幾度となく目撃されたのは、甲氏が継続的に資金を受けとっていたということであろう。
  加熱治験の代表責任者としての甲氏は、メーカーに対しては絶対的優位に立っており、その立場で寄付を強要したとなれば大問題だ(本件記載D)。
  別の人物は、財団設立の資金だけでなく、学会での甲氏の地位と体裁を保つための資金も大きな額になると推測する。(中略)
  資金提供を受けていたから、どの社もおちこぼれないように治験を遅らせた甲氏は、一体いかほどの金に染まって医師の心を売り渡したのか(本件記載E)。 》
(4) 加熱製剤
 本件雑誌記事と本件単行本において問題となっている加熱製剤とは、血友病患者に対し欠乏する血液凝固因子を補充するために使用される血液製剤であって、血液中の血液凝固因子を抽出精製し、病原性ウィルスを不活化するために加熱処理をした「加熱濃縮血液凝固第[因子製剤」である。
 わが国では、非加熱の濃縮血液凝固第[因子製剤は昭和53年8月1日に製造承認されていたが、この加熱製剤については、昭和60年7月1日、株式会社ミドリ十字を含む5社の製剤が一括して承認された。
(5) 治験
 医薬品の臨床試験、すなわち治験は、通常、第T相試験、第U相試験、第V相試験の3段階に分けて行われる。
 第T相試験は、通常、少数の健康な青壮年層である男性のボランティアを対象として行われ、人に何らかの作用を生じる量はどの程度かなどが調査される。医薬品に生物活性があるなどの理由で健常人に投与することが危険を伴う場合には、健常人による第T相試験に代えて患者による第T相試験が実施される。
 第U相試験は、その医薬品の目的とする患者を対象に実施される。少数の患者により実施され、これによりその医薬品の効果があるか、どれくらいの量を使用すれば効果が得られるかなどが調べられる。
 第V相試験は、第T相試験や第U相試験で得られたデータをもとに、一定規模の患者を対象に行われるものである。
(6) 治験統括医
 原告は、加熱製剤の治験について、後に日本で加熱製剤の製造承認を受けるに至ったすべての製剤メーカー、すなわち、日本トラベノール株式会社(現在のバクスター株式会社)、カッター・ジャパン株式会社(現在のバイエル薬品株式会社)、ヘキストジャパン株式会社、財団法人化学及血清療法研究所(化血研)、株式会社ミドリ十字、日本臓器株式会社、日本製薬株式会社の7社から依頼を受けて、その治験統括医となった(乙71)。
 治験統括医とは、治験を指揮する立場にいて、治験期間、治験の対象症例数、治験薬の投与方法、検査項目、有効性や副作用の判定基準などを記載した治験計画書を作成し、治験に参加する施設を決定し、治験の結果を取りまとめて論文を作成する医師のことをいう(乙135)。
 原告は、昭和58年末までに上記7社の加熱製剤の治験統括医となっていたが、昭和59年1月、いったんは治験統括医を辞任し、同年3月、治験統括医に復帰した。
(7) エイズ研究班
 エイズ研究班は、厚生省薬務局生物製剤課のA課長が、昭和57年暮れころ、米国で血友病患者からエイズ発症者が出ているという情報に接して危機感を抱いたことを契機に、生物製剤課が所管する血液研究事業の一環として、わが国におけるエイズ発生状況の調査と血液凝固因子製剤に関するエイズ対策を検討するために設置された。
 厚生省側は、原告が年長であり、専門分野の点で最も適切であるという理由で、原告を班長とすることを決めた(甲17、22)。
 なお、エイズ研究班の分担研究者(班員)には、B(国立公衆衛生院疫学部室長)、C(九州大学医学部検査部教授)、D(千葉大学医学部皮膚科学教授)、E(順天堂大学医学部教授)、F(日赤中央血液センター所長)、G(東京都臨床医学総合研究所副所長)、H(国立予防衛生研究所血液製剤部長)が選任されたほか、原告の補助を兼ねてI(帝京大学医学部講師)が選任されていた。
 また、昭和58年8月19日に開催された第3回エイズ研究班会議において、血液製剤対策について検討するために、エイズ研究班の下にJ(帝京大学医学部教授)を委員長とする血液製剤小委員会を設置することが決定された(甲25)。
2 争点
(1) 本件記載@ないしEによる名誉毀損の成否
(原告の主張)
 本件記載@は、厚生省の説明会が行われた昭和58年11月以降、原告が意図的に全体の治験開始を遅らせた事実を、本件記載Aは、それがミドリ十字の開発の遅れに合わせる目的であった事実を、本件記載Bは、原告が意図的に全体の治験開始を遅らせた結果として、認可の時期が昭和60年7月にずれ込んだ事実を、本件記載CとDは、治験の時期に、原告が治験の統括医としての優位な立場を利用して、製剤メーカー各社から財団法人設立資金の寄付を募っていた事実を、本件記載Eは、原告が製剤メーカー各社から資金の提供を受けていたので、その見返りとして、どの社も落ちこぼれないように治験を遅らせた事実を摘示するものである。
 このような記載は、医学研究者かつ臨床医師としての原告の社会的評価を著しく低下させるものであり、原告の名誉を毀損する。
(被告の反論)
 本件記載@が、厚生省の説明会が行われた昭和58年11月以降、原告が全体の治験開始を遅らせた事実を、本件記載Aが、原告が治験開始を遅らせた目的が、全体をミドリ十字の開発の遅れに合わせるところにあった事実を、本件記載Bが、原告が全体の治験開始を遅らせた結果として、認可の時期が昭和60年7月にずれ込んだ事実を読者に伝達していることは認める。これらの事実は、その事実自体が原告の社会的評価を実体的に形成するものとはいいがたいが、この言論がそれらの事実をとらえて原告に対する非難の根拠に据えていることから、それが原告の社会的評価を低下させることはおおむね認める。
 本件記載CとDは、<イ>治験の時期に原告が製剤メーカー各社から財団法人設立資金の寄付を募っていた事実と、<ロ>原告が治験の統括医として製剤メーカーに対しては絶対的優位に立っていた事実を伝達するものであるが、原告が優位な立場を「利用して」メーカー各社から寄付を募ったという事実は伝達していない。「その立場で寄付を強要したとなれば大問題だ」という記述は、それ自体から明らかなとおり、<イ>、<ロ>の2つの事実を前提として意見を表明したものである。<イ>の事実はその事実自体において原告の社会的評価を否定的に形成するものではないが、被告がこの事実を原告に対する非難の根拠に置いたという意味で、原告の社会的評価を低下させることは認めるが、<ロ>の事実が原告の社会的評価を否定的に形成するとの主張は争う。
 本件記載Eには、「見返りとして」という記述はない。この記載は、事実を伝達するものではなく、原告が全体の治験開始を遅らせた事実と治験の時期に原告が製剤メーカー各社から財団法人設立の資金の寄付を募っていた事実を前提として、意見を述べたものである。この意見表明が、原告の社会的評価を否定的に形成するものであることは認める。
 (2) 摘示された事実又は前提とされた事実の真実性
(被告の主張)
 本件記載@ないしEが摘示し、又は前提とする事実は、次のとおりいずれも真実であり、また、意見表明の記述も相当性を欠くものではないから、被告の行為には違法性はない。
ア 原告は、製剤メーカー各社間には加熱製剤の開発状況に大きな落差があることを認識したうえ、各メーカーに対し、治験の同時開始と一括承認申請という意図を明示し、また、第U相試験の治験開始時期をあらかじめ昭和59年3月と設定したうえ、治験期間を1年間とすることを提案し、開発の早かったメーカーには第T相試験を実施させ、治験の統括医も一方的に辞任している。これらの原告の行為と、ミドリ十字は加熱製剤の開発が遅れていたこと、昭和60年7月1日にはミドリ十字を含む5社の加熱製剤が同時に承認されたことなどを考慮すれば、厚生省の説明会が行われた昭和58年11月以降、原告が全体の治験開始を遅らせた事実、原告が治験開始を遅らせた目的が、全体をミドリ十字の開発の遅れに合わせるところにあった事実、原告が全体の治験開始を遅らせた結果として、認可の時期が昭和60年7月にずれ込んだ事実は、いずれも真実であるというべきである。
 「治験の時期」とは、治験が実際に行われている期間に限らず、「加熱製剤の治験が問題となっている時期」と読むのが自然かつ合理的である。その時期は遅くとも昭和58年3月からであり、そのころから昭和59年にかけて、原告には製剤メーカー各社から多額の寄付がされていたのであるから、治験の時期に原告が製剤メーカー各社から財団法人設立資金の寄付を募っていた事実も、真実である。原告は非加熱製剤の導入時からその治験の統括医として中心的役割を果たしており、加熱製剤の導入に際しても治験統括医として中心的役割を果たすことを当然視されていたのであるから、原告が治験の統括医として製剤メーカーに対しては絶対的優位に立っていた事実も、また真実である。
イ 本件記載CとDのうち、「その立場で寄付を強要したとなれば大問題だ」という意見表明部分については、製剤メーカーにとって、重要な治験の時期に、治験の統括医となる原告から「血友病総合治療普及会」や学会のためという名目で寄付を募られれば、だれでも断りにくいことは明らかであるから、そのうえでの仮定として「大問題だ」と記述したのであって、これが意見表明として相当性を欠くものではない。
 また、本件記載Eについては、原告が製剤メーカー各社から資金提供を受けていたという事実と、各社の足並みがそろうように全体の治験開始を遅らせたという事実を前提とすれば、2つの事実が原因と結果の関係にあるのではないかと疑問を抱くのは当然のことであるから、この意見表明も相当性を欠くものではない。
(原告の反論)
 本件記載@ないしEが摘示する事実について、真実であることの証明はされていない。
(3) 真実と信じることの相当性
(被告の主張)
 被告は、薬害エイズに関する多くの出版物や新聞記事、原告自身の著作や講演録などを検討し、東京HIV訴訟を傍聴して証言を聴き、その原告弁護団や感染被害者、家族、血友病友の会などから資料収集や聞き取り調査を行い、厚生省のA課長その他の関係者にインタビューを行うなど、薬害エイズの真相に迫るため最大限の努力を重ねたのであり、本件雑誌記事が公表される直前には原告に対するインタビューも実現した。
 被告は、これらの取材に基づき、真実と信じて本件の記載をしたものであるから、仮に本件記載@ないしEが摘示し、又は前提とする事実が真実でないとしても、これを真実と信じるについて相当の理由があり、被告には故意又は過失がない。
(原告の反論)
 被告が取材したというものだけでは、本件記載@ないしEが摘示する事実を真実と信じるについて相当な理由があるとはいえない。
 昭和58年当時の非加熱製剤に関する危機認識の程度について、被告には調査をした形跡はなく、また、医薬品の開発の際に第T相試験を実施することは通常の手続であって、時間的にも労力的にも大した問題ではないことは取材をすれば容易に判明するのに、被告はこれを無視している。
(4) 損害
(原告の主張)
 本件記載@ないしEは、原告の長年にわたる医学研究者としての活動、臨床医師としての活動に直接関係するものであり、これによる原告の精神的苦痛は筆舌に尽くしがたいものがある。加えて、本件単行本と本件雑誌記事は、高名なジャーナリストである被告の執筆によるものであり、また、本件単行本が大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したことから、多くの人々に読まれる結果となった。一連の薬害エイズ報道において、原告が製剤メーカーから金銭の供与を受け、それと引き替えにメーカーの利益を図る目的で加熱製剤の治験開始時期を遅らせて認可を遅らせた結果、エイズの被害が拡大したという事実無根のストーリーが広く流布されているが、その発端は本件単行本と本件雑誌記事にある。このため、原告は帝京大学副学長を辞職せざるを得なくなったのであり、この点でも被告の責任は重大である。
 被告の名誉毀損行為により、原告は帝京大学辞職に伴う有形無形の損害と精神的苦痛を被ったのであり、これを慰謝するに足りる金額は、本件雑誌記事と本件単行本を併せて1000万円を下らない。
 さらに、原告の名誉回復のための処分として、別紙1記載のとおりの判決の結論の広告を必要とする。
(被告の反論)
 一連の薬害エイズ報道において、原告が製剤メーカーから金銭の供与を受け、それと引き替えにメーカーの利益を図る目的で加熱製剤の治験開始時期を遅らせて認可を遅らせた結果、エイズの被害が拡大したという論調の報道がされてきたこと、原告が帝京大学副学長を辞職したことは認めるが、本件雑誌記事と本件単行本がそのような報道論調を生成したことは否認し、本件雑誌記事と本件単行本により原告に損害が発生したとの主張は争う。
第3 争点に対する判断
1 本件記載@ないしEによる名誉毀損の成否
(1) 判断の基準
 ある記載の意味内容が他人の名誉を毀損するかどうか、すなわち、他人の社会的評価を低下させるかどうかは、その記載についての一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すべきである。
(2) 本件記載@ないしBについて
 本件記載@ないしBは、一般の読者の普通の注意と読み方からすれば、原告が昭和58年11月以降、加熱製剤の開発が遅れていたミドリ十字に合わせて加熱製剤の全体の治験を遅らせ、その結果、日本での加熱製剤の製造承認が昭和60年7月にずれ込んだという事実を摘示するものである。
 この記載は、加熱製剤が早期に承認されて使用できるようになることが血友病患者にとって利益であるのに、原告がその利益を犠牲にして、製剤メーカーの利益を図ったという印象を与えるものであるから、原告の社会的評価を低下させるものであり、原告の名誉を毀損する。
(3) 本件記載Cについて
 本件記載Cは、加熱製剤の治験の時期に、原告自身が代表者となる財団法人を設立するために、原告が製剤メーカー各社から資金の寄付を募っていたという事実を摘示するものである。
 この記載は、加熱製剤の治験という任務に関連して、原告が自らの意図を実現するために、金銭を受け取るという社会的に否定的な評価を受ける行為をしたとの印象を与えるものであるから、原告の社会的評価を低下させるものであり、原告の名誉を毀損する。
(4) 本件記載Dについて
 問題とされる表現が事実を摘示するものか、又は意見ないし論評の表明であるかについても、一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すべきである。
 この観点から本件記載Dについて検討すると、本件記載Dは「その立場で寄付を強要したとなれば」という留保を付した表現となっている。この記載の周辺には、原告が加熱製剤の治験の時期に製剤メーカー各社から寄付を募っていたとの記述はあるが、この寄付が治験統括医としての優位な立場を利用した原告の要求ないし強要によることを示すような記述はないから、この留保の表現は文字どおりに読むべきである。すなわち、本件記載Dは、加熱製剤の治験の時期に原告が製剤メーカー各社から財団法人設立資金の寄付を募っていた事実(本件記載Cと同じ)と、原告が治験統括医という優位な立場にあるという事実を摘示しつつ、それらを前提にして、寄付が優位な立場を利用した強要に基づくものであれば問題があるという意見ないし論評を表明したものというべきである。
 名誉毀損による不法行為は、問題となる表現が人の社会的評価を低下させるものであれば、これが事実を摘示するものであるか、又は意見ないし論評を表明するものであるかを問わず、成立しうる。本件記載Dによる意見ないし論評の表明は、原告が治験統括医としての立場を利用した行動をしていたのではないかという懸念を表明するものであるから、原告の社会的評価を低下させるものであり、原告の名誉を毀損する(なお、原告が治験統括医として優位な立場にあるという事実自体は、何ら原告に対する否定的評価を含むものではないから、原告の社会的評価を低下させることにはならず、この事実の摘示は原告の名誉を毀損するものではない)。
(5) 本件記載Eについて
 本件記載Eは、一般の読者の普通の注意と読み方によれば、「資金提供を受けていたから、どの社もおちこぼれないように治験を遅らせた甲氏」という表現で原告のことを修飾しているものであるから、原告が製剤メーカー各社から寄付を受けていたので、加熱製剤の製造承認に向けて取り残されるメーカーが出ないように治験の開始を遅らせたという事実を摘示するものというべきである。また、「一体いかほどの金に染まって医師の心を売り渡したのか」という記述は、この摘示された事実を前提にして、原告の行為の悪性を強調する意見ないし論評を表明したものと考えるのが相当である(医師の心を売り渡すという記述は抽象的又は比喩的な表現であり、事実自体を摘示するものとはいえない)。
 したがって、本件記載Eは、事実の摘示と意見ないし論評の表明により、原告が金銭によって行動を動かされやすい人物であるという印象を与えるものであるから、原告の社会的評価を低下させるものであり、原告の名誉を毀損する。
2 摘示された事実又は前提とされた事実の真実性
(1) 真実性の抗弁
 事実を摘示し、そのことについて名誉毀損が成立するとしても、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、摘示された事実が重要な部分について真実であることの証明があったときは、その名誉毀損行為には違法性がない。
 また、ある事実を基礎として意見ないし論評を表明し、そのことについて名誉毀損が成立するとしても、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときは、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り、その名誉毀損行為には違法性がない。
 本件において、原告に対する被告の名誉毀損行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったことは争いがないから、以下、摘示された事実又は意見ないし論評の前提とされた事実の真実性について検討する。
(2) 加熱製剤の治験の経過
 証拠(甲16、17、20〜23、乙24、26、67、71、78、85、86、89、90、109、116、120、125、126、135、136、138〜142、148〜151、155、156、160の1、161、証人K、被告本人)と弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
ア 非加熱の濃縮血液凝固第[因子製剤は、わが国では、昭和53年8月1日に、ミドリ十字、化血研、日本臓器、カッター、日本製薬、住友化学工業(トラベノールと提携)の製剤が一括して承認された。この非加熱製剤の治験についても、原告が全部の統括医を務めていた。治験は共同治験の形で行われ、同時期に厚生省に対して製造承認の申請がされた。この時の共同治験について、ミドリ十字、トラベノールといった製剤メーカー側では、短期間で効率のよいものであったという評価を加えている。
 なお、昭和58年の非加熱濃縮血液凝固第[因子製剤の製造量のシェアは、ミドリ十字51.1パーセント、日本臓器16.6パーセント、トラベノール11.3パーセント、カッター8.4パーセント、化血研8.4パーセント、日本製薬4.2パーセントであった。
イ 厚生省薬務局生物製剤課は、昭和58年11月10日、製剤メーカー8社(アーマー山之内、化血研、カッター、トラベノール、日本製薬、日本臓器、ヘキスト、ミドリ十字)を招集して、「加熱第[因子製剤の申請の取扱いについて」の説明会を開催した(厚生省説明会)。
 この席で、厚生省から、加熱製剤の治験では第T相試験は必ずしも必要ではなく、省略することが可能であることが示された。説明された治験の内容は、治験例数は2施設以上、1施設20例以上で、計40例以上とすること、主な確認内容は非加熱製剤との生物学的同等性であること、投与期間は3か月程度、追跡期間は2か月ないし3か月程度とすることなどであった。
ウ 原告は、昭和58年12月13日、東京ステーションホテルに製剤メーカー8社(アーマー山之内、化血研、カッター、トラベノール、日本製薬、日本臓器、ヘキスト、ミドリ十字)を集め、加熱製剤の治験の実施内容について説明会を開催した(治験説明会)。
 原告は、その席で、各メーカーからの治験依頼は血友病治療全国委員会という組織を作って一括受託し、多施設で共同治験を実施すること、治験期間は1年間、治験例数は40例とすること、各社の製品がいずれも同一であることを証明し、承認申請は統一して行うこと、第U相試験の治験を昭和59年3月に着手したいので、2月末日までに臨床サンプルを帝京大学に提出すること、健常人を対象とした第T相試験からの治験を行うので、第U相試験の治験開始までに済ませておくことという治験案を示した。
 この治験説明会には、血液製剤小委員会の委員長であるJ医師、その委員であるL医師(東京医科大学)やM医師(聖マリアンナ医科大学)らが参加していたが、L医師とM医師は第T相試験の実施に反対する発言をしていた。
エ 第T相試験は、治験の際には原則として実施され、例外として省略されることがある。加熱製剤の治験の開始当時、加熱製剤における第T相試験の必要性については、健常人へのウィルスの感染を恐れて必要がないとする考え方と、凝固因子ないしタンパク質に加熱処理による変性や変質がないかを確かめるために必要であるとする考え方があった。厚生省の薬事審議会でも、双方の議論が出ていた。
オ 厚生省薬務局生物製剤課のA課長は、昭和58年暮れころ、外資系製剤メーカーの従業員から、原告が治験に絡んで寄付金を要求しているという内容の抗議を受けた。A課長は、血友病患者による血液製剤の自己注射療法の啓蒙などのために原告が財団法人の設立を計画していることを認識していたので、治験に絡んだ寄付金要求という話によって原告が非難を受けることは好ましくないと思い、そのような話があることをうわさとして原告に伝えるのがよいと考えた。
 A課長は、昭和59年1月初め、J医師やM医師、L医師らと会い、製剤メーカー各社の中には加熱製剤の臨床試験のための準備が遅れている会社もありうるので、8社の製品の一括承認は無理ではないかと考えていること、厚生省の手続上では「剤型変更」の取扱いをするので、第T相試験は必要としないことを伝えるとともに、原告が財団の資金調達と加熱製剤の治験を絡ませているといううわさがあるとの話をした。
カ 昭和59年1月12日、M医師やL医師らは、原告に対し、A課長からのこの話を伝えた。
 原告は、同年1月17日ころ、加熱製剤の治験統括医を依頼されていた製剤メーカー各社に対し、書簡ないし電話で、原告が製剤メーカーに財団への寄付を要請したことが問題にされたことを理由に、治験統括医を辞退すると伝えた。
 原告は、同年3月、治験統括医に復帰する際、製剤メーカー各社に対して「今回の治験が財団とは無関係である」という趣旨の念書を差し入れることを要求した。
キ 昭和60年7月1日、ヘキスト、トラベノール、化血研、カッター、ミドリ十字の5社の加熱製剤が一括して製造承認された。この5社の製剤の加熱方法、輸入国産の別は、次のとおりである。
 ヘキスト 液状加熱 60度10時間 輸入
 トラベノール 乾燥加熱 60度72時間 輸入
 化血研 乾燥加熱 65度96時間 国産
 カッター 乾燥加熱 68度72時間 輸入
 ミドリ十字 乾燥加熱 60度72時間 国産
ク この製剤メーカー5社について、第U相試験の治験を開始するまでの加熱製剤の開発状況は、次のとおりであった。
 ヘキストは、昭和56年に西ドイツで発売許可を得て、既に販売を行っていた。日本では、昭和58年9月に原告から第T相試験を実施するよう指示され、これに応じて、同年11月に帝京大学で第T相試験を開始し、昭和59年2月に完了した。
 トラベノールは、昭和58年3月に米国食品医薬品局(FDA)から承認を得て、販売を開始していた。その承認申請の際、血友病患者6人を対象として1回ずつ投与した6例の治験データを添付したが、第T相試験は実施していない。日本では、昭和58年10月に原告から第T相試験の実施を指示されたが、米国のトラベノール本社から第T相試験による感染症の危険を理由に反対されて、第T相試験は実施しなかった。なお、日本におけるトラベノールの加熱製剤の安全性試験は、昭和57年2月から昭和58年2月まで実施された。
 化血研は、昭和57年に加熱製剤を開発し、同年中に安定性試験と安全性試験を開始して、安全性試験は昭和58年10月に終了した。昭和58年9月に原告から第T相試験の実施を指示され、化血研としても、当時完全には解明されていなかった加熱処理によるタンパク質の変性が与える影響を確認する必要があると考えたことから、同年11月に熊本大学で第T相試験を開始し、昭和59年1月に実質的に終了した。
 カッターは、昭和58年11月に米国で承認の申請をし、昭和59年2月にFDAの承認を得た。その申請の際には、血友病患者6人に対して1回ずつ投与した治験データを添付した。日本では、昭和58年10月に原告から第T相試験の実施を前提とした連絡があったが、第T相試験は実施しなかった。
 ミドリ十字は、加熱製剤の安全性試験を昭和58年9月に開始し、昭和60年5月まで継続した。第T相試験は行っていない。
ケ この製剤メーカー5社について、第U相試験からの治験の実施状況は、次のとおりであった。
 ヘキストは、原告に治験の統括医を依頼したうえで、昭和59年4月末に第U相試験を開始した。
 トラベノールは、昭和59年3月に原告に治験の統括医を依頼して、同年5月8日に第U相試験を開始し、昭和60年4月に治験を全部終了した。トラベノールは、学会における地位や学問的研究の面を考慮して、原告に治験統括医の依頼をした。
 化血研は、昭和59年3月に原告に治験の統括医を依頼して、同年5月12日に第U相試験を開始し、昭和60年3月に治験を全部終了した。
 カッターは、昭和59年3月に原告に治験の統括医を依頼し、同月に第U相試験を開始する計画であったが、原告の日程の調整がつかなかったため、同年5月19日に第U相試験を開始し、昭和60年12月に治験を全部終了した。カッターは、原告の治験統括医の辞任を受けて、昭和59年1月17日の社内会議でいったんは他の医師に治験統括医を依頼することを決定したが、3月に原告から治験統括医を引き受けるとの連絡があったので、他の医師に依頼して独自に治験を実施することはなかった。カッターが原告に対して再度、治験統括医を依頼したのは、原告が血友病の権威であり、治験の経験も多く、原告を通り越して他の医師に依頼した場合には、実際に治験が実現するのかについて危惧があったからであった。
 ミドリ十字は、昭和59年3月に原告に治験の統括医を依頼して、同年5月16日に第U相試験を開始し、昭和60年11月に治験を全部終了した。ミドリ十字は、その分野における圧倒的な権威ないし力を考慮して原告に治験統括医を依頼しており、原告以外の医師に治験統括医を依頼することは考えていなかった。
コ 厚生省に対する加熱製剤の製造承認の申請は、カッターとトラベノールが昭和60年4月30日、ヘキストが5月2日、化血研が5月4日、ミドリ十字が5月31日に行った。この5社の加熱製剤について、一括して、同年6月10日に調査会で審議が行われ、前記のとおり、同年7月1日に製造承認がされた。
 なお、その後、日本臓器は昭和61年3月1日に、日本製薬は同年11月19日に加熱製剤の製造承認を受けた。
サ ミドリ十字は、昭和58年8月30日、3種の加熱製剤の試製品(液状加熱法、窒素乾燥加熱法、ヘプタン乾燥加熱法)を原告に届けて、その評価を依頼した。当時、どの加熱方法を採用するかは決定されておらず、届けた試製品も治験に使用できるものではなかった。
 ミドリ十字では、同年12月13日の治験説明会の当時、加熱製剤のサンプルは、第T相試験のための数はそろっていたが、第U相試験、第V相試験のための数はそろっていなかった。また、昭和59年5月16日の第U相試験の治験開始の際にも、500単位の剤型のサンプルはそろっていなかった。
 ミドリ十字の100パーセント子会社である米国のアルファ社は、米国において、昭和58年7月に加熱製剤の承認申請をし、昭和59年2月10日に承認を受けた。アルファ社の加熱製剤の加熱方法は乾燥加熱処理法のカテゴリーに属するものであったが(60度20時間)、加熱安定剤に用いるヘプタンは可燃性が高く、日本では消防法上の危険物に指定されていたので、この加熱方法を日本へ導入するためには、法令に適合するよう設備の見直しをする必要があった。
 ミドリ十字は、自社独自の乾燥加熱処理法の開発の見通しが立っていたので、その開発を続けることとし(なお、昭和58年10月に「ウイルス夾雑血漿蛋白を乾燥状態にて、酸性アミノ酸と塩基性アミノ酸との塩の存在下に、ウイルスが不活化されるまで加熱することを特徴とする血漿蛋白の加熱処理方法」について、特許の出願をした)、結局、昭和60年5月31日に承認申請をするまで、そのためにアルファ社の技術を用いたり、アルファ社の加熱製剤を輸入したりすることはなかった。
シ 血友病患者であり、非加熱製剤の使用によりHIVに感染して、東京HIV訴訟の原告の1人となったK(仮名)は、昭和58年7月、東京ヘモフィリア友の会の会員2人とともにトラベノールを訪問した。Kらは、トラベノールから「加熱製剤は、早くに日本に出せます」、「厚生省が許可してくれれば、もういつでも皆さんに供給できる」、「そのために米国の本社のほうから役員が厚生省へ要望に行っているので、皆さんに供給されるのも間近ではないか」との話を聞いた。
 Kは、昭和60年7月16日、化血研の東京事務所を訪問し、分画製剤担当のNから「化血研はワクチンを専門にやっていて、加熱の技術力があり、凝固因子製剤の加熱化などは割と簡単にできるので、早くから皆さんに供給したくてうずうずしていました」、「当時はミドリ十字が加熱の開発が遅れていたので、それに合わせるために遅くなってしまったんですよ」との話を聞いた。
 Kは、昭和60年8月15日、帝京大学にいた原告を訪問した。原告は、Kに対し「ようやく加熱が認可になった。自分が責任者として治験を取りまとめてきたんだよ」と述べ、Kが「トラベノールなんかは、もっと早く出せると言っていましたよ」と問いかけると、「そういうふうに1社だけが出したところで、製剤の奪い合いになっても困るでしょう。ですから、これまで出していた全社の態勢ができるまで待たせたんだ。そうしないと皆さんもお困りでしょう」と述べた。
ス 原告は、昭和63年1月19日、毎日新聞の記者のインタビューを受け、それに対して次のように述べている。
 (記者)先生、例えば加熱処理の時に2年4か月遅れておりますね。
 (原告)いや、あれはあのね、僕がもちろん関係しておりますから。今でも、まあ、血友病に関しては僕がまだやらねば…。
 (記者)先生が全部治験も…。
 (原告)やったんです。(中略)僕たちがなぜやったかというと、少なくとも良いという人がいるんだ。それから、害があってはいけない。同じだったら、同じという人がいたら、私どもはやる。やりたい、やるべきだ。それから、害があるというのは絶対やってはいけない。それで、私は害があるかないかを示したかった。証明したかった。そうした、ね。というのは、私は自分の患者さんをモルモット代わりにする、というのに耐えられなかった。(中略)そう、それでフェイズ1を省略したのです。
 (記者)でも、それをやると、患者さんがストレートになっちゃいますよね。
 (原告)ストレートでやれ、A君が言ったのです。それでね、僕は非常に困ったわけです。そうでしょ。そうしたらM君が来て、僕に「先生は金を集めるために、こういうことをやっているんじゃないか」と、A君が言っていると伝えてきた。で、僕は、金を集めるなんてことしないよねえ。だから僕、降りたんです、ぱーっと。そいで「君が、君たちがやってくれ、おれは知らん」と。たった1か月だけ。しかしこれはね、厚生省の責任ではない。患者さんに対する私、医者の基本精神です。しかし実際は、その間も治験だけはやっておったんだけどね。治験だけはやっておったけれども、正式にそういうT相の治験も一緒に並行してやってもらいたい。で、並行しておった…。(中略)
 (記者)あれは先生、申請はミドリだけが遅れたとかいうのは…。
 (原告)うんうん、またそれはうんと後なの。ミドリはうんと遅れてたんだ。ミドリは遅れたけれども、そのね、まあトラベはもうずーっとね、前からやっていたからね。
 (記者)もうやってますね、アメリカで。
 (原告)だからね、早くやったらね、もう差がつくわけだ。
 (記者)差が当然つきますね。
 (原告)うん、つく。(中略)僕はなぜ、そういうことをするかというと、これはね、確かに早くやったところの人が早くなるのは当然だ。治験は一番早くスタートしていましたから、早くできあがった。しかし、これを調査会にかけますことはね、私も調査会の経験がかなりある。そうすると、1例だけがポツッと出てきて次が申請しておるという形のときにはね、調査会で調整するんですよ。ていうのは、それだけを許したりするということは、普通はやらないのね。まあ、少なくとも2、3社が一緒になって。というのは、そりゃ、うんと離れているといっても、治験をやるのは僕らだからね。向こうが急いでやってこられたから、ね。だから、僕がちょっと調整する意味もあった。というのはね、やっぱり私どもとしては、どの製剤も一応、患者さんはみな安心して使えるんだということでやらないと、後で必ずいざこざが起こる。うん、もう僕はそれまでにね、何回もやってきたから。(中略)
 (記者)あの先生、それで資金援助は、あのシンポジウムの…。(中略)
 (原告)で、第3回以降はね、今度はミドリさんだけにしないで、それぞれにイーブンで出しましょう、ということになって…。
 (記者)そりゃ、売上げの多寡で…。
 (原告)売上げの多寡は私は知らない。だけど、そりゃ、多少は「うちは高すぎる」っておっしゃれば「そうですか」って。とにかく僕は「これだけ欲しいんです」とね。で、余りましたものは、あまり金は残す必要はないのですから、それはみな…。というふうにしてきたわけです。そういうこともあって、なるべくね、1つの会社だけが遅れてしまうとか、1つの会社が潰れるというのはね、そうじゃなくて、僕はみな同じような立場で競争してもらいたいんだ。
セ 被告は、平成5年2月ころから、日本テレビを通じて、原告に対し数回取材を申し込み、原告はこれを断り続けていたが、平成6年3月8日、ようやくインタビューが実現した。原告は、次のように述べた。
 (原告)M君はね、これは僕は、少ーし僕と意見が違います。それは、そのーね、M君は僕が、その、早めにちょっと先ほどのご質問の時にあって、これだけ、あー、この方にはちょっとしましたけど。私が、ちょっと、お、遅らしたというような事情、があるんですよ、治験を。で、治験をやるのにはね、これは先生、非常に重要ですよ。これはあなたは間違っておりますから。それはね、これが効くということを証明しなければいけません。それから、副作用がないということを。効くということは、前よりも条件がいいということを証明しなければいけないわけです。それから副作用がないということを証明しなければならない。ね。それから私の場合は、早く許可をもらいたいと思いました。それはもう、今までの話でもお分かりと思いますが、これはあなたの書かれたのでは、私が遅らしたということだけが強調されておりましてね。
 (被告)先生は、先ほど、私が治験を遅らせたということを、ご自分でおっしゃいました。
 (原告)いいえ、遅らしたと言ってるけど、これは間違いであると、これは抗議を申したいと。(中略)
 (被告)あの、治験で一番遅れていたのはミドリ十字でございましたですね。
 (原告)はあ、ミドリ十字はあのー、日本の人は駄目でしたから、アメリカのアルファ社に助けてくれと、ね。というのはね、アルファ社、ミドリ十字という名前をつけてアルファ社のものがそれまでに入ってきたんです。で、いかに早く許可をもらうかというためには、いいですか、熱しない前の製剤を使った患者さんに、同じ製剤の熱したものを使って、そして効果がどうであったかということを比較するのが一番の、まあ早道なんです。そのために、いいですか、トラベノールを前に使った人はトラベノールをすぐやったんですが、今度ほかの、いわゆるミドリ十字やら、アルファ社のものを使った、カッターのものを使った人はこういう前のものを、やらな…。今のような方式を使わないときには、これは、もう成分からの分析とかそれからダブルブラインドからやらなきゃならなくなりますんです。それじゃ時間がかかります。それで私は行って、いつごろ待ったらいいのかと言ったら、ひと月くらいならばできるというような返事でしたから、それでは、まあ血友…、トラベノールはトラベノールで先行しましょうと、ね。であとも、その次々にやったんです。ただ、私が1つだけ言いたいことがあります。それはあなたは書いてらっしゃいませんけどね。そのー、私は患者さんにやる以上は、患者さんの納得をしてもらわなきゃいけないんです。はじめの、おー、効く、害がなくなったということと、それから副作用がないということのうえで。こりゃだから効かなくても副作用がないからやってくださいというようなことも言えるかもしれませんね。それがはじめてあって、そして今度はそのー、患者さんの納得を得られて、ですね、治験をやるわけです。それだけれども、私は副作用がないということを、やることをA君が許してくれませんでした。M君もそれに賛成でした。
  原告は、このほか、毎日新聞の記事にあるような「治験を調整した」ということは言っておらず、これは毎日新聞社によるねつ造であり、トラベノールの治験をわざと遅らせたことはなく、一刻も早く許可をもらうために調整をしただけであり、調整というのは遅らせるという意味ではないなどとも述べた。
(3) 製剤メーカーからの寄付
 証拠(甲20、乙71、158)と弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
ア 原告が設立準備中であった財団法人血友病総合治療普及会に対する寄付として、昭和58年5月25日から7月13日にかけて、合計4300万円(5月25日にカッターが1000万円、5月31日にトラベノールが1000万円、6月15日に日本臓器が1000万円、7月7日に化血研が300万円、7月13日にミドリ十字が1000万円)が、「財団法人血友病総合治療普及会代表甲」名義の銀行口座あてに支払われた。
 なお、財団法人は、この4300万円を含む1億円を資産として、昭和61年7月8日に設立に至り、理事長には原告が就任した。
イ 昭和58年6月末にストックホルムでWFH(世界血友病連盟)会議が開催された際には、原告を含む参加者15人分の渡航費用や滞在費などとして、同年5月27日から6月1日にかけて、合計1200万円余り(5月27日に日本臓器が約247万円、5月31日にミドリ十字が約412万円、同日にカッターが約328万円、6月1日にトラベノールが約247万円)が支払われた。
ウ 原告が主宰する家庭療法委員会への出席者の飲食費などに充てるための経費として、昭和58年10月17日から11月25日にかけて、合計350万円(10月17日にカッターが50万円、10月20日にアーマーが50万円、10月27日にミドリ十字が50万円、10月28日に化血研が50万円、10月31日に日本臓器が50万円、11月10日にヘキストが50万円、11月25日に日本製薬が50万円)が支払われた。
エ 昭和59年11月に原告が主催した第4回国際血友病治療学シンポジウムの運営資金として、同年9月5日から11月12日にかけて、合計2550万円以上(9月5日に化血研が500万円、9月6日にカッターが350万円、9月25日に日本臓器が350万円、9月29日にミドリ十字が400万円、10月5日に日本製薬が100万円、10月31日にヘキストが405万円、11月12日にトラベノールが350万円など)が支払われた。
 このシンポジウム運営資金の余剰金から1000万円を、原告は、昭和59年12月27日、「財団法人血友病総合治療普及会代表甲」名義の銀行口座に入金した。
 なお、国際血友病治療学シンポジウムは、第4回までは原告が主催していたが、第5回と第6回は財団法人血友病総合治療普及会が主催した。
オ このほか、昭和57年から昭和59年にかけての3年間に、ミドリ十字、トラベノール、カッター、ヘキスト、日本臓器、化血研、日本製薬の7社から、合計91件、約1625万円が原告に提供された。
(4) 本件記載@ないしBについて
 本件記載@ないしBは、原告が昭和58年11月以降、加熱製剤の開発が遅れていたミドリ十字に合わせて加熱製剤の全体の治験を遅らせ、その結果、日本での加熱製剤の製造承認が昭和60年7月にずれ込んだという事実を摘示するものである。
 この摘示事実のうち、昭和58年11月当時、ミドリ十字の加熱製剤の開発が遅れていたという事実は、以上の認定事実によれば、真実であると認めることができる。問題にされているのは昭和60年7月の加熱製剤の製造承認であり、その時に同時に承認を得た他の製剤メーカー4社、すなわち、ヘキスト、トラベノール、化血研、カッターと比べると、昭和58年11月当時、ミドリ十字の加熱製剤の開発が遅れていたことは明らかである。
 摘示事実のうち、原告がミドリ十字の開発の遅れに合わせて加熱製剤の全体の治験を遅らせたという事実についても、以上の認定事実によれば、真実であると認めることができる。原告は、昭和58年12月、製剤メーカーに対する治験説明会において、共同治験・統一申請の方針を表明し、昭和59年3月に第U相試験に着手するという治験案を示している。そして、既にいつでも治験を実施することができる態勢になっていたヘキスト、トラベノール、化血研に対しては、第T相試験の実施を指示している。しかし、この第T相試験については、同年11月の厚生省説明会で、必要がないという厚生省の見解が示されており、この12月の治験説明会でも、血液製剤小委員会の委員である医師から実施に反対する発言もあった。これらの事実経過を考慮すると、原告は、治験の実施が可能な態勢にある製剤メーカーから速やかに治験を開始しようというのではなく、昭和53年の非加熱製剤の治験の時と同じように、共同治験という形でまとめて治験を実施しようとしていたものということができる。ところが、ミドリ十字は加熱製剤の開発が遅れていたから、ミドリ十字を含めた共同治験とするためには、必然的に他のメーカーを待たせることになる。すなわち、原告は、共同治験を実施しようとして、ミドリ十字の開発の遅れに合わせて加熱製剤の全体の治験を遅らせたものといわなければならない。
 このように治験の開始を遅らせた場合には、早期に治験を開始していた場合と比べると、特別の事情がない限り、治験の終了もそれだけ遅れて、製造承認の時期も遅くなるものと考えられる。共同治験には、非加熱製剤の治験の際の評価に見られるように、短期間で効率的に治験が実施できるという面があるとしても、その期間短縮の効果は具体的には明らかでなく、ほかに特別の事情も見当たらないから、治験の開始を遅らせたことは、製造承認の遅れの一因になっていたものということができる。したがって、治験の開始を遅らせた結果、日本での加熱製剤の製造承認が昭和60年7月にずれ込んだという摘示事実も、真実と認めることができる。
(5) 本件記載Cについて
 本件記載Cは、加熱製剤の治験の時期に、原告自身が代表者となる財団法人を設立するために、原告が製剤メーカー各社から資金の寄付を募っていたという事実を摘示するものである。
 ここでいう「治験の時期」は、その文脈から考えると、治験に関係する時期という趣旨に理解されるから、必ずしも実際に治験が行われていた時期に限定されるものではなく、わが国で製剤メーカーが加熱製剤の開発や導入を検討するようになった時期も含まれるというべきである。濃縮血液凝固第[因子製剤に関しては、昭和53年の非加熱製剤の治験の際も、今回の加熱製剤の治験の際も、原告は、全部の製剤メーカーの治験統括医を務めている。昭和59年1月に原告が治験統括医をいったん辞任した際の各社の対応からも分かるように、製剤メーカーにとっては、加熱製剤の開発や導入をしようとすれば、治験の統括医を原告以外の医師に依頼することはほとんど考えられない状況にあったからである。
 そうすると、加熱製剤の治験の時期に、原告自身が代表者となる財団法人を設立するために、原告が製剤メーカー各社から資金の寄付を募っていたという摘示事実は、前記の認定事実によれば、真実であると認めることができる。原告は、原告が設立準備中であった財団法人に対する寄付として、昭和58年5月25日から7月13日にかけて、カッター、トラベノール、日本臓器、化血研、ミドリ十字から合計4300万円の支払を受けているのであり、この時期は、わが国で製剤メーカーが加熱製剤の開発や導入を検討していた時期ということができる。
 また、「治験の時期」の始期について、実際に治験が始まった時と考えたとしても、前記の認定事実によれば、実際に治験が行われていた期間中、原告は、原告が開催した第4回国際血友病治療学シンポジウムの運営資金として、昭和59年9月5日から11月12日にかけて、化血研、カッター、日本臓器、ミドリ十字、日本製薬、ヘキスト、トラベノールなどから合計2550万円以上の寄付を受けていて、その余剰金から1000万円が財団法人名義の銀行口座に入金されているから、この寄付には財団設立資金としての寄付という趣旨も含まれていたということができる。
(6) 本件記載Dについて
 本件記載Dは、加熱製剤の治験の時期に原告が製剤メーカー各社から財団法人設立資金の寄付を募っていた事実と、原告が治験統括医という優位な立場にあるという事実を摘示しつつ、それらを前提にして、寄付が優位な立場を利用した強要に基づくものであれば問題があるという意見ないし論評を表明したものである。
 加熱製剤の治験の時期に原告が製剤メーカー各社から財団法人設立資金の寄付を募っていたという事実は、前記のとおり真実であり、原告が治験統括医という優位な立場にあるという事実も、前記の認定事実によれば、真実であると認めることができる。
 そして、その寄付が立場を利用した強要に基づくものであれば問題があるという意見ないし論評の表明も、優位な立場にいる者が劣位にある者に対して寄付を募れば、劣位にある者がこれを拒否できないことはありうることであるから、そのような優劣の関係を利用して原告が寄付を募っているのではないかと考えることに無理はなく、意見ないし論評の域を逸脱するものではない。
(7) 本件記載Eについて
 本件記載Eは、原告が製剤メーカー各社から寄付を受けていたので、加熱製剤の製造承認に向けて取り残されるメーカーが出ないように治験の開始を遅らせたという事実を摘示し、この摘示された事実を前提にして、原告の行為の悪性を強調する意見ないし論評を表明したものである。
 前記のとおり、原告がミドリ十字の開発の遅れに合わせて加熱製剤の全体の治験を遅らせたという事実は、真実と認められる。しかし、原告が治験の開始を遅らせたのは、共同治験を実施しようとしたからである。当時は、共同治験という治験方式について、短期間で効率的に治験が実施できるという評価もあったし、また、第T相試験についても、凝固因子ないしタンパク質に加熱処理による変性や変質がないかを確認するために必要であるとする考え方もあって、厚生省の薬事審議会でも要不要双方の議論が出ていたという状況であった。したがって、原告が先行メーカーに第T相試験の実施を指示したことが、ことさら不必要なことをさせたということにはならず、非加熱製剤の治験の時と同じように、共同治験という方式で治験を実施しようとしたことが不合理だということはできない。治験の開始を遅らせたとはいっても、加熱製剤の製造承認に向けて取り残されるメーカーが出ないようにすることを目的としたという摘示事実は、真実と認めることができない。
 また、原告が治験の開始を遅らせたのは、製剤メーカー各社から寄付を受けていたためであるという摘示事実についても、これが真実であると認めるべき証拠はない。
3 真実と信じることの相当性
(1) 相当性の抗弁
 事実を摘示しての名誉毀損にあって、摘示された事実が真実であることの証明がないときにも、行為者においてその事実を真実と信じるについて相当の理由があれば、その故意又は過失が否定される。
 また、ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損にあって、意見ないし論評の前提としている事実が真実であることの証明がないときにも、行為者においてその事実を真実と信じるについて相当の理由があれば、その故意又は過失が否定される。
 そこで、真実性の証明がない本件記載Eの摘示事実について、被告が真実と信じるについて相当の理由があるかどうかについて検討する。
(2) 被告の取材経過
 証拠(乙65の1、67、85、86、106、120、121、126、129、161、証人K、被告本人)と弁論の全趣旨によれば、前記の原告に対するインタビューのほか、以下の事実が認められる。
ア 被告は、フリーのジャーナリストであるOから薬害エイズの話を聞いていたが、平成4年3月下旬にOの著作「エイズからの告発」が出版されたので、早速これを読んだ。
 この著作には、安全な加熱製剤が米国では昭和58年の時点で販売されており、他方、日本で最大のシェアを誇っていたミドリ十字は当時、加熱製剤の開発が一番遅れていたこと、ミドリ十字としては加熱製剤の導入が早まればシェアを失う危機にあったこと、日本において加熱製剤の治験の責任者の地位にあり、ミドリ十字と太いパイプを持つ原告が治験を意図的に遅らせ、ミドリ十字の加熱製剤の開発が間に合うように「調整」操作をしたこと、原告が昭和59年夏から昭和60年春にかけて帝京大学でのエイズ患者の存在を隠し続けていたこと、その期間は原告が加熱製剤の治験を行い、ミドリ十字のために治験の期間を「調整」していた時期と重なり、さらに財団法人血友病総合治療普及会の設立のための寄付を要求した時期とも重なっていたこと、血友病総合治療普及会は実体のない法人であり、原告がミドリ十字以外にも、トラベノール、カッターから1000万円ずつ、化血研から300万円、財団のための寄付を受けていることなどが記載されていた。
イ 被告は、いわゆる東京HIV訴訟を、平成4年5月14日の第15回口頭弁論から傍聴するようになり、原告弁護団から訴状、答弁書、準備書面などの主張書面だけでなく、書証や証人尋問調書もほとんど入手して、検討した。
 被告は、トラベノールの平成2年10月29日付け準備書面により、トラベノールが昭和58年3月21日に米国でFDAから加熱製剤の承認を受けたこと、日本では同年10月28日に「臨床治験施行のための代表世話人」である血友病専門家から第T相試験の治験計画案が示されたことを知った。また、ミドリ十字の平成2年10月29日付け準備書面により、ミドリ十字はトラベノールが加熱方法として乾燥加熱処理法を採用したことを一種の驚きとして受け止め、それを契機にミドリ十字も乾燥加熱の研究に入ったこと、ミドリ十字は昭和59年1月になって品質試験、一般薬理試験、急性毒性試験などの前臨床試験を終えたことを知った。
ウ 被告は、東京HIV訴訟の原告弁護団を通じて、原告が昭和58年12月に製剤メーカーを集めて治験説明会を開催したことや、原告が昭和59年1月に突然、治験統括医を辞任した事実を知った。
エ 被告は、昭和63年2月23日の衆議院予算委員会の会議録を読み、そこでの厚生省薬務局長の答弁により、原告がトラベノール、カッター、ヘキスト、化血研、ミドリ十字の5社の加熱製剤の治験について「代表世話人」となったこと、これら5社の加熱製剤の製造承認がいずれも昭和60年7月1日であったこと、加熱製剤の治験開始時期はトラベノールが昭和59年2月、カッターが同年3月、ヘキストが同年3月、化血研が同年5月であり、ミドリ十字が同年6月で最も遅かったことを知った。
オ 被告は、平成4年12月下旬、Oとともに、厚生省薬務局長のA元課長に対してインタビューをした。
 A元課長からは、トラベノールが加熱製剤の輸入承認を求めて厚生省に説明に来たこと、エイズ研究班を発足させた当時から厚生省が加熱製剤の導入に重大な関心を寄せていたこと、当時、A課長としても加熱製剤の治験の開始が遅れたことに関心を持っていたこと、原告に関して治験に絡めて金銭を集めているとのうわさが聞こえてきたこと、このことを人を通じて原告に伝えたことを聴取した。
カ 被告は、平成5年3月15日、東京HIV訴訟の第22回口頭弁論を傍聴し、A元課長の証人尋問を聴いた。
 A元課長の証言により、昭和58年11月に開催された厚生省説明会では、第T相試験の省略と治験例数が重要な内容であり、厚生省側は、第T相試験については、必要ないものは必要ないと明確に答えを出せば、加熱製剤の治験がしやすくなると考えていたこと、また、加熱製剤はまったくの新薬ではなく生物製剤基準の一部の変更になるので、剤型追加の基準を準用して治験例数を明確にしたことを、被告は知った。
キ 被告は、平成5年7月22日、血液製剤小委員会の委員であったM医師に対してインタビューをした。M医師は、血液製剤小委員会の報告書は非加熱製剤を高く評価する原告の意向を反映させたものと推測していること、原告は目的のためには他のものが見えなくなり、しゃにむになりがちな性格であることなどを語った。
 M医師に対しては、平成6年1月27日と2月4日にもインタビューをして、昭和58年暮れにA課長から、加熱製剤の治験と金銭の関係を原告に進言するように依頼された経緯について取材した。
 この取材により、A課長が加熱製剤について「剤型変更」という方法により治験を行わないで承認することを検討していたこと、そのことを原告に訴えるようA課長が依頼したので、これを受けたM医師らが原告を訪ねて「剤型変更」を承諾するよう頼んだこと、その際、治験を依頼している製剤メーカーに原告が財団への寄付を要求しているとのうわさについても、A課長から頼まれていたので、M医師が「うわさが真実だとすれば自重したほうがよい」と原告に伝えたこと、これに対し原告は「もう終わった」と答え、寄付の要求はしていないとは述べなかったことを、被告は把握した。
ク 被告は、平成5年8月、日本製薬の元専務であるPに対してインタビューをした。
 P元専務は、原告はミドリ十字と仲がよかったこと、加熱製剤の治験に絡んで原告がミドリ十字の立場に配慮していたこと、治験では第T相試験を行うことに原告が固執していたこと、原告が長い期間の治験に固執したのはミドリ十字が他社に比べて加熱製剤の開発が遅れていたためだと考えられること、原告が自己の主宰する財団設立のために寄付金を集めたり、クリオ製剤の適用拡大に反対したことに関して、A課長も原告に対し批判的であったことなどを語った。
ケ 被告は、平成5年9月4日以降、数回にわたって、帝京大学の内部事情に詳しい関係者から取材をした。
 この人物は、原告が自室の机の前の棚に10センチほどの預金通帳の束を無造作に置いているのを見たこと、三菱銀行板橋支店に原告の口座があること、製剤メーカーの人が原告のもとによく来ていたこと、原告の意向ですべてが決まること、原告は金にうるさい人物であることを語った。
コ 被告は、全国ヘモフィリア友の会の会報「全友第20号」を読んで、原告が昭和58年8月14日に友の会の全国大会で講演を行い、血友病のための財団法人について「私は今、お金を集めている。現在8000万円ほど集まっているが、皆様友の会としてもお力添えいただければありがたい」と述べていたことを知った。
サ 被告は、東京HIV訴訟の原告の1人であるKが前記のとおり、昭和58年7月から昭和60年8月にかけて、トラベノール、化血研と原告を訪問して聞いた話を、本件雑誌記事を執筆する以前に、Kから聞いた。
シ 被告は、本件雑誌記事を執筆する以前に、昭和63年2月5日付けの毎日新聞朝刊の記事を読んだ。
 この記事は見出しを「血友病治療の加熱血液製剤 学会権威「治験」遅らす」とするもので、リード文には「約千人と確認されている国内のエイズ…患者・ウイルス患者の9割以上は、エイズウイルスに汚染された血液で作った血液製剤で血友病の治療を受けていた人たちで、汚染消毒の加熱処理を施した血液製剤の開発が、わが国で大幅に遅れたため被害が拡大した。開発が遅れた一因は、製薬5社の臨床試験(治験)を一手に引き受けた血友病の権威、甲・帝京大副学長(71)が、研究の遅れているメーカーのため、先行メーカーの治験期間を延ばすなどの操作をした「調整」であったことが4日、甲副学長本人や関係者の証言でわかった」との記載がある。
 記事の本文には、原告の語った言葉として「ミドリ(十字)は各社に比べはるかに遅れていた。どの製薬会社の薬も患者がみな安心して使える、ということでやらないと、あとで必ず、いざこざが起こる。だから、1社だけ遅れないよう調整した」との記載がある。
 被告は、この記事のもととなった原告に対するインタビューの録音テープを反訳した書面も、東京HIV訴訟の原告弁護団から入手し、本件雑誌記事を執筆する以前に読んだ。
ス 被告は、トラベノール、ミドリ十字ら製剤メーカー5社に対して取材の申込みをしたが、裁判が進行中であるという理由で全社から断られた。
 被告は、エイズ研究班の班員であったE医師や、血液製剤小委員会の委員長であったJ医師、委員であったQ医師(神奈川県立こども医療センター)に対しても取材を申し込んだが、いずれも断られた。エイズ研究班の班員であったC医師に取材をしたことはあったが、原告との意見の対立については「あまり言うと甲さんの批判になるので、話したくありません。敗軍の将、兵を語らずです」と述べ、話を聴取することはできなかった。
(3) 相当性についての判断
 以上の認定事実によれば、被告は、本件雑誌記事の執筆までに、これらの調査や取材活動によって、厚生省は加熱製剤について第T相試験を省略しようと考えていたのに、原告はこれを実施する考えを表明し、加熱製剤の開発が先行していたトラベノールには第T相試験の実施計画を示していたこと、加熱製剤の開発はミドリ十字が最も遅れていたのに、製造承認は他の製剤メーカーと同時に受けたこと、原告が財団法人の設立のために、製剤メーカーから1社あたり1000万円という高額の寄付を受けていること、原告が治験と金銭の関係の指摘を受けて、治験統括医を辞任したこと、原告が毎日新聞の記者のインタビューにこたえて、加熱製剤の開発の早い会社が原告のもとに治験を頼みに来たから「調整」したという発言や、1つの会社だけが遅れてしまうのでなく、製剤メーカー各社が同じような立場で競争してほしいと考えているという発言をしていることなどを知ったというのである。
 その調査資料や取材相手にも、特に信頼性に問題があるものはなく、むしろ、被告は、可能な限り直接的な情報を得るよう努めていたものと認めることができる。
 そうすると、被告が、このような調査や取材の結果に基づき、本件記載Eで摘示した事実、すなわち、原告が製剤メーカー各社から寄付を受けていたので、加熱製剤の製造承認に向けて取り残されるメーカーが出ないように治験の開始を遅らせたという事実を真実と信じるについては、相当の理由があるというべきである。
 本件記載Eのうち「一体いかほどの金に染まって医師の心を売り渡したのか」という記述は、この摘示事実を前提にして意見ないし論評を表明するものである。製剤メーカーから寄付を受けていたことが原因となって、原告が加熱製剤の治験開始を遅らせたという事実があったとすれば、患者の生命や健康を守るべき医師が、それよりも企業の利益を優先させたものとして、大きな非難を受けたとしても決して不当なことではないから、このような事実を「金に染まって医師の心を売り渡す」と表現することも、意見ないし論評の域を逸脱するものとはいえない。
 なお、前記の認定事実によれば、被告は、本件雑誌記事の執筆後、本件単行本の発行前に、原告に対してインタビューをしている。しかし、そこでの原告の発言内容は「私が治験を遅らせたという事情はある」、「あなたの書かれたものでは、遅らせたということだけが強調されている」と、治験を遅らせたことを前提にしたような発言をしつつも、「遅らせたと言っているけど間違いである」、「毎日新聞の記事にある治験を調整したというのは、ねつ造である」と言って「調整」の意味を説明するなど、全体として趣旨の明確でない応答に終始しているのであるから、本件単行本発行時に、従前のまま本件雑誌記事の記載を維持したからといって、相当性の判断が変わるものではない。
第4 結論
 以上のとおり、本件記載@ないしEは、事実の摘示により、又は事実を前提とする意見ないし論評の表明により、原告の名誉を毀損するものであるが、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったことは争いがなく、本件記載@ないしDについては、摘示された事実又は前提とされた事実がいずれも真実であると認められ、本件記載Eについては、摘示され又は前提とされた事実を被告が真実と信じるについて相当の理由があり、意見ないし論評の表明部分も、意見ないし論評としての域を逸脱するものではない。
 したがって、本件記載@ないしEによる名誉毀損は、違法性がなく、あるいは故意又は過失が否定され、不法行為とはならないから、原告の請求は、そのほかの争点について判断するまでもなく、いずれも理由がない。

東京地方裁判所民事第35部
 裁判長裁判官 片山良広
 裁判官 福島政幸
 裁判官 岡田紀彦


(別紙1)
判決の結論の広告
 被告櫻井よしこが執筆した「エイズ犯罪 血友病患者の悲劇」(株式会社中央公論社発行)と題する単行本第8章「最高権威・甲氏の重い責任」における原告に関する記述の箇所は、原告の名誉を著しく侵害する不法行為に該当する。
 右結論は、東京地方裁判所民事第 部が、 年 月 日言渡の平成8年(ワ)第  号名誉権侵害による損害賠償等請求事件の判決において示した判断である。

(別紙2)
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