判例全文 line
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【事件名】早稲田大学の名簿提供事件A(2)
【年月日】平成14年1月16日
 東京高裁 平成13年(ネ)第2434号 損害賠償請求控訴事件
 (原審・東京地裁平成11年(ワ)第27677号 損害賠償請求事件)
 (原審言渡日 平成13年4月11日)


判決
主文
1 原判決を次のとおり変更する。
(1) 被控訴人は、控訴人らに対し、それぞれ1万円及びこれに対する平成11年12月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2) 控訴人らのその余の請求を棄却する。
2 訴訟費用は、第1、2審を通じて、各自の負担とする。

事実及び理由
第1 控訴人らの控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は、控訴人らに対し、それぞれ33万円及びこれに対する平成11年12月26日(本件訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 本件事案の概要
1 原判決の記載の引用
 控訴人らの本訴請求の趣旨は、上記第1の控訴人らの控訴の趣旨の2項のとおりであり、また、本件事案の概要、当事者間に争いのない事実並びに本件の争点及び当事者双方の主張は、次項以下に当事者双方の当審における主張を追加するほかは、原判決の「第2 事案の要旨と争いのない事実」及び「第3 本件の争点及び当事者双方の主張」の各項の記載のとおりであるから、この記載を引用する。
 すなわち、被控訴人は、早稲田大学(以下「本件大学」という。)などを設置する学校法人であるが、平成10年11月28日に本件大学の大隈講堂において中華人民共和国(以下「中国」という。)の江沢民主席(以下「江主席」という。)による本件講演会を開催することを計画し、本件大学の学生に対し参加を募り、参加希望の学生に対し、本件大学の用意した参加者名簿(本件名簿)に氏名、学籍番号、住所及び電話番号を記載させた。控訴人らは本件大学の学生であり、本件講演会への参加を申し込み、本件名簿に上記氏名等を記載した。本件大学は、本件講演会の開催前に、本件講演会の警備に当たる警視庁の警備活動に協力するため、控訴人らに告知することなく、この本件名簿を警視庁に提出した。
 本件訴訟は、本件大学が上記のように本件名簿を提出したことは、本件名簿に記載された控訴人らの氏名、学籍番号、住所及び電話番号並びに控訴人らが本件講演会の参加申込者であることをみだりに他者に開示したことであって、これにより控訴人らのプライバシーの権利などが侵害されたとして、不法行為に基づき、控訴人らが、被控訴人に対し、それぞれ慰謝料30万円及び弁護士費用3万円の損害賠償を請求している事件である。
 これに対し、被控訴人は、本件名簿の提出は控訴人らのプライバシーの権利などを侵害するものではないとして、控訴人らの請求を争っている。
2 控訴人らの当審における追加主張
(1) プライバシーの権利は、他人に知られたくない私生活上の情報(プライバシー)をみだりに他者に開示されないという権利であり、憲法で保障された基本的人権である。したがって、個人の私生活上の情報を収集した者がこれを目的外に利用することが許されるのは、原則として、本人の同意がある場合か、法令に定めのある場合に限られる。ただ、例外的に、本人の同意がなく、法令に定めがないにもかかわらず、収集された個人の私生活上の情報の目的外利用について、その違法性が阻却されることもあるが、その場合は、目的外利用の高度の必要性、すなわち、利用目的が正当なものであり(目的の正当性)、その目的を実現する手段として関連性、必要性があり(目的と手段との関連性、必要性)、プライバシーの保護とプライバシーの権利を侵害してまで保護しようとする利益との利益衡量に照らして相当であり(相当性)、同意を得ることができなかったことがやむを得ないとされる緊急な事情が存すること(緊急性)などの要件が必要となる。すなわち、京都府学連デモ事件の最高裁大法廷昭和44年12月24日判決は、個人の肖像権について、法令の規定がなく、撮影される本人の同意がなく、裁判所の令状がない場合は、「現に犯罪が行なわれもしくは行なわれたのち間がないと認められる場合であって、しかも証拠保全の必要性及び緊急性があり、かつその撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもって行なわれるとき」にのみ警察官による個人の容ぼうの撮影が許容されると判断しており、本件についても同様に考えるべきである。
(2) 本件大学が本件個人情報(控訴人らの氏名、学籍番号、住所及び電話番号並びに控訴人らが本件講演会の参加申込者であること)を警視庁に開示した行為は、本件個人情報を控訴人らの同意又は法令の定めがないにもかかわらず収集目的外に利用したものであるが、次のとおり、上記の違法性阻却の要件をも欠くものである。
ア 本件個人情報の性質
 私生活上の情報(プライバシー)を他人に知られたくないと感じる度合いは、当該個人と情報の利用者との相関関係によって定まる。控訴人らの本件個人情報は、警視庁に提供されることにより、本件講演会参加希望者の表示という本来の情報としての性質を超え、警察の不穏分子候補者のチェックリストとして利用されることとなった。このような利用は、本件講演会の参加希望者からすれば、警視庁によって、自己の思想傾向をチェックしたり、不審人物として身辺を探るための基本情報として利用されるということであり、思想信条、結社の自由にかかわる情報に転化したものということができる。また、プライバシーの権利には、自己に関連する情報の伝達をコントロールすることを保障する内容も含まれるが、本件情報については、これが警察に蓄積された上で今後どのように利用されるかも不明である。
 したがって、このような本件個人情報は、他人に知られたくない程度が極めて高いものである。
イ 開示の目的
 被控訴人は、本件名簿を警視庁に提出したことについて、本件講演会における警備に万全を期し、外国の要人である江主席の安全を確保するという正当な目的のためにしたことであると主張する。しかし、被控訴人は、警備を担当する警視庁から警備のために本件名簿の提出を求められたと主張しながら、その日時及び本件名簿提出の目的について受けた説明内容を明らかにしていない。また、本件名簿の具体的な利用方法が明らかにされなければ、本件名簿が警備の目的を実現するのに必要不可欠なものかどうかの判断もできないが、被控訴人は、この具体的利用方法すらも明らかにしていない。したがって、江主席の警備、警護の目的というだけでは抽象的すぎてその内容が明らかとならず、本件個人情報の警視庁への開示が江主席の安全確保に有用であったかどうかの判断もできない。
 そうすると、被控訴人の主張するような目的は、本件個人情報を警視庁に開示することの正当な目的には当たらないというべきである。
ウ 目的と手段との関連性、開示の必要性
 被控訴人は、本件講演会の警備を行うに当たって、参加申込者を事前に把握することは警備の遂行上有用であり、警備の目的を達するために必要であったと主張する。しかし、本件個人情報の具体的利用方法が明らかにされない以上、本件個人情報が江主席の警備、警護に有用であったかどうかは明らかにならない。仮に本件個人情報のうち氏名、住所及び電話番号が警察機関の保管する他の警備情報と併せて本件講演会を妨害するおそれのある不穏人物を発見するために利用されるのだとしても、不穏人物リストが別にあるのであれば、それによる会場入口でのチェックが十分できたはずである。また、本件大学及び警視庁は、事前に学生証などにより参加者の身元を確認し、本件講演会当日も会場入口において金属探知器による兇器類の検査を行い、バッグ等の持込みを禁止した上で、警察官や警備員多数による会場内外の警備をしたのであるから、それ以上に本件講演会の約1400人に上る参加希望者全員の個人情報を得る必要はなかったはずである。なお、学籍番号は、所属学部、入学年度などをアルファベット、数字により表示しているものであるが、この学籍番号は警備には不要なものであり、これまでをも警視庁に提供したことは、その必要性の限度を超える。
 したがって、江主席の警備、警護のために本件個人情報を警視庁に開示する必要性はなかったというべきである。
エ 相当性
 被控訴人は、本件個人情報は他人に知られたくないと感ずる程度が低いものであり、また、本件個人情報の開示は控訴人らに具体的な不利益を及ぼしていないのに対し、江主席の警備、警護の必要性は極めて高かったのであるから、本件個人情報を警視庁に開示したことは相当であったと主張する。しかし、本件個人情報は、上記アのとおり警備公安情報として利用されるものであるから、一般人の感受性を基準としても、これを警視庁に知られたくないと感ずる程度が高いものである。また、本件大学は、本件名簿を警視庁に提出する際、本件個人情報についてのプライバシーの権利を保護するため、その利用方法や取扱いについての希望、注文を出し、本件講演会終了後の返還を求めることもできたはずであるのに、それすらも行っていない。さらに、本件大学は、本件規則(本件大学制定の個人情報保護に関する規則)において情報収集時に明確化された目的以外のために個人情報を利用することを禁ずるなど、プライバシーの権利の意味と必要性を十分認識していたのであるが、本件個人情報を警視庁に開示することを決めながら、あえてそのことを秘匿して本件名簿に本件個人情報を記載させ、その結果、通常の手続では入手することができないような控訴人らの個人情報を警視庁に取得させたのである。
 そうすると、本件個人情報の警視庁への開示は、江主席の警備、警護という抽象的な目的を実現するための手段として相当なものということはできない。
オ 緊急性
 一定の目的の下に収集した個人情報をその目的外に利用する場合は、目的外利用の是非について本人に自己決定をする機会を与えることが大切であるから、原則として、その本人の同意を得ることが必要となる。したがって、同意を得ずに個人情報を目的外に利用することは、同意を得ることができなかったことがやむを得ないと認められるような緊急の事情、すなわち、明白かつ現在の危険が存在するとか、他に採り得る相当な手段が存在しなかったなどの要件が具備しない限り、許されないことである。
 本件大学は、本件講演会参加希望者の募集より2か月以上前である平成10年7月30日ころ、本件名簿を警視庁に提出することを決めていた。また、警視庁から本件名簿を警視庁に提出することを参加希望者に予告しないよう求められたこともなく、さらに、本件大学は、本件規則において、自ら、情報収集時に明確化された目的以外のために個人情報を利用することを禁じていたのである。したがって、本件大学が、本件講演会参加希望者に対し本件名簿を警視庁に提出することを事前に予告しようと考えることも、この予告の実現のため掲示板にその旨を掲示するとか本件名簿の欄外にそのことを記載するとかすることも容易に行えたはずである。
 そうすると、本件個人情報の警視庁への開示には、時間的にもその方法においても、緊急性の要件が具備されていない。
2 被控訴人の当審における追加主張
(1) 他人に知られたくない私生活上の情報(プライバシー)を理由なく他者に開示されないという人格的利益は、現代の高度情報社会においてプライバシーの権利として保護されるものである。しかし、不法行為の要件となる違法性の有無は、被侵害利益の性質と侵害行為との相関関係によって判断されるものであるが、プライバシーにおいては、他人に知られたくないと感ずる度合いが、その情報の内容、性質により大きく異なり、その開示によってもたらされる私生活の平穏あるいは人格的自律に対する脅威の程度も大きく異なる。したがって、プライバシーといっても、その概念は多義的であり、いまだ流動的であるから、具体的な私生活上の情報については、これが不法行為による法的保護に値する利益であるか否か、その利益がどの程度強固なものであるかを一義的に判断することはできない。とりわけ本件個人情報のような個人識別情報は、そもそもこれが他人に知られたくないと感ずる度合いが低いものであるから、これを同意なく他者に開示した場合でも、これを一律に違法であるとしてその違法性阻却を考えるのではなく、その開示に正当な目的があり、その目的と手段との関連性及び開示の必要性があって、開示が相当である場合は、これが違法となることはないものと考えるべきである。
(2) 本件大学が本件個人情報を警視庁に開示した行為は、次のとおり、開示の目的の正当性、目的と手段との関連性、開示の必要性及び開示の相当性の要件が具備されているから、違法なものということはできない。
ア 本件個人情報の性質
 本件個人情報は、控訴人らの氏名、学籍番号、住所及び電話番号並びに控訴人らが本件講演会の参加申込者であることであるが、氏名、学籍番号、住所及び電話番号は、いずれも社会生活上個人を識別するための単純な情報にすぎず、むしろ、一定の範囲の者に知られ、利用されることに意味のある情報であるから、他人に知られたくないと感ずる程度は低いものであり、また、本件講演会の参加申込者であることも、本件講演会に参加すれば当然に判明することであるから、これも、他人に知られたくないと感ずる程度は低いものである。
 なお、警察機関が、本件講演会参加希望者中に本件講演会を妨害するおそれのある不審人物がいないかどうかをチェックする目的で本件個人情報を利用したとしても、これは警察が保存する既存情報により、江主席に対し非礼あるいは危険な言動に及ぶ可能性のある者の存否が判断されるのであって、本件個人情報自体から非礼あるいは危険な言動に及ぶ可能性が判明するものではない。また、上記のように、警察機関は、本件個人情報から本件講演会参加希望者の思想信条をチェックするわけではなく、そもそも、本件講演会の参加希望者であるという情報からその者の思想信条等が推知できるものでもない。したがって、本件個人情報は、これが警察等に開示されたからといって、思想信条や結社の自由に関するものに転化するものではなく、また、他人に知られたくないと感ずる程度が高くなるものでもない。
イ 目的の正当性、目的と手段との関連性、開示の必要性
 本件講演会は、国賓として来日した中国の江主席が多数の聴衆の前で講演するものであるから、その警備に万全を期する必要があり、そのため、講演会場及びその周辺に厳重な警備態勢が敷かれるとともに、江主席に危害を加え、あるいは非礼な態度に出ようとする者などの侵入をあらかじめ防ぐため、警備関係者において事前に参加者を把握したのである。本件名簿は、警備に当たる警察関係者の上記利用に供するため、本件大学招待者、同教職員、プレス関係者、外務省関係者及び中国側随行員の各参加者名簿と共に、本件講演会の前に、警視庁に提出され、また、開示の相手方は警視庁にとどまり、他の取締目的に使用するためのものではなく、開示された本件個人情報も、氏名、学籍番号、住所及び電話番号という参加者特定のための情報に限定されていたのである。したがって、本件個人情報開示の目的は、江主席の警備、警護に万全を期し、その安全を確保するということにあって、正当なものであり、その目的に必要な範囲に限って開示されたものである。
 なお、控訴人らは、本件名簿の具体的な利用方法が明らかにされなければその目的の正当性や開示の必要性の判断ができないと主張するが、上記のとおり、警視庁が本件名簿をどのように利用するかを具体的に明らかにするまでもなく、上記の本件名簿の提出目的及びその必要性は明らかである。
ウ 開示の相当性
 本件個人情報は、他人に知られたくないと感ずる程度が相当低いものであり、この情報が警視庁に開示され、警視庁の保有する不審者の情報と照合されても、控訴人らに具体的な不利益や被害を及ぼすものでもない。また、本件講演会の講演者である江主席が国賓であり、参加申込者に対し配布した「注意事項」に当日厳重な警備態勢がとられることが記載されていたことなどから、本件名簿が警備情報として利用されることは、十分に認識可能な状況にあった。さらに、本件個人情報を保護する利益より本件個人情報を開示することにより保護しようとする江主席の警備、警護の利益の方がはるかに大きかったことからすれば、本件名簿の提出は社会通念上相当なものであったということができる。
 なお、控訴人らは、本件名簿の提出は、本件大学が定めた本件規則に違反すると主張するが、本件規則が対象としている情報は、繰り返し検索、利用されることが容易である体系的処理をされて蓄積、保存された個人情報であり、一時的、一回的利用である本件名簿の提出は、この規制の対象とはならないから、本件規則に違反するものではない。また、本件名簿の提出が違法であるかどうかの判断は、これが本件規則に違反するかどうかとは、関連性がない。
(3) 控訴人らは、一定の目的の下に収集した個人情報をその目的外に利用する場合は、原則として、その個人の同意を得ることが必要であり、その同意がない場合は、同意を得ることができなかったことがやむを得ないと認められるような緊急の事情が存在しない限り、その情報開示行為は違法となるとの主張をする。確かに、プライバシーの権利には、自己の個人情報に関する自己決定の利益も含まれるが、この自己決定の利益を絶対視することはできない。およそ自己に関する情報の開示をすべて自ら決定することは不可能であり、これをすべて権利として保障することも不可能である。本件個人情報は、他人に知られたくないと感ずる度合いが低いものであるから、この自己決定の利益を特に強く保障する必要はなく、また、プライバシーの権利が法的に保護されるのは、その個人の人格的自律あるいは私生活上の平穏にとって不可欠な環境を保護することに根拠があるのであるから、その開示によりこのような環境が侵害されない限り、その開示行為を違法とすることはできない。そうすると、本件個人情報は、正当な目的に基づき、その目的に必要な範囲に限って第三者に開示され、本件個人情報を保護する利益より本件個人情報を開示することにより保護しようとする利益の方がはるかに大きく、この開示によって控訴人らに具体的な不利益を及ぼさなかったのであるから、控訴人らの同意がなくても、本件開示行為が違法となることはない。
 なお、控訴人らは、この点に関して、肖像権侵害が問題とされた最高裁大法廷昭和44年12月24日判決を引用するが、これは肖像権自体が個人の人格と密接に結びついた権利であって、しかも、当該写真が被写体の明確な意思に反してその不利益に利用されることが予定されていた事案であって、本件のように他人に知られたくないと感ずる度合いの低いプライバシーの権利とは事案を異にするものである。
第3 当裁判所の判断
1 本件名簿が警視庁に提出されるに至った経緯などについて
 前記引用に係る原判決の記載にある当事者間に争いのない事実及び関係証拠(甲3、41、乙4ないし6、8及び関係箇所に掲記の各証拠)によれば、本件名簿が警視庁に提出されるに至った経緯などについて、次のとおりの事実が認められる。
(1) 本件大学は、本件大学の学生に対する教育活動の一環として、中国の江主席が平成10年秋ころに来日する機会に、江主席を本件大学に招き、本件大学の大隈講堂において江主席の講演会を開催することを計画し、江主席に対し講演を依頼した。江主席は、本件大学の上記依頼に対し、中国大使館などを通じて、同年7月下旬ころ、上記の講演依頼を承諾する旨を伝え、同年11月上旬ころ、同月28日に本件大学に赴いて講演をするとの回答をした。そこで、本件大学は、同年11月上旬ころ、同月28日に大隈講堂において本件講演会を開催することを決定した。
(2) 本件講演会は、本件大学が江主席に講演を依頼するものであり、また、江主席は国賓として我が国を訪問する中国の元首であって最大限の配慮が必要であることから、本件大学は、本件講演会においては、万が一にも江主席に危害が及ぶようなことや、講演会参加者が江主席に対し非礼な言動に及ぶようなことがあってはならないと考えた。また、警視庁、外務省及び中国大使館からも、本件大学に対し、本件講演会の警備を厳重にするようにとの要請がされ、外務省からは、中国から日本に亡命した活動家が一部学生らと共同して騒ぎを引き起こし、ひいては江主席の身の安全を損なうような活動を企てているとの連絡もあった。そこで、本件大学は、本件講演会の主催者として、本件講演会の運営、警備について、同年7月下旬ころから、外務省、警視庁及び中国大使館と密接に協議を行い、警備能力が不足する部分は、警視庁等の警察機関の警備にゆだねることとした。警視庁は、同年7月下旬ころ、本件大学に対し、本件講演会における江主席の警備、警護に万全を期するためとして、本件講演会参加予定者の名簿を警視庁に提出するよう求めた。これに対し、本件大学は、そのころ、江主席の警備、警護に万全を期するため、本件名簿の使用後はこれを廃棄することを要請した上で、この求めに応ずることとし、本件大学が作成する本件大学招待者、同教職員、プレス関係者、外務省関係者及び中国側随行員の各参加者名簿と共に、本件大学学生の参加者名簿である本件名簿も、本件講演会の開催前に警視庁に提出することを決めた。なお、警視庁からは、本件名簿を警視庁に提出することを秘匿するよう求められたことはなかった。
(3) 本件大学は、同年11月18日から24日にかけて、本件大学の各学部学生、大学院生及び留学生に対し、本件講演会への参加を募り、この期間中、本件大学の各学部及び大学院事務所などに本件講演会の参加者名簿の用紙を備え置き、本件講演会への参加を申し込んだ学生については、学生証により本件大学の学生であることを確認し、さらに、参加者名簿に氏名、学籍番号、住所及び電話番号を記載させ、その上で、本件講演会への参加を認める趣旨の参加証を交付した。この参加募集は、本件大学の学生であること以外に条件を付すことはなく、定員になるまで先着順で受け入れるものであった。なお、学籍番号は、冒頭のアルファベットが所属学部を、次の数字部分が入学年度などを示している。
 参加者名簿は、最上段の欄外に「中華人民共和国主席江沢民閣下講演会参加者」との表題が印刷され、その下に、横書きで学籍番号、氏名、住所及び電話番号の各記入欄が設けられ、参加申込者が1人ずつ記入できるよう1行ごとに罫線が引かれて各欄が囲われ、用紙1枚につき15名の参加申込者が記入できるようになっていた。
(4) 控訴人らは、いずれも本件大学の学部学生であったが、本件大学に対し、上記募集期間に、参加者名簿の用紙に各自の氏名、学籍番号、住所及び電話番号を記入して本件講演会への参加を申し込み、いずれも本件講演会への参加が認められ、参加証の交付を受けた。
 ところで、本件大学は、上記のとおり既に本件名簿を警視庁に提出することを決めていたが、上記募集に際し、控訴人ら本件講演会の参加申込みをした学生に対し、本件名簿を警視庁に提出することを告知しなかった。
(5) 本件大学は、本件大学の学生に対する参加募集受付終了後の同年11月25日ないし26日ころ、控訴人らを含む参加申込みをした学生約1400人分の氏名、学籍番号、住所及び電話番号が記載された本件名簿の写しを、控訴人ら参加申込者の同意を得ることなく、警視庁に交付し、同時に、本件大学招待者、同教職員及びプレス関係者の参加者名簿の写しも警視庁に交付した。
(6) 本件大学は、本件講演会の運営及び警備のため、本件講演会への参加が認められた控訴人らの学生に対し、参加証と共に、「江沢民中華人民共和国国家主席講演会における注意事項」と題された書面(乙1)を配布した。この書面には、次のとおり記載されていた。
 「1 当日(11月28日)は午前7時30分〜8時45分の間(時間厳守)に「学生証」及び「参加証」を持参のうえ、大隈小講堂に集合してください。午前8時45分を過ぎてからの入場はできません。
2 大隈小講堂入口で「学生証」と「参加証」を提示して下さい。
3 大隈講堂へ入場の際、金属探知器等により危険物所持の有無をチェックする場合がありますので予めご了承ください。
4 荷物はできるだけ持たずに集合してください。荷物がある場合は予め2号館で預からせていただきますので、大隈小講堂集合前に2号館クロークに荷物を預けてください。なお、女性のハンドバッグについては、簡単に中身を確認させていただくこともありますのでご了承ください。雨天の場合は大隈小講堂入口に傘置場を設置します。
5 プラカード、ビラ、カメラ、テープレコーダー等の持ち込みは厳禁です。
6 静粛な態度で臨み、ヤジ、罵声等はさけてください。
7 会全体が終了し、指示があるまで会場からは出ることができません。」
(7) 本件大学は、本件講演会当日、本件講演会への参加が認められた控訴人らの学生が大隈講堂に入場する際、参加証と学生証を提示させて本人であることを確認し、持ち物の検査や制限をし、金属探知器によるチェックも行った。また、入場する控訴人らの学生に対し、「中華人民共和国主席江沢民閣下講演会参加者への遵守事項」と題する書面(乙2)を配布した。この書面には、次のような記載がされていた。
 「場内では静粛にお願いします。ヤジ等大声を出したり、プラカード・掲示物等を出した場合は即刻退場となりますので、充分注意してください。係員の指示には必ず従ってください。」
 さらに、本件大学は、大隈講堂内にも、「場内では静粛に願います。ヤジ等、大声を出したり、プラカード・提示物等を出した場合は、即刻退場となりますので、充分注意されたい。」などと記載したポスター(乙3)を掲示した。
(8) 江主席の講演は、同年11月28日午前9時30分ころ開始され、同日午前11時前には終了した。その間、数名の学生が数回にわたり横断幕を広げて大声を上げるなどの妨害を行ったが、警備関係者が上記学生を直ちに場外に退出させたため、江主席に危害が及ぶようなことはなく、本件講演自体にも大きな障害は生じなかった。
(9) 本件大学は、平成7年、個人情報の保護に関する規則(本件規則)を制定した。本件規則(甲4)は、別紙「個人情報の保護に関する規則(抄)」のとおり規定し、個人情報の目的外利用や外部への提供を基本的に禁止し、例外的に本人の同意がないにもかかわらず外部への提供をする場合は、個人情報保護委員会の判断を仰ぐ形となっていたが、本件大学が本件名簿を警視庁に提出するについては、個人情報保護委員会に諮ることはしなかった。
(10) 先進工業国を中心に組織され、経済に関する国際協力を目的とする国際機関であるOECDは、1980年9月、別紙「OECDガイドライン」のとおり、個人情報の保護に関して八つの原則を掲げるなどの「プライバシー保護と個人データの国際流通についてのガイドラインに関する理事会勧告」を採択した。この勧告は、加盟各国に対する拘束力はないものの、加盟各国に対し、OECDガイドラインに掲げている原則を国内法整備の指針として国内法の中で考慮することを求めている。これは、各国における個人情報保護を目的とした情報の流通に対する規制態様が区々に分かれ、情報の国際的な流通の障害となるおそれが生じたため、プライバシーの保護と情報の自由な流通という競合する価値を調和させるためのガイドラインを作成し、これに基づく各国の国内法の整備により、プライバシー保護を名目として情報の国際流通が妨げられることがないようにすることを目的としたものであった。
(11) 本件大学は、本件訴訟が提起されるなど本件名簿の提出が問題とされたことなどから、本件講演会の後は、外国要人の講演会を開催する際には、講演会の参加申込者に対し、参加者名簿を関係機関に提出する場合がある旨を予告している。本件大学が平成13年3月ころ開催した「ノルウェー王国ハラール5世国王陛下の名誉博士学位贈呈式及び記念講演会」のときは、参加者名簿(乙7)の欄外に、「この参加者名簿は、国の関係機関に提出する場合もありますので、ご承知の上お申し込みください。なお、参加者名簿は、本件名誉博士学位贈呈式及び記念講演会運営の目的のためだけに使用し、使用後は廃棄します。」と注意書きしていた。
2 本件名簿の提出は控訴人らのプライバシーの権利を侵害するか
(1) 本件名簿に記載された控訴人らの本件個人情報はプライバシーとして保護されるか
 控訴人らは、本件名簿に記載された控訴人らの氏名、学籍番号、住所及び電話番号並びに控訴人らが本件講演会の参加申込者であることなどの個人情報は、プライバシーとして法的に保護されるべきものであるとの主張をするので、検討する。
ア 憲法13条は、すべての国民を個人として尊重し、個人が幸福を追求することを憲法上の権利と定めており、個人の人格上の利益は法的な利益ないし権利として保障される。このような趣旨からすれば、他者に知られたくないと感じる個人の私生活上の情報がみだりに他者に開示されないことも、個人の人格的自律あるいは私生活上の平穏を守るため、人格権の一内容として法的に保護されるべきである。
 特に、巨大データベースなどコンピューターやネットワークを用いた情報管理技術の発展に伴い、官公庁のみならず民間企業や民間団体にまで大量の個人情報が収集、蓄積されている現状では、国民の間に、これが収集目的以外に使用されて個人の私生活上の平穏を害するのではないかとの不安感が広がっており、現実に、企業の顧客名簿などの個人情報が大量に流出したり、個人情報が売買の対象とされるような事態も生じている。また、ストーカー行為の多発により、個人情報の開示を警戒する気持ちが国民一般に強くなっていることも指摘することができる。
 したがって、個人に関する情報の保護を図ることの重要性については、国民の関心ないし法的意識が急速に高まりつつあり、現に、このような国民の要請を受けて、行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律、東京都個人情報保護条例等の法律や条例が制定され、さらに、個人情報の保護に関する法律案の国会審議が行われている状況にある。国際的にも、この点に関し、上記のOECDガイドラインのような国際的な標準も示されているのである。
 ところで、このような他者に知られたくないと感じる個人の私生活上の情報はプライバシーと呼ばれるが、プライバシーが当該個人の意思に基づかずにみだりに他者に開示されないことは、上記のとおり人格権の一内容として法的に保護されると考えられるので、これをプライバシーの権利と呼ぶことができる。したがって、プライバシーの権利を侵害した場合には、その違法性が阻却されない限り、当該プライバシーの権利を有する者に対する不法行為が成立するものというべきである。
イ 他者に知られたくないと感じる私生活上の情報といっても、その内容は多様であり、これに当たるかどうかの判断には状況に応じて流動的な面があることも否定できないが、少なくとも、プライバシーの権利として保護されるためには、その情報が、@個人の私生活上の事実に関する情報であること、A社会一般の人々の感受性を基準として、当該個人の立場に立った場合、その情報が開示されると、当該個人に心理的な負担や不安を覚えさせるなどのため、開示を欲しないであろうと考えられる情報であること、B社会一般の人々にまだ知られていない情報であることが必要であると解される。
ウ そこで、本件名簿に記載された控訴人らの氏名、学籍番号、住所及び電話番号並びに控訴人らが本件講演会の参加申込者であることなどの本件個人情報が、控訴人らのプライバシーの権利として保護されるべきものであるかどうかについて検討する。
 氏名、住所、電話番号、学籍番号及び本件講演会の参加申込者であることは、いずれも、個人の私生活上の事実に関する情報であり、また、社会一般の人々にまだ知られていない情報であるということができる。ただ、個人の氏名、住所及び電話番号は、いずれも社会生活上個人を識別したり、郵便や電話によってその者に情報を伝達するために必要とされる単純な情報であるにすぎず、むしろ、一定の範囲の者に知られ、情報の伝達のために日常的に利用されることに意味のある情報であり、また、学籍番号も、大学の内部において、学生の特定及び大学と学生との間の情報伝達の方法として利用される単純な情報であることからすると、これらの情報が、一般に当該個人が開示を欲しないであろうと考えられる情報であると即断することはできない。しかし、近時、このような単純な個人情報であっても、個人情報が売買の対象とされることなどにより、情報の開示を許容されていない者にまでこの個人情報が提供され、このような者からの電話、郵便などにより私生活の平穏が害されるのではないかとの不安が増大しているといわれており、このような本来一定範囲の他者には当然開示すべき単純な個人情報であっても、自己が欲しない他者にはこれを開示されたくないと考えることが、むしろ社会通念にまで高まっているものと考えられるところである。
 したがって、氏名、住所、電話番号及び学籍番号は、社会一般の人々の感受性を基準として、当該個人の立場に立った場合、これが開示されると、当該個人に心理的な負担や不安を覚えさせるなどのため、みだりに開示されることを欲しないであろう情報であると考えられる。なお、本件大学の学籍番号は、冒頭のアルファベットが所属学部を、次の数字部分が入学年度などを示しており、単純に学内の個人を特定する情報以上の所属の学部及び入学年度などの個人的な情報をも含むものであることは、前記1の(3)で認定したとおりであり、やはり、みだりに開示されることを欲しない情報であることを否定することはできない。
 また、本件講演会の参加申込者である事実も、これが本来一般に開示されるべき性質の情報でないことからすれば、同様に、社会一般の人々の感受性を基準として、当該個人の立場に立った場合、これが開示されると、当該個人に心理的な負担や不安を覚えさせるなどのため、みだりに開示されることを欲しないであろう情報であると考えられる。
 したがって、本件個人情報、すなわち、控訴人らの氏名、住所、学籍番号及び電話番号並びに控訴人らが本件講演会の参加申込者であることは、控訴人らのプライバシーというべきであり、これらが控訴人らの意思に基づかずにみだりに他者に開示されない利益は、控訴人らのプライバシーの権利として保護されるべきものである。
(2) 本件名簿の提出と控訴人らのプライバシーの権利の侵害
ア 上記(1)で説示したとおり、控訴人らの氏名、住所、学籍番号及び電話番号並びに控訴人らが本件講演会の参加申込者であることなどの本件個人情報は、控訴人らのプライバシーであり、これらが控訴人らの意思に基づかずにみだりに他者に開示されない利益は、プライバシーの権利として保護されるべきものであるが、本件大学は、控訴人らの同意がなく、また、これを開示することの法令上の根拠も存在しないにもかかわらず、本件個人情報が記載された本件名簿を警視庁に提出したのであるから、この本件名簿の提出は、控訴人らの上記プライバシーの権利を侵害する行為に該当するものということができる。
イ この点に関し、被控訴人は、本件講演会の講演者が江主席であることから、本件名簿が警察機関に提出されることは当然に予想され、あるいは容易に認識できたので、本件名簿の提出には控訴人らの黙示的な同意があったとの主張をする。
 確かに、本件講演会が中国の江主席の講演会であること及び前記1の(6)のとおり「江沢民中華人民共和国国家主席講演会における注意事項」と題する厳しい注意事項を記載した書面が配布されたことなどから、本件講演会の警備は警察機関も参加する極めて厳重なものとなるであろうことや、本件名簿は本件大学が本件講演会への参加者を特定しこれを把握するために作成されるものであることは、控訴人ら参加希望者にとっても、容易に予測し認識することができたものと認められる。しかし、そうだからといって、本件名簿が警察機関に提供されることが論理的に必然の成り行きであるわけではなく、しかも、本件大学においては、本件規則が制定されるなどして個人情報の保護に配慮が払われていたと考えられることからすれば、警備のためであるとはいえ、本件大学が控訴人ら参加希望者に告知しないで本件名簿を警視庁に提供するであろうことまでを予測することは困難であったというべきである。そうすると、控訴人ら参加申込者が本件名簿の提出について黙示的に同意していたということにはならない。
 また、被控訴人は、本件参加者名簿の用紙は、後から記入する者が記入済みの参加申込者の氏名等を閲覧することができる状態にあったから、事実上公開されていたものであり、プライバシーとして保護される情報ではないとの主張をする。
 確かに、参加者名簿の用紙は本件大学の各学部事務所などに備え置かれていたので、参加申込者は、この用紙に自己の氏名などを記入する際に、その用紙に記入済みの参加申込者の氏名などを閲覧することもできたものと推認される。しかし、参加者名簿の用紙はもともと第三者が閲覧する目的で備え置かれたものではなく、既に記入済みの氏名等の閲覧ができるといっても、事実上可能なだけであって、これを閲覧するのも限られた範囲の者にとどまるのであるから、この閲覧が可能であるということをもって、本件参加者名簿が公開されていたものということはできない。したがって、被控訴人の上記主張も採用することができない。
(3) プライバシーの権利の侵害とOECDガイドライン、本件規則及び大学の自治との関係について
 控訴人らは、本件大学による本件名簿の提出が控訴人らのプライバシーの権利を侵害する不法行為を構成するものとし、また、その違法性の程度を強いものとする根拠として、本件名簿の提出がOECDガイドラインに違反する旨、本件規則に違反する旨及び大学の自治ないしその精神に反する旨を主張するので、これらの点について検討する。
ア OECDガイドラインについて
 OECDガイドラインは、前記1の(10)のとおり、個人情報を収集した者は、データ主体の同意がある場合又は法律の規定による場合以外、その収集の際に明確化された目的以外の目的のために個人情報を開示してはならない旨(利用制限の原則)を定めているが、本件名簿の提出は、本件講演会の参加申込者の同意がないまま個人情報を開示したものであって、これを開示することの法令上の根拠も存在しない以上、OECDガイドラインの上記規定の趣旨に反するものということができる。しかし、OECDガイドラインは、OECDの加盟国において、これに掲げられた諸原則を国内法の中で考慮することを求めているだけであって、法的な拘束力を有するものではない。ただ、その諸原則は、各国の共通するルールとなることを志向しているという意味では参考となるものであり、民法における不法行為の成否を考える上での参考事情になると考えられるが、それ以上に、不法行為成立の十分条件となったり、違法性を強める事情となったりするものと解することはできない。したがって、OECDガイドラインの趣旨に反する行為が当然に不法行為を構成し、あるいは、これに違反することが不法行為の違法性を強めるとの控訴人らの主張は、採用することができない。
イ 本件規則違反について
 前記1の(9)のとおり、本件規則は、本件大学が学生らの個人情報をどのように取り扱うべきかの点について、本件大学と学生との双方を規律する規範として制定されたものである。そうすると、学生である控訴人らが本件大学によりプライバシーの権利を侵害されたか否かを判断するに当たっては、本件大学に本件規則違反が存したか否かの点は、被控訴人の責任の有無やその責任の程度に影響を与えるものということができる。
 そこで、本件大学が本件規則に違反したかどうかを検討すると、本件規則は、学生、教職員等について特定の個人が識別され又は識別され得るもののうち、本件大学が業務上取得し又は作成した情報(機械処理以外のものも含む。)を「個人情報」と定義し(2条2項)、本件大学の各責任者(箇所長)は、個人情報を収集するときは、利用目的を明確にし、その目的達成に必要な最小限度の範囲で収集しなければならず(5条1項)、本人の同意があるときその他の例外的な場合を除き、個人情報を収集された目的以外のために利用し又は提供してはならないものと規定している(7条1項)。したがって、本件規則は、本件大学が業務上取得した個人情報について、機械処理の対象となるか否かにかかわらず、本人の同意があるとき等の例外的場合を除き、収集の際に明確にされた目的以外の目的のために個人情報を利用することを禁止しているものと解されるが、本件名簿に記載された本件個人情報は、本件規則にいう個人情報に該当するものと認められるから、本件大学は、控訴人らの同意がなく、他にこれを許すべき例外的事情もないにもかかわらず、収集の際に明確にされた目的以外の目的のために個人情報を利用したものであって、本件名簿の提出は、本件規則7条1項に違反するものであったということができる。
 この点について、被控訴人は、本件規則が対象としている情報は、繰り返し検索、利用されることが容易である体系的処理をされて蓄積、保存された個人情報であり、一時的、一回的利用である本件名簿の提出はこの規制の対象とはならないとの主張をするが、本件規則2条2項が機械処理以外のものも含むことを明示していることからすると、本件規則がその対象を上記のように限定していないことは明らかであり、被控訴人の上記主張は採用することができない。
 また、被控訴人は、本件名簿の提出が違法であるかどうかの判断は、これが本件規則に違反するかどうかとは関連性がないと主張する。しかし、本件訴訟は、控訴人らのプライバシーの権利を侵害したことを理由として被控訴人の不法行為責任を追及するものであり、本件規則違反の有無は、上記のとおり、被控訴人の責任の有無や程度に影響を与えるものということができるから、被控訴人の上記主張も採用することができない。
ウ 大学の自治について
 控訴人らは、大学においては、学問の自由を守るため、行政権力からの介入、干渉を排除する大学の自治を堅持する必要があるから、大学が収集、保管する情報を行政権力に提供することは厳に戒められなければならず、その点で、本件名簿の提出によるプライバシーの権利の侵害は、違法性の強いものであったとの主張をする。
 大学の自治とは、大学における学問の自由を保障するため、制度的保障として伝統的に認められているものであって、特に、大学教授その他の研究者の人事に関して大学に自治権能が認められるほか、大学の施設と学生の管理についても、一定の範囲内で大学に自主的な秩序維持の権能を認めるものであるが、前記のとおり、本件名簿の提出は本件大学の自主的な判断に基づくものであるから、これが大学の自治に反するということはできない。また、大学内の秩序維持は、通常の場合、大学当局によって行われ、警察がかかわることがないとしても、そのことは、大学が、学生に対して、大学内の秩序維持に警察機関の協力を求めないことを保障するものではない。このことは、大学内において犯罪が発生した場合や、本件講演会のように大学が外国要人の講演会の開催に際して警備を要請する場合等を想起しても明らかである。このような場合に、大学が、その自主的な判断の下に、警察機関に対し、捜査を要請し、あるいは当該要人の安全確保のため講演会の警備について協力を求めるとともに、これに伴い必要な情報提供を行っても、これが大学の自治の精神に反するということもできない。
 したがって、控訴人らの上記主張は採用することができない。
3 本件名簿の提出による本件個人情報の開示について違法性が阻却されるか
 被控訴人は、本件大学が本件個人情報を警視庁に開示したことは、その目的に正当性があり、この目的と手段との関連性及び開示の必要性があり、開示行為に相当性があるから違法ではないとの主張をする。これは違法性阻却事由と構成して主張されたものではないが、本件個人情報開示の違法性の有無についての主張であるから、これには違法性阻却の主張も含まれているものと解される。そこで、本件個人情報開示の違法性が阻却されるかどうかを検討する。
(1) 控訴人らの氏名、住所、学籍番号及び電話番号並びに控訴人らが本件講演会の参加申込者であることという本件個人情報は、控訴人らのプライバシーであり、これが控訴人らの意思に基づかずにみだりに他者に開示されない利益は、控訴人らのプライバシーの権利として保護されるべきものであり、したがって、本件大学が、控訴人らの同意がなく、また、これを開示することの法令上の根拠も存在しないにもかかわらず、本件個人情報が記載された本件名簿を警視庁に提出した行為が、控訴人らのプライバシーの権利を侵害する行為に該当するものであったことは、前記2の(1)(2)で説示したとおりである。
 しかし、プライバシーの権利といっても、これが常に他の法的利益に優先する絶対的な権利と考えることはできず、そもそも氏名、住所などの個人情報自体は、一定範囲の他者には当然開示されるべき性質のものであってその保護の範囲も限定されるものであることを考えると、その開示によりその個人が被った不利益の内容及び程度と開示の目的の正当性、開示の有用性及び必要性、開示の方法及び態様、当該個人情報の収集の目的と開示の目的との関連性の有無及び程度、その個人の同意を得なかったことがやむを得ないと考えられるような事情の有無などを総合考慮した場合に、その個人の同意がなく、かつ、これを開示することの法令上の根拠が存在しなかったとしても、その開示が社会通念上許容される場合のあり得ることは否定することができない。このような場合には、プライバシー開示行為の違法性が阻却されるものというべきである。なお、ここで同意というのは、黙示的に同意がされた場合や、同意の存在が推定される場合を除外するものではない。
 すなわち、プライバシー開示行為の違法性が阻却されるか否かは、@当該個人情報の内容及び性質並びにこれがプライバシーの権利として保護されるべき程度、A開示行為によりその個人が被った具体的な不利益の内容及び程度、B開示の目的の正当性並びに開示の有用性及び必要性、C開示の方法及び態様、D当該個人情報の収集の目的と開示の目的との間の関連性の有無及び程度、Eその個人の同意を得なかったことがやむを得ないと考えられるような事情の有無などの諸要素を総合考慮し、一般人の感受性を基準として、その個人の同意がなかったとしても当該個人情報の開示が社会通念上許容される場合に当たるかどうかを判断すべきである。
(2) そこで、本件個人情報の開示が社会通念上許容されるものであるかどうかを検討する。
ア 本件個人情報の内容及び性質並びにこれがプライバシーの権利として保護されるべき程度
 前記2の(1)のウの説示のとおり、本件個人情報のうち、控訴人らの氏名、住所及び電話番号は、いずれも社会生活上個人を識別したり、郵便や電話によってその者に情報を伝達するために必要とされる単純な情報であるにすぎず、むしろ、一定の範囲の者に知られ、情報の伝達のために日常的に利用されることに意味のある情報であり、また、学籍番号も、所属の学部や入学年度なども示すとはいえ、基本的には、大学の内部において、学生の特定及び大学と学生との間の情報伝達の方法として利用される単純な情報である。また、本件講演会の参加申込者であることは、本件講演会に参加すれば当然に他の参加者に判明するようなものであり、さらに、本件講演会は、本件大学当局によって全学生に参加が呼び掛けられ、先着順に参加が認められたことからして、参加申込者の思想信条や結社等に関する事情が推認できるようなものでもない。したがって、本件個人情報は、基本的には個人を識別する単純な情報の範囲にとどまるものであり、その保護の程度は、思想信条、前科前歴、資産内容、病歴、学業成績、家族関係等のプライバシー情報と比較すれば、他人に知られたくないと感ずる度合いの低いものであるということができる。
 この点について、控訴人らは、本件個人情報は、警視庁によって、控訴人らの思想傾向をチェックしたり、不審人物として身辺を探るための基本情報として利用されたのであるから、思想信条、結社の自由にかかわる情報に転化しているのであり、また、本件個人情報は、これが警察に蓄積された上で今後どのように利用されるかも不明であるから、このような本件個人情報は、他人に知られたくない程度が極めて高いものであるとの主張をする。しかし、上記のとおり、本件個人情報は、控訴人らの思想信条や結社等に関する情報ということはできず、また、本件大学は、本件名簿の使用後はこれを廃棄することを要請した上で、警視庁に本件名簿を提出したのであり、仮に本件名簿が警視庁に残ったとしても、後記イの説示のとおり控訴人らの利益を具体的に侵害するようなものでもないのである。したがって、本件個人情報は、他人に知られたくない程度が極めて高いものであるとの控訴人らの上記主張は、採用することができない。
 また、控訴人らは、学籍番号は、それを手掛かりとして当該学生の生年月日、学歴、学業成績、加入学内団体、賞罰関係等の情報を引き出し得る重要な情報であり、他人に知られたくないと感ずる程度が高いものであるとの主張をする。しかし、本件名簿において学籍番号の記入が要求されたのは、当該申込者が本件大学に在籍するか否かを確認するためであって、それ以外の個人情報を探索することを目的としたことはうかがわれない。また、学籍番号からこれらの情報を探索することは、本件大学の情報管理権限を有する者以外には通常は考えられず、これらの者以外の者がこれを探索することは現実には困難であるから、学籍番号自体は、他人に知られたくないと感ずる程度はさほど高いものではないというべきである。したがって、控訴人らの上記主張も採用することができない。
イ 控訴人らの被った具体的な不利益の内容及び程度
 本件個人情報は、上記アのとおり、基本的には個人の識別などのための単純な情報の範囲にとどまるものであって、思想信条や結社等とは無縁のものであり、しかも、他人に知られたくないと感ずる度合いの低い性質のものである。また、本件開示の目的は、後記ウのとおり本件講演会の警備のためであって、開示の相手は警視庁だけであり、この開示によって、控訴人らの私生活上の平穏が具体的に侵害された形跡は何らうかがわれない。さらに、たとえ警視庁が今後もこれらの情報を保有したとしても、控訴人らの私生活上の平穏が具体的に侵害されるおそれに乏しく、このことが、控訴人らの自律的存在を脅かすと考えることも困難である。
 以上によれば、控訴人らの被った不利益は、現実的、具体的なものではなく、控訴人らの自己に関する情報の開示について自ら決定する利益が侵害されたという観念的、抽象的なものであるにとどまり、その程度も大きなものということはできない。
ウ 本件個人情報開示の目的の正当性並びに開示の有用性及び必要性
 本件講演会は、本件大学が江主席に講演を依頼するものであり、また、江主席は国賓として我が国を訪問する中国の元首であって外交上最大級の配慮が必要であることから、本件大学は、本件講演会においては、万が一にも江主席に危害が及ぶようなことや、講演会参加者が江主席に対し非礼な言動に及ぶようなことがあってはならないと考えたこと、また、警視庁、外務省及び中国大使館からも、本件大学に対し、本件講演会の警備を厳重にするようにとの要請がされ、外務省からは、中国から日本に亡命した活動家が一部学生らと共同して騒ぎを引き起こし、ひいては江主席の身の安全を損なうような活動を企てているとの連絡もあったこと、そこで、本件大学は、本件講演会の主催者として、本件講演会の運営、警備について、外務省、警視庁及び中国大使館と密接に協議を行い、警備能力が不足する部分は、警視庁等の警察機関の警備にゆだねることとしたこと、この警備担当の警視庁から、本件講演会における江主席の警備、警護に万全を期するためとして、本件講演会参加予定者の名簿を警視庁に提出するよう求められたこと、そこで、本件大学は、江主席の警備、警護に万全を期するために、この要請を受け入れ、本件名簿を警視庁に提出したことは、前記1の(2)で認定したとおりである。また、江主席に危害が及ぶようなことや、非礼な言動がされるようなことがあってはならないことは、控訴人らを含む本件講演会参加者も十分に理解していたものと推認される。
 そうすると、本件大学が本件個人情報を警視庁に開示した目的は、本件講演会において江主席の警備、警護に万全を期し、その安全を確保することにあったものと認められ、この開示の目的が社会通念上正当なものであったことは多言を要しない。
 また、上記目的のため、警視庁によって本件名簿が具体的にどのように使用されたかについては確たる主張立証がされていないが、本件名簿を提出するに至る事実関係からすれば、警察機関が保有する要注意人物のリストに載っている者が本件参加申込者の中にいるかどうかを事前にチェックし、これに応じた警備活動を行おうとしたものと推認される。そうすると、本件個人情報を警視庁に開示したことは、江主席の警備、警護に万全を期し、その安全を確保しようとする開示の目的に照らして有用かつ必要であったものと認められる。
 この点について、控訴人らは、本件名簿の具体的な利用方法が明らかにされていない以上、江主席の警備、警護の目的というだけでは抽象的すぎるから、本件個人情報開示の目的の正当性並びに開示の有用性及び必要性は明らかになっていないとの主張をする。しかし、上記程度の本件名簿の利用方法が推認されれば、本件個人情報の開示の目的が正当なものであり、その開示が有用かつ必要であったことは、十分に判断することができるから、控訴人らの上記の主張は採用することができない。
 また、控訴人らは、本件大学及び警視庁は、事前に学生証などにより参加者の身元を確認し、本件講演会当日も会場入口において金属探知器による兇器類の検査を行い、バッグ等の持込みを禁止した上で、警察官や警備員多数による会場内外の警備をしたのであるから、本件講演会における江主席の安全を確保するためには、それ以上に本件講演会の参加希望者全員の個人情報を得る必要はなかったはずであるとの主張をする。しかし、江主席は最上級の外国要人であり、その安全確保は、単に講演依頼者としての本件大学が責任を負うだけのものではなく、我が国外交上の最優先事項でもあるから、警察機関がその万全を期することは当然のことであり、控訴人ら主張の厳重な警備活動が行われたからといって、本件名簿提出の有用性や必要性が失われるものでないことはいうまでもないところである。したがって、控訴人らの上記主張も採用することができない。
エ 開示の方法及び態様
 前記1の(5)で認定したとおり、本件大学は、本件大学の学生に対する参加募集受付終了後の同年11月25日ないし26日ころ、控訴人らを含む参加申込みをした学生約1400人分の氏名、学籍番号、住所及び電話番号が記載された本件名簿の写しを、本件大学招待者、同教職員及びプレス関係者の参加者名簿の写しと共に、警視庁に交付したのである。したがって、本件個人情報の開示は、警察機関が江主席の警備、警護に万全を期し、その安全を確保するという開示の目的に沿った方法及び態様でされたものと認められ、また、本件個人情報が上記開示の目的以外の目的に利用されたと疑うべき根拠は存しない。
オ 本件個人情報の収集の目的と開示の目的との間の関連性の有無及び程度
 前記1の事実関係からすれば、本件個人情報の収集の目的は、本件大学が本件講演会の参加者を特定し、これを把握することにあったものと認められるが、本件個人情報の開示の目的は、警察機関が江主席の警備、警護に万全を期するということにあったものであり、本件個人情報の収集の目的と開示の目的とは異なるものであったことが認められる。しかし、いずれも本件講演会を混乱なく実施するという大本の目的から出ている点では同一であり、その意味では、本件個人情報の収集の目的と開示の目的との間には広い意味での関連性があったものと認められる。
カ 控訴人らの同意を得なかったことがやむを得ないと考えられるような事情の有無
 前記1で認定したとおり、本件大学は、平成10年7月下旬ころ、本件名簿を警視庁に提出することを決め、その前提で、同年11月18日から24日にかけて、本件大学の各学部学生などに対し、本件講演会への参加を募り、本件講演会への参加を申し込んだ学生らに対し、本件名簿に氏名、住所等の記載をさせ、この参加募集受付終了後の同年11月25日ないし26日ころ、参加申込みをした控訴人ら学生約1400人分の氏名、学籍番号、住所及び電話番号が記載された本件名簿の写しを警視庁に交付したのである。また、警視庁が、本件大学に対し、本件名簿を警視庁に提出することを秘匿するよう求めたことはなく、本件大学は、本件講演会の後は、外国要人の講演会を開催する際、参加申込者に対し、参加者名簿を関係機関に提出する場合がある旨を予告しているのである。さらに、本件大学は、個人情報の目的外利用や外部への提供を基本的に禁止する内容の個人情報の保護に関する規則(本件規則)を自ら制定し、これに基づいて本件大学が集積した個人情報の管理を行っていたが、本件名簿の提出は、この規則に違反して行われているのである。
 上記の事実関係によると、本件大学は、個人情報保護の必要性に関する十分な認識を有するばかりでなく、その保護のための手続である本件規則を自ら制定していたのであるが、本件講演会参加希望者に対し本件名簿を警視庁に提出することをあらかじめ告知しようとすれば、時間的にも、提出先である警視庁との関係からも、何の支障もなく、また、これを行うことも容易であったにもかかわらず、あえて控訴人らにあらかじめ告知してその同意を得ようとはしなかったのであり、これは本件規則に違反するものである。
 したがって、本件大学が本件個人情報の開示について控訴人らの同意を得なかったことは、ひとえに本件大学の手抜かりによるもので配慮に欠けるものであったといわざるを得ず、同意を得ないことがやむを得ないと考えられるような事情があったということはできない。
(3) 以上によれば、本件個人情報は、基本的には個人の識別などのための単純な情報であって、思想信条、前科前歴、資産内容、病歴、学業成績、家族関係等のプライバシー情報と比較すれば、他人に知られたくないと感ずる度合いが低いものであり、控訴人らが本件個人情報の開示により被った不利益は、現実的、具体的なものではなく、控訴人らの自己に関する情報の開示について自ら決定する利益が侵害されたという観念的、抽象的なものであるにとどまる。また、本件個人情報の開示は、本件講演会において江主席の警備、警護に万全を期し、その安全を確保するという正当な目的のためにされ、これを開示することは上記目的に照らして有用かつ必要なものであり、その開示方法及び態様もこの目的に沿ったものである。さらに、本件個人情報の収集の目的とその開示の目的との間には広い意味での関連性もあったのである。そうすると、これらの事情を考慮するのみであれば、一般人の感受性を基準として判断する場合に、控訴人らの同意がなくても、これが社会通念上許容されるものと評価することもできないではない。
 しかし、本件大学は、個人情報保護の必要性に関する十分な認識を有するばかりでなく、その保護のための手続である本件規則を自ら制定することまでしており、かつ、本件個人情報開示の告知をするのに何らの支障もなく、これを行うことも容易であったのに、本件規則に違反して、あえて控訴人らにあらかじめ告知してその同意を得ようとはしなかったのであって、これはひとえに本件大学の手抜かりによるもので配慮に欠けるものであったといわざるを得ず、同意を得ないことがやむを得ないと考えられるような事情があったということはできないのである。
 そうすると、このような本件大学の配慮に欠けた手抜かりによって控訴人らのプライバシーの権利の侵害が引き起こされた点を考慮すると、上記のように本件個人情報の開示には目的の正当性その他それ相応の理由があったことを考慮しても、本件名簿の提出による本件個人情報の開示が社会通念上全面的に許容されるものであると考えることは困難であり、本件個人情報の開示については、その違法性は阻却されないものと判断するのが相当である。
 この点について、被控訴人は、本件個人情報は、正当な目的に基づき、その目的に必要な範囲に限って第三者に開示され、本件個人情報を保護する利益より本件個人情報を開示することにより保護しようとする利益の方がはるかに大きく、この開示によって控訴人らに具体的な不利益を及ぼさなかったのであるから、控訴人らの同意がなくても、この開示行為が違法となることはないとの主張をする。しかし、プライバシーの権利には、自己に関する情報の開示について自ら決定する利益も含まれるものであるから、プライバシーの権利を侵害する行為の違法性阻却の判断については、その個人の同意を得なかったことがやむを得ないと考えられるような事情があったのかどうかという点を軽視することはできないのである。したがって、この点の考察を欠いた被控訴人の主張は、採用することができない。
 なお、控訴人らの引用する最高裁判所大法廷昭和44年12月24日判決(刑集23巻12号1625頁)は本件とは事案を異にするが、上記の説示はその趣旨とするところにも沿うものであると考えられる。
4 控訴人らの主張するプライバシー以外の利益の侵害について
(1) 学問の自由が侵害されたか
 控訴人らは、本件名簿の提出により、警視庁に本件講演会に参加する意向であることを知られることになり、学問の自由を侵害されたとの主張をする。
 しかし、学問の自由とは、学問研究の自由、その結果の発表の自由及び教授の自由をその内容とするものと解されるところであり、警視庁が控訴人らの本件講演会に参加する意向を知ることになっても、控訴人らの上記のような学問の自由が制約されることになるとは考えられない。
 したがって、控訴人らの上記主張は採用することができない。
(2) 思想信条の自由が侵害されたか
 控訴人らは、本件名簿の提出により、警視庁に本件講演会に参加する意向であることを知られることになり、思想信条の自由を侵害されたとの主張をする。
 思想信条の自由は、個人がいかなる思想信条を有するとしてもそれが内心の領域にとどまる限りは絶対的に自由であること、そして、自己がいかなる思想信条を抱いているかについて沈黙する自由が保障されることをその内容とするものと解されるが、控訴人らの主張は、必ずしも明確ではないものの、本件名簿の提出によって、控訴人らの思想信条が警察機関に推知されることとなり、思想信条について沈黙する自由が侵害された旨を主張するように思われる。
 しかし、本件講演会は、本件大学の学生に対する教育活動の一環として開催されたものであり、全学生に参加が呼び掛けられ、本件大学の学生であること以外には参加資格に何らの制限も設けられていないのであるから、本件講演会に参加することが、例えば特定の団体に加入している事実、学生運動に参加している事実等のように、その者の思想信条を推知することができる事実であるとはいえない。そうすると、本件名簿の提出によって、控訴人らが本件講演会に参加する意向であることを警察機関が知ったとしても、それによって控訴人らの思想信条が警察機関によって推知されたということにはならず、思想信条について沈黙する自由が侵害されたということはできない。
 したがって、控訴人らの上記主張も採用することができない。
5 控訴人らの損害額について
 上記3で説示したとおり、本件大学が本件個人情報が記載された本件名簿を控訴人らの同意がないにもかかわらず警視庁に提出した行為は、違法性が阻却されない以上、控訴人らのプライバシーの権利を侵害する不法行為であったというべきであり、本件大学を設置する被控訴人には、控訴人らが被った精神的損害を賠償すべき義務がある。
 そこで控訴人らの被った精神的損害の程度について検討すると、上記3の(3)で説示したとおり、本件個人情報の開示が違法と判断されたのは、これについて控訴人らの同意を得なかったことにやむを得ないと考えられるような事情が認められないからであって、本件個人情報を開示すること自体には、目的の正当性その他それ相応の理由があったのである。そうすると、本件大学が行った本件個人情報の開示が違法であることが本件訴訟において認められるならば、控訴人らの被った精神的損害のほとんどは回復されるものと考えられ、控訴人らの本訴提起の目的も、金銭による賠償を求めるというより、むしろ、本件大学による本件個人情報の開示が違法であることの確認を求めるという意味が大きいものとうかがわれる。
 上記のような事情を考慮すれば、控訴人らの精神的損害を回復させるためには、被控訴人に対し、いわゆる名目的な損害賠償として慰謝料各1万円の支払を命ずることで足りるものというべきであり、また、弁護士費用の請求には理由がないものというべきである。
第4 結論
 以上によれば、被控訴人には、控訴人らに対し、それぞれ慰謝料1万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である平成11年12月26日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があることとなるから、控訴人らの本訴請求は、この限度において認容すべきであり、その余は理由がないからこれを棄却すべきである。
 よって、原判決は一部失当であるから、上記の判断に従ってこれを変更することとし、訴訟費用の負担につき民訴法67条2項、64条本文を適用して、主文のとおり判決する。なお、仮執行宣言については、相当でないからこれを付さないこととする。

東京高等裁判所第15民事部
 裁判長裁判官 近藤崇晴
 裁判官 宇田川基
 裁判官 加藤正男


個人情報の保護に関する規則(抄)
(目的)
第1条 早稲田大学(以下「大学」という。)は、個人情報の保護が人格の尊厳に由来する基本的要請であることを深く認識し、この規則によって、大学が保有する個人情報の取扱いに関する基本事項を定め、もって個人情報の収集、管理および利用に関する大学の責務を明らかにするとともに、個人情報の主体である学生、教職員等に、自己に関する個人情報の開示ならびに訂正および削除の請求権を保障することによって、大学における人権保障に資することを目的とする(1条)。
(用語の定義)
第2条 この規則において、「学生、教職員等」とは、現在および過去の学生、生徒、教職員ならびに大学の業務に直接かかわりがあり、またはかかわりがあったその他の者をいう。
2 この規則において「個人情報」とは、学生、教職員等について特定の個人が識別され、または識別され得るもののうち、大学が業務上取得または作成した情報(機械処理以外のものも含む。)をいう。
(個人情報の収集制限)
第5条 箇所長は、個人情報を収集するときは、利用目的を明確にし、その目的達成に必要な最小限度の範囲で収集しなければならない。ただし、思想、信条および宗教に関する個人情報は、いかなる理由があろうともこれを収集してはならない。
〈注〉箇所長とは、本件大学の各学部、本部等のそれぞれの責任者をいう。
2 箇所長は、個人情報を収集するときは、適正かつ公正な手段により、次の各号のいずれかに該当するときを除き、直接本人から収集しなければならない。
一 本人の同意があるとき。
二 個人情報保護委員会が業務遂行上、正当な理由があると認めたとき。
(個人情報の利用制限)
第7条 箇所長は、個人情報を収集された目的以外のために利用または提供してはならない。ただし、次の各号のいずれかに該当するときは、この限りでない。
一 本人の同意があるとき。
二 法令の定めがあるとき。
三 その他個人情報保護委員会が正当と認めたとき。
2 個人情報にかかわる機械処理は、収集目的の達成に必要な処理のみが行えるよう機能を限定しなければならない。
(収集の届出)
第9条 大学の業務遂行上、新たに個人情報を収集するときは、箇所長は、あらかじめ次の事項を個人情報保護委員会に届け出て、承認を得なければならない。
一 個人情報の名称
二 個人情報の利用目的
三 個人情報の収集の対象者
四 個人情報の収集方法
五 個人情報の記録項目
六 個人情報の記録の形態
七 その他個人情報保護委員会が必要と認めた事項
(自己に関する個人情報の開示)
第12条 学生、教職員等は、自己に関する個人情報の開示を請求することができる。
2 開示の請求があったときは、箇所長はこれを開示しなければならない。ただし、その個人情報が、個人の選考、評価、判定、診療その他に関するものであって、本人に知らせないことが明らかに正当であると認められるときは、その個人情報の全部または一部を開示しないことができる。
3 個人情報の全部または一部を開示しないときは、その理由を文書により本人に通知しなければならない。
4 第1項に規定する請求は、箇所長に対し、本人であることを明らかにして、次に掲げる事項を記録した文書を提出することにより行う。
一 所属及び氏名
二 個人情報の名称及び記録項目
三 請求の理由
四 その他個人情報保護委員会が必要と認めた事項
(自己に関する個人情報の訂正または削除)
第13条 学生、教職員等は、自己に関する個人情報の記録に誤りがあると認めたときは、前条第4項に定める手続に準じて、箇所長に対し、その訂正または削除を請求することができる(13条1項)。
2 箇所長は、前項の規定による請求を受けたときは、すみやかに調査のうえ、必要な措置を講じ、結果を本人に通知しなければならない。ただし、訂正または削除に応じないときは、その理由を文書により本人に通知しなければならない。

OECDガイドライン
1 個人データの収集には、制限を設けるべきであり、いかなる個人データも、適法かつ公正な手段によって、かつ、適当な場合には、データ主体に知らしめ又は同意を得た上で、収集されるべきである(収集制限の原則)。
2 個人データは、その利用目的に沿ったものであるべきであり、かつ、利用目的に必要な範囲内で正確、完全であり最新なものに保たれなければならない(データの正確性の原則)。
3 個人データの収集目的は、収集時よりも遅くない時点において明確化されなければならず、その後のデータの利用は、当該収集目的の達成又は当該収集目的に矛盾しないで、かつ、目的の変更ごとに明確化された他の目的の達成に限定されるべきである(目的明確化の原則)。
4 個人データは、前条により明確化された目的以外の目的のために開示利用その他の使用に供されるべきではないが、(1)データ主体の同意がある場合、(2)法律の規定による場合はこの限りではない(利用制限の原則)。
5 個人データは、その紛失又は不当なアクセス・破壊・使用・修正・開示等の危険に対し、合理的な安全保護措置により保護されなければならない(安全保護の原則)。
6 個人データに係る開発、運用及び政策については、一般的に公開の政策がとられなければならない。個人データの存在、性質及びその主要な利用目的とともにデータ管理者の識別、通常の住所をはっきりさせるための手段が容易に利用できなければならない(公開の原則)。
7 個人は、次の権利を有する(個人参加の原則)。
(1) データ管理者が自己に関するデータを有しているか否かについて、データ管理者又はその他の者から確認を得ること。
(2) 自己に関するデータを、合理的な期間内に、もし必要なら過度にならない費用で、合理的な方法で、かつ、自己にわかりやすい形で、自己に知らしめられること。
(3) 上記(1)、(2)の要求が拒否された場合には、その理由が与えられること及びそのような拒否に対して異議申立てができること。
(4) 自己に関するデータに対して異議を申し立てることができること、及びその異議が認められた場合には、そのデータを消去、修正、完全化、補正させること。
8 データ管理者は、上記の諸原則を実施するための措置に従う責任を有する(責任の原則)。
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