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【事件名】著名SF評論家の名誉毀損事件
【年月日】平成13年12月25日
 東京地裁 平成10年(ワ)第1182号 謝罪広告等請求事件

判決
原告 Aこと A”
同訴訟代理人弁護士 梓澤和幸
同 鬼頭栄美子
同 大八木葉子
被告 B
被告 株式会社メディアワークス
被告 株式会社主婦の友社
被告ら訴訟代理人弁護士 伊藤真


主文
1 被告B及び被告株式会社メディアワークスは、原告に対し、連帯して金330万円及びこれに対する平成9年11月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告株式会社主婦の友社は、原告に対し、被告B及び被告株式会社メディアワークスと連帯して金110万円及びこれに対する平成9年11月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被告Bは同人のホームページのトップページに、被告メディアワークスは同社のホームページ(http://www.mediaworks.co.jp/alt/)のトップページに、それぞれ別紙1記載の謝罪文を投稿して、これを1か月間掲載せよ。
4 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
5 訴訟費用は、これを2分し、その1を原告の、その余を被告らの負担とする。
6 この判決は、第1項及び第2項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由
第1 請求
1 被告らは連帯して、原告に対し、金3300万円及びこれに対する平成9年11月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告らは連帯して、朝日新聞社、毎日新聞社、読売新聞社、日本経済新聞社発行の全国紙に別紙2の謝罪広告目録記載の謝罪広告を掲載せよ。
3 被告Bは同人のホームページに、被告メディアワークスは同社のホームページ(http://www.mediaworks.co.jp/alt/)に、被告主婦の友社は同社のホームページ(http://www.shufunotomo.co.jp/)に、それぞれ別紙2の謝罪広告目録記載の謝罪文を投稿して6か月間掲載せよ。(それぞれのトップ頁)
第2 事案の概要
本件は、「A」のペンネームで「聖母エヴァンゲリオン」を執筆した原告が、「オルタカルチャー日本版」という書籍(以下「本件書籍」という。)の中の記事によって名誉を毀損されたとして、その記事を書いた被告B(以下「被告B」という。)、これを編集、発行した被告株式会社メディアワークス(以下「被告メディアワークス」という。)、これを発売した被告株式会社主婦の友社(以下「被告主婦の友社」という。)に対して、損害賠償とともに、主要全国紙上に謝罪広告を掲載することや、それぞれのホームページにおいて謝罪文を掲載することを求めている事案である。
1 争いのない事実等
 以下の事実は、当事者間に争いがないか、証拠によって容易に認定できる事実である。
(1) 原告は、「A」のペンネームで、フェミニズム評論、SF小説評論の分野において、執筆、講演、講義、対談、座談会等を行い、日本経済新聞及び共同通信社の書評委員を委嘱され、日本翻訳大賞思想部門及び日本SF大賞を受賞している評論家である。原告は、19世紀のアメリカ文学などの研究者であるCと結婚しているが、結婚後も、執筆活動においては旧姓である「A」をペンネームとして使用しており、平成9年には、大ヒットしたアニメーション「新世紀エヴァンゲリオン」の批評を内容とする著書「聖母エヴァンゲリオン」を執筆し、出版した。
(2)ア 被告Bは、野村総合研究所において地域開発関連の調査研究に従事する一方で、外国著作の翻訳や文芸評論等を行っている者であり、本件書籍において別紙3の「Aおよびそれを泡沫とするニューアカ残党似非アカデミズム」の項(以下「本件項目1」という。)及び別紙4の「SF」の項(以下「本件項目2」という。)を執筆した。
イ 被告メディアワークスは、書籍、雑誌の企画、編集及び販売等を目的として平成4年に設立された会社であり、本件書籍を編集、発行した。
ウ 被告主婦の友社は、雑誌、書籍の編集、発行及び販売等を目的とする大手出版社であり、被告メディアワークスの委託を受けて本件書籍を全国に発売した。
(3) 被告Bは本件項目1及び2(両者を併せて単に「本件項目」という。)の執筆時に、被告メディアワークスは本件書籍の発行時に、それぞれ「A」がCのペンネームではなく、原告のペンネームであることを認識していた。
(4) 本件書籍は、平成9年10月15日に発売され(本件書籍の奥書では同年11月5日初版発行)、その内容は、平成9年11月3日からインターネットにも掲載された(以下「インターネット版」という。)が、このインターネット版では、本件項目1は掲載されず、本件項目2のうち「Aという男の『聖母エヴァンゲリオン』で」との部分(本件記載部分3)は、「という男」を削除して「Aの『聖母エヴァンゲリオン』で」と訂正して掲載された。
2 争点及び当事者の主張
(1) 争点1(本件項目の違法性)
ア 名誉毀損の成否
(原告の主張)
(ア) 被告Bは、本件項目1の中で、「そもそもAがCのペンネームなのは周知で、ペンネームを使うなら少しは書き方を変えればよさそうなもんだが、そのセンスのなさといい(名前が似ているとか年代が同じとか、くだらない偶然の一致を深読みしようとしても何も出てこないとか)、引用まみれで人を煙にまこうとする文の下手さといい、まったく同じなのが情けないんだが、まあこれはこの種の現実から遊離した似非アカデミズムに共通した傾向である」(本件記載部分1)とか、「Aには(というかCには)そんな能力はない」(本件記載部分2)などと記載したほか、本件項目2の中では、「今出ているSFマガジンの書評欄で評者どもが一様にほめているのがAという男の『聖母エヴァンゲリオン』で」(本件記載部分3)と記載したことによって、以下の事実を摘示した(Cについては黙示の摘示である)。
@ Aというペンネームは原告に帰属しているものではなく、Cに帰属しているものである。CはAというペンネームを使って書いているが、その書き方は、Cという実名を使って書いているときと全く同じである。
A Aというペンネームで書かれた著書はCが書いたものである。
B Aというペンネームの著者は男性である。
C 原告は、Aというペンネームで発表された著作物を書いていない。
 被告Bは、上記@、A、Cの事実を摘示したことにより、一般の読者に対して、原告が「聖母エヴァンゲリオン」を含む広範な執筆活動はもとより、講演、講義、対談、座談会等の社会的活動を行っていないという印象を与え、原告の社会的評価を低下させた。
 また、被告Bが上記Bの事実を摘示したことにより、女性の視点でSFについてフェミニズム評論を書き、評価の対象とされてきた原告の社会的評価を低下させたことは明白である。このような摘示の方法は、女性蔑視的な男性評者によって女性に対して頻繁になされる名誉毀損行為の普遍的手法(主体の否定)である。すなわち、社会一般に存在する「女性には知的で論理的、大胆で冒険的、あるいは、幅広く人間ないし社会の真実への洞察を備えた物は書けない、そのようなものは男性が書けるにすぎない」という女性に対する差別と偏見から、女性が書いたのではなく、その夫や他の男が書いたとする事実摘示は信用されやすく、このような手法によってもたらされた社会的評価の低下を正すことは困難である。加えて、夫婦で同一もしくは類似の職業についている場合や、評論のように伝統的に男性の仕事とされる分野に女性が進出した場合は、上記のような事実摘示はより信用されやすい。
(イ) また、本件項目2の中の、「どっかの借り物の理論を寄せ集めて、それに別のできあいの作品をこじつけていくだけの、我田引水のエレガンスも鋭さもない鈍重な書物ではないか」との記載(本件記載部分4)は、それが被告らの意見表明であるとの主張を前提としても、名誉毀損に該当する。一般的に、意見や批評が名誉毀損に該当しないためには、それが公共の利害に関する事実で、かつ、もっぱら公益を図る目的でなされ、その意見や批評の前提となっている事実が重要な部分において真実であって、意見や批評としての限界を逸脱するもの(人身攻撃など)ではないことが必要であるが、被告Bの言説は、この要件を充足しない。
(ウ) 被告らは、本件記載部分1ないし3は、「A」の文章とCの文章が類似しているという被告Bの認識を強調するためのレトリックであると主張しているが、本件書籍には、「本書は90年代の非本流文化のリファレンスブックであり、インターネットを利用する日本で初めてのハイパーテキストブックです。」と記載され、読者は各項目を独立して読む構成となっており、各項目は署名原稿の形になっていないなど、辞書、事典的性格を有する本であるから、読者は書かれている内容を真実と受け止めるであろうことが高度に予測される書籍である。
 また、本件書籍はSFに詳しい層に限定されず、広く一般大衆を対象とする書籍であるところ、一般の読者が本件記載部分1ないし3をレトリックと読むことは不可能である。Cと原告が別個に存在することを知っている読者であっても、Cが妻の旧姓をペンネームとして使用して著作を発表したと誤解することは十分に生じる余地がある。
 よって、本件記載部分は、到底レトリックと読めるものではない。
(被告らの主張)
(ア) 原告は、原告の主張にもあるように、「A」の名前で上記1(1)のような幅広い活躍をして、マスメディアにも登場し、女性評論家として社会的に知られている著名人の一人であり、本件項目の主な読者層であるSF関係者やSFファンは、Aが女性であることを知っているから、「A」が男性であるCのペンネームであると誤解することはない。
 本件項目1の構成は、AとCを取り上げたうえ、両者の書き方が同じであり、「これはこの種の現実から遊離した似非アカデミズムに共通した傾向」であるとしてこれを批判するものである。この構成の中で、本件記載部分1ないし3は、Aの文章とCの文章との共通性を強調するためのレトリックとして書かれたものであり、AがCのペンネームであるとか、Aは男であるとの事実を摘示したものではないし、読者に対して、原告が「聖母エヴァンゲリオン」を執筆していないとか、講演、講義、対談、座談会等の社会的活動を行っていないという印象を与えて、原告の名誉を毀損しようとしたものではない。
 そもそも、本件書籍自体、客観的な解説と国語的な厳密な表現(字句通りの真実さ)に終始している辞典ではなく、本件項目以外にも極端な誇張やレトリックを用いた項目は多数存在する。しかも、本件項目の論述全体の体裁や本件項目1の項目名、冒頭の替え歌などを見ても、通常の表現とは明確に異なった表現がなされており、読者には本件記載部分がレトリックであることが明瞭に伝わる。
 仮に、本件項目を読んで直ちにレトリックと理解できなかった読者(原告やCの経歴に関してある程度の知識がない者など)がいたとしても、本件項目1の末尾には、日本SF作家クラブのホームページのURL(アドレス)が記載されており、このホームページを見れば簡単に原告やCのプロフィールを確認することができ、レトリックであることが理解できるようになっているし、原告自身の幅広い活躍によって自ずとレトリックであることが理解されるに至るはずであるから、本件のようなレトリックの手法は、著名人の著作に対する論評の手法として社会的に許容されるべきものである。
(イ) ちなみに、本件記載部分4は、原告の著作物に対する被告の評価であり、原告の名誉を毀損するものではない。公表した著作物の社会的評価の問題と著作者自身の社会的評価の問題とは区別して論じなければならない。原告は、多数の評論を公表している評論家であり、被告Bの評価・論評に対して反論しようとすればこれを行える立場にあるから、原告自身で対抗言論により反論すれば足りることである。いわゆる「対抗言論」の考え方からすれば、対抗言論によって名誉の回復を図ることが可能であるならば国家が救済のために介入する必要はなく、当事者の自由な言論に委ねておくべき事柄である。
(ウ) 原告らは、被告Bが、伝統的に社会の一部に存在する女にものは書けないという考え方を利用し、「女性である原告は書いていない」と指摘したと主張するが、被告Bは、本件項目を女性であることに着目して書いたものではないし、本件項目のいずれにも「女性であるから書けない」旨の記述や指摘はない。そもそも、一般的な女性差別などのイデオロギー問題を訴訟として位置づけること自体が誤りである。
イ 氏名権の侵害
(原告の主張)
 原告は、「A」という結婚前の戸籍上の氏名を、結婚後も、仕事上でも私生活上でも継続して使用しており、原告にとって「A」という氏名はペンネームの域を越え、まさに己の人格を表象する、人格と密接不可分な名称であり、氏名権として保護に値するものである。
 本件は、原告のこの氏名権が侵害された事例といえる。
(被告の主張)
 氏名権が法的保護に値すること及びペンネームが氏名権の概念の中に入りうることは原告主張のとおりであるが、本件は、原告の氏名権を侵害した事案ではない。
 氏名権の概念は多義的であるが、パブリシティの権利や名誉権と区別される狭義の氏名権は、例えば旧姓の使用を禁止されるとか、漢字表記される外国人の氏名を日本語読みで異なって発音する場合など、個人の人格と一体となった「氏名」そのものを保護する権利であるが、本件ではこのような意味での原告の氏名権は侵害されていない。
ウ パブリシティの権利の侵害
(原告の主張)
 原告は、第15回SF大賞受賞者(女性では初受賞)であり、平成8年度には東京外国語大学非常勤講師を務め、現在は日本経済新聞社及び共同通信社の委嘱を受けて書評欄を担当している。その他、多くの著作、講演活動、雑誌での対談、鼎談などで明らかなように、いわゆる著名人である。よって、「A」という名称は、著名人としての財産的価値を有する名称であり、この名称は原告の排他的利用下にある。著名人である原告の氏名は、それ自体、財産的価値を持っており、パブリシティの権利として保護されているところ、本件は、これを著しく侵害したものである。
(被告の主張)
 パブリシティの権利は、商品の宣伝広告などに利用される財産的価値(顧客吸引力)をコントロールする権利であり、本件は原告の顧客吸引力を用いた事案ではないから、パブリシティの権利は問題にならない。
(2) 争点2(各被告の責任原因)
(原告の主張)
ア 被告B
 被告Bは、原告の名誉を毀損する本件項目の著者であるから、不法行為責任を負う。
イ 被告メディアワークス
 被告メディアワークスは、本件書籍の実質的な編集に関与した発行者として、不法行為責任を負う。
 被告メディアワークスは、当然レトリックとして読まれるであろうと考えて被告Bの表現を尊重したと主張するが、上記争点1についての原告の主張(ウ)において主張したとおり、本件書籍は事典的性格を有し、かつ、広く一般大衆を対象とする書籍であり、編集のプロである被告メディアワークスはこの点について十分に認識すべきであったから、本件記載部分1ないし3がレトリックとして読まれるものではないことを認識すべきであった。仮にこれを認識できなかったとしても、原告から抗議があった時点で、これを認識して適切な処置をとるべきであった。
ウ 被告主婦の友社
(ア) 本件書籍を発売したことによる責任
 被告主婦の友社と被告メディアワークス間の契約書(乙24号証)には、「甲(主婦の友社)は、本件出版物が公序良俗、業界の倫理綱領に反するものと判断した場合には、その出版物の仕入れを拒絶することができる。」(14条1項)、「乙(メディアワークス社)は、前項における甲の処置に対し、何らの請求をしないことはもちろん、これにつき一切異議苦情を申し立てないものとする。」(同条2項)との条項がある。そして、出版倫理綱領(甲33号証)には、「われわれは、出版物の品位を保つことに努め、低俗な興味に迎合して文化水準の向上を妨げるような出版は行わない。」(2項)、「われわれは、真実を正確に伝えるとともに、個人の名誉は常にこれを尊重する。」(4項)とあり、書籍の内容が他人の名誉を毀損しないか、その内容を検討することが予定されている。
 また、被告主婦の友社が営利企業である以上、売上見込みの検討のため、加えて、有名出版社としての信頼を保つため、出版物の内容を検討するはずである。
 よって、被告主婦の友社が、編集者、発行者とは別個独立に、出版物の内容について検討、判断を行ったことは明らかであり、名誉毀損文書を発売したこと自体が不法行為を構成する。
 被告主婦の友社は、書籍の発売元としては書籍の保管、取次業者への引渡、在庫管理を行っていたにすぎず、内容についてのチェックは行っていないし、実際に行うことも不可能であると主張する。しかし、事前に名誉毀損に該当するか否かを含めて書籍の内容について検討することは当然の事理であり、これをもって表現の自由に対する抑圧効果を有するとはいえない。
(イ) 指摘後、適切な処置を怠ったことによる責任
 被告主婦の友社は、本件書籍の発売元として、記載内容に誤りや不適切な部分が存することを指摘された場合には、条理上、その確認を行い適切な処置を講ずる義務がある。
 原告は、被告主婦の友社に対し、平成9年10月29日に本件書籍中に原告の名誉を侵害する記載があることを指摘して抗議の通知書を送付し、同年11月28日にも同様の抗議の通知書を送付したから、主婦の友社は、同年10月ないし11月ころには、原告から指摘された箇所について確認し、相当期間内に適切な処置を講ずる条理上の義務があることは明らかである。そして、上記の相当期間は、指摘された箇所につき確認を行い、張替えまたは注の挟込み等の処置を行うに必要な期間をいうと解すべきであり、最大でも10日間程度と解すべきである。仮に、被告主婦の友社が被告メディアワークスに確認及び適切な処置を講ずることを委ねたとしても、被告主婦の友社としては、被告メディアワークスが適切な処置を行っているか否かを確認し、適切な処置をとっていない場合には自ら上記義務を尽くすべきである。
 にもかかわらず、被告主婦の友社は、故意・過失により、上記作為義務を尽くさなかったことで、原告に損害を生じさせたのであり、不法行為責任を負う。
(被告の主張)
ア 被告B
 争う。
 本件記載部分1ないし3は、AとCとが別個の人格であることは社会的に周知のこととした上で、Aの文章とCの文章が類似しているという認識を強調するためのレトリックとして記載したものであり、原告の名誉を侵害しようとしてなされたものではない。
イ 被告メディアワークス
 争う。
 仮に、本件記載部分1ないし4が原告の名誉を毀損するものであったとしても、被告メディアワークスの責任を肯定するためには、以下の点を検討する必要がある。すなわち、書籍の発行元である出版社には、著作者の表現の自由を尊重して、その表現活動を保護し支援していく責務が存在するから、原則として著作者の意思を尊重しなければならないという立場がある。したがって、発行元の出版社は、社会的に到底是認し得ないような表現が存在しないように注意する責任はあるものの、書籍の記載内容に対する第一義的な判断権と責任は、著作者にあり、発行元の出版社にはない。本件において、著作者の被告Bは、AとCとが別個の人格であることは社会的に周知のこととした上で、レトリックとして本件記載部分1ないし3のような表現をしたのであり、被告メディアワークスにおいても、AとCとが別個の人格であることを知っていたので、読者がそのようなレトリックとして理解することができ、社会的に到底是認しえない表現とは考えていなかったので、被告メディアワークスに責任はないし、もちろん原告に対する悪意もない。
 また、被告メディアワークスは、原告の申し入れを受けて原告と誠実に話し合いを行い、和解が困難な見通しとなった段階では、自主的に在庫書籍の本件項目について張替えによる修正処置をとり、平成10年1月初旬より改訂版を書店へ発送し、返本されてきた未訂正の旧版は廃棄処分にするなど誠実に対応している。
 したがって、被告メディアワークスに責任はない。仮に、被告メディアワークスに何らかの責任があるとしても、被告メディアワークスの行為が悪質であるとする原告の主張は誤りである。
ウ 被告主婦の友社
(ア) 本件書籍を発売した責任について
 被告主婦の友社は、書籍の製作にかかわる業務ではなく、書籍の発売元として書籍の保管、取次業者への引渡し、在庫管理など書籍の流通にかかわる業務を行っていたにすぎず、本件書籍の内容については全く関与しておらず、その当否をチェックすることは不可能である。
 原告が主張する被告主婦の友社と被告メディアワークスとの契約書第14条は、猥褻その他公序良俗に反する書籍や名誉毀損や著作権侵害の事実が明白な書籍を取り扱うこと自体が発売元として反社会的な行為となるため、そのような場合には発売元がその取扱いを拒否できることを定めたものであって、一般的に発売元が別個独立に書籍の内容に関与することを規定したものではない。
 仮に、被告主婦の友社のような書籍の流通業者が別個独立に書籍の内容に関与しなければならないとすれば、流通業者は、無用な紛争に巻き込まれることを回避するため、問題になりそうな書籍の取扱いを拒否することになるが、そのようことになれば書籍の発行自体を事実上困難にすることになり、表現の自由に対して事実上極めて強い抑圧効果を生じることになる。したがって、いわゆる流通業者の責任が生じるのは、当該書籍が一見して公序良俗や業界倫理に反することが明らかな場合に限られるべきである。本件においては、日本SF大賞を受賞するなどして社会的にも名前が知られている原告に関する論評の中の特定部分の記述が読者にレトリックとして理解されるか否かの問題であり、一見して公序良俗や業界倫理に反することが明らかな場合とは言えない。
(イ) 指摘後、適切な処置を怠った責任について
 表現物による名誉毀損などの問題は、本来、表現者と被害者との間において解決されるべきであり、憲法の保障する表現の自由を尊重するためには、当該表現をそのまま伝達するにとどまる流通業者に軽々と責任を認めるべきではない。流通業者に責任が発生するのは、被害者において表現者との間だけで解決することが困難で、他に適切な救済の方法がなく、かつ、加害行為が甚だしく悪質で被害の程度も甚大であることなどが一見して明白な場合に限定されるべきである。流通に関与しただけの発売元といえども、違法な内容について認識した後は常に責任を免れないとする原告の主張は誤りである。
 本件では、被告メディアワークスが、原告と迅速かつ誠実に交渉を続け、自主的に在庫分を張り替えて修正し、重版分も同様に修正して、それを被告主婦の友社に逐一報告していた。これについて原告側から被告主婦の友社に対して特段の異議もなかった。
 また、本件書籍は多数の執筆者が分担執筆した550項目からなる事典であり、配本中止は他の項目の執筆者の表現の自由を阻害し重大な結果をもたらすことから、1人の執筆者の手になる単行本とは異なる慎重な対応が求められる。書籍などによる名誉毀損の問題が発生した場合、一般には話し合いによって重版以降における訂正と相当の謝罪金の支払いによって解決される場合も存するから、本件においてもそのような解決を模索することは何ら問題になるものではないのであって、被告主婦の友社が被告メディアワークスとは別に原告と交渉を行ったり、独立した処置をしなければならない事情は全く存在せず、被告主婦の友社の対応は相当であるから、何らの不法行為責任も負うものではない。
(3) 争点3 損害及び名誉回復措置の内容
ア 損害額について
(原告の主張)
 原告は、女性として初めてSF大賞を受賞するなど著名なプロの文筆家として活躍し、大きな社会的評価を得ていたところ、これまで主張してきた被告らの名誉毀損行為や不法行為によって、その社会的名誉や信用を毀損され、多大な経済的、精神的損害を被った。しかも、本件においては、以下のような事情があり、これに被告らの行為の悪質さや誠意のなさ、侮辱的言動などを考慮すると、原告が被った経済的、精神的損害を慰謝するには、少なくとも3000万円が相当である。
(ア) 本件書籍は、一般の雑誌とは異なり折に触れて調べられる事典的性格を有する書籍で類書のないものである。本件書籍の配本部数は初版で2万3000部と多く、しかも、インターネット版も出て事後の伝播もなされている上、その読者層が原告の作品の読者層と重なっているので、本件項目によって生じる原告の損害は甚大なものである。
(イ) 原告は、Cとは全く別個の研究と執筆により現在の名声を獲得してきたのに、本件項目により、独自の存在であることについて編集者などのメディア業界関係者と読者に疑問を呈され、他人の作品をあたかも自己の作品のように偽る人物であると編集者や読者に誤信され、女性のフェミニズム評論家としての評価に大きな傷をつけられた。その結果、女性としての視点での執筆活動や公演等をすることが困難になり、印税や講演料などの収入が減少することが確実である。しかも、被告らへの対応や、本件訴訟の遂行に必要な様々な調査等のために多大な時間と手間を費やしており、その経済的損害もはかりしれない。
(ウ) また、原告のような文筆を職業とする者が創造者としての社会的地位を喪失することは、その存在が否定されるのと同様であり、これによって被る精神的苦痛や、Cの作品をあたかも自己の作品であるかのように装って読者を騙すような人物であると社会的に認識されてしまうことによる精神的損害は、はかりしれない。
(エ) 本件では、「女性である原告が書いたのではなく、男性であるCが書いた。」という事実が摘示されているが、社会一般に女性への差別と偏見が存在するため、一般人がこのような摘示を信用する可能性が高く、これを正すことは極めて困難である。そして、このような女性差別の視点からの攻撃(テクスチャル・ハラスメント)を受けたことにより、原告の経済的、精神的な損害が増加している。
(オ) 被告Bは、本件項目の執筆当時、「A」が原告のペンネームであることを知っていて、これらを読んで誤解する者が出ることを認識しつつ、専ら興味本位でこれらを執筆した。また、本件項目1の冒頭でAというペンネームで書かれている文章がいつも同じで、レイプされている(差別されているの意味か)という結論に終始していると非難している。また、被告Bは、単なる冗談やレトリックと読む余地が一切ないほど攻撃的かつ断定的に、Aが男性だと言い切って原告に罵倒を浴びせ、その文筆家としての評価を傷つけようとしており、悪意に満ちている。
 さらに、被告Bは、原告から抗議を受けた後も何ら反省することなく原告を侮辱する表現を重ね、本件書籍のホームページにおいて「お詫びとご報告」と題して謝罪の形式を取りながら、原告が「聖母エヴァンゲリオン」書いていないことを根拠づけるかのような表現をしたり、インターネットの掲示板上において本件項目を掲載することを放置し、これらをリンクさせる等した。これらは原告の損害を拡大させると同時に、被告Bの悪意、害意を裏付けるものである。 
 また、被告メディアワークスは、「A」が原告のペンネームであることを知りながら、本件書籍を編集、発行したうえ、原告の抗議後も本件書籍のホームページにおいて被告Bと連名で「お詫びとご報告」を掲載しており、原告に対する悪意、害意があることは明白である。
 このように、被告Bと被告メディアワークスの行為は、原告に対する悪意に満ちたものであるから、制裁的に相当高額の慰謝料の認定がなされてしかるべきである。仮に、制裁的慰謝料を直ちに採用できないとしても、これらの被告らの悪性を慰謝料算定の重要な要素として考慮すべきである。
(カ) 原告と原告代理人は、本件訴訟の依頼に際して、日本弁護士連合会が定める報酬規定に基づき、原告が原告代理人らに対して合計金300万円の報酬を支払うことを合意した。
(被告の主張)
(ア) 損害額について
 被告Bは、多くの読者がAとCとが別個の人格であることを承知しているか、承知しうるものであることを前提として、原告とCの文章の共通性を強調するためのレトリックとして執筆したものであり、本件書籍の売上げに寄与するため原告に対する悪意や害意をもって本件項目を執筆したものではない。仮に、これをレトリックと理解しなかった者がいるとしても、原告やCのプロフィールを簡単に確認できるよう、本件項目1の末尾に日本SF作家クラブの正式なホームページのURL(アドレス)を記載した。しかも、本件書籍の実販売部数は差替版も含めて合計1万1000部程度で、もともと通読を意図したものではなく、各人の必要や興味に応じて項目別に引く事典であり、本件記載部分が本件書籍の広告に使用された事実ないから、実際に本件項目に接した読者は本件書籍購入者の一部にすぎない。
 原告は、被告Bが原告からの抗議後も反省することなく原告を侮辱する表現を続けたと主張するが、被告らは、原告と和解交渉を行いつつ、自主的に本件書籍の発売を一時中止して本件項目の差替えを行い、オルタカルチャーのホームページや雑誌「WIRED」において、AとCとが別人であることを明示するなど、原告らのいう誤解が伝播しないように防止処置を取っているのであって、このような原告の主張は、原告の著作に対する論評、批判と名誉毀損の問題とを混同するものであり、誤りである。
 よって、本件は、原告が主張するような懲罰的損害賠償を命ずべき事案ではない。
(イ) 弁護士費用について
 被告らは、本件訴訟が提起される前にも原告と話合いの機会を持ち、原告に対し、謝罪とともに一定額の慰謝料を支払うことを告げたが、原告が主要全国紙上での謝罪と極めて高額な賠償金の支払に固執したため、和解には至らなかったものである。しかも、被告らは、和解が困難となった時点で、自主的に上記のような本件項目の差替えやホームページでの訂正などをしており、本件訴訟の必要もなかったのである。このように、原告が裁判前の和解交渉を拒否し、あえて高額の賠償金を求めて提訴した本件訴訟においては、原告主張の弁護士費用は本件名誉毀損行為と相当因果関係がない。
イ 新聞、インターネット上における名誉回復措置
(原告の主張)
(ア) 本件書籍の内容はオルタカルチャーのホームページに掲載されたが、このホームページでは、本件項目1全部と、本件記載部分4のうち「という男」という部分が掲載されなかったのに、その説明が全くなされていない。
(イ) 原告が執筆した「聖母エヴァンゲリオン」はすでに発行部数が8万部を超え、読者は全国に及んでおり、本件項目による影響は甚大であるから、本件では、主要全国紙上での謝罪広告も必要である。
(ウ) 被告らは、原告の社会的評価はすでに回復されたと主張しているが、本件訴訟提起の新聞報道後も、編集者が本件記載部分1ないし4を信じていたなど、本件訴訟提起のみでは原告の名誉は回復されていない。
(被告らの主張)
(ア) 本件書籍の読者は、SFファンなどに限定されており、これらの読者は当然、「A」は原告のペンネームであることを知っているし、知らなかった者がいたとしても、すでに原告主張のインターネットや雑誌WIREDによって事実を知るに至っているはずである。
(イ) 原告は、本件訴訟提起とともに記者会見を行い、その結果、原告が謝罪広告の掲載を求めている主要全国紙を含む新聞紙上において提訴の事実や内容が報道されたから、Aこと原告とCとが別個独立の人格であることは、すでに明確に知られるに至っている。
(ウ) 被告B及び被告メディアワークスは、原告が主張する被告メディアワークス運営のインターネット上のホームページにおいて、原告の主張を踏まえて事実関係を説明するとともに、「A氏とC氏が別個の独立した人格であること」を明確にして謝罪の意も表明している。したがって、これ以上、謝罪広告を掲載する必要はない。
第3 当裁判所の判断
1 争点1(本件項目の違法性)について
(1) 名誉毀損の成否
ア 名誉毀損の基準
 まず、本件記載部分が原告の名誉を毀損するものかどうかであるが、被告らはレトリツクであると主張しているので、その成否は、本件記載部分がレトリックとして許容される範囲内のものか否かにかかることになる。 ところで、レトリックという技法は、あるものを他の何か別のものに喩えて表現しようとするものであるから、読者がそのレトリックをどのように理解するかは、まさにその読者の有している前提知識の質と量とに左右されることとなる。したがって、レトリックとしてなされた表現が名誉毀損に当たるか否かは、どのような読者を基準に考えるかで結論を異にする可能性がある。
 この点で、被告らは、本件書籍は項目別に読まれる事典のようなものであって、本件項目の読者層はSF関係者やSFファンで、AやCの人物や経歴についてある程度の知識を有し、AとCとが別人であることを知っているから、本件記載部分を読んでAがCであると誤解することはなく、それがレトリックであることを理解すると主張しているのに対して、原告は、本件項目の読者層はSF関係者やSFファンに限られないし、仮にSF関係者やSFファンであっても、当然にAとCとが別人であることを知っているわけではないから、本件記載部分によって「A」がCのペンネームであると誤解する可能性が高いと主張しているので、始めにこの点について検討する。
イ 本件書籍の読者層
 甲1号証の3及び乙2号証によれば、本件書籍は90年代の非本流文化(オルタカルチャー)全般についてキーワードごとに解説した書籍であることが、Dの陳述書(乙56号証)によれば、本件書籍の初版配本数は2万3000部であることが、そして、乙3ないし6号証によれば、朝日新聞社発行の週刊誌「アエラ」など複数の一般の雑誌の書評で本件書籍が取り上げられ、アメリカで出版され一躍ベストセラーになった「オルタカルチャー」の日本版であり、「言葉だけは聞いてたけど、結局それって何なの?」な事柄の網羅ぶりは、本書のタイトルを裏切っていないなどとの好意的なコメントが掲載されていたことが、認められる。このような事実に照らし考えると、本件書籍の読者層の中にSF関係者やSFファンが多く含まれることが予定されていたとしても、必ずしもそのような者だけに限られていたわけではなく、実際にも最先端の幅広い情報を提供する書籍として広く社会的な注目を集めていたことが認められるから、本件書籍に掲載された本件記載部分による名誉毀損の成否については、「A」やCについてある程度の知識を有する可能性が高いSF関係者やSFファンを基準としてではなく、必ずしもそのような知識のない一般の読者を基準として、検討されるべきである。
ウ 本件記載部分1ないし3が摘示した事実
(ア) 本件記載部分1は、「そもそもAがCのペンネームなのは周知で」という記載で始まるが、まず、「A」は、原告のペンネームであって、Cのペンネームではない。それにもかかわらず、ここでは、「そもそも……周知」であると断定的な言葉で表現され、「A」という名称が「Cのペンネーム」であるとの事実が摘示されているから、これを読んだ一般の読者は、「A」という名称は「Cのペンネーム」であると誤って理解してしまう蓋然性が高いと考えられる。
 もっとも、これに続く記載部分(ペンネームを使うなら・・・似非アカデミズムに共通した傾向ではある)は、A(原告の表現を使えば、「Aのペンネームを使用しているC」)の著作がセンスがない、文が下手だというもので、「A」の著作に対する被告Bの感想、意見という部分であり、表現に毒を含むものではあるが、事実を摘示して名誉を毀損するというものではない。
(イ) 次に、本件記載部分2では、「Aには(というかCには)そんな能力はない。」と記載されているが、この記載は、「A」というペンネームで執筆活動をしているのはCであるとの事実を摘示しつつ、そのCにはそんな能力はないと断定して論じているものである。しかしながら、「A」は原告であるA”のペンネームで、Cのペンネームではなく、AとCとは別人であるから、このような記載は、一般の読者に対し、原告の存在を否定して、AはCであるとの誤った理解を与えるものである。
(ウ) さらに、本件記載部分3では、「今出ているSFマガジンの書評欄で評者どもが一様にほめているのがAという男の『聖母エヴァンゲリオン』で」と記載されており、「聖母エヴァンゲリオン」を執筆し出版した「A」は「男」であると論じている。もちろん、原告は女性であるから、この記載部分は、「聖母エヴァンゲリオン」を執筆し出版したのは原告ではない、と言ったのと同じであるが、それだけではなく、この「Aという男の『聖母エヴァンゲリオン』」という部分はゴシック体で印刷されていて、参照すべき別項目が存在することが示されている。そして、その別項目に本件記載部分1及び2が記載されているから、結局、本件書籍の本件記載部分1ないし3は、「A」は男性であるCのペンネームで、話題の「聖母エヴァンゲリオン」を執筆し出版したのはCであるとの事実を摘示していることになる。
(エ) これに対して、被告らは、本件記載部分は、原告が主張するような事実を摘示したものではなく、原告であるAの文章と、その夫であるCの文章とが類似しているという、被告Bの認識を強調するためになされたレトリックであり、そのことは、本件書籍自体が客観的な解説と国語的に厳密な表現を示す辞書ではないことや、本件項目以外にも極端な誇張やレトリックを用いた項目が多数存在することや、本件項目1の項目名や冒頭の替え歌など通常の表現とは明確に異なった表現がなされていることなどから明かであるとか、原告は著名人であるうえ、本件項目1の末尾にURL(アドレス)が記載された日本SF作家クラブのホームページを見れば容易に原告やCのプロフィールを確認することができるから、一般の読者が上記のような誤解をすることはないと主張している。
 しかし、たとえば、本件項目2の他の部分には、「今は亡き(比喩的に)小松左京も立派だった。」と記述されている部分があり、ここでは、わざわざ「(比喩的に)」と書き込まれていて、レトリックであることが明記されているのに対して、本件記載部分では、このようなレトリックであることを示す記述はなにもなされていない。また、本件項目1の項目名や冒頭の替え歌などAを揶揄しからかっている内容になっていることは認められるものの、ここから本件記載部分がレトリックだと理解するのは困難である。しかも、本件項目の読者が当然に被告らの主張する上記のホームページを見て原告とCとが別人であることを確認するという保証は何もない。したがって、被告らの上記の主張は到底採用することができない。
エ 本件記載部分4について
 本件記載部分4は、原告の主張にもあるように、「どっかの借り物の理論を寄せ集めて、それに別のできあいの作品をこじつけていくだけの、我田引水のエレガンスも鋭さもない鈍重な書物ではないか」と記載されている。このような辛辣な表現で言葉の端はしに敵意さえ感じられる記述が本件書籍のような事典的な書物における事項解説として適切なものか否か、疑問を呈する者も少なくないであろうが、内容的には「聖母エヴァンゲリオン」に対する被告Bの否定的は評価を表わしたものと認められ、ギリギリのところで言論の自由によって保護されるべき範囲内にとどまっているものと考えられるから、名誉毀損に当たるものとまでは言えないというべきである(原告自身、第一線で活躍する評論家であるから、いわゆる対抗言論によって自らの正当性を擁護すべきである。)。
オ 原告の社会的評価の低下
 上記認定のとおり、本件記載部分1ないし3は、直接には、原告が「A」のペンネームで「聖母エヴァンゲリオン」を執筆し出版したことを否定するものであるが、それにとどまらず、「A」はCであると摘示することによって、間接には、これまで「A」のペンネームで、フェミニズム評論やSF小説評論を執筆し、日本翻訳大賞思想部門や日本SF大賞を受賞するなど、講義、講演、対談、座談会等を含め幅広い活躍をしている原告の社会的評価を全面的に否定するに等しいものであり、その余の点を論ずるまでもなく、原告の名誉感情を著しく傷つけるものである。
カ 原告の氏名権、パブリシティの権利との関係
 被告Bは、本件記載部分において、「A」というペンネームはCのペンネームであり、「聖母エヴァンゲリオン」を執筆し出版したのはCという男であると記述したもので、このような記述は、上記のとおり、原告の名誉を毀損するものであるが、原告の氏名そのものを誤って記載したとか、使用が禁止されている原告の氏名を無断で使用したというものではないから、氏名権の侵害ということはできない。また、本件では、原告の氏名等が有する財産的価値を被告らが勝手に利用して経済的利益を得たなどという事案でもないから、パブリシティの権利は未だ侵害されていないというべきである。
2 争点2(各被告の責任原因)について
(1) 被告Bの責任
 前記争点1に対する判断で認定、説示したとおり、被告Bは、「A」が原告のペンネームで、「聖母エヴァンゲリオン」を執筆し出版したのは原告であることを知りつつ、安易にレトリックとして本件のような記載も許されると考えて、本件記載部分において、「A」はCであり、「聖母エヴァンゲリオン」を執筆し出版したのはCという男であるとの誤った記事を執筆し、原告の名誉を毀損したのであるから、同人が原告に対して不法行為責任を負うべきは当然である。
(2) 被告メディアワークスの責任
 被告メディアワークスが本件書籍の編集、発行にあたったこと及び被告メディアワークスが本件書籍の発行時に「A」が原告のペンネームで、「聖母エヴァンゲリオン」を執筆し出版したのは原告であることを知っていたことは、当事者間に争いがない。しかし、被告メディアワークスは、編集発行者として著作者の表現の自由を尊重すべきであると考え、被告Bの表現を尊重したと主張する。
 しかし、著作物の編集発行者は、最終的には自己の責任と判断で当該著作物を出版するのであるから、著作物の内容に第三者の名誉を侵害するような記載があることを知った場合には、著者に訂正を求めたり、著者がその訂正に応じない場合には当該著作物の出版を見あわせるなどして、第三者の名誉を不当に侵害することがないように注意し配慮する義務があるというべきである。
 本件において、被告メディアワークスは、本件書籍の編集時点で既に、本件記載部分1ないし3が原告の名誉を毀損する可能性が極めて高いことを認識していたと認められるところ、被告メディアワークスは、編集発行者としての上記のような義務を尽くすことを怠り、漫然とレトリックとして許されると考えて本件書籍を出版したものであるから、被告Bと同様に不法行為責任を免れることはできない。
(3) 被告株式会社主婦の友社の責任
ア 発売責任
 本件書籍は、被告メディアワークスが企画、立案して編集し、被告主婦の友社は、被告メディアワークスの依頼を受けて、本件書籍の発売を担当したことは当事者間に争いがない。
 ところで、原告は、被告主婦の友社と被告メディアワークスとが本件書籍の発売について契約書(乙24号証)を取り交わしていて、その第14条1項では、「主婦の友社は、出版物が公序良俗、業界の倫理綱領に反するものと判断した場合には、その出版物の仕入れを拒否することができる。」と定められ、同条2項では、被告メディアワークスは、この取扱いに異議苦情を一切申し立てないと定められていることや、出版倫理綱領(甲33号証)が、その2項で、出版物の品位を保ち、低俗な興味に迎合して文化水準の向上を妨げるような出版を行わないことを定め、4項で、真実を正確に伝えるとともに、個人の名誉は常にこれを尊重すると定めていることなどから、被告主婦の友社は、編集発行者とは別個独自の観点から本件書籍の内容に関与すべきであり、原告の名誉を毀損する本件書籍を発売したこと自体で原告に対する不法行為を構成すると主張している。
 しかし、被告主婦の友社が被告メディアワークスとの間で取り交わした上記契約は、上記の文言からも明かなとおり、被告メディアワークスとの関係で被告主婦の友社が公序良俗に違反する書籍などの取扱いを拒否できることを定めたものに過ぎず、この契約から直ちに、被告主婦の友社が第三者に対してその名誉を毀損する書籍の販売を差し止めなければならない法的義務を負うものと理解することはできない。また、上記の出版倫理綱領は、そもそも規定の内容も抽象的であり、その名称にあるとおり、各出版社の自主的な倫理規範を定めたもので、各出版社に対して法的義務を課すものではない。
 また、本件は、書籍の編集発行を担当する出版者とその発売を担当する出版者とが異なる場合であり、一般的にいえば、このような場合に両者がどのような責任を分担しているのかは事案により異なるのであろうが、甲45号証や甲46号証によれば、被告主婦の友社と被告メディアワークスの関係においては、書籍の企画、立案、編集、紙の手配、印刷所への委託、校正、製本までを被告メディアワークスが担当し、被告主婦の友社は、発売元として書籍の保管、取次業者への引渡し、在庫管理など書籍の流通部分を担当し、編集発行には実質的に関与していないことが認められる。このような場合において、発売元たる出版社に対して、販売する書籍の内容について事前に第三者の名誉を毀損する部分があるかないかを確認しなければならないとすることは、実質的に不可能をしいるのと同様であり、書籍の出版に対して著しい萎縮効果をもたらすことが懸念されるから、このような場合には、発売元にすぎない出版社は、書籍の内容全部について事前に第三者の名誉を毀損する部分があるかないかを確認しなければならない法的義務はないというべきである。ただ、このような場合にも、書籍の内容が一見して明らかに第三者の名誉を毀損するものであるときや、発売元が何らかの事情から当該書籍が第三者の名誉を毀損するものであることを認識していたときには、発売元にすぎないとしても、当該第三者に対する不法行為責任を免れないことはいうまでもない。
 本件においては、これまでに認定説示してきたところから明かなように、本件書籍は、オルタカルチャー(90年代の非本流文化)について550もの多数の項目について説明などを加えた事典的な書物であり、編集に関与していない被告主婦の友社がその内容を逐一確認するのは到底不可能であるばかりでなく、本件記載部分はレトリックか名誉毀損かという微妙な問題の事案であって、一見して明らかに原告の名誉を毀損するものとまでは認められないものである。しかも、被告主婦の友社が本件書籍の発売時に本件記載部分が真実に反するものであることを知っていたと認めるに足る証拠もないから、被告主婦の友社は、本件書籍の発売そのものについては、原告に対して不法行為責任を負うことはないというべきである。
イ 抗議後、適切な処置を怠った責任
(ア) しかしながら、発売元にすぎない場合であっても、第三者から書籍の記載内容に誤りや不適切な部分が存在することを指摘されたときの責任については、別途検討することが必要である。
 仮に、書籍の発売だけを担当した出版社であっても、当該書籍を流通においた以上、これによって不当に他人の権利を侵害することがないように注意し配慮する責任があるのは当然のことであるから、第三者から、当該書籍の記載内容に誤りや不適切な部分が存在し、第三者の名誉を毀損するとの指摘を受けた場合には、速やかにそのような侵害の事実の有無を確認し、事実と判明した場合には、直ちに著者や編集担当の出版者などと協議して、被害の重大性や明白性などを勘案した上、名誉毀損による被害の拡大を防止するために必要な措置や、既に発生した被害を回復するために必要な措置を検討し、そのような措置をとるのに相当と認められる期間内に必要とされる措置を講じるべき法的義務があるというべきである。
(イ) そこで、被告主婦の友社が、いつ、どのようにして本件の名誉毀損を知り、どのような対処をしたのかについて検討する。
 甲2、3、20、21号証、甲37号証の1及び4、甲47、49号証、乙2、41、49、56、61号証、さらに原告本人尋問の結果によれば、以下の各事実が認められる。
a 平成9年10月17日、本件項目を読んだ原告は、本件記載部分は事実ではなく原告の名誉を侵害するものであると考え、「聖母エヴァンゲリオン」を出版した訴外株式会社マガジンハウス社(以下「マガジンハウス」という。)編集部の訴外E(以下「E」という。)に対し、その旨を連絡した。
b 連絡をうけたEは、同年10月20日、被告メディアワークス編集部のD(以下「D」という。)に対して、電話で本件書籍の中の本件記載部分は真実ではなく、原告の名誉を毀損するものであると抗議するとともに、被告主婦の友社に対し、マガジンハウス社書籍出版局長名で、本件記載部分が真実ではないことや10日以内に誠意ある対応をするよう求める抗議の通知書を送付した。
c しかし、被告メディアワークスのDは、被告Bが海外出張中で不在なので後日返答すると返事しただけで、被告主婦の友社は、特に何の返答もしなかった。
d その後、被告メディアワークスは、原告に対し、同年11月7日付で、@被告B及び被告メディアワークスはAとCとが別個独立の人格であると承知していること、A被告メディアワークス編集部には本件記載部分によって原告の名誉を毀損しようとする意図はないこと、B本件記載部分は著者である被告Bの独特の表現方法であると理解していること、C執筆者の意向をできる限り尊重するのが被告メディアワークスの立場であること、D一般の読者に誤解を招くおそれがあることは否定できないので、重版以降、本件項目1についてレトリックであることを示す注を掲載するとともに、本件項目2については「という男」の部分を削除し、同様の訂正をインターネット版でも行うことを回答した。一方、被告主婦の友社は、原告との対応を被告メディアワークスに任せて、特に被告主婦の友社として原告に対して何らかの回答をしたりはしなかった。
e この間、被告メディアワークスは同年11月3日からインターネット上において本件書籍のインターネット版を掲載したが、ここでは、本件項目1の全部と本件記載部分3のうち「という男」という部分を削除した上で掲載した。
f 同年11月28日、原告は、被告主婦の友社を含む被告らに対し、@在庫分の流通を止めること、A書店及び図書館にある本件書籍の57頁及び120頁に本件記載部分が事実誤認で「聖母エヴァンゲリオン」は原告が執筆したものである旨を明記した訂正書面を挿入すること、B重版以降につき本件記載部分の表現を修正し真実に合致させること、C朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、東京新聞、日本経済新聞、北海道新聞及び共同通信の配信を受けている新聞の各朝刊や、「SFマガジン」、「アエラ」、「TV Bros」の各誌にAと同旨の訂正と謝罪の広告を掲載することなどを求める通知書を再び送付した。
g 同年12月9日、原告代理人事務所において、原告代理人と被告メディアワークス法務室F、同編集長G及びDとが協議し、被告メディアワークス側から、謝罪の上で重版以降を訂正し謝罪文を掲載するが、新聞、雑誌等への謝罪広告や慰謝料の支払は考えていないことが伝えられ、原告代理人側からは、暫定条件として、@現在の内容のまま重版は行わないこと、A在庫の再出荷を停止すること、B市中在庫は回収すること(どのようなレベルで回収するかは被告メディアワークスに任せる)、などの条件が伝えられた。
h その後、被告メディアワークスから原告に対して、同年12月12日には、@現在の形での重版はしないが、在庫の出荷停止や回収はしないこと、A慰謝料は考えていないが検討することが、同月19日には、B重版では訂正し、謝罪はするが、新聞での謝罪広告はできないこと、C慰謝料は20〜30万円を支払うなどの意向が伝えられた。
i しかし、同年12月22日、原告が被告メディアワークス側に対して、数百万円単位の慰謝料の支払いと主要全国紙上での謝罪広告を求めたため、協議は決裂した。そして、被告B及び被告メディアワークスは、原告代理人からの求めに応じて、同年12月26日、@謝罪文の提出、A慰謝料の支払、B在庫品について本件項目1の項全部と本件項目2の問題箇所を訂正し、当該頁そのものを張り替えること、C重版の際もBと同様の対応をすることなど、それまでの提案を文書で回答した。
j 被告主婦の友社は、原告に対して、同年12月26日付で、同被告は本件書籍の発売元にすぎないので、対応策については被告メディアワークスと協議をしてほしい旨の回答書を送付しただけで、特に同被告としての独自の対応を提案したりすることはなかった。
k なお、本件書籍の出荷状況は、以下のとおりであった。
(a) 平成9年10月の出荷2万3882部(初版2万7000部中)
(b) 平成9年11月の出荷1001部(返品2510部)
(c) 平成9年12月の出荷675部(返品3666部)
(d) 平成10年1月の出荷417部(返品4985部)
(e) 上記期間を含む総出荷数、約2万8000部(総返品約1万7081部)
l 上記のとおり、原告と被告らの間での協議は整わなかったが、被告メディアワークスは、在庫分について、本件項目1全体を削除し、本件項目2を差し替える処置をした上、平成10年2月初旬には本件書籍の配本を一時中止して改訂版を4000部製作し、同月下旬ころから改訂版の書店への発送を開始した。なお、その後、従来の書籍の回収は行われていない。
m 被告B及び被告メディアワークスは、同年2月15日、別紙5「お詫びとご報告」と題する文章(以下「お詫びとご報告」という。)をインターネット版のトップページに掲載した。
(エ) 以上に認定した事実によれば、被告主婦の友社は、平成9年10月20日には、Eから本件記載部分が原告の名誉を毀損するものであるとの連絡を受けていたのであるから、直ちに事実関係を確認して適切な措置をとるべき義務があったというべきである。ただ、被告主婦の友社は、前記認定のとおり、本件書籍の著者ではなく、本件書籍の発売元として流通を担当していただけで、本件書籍の編集にも関与していなかったのであるから、本件記載部分が原告の名誉を侵害するものであるか否かについての第一次的な確認と判断とこれに対する処置とを、編集を担当した被告メディアワークスに委ねたことは、それ自体として相当な措置の1つと考えられ、必ずしも非難されるべきことではない。
 しかしながら、本件においては、上記のとおり、本件書籍は原告に対する名誉毀損が発覚した後の平成9年11月にも約1000部が新たに出荷され、同年12月には約700部弱が新たに出荷されていたにもかかわらず、原告と被告メディアワークス側との交渉は難航し、必ずしもすぐに合意に至る状況ではなく、平成9年11月28日には、原告から被告主婦の友社に対して、再度、被告主婦の友社として善処することを求める要求がなされていたのであって、しかも、この11月28日の時点では、被告主婦の友社としても、本件書籍の中の本件記載部分が真実と異なる記載を含み、原告の名誉を毀損するものであることを十分に知ることができたと考えられるから、ただ被告メディアワークスに対応を委ねてその報告を受けているだけでは十分ではなく、原告に生じた被害の拡大を防止するために発売を担当する被告主婦の友社としてできることを検討し、これを実施すべきであったというべきである。すなわち、被告主婦の友社は、発売元として本件書籍の流通を担当していたのであるから、本件書籍の記載自体を改めたりすることはできないであろうが、別に訂正のお知らせなどを作成して出荷の際に本件書籍に挟み込むなどの方法を採ることによって原告に生じる新たな被害の拡大を容易に防止することはできたはずであるから、原告から再度の対処を求められた平成9年11月28日以降については、そのような措置をとるべき法的義務があったというべきである。したがって、被告主婦の友社は、それ以降、何らの対策もとらずに本件書籍を出荷し続けたことにより、被告B及び被告メディアワークスの原告に対する名誉毀損行為を助長したものということができるから、その範囲において、原告に対して共同不法行為責任を負うというべきである。
3 争点3(損害賠償及び名誉回復措置)について
(1) 損害額
ア 原告が「A」のペンネームで、フェミニズム評論やSF小説評論を執筆し、日本翻訳大賞思想部門や日本SF大賞を受賞するなどして、執筆、講演、講義、対談、座談会など幅広い活躍をしていることや、本件で問題となった「聖エヴァンゲリオン」を執筆し出版したことは、当事者間に争いがない。本件記載部分1ないし3は、結局、このような原告の活躍をすべてCのものであると決めつけて、一般の読者に対して、フェミニズム評論家、SF小説評論家としての原告の存在自体を否定し、その活動や功績を全面的に否定したに等しいものであるから、これによって原告の社会的信用や評価が低下し、原告自身の名誉感情を著しく傷つけたであろうことは、いうまでもないことである。また、Eの証言などによれば、フェミニズム評論やSF小説評論という比較的狭い分野でそのようなことが行われたことにより、原告が執筆する前提で進められていた企画のいくつかが中止のやむなきに至っていることも認められ、本件名誉毀損行為の影響は、有形無形、直接間接に原告の活動に影響しているものと考えられる。
イ さらに、フェミニズム評論の分野においては、他の評論の場合と異なり、執筆者が女性であること自体に意味がある場合もあると考えられ、原告がそのようなフェミニズム評論の分野で活躍している者であることを考慮すると、「A」は女性でなく、男性であると喧伝されることは、原告にとって耐え難い苦痛であると考えられる。
ウ また、甲7、8、54号証によれば、被告Bは、「A」とCの文章が類似しており、2人は夫婦であるとの表現を繰り返しているが、このような行為は、その読者に対して、「A」のペンネームで評論などを執筆しているのは原告ではなく、夫のCではないかとの疑念を生じさせる可能性がないとはいえないもので、本件名誉毀損に関連して述べられる事柄としては、著しく配慮を欠いた不適切な表現で、このようなこと自体、原告の精神的苦痛を増大させるものである。
エ なお、原告は、被告Bは原告の名誉を毀損する害意や女性差別の視点をもって本件項目を執筆したのであるから、これに対しては制裁的慰謝料を課すべきであり、これが否定されるとしても、これらの害意や差別的視点を有することを慰謝料算定の重要な要素として考慮すべきであると主張しているので判断する。
 通常、名誉毀損行為によって生じた損害の賠償は、行為者及び被害者、双方の一切の事情を総合的に斟酌して判断、算定されるものであるから、加害者が積極的に第三者の名誉を侵害する意図の下に名誉毀損行為を行ったことが認められる場合には、このような主観的側面は、当然に損害額の算定に際して考慮されるべき要素となる。現に被告Bが執筆した本件記載部分には原告に対する敵意さえ感じさせるものもあることは、既に認定したとおりである。しかしながら、英米法でみられるような制裁的慰謝料(懲罰的損害賠償)の制度は、我が国における不法行為に基づく損害賠償制度の基本原則と相いれないものと考えられるから(最高裁第2小法廷平成9年7月11日判決・民集51巻6号2576頁)、本件について、被告らに対してこのような制裁的慰謝料(懲罰的損害賠償)を課すべきだとする原告の主張を採用することはできない。
オ 他方において、本件では、本件書籍の販売実数は、本件項目を差し替えた改訂版も加えても約1万1000部程度で、著名な週刊誌のように何十万部にも及ぶものではないこと、内容的には事典的性格を有するといっても、90年代の非本流文化(オルタカルチャー)の解説という時事的で限定的な要素が強い書籍であり、世間一般に広く流布したというものではないこと、また、被告B及び被告メディアワークスは、原告の抗議を受けて比較的に早い時期から事実関係を認め、謝罪の意思を表明し、必ずしも十分なものではないとしても、インターネット上などで訂正の記事を掲載していることなどの事実を認めることができる。
カ 以上の事情を総合して勘案すると、被告らの共同不法行為によってもたらされた原告の精神的苦痛等を償うためには、慰謝料として300万円を認めるのが相当である。
(2) 弁護士費用
 被告らは、本件訴訟前の原告との交渉がまとまらなかったのは原告の請求が過大であったためであり、被告らは一貫して誠実に対応してきているので、そもそも本件訴訟を提起する必要はなかったはずであるなどとして、本件については、原告の請求を認容する場合でも、その弁護士費用を認めるべきではないと主張している。
 確かに、本件については、被告らが主張するような側面が全くなかったわけではないが、これまでに認定、説示したとおり、本件はレトリックか名誉毀損か、それぞれの責任はどこまでかなど、内容的に困難な問題を含むだけではなく、適正な慰謝料の額や名誉回復措置の方法などについても慎重な考慮が必要な事案であり、訴訟提起が不必要であったといえないことは多言を要しないところであるから、弁護士費用の請求そのものを否定するのは相当ではない。そのような事情は、上記の認容すべき弁護士費用額の算定の1つの要素とすれば足りるものと考える。
 上記のところを総合的に考慮して、原告が本件訴訟を遂行するに必要な弁護士費用として被告に負担を命じるべき金額は、前記認容金額の1割である30万円とするが相当である。
(3) 被告らの負担割合
 以上のとおり、本件における損害賠償額は合計330万円となる。
 ところで、これまでに判示したとおり、被告Bと被告メディアワークスは、本件書籍の編集当時から本件記載部分1ないし3の存在を認識していたのであるから、原告の名誉を毀損することのないよう十分配慮すべきであったのにこれを怠って原告に損害を与えたものであり、上記損害賠償額全額について連帯して責任を負うべきものであるが、被告主婦の友社は、本件書籍の発行後に原告から抗議を受けてこれを知り、相当期間内に適切な措置をとらなかった点に責任が認められるから、そのような限定された範囲内で、被告B及び被告メディアワークスと連帯して賠償すべき義務を負うというべきである。そして、これまでに認定した諸事情を総合考慮すると、被告主婦の友社は、110万円の範囲で被告B及び被告メディアワークスと連帯して、原告に対して支払義務を負うと解するのが相当である。
 なお、これに対する遅延損害金について、原告は平成9年11月5日からこれを支払うよう求めているところ、被告Bと被告メディアワークスとは本件書籍の発行について責任を負うべきであるから、本来的には本件書籍の実際の発行日である平成9年10月15日から遅延損害金の支払義務があり、原告の請求は一部請求となっているのに対して、被告主婦の友社については、発行後に適切な措置をとらなかったことによる責任であり、その起算日は平成9年11月28日と考えられるから、それぞれの範囲内で支払を命じることとする。
(4) 名誉回復措置
 本件記載部分1ないし3における事実摘示は、「A」のペンネームで評論活動を行ってきたのはCであるというもので、原告のこれまでの活動を全面的に否定するものであるから、原告の名誉を回復するには、金銭による損害賠償を命じるだけでは必ずしも十分なものとはいえない。
 本件では、本件書籍の出版後間もなく、被告メディアワークスによってインターネットでも訂正後の本件書籍の内容が公表されたが、被告Bのインターネットの掲示板には、第三者が訂正前の本件書籍の内容を投稿してこれを公表したり(甲67号証)、平成9年10月31日には、被告B自身がインターネットの掲示板上で、CとAとは「なんか別人なんだそうで。僕も心底驚いてしまいましたよ。少なくとも、生物学的には別らしいですよ。文章的には同じようなものだけど。」と回答したりしていることが認められ(甲7号証)、さらに、被告B及び被告メディアワークスは、平成10年2月19日には、インターネット上で「お詫びとご報告」(乙2号証)を公表するなどしているが、本件では、このようなインターネット上でのやりとり自体が原告の被害感情を逆なですることにもなっていて、紛争の解決をより複雑困難なものにしたという経緯がある。このように、本件では、インターネットによる言論が相当程度まで影響していることは明らかであり、原告の名誉を回復するには、金銭賠償だけでは十分ではなく、被告B及び被告メディアワークスに対してインターネット上の掲示板において別紙謝罪文を掲載させることが必要かつ適切であるところ、これを1か月間掲載させれば原告の名誉は相当程度回復されるものと考えられるから、その期間の限度で、被告主婦の友社を除いて、インターネット上の掲示板における謝罪をも命じることとする。
 なお、原告は、これに加えて、主要全国紙上での謝罪広告をも求めているが、前記認定のように本件書籍はオルタカルチャーというやや特殊な分野のもので、発行部数も約1万部程度で、必ずしも社会一般的に広く流布したものではないことや、上記のようにインターネットによる謝罪広告でほぼその目的を達することができると考えられることなどから、主要全国紙上での謝罪広告については、これを命じないこととする。
第4 結論
 以上によれば、原告の被告らに対する請求は、被告らに連帯して330万円(ただし、被告主婦の友社については110万円の範囲内)の支払を求めるとともに、被告B及び被告メディアワークスに対して別紙1記載の謝罪文をそれぞれのホームページに1か月間掲載するよう求める限度で理由があるから、この限度で請求を認容し、その余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条、65条1項を、仮執行の宣言につき同法259条1項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第48部
 裁判長裁判官 須藤典明
 裁判官 鳥居俊一
 裁判官 高橋純子


別紙1
謝罪文
 「聖母エヴァンゲリオン」ほかの著者である「A」は、原告A”氏のペンネームであるにもかかわらず、「オルタカルチャー日本版」において、これを原告の夫であるC氏のペンネームであるかのように記載し、A”氏の名誉を毀損したことを謝罪します。

別紙2
謝罪広告目録
<謝罪文>
 私どもは、文芸評論家AことA”氏のペンネームは、男性であるC氏のものであるとの文章を「オルタカルチャー日本版」(1997年11月5日発売)の「A及びそれを泡沫とするニューアカデミズム」の項及び「SF」の項に掲載しましたが、これは、全くの虚偽であり、Aというペンネームは女性であるA様ことA”様のものであることが真実です。
 よって、上記の文章につきまして、訂正し、あわせて、このことによりAことA”様の文筆家としての名誉を著しく傷つけまた関係各社に多大の損害を与えたことにつき心からおわび申し上げます。
 2001年  月  日
 B
 株式会社メディアワークス
 株式会社主婦の友社

<掲載条件(新聞の場合)>
1、掲載ページ 各紙全国版社会面
2、サイズ 幅10センチ、縦2段

<掲載条件(ホームページの場合)
1、それぞれのトップページ

別紙3
[こ−008]
A、およびそれを泡沫とするニューアカ残党似非アカデミズム
こたにまり、およびそれをほうまつとするにゅーあかざんとうえせあかでみずむ

(「山口さんちのつとむくん」のメロディーで:)
 C”さんちのA、
 このごろすこーし変よー
 どーしたのーかーなー?
 日本のコスプレ論じても
 エヴァンゲリオン語っても
 いつも言うこたお・な・じ
 「それはね、レイプされてるのよ!」
 つまんねーなー
 *
 そもそもAがCのペンネームなのは周知で、ペンネームを使うなら少しは書き方を変えればよさそうなものだが、そのセンスのなさといいい(名前が似ているとか年代が同じとか、くらない偶然の一致を深読みしようとして何も出てこないとか)引用まみれで人を煙に巻こうとする文の下手さといい、まったく同じなのが情けないんだが、まあこれはこの種の現実から遊離した似非アカデミニズムに共通した傾向ではある。
 似非アカデミズムというのを説明すると、たとえばフェミニズムはそれなりのパワーを持っていた。それは社会を変えるという意味でのパワーね。だからこれは本物。でも、フエミニズム「批評」なんかに何の力もないのだ。だからこれは似非なの。具体的にいえばだね、もしエバゲ(「エヴァンゲリオン」)を云々したいなら(でも、何が悲しくて?)、そこに西洋文明が隠蔽した二項対立構造が存在していることを指摘したってしょうがないのよ。だってそれは、もし存在するならあらゆるところに存在するはずのものなんですもの。それがエバゲにあってどうだっての?社会はそんなことをしてほしくてあんたらを飼ってるわけじゃないんだ。
 そもそも「二項対立」云々なんて議論の価値は、それが現実の人間たちのありようを整理できるとか、説明できるとかいう部分にしかない。そのための知的枠組みなのだもの。検討するなら、「この理論はここまで現実に適用できます」「こういう条件では適用できません」というのを、定量的にとは言わないまでも、何らかの形で示さないと。さもないと他人のふんどしで相撲の真似ごとをするだけの痴的饒舌にすぎない。
 エバゲを論じたっていいんだ。二項対立でも別にいいや。でも、くだんないのがそのやり方なのよ。二項対立がエバゲにあることを指摘したってダメなの。それがエバゲを通じて、現実にどのようなインパクトを与えてるのか示さないと。またもや具体的に言えばだね、価値があるとすれば、その「二項対立」とやらをどう料理することによって大衆的な人気が生じているのか、という部分の分析なわけ。それをどうすれば移植できるのか、というのを分析しなきゃ。これは現実的に価値と力を持つ分析になる。経済的にも社会的にも。
 たとえば宮台真司が正気に返れば、たぶんこれができる(かれは妙な露出の仕方をして舞い上がっちゃって救いがたくなってるだけで、能力的には優れた部分を多々持つ)。
 でもAには(というかCには)そんな能力はない。たぶん上に書いたようなことなんか考えたこともないだろう。だから無価値なんだけれど、無価値であることにも自覚はないだろうし、価値があるべきだとすら思っていまい。これはつまり、おたく的な閉鎖世界なのね。これは「ユリイカ」とか「現代思想」とかに巣くう「評論家」とか「知識人」とか、気取った小難しい文を書き散らすだけのニューアカくずれの理屈輸入屋すべてに言えること。ちなみにこれは「アカデミズム」とは無縁で、本当のアカデミズムは(少なくとも部分的には)現実に対する力を忘れていない。それを見分けられるようになること。むずかしいけれど、でもこれは大きな課題。

太字表記部分については、「本書の表記について」として「本書に掲載されているタイトル項目は、本文中太字で表記してあります。その項目も参照してください。」との注意書きがある(本件書籍13頁)。


別紙4
[え−007]
SF
sf
 今の小説のジャンル(そしてその派生物である周辺メディア)としてのSF(われわれ)はいくつかの意味でおかわいそうなジャンルである。一つ目には、その歴史的な役割がすでに終わっていること。二つ目には、それにもかかわらず、その事実を自覚せずに見苦しくあがいていること。そして三つ目には、さらにそこであせって、屍肉あさりの似非アカデミズムのケツをなめて、すでにない命を伸ばそうとしているところ。
 SFというジャンルの歴史的な役割とは何か。それはテクノロジーに対する人間の反応を考えることである。だってSFが集合的に、杜会に対して他に(通常の小説などには提供できない)何を提供できるというの?小説としては二流、三流以下の作家でも、その考察さえできればSFでは認められた。20世紀の人類にとって、戦後の日本社会にとって、この考察は重要だったから。そしてSFは、それに応えてきた。H・G・ウェルズはえらかった。今は亡き(比喩的に)小松左京も立派だった。チャぺックは、ヴェルヌは、レムは、ステープルドンは、時代を代表する知識人であり、そして時代の期待に見事に応えたヴィジョンを提出してくれた。かれらの問題提起はいまなおパワーを持っている。
 だが今。現代社会は、もはやSFに技術と人の関わりを考察してもらう必要がないのだ。それはすでに現実に起こっており、社会はそれへの対応で手一杯なのだから。テレビの引き起こした恐るべき帰結は今まさにわれわれを直撃している。ポケベルに携帯にインターネットの影響なんか、まさに現在進行形。今必要なのは、問題提起ではない。もう問題は否応なくわかってしまった。いま社会が欲しいのは、その解決なのだ。
 もちろん、これからも技術は進歩し、新たな人間との関わりも生まれる。が、それを構想できる人間は、もうほとんどいない。生死すらさだかではない最後の語り部R・A・ラファティ。ようやく時代が追いつきつつあるJ・G・バラード。技術的風景を召喚できるウィリアム・ギブスン。大友克洋に宮崎駿に押井守。村上龍の半分。ヴィム・ヴェンダースとティム・バートン、デビッド・クローネンバーグ。その他十指に満たないだろう。小説屋でないほうが多い。それに見てごらん。ウェルズやステープルドンに匹敵する大知識人や思想家が、ここに何人いるね。ウェルズらは、今世紀初頭という激動する時代の科学も技術も社会も思想もすべて把握していた。いまはそんな人間ってぇと、オレくらいか(ウソ)。
 あと残された手は、社会的な逃避を提供し続けることで、これはまあ映画やゲームなんかがやっている。とはいえ、バットマン新作や第五元素などを見ると、既存の枠組みを何度も使い回し、過去の遺物をたくさん寄せ集めているだけ。小説が担ってきた物語構築力なしにこれがいつまで続けられるか、現場の人間は大きな危機感を持っている。
 が、逃避に徹するならまだいい。いま出ているSFマガジンの書評欄で、評者どもが一様にほめているのがAという男の『聖母エヴァンゲリオン』で、「注が多くてセンスがいい」とか「刺激的」とか、何みんなおべんちゃら使ってるんだぁ!あんたら正気?どっかの借り物の理論を寄せ集めて、それに別のできあいの作品をこじつけていくだけの、我田引水のエレガンスも鋭さもない鈍重な書物ではないか。もうそんなことも見えなくなってしまっているのか。ちょっとフェミニズム用語をちりばめるだけで、今の日本のSF業界はひれ伏さなくてはならないと思っているらしい。バカだね。経済学者のポール・クルーグマンは言っている。アカデミズムではやるのは、正しい理論でも有効な理論でもなく、小利口だけれど独創性に欠ける院生どもが、小難しげな論文を量産して抜け目なさをアピールするのに便利な理論なのだ、と。デコンストラクション文芸批評もフェミニズム批評もその典型だ、と。言い得て妙だね。かつてのニューアカデミズムとやらの貧相な末路を、おまえたちはみんな見ているじゃないか。こんなのは昔、SF批評とやらでさんざんやって、結局たかられただけで何も生み出さなかったじゃないか。でも、いまの日本のSFは、それでもそんなものにすらすがらなくてはならない状況なのだろう。
 おそらくあと10年以上、これまでのような形でのSFが再生することはない。インターネット大衆化の黎明期にサイバーパンクが生まれたように、可能性がないわけではない。lTS大量導入で、一時的にSFが再活性化したりするかもしれない。『SFマガジン』も、つぶれはしないだろうが……いやどうだろう、わからない。来世紀にはもうないかもしれない。そして、そうした一時的な狂い咲きを除き、かれらが(われわれが)あと提供できるとしたら、有用性を失った存在がいかに潔く(あるいは見苦しく)消滅してゆくかという、おそらく今後の高齢化社会においてきわめて重要となるであろう組織モデルくらいだが、もちろんこれはSF本来の機能とは離れた別の関心領域となる。

太字表記部分については、「本書の表記について」として「本書に掲載されているタイトル項目は、本文中太字で表記してあります。その項目も参照してください。」との注意書きがある(本件書籍13頁)。


別紙5
お詫びとご報告
 『オルタカルチャー日本版』に掲載した「A、およびそれを泡沫とするニューアカ残党似非アカデミズム」および「SF」の項において、A氏がC氏と同一人物であるかのような表現など、不適切な文章表現があるという指摘を、A氏より受けました。
 そもそも指摘を受けた箇所は
  A氏とC氏が私生活においては夫婦であるが、全く別人物であるにもかかわらず、A氏の文章からは、あたかも両者が同一人格であるかのような、C氏との類似性が感じられる、
 という認識(この認識は、ひとりBだけのものではなく、ある程度広まった認識であるとも考えています)を誇張するため、執筆者・Bがあえて文章上のレトリックとして書いたものです。
 もちろん、Bおよび『オルタカルチャー日本版』編集部は、「A氏とC氏が別人である」ことを承知しており、このことが、広く『オルタカルチャー日本版』の読者諸氏にとっても周知のことであるという前提の基に、指摘を受けた箇所は当然レトリックあるいは諧謔的な表現として読者に理解されるであろうと考えておりました。
 しかしながら、指摘された文章を読んだ読者が「A氏とC氏が同一人物である」と誤解する恐れがあるというA氏の指摘に対し、確かに、その可能性は否定できません。すべての読者があの文章をレトリックと取るとは限らない、というところまで配慮が至らなかったのは私たちの不注意でありました。
 A氏より指摘を受けた時点で、当WEBに掲載していた「A、およびそれを泡沫とするニューアカ残党似非アカデミズム」の項の全文及び「SF」の項の一部を削除し、また『オルタカルチャー日本版』の出荷を停止するなど(現在、指摘を受けた問題箇所を差し替えた改訂版を出荷しています)順次可能な限りの対応策を取りながら、A氏と和解すべく交渉を続けてきました。
 しかし、今般、新聞等で報じられたように、和解条項で合意にいたらず、A氏は損害賠償等を求める提訴を行われ、現在係争中です。
 私たちは、今後も和解を求めて交渉を続けたいと考えていますが、まずは当WEB上において、ご迷惑をおかけしたA氏をはじめとする関係者並びに読者諸氏に対し、お詫び申しあげると共に、これまでの顛末を報告する次第であります。

(株)メディアワークス『オルタカルチャー日本版』編集部
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