判例全文 line
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【事件名】「ポロ」の商標登録事件B(2)
【年月日】平成13年12月20日
 東京高裁 平成12年(行ケ)第40号 商標登録取消決定取消請求事件
 (平成13年9月27日 口頭弁論終結)

判決
原告 ポロ・ビーシーエス株式会社
訴訟代理人弁護士 山本忠雄
同 安部朋美
同 中橋紅美
補佐人弁理士 江原省吾
同 田中秀佳
同 白石吉之
同 城村邦彦
被告 特許庁長官 及川耕造
指定代理人 廣田米男
同 茂木静代
被告補助参加人 ザ ポロ/ローレン カンパニー リミテッド パートナーシップ
訴訟代理人弁護士 松尾眞
同 兼松由理子
同 岩波修
同 上村真一郎
同 西山哲宏
訴訟代理人弁理士 曾我道照
同 黒岩徹夫
同 岡田稔


主文
 特許庁が平成9年異議第90318号事件について平成11年12月13日にした決定を取り消す。
 訴訟費用中参加によって生じたものは被告補助参加人の負担とし、その余は被告の負担とする。

事実及び理由
第1 原告の求めた裁判
 主文第1項同旨の判決。
第2 事案の概要
1 特許庁における手続の経緯
 登録第4015884号商標(本件商標)は次のとおりの構成よりなり、第17類「被服(運動用特殊被服を除く)、布製身回品(他の類に属するものを除く)、寝具類(寝台を除く)」を指定商品として、昭和58年5月11日に登録出願され、平成9年6月20日に設定登録されたものであり、原告が本件商標権者である。本件商標に関しては、補助参加人から登録異議の申立てがあり、平成9年異議第90318号事件として審理され、平成11年12月13日、本件商標の登録を取り消す旨の決定があり、その謄本は同月27日原告に送達された。
 本件商標
2 決定の理由の要点
(1) 登録異議申立ての理由
 補助参加人(登録異議申立人)は、「本件商標は、補助参加人の名称の著名な略称を含むものであるから、商標法第4条第1項第8号に該当する。また、本件商標は、補助参加人がその業務に係る『被服類』の商品に使用し、広く一般に知られている『Polo』の文字と同綴りの欧文字を表してなり、かつ、本件指定商品と上記商品とは同一又は類似するものであるから、本件商標をその指定商品に使用した場合には、商品の出所について混同を生ずるおそれがあるから、同第10号に該当し、さらに、不正の目的をもって使用をするものであるから、同第19号にも該当する。」旨主張し、証拠方法として異議甲第2号証ないし第10号証を提出した。
(2) 登録取消理由の通知
 当審において本件登録異議申立てを審理し、本件商標登録は、次の理由により、商標法第43条の3第2項の規定に基づいて取り消すべきものと認める(商標法第4条第1項第15号の規定に係る部分については、同法第43条の9第1項に基づくものである)として、商標権者(原告)に対し、同法第43条の12に基づき取消理由を通知して、意見を求めた。
 本件商標は、補助参加人が、商品「被服、装身具、香水、眼鏡」等に長年使用し、本件商標の出願前から需要者の間に広く知られている商標「POLO」、「ポロ」(引用商標)と類似するものであり、指定商品「被服(運動用特殊被服を除く)」も前掲使用商品と同一又は類似のものである。また、本件商標は、その指定商品中「布製身回品(他の類に属するものを除く)、寝具類(寝台を除く)」に使用するときは、あたかも補助参加人と何らかの関係を有する者に係る商品であるかのごとく、その商品の出所について混同を生じるおそれがある。
 したがって、本件商標は、商標法第4条第1項第10号及び第15号の規定に違反して登録されたものである。
(3) 原告(商標権者)の意見
 原告は、前掲取消理由の通知に対して、引用商標が本件商標の登録出願時、需要者の間に広く知られていなかったものである旨以下のように意見を述べた。
(3)−1 補助参加人は、原告が所有する登録第1447449号商標、登録第1434359号商標の通常使用権者である。この事実は、昭和62年1月1日締結のライセンス契約書に示すとおりである。
 その後、登録第1434359号商標については、補助参加人により、商標法第4条第1項第8号、第10号及び第15号を理由に、無効審判が提起され、平成7年1月23日付けで審判請求不成立の決定を得て現在に至っている。
 また、補助参加人は、日本進出に当たり、1992年8・9月の「暮らしの手帖」39、58頁掲載の事情があり、「Polo」の適法な使用を求め、異議乙第9号証の1のレターから分かるように昭和56年2月24日、ラルフ・ローレンが西武百貨店を介して、登録第1447449号商標の使用許諾の申入れをしてきた。
 この交渉は、異議乙第9号証の2の1985年(昭和60年)10月25日のレターで分かるように続行し、昭和62年1月1日付けのライセンス契約書の締結で円満に解決し、補助参加人は、以後日本国内で登録第1447449号商標、登録第1434359号商標の登録商標を合法的に使用することが可能になり、契約締結日の昭和62年1月1日以後、補助参加人の「Polo」、「ポロ」が需要者の間で広く知られるようになったものと確信する。
 また、原告は、登録第1447449号商標の登録出願前である昭和43年ころから、登録第1447449号商標を使用しており、例えば昭和45年度の売上げは2.4億円(推定)、昭和51年度は4.3億円(推定)、昭和55年度は、9.8億円であり、現在まで引き続き登録第1447449号商標、登録第1434359号商標を使用している。昭和55年(1980年)10月6日付けの繊研新聞から補助参加人の売上げは、昭和54年度は3億円、昭和55年度は5億円であり、原告の昭和55年度の売上げと比較すると、原告の売上げの方が多いことが分かる。
 さらに、本件商標に対する審査経過をみると、本件商標は、商標法第4条第1項第15号を理由としていったん拒絶されたが、拒絶査定に対する審判請求理由補充書で、本件商標が同第15号に該当しない旨の証拠を示して述べた主張が全面的に認められ、その結果、登録になった権利である。この理由書において、昭和59年10月当時には、いまだRalph Lauren氏及び「Polo」という言葉が「POLO by Ralph Lauren」の略称であり、それが「著名」であるとはみなされていなかった旨主張し、この主張が全面的に認められ、本件商標は登録になっている。
(3)−2 異議甲第2号証は、ライセンス契約締結日(昭和62年1月1日)の以後である1988年(昭和63年)の新聞記事である。この新聞記事からライセンス契約締結により商標「POLO」、「ポロ」の合法的な使用が可能になったので、日本国における本格的使用を計画していることがうかがえ、商標「POLO」、「ポロ」が需要者の間に広く知られるようになったのはこの時期以後であることが推察される。
 異議甲第3号証の1,2,3は、商標「POLO」、「ポロ」が、取引者、需要者間で周知、著名になった時期の認定がバラバラで一定しておらず、本件の資料になり得ない。
 異議甲第4号証は、補助参加人の商品カタログであり、この商品カタログには、本件商標と同一の 「POLO」、「ポロ」のみの使用事実はどこにもない。使用商標は、どれも「POLO 図形 Ralph Lauren」又は「」と「by RALPH LAUREN」との結合商標の使用であり、しかもアメリカ用のカタログであって、日本国内での使用を示すものではない。
 異議甲第5号証及び第6号証、第7号証は、いずれも本件商標と同一の「POLO」、「ポロ」の使用事実はなく、どれも「POLO 図形 Ralph Lauren」、「」と「by RALPH LAUREN」との結合商標である。なお、異議甲第5号証の197頁、第6号証の12頁,209頁、第7号証の209頁の「ポロ」の使用は、商標としての使用ではない。
 異議甲第4号証、第5号証、第6号証及び第7号証の使用事実から、補助参加人は商標 「POLO」、「ポロ」の単独使用は避け、「POLO 図形 Ralph Lauren」、「」と「by RALPH LAUREN」「Polo by RALPH LAUREN」の結合商標の使用に統一されていることがうかがえる。
 異議甲第8号証及び第9号証、特に異議甲第8号証において、引用商標がラルフ・ローレンのデザインに係る被服類及び眼鏡製品を表す標章であるとする認識が広く需要者及び取引関係者の間で確立した日を「我が国において、遅くとも本件商標の登録出願がされた昭和59年までには既に…」と認定されている。「昭和59年まで」との認定には、昭和58年までも、昭和57年までも、昭和56年までも、昭和55年までも含まれ、仮にこの認定日「昭和59年まで」を認めるとしても、認定日は、きわめて不確定であり、本件に適用するには無理がある。
 異議甲第10号証は、昭和64年の新聞記事で本件の証拠資料には不適である。
(3)−3 以上のように、本件商標は、商標法第4条第1項第10号及び第15号の規定に違反して登録されたものではなく、本件商標権の登録は維持されるべきものである。
(4) 決定の判断
 原告は、引用商標が本件商標の登録出願時、需要者の間に広く知られていなかったものである旨主張している。
 しかしながら、異議甲第5号証は昭和53年、第6号証は昭和55年、第7号証は昭和56年のいずれも本件商標の登録出願前において発行された雑誌であり、それぞれの発行以前に我が国でとりわけ需要者に人気の高いいわゆるブランドものを収録、掲載した雑誌と認められるところ、これらの雑誌の中に既に引用商標及びラルフ・ローレンのデザインに係る被服等が掲載又は紹介されているところである。そして、異議甲第3号証の1によれば、これらの事実から本件商標と同時期の商標登録出願に係る登録異議決定において同趣旨の認定をしているところである。
 これに対して、原告は、補助参加人が我が国において合法的に使用開始した昭和62年1月1日以後に需要者の間に広く知られたと主張するが、ラルフ・ローレンのデザインに係る被服等は、我が国においては、既に、本件商標の登録出願時より数年前の昭和52年ころより販売されていた事実が認められるのであり(株式会社洋品界(昭和55年4月15日)発行「月刊『アパレルファッション店』別冊、1980年版『海外ファッション・ブランド総覧』122頁ほか、株式会社アパレルファッション(昭和57年1月10日)発行「月刊アパレルファッション」2月号別冊「海外ファッション・ブランド総覧」25頁ほか)、これらの使用実績が異議甲第5号証、第6号証及び第7号証に反映したものと認められる。また、異議甲各号証の中には、本件商標の登録出願後の発行等に係る証拠も存在するが、その記載内容は登録出願前における実情の把握にも参酌し得るものと認められる。
 してみれば、引用商標は、本件商標の登録出願時には、ラルフ・ローレンのデザインに係る被服等を表示するものとして取引者、需要者の間に広く知られていたものというべきである。
 なお、原告は、補助参加人との昭和55年度の売上げを比較して主張するところがあるが、この点については詳細が不明で比較することができない。
 また、原告は、異議甲第5号証ないし第7号証について、補助参加人が引用商標「POLO」、「ポロ」と同一の商標を使用していない旨主張する。
 しかしながら、異議甲第6号証においては「POLO」、「ポロ」が使用され、また、「Polo 図形 Ralph Lauren」、「Polo by Ralph Lauren」、「馬の絵」、「」と「by Ralph Lauren」として「POLO」、「Polo」を中心とする結合商標が広範囲に使用された結果、これらが我が国の取引者、需要者の間においては、後者を含めて「POLO」、「ポロ」として特定ないしは略称され広く認識され、周知、著名な商標として認識されるに至ったものと認めるのが相当である(異議甲第2号証ないし第10号証)。
 なお、原告は、一部「POLO」、「ポロ」については商標としての使用を否定するところがあるが、広告的機能等を果たしているとみられる場合は、商標の使用に該当するというべきである。
 したがって、原告の意見はいずれも採用することができない。
(5) 決定の結論
 以上のとおり、本件商標は、商標法第4条第1項第10号及び第15号の規定に違反してされたものであるから、本件登録異議申立ては理由あるものとし、その登録を取り消すべきである。
第3 原告主張の決定取消事由
 本件商標の登録出願時においては、商標「POLO」、「ポロ」(引用商標)は補助参加人が商品「被服、装身具、香水、眼鏡」等に長年使用しているものとして需要者の間に広く知られていなかったにもかかわらず、決定は、これを肯定し、また、本件商標が、指定商品中「布製身回品(他の類に属するものを除く)、寝具類(寝台を除く)」に使用するときは、補助参加人と何らかの関係を有する者に係る商品であるかのごとく、その商品の出所について混同を生じるおそれがあると認めた。しかし、以下に述べるとおり、この認定、判断は誤りであり、これに基づき本件商標登録を取り消した決定は取り消されるべきである。
1 本件商標は、登録第1447449号商標(昭和47年4月22日登録出願、指定商品・旧第17類、昭和55年12月25日登録。以下、当時の商標権者丸永衣料株式会社にちなみ「丸永商標」という。)に、「SPORTS」の文字を結合させたものであり、もともと丸永商標及び後記「A商標」の連合商標として昭和58年5月11日に登録出願された防御商標である。現在、丸永商標、A商標及び本件商標の商標権者は原告である。
 丸永商標
 Aは、登録第1434359号商標(昭和47年6月30日登録出願、指定商品・旧第17類、昭和55年9月29日登録。以下「A商標」という。)の商標権者であったが、丸永衣料株式会社は、昭和58年12月19日(登録日)、A商標の商標権を譲り受け、丸永衣料(株)(昭和60年2月1日に公冠販売株式会社と商号変更)は、平成10年4月27日に原告にA商標の商標権を譲渡している。
 A商標
 原告、丸永衣料(株)、公冠株式会社、公冠販売株式会社の略歴及び関係は次のとおりであり、原告及び前身の会社は昭和43年ころから、丸永商標及びA商標を被服等の衣料品の製造販売に使用してきており、本件商標も昭和58年ころから使用している。
2 ラルフローレンが米国においてデザイナーとして地位を確立したのは、映画「華麗なるギャツビー」の主演男優衣装デザイン担当だったからということである。しかし、この映画自体は米国の映画批評家の間では失敗作であったとされ、ラルフローレンも「パターニングはもちろん、デザイン画さえかけない」とされ、本格的なデザイン修行をしていない異例のデザイナーであると評されている。同氏はデザイナーとしてよりも、むしろ生活スタイルの提案者、事業者としての評価が高い。
3 ラルフローレンの製品の日本におけるライセンスは、昭和50年ころの株式会社菱屋に対するものが第1号とされている。(株)菱屋はA商標の専用使用権者であるタッグネックウェア工業株式会社にA商標の使用許諾を申し入れたが、拒絶されている。次いで昭和53年、西武百貨店が少量のラルフローレン製品を米国業者から輸入し、店頭販売を開始した。
 補助参加人は、昭和56年2月、西武百貨店を通じ、丸永商標の商標権者であった丸永衣料(株)(後の公冠販売(株))に丸永商標の使用許諾を申し入れ、昭和62年1月1日から発効する本件商標やA商標、丸永商標などの通常使用許諾の契約(62年ライセンス契約)が、補助参加人と公冠販売(株)との間で締結された。なお原告は、公冠販売(株)(丸永衣料(株)は、その旧商号)から、平成10年4月27日にA商標及び丸永商標を譲り受けている。
 補助参加人は、本件商標やA商標、丸永商標などの通常使用権を得た後、すなわち昭和62年10月ころ、その製品を専門的に取り扱ういわゆるパイロットショップを銀座に開店した。この時点こそが、我が国においてポロ・ラルフローレンの周知性が客観的事実により確立した時期であると評価すべきである。
4 補助参加人は、A商標につき、不正使用の目的に出たもので商標法1条1項19号の該当性を主張している。しかし、A商標は、原告の前々身である丸永衣料(株)が、出願経過について不知のまま昭和58年7月14日に権利取得したものである。補助参加人が昭和58年9月22日A商標の登録無効審判請求をしたにもかかわらず、平成7年1月23日その不成立審決があり、そのまま確定している。しかも、この無効審判手続係属中に、原告の前身の公冠販売(株)と補助参加人、株式会社西武百貨店等との間で62年ライセンス契約が締結され、その第6条で、補助参加人は上記無効審判手続を継続することを公冠販売(株)から容認されている。このように補助参加人は十分に自らの攻撃防御が許されていたのに、上記不成立審決が確定しているのであり、今回再びA商標の無効の主張を蒸し返すのは、一事不再理原則、禁反言原則にも反し、不公正であって許されない。
 補助参加人は、62年ライセンス契約(後記第5の3)は単なる「不争契約」であると主張するが、契約内容の解釈は契約文言に従って判断すべきである。文言上、62年ライセンス契約は商標権の有償による通常使用権設定契約であることは明確である。
 62年ライセンス契約の許諾対象は、二つの基本商標(丸永商標、A商標)及びこれらのロゴであることは、その第1条の「商標」の定義から明確である。本件商標のような基本商標の連合商標となり得るものもこの中に含まれる。
第4 決定取消事由に対する被告の反論
 以下のとおり、引用商標「POLO」、「ポロ」は、ラルフ・ローレンのデザインに係る被服等を表示するものとして本件商標の登録出願前までには、ラルフ・ローレンのデザインに係る被服等を表示するものとして、我が国において取引者、需要者の間に広く認識されるに至っていた。したがって、本件商標は、商標法第4条第1項第10号及び第15号の規定に該当するとした決定の認定、判断に誤りはない。
1 アメリカ合衆国在住のデザイナーであるラルフ・ローレンは1967年に幅広ネクタイをデザインして注目され、翌1968年にポロ・ファッションズ社を設立、ネクタイ、シャツ、セーター、靴、カバンなどのデザインを始め、トータルな展開を図ってきたこと、1971年には婦人服デザインにも進出し、「コティ賞」を1970年と1973年の2回受賞したのを始め、数々の賞を受賞しており、1974年には映画「華麗なるギャッツビー」の主演俳優ロバート・レッドフォードの衣装デザインを担当したことから、アメリカを代表するデザイナーとしての地位を確立した。そのころからその名前は我が国服飾業界においても知られるようになり、そのデザインに係る一群の商品には、横長四角形中に記載された「Polo」の文字と共に「by RALPH LAUREN」の文字及び馬に乗ったポロ競技のプレーヤーの図形の各商標が用いられ、これらは「ポロ」の略称でも呼ばれている。
2 我が国においては、株式会社西武百貨店等が昭和51年(1976年)にポロ・ファッションズ社から使用許諾を受け、昭和52年からラルフ・ローレンのデザインに係る紳士服、紳士靴、サングラス等の、昭和53年から婦人服の輸入、販売をしてきた。
3 (株)スタイル社1971年7月発行「dansen男子専科」を始め、(株)講談社昭和53年7月20日発行「男の一流品大図鑑」、(株)講談社昭和54年5月発行「世界の一流品大図鑑'79年版」、(株)チャネラー昭和54年9月発行別冊チャネラー「ファッション・ブランド年鑑'80年版」、「男の一流品大図鑑'81年版」(昭和56年4月発行)、「世界の一流品大図鑑'80年版」(昭和55年6月発行)、婦人画報社昭和55年12月発行「MEN’S CLUB 1980,12」、「世界の一流品大図鑑'81年版」(昭和56年6月発行)、サンケイマーケティング昭和58年9月28日発行「舶来ブランド事典'84ザ・ブランド」、(株)講談社昭和60年5月発行「流行ブランド図鑑」などの書籍において、「POLO」、「ポロ」、「Polo」、「ポロ(アメリカ)」、「ポロ/ラルフ・ローレン(アメリカ)」等の表題の下に、ラルフ・ローレンのデザインに係る紳士服、紳士用品等が紹介されている。
4 これらを総合すれば、ラルフ・ローレンのデザインに係る被服等について使用される標章は、「Polo」の文字と共に、「by Ralph Lauren」の文字及び「馬に乗ったポロ競技のプレーヤーの図形」などの各標章であるが、我が国においては、これら標章を総称して単に「ポロ」、「POLO」と略称していたのであり、したがって、引用商標「POLO」、「ポロ」は、遅くとも本件商標の登録出願前までには、ラルフ・ローレンのデザインに係る被服等を表示するものとして、我が国において取引者、需要者の間に広く認識されるに至っていた。
第5 補助参加人の主張
1 補助参加人のライセンス商品として、日本で最も早く展開されたのはネクタイであり、1975(昭和50)年には、株式会社西武百貨店に先駆け、菱屋株式会社が日本におけるポロの最初のライセンシーとして、ポロのネクタイの製造・販売を開始している。
 西武百貨店は、1976(昭和51)年にラルフ・ローレンの主宰するポロ・ファッションズとメンズ・ウェアについてのライセンス契約を締結後、直ちにメンズ・ウェアの販売を開始し、続いて1978(昭和53)年にはレディース・ウェア、1980(昭和55)年にはボーイズ・ウェア、1982(昭和57)年にはガールズ・ウェア及びレザーグッズの販売を開始しており、これに対応して、1977(昭和52)年には約5900万円、1978(昭和53)年には約9800万円の宣伝販促費を投じ、その後も1979(昭和54)年から1987(昭和62)年にかけては、年間約4000万円〜1億1800万円の宣伝販促費を支出している。この結果、日本における補助参加人商品の売上げ(小売りベース)は、1977(昭和52)年の5億6200万円を皮切りに、1978(昭和53)年には14億1800万円、1979(昭和54)年には21億200万円、1980(昭和55)年には38億8200万円、1981(昭和56)年には72億2300万円、1982(昭和57)年には124億7500万円と顕著な右肩上がりの伸びを示し、現在は年間900億円に近い売上げを誇る、日本でも有数の人気の高いブランドの一つとなっている。かかる補助参加人商品の急激な成長ぶりにかんがみれば、原告の「Polo(ポロ)」ブランドが、補助参加人の商品を示すものとして極めて短期間に日本における周知性を獲得し、遅くとも本件商標の出願された1983(昭和58)年までに周知となっていたのは明らかである。
2 Aは、登録第1434359号商標(A商標)の登録出願と同時に、補助参加人の商標であり、これを主宰するデザイナー名でもある「ラルフローレン」の商標をも登録出願している。この出願は登録を認められなかったが、かかるAの行動からみても、Aが補助参加人の商標「POLO」を剽窃する目的でA商標の登録出願をしたことは明らかであり、A商標には無効原因が存する。現行商標法第4条第1項第19号は、他人の業務に係る商品を表示するものとして日本国内又は外国における需要者の間に広く認識されている商標と同一又は類似の商標であって、不正の目的をもって使用をするものについて商標登録を受けることはできないと規定しているが、A商標も本来ならば正に同号に該当すべきものである。
3 補助参加人は、自己の商品を日本で展開してもA商標及び登録第1447449号商標(丸永商標)の商標権侵害になるとは考えていなかった。丸永商標については、原告がこれを現実にはほとんど使用しておらず、また原告が当時展開していた「POLO British Country Spirit」なる商品も、下着を中心とするものであって、原告自身、「自分たちの商品と補助参加人の商品は全く違うものであり、混同するとは考えていない」旨表明しており、当初の交渉は無償による使用許諾をベースとしていたほどであった。A商標は、Aが補助参加人の商標を剽窃せんとする悪意の目的により出願したものであり、丸永商標に対しては類似かつ後願の関係にあったので、補助参加人としてはこれを本来無効原因の存する商標と考えており、無効審判を請求していたほどである。しかし、補助参加人のライセンシーである(株)西武百貨店が法的紛争は避けたいとの意向であったため、昭和62年1月1日発効の補助参加人と公冠販売(株)間のライセンス契約(62年ライセンス契約)において、いわば不争契約を結ぶため原告と交渉するに至ったにすぎない。しかも、補助参加人と原告の合意の効力は、本件商標に及ばない。
 62年ライセンス契約は、本件商標を含む「POLO」の表示を用いた周辺商標についても通常使用許諾の対象とするものではなかった。62年ライセンス契約第2条によれば、公冠販売(株)は、補助参加人に対し、公冠販売(株)の有する本件商標を使用する非独占的ライセンスを付与するとされており、第1条によれば、ここでいう本件商標とは、同契約別紙に記載されている登録第1447449号商標(丸永商標)及び登録第1434359号商標(A商標)のみである。
4 商標法第4条第1項第15号にいう混同のおそれがあるというためには、出願人に混同の意思があることは必ずしも必要ではない。しかし、他人の業務にかかる商品と混同を生じさせようとする意思が出願人にあった場合、かかる混同のおそれは一層高まる。原告は、正に世界的に周知・著名な商標である補助参加人の「POLO」商標にフリーライドし、これとの混同を生じさせることを企図して本件商標を出願・登録したものといえる。このことは、以下の事実にかんがみれば明白である。
 まず公冠販売(株)は、62年ライセンス契約第2条において、その関連会社を除き、補助参加人の事前の書面による承認なくして、丸永商標及びA商標又はその他「POLO」若しくは「POLO」の概念を表した商標を第三者に使用許諾してはならないことになっている。同契約第5条によれば、公冠販売(株)は、「POLO」商標をBritish Country Spiritラインの製品に関連してのみ使用する義務を負っており、かつ、補助参加人の「POLO」商標の使用と不当に混同するような方法で「POLO」商標を使用した製品を販売してはならないとされている。しかしながら、原告は、少なくとも2000(平成12)年春夏物から、「POLO」ブランドのBCS(ブリティッシュ・カントリー・スピリット)ラインを、ライセンシーを通じて販売すると報道されており、そのライセンシーはいずれも公冠販売(株)の関連会社とは考えられないが、補助参加人はかかる使用許諾を承認したことはない。かかるライセンシーに対して許諾する商品群は、当初公冠販売(株)が販売していた下着類のみならず、被服全般にわたるものと推察されるが、このような商品展開は、明らかに補助参加人の商品ラインに接近し、これとの混同を生じさせるものである。
 かかる明白な契約違反にもかかわらず、原告の広告(丙第2号証)には、「米国ポロ・ローレン社とは、契約により友好的な関係にあります」との記述があり、また丙第5号証においては、「ポロ・ビーシーエスは、米国のポロ・ローレン社にブランドのライセンス供与をしており、従来通り友好関係を維持しながらの展開となる」との記述がなされ、あたかも、補助参加人がかかる使用許諾を承認しているかのような印象を与えている。このような記述は、原告が補助参加人の関連会社であるか、または補助参加人と何らかの提携関係にあるのではないかという誤認を生ぜしめることを原告が企図しており、本件商標を補助参加人の業務に係る商品と混同させる目的が原告にあるからにほかならない。  
5 本件商標の登録を取り消さなければ、補助参加人の業務に係る商品との混同を生ずるおそれは極めて高い。
第6 当裁判所の判断
1 補助参加人の使用商標普及の推移
(1) 乙第3号証、乙第4号証によれば、株式会社洋品界(昭和55年4月15日)発行「月刊『アパレルファッション店』別冊、1980年版『海外ファッション・ブランド総覧』」122頁、123頁、195頁、221頁、224頁、281頁に、「ポロ・バイ・ラルフ・ローレン PORO by RALPH LAUREN」(「PORO」は「POLO」の誤記と認める。)の商標が、ネクタイ、紳士靴、紳士服、サングラスを商品内容としてアメリカのポロ・ファッション社との提携等により西武百貨店が輸入元となって発売等が行われ、「ポロ Polo」の商標は、紳士靴の商品内容で、アメリカのポロ・ファッション社との提携等により西武百貨店が輸入元となって発売等が行われていることが紹介され、株式会社アパレルファッション(昭和57年1月10日)発行「月刊アパレルファッション」2月号別冊「海外ファッション・ブランド総覧」128頁、129頁、194頁、252頁には、「ポロ・バイ・ラルフ・ローレン PORO by RALPH LAUREN」(「PORO」は「POLO」の誤記と認める。)の商標が、ネクタイ、ハンカチーフ、マフラー、紳士靴、紳士服、サングラスを商品内容としてアメリカのポロ・ファッション社との提携等により西武百貨店が輸入元となって発売等が行われ、「ポロ Polo」の商標は、紳士靴の商品内容で、アメリカのポロ・ファッション社との提携等により西武百貨店が輸入元となってされる発売等が紹介されていることが認められる。
 また、乙第5号証によれば、ボイス情報株式会社(昭和59年9月25日)発行「ライセンス・ビジネスの多角的戦略'85」223頁に、ポロ関係のブランドとして「ポロ・バイ・ラルフ・ローレン」の商標がラルフ・ローレンをライセンサーとし、国内ライセンシーを(株)西武百貨店として紹介され、また「ポロ・ボーイズ」の商標も同様のライセンサー、ライセンシーとして紹介されていることが認められる。乙第13号証によれば、FUJINGAHO-SHA(昭和55年)発行「MEN'S CLUB」1980年12月号72頁に、「DRESS-UP for CHRISTMAS Formal Scene FROM New York」との表題の下、「Polo By Ralph Lauren」のマークが男性写真とともに紹介されていることが認められる。
(2) 他方、乙第10、第11、第12号証によれば、株式会社講談社(昭和55年5月25日)発行「世界の一流品大図鑑'80年版」131頁、同社(昭和55年11月20日)発行「男の一流品大図鑑'81年版」12頁、同社(昭和56年5月25日)発行「厳選308ブランド'81年版」87頁に、スーツのブランド「POLO」を、ラルフ・ローレンが手がける商標として紹介していることが認められる。
 しかしその一方で、乙第6号証によれば、日経流通新聞昭和63年10月29日の記事にも、表題には「西武百貨店「ポロ」事業を独立」とあるものの、記事内容中には「西武百貨店は、商品事業本部で展開してきたポロ・ラルフローレン事業を分離・独立させ、ポロ・ラルフローレンジャパンを設立した。・・・来年秋から新しい商品群を導入してポロ・ラルフローレンブランドのライセンス事業をトータル展開する。・・・現在、ネクタイ、眼鏡を除くポロ・ラルフローレンブランドは西武百が持つ。・・西武百は現在、ポロ・ラルフローレンブランドで紳士服、婦人服、子供服、皮革製品、ホームファニシングとポロブランドのボリュームゾーンであるチャップスブランドを取り扱っている。」などと記載され、専ら「ポロ・ラルフローレンブランド」という用語が使用されていることが認められる。
(3) 以上の事実からみると、なるほど、西武百貨店によりかなりの数量のラルフ・ローレンのポロブランド商品が販売されていたものと認められる。しかし、丙第6、第7号証(株式会社西武百貨店のポロ商品ブランド管理担当者・B作成の陳述書)によれば、(株)西武百貨店は、補助参加人からのライセンスに基づくいわゆるポロ商品の宣伝販促費として昭和59年までは5000万円台までにとどまっていたのが、それ以降は1億円を超え多い年で13億円を上回る宣伝販促費を投入するに至っていたこと、いわゆるポロ商品の小売りベースでの売上げは昭和52年の5億6200万円を皮切りに、昭和57年に124億円台、昭和58年には150億円台、昭和59年に172億円台となったが、昭和60年には216億円と200億円を超え、平成3年には934億円、平成4年には875億円と飛躍的に増加し、現在でも900億円前後の売上げを記録していることが認められるところからも分かるように、昭和59年までとそれ以降では、宣伝販促費及び小売額の両面において、質的な数値の違いがみられる。
 また、甲第8、第9、第13、第32及び第33号証並びに弁論の全趣旨によれば、後記2(1)、(2)に認定のとおり、我が国においては、昭和47年に登録出願され、昭和55年に登録された登録第1434359号商標(「POLO」の文字からなるA商標)及び登録第1447449号商標(ポロ競技者の図形と「Polo」の文字からなる丸永商標)が存在していたことから、補助参加人は(株)西武百貨店を介して、昭和56年ころから当時の丸永商標の商標権者であった丸永衣料株式会社と接触していたが、本格的には昭和58年終わりころから上記両商標の使用に関する交渉を行った結果、昭和62年1月1日に発効する通常使用許諾のライセンス契約が補助参加人と公冠販売株式会社との間で締結され、(株)西武百貨店もこれを承認したことが認められる。この62年ライセンス契約締結前に、補助参加人の商品のうち「POLO」ないし「ポロ」商標のみを付した商品がどの程度存在したかは証拠上明らかではなく、むしろ、前記諸事実からは、ほとんどが「Polo by Ralph Lauren」、「ポロ・バイ・ラルフローレン」ないし「ポロ・ラルフローレン」との商標が付されていたものと推認されるところである。
 加えて本件においては、後記2の(1)のように原告ないしその前身会社も、「Polo」ないし「PoLo」の文字を含む商標を付したポロブランド衣料品を販売していた事実が認められるほか、「暮らしの手帖」のような生活情報のオピニオン・リーダー的な地位を占める雑誌においても、その存在が報じられていたことが認められる(甲第32号証添付資料3−1の「暮らしの手帖平成4年8.9月号」の記事によると、「公冠」が関西の古い繊維メーカーとして紹介され、ラルフ・ローレンが進出する10年以上も前から「POLO」商標でポロシャツを作ってきたこと、ラルフ・ローレンがアメリカで持っている商標は世界共通のものではないことなどが紹介されている。)。
(4) もともと、「ポロ」という語は騎乗球技を意味する普通名詞であり(広辞苑第5版の「ポロ」の項)、「ポロシャツ」などの語に表れるように、日本においてもなじみのあったものである。商品ブランドに関する専門分野では、ラルフ・ローレンないし補助参加人の手がけるポロ関連ブランドについては、「ポロ・バイ・ラルフローレン」ないし「ポロ・ラルフローレン」とのブランドで商品展開していたことが紹介されているところ(乙第3ないし第5号証によって認められる前記「ポロ・バイ・ラルフ・ローレン」商標の紹介。この点は、前記日経流通新聞の記事にみられるように、昭和63年に至っても同様である。)、前記「世界の一流品大図鑑'80年版」、「男の一流品大図鑑'81年版」、「厳選308ブランド'81年版」などの記載も、「POLO」ブランドをラルフ・ローレンが手がけるものとして紹介しているにとどまり、日本で「POLO」ないし「ポロ」商標を使用したラルフ・ローレンないし補助参加人の商品がどの程度展開され、その商品がどの程度の範囲で著名になっていたかについて紹介するものではない。また、丙第6、第7号証の陳述書においても、「ポロ商品」の販売額が、商標として「POLO」ないし「ポロ」のみを付した商品についてのものなのか、「POLO by Ralph Lauren」、「ポロ・バイ・ラルフローレン」ないし「ポロ・ラルフローレン」とのブランドを付したものについてのものなのかは不明である。
 例えば、近時、携帯電話を「携帯」と略称するようになり、「ケータイ」といえば「携帯電話」を意味するようになったのと同様に、外来語も略称化して言い習わす日本人の習慣により、本来「ポロ バイ ラルフローレン」と称されるべきところを「ポロ」と省略して言い表すようになることもあり得るところ、略称化された語が日本の一般的な辞書に登載されている普通名詞である以上、これをもってラルフ・ローレンないし補助参加人の商品のみを表示するものであるとして、本件商標の登録出願時(昭和58年5月11日)において既に著名となっていたと認定するには、証拠上明確である必要がある。
 そこで次に、補助参加人ないしそのライセンシーとは別に、原告の関連会社が「ポロ」と称呼される商標を使用してきた事実関係についてみてみる。
2 いわゆる公冠グループ商標
(1) 甲第8、第13号証によれば、Aは、登録第1434359号商標(昭和47年6月30日登録出願、指定商品・旧第17類、昭和55年9月29日登録。A商標)の商標権者であったが、丸永衣料株式会社は、昭和58年12月19日(登録日)にA商標の商標権を譲り受け、丸永衣料(株)は、平成10年4月27日原告にA商標の商標権を譲渡していることが認められる。また、弁論の全趣旨によれば、原告は登録第1447449号商標(昭和47年4月22日登録出願、指定商品・旧第17類、昭和55年12月25日登録。丸永商標)の商標権者であることが認められる。
 甲第13号証及び甲第32号証(原告代表取締役作成陳述書。そこに添付の資料を含む。)によれば、原告は公冠株式会社及び公冠販売株式会社が資本金を折半して設立された会社であるが、公冠(株)及び公冠販売(株)並びにこれらが手がける商品の卸売り、小売りを扱う商店で構成するいわゆる公冠グループは、「Polo」ないし「PoLo」の文字を含む商標による衣料品の製造、販売を昭和47年ころから開始し、昭和55年には公冠販売(株)の売上額が9億8000万円に上り(甲第32号証添付資料4。そこに「丸永衣料(株)」とあるのは、公冠販売(株)の当時の商号である。)、昭和56年、57年、58年も、6億2900万円、5億6634万円、6億0743万円の売上額を計上していたことが認められる。
(2) そして、甲第9、第13、第32、第33号証及び丙第10号証並びに弁論の全趣旨によれば、補助参加人は株式会社西武百貨店を介して当初は昭和56年ころから、次いで昭和58年終わりころから、丸永衣料株式会社との間で、A商標、丸永商標に関して合意を得るべく交渉を行ったが、丸永衣料(株)が和議終了後の昭和60年2月に商号変更して公冠販売株式会社と称するようになった後になって、同社と交渉を続けた結果、昭和62年1月1日から発効する、A商標、丸永商標及びこれらのロゴの通常使用許諾の契約(62年ライセンス契約)が、公冠販売(株)と補助参加人との間で締結され、(株)西武百貨店もこれを了承したことが認められる。この62年ライセンス契約の性質につき、原告は通常使用権の設定契約であると主張するのに対し、補助参加人は不争契約の性質を有するものであると主張する。契約の解釈は契約の効果が問題になる事項ごとに個々に判断すべきであって、一概にいずれの性質のものであるかを断定することはできないが、62年ライセンス契約により、公冠販売(株)が補助参加人に対し、ネクタイとマフラーを除く旧17類の商品について日本国内におけるA商標及び丸永商標並びにこれらのロゴの通常使用権を設定したことは明らかであり(契約書第2条本文及び第3条)、補助参加人がロイヤルティを支払う旨約し、そこにおいて、補助参加人は、公冠販売(株)がA商標及び丸永商標を保有する権利を有することを認めているものと認定することができる(契約書第6条第1文。なお、A商標については、同契約上、無効審判請求手続を続行する権利が補助参加人に留保されている。同条第2文)。
 また、甲第9号証によれば、62年ライセンス契約第2条ただし書きにおいて、公冠販売(株)は、同社の関連会社を除く第三者に対し、補助参加人から事前に書面による同意を得ずにA商標及び丸永商標の権利並びにPOLOないしPOLOのコンセプトを具体化した他の商標の使用許諾を行わないものとされていることが認められ、同条項及び第4条、第5条に照らすと、補助参加人としても、A商標及び丸永商標並びにPOLOないしPOLOのコンセプトを具体化した他の商標の使用が、補助参加人の商品と混同を生じさせるような方法でない限り、公冠販売(株)及びその関連会社によって使用されることを容認していたものと認めることができる(丙第10号証=補助参加人訴訟代理人・松尾眞作成の陳述書)。
3 本件出願時における補助参加人ブランドの著名性の有無
 上記認定のとおり、昭和57年、58年当時、公冠グループによるPolo商標を付した被服類にも億単位の額の売上げがあったのであり、「Polo」ないし「PoLo」の文字を含む衣料品の商標は、公冠グループが現実に使用していて、このことは一般にもある程度知られていたものということができる。そして、そもそも「ポロ(polo)」という語が騎乗球技を表す普通名詞であることからすると、昭和57年、58年当時において、「POLO」、「ポロ」の商標からは、ラルフ・ローレンのデザインに係る被服等を認識する者もいれば、公冠グループが扱う被服等を認識する者もいたというべきである。このような状況の下において、かつ、上記のような事実関係の下における昭和58年度当時の(株)西武百貨店の売上げの程度、さらには、当時補助参加人商品は専ら「POLO by Ralph Lauren」、「ポロ・バイ・ラルフローレン」ないし「ポロ・ラルフローレン」とのブランド(商標)で商品展開されていたことを総合勘案すると、その称呼から普通名詞の「ポロ」のみを生じる引用商標「POLO」、「ポロ」は、本件商標の登録出願時である昭和58年5月11日の時点の我が国においては、ラルフ・ローレンのデザインに係る被服等のみを表示するものとして、取引者、需要者の間に広く認識されるに至っていたものと認めるのは困難である。
 むしろ、上記事実関係からすると、昭和55年から58年当時においては、ラルフ・ローレンが手がけるいわゆるポロ商品は、「POLO by Ralph Lauren」、「ポロ・バイ・ラルフローレン」ないし「ポロ・ラルフローレン」という一連の標章によって識別されていたものと認めるべきものである。
4 決定の判断の誤り
 決定が、本件商標登録は、商標法第4条第1項第10号及び第15号の規定に違反してされたものであると判断したのは、引用商標がその登録出願前から補助参加人の商品「被服、装身具、香水、眼鏡」等に係るものとして需要者の間に広く知られていることを前提にしているものであるが、上記判断したところによれば、この前提事実を認めることはできない。したがって、この事実があることをもって、商標法第4条第1項第10号及び第15号の規定に違反して本件商標が登録されたとした決定の判断は誤りであり、決定は取消しを免れない。
第7 結論
 以上のとおりであり、原告の請求は認容されるべきである。

東京高等裁判所第18民事部
 裁判長裁判官 永井紀昭
 裁判官 塩月秀平
 裁判官 古城春実
 
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【事件名】「ポロ」の商標登録事件B(2)
【年月日】平成13年12月20日
 東京高裁 平成12年(行ケ)第41号 商標登録取消決定取消請求事件
 (平成13年9月27日 口頭弁論終結)

判決
原告 ポロ・ビーシーエス株式会社
訴訟代理人弁護士 山本忠雄
同 安部朋美
同 中橋紅美
補佐人弁理士 江原省吾
同 田中秀佳
同 白石吉之
同 城村邦彦
被告 特許庁長官 及川耕造
指定代理人 廣田米男
同 茂木静代
被告補助参加人 ザ ポロ/ローレン カンパニー リミテッド パートナーシップ
訴訟代理人弁護士 松尾眞
同 兼松由理子
同 岩波修
同 上村真一郎
同 西山哲宏
訴訟代理人弁理士 曾我道照
同 黒岩徹夫
同 岡田稔


主文
 特許庁が平成9年異議第90708号事件について平成11年12月22日にした決定を取り消す。
 訴訟費用中参加によって生じたものは被告補助参加人の負担とし、その余は被告の負担とする。

事実及び理由
第1 原告の求めた裁判
 主文第1項同旨の判決。
第2 事案の概要
1 特許庁における手続の経緯
 登録第4041586号商標(本件商標)は次のとおりの構成よりなり、第17類「被服(運動用特殊被服を除く)、布製身回品(他の類に属するものを除く)、寝具類(寝台を除く)」を指定商品として、昭和58年5月11日に登録出願され、平成9年8月15日に設定登録されたものであり、原告が本件商標権者である。本件商標に関しては、補助参加人から登録異議の申立てがあり、平成9年異議第90708号事件として審理され、平成11年12月22日、本件商標の登録を取り消す旨の決定があり、その謄本は平成12年1月22日原告に送達された。
 本件商標
2 決定の理由の要点
(1) 登録異議申立ての理由
 補助参加人(登録異議申立人)は、「本件商標は、補助参加人の名称の著名な略称を含むものであるから、商標法第4条第1項第8号に該当する。また、本件商標は、補助参加人がその業務に係る『被服類』の商品に使用し、広く一般に知られている『Polo』の文字と同綴りの欧文字を表してなり、かつ、本件指定商品と上記商品とは同一又は類似するものであるから、本件商標をその指定商品に使用した場合には、商品の出所について混同を生ずるおそれがあるから、同第10号に該当し、さらに、不正の目的をもって使用をするものであるから、同第19号にも該当する。」旨主張し、証拠方法として異議甲第2号証ないし第10号証を提出した。
(2) 登録取消理由の通知
 当審において本件登録異議申立てを審理し、本件商標登録は、次の理由により、商標法第43条の3第2項の規定に基づいて取り消すべきものと認める(商標法第4条第1項第15号の規定に係る部分については、同法第43条の9第1項に基づくものである)として、商標権者(原告)に対し、同法第43条の12に基づき取消理由を通知して、意見を求めた。
 本件商標は、補助参加人が、商品「被服、装身具、香水、眼鏡」等に長年使用し、本件商標の出願前から需要者の間に広く知られている商標「POLO」、「ポロ」(引用商標)と類似するものであり、指定商品「被服(運動用特殊被服を除く)」も前掲使用商品と同一又は類似のものである。また、本件商標は、その指定商品中「布製身回品(他の類に属するものを除く)、寝具類(寝台を除く)」に使用するときは、あたかも補助参加人と何らかの関係を有する者に係る商品であるかのごとく、その商品の出所について混同を生じるおそれがある。
 したがって、本件商標は、商標法第4条第1項第10号及び第15号の規定に違反して登録されたものである。
(3) 原告(商標権者)の意見
 原告は、前掲取消理由の通知に対して、引用商標が本件商標の登録出願時、需要者の間に広く知られていなかったものである旨以下のように意見を述べた。
(3)−1 補助参加人は、原告が所有する登録第1447449号商標、登録第1434359号商標の通常使用権者である。この事実は、昭和62年1月1日締結のライセンス契約書に示すとおりである。
 その後、登録第1434359号商標については、補助参加人により、商標法第4条第1項第8号、第10号及び第15号を理由に、無効審判が提起され、平成7年1月23日付けで審判請求不成立の決定を得て現在に至っている。
 また、補助参加人は、日本進出に当たり、1992年8・9月の「暮らしの手帖」39、58頁掲載の事情があり、「Polo」の適法な使用を求め、異議乙第9号証の1のレターから分かるように昭和56年2月24日、ラルフ・ローレンが西武百貨店を介して、登録第1447449号商標の使用許諾の申入れをしてきた。
 この交渉は、異議乙第9号証の2の1985年(昭和60年)10月25日のレターで分かるように続行し、昭和62年1月1日付けのライセンス契約書の締結で円満に解決し、補助参加人は、以後日本国内で登録第1447449号商標、登録第1434359号商標の登録商標を合法的に使用することが可能になり、契約締結日の昭和62年1月1日以後、補助参加人の「Polo」、「ポロ」が需要者の間で広く知られるようになったものと確信する。
 また、原告は、登録第1447449号商標の登録出願前である昭和43年ころから、登録第1447449号商標を使用しており、例えば昭和45年度の売上げは2.4億円(推定)、昭和51年度は4.3億円(推定)、昭和55年度は、9.8億円であり、現在まで引き続き登録第1447449号商標、登録第1434359号商標を使用している。昭和55年(1980年)10月6日付けの繊研新聞から補助参加人の売上げは、昭和54年度は3億円、昭和55年度は5億円であり、原告の昭和55年度の売上げと比較すると、原告の売上げの方が多いことが分かる。
 さらに、本件商標に対する審査経過をみると、本件商標は、商標法第4条第1項第15号を理由としていったん拒絶されたが、拒絶査定に対する審判請求理由補充書で、本件商標が同第15号に該当しない旨の証拠を示して述べた主張が全面的に認められ、その結果、登録になった権利である。この理由書において、昭和59年10月当時には、いまだRalph Lauren氏及び「Polo」という言葉が「POLO by Ralph Lauren」の略称であり、それが「著名」であるとはみなされていなかった旨主張し、この主張が全面的に認められ、本件商標は登録になっている。
(3)−2 異議甲第2号証は、ライセンス契約締結日(昭和62年1月1日)の以後である1988年(昭和63年)の新聞記事である。この新聞記事からライセンス契約締結により商標「POLO」、「ポロ」の合法的な使用が可能になったので、日本国における本格的使用を計画していることがうかがえ、商標「POLO」、「ポロ」が需要者の間に広く知られるようになったのはこの時期以後であることが推察される。
 異議甲第3号証の1,2,3は、商標「POLO」、「ポロ」が、取引者、需要者間で周知、著名になった時期の認定がバラバラで一定しておらず、本件の資料になり得ない。
 異議甲第4号証は、補助参加人の商品カタログであり、この商品カタログには、本件商標と同一の 「POLO」、「ポロ」のみの使用事実はどこにもない。使用商標は、どれも「POLO 図形 Ralph Lauren」又は「」と「by RALPH LAUREN」との結合商標の使用であり、しかもアメリカ用のカタログであって、日本国内での使用を示すものではない。
 異議甲第5号証及び第6号証、第7号証は、いずれも本件商標と同一の「POLO」、「ポロ」の使用事実はなく、どれも「POLO 図形 Ralph Lauren」、「」と「by RALPH LAUREN」との結合商標である。なお、異議甲第5号証の197頁、第6号証の12頁,209頁、第7号証の209頁の「ポロ」の使用は、商標としての使用ではない。
 異議甲第4号証、第5号証、第6号証及び第7号証の使用事実から、補助参加人は商標 「POLO」、「ポロ」の単独使用は避け、「POLO 図形 Ralph Lauren」、「」と「by RALPH LAUREN」「Polo by RALPH LAUREN」の結合商標の使用に統一されていることがうかがえる。
 異議甲第8号証及び第9号証、特に異議甲第8号証において、引用商標がラルフ・ローレンのデザインに係る被服類及び眼鏡製品を表す標章であるとする認識が広く需要者及び取引関係者の間で確立した日を「我が国において、遅くとも本件商標の登録出願がされた昭和59年までには既に…」と認定されている。「昭和59年まで」との認定には、昭和58年までも、昭和57年までも、昭和56年までも、昭和55年までも含まれ、仮にこの認定日「昭和59年まで」を認めるとしても、認定日は、きわめて不確定であり、本件に適用するには無理がある。
 異議甲第10号証は、昭和64年の新聞記事で本件の証拠資料には不適である。
(3)−3 以上のように、本件商標は、商標法第4条第1項第10号及び第15号の規定に違反して登録されたものではなく、本件商標権の登録は維持されるべきものである。
(4) 決定の判断
 原告は、引用商標が本件商標の登録出願時、需要者の間に広く知られていなかったものである旨主張している。
 しかしながら、異議甲第5号証は昭和53年、第6号証は昭和55年、第7号証は昭和56年のいずれも本件商標の登録出願前において発行された雑誌であり、それぞれの発行以前に我が国でとりわけ需要者に人気の高いいわゆるブランドものを収録、掲載した雑誌と認められるところ、これらの雑誌の中に既に引用商標及びラルフ・ローレンのデザインに係る被服等が掲載又は紹介されているところである。
 これに対して、原告は、補助参加人が我が国において合法的に使用開始した昭和62年1月1日以後に需要者の間に広く知られたと主張するが、ラルフ・ローレンのデザインに係る被服等は、我が国においては、既に、本件商標の登録出願時より数年前の昭和52年ころより販売されていた事実が認められるのであり(株式会社洋品界(昭和55年4月15日)発行「月刊『アパレルファッション店』別冊、1980年版『海外ファッション・ブランド総覧』122頁ほか、株式会社アパレルファッション(昭和57年1月10日)発行「月刊アパレルファッション」2月号別冊「海外ファッション・ブランド総覧」25頁ほか)、これらの使用実績が異議甲第5号証、第6号証及び第7号証に反映したものと認められる。また、異議甲各号証の中には、本件商標の登録出願後の発行等に係る証拠も存在するが、その記載内容は登録出願前における実情の把握にも参酌し得るものと認められる。
 してみれば、引用商標は、本件商標の登録出願時には、ラルフ・ローレンのデザインに係る被服等を表示するものとして取引者、需要者の間に広く知られていたものというべきである。
 なお、原告は、補助参加人との昭和55年度の売上げを比較して主張するところがあるが、この点については詳細が不明で比較することができない。
 また、原告は、異議甲第5号証ないし第7号証について、補助参加人が引用商標「POLO」、「ポロ」と同一の商標を使用していない旨主張する。
 しかしながら、異議甲第6号証においては「POLO」、「ポロ」が使用され、また、「Polo 図形 Ralph Lauren」、「Polo by Ralph Lauren」、「馬の絵」、「」と「by Ralph Lauren」として「POLO」、「Polo」を中心とする結合商標が広範囲に使用された結果、これらが我が国の取引者、需要者の間においては、後者を含めて「POLO」、「ポロ」として特定ないしは略称され広く認識され、周知、著名な商標として認識されるに至ったものと認めるのが相当である(異議甲第2号証ないし第10号証及び平成11年24日付け上申書5(2)に掲げる資料)。
 なお、原告は、一部「POLO」、「ポロ」については商標としての使用を否定するところがあるが、広告的機能等を果たしているとみられる場合は、商標の使用に該当するというべきである。
 したがって、原告の意見はいずれも採用することができない。
(5) 決定の結論
 以上のとおり、本件商標は、商標法第4条第1項第10号及び第15号の規定に違反してされたものであるから、本件登録異議申立ては理由あるものとし、その登録を取り消すべきである。
第3 原告主張の決定取消事由
 本件商標の登録出願時においては、商標「POLO」、「ポロ」(引用商標)は補助参加人が商品「被服、装身具、香水、眼鏡」等に長年使用しているものとして需要者の間に広く知られていなかったにもかかわらず、決定は、これを肯定し、また、本件商標が、指定商品中「布製身回品(他の類に属するものを除く)、寝具類(寝台を除く)」に使用するときは、補助参加人と何らかの関係を有する者に係る商品であるかのごとく、その商品の出所について混同を生じるおそれがあると認めた。しかし、以下に述べるとおり、この認定、判断は誤りであり、これに基づき本件商標登録を取り消した決定は取り消されるべきである。
1 本件商標は、「PoLo」に「SPORTS」を結合させたものであり、もともと原告の登録第1447449号商標(昭和47年4月22日登録出願、指定商品・旧第17類、昭和55年12月25日登録。以下、当時の商標権者丸永衣料株式会社にちなみ「丸永商標」という。)及び登録第1434359号商標(昭和47年6月30日登録出願、指定商品・旧第17類、昭和55年9月29日登録。以下、当時の商標権者Aにちなみ「A商標」という。)の連合商標として、昭和58年5月11日に登録出願された防御商標である。現在、丸永商標、A商標及び本件商標の商標権者は原告である。
 丸永商標
 Aは、登録第1434359号商標(A商標)の商標権者であったが、丸永衣料株式会社は、昭和58年12月19日(登録日)、A商標の商標権を譲り受け、丸永衣料(株)(昭和60年2月1日に公冠販売株式会社と商号変更)は、平成10年4月27日原告にA商標の商標権を譲渡している。
 A商標
 原告、丸永衣料(株)、公冠株式会社、公冠販売株式会社の略歴及び関係は次のとおりであり、原告及び前身の会社は昭和43年ころから、丸永商標及びA商標を被服等の衣料品の製造販売に使用してきており、本件商標も昭和58年ころから使用している。
2 ラルフローレンが米国においてデザイナーとして地位を確立したのは、映画「華麗なるギャツビー」の主演男優衣装デザイン担当だったからということである。しかし、この映画自体は米国の映画批評家の間では失敗作であったとされ、ラルフローレンも「パターニングはもちろん、デザイン画さえかけない」とされ、本格的なデザイン修行をしていない異例のデザイナーであると評されている。同氏はデザイナーとしてよりも、むしろ生活スタイルの提案者、事業者としての評価が高い。
3 ラルフローレンの製品の日本におけるライセンスは、昭和50年ころの株式会社菱屋に対するものが第1号とされている。(株)菱屋はA商標の専用使用権者であるタッグネックウェア工業株式会社にA商標の使用許諾を申し入れたが、拒絶されている。次いで昭和53年、西武百貨店が少量のラルフローレン製品を米国業者から輸入し、店頭販売を開始した。
 補助参加人は、昭和56年2月、西武百貨店を通じ、丸永商標の商標権者であった丸永衣料(株)(後の公冠販売(株))に丸永商標の使用許諾を申し入れ、昭和62年1月1日から発効する本件商標やA商標、丸永商標などの通常使用許諾の契約(62年ライセンス契約)が、補助参加人と公冠販売(株)との間で締結された。なお原告は、公冠販売(株)(丸永衣料(株)は、その旧商号)から、平成10年4月27日にA商標及び丸永商標を譲り受けている。
 補助参加人は、本件商標やA商標、丸永商標などの通常使用権を得た後、すなわち昭和62年10月ころ、その製品を専門的に取り扱ういわゆるパイロットショップを銀座に開店した。この時点こそが、我が国においてポロ・ラルフローレンの周知性が客観的事実により確立した時期であると評価すべきである。
4 補助参加人は、A商標につき、不正使用の目的に出たもので商標法1条1項19号の該当性を主張している。しかし、A商標は、原告の前々身である丸永衣料(株)が、出願経過について不知のまま昭和58年7月14日に権利取得したものである。補助参加人が昭和58年9月22日A商標の登録無効審判請求をしたにもかかわらず、平成7年1月23日その不成立審決があり、そのまま確定している。しかも、この無効審判手続係属中に、原告の前身の公冠販売(株)と補助参加人、株式会社西武百貨店等との間で62年ライセンス契約が締結され、その第6条で、補助参加人は上記無効審判手続を継続することを公冠販売(株)から容認されている。このように補助参加人は十分に自らの攻撃防御が許されていたのに、上記不成立審決が確定しているのであり、今回再びA商標の無効の主張を蒸し返すのは、一事不再理原則、禁反言原則にも反し、不公正であって許されない。
 補助参加人は、62年ライセンス契約(後記第5の3)は単なる「不争契約」であると主張するが、契約内容の解釈は契約文言に従って判断すべきである。文言上、62年ライセンス契約は商標権の有償による通常使用権設定契約であることは明確である。
 62年ライセンス契約の許諾対象は、二つの基本商標(丸永商標、A商標)及びこれらのロゴであることは、その第1条の「商標」の定義から明確である。本件商標のような基本商標の連合商標となり得るものもこの中に含まれる。
第4 決定取消事由に対する被告の反論
 以下のとおり、引用商標「POLO」、「ポロ」は、ラルフ・ローレンのデザインに係る被服等を表示するものとして本件商標の登録出願前までには、ラルフ・ローレンのデザインに係る被服等を表示するものとして、我が国において取引者、需要者の間に広く認識されるに至っていた。したがって、本件商標は、商標法第4条第1項第10号及び第15号の規定に該当するとした決定の認定、判断に誤りはない。
1 アメリカ合衆国在住のデザイナーであるラルフ・ローレンは1967年に幅広ネクタイをデザインして注目され、翌1968年にポロ・ファッションズ社を設立、ネクタイ、シャツ、セーター、靴、カバンなどのデザインを始め、トータルな展開を図ってきたこと、1971年には婦人服デザインにも進出し、「コティ賞」を1970年と1973年の2回受賞したのを始め、数々の賞を受賞しており、1974年には映画「華麗なるギャッツビー」の主演俳優ロバート・レッドフォードの衣装デザインを担当したことから、アメリカを代表するデザイナーとしての地位を確立した。そのころからその名前は我が国服飾業界においても知られるようになり、そのデザインに係る一群の商品には、横長四角形中に記載された「Polo」の文字と共に「by RALPH LAUREN」の文字及び馬に乗ったポロ競技のプレーヤーの図形の各商標が用いられ、これらは「ポロ」の略称でも呼ばれている。
2 我が国においては、株式会社西武百貨店等が昭和51年(1976年)にポロ・ファッションズ社から使用許諾を受け、昭和52年からラルフ・ローレンのデザインに係る紳士服、紳士靴、サングラス等の、昭和53年から婦人服の輸入、販売をしてきた。
3 (株)スタイル社1971年7月発行「dansen男子専科」を始め、(株)講談社昭和53年7月20日発行「男の一流品大図鑑」、(株)講談社昭和54年5月発行「世界の一流品大図鑑'79年版」、(株)チャネラー昭和54年9月発行別冊チャネラー「ファッション・ブランド年鑑'80年版」、「男の一流品大図鑑'81年版」(昭和56年4月発行)、「世界の一流品大図鑑'80年版」(昭和55年6月発行)、婦人画報社昭和55年12月発行「MEN’S CLUB 1980,12」、「世界の一流品大図鑑'81年版」(昭和56年6月発行)、サンケイマーケティング昭和58年9月28日発行「舶来ブランド事典'84ザ・ブランド」、(株)講談社昭和60年5月発行「流行ブランド図鑑」などの書籍において、「POLO」、「ポロ」、「Polo」、「ポロ(アメリカ)」、「ポロ/ラルフ・ローレン(アメリカ)」等の表題の下に、ラルフ・ローレンのデザインに係る紳士服、紳士用品等が紹介されている。
4 これらを総合すれば、ラルフ・ローレンのデザインに係る被服等について使用される標章は、「Polo」の文字と共に、「by Ralph Lauren」の文字及び「馬に乗ったポロ競技のプレーヤーの図形」などの各標章であるが、我が国においては、これら標章を総称して単に「ポロ」、「POLO」と略称していたのであり、したがって、引用商標「POLO」、「ポロ」は、遅くとも本件商標の登録出願前までには、ラルフ・ローレンのデザインに係る被服等を表示するものとして、我が国において取引者、需要者の間に広く認識されるに至っていた。
第5 補助参加人の主張
1 補助参加人のライセンス商品として、日本で最も早く展開されたのはネクタイであり、1975(昭和50)年には、株式会社西武百貨店に先駆け、菱屋株式会社が日本におけるポロの最初のライセンシーとして、ポロのネクタイの製造・販売を開始している。
 西武百貨店は、1976(昭和51)年にラルフ・ローレンの主宰するポロ・ファッションズとメンズ・ウェアについてのライセンス契約を締結後、直ちにメンズ・ウェアの販売を開始し、続いて1978(昭和53)年にはレディース・ウェア、1980(昭和55)年にはボーイズ・ウェア、1982(昭和57)年にはガールズ・ウェア及びレザーグッズの販売を開始しており、これに対応して、1977(昭和52)年には約5900万円、1978(昭和53)年には約9800万円の宣伝販促費を投じ、その後も1979(昭和54)年から1987(昭和62)年にかけては、年間約4000万円〜1億1800万円の宣伝販促費を支出している。この結果、日本における補助参加人商品の売上げ(小売りベース)は、1977(昭和52)年の5億6200万円を皮切りに、1978(昭和53)年には14億1800万円、1979(昭和54)年には21億200万円、1980(昭和55)年には38億8200万円、1981(昭和56)年には72億2300万円、1982(昭和57)年には124億7500万円と顕著な右肩上がりの伸びを示し、現在は年間900億円に近い売上げを誇る、日本でも有数の人気の高いブランドの一つとなっている。かかる補助参加人商品の急激な成長ぶりにかんがみれば、原告の「Polo(ポロ)」ブランドが、補助参加人の商品を示すものとして極めて短期間に日本における周知性を獲得し、遅くとも本件商標の出願された1983(昭和58)年までに周知となっていたのは明らかである。
2 Aは、登録第1434359号商標(A商標)の登録出願と同時に、補助参加人の商標であり、これを主宰するデザイナー名でもある「ラルフローレン」の商標をも登録出願している。この出願は登録を認められなかったが、かかるAの行動からみても、Aが補助参加人の商標「POLO」を剽窃する目的でA商標の登録出願をしたことは明らかであり、A商標には無効原因が存する。現行商標法第4条第1項第19号は、他人の業務に係る商品を表示するものとして日本国内又は外国における需要者の間に広く認識されている商標と同一又は類似の商標であって、不正の目的をもって使用をするものについて商標登録を受けることはできないと規定しているが、A商標も本来ならば正に同号に該当すべきものである。
3 補助参加人は、自己の商品を日本で展開してもA商標及び登録第1447449号商標(丸永商標)の商標権侵害になるとは考えていなかった。丸永商標については、原告がこれを現実にはほとんど使用しておらず、また原告が当時展開していた「POLO British Country Spirit」なる商品も、下着を中心とするものであって、原告自身、「自分たちの商品と補助参加人の商品は全く違うものであり、混同するとは考えていない」旨表明しており、当初の交渉は無償による使用許諾をベースとしていたほどであった。A商標は、Aが補助参加人の商標を剽窃せんとする悪意の目的により出願したものであり、丸永商標に対しては類似かつ後願の関係にあったので、補助参加人としてはこれを本来無効原因の存する商標と考えており、無効審判を請求していたほどである。しかし、補助参加人のライセンシーである(株)西武百貨店が法的紛争は避けたいとの意向であったため、昭和62年1月1日発効の補助参加人と公冠販売(株)間のライセンス契約(62年ライセンス契約)において、いわば不争契約を結ぶため原告と交渉するに至ったにすぎない。しかも、補助参加人と原告の合意の効力は、本件商標に及ばない。
 62年ライセンス契約は、本件商標を含む「POLO」の表示を用いた周辺商標についても通常使用許諾の対象とするものではなかった。62年ライセンス契約第2条によれば、公冠販売(株)は、補助参加人に対し、公冠販売(株)の有する本件商標を使用する非独占的ライセンスを付与するとされており、第1条によれば、ここでいう本件商標とは、同契約別紙に記載されている登録第1447449号商標(丸永商標)及び登録第1434359号商標(A商標)のみである。
4 商標法第4条第1項第15号にいう混同のおそれがあるというためには、出願人に混同の意思があることは必ずしも必要ではない。しかし、他人の業務にかかる商品と混同を生じさせようとする意思が出願人にあった場合、かかる混同のおそれは一層高まる。原告は、正に世界的に周知・著名な商標である補助参加人の「POLO」商標にフリーライドし、これとの混同を生じさせることを企図して本件商標を出願・登録したものといえる。このことは、以下の事実にかんがみれば明白である。
 まず公冠販売(株)は、62年ライセンス契約第2条において、その関連会社を除き、補助参加人の事前の書面による承認なくして、丸永商標及びA商標又はその他「POLO」若しくは「POLO」の概念を表した商標を第三者に使用許諾してはならないことになっている。同契約第5条によれば、公冠販売(株)は、「POLO」商標をBritish Country Spiritラインの製品に関連してのみ使用する義務を負っており、かつ、補助参加人の「POLO」商標の使用と不当に混同するような方法で「POLO」商標を使用した製品を販売してはならないとされている。しかしながら、原告は、少なくとも2000(平成12)年春夏物から、「POLO」ブランドのBCS(ブリティッシュ・カントリー・スピリット)ラインを、ライセンシーを通じて販売すると報道されており、そのライセンシーはいずれも公冠販売(株)の関連会社とは考えられないが、補助参加人はかかる使用許諾を承認したことはない。かかるライセンシーに対して許諾する商品群は、当初公冠販売(株)が販売していた下着類のみならず、被服全般にわたるものと推察されるが、このような商品展開は、明らかに補助参加人の商品ラインに接近し、これとの混同を生じさせるものである。
 かかる明白な契約違反にもかかわらず、原告の広告(丙第2号証)には、「米国ポロ・ローレン社とは、契約により友好的な関係にあります」との記述があり、また丙第5号証においては、「ポロ・ビーシーエスは、米国のポロ・ローレン社にブランドのライセンス供与をしており、従来通り友好関係を維持しながらの展開となる」との記述がなされ、あたかも、補助参加人がかかる使用許諾を承認しているかのような印象を与えている。このような記述は、原告が補助参加人の関連会社であるか、または補助参加人と何らかの提携関係にあるのではないかという誤認を生ぜしめることを原告が企図しており、本件商標を補助参加人の業務に係る商品と混同させる目的が原告にあるからにほかならない。  
5 本件商標の登録を取り消さなければ、補助参加人の業務に係る商品との混同を生ずるおそれは極めて高い。
第6 当裁判所の判断
1 補助参加人の使用商標普及の推移
(1) 乙第3号証、乙第4号証によれば、株式会社洋品界(昭和55年4月15日)発行「月刊『アパレルファッション店』別冊、1980年版『海外ファッション・ブランド総覧』」122頁、123頁、195頁、221頁、224頁、281頁に、「ポロ・バイ・ラルフ・ローレン PORO by RALPH LAUREN」(「PORO」は「POLO」の誤記と認める。)の商標が、ネクタイ、紳士靴、紳士服、サングラスを商品内容としてアメリカのポロ・ファッション社との提携等により西武百貨店が輸入元となって発売等が行われ、「ポロ Polo」の商標は、紳士靴の商品内容で、アメリカのポロ・ファッション社との提携等により西武百貨店が輸入元となって発売等が行われていることが紹介され、株式会社アパレルファッション(昭和57年1月10日)発行「月刊アパレルファッション」2月号別冊「海外ファッション・ブランド総覧」128頁、129頁、194頁、252頁には、「ポロ・バイ・ラルフ・ローレン PORO by RALPH LAUREN」(「PORO」は「POLO」の誤記と認める。)の商標が、ネクタイ、ハンカチーフ、マフラー、紳士靴、紳士服、サングラスを商品内容としてアメリカのポロ・ファッション社との提携等により西武百貨店が輸入元となって発売等が行われ、「ポロ Polo」の商標は、紳士靴の商品内容で、アメリカのポロ・ファッション社との提携等により西武百貨店が輸入元となってされる発売等が紹介されていることが認められる。
 また、乙第5号証によれば、ボイス情報株式会社(昭和59年9月25日)発行「ライセンス・ビジネスの多角的戦略'85」223頁に、ポロ関係のブランドとして「ポロ・バイ・ラルフ・ローレン」の商標がラルフ・ローレンをライセンサーとし、国内ライセンシーを(株)西武百貨店として紹介され、また「ポロ・ボーイズ」の商標も同様のライセンサー、ライセンシーとして紹介されていることが認められる。乙第13号証によれば、FUJINGAHO-SHA(昭和55年)発行「MEN'S CLUB」1980年12月号72頁に、「DRESS-UP for CHRISTMAS Formal Scene FROM New York」との表題の下、「Polo By Ralph Lauren」のマークが男性写真とともに紹介されていることが認められる。
(2) 他方、乙第10、第11、第12号証によれば、株式会社講談社(昭和55年5月25日)発行「世界の一流品大図鑑'80年版」131頁、同社(昭和55年11月20日)発行「男の一流品大図鑑'81年版」12頁、同社(昭和56年5月25日)発行「厳選308ブランド'81年版」87頁に、スーツのブランド「POLO」を、ラルフ・ローレンが手がける商標として紹介していることが認められる。
 しかしその一方で、乙第6号証によれば、日経流通新聞昭和63年10月29日の記事にも、表題には「西武百貨店「ポロ」事業を独立」とあるものの、記事内容中には「西武百貨店は、商品事業本部で展開してきたポロ・ラルフローレン事業を分離・独立させ、ポロ・ラルフローレンジャパンを設立した。・・・来年秋から新しい商品群を導入してポロ・ラルフローレンブランドのライセンス事業をトータル展開する。・・・現在、ネクタイ、眼鏡を除くポロ・ラルフローレンブランドは西武百が持つ。・・西武百は現在、ポロ・ラルフローレンブランドで紳士服、婦人服、子供服、皮革製品、ホームファニシングとポロブランドのボリュームゾーンであるチャップスブランドを取り扱っている。」などと記載され、専ら「ポロ・ラルフローレンブランド」という用語が使用されていることが認められる。
(3) 以上の事実からみると、なるほど、西武百貨店によりかなりの数量のラルフ・ローレンのポロブランド商品が販売されていたものと認められる。しかし、丙第6、第7号証(株式会社西武百貨店のポロ商品ブランド管理担当者・B作成の陳述書)によれば、(株)西武百貨店は、補助参加人からのライセンスに基づくいわゆるポロ商品の宣伝販促費として昭和59年までは5000万円台までにとどまっていたのが、それ以降は1億円を超え多い年で13億円を上回る宣伝販促費を投入するに至っていたこと、いわゆるポロ商品の小売りベースでの売上げは昭和52年の5億6200万円を皮切りに、昭和57年に124億円台、昭和58年には150億円台、昭和59年に172億円台となったが、昭和60年には216億円と200億円を超え、平成3年には934億円、平成4年には875億円と飛躍的に増加し、現在でも900億円前後の売上げを記録していることが認められるところからも分かるように、昭和59年までとそれ以降では、宣伝販促費及び小売額の両面において、質的な数値の違いがみられる。
 また、甲第8、第9、第13、第32及び第33号証並びに弁論の全趣旨によれば、後記2(1)、(2)に認定のとおり、我が国においては、昭和47年に登録出願され、昭和55年に登録された登録第1434359号商標(「POLO」の文字からなるA商標)及び登録第1447449号商標(ポロ競技者の図形と「Polo」の文字からなる丸永商標)が存在していたことから、補助参加人は(株)西武百貨店を介して、昭和56年ころから当時の丸永商標の商標権者であった丸永衣料株式会社と接触していたが、本格的には昭和58年終わりころから上記両商標の使用に関する交渉を行った結果、昭和62年1月1日に発効する通常使用許諾のライセンス契約が補助参加人と公冠販売株式会社との間で締結され、(株)西武百貨店もこれを承認したことが認められる。この62年ライセンス契約締結前に、補助参加人の商品のうち「POLO」ないし「ポロ」商標のみを付した商品がどの程度存在したかは証拠上明らかではなく、むしろ、前記諸事実からは、ほとんどが「Polo by Ralph Lauren」、「ポロ・バイ・ラルフローレン」ないし「ポロ・ラルフローレン」との商標が付されていたものと推認されるところである。
 加えて本件においては、後記2の(1)のように原告ないしその前身会社も、「Polo」ないし「PoLo」の文字を含む商標を付したポロブランド衣料品を販売していた事実が認められるほか、「暮らしの手帖」のような生活情報のオピニオン・リーダー的な地位を占める雑誌においても、その存在が報じられていたことが認められる(甲第32号証添付資料3−1の「暮らしの手帖平成4年8.9月号」の記事によると、「公冠」が関西の古い繊維メーカーとして紹介され、ラルフ・ローレンが進出する10年以上も前から「POLO」商標でポロシャツを作ってきたこと、ラルフ・ローレンがアメリカで持っている商標は世界共通のものではないことなどが紹介されている。)。
(4) もともと、「ポロ」という語は騎乗球技を意味する普通名詞であり(広辞苑第5版の「ポロ」の項)、「ポロシャツ」などの語に表れるように、日本においてもなじみのあったものである。商品ブランドに関する専門分野では、ラルフ・ローレンないし補助参加人の手がけるポロ関連ブランドについては、「ポロ・バイ・ラルフローレン」ないし「ポロ・ラルフローレン」とのブランドで商品展開していたことが紹介されているところ(乙第3ないし第5号証によって認められる前記「ポロ・バイ・ラルフ・ローレン」商標の紹介。この点は、前記日経流通新聞の記事にみられるように、昭和63年に至っても同様である。)、前記「世界の一流品大図鑑'80年版」、「男の一流品大図鑑'81年版」、「厳選308ブランド'81年版」などの記載も、「POLO」ブランドをラルフ・ローレンが手がけるものとして紹介しているにとどまり、日本で「POLO」ないし「ポロ」商標を使用したラルフ・ローレンないし補助参加人の商品がどの程度展開され、その商品がどの程度の範囲で著名になっていたかについて紹介するものではない。また、丙第6、第7号証の陳述書においても、「ポロ商品」の販売額が、商標として「POLO」ないし「ポロ」のみを付した商品についてのものなのか、「POLO by Ralph Lauren」、「ポロ・バイ・ラルフローレン」ないし「ポロ・ラルフローレン」とのブランドを付したものについてのものなのかは不明である。
 例えば、近時、携帯電話を「携帯」と略称するようになり、「ケータイ」といえば「携帯電話」を意味するようになったのと同様に、外来語も略称化して言い習わす日本人の習慣により、本来「ポロ バイ ラルフローレン」と称されるべきところを「ポロ」と省略して言い表すようになることもあり得るところ、略称化された語が日本の一般的な辞書に登載されている普通名詞である以上、これをもってラルフ・ローレンないし補助参加人の商品のみを表示するものであるとして、本件商標の登録出願時(昭和58年5月11日)において既に著名となっていたと認定するには、証拠上明確である必要がある。
 そこで次に、補助参加人ないしそのライセンシーとは別に、原告の関連会社が「ポロ」と称呼される商標を使用してきた事実関係についてみてみる。
2 いわゆる公冠グループ商標
(1) 甲第8、第13号証によれば、Aは、登録第1434359号商標(昭和47年6月30日登録出願、指定商品・旧第17類、昭和55年9月29日登録。A商標)の商標権者であったが、丸永衣料株式会社は、昭和58年12月19日(登録日)にA商標の商標権を譲り受け、丸永衣料(株)は、平成10年4月27日原告にA商標の商標権を譲渡していることが認められる。また、弁論の全趣旨によれば、原告は登録第1447449号商標(昭和47年4月22日登録出願、指定商品・旧第17類、昭和55年12月25日登録。丸永商標)の商標権者であることが認められる。
 甲第13号証及び甲第32号証(原告代表取締役作成陳述書。そこに添付の資料を含む。)によれば、原告は公冠株式会社及び公冠販売株式会社が資本金を折半して設立された会社であるが、公冠(株)及び公冠販売(株)並びにこれらが手がける商品の卸売り、小売りを扱う商店で構成するいわゆる公冠グループは、「Polo」ないし「PoLo」の文字を含む商標による衣料品の製造、販売を昭和47年ころから開始し、昭和55年には公冠販売(株)の売上額が9億8000万円に上り(甲第32号証添付資料4。そこに「丸永衣料(株)」とあるのは、公冠販売(株)の当時の商号である。)、昭和56年、57年、58年も、6億2900万円、5億6634万円、6億0743万円の売上額を計上していたことが認められる。
(2) そして、甲第9、第13、第32、第33号証及び丙第10号証並びに弁論の全趣旨によれば、補助参加人は株式会社西武百貨店を介して当初は昭和56年ころから、次いで昭和58年終わりころから、丸永衣料株式会社との間で、A商標、丸永商標に関して合意を得るべく交渉を行ったが、丸永衣料(株)が和議終了後の昭和60年2月に商号変更して公冠販売株式会社と称するようになった後になって、同社と交渉を続けた結果、昭和62年1月1日から発効する、A商標、丸永商標及びこれらのロゴの通常使用許諾の契約(62年ライセンス契約)が、公冠販売(株)と補助参加人との間で締結され、(株)西武百貨店もこれを了承したことが認められる。この62年ライセンス契約の性質につき、原告は通常使用権の設定契約であると主張するのに対し、補助参加人は不争契約の性質を有するものであると主張する。契約の解釈は契約の効果が問題になる事項ごとに個々に判断すべきであって、一概にいずれの性質のものであるかを断定することはできないが、62年ライセンス契約により、公冠販売(株)が補助参加人に対し、ネクタイとマフラーを除く旧17類の商品について日本国内におけるA商標及び丸永商標並びにこれらのロゴの通常使用権を設定したことは明らかであり(契約書第2条本文及び第3条)、補助参加人がロイヤルティを支払う旨約し、そこにおいて、補助参加人は、公冠販売(株)がA商標及び丸永商標を保有する権利を有することを認めているものと認定することができる(契約書第6条第1文。なお、A商標については、同契約上、無効審判請求手続を続行する権利が補助参加人に留保されている。同条第2文)。
 また、甲第9号証によれば、62年ライセンス契約第2条ただし書きにおいて、公冠販売(株)は、同社の関連会社を除く第三者に対し、補助参加人から事前に書面による同意を得ずにA商標及び丸永商標の権利並びにPOLOないしPOLOのコンセプトを具体化した他の商標の使用許諾を行わないものとされていることが認められ、同条項及び第4条、第5条に照らすと、補助参加人としても、A商標及び丸永商標並びにPOLOないしPOLOのコンセプトを具体化した他の商標の使用が、補助参加人の商品と混同を生じさせるような方法でない限り、公冠販売(株)及びその関連会社によって使用されることを容認していたものと認めることができる(丙第10号証=補助参加人訴訟代理人・松尾眞作成の陳述書)。
3 本件出願時における補助参加人ブランドの著名性の有無
 上記認定のとおり、昭和57年、58年当時、公冠グループによるPolo商標を付した被服類にも億単位の額の売上げがあったのであり、「Polo」ないし「PoLo」の文字を含む衣料品の商標は、公冠グループが現実に使用していて、このことは一般にもある程度知られていたものということができる。そして、そもそも「ポロ(polo)」という語が騎乗球技を表す普通名詞であることからすると、昭和57年、58年当時において、「POLO」、「ポロ」の商標からは、ラルフ・ローレンのデザインに係る被服等を認識する者もいれば、公冠グループが扱う被服等を認識する者もいたというべきである。このような状況の下において、かつ、上記のような事実関係の下における昭和58年度当時の(株)西武百貨店の売上げの程度、さらには、当時補助参加人商品は専ら「POLO by Ralph Lauren」、「ポロ・バイ・ラルフローレン」ないし「ポロ・ラルフローレン」とのブランド(商標)で商品展開されていたことを総合勘案すると、その称呼から普通名詞の「ポロ」のみを生じる引用商標「POLO」、「ポロ」は、本件商標の登録出願時である昭和58年5月11日の時点のわが国においては、ラルフ・ローレンのデザインに係る被服等のみを表示するものとして、取引者、需要者の間に広く認識されるに至っていたものと認めるのは困難である。
 むしろ、上記事実関係からすると、昭和55年から58年当時においては、ラルフ・ローレンが手がけるいわゆるポロ商品は、「ポロ・バイ・ラルフローレン」ないし「ポロ・ラルフローレン」という一連の標章によって識別されていたものと認めるべきものである。
4 決定の判断の誤り
 決定が、本件商標登録は、商標法第4条第1項第10号及び第15号の規定に違反してされたものであると判断したのは、引用商標がその登録出願前から補助参加人の商品「被服、装身具、香水、眼鏡」等に係るものとして需要者の間に広く知られていることを前提にしているものであるが、上記判断したところによれば、この前提事実を認めることはできない。したがって、この事実があることをもって、商標法第4条第1項第10号及び第15号の規定に違反して本件商標が登録されたとした決定の判断は誤りであり、決定は取消しを免れない。
第7 結論
 以上のとおりであり、原告の請求は認容されるべきである。

東京高等裁判所第18民事部
 裁判長裁判官 永井紀昭
 裁判官 塩月秀平
 裁判官 古城春実
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