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【事件名】『チーズはどこへ消えた?』の「類似本」事件A 【年月日】平成13年12月19日 東京地裁 平成13年(ヨ)第22090号 不正競争仮処分命令申立事件 決定 債権者 株式会社扶桑社 同代理人弁護士 牧野二郎 同 佐久間篤夫 債務者 道出版株式会社 債務者 甲 債務者両名代理人弁護士 岡本敬一郎 主文 1 本件仮処分申立てを却下する。 2 申立費用は債権者の負担とする。 理由の要旨 第1 債権者の申立て 1 債務者らは、別紙目録記載の出版物を制作し、譲渡し、引き渡し、譲渡若しくは引渡しのために展示してはならない。 2 前項記載の出版物に対する債務者らの占有を解いて、債権者の委任する東京地方裁判所執行官にその保管を命ずる。 第2 事案の概要 債権者は「チーズはどこへ消えた?」と題する出版物(以下「債権者出版物」という。)を出版した者であるが、債務者らが別紙目録記載の「バターはどこへ溶けた?」と題する出版物(以下「債務者出版物」という。)を出版し、販売する行為は、不正競争防止法2条1項1号又は2号所定の不正競争行為に当たると主張して、その出版販売等の差止めを求めている。 1 前提となる事実 (1) 米国在住の乙は、債権者出版物の原作である「Who Moved My Cheese ?」(以下「原著作物」という。)を著作した。ペンギン・パットナム社は、乙との間で出版契約を締結し、原著作物の出版権を取得した。 (2) 債権者は、平成10年12月10日、ペンギン・パットナム社との間で出版契約を締結し、原著作物を日本語に翻訳し、出版する権利を取得した。債権者は、この契約に基づき、丁の翻訳により、原著作物の日本語訳である債権者出版物を日本国内において出版した。 (3) 債務者道出版株式会社(以下「債務者道出版」という。)は、平成13年4月25日ころ、債務者出版物を出版した。債務者出版物は、全国の書店において広く販売されている。 2 争点及びこれに関する当事者の主張 (1) 債権者の商品等表示の著名性(不正競争防止法2条1項2号) 【債権者の主張】 原著作物は、平成10年(1998年)、米国で発売された。著作者の乙(医学博士)は、米国では別の著作物により既に著名になっており、大企業において従業員の研修用のテキストとして用いられたこともあって、原著作物は、1999年度全米ビジネス書ベストセラー第1位となり、発売後2年間にわたり全米ランキング1位を維持するベストセラーとなっている。 債権者は、前記のとおり原著作物の出版権を取得した後、債権者出版物につき、新聞、テレビ、雑誌、インターネット等を通じて広範かつ集中的な広告宣伝を行い、その他、電車の吊革や車両内の広告、主要な交通機関の掲示板での広告等各種媒体により宣伝を展開した。 その結果、債権者出版物は発売から2か月後にベストセラー総合ランキング第8位となり、平成13年2月からは毎週ベストセラー総合ランキング第1位を維持し、累計の販売部数は発売後7か月で330万部を超えている。 以上の経緯で、遅くとも平成13年2月ころまでには、債権者出版物の書名「チーズはどこへ消えた?」及びチーズと人物を組み合わせた絵により構成される装丁(以下、これを「本件表示」という。)は、債権者が出版する著作物の商品等表示として著名なものとなった。 【債務者らの主張】 債権者主張の事実は知らず、法律上の主張は争う。 (2) 債権者の商品等表示の周知性(不正競争防止法2条1項1号) 【債権者の主張】 前記(1)のとおり、債権者は、債権者出版物の販売に際し、全国的に広告宣伝活動を行ったものであり、本件表示は、仮に著名とはいえないにしても、需要者である読者の間に広く認識されていることは明らかである。 【債務者らの主張】 債権者主張の事実は知らず、法律上の主張は争う。 (3) 債務者らの商品等表示の類似性 【債権者の主張】 ア 債務者出版物の書名である「バターはどこへ溶けた?」は、債権者出版物の書名である「チーズはどこへ消えた?」に酷似している。 すなわち、両者の書名を分析の上で対比すると次のとおりである。 (ア) 「チーズ」と「バター」 名誉、幸福、金銭などの価値あるものを具現化する象徴として、債権者出版物においては「チーズ」が、債務者出版物においては「バター」がそれぞれ用いられている。いずれも、食用乳製品として食卓に上るごくありふれた日常的な食品であり、観念の上で両者は類似する。 (イ) 「どこへ」の表記 債権者出版物、債務者出版物ともに、対象物が「どこへ」消えたかという点について著述されている。「どこへ」という表現からは、誰かが持っていったのか、盗まれたのか、いずれにしても自分の知らないうちにものがなくなってしまったということが想起されるが、両出版物ともその内容としては自ら知らないうちに、あるいは認識しないうちにこれまでの地位や富を失ったということを表現しようとするものであり、その意味で共通する。 (ウ) 「消えた」と「溶けた」 債権者出版物における「チーズ」が「消えた」とは、価値あるものがある日突然目の前からなくなって、困惑したということを意味するが、債務者出版物の「バター」が「溶けた」という語の組合せからは、バターが「溶けてなくなった」こと、すなわち「消えた」ことが容易に連想される。 しかも、日本語の問題として、「溶ける」という表現からすれば、その場で溶けるのであり、「どこへ」という語とは結びつかない。債務者出版物は、あえて債権者出版物の題名との類似性を堅持し、むしろ誇示する仕組みになっている。 イ 債権者出版物と債務者出版物は、いずれも本体にカバー(装丁)をかけて販売されているが、その装丁編集においても類似している。 すなわち、債権者出版物は、本体カバーの表紙側には、順に、@英文の題名(47.5ポイント活字で、濃茶色)、A和文の題名(カタカナ・ひらがなフォント53.4ポイント活字で、赤茶色)、Bカタカナで著者名(カタカナ・ゴシックフォント24.6ポイント活字で赤茶色)、C英文字で著者名(英文フォント28ポイント活字で濃茶色)、D翻訳者の氏名(ゴシック体フォント15ポイント活字で赤茶色)となっているが、債務者出版物においてもDがイラスト作成者となっている点を除き、上記構成とほぼ同一の表示を行い、構成のみならず、配置、カラー、色調、活字イメージなどにおいて、酷似した内容になっている。 ウ 債権者出版物の本体カバーのイラストの配色は、白を背景に、灰色、黒色、黄土色、茶色を用いているのに対し、債務者出版物の本体カバーのイラストの配色は、薄黄色を背景として、その他は白色、灰色、黒色、黄土色を用いている。いずれの配色も、黄系統や茶系統の色を基調として白色や黒色を組み合わせており、全体の色調は類似している。 さらに、債務者出版物の版型(B6)及び頁数(96頁)は債権者出版物のそれと同一であり、定価の表示である「定価:本体838円+税」の部分も同一である。 エ 以上のとおり、債務者らが債権者の商品等表示に類似する題名の債務者出版物を出版、販売する行為は、債権者の著名又は周知な商品等表示である本件表示を冒用するものである。 【債務者らの主張】 ア 債権者出版物の書名と債務者出版物の書名で共通する部分は「どこへ」だけであるが、「どこへ」という語自体には独自性はなく、日常一般に用いられる日本語の副詞であり、この言葉自体には格別の特殊性はない。 そして、題名を構成するその他の語のうち、「チーズ」が表象するものは「仕事、家族、財産、健康、精神的な安定」であり、「バター」が表象するものは「財産、名誉、出世、権力」などであるが、債権者出版物ではそれについて「人生で求めるもの」として肯定的に評価しているのに対し、債務者出版物では「追い求めだしたらキリがないもの」という否定的な評価を与えている点で異なっている。債権者出版物は、仕事、家族、財産等の象徴として「チーズ」という酪農製品を充てたところに独自性があり、この語こそが商品等表示の本質を構成するものというべきである。 また、「消えた」と「溶けた」はともに別段の特殊性のある言葉ではない。むしろ、消えるという表現は、それを失うことに対する喪失感により否定的なイメージを与えるのに対し、溶けるという表現は、それよりもずっと自然の推移を表しており、価値的に中立であることが暗示されている。 以上によれば、債権者出版物の書名と債務者出版物の書名は類似しないというべきである。 イ 装丁編集について、外形的な部分は債権者の主張するとおりである。 しかし、債務者出版物では、英文の部分の表記については書体を異にしており、カタカナ表記についてもチーズとバターの違い及び著者名の違いから、読者に異なる印象を与えている。そして、債務者出版物の帯にある「変化を追いかけて、成功を手に入れるために大切な何かを失っていませんか?」という記載は、債務者出版物が債権者出版物とは違う価値観で書かれていることを端的に表している。 ウ 債権者出版物及び債務者出版物の色の組合せは債権者の主張するとおりであるが、全体の色調が類似している旨の主張は争う。 (4) 債権者出版物と債務者出版物との誤認混同 【債権者の主張】 債権者出版物と債務者出版物とは、書店において並べて販売されていることが多いが、以下のように両者を混同して購入している事実がある。 ア 買い間違い 宣伝広告により、債権者出版物の題名を耳にし、あるいは目にし、評判を聞いて購入しようとする者は、ベストセラー物として、書店を眺めて購入することが多い。このような読者においては、正確な書名を記憶しているとは限らないから、誤って書名が類似する債務者出版物を購入するという形での、誤認混同が生じる。 イ 続編と勘違い ベストセラー作品には、シリーズ第二弾が生まれるのが常である。読者の更に読みたいという意図を利用する形で他人がそのような出版をすることで、あたかも「続編」が出たものと勘違いする現象が起きることになる。 現に、債権者出版物を購入した者の間には、続編が出たと思い込んで債務者出版物を購入した者がある。債務者出版物中にも「二匹目のどじょう」という表現が用いられており、債務者らにおいても続編との勘違いを意図していることがうかがわれる。 ウ 関連性があるものと誤解 債務者出版物の存在は、潜在的な購買者層に対して、債権者と債務者道出版との間に何らかの資本関係や協力関係があり、類似の商品を販売することが許されているとの誤解を与えるものである。 【債務者らの主張】 債権者主張の事実はいずれも否認する。 「買い間違い」については、債権者主張のクレームは債務者道出版には一切来ていない。仮に購入者が買い間違いをするというのであれば、債権者による宣伝広告が不十分で、債権者出版物の知名度が低いことを意味し、著名性、周知性についての債権者の主張と明らかに矛盾する。 「続編との勘違い」については、債務者出版物には「第二弾」や「続編」といった表記はなく、出版社が異なり、かつ著者名も異なることから、債権者出版物の続編を買いたいと希望する読者が誤って債務者出版物を買うということは起こり得ない。むしろ、続編と勘違いするとすれば、廣済堂出版の出版にかかる「チーズはここにあった」の方がその可能性が高い。 (5) 書籍についての不正競争防止法の適用の可否 【債務者らの主張】 債権者出版物及び債務者出版物の表紙及び装丁に表れた絵画及び文字などは、すべて著作物である債務者出版物の内容を象徴的に表した表現であり、文芸上の思想又は感情の表現である著作物に含まれる。書籍は取引の対象となる有体物という側面を有するが、仮に著作物である書籍に不正競争防止法を適用すると、憲法21条の定める表現の自由を過度に規制する危険性が大きいから、著作物については不正競争防止法を適用するべきではなく、専ら著作権法により規律されるべきである。 【債権者の主張】 債務者らの主張は、争う。 (6) 保全の必要性 【債権者の主張】 債権者は、不正競争防止法2条1項1号、2号、3条に基づき、債務者による債務者出版物の書名「バターはどこへ溶けた?」の使用差止めを求める本案訴訟の提起を準備中であるが、債務者による債務者出版物の販売は債権者出版物の販売と競合させて広範に行われており、このまま放置すると、債権者による債権者出版物の販売に莫大な悪影響を及ぼし、債権者に回復し難い損害が生じるおそれがある。 【債務者らの主張】 債権者の主張は、争う。 債権者出版物と債務者出版物は、競合する関係にはなく、一方の主張を全面的に批判して作り出された本として、相互に共存する関係にあるから、債務者出版物の販売が継続しても、債権者出版物に何らの悪影響はない。したがって、保全の必要性もない。 第3 当裁判所の判断 1 債権者は、「チーズはどこへ消えた?」という債権者出版物の書名及びチーズと人物を組み合わせた絵により構成される装丁が債権者の商品等表示(不正競争防止法2条1項1号、2号)に当たる旨主張する。 しかし、上記の書名は丁が原著作物の題名である「Who Moved My Cheese ?」を翻訳したものであり、同人の創作に係るものとして、著作物と一体をなすものであるから、債権者が債権者出版物を出版したことにより、自己の「商品等表示」として差止請求権等の権利を行使できると解することには疑問がある。 2 上記の点はさておき、仮に債権者が本件表示を自己の商品等表示として主張できるという債権者の主張を前提として検討すると、まず、商品等表示の類似性(争点(3))については、これを認めることはできない。その理由は以下のとおりである。 債権者出版物の書名は「チーズはどこへ消えた?」であり、債務者出版物の書名は「バターはどこへ溶けた?」というものであるが、両者を比較すると共通する部分は「どこへ」と「?」のみである。「どこへ」は「どの場所に」という意味の副詞句であり、「?」は疑問詞であるから、これらは独立した意味を有しない。そうすると、意味のある部分は「チーズ」と「バター」、「消えた」と「溶けた」ということになる。 この点について、債権者は、債権者出版物及び債務者出版物の書名は、ともに幸福、金銭など価値のあるものが失われたという内容を意味し、両者は観念において類似する旨主張する。しかし、「チーズ」と「バター」で共通するのは乳製品であるという点だけであり、語感やその意味する内容、それから連想されるものは大いに異なる。また、「消えた」と「溶けた」についても、「消えた」という表現からは物体として存在していたものがなくなったという観念が生ずるのに対し、「溶けた」という表現からは個体として存在していたものが液体になったという観念が生ずるものであり、両者の意味するところは異なる。 さらに、本の装丁についても、債権者出版物と債務者出版物を比べると、債権者の指摘するとおり、書名や著者の表記の順序や字体において類似していることが認められるが、他方で、疎明資料(疎甲1の1、2の1)によれば、表紙から裏表紙に続く絵は、チーズとバターの個数や配置、登場するキャラクターの数や配置、色調などにおいて、読者に異なる印象を与えるものであることが認められる。 したがって、仮に債権者が本件表示を自己の商品等表示として主張できると解したとしても、債権者出版物の書名及び装丁である本件表示と債務者出版物の書名及び装丁とは、類似しないものというべきである。 3 債権者は、読者において債権者出版物と債務者出版物を誤認して購入している事実がある旨主張し、これに沿う疎明資料の記載(疎甲18の1〜3)も存在する。しかし、誤認混同ないし広義の混同として債権者が主張する点(争点(4))については、以下のとおりいずれもこれを認めるには足りない。 (1) 「買い間違い」について 債権者出版物の書名と債務者出版物の書名は異なり、かつ類似していないことは上記2において判断したとおりであるから、両者を同一のものとして混同することは考えにくい。仮に、債権者出版物を購入するつもりで誤って債務者出版物を購入した者がいるとすれば、それは書名を正確に記憶していないことに由来するものであるし、債権者出版物と債務者出版物を対比して論評するときは、「チーズ」と「バター」や「チーズ…」と「バター…」として引用されており(疎甲5の25、同26、疎乙11、12により認められる。)、両者が別の本であることは一見して明らかというべきである。 (2) 「続編と勘違い」について 疎明資料(疎甲5の25、同26、疎甲14)及び審尋の全趣旨によれば、出版業界ではベストセラーとなった本の類似本が出版されることは珍しくないこと、現に株式会社廣済堂出版は債権者出版物の出版後に「チーズはここにあった !」という書名の本を出版したこと、が認められる。 債権者出版物の書名と債務者出版物の書名が類似していないことは上記2のとおりであり、債務者出版物の書名及び装丁には債権者出版物の続編であることをうかがわせる「続」や「新」といった記載はなく、著者も異なるのであるから、読者において債務者出版物は債権者出版物を踏まえこれにあやかって出版されたとの印象を抱くことはあり得るとしても、債権者出版物の続編であるとの印象を抱くことは考えにくいというべきである。 (3) 「関連性についての誤解」について 債権者の主張する債権者と債務者道出版との間の資本関係ないし協力関係はいわゆる広義の混同にかかるものであるが、債権者出版物の書名と債務者出版物の書名が類似していない以上、読者において出版元同士の関連性を想起することは通常あり得ない。したがって、類似の本を販売することについての許諾があるとの誤解が生ずることもないといわざるを得ない。 4 結論 以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、債権者の本件仮処分申立ては理由がない(なお、債務者甲に対する申立てについては、同債務者が債務者出版物の企画、編集、販売につき具体的に関与していることの疎明はないから、この点からも理由がない。)。 よって、主文のとおり決定する。 平成13年12月19日 東京地方裁判所民事第46部 裁判官 和久田道雄 |
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