判例全文 | ||
【事件名】元リクルート会長のプライバシー侵害事件 【年月日】平成13年10月5日 東京地裁 平成11年(ワ)第5677号 損害賠償等請求事件 判決 原告 甲野太郎 訴訟代理人弁護士 多田武 同 石田省一二郎 同 丸山輝久 同 和田衝 同 小野正典 同 青木英憲 同 渋村晴子 同 今井博紀 同 伊豆田悦義 被告 株式会社文藝春秋 代表者代表取締役 白石勝 訴訟代理人弁護士 喜田村洋一 同 林陽子 主文 一 被告は、原告に対し、一〇〇万円及びこれに対する平成一一年三月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。 二 原告のその余の請求を棄却する。 三 訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。 四 この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。 事実及び理由 第一 請求 一 主文第一項と同旨 二 被告は、原告に対し、別紙一記載の文面の謝罪広告を別紙一記載の要領により一回掲載せよ。 第二 事案の概要 本件は、被告がその発行する週刊誌「週刊文春」平成一一年二月一一日号に、原告とその妻との間の民事訴訟などに関する記事を掲載したことにより、原告のプライバシーが侵害されたとして、原告が被告に対し、不法行為に基づき、慰謝料一〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払並びに謝罪広告の掲載を求めた事案である。 一 前提事実(証拠を掲げない事実は当事者間に争いがない。) (1)ア 原告は、昭和三五年、株式会社リクルート(以下「リクルート」という。なお、設立当時の商号は「株式会社大学広告」であった。)を設立し、昭和六三年七月まで同社及びそのグループ会社の代表取締役であった者であり、現在、財団法人甲野育英会の理事長とリクルートグループの特別顧問を務めている。 原告は、昭和三九年六月、妻花子と婚姻し、二人の娘をもうけている。 原告は、政治家や公務員などに対し、リクルートの関連会社であるリクルートコスモス社の未公開株式を譲渡したり、多額の政治献金を行うなどしたとされるいわゆるリクルート事件について、平成元年二月、贈賄容疑で逮捕された。原告は、その後、同容疑で束京地方裁判所に起訴され、現在も被告人として審理を受けている(<証拠略>)。 イ 被告は、雑誌及び図書の発行及び販売等を目的とする株式会社であり、週刊誌「週刊文春」を発行している。 (2)原告は、平成一〇年二月、花子外一名を被告として、東京都港区南麻布にある自宅建物(以下「本件姥物」という。)に対する自己の占有権の確認、本件建物の取壊しの禁止、本件建物を自己が住居として使用することに対する妨害の禁止などを求める訴えを東京地方裁判所に提起した(以下「別件訴訟」という。)(<証拠略>)。 別件訴訟の訴状には、別紙二の動産目録が添付されており、また、この訴訟において原告が書証として提出した内容証明郵便による通告書及び原告の陳述書には、別紙三「書き写し部分」欄記載の記述がある(<証拠略>)。 (3)被告は、「週刊文春」平成一一年二月一一日号に「あの甲野太郎リクルート前会長が法廷で夫人との泥沼訴訟合戦『妻に奪われた財産目録一万三千点』」という大見出しの特集記事(以下「本件記事」という。)を掲載し、同月四日、これを発売した。 本件記事の内容は、別紙三「本件記事」欄記載のとおりである。 二 争点 (1)本件記事の違法性の有無 (2)謝罪広告掲載請求の可否 三 争点に関する当事者の主張 (1)争点(1)について (原告の主張) ア 本件記事は、原告と花子との夫婦間の紛争について、その経過や、当事者の主張を事細かに公表するとともに、原告の私的な所有物につき、寝室に置かれていた物や下着類に至るまで詳細に暴露し、「甲野氏の性格がうかがわれる。」などと嘲笑的に原告の性格評価まで行っている。 また、本件記事には、花子の自宅の建替え願望は八王子に本部のある新興宗教の教祖のお告げであるとか、花子は原告の食事を作らないと宣言し、入退院を繰り返していた娘の住むマンションに平成七年暮れ以降一度も訪問していないなど、原告の家族についての極めて私的な事柄を詳細に記述している。 このような事実は、一般人には知られておらず、また原告にとって公表されることを望まない事実であるから、これを記事として掲載することは、原告のプライバシーを侵害する。 イ 本件記事が公共の正当な関心の対象を報道しようとしたものであるとの被告の主張は、本件記事の掲載当時には念頭になかった掲載意図を、あたかも当時から有していたかのように偽るもので、失当である。 (ア)原告が過去において、経済人等として一般社会に大きな影響を与えたことがあったとか、現在、刑事被告人の立場にあるとしても、これらは原告のプライバシーが奪われる理由にはならない。現に、本件記事によって公表された事実は、原告の刑事被告人としての立場とはいかなる意味でも関連するものではない。 (イ)本件記事に主要な対象として取り上げられた事項が何であるかを判断するためには、この記事自体を読んだ一般の読者が、どのようにこれを受け止めるかという観点から検討されなければならない。 かかる観点から本件記事を検討すると、被告の主張する追徴課税問題等は、本件記事の見出しにすら登場してこない。また、本文をすべて精査してみても、原告の妻に対する追徴課税を捉えて「脱税」と指摘する記述は皆無であり、直接的にその違法性を問題として取り上げようとする記述もない。また、原告と妻との間の代物弁済契約公正証書についても、本件記事の中では、単に原告と妻との紛争状態の発端に関わるエピソードとしてその概要が紹介されているにとどまり、適法性に疑義があるとか、原告自身が脱税の疑いがある行為と認識していたなどの指摘は一切ない。 むしろ、「妻に奪われた財産目録一万三千点」、「八王子の新興宗教教祖」、「スーツ百点にカシミヤの下着」、「『あなたの食事は作らない』」などとあるように、本件記事は、原告が著名な立場にあることにかこつけ、犯罪事実とは全く関係のない夫婦間の私的な紛争を興味本位で取り上げ、これを面白おかしく暴露し、読者ののぞき見的な興味・関心を引こうとしたものであることは明白である。 また、原告の私物に関する言及についても、本件記事の全文の五分の一の量にも達する上、「さて、この『動産目録』なるリストを見てビックリ。高級ブランド品が並んでいるのだ。」とあり、原告の私生活を興味本位に暴露しようとしたものであることは明らかである。 ウ(ア)本件記事は、現に裁判所に係属している別件訴訟の記録の閲覧により得られた情報に基づくものであるが、この訴訟記録が一般の閲覧に供されているとしても、これを書き写し、メディアを通じて一般人に公表することが当然に許されるものではなく、そこにはプライバシーを侵害してはならないという制約が自ずと存在する。 すなわち、我が国の裁判所に係属している民事訴訟事件は、その大部分が公共の利害とは何ら関わりのない私人間の私的な紛争であり、一般人の通常の感受性に照らせば、それがメディア等によって公表されることを望まないはずである。 また、裁判が公開され、訴訟記録が一般の閲覧に供されているとしても、訴訟上現れている情報が実際に伝播される範囲は極めて限られているのに対し、このような情報がマスコミによって報道された場合には、それが伝播される範囲は圧倒的な広範囲に拡大する。このように、両者には比較にならないほどの歴然とした差異がある。 さらに、そもそも憲法八二条が保障する裁判の公開の原則は、裁判が公正に行われることを制度として保障し、ひいては裁判に対する国民の信頼を確保するためのものであり、民事訴訟法九一条が何人にも訴訟記録の閲覧を認めているのは、この制度的保障を一歩押し進めたものに他ならないから、これにより知り得た個人のプライバシーに関する事柄を一般に流布して良いことにはならない。 むしろ、実際上ごく限られた範囲の人しかアクセスできなかったプライバシーに関する情報を、一般公衆がたやすくアクセスできる形に公表してしまうこと自体が、当該人物のプライバシーを侵害する違法な行為なのであり、その公表した情報の入手元が公の記録であるか否かは、当該公表行為を正当化する根拠たり得ない。 (イ)訴訟記録の閲覧制限は、秘密が重大であって、第三者の閲覧によりその当事者が社会生活を営むのに著しい支障が生じるおそれがある場合のみに限定して、特に許容されているものであり、訴訟当事者のプライバシーすべてを保護するための規定ではない。また、現実には裁判の公開自体に大きな制約がある上、原告も訴訟記録の記載内容がマスメディアによる報道の対象になるとは想定していなかった。よって、閲覧制限の申立てをしていないからといって、訴訟記録に記載されている当事者の私的な事項にプライバシーの保護が及ばなくなるとか、原告が非公開を欲していないとかプライバシーの利益を放棄したと解することは不当である。 (被告の主張) ア 本件記事が原告のプライバシーを侵害するとの主張は争う。また、本件記事のうち、原告の妻に関する記載については、原告自身に関する情報ではないから、原告自身が非公開を主張することはできない。 イ 正当な関心の対象 原告は、情報化社会と言われる現代における巨大情報産業の創設者として一般社会に大きな影響を与えた人物であり、その影響力は現在もなお存続している。また、原告は、政府税制調査会の特別委員の要職を務めたこともある公的存在であるのみならず、政官財界を巻き込んだ重大犯罪の刑事被告人である。このような原告の社会的な地位・立場からすれば、その人格や挙動は市民の正当な関心の対象となる。 原告は、別件訴訟において、花子が非課税限度回数を超える株式取引を行い追徴金を課せられたのをきっかけに、原告夫婦の仲が険悪化したため、将来離婚する場合の財産分与として、本件建物とその敷地を花子に代物弁済するとともに、追徴金の支払に充てるため、花子に対し一億八〇〇〇万円を貸し付けたと主張しているが、原告は、これらの契約はいずれも脱税の疑いのあるものと危惧していた。そうすると、これらの代物弁済と貸付けは、単なる夫婦間の私的な契約ではなく「違法ないし反社会的な行為」と考えられるし、仮に税務当局により脱税とみなされないものであったとしても、原告が脱税に当たると考えながらあえて貸付けを行ったという事実は、政府税制調査会の委員という公職にあった者の資質・適性・廉潔性などを判断するに当たって、重要な参考資料となる。 原告の私物に関する報道についても、代物弁済契約の履行状況に関連するものであるし、原告が膨大な数の私物を詳細に記憶していたことは、リクルート事件の際の証人喚問における原告の曖昧な供述態度との比較の観点から、原告の記憶力や人格をうかがわせる事柄として報道価値を有する。 以上のとおり、原告とその妻との間の紛争の根本誘因となった原告の妻に対する追徴金課税や、これに対処するための代物弁済契約及び一億八〇〇〇万円の貸付けは、いずれも違法ないし反社会的な行為であるか、少なくともこれに該当する可能性の高い行為であり、かつ、上記のような公職にあった原告を判断するうえで必要な情報であるから、これらの報道は原告のプライバシーを不当に侵害するものではない。 ウ 裁判の公開と報道の自由 民事訴訟法九一条は、「何人も、裁判所書記官に対し、訴訟記録の閲覧を請求することができる。」と規定しているから、訴訟記録はいわば「公開された公記録」に当たり、その内容は「一般の人に未だに知られていない」情報とはいえない。すなわち、「一般の人に知られているか否か」という要件は、現実に知っている人の多寡で決められるものではなく、一般人が何らの制限も加えられず一挙手一投足で容易に知ることのできる情報は、一般の人に知られた情報とみなすべきである。また、裁判記録にどのような情報を含めるかは、当事者の任意であるから、自己情報のコントロールは完全に可能であり、上記のような性格を有する訴訟記録の中に当事者が任意で提供した情報を「一般の人に未だに知られていない」として保護する必要はない。 また、この規定は、日本国憲法八二条一項の「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。」という規定を具体化したものであるが、同項により保障される裁判の公開は、報道の自由を含むのであるから、訴訟記録の内容を忠実に報道することは、プライバシー侵害その他の不法行為を構成しない。 そうすると、本件記事は、別件訴訟の公開されている訴訟記録の内容を正確に報じたものであるから、原告のプライバシーを侵害しない。 エ 原告の認識 原告は、別件訴訟について訴訟記録の閲覧制限の申立てをしていないから、同記録を当事者以外の者によって閲覧されることを許容していた。よって、そのような情報は、「当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められる事柄」とは言えないし、原告は、同記録に含まれる情報についてのプライバシーを放棄した。 (2)争点(2)について (原告の主張) ア 慰謝料 本件記事の掲載によって、原告夫婦間の紛争の具体的内容やその私生活上の持ち物などが面白おかしく詳細に暴露されたことから、原告は自ら著しい精神的苦痛を味わっただけでなく、その身内の者までが傷付けられた結果、家族関係が崩壊させられてしまうなど、回復しがたい多大な被害を被った。その精神的損害は計り知れないものであるが、慰謝料としては一〇〇万円を請求する。 イ 謝罪広告 本件記事は、原告の私生活上の事柄を何ら正当な理由なく興味本位で取り上げ、詳細に暴露したものである。これにより原告の被った精神的苦痛は甚大であり、この被害は、金銭による損害賠償のみによっては決して填補され得ない。 また、本件記事により、本来プライバシーとして保護されるべき事柄が、あたかも保護に値しない情報であるかのように誤って伝達され、他の報道機関が後追いで報道することにより二次的、三次的なプライバシー侵害が誘発された。このような被害については、本件記事が違法・不当なものであったことを率直に認める謝罪広告の掲載によってのみ、被害の回復が可能である。 以上のとおり、金銭賠償のみでは填補し得ない甚大な被害の回復を図らなければならないという強い要請や、謝罪広告の掲載により報道により暴露されてしまった情報に関しても報道前の保護に近い状態を回復できるという実際上の機能に照らし、本件のようなプライバシー侵害報道に対しては、民法七二三条の類推適用により、謝罪広告の掲載が認められるべきである。 (被告の主張) 民法七二三条は、「他人ノ名誉ヲ毀損シタル者」に対して「名誉ヲ回復スルニ適当ナル処分」を命じることができると規定しているのであり、この規定は、名誉毀損とは要件も保護法益も異なるプライバシー侵害に適用されるべきではない。 実質的に考えても、名誉毀損においては謝罪広告によって社会的評価が回復される効果があるのに対して、プライバシー侵害においては、謝罪広告によって公表された私事が未公表の状態に復帰するものではないから、謝罪広告を認める実益もない。 第三 当裁判所の判断 一 前記前提事実、<証拠略>によれば、以下の事実が認められる。 (1)原告が昭和三五年に創業したリクルートは、原告の下で各種就職情報誌等を発行するなどして、情報産業の分野において急成長した。 原告は、昭和六〇年に政府税制調査会の特別委員に就任したが、リクルート事件の発覚を契機に、昭和六三年七月、リクルートグループの代表取締役を辞任し、同時に従前就任していた政府の委員、各種経済団体の委員・役員などの職からも退いた。原告は、平成元年二月、リクルート事件で起訴され、マスコミや世間の大きな注目を集めた。原告は、平成四年七月には自己所有のリクルートの株式を売却してリクルートのオーナーとしての立場も失い、本件記事掲載当時には財団法人甲野育英会の理事長とリクルートグループの特別顧問の地位にあったが、リクルートグループに対する経営上の影響力を有するものではなかった。 (2)ア 原告が平成一〇年二月に妻花子らに提起した別件訴訟における原告の主張は、大要以下のとおりである。 原告と花子は、昭和六二年から別居している。花子は、同年、非課税の限度を超える多回数の株取引を行っていたことが国税調査で発覚したため、多額の追徴金を課せられたが、その取引の中には、原告が花子に要請して、花子所有のリクルートの株式を同社の社員に売却させた取引が含まれていた。そこで、花子は、原告に対しこの追徴金の負担を要求し、この要求はリクルー卜事件の発覚による原告に対する各方面からの追及と歩調を合わせるように激しさを増した。 原告は、せめて夫婦関係だけでも沈静化させなければならないと考え、この追徴金の支払のため、一億八〇〇〇万円を花子に貸付金として交付した。さらに、本件建物とその敷地は原告夫婦が共有していたが、原告は、将来離婚する場合の財産分与に代えて、本件建物とその敷地の原告持分を花子に給付することにした。そこで、原告と花子は、昭和六三年九月一日、原告の持分を花子に対し代物弁済するとともに、花子は原告が本件建物を住居として占有することを認めるとの代物弁済契約を公正証書にて締結した。 原告がこの契約に基づき本件建物に居住し、多数の私物を置いてこれを占有していたにもかかわらず、花子は、建築業者に本件建物の解体工事と建替工事を依頼し、原告の私物を搬出した上、本件建物の解体工事に着手した。そのため原告は、本件建物に居住できなくなり、これに対する自己の占有権を侵害された。 イ 原告は、本件建物を占有していることを示すために、本件建物に置いていたとする自己の私物の目録(別紙二)を訴状に添付した。また、原告は、自己の主張を裏付ける書証として、自己が作成した建築業者あての平成一〇年二月五日付け内容証明郵便による通告書や同年一一月二〇日付け陳述書を提出した。 原告は、この陳述書において、二〇年以上使っていた愛用のべッドやスピーカー等のオーディオ機器などを運び出されて悔しい思いであった、建築業者に重要書類(リクルート事件の供述調書や家の謄本、有価証券、現金等)と所有物の返還を請求した、夫婦の不和により体調を崩し「お父さん、助けて。お願い」と言ってきた娘を不憫に思ったことなどを記載した。 (3)「週刊文春」編集部の乙山松夫記者(以下「乙山」という。)は、平成一〇年一二月一九日、知人のフリージャーナリストから別件訴訟の存在を聞き、これをきっかけに、編集部において、別件訴訟について報道するに値するかどうかの検討が始まった。平成一一年一月二八日、編集長らによるプラン会議において、別件訴訟について取材をする方針が決定され、乙山に加え、同じく編集部の記者である丙川竹夫(以下「丙川」という。)及び丁原梅夫(以下「丁原」という。)が取材を担当することになった。 乙山は、同日、東京地方裁判所に赴いて別件訴訟の訴訟記録を閲覧し、別件訴訟の概要を把握するとともに、その一部を筆写した。また、乙山は、そのころ、原告夫婦の知人から、リクルートの創業当時の原告夫婦の関係などについて取材した。 乙山は、同月三〇日から二月一日にかけて、花子本人やその代理人の弁護士に対し取材を申し入れたが、拒絶された。また、丙川も、そのころ、原告の代理人を務める弁護士三名に取材を申し入れたが、いずれからも取材することはできなかった。 丁原は、同年一月三一日、花子の伯父と面談し、代物弁済契約締結当時の原告と花子の夫婦関係などについて取材した。また、丙川は、同年二月一日、東京地方裁判所において、別件訴訟の訴訟記録を閲覧し、その内容を筆写した。 丙川及び乙山が訴訟記録を閲覧した際に訴状添付の動産目録や原告提出の書証の記載を筆写した内容は、別紙三「書き写し部分」欄記載のとおりであった。 乙山と丙川は、記事の原稿の締切日の前日である同年二月一日、別件訴訟について原告に取材を申し入れる書面を甲野育英会あてにファクシミリで送付した。この書面において乙山らは、「甲野様と奥様の花子様の、南麻布の御自宅建て替えをめぐる訴訟について取材を進めて」いるところ、「その中で、御自宅にあったはずの動産や、昭和六三年当時の株式や国税当局の追徴課税などについて、奥様をはげしく非難されていることを知り、驚きました。」、「奥様側の主張とも、正反対でまったく相容れないことが多い」ので、原告のお話を伺いたいと記載した。乙山は、その日のうちに同育英会に電話し、取材申入れの趣旨が原告本人に伝わっていることを確認したが、結局原告から直接取材をすることはできなかった。 乙山は、同日夜から翌二日未明にかけて、取材結果を元に本件記事の本文を執筆したが、その際、訴訟記録から筆写した別紙三「書き写し部分」欄記載の記述をそのまま本件記事に引用した。さらに、編集長らが見出しやリード記事を付け加え、本件記事を完成させた。 二 争点(1)について (1)本件記事は、別居中の原告夫婦が二人の自宅であった本件建物の取扱い等をめぐって争っている別件訴訟の概要や当事者の主張を詳細に記載するとともに、この争いに至るまでの原告夫婦の長年にわたる不和・確執や、それにより原告夫婦が離婚に合意するに至っていることなどを具体的かつ詳細に報じ、また、別件訴訟において、原告が花子により本件建物から持ち去られたと主張している一万三〇〇〇点に及ぶ私物の種類、内容、数量を詳細に摘示している。これらの事柄が、原告個人の私生活上の領域に属し、一般人の感受性を基準にして他人に知られたくない事実であることは明らかである。そして、<証拠略>によると、これらの事実は本件記事の掲載当時未だ一般人に知られてはいなかったものと認めることができる。 なお、別件訴訟が公開の法廷で行われ、訴訟記録の閲覧が制度上認められているからといって、本件記事の内容が当時一般の人々に知られていたとは認められないし、夫婦内部のトラブルにおける一方の言動は、他方にとっても他人に知られたくない私生活上の事実である。 よって、被告が本件記事によりこれらの事実を報道したことは、原告のプライバシー(私生活上の事柄をみだりに公表されないという法的利益)を侵害するものである。 (2)マスメディアの報道により個人のプライバシーが侵害された場合、かかる記事の掲載が違法となるかどうかは、報道の自由の重要性にかんがみ、侵害されたプライバシーの内容や侵害の程度、当該個人の社会的立場や社会公共に与える影響力、記事の内容や表現・体裁、記事を報道した意図・目的や報道の意義及び必要性、取材方法等の諸般の事情を総合的に考慮して、プライバシーの利益とこれを公表することの利益のいずれが優越するかという観点から決すべきである。 これを本件について見ると、以下のような事情が認められる。 ア 一般に離婚やそれに関連する夫婦間の私生活上の深刻なトラブルに関する事実は、プライバシーの最たるものであって当事者が秘匿を欲する程度は高い。本件記事は、前記(1)のとおり、訴訟にまで発展した原告夫婦についてのこのような私生活上の事実を詳細かつ具体的に記載したものであり、しかも、原告にとって、私物を詳細に報じられたことによる私生活を覗き見されたかのような不快感は相当なものと考えられる。 イ 前記一(1)に認定した事実によると、原告は、リクルートの創業者であり、政府税制調査会の特別委員を務めたこともあったが、リクルート事件を契機にこれらの職をすべて退き、本件記事掲載当時は、経済人としての活動はもとより、政府の委員等の公の活動も何ら行っておらず、社会に対する影響力があったとは認められない。 ウ 本件記事は、リクルート事件の被告人である原告が妻との不和から本件建物の取扱いをめぐり訴訟にまで発展したことを報じたものであり、リクルート事件の内容やその刑事裁判の状況を報ずることに主眼があるものでないことは、記事自体から明らかである。また、被告が指摘するような、原告が政府税制調査会の特別委員であったことや原告が脱税又はこれに類する反社会的行為に関与した旨の記述は一切ない。 かえって、本件記事は、原告が本件建物を占有していることを示すために訴状に添付された動産目録の中からその品名を列挙し、その記述の行数は全体の約五分の一にも及んでいる。しかも、「この『動産目録』なるリクルートを見てビックリ。高級ブランド品が並んでいるのだ。」と述べた上で、外国製の高級服飾品や家具などを列記し、「計約一万三千点!到底、金額の〃鑑定〃は不可能だ。」と結んでいる。動産目録には「リクルート事件の検察官調書約二〇冊」も記載されていたが、これは本件記事に掲載されていない。また、原告が別件訴訟で提出した書証に本件建物の占有を示す一事情として「甲野花子は、『あなたのための食事は作らない』と私に宣言」したので本件建物の台所を原告自ら使用していたとの記載があることを受けて、本件記事は、「『あなたの食事は作らない』」との小見出しにより原告夫婦間の不和確執を報じている。 エ 本件記事の大半は、別件訴訟の訴訟記録の閲覧により得られた情報を元に執筆されたものである。利害関係のない第三者は、民事訴訟の訴訟記録の閲覧は認められているものの謄写は認められていないが、被告の記者は、別件訴訟の訴訟記録中の訴状や書証の内容を閲覧の際に筆写し、これをそのまま引用するなどして本件記事を執筆した。また、被告は、原告に取材の申入れは行ったものの、本件記事の執筆公表について、原告の承諾や確認を得ていない。 オ そして、本件記事の意図・目的については、その内容自体や前記ウの点、「夫人との泥沼訴訟合戦」、「『妻に奪われた財産目録一万三千点一」、「ドロドロの裁判劇」、「あの時代の寵児がここまで色あせた」、「八王子の『新興宗教教祖』」、「スーツ百点にカシミアの下着」、「「あなたの食事は作らない』」「伯父が『時の氏神』で仲裁を」という見出し等、前記一(3)に認定の取材の経緯や原告に対する取材申入れの内容から考えて、リクルート事件でかつて世間の注目を浴び一般の読者も名前を覚えている可能性が高い原告が、妻との間で深刻な対立関係にあり訴訟にまで発展していることについて、原告が多数の高級ブランド品を所有していることを交えて興味本位に紹介し、一般読者の好奇心に応えようとしたものと認められる。 本件記事の意図は政府税制調査会の特別委員であった原告が脱税又はこれに類する違法行為に加担したことを報道することにあった旨の<証拠略>は採用できない。 (3)ア 被告は、本件記事は原告の違法ないし反社会的な行為を報じたものであり、その内容は市民の正当な関心事である旨主張するが、採用することができないことは前記(2)で説示したとおりである。 イ 被告は、本件記事は別件訴訟の訴状や書証に記載された内容を忠実に報道したものであり、裁判が公開され、訴訟記録の閲覧が認められている以上、その掲載はプライバシー侵害その他の不法行為を構成しない旨主張する。 しかし、個人のプライバシーに属する事実を報道した場合、その情報源のいかんが当然に違法性の有無を左右するものではない。裁判が公開され訴訟記録は誰でも閲覧することができるという制度の下においても、実際に裁判を傍聴し又は訴訟記録の閲覧をするのは、その事件に積極的な関心や問題意識を有している者など少数の者に限られている。情報を公開するという制度が存在することと、その公開情報を入手して報道することにより当該事実を知らない不特定多数の者に現実に公表することとは自ずと質的な相違がある。したがって、裁判や訴訟記録の公開制度が存在するからといって、そこから入手した個人のプライバシーに属する事実を報道することが当然に違法性を欠くということにはならない。公開された裁判に関する報道のうち、犯罪報道、社会公共や国民生活に重大な影響を与える事柄についての報道など報道内容が社会の正当な関心事であり、正当な関心事を報道する意図・目的でされたものについては、個人のプライバシーを侵害することがあっても違法と評価することができない場合があることは当然であるが、本件記事がそのような報道でないことは、前記(2)で認定したとおりである。 なお、原告が妻との紛争の解決に向けて公開の裁判を利用したからといって、それだけで原告がプライバシーの利益を喪失するわけではなく、また、妻との紛争の存在や訴訟での主張立証の内容が不特定多数の者に知られることを原告が覚悟し容認していたとは認められない。 ウ また、被告は、原告は訴訟記録の閲覧制限の申立てをしていないから、プライバシーの利益を放棄したとも主張する。 しかし、別件訴訟や原告の主張立証の内容自体からみて、これらは誰でも本人であればみだりに他人に知られたくない事実である。そして、原告が、別件訴訟の訴訟記録を報道関係者が閲覧しこれにより得た情報を記事にするという事態を想定していなかったと供述していることや、訴訟記録の閲覧制限制度は別件訴訟提起当時施行されたばかりで一般に広く知られた制度ではなく、しかも、その要件は裁判の公開の趣旨を受けて極めて限定的であり夫婦間の私生活上の紛争であってもそれだけで直ちに閲覧制限が認められるわけではないことを考えると、原告が閲覧制限の申立てをしなかったからといって、別件訴訟の内容を公表されることを容認していたとかプライバシーの利益を放棄したとは認められない。 (4)以上によれば、本件記事は、原告の基本的なプライバシーを侵害したものであり、その侵害の程度も決して小さくない。他方、原告はもはや公的な立場になく社会的影響力もないから、その私生活上の行状は、社会一般の正当な関心事とはいえず、これを公表する理由や必要性は見出し難い。これらの点と本件記事の意図・目的を考えると、原告のプライバシーの利益がこれを公表する利益に優越するものと認められる。したがって、被告が本件記事により原告のプライバシーを侵害したことは違法である。 三 争点(2)について (1)慰謝料について <証拠略>によれば、原告は本件記事により精神的苦痛を受けたこと、本件記事をきっかけに花子との関係がさらに悪化したこと、原告夫婦の不和に心を痛めていた娘が本件記事に衝撃を受けて消息を絶ち、このことが原告に相当大きな精神的打撃を与えたことが認められる。これらの事情を考慮すると、原告が被った精神的損害を慰謝するための賠償額は、原告請求の一〇〇万円を下らない。 (2)謝罪広告の掲載について 民法七二三条が名誉毀損の救済方法として名誉回復に必要な措置を認めた趣旨は、被害者に主観的な満足を与えるためではなく、金銭による損害賠償のみでは填補されない被害者の人格的価値に対する社会的、客観的な評価自体を回復することを可能にするためである。 プライバシーが侵害された場合には、このような措置としての謝罪広告をしたとしても、侵害前の状態すなわち私生活上の事実が一般人に知られていない状態に戻すことはできない。このようにプライバシー侵害は、その性質上、被害の程度が大きくても、謝罪広告によって被害の回復を図ることはできないものであるから、プライバシー侵害の場合に同条を類推適用して謝罪広告を求めることはできないと解するのが相当である。したがって、謝罪広告の掲載を求める原告の請求は理由がない。 四 結論 以上によれば、原告の本訴請求は、被告に対し一〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成一一年三月三〇日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所第10民事部 裁判長裁判官 菊池洋一 裁判官 藤原俊二 裁判官 田中正哉 別紙一 略 別紙二 動産目録略 別紙三 略 |
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