判例全文 line
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【事件名】『解剖実習書の手引き』事件(2)
【年月日】平成13年9月27日
 東京高裁 平成13年(ネ)第542号 損害賠償等請求控訴事件
 (原審・横浜地裁平成7年(ワ)第3477号)
 (平成13年6月19日 口頭弁論終結)

判決
控訴人 X
訴訟代理人弁護士 小林明隆
被控訴人 Y
訴訟代理人弁護士 菊池武
同 大森典子


主文
1 本件控訴を棄却する。
2 当審における訴訟費用は、控訴人の負担とする。

事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人
(1) 原判決を取り消す。
(2) 被控訴人は、別紙文書目録記載の各文書、その他別紙対照表(1)及び(2)の左欄各記載の表現を含む解剖実習に関する文書を発行し、又は、頒布してはならない。
(3) 被控訴人は、別紙対照表(1)及び(2)の左欄各記載の表現を、別紙文書目録記載の文書の原稿を記憶したフロッピーディスク、ハードディスクその他の記憶媒体から消去せよ。
(4) 被控訴人は、控訴人に対し、金150万円及びこれに対する平成7年10月9日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(5) 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人の負担とする。
(6) 第(4)項について、仮執行の宣言
2 被控訴人
 主文と同旨
第2 事案の概要
 本件は、神奈川県相模原市所在の北里大学医学部の解剖学担当の元教授である控訴人が、後任の教授である被控訴人は、控訴人の執筆した解剖実習の基本書である「解剖実習の手引き」(以下「本件書籍」という。)の内容を模倣した別紙文書目録記載の各文書(以下「被告文書」という。)を発行して学生に頒布して、本件書籍に関して控訴人が有する著作権及び著作者人格権を侵害しているとして、被控訴人に対し、被告文書の発行・頒布の中止、及び、被告文書に係るフロッピーディスク等の記憶媒体からの模倣部分の消去、並びに、損害の賠償を求めている事案である。
 当事者の主張は、次のとおり付加するほか、原判決の「事実及び理由」の「第二 事案の内容」欄記載のとおりであるから、これを引用する(以下、「本件書籍」及び「被告文書」以外にも「被告テキスト」、「被告プリント」の語を、原判決の用法に従って用いる。)。
1 控訴人の当審における主張の要点
(1) 本件書籍は、著者である控訴人が、長年の教育経験に基づき、また、原稿作成のために、改めて男女各一体の解剖を行い、さらに、4年にわたる米国での解剖実習の教育経験から得た、米国式の新しい解剖学と解剖実習の教育法にも意を払って書き上げたものであり、その平易・明快な解剖実習の手順、手技の説明指示には、「このようにしたら医学部に入学したばかりの低学年の学生でも解剖がスムーズに進められる。」という控訴人独自の工夫、見識が示されているものであって、その表現には控訴人の個性が十分に現れていて、創作性を有するものである。
(2) 原判決は、学術の著作物についての著作権保護の範囲を不当に狭くするものであり、妥当でない。特に、本件書籍は、人体や器官の仕組みや構造という「客観的な事実」そのものを記述したものではなく、あくまでも、どのような手順・手法で、人体や器官を解剖、観察すればよいかを記述したものであるから、本件書籍には、学術論文のような自然科学上の法則や知見はほとんど含まれていないものであることを考慮すべきである。
 原判決は、「同一の事象を表現しようとする際に他の表現をもって代えることが不可能又は著しく困難な場合には、当該表現は一般的な形式で記載されていて創作性がないことを意味することになり・・・著作物であるとはいえない。」(原判決27頁1行〜5行)と述べるが、文章表現において「非代替的なもの」と「代替的なもの」を区別することは、一般的には不可能であり、創作性の有無を判断する基準として、「表現の代替性の有無」を用いることは誤りである。
 原判決は、解剖の実習書の場合、「人体や器官の構造に関する記述については、創作性の入る余地はほとんどない」(原判決28頁10行〜11行)と述べるが、人体や器官の名称や学術用語に著作権が成立しないのは当然としても、人体や器官の構造に関する記述については、通常は幾とおりもの方法があり得るのであり、他に表現し得ないようなものは別として、ある程度ありふれた表現であっても、その表現について独創性、創作性が認められるべきである。
 さらに、原判決は、「個性的な言い回しが模倣され、又は記載順序及び表現方法が高度に類似し」(原判決30頁6行〜7行)ていなければ、侵害が成立しないと述べるが、本件書籍については、別紙対照表(1)・(2)の右欄の各項目全体についても、また、アンダーラインが付された部分についても、それぞれ創作性が認められるものであり、かつ、被告文書は、そのアンダーラインが付された部分を剽窃、盗用することにより、本件書籍の創作的表現部分を盗用し、著作権を侵害しているものである。
(3) 被告文書中、別紙対照表(1)・(2)の左欄に抜粋した部分は、同対照表の右欄に抜粋した本件書籍の対応部分との間に、その表現において同一性ないし高度の類似性があり、また、その各対応部分において、本件書籍の記述の一部が省略され、あるいは、文章が入れ替えられている。前者は、著作権(複製権)侵害であり、後者は、著作者人格権(同一性保持権)侵害である。また、仮に、前者について複製権侵害が成立しないとしても、翻案権侵害が成立する。
 なお、被控訴人は、翻案権侵害の主張について、時機に遅れた攻撃方法であると主張するが、失当である。著作物を類似性を有する形で有形的に再製した場合に、複製権侵害、翻案権侵害のうちいずれが成立するかは、法的評価の問題であって、新たな事実の主張を含むものではなく、控訴人の翻案権侵害の主張が、訴訟の完結を遅延させることはないからである。
2 被控訴人の当審における反論の要点
(1) 本件書籍のような学術の著作物は、「発見」や「客観的事実」を対象としているため、同一のテーマについて論じたものは、一般に、必然的に表現も類似せざるを得ず、著作権侵害が成立しないことが多い。
(2) 本件書籍は、米国の解剖実習法を初めて日本の解剖実習に取り上げた点に大きな特色があるのに対し、被告文書は、著名な浦良治の著作に係る解剖書(「人体解剖実習」)の記述方式を取り入れ、学生のノート代わりに要点を明確にし、各セクションを「解剖手順」と「観察事項」の2項目に分けて記載し、また、後者の「観察事項」は、名称を列挙しただけになっているものであり、本件書籍の複製でも翻案でもなく、全く別個の著作物である。
(3) 控訴人は、当審において、翻案権侵害の主張を予備的に追加しているが、これは、故意又は重大な過失により、時機に遅れて提出された攻撃方法であり、訴訟の完結を遅延するものである。却下を求める。
第3 当裁判所の判断
(控訴人の請求に理由があるかについての判断)
 当裁判所は、控訴人の請求には理由がないと判断する。その理由は、以下1ないし6のとおり付加するほか、原判決の「第三 当裁判所の判断」のとおりであるから、これを引用する。
1 控訴人は、被告文書の別紙対照表(1)・(2)の左欄記載部分が、本件書籍の同対照表右欄記載部分を複製ないし翻案するものであると主張する。
 著作権法における著作物の複製(著作権法2条1項15号、21条)とは、既存の著作物に依拠して、これと実質的に同一のものを有形的に再製することをいうと解すべきである。
 これに対し、著作権法における著作物の翻案(同法2条1項11号、27条)とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいうものと解すべきである。そして、著作権法は、思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(同法2条1項1号参照)、既存の著作物に依拠して創作された著作物が、思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現それ自体ではあるものの表現上の創作性がない部分において、既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には、翻案には当たらないと解するのが相当である。(最高裁平成13年6月28日第一小法廷判決・裁判所時報1294号1頁参照)
 言語の著作物の複製ないし翻案は、当該著作物の一部についても成立し得るというべきである。しかし、そもそも複製ないし翻案は「著作物」を基に行われるものであるから(著作権法21条、27条)、複製ないし翻案されたと主張される当該部分が、その部分だけで独立して、著作権法2条1項1号にいう著作物であると認められることが必要となるのは、当然というべきである。
2 本件書籍は、主として医学部の学生を対象とした解剖学実習のための手引き書であり、各2年間の2回にわたる米国での解剖学実習の指導を終えて帰国した控訴人が、藤田恒夫との共著として、解剖の手順・手法や、人体の各器官の構造、各器官相互の位置関係、各器官と動静脈や神経叢との位置関係等の説明だけでなく、これらの説明に加えて臨床的な説明をも盛り込み、また、末梢的な解剖学名をできるだけ省略し、暗記より理解を重視するとの方針の下に、形態学的な面白さや、臨床的な意義をできるだけ多く織り込もうとしたものである。このように、本件書籍は、他の解剖実習書とは異なる特色を持ったものであり、このこともあって、これを全体としてみれば、著者の思想を創作的、個性的に表現した学術の著作物であると認めることのできるものとなっている。また、本件書籍を第8版とする書籍は、1962年に第1版が発行されて以来、版を重ねて1991年には第9版が発行されるに至るなど、解剖実習の手引き書として定評のあるものとなっている。(甲1、19及び20の各1、25及び26の各1、70)
 しかし、本件書籍に記載されているような、人体の各器官の構造、各器官と動静脈及び神経叢との各位置関係等についての客観的な事実はもちろん、解剖の手順・手法も、これらに関する考え(アイデア)も、それ自体は、本来、誰に対しても自由な利用が許されるべきものであって、特定の者に独占させるべきものではないことは、当然というべきである。したがって、解剖実習書である本件書籍についていえば、著作権法上の著作物となる根拠としての表現の創作性となり得るのは、表現された客観的事実自体、手順・手法自体やアイデア自体の有する創作性ではなく、これらの創作性を前提にし、これを当然の出発点としてもなおかつ認められる表現上の創作性に限られるものというべきである。他方、本件書籍のような学術の著作物においては、解剖の手順・手法、人体の各器官の構造、各器官相互の位置関係、各器官と動静脈や神経叢との位置関係等について、これを正確に表現することが重視されるため、個々具体的な表現においては、個性的な表現がむしろ抑制される傾向が生じることは、避けられない。そして、これらのことが相まって、このような解剖の手順・手法、人体の各器官の構造、各器官と動静脈及び神経叢との個々的な位置関係についての事実、ないし、これらの手順・手法や事実を前提とした単一の特定のアイデアを記載するときには、個々の文としてみる限り、著作権法上の著作物としての性質(著作物性)の根拠となる表現上の創作性(創作的ないし個性的な表現)は、その存在の余地がなくなる、あるいは、存在は認められても、その類似範囲(それに類似しているとして権利を及ぼすことのできる範囲)は非常に狭くなる場合が多くなることも、避けられないところとなる。もっとも、本件のような学術の著作物においても、ある手順・手法や事実を前提とした単一の特定のアイデアではなく、複数の事項を前提としたあるまとまりをもったアイデアないし思想についてみれば、その表現の仕方には、広い幅にわたって多数のものがあることになるから、著作の幅が広がり、個々の著作者の考え方によって、創作的ないし個性的な表現を採ることが十分に可能になるということができる。
 本件書籍についても、その全体を典型とする、あるまとまりのある部分をみれば、上記のような特徴を持った解剖実習のための手引き書として、思想又は感情を創作的に表現した著作物として保護されるに値するものということができる。しかし、その中の単一の特定のアイデアを一つないし二つの文にまとめたにすぎない部分だけを取り上げると、その表現上の創作性ないし個性を認めることができず、これを独立の著作物として認めることができない場合が多いであろうことは、容易に予測されるところである。
 控訴人は、原判決の著作権侵害に関する一般的説示について、当審において前記のとおり反論するが、上記に判示したところと相反する限度においては、いずれも採用することができない。
3 本件書籍全体と被告文書全体との比較
 控訴人が本訴で主張しているのは、被告文書が全体として本件書籍全体を複製ないし翻案するものであるということではなく、被告文書の別紙対照表(1)・(2)の左欄記載部分が、本件書籍の同対照表右欄記載部分を複製ないし翻案するものであるということである。別紙対照表(1)・(2)の各項目について個々的に判断する前に、その前提として、本件書籍と被告文書の全体的な構成ないし各表現上の特徴を概観し、比較する。
 本件書籍は、米国式の解剖実習法(そこでは、局所解剖及び応用解剖が中心で、実際的知識が重視され、構造物の名称にこだわらず、構造の概念と内容の理解を第一に置き、個々の解剖学的知識が臨床のどのような場面で役立つか重視される。)を従来の解剖実習に初めて取り入れて体系化したものであり、人体構造の体系的基本概念を重視し、使用する解剖学用語も本来は数千語ある用語を1200語くらいに絞って、重要事項と些末事項を区別し、将来臨床で役立つ項目に重点を置き、また、医学生のために文章表現をできるだけ平易にし、読みやすくしたものであるのに対し、被告文書は、大学医学部での解剖実習マニュアルとして、実習室でノート代わりに使用されることを目的として作成されており、解剖の要点を明確にし、実習を進めやすくする目的でまとめられたもので、各セクション毎に大きく解剖手順と観察事項の二つの項目に分けて記載しており、解剖手順においては、解剖するときの注意事項や、解剖した場合に観察できる項目なども記述し、また、観察事項欄には、各部の名称を列挙する程度にとどめて記載していることが、それぞれの全体的な特色として認められ、全体としてみたとき、両者間に表現上の特徴について一見して認められるような類似性を見いだすことはできない。(甲1、2、4、6、50)
 なお、本件書籍も、被告文書も、解剖学名に和名とラテン名だけでなく、英語名を使用し、また、実習室内の学生全員が同時に同じ局所の解剖を進めていくことを前提に記述されているが、今日では、英語の解剖名は多くの書籍で使用されており、また、このような実習方法はどこでも行われていることが弁論の全趣旨により認められるから、このような点で共通性を有しているとしても、両者間に表現上の特徴について類似性があるとみることはできない。
4 本件書籍と被告テキストとの比較(別紙対照表(1)について)
 (対照表の各項目の表記法については、原判決の「記述(1)の1」、「原告記述(1)の1」、「被告記述(1)の1」などの例に従う。)。
(1) 記述(1)の1について
 原告記述(1)の1においては、はじめに、脊髄を頚膨大・胸部・腰膨大の3か所で横断して断面を観察するように述べたうえ、まず、灰白質とそれを取り巻く白質とを区別するように命じ、次いで、固定の条件によって灰白質がむしろ白く、白質がむしろ灰色に見えることもあることについて注意を与え、続いて、上記3か所における灰白質と白質の面積比を観察し、最後に、白質における前索、側索、後索と灰白質における前角、側角、後角について観察するように述べている。
 これに対し、被告記述(1)の1は、アンダーラインが付された部分において、本件書籍と表現が類似しているものの、アンダーラインが付されていない部分では、記載内容が異なっている。すなわち、被告記述(1)の1は、記載内容において、脊髄の上記3か所の部分でその断面を観察することを指示している点(アンダーラインが付された部分)で原告記述(1)の1と同じであり、まず中心管の存在に注目させている点(アンダーラインが付されていない部分)で原告記述(1)の1と異なり、ついで灰白質とそれを取り囲む白質とを区別すべきことを指示している点(アンダーラインが付された部分)で原告記述(1)の1と同じである。また、被告記述(1)の1は、その後、白質における前索、側索、後索と灰白質における前角、側角、後角について観察するように述べている点(アンダーラインが付された部分)、及び、灰白質と白質との面積が部位によってどのように異なるか観察すべき旨を述べている点(アンダーラインが付された部分)で、記載内容はおおむね本件書籍と同じであるものの、記述の順序が異なり、内容も一部異なっている。
 また、両記述の間で、表現の類似しているアンダーラインが付された部分の記載内容をみると、脊髄の断面を頚膨大、胸部、腰膨大の3か所でその断面を調べること、灰白質と白質とを区別すること、灰白質と白質の面積の比を頚・胸・腰の各部で比較すること、白質の前索、側索、後索、及び、灰白質の前角、側角、後角を観察し、これらと前根、後根の繊維との関係を調べることであって、いずれも、脊髄を解剖する際にするべきことについての考え(アイデア)を述べたものであり、著作権法の保護の対象として特定の者に独占させることが不適当であることの明らかものばかりである。そして、原告記述(1)の1の個々の文は、これらのアイデアに具体的な形を与えるに当たり、特段個性的に表現しているわけではなく、学術の著作物として当然のことながら、正確にこれを記載しているだけであり、これらのアイデアを創作的ないし個性的に表現したものと認めることはできない。
 また、被告記述(1)の1には、脊髄を縦に貫く中心管を見ること、灰白質は、多くの神経細胞が存在しH型であること、白質は有髄繊維を多く含むため肉眼的に白く見えることという、原告記述(1)の1には存在しない内容の記載があり、さらに、原告記述(1)の1における「固定の条件によっては灰白質がむしろ白く、白質がむしろ灰色に見えることもある。正中部では中心管が灰白質の中にかすかに見える。」、「これにはルーペを使うとよい。(前角・側角・後角はそれぞれ前柱・側柱・後柱ともいう。)」との記載は、被告記述(1)の1には存在しない。
 以上によれば、次のようにいうことができる。
 被告記述(1)の1には、具体的な表現において原告記述(1)の1と類似している部分と類似していない部分とがある。原告記述(1)の1のうち被告記述(1)の1と類似している部分については、表現上の創作性ないし個性が認められない部分であるため、類似している個々の文だけではこれに著作物性を認めることはできない。また、原告記述(1)の1を全体としてみれば、その著作物性を肯定することはできるものの、その表現上の創作性ないし個性は、もともと、正確性を期すべき学術の著作物としての制約上、高いものではないということ、記載内容に両記述の間に相違する部分があることなどから、被告記述(1)の1は、全体として、原告記述(1)の1との間で、具体的表現における実質的同一性が認められないのはもちろん、その表現上の特徴を直接感得することもできないということができる。したがって、被告記述(1)の1は、アンダーラインが付された部分においても、また、全体としても、原告記述(1)の1を複製ないし翻案したものということはできない。
(2) 記述(1)の2について
 原告記述(1)の2と被告記述(1)の2は、そのアンダーラインが付された部分、すなわち、取り出した前胸壁の内面で横隔膜(胸骨部と肋骨部)の起始と腹横筋の停止を改めて観察すること、及び、内胸動静脈からは各肋骨の下縁に沿って走る枝(前肋間枝)が出て肋間動静脈(胸大動脈および奇静脈・半奇静脈の枝)と吻合することをそれぞれに述べた二つの文において、その内容及び表現に類似しているところがある。しかし、原告記述(1)の2中の2)の胸横筋及び3)の内胸動静脈についての記述は、被告記述(1)の2には全く存在しない。原告記述(1)の2と被告記述(1)の2には、このように、全体としてみると、その内容において大きく異なっている部分がある。
 両記述の間に内容及び表現に類似しているところのある、そのアンダーラインが付された部分だけを見ると、前胸壁の内面で横隔膜の胸骨部と肋骨部の起始と腹横筋の停止を観察することを記した部分では、その内容・表現ともほぼ同一であり、前肋間枝が肋骨の下縁に存在し、肋間動静脈と吻合することを記した部分では、その内容はほぼ同一で、表現は一部異なり一部類似している。しかし、その記載内容となっているのは、観察すべき事項及び観察に当たって留意すべき事項であって、これらは、いずれも、解剖する際になすべきことについての考え(アイデア)である。このようなアイデア自体が著作権法上保護されるものではないことは当然であり、記述(1)の1について述べたように、同じアイデアを表現しようとすれば類似の表現にならざるを得ないこともあって、個々の文の表現において特に創作的なものを認めることはできないから、原告記述(1)の2のアンダーラインが付されている二つの文には、それぞれ単独では、著作物性を認めることができない。
 原告記述(1)の2全体のまとまりで見ると、その著作物性を肯定することはできるものの、その表現上における創作性ないし個性は、正確を期すべき学術の著作物としての制約上高いものではないということ、記載内容に大きく異なっている部分があることなどから、被告記述(1)の2は、全体として、原告記述(1)の2との間で表現上の実質的同一性が認められないのはもちろん、その表現上の特徴を直接感得することもできないということができる。
 したがって、被告記述(1)の2は、アンダーラインが付された部分においても、また、全体としても、原告記述(1)の2を複製ないし翻案したものということはできない。
(3) 記述(1)の3について
 記述(1)の3は、いずれも心臓に出入りする血管についての記述である。
 原告記述(1)の3は、おおむね、心膜をかぶったままの状態で心臓に出入りする大血管を調べる、1)左右の腕頭静脈が合して作る上大静脈が上方から心臓に入る、2)上行大動脈が心臓から出て大動脈弓となり、それが3つに分枝する、3)大動脈弓の左側に接して走る肺動脈が、左・右肺動脈に分かれる、4)左の迷走神経と動脈管索の位置を確認する、5)肺根の方から左右の肺静脈をたどって見る、との内容を記載している。
 被告記述(1)の3は、上記4)に該当する記述がない点は異なるものの、それ以外は、全体として表現上の種々の細かな差異があることを別とすれば、内容的にはほぼ同内容の記述をしている。
 両記載を比較した場合、被告記述(1)の3の第1文は、原告記述(1)の3の第1文とほぼ同一の表現になっているものの、原告記述(1)の3の第1文は、単に「まず心膜をかぶったままの状態で、心臓に出入りする大血管を調べる。」と言っているだけであるから、それだけで著作物性を認め得るものではないことが明らかである。原告記述(1)の3のその余の各文は、いずれも、人体構造に関する客観的な事実を指摘してそれを観察するようにいうものであり、解剖に当たってするべきことについてのこのような考え(アイデア)自体に著作権法上の保護が及ぶものでないことは前述のとおりである。また、いずれもこのアイデアを具体的に表現したものである両記述の間で、その内容がほぼ同趣旨になるのは、表現の対象が人体構造に関する客観的事実であることからすればむしろ当然である。その具体的な表現についても、特に、正確性を重んじる学術の著作物として、著作者の創作的ないし個性的な表現を採用しにくいものであるから、原告記述(1)の3の上記部分を全体としてみれば、その著作物性を肯定することができるものの、その類似範囲(それに類似しているとして権利を及ぼすことのできる範囲)は広くない。そして、被告記述(1)の3のその余の文は、いずれも、それに対応する原告記述(1)の3の文と表現の仕方が少しずつ異なっていること、原告記述(1)の3の上記各文に、表現上の創作的ないし個性的な要素が少ないことのため、被告記述(1)の3の第1文以外の文と原告記述(1)の3との実質的同一性を認めることはできず、被告記述(1)の3の第1文以外の文からそれに対応する原告記述の文の表現上の特徴を直接感得することもできない。
 以上のとおりであるから、被告記述(1)の3は、部分的にも、また、全体としても、原告記述(1)の3の複製にも、翻案にも当たらないというべきである。
(4) 記述(1)の4、6ないし10、12ないし24、27ないし31、33ないし36、39、40、42ないし51について
 被告記述(1)の4、6ないし10、12ないし24、27ないし31、33ないし36、39、40、42ないし51は、いずれも、原告記述(1)の4、6ないし10、12ないし24、27ないし31、33ないし36、39、40、42ないし51と比較すると、上述した(1)の1ないし3の場合と同様に、そのアンダーラインが付された部分において記述されている内容が類似し、いずれかにアンダーラインが付されていない部分があるものにあっては、その部分において、内容も表現も、類似しない(比較の対象がない場合を含む。)ものである。そして、アンダーラインが付された部分においても、表現上類似しないことが一見して明らかなところも多い。一見すると表現がある程度類似しているとみられる部分についても、いずれも、記述(1)の1ないし3に述べたのと同じ理由(記述対象が解剖の手順・手法や人体の各器官の構造、動静脈等との位置関係などの客観的事実であり、かつ、学術の著作物としてこれを正確に表現するとの要請が働くため、個々の文についてみた場合に、必然的に創作的ないし個性的な表現を採用することが困難となる傾向があること)により、原告記述(1)の各項の表現に類似していると認めることのできる範囲が狭いため、被告記述(1)の各項とこれに対応する原告記述(1)との間に実質的同一性を認めることができないのはもちろん、被告記述(1)の各項からそれに対応する原告記述(1)の各項の表現上の特徴を直接感得することもできないものと判断されるものが多い。さらに、両者の表現が実質的に同一ないし類似であるとみられる部分は、アンダーラインが付された短い文ないし文節に限られ、当該文ないし文節だけで、著作物性を認めることができるものはない。
 以上のとおりであるから、被告記述(1)の4、6ないし10、12ないし24、27ないし31、33ないし36、39、40、42ないし51は、部分的にも、また、各項全体としても、原告記述(1)の対応する各項の複製とも、翻案とも認められない。
 上に述べたところは、記述(1)の他の項目のすべてについても、基本的にはそのまま当てはめることができる。以下においては、上記以外の項目のそれぞれについて、これに若干の補足をすることとする。
(5) 記述(1)の5について
 被告記述(1)の5は、「太めの注射器の先を区気管支の分かれ口に押し当て(て、)空気(または水)を注入(圧入)し、肺の(表面の)どの部分が膨らむかを調べ」(括弧内の記載は、本件書籍にはあり、被告文書にはない部分である。以下同じ。)るという部分において、原告記述(1)の5と内容も表現も同一である。しかし、原告記述(1)の5の内容とされているところが、太めの注射を使用するという、肺区域を同定する方法としては新しいものであったとしても、著作権法は、このような方法自体を保護するものではなく、また、この方法を文にすれば、ほぼ上記のようなものにならざるを得ないことが明らかである以上、これに表現上の創作性ないし個性を認めることはできない。したがって、上記部分に著作物性を認めることはできない。
(6) 記述(1)の11について
 被告記述(1)の11は、「腹部内臓に分布する血管と神経」の解剖手順を示した部分である。これに対応する原告記述(1)の11は、本件書籍の152頁から160頁までの9頁にまたがって分散しているものを同被告記述に対応して配列したものである。また、アンダーラインが付された部分の文同士をみても、両者間には、細部における表現や内容において多数の差異が存し、そこに認められる類似性は、せいぜいアイデアにおけるものにすぎないということができる。まして、アンダーラインが付されていない部分を含む全体同士を比較したとき、両者間に、その表現における類似性を認めることはできない。
 以上のとおりであるから、被告記述(1)の11は、アンダーラインが付された部分においても、また、全体としても、原告記述(1)の11の複製とも翻案とも認めることができない。
(7) 記述(1)の25について
 あたまの切半については、幾つかの解剖方法があり、そのうちの一つの方法の説明の一部が、記述(1)の25である(甲70号証)。そして、被告記述(1)の25は、原告記述(1)の25の「咽頭蓋を指で押し下げながら、咽頭の後壁からメスを入れ(て)、舌根と喉頭蓋との間のつながり、及び甲状舌骨膜(舌骨の真下で)を(横に)切断する。(これで)喉頭・気管・咽頭下部・食道・甲状腺(・大血管)が一まとめになって、頭部から切り離され」との部分でほぼ同一である。しかし、このようにあたまの切半についての同じ解剖方法を説明しようとすれば、同じような説明文にならざるを得ないのはむしろ当然であり、その表現に創作性ないし個性を認めることは困難である。この二つの文章だけで、原告記述(1)の25に、著作物性を認めることはできない。
(8) 記述(1)の26について
 被告記述(1)の26と原告記述(1)の26とは、いずれも一つの文から成り、両者は、睫毛と眉毛の生えている部分はむかずにその場に残しておくことを述べた部分で同一である。しかし、この部分は、顔の皮はぎの方法を端的に指示したものであるから、このような文について創作的ないし個性的な表現は考えられず、原告記述(1)の26に著作物性を認めることはできない。
(9) 記述(1)の32について
 原告記述(1)の32と被告記述(1)の32とは、いずれも骨迷路を完全な形で掘り出すことの困難さを述べており、歯科用ドリルを用いて長時間かけてするのでなければ不可能であるとの表現も同一である。しかし、この部分の解剖方法についてのアイデアを著作権法で保護することができるわけではなく、このアイデアを表現すれば、ほぼ同一ないし類似の表現にならざるを得ないことが明らかである。しかも、原告記述(1)の32は、一つの文のみから成るものであり、そのことからも、その表現上の創作性ないし個性を認めることが難しいものである。原告記述(1)の32に著作物性を認めることはできない。
(10) 記述(1)の37について
 被告記述(1)の37は、「眼球」の解剖手順を示した部分である。これに対応する原告記述(1)の37は、333頁から335頁までの3頁にまたがって分散しているものを寄せ集めたものである。また、両者のアンダーラインが付された部分の文章も、細部における表現や内容において多数の差異が存する。両者間の表現には、同一の部分、類似する部分もみられるが、これらは、眼球の解剖の手順を説明するうえでのアイデアにおける同一性あるいは類似性を反映した範囲に属するものと認められる。
 以上のとおりであるから、被告記述(1)の37は、アンダーラインが付された部分においても、また、全体としても、原告記述(1)の37の複製とも翻案とも認めることができない。
(11) 記述(1)の38について
 原告記述(1)の38と被告記述(1)の38とは、いずれも眼窩下溝の中に眼窩下神経と眼窩下動脈があること、及び、眼窩下管の骨壁を削って(開いて)それらを眼窩下孔に達するまで剖出するとの解剖方法を述べており、その記述内容はほぼ同一であり、その表現も、細部において異なるものの、基本的な部分において差異はない。しかし、この部分の解剖方法についてのアイデアを著作権法で保護できるわけではないことは明らかであり、そして、アイデアが同一である以上、これを表現すれば、ほぼ類似の表現にならざるを得ないものと認められ、また、わずか二つの文のみからなる原告記述(1)の38については、もともと、このことからも、その表現上の創作性ないし個性を認めることは困難であり、これだけでその著作物性を認めることはできない。
(12) 記述(1)の41について
 原告記述(1)の41と被告記述(1)の41とは、いずれも男性の会陰の解剖手法の一部について述べており、その記述内容及び表現は、ほぼ同一である。しかし、この部分の解剖方法についてのアイデアを著作権法で保護できるわけではないことは明らかであり、そして、アイデアが同一である以上、これを表現すれば、ほぼ同一の表現にならざるを得ないものと認められるから、二つの文のみからなる原告記述(1)の41について、その表現上の創作性ないし個性を認めることは困難であり、これだけでその著作物性を認めることはできない。
(13) まとめ
 以上のとおり、被告テキストの、控訴人が指摘する51項目のいずれについても、本件書籍の対応部分を複製ないし翻案したものと認めることはできない(本件書籍は、前記のとおり、解剖実習については定評のある書籍であり、また、被告テキストには、本件書籍のものと同一の、あるいはこれと類似する内容、あるいは、短文ないし文節単位で見れば、本件書籍のものと同一の、あるいはこれと類似する表現が、他の類書に比較して多く、被告テキストは、本件書籍へ依存しており、その依存度には大きいものがある、という印象が否めないものである点は、原判決が指摘するとおりである。しかし、著作権あるいは著作者人格権の侵害を、この依存によって根拠づけることはできないのである。)。
 なお、被控訴人は、控訴人が、控訴審において、翻案の主張を追加したことが、時期に遅れた攻撃方法である旨主張するが、採用できない。控訴人の主張は、原審以来、被告文書中の別紙対照表(1)・(2)の左欄記載部分が本件書籍の同対照表右欄記載部分についての控訴人の著作権及び著作者人格権を侵害するということであり、この限度においては、控訴人の主張には何ら変わるところはなく、控訴人が当審において新たにしたのは、被告文書の上記部分について、それが、本件書籍の上記部分の、控訴人が原審以来主張してきた複製に当たらないとしても、翻案には当たるという、同一事実に対する法的評価に関する主張の追加にすぎず、本来、当事者ではなく、裁判所の分担すべき領域に属する事柄であるうえ、本件においては、別紙対照表(1)・(2)に基づき、これまで当事者が議論してきたことに基づいて、複製権侵害のみならず翻案権侵害についても判断をすることに何らの困難も存しないからである(この点は、次の5項の本件書籍と被告プリントとの比較においても、同様である。)。
5 本件書籍と被告プリントとの比較(別紙対照表(2)について)
 (対照表の各項目の表記法については、原判決の「記述(2)の1」「原告記述(2)の1」「被告記述(2)の1」などの例に従う。)。
(1) 記述(2)の1について
 被告記述(2)の1第1文は、「胸部及び腹部の皮膚を正中から外側にはがして行く。」と記述しているのに対し、原告記述(2)の1第1文は、「図3の破線に沿って皮膚に浅い割(深さ1o前後)を入れながら、頚部・胸部・腹部の皮膚をはいで、観音開きに背側へめくり返す。」と記述しており、その具体的表現において類似性がないことは明らかである。原告記述(2)の1第2文と被告記述(2)の1第2文とは、「乳頭(乳輪)と臍とは、周りに割を入れてその場に残し、はいではならない。」との内容及び表現において同一である。しかし、皮膚を剥ぐときに、乳頭と臍を残すというアイデアそのものが、著作権法による保護の対象とならないことは明らかであり、また、このアイデアを文にすれば、上記のようなものにならざるを得ない。したがって、表現上の創作性ないし個性を上記文自体に認めることはできず、原告記述(2)の1を著作物として保護することはできない。
(2) 記述(2)の2について
 原告記述(2)の2と被告記述(2)の2は、いずれも皮切り(皮はぎ)の要領について説明したものである。両者に記述されている内容、すなわち、皮切り(皮はぎ)の要領についての考え(アイデア)自体はほぼ同一であるが、このようなアイデアそのものが、著作権法による保護の対象とならないことは明らかである。また、被告記述(2)の2は、原告記述(2)の2と、その具体的な表現において、類似するとしてアンダーラインが付された部分もあるものの、文節単位で類似している部分が一部にあるだけであり、全体として同一ということもできないし、原告記述(2)の2の表現上の特徴を直接感得し得るほどに類似しているということもできない。したがって、被告記述(2)の2は、原告記述(2)の2を、部分的にも、また、全体としても、複製しているとも、翻案しているともいうことができない。
(3) 記述(2)の3、4、6、10ないし12、14、16、18、20、21、24ないし29、31について
 被告各記述は、原告各記述と、その記述されているアイデアにおいて、一部ないし全部が同一ないし類似しているとはいえるものの、具体的な表現においては、文節単位で一部に類似する表現が存在するだけであり、全体として、同一ともいえないし、原告各記述の表現上の特徴を直接感得し得るほどに類似しているともいえない。したがって、上記各項の被告各記述は、部分的にも、また、各項全体としても、原告各記述を複製しているとも、翻案しているともいえない。
(4) 記述(2)の5、7、8、9、13、15、17、19、22、23、30、について
 著作物として提示されている原告各記述は、いずれも一つないし二つの短い文から成るものである。両者を対比した場合、被告各記述がその一部の文又は一部の文節のみにおいて原告各記述と同一ないし類似の表現を採っているものの、一つないし二つの文のみから成るこれらの原告各記述については、正確性を期すべき学術の著作物としての制約もあることを考慮すると、その表現上の創作性ないし個性を認めることは困難であり、これらを著作物として保護することはできない。
6 上述したところによれば、控訴人の著作権侵害及び著作者人格権侵害に基づく請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないことが明らかである。
(結論)
 以上のとおりであるから、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は相当であって、本件控訴は理由がない。そこで、これを棄却することとして、当審における訴訟費用の負担につき民事訴訟法67条、61条を適用して、主文のとおり判決する。

東京高等裁判所第6民事部
 裁判長裁判官 山下和明
 裁判官 設樂隆一
 裁判官 宍戸充


文書目録
 1 平成6年2月発行、北里大学医学部解剖学「解剖学実習」製本テキスト
 2 平成7年2月発行、北里大学医学部解剖学「解剖学実習」平成7年度製本テキスト
 3 平成7年5月発行、「解剖学実習」プリント
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