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【事件名】顧客データと業務書類の不正競争事件(消防設備試験)
【年月日】平成13年8月27日
 東京地裁 平成11年(ワ)第25395号 損害賠償等請求事件
 (口頭弁論終結日 平成13年6月26日)

判決
原告 株式会社消防試験協会
訴訟代理人弁護士 関口徳雄
被告 Y
被告 Z
被告 横浜消防試験株式会社
被告ら訴訟代理人弁護士 高橋健一郎


主文
1 被告らは、原告に対し、各自金100万円、及びこれに対する被告Y及び被告横浜消防試験株式会社については平成11年12月1日から、被告Zについては同年12月2日から、いずれも支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用はこれを10分し、その1を被告らの、その余を原告の負担とする。
4 この判決の第1項は仮に執行することができる。

事実及び理由
第1 請求
1 被告らは、原告に対し、各自金3834万1500円、及びこれに対する被告Y及び被告横浜消防試験株式会社については平成11年12月1日から支払済みまで、被告Zについては同年12月2日から支払済みまでいずれも年5分の割合による金員を支払え。
2 被告らは、別紙被告書式目録(一)ないし(三)並びに(七)及び(八)記載の各書式を作成、頒布してはならない。
3 被告らは、その占有に係る別紙被告書式目録(一)ないし(三)並びに(七)及び(八)記載の各書式を廃棄せよ。
第2 事案の概要
 本件は、原告が被告らに対し、原告の従業員であった被告Y(以下「被告Y」という。)及び被告Z(以下「被告Z」という。)が、在職中に原告の業務に使用していた書式等を、原告に無断で自宅に持ち帰り、これを同被告らが設立した被告横浜消防試験株式会社(以下「被告会社」という。)のために使用した行為に関し、不法行為、債務不履行、不正競争行為及び著作権侵害行為に該当すると主張して損害賠償請求などを求めた事案である。
1 前提となる事実(当事者間に争いがない。)
(1) 原告も被告会社も、共に、高層ビル等に設置される消防用設備等が法令で定める技術上の基準に適合するか否かの検査等の実施を専業とする株式会社である。
(2) 被告Yは平成3年10月に原告に雇用され、技術部係長に就任していたが、平成10年5月29日、原告を退職した。被告Zは平成元年6月に原告に雇用され、技術部主任に就任していたが、平成10年5月20日、原告を退職した。被告Y及び被告Zは、原告に在職中の平成9年12月4日、被告会社を設立して、被告Yは代表取締役に、被告Zは取締役に、それぞれ就任した。
(3) 被告Yは、原告に在職中、原告が業務に用いていた別紙被害品一覧表記載の業務用各種書式等(以下「本件被害物品」という。)及び営業の過程で同被告が入手した顧客の名刺類及びその写し(以下「本件顧客名刺類」という。)を原告に無断で自宅に持ち帰ったことがあり、この件に関して、被告Yは被疑者として、被告Zは参考人として、区検察庁の取調べを受けた。
2 争点
(1) 不法行為責任の有無(被告ら)
(原告)
ア 被告Y及び被告Zは、原告に在職中、本件被害物品及び本件顧客名刺類(以下両者を「本件被害物品等」という。)を窃取した。なお、本件被害物品には、別紙原告書式目録記載の各書式が含まれている。
イ 被告Y及び被告Zは、原告在職中に被告会社を設立し、本件被害物品等を窃取し、また、窃取した本件被害物品等とこれから得られた情報を利用して被告会社の業務を行い、原告の顧客を奪った。同被告らの上記各行為は、社会的相当性を逸脱したものであり不法行為に該当する。
 被告Yの上記各行為は、被告会社の代表取締役としての行為であるから、商法261条3項、78条、民法44条により被告会社の不法行為にも該当する。被告会社は、被告Y及び被告Zと連帯して損害賠償責任を負う。
(被告ら)
ア 被告Yが、原告に在職中、本件被害物品等を窃取したことは認め、その余は争う。被告Yは、業務中日常的に携帯していた書式等の一部をそのまま自宅に持ち帰ったにすぎない。また、被告Yは持ち帰った書式等をすべて原告に返還したので、被害は回復されている。被告Zについては、否認する。
イ 被告Y及び被告Zは、原告を退職した後に、元の雇用主と同種の営業を自由競争の枠内で行ったのであるから、同被告らの行為が不法行為に当たる余地はない。
(2) 債務不履行責任の有無(被告Y及び被告Z)
(原告)
ア 被告Y及び被告Zは、原告に在職中、本件被害物品等を窃取した。
イ 被告Y及び被告Zは、原告に対し、雇用期間中は雇用契約に基づく服従義務、誠実義務及び競業避止義務を、雇用契約終了後も信義則上の競業避止義務を負うべきところ、同被告らは、原告在職中に被告会社を設立し、窃取した本件被害物品等及びこれに基づく情報を利用して被告会社の業務を行い、原告の顧客を奪った。
 同被告らの行為は、雇用契約上の債務の不履行に当たる。
(被告ら)
ア 被告Yが本件被害物品等を窃取したことは認める。その被害は既に回復されている。
イ 一般論として、被告Y及び被告Zが雇用期間中は雇用契約に基づく服従義務、誠実義務及び競業避止義務を負い、雇用契約終了後も一定の競業避止義務を負うべき場合のあることは認める。しかし、原告と被告Y及び被告Zとが、退職後に競業を禁止する旨の契約を締結したことはない。
 被告Y及び被告Zが被告会社の営業を開始したのは、被告Y及び被告Zが原告を退職した平成10年7月以降である。したがって、同被告らの行為は、雇用契約上の債務不履行に当たらない。
(3) 不正競争防止法上の責任の有無(被告会社)
(原告)
ア 被告Y及び被告Zは、原告が管理する本件被害物品等を無断で社外に持ち出した上、その内容を転記して得意先名簿等を作成した。被告会社は、被告Y及び被告Zがこれらから得られた情報を不正に取得したことを知って、これらの情報を被告会社の営業に使用した。被告会社の同行為は、不正競争防止法2条1項5号所定の不正競争行為に該当する。
イ 被告Yらが窃取した本件被害物品等には、以下のとおり、不正競争防止法2条4項所定の「営業秘密」が含まれている。
 原告は、顧客名簿を作成して保存していた。これは、過去において、原告を利用した顧客の実績(物件名、住所、実施日、内容等)が記録され、会社別に分類された上、保管されている資料である。顧客名簿は、部外者が進入できない部屋のロッカーに入れられて保管されている。社員が、案内や請求書等を発送する場合に活用されるので、社外に持ち出すことはできない。ところで、この顧客名簿は、原告の従業員が営業の過程で入手した名刺を基礎にして作成されるものである。被告Yらが、持ち出した本件顧客名刺類は、「名刺」及び「名刺を複写機で複写したもの」からなるが、秘密として管理されている顧客名簿の基礎であるから、やはり「営業秘密」に当たるというべきである。
 また、被告Yが持ち出した本件被害物品についても、原告が秘密として管理しているものであるから、「営業秘密」に当たる。
(被告ら)
 被告Y及び被告Zは、原告における営業活動中、顧客から受け取った名刺をコピーし、名刺又はそのコピーに必要な情報を適宜記載して営業活動に利用していた。すなわちこれらの名刺は、その管理が被告ら従業員にゆだねられ、秘密として管理はされていなかったのであるから、「営業秘密」には当たらない。
 また、本件被害物品は、同被告らが業務中日常的に携帯することが許されていたものであり、秘密としての管理がされていないから、「営業秘密」には当たらない。
 したがって、被告会社が、その営業に必要な情報を被告Yらから得たとしても、その行為が不正競争防止法2条1項5号所定の不正競争行為に該当することはない。
(4) 著作権侵害の有無(被告ら)
(原告)
 原告は、官公庁の要望を聞き、消防業界の特殊性に配慮し、消防技術の情報、知識を総合するなどして、別紙原告書式目録(一)ないし(三)並びに(七)及び(八)記載の各書式(以下「原告各書式」という。)を作成した。原告各書式は、原告が、長年にわたる試行錯誤の結果、競業他社に先駆けて完成させたものであり、その素材の選択又は配列において創作性を有するから、著作権法12条の編集著作物に該当する。
 被告らは、別紙被告書式目録(一)ないし(三)並びに(七)及び(八)記載の各書式(以下「被告各書式」という。)を作成し、あるいは業者に作成させて、頒布している。原告各書式と被告各書式を比較すると、前者は工事実施会社欄に原告名が記載されているのに対し、後者は空欄又は被告名が記載されているなどの点で異なるが、その他はすべて同じであり、実質的に同一である。したがって、被告各書式は、原告各書式の複製物ということができる。
 よって、原告は、被告らに対し、原告の有する原告各書式の著作権に基づき、被告各書式の作成及び頒布の差止め及び被告各書式(複製物を含む。)の廃棄を求める。
(被告ら)
 原告各書式は、消防試験という業務を遂行する上で必然的に導かれる内容を表現したものにすぎず、著作権法12条所定の編集著作物に当たらない。
(5) 損害額の多寡(被告ら)
(原告)
ア 連結送水管試験料金の値下げ
 原告は、被告らが廉価で顧客を獲得したため、平成10年9月16日に連結送水管の試験料金を、従前の1件7万7000円から1件6万2000円に変更することを余儀なくされた。
 その結果、原告は、同年10月1日から平成11年3月31日までの間に実施した1076件の連結送水管試験について、1614万円(当初料金との差額1万5000円×1076件=1614万円)の損害を受けた。
 また、被告らがなおも不当な廉価で顧客を獲得したため、原告は、平成11年4月1日以降、連結送水管の試験料金を1件6万円に変更することを余儀なくされた。
 その結果、原告は、平成11年4月1日から平成11年8月末日まで間に実施した571件の連結送水管試験について、970万7000円(当初料金との差額1万7000円×571件=970万7000円)の損害を受けた。
イ 屋内消火栓設備試験料金の値下げ
 原告は、被告らが廉価で顧客を獲得したため、平成10年8月20日に屋内消火栓設備の試験料金を、従前の1件9万円から1件7万6500円に変更すること余儀なくされた。
 その結果、原告は、同年9月1日から平成11年3月31日までの間に実施した352件の屋内消火栓設備試験について、475万2000円(当初料金との差額1万3500円×352件=475万2000円)の損害を受けた。
 また、原告は、平成11年4月1日以降、屋内消火栓設備の試験を、1件8万円で実施した。
 その結果、原告は、同年4月1日から平成11年8月末日まで実施した168件の屋内消火栓設備試験について、168万円(当初料金との差額1万円×168件=168万円)の損害を受けた。
ウ 顧客の競合による値引き
 被告らが、原告の得意先に対し、原告よりも低い価格を提示するなどしたことから、原告は、平成10年7月30日から平成11年9月20日までの間、被告会社と競合した別紙一覧表(一)記載の152件の試験について、同表記載のとおり料金の値引きを余儀なくされ、その結果、合計489万4500円の損害を受けた。
エ 顧客の喪失
 原告は、平成10年7月1日から平成11年8月18日までの間、別紙一覧表(二)記載の14件の試験について被告らに顧客を奪われ、その結果、同表記載のとおり、合計116万8000円の損害を受けた。
オ よって、原告は、被告ら各自に対し、損害賠償として前記アないしエの総計3834万1500円を請求する。
(被告ら)
 本件被害物品等は、直後にすべて原告に返還されており、本件被害物品等の窃取による被害はすべて回復された。原告が主張する前記アないしオの損害は、本件被害物品等の窃取によって生じたものではなく、因果関係が存しない。
 原告の主張に係る損害のうち、前記ア及びイの試験料金の値下げについては、被告会社の新規参入によって自由競争原理が働き、原告が不当に高く設定した料金が適正価格に近づいたにすぎない。また、前記ウの顧客に対する値引き及び前記エの顧客の喪失についても、自由競争原理が働けば当然もたらされる結果である。
第3 争点に対する判断
1 不法行為責任(被告ら)及び債務不履行責任(被告Y及び被告Z)の有無について
(1) 前提となる事実、証拠(甲3ないし6、甲9ないし13、乙1。なお、枝番号の表記を省略する場合がある。)及び弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
ア 原告は、昭和60年ころから、所有者(施主)等の依頼に基づき、動力消防ポンプ等を利用して、送水配管各部の耐圧性能や放水口における放水圧力その他所定の事項についての試験を行い、その試験結果を添えて、消防長又は消防署長に対する検査申請の代行を行うなどの業務(以下「消防試験業務」という。)を営んでいる。
 原告は、試験の受付、試験の実施、現場調査等の際に必要な事項を記載するための別紙原告書式目録(一)ないし(八)の各書式、消防用設備等について実施した試験の結果をとりまとめるための別紙被害品一覧表1ないし9の各書式、及び、試験結果の数値等を消防設備に貼付するためのプレート、学習用資料、技術資料その他の用具を、それぞれ作成して、その消防試験業務の用に供していた。
イ 被告Y及び被告Zは、原告の従業員として、主として現場における消防試験業務に従事していたが、平成8年の終わりころ、原告における将来の処遇に対する不安などから、原告と同種の消防試験業務を行う会社を設立して独立しようと考えるようになり、原告在職中の平成9年12月4日、共同して被告会社を設立した。
 被告Yは、原告在職中の平成9年11月ころから平成10年4月末ころにかけて、将来、被告会社の業務に利用したり、参考にしたりする目的で、原告の従業員としてその業務を行う過程で使用していた本件被害物品等を、原告に無断で自宅(被告会社の本店所在地と同所。)に持ち帰った。
ウ 被告Y及び被告Zは、平成10年5月にいずれも原告を退職した。
 被告らは、平成10年7月、神奈川県下を中心として、ビルの新築現場等において連結送水管や屋内消火栓の試験を行う、原告と同種の消防試験業務を開始した。被告らは、営業開始に当たり、原告の顧客らに対し、葉書又はファクシミリにより案内状を送付したりして、営業活動を行った。
 被告らは、その営業に当たり、@試験に必要な機器類については、自ら調達したが、A被告各書式(別紙被告書式目録(一)ないし(三)並びに(七)及び(八)記載のもの)については、被告Yが原告在職中に持ち帰った本件被害物品のうちの原告各書式を利用して、その工事実施会社欄や使用する機器欄に被告会社名等を記載した書式を作成し(その使用例は甲10の94ないし96、99、100のとおりである。)、B別紙被告書式目録(四)ないし(六)記載の書式については、本件被害物品にある原告の書式をそのまま使用して(その使用例は甲10の63、64、97、98のとおりである。)、被告らの業務の用に供した。
エ 原告代表者は、被告らが消防試験業務を開始したことを知り、平成10年7月30日、被告会社に臨んだところ、被告らが持ち出した本件被害物品を発見したため、確認の上でその返却を受けた(これを原告方で撮影したものが甲10の92、一覧表に整理したものが甲10の93である。)。また、原告代表者らは、同年8月29日、被告会社に臨んだところ、被告らが本件顧客名刺類を使用していることを発見したため、確認の上でその資料についても引き渡しを受けた(これを撮影したものが甲10の12ないし15である。)。
 被告らは、本件被害物品等を返却した後、高層ビルの建築現場等を探し、現場で施主や施工業者と交渉するなどの方法によって、その営業活動を続けているが、書式類については、原告が使用する書式類とほぼ同様の内容のものを使用している。
カ 被告Y及び被告Zは、原告との雇用契約において、退職後に原告と同種の消防試験業務を営まない旨の取り決めをしていないし、また、原告を退職する際にも、競業避止に関して格別の取り決めはしていない。
 なお、被告Yは、原告代表者の告訴に基づき、本件被害物品の窃取について東京区検察庁の取り調べを受けた。担当検察官は、平成10年12月24日、被疑事実は認められるものの、前科もなく、改悛の情を示していること、盗品も返還されていることなどを理由にこれを不起訴処分とした。
(2) 上記認定した事実を基にして、被告らの責任の有無について検討する。
ア 被告Yの責任
 被告Yは、原告在職中の平成9年11月ころから平成10年4月末ころまでの間に、原告の従業員としてその業務を行う過程で使用していた本件被害物品等を、被告会社の業務に利用したり、参考にしたりする目的で、数回にわたって、原告に無断で自宅に持ち帰ったのであるから、同被告の行為が、原告に対する不法行為を構成することは明らかである。
 被告Yは、原告の従業員として、誠実に業務を執行すべき義務があるにもかかわらず、同義務を怠り、同被告が、原告在職中に、自ら設立した被告会社の業務のために利用する目的で、本件被害物品等を持ち帰ったのであるから、同被告の行為は、雇用契約上の義務違反に当たるというべきである。
 これに対し、原告主張に係る被告Yのその余の行為は、社会的相当性を逸脱した行為とはいえないから(なお、本件被害物品等に含まれる情報は、後記のとおり、営業秘密に当たらない。)、不法行為又は債務不履行のいずれにも当たらない。
イ 被告Zの責任
 被告Zが、原告在職中に、被告Yと共に原告在職中に被告会社を設立したこと、原告を退職した後直ちに被告会社の事業に参加したこと、被告Yと終始一貫して、被告会社の営業活動に積極的に従事していたこと等の事実経緯に照らすならば、被告Zは、自らは、本件被害物品等を持ち出しこそしなかったけれども、被告Yが、これらの物品を違法に窃取した状況を十分に認識し、窃取行為に積極的に共同加担したと推認することができる。したがって、被告Zは、被告Yとともに、共同不法行為に基づく責任を負うと解すべきである。
 また、被告Zは、原告の従業員として、誠実に業務を執行すべき義務があるにもかかわらず、同義務を怠り、原告在職中に、自ら設立した被告会社の業務のために利用する目的で、被告Yが本件被害物品等を持ち帰ったことに加担したのであるから、被告Zの加担行為は、雇用契約上の義務違反に当たるというべきである。
 他方、原告主張に係る被告Zのその余の行為は、社会的相当性を逸脱した行為とはいえないから(本件被害物品等に含まれる情報は、営業秘密に当たらない。)、不法行為又は債務不履行のいずれにも当たらない。
ウ 被告会社の責任
 被告Yは被告会社の代表取締役であり、被告Yの上記各行為は、被告会社の業務のための行為であるから、同被告は、商法261条3項、78条、民法44条に基づき、被告Y及び被告Zと連帯して損害賠償責任を負う。
2 不正競争防止法上の責任(被告会社)について
(1) 被告Yが、原告が管理する本件被害物品等を原告に無断で社外に持ち出した上、その内容を転記して得意先名簿等を作成したこと、被告会社が、その代表者である被告Yが入手した資料を基に、営業活動を行ったことは前記認定のとおりである。そこで、同被告が持ち出した本件被害物品等に、不正競争防止法上の「営業秘密」が含まれているか否かについて検討する。
 証拠(甲7ないし9、甲10の1ないし15、甲11、甲16、乙1)及び弁論の全趣旨によれば、以下のとおりの事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
ア 本件被害物品については、消防試験業務の用に供する書式類その他の用具であり、同物品は、原告の従業員が現場に持参して使用することを前提に製作されたものであって、実際にも、現場に携行して、不特定多数の者の目にさらされることがあり、一方、原告において、本件被害物品の保管、持ち出し、返還、枚数の確認等について、あらかじめ厳格な規定を設けて管理していた形跡はない。
イ 本件顧客名刺類については、現場の試験業務を担当する原告の従業員が顧客の担当者から名刺を入手した場合に、原告がこれを厳重に保管していた事実はない。確かに、従業員が営業に従事する過程で入手した顧客の名刺については、これを原告に渡して、顧客名簿の基礎資料として活用していたことがあるが、名刺の保管、持ち出し、利用について原告と従業員との間に、一定の制約を付する旨の取り決めは一切ない。
(2) 上記認定した事実によれば、原告が、本件被害物品等について、「営業秘密」として管理していたと認めることはできない。
 この点、原告は、原告においては、営業担当者が営業の過程で入手した名刺を基礎にして、これに顧客の利用実績(物件名、住所、実施日、内容等)を記録して、顧客名簿を作成して管理していたのであるから、顧客名簿の基礎となる名刺類も、秘密として管理していたと解すべきであると主張する。しかし、顧客名簿が作成されるに当たり、営業等の過程で入手した名刺類が用いられたとしても、その基礎となる名刺類が秘密として管理されている事実がない以上、前記の認定判断に消長を来さないというべきである。この点についての原告の主張は失当である。
 以上のとおり、被告会社の行為は不正競争防止法2条1項所定の不正競争行為に該当しない。
3 著作権侵害(被告ら)について
(1) 原告は、原告各書式(別紙原告書式目録(一)ないし(三)並びに(七)及び(八)記載のもの)は、著作権法12条所定の編集著作物に該当する旨を主張する。
 著作権法は、編集著作物について「編集物で、その素材の選択又は配列によって創作性を有するもの」と規定する。したがって、編集著作物に当たるとするためには、素材部分の「選択」又は「配列」について、作成者の思想又は感情を表現したものとして個性の発揮が認められることが必要であるから、誰が選択、配列しても同じ内容、表現となるような場合には、個性の発揮がないものとして、当該表現物は、編集著作物に該当しないと解すべきである。
 前提となる事実及び前掲各証拠によれば、以下の事実が認められる。すなわち、
ア 原告各書式は、「シャッター等の水圧解放装置作動等試験結果書」(別紙原告書式目録(一))、「給水(採水)・放水試験結果書」(同(二))、「連結送水管改修結果報告書」(同(三))、「計算書」(同(七))及び「配管摩擦損失水頭」(同(八))と題する各書式であって、消防試験業務に従事する者が試験の結果をとりまとめ、当該消防設備が法令の基準に適合するか否を判断するために、水圧開放装置の作動圧力、吸水(採水)の際の揚水時間や放水の際の最大放水量、連結送水管の改修箇所等を記載し、あるいは屋内消火栓の同時開口数等から消火栓ポンプの能力を決定したり、配管における摩擦を算出するために作成された書式である。
イ 例えば、同目録(一)についてみると、@防火対象物の所在、名称、A試験車等の製造会社、ポンプの級別、製造年月、型式記号など、B測定機器の名称、等級、使用範囲、製造会社、校正年月日など、C水圧開放装置/設備概要の設置個数、設置位置、製造会社など、D試験実施会社の所在、名称などの種々の項目をあらかじめ印刷して表記されている。
(2) 上記認定した事実によれば、原告各書式は、各項目の選択については、法令で求められた必須検査項目、又は常識的に必要とされる項目が選択され、誰が検査を担当しても同じ項目が選択されると解して差し支えなく、また、その配列についても、消防試験業務の内容又は手順に沿ったもので、ありふれた順序、配列ということができるので、選択又は配列等に原告の思想又は感情の表現としての創作性を認めることはできず、原告各書式は編集著作物に該当しない。
 したがって、原告のこの点の請求は理由がない。
4 損害額について
(1) 前記のとおり、被告らは、被告Yが本件被害物品等を原告から持ち出したことについて、不法行為及び債務不履行(被告会社は不法行為)に基づく責任を負う。したがって、被告らは連帯して、同行為と因果関係のある原告に生じた損害を賠償すべきことになる。
 そこで、被告らが賠償すべき金額について検討する。
 前提となる事実、証拠(甲13、14)及び弁論の全趣旨(別紙一覧表(一)及び(二)の記載)によれば、以下のとおりの事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
ア 被告Yは、原告在職中の平成9年11月ころから平成10年4月末ころにかけて、原告の従業員としてその業務を行う過程で使用していた本件被害物品等を、自己が設立した被告会社の業務に利用する目的で、数回にわたって、原告に無断で自宅に持ち帰った。
イ 被告Y及び被告Zは、平成10年5月にいずれも原告を退職したが、その直後の同年7月に、神奈川県下を中心に、ビルの新築現場等において連結送水管や屋内消火栓の試験を行う原告と同種の消防試験業務を開始した。
ウ 被告Yは、原告に無断で物品を持ち出した件が発覚したため、結局、同年7月30日、8月29日に、それぞれ本件被害物品及び本件顧客名刺類を原告に返却したが、それまでの間、これらを用いて自己の営業開始の準備を進め、また、実際の営業の用に供した。
エ ところで、被告会社が営業を開始した直後における、原告の営業の推移は以下のとおりである。すなわち、原告は、@被告会社との競合のために、受注額につき値下げを余儀なくされ、その値引額の合計は、平成10年7月、8月及び9月に受付け又は見積りをした分について68万5500円であり(合計21件、甲13の88、93、119、121、122、124、127、129、130、136、138、140、143、144、146ないし152)、A同様に、既に受注した契約のキャンセルに応じざるを得ず、その解約額の合計は36万4000円であり(5件、甲14の6ないし9、13)、これらの合計は104万9500円であった。
(2) 上記認定した事実を基礎に考察すると、被告Yは、本件被害物品等を原告に無断で持ち去り、原告の要請に応じて返却しているが、その間に当該物品を利用して自己の営業活動の準備を進めていたのであるから、仮に、被告らが、本件不法行為ないし債務不履行行為に当たる行為を行わないままに、消防試験業務に新規に参入したとするならば、原告を退職後、自ら書式類や備品を作成、準備するのに、おおむね数か月は必要であり、その期間は、自己の業務を開始することはできなかったということができる。そうとすると、本件不法行為ないし債務不履行行為と因果関係のある原告に生じた損害は、被告会社が営業を開始した直後の3か月間に原告が被った営業上の不利益を基準にして、100万円と認定するのが相当である。
 この点について、原告は、平成10年7月から平成11年9月までの間に生じた営業上の不利益のすべてが、被告らの不法行為等によって生じた損害である旨主張する。
 しかし、原告と被告Y及び被告Zとの間において、退職後の競業避止に関する明示の取り決めはなく、本件において、信義則上の競業避止義務を認めるべき特段の事情も認められないから、被告らが原告と同種の消防試験業務に参入したことを契機として、原告がその営業上の地位を確保するために料金を変更せざるを得なくなったとしても、それは、自由競争の結果であると解するのが相当であり、被告らの不法行為等によって生じた損害に当たるということはできない。原告の同主張は失当である。
 なお、被告らは、本件被害物品等を返却したことにより、原告に損害は生じていない旨主張するが、被告らの同主張は、前記認定及び判断に照らして採用できない。
5 結語
 以上のとおり、原告の請求のうち、被告ら各自に対し100万円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める部分は理由があるが、その余の請求はいずれも理由がない。

東京地方裁判所民事第29部
 裁判長裁判官 飯村敏明
 裁判官 谷有恒
 裁判官 佐野信


別紙 原告書式目録 略
別紙 被告書式目録 略
別紙 被害品一覧表 略
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