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【事件名】すいか写真翻案等事件(2)
【年月日】平成13年6月21日
 東京高裁 平成12年(ネ)第750号 著作権侵害差止等請求控訴事件
 (原審・東京地裁平成11年(ワ)第8996号)
 (平成13年4月5日 口頭弁論終結)

判決
控訴人 A
訴訟代理人弁護士 三戸岡耕二
被控訴人 B
訴訟代理人弁護士 古田茂
被控訴人 有限会社さっぽろフォトライブ
代表者代表取締役 C
訴訟代理人弁護士 堀口磊藏


主文
1 原判決を次のとおりに変更する。
 被控訴人Bは、控訴人に対し、被控訴人有限会社さっぽろフォトライブと連帯して、金100万円及びこれに対する平成10年11月21日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
 被控訴人有限会社さっぽろフォトライブは、控訴人に対し、被控訴人Bと連帯して、金100万円及びこれに対する平成10年11月21日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
 被控訴人有限会社さっぽろフォトライブは、別紙写真二表示の写真を登載したカタログ「シルエットin北海道」につき、その発行も頒布もしてはならない。
 控訴人の被控訴人B及び被控訴人有限会社さっぽろフォトライブに対するその余の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は、第1審、2審を通じてこれを3分し、その1を被控訴人らの負担とし、その余を控訴人の負担とする。

事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人
 原判決を取り消す。
 被控訴人らは、控訴人に対し、連帯して金500万円及びこれに対する平成10年11月21日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
 被控訴人らは、日本広告写真家協会発行のΛPΛNEWSに、別紙謝罪広告目録1記載の謝罪広告文を同目録2記載の掲載条件で掲載せよ。
 被控訴人有限会社さっぽろフォトライブは、同被控訴人発行に係る別紙写真二表示の写真を登載したカタログ「シルエットin北海道」(以下「被控訴人カタログ」という。)を既発行分については回収して廃棄せよ。
 被控訴人有限会社さっぽろフォトライブは、被控訴人カタログにつき、発行も頒布もしてはならない。
 訴訟費用は、第1審、2審とも被控訴人らの負担とする。
2 被控訴人ら(各自)
 本件控訴を棄却する。
 控訴費用は控訴人の負担とする。
第2 当事者の主張
 本件は、被控訴人B(以下「被控訴人B」という。)が別紙写真二表示の写真(以下「被控訴人写真」という。)を撮影し、控訴人有限会社さっぽろフォトライブ(以下「被控訴人会社」という。)が同写真を被控訴人カタログに掲載した行為が、控訴人が撮影した別紙写真一表示の写真(以下「本件写真」という。)に係る著作者人格権(同一性保持権)あるいは著作権(翻案権)を侵害するとして、控訴人が、被控訴人らに対し、著作者人格権(同一性保持権)に基づき、損害賠償(慰謝料)の支払及び謝罪広告の掲載を、著作者人格権(同一性保持権)あるいは著作権(翻案権)に基づき、上記カタログの発行等の中止及び既発行分の廃棄を、それぞれ請求した事案の控訴審である。
 当事者双方の主張は、次のとおり付加するほか、原判決の「第二 事案の概要」記載のとおりであるから、これを引用する。
1 当審における控訴人の主張の要点
(1) 本件写真と被控訴人写真との類似性について
(イ) 著作物としての写真において最も重要なものは、著作者によって創作的に表現された思想又は感情であり、この点は、他の著作物におけるのと変わるところがない。そして、創作的に表現された思想又は感情の中で最も重要なのは、著作者が当該作品を製作しようとする意図すなわち主題である。著作者は、この主題を決定し、この主題を創作的に表現するために、被写体、構図、カメラアングル、光量、シャッターチャンス等を選択して作品を製作するのである。そして、本件において強調されなければならないのは、本件写真においては、これらの要素のうち、被写体の選択と構図の創作が、比較的な意味で、より重要な要素になっているということである。
 ところが、原判決は、翻案の成否の前提として行われる、本件写真及び被控訴人写真が類似するかどうかの検討に当たって、特段の事由がない限り、被写体の選択、組合せ及び配置が共通するか否かを考慮すべきではない旨解し、この解釈を前提に結論を導いている。本件写真と被控訴人写真とが類似するかどうかを検討するに当たって、被写体の選択、組合せ及び配置の検討を除外する原判決は、出発点において既に誤ったものであることが明らかである。
 被控訴人Bは、写真著作物の場合には、その性質上、原判決が判示した基準、すなわち、「先行著作物の表現形式上本質的特徴部分を当該作品から直接感得できる程度に類似しているものであることが必要である」という基準を満たすことはほとんどあり得ない旨主張する。
 しかし、本件で重要なことは、判断の対象とされる本件写真は、例えば、同じ条件の下に同じモデルを既与のものとして撮影したものではなく、控訴人が被写体自身を創作的に作出して撮影したものであり、本来、被写体が同一となることも類似することもあり得ない場合であるということである。被控訴人Bの主張は、このことを忘れた議論であり、前提において既に誤っている。
(ロ) 本件写真と被控訴人写真とを厳密に対比すると、同一というべき事項は、@前面の中央に配置したのが楕円球のもので、Aそれが大きな西瓜で、Bこれを横長に配置し、Cこれを半球状に切っていること、D上記半球状に切られた大きな楕円球の西瓜の上に置かれているのが略三角形に薄く切った、E赤い西瓜で、F6切れで、G傾斜して、H一列に並べて配置されていること、I右後方に楕円球の西瓜が配置されており、Jこれが横長に配置されていること、K後方に配置された西瓜の上に蔓がからまっていること、L背景を青くしていることの13か所もあるのに対し、差異というべき事項は、@中央前面に氷を敷いているか否か、A半球状に切られた大きな楕円球の西瓜の表面に縞模様があるか無地か、B上記西瓜の切り口に小さいV字型の切欠きを設けているか否か、C略三角形に薄く切った西瓜が、上記西瓜のV字型の切欠部分に置かれているか、単に半球の上に置かれているか、D上記略三角形に薄く切った西瓜の傾斜が右側か左側か、E半球状に切られた大きな楕円球の西瓜の左後方あるいは後方及び右側に配置されているのが大小二つの丸い西瓜か大小三つの丸い西瓜か、F右後方の楕円球の西瓜が籐の籠に入っているか否か、G上記楕円球の西瓜の表面が縞模様か無地か、H上記西瓜が一つか二つか、I後方の西瓜の表面に光が当てられるよう工夫を凝らして撮影された写真であるか否か、の10か所である。なお、被控訴人写真の楕円球の西瓜が実は冬瓜であったことは、後述するとおりである。
 原判決は、多数ある同一点を無視して、殊更、相違点を取り上げ、本件写真と被控訴人写真とが相違するとの結論を導いており、恣意的であって、不当である。
 また具体的な判断をみても不当である。
@ 第1に、本件写真においては、中央前面に、V字型に切り欠かれ、縞模様のある西瓜が配置されているのに対し、被控訴人写真においては、水平方向に半球状に切られ、無地の西瓜が配置されているとし、中央前面に配置された西瓜にV字型の切り欠きがあることと縞模様のあることが、本質的特徴部分の相違であり、中央前面に、大きい西瓜を横長に配置したことは、単なるアイデアにすぎないという(原判決16頁9行〜17頁1行参照)。
 しかし、中央前面に大きい西瓜を横長に配置したことは、実際に写真に表現されているものであり、単なるアイデアではなく、著作者のこの写真によって表現しようとする製作意図を表現する、重要な、まさに原審判決のいう本質的特徴部分の表現形式というべきである。
A 第2に、原判決は、本件写真においては、略三角形に薄く切られた西瓜は、右側に傾斜させて配置されているのに対し、被控訴人写真においては、左側に傾斜させて配置されているとし、本件写真において、略三角形に薄く切られた西瓜6切れが、大きい西瓜の上に一列に傾斜させて配置されていることが、本質的特徴部分ではなくて、その6切れを傾斜させている方向が「右側」か「左側」かが本質的特徴部分であるとする(原判決17頁1行〜3行参照)。しかし、常識的に考えても、原判決の判断は、恣意的にすぎるといわざるを得ない。
B 第3に、原判決は、本件写真においては、中央前面に氷が敷かれ、また、籐の籠が配置されているのに対し、被控訴人写真においては、氷も籐の籠も配置されていないとする(原判決17頁3行〜5行参照)。しかしながら、氷は、本件写真の手前下方に約1センチメートル幅で写っているにすぎないもので、その部分は全体の5パーセントにも満たない。氷の有無は、残り95パーセントを占める部分において両者の写真が酷似していることに、何らの影響も与えるものではない。また、被控訴人写真の後方右側の西瓜の下にも、籐の籠らしきものの一部が写っており、これもまた、両者の写真の共通性のイメージをほうふつとさせるものである。
C 第4に、原判決は、本件写真においては、光りの当て方その他においてさまざまな工夫が凝らされているのに対し、被控訴人写真においては、格別の工夫はなされていないとする(原判決17頁5行〜7行参照)。
 しかしながら、本件写真はスタジオにおいて撮影されたものであるのに対し、被控訴人写真は雨天に撮影されたものであるため、本件写真が、被控訴人写真に比較して、全体に明るい印象を受けるものの、他の酷似する点の多さから見れば、これをとらえて本件写真の本質的特徴部分の相違であるとまでいうのは、明らかに誤りである。
D 第5に、原判決は、本件写真においては、中央に配置された西瓜及び薄く切られた西瓜は、やや下方から撮影されているのに対し、被控訴人写真においては、やや上方から撮影されているとする(原判決17頁7行〜9行参照)。
 しかし、カメラアングルとしては、確かに、上方と下方との差異はあるものの、より重要なのは、被控訴人提出の乙第2号証の写真が左前方から斜めに撮影しているのと対比すると明らかなように、本件写真も被控訴人写真も、ともに、真正面から撮影しており、むしろこのため両者の写真は酷似する結果となっている、ということである。
E 原判決は、総合判断として、本件写真と被控訴人写真とは、そもそも、異なる素材を被写体とするものであるというが、何をもってそのようにいうのか理解することができない。もし、被写体に氷や籐の籠が存在することををいうのであれば、素材としての重要性からすれば、大きい楕円球の西瓜と真球状の西瓜と略三角形に薄く切った西瓜6切れ、そして、西瓜の蔓の存在の方がはるかに本件写真の本質的特徴部分を構成する被写体として重要であり、同一の素材を被写体にしているというべきである。
(2) 被控訴人写真が本件写真に依拠したものかどうかについて
(イ) 被控訴人写真が、偶然の一致で本件写真と類似することになったということは、あり得ないことである。
 本件写真と被控訴人写真とは、大きい円球の西瓜1個、小さい円球の西瓜2個、大きい楕円球の西瓜1個などの選択が同一である。多種多様の西瓜の中から、種類と個数とその大きさの一致する西瓜が偶然選択されることは、極めてまれなことであり、常識的にはあり得ない。
 被写体としての配列をみると、被控訴人写真における切られていない西瓜の配置は、右より小さい円球の西瓜、楕円球の西瓜、大きい円球の西瓜、小さい円球の西瓜となっていて、本件写真の配列と同様となっており、また、いずれも、ほぼ同様に西瓜の蔓をあしらっている。このような結果が偶然生じることは、極めてまれなことであり、常識的にはあり得ない。
 多数のフォトライブラリーのカタログ写真(甲第6〜10号証、第13〜24号証参照)をみても、このような選択と配列の写真を見いだすことはできない。
 このように、被写体として、大きい円球の西瓜1個、小さい円球の西瓜2個、楕円球の西瓜1個などの選択と配列が同一となることは、確率論からいってもあり得ないことである。しかも、別々の写真家が、それぞれ、明確な撮影意図を持って撮影している以上、被控訴人Bが主張するような偶然の一致ということは、あり得ない。
 さらに、背景になる円球の西瓜の手前に楕円球の西瓜を横長に切って、皿代わりに配置し、その上に略三角形に切った6片の西瓜を横に一列に並べた構成までが偶然に一致することは、絶対あり得ないということができる。欧州では、フルーツポンチを作る風習があるから、時々見られるものの(甲第26号証)、日本では、そのような風習がなく、ほとんど見られないものであり、撮影現場における着想でこのようなことが思い浮かぶはずはない。
 被控訴人Bも被控訴人会社代表者であるC(以下「C」という。)も、被控訴人Bが過去に被控訴人写真と同様な「果実を半分にカットして皿代わりとして、その上に、カットした果実を並べた写真を撮っている」と証言しながら、最後まで、そのような写真を提出できなかった。このことは、被控訴人Bが、被控訴人写真と同様な写真をただの1枚も撮影していなかったことを示すものである。被控訴人Bは、過去に5万枚という写真を被控訴人会社に預けていながら(被控訴人B、被控訴人会社代表者各尋問の結果)、そして、おそらく、被控訴人B自身、10万枚を超える写真を撮影しながら、ついに被控訴人写真と同様な写真を提出していないのである。
(ロ) 被控訴人写真には、次のとおり、本件写真に依拠したことを裏付けるものが使用されている。
@ 被控訴人写真には、グラデーション用紙が使用されているから、被控訴人Bは、撮影現場である旭川市永山町(被控訴人Bの実家)から直線距離にして150キロメートルも離れた枝幸郡浜頓別町の写真館(被控訴人Bの店舗)を出るときに、既に青いグラデーションを用意していたことになる。被控訴人Bが被控訴人写真を撮影したという平成5年8月18日は、一日中雨が降ったりやんだりしていた日であるから、被控訴人Bには、たとい雨天でも、晴天の青空の下の西瓜を撮影する意思があったことになり、これは、出発する時点で、既に被控訴人写真の構想があったことになる。グラデーション用紙は、1枚5000円前後もし、雨に濡れると染みができ、再使用が不能となる不経済なものである。常識的な写真家であれば、何か経済的な負担を考慮しなくてよいような特別な事情がなければ、このようなものを使用することはない。
A 円球の西瓜と楕円球の西瓜とは、同じ畑で一緒に生産することはできない。被控訴人Bが被控訴人写真の撮影に使用したのは、実は、楕円球の西瓜ではなく冬瓜であったのであり、被控訴人Bは、大きい冬瓜をどこか他の場所から撮影現場に持参したのである。また、被控訴人Bは、ざるも、あらかじめ用意している。このように、冬瓜やざるをあらかじめ撮影の前に用意しているということは、撮影前に、既に、被写体について構想が出来上がっていたこと示すものである。
 被控訴人Bは、隣接する畑に楕円球の西瓜がなっているのを見て、楕円球の西瓜を半分にカットして、その上に、三角形にカットした西瓜を並べることを想起したと陳述している。しかし、被控訴人Bは、撮影の前から、既に冬瓜を用意していたのであり、上記陳述は、虚偽である。
 さらに、被控訴人Bは、西瓜を切るための包丁もまた、西瓜を乗せるステンレスの台も持参しているはずであり、撮影に出かける前にこれらを用意していたことになる。被控訴人Bの、撮影現場での着想により撮影したという主張は、矛盾に満ちている。
(ハ) 本件写真や被控訴人写真のような食料品写真を撮影するためには、あらかじめ撮影完成後の写真の構図が決定され、かつ、把握されており、そして、撮影のために被写体処理の詳細な作業手順が決められており、それに必要な道具もすべて用意されていて、一気に作業して、初めて、みずみずしさの残っている西瓜を撮影することができるのである。写真専門家が、現地における着想によって被控訴人写真を撮影することは、あり得ないことである。
 本件写真は、NHKの「きょうの料理」に掲載したものであり、被写体となる各種の蔓のついた西瓜を何個もあらかじめ撮影の日時に合わせて調達できるように市場に手配するなどして用意したうえで撮影されたものである。すなわち、本件写真の構想は、制作費がかさむことを容認した写真撮影により制作された写真なのである。
 ところが、被控訴人写真の場合、たいして制作費がかけられていないことが容易に推測される。被控訴人Bが、制作費をかけないで被控訴人写真を撮ったとすれば、本件写真を参考にして、本件写真にあるような素材をあらかじめ準備し、手際よく、本件写真と同じ構成にして撮影したと考えるしかない。
(ニ) 被控訴人BとCとは、平成4年以前からの付き合いがあり、相互に重要な取引先であったものであり、Cが、平成5年3月18日に控訴人から写真集「A(仮名)の旬菜果」を購入したこと、被控訴人写真が撮影されたのが同年8月18日であることからすると、被控訴人Bが、同写真の撮影に近接した時点で、Cの所持していた「A(仮名)の旬菜果」を見ることが物理的に可能であったことは、明らかである。
(ホ) 被控訴人Bは、控訴人から抗議を受けた後の電話で話した際に、控訴人の写真に感動し、参考にしたと明言している。この場合、被控訴人Bが感動し参考にしたのは、写真集「A(仮名)の旬菜果」を構成する写真しかあり得ない。
(3) 被控訴人らの責任について
(イ) 被控訴人Bの責任
 被控訴人Bは、本件写真を模倣して被控訴人写真を撮影したのであるから、侵害についての認識に欠けるところがなく故意が認められる。被控訴人Bは、故意に、控訴人の本件写真についての著作者人格権あるいは著作権を侵害したものである。
(ロ) 被控訴人会社の責任
 被控訴人会社は、被控訴人カタログを発行するに当たり、他人の著作者人格権あるいは著作権を侵害するものを掲載することのないように調査すべき注意義務があるのにこれを怠り、被控訴人写真を掲載したから、過失により、控訴人の本件写真についての著作者人格権あるいは著作権を侵害したといってよいことは、原審で主張してきたとおりである。
 しかし、被控訴人会社の責任原因は上記にとどまらない。Cは、平成5年3月18日、控訴人の事務所を訪れた際、控訴人の写真集「A(仮名)の旬菜果」を購入した。被控訴人Bが、本件写真を模倣した被控訴人写真を撮影したのは、控訴人の写真集「A(仮名)の旬菜果」を見たからである。これは、Cが、被控訴人Bに、本件写真を模倣した写真を撮影するように指示したことに通じるものである。そうでなければ、被控訴人Bが、わざわざ、雨が降ったりやんだりしている日に、屋外で、西瓜や冬瓜を切ったり、四苦八苦して冬瓜の中を削ったり、本件写真のように素材を配置したり、青空を印象付ける青いグラデーションを使用したりして、被控訴人写真を撮影するはずがない。
 Cは、被控訴人Bが撮影した被控訴人写真が、本件写真を模倣したものであることを十分に知りながら、被控訴人会社発行の被控訴人カタログに被控訴人写真を掲載し、これを頒布したのであるから、被控訴人会社は、故意による著作者人格権あるいは著作権侵害の責任を免れない。
 仮に、Cが、被控訴人Bに、本件写真を模倣した写真を撮影するように指示したものでないとしても、写真の被写体を西瓜に限れば、このような写真は極めて珍しい写真であるから、入手していた控訴人の写真集「A(仮名)の旬菜果」に掲載されている本件写真を容易に思い出したはずである。
 いずれにせよ、被控訴人会社の、被控訴人カタログを頒布し、又は、頒布の目的をもってこれを所持する行為は、それが本件写真についての著作者人格権あるいは著作権を侵害する行為によって作成された物であることの情を知って行われる行為に該当するというべきである。
(4) 被控訴人会社の発行する被控訴人カタログの発行差止め等について
 被控訴人会社は、本訴提訴後も現在まで、被控訴人カタログを発行、頒布しているので、控訴人は、著作者人格権あるいは著作権の侵害行為を停止させるため、被控訴人会社に対し、上記カタログの発行、頒布を中止することを求め、また、既発行分について、回収したうえ廃棄することを求める。
(5) 謝罪広告について
 被控訴人らは、本件写真に酷似し、しかも程度の低い被控訴人写真を上記カタログに掲載して発行し、これを頒布したことにより、控訴人が長年の努力によって築き上げてきた食料品写真及び料理写真家としての名声と信用を著しく傷つけた。この名誉と信用を回復するための適当な措置として、被控訴人らに、日本広告写真家協会発行の機関紙に謝罪広告を掲載することを求める。
(6) 損害賠償について
 控訴人は、被控訴人B及び被控訴人会社による、著作者人格権を侵害する上記不法行為により、精神的苦痛を受けた。この精神的苦痛を慰謝するに必要な慰謝料額は500万円を下らない。控訴人は、被控訴人らに対し、連帯して500万円の慰謝料を支払うよう求める。
 なお、控訴人は、財産的な損害の賠償は求めない。
2 当審における被控訴人Bの主張の要点
(1) 本件写真と被控訴人写真との類似性について
(イ) 特定の作品を先行著作物の同一性保持権あるいは翻案権を侵害するものとするためには、依拠の要件を満たすほか、当該作品が、「先行著作物の表現形式上の本質的特徴部分を当該作品から直接感得できる程度に類似しているものであることが必要である」とされている。しかし、写真著作物の場合には、その性質上、この基準を満たすことはほとんどあり得ない。
 写真は、構図を決めてシャッターを押しさえすれば、機械的に被写体を表現できる表現方法であるため、被写体が同一ないし類似のものであるときは、その表現はおのずから類似したものとなる。しかしながら、これは、被写体の類似性に起因するのであって、創作的表現の類似性に起因するのではない。すなわち、一見して似ているということと、創作的表現が類似するということは全く別である。そして、写真著作物の特色は、一方で、一見して似た写真を撮影することまでは極めて容易であるにもかかわらず(同じスポットから同じ被写体を同じ構図で撮影することは珍しくない。)、他方では、撮影条件が機械を介して直接表現に影響するがゆえに、撮影時刻、露光、陰影の付け方、レンズの選択、シャッター速度の設定、現像の手法等において工夫を凝らした結果作出される創作的表現になると、それを再現することは極めて困難である、という点にあるのである。
 仮に、被写体を容易かつ正確に表現できることに最大の利点がある写真について、先行著作物と被写体が同一ないし類似のものである写真を撮影してはならないとなると、写真による表現行為は著しく制約されることになる。こうした結論が創作活動の動機付けを与えようとする著作権法の趣旨に反することは、明らかである。
 同じ被写体を同じ配置で撮影した場合に著作者人格権あるいは著作権の侵害に問われ得るとなると、被写体の配置には自ずと限りがあるから、どこかで見たような写真を撮影することはできなくなり、これにより写真による創作活動が受ける萎縮的効果には著しいものがある。被写体の配置をもって安易に写真著作物における著作者人格権あるいは著作権の侵害の前提としての類似性を肯定するならば、先行著作者に被写体の並べ方について独占権を付与するに等しいことになり、それが著作権法の趣旨に反することは明らかである。
 したがって、写真著作物の場合、先行著作物の表現形式上の本質的特徴部分を当該作品から直接感得できるかどうかを判断するに当たっては、被写体の選択、組合せ及び配置が共通するか否かではなく、撮影時刻、露光、陰影の付け方、レンズの選択、シャッター速度の設定、現像の手法等表現に影響を与え得る写真技術上の工夫によって作出された表現部分が共通するかどうかを考慮して判断する必要がある。
 上記の前提に立って、本件につき検討した場合、本件写真と被控訴人写真とは、セッティング(撮影場所の設定)、ライティング(採光)及び陰影の付け方、露出、アングルが相違しており、その他、表現に影響を及ぼすカメラ、レンズ、シャッター速度、フィルムの選択にも相違がある。このように写真を作成する手法が大きく相違している以上、被控訴人写真は、本件写真の表現形式上の本質的特徴部分を当該作品から直接感得できるとはいえない。
 更にいえば、本件写真はスタジオ写真であり、被控訴人写真は屋外で撮影された写真である。スタジオ写真においては、撮影対象及び空間に制約があるものの、他方で、セッティング(撮影場所の設定)やライティング(採光)に工夫を凝らすことにより、幅広い表現が可能であるのに対し、屋外写真においては、対象及び空間において制約は少ないものの他方で自然条件の影響をまともに受けることにより、その表現に限界があるから、両写真は、必然的に、撮影に対する方法及び思想が全く異なるものとならざるを得ない。したがって、屋外写真をもってスタジオ写真の本質的特徴部分を再現することなど考える者はいないのである。
 こうした違いは、本件写真においては、本物以上にみずみずしさを現出するため、氷を配置し、水を振りかけ、夏の日差しを思わせる光を当てるなどの工夫がされたのに対し、被控訴人写真においては、こうした作為は加えられておらず、自然の制約下でのセッティング(撮影場所の設定)とライティング(採光)により素材を生かす発想が見られるのである。これは、まさに、上記のとおり、撮影に対する表現の方向性の違いに起因するのである。被控訴人写真は、何ら、本件写真を模倣するものではない。
(ロ) 仮に、先行著作物の表現形式上の本質的特徴部分を当該作品から直接感得できるかどうかを判断するに当たって、被写体の選択、組合せ及び配置が共通するか否かが考慮されるとしても、本件写真と被控訴人写真との間には原判決が指摘したとおり多数の相違点があり、両者が類似しているとはいえない。
 控訴人は、本件写真の「本質的特徴部分」と被控訴人写真の「本質的特徴部分」とを列挙したうえで、本件写真と被控訴人写真の相違点に比べ同一点の方が多いと主張するけれども、これをもって本件写真と被控訴人写真が酷似すると主張する趣旨であるとすれば、乱暴な主張といわざるを得ない。問題なのは、両写真の間に同一点がどれだけあるかではなく、本件写真の本質的特徴部分を、被控訴人写真から直接感得できるか、にあるからである。なお、控訴人は、相違点を列挙する原審判決を恣意的と論難するが、表現上相違点が多い場合には、本件写真の本質的特徴部分を被控訴人写真から直接感得することができないのはむしろ当然であり、しかも、反対に、同一点が多いからといって、それだけで直ちに本質的特徴部分を直接感得できるということにはならないことも当然である。相違点を列挙し、両写真は類似しないという原判決を恣意的とする控訴人主張は失当である。
 また、原判決の具体的な判断をみても、正当である。
@ 本件写真においては、中央前面に、V字状に切り欠かれ、縞模様のある西瓜が配置されているのに対し、被控訴人写真においては、水平方向に半球状に切られ、無地の西瓜が配置されている(原判決16頁9行〜17頁1行参照)。西瓜を半分に切ることは誰でも思いつき得ることであり、本件写真の被写体に対する工夫は、西瓜をV字状に切り欠くところにある。
A 本件写真においては、略三角形に薄く切られた西瓜は、右側に傾斜させて配置されているのに対し、被控訴人写真においては、左側に傾斜させて配置されている(原判決17頁1行〜3行参照)。表現としてみて、配置されている方向が全く逆となっているのである。
B 本件写真においては、中央前面に氷が敷かれ、籐の籠を配置しているのに対し、被控訴人写真においては、氷や籐の籠は配置されていない(原判決17頁3行〜5行参照)。本件写真では、中央前面におかれた氷や籐の籠は、夏のイメージを生み出すため、食材に特に付け加えられた道具である。被控訴人写真において、ざるが使用されているものの、これは、西瓜を安定させるために置かれたものであり、表現上何らかの役割を持たせるために置かれたものではない。
C 本件写真においては、光の当て方その他において様々な工夫が凝らされているのに対し、被控訴人写真においては格別の工夫はされていない(原判決17頁5行〜7行参照)。被控訴人写真においては、自然光を生かすという本件写真にはない工夫がされており、室内光により人工的に夏の午後の日差しを作り、かつ現実以上にこれを印象づける工夫を凝らした本件写真とは表現において全く異なる。
D 本件写真においては、中央に配置された西瓜及び薄く切られた西瓜は、やや下方から撮影されているのに対し、被控訴人写真においては、やや上方から撮影されている(原判決17頁7行〜9行参照)。アングルの相違は、異なった表現を生み出すものである。
E 本件写真の、中央前面に大きい西瓜を半分に切って横長に配置し、その上に薄く切った西瓜を6切れ並べ、その後方に切っていない全形の西瓜を並べるという配置は、アイデアにすぎないものであり、こうしたアイデアを前提にする限り、表現の幅はおのずと限られ、創作性の入る余地がないのであるから、こうしたアイデアに基づく表現に似ている部分があるとしても、これをもって類似性を肯定するのは誤りである。しかも、こうしたアイデア自体は、写真家であれば誰でも思いつく定石の範囲を超えるものではない。
(2) 被控訴人写真が本件写真に依拠したものかどうかについて
(イ) 本件写真と被控訴人写真との間には類似性がないのであるから、依拠について論ずるまでもないことである。
 類似性の要件は穏やかに解すべきであり、そのようにしておいて、依拠の要件で絞ればよい、との反論も予想されるが、妥当ではない。なぜならば、被写体の組合せが同一である、あるいは類似するということは、依拠を推認させる一事情となるため、後行著作物の著作者は、事実上、依拠していないことの証明を強いられることとなり、依拠の要件が著作者人格権あるいは著作権の侵害を否定する消極的要件として必ずしも十分に機能しないことになるからである。
 仮に、依拠の要件を問題にするとしても、前述したとおり、本件写真と被控訴人写真との間に一見似ている部分があるとすれば、せいぜい、中央前面に大きい西瓜を半分に切って横長に配置し、その上に薄く切った西瓜を6切れ並べ、その後方に切っていない全形の西瓜を並べていることぐらいであり、こうした配置は、写真家であれば誰でも思いつく定石の範囲を超えるものではない。
 例えば、全形の野菜や果物の前に食べやすく加工した、あるいは、中身を見せた野菜や果物を置くという構図は、ありふれたものであり、被控訴人B自身、よく採用する手法である。また、半分に切った野菜や果物を器に見立て、その上に実を盛りつけるという盛りつけ方もありふれた盛りつけ方であり、被控訴人B自身、例えばパインやメロンを半分に切ってくりぬいたものの上に果物を盛りつけたものの写真を撮ったことがあるのであり、今回の西瓜の写真もこれと同様の発想によるものである。
 したがって、被控訴人写真における配置が、依拠を推認させる一事情となるということは、あり得ない。
(ロ) 青いグラデーション用紙やざるなどが依拠を裏付けるものとなることは、あり得ない。
@ 被控訴人写真の撮影経過は、次のとおりである。
 被控訴人Bは、平成5年8月18日ころ、かぼちゃ、西瓜、トマト、キュウリなどの野菜や花の写真を撮影するため、同じく写真家であるDと一緒に、被控訴人の実家がある旭川市永山町に行った。西瓜を撮影するに当たっては、まず西瓜畑の全景を撮影した。被控訴人Bは、現地で、普段食べる形にカットした西瓜を全形の西瓜の前に置くことによりカットした西瓜を浮き立たせることを思いつき、また、たまたま近隣の畑に長い西瓜がなっていたことから、これを半分に切り、カットした西瓜を並べる台にすることを思いついた。一番奥の西瓜の下にざるを敷いているが、これは、奥に置いた西瓜が転がりやすかったため、西瓜を安定させようとして敷いたものであり、ざる自体を撮影することを目的として敷いたものではない。さらに、写真を撮った場所が被控訴人の実家の前であり背後に障害物が入るという事情もあったので、空を印象づけるため青いグラデーション用紙を背景に置いた。被控訴人Bは、常時、撮影用車両にグラデーション用紙等の撮影用具を積んでおり、屋外でグラデーション用紙を使うことがよくあるのである。
A 控訴人は、被控訴人Bが青いグラデーション用紙やざるを持参したことを問題とする。しかし、被控訴人Bは、被控訴人写真を撮影するためにわざわざこれらを準備したわけではなく、普段から撮影に使用する車両に撮影道具一式を積んでおり、その中からこれらの道具を使用しただけのことである。
(ハ) 控訴人は、被控訴人Bが制作費用を節約するため控訴人写真に依拠したなどと主張するが、邪推以外の何ものでもない。被控訴人写真における西瓜の配置は、ありふれた手法に基づくものであるから、格別の制作費はかからないし、また、費用をかけなくても良い写真はいくらでも撮れる。仮に、本件写真を撮影するために多額の制作費がかかっているとしても、少なくとも、それが西瓜の配置の仕方によるものでないことは明らかである。
(ニ) 被控訴人写真は、被控訴人Bのオリジナル作品である。被控訴人Bは、控訴人から抗議を受けるまで本件写真を見たことがなかったのであり、本件写真に依拠する余地はない。被控訴人Bは、平成5年当時既に約15年のキャリアを持つ写真家である。それだけのキャリアを持つ写真家としては、仮に本件写真を見たとしても、写真による表現力等写真技術的に優れた部分に関心を持つのであり、西瓜の並べ方に関心を持つわけではない。しかるに、被控訴人写真には、本件写真の写真技術的に優れた表現は全く再現されていないのであり、被控訴人写真が本件写真に何ら依拠していないことは、明らかである。
(ホ) 控訴人は、被控訴人Bが、控訴人から抗議を受けた後の電話で話した際に、控訴人の写真に感動し、参考にしたと明言している旨主張するが、事実無根である。
 被控訴人Bが、平成10年11月20日ころ、出張先から控訴人に電話をかけたことは事実である。しかし、被控訴人Bは、出張先で、Cからの電話で、控訴人に電話をするよう求められ、どの写真を問題とされているか確認することなく控訴人に電話をかけたのである。また、控訴人から、頭ごなしに、「私の写真集か何か見てまねしたろう。見たんだったら裁判にかける。外国で40万だか取ったことがある。」などと言われたため、一般論として、「色々な先生方の写真を見ている。すばらしいものがたくさんあるので勉強している。」と述べたまでである。それは、写真家として当然のことを述べただけのことであり、控訴人の写真を見たとかまねをしたなどとは言っていない。
(3) 被控訴人Bの責任、被控訴人カタログの発行差止め等、謝罪広告、損害賠償について
 すべて争う。
3 当審における被控訴人会社の主張の要点
 被控訴人会社は、次のとおりの主張をするほかは、被控訴人Bの主張を援用する。
(1) 本件写真と被控訴人写真との類似性について
 写真については、事実上、同一のものでない限り著作者人格権あるいは著作権の侵害とはならないというべきであり、写真業界においては、これが定説である。
 これを、富士山を例にとって説明する。写真家甲が富士山を撮影し写真Aを作成したとする。次に、写真家乙が富士山を撮影しようとしたとき、写真Aと同じ様な構図では撮影してはいけないのかどうか。写真家乙が写真家甲と同じ場所に立ってカメラを構えても、写真家乙の感情は写真家甲のそれと同じではない。カメラの絞り、シャッタースピード、その他諸条件の一つでも違えば、写真としての表現は変わってくる。ましてや、太陽光や風などの自然環境は刻々変化する。シャッターを切るタイミングは、微妙である。一瞬の前と後で、写真は別物となるのである。そのような写真表現の特質から、業界においては、頭書のような考え方が採られ、写真家は、似てる似てないなどという不毛の論争から解放され、自由に撮影に没頭できているのである。
(2) 被控訴人写真が本件写真に依拠したものかどうかについて
(イ) 被控訴人会社は、被控訴人Bが被控訴人写真を撮影することについて、何ら相談は受けていないし、指示もしていない。被控訴人写真は、被控訴人Bが、専ら同人の感性によって撮影したものである。
(ロ) 被控訴人会社が、控訴人の写真集「A(仮名)の旬菜果」を購入したことは事実である。しかし、これは、Cが控訴人方を訪れたとき、控訴人が自分の写真集として自慢するので、お付き合いとして1冊購入したにすぎない。
 被控訴人会社が、被控訴人Bに対し、本件写真をまねて写真を撮るように示唆した事実はない。そもそも、被控訴人会社が、被控訴人Bに、上記写真集を見せたとか、同人から、見せてくれと頼まれたとかの事実すらないのである。
(3) 被控訴人会社の責任について
 控訴人は、被控訴人会社の、被控訴人カタログを頒布し、又は、頒布の目的をもってこれを所持する行為は、それが本件写真についての著作者人格権あるいは著作権を侵害する行為によって作成された物であることの情を知って行われる行為に該当する旨主張する。
 しかしながら、被控訴人写真を被控訴人カタログに掲載することについては、被控訴人会社は、被控訴人Bと協議をしているものの、その際に、被控訴人会社は、被控訴人写真が本件写真について控訴人の著作者人格権あるいは著作権を侵害するものであるとは認識していなかったし、現在も、認識していない。また、そう認識しないことに過失もない。
 仮に、被控訴人会社が、被控訴人写真の撮影に関与しているとか、同写真が本件写真についての著作者人格権あるいは著作権を侵害していることを意識しているとかいった事実があったとして、その場合、被控訴人会社が、控訴人からの問い合わせに対し、被控訴人カタログの存在を自発的に「自白」し、現物を送付するであろうか。被控訴人会社は、写真集「A(仮名)の旬菜果」を購入したものの、本件写真は見ていなかったのであり、本件写真の存在について全く認識がなかったのである。
(4) 被控訴人カタログの発行差止め等、謝罪広告、損害賠償について
 すべて争う。
第3 当裁判所の判断
 当裁判所は、控訴人の本訴請求につき、控訴人が、被控訴人らに対して、慰謝料100万円の連帯しての支払を求め、被控訴人会社に、その作成した被控訴人カタログの発行及び頒布の中止を求める限度において理由があり、その余は理由がないものと判断する。その理由は、次のとおりである。
1 本件写真と被控訴人写真との対比について
(1) 写真著作物について
 写真著作物において、例えば、景色、人物等、現在する物が被写体となっている場合の多くにおけるように、被写体自体に格別の独自性が認められないときは、創作的表現は、撮影や現像等における独自の工夫によってしか生じ得ないことになるから、写真著作物が類似するかどうかを検討するに当たっては、被写体に関する要素が共通するか否かはほとんどあるいは全く問題にならず、事実上、撮影時刻、露光、陰影の付け方、レンズの選択、シャッター速度の設定、現像の手法等において工夫を凝らしたことによる創造的な表現部分が共通するか否かのみを考慮して判断することになろう。
 しかしながら、被写体の決定自体について、すなわち、撮影の対象物の選択、組合せ、配置等において創作的な表現がなされ、それに著作権法上の保護に値する独自性が与えられることは、十分あり得ることであり、その場合には、被写体の決定自体における、創作的な表現部分に共通するところがあるか否かをも考慮しなければならないことは、当然である。写真著作物における創作性は、最終的に当該写真として示されているものが何を有するかによって判断されるべきものであり、これを決めるのは、被写体とこれを撮影するに当たっての撮影時刻、露光、陰影の付け方、レンズの選択、シャッター速度の設定、現像の手法等における工夫の双方であり、その一方ではないことは、論ずるまでもないことだからである。
 本件写真は、そこに表現されたものから明らかなとおり、屋内に撮影場所を選び、西瓜、籠、氷、青いグラデーション用紙等を組み合わせることにより、人為的に作り出された被写体であるから、被写体の決定自体に独自性を認める余地が十分認められるものである。したがって、撮影時刻、露光、陰影の付け方、レンズの選択、シャッター速度の設定、現像の手法等において工夫を凝らしたことによる創造的な表現部分についてのみならず、被写体の決定における創造的な表現部分についても、本件写真にそのような部分が存在するか、存在するとして、そのような部分において本件写真と被控訴人写真が共通しているか否かをも検討しなければならないことになるものというべきである。
 この点について、被控訴人会社は、写真については、事実上、同一のものでない限り著作者人格権あるいは著作権の侵害とはならないというべきであると主張し、写真業界においては、これが定説であるという。しかし、被控訴人会社の主張は、写真の著作物については、著作権法の規定を無視せよというに等しいものであり、採用できない。仮に、被控訴人会社主張のような見解が写真業界において定説となっているとしても、そのことは、誤った見解が何らかの理由によってある範囲内において定説となった場合の一例を提供するにすぎず、著作権法の正当な解釈を何ら左右するものではない。
(2) 本件写真の表現について
 証拠(甲第1号証〜第5号証、第11号証、乙第1号証)によれば、本件写真は、@前面の中央に、半分に切った大きな楕円球の西瓜を、切り口を上に向けて横長に配置し、A同西瓜の下に、ブロック状の多数の氷を配置し、B同西瓜の上には、略三角形に切った6切れの西瓜を、右側に傾斜させて一列に並べて配置し、C前面の半分に切った大きな楕円球の西瓜の後方やや左側には、大きな円球の西瓜を配置し、その左後方に、一部が見えるように小さい円球の西瓜を配置し、D前面の半分に切った大きな楕円球の西瓜の後方右側には、取っ手のついた籐の籠に、横長に入れられた小さな楕円球の西瓜と小さい円球の西瓜を配置し、E後方の3個の西瓜の上には、各西瓜にからめた葉や花の付いた蔓を配置し、F青いグラデーション用紙により背景を夏(盛夏)の青空を思わせる青色としたものであることが認められる。
 さらに具体的にみると、半分に切った大きな楕円球の西瓜は、切り口が全面的に鋸の刃のようにV字型に切り欠かれており、その切欠きに、略三角形に切った西瓜が整然と並べられていること、配置した西瓜の全体に、水滴が付く程度に水を撒き、右前方から西瓜の表面に光を当てて、西瓜がみずみずしくみえるように工夫されていること、カメラアングルとしては、配置された西瓜が、やや下方から撮影されていることが認められる。
(3) 被控訴人写真の表現について
(イ) 被控訴人写真は、@前面の中央に、半分に切った大きい楕円球の西瓜様のものを、切り口を上に向けて配置し、Aこの西瓜様のものの上には、略三角形に切った6切れの西瓜を、左側に傾斜させて一列に並べて配置し、B前面の半分に切った大きい楕円球の西瓜様のものの後方には、大きな円球の西瓜を配置し、その左後方に、小さい円球の西瓜を配置し、C前面の半分に切った大きい楕円球の西瓜様のものの右横には、小さな円球の西瓜を配し、後方右側には、ざるに、横長に入れられた大きい楕円球の西瓜様のものを配置し、D後方中央の大きな円球の西瓜から右前方にかけての西瓜の上には、西瓜にからめた葉や花の付いた蔓を配置し、E青いグラデーション用紙により背景を夏(盛夏)の青空を思わせる青色としたものであることが認められる。
 撮影方法については、左方から西瓜の表面に光を当ていること、カメラアングルとしては、配置された西瓜を、やや上方から撮影していることが認められる。
(ロ) 甲第2号証、第3号証、甲第11号証、乙第1号証及び第2号証、第5号証及び第6号証によれば、被控訴人写真に写っている楕円球の西瓜様のものは、本件写真の西瓜と同様に楕円球ではあるけれども、表面に西瓜特有の縞模様がなく、一面が濃緑色であり、中身は白色をしていることが認められる。乙第5号証、第6号証に写っている西瓜様のものの表面と、甲第11号証(第41「懐かしい冬瓜スープ」という写真)に掲載されている冬瓜の写真のその表面とを比べると、色彩、色合い、模様が、極めてよく似ている。
 また、被控訴人B自身も、本人尋問においては、本人の実家の隣家から入手した西瓜であることを強調しているものの、乙第3号証によれば、当初は、「大分前のことなので記憶が定かではないのですが、これは、冬瓜だったかもしれません。」と陳述していたことが認められる。
 そうすると、他に確定的に否定し得る格別の証拠でもない限り、被控訴人写真の上記西瓜様のものは、冬瓜であるとみるべきである。そして、本件全証拠を検討しても、上記認定を否定し得る証拠を見いだすことができない。
 そして、被控訴人写真の、ざるに入れられた大きい楕円球の西瓜様のものも、上記西瓜様のものとの対比により、冬瓜であると推認することができる。
(4) 本件写真と被控訴人写真との表現の対比
(イ) 本件写真と被控訴人写真とを対比すると、被写体の決定において、すなわち、素材の選択、組合せ及び配置において著しく似ていることが認められる。
 すなわち、前面の中央に半分に切った大きな楕円球の西瓜ないし冬瓜を、切り口を上に向けて配置し、その上には、略三角形に切った6切れの西瓜を傾斜させて一列に並べて配置し、半分に切った大きな楕円球の西瓜ないし冬瓜の後方には、大きな円球の西瓜を配置し、その左後方に、やや小さい円球の西瓜を配置し、半分に切った大きな楕円球の西瓜ないし冬瓜の後方右側には、籐の籠ないしざるに、横長に入れられた楕円球の西瓜ないし冬瓜を配置し、その楕円球の西瓜ないし冬瓜の右前方に小さい西瓜を配置し、後方には、西瓜にからめた葉や花の付いた蔓を配置し、青いグラデーション用紙により背景を夏(盛夏)の青空を思わせる青色としたという全体の構図において共通している。
 そして、前面中央の半分に切った大きな楕円球の西瓜ないし冬瓜の上に、略三角形に切った6切れの西瓜を、傾斜させて一列に並べて配置した構図においても、本件写真と被控訴人写真とが共通していることは明らかである。
(ロ) 一方、前面の中央に半分に切った大きな楕円球のものが、前者では、楕円球の西瓜であるのに対し、後者では、冬瓜である点(相違点@)、上記楕円球のものが、前者では、水平方向に半球状に切られ、そのうえ、上記切り口がV字型に切り欠かれているのに対し、後者では、単に、水平方向に半球状に切られているだけである点(相違点A)、略三角形に薄く切られた西瓜が、前者では、右側に傾斜しているのに対し、後者では、左側に傾斜している点(相違点B)、前者では、中央前面に氷が敷かれているのに対し、後者では、これがない点(相違点C)、上記の大きな楕円球の西瓜ないし冬瓜の後方右側にあるのが、前者では、籐の籠に、横長に入れられた小さな楕円球の西瓜であるのに対し、後者では、ざるに、横長に入れられた大きな楕円球の冬瓜である点(相違点D)、右前方の小さい西瓜が、前者では、籐の籠に入れられているのに対し、後者では、入れられていない点(相違点E)、光の当て方等について、前者では、配置した西瓜の全体に、水滴が付く程度に水を撒き、右前方から西瓜の表面に光を当てて、西瓜がみずみずしくみえるように工夫されているのに対し、後者では、格別の工夫はなされていない点(相違点F)、カメラアングルについて、前者では、中央に配置された西瓜及び薄く切られた西瓜を、やや下方から撮影しているのに対し、後者では、やや上方から撮影している点(相違点G)で、それぞれ相違している。
2 被控訴人写真が本件写真に依拠したものかどうかについて
(1) 本件写真と被控訴人写真との表現の類似性
(イ) 本件写真と被控訴人写真とを、その使用する素材について比較すると、いずれも、大きい円球の西瓜1個、小さい円球の西瓜2個、楕円球の西瓜ないし冬瓜1個、半分に切った大きい楕円球の西瓜ないし冬瓜1個、略三角形に切った西瓜6切れ、葉や花を伴った西瓜の蔓1本、青いグラデーション用紙を選択しており、相違するのは、氷の有無、籐の籠とざるの違い、西瓜と冬瓜の違い、籠ないしざるに入った楕円球の西瓜あるいは冬瓜の大きさの違いだけである。西瓜を主題(モチーフ)とする写真を撮影する場合、多種多様な西瓜があり、その数も任意に選択できるのであり、切り方も自由に選べるのである。本件写真と被控訴人写真のように、西瓜の種類、個数、切り方から、葉や花を伴った西瓜の蔓があること、青いグラデーション用紙を使用することまで一致することは、偶然には生じ得ないこととはいえないであろうが、偶然に生じる確率を大きいものとすることもできないであろう。
(ロ) また、本件写真と被控訴人写真とを、被写体の配列の観点からみると、いずれも、前面中央の半分に切った大きな楕円球の西瓜ないし冬瓜の上に、略三角形に切った6切れの西瓜を傾斜させて一列に並べて配置し、その背後には、大きい円球の西瓜を配置し、その左側に小さい円球の西瓜を配置し、右側には籐の籠ないしざるを用意して、同所に大きい楕円球の西瓜ないし冬瓜を配置し、その右前方に小さい円球の西瓜を配置し、これらの西瓜の上には、葉や花を伴った西瓜の蔓1本を配置し、背景として、グラデーション用紙により盛夏を思わせる青色の色彩としていることが認められる。
(ハ) 本件写真の素材自体は、西瓜(切ったもの、丸のままのもの)、西瓜の蔓、ブロック状の氷、籐の籠、背景としての青であって、日常生活の中によく見られるありふれたものばかりであることが明らかである。しかし、その構図、すなわち、素材の選択、組合せ及び配置は、全体的に観察すると、西瓜を主題(モチーフ)として、人為的に、夏の青空の下でのみずみずしい西瓜を演出しようとする、作者の思想又は感情が表れているものであり、この思想又は感情の下で、前記のありふれた多数の素材を、本件写真にあるとおりの組合せ及び配置として一体のものとしてまとめているものと認められる。
 他の者が、このような作為的な表現についての発想を、控訴人とは全く別個に得る可能性を全くないものとすることはできないであろう。しかし、このように一致した配置及び構図の着想に至ったのが偶然であったとしたら、相当に珍しいことが生じたものということは許されるであろう。
(ニ) 被控訴人Bは、こうした配置は、写真家であれば誰でも思いつく定石の範囲を超えるものではない旨主張する。
 しかしながら、被控訴人Bは、上記主張を裏付けるための何らの立証をもしていない。もし、本件写真がありふれたものであるならば、本件写真のような素材を選択し、配置した写真、西瓜の背景としてグラデーション用紙を利用した写真等を、証拠として提出できるはずである。しかし、そのような作品は、証拠として全く提出されていない。すなわち、本件全証拠を検討しても、そのような作品を見いだすことはできない。被控訴人Bは、自分自身プロの写真家なのであるから、上記主張が正しいなら、自己が過去に撮影した膨大な写真の中から、被控訴人写真と類似する写真を提出することができるのではないかと思われるのに、これをしていないのである。被控訴人Bが自己の撮影した写真として提出する乙第22号証及び第24号証によれば、同人は、北海道の大自然、風景、動植物、食材等のありのままの姿を撮影することを作風としていることが認められ、同事実からすると、被控訴人写真においてなされている作為的な表現は、被控訴人Bの作風とは、著しく異なっているものと考えざるを得ないのである。
(ホ) 以上、検討したところによれば、本件写真と被控訴人写真との上記類似性は、被控訴人写真が本件写真に依拠して作成されたものであることを強く推認させる事情となっているものというべきである。
(2) 証拠(甲第4号証、第5号証、被控訴人B及び被控訴人会社代表者各尋問の結果)によれば、本件写真は、昭和61年7月に、控訴人によって撮影され、同月発行の「きょうの料理」(日本放送出版協会発行)に掲載され、さらに、平成4年11月発行の「A(仮名)の旬菜果」(誠文堂新光社発行)に掲載されたこと、被控訴人会社の代表者であるCは、平成5年2月下旬ころ、写真原稿寄託業務契約に関し、控訴人の事務所を訪問し、その後の同年3月18日、再度、控訴人の事務所を訪れた際、控訴人の作品である「A(仮名)の旬菜果」を購入して持ち帰ったこと、被控訴人BとCは、平成4年ころから取引を開始し、被控訴人Bは現在までに約5万枚の写真を被控訴人会社に預けていること、被控訴人Bは、平成5年8月18日ころに被控訴人写真を撮影し、その後、時期は不明であるが、この写真を被控訴人会社に寄託していたこと、被控訴人会社は、被控訴人写真を、自社の被控訴人カタログに掲載したことが認められる。
 上記認定の事実によれば、被控訴人Bが、被控訴人写真を撮影したのは、Cが「A(仮名)の旬菜果」を入手してから5か月後の時期であり、被控訴人BとCとの上記関係からすれば、被控訴人Bには、被控訴人写真を撮影する前に、本件写真に接する機会があったことが明らかである。すなわち、被控訴人Bは、Cの所持していた「A(仮名)の旬菜果」を見ることが物理的に可能であったものであり、本件写真に依拠し得る立場にいたものということができるのである。
(3) 被控訴人Bが、平成10年11月20日の控訴人への電話で、本件写真を参考にしたことを認める発言をしたかどうかについて検討する。
(イ) 控訴人は、被控訴人Bは、控訴人から抗議を受けた後の平成10年11月20日の電話で話した際に、控訴人の写真に感動し、参考にしたと明言しており、この場合、被控訴人Bが感動し参考にしたのは、写真集「A(仮名)の旬菜果」しかあり得ない旨主張し、他方、被控訴人Bは、どの写真を問題とされているか確認することなく控訴人に電話をかけたのであり、一般論として、「色々な先生方の写真を見ている。すばらしいものがたくさんあるので勉強している。」と述べたまでであり、控訴人の写真を見たとかまねをしたなどとは言っていない旨主張している。
(ロ) 証拠(甲第32号証の1〜3、第33号証の1、2、第35号証、乙第3号証、控訴人、被控訴人B、被控訴人会社代表者各尋問の結果)によれば、Cは、被控訴人会社の取引先である控訴人から問い合わせを受け、平成10年11月16日、控訴人に、被控訴人カタログ2冊を送付したこと、控訴人は、同月19日、上記カタログに被控訴人写真が掲載されていることを知り、本件写真を模倣して撮影したものだと考え、直ちに、被控訴人会社に、「カタログの125頁の中央に掲載されている「西瓜」の写真を撮影した写真家は誰ですか」、「私の写真集「A(仮名)の旬菜果」に掲載されている写真と似ている」、「意図的盗作としか思えない」などと記載した抗議文に本件写真と被控訴人写真を添付してファックスを送信したこと、Cは、同月20日、出張中であった被控訴人Bに電話し、控訴人に電話するように依頼したこと、被控訴人Bは、同日、控訴人に電話をしたこと、被控訴人Bは、同月24日、控訴人の事務所に電話をかけ、電話に出た控訴人のスタッフEに対し、被控訴人写真は被控訴人Bのオリジナル作品である、本件写真は全く見たことがない旨述べたこと、Cは、同月25日、控訴人に対し、被控訴人写真は本件写真を参考にしたものではないというファックスを送信したこと、控訴人は、20日までの被控訴人B及びCの電話で、両名が謝罪の意を表明していると思い、その後24日に再度被控訴人Bから電話があるまで、被控訴人らに対して、何らの抗議の言動をとっていなかったことが認められる。
 上記認定の事実によれば、Cは、控訴人からの抗議のファックス(甲第32号証の1〜3)をみて、被控訴人Bに連絡しているのであり、上記ファックスでは、添付されている被控訴人写真の写し(甲第32号証の3)、あるいは、「カタログ125頁の中央に掲載されている西瓜の写真」との文言(甲第32号証の1)により、抗議の対象となっている写真自体は十分に特定されているのに対し、それ以外に、当該写真の撮影者を特定する資料は存在しないから、Cは、抗議の対象となっている写真がどれであるかをまず理解し、そのことを通じて、連絡すべき撮影者が被控訴人Bであることを理解したことになる。Cは、このような状況の下で、被控訴人Bに対して電話して、控訴人に電話するように依頼しているのである。この際のCと被控訴人Bとの間の電話で、問題とされているのが被控訴人写真であることが話されなかったということは、非常に考えにくいことというべきである。
 被控訴人Bが、平成10年11月20日に控訴人へ電話するまでのいきさつが上記のようなものであったとすると、どの写真が問題とされているかを確認しないままに電話をかけたのであり、一般論として「色々な先生方の写真を見ている。すばらしいものがたくさんあるので勉強している。」と述べただけであるとする被控訴人Bの主張は、簡単には納得することのできないものとなるというべきである。Cからいわれて被控訴人Bがわざわざかけた電話において、控訴人はもちろん、被控訴人Bも、問題とされている写真が被控訴人写真であることを認識しつつ話すとすれば、そこでの話は同写真のことに向かうのが自然であり、これについての具体的な話しを離れて一般的な話しで終わるということは考えにくいことというべきである。もし、被控訴人Bの返事がその程度のものであったのであれば、控訴人のこれに対する最終的な反応は、相当に厳しく激しいものとなるであろうと考えるのが合理的であるのに、控訴人に生じた反応がそのようなものであったことは、本件全証拠によっても認めることができず、控訴人が4日後に被控訴人Bからの再度の電話があるまで抗議の言動をしていないことを基礎において、甲第35号証(控訴人の陳述書)、控訴人本人尋問の結果の関係部分を検討すれば、20日の電話による被控訴人Bの返事は、一応、控訴人を納得させるものであった見込みが極めて大きいということができる。
 以上によれば、被控訴人Bは、控訴人がどの写真を問題視しているかを十分に認識したうえ、控訴人の写真に感動し、参考にした旨伝えたものと認めるのが合理的であるということができる。そして、これを前提にすると、被控訴人Bが、被控訴人写真の撮影の経緯についての説明を変遷させたとする控訴人の供述(甲第35号証及び控訴人本人尋問の結果)は、極めて自然に理解できるものとなる。要するに、被控訴人Bは、20日の時点では、本件写真を参考にしたことを認めていたのに、その後、何らかの理由で、これを否定するようになったと認められるのである。
 したがって、少なくとも11月20日の時点では、被控訴人Bは、控訴人に対し、本件写真を参考にした旨説明していたものというべきである。
 上記認定に反する被控訴人代表者及び被控訴人B各本人尋問の結果並びに乙第3号証(被控訴人Bの陳述書)及び丙第1号証(Cの陳述書)その他の証拠は、採用できない。
(4) 前述したとおり、被控訴人写真に写っている楕円球の西瓜様のものは、冬瓜であると認められる。
 被控訴人写真が西瓜を主題(モチーフ)とする作品であることは、写真自体から明らかであり、被控訴人B自身も認めるところであって、これに冬瓜を加えるのは、明らかに主題に反することであり、通常の社会常識からすれば、異例なことである。逆にいえば、そこには、冬瓜を西瓜に見せかけて加えざるを得なかった何らかの必要があったことを強くうかがわせるものである。
(5) 以上の認定を総合すると、被控訴人Bは、本件写真に依拠して被控訴人写真を撮影したと認められ、かつ、被控訴人Bは、本件写真に依拠しない限り、到底、被控訴人写真を撮影することができなかったものと認められる。
(6) 被控訴人Bは、平成5年8月18日、晴れか曇りの日に、知人と一緒に旭川市に果物写真の撮影に赴き、付近の西瓜畑にあった西瓜を、被控訴人B独自の着想によって、被控訴人写真のとおりに配置し、撮影したのであり、被控訴人Bは、それまでに本件写真を見たことはない、参考にしたこともない旨主張し、これに沿った陳述書を提出し、かつ、被控訴人B本人尋問で陳述しているが、上記認定に照らし、採用することができない。
 その他依拠を否定する被控訴人Bの主張は、いずれも採用できない。
3 被控訴人Bの侵害行為について
(1) 相違点の検討
 相違点@(前面の中央に半分に切った大きな楕円球の西瓜ないし冬瓜が、本件写真は、楕円球の西瓜であるのに対し、被控訴人写真は、冬瓜である点)、相違点D(大きな楕円球の西瓜ないし冬瓜の後方右側にあるのが、本件写真では、籐の籠に、横長に入れられた小さな楕円球の西瓜であるのに対し、被控訴人写真では、ざるに、横長に入れられた大きな楕円球の冬瓜である点)については、前記のとおり、被控訴人写真も、本件写真と同様に、西瓜を主題(モチーフ)とする作品であり、このことは、被控訴人B自身も認めているところである。被控訴人Bが、本件写真に依拠して被控訴人写真を作成しつつ、楕円球の西瓜でなく冬瓜としたことは、本件写真を改悪したものといわざるを得ない。また、本件写真において籐の籠が与える印象を、ざるに代えたことで、個性ある表現をありふれた表現にしたものといわざるを得ない。
 相違点A(楕円球の西瓜ないし冬瓜が、本件写真は、水平方向に半球状に切られ、そのうえ、上記切り口がV字型に切り欠かれているのに対し、被控訴人写真では、単に、水平方向に半球状に切られているだけである点)、相違点C(本件写真は、中央前面に氷が敷かれているのに対し、被控訴人写真では、これがない点)については、本件写真中の表現の一部を欠いているものである。この表現の欠如から、被控訴人写真に、本件写真とは異なる思想又は感情を読み取ることはできない。
 相違点B(略三角形に薄く切られた西瓜が、本件写真は、右側に傾斜しているのに対し、被控訴人写真では、左側に傾斜している点)、相違点E(右前方の小さい西瓜が、本件写真では、籐の籠に入れられているのに対し、被控訴人写真では、入れられていない点)、相違点G(カメラアングルについて、本件写真は、中央に配置された西瓜及び薄く切られた西瓜を、やや下方から撮影しているのに対し、被控訴人写真では、やや上方から撮影している点)については、いずれも、些細な、格別に意味のない相違にすぎず、これらの相違から、被控訴人写真に、本件写真とは異なる思想又は感情を読み取ることはできない。
 相違点F(光りの当て方等について、本件写真は、配置した西瓜の全体に、水滴が付く程度に水を撒き、右前方から西瓜の表面に光を当てて、西瓜がみずみずしくみえるように工夫されているのに対し、被控訴人写真では、格別の工夫はなされていない点)については、本件写真の改悪であることが明らかである。
(2) 以上によれば、被控訴人写真は、本件写真の表現の一部を欠いているか、本件写真を改悪したか、あるいは、本件写真に、些細な、格別に意味のない相違を付与したか、という程度のものにすぎないのであり、しかも、これらの相違点は、そこから被控訴人B独自の思想又は感情を読み取ることができるようなものではない。
 前述したとおり、本件写真は、作者である控訴人の思想又は感情が表れているものであるから、著作物性が認められるものであり、被控訴人写真は、本件写真に表現されたものの範囲内で、これをいわば粗雑に再製又は改変したにすぎないものというべきである。このような再製又は改変が、著作権法上、違法なものであることは明らかというべきである。
(3) この点について、被控訴人Bは、被写体を容易かつ正確に表現できることに最大の利点がある写真について、先行著作物と被写体が同一ないし類似のものである写真を撮影してはならないとなると、写真による表現行為は著しく制約されることになり、こうした結論が創作活動の動機付けを与えようとする著作権法の趣旨に反することは、明らかである旨主張する。
 しかしながら、当裁判所は、先行著作物と被写体が同一ないし類似のものである写真一般について、そのような写真を撮影するのが著作権法に違反するといっているのではない。特に、先行著作物の被写体を参考として利用しつつ、被写体を決定し、自らの創作力を発揮して新しい写真を撮影することが、著作権法に違反するといっているのではない。当裁判所がいっているのは、先行著作物において、その保護の範囲をどのようにとらえるべきかはともかく、被写体の決定自体に著作権法上の保護に値する独自性が与えられているとき、上記のような形でこれを再製又は改変することは許されないということだけである。したがって、上記のように解したからといって、写真による表現行為が著しく制約されるということに、決してなるものではない。
4 同一性保持権侵害について
 前記認定の事実によれば、被控訴人Bは、本件写真と類似する被控訴人写真を製作し、被控訴人カタログに掲載したのであり、前述したとおり、被控訴人写真が本件写真と相違していることからすれば、被控訴人Bは、本件写真の表現を変更しあるいは一部切除してこれを改変したものであることが、明らかである。
 したがって、被控訴人Bの行為は、著作者である被控訴人の承諾又は著作権法の定める適用除外規定に該当する事由がない限り、本件写真について控訴人が有する同一性保持権を侵害するものとなる(著作権法20条)。ところが、被控訴人Bにつき、控訴人の承諾を得ているとも、著作権法の定める適用除外規定に該当する事由があるとも認められないから、被控訴人Bの行為は、本件写真について控訴人が有する同一性保持権を侵害するものである。
5 被控訴人らの責任について
(1) 被控訴人Bの責任
 前述したところによれば、控訴人Bが被控訴人写真を撮影した行為は、控訴人の有する同一性保持権を侵害するものであり、後記認定のとおり、被控訴人写真のデュープフィルム(写真原稿)を被控訴人会社に預け、Cと打ち合わせて、これを被控訴人会社発行の被控訴人カタログに掲載し、これを頒布したことをも含めて、これらの行為全体が、一体として、故意による同一性保持権侵害の不法行為を構成するものというべきである。
(2) 被控訴人会社の責任
(イ) 前述したとおり、被控訴人会社は、控訴人の有する同一性保持権を侵害する被控訴人写真を、被控訴人カタログに掲載したのであるから、被控訴人会社に故意又は過失が認められれば、不法行為が成立する。
(ロ) Cが、平成5年3月18日、控訴人の事務所を訪れた際、控訴人の作品である「A(仮名)の旬菜果」を購入して持ち帰ったことは、前記認定のとおりである。
 証拠(甲第3号証、第29号証、被控訴人会社代表者尋問の結果)によれば、Cは、平成5年の時点で、既に、約12年間にわたり、写真家から写真のデュープフィルム(写真原稿)を預かり、これを有償で希望する者に貸し出すことを業として営んでいたこと、Cは、その時期は明らかでないが、被控訴人会社の業務として、被控訴人Bから他の多くの写真のフィルムとともに、被控訴人写真のデュープフィルムを預かっていたこと、Cと被控訴人Bは、打ち合わせのうえ、被控訴人写真を被控訴人会社の発行する被控訴人カタログに掲載したことが認められる。
 被控訴人会社は、預かっているデュープフィルムを有償で第三者に貸し出し、デュープフィルムのもととなる写真を使用させるのであるから、そのデュープフィルム貸出しによって著作者人格権侵害が発生しないように細心の注意を払うべき義務があったものというべきである。上記認定の事実によれば、Cは、少なくとも、被控訴人写真が「A(仮名)の旬菜果」に掲載されている本件写真に類似していることを認識し得たはずであり、それにもかかわらず、被控訴人カタログに被控訴人写真を掲載したのであるから、被控訴人会社の同行為が上記義務に違反することは明らかというべきである。
 そうすると、被控訴人会社は、上記侵害行為について過失があったことが認められる。
(ハ) 被控訴人会社は、Cは、写真集「A(仮名)の旬菜果」を購入したものの、本件写真は見ていなかったのであり、本件写真の存在について全く認識がなかった旨主張するが、失当である。
 証拠(甲第27号証〜第35号証、控訴人本人尋問の結果)によれば、被控訴人会社の代表者であるCは、控訴人に関する何らかの情報を得て、自ら望んで、控訴人に連絡し、平成5年2月25日、控訴人の事務所を訪問したが、控訴人が仕事のために十分な商談ができなかったこと、同日、Cは、控訴人のスタッフにご馳走したこと、Cは、同年3月18日、再び、控訴人の事務所を訪れて、控訴人の写真を被控訴人会社の業務に利用させてもらうことについて商談を進め、その際、控訴人から写真に関する話を聞くとともに、前記のとおり、写真集「A(仮名)の旬菜果」を購入したこと、その後、同年5月末に、三度、控訴人の事務所を訪れて、平成5年6月1日付けで写真原稿寄託業務契約を締結したこと、控訴人は、この契約に基づき、控訴人の写真のデュープフィルム85点を被控訴人会社に送付したことが認められる。
 上記認定の事実によれば、Cは、平成5年当時、控訴人の写真に大いに関心を持っていたことが明らかであって、しかも、控訴人の写真を自己の経営する会社の事業に利用して利益を得ようというのであるから、契約の対象となっていないとしても、控訴人の作風を示す写真集「A(仮名)の旬菜果」を見ていなかったということは考えにくいことであり、写真集「A(仮名)の旬菜果」に掲載されている本件写真についても十分に知っていたものとみるのが合理的である。
6 被控訴人会社の発行する被控訴人カタログの発行差止め等について
(1) 被控訴人会社が被控訴人写真を、被控訴人カタログに掲載したことは、上述のとおりである。
 上記カタログに掲載されている被控訴人写真が、控訴人の著作者人格権を侵害する行為によって作成されたものであることは、前述したとおりである。そうすると、上記カタログは、侵害行為によって作成された物であることが明らかであるから、控訴人は、侵害の停止又は予防に必要な措置の一つとして、上記カタログの発行及び頒布の中止を求めることができる。
 なお、本件においては、控訴人が被控訴人会社に対し被控訴人カタログの頒布の中止を求めるためのものとして、著作権法113条1項2号に定める「情を知って」の要件が問題になることはあり得ないものというべきである。すなわち、著作権法113条1項2号は、著作者人格権侵害の行為等によって作成された物がいったん流通過程に置かれた後に、それを更に転売・貸与する行為を全部権利侵害とすることには問題があるために、その場合に限って「情を知って」との要件を付加しているものと解すべきであり、控訴人会社は、被控訴人写真を上記カタログに掲載して発行した当の本人であって、物がいったん流通過程に置かれた後に、それを更に転売・貸与する者ではないから、被控訴人会社の行為は、同法113条1項2号にいう「頒布」の問題として扱われるべき事柄ではないというべきである。被控訴人会社は、被控訴人写真を上記カタログに掲載して発行すること自体が許されなかったのであるから、その違法な行為によって自らが作成した物を自ら頒布することもまた許されないことは、むしろ自明である。すなわち、被控訴人写真を被控訴人カタログに掲載して発行及び頒布するという控訴人会社の一連の行為全体が、全部であれ一部であれ、同一性保持権侵害の行為に該当するというべきである。
(2) 控訴人は、被控訴人会社に対して、既発行の被控訴人カタログについて回収したうえ廃棄することを求めているけれども、一般的にみて、既発行の上記カタログを回収することは困難であり、本件において、そのように困難な義務を被控訴人会社に負担させるほどの必要性はないものというべきである。なお、このことは、請求の根拠に、同一性保持権侵害に加えて翻案権侵害を入れて検討したとしても、変わりはないものというべきである。
7 謝罪広告について
 弁論の全趣旨によれば、被控訴人写真は、被控訴人カタログに掲載されたのみであり、控訴人が、社団法人日本広告写真家協会の著作権委員会に所属する写真家らと協議を重ねたうえ、本訴を請求したものであることが認められ、この事情の下では、判決によって控訴人の名誉が回復されることになり、その他更に名誉を回復するための格別の処分を命ずる必要性はないものというべきである。
8 損害について
 被控訴人らは、それぞれ、本件写真についての控訴人の有する同一性保持権を侵害したのであるから、これにより控訴人に生じた精神的損害を賠償する責任を負わなければならない。
 証拠(甲第5号証、第12号証、第35号証)によれば、控訴人は、出版用食品広告専門の写真家であり、独特の手法により、写真映像によって食材のおいしさ、みずみずしさなどを表すことに情熱を注ぎ、我が国のみならず米国でも高い評価を受けている写真家であることが認められる。そして、本件写真も、控訴人の上記手法を反映した写真の一つであり、西瓜を主題(モチーフ)として、盛夏の青空の下でのみずみずしい西瓜を演出した作品であったのである。本件写真を、平凡な写真に再製又は改変されてしまったのであるから、控訴人は、自己の意に反するこのような再製又は改変によって、名誉感情を毀損され、精神的な損害を被ったものと認められる。そして、改変の状況及び本件に現れた諸事情を考慮すると、控訴人の被った精神的な損害に対する慰謝料としては、金100万円が相当であり、これらを、被控訴人らに連帯負担させるのが相当であると認められる。
9 結論
 以上認定判断したところによれば、控訴人の本訴請求は、被控訴人らに対し、慰謝料100万円及びこれに対する不法行為発生後である平成10年11月21日から支払済みまでの民法所定年5分の割合による遅延損害金を連帯して支払うよう求め、被控訴人会社に対し、被控訴人カタログの発行及び頒布を中止するよう求める限度で認容すべきであり、その余は棄却すべきである。そこで、これと異なる原判決を上記のとおりに変更することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法67条2項、61条、64条、65条を適用して、主文のとおり判決する。

東京高等裁判所第6民事部
 裁判長裁判官 山下和明
 裁判官 宍戸充
 裁判官 阿部正幸

別紙 写真一
別紙 写真二
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