判例全文 | ||
【事件名】早稲田大学の名簿提供事件A 【年月日】平成13年4月11日 東京地裁 平成11年(ワ)第27677号 損害賠償請求事件 判決 <住所略> 原告 甲野太郎(ほか五名) 訴訟代理人弁護士 水永誠二 同 渡辺千古 同 町田正男 同 武田博孝 同 林千春 同 西澤圭助 同 永見寿実 同 相磯まつ江 同 阿部浩基 同 荒木和男 同 飯田正剛 同 一井淳治 同 生田暉雄 同 池田眞規 同 伊東秀子 同 井之脇寿一 同 今井敬弥 同 岩淵正明 同 遠藤誠 同 乃川信夫 同 大貫正一 同 大巻忠一 同 樫八重真 同 神山美智子 同 河崎光成 同 河本藏石 同 北沢孜 同 北村義二 同 木下肇 同 金城睦 同 後藤昌次郎 同 小林優 同 小宮山博 同 近藤俊昭 同 佐井孝和 同 武田博孝 同 竹村眞史 同 佃克彦 同 土屋公献 同 寺崎昭義 同 栃木義宏 同 仲田隆明 同 永見寿実 同 西澤圭助 同 野村侃靭 同 廣瀬理夫 同 町田正男 同 松井康浩 同 南木武輝 同 三角恒 同 矢澤●治 同 山口民雄 同 山田延廣 同 吉原正八郎 同 儀同保 同 前田知克 同 水嶋幸子 同 矢可部一甫 被告 学校法人早稲田大学 代表者理事 奥島孝康 訴訟代理人弁護士 石丸俊彦 同 渡部喬一 同 小林好則 同 仲村晋一 同 松尾憲治 同 近藤勝彦 同 大石雅寛 同 岸巖 同 宮下啓子 同 中村民夫 同 田中修司 同 赤羽健一 主文 一 原告らの請求をいずれも棄却する。 二 訴訟費用は原告らの負担とする。 事実及び理由 第一 請求 被告は、原告らに対し、各三三万円及びこれらに対する平成一一年一二月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。 第二 事案の要旨と争いのない事実 一 事案の要旨 被告大学は、江沢民中華人民共和国主席の講演会を企画してその参加者を募り、原告らはその講演会に参加するため、その参加者名簿に原告らの氏名、学簿番号、住所及び電話番号を記載した。被告大学は、警視庁等に、その講演会の参加者名簿を提出した。 本件は、原告らが、上記参加者名簿の提出により、原告らの氏名、学簿番号、住所、電話番号及び原告らが本件講演会の参加申込者であることが警視庁等に知られることとなり、原告らのプライバシー、学問の自由及び思想信条の自由が侵害されたとして、被告大学に対し、不法行為に基づき、損害賠償を請求した事案である。 二 争いのない事実 (1)原告甲野太郎は、平成七年四月、早稲田大学社会科学部に入学した者、同乙山花子は、平成七年四月、早稲田大学法学部に入学した者、同丙川松夫、同丁原竹夫、同戊田梅夫は、平成四年四月、早稲田大学第一文学部に入学した者、同甲田春子は、平成四年四月、早稲田大学第二文学部に入学した者であり、平成一〇年一一月当時、いずれも被告大学の学生であった。 被告は、大学、高等学校、専修学校、その他研究施設を設置し、真理の探究と学理の応用につとめ、学芸を教授し、その普及をはかり、有能な人材を育成することを目的として、早稲田大学、早稲田大学高等学院等を設置する学校法人(「被告大学」という。)である。 (2)被告大学は、平成一〇年一一月二八日に被告大学大隈講堂で江沢民中華人民共和国主席(以下「江主席」という。)の講演会(以下「本件講演会」という。)を開催することを企画し、学内から講演会の参加者を募った。被告大学は、本件講演会への申込受付期間中、被告大学の各学部事務所及び国際教育センターに本件講演会の参加者名簿の用紙を備置し、本件講演会への参加を申し込んだ被告大学の学生に対して、氏名、学簿番号、住所及び電話番号(以下「氏名等」ともいう。)を記載させ、その記載をした者に本件講演会の参加証を交付した。 参加者名簿の用紙は、最上段欄外に「中華人民共和国主席江沢民閣下講演会参加者」と表題が印刷され、その下に横書きで学簿番号、氏名、住所、電話番号の各欄が設けられ、参加申込者が一名宛記入できるように一行ごとに横線が引かれて各欄が囲われ、用紙一枚に一五名の参加申込者が記入できるよう一五行の欄が設けられているという体裁のものであった。 原告らは、平成一〇年一一月、被告大学に対して、本件講演会の参加を申し込み、その際、被告大学の指示に従って、本件講演会の参加者名簿の用紙に氏名等を記入した。 (3)被告大学は、本件講演会の開催前に、本件講演会の参加者名簿(以下「本件名簿」という。)を警視庁等へ提出した(以下「本件名簿の提出」という。)。その結果、原告らの氏名等及び原告らが本件講演会の参加申込者であることが警視庁等の知るところとなった。 (4)被告大学は、平成七年、個人情報の保護に関する規則(以下「本件規則」という。)を制定し、本件規則に従い個人情報保護委員会を設置している。 第三 本件の争点及び当事者双方の主張 一 争点 (1)本件名簿の提出は、原告らのプライバシーを侵害するか。 (2)本件名簿の提出は、原告らの学問の自由を侵害するか。 (3)本件名簿の提出は、原告らの思想信条の自由を侵害するか。 (4)本件名簿の提出は、正当行為として、違法性が阻却されるか。 (5)本件名簿の提出による原告らの損害及びその額 二 争点(1)に関する当事者の主張 (1)原告らの主張 ア 原告らは、本件講演会に参加する目的で、本件講演会の参加者名簿に氏名等を記載したが、その氏名等及び原告らが本件講演会の参加申込者であること(以下「本件個人情報」という。)を警察に知られたくないという極めて強い意向を有していた。しかるに、被告大学は、本件講演会の参加者を募る際、参加申込者に対し、警視庁等に本件名簿を提出する旨を明示的に予告しなかったにもかかわらず、これを提出した。 そのため、原告らは、本件個人情報を警視庁等に開示してまで本件講演会に参加するか否かを適切に意思決定する権利ないし利益(自己決定権)を侵害されるとともに、本件個人情報が警視庁等に知られることとなった。その結果、原告らは、プライバシーの権利を侵害されるに至った。 イ これを敷衍して述べると、以下のとおりである。 (ア)プライバシーとは、私生活上の事実又は私生活上の事実らしく受け取られるおそれのある事柄のうち、一般人の感受性を基準として、当該私人の立場に立った場合に、公開を欲しないであろうと認められ、かつ一般の人に未だ知られていない事柄であって、このようなプライバシーに該当する事柄は、みだりに公開されないことが法的に保護されなければならない。そして、原告らの本件個人情報は上記プライバシーに該当するから、みだりにこれを公開されないことが法的に保護されている。 (イ)さらに、プライバシーの権利は、その基本的属性として、@自己に関する情報の収集、取得、Aその保有、利用、Bその開示、提供の各レベルで、情報主体によるコントロールの権利(自己情報コントロール権)が保障されるベきであるところ、個人情報の伝播についても一定限度内においてコントロールすることが保障されるべきものであるから、特定の個人が識別されるいわゆる個人情報を収集した者は、個人情報を収集した目的以外のために利用又は提供してはならない責務を負うこととなる。 本件においては、被告大学が、本件名簿に氏名等を記載させることにより原告らの本件個人情報を収集したものであるところ、本件名簿は、参加者の参加希望を明確にするためのもの以外の何物でもなく、その提出により、原告らの個人情報がその本来の目的以外のために利用又は提供されたものであるから、被告は、情報収集者の責務に違反して、原告らのプライバシーの権利を侵害したものというほかはない。 (ウ)経済協力開発機構(以下「OECD」という。)は、一九八〇年九月、個人情報の取扱いに関し、「プライバシー保護と個人データの国際流通についてのガイドラインに関する理事会勧告」を採択した。 そのガイドライン(以下「OECDガイドライン」という。)は、「個人データの収集目的は、収集時よりも遅くない時点において明確化されなければならず、その後のデータの利用は、当該収集目的の達成又は当該収集目的に矛盾しないで、かつ、目的の変更毎に明確化された他の目的の達成に限定されるべきである。個人データは明確化された目的以外の目的のために開示利用その他の使用に供されるべきではないが、データ主体の同意がある場合又は法律の規定による場合はその限りではない。」旨定めており、これは、今日においては、条理として参酌されるべきものとなっている。 本件名簿の提出は、上記OECDガイドラインの定めに照らしても、原告らのプライバシーの権利を侵害する違法なものであることは明白である。 (エ)本件規則は、学内におけるプライバシーの保護を具体化するものとして制定されたものであるが、その七条において、被告大学は、「本人の同意があるとき、法令の定めがあるとき、又はその他個人情報保護委員会が正当と認めた場合を除いて、個人情報を収集された目的以外のために利用または提供してはならない」旨を定めている。 本件名簿の提出が本件規則に違反するものであることは明らかであり、被告によるプライバシーの侵害は、違法性の強いものである。 (オ)大学においては、学問の自由を守るため、行政権力からの介入、干渉を排除する大学の自治を堅持する必要があり、その収集、保管する情報を行政権力に提供することは厳に戒められなければならないのであって、その点で、本件名簿の提出によるプライバシー侵害は、違法性の強いものである。 (2)被告の主張 ア(ア)本件講演会の参加申込者は、参加を申し込む段階で、被告大字が本件名簿の提出を行うことを容易に認識できた。したがって、本件名簿の提出について予告がなかったとの原告らの主張は当たらないし、本件名簿の提出については、参加申込者の黙示的同意又は推定的同意があったものというべきである。 @ 江主席は国賓であり、警察が江主席の安全を確保するために本件講演会の警備を担当し、本件講演会の参加者を警察が事前に把握することは当然であって、このことは常識であるから、参加者申込者は、本件講演会の講演者が江主席であるということからしても、本件名簿の提出が行われることを容易に認識できた。 A 加えて、被告大学は、参加申込者に対し、参加申込の際に「江沢民中華人民共和国国家主席講演会における注意事項」と題する書面を配付した。同書面には、当日は午前七時三〇分から八時四五分の間に時間厳守で「学生証」及び「参加証」を持参のうえ、大隈小講堂に集合すること、午前八時四五分を過ぎてからの入場はできないこと、大隈小講堂入口で「学生証」と「参加証」を提示すること、大隈講堂へ入場の際、金属探知器等により危険物所持の有無をチェックする場合があること、荷物はできるだけ持たずに集合すること、荷物がある場合は予め二号館で預かるので、大隈小講堂集合前に二号館クロークに荷物を預けること、女性のハンドバッグについては中身を確認することもあること、雨天の場合は大隈小講堂入口に傘置場を設置すること、プラカード、ビラ、カメラ、テープレコーダー等の持ち込みは厳禁であること、静粛な態度で臨み、ヤジ、罵声等はさけること、会全体が終了し、指示があるまで会場から出ることができないこと等の記載があった。この記載内容からしても、参加申込者は、本件講演会の警備は、国賓である江主席が講演することから、通常の講演会と比較して極めて厳重であることを容易に理解することができた。 B また、本件講演会では、参加証が交付されることになっていたから、参加申込者は、本件講演会の主催者側が事前に講演会参加者を特定するため参加者名簿に参加申込者を識別できる事項を記入させて本件講演会の警備に利用しようとしていたことを容易に知ることができた。 C 以上から、本件講演会の参加申込者は、参加申込みの段階で、被告大学が本件名簿を警視庁等に提出することについて、黙示的に同意していたか、又は同意の存在が推定されるべきものである。 (イ)参加者名簿の用紙は、本件講演会の申込受付期間中、被告大学の各学部事務所及び国際教育センターに備え置かれ、参加申込者がその用紙に自己の氏名等を記入する際には、記入済みの参加申込書の氏名等を閲覧することができる状態にあり、参加者名簿は公開されていたに等しい状態であった。参加申込者は、このような状況を承知しながら、自己の氏名等を本件名簿に記入したものである。したがって、被告大学がこのような状況の下で作成された本件名簿を他者へ開示したとしても、原告らのプライバシーを侵害することにはならないというべきである。 (ウ)さらに、原告らが主張する本件個人情報を警視庁等に開示してまで本件講演会に参加するか否かについて適切に意思決定をする権利ないし利益なるものは、後記のとおり、法的保護に値するものではない。 イ 本件講演会の参加申込者に対し、本件名簿の提出をすることが予告されていなかったとしても、以下に述べるとおり、本件名簿の提出は原告らのプライバシーを侵害するものではない。 (ア)@プライバシーの意義は多義的かつ流動的であって、定義自体によりプライバシーに該当するか否かも結論が異なるから、端的に、個人情報を他者に開示されないことが法的保護に値するか否かが検討されるべきである。 そして、他者に知られたくない個人情報について、他者に開示されないことが法的に保護されるべきであるとしても、ある情報が他者に知られたくない個人情報であるか否かは具体的状況に応じて異なり得るものであるし、情報の種類によっても他者に知られたくない度合いが異なるものである。したがって、個人情報を他者に開示する行為の違法性は、その開示の目的、必要性、開示行為の態様、その開示行為によって情報主体が被ることになる不利益の程度、その他の諸般の事情を総合衡量して判断されるべきであり、当該開示行為が違法と評価される場合に初めてプライバシーを侵害する不法行為を構成するというべきである。 A 本件において、本件名簿の記載事項は、思想信条、前科前歴、負債、病歴、学業成績、社会的身分等の、いわゆる「センシティブ情報」に比し、知られたくないと感ずる度合いは小さく、保護の必要性も少ないものであり、一般人の感受性を基準として、原告らの立場に立った場合に、当該情報の公開を欲しないであろうと認められる事柄とはいいがたい。 すなわち、第一に、氏名、住所、電話番号は、社会において、他者と意思疎通を図るために最低限度必要な情報であり、本来的に他者に利用されることを目的とする情報であって、私生活の領域に属する情報ではなく、もともと情報主体によって完全にコントロールすることが困難な情報である。その上、これらの情報から、情報主体の精神過程や身体状況を窺い知ることはできないものでもある。 第二に、学簿番号は、被告大学における学内でのみ通用する符丁にすぎず、掲示板を利用した学生の呼出し等に利用されるものであって、私生活上の事柄ではなく、人の精神過程や身体状況にかかわる情報でもないから、秘匿されなければならないものではない。また、これを手掛りとして、当該学生の学歴、成績その他の情報を探索する機能を有するとしても、大学関係者以外の者がそのような機能を利用して情報探索することは、それ自体違法な情報収集活動にほかならず、学簿番号それ自体の問題ではない。 第三に、本件講演会に参加を希望したという情報は、参加者が会場に足を運ぶことが予定されている以上、もともと公然性の高い情報であるのみならず、講演会への参加は、必ずしも政治的、思想的関心や一定の思想信条、思想的傾向を推知させるものではないから、私生活上の事柄ではなく、人の精神過程や身体状況にかかわる情報でもなく、秘匿されなければならないものではない。また、かかる情報が明らかになることにより、参加者に不利益が生ずることも想定できない。 したがって、これらの情報を第三者に提供されない利益は、原則として不法行為において保護されるべき対象足り得ないものである。 (イ)原告らは、警視庁等に本件個人情報を提供するか否かをコントロールすることが保障されるべきであり、私人が他者の個人情報を収集した場合、収集した目的以外のためには当該情報の利用は認められるべきではないと主張する しかし、私人が他者の個人情報を収集した際、収集した目的以外のためにその個人情報を第三者に開示したとしても、その開示行為が直ちにプライバシーを侵害する不法行為となるわけではなく、個人情報を他者に開示する行為の違法性は、その開示の目的、必要性、開示行為の態様、その開示行為によって情報主体が被ることになる不利益の程度、その他の諸般の事情を総合衡量して判断されるべきであることは既に述べたところである。 さらに、自己情報のコントロールといっても、およそ自己に関する事柄について、すべてを自ら意思決定するということは不可能であり、これをすべて法的に保護するということも考えられない。ある事柄について自ら意思決定する利益が法的に保護されるとすれば、決定する事柄が人の人格的生存にかかわるような重要な事柄であり、その事柄を自ら決定すること自体に重要性があると認められる場合に限定されるべきである。 本件において、本件個人情報が人の精神過程や身体状況にかかわる情報でもなく、秘匿されなければならないものではないこと、本件名簿の提出の目的が正当なものであることも前記のとおりであり、その利用も一時的、一回的なものであり、情報が悪用されるわけでもない。 また、自己のプライバシー固有情報を開示する範囲についての選択権を保護すべきであるとするのは、それが人間にとってもっとも基本的な愛、友情及び信頼の関係において不可欠な環境の充足に必要であると考えられているからであるが、かかる環境は、情報主体が選択した範囲を超えて固有情報が開示されない限り、侵害されることはないのであって、情報主体に選択の機会が与えられたか否かとは関係がなく、第三者に開示されたか否かこそが問題となるものである。 加えて、本件個人情報は、プライバシー固有情報ではなく、悪用されない利益のみが法的保護の対象として問題となるにすぎないから、開示される範囲を自己決定する利益自体保護されないものというべきである。 (ウ)OECDガイドラインは、加盟各国に対して、個人情報保護に関する国内法整備の指針を示したものに過ぎず、それ自体では個人情報保護に関する国内的な法源とはなり得ない。 (エ)本件名簿の提出が本件規則に違反したか否かは、本件名簿の提出が違法と評価されるべきか否かとは関連性がない。 @ 本件規則は、被告大学の教職員が大学の事業目的である教育研究活動を遂行するにあたって、学生等の個人情報を収集、保管、利用する場合に、大学が学生等のプライバシーを侵害することを防止するために、個人情報をいかに取り扱うべきかを定めた事務処理規定であるから、その事務処理規程としての性質上、現になされた情報開示行為の適法性を評価する際の基準にはなり得ない。したがって、本件名簿の提出が本件規則に違反したか否かは、本件名簿提出の違法性評価の要素、すなわち、開示の目的、必要性、開示行為の態様、その開示行為によって情報主体が被ることになる不利益の程度その他の諸般の事情を総合衡量する際の考慮すべき事情とはならないのであって、本件において諭ずる必要はない。 A 本件規則は、急速に発展した情報通信技術が、大量に蓄積され、かつ高度に処理された情報を迅速かつ広範に流通させ、その利用を可能にし、経済社会の発展に大きく貢献している一方で、このような情報の利用が、取扱の態様によっては個人のプライバシー等の権利、利益を損なうおそれを増大させていることを背景として制定されたものであるから、本件規則の基本的な規制対象は電子計算機処理に係る個人情報の管理である。したがって、本件規則は、繰り返し検索し利用することを容易にする体系的処理を施されて蓄積、保存された情報の管理を規制しているものと解するべきである。 本件名簿の作成、提出の目的は、本件講演会の参加者をあらかじめ特定し、入場者と本件講演会の参加予定者との同一性を確認できる態勢を整え、本件講演会への参加を認められていない不審者等の侵入を防止することなどにより、本件講演会における警備に万全を期すことにあったのであるから、本件名簿は、本件講演会の参加者特定のためにのみ作成され、その利用は本件講演会当日までに限られる。また、本件講演会への参加申込をしたか否かという情報は、その後の教育、研究活動に利用する価値のない情報である。その意味で、本件名簿は、一時的一回的な利用のためのものであり、蓄積、保存した上で繰り返し検索、利用されるような性質のものではない。したがって、本件名簿の作成は、本件規則が規制対象とする個人情報の収集には当たらず、本件名簿の提出は、本件規則が規制対象とする個人情報の提供にはあたらない。 B 本件規則は、大学の自治権に基づいて制定され、大学という部分社会の内部でのみ通用力を有する規範であるから、その解釈適用自体は学内問題であり、部分社会の法理の趣旨及び憲法が保障する大学の自治から、被告大学による本件規則の解釈の当否についてまで司法審査は及ばない。 (オ)原告らが主張する「氏名、学簿番号、住所、電話番号及び原告らが本件講演会の参加申込者であることを警視庁等に開示してまで本件講演会に参加するか否かについて適切に意思決定をする権利ないし利益」は、法的に保護されるものではない。 三 争点(2)に関する当事者の主張 (1)原告らの主張 原告らは、本件名簿の提出により、警視庁等に本件講演会に参加する意向であることを知られることになり、学問の自由を侵害された。 (2)被告の主張 本件名簿の提出は、原告らの学問の自由を侵害するものではない。むしろ、本件講演会が原告らを含む学生らの教育のためになされたものであり、その開催のために必要不可欠な措置であった。 四 争点(3)に関する当事者の主張 (1)原告らの主張 原告らは、本件名簿の提出により、警視庁等に本件講演会に参加する意向であることを知られることになり、思想信条の自由を侵害された。 (2)被告の主張 本件講演会への出席は自由であって、その出席自体が思想的表現を伴うものでもないから、本件名簿の提出が原告らの思想信条の自由を侵害することはあり得ない。 五 争点(4)に関する当事者の主張 (1)被告の主張 本件名簿の提出は個人情報を他者へ開示したものであるが、以下に述べるとおり、その開示の目的、必要性、開示行為の態様、その開示行為によって情報主体が被ることになる不利益の程度その他の諸般の事情を総合衡量すると、相当な理由に基づく正当行為として違法性が阻却される。このことは、本件名簿の提出が、形式的に本件規則に違反するとしても、同様である。 これを敷衍して述べると、以下のとおりである。 ア 本件講演会は、聴講する学生らに計り知れない刺激を与えるものであり、高い教育的効果をもつものである。そして、本件名簿の提出の目的は、本件講演会における江主席の安全の確保にあり、正当なものである。 イ 本件講演会の主催者は被告大学であるが、江主席は国賓であり、その安全確保は被告大学が単独でよくなし得るものではなかった。 また、江主席の警備については、警察機関(東京においては警視庁)が外務省等と連繋、協力して行うことが国家的、外交的見地からも当然のことであり、被告大学は、本件講演会の警備について、警視庁にゆだねていた。ことに、「民陣」という名称の不隠グループが破壊活動などいかなる行動に出るかもしれないとの情報もあり、警視庁等は、不審者が本件講演会に潜入することを防止するため、本件講演会の警備についてよりいっそう厳重にならざるを得ない状況にあった。 そこで、警視庁等は、江主席の身辺を厳重に警備するため、関係機関毎に、本件講演会の出席者全員の参加者名簿の提出を求めていた。なお、本件講演会の出席者は、被告大学関係者のみならず、中華人民共和国随行員、外務省関係者、プレス関係者であり、それぞれのグループ毎に各関係機関により参加者名簿が作成されていた。 被告大学も、本件講演会の参加者募集を始める前に、警視庁等から、本件講演会を警備し、江主席の安全を確保するため、本件名簿の提出をするよう要請を受けた。被告大学は、不審者が本件講演会に潜入することを防止するため、警視庁等が本件講演会の参加者を予め把握することが必要不可欠であると判断し、本件名簿の提出を行ったものである。 ウ 本件名簿の提出において提供された情報は、氏名、学簿番号、住所、電話番号及び当該個人が本件講演会の参加申込者であることにすぎず、思想信条、前科前歴、負債、病歴、学業成績、社会的身分などのいわゆる「センシティブ情報」と比較して、一般的には知られたくないと感ずる度合いは小さいから、これに応じてその保護の必要性も少ないものである。 エ 本件名簿の提出は、警視庁等の限られた関係機関に情報を提供したというものであって、社会一般に公開したわけではなく、公開の程度も限定されている。 オ 原告らは、本件名簿の提出によって、実質的な不利益を被っていない。 (2)原告らの主張 ア もともと、本件名簿への記入は、本件講演会の参加希望者がその参加の希望を主催者に表明し、その意思を明確にするために、その限度において行ったにすぎないものであり、これにかかる個人情報はその目的のもとにおいてのみ利用できるにすぎないことは既に述べたとおりである。 被告は、本件名簿の提出が本件講演会の警備に万全を期すために必要であったと主張するが、そうであれば、本件講演会の参加者を募る際に参加者名簿を警視庁等に提供する旨をその目的として明示しておけば足りるのであり、本件講演会の警備目的に資するという名目で本件名簿の前記目的を超えた利用を正当化することは許されず、本件名簿の提出の違法性が阻却されることはない。 イ 本件名簿の提出が、本件講演会における江主席の安全を確保するためにどれほど意味があったのかは疑問であり、これがなくとも警備は可能であったと考えられる。実際、本件講演会において、参加者が本件講演会の会場に入場する際には金属探知器による検査等が実施され、会場内には、多数の警察官、警備員が配置されていたのである。 したがって、被告大学は原告らのプライバシーを侵害してまで、本件名簿の提出をする必要はまったくなかった。 ウ 本件名簿の提出により、警視庁等に開示された情報は、いずれも他人に知られたくないと感ずる情報であり、その程度は小さいものではない。 すなわち、電話帳へ電話番号の掲載を行わない国民が増加していること等の近時の傾向からしても、氏名、住所及び電話番号を他人に知られたくないと感ずる程度は強くなっているというべきである。また、学籍番号は、それを手がかりとして当該学生の生年月日、学歴、学業成績、加入学内団体、賞罰関係等の情報を引き出し得る重要な情報となり得るものである。そして、原告らが本件講演会の参加申込者であるという情報は、原告らの思想、信条、関心、行動傾向等について、政治的関心が強い者である等の一定の推測を生じさせる資料となり得るのであるから、いわゆるセンシティブ情報に該当する。 また、警視庁等は、本件講演会の参加申込者の中から不審者を見つけだし、本件講演会の警備に役立てようとしたのであって、既に警視庁等が入手している情報と本件名簿の提出によって得た情報とを重ね合わせて利用すれば、既に警視庁等が情報を有していた人物については、その人物の思想、信条、行動傾向等について、本件名簿の提出によって相当程度高い精度の推測が可能となったはずであるから、その意味でも本件名簿の提出によって提供された情報は、いわゆるセンシティブ情報に該当する。 エ 大学においては、憲法二三条によって大学の自治が認められているのであり、学生は、大学当局が公権力、とりわけ警察機関の干渉を排除してくれるという期待感を持っている。それにもかかわらず、原告らの個人情報が警視庁等に提供されたことが本件名簿の提出の問題の一つであり、警視庁等の限られた関係機関が情報提供先であることは、本件名簿の提出の違法性を阻却する理由とはならない。 オ 警視庁等は、警備公安警察上の関心から本件名簿の提出を求めたのであり、その情報が本件講演会終了後に消去されることはなく、警視庁等は、将来、公安活動上必要があれば、いつでもその情報を参照し得るのであり、かつ、原告らは、その情報にアクセスしてその情報の廃棄、訂正等を要求することができないのであって、原告らが被った不利益の程度は著しい。 六 争点(5)に関する当事者の主張 (1)原告らの主張 原告らは、被告大学内において、自治会の活動、文化サークル活動、反戦平和の運動を行っているが、「警察は、これらの活動や運動を敵視し、これを監視、抑圧するため情報収集を行っている」との認識をもっており、このような警察に原告らの個人情報を知られたくないという極めて強い意向を有している。 したがって、原告らは、被告における本件名簿の提出により、著しい精神的苦痛を受けたが、この精神的苦痛を慰謝するに足りる賠償額は、各三〇万円をくだらない。 また、原告らは、本訴請求をするに当たり、原告ら訴訟代理人に訴訟を委任し、着手金及び謝礼金として三万円をそれぞれ支払う旨約したが、右着手金等も、被告の前記不法行為と相当因果関係を有する損害である。 (2)被告の主張 本件名簿の提出が不法行為に該当しないことは前記主張のとおりであり、原告らには損害が生じていない。 第四 争点に対する判断 一 前示争いのない事実に加えて、<証拠略>によれば、次の事実が認められる。 (1)被告大学は、平成一〇年、江主席が来日する機会に、同主席を招いて講演会を開催することを企画し、被告大学大隈講堂において、平成一〇年一一月二八日に本件講演会を開催することとし、学内からその参加者を募った。 (2)その際、被告大学は、本件講演会への申込受付期間中、その各学部事務所及び国際教育センターに本件講演会の参加者名簿の用紙を備置し、本件講演会への参加を申し込んだ被告大学の学生に対して、氏名、学籍番号、住所及び電話番号を記載させ、その記載をした者に本件講演会の参加証を交付した。 (3)参加者名簿の体裁は、最上段欄外に「中華人民共和国主席江沢民閣下講演会参加者」と表題が印刷された上、その下に横書きで学籍番号、氏名、住所、電話番号の各欄が罫線で囲まれて設けられ、参加申込者一名につき一行記入するというものであり、用紙一枚につき一五名の参加申込者が記入できるものであった。 また、参加者名簿の用紙には、名簿が警視庁等の関係機関に提出されることがある旨の注意書きその他の記載はなく、参加申込者に対しこれを予告したこともなかった。 (4)参加者名簿の用紙は、本件講演会の申込受付期間中、被告大学の各学部事務所及び国際教育センターに備置されており、参加申込者が記入後もそのままの状態であったため、新たな参加申込者がその用紙に自己の氏名等を記入する際には、記入済みの参加申込者の氏名等を閲覧し得る状態にあった。 (5)被告大学は、参加申込者に対し、参加証を交付するとともに、「江沢民中華人民共和国国家主席講演会における注意事項」と題し、「1 当日(一一月二八日)は午前七時三〇分から八時四五分の間(時間厳守)に『学生証』及び『参加証』を持参のうえ、大隈小講堂に集合してください。午前八時四五分を過げてからの入場はできません。2 大隈小講堂入口で「学生証』と『参加証』を提示して下さい。3 大隈講堂へ人場の際、金属探知器等により危険物所持の有無をチェックする場合がありますので予めご了承ください。4 荷物はできるだけ持たずに集合してください。荷物がある場合は予め二号館で預からせていただきますので、大隈小講堂集合前に二号館クロークに荷物を預けてください。なお、女性のハンドバッグについては、簡単に中身を確認させて頂くこともありますのでご了承ください。雨天の場合は大隈小講堂入口に傘置場を設置します。5 プラカード、ビラ、カメラ、テープレコーダー等の持ち込みは厳禁です。6 静粛な態度で臨み、ヤジ、罵声等はさけてください。7 会全体が終了し、指示があるまで会場からは出ることができません。」との記載のある書面を配付した。 (6)原告らは、平成一〇年一一月当時、いずれも被告大学の学部学生であり、被告大学に対して、本件講演会の参加を申し込み、参加証の交付を受けた。 その際、原告らは、被告大学の指示に従って、本件講演会の参加者名簿の用紙に氏名等を記入したが、本件名簿が警視庁等の関係機関に提出されることについて明示的に予告されてはいなかったこともあって、これを予想していなかった。 (7)被告大学は、主催者として本件講演会を企画したが、本件講演会の運営、警備については、外務省、警視庁等と協力して行う必要があったことから、その本件講演会の警備を警視庁等にゆだねることとした。 被告大学は、本件講演会の参加者募集を始める前に、警視庁等から、本件講演会を警備し、江主席の安全を確保するため、本件名簿を提出するよう要請を受けた。その際、警視庁等は、被告大学に対し、本件名簿の提出を行うことについて参加者に予告しないよう求めたことはなかった。 (8)被告大学は、本件講演会を警備し、江主席の安全を確保する目的で、警視庁警察官に対し、本件名簿を交付した。その際、被告大学は、本件名簿の提出をすることについて、個人情報保護委員会に諮ることはしなかつた。 (9)被告大学は、今後、外国要人の講演会を開催する際には、講演会の参加申込者に対し、参加者名簿を関係機関に提出する場合がある旨を予告する意向を表明している。 (10)被告大学は、平成七年、本件規則を制定したが、同規則は、要旨次のとおり規定している。なお、本件規則には、被告大学が本件規則に違反した場合の被告大学の責任に関する規定は、設けられていない。 ア 本件規則は、「被告大学は、個人情報の保護が人格の尊厳に由来する基本的要請であることを深く認識し、この規則によって、被告大学が保有する個人情報の取扱いに関する基本事項を定め、もって個人情報の収集、管理および利用に関する被告大学の責務を明らかにするとともに、個人情報の主体である学生、教職員等に、自己に関する個人情報の開示ならびに訂正および削除の請求権を保障することによって、被告大学における人権保障に資することを目的とする。」(第一条) イ 個人情報の主体である学生、教職員等に関して、「この規則において、『学生、教職員等』とは、現在および過去の学生、生徒、教職員ならびに大学の業務に直接かかわりがあり、またはかかわりがあったその他の者をいう。」とし(第二条一項)、個人情報に関して「この規則において『個人情報』とは、学生、教職員等について特定の個人が識別され、または識別され得るもののうち、大学が業務上取得または作成した情報(機械処理以外のものも含む)をいう。」(同条二項) ウ 個人情報の収集に関しては、「箇所長は、個人情報を収集するときは、利用目的を明確にし、その目的達成に必要な最小限度の範囲で収集しなければならない。ただし、思想、信条および宗教に関する個人情報は、いかなる理由があろうともこれを収集してはならない。」(第五条一項) 「箇所長は、個人情報を収集するときは、適正かつ公正な手段により、次の各号のいずれかに該当するときを除き、直接本人から収集しなければならない。l 本人の同意があるとき。2 個人情報保護委員会が業務遂行上、正当な理由があると認めたとき。」(同条二項) (なお、「箇所長」とは、被告大学における各学部及び被告大学本部の各部等のそれぞれの責任者をいう。) エ 個人情報の目的外利用に関して、「箇所長は、個人情報を収集された目的以外のために利用または提供してはならない。ただし、次の各号のいずれかに該当するときは、この限りでない。1 本人の同意があるとき。2 法令の定めがあるとき。3 その他個人情報保護委員会が正当と認めたとき。」とし、「個人情報にかかわる機械処理は、収集目的の達成に必要な処理のみが行えるよう機能を限定しなければならない。」とする。(第七条一項、二項) オ 個人情報の開示請求に関し、 (ア)「学生、教職員等は、自己に関する個人情報の開示を請求することができる。」(第一二条一項) (イ)「開示の請求があったときは、箇所長はこれを開示しなければならない。ただし、その個人情報が、個人の選考、評価、判定、診療その他に関するものであって、本人に知らせないことが明らかに正当であると認められるときは、その個人情報の全部または一部を開示しないことができる。」(同条第二項) (ウ)「個人情報の全部または一部を開示しないときは、その理由を文書により本人に通知しなければならない。」(同条三項) (エ)「第一項に規定する請求は、箇所長に対し、本人であることを明らかにして、所属及び氏名、個人情報の名称及び記録項目、請求の理由及びその他個人情報保護委員会が必要と認めた事項を記載した文書を提出することにより行う。」(同条四項) カ 個人情報の訂正に関し、 (ア)「学生、教職員等は、自己に関する個人情報の記録に誤りがあると認めたときは、前条第四項に定める手続に準じて、箇所長に対し、その訂正または削除を請求することができる。」(第一三条一項) (イ)「箇所長は、前項の規定による請求を受けたときは、すみやかに調査のうえ、必要な措置を講じ、結果を本人に通知しなければならない。ただし、訂正または削除に応じないときは、その理由を文書により本人に通知しなければならない。」(同条二項) (11)ア 先進工業国を中心とする経済に関する国際協力機関であるOECDは、各国における個人情報保護を目的とした情報の流通に対する規制態様が区々に分かれ、情報の国際的な流通の障害となるおそれが生じたため、「プライバシーと個人の自由を保護し、かつプライバシーと情報の自由な流通という、基本的ではあるが競合する価値を調和させることに共通の利害を有すること」を前提として、「個人データの自動処理及び国際流通は、国家間の新しい形態を作り上げるとともに、相互に矛盾しない規則と運用の開発を要請すること、個人データの国際流通は経済及び社会の発展に貢献すること」を確認し、「プライバシー保護と個人データの国際流通にかかる国内法は、そのような国際流通を妨げるおそれがあることを認識し、加盟各国間の情報の自由な流通を促進すること及び加盟各国間の経済的社会的関係の発展に対する不当な障害の創設を回避すること」を目的として、加盟各国に対して、個人情報保護に関する国内法整備の指針を示し、プライバシー保護を名目として情報の国際流通を妨げてはならないと勧告し、一九八〇年九月、「プライバシー保護と個人データの国際流通についてのガイドラインに関する理事会勧告」を採択した。 イ この勧告は、加盟各国に拘束力のないものではあるが、加盟各国に対し、OECDガイドラインに掲げている原則を、国内法整備の指針として国内法の中で考慮することを求めている。 OECDガイドラインは、個人情報の保護に関し、以下の八つの原則を掲げている。 (ア)個人データの収集には、制限を設けるべきであり、いかなる個人データも、適法かつ公正な手段によって、かつ適当な場合には、データ主体に知らしめ又は同意を得た上で、収集されるべきである(収集制限の原則)。 (イ)個人データは、その利用目的に沿ったものであるべきであり、かつ利用目的に必要な範囲内で正確、完全であり最新なものに保たれなければならない(データ内容の原則)。 (ウ)個人データの収集目的は、収集時よりも遅くない時点において明確化されなければならず、その後のデータの利用は、当該収集目的の達成又は当該収集目的に矛盾しないで、かつ、目的の変更毎に明確化された他の目的の達成に限定されるべきである(目的明確化の原則)。 (エ)個人データは、前条により明確化された目的以外の目的のために開示利用その他の使用に供されるべきではないが、@データ主体の同意がある場合、A法律の規定による場合はこの限りではない(利用制限の原則)。 (オ)個人データは、その紛失若しくは不当なアクセス・破壊・使用・修正・開示等の危険に対し、合理的な安全保護措置により保護されなければならない(安全保護の原則)。 (カ)個人データに係る開発、運用及び政策については、一般的に公開の政策がとられなければならない。個人データの存在、性質及びその主要な利用目的とともにデータ管理者の識別、通常の住所をはっきりさせるための手段が容易に利用できなければならない(公開の原則)。 (キ)個人は、次の権利を有する(個人参加の原則)。 @ データ管理者が自己に関するデータを有しているか否かについて、データ管理者又はその他の者から確認を得ること。 A 自己に関するデータを、a合理的な期間内に、bもし必要なら過度にならない費用で、c合理的な方法で、かつ、d自己にわかり易い形で、自己に知らしめられること。 B 上記@、Aの要求が拒否された場合には、その理由が与えられること及びそのような拒否に対して異議申し立てができること。 C 自己に関するデータに対して異議を申し立てることができること、及びその異議が認められた場合には、そのデータを消去、修正、完全化、補正させること。 (ク)データ管理者は、上記の諸原則を実施するための措置に従う責任を有する(責任の原則)。 以上の事実が認められ、その認定を覆すに足りる証拠はない。 そこで、以上の事実を前提として、本件各争点について検討することとする。 二 争点(1)について (1)ア 前記認定の事実によれば、被告大学は、原告らを含む本件講演会の参加申込者に対し、警視庁等にこれを提出することを明示的に予告することのないまま、本件名簿の提出を行い、その結果、警視庁等が原告らの氏名等を知ることとなったが、原告らは、本件名簿の提出を予想していなかったというのである。 イ この点に関し、被告は、「本件講演会の講演者が江主席であることからしても、本件名簿が警察機関に提出されることは当然に予想され、あるいは容易に認識できた」旨主張する。 前記認定の事実によれば、本件講演会の講演者は江主席であり、被告大学が参加申込者に対し参加証及び「江沢民中華人民共和国国家主席講演会における注意事項」と題する書面を配付しており、その内容は相当に詳細かつ厳格なものであり、江主席の安全を図るとともに、非礼のないことを期するものであって、本件講演会の警備が極めて厳重であることが認識できたといえ、参加申込者としては、その警備を警察機関が担当することも十分にあり得ることを予想できたものということができる。しかし、一般の学生がその警備の実際についてまで当然に知り得べきであったものとはいうことはできない。そうすると、参加申込者としては、本件名簿の提出が行われることまでを予想し又は容易に認識できる状況にあったということはできないし、本件名簿の提出を承諾していたということもできない。 ウ さらに、被告は、「本件講演会の参加者名簿の用紙は、後から記入する者が、記入済みの参加申込者の氏名等を閲覧することができる状態にあったから、事実上、公開されていたに等しい」旨主張する。 確かに、参加者名簿の用紙が、被告大学の各学部事務所及び国際教育センターに備置され、参加申込者が右用紙に自己の氏名、学籍番号、住所及び電話番号を記入する際にその用紙に記入済みの参加申込者の氏名、学生番号、住所及び電話番号を閲覧できる状態にあったことは前示のとおりであるが、参加者名簿の用紙はもともと第三者が閲覧する目的で備え置かれたものではなく、既に記入済みの氏名等の閲覧は事実上可能なだけであって、その範囲も、現実には限られた範囲の者にとどまるのであるから、参加者名簿が公開されていたということはできない。また、その備置状況から、参加申込者が第三者に参加者名簿が開示されることを承知した上で参加申込者が本件講演会への参加を申し込んだということもできない。 (2)ア 本件名簿の提出による原告らのプライバシー侵害の有無の前提として、原告らの氏名等がプライバシーとして保護されるものか否かについて検討する。 他者に知られたくない私生活上の情報をプライバシーとよぶことについては、社会的にも法的にも認知されつつあるが、当裁判所は、みだりに他者に開示されないことが法的に保護される私生活上の情報のことをプライバシーとよび、プライバシーをみだりに他者に開示されない権利をプライバシーの権利といい、プライバシーの権利を侵害することをプライバシー侵害とよぶこととする。 ところで、個人に関する情報のうち、他者に知られたくない私生活上の情報については、いわゆる人格権に包摂される権利又は利益の一つとして、みだりに他者に開示されないことが法的に保護されるべきであるところ、個人に関する情報がプライバシーとして保護されるためには、@私生活上の事実又は私生活上の事実らしく受け取られるおそれのある情報であること、A一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合に、他者に開示されることを欲しないであろうと認められる情報であること、B一般の人に未だ知られていない情報であることが必要であると解される。そして、プライバシーの権利は、私生活の平穏や個人の人格的自律を確保するために重要な権利であると解されるから、上記の三要件を充足し、プライバシーとして保護されるべき情報が他者に開示された場合には、原則として、プライバシーの権利を侵害するプライバシー侵害となり、違法性阻却事由が認められない限り、そうした情報を開示する行為は不法行為に該当すると解するのを相当とする。 この点につき、被告は、「私人が個人情報を収集し、収集した目的以外のためにその個人情報を他者に開示したとしても、その開示行為は直ちにプライバシーを侵害する不法行為となるわけではなく、その開示の目的、必要性、開示行為の態様、その開示行為によって情報主体が被ることになる不利益の程度その他の諸般の事情を総合衡量して開示行為が違法となる場合に初めてプライバシーを侵害する不法行為となる」と主張する。この見解は、相関関係説と称される考え方であり、保護されるべき法益が法的に認知されていく過程の議論の枠組みとしては妥当するものと考えられる。しかし、プライバシーの権利はいまや法的に保護されるべきものとして認知されており、かつ、その重要性にかんがみると、被告が考慮すべきものと主張する要素は、違法性阻却の有無を検討する際に考慮すべき要素と位置づけることが相当である。その限りで被告の主張は採用できない。 イ そこで、これを本件についてみるに、氏名、住所、電話番号については、社会生活ないし学生生活において、公的機関、大学当局、友人等一定範囲の者に知られ、これらの者に日常的に利用される情報であり、学籍番号についても、大学における学生の特定方法として利用され、大学において学生を呼び出す際等に氏名と並記して掲示板に掲示されること等もあるものであって、氏名、学籍番号、住所、電話番号には、直ちに私生活上の事実とはいい難い面も存する。 しかし、個人の氏名、学籍番号、住所及び電話番号に上記のような側面があるとしても、これらの情報によって、当該個人が識別され、その個人の私生活の本拠である住居や連絡先に関する情報が明らかとなるのであるから、これらの情報は、私生活上の事実でもあるというべきである(@)。そして、前述のとおり、これらの情報は、通常、一定範囲の者に知られている情報であるが、近時、情報通信技術の発展などにより、自己に関する情報が思わぬ利用のされ方をして、私生活の平穏が害される危険が増大していることからすると、個人が自己に関するこれらの情報を知る者を自らが許容する一定範囲の者に限定し、それ以外の者には知られたくないと欲することも自然なことである。そして、これらの情報は、一般人の感受性を基準として当該私人の立場に立った場合でも他者に開示されることを欲しないであろうと認められる情報であるというべきである(A)。さらに、これらの情報は、一般の人に未だ知られていない情報であると認められる(B)。したがって、原告らの氏名、学生番号、住所及び電話番号は、プライバシーに該当するというべきである。 また、本件講演会の参加申込者であることについても、当該個人が本件講演会当日にどのような予定を有しているかにかかわる情報であって、私生活上の事実であるということができる(@)。そして、本件講演会の参加申込者であることは、本件講演会に参加すれば当然に他の講演会参加者に判明する情報であるから、他者に知られたくない情報であるといえるか否か微妙ではあるが、講演会参加者以外の者に対しては当然に判明する情報であるとはいえず、かつ、個人の予定について他者に知られたくないと欲することは、前述の近時の状況からすると自然なことであるともいえるのであって、一般人の感受性を基準として当該私人の立場に立った場合に他者に開示されることを欲しないであろうと認められる情報とみてよいであろう(A)。そして、本件講演会の参加申込者であることは、一般の人に未だ知られていない情報であると認められる(B)。したがって、原告らが本件講演会の参加申込者であることについても、プライバシーに該当するというべきである。 以上によれば、被告大学は、本件名簿の提出によって原告らのプライバシーを他者に開示したのであるから、この行為はプライバシー侵害に該当し、違法性阻却事由のない限り不法行為に該当するというべきである。 (3)ア 原告らは、「被告による本件名簿の提出がプライバシー侵害として不法行為に該当し又はその違法性の程度の強いものとすることの根拠として、本件名簿の提出がOECDガイドラインに反する旨、本件名簿の提出が本件規則に反する旨及び本件名簿の提出が大学自治ないしその精神に反する」旨主張する。既に述べたとおり、本件名簿の提出は、これらについて検討するまでもなくプライバシー侵害に該当すると考えるが、原告らは、これらについて、その違法性の程度にもかかわるものとして主張しているので、以下では、これらについて、検討することとする。 イ OECDガイドラインについて OECDガイドラインは、前述のとおり、個人情報の保護に関して、目的明確化の原則及び利用制限の原則を掲げ、「個人情報を収集した者は、データ主体の同意がある場合又は法律の規定による場合以外、その収集の際に明確化された目的以外の目的のために個人情報を開示してはならない」旨定めているところ、本件名簿の提出は、本件講演会の参加申込者に対して明示的に予告することなく、参加申込者の同意もなく、法律の明文の規定に基づかずに個人情報を開示したものであって、その限りで、OECDガイドラインに反することになる。もっとも、前述のとおり、OECDの加盟国は、OECDガイドラインに掲げられている諸原則を国内法の中で考慮することを求められているのであり、そのことについて拘束力はないが、その諸原則は、普遍的なルールを志向しているという意味で参考にすべきであり、我が民法における不法行為の成否の基準となるものと解してよいであろう。すなわち、一定の行為がOECDガイドラインに反することは、不法行為における権利侵害に当たることが多いと解すべきである。ただし、それ以上に、違法性を強める事情となると解することは理由がないというべきである。 ウ 本件規則違反について (ア)本件規則は、前述のとおり、個人情報とは、学生、教職員等について特定の個人が識別され、又は識別され得るもののうち、大学が業務上取得又は作成した情報(機械処理以外のものも含む)をいうものとし(第二条第二項)、被告大学の各責任者は、個人情報を収集するときは、利用目的を明確にし、その目的達成に必要な最小限度の範囲で収集しなければならず(第五条第一項)、本人の同意があるときその他の例外的な場合を除き、個人情報を収集された目的以外のために利用又は提供してはならないものと規定している(第七条第一項)ところ、本件規則は、被告大学が業務上取得した個人情報については、機械処理の対象となるか否かにかかわらず、本人の同意があるとき等の例外的場合を除き、収集の際に明確にされた目的以外の目的のために個人情報を利用してはならない旨を規定しているものと解される。 (イ)そして、本件講演会の参加者名簿に記載された「氏名、学籍番号、住所、電話番号」は、本件規則の第二条第一項にいう「学生、教職員等について特定の個人が識別され、又は識別されうるもののうち、大学が業務上取得又は作成した情報(機械処理以外の者も含む)」に該当するものというべきである。そうすると、本件名簿の提出に関して、原告らの同意はなく、他にこれを許すべき例外的事情もないから、収集の際に明確にされた目的以外の目的のために個人情報を利用したものであり、本件名簿の提出は、本件規則第七条第一項に違反することになる。 (ウ)この点について、被告は、「本件規則の規制対象は、電子計算機処理に係る個人情報の管理である」旨主張する。なるほど、情報通信技術の発展が個人情報保護、プライバシー保護の必要性を増大させ、特に電子計算機処理に係る個人情報の管理が重要な問題となっており、本件規則の制定の背景にこのような事情があったことは想像に難くないものの、本件規則第二条第二項は機械処理以外のものも含むことを明示しているのであって、本件規則が電子計算機処理に係る個人情報以外についても適用されることは明らかであるから、この点に関する被告の主張は採用することができない。 (エ)また、被告は、「部分社会の法理の趣旨及び憲法が保障する大学の自治から、被告大学による本件規則の解釈の当否についてまで司法審査は及ばない」と主張する。 確かに、大学は、学生の教育と学術の研究とを目的とする教育研究施設であって、その設置目的を達成するために必要な諸事項については、法令に格別の規定がない場合でも、学則等によりこれを規定し、実施することのできる自律的、包括的な権能を有し、一般市民社会とは異なる特殊な部分社会を形成しているから、大学内部における法律上の係争のすべてが当然に裁判所の司法審査の対象となるものではなく、一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題は、司法審査の対象から除かれるべきものと解するのが相当である。 しかしながら、本件訴訟は、被告によるプライバシー侵害を理由とする不法行為責任を追及するものであって、これが一般市民法秩序によって律せられるべき問題であることは明らかである。また、本件規則は、前述のとおり、被告大学における学生等のプライバシー保護を目的とし、被告大学の個人情報の取扱等を規律するものであるから、被告によるプライバシー侵害の有無に関して、一般市民法秩序と密接に関連するものとして、本件規則の解釈について裁判所の司法審査が及ぶこともまた当然のことであり、この点に関する被告の主張も採用することはできない。 (オ)本件規則には、これに違反した場合の被告大学の責任に関する規定は設けられていない。すなわち、本件規則は、被告大学が本件規則に違反する行為を行った場合には、その行為によって被告大学が損害賠償責任を負うか否かは、民法七〇九条の不法行為の成否にゆだねられるものとして構成されていると解される。もっとも、被告大学の学生等が、本件規則が存することによって、被告大学が本件規則に違反してプライバシーを他者に開示することがないと期待することは考えられる。そうすると、本件名簿の提出は、本件規則に違反し、学生らの期待に反するものとして、その違法性を強める事情となるということができる。 ウ 大学の自治について 原告らは、「大学においては、学問の自由を守るため、行政権力からの介入、干渉を排除する大学の自治を堅持する必要があるから、大学が収集、保管する情報を行政権力に提供することは厳に戒めなければならず、その点で、本件名簿の提出によるプライバシー侵害は、違法性の強いものである」旨主張する。 ところで、大学の自治とは、大学における学問の自由を保障するため、制度的保障として伝統的に認められているものであって、特に、大学教授その他の研究者の人事に関して大学に自治権能が認められるほか、一定の範囲内ではあるが、大学の施設と学生の管理についても、大学に自主的な秩序維持の権能を認めるものである。 前記認定の事実によれば、被告大学は、本件講演会の開催に際し、講演者が江主席という外国要人であることから、被告大学のみの警備では十分でないものと判断した上、その警備を警視庁等にゆだねたこと、警視庁等は、被告大学に対し、江主席の警護、警備という観点から、本件名簿の提出を要請したこと、被告大学は、その要請を受け入れて、自ら本件名簿の提出を行ったことが認められ、この事実によれば、本件名簿の提出は被告大学の自主的な判断に基づくものであって、大学の自治に反するものであるということはできない。 なお、大学内の秩序維持は、通常の場合、大学当局によって行われ、警察がかかわることがないとしても、そのことは、大学が、学生に対して、大学内の秩序維持に警察機関の協力を求めないことを保障するものではない。このことは、大学内において犯罪が発生した場合や、本件講演会のように、大学が外国要人の講演会の開催に際して警備を要請する場合等を想起しても明らかである。このような場合に、大学が、その判断のもとに、警察機関に対し、捜査を要請し、あるいは当該要人の安全確保のため講演会の警備について協力を求めるとともに、これに伴い、必要な情報提供を行うことは大学の自治の精神に反するものということはできず、したがって、本件名簿の提出も、大学の自治の精神にも反するものではないというべきである。 以上のとおり、この点に関する原告らの主張は採用することができない。 (4)なお、原告らは、「氏名等の本件個人情報にかかる自己決定権を有し、あるいは、自己情報コントロール権を有するところ、本件名簿の提出により、これらの権利又は利益が侵害されたが、これもプライバシーの権利の一つである」旨主張する。 しかしながら、本件においては、個人情報がプライバシーに該当し、当該情報が第三者に開示されるという態様で侵害されたものであって、原告らの主張にかかる権利又は利益は、結局のところ、前述のプライバシー権に抱摂されるものであるから、これと別個に取り上げて検討する必要はないというべきである。 もっとも、原告らが自己決定権又は自己情報コントロール権の侵害を主張する趣旨は、「警視庁等に本件名簿が開示されるのであれば、原告らは本件講演会には参加しなかった」という点を強調し、本件講演会の教育上の有用性や本件講演会の警備の必要性によっては、被告の原告らに対するプライバシー侵害は正当化されないことを強く主張するところにあると解される。この点については、違法性阻却事由について判断する際に検討することが適切であるから、争点(4)について判断する際に言及することとする。 三 争点(2)について 原告らは、「本件名簿の提出により、警視庁等に本件講演会に参加する意向であることを知られることになり、学問の自由を侵害された」と主張する。 ところで、学問の自由とは、@学問研究の自由、A学問研究結果の発表の自由、B教授の自由をその内容とするものと解されるところ、原告らが本件名簿の提出により侵害されたと主張する学問の自由の内容は、必ずしも明確ではないものの、原告らの学問研究の自由が侵害されたと主張するものと思われる。 しかしながら、原告らが侵害されたと主張する学問研究活動の内容が明らかではないことはしばらく措くとしても、特別な事情がない限り、警視庁等が原告らの本件講演会に参加する意向を知ることによって、原告らが学問研究活動が制約されることになるとは通常は考えられず、本件の場合に上記特別な事情が存在することに関する主張立証もないから、原告らの主張を認めることはできない。 したがって、本件名簿の提出によって学問の自由が侵害されたとの原告らの主張は理由がない。 四 争点(3)について 原告らは、「本件名簿の提出により、警視庁等に本件講演会に参加する意向であることを知られることになり、思想信条の自由を侵害された」と主張する。 ところで、思想信条の自由は、@個人がいかなる思想信条を有するとしてもそれが内心の領域にとどまる限りは絶対的に自由であること、A個人がいかなる思想信条を抱いているかについて沈黙する自由が保障されることをその内容とするものである。 原告らの前記主張は、必ずしも明確ではないものの、本件名簿の提出によって、原告らの思想信条が警視庁等に推知されることとなり、思想信条について沈黙する自由が侵害された旨主張するものと思われる。 しかしながら、本件講演会は、江主席を講演者とするものであり、社会的にも幅広い層の関心を引くものであることは明らかであって、本件講演会に参加することが、例えば特定の団体に加入している事実、学生運動に参加している事実等のような、個人の思想信条を推知することができる事実とはいえないから、警視庁等が、本件名簿の提出によって、原告らが本件講演会に参加する意向であることを知ったとしても、それによって原告らの思想信条が警視庁等によって推知されたということはできず、思想信条について沈黙する自由が侵害されるものということはできない。 したがって、本件名簿の提出によって思想信条の自由が侵害されたとの原告らの主張は理由がない。 五 争点(4)について (1)既に述べたとおり、本件名簿の提出はプライバシー侵害に該当し、違法性阻却事由のない限り不法行為に該当するものであるところ、被告は、前記第三の五(1)のとおり、本件名簿の提出について、「ア その目的が外国要人の警備という正当なものであること、イ その目的のため本件名簿の提出が必要不可欠であること、ウ 提出の対象となる情報は他者に知られたくないと感ずる程度の低いものであること、エ 名簿の提出先も警視庁等限られた関係機関に対するものであって社会一般に公開したわけではないこと、オ 原告らに実質的な不利益が生じていないこと」等から本件名簿の提出の違法性は阻却される旨主張する。 これに対し、原告らは、前記第三の五(2)のとおり、「ア 被告は本件講演会の参加者を募る際に参加者名簿を警視庁等に提供する旨を明示しさえすればよかったのであって、本件講演会の警備のため必要であったとの理由で本件名簿の提出の違法性が阻却されることはない」と主張するとともに、被告が違法性阻却事由として主張する諸事情についても個々的に反論し、「イ 本件講演会の警備のため本件名簿の提出が必要であるとはいえない、ウ 本件個人情報は他者に知られたくないと感ずる程度の高いものである、エ 大学の自治の観点からは警視庁等に本件名簿の提出がされたことは問題である、オ 原告らが被った不利益の程度は著しい」と主張する。 そこで、以下では、本件名簿の提出について、その違法性だが阻却されるかについて検討する。 (2)ところで、他者のライバシーを開示する行為については、開示される他者の私生活上の情報の内容や開示行為の態様等については多様なものがあるから、事柄の性質上、当該情報の内容、開示の目的、開示行為の態様等によっては、本人の同意のないままその情報が他者に開示されたとしても違法性が阻却される場合があることを認めざるを得ないと思われる。すなわち、他者のプライバシーを開示する行為であっても、一般人の感受性を基準として、その開示行為が正当な理由に基づき、社会通念上許容されるべき限度内にとどまる場合には、違法性が阻却され、プライバシー侵害の不法行為が成立しないものと解するべきである。そして、正当な理由が存し、社会通念上許容されるべき限度内にとどまるか否かについては、@当該情報の内容、性質、プライバシーとして私生活上保護されるべき程度、度合等、A他者が開示行為により被った具体的不利益の内容、程度等、B開示行為の意図、目的、C目的の必要性、有用性又は公益性、D開示の方法、態様等、E開示目的と具体的開示行為との関連性などの考慮要素を総合考慮して、判断されるべきである。 以上の説示に反する原告らの主張(特に、前記第三の五(2)ア)は採用することができない。原告らが、このような違法性阻却を認める余地のないものとしていわゆる自己決定権又は自己情報コントロール権の侵害を主張するのであれば、当裁判所としては、そのような絶対的権利を認めることはできないというほかない。 (3)そこで、本件において、本件名簿の提出による個人情報の開示が正当な理由に基づき、社会通念上許容されるべき限度内にとどまるか否かについて検討する。 ア 本件個人情報の内容等 本件名簿の提出により開示された情報は、「氏名、学籍番号、住所、電話番号及びその者が本件講演会の参加申込者であること」であるが、前述したとおり、氏名、学籍番号、住所及び電話番号は、プライバシーに該当するが、社会生活上一定範囲の者に知られ、利用される情報であって、例えば、思想信条、前科前歴、負債、病歴、学業成績、社会的身分等の情報と比較すれば、他人に知られたくないと感ずる度合いの低いものである。 また、本件講演会の参加申込者であることは、本件講演会に参加すれば当然に他の参加者に判明するものであり、かつ、前述のように、本件講演会は幅広い層の関心を引くものであって、本件講演会の参加申込者であることから参加申込者の思想信条等が推知できるわけでもないのであるから、その意味で、本件講演会の参加申込者であることは、他人に知られたくないと感ずる度合いの低いものであるというべきである。 イ 原告らの被った不利益等 本件個人情報の内容はアのとおりであって、その開示が、それ自体としては原告らの人格的自律ないし私生活上の平穏を害する事柄ではなく、その意味で原告らの被った不利益又は被害は、抽象的なものということができる。仮に、今後、警視庁等がこれらの情報を保有し続けることを考慮しても、本件名簿の提出によって、原告らの私生活の平穏等が侵害される蓋然性は乏しく、その不利益も小さいものといわざるを得ない。 ウ 開示目的 本件講演会の出演者は、中華人民共和国の政治指導者である江主席であって、学生がその講演を聴講することは、学生が講演内容を肯定的にとらえるにせよ、批判的にとらえるにせよ、学生の教育上有益であることは明らかである。そして、本件名簿の提出の目的が、本件講演会において江主席の警備に万全を期し、その安全を確保することにあることは前記認定のとおりであり、その目的が社会通念上正当なものであることは多言を要しない。そして、本件名簿の提出行為の違法性を評価、検討するに当たっては、この目的の正当性を重視しなければならないものと考える。 エ 開示の必要性等 被告大学は、本件講演会において江主席を警備し、その安全を確保するため、これを警視庁等に要請したが、この要請は、大学の自治に反するものとはいえず、社会通念上も相当であることは前記認定のとおりである。そして、警視庁等が、本件講演会における警備を行う際、その参加申込者を事前に把握することは、適切な警備の遂行上、極めて有用であり、警備目的を達するために必要なものであることは明らかであって、その万全を期するためには、重要な意味を持つものというべきである。 オ 開示の方法、態様等 先に認定した事実によれば、被告大学は、本件個人情報の開示に関し、警視庁等に本件名簿を提出しただけであり、これを頒布するなどして、第三者が容易に閲覧できるような方法、態様でこれを開示したものでもなく、社会一般に対して公開されたものでもない。また、その提出先も、警視庁等の本件講演会の警備等に係わる関係機関に限られており、本件個人情報の開示方法、態様は、社会通念上相当とみられるものである。 カ 目的と開示行為の関連性 被告大学が、江主席の警備目的のもとに本件名簿の提出をしたことは前示のとおりであり、参加者全員の名簿を提出したことに照らしても、そうした目的以外の事情、例えば、原告らを特に不利益に取り扱う意図のもとに、あるいは、原告らの学内における活動を取り締まるために本件名簿の提出を行った等の事情は全く窺われず、むしろ、警備目的の限度において、本件名簿の提出を行ったものといえる。 キ そうすると、本件名簿の提出行為については、その目的の正当性、必要性及び方法の相当性はこれを肯定してよいであろう。そこで、さらに(4)において、原告らの主張を吟味することにより、違法性阻却と評価すべきか否かについて検討を加える。 (4)ア 原告らは、(3)アの点に関し、「学籍番号は、それを手がかりとして当該学生の生年月日、学歴、学業成績、加入学内団体、賞罰関係等の情報を引き出し得る重要な情報であり、他人に知られたくないと感ずる程度が高いものである」旨主張する。 しかしながら、本件名簿において学籍番号の記入が要求されたのは、当該申込者が被告大学に在籍するか否かを確認するためであり、それ以外の個人情報を探索する目的を窺うことはできない。また、学籍番号からこれらの情報を探索することは、被告大学においてこれらの情報を管理する権限を有する者以外には通常は考えられず、これらの者以外の者がこれを探索することは現実には困難であるから、当該情報探索行為が行われた段階で、これをプライバシー侵害として問題とすることは格別、学籍番号の開示それ自体は、原告らの人格的自律ないし私生活上の平穏を害する事柄としての性質は強くなく、他人に知られたくないと感ずる程度はさほど高いものではないというべきである。 イ 次に、原告らは、「本件講演会における江主席の安全を確保するためには、参加者が本件講演会の会場に入場する際に金属探知器による検査等を行い、会場内に警察官等を配置すれば十分であり、本件名簿の提出は必要ではない」旨主張する。 しかしながら、一般に、外国要人が来日した際、外務省、警察機関その他の関係機関が当該外国要人の警護、警備等を担当し、その身辺警備ないし安全確保に当たることが通常であるところ、その警備の具体的な方法、内容、程度等は関係機関の専門的な知識、経験等に基づく裁量に委ねられるべき事柄である。また江主席は、外国要人であり、その安全確保は外交上の最優先事項というべきものであるから、その万全を期すことは当然のことであり、本件名簿の提出が本件講演会の警備に有用かつ必要であったことは否定しがたいというほかない。 ウ 原告らは、「大学においては、憲法二三条によって大学の自治が認められているのであり、学生は、大学当局が公権力、とりわけ警察機関の干渉を排除してくれるとの期待感を有している」旨主張する。しかし、大学が治外法権の場ではないことは多言を要しないところであり、被告が警視庁等に本件講演会における江主席の警護、警備を要請したことが大学の自治ないしその精神に反するものではないこともすでに説示したとおりであるから、原告らの主張は採用することができない。 エ また、原告らは、「本件講演会の参加申込者であることは、既に警視庁等が入手している情報と重ね合わせて利用すれば、その人物の思想、信条、行動傾向等について、本件名簿の提出によって相当程度高い精度の推測が可能となり、その意味でも本件名簿の提出によって提供された情報は、いわゆるセンシティブ情報に該当し、他人に知られたくない情報である」旨主張する。 しかしながら、本件講演会は幅広い層の関心を引くものであって、本件講演会の参加申込者であることによって参加申込者の思想信条等が推知できるものでないことは既に説示のとおりであり、一般人の感受性を基準としても、他人に知られたくないと感ずる程度はそれほど高いものではないというべきである。 オ なお、前記認定の事実によれば、被告大学は、本件講演会の参加申込者に対し、本件名簿を警視庁等に提出することを明示的に予告することについては何らの支障もなく、これを行うことも容易であったのにこれをしていない。そして、被告大学においては、本件規則上、情報収集時に明確化された目的以外のために個人情報を利用することが禁じられているのに、本件名簿を提出していることは、本件規則に反するものでもある。 こうした点をどのように評価するかは問題であるが、被告大学における本件講演会の参加者への対応、とりわけ、本件名簿の提出の予告をしなかったことは不適切であったものと評されてもやむを得ないように思われる(当裁判所としては、法的責任の成否という問題を離れて、被告大学としては、ここで述べた点を正しく受け止め今後の大学運営に生かすことが本件訴訟を意味あらしめるところであると考えていることを付言する。なお、一(9)参照。)。 (5)以上によれば、被告大学による本件名簿の提出は、参加申込者に対してこれを警視庁等に提出することの明示の予告がなく、本件規則に違反する点で不適切であった。しかしながら、何よりも、本件名簿の提出が、外国要人の警備という正当かつ公益にかかわる目的のもとに必要不可欠のこととして行われたものであることは、本件を評価するに当たり重要な要素であると考えられる。それに加えて、本件個人情報がそれ自体としては他人に知られたくないと感ずる程度が低いものであること、本件名簿の提出により被った原告らの不利益は抽象的なものであること、本件名簿の提出の方法、態様等も限定的であり、提出目的との関係でも相当の範囲内のものであること等の要素を総合考慮すると、結局、本件名簿の提出は正当な理由に基づくものであり、一般人の感受性を基準としても、社会通念上許容されるべき限度内にとどまるものというべきであるから、その違法性が阻却されるものと解するのが相当である。 そうすると、被告が本件名簿の提出によりプライバシー侵害として不法行為責任を負うとの原告らの主張は認められないものというほかない。 第五 補論 ここで、本件訴訟の内容、経過等について、当裁判所の所感を述べておくこととする。 本件訴訟は、現代社会におけるプライバシーの意義、その保護のあり方というすぐれて今日的な重要問題を対象とするものであった。 原被告双方訴訟代理人は、この点について、十分認識され、それぞれの立場から主張、反論(攻撃、防御)を尽くされ、その結果、本件訴訟においては、噛み合ったレべルの高い論争が展開された。当裁判所としては、原被告双方訴訟代理人が高い識見に基づき適切な議論の応酬をされたことについて、法的専門技能をもって現代の困難な諸問題に賢明に対処していくべき職責を同じくする法律実務家として、双方訴訟代理人に対し、敬意を表しておきたい。 プライバシーの保護は、社会構成員の法的確信(法意識)に規定されるものである。そして、当裁判所としては、双方の的確な論争により浮き彫りにされた争点について、正面から受け止め判断したつもりである。そして、その結果は、前述のとおりであるが、この判断も「現時点でのもの」であることはいうまでもなく、その意味では、さらに議論を深化させていくための一里塚にすぎない。本件訴訟はそうした意義を有するものとして受け止めたいと考える。 第六 結論 以上によれば、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第二八部 裁判長裁判官 加藤新太郎 裁判官 足立謙三 裁判官 中野琢郎は転補のため署名押印することができない。 裁判長裁判官 加藤新太郎 |
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