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【事件名】弁護士の思想調査事件(2)
【年月日】平成12年10月25日
 東京高裁 平成12年(ネ)第1759号 損害賠償請求控訴事件
 (原審・東京地裁八王子支部平成6年(ワ)第2029号)

判決
控訴人(原審原告)(以下、単に「原告」という。) 甲野太郎
右訴訟代理人弁護士 吉田健一
同 中野直樹
同 尾林芳匡
同 土橋実
同 富永由紀子
同 長尾宜行
同 二上護
同 赤沼康弘
同 平和元
同 北川慎治
同 金城睦
同 小林克信
同 林勝彦
同 安倍晴彦
控訴人(原審被告)(以下、単に「被告」という。) 国
右代表者法務大臣 保岡興治
右指定代理人 野本昌城(ほか三名)
控訴人(原審被告)(以下、単に「被告」という。) 東京都
右代表者知事 石原慎太郎
右指定代理人 林勝美(ほか三名)
控訴人(原審被告)(以下、単に「被告」という。) 北海道
右代表者知事 堀達也
右訴訟代理人弁護士 齋藤祐三
右指定代理人 谷崎清貴(ほか五名)


主文
一 原判決を次のように変更する。
1 被告国は、原告に対し、金一二万円及びうち金一〇万円に対する平成六年九月二九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 原告の被告国に対するその余の請求並びに被告東京都及び同北海道に対する各請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は、第一、二審を通じて、これを一〇分し、その一を被告国の、その余を原告の各負担とする。
三 この判決の一項の1は、仮に執行することができる。

事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 各控訴人の控訴の趣旨
1 原告の控訴の趣旨
 原判決を次のように変更する。
 被告らは、原告に対し、連帯して、金三七二万円及びうち金三〇〇万円に対する被告国及び同東京都においてはいずれも平成六年九月二九日から、被告北海道においては平成八年五月八日から、各支払済みに至るまで年五分の割合による各金員を支払え。
2 被告らの控訴の趣旨
(一)原判決中被告ら各敗訴の部分をいずれも取り消す。
(二)原告の被告らに対する各請求をいずれも棄却する。
二 原告の被告らに対する本訴請求の趣旨
 右原告の控訴の趣旨において原告が求める変更後の判決内容と同旨
第二 本件事案の概要
一 本件事案の概要と当事者の主張
 本件は、東京都立川市所在の丙川法律事務所に勤務する弁護士である原告が、国の公務員である検察官並びに東京都及び北海道の公務員である警察官の違法な行為によって、そのプライバシー等を侵害されたとして、被告らに対して国家賠償を求めている事件である。
 すなわち、本件において、原告は、被疑者乙山松夫らに係る傷害事件(本件傷害事件)について弁護人となることを委任されていたところ、北海道警察及び警視庁に所属する警察官であって東京地方検察庁において捜査実務の研修中に本件傷害事件の捜査に当たった警察官が、東京地方検察庁の検察官の指導の下に、平成二年一月三〇日ころ、原告が青年法律家協会に所属しており日本共産党の党員として把握されているものであるとする内容(本件記載事項)の記載のある捜査報告書(本件捜査報告書)を作成して検察官に提出し、平成二年七月二〇日、東京区検察庁の検察官がこれを本件傷害事件に関する略式命令請求の際の証拠資料として裁判所に提出したことにより、これが右の略式命令の確定後は刑事確定訴訟記録の一部として東京地方検察庁において保管され、一般人の知り得る状態に置かれるに至ったが、右の検察官及び警察官の行為は、原告のプライバシーの権利等を侵害する不法行為に当たるとして、被告らに対して国家賠償を求めているのである。
 原告の本訴請求の前提となる当事者問に争いのない事実等及び各当事者の主張は、次項のとおり各当事者の当審における主張を補足するほかは、原判決がその「事実」欄の「第二 事案の概要」及び「第三 当事者の主張」の各項において摘示するとおり(ただし、原判決三一頁一一行目に「違反したか否かを判断すべきであって、」とあるのを「違反したか否かを基準として判断すべきであって、」に、同五八頁六行目に「B警部に対し、」とあるのを「戊田検事に対し、」にそれぞれ改める。)であるから、右の各記載を引用する。
二 各当事者の補足主張
1 原告の主張
(一)警察による情報収集活動とプライバシーの侵害について
 平成一一年九月の神奈川県警の不祥事を始めとして、全国的に警察の腐敗に関する事件が頻発しており、その中には、警察が不正、不法な目的あるいは手段によって情報を入手したり、捜査関係の情報を不正、違法に利用したという例も少なくないが、本件も、このようなゆがんだ警察の構造、体質から噴出したプライバシー侵害事件というべき事件である。
 本件においてA警視からB警部に伝えられた原告に関する情報は、単にA警視の個人的知見に基づくものとは到底考えられず、むしろ、本件においては、警察による日本共産党や法律家団体に対する組織的、系統的な情報収集活動の一環として、検察官の指示の下に、弁護士である原告に対する思想調査が行われ、警察の情報活動によって収集されていた原告の思想、信条に関する秘密情報が本件捜査報告書に記載されるに至ったものであることは明らかなものというべきである。
(二)本件における慰謝料額の算定について
 本件における検察官及び警察官による原告のプライバシーの侵害行為は、原告の思想、信条に関わる重大なプライバシーの侵害行為であること、弁護士である原告の刑事弁護活動に対する重大な侵害行為であること、警察、検察権力による組織的、系統的な権利侵害行為であることなどからして、これに対する慰謝料の金額としては、原告の請求額である三〇〇万円という金額がそのまま認容されるべきである。
2 被告らの主張
(一)本件におけるB警部の行為の適法性について
 本件においては、B警部は、戊田検事の指示により、本件傷害事件の捜査を後任の検察官に引き継ぐための手控え的な内部連絡文書として本件捜査報告書を作成したものであり、これが裁判の証拠書類として裁判所に提出されるといったことは予想もしていなかったのである。B警部としてみれば、本件傷害事件の捜査に関して自身の行った捜査の結果を後任者に正確に引き継ぐという意図から本件捜査報告書を作成したのであり、その作成の手段、方法としても、研修の同期生であるA警視から公刊物に掲載された原告の経歴等をメモ書きしたものの交付を受け、その際、A警視から告げられた個人的な見解の内容をこれに付け加えて報告書に記載したというにすぎず、他の機関に照会したり、聞き込みを行ったりするなどの第三者に覚知される可能性のあるような方法は一切採っていないのである。
 そもそも犯罪の捜査に当たっては、広く被疑事件の処理に関連する事項については積極的に情報収集活動を行い、このようにして収集された膨大な情報の中から真相解明のための手掛りを獲得していく必要があるのであり、時として個人のプライバシーに関わる事項にも踏み込まざるを得ない場合があることはいうまでもないところである。仮に、B警部の作成した本件捜査報告書の記載内容が原告のプライバシーに関わりを有する事項であったとしても、本件捜査報告書の作成行為自体は、本件傷害事件について捜査を尽くして適切な処分をし、場合によっては起訴後の公判段階における訴訟活動の円滑な追行にも資するという目的から、捜査活動の一環として行われたものであり、その必要性、合理性、手段としての相当性が十分に認められるものというべきであって、これが違法とされる余地はないものというべきである。
(二)本件におけるB警部の行為と原告のプライバシーの侵害について
 仮に、B警部の作成した本件捜査報告書の記載内容が原告のプライバシーに関わりを有する事項であったとしても、B警部が本件捜査報告書に本件記載事項を記載して、これを検察官に提出しただけでは、それによって原告のプライバシーが侵害されることとなるものではない。なぜなら、これによって本件捜査報告書に記載された本件記載事項を目にする者は、担当検察官を初めとする捜査関係者等に限られている上、それらの者には守秘義務が課されているからである。したがって、本件捜査報告書が公開されて初めて、原告に対するプライバシーの侵害が問題となるものであることはいうまでもないところである。
 本件においては、B警部は、後任者への引継ぎのために本件捜査報告書を作成してこれを検察官に提出したのであり、これを証拠として裁判所に提出するか否かについては、検察官の判断を経なければならず、B警部自身がその公表、公開について独自の判断をするといったことはおよそあり得ないのである。しかも、本件捜査報告書については、その末尾に添付された資料に乱雑なメモ書き部分がそのまま残されていることなどからしても、これが裁判所に証拠として提出されるということを、B警部自身は予想もしていなかったことは明らかなものというべきである。むしろ、本件捜査報告書の記載内容のほとんどがB警部の主観の入った伝聞供述であることからしても、裁判に提出する証拠の取捨選択の過程で担当検察官がこれに目を通していさえすれば、これが本件傷害事件に関する略式命令請求の際の証拠資料として裁判所に提出され、後に公表されるという事態になることはあり得なかったものというべきである。
 さらに、このような捜査報告書が公判あるいは略式命令請求に際して証拠として提出され、後にこれが刑事確定記録の一部を構成することとなった場合においても、刑事確定訴訟記録法四条二項五号の規定によれば、訴訟記録の保管検察官が、訴訟関係人又は閲覧につき正当な理由があると認められる者以外の者からの閲覧請求に対し、保管記録を閲覧させることが関係人の名誉等を著しく害することとなるおそれがあると認めるときには、保管記録を閲覧させないものとすることとされており、プライバシーの侵害を理由とする閲覧を制限できるだけの制度的保障が存しているのである。このような事情に加えて、本件記載事項のうち原告の所属団体等に関する事実については、原告自らが積極的にその団体所属関係等を明らかにしている事実が存在することをも総合考慮すれば、本件において原告に対して違法なプライバシーの侵害があったとすることは到底できないものというべきである。
(三)本件における甲田副検事の行為の適法性について
 本件捜査報告書が略式命令の請求に際して裁判所に提出されても、裁判所の裁判官、書記官等は、あくまで国法上の機関としての立場で、刑事訴訟の目的を実現するため、その職務として本件捜査報告書を目にするのである。したがって、裁判官等に対するこの種の情報の開示は、一般の人々に対する情報の開示と同視されるべきものではなく、これらの裁判官等が原告がその団体所属関係等を知られることを欲しないような一定の特定人に該当する余地はなく、そうすると、甲田副検事が略式命令の請求に際して本件捜査報告書を裁判所に提出したことをもって、原告の人格的利益を侵害する開示行為とすることはできないものというべきである。
 また、刑事事件が確定すると、当該訴訟記録は刑事確定訴訟記録として保管され、不特定又は多数の第三者の閲覧に供されることとなる。しかし、刑事確定訴訟記録中の私生活上の事実や情報が第三者の閲覧に供される場合についても、刑事確定訴訟記録法は、そのことによって関係者のプライバシー等が侵害されることのないような手当てをし、かつ、著しいプライバシーの侵害のおそれがあると認められるときには、訴訟関係者等以外の者の閲覧を禁止するものとしているのである。このことからすると、同法は、その限度において、関係者のいわゆるプライバシー等の保護と刑事裁判の公正の担保との調和を立法的に解決したものというべきであり、刑事確定訴訟記録中の関係者の私的な事柄が第三者の閲覧に供されることについては、当該関係者は、公共の福祉からくる制約の結果として、これを受忍すべきものといわなければならない。したがって、本件捜査報告書が刑事確定訴訟記録の一部として不特定又は多数の第三者の閲覧に供されることとなり得るものとしても、これによって、甲田副検事が略式命令の請求に際して本件捜査報告書を裁判所に提出したことが、原告の人格的利益を侵害する開示行為になるものとすることはできないものというべきである。
 さらに、そもそも、検察官は、略式命令の請求をするときは、同時に、犯罪事実の立証に要する証拠や量刑の判断に資する証拠に加えて、略式命令をすることが相当であることを立証する証拠をも裁判所に提出しなければならないものとされているところである。本件傷害事件について、乙山は、結局黙秘から自白に転じているのであるが、本件捜査報告書によれば、乙山はその間一貫して日本共産党員である原告の弁護の下にあったのであり、このことは、乙山の右の自白にはその任意性、信用性のいずれについても疑問を差し挟む余地がないことを基礎付けるものということができるのであり、このような意味で、本件捜査報告書は、乙山について略式命令をすることが相当であることを立証する証拠に該当するものと考えられるのである。したがって、この点からしても、甲田副検事が略式命令の請求に際して本件捜査報告書を裁判所に提出したことが国家賠償法上違法とされる余地はないものというべきである。
(四)被告東京都の国家賠償責任について
 国家賠償法による賠償責任は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員がその職務を行うについて他人に不法行為を行った場合に、当該国又は公共団体について生ずるものであるから、本件においてB警部が併任によって警視庁警部の地位にあったとしても、本件捜査報告書の作成が被告東京都の職務を行うについてされたもの(すなわち、被告東京都の公権力の行使としてされたもの)でなければ、被告東京都に賠償責任が発生することはないものというべきである。
 ところで、本件におけるB警部による本件捜査報告書の作成行為は、検察官が行う犯罪捜査の補助として行われたものであって、その職務行為は国の公権力の行使として行われたものであり、しかも、B警部は警視庁警部に併任されているとはいえ、それは警視庁の管轄区域内で東京地方検察庁の検察官の指揮によりその手足として職権を行使する場合があることから行われたものにすぎず、したがって、本件において、被告東京都は、B警部を管理する立場にはなく、同警部に対する職務命令権者ともなり得ないのである。そうすると、本件におけるB警部による本件捜査報告書の作成行為は、被告東京都の職務行為とはなり得ないものであり、したがって、その行為によって被告東京都に損害賠償責任が発生する余地もないものというべきである。
(五)被告北海道の国家賠償責任について
 本件において、B警部は、国の機関である警察庁の特別捜査幹部研修所に入所中、東京地方検察庁での実務研修の便宜のため警視庁警部に併任発令された上、同検察庁に派遺され、検察官の行う事件処理の補助者として本件傷害事件の捜査を行い、その過程で本件捜査報告書を作成したのである。そうすると、B警部の本件捜査報告書の作成行為は、警視庁警部の立場で行われたものではなく、司法警察職員としての独立の捜査機関たる地位を一時的に失い、国の検察官の補助者となった立場で、国の公権力の行使に属する事務処理として行われたものというぺきである。
 したがって、B警部は、東京都の警察の責務の範囲に属する捜査を行ったものではないから、このような行為について東京都が国家賠償の責に任ずることはあり得ず、また、この場合、被告北海道も、東京都との関係で費用負担者として国家賠償の責に任ずることもあり得ないものというべきである。
第三 当裁判所の判断
一 本件捜査報告書が作成される経緯等について
 B警部によって本件捜査報告書が作成され、これが戊田検事に提出されたこと、また、本件捜査報告書が乙山らに対する略式命令請求事件の証拠書類として裁判所に提出されることとなり、その後、本件傷害事件に関する確定記録の中に保管されていた本件捜査報告書が、東京地方裁判所民事第五部からの送付嘱託を承けて同裁判所に送付されるに至ったこと等に関する事実経過は、原判決がその「事実」欄の「第四争点に対する判断」の二の1の項(原判決六九頁九行目から同七八頁末行まで)において認定、説示するとおりである。
 また、原告は、B警部が戊田検事の指示を受けて原告に対する調査を行ったものであり、その調査の目的が、本件傷害事件に関するB警部の取調べに対して黙秘している乙山の態度を翻えさせて、乙山から自白を得ることにあったものと主張するが、この原告の主張するような事実を認めるに足りる証拠がないことは、原判決がその「事実」欄の「第四争点に対する判断」の二の2の(一)及び(二)の各項(原判決七九頁一行目から同八二頁四行目まで)において認定、説示するとおりである。
 さらに、原告は、B警部の原告に関する調査については、A警視が個人的な経験から認識していた事柄をB警部に伝えたにとどまらず、警視庁訟務課あるいは情報管理部門の関係者が情報の提供に関与しており、ひいては、警察による日本共産党や法律家団体に対する組織的、系統的な情報収集活動の一環として、検察官の指示の下に、弁護十である原告に対する思想調査が行われたものであり、警察の情報活動によって収集されていた原告の思想、信条に関する秘密情報が本件捜査報告書に記載されるに至ったものであるなどと主張する。しかし、この点に関する原告の主張は、具体的な証拠に基づかない一種の憶測ともいうべきものであって、この点に関する原告の主張事実を認めるに足りる証拠が何ら存しないことは、原判決がその「事実」欄の「第四争点に対する判断」の二の2の(三)の項(原判決八二頁五行目から同八三頁一行目まで)において認定、説示するとおりである。
二 B警部等の行為の違法性の有無について
 B警部による本件捜査報告書の作成行為が、本件傷害事件の捜査の過程で、後任の捜査担当者に対する引継ぎのための資料を作成することを主目的として行われたものであり、そのための調査等の方法としては、研修の同期生であるA警視から公刊物に登載された原告の経歴等をメモ書きしたものと同警視の個人的な体験から得た知識の提供を受けるという方法が採られたにすぎないものであることは、前記引用に係る原判決の認定、説示にあるとおりである。
 そもそも犯罪の捜査に当たっては、被告らの主張にもあるとおり、広く当該被疑事件に関係すると考えられる事項や公訴提起後の公判活動をも視野に入れた当該事件の処理にとって参考となると考えられる事項について、積極的に情報の収集が行われ、その過程で、時として関係者のプライバシーに関わるような事項についても調査が行われ、その調査結果が捜査報告書等の資料にまとめられるという事態があり得ることは、当然のことと考えられるのであり、いわゆる任意捜査の方法で行われるその際の調査等が、調査対象者の私生活の平穏を始めとする権利、利益を違法、不当に侵害するような方法で行われるのでない限り、このような捜査活動自体がその調査等の対象者に対する関係で直ちに違法とされるものでないことは、いうまでもないところというべきである。
 もっとも、このような調査等によって得られた対象者のプライバシーに関わるような情報が、その必要もないのにみだりに公にされるという事態が生じた場合には、これが違法なプライバシーの侵害行為と評価されることがあり得ることは当然のことというべきである。しかし、本来的に密行性を有する手続である刑事事件の捜査手続において行われる右のような事項に関する調査等の結果については、公務員たる捜査関係者には守秘義務が課されていることなどからしても、それが公にされるという事態は、それが裁判手続に証拠として提出されるという場合を除いては原則として考えられないのであり、しかも、当該調査結果等を裁判の証拠として提出するか否かは、当該事件の公判等を担当する検察官が、公訴の維持という公益上の観点からするその提出の必要性とこれを証拠として提出することが関係者のプライバシーにもたらすこととなる影響等を慎重に対比、検討した上で決定すべきこととされているのであるから、公益上の必要もないのに、みだりにその内容が裁判の証拠として提出され、それが公にされるという事態は、原則的に生じないような制度が確保されているものと考えられるところである。したがって、捜査担当者が、関係者のプライバシーに関するような事項について調査を行い、その調査結果を捜査報告書等の書面に作成するという行為自体は、本件におけるように、それがおよそ調査対象者の私生活の平穏を始めとする権利、利益を違法、不当に侵害するといったおそれのない方法によって行われるものである限り、それが調査対象者のプライバシーを違法、不当に侵害するものとして、直ちにその職務上の義務に違反する違法な行為とされるということも、原則としてあり得ないところというべきである。
 なお、本件にあっては、乙山らによる本件傷害事件に関する捜査として、原告のプライバシーにも関わるようなその所属団体等に関する事項について、どのような理由から調査を行う必要があったのかは、被告らの主張からしても必ずしも明らかではないものとも考えられるところである。しかし、仮にこの点に関する調査が本件傷害事件に対する捜査方法としては本来その必要性の認められないものであったとしても、このことによって、前記のような手段、方法によって行われたにとどまる右の調査行為が、その調査対象者である原告のプライバシーを違法、不当に侵害するものとして、直ちにB警部らの職務上の義務に違反する違法な行為とされるものでないことも、明らかなものというべきである。
 そうすると、B警部による本件捜査報告書の作成行為自体を、原告のプライバシーを違法、不当に侵害する違法な行為に該当するものとすることができないことは明らかなものというべきであり、この点に関するB警部やA警視、さらには戊田検事らの行為自体を違法なものとする原告の主張は、失当なものという以外ない。
 また、本件におけるB警部等による原告の所属団体関係等に関する調査は、確かに、前記引用に係る原判決の認定にもあるとおり、本件傷害事件の被疑者であった乙山の黙秘権の行使を契機として行われたものであることが認められるものの、これが乙山に対して自供を促す目的で行われたものとまで認められないことは、右の原判決の認定、説示にあるとおりであるから、本件捜査報告書の作成行為等が原告の弁護権を侵害するものとして違法とされるべきであるとする原告の主張も理由がないものというべきであり、さらに、右認定に係る事実関係等からして、B警部等の行為が原告の思想、良心等の内心の自由を侵害したものということができないことも明らかなものというべきである。
 したがって、B警部等のこれらの行為が違法であることを前提とする原告の被告東京都及び同北海道に対する各請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないこととなる。
三 甲田副検事の行為の違法性の有無について
 本件傷害事件の一件捜査記録に編綴されていた本件捜査報告書が、その後甲田副検事によって乙山らに対する略式命令請求事件の証拠書類として裁判所に提出されることとなり、その結果、本件傷害事件に関する確定記録の中に保管されて一般の閲覧に供されることとなった本件捜査報告書が、さらにその後、東京地方裁判所民事第五部からの送付嘱託を受けて同裁判所に送付されるに至ったことは、前記引用に係る原判決の認定、説示にあるとおりである。したがって、本件においては、この甲田副検事の本件捜査報告書の裁判所への提出行為が、原告のプライバシーを違法に侵害する不法行為に該当するか否かが問題とされることとなるものというべきである。
 本件において、原告が青年法律家協会に所属しているか否か、あるいは、原告が日本共産党の党員であるか否かということは、本来的に原告の私事に属する事項というべきであり、原告がこれを他に知られたくないと考えることも、一般人の考え方として不合理なものとはいえず、また、これらの点に関する事実が既に一般人の知るところとなっていたり、これらの事実について原告がプライバシーを放棄するに至っていたものとまでは認められず、したがって、本件記載事項に指摘された事実は、原告にとって、法的に保護された利益としてのプライバシーに属するものと考えられることは、原判決がその「事実」欄の「第四争点に対する判断」の二の3の(二)の項(原判決八五頁四行目から同九三頁一一行目まで)において認定、説示するとおりである。
 このような原告のプライバシーに属する本件記載事項をその内容に含む本件捜査報告書を裁判のための証拠資料として提出するに当たっては、このようにして提出された書類が、事件の終結後は訴訟記録として原則として何人においてもこれを閲覧することができるものとなることからして、本件傷害事件に関する公訴の維持、適正な裁判の実現のためにその提出が必要とされるという公益上の必要が要求されるものというべきである。ところが、甲田副検事は、本件傷害事件について乙山らを傷害罪で起訴するに当たって、略式命令を請求する際の証拠資料として本件捜査報告書を裁判所に提出したものであることは前記のとおりである。しかしながら、乙山らが、本件傷害事件に関する犯罪事実を認め、略式手続によって罰金刑を課されることにも異議のない旨を申述していたこととなる右の手続において、前記のような内容からなる本件捜査報告書をその裁判のための証拠資料として裁判所に提出するまでの必要は、特段の事情のない限り、通常は認められないものというべきであり、本件において、そのような特段の事情があったものとすることも困難なものというべきである。もっとも、この点について、被告らは、本件捜査報告書が、乙山の自白の任意性や信用性を裏付ける資料として、同人について略式命令をすることが相当であることを立証する証拠に該当するから、これを裁判所に提出する必要があったものと主張する。しかし、右の略式命令が請求された時点において、乙山の捜査官に対する自白の任意性や信用性について特段の疑義等を抱かせるような節があったこともうかがえない本件において、乙山の弁護を担当していた原告の所属団体等に関する事項であって、右の乙山の自白の任意性等と直接関係するものとはいえないような事項を内容とする本件捜査報告書が、右のような意味で裁判所に提出することを必要とする資料に該当するものであったとする被告らの主張は、当を得ないものという以外にない。
 そうすると、公訴の維持のために検察官がどのような証拠資料を裁判所に提出するかについては、当該検察官に広い裁量が認められるべきであることを考慮しても、なお、本件において甲田副検事が本件捜査報告書を裁判所に証拠資料として提出したことについては、軽率であったとのそしりを免れないものというべきであり、その結果、前記のとおり、本件捜査報告書が何人においてもこれを閲覧できるという状態に置かれることとなり、原告のプライバシーが侵害されるという結果が生じた以上、甲田副検事の右の行為は、職務上の義務に違背した違法行為とされることとなるものというべきである。
 したがって、被告国は、その主張する刑事確定訴訟記録を第三者の閲覧に供すべきものとしている法の趣旨等の論点について判断するまでもなく、右の甲田副検事の違法行為を理由とする国家賠償責任を免れないものというべきこととなる。
四 被告国の消滅時効の主張について
 本件において、原告が本件記載事項の記載された本件捜査報告書の存在を知ったのが平成三年三月一五日ころになってからであるとする原告本人の供述について、その信用性を覆すに足りるだけの資料等はなく、したがって、原告が右の平成三年三月一五日から三年以内に被告国に対する催告を行った上、その後六か月以内の平成六年九月五日に被告国に対する本件訴えを提起している以上、原告の被告国に対する損害賠償請求権が時効によって消滅するに至っているものとすることができないことは、原判決がその「事実」欄の「第四 争点に対する判断の一の項(原判決六四頁一一行目から同六九頁七行目まで。ただし、被告国に関する認定、説示部分に限る。)において認定、説示するとおりである。
 したがって、被告国の消滅時効の主張は理由がない。
五 原告の損害について
 右に認定、説示したような本件に関する事実関係に加えて、そこに記載されている原告の所属団体等に関する事項が、それ自体で直ちに社会的に不名誉な事項等と目されるような類のものではないという本件記載事項の内容、性質等、さらにはまた、本件捜査報告書が本件傷害事件の刑事確定訴訟記録の一内容を構成する書類として閲覧に供されることとなるにとどまるものであることからして、本件記載事項の内容を知り得ることとなる者の範囲も自ずから限定されたものとなることなどの諸事情をも勘案すると、本件において原告のプライバシーが侵害されたことによって原告が被った精神的損害に対する慰謝料の額としては、一〇万円をもって相当とすべきであり、また、原告の本訴の提起及び追行のために必要な弁護士費用に相当する損害としては、二万円を認めるのが相当なものというべきである。
第四 結論
 よって、以上の判断に従って原判決を変更することとし、主文のとおり判決する。

東京高等裁判所第15民事部
 裁判長裁判官 涌井紀夫
 裁判官 合田かつ子
 裁判官 宇田川基
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