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【事件名】中古のゲームソフト販売事件B(アクト)
【年月日】平成11年10月7日
 大阪地裁 平成10年(ワ)第6979号 著作権民事訴訟事件(第一事件)
 /平成10年(ワ)第9774号 著作権侵害行為差止請求事件(第二事件)
 (平成11年7月15日 口頭弁論終結)

判決
原告(第一、第二事件) 株式会社カプコン
右代表者代表取締役 【A】
原告(同) コナミ株式会社
右代表者代表取締役 【B】
原告(同) 株式会社スクウェア
右代表者代表取締役 【C】
原告(同) 株式会社ナムコ
右代表者代表取締役 【D】
原告(同) 株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント
右代表者代表取締役 【E】
原告(同) 株式会社セガ・エンタープライゼス
右代表者代表取締役 【F】
右原告ら六名訴訟代理人弁護士 松村信夫
同 島村和行
同 村本武志
同 田中千博
同 岩井泉
同 近藤剛史
同 和田宏徳
同 前田哲男
同 小岩井雅行
右原告 株式会社カプコン、同コナミ株式会社、同株式会社スクウェア、同株式会社ナムコ訴訟代理人弁護士
同 宮下佳之
同 吉能平
同(第二事件のみ) 斎藤浩貴
同(同) 松葉栄治
被告(第一事件) 株式会社アクト
右代表者代表取締役 【G】
被告(第二事件) 株式会社ライズ
右代表者代表取締役 【H】
右被告ら両名訴訟代理人弁護士 椙山敬士
同 藤田康幸
同 小川憲久
同 吉田正夫
同 藤本英介
同 中野通明
同 小倉秀夫
同 杉浦幸彦
同 岡村久道
同 木村圭二郎
同 北岡弘章
同 錦徹
同 神頭正光
同 志村新
同 濱田広道
同 鈴木誠
同 大土弘
同 岩崎晃
同 権藤龍光
同 追川道代


主文
一 被告らは、別紙ゲームソフト目録一ないし六記載の各家庭用テレビゲーム機用ソフトウェアの複製物の中古品を頒布してはならない。
二 被告らは、その保有する前項記載の各家庭用テレビゲーム機用ソフトウェアの複製物の中古品を廃棄せよ。
三 訴訟費用は被告らの負担とする。

事実及び理由
第一 請求
 主文同旨
第二 事案の概要等
一 事案の概要
 本件は、家庭用テレビゲーム機用ソフトウェア(以下「ゲームソフト」という。)のメーカーである原告らが、ゲームソフトの中古品を販売している被告らに対し、後記各ゲームソフトは映画の著作物に該当し、原告らの許諾を得ずにこれらの中古品を販売する行為は、原告らが有する頒布権を侵害するとして、右各ゲームソフトの中古品(外観上、ユーザーにおいていったん遊技等の使用に供したと判断されるゲームソフトの複製物をいい、外観上パッケージが開封されているものを含む。)の販売の差止め及び廃棄を求めた事案である。
二 前提となる事実(当事者間に争いがないか、後掲各証拠及び弁論の全趣旨より明らかな事実)
1 当事者
(一) 原告らは、いずれも、ゲームソフトの開発、製造及び販売を目的とする株式会社である。
(二) 被告株式会社アクト(以下「被告アクト」という。)は、ゲームソフトの中古販売のフランチャイズチェーンの運営、育成を業とする株式会社であり、新品のゲームソフトのほか、いったん一般消費者に譲渡され、遊技に供されたゲームソフト(以下「中古ソフト」という。)を買い入れて中古品として一般公衆に販売するという営業形態のフランチャイズチェーンの運営、育成を行っている。
(三) 被告株式会社ライズ(以下「被告ライズ」という。)は、被告アクトのフランチャイジーであり、大阪府茨木市において、「わんぱくこぞう茨木店」の名称でゲームソフトの中古販売業を営んでいる。
2 原告らの著作権
 原告らは、それぞれ別紙ゲームソフト目録一ないし六記載のゲームソフト(以下、別紙ゲームソフト目録一ないし六記載のゲームソフトを、それぞれ同目録の番号に従い「本件ゲームソフト一」などといい、これらを併せて「本件各ゲームソフト」という。)を製作し、これらをCDーROMに収録して販売している。原告株式会社カプコンは本件ゲームソフト一の、原告コナミ株式会社は本件ゲームソフト二の、原告株式会社スクウェアは本件ゲームソフト三の、原告株式会社ナムコは本件ゲームソフト四の、原告株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメントは本件ゲームソフト五の、原告株式会社セガ・エンタープライゼスは本件ゲームソフト六の、各著作権者である。(検甲一ないし六(各枝番を含む。以下同じ)、弁論の全趣旨)
3 本件各ゲームソフトの内容等
(一) 本件ゲームソフト一ないし五は、いずれも原告株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメントが製造、販売する家庭用テレビゲーム機「Play Station(プレイステーション)」用のゲームソフトであり、本件ゲームソフト六は、原告株式会社セガ・エンタープライゼスが製造、販売する家庭用テレビゲーム機「SEGASATURN(セガサターン)」用のゲームソフトである。
(二) 右各テレビゲーム機は、本体とこれに接続されるコントローラからなり、テレビ受像器のAV入力端子と本体をケーブルで接続し、本体に専用のゲームソフトが収録されたCDーROMを装填して使用するものであり、プレイヤーがコントローラに配置されたボタン等を操作することにより、CDーROMに収録されたプログラムに基づいて影像データ及び音声データが出力されて、テレビ受像器の画面に動画影像等が表示されるとともに、スピーカーから音声が発せられる。
 本件各ゲームソフトを使用する場合に、テレビ受像器に表示される動画影像及びスピーカーから発せられる音声は、ゲームの進行に伴ってプレイヤーにより操作されるコントローラーのボタン等の操作内容によって変化し、各プレイごとにその具体的内容は異なる。
(三) 本件各ゲームソフトのゲームの内容は、次のとおりである。
(1) 本件ゲームソフト一は、兵器製造会社であるアンブレラが製造したTウィルスによって汚染されたラクーン・シティに、ラクーン市警の警察官として赴任してきたレオンと、ラクーン市警に所属していたが音信が途絶えた兄クリスを捜しにやって来たクレアとが、Tウィルスによるゾンビや新たに開発されたGウイルスによる生命体等と戦いながら、ラクーン・シティを脱出するまでのストーリーからなる、いわゆるロールプレイングゲームである。
(2) 本件ゲームソフト二は、不思議な三体のロボットのツインビー、ウィンビー、グインビーと、それぞれのパイロットである三人の子供たちにより平和が守られてきた「どんぶり島」の危機に対して、現実世界からメローラ姫に呼び出されたプレイヤー(ゲームの主人公)が、ツインビーたちを操作し、島の危機を救っていくというロールプレイングゲームである。
(3) 本件ゲームソフト三は、ニューヨーク市内を舞台にした六日間の惨劇を題材にしたもので、ニューヨーク市警一七分署の新人刑事であるアヤが、クリスマス・イブの夜にカーネギーホールで遭遇した発火事件を発端として、イブと名乗る敵を追い、モンスター等と戦いながら、事件の真相を解明していくロールプレイングゲームである。
(4) 本件ゲームソフト四は、三島財閥の首領である三島平八が謎の生命体「闘神」をおびき出すために最強の格闘家を決める大会を催すという背景ストーリーの設定の下に、様々な格闘技を身につけたキャラクターたちが戦う対戦格闘型ゲーム(アクションゲーム)である。
(5) 本件ゲームソフト五は、プレイヤーが、ゲームの中で将来のプロレーサーを夢見るアマチュア・レーサーとなり、各種のレースに参戦することで、賞金を得て、より性能の良い車に買い換えるなどのレーサーの人生を擬似体験するというストーリー設定の下で、レース・ドライビングを楽しむレーシングゲームである。
(6) 本件ゲームソフト六は、ワールドカップ・フランス大会に出場して、ワールドカップ優勝を目指すというストーリー設定の下にサッカー・ゲームを楽しむゲームである。
 (以上、甲八、検甲一ないし六)
4 被告ライズは、フランチャイザーである被告アクトの指導の下に、前記場所において、前記名称を用いてゲームソフト販売店を開設して営業しているが、右店舗では、本件各ゲームソフトを含むゲームソフトの中古ソフトを一般公衆に対して販売している。
三 争点
1 本件各ゲームソフトは、著作権法にいう「映画の著作物」に該当するか。
2 本件各ゲームソフトは、「頒布権のある」映画の著作物に該当するか。
3 映画の著作物に認められる頒布権は、第一譲渡によって消尽する等の限界があるか。
四 争点に関する当事者の主張
1 争点1(映画の著作物性)について
【原告らの主張】
(一) 本件各ゲームソフトは、いずれも、人間の精神的活動の所産であり、思想又は感情を創作的に表現したものである。また、本件各ゲームソフトは、影像をディスプレイ上に映し出し、登場人物(キャラクター)が動きをもって表現されており、音楽についても、影像と一体になって表現されている。このように、本件各ゲームソフトは、映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現されたものである。
(二) 本件各ゲームソフトは、製作者の意図どおりの有限数の影像がCDーROMに固定されているものであって、他の著作物との区別の点で何ら問題がなく、固定性の要件を満たす。
(三) したがって、本件各ゲームソフトは、「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され、かつ、物に固定されている著作物」であるから、著作権法二条三項にいう「映画の著作物」に該当し、原告らの許諾を得ずに本件各ゲームソフトの中古ソフトを販売することは、原告らの映画の著作物に関する頒布権(同法二六条一項)を侵害する。
【被告らの主張】
(一) 映画の著作物に該当するためには、「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法」により「思想又は感情」が表現されていなければならない。したがって、連続して動いているように見える虚像及びこれにシンクロナイズして右虚像から発せられているように聞こえる音声(以下、これらを併せて「連続影像」という。)によって、「思想又は感情」が視聴者に伝達されなければならない。逆にいえば、「思想又は感情」を視聴者に伝達できる連続影像のみが「映画の著作物」となり得る。
 映画を製作するに当たっては、あらかじめ短時間の連続影像を多数製作しておき、これらを取捨選択し、適宜組み合わせるという編集作業を経て、一本の映画が製作されるものであり、一本の映画は、実際に映画に組み込まれた連続影像群の編集著作物ないし集合著作物となるのではない。また、個々の連続影像の形成に創作的に関与した者の共同著作物ないし共有著作物になるものでもない。一本の映画全体の形成に創作的に寄与した者たちのみが、「映画の著作物」の著作者となるのであり、とりわけ編集作業を主導する立場にある監督ないしプロデューサーが著作者として重視されている(著作権法一六条参照)。したがって、「映画の著作物」により表現される「思想又は感情」とは、「一本の映画全体を貫く思想又は感情」をいうのであり、当該著作物全体を貫く思想又は感情を視聴者に伝達しない連続影像は、映画の著作物とはいえない。
 ゲームソフトは、プレイごとに出現する連続影像が異なるから、右に述べたような思想又は感情を視聴者に伝達できる連続影像を有さず、映画の著作物には当たらない。
(二) 映画の著作物の要件である「物に固定されている」とは、著作物が何らかの方法により物と結びつくことにより、同一性を保ちながら存続し、かつ、著作物を再現することが可能な状態をいう。すなわち、ある特定の有体物を媒介とすることによって、特定の表現を再生できる状態をいう(例えば、映画フィルムを再生機にかければ常に同じ連続影像が再現されるが、このような状態を指す。)。
 映画の著作物において「物に固定」されるべきものは、映画の著作物の構成要素ないし原著作物群ではなく、映画の著作物たる表現そのもの、すなわち著作者の思想又は感情を創作的に表現した連続影像群である。これは、映画の著作物においては、カットとモンタージュに代表される編集行為が最も重視されていることからも明らかであり、素材としての短い連続影像が共通していても、その選択、組み合わせ、順番が異なれば、もはや別の著作物であるというべきである。
 コンピュータ・ゲームに代表されるインタラクティブな表現物では、どの影像が、どのような組み合わせで、どの順番でモニター等に映し出されるかは、プレイヤーの操作(及び乱数を利用したパラメータ)によって変化するから、特定の連続影像群を、特定の組み合わせで、特定の順番で映写幕等に映し出すことは事実上不可能である。したがって、ゲームソフトは、「物に固定」されているとはいえないから、映画の著作物には当たらない。
(三) これまでビデオゲームについて映画の著作物性を認めた下級審裁判例があるが、違法複製等の事案であって、本件とは事案の利益状況に著しい差異があり、本件についての先例的な意味はない。さらに、近時の最高裁判決(平成八年一〇月一四日)は、「映像を撮影収録した本件フィルムがNGフィルム選別、シナリオに従った粗編集、細編集、音づけ等の映画製作過程を経ないまま未編集の状態で現在に及んでいる」以上、「本件フィルムに関する限り著作物と認めるに足りる映画は未だ存在しないものというべきである。」と判示した東京高裁の判決を支持して上告を棄却した。コンピュータ・ゲームの画面は、プレイのたびにプレイヤーの選択によって影像が変化し、一貫した流れをもった影像が当初から提供されるわけではなく、ゲーム製作者は一種の素材としての影像の提供を行っているものであり、未編集フィルムが存在している状況と類似するから、右最高裁判決に従えば、映画の著作物たり得ないものである。動画イコール映画という考えは、もはや成り立たない。
【原告らの反論】
(一) 「映画の著作物により表現される思想又は感情とは、一本の映画全体を貫く思想又は感情をいう」との解釈は、被告らの独自の所論であって、従前の判例、学説の解釈と相容れないものである。
(二) 固定性は、原則として著作物性の要件ではない(著作権法一七条二項)が、映画の著作物の関係で要件になっている(同法二条三項)ものであり、その趣旨も次のとおり限定されたものにすぎない。
 すなわち、映画の著作物の要件として固定性が定められたのは、文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約(以下「ベルヌ条約」という。)二条(2)において「著作物が物に固定されていない限り保護されないことを定める権能は、同盟国の立法に留保される」とされたことを受けて、テレビ画面の取扱いと関連して設けられたものである。ベルヌ条約に定められている固定性の要件の意義は、著作物を確認し、他人の提供したものとの混同を避けるためのものである。我が国の著作権法の映画の著作物に関する固定性の要件は、ベルヌ条約の右規定を受けて、生放送番組等を映画の著作物として保護しないとの趣旨で設けられているにすぎない。
 実質的にみても、同一の媒体(物)に複数のストーリーが固定されており、いずれかのストーリーを選択することが予定されている映画の著作物は、ゲームソフト以外にも、DVD(デジタル・ビデオディスク)等の媒体を用いたものが存するのであって、これらを映画の著作物と認めないことは、結論として不相当であることが明らかである。被告らの主張は、映画の著作物の現状にも合致しない。
(三) 被告らが引用する最高裁平成八年一〇月一四日判決は、劇場用アニメーション映画と同様の内容を備えた本件各ゲームソフトとは全く事案を異にするものである。本件各ゲームソフトは、劇場用映画と極めて類似した製作過程により編集されて媒体上に固定された有限通りの影像を、プレイヤーの操作によってプレイさせることこそが、まさに予定された内容であり、右判決との対比でいえば、編集済みの著作物である。
2 争点2(頒布権の有無)について
【被告らの主張】
(一) 著作権法において、映画の著作物のみが頒布権を有するという例外的な取扱いが認められたのは、映画の著作物の特殊性、とりわけその配給制度の保護要請が認められた結果であって、併せてベルヌ条約の履行義務の実現とが重なったものである。
 すなわち、映画の著作物に頒布権を導入した昭和四五年当時、映画会社は興行収入を見越して上映館を戦略的に決定できるような配給制度を利用しており、映画製作会社は、上映用のプリント・フィルムを映画館経営者に貸し渡すにとどめて、上映期間が終われば、貸し渡したプリント・フィルムを映画製作会社に返却させたり、映画製作会社の指示の下に、次の映画館へ引き継がせたりすることにより、映画を配給していた。このような慣行を前提として、映画の著作物の頒布権が導入されたのである。
 著作権法が映画の著作物にのみ頒布権を認めた理由を合理的に説明しようとすれば、映画の著作物が、著作権法制定当時の一般的取引実態からして、劇場において上映されるものであり、一個の複製物でも一時に多数の需要を満たすことができたことから、上映権を予防的に保護するために、複製物(映画フィルム)の流通をコントロールしようとしたものであると説明するしかない。
(二) したがって、映画の著作物の頒布権の対象は、劇場用映画の配給を内容とするフィルムの頒布のみに限定して解釈すべきである。上映による収益を予定している劇場用映画については、流通を支配できる頒布権を著作権者に付与することに合理性があるが、複製物が多数製造販売され、公衆への譲渡が予定されているものにまで頒布権を認めることは、他の著作物との均衡からも合理性を欠き、立法趣旨やその必要性等の点からも不適当というべきである。著作物に連続影像性があることだけをもって、著作物の流通を妨げたり、市場をコントロールすることが可能となる強力な頒布権を認めることはできない。ゲームソフトが映画の著作物であるとしても、「頒布権のある映画の著作物」には該当しないものというべきである。
【原告らの主張】
(一) 著作権法は、劇場用映画とその他の「映画の著作物」とを区別することなく、映画の著作物には何らの例外なく頒布権を認めているから(二六条)、劇場用映画についてのみ頒布権が認められる等の解釈が成立する余地はない。
 また、著作権法は、「頒布」の概念について、「複製物を公衆に譲渡し、又は貸与すること」(二条一項一九号前段)をいうと規定するとともに、特に、映画の著作物又は映画の著作物において複製されている著作物については、「これらの著作物を公衆に提示することを目的として当該映画の著作物の複製物を譲渡し、又は貸与することを含むものとする」(同号後段)と定めている。劇場用映画の配給制度は、本来後段の規定の対象となる行為であるから、前段の概念を含む著作権法の頒布権が、劇場用映画の配給制度のみを保護するものと解釈することはできない。著作権法は、転々流通することが予定されている劇場用映画以外の映画の著作物(ビデオソフトやゲームソフト等)についても頒布権の対象とすることを当然の前提としている。
(二) 現行著作権法の制定過程から見ても、製作目的や利用方法によって映画の著作物の概念を画する方法は、立法の過程において排除されたものである。著作権法は、劇場その他における一般公開を目的として製作されているか否かを問わず、視覚的又は視聴覚的効果の点で映画と類似するか否かという観点から、「映画の著作物」に当たるか否かを決した上で、これが肯定される著作物に対しては、一律に上映権及び頒布権を付与したものである。
(三) 確かに、我が国では、著作権法に映画の著作物の頒布権が導入される以前から、劇場用映画に関して配給制度が慣行として存在していたが、頒布権導入の機縁となったベルヌ条約一四条(1)及び一四条の二(1)は、もともとこのような我が国の配給制度の慣行とは無関係に定められたものであり、我が国の頒布権が、劇場用映画の配給制度にのみ根拠を置くかのような解釈は誤りである。劇場用映画の配給制度に関しても、それがアプリオリに保護されるものではなく、その背景としては、通常多額の製作費を要する映画の著作物については、著作権者がその製作費を回収するために、いかなる方法でいかなる時期に流通に置くかを決定できる機会を保障する必要があるのであり、この点は、映画と同様に多額の製作費を要するゲームソフトについても同様にあてはまる。
(四) ゲームソフトは、極めて多数の者が組織的に協力をし合い、その創作活動を集約することによって、総合芸術として一つの作品が完成されるものであり、その製作に携わる者の間における役割分担等の状況も、劇場用映画の製作過程とほとんど同様である。また、その製作に要する期間及び製作費の水準も、劇場用映画を凌駕しているほどである。したがって、ゲームソフトの製作過程等の観点からも、ゲームソフトと劇場用映画を区別する合理的理由を見出すことはできない。
 また、ゲームソフトは、デジタル方式によってCDーROM等の媒体に固定されており、繰り返し使用された中古ソフトであっても劣化がなく、新商品と同様にゲームを楽しむことができるから、新商品と中古ソフトは市場が競合し、また、中古ソフトの買入と販売の反復行為が貸与類似の効果を生じることから、著作権者は十分な資金回収の機会を奪われている。
【被告らの反論】
 ゲームソフトについて、媒体としてのCDーROMが劣化しないということはなく、他の著作物と比較して異なることはない。
 また、投下資本の回収が保障されている商品などないばかりか、開発に多大な費用を要することが多いプログラム等について頒布権が認められていないことからすれば、頒布権が与えられる実質的根拠が多大な投下資本の回収にあるということはできない。著作権法が映画の著作物に限って頒布権を認めたのは、映画館等の劇場において多数の公衆が同時に映画を鑑賞するという映画の一般的利用形態及びこれを前提とする映画の流通形態(すなわち配給制度)に特殊性を認めたからであって、映画の製作過程に特殊性を認めたからではないから、ゲームソフトの製作過程が劇場用映画と類似するとしても、そのことをもって、頒布権を認める根拠とはならない。なお、実際には、本件各ゲームソフトについて、原告らは投下資本の回収を果たして、十分な利益を上げている。
3 争点3(消尽等)について
【被告らの主張】
(一) ベルヌ条約は、映画の著作物に関してのみ頒布権を認めている(一四条、一四条の二)が、頒布権は最初の公衆への頒布行為にのみ適用されるのであり、いったん頒布された後の再頒布には及ばない。ベルヌ条約の正文は、英文と仏文の両方が存するが、解釈に疑義があるときは仏文の正文によるとされているところ、ベルヌ条約が映画の著作物について認めた頒布権は、仏文では「mise en circulation」(流通に置くこと)となっていることからみても、右頒布権は最初の公衆への頒布行為のみに適用されることが明らかである。
 また、ベルヌ条約上の映画の頒布権は、上映を目的としない映画の複製物の頒布には及ばない。すなわち、WIPO(世界知的所有権機関)が一九七八年に発行したベルヌ条約の逐条解説では、ベルヌ条約一四条及び一四条の二に関し、上映目的でない映画の頒布はそもそも同条項の予定する範囲にないことを明らかにしている。
 我が国の著作権法は、ベルヌ条約を前提に、条約上の義務として映画の著作物に関する頒布権を認めているのであるから、右頒布権は、特段の事情のない限り、ベルヌ条約上の映画に関する頒布権と同様、第一頒布に限定され、再頒布には及ばないと解すべきであり、また、上映を目的としない提供には頒布権が及ばないと解すべきである。
(二) 一九九六年一二月に成立したWIPO著作権条約六条(1)では、著作物に一般的頒布権を認めているが、国内及びEUなどの域内における第一頒布によって国内や域内で頒布権が消尽すること(国内消尽)が最低限の前提となっている。
(三) 著作者の権利として頒布権を認めている諸外国では、頒布の意味を限定したり、第一譲渡等で頒布権は消尽するとの法原理(消尽理論やファーストセールドクトリン)を認めている。
(四) 特許製品が少なくとも国内消尽することは、古くから判例により広く承認されている。著作物の複製物の譲渡は、有体物の譲渡という点では特許製品の譲渡と何ら変わるところがない。したがって、著作物の複製物の譲受人は、著作物の複製物という有体物を再譲渡することをも含め有体物に関する利用処分権限を取得するのであり、このことは一般社会の当事者間の共通の認識、期待にも合致する。譲渡の対象物が、たまたま著作権の対象となろうが、特許権の対象となろうが、右のような共通の認識、期待に差異はない。明文の規定こそないものの、消尽理論は、知的財産権法上、既に最高裁判例(最高裁判所平成九年七月一日判決・民集五一巻六号二二九九頁参照)によって確立された法理論である。著作権に消尽理論が及ばないとか、著作権に消尽理論の例外を認めるべきとする理由は何ら存しない。
(四)(ママ) なお、被告らは、貸与権が消尽すると主張するものではない。本件では、貸与権は問題になっていない。昭和五九年に著作権法の改正によって貸与権が立法的に創設されるまで、著作物の複製物の公衆への貸与は自由であり、著作権侵害ではなかった。貸与権が消尽しないのは、貸与権を消尽させない前提で(消尽の例外として)立法がされたからにすぎない。このような例外的な修正規定である貸与権の規定を根拠にして、著作物の複製物の消尽という根本原理を論じるのは本末転倒である。
(五) 以上のとおり、ベルヌ条約、WIPO著作権条約、世界各国の法制等からして、頒布権の国内消尽を認めるのが国際的常識ないしグローバル・スタンダードであり、また、我が国の特許法の消尽理論は著作権法にも妥当するものであるから、映画の著作物の頒布権は、いったん適法に複製された複製物が適法に譲渡された場合には、以後、当該複製物に関する限り及ばないものと解すべきである。
 本件各ゲームソフトの中古ソフトは、適法に複製されたゲームソフトの複製物がいったん適法に頒布されて流通に置かれた後のものであり、上映目的で販売されるものでもないから、被告らが行う本件各ゲームソフトの中古ソフトの譲渡に原告らの頒布権は及ばない。
【原告らの主張】
(一) 著作権法二六条一項により認められる映画の著作物についての頒布権は、著作者又はその許諾を受けた者が複製物を譲渡した後にも、その複製物のその後の頒布(公衆に対する譲渡又は貸与)に及び、消尽しない権利である。このことは、次のとおり、著作権法の条文上の構造から明らかである。
(1) 著作権法は、譲渡と貸与を区別することなく、両者を一括して「頒布」という上位概念を設定し、この上位概念をもって頒布権の内容を規定している(二条一項一九号)。したがって、複製物の譲渡と貸与のうちの一方については消尽するが、他方については消尽しないと解釈する余地はない。また、著作物一般の貸与権を定めた著作権法二六条の二の規定は、映画の著作物についての適用を明文で排除しているから、映画の著作物の第一譲渡後の貸与について、別途貸与権に関する規定が適用される余地はない。仮に頒布権が第一譲渡により消尽するとすれば、頒布権に包含される貸与権についても消尽すると解釈せざるを得ないから、当該複製物の譲受人がこれをレンタル業務に自由に利用できるという非常識かつ現実離れした結論となる。
(2) 著作権法は、著作物一般について、著作者の許諾なく作成された複製物を情を知って公衆に譲渡する行為について著作権侵害とみなす旨を規定し(一一三条一項二号)、映画の著作物にのみ頒布権を与えている(二六条)。すなわち、映画の著作物についてのみ、著作権を侵害する行為によって作成されたものであるか否かを問わずに複製物により頒布する権利を著作権者に専有させているのであるから、頒布権について消尽論を適用する余地はない。
(3) 平成一一年六月に成立した著作権法の一部を改正する法律(同年法律第七七号)により、映画の著作物以外の著作物について譲渡権の規定が新設されるとともに、この譲渡権は、譲渡権を有する者により譲渡された複製物等には適用されないことが明文で定められた(改正後の著作権法二六条の二)。しかし、右規定も映画の著作物については明文で適用が除外されているのであって、これは、立法者に、映画の著作物については譲渡と貸与を包含した消尽しない頒布権を維持するという価値判断があったからである。右改正により、映画の著作物の頒布権が消尽しないものであることが、一層明らかになった。
(二) ベルヌ条約は、本来、条約締結国間における著作者の権利に関する基本準則を定めるものであるが、同盟国が条約に定められた範囲内において、法律又は解釈によって著作権を強化することを否定するものではない。さらに、著作権法五条は、我が国の著作権法の規定がベルヌ条約その他の国際条約上の義務規定と抵触する際には、条約の定めが優先することを定めているにすぎないから、原告ら主張のような解釈を行うことを排除する趣旨ではない。
(三) 被告らは、特許権における消尽理論が著作権にも妥当すると主張するが、著作権は、特許権と異なり、著作物と物が不可分一体の関係になく、著作物と物とは分離して評価及び利用し得ることから、著作物の複製物を譲渡する際に、一般的に先行投資回収の手段が保障されているわけではないなどの差異があり、特許製品と著作物の複製物とを同列に論じることはできない。
第三 当裁判所の判断
一 争点1について
1 著作権法は、著作物を「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」(二条一項一号)と定義するとともに、「映画の著作物」を著作物の例示として挙げている(一〇条一項七号)。「映画の著作物」について、著作権法には、著作者の範囲(一六条)、著作権の帰属(二九条)及び著作権の保護期間(五四条)に関する特則が置かれているほか、その利用に関する権利として、他の著作物一般には認められていない上映権及び頒布権(二六条)を著作権者が専有する旨の規定が置かれている。また、著作権法は、「映画」の概念の定義については、明示的な規定は置いていないが、「映画の著作物」には、「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され、かつ、物に固定されている著作物を含むものとする。」としている(二条三項)。右のとおり、著作権法上の「映画の著作物」には、劇場用映画のような本来的な意味の映画以外のものも含まれるが、著作権法の規定に照らすと、映画の著作物として著作権法上の保護を受けるためには、次の要件を満たす必要があると解される。
(一) 映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現されていること(表現方法の要件)
(二) 物に固定されていること(存在形式の要件)
(三) 著作物であること(内容の要件)
 被告らは、本件各ゲームソフトが映画の著作物であることを争うが、主として右要件のうちの(一)と(二)を争うものである。
2 「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現されていること」について
(一) 前記のとおり、著作権法は「映画」を所与の概念とし、その定義規定を置いていないところ、映画の一般的な意味(例えば、岩波書店「広辞苑」第五版では「長いフィルム上に連続して撮影した多数の静止画を、映写機で急速に(一秒間一五こま以上、普通は二四こま)順次投影し、眼の残像現象を利用して動きのある画像として見せるもの」としている。)や、本来的な意味の映画であることが明らかな劇場用映画の表現方法のほか、著作権法が映画の著作物の「上映」について、「著作物を映写幕その他の物に映写することをいい、これに伴って映画の著作物において固定されている音を再生することを含むものとする。」と定義していること(二条一項一八号)を考え併せると、「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され」ているとは、右に述べた「映画」と同様の視覚的又は視聴覚的効果を生じさせるもの、すなわち、多数の静止画像を映写幕、ブラウン管、液晶画面その他の物に急速に連続して順次投影して、眼の残像現象を利用して、「映画」と類似した、動きのある影像として見せるという視覚的効果、又は右に加えて影像に音声をシンクロナイズさせるという視聴覚的効果をもって表現されている表現物をいうものと解するのが相当である。
(二) 被告らは、映画の著作物に該当するためには、「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法」により「思想又は感情」が表現されていなければならないところ、「映画の著作物」により表現される「思想又は感情」とは、「一本の映画全体を貫く思想又は感情」をいい、当該著作物全体を貫く思想又は感情を視聴者に伝達しない連続影像は映画の著作物とはいえないのであり、ゲームソフトはプレイごとに出現する連続影像が異なるから、右のような意味での連続影像を有さず、映画の著作物には当たらない旨主張する。
 なるほど、「映画の著作物」に該当するためには、「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法」により「思想又は感情」が表現されていなければならないが、「映画の著作物」といえるための表現方法の要件としての「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され」ていることというのは、その規定の文言から見て、「映画の効果」としてその視覚的又は視聴覚的側面を捉えたものと解するのが自然であり、「映画の著作物」たり得るための表現方法の要件としては、被告らの主張のような意味での連続影像を有しなければならないと解すべき根拠はない。「思想又は感情」が一本の映画全体を貫く思想又は感情をいうとの被告らの所論は、表現方法の要件というよりは、むしろ、著作物性の要件に関わる問題というべきであるから、後記4で検討する。
 確かに、劇場用映画においては、カメラワークの工夫、モンタージュやカット等の手法、フィルム編集等の知的な活動を通じて、その構図等において創作的工夫に係る影像を作成し、これを選択して一定の順序で組み合わせ、音声をシンクロナイズすることによって映画フィルムが作成され、これを上映することによって一定の思想又は感情の表現としての連続影像がもたらされるものであり、それ故、映画フィルムの複製物たる複数のプリント・フィルムを多数の映画館において上映することによって、多数の観客に対して、時間的・空間的な隔たりを超えて同一の思想・感情の表現としての同一の視聴覚的効果を与えることが可能である。これに対して、ゲームソフトは、プレイごとにディスプレイ上に具体的に出現する連続影像が異なってくるという違いがある。しかし、後記二の2でも示すとおり、著作権法にいう「映画の著作物」は、本来的な意味での映画である劇場用映画ないし劇場用映画の特質を備えるものに限られるわけではないのであって、劇場用映画に特有な右のような特徴に限定して「映画の著作物」の表現形式上の要件を解釈する必要はない。
(三) 現在我が国で製造、販売されているゲームソフトにも、影像や音声の面での表現内容には種々のものがあるから、当該ゲームソフトが右にいう「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され」た著作物に該当するか否かは、個別具体的に判断すべきものと考えられる。
 そこで、これを本件各ゲームソフトについて検討するに、証拠(検甲一ないし六)によれば、本件各ゲームソフトは、それぞれ、全体が連続的な動画画像からなり、CG(コンピュータ・グラフィックス)を駆使するなどして、動画の影像もリアルな連続的な動きをもったものであり、影像にシンクロナイズされた効果音や背景音楽とも相まって臨場感を高めるなどの工夫がされており、一般の劇場用あるいはテレビ放映用のアニメーション映画に準じるような視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現されているといって差し支えない程度のものであることが認められる。したがって、本件各ゲームソフトは、いずれも、著作権法二条三項にいう「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され」ているものというのに十分である。
3 固定性について
(一) 著作権法は、映画の著作物についてのみ、「物に固定されていること」を要件としている。これは、ベルヌ条約二条(2)の「もっとも、文学的及び美術的著作物の全体又はその一若しくは二以上の種類について、それらの著作物が物に固定されていない限り保護されないことを定める権能は、同盟国の立法に留保される。」との規定に対応するものと考えられる。
 そこで、右の固定性の要件の意義について検討すると、現行著作権法の制定に先立って、昭和三七年から昭和四一年にかけて著作権制度の改正について審議した著作権制度審議会において、映画の著作物について担当した第四小委員会は、主にテレビの生放送番組の取扱いを念頭に置いて映画の著作物の固定性の要件について検討し、昭和四〇年五月、映画的著作物をその効果、すなわち、影像の連続を感得せしめることによって著作物として機能するという効果のみで捉えることは、現段階では問題が多いと考えられるとした上で、「映画的著作物および映画に類似する方法で得た著作物とは、影像または影像および音の固定物であって、それを用いることによって影像の連続が平面的に再現され得るものと考えることとした。」旨の最終報告を発表し、右の報告の趣旨に沿って映画の著作物に固定性の要件を必要とする著作権法案が作成され、これが現行著作権法として成立していること、ベルヌ条約のストックホルム改正会議において、放送用映画の取扱いとともに、映画の著作物について固定性の要件を要求するか否かについての議論があり、結局、前記のとおり、著作物一般について、固定性を要求するか否かは各国の立法に委ねることにされたこと、我が国著作権法において、著作物一般については固定性を要件とせず、映画の著作物についてのみ固定性を要件としていることなどを併せ考えれば、著作権法上の映画の著作物の要件としての固定性は、これを映画の著作物としての性質に関わるものと見るのは相当でなく、むしろ、単に放送用映画の生放送番組の取扱いとの関係で、これを映画の著作物に含ましめないための要件として設けられたものであると考えるべきである。そうすると、右固定性の要件は、生成と同時に消滅していく連続影像を映画の著作物から排除するために機能するものにすぎず、その存在、帰属等が明らかとなる形で何らかの媒体に固定されているものであれば、右固定性の要件を充足すると解するのが相当である。
(二) 被告らは、「物に固定されている」とは、著作物が何らかの方法により物と結びつくことにより、同一性を保ちながら存続し、かつ、著作物すなわち特定の表現(映画の著作物でいえば連続影像群)を再現することが可能な状態をいうと主張する。しかし、ベルヌ条約上は、映画の著作物について固定性を保護の必要条件とはせず、物に固定されていない映画の著作物を保護することは立法的に採用可能であること、前記のとおり、立法過程における審議においては、固定性の要件はもっぱら生放送番組の取扱いとの関連で議論されたものであること、その他、現行著作権法が特に被告らの主張するような意味内容を映画の著作物の固定性の要件に担わせていると解すべき根拠も見当たらないことからすれば、被告らの主張は採用することはできない。
(三) そこで、右の固定性の点を本件各ゲームソフトについてみるに、前記第二の二3の事実によれば、本件各ゲームソフトは、CDーROM中に収録されたプログラムに基づいて抽出された影像についてのデータが、ディスプレイ上の指定された位置に順次表示されることによって、全体として連続した影像となって表現されるものであり、そのデータはいずれもCDーROM中に記憶されているものであるから、右に述べたところの固定性の要件に欠けるところはない。
(四) テレビゲームは、同一のゲームソフトを使用しても、プレイヤーによるコントローラの具体的操作に応じて、画面上に表示される影像の内容や順序は、各回のプレイごとに異なるものとなるから、画面上に表示される具体的な影像の内容及び表示される順序が一定のものとして固定されているわけではない。しかし、これらの影像及びそれに伴う音声の変化は、当該ゲームソフトのプログラムによってあらかじめ設定された範囲のものであるから、常に同一の影像及び音声が連続して現われないことをもって、物に固定されていないということはできない。劇場用映画のように、映画フィルムを再生すれば常に同一の連続影像が再現されるのでなければ、「物に固定されている」とはいえないと解すべきものではない。
4 著作物性について
 本件各ゲームソフトは、それぞれ前記第二の二3(三)のような内容であるが、証拠(検甲一ないし六)によってその具体的内容を検討するに、いずれも著作者の知的精神的創作活動の所産が具体的に表現されたものと認めるに十分であるから、これらの著作物性を肯定することができる。本件各ゲームソフトは、前示のとおり、プレイヤーの各回のプレイごとに具体的に画面に表示される連続影像が異なるものであるが、そもそもテレビゲームは、各プレイごとのプレイヤーの操作によって、具体的に出現する連続影像が同一にならないことを前提として、それ故にこそゲームをプレイできるという性格のものであって、ゲームソフトの著作者は、右のようなプレイヤーの操作による影像の変化の範囲をあらかじめ織り込んだ上で、ゲームのテーマやストーリーを設定し、様々な視覚的ないし視聴覚的効果を駆使して、統一的な作品としてのゲームを製作するものである(本件各ゲームソフトについても同様である。甲四三)。したがって、本件各ゲームソフトを含むゲームソフトは、ゲームソフト自体が著作者の統一的な思想・感情が創作的に表現されたものというべきであり、プレイヤーの操作によって画面上に表示される具体的な影像の内容や順序が異なるといったことは、ゲームソフトに「映画の著作物」としての著作物性を肯定することの妨げにはならないものというべきである。本件各ゲームソフトは、各回のプレイによって現出する連続影像が、被告らが映画の著作物の要件として主張する「一本の映画全体を貫く思想又は感情を視聴者に伝達する連続影像」に相当すると認めるに足るものである。
 また、ゲームソフトの右のような性質からすれば、ゲームソフトは、プレイヤーのプレイを待たずに完成した著作物というべきことが明らかであるから、未編集の映画フィルムと同視して論じることも相当ではない。
5 証拠(甲三六、三七)によれば、最近、インタラクティブ(双方向的)映画と呼ばれる、あらかじめ決まった一連の動画影像ではなく、観客の反応に応じて画面上の動き、表情、筋書き等が変化するという形で、複数用意された影像が選択されてストーリー展開が変化するという形式の劇場用映画が試験的にではあるが現れていることが認められる。右のように、現行著作権法の制定時に観念されていた劇場における映画の上映、あるいは、放送媒体による一方的な送信形態による映画の公衆送信などとは異なる表現形式の著作物が既に出現しているのであり、これらを映画の著作物の概念から除外する合理的な根拠ないし必要性があるとも考えられない。
 したがって、右のような映画の著作物の現状に照らせば、ゲームソフト等のインタラクティブな表現形式を取る著作物について、「映画の著作物」から排除すべき合理的な理由はないというべきである。
6 以上によれば、本件各ゲームソフトは、著作権法上の「映画の著作物」に該当するものというべきである。
二 争点2について
1 著作権法は、「頒布」の意義を、「有償であるか又は無償であるかを問わず、複製物を公衆に譲渡し、又は貸与することをいい、映画の著作物又は映画の著作物において複製されている著作物にあっては、これらの著作物を公衆に提示することを目的として当該映画の著作物の複製物を譲渡し、又は貸与することを含むものとする。」(二条一項一九号)と定義するともに、映画の著作物について、著作権者が頒布権を専有する旨を定めており(二六条一項)、映画の著作物の中で頒布権を認めるものとそうでないものとの区別をしていない。したがって、争点1で判断したとおり、本件各ゲームソフトが映画の著作物に該当する以上は、著作権者である原告らは本件各ゲームソフトについて頒布権を有することになる。
2(一) 被告らは、映画の著作物にのみ頒布権という例外的取扱いが認められたのは、映画の著作物の特殊性、とりわけその配給制度の保護要請が認められた結果であって、これにベルヌ条約の履行義務の実現が重なったものであり、配給制度を前提とする劇場用映画としての特質を有しない表現物は「頒布権のある映画の著作物」には含まれない旨主張する。
(二) 頒布権は、複製物の流通をコントロールできる権利であり、現行著作権法では映画の著作物にのみ認められているものである。そこで、著作権法が映画の著作物について頒布権を認めた趣旨につき検討するに、昭和四五年に成立した現行著作権法の立法経緯について、次の事実が認められる(甲一七)。
 旧著作権法(明治三二年法律第三九号)は、映画著作権の内容として頒布権の規定を置いていなかったが、ベルヌ条約のブラッセル改正規定(一九四八年)では、映画の著作物について頒布権を認めていたことから、条約上の履行義務として、著作権法の改正に当たって映画の著作物に頒布権を認める必要があった。前記著作権制度審議会の審議の過程では、映画の著作物の定義につき、@表現方法における視覚的又は視聴覚的効果が劇場用映画と同種のものを映画の著作物に含めるという考え方、A製作目的や利用方法が劇場用映画と異質のものは映画の著作物から排除するという考え方の二通りが存在した。同審議会の昭和四一年四月の答申ではAの立場を採用し、放送のための技術的手段として放送事業者により作成されるものは含まないものとされており、同年一〇月に公表された文部省文化局試案の「著作権及び隣接権に関する法律草案」では、右答申の趣旨に沿って、劇場用映画とは異なる放送用映画については「映画の著作物」から排除する趣旨で、「映画の著作物」は「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され、かつ物に固定されている著作物を含み、もっぱら放送のための技術的手段として放送事業者によって作成されたものを含まないものとする」と規定されていた。ところが、一九六七年(昭和四二年)に開催されたベルヌ条約のストックホルム改正会議における議論を踏まえて、放送事業者によって製作されたフィルム、ビデオテープ等も映画の著作物として保護され得るように変更され、放送用映画の排除に関する規定部分が削除された形で現行著作権二条三項の規定に改められて著作権法案として国会に提出され、これがそのまま成立するに至った。
(三) 一方、著作権法が映画の著作物について頒布権を導入した当時、社会的事実として、劇場用映画について、映画製作会社や映画配給会社は、映画館経営者に対してプリント・フィルムを貸し渡すにとどめ、上映期間が終了した際には返却させ、あるいは指定する映画館へ引き継がせるといった形態の配給制度が慣行として存在しており、映画の著作物に他の著作物一般には認められていない頒布権が導入されたのは、右のような配給制度の下で取り引きされている劇場用映画のプリント・フィルムについては、流通に大きな影響力を与える頒布権を認めても、取引上の混乱が少ないと考えられたためであると一般に認識されている。
(四) しかし、前記認定の現行著作権法の制定の経緯から明らかなとおり、著作権法は、配給制度とは直接の関係がないと考えられる放送用映画についても映画の著作物に含まれることを予定して成立したものであり、前記の著作権制度審議会においても、配給制度とは直接関連性を有しないと考えられるビデオテープについても頒布権が及ぶものとして議論されていること、また、頒布権の前提となる「頒布」の概念について、著作権法は、配給制度を前提とするものと考えられる「公衆に提示することを目的として当該映画の著作物の複製物を譲渡し、又は貸与すること」のみならず、「有償であるか又は無償であるかを問わず、複製物を公衆に譲渡し、又は貸与すること」をも含む概念として定義している(二条一項一九号)ことなどからすれば、現行著作権法の解釈として、「頒布権のある映画の著作物」の概念を、配給制度という慣行の存在する劇場用映画のみ、あるいは劇場用映画の特質を備えるもののみに限定して解釈することは相当でないといわざるを得ない。
3 劇場用映画について配給制度の慣行が存在するという社会的事実を前提とした上で、著作権法が映画の著作物について頒布権を認めたという事情が存在することは、前記のとおりである。劇場用映画は、オリジナル・フィルムを基にして複製されたプリント・フィルムを映画館において上映し、一度に多数の観客に鑑賞させるという形態で利用されるものであり、個々の複製物が上映による多額の収益を生み出すという意味で高い経済的価値を有し、その流通形態も、多数の複製物が需要者たる公衆に直接販売されるという流通形態をとらず、前記のような配給制度という特殊な流通形態の慣行が行われてきたものである。
 このような配給制度の存在という社会的事実を前提として、著作権法が映画の著作物のみに頒布権を認めた背景には、映画の著作物は、製作に多大な費用、時間及び労力を要する反面、一度視聴されてしまえば視聴者に満足感を与え、同一人が繰り返し視聴することが比較的少ないという特性が考慮されているものと考えられる。すなわち、右のような性質を有する映画の著作物について、投下資本の回収の多様な機会を与えるために、上映権及び頒布権を特に認めて、著作権者が対価を徴収できる制度を構築したものと考えられる。
 現行著作権法の制定当時、テレビゲームは存在していなかったから、映画の著作物にゲームソフトのようなものが入ってくることは、予想されていなかったものである。しかし、制定時以後の技術の進歩、メディアの発展や社会情勢の変化等に対応して、映画の著作物として保護すべき著作物として新しい形態のメディアが現われることも当然のことであるから、立法当初予定されていなかった種類の著作物であるからといって、これを排除すべきものではなく、制度の立法趣旨を踏まえて、著作権法上の映画の著作物としての保護を与えるに適したものか否かを、形式的な要件とともに実質的な側面からも判断すべきである。
 テレビゲームのゲームソフトは、プロデューサー、ディレクター、キャラクター・デザイン担当者、影像担当者、サウンド担当者、プログラマー、シナリオライター等多数の者が組織的に製作に関与し、多額の費用と時間をかけて製作される場合も多く、この点では劇場用映画に類似するものであり、右のような傾向は、ゲーム機の高性能化とも相まって最近では一層顕著になってきており、ゲームの内容も影像・音楽の技術的な進歩による視聴覚的表現方法の向上が著しく、映画との差が小さくなってきている(甲三二)。証拠(甲一二)によれば、本件各ゲームソフトについてみても、その製作に多大な費用(本件各ゲームソフトの宣伝広告費を除いた平均製作費は約九億五〇〇〇万円程度に達する。)、時間及び労力を要したものであることが認められる。また、その反面、ゲームソフトは、視聴者(需要者)に短時間(劇場用映画と比較すればその差はあるが)で満足感を与えるものである点も、劇場用映画と大きく異ならず、殊に人気ゲームソフトでは、新作発表後二ないし三か月で中古品販売数量が新品販売数量を上回ることも少なくないというデータがあることが認められる(甲一二)。そうすると、ゲームソフトについて、その投下資本の回収の多様な機会を与えることには合理性があり、これに対して頒布権を認めることも、劇場用映画と比較すればあながち不合理であるともいえず、少なくとも、映画の著作物に頒布権を認めた立法趣旨に照らして、頒布権のある映画の著作物として保護を受けるに値する実質的な理由がないとはいえない。
4 昭和五九年に貸レコード業等をはじめとする著作物の複製物のレンタル業の発展に対応するため、著作権法の改正により、著作権者に貸与権を認める旨の規定(二六条の二)が設けられた際に、映画の著作物については頒布権があることから貸与権の規定の適用を除外されたが、当時、既に貸ビデオも存在したから、立法者は、ビデオソフトも映画の著作物に入り、映画の著作物の頒布権によって規制できると考えていたことが明らかである。したがって、現行著作権法は、配給制度によらず、多数の複製物が公衆に販売されるようなものも映画の著作物に含まれることを前提としていると解さざるを得ない。その点からみても、ゲームソフトが頒布権のある映画の著作物に含まれると解することに不都合はない。
5 以上のとおりであるから、本件各ゲームソフトが「頒布権のある」映画の著作物に該当しないとの被告らの主張は採用できない。
三 争点3について
1 被告らは、映画の著作物の頒布権は、いったん適法に複製された複製物が適法に譲渡された後は、当該複製物には及ばないものと解すべきであると主張する。
 しかし、もともと、映画の著作物に頒布権が認められた背景には、前記のとおり、劇場用映画についての配給制度という取引慣行があったという面があり、その趣旨からいっても、右頒布権は第一譲渡後も消尽しない権利として一般に解されてきたものであるところ、著作権法の規定からみても、劇場用映画に限らず、映画の著作物の頒布権が第一譲渡によって消尽するとの解釈は採り得ない。
(一) 著作権法は、著作物一般については、頒布権を認めず、著作権を侵害する行為によって作成された物を情を知って頒布する行為を著作権侵害とみなす旨の規定(一一三条一項二号)を設けている。そして、映画の著作物についてのみ、他の著作物一般には認められていない頒布権を認め(二六条一項)、著作権を侵害する行為によって作成された物であるか否かを問わず、映画の著作物をその複製物により頒布する権利を著作権者に専有させている。また、ここにいう「頒布」とは、「有償であるか又は無償であるかを問わず、複製物を公衆に譲渡し、又は貸与することをいい、映画の著作物又は映画の著作物において複製されている著作物にあっては、これらの著作物を公衆に提示することを目的として当該映画の著作物の複製物を譲渡し、又は貸与することを含む」(二条一項一九号)ものとし、頒布権の消尽については何ら規定するところがない。これらの著作権法の規定からすれば、映画の著作物の頒布権が第一譲渡行為に限定されたものであると解することはできず、また、第一譲渡後に頒布権が消尽するとする根拠もない。
(二) 著作権法は、前記のとおり、「頒布」には譲渡と貸与の双方を含むものとしており、映画の著作物について、譲渡と貸与とを区別することなく、著作権者に頒布権を認めているものであるから、第一譲渡後に頒布権が消尽すると解するかどうかに関して、譲渡と貸与とを区別して考えることは、解釈上は困難であるといわざるを得ない。一方、前記のとおり、昭和五九年の著作権法の改正により、著作物一般について著作権者が貸与権を専有する旨の規定(二六条の二)が設けられたが、右貸与権については、これが認められた趣旨からいって、複製物が適法に譲渡された後にあっても行使できることが当然の前提とされているものと解される。そして、著作権法二六条の二の規定は、貸与権の対象となる著作物から映画の著作物を明示的に除外している。右のように、貸与権の規定において映画の著作物が除外されたのは、映画の著作物には貸与を含む頒布権が認められており、改めて貸与権を定める必要がなかったことによることは明らかであって、このことは、貸与権を含む映画の著作物の頒布権が第一譲渡によって消尽しない権利であるとの理解を、当然の前提にしたものというべきである。
(三) さらに、平成一一年の著作権法の改正により、著作物一般について、著作権者に「その著作物をその原作品又は複製物の譲渡により公衆に提供する権利を専有する」譲渡権を認める規定(同年法律第七七号による改正後の著作権法二六条の二)が新設されたが、右規定においては、対象となる著作物から映画の著作物を除外するとともに、この譲渡権は、譲渡権を有する者により譲渡された複製物等には及ばないことが明定され、譲渡権が第一譲渡によって消尽することを明らかにしている。右譲渡権の規定は、一九九六年(平成八年)一二月に採択されたWIPO著作権条約が著作物一般に頒布権を認めていることから、我が国の著作権法においても著作物一般に頒布権を認める必要があるとの判断から設けられたものである。右改正においては、この譲渡権は、第一譲渡によって消尽するものとする一方で、映画の著作物については譲渡権の規定の適用を除外し、かつ、映画の著作物の頒布権を定めた著作権法二六条の規定は特に変更していないことからすれば、右改正に当たって、映画の著作物については消尽しない頒布権を維持するものとされたことが明らかである。
2 ベルヌ条約は、前記のとおり、映画の著作物について頒布権を認めているが、頒布権を第一譲渡後も消尽しないものとするか否かは、同条約の定めるところではなく、同盟国の立法に委ねられたものであり、かつ、同盟国が条約に定められた範囲内で法律又は解釈によって著作権を強化することを否定するものではない。
 また、WIPO著作権条約は、前記のとおり、著作物一般について頒布権を認めているが、他方、頒布権が消尽する条件を締約国が定める自由を認めており(六条(2))、消尽については各国の立法に委ねている。
 そのほか、各国の立法例をみると、被告らが主張するように、確かに多くの国では、映画の著作物を含めて著作物一般について、頒布権を認める場合には、第一譲渡ないし公衆への最初の提供によって消尽するとの法制を採っており(ただし、消尽について明文の規定を置くのが一般である。)、我が国のように映画の著作物について消尽しない頒布権を認めているのは例外に属するが、これは立法政策の問題といわざるを得えず、我が国の著作権法の解釈を諸外国の立法例に適合するようにしなければならないわけではない。
 したがって、これらの条約や諸外国の立法例を根拠に、我が国の著作権の定める映画の著作物の頒布権が、第一譲渡によって消尽するとか、上映目的でない提供には頒布権が及ばないと解することはできない。
3 被告らは、特許権の消尽理論が著作権にも妥当すると主張するが、特許製品が譲渡された場合と異なり、著作物の複製物が譲渡された場合には、たとえそれが著作権者の許諾を得て複製されたものであっても、その利用態様によっては、公衆送信権や貸与権などの著作権の支分権を侵害することがあることは明らかであるなど、特許権と著作権とではただちに同列に論じられないのみならず、前記のとおり、映画の著作物に関する限りは、著作権法の規定上、第一譲渡で消尽しない頒布権が認められているものと解さざるを得ないから、被告らの主張は採用できない。
4 本件各ゲームソフトを含むゲームソフトは、一般的に上映を目的として譲渡されるわけではなく、劇場用映画のように配給制度という流通形態をとるわけでもなく、多数の複製物が一般消費者に販売されるものである。このようなものについて、映画の著作物に該当するとの理由で、適法に複製された複製物がいったん流通に置かれ、一般消費者に譲渡された後にも、著作権者が消尽しない頒布権を行使して流通をコントロールする立場に立つことは、商品の自由な流通を阻害し、権利者に過大な保護を与えるように見えなくもない。しかし、争点2の判断で示したように、映画の著作物と認められるゲームソフトについて、頒布権を認めて投下資本の回収の機会を保障することにも合理性がないわけではなく、著作権法の規定上は消尽しない頒布権があると解さざるを得ない映画の著作物のうちから、ゲームソフトについて第一譲渡後の消尽を認めることは、解釈上十分な根拠がなく、採用することができない。
四 結論
 以上によれば、本件各ゲームソフトは、いずれも映画の著作物に該当し、著作権者である原告らは本件各ゲームソフトについてそれぞれ頒布権を有し、しかも右頒布権は複製物がいったん公衆に譲渡された後も消尽しないものというべきであるから、本件各ゲームソフトの中古ソフトを公衆に販売する被告らの行為は、原告らの頒布権を侵害する。
 ゲームソフトについて著作権者が消尽しない頒布権を有するとすることについては、立法論としては異論があり得ると思われる。しかし、当裁判所は、現行著作権法の解釈としては、右のように解するのが妥当であると判断するものである。
 よって、原告らの請求はいずれも理由があるからこれを認容し、主文のとおり判決する。

大阪地方裁判所第二一民事部
 裁判長裁判官 小松一雄
 裁判官 渡部勇次
 裁判官 水上周
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日本ユニ著作権センター
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