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【事件名】「湘南文学」誌掲載写真著作権帰属事件 【年月日】平成10年9月28日 横浜地裁 平成6年(ワ)第1381号 損害賠償請求事件、平成8年(ワ)第3299号 同反訴請求事件 (平成10年2月18日 口頭弁論終結) 判決 神奈川県(以下住所略) 本訴原告(反訴被告) 株式会社かまくら春秋社 右代表者代表取締役 伊藤玄二郎 右訴訟代理人弁護士 輿石英雄 同 間部俊明 神奈川県(以下住所略) 本訴被告(反訴原告) 学校法人神奈川歯科大学 右代表者理事 久田太郎 右訴訟代理人弁護士 中島敏 主文 1 本訴原告(反訴被告)の本訴請求及び本訴被告(反訴原告)の反訴請求をいずれも棄却する。 2 訴訟費用は、本訴、反訴を通じ、これを2分し、その1を本訴原告(反訴被告)の、その余を本訴被告(反訴原告)の負担とする。 事実及び理由 第1 請求 (本訴) 一 本訴被告(反訴原告、以下、単に「被告」という。)は、本訴原告(反訴被告、以下、単に「原告」という。)に対し、148万円及びうち48万円に対する平成5年4月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 二 被告は、本判決確定の日をもって、別紙1記載のとおりの謝罪文をB5版用紙1枚に作成して、別紙2記載の関係人に対し持参又は郵送により交付せよ。 (反訴) 一 原告は、被告に対し、別紙目録記載の写真著作物の著作権が被告に属することを確認する。 二 原告は、被告に対し、別紙目録記載の写真著作物のネガフィルム及びポジプリントを引き渡せ。 第2 事案の概要 一 本件は、書籍・雑誌の刊行等を業とする出版社である原告が、被告から、その発行に係る文芸誌「湘南文學」の制作、販売の委託を受けていたところ、被告が「湘南文學」中の一部の記事をまとめるなどして単行本として出版した「湘南文学の旅」において、「湘南文學」に掲載された写真の一部を転載したため、原告自らが「湘南文學」の制作に先立ち、カメラマンから右写真の著作権を譲り受けているので、被告の行為はその侵害に当たるとして、著作権法114条2項に基づき損害賠償を求めたほか、転載された写真について、「湘南文學」に掲載するということで被写体の関係者の協力を得たものであるのに、これを無断で転載された結果、右関係者から抗議を受けるなどして、原告の名誉が毀損されたとして、被告に謝罪等を求め(本訴事件)、これに対し、被告が、カメラマンとの黙示の合意によって、右写真の著作権は成立と同時に被告に移転したとして、右写真の著作権が被告に属することの確認等を求めた(反訴事件)事案である。 二 争いのない事実等(末尾に証拠等の記載のないものは当事者間に争いがない。) 1 当事者 原告は、昭和48年に法人として設立され、書籍、雑誌の刊行、販売を業とする株式会社であり、被告は、神奈川歯科大学、同大学付属歯科技工専門学校及び湘南短期大学(歯科衛生学科、国文学科、商経学科を併設、以下「湘南短大」という。)を設置する学校法人である。 2 「湘南文學」の発行 被告は、平成3年4月6日、総合文芸誌「湘南文學」を創刊した。「湘南文學」の編集は、湘南文學編集委員会(原告代表者も編集員の一人であった。)が担当し、被告は、原告に対し、その制作、販売を委託していた。「湘南文學」は、年2回、定期刊行され、創刊号が平成3年4月6日、第2号が同年11月25日、第3号が平成4年4月6日、第4号が平成4年10月15日、第5号が平成5年4月6日にそれぞれ発行された。 3 被告は、平成5年9月22日、第5号までの発刊で、一応所期の目的を達したとして、編集委員会を解散する旨を原告に通知した(甲20号証)。被告は、平成6年4月22日、「湘南文學」第6号を独自に発行し、平成8年1月1日現在、第9号まで発行した(乙36号証、証人赤羽根龍夫の証言)。 4 本件写真の掲載 カメラマンの宮川潤一(以下「宮川」という。)は、「湘南文學」第3号ないし第5号の連載記事「湘南短大生の文学散歩」に掲載するため、別紙写真目録番号1ないし20記載の各写真(以下「本件写真」という。)を撮影し、その一部は右「湘南文學」に掲載された。宮川は本件写真について、著作権を有していた。 被告は、平成5年4月1日、右「湘南短大生の文学散歩」をまとめるなどした単行本の湘南学遊文庫I「湘南文学の旅」(以下「湘南文学の旅」という。)を発行し、これに本件写真を転載した。 三 争点 本件の争点(本訴、反訴を含む。)は、(1)本件写真の著作権の帰属いかん、すなわち、原告がこれを宮川から譲り受けたものか、あるいは、被告が宮川との黙示の合意により取得したものか、(2)本件写真の著作権が原告に帰属するとして、原告が被告に対し、その転載を承諾していたか、(3)原告の著作権に基づく本件請求が権利濫用に当たるか、(4)原告の損害の有無、(5)原告の名誉毀損の成否のほか、被告の右(1)の主張は時機に遅れた攻撃防禦方法に当たるか、また、被告は、本訴において、右(2)、(3)の主張を撤回したか、である。 これらについての当事者双方の主張は、次のとおりである。 1 本件写真の著作権の帰属 (原告の主張) (一) 原告は、宮川に対し、「湘南文學」創刊号の表紙画その他の写真撮影を依頼し、以後の号についても、宮川に掲載に必要な写真撮影を依頼することにしていたので、平成3年4月2日、宮川との間で、合意書(甲7号証)を取り交わし、本件写真の著作権を無償で譲り受ける旨を約した。 原告は、原告の発行に係る他の雑誌・単行本に掲載する写真の多くについても、宮川や他のカメラマンとの間で同様の著作権譲渡契約を締結しており、本件写真の著作権譲渡もその一環としてされたものである。 したがって、本件写真の著作権は、宮川から原告に移転し、原告に帰属している。 (二) 被告の主張に対する反論 (1) 被告は、宮川は「湘南文學」第3号の発行以前には、写真撮影に関与しておらず、宮川が創刊前の時点で、原告と著作権譲渡の合意をするとは考えられないから、合意書(甲7号証)は、事後に捏造された疑いがあるとする。しかし、宮川は、創刊号について、雑誌の顔ともいうべき表紙絵の撮影を行っており、また、口絵に用いられた資料写真の複写、「シリーズエッセイ・海1」の挿入写真の撮影も行っている。第2号についても、表紙絵の撮影、資料写真の複写及び「シリーズエッセイ・海2」の挿入写真の撮影を行い、口絵の一部である金沢市の風景写真の撮影も行っている。また、「湘南文學」は、創刊前の時点で第10号までの発行が決まっており、原告が右時点で宮川と前記合意書を取り交わしたのは、宮川がすでに創刊号に掲載する写真の撮影を行っており、第2号以降についても、必要な写真の撮影を宮川に依頼することにしていたからである。したがって、「湘南文學」の創刊前に、これらの写真について原告が宮川と著作権譲渡契約を締結したとしても、何ら不自然ではない。 (2) また、平成4年6月ころ、被告助教授の赤羽根龍夫(以下「赤羽根」という。)から「湘南文學」の原稿を用いて単行本を出版したいとの申入れがあったため、原告は、同年7月28日、赤羽根に対し、見積書を示すとともに、宮川が撮影した写真については、1枚5000円の使用料が必要となることを説明した。そして、原告は、確認のため、見積書に「写真掲載料15万円」と明記したほか、そのころ、連絡用の封筒(乙1号証)の表にも「写真のかしだしは1枚5000円となります。」と記載してこれを赤羽根に渡したが、これらに対し、赤羽根からも、被告からも何らの異議の申出もなかった。また、原告は、赤羽根から「湘南文學」第3号ないし第5号掲載写真の焼増しを依頼されたことがあったが、原告に著作権があることを明確にするため、右写真の一部には、裏に「無断転載禁ズ」「株式会社かまくら春秋杜」と記載して、被告に交付した。これらの記載が、右写真の著作権が原告に帰属することを前提としたものであることは明らかであり、被告は、これに対しても、何らの異議も述べていない。 したがって、原告が本件写真の著作権者であることは、被告も当然の前提としていたというべきである。 (3) 被告は宮川との黙示の契約により本件写真の著作権を譲り受けたもので、本件写真の著作権は被告に帰属するとする。しかし、宮川に本件写真の撮影を依頼し、撮影料を支払ったのは原告であって、被告が宮川との間で直接、これらの交渉をした事実はない。また、原告が被告との間で、宮川に撮影を依頼することを合意した際にも、被告から、写真の著作権の譲渡を受けたいとか、被告が著作権者となるように宮川と交渉してほしいという申入れは全くなかった。したがって、被告と宮川の間に本件写真の著作権譲渡の合意が存したいことは明らかである。 被告は、本件写真について高額の撮影料を被告において負担していることから、その著作権は被告に帰属するかのように主張する。しかし、撮影料の負担と著作権の帰属は別個の問題であり、被告が宮川から著作権を取得した事実が認められない以上、これが被告に帰属するいわれはない。 (4) 時機に遅れた攻撃防禦方法 被告は、従前、原告が宮川から本件写真の著作権を取得したことを否定しつつ、仮に、原告が宮川から右著作権を取得したとしても、これを被告に移転すべき義務があり、実質的な著作権者は被告であるとか、原告が被告に対し右著作権を行使することは権利濫用に当たるなどと主張していた。ところが、被告は、反訴提起後の平成9年7月14日の第16回口頭弁論期日において、突如、それまでの主張とは異なり、本件写真の著作権は被告が宮川から直接取得したものであると主張するに至った。このように、本件の主要な争点に関する基本的な主張を右段階に至って変更することは、時機に遅れた攻撃防禦方法として許されない。 (被告の主張) (一) 本件写真の著作権は、以下のとおり、被告に帰属しており、原告には帰属していない。 本件写真は、すべて「湘南文學」第3号ないし第5号中の連載記事である「湘南短大生の文学散歩」(著作権者は赤羽根である。)の挿入写真として、文中で表現された内容を視覚的に説明するために用いられたものである。したがって、本件写真の著作権は、文章部分のそれと一体として、同一人に帰属するものと解すべきである。そのように解しないと、右記事を再録する場合に、挿入写真のみ再録できなくなるなどの不都合が生じる。また、本件写真は、湘南短大の学生がモデルとなっているため、記事と無関係に第三者によって使用されると、肖像権の問題が生じる。よって、被告としては、文章部分とともに、本件写真の著作権を取得、管理する必要があった。そして、右事情は、原告代表者の熟知するところであった。 また、本件写真の著作権の帰属いかんは、その撮影に関して支払われた対価の額が重要な判断要素となるところ、被告は、「湘南文學」の発行について、毎号平均15万円の写真撮影料を支払っており、写真資料代として別途、20万円を支払っていた。「湘南文學」の掲載写真の撮影は、他の雑誌用の撮影と平行して行われ、半日かせいぜい1日で終了し、撮影された写真もサイズの小さい挿入用のモノクロ写真数枚ないし10数枚に過ぎない。カメラマンの半日ないし1日の手数料ないしこの程度の写真の単なる使用料として15万円は過大である。したがって、被告が支払った撮影料は、本件写真の著作権取得の対価を含むものというべきである。 被告は、本件写真の著作権を被告において取得することを前提に、宮川に撮影を依頼したもので、撮影の際には、場所の選択、モデルの選考、アングルの指示に至るまですべて赤羽根が行い、宮川はこれに従って撮影をしたに過ぎない。 そして、被告の著作権取得の意思は、被告の企画室顧問の立場にあつた原告代表者が、「湘南文學」第3号の撮影に入る直前の平成3年10月ころ、被告の使者として宮川に伝え、宮川もこれを了承していた。このことは、撮影後、公表するコマの選り分け、ポジプリントやネガの確認は、すべて被告が行い、宮川は関与していないこと、掲載された写真には、宮川の氏名が表示されていないことからも明らかである。 以上のことから、本件写真の著作権は、被告と宮川との黙示の合意により撮影と同時に宮川から被告に移転されたというべきである。 (二) 原告の主張に対する反論 (1) 原告は、宮川との間で合意書(甲7号証)を取り交わし、本件写真の著作権を譲り受けたとする。しかし、右合意書の作成日付は、「湘南文學」創刊前の平成3年4月2日であるところ、宮川が「湘南文學」の撮影に関与したのは、第3号(発行日は平成4年4月6日)以降である。それまで「湘南文學」と全く関わりのなかった宮川が、撮影に関与する1年以上も前に、これに掲載する写真について著作権譲渡の合意をするとは考え難い。したがって、右合意書は、後日、本件訴訟のために「湘南文學」の創刊日直前に日付を合わせて捏造されたものであるとの疑いが強い。 原告は、宮川は「湘南文學」創刊号及び第2号の撮影にも関与していたから、創刊前の時点で、前記合意書を取り交わしたことは不自然ではないとする。しかし、右各号には、宮川の撮影した写真は掲載されていない。すなわち、右各号の「湘南短大生の文学散歩」の挿入写真は、すべて山下写真館が撮影したものであり、口絵写真のほとんどは、日本近代文学館の資料写真をそのまま印刷したものである(カメラマンがわざわざ資料写真を複写する利点はない。)。原告は、創刊号、第2号に連載された「シリーズエッセイ・海」の挿入写真、第2号の口絵写真の一部は宮川の撮影したものであるとするが、これらは、右各号に掲載する目的で新たに撮影されたものとは考えられず、せいぜい、宮川がこれまでに撮りためた写真の中から掲載したものに過ぎない。また、表紙絵、口絵(資料写真)は、仮に宮川が撮影したものであるとしても、原画の忠実な複写に過ぎず、それ自体、著作権の対象となりうるものではない。 「シリーズエッセイ・海」の挿入写真も、素人でも撮影できる程度の風景写真に過ぎず、著作物というには程遠いものである。 したがって、宮川がこれらの写真についての著作権をことさら譲渡の対象としたというのは不自然である。 原告は、「湘南文學」は創刊の時点で第10号までの発行が決まっていたため、必要な写真の撮影を宮川に依頼することとし、あらかじめ著作権譲渡契約を締結しておいたとも主張する。しかし、そのような方針は、被告が平成3年夏ころに内部で決定したもので、原告に対し創刊時にそのような意向を伝えたことはない。よって、原告の右主張も根拠がない。 また、著作権譲渡には対価を伴うのが通常であるところ、前記合意書には、譲渡の金額、支払時期、支払方法に関する定めが全くなく、真に著作権譲渡を約したものとは認められない。 なお、原告は、出版社にはカメラマンと著作権譲渡契約を締結する慣行が存するとも主張するが、そもそも、そのような慣行は存しないばかりか、「湘南文學」の制作・販売の委託を受けたに過ぎない原告が、発行主体である被告をさしおいて、掲載写真の著作権を取得することは通常ありえない。 以上のことからすれば、前記合意書は、著作権譲渡の実体を伴わない架空のものというほかはない。 (2) 原告は、本件写真の掲載料を記載した見積書について被告が異議を述べなかったことから、被告は、本件写真の著作権が原告に帰属することを当然の前提としていたとする。しかし、被告は、結局、右見積書を採用しなかったのであり、その内容を認めて掲載料を支払ったわけではない。よって、原告の主張は根拠がない。 また、原告は、平成5年2月ころ、被告の依頼により焼き増しした本件写真を封筒(乙1号証)に入れて被告に交付したが、この封筒の表には、確かに写真の貸出しは1枚5000円となる旨の記載がある。しかし、これは、被告との関係が悪化したため、被告に対する嫌がらせのためにしたことで、原告に著作権が帰属することの根拠となるものでない。なお、右同封された写真の一部には、原告が著作権者であるかのような記載があるが、これは、原告が第三者による無断使用を防ぐために記載したものであり、被告に対し、自らが著作権者であることを主張する趣旨ではない。したがって、右写真の記載も、原告に著作権が帰属することの根拠たりえない。以上により、原告が宮川から本件写真の著作権を取得したとは認められず、原告の主張は理由がない。 3 本件写真転載の許諾 (被告の主張) 被告は、平成5年2月ころ、「湘南文学の旅」の刊行に当たり、「湘南文學」に掲載した紀行文及び写真を再録することとし、原告に対し、右写真の使用を申し出た。原告は、これを了承し、本件写真を含む数10枚の写真をまとめて封筒(乙1号証)に入れ、その表に「赤羽根様、写真のかしだしは1枚5000円となります。よろしくお願いいたします。かまくら春秋杜」と明記して、被告に交付した。したがって、仮に本件写真の著作権が原告に帰属するとしても、原告は、本件写真を「湘南文学の旅」に転載することを承諾していたのであるから、被告の行為は、原告の著作権の侵害には当たらない。 (原告の主張) 被告から、平成5年2月ころ、本件写真を「湘南文学の旅」に掲載したいとの申入れを受けたことはないし、原告がそれを承諾して、本件写真を封筒(乙1号証)に入れて被告に渡したこともない。原告は、平成4年6、7月ころ、赤羽根から「湘南短大生の文学 散歩」の挿入写真を他に使用してもよいか尋ねられたため、原告の社員が赤羽根に対し、一般的に、私用以外で用いる場合、1枚5000円の使用料を支払ってもらうことになると伝え、その旨を封筒(乙1号証)の表にメモ的に記載して渡したに過ぎない。 したがって、原告は、被告から「湘南文学の旅」への転載の申入れを受けてこれを承諾したものではなく、被告の主張は理由がない。 4 権利濫用の抗弁 (被告の主張) 原告代表者は、当時、被告の企画室顧問として「湘南文學」、「湘南文学の旅」の刊行を含む広報活動を担当しており、原告と被告の間には、少くとも黙示的に「湘南文學」に掲載する写真の著作権取得を含む一切の権利関係の処理に関する委託契約が成立していた。そして、被告は、原告に対し、「湘南文學」創刊号ないし第5号について、合計約3329万円もの制作費を支払っている。したがって、原告は「湘南文學」制作の過程で生じた権利関係を被告の利益となるように処理すべき義務を負うというべきであり、仮に、原告が宮川から本件写真の著作権を取得したとしても、右委託契約の趣旨に基づき、これを被告に帰属させる義務を負うものである。そのような立場にある原告が本件写真の著作権を行使し、被告に損害賠償を求めることは、信義則に反し、権利濫用に当たるというべきである。 なお、原告は、被告が前記本件写真転載の承諾の主張及び権利濫用の抗弁の主張を撤回したと主張するが、被告は、反訴請求原因における仮定的主張を撤回したに過ぎず、本訴における抗弁としてのこれらの主張は撤回していない。 (原告の主張) 被告は、前述のように、原告の本件写真の掲載料の請求に対し異議を述べておらず、本件写真の著作権が原告に帰属することは、被告との間で当然の前提とされていたというべきである。したがって、原告の著作権に基づく請求が信義則に違反するとはいえない。 被告は、原告との委託契約の趣旨からすれば、原告が本件写真の著作権を取得した場合、これを被告に移転させる義務があるとする。しかし、著作権には独自の財産性が認められるから、これを何人に譲渡するかは、著作権者の自由である。したがって、被告が原告との委託契約に基づき「湘南文學」の発行費、写真の撮影費等を負担しているからといって、当然に原告が宮川から取得した著作権を被告に帰属させる義務があるとはいえない。そして、被告は、「湘南文學」発行に当たり、宮川との間で明示的な著作権譲渡契約を締結するか、二次使用の許諾契約を締結していれば、著作権の帰属について疑義は生じなかったのであり、これを怠った被告が、原告の請求を信義則に反するということはできない。 なお、被告は、平成9年7月14日の第16回口頭弁論期日において、本件写真の著作権は宮川と被告との間の黙示の合意に基づき宮川に成立したと同時に被告に移転した、右に反する従来の仮定的主張は撤回する旨の釈明をし、これが口頭弁論調書に記載された。したがって、被告は、原告が宮川から本件写真の著作権を取得したことを前提とする前記本件写真転載の承諾の主張及び権利濫用の抗弁の主張(いずれも仮定的主張)も撤回したものというべきである。 5 原告の損害等 (原告の主張) (一) 使用料相当の損害 被告は、故意又は過失により本件写真を「湘南文学の旅」に無断で転載し、本件写真についての原告の著作権を違法に侵害した。したがって、被告は、右不法行為により、原告に対し損害賠償義務を負う。そして、原告は、著作権法114条2項により、写真著作権の行使につき通常受けるべき金銭の額に相当する額を原告が被った損害額と主張する。すなわち、日本写真家協会の「雑誌・書籍・写真使用最低料金規定」の写真使用料の最低額のBの「依頼による制作」の場合の1頁1点3万円の80パーセント(「湘南文学の旅」の発行部数は5万部以下と思われるので、同規定〔注〕5に従った。)に当たる1点2万4000円を損害額とする。よって、被告は、不法行為に基づき、原告に対し、右最低額の20点分に相当する48万円の損害賠償義務を負う。 (二) 名誉回復措置 原告は、別紙2記載の関係人から、原告の発行する雑誌や単行本の原稿を執筆してもらうなど、親交を深め、信頼を得ていた。そして、これらの関係人の管理に係る寺院、私邸は、原告の協力要請により、「湘南文學」に掲載するものとして写真の被写体とすることを了承されたものである。すなわち、別紙写真目録番号11の写真(長谷の高徳院の大仏の写真)は、別紙2記載の関係人(1)の、別紙写真目録番号15の写真(故堀口大學氏の自宅書斎の写真)は、同関係人(2)の、また、「湘南文學」第2号83頁下欄掲載の写真(岩殿寺山門のところで住職洞外正教氏が写っている写真、これは被告側で撮影したもの)、「湘南文學」第3号78頁に掲載された写真(佛日庵の茶室が写っている写真、被告側で撮影)は、それぞれ右関係人(3)、(4)の協力により撮影された写真である。ところが、被告がこれらの関係人の承諾なく、右写真を「湘南文学の旅」に転載したため、これらの者から原告に対し、右写真は「湘南文學」についてのみ掲載を承諾したものであるとして、抗議が寄せられた。これにより、これら関係人に対する原告の信用は丸潰れとなり、原告の出版社としての名誉は著しく傷つけられた。このような被告の行為は、故意又は過失により原告の信用、名誉を違法に毀損する不法行為である。 よって、原告は、被告に対し、民法723条に基づき、原告の名誉を回復するための適当な処分として、別紙1記載のとおりの謝罪文をB5版用紙1枚に作成し、別紙2記載の関係人に対し、持参又は郵送の方法により交付することを求める。 (三) 弁護士費用 原告は、本件紛争を話合いにより解決すべく、平成6年1月31日、文化庁長官に対し、著作権法106条に基づく著作権紛争解決あっせんの申請をした。文化庁長官は、被告に対し、あっせんに付することに同意するかどうか回答するよう通知したが、被告は、期限内に回答をしなかったため、あっせんに同意しなかったものとされ、あっせんは開始されなかった。そのため、原告は、本件紛争を訴訟により解決することを余儀なくされ、訴訟追行のため弁護士を依頼せざるをえなくなった。そして、原告は、弁護士に対し、報酬規定に従い、着手金及び報酬各50万円の計100万円を支払う旨約した。よって、原告は被告に対し弁護士費用相当額の損害金として100万円の支払を求める。 (四) 以上により、原告は被告に対し、不法行為に基づき右(一)、(三)の合計額148万円及びこれに対する「湘南文学の旅」発行時である平成5年4月1日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに、前記名誉回復措置の履行を求める。 (被告の主張) (一) 使用料相当の損害について 前述のように、原告は、本件写真の著作権者ではなく、仮に原告が著作権者であるとしても、被告は原告から本件写真の転載について許諾を得ているから、原告に損害が発生する余地はない。 また、原告は、日本写真家協会の料金規定に基づき損害額を算定しているが、右協会は、業績を有する一流カメラマンに対し、厳重な審査を経て入会が認められる芸術団体であり、右料金規定は、一般カメラマンが雑誌の挿入用に撮影したに過ぎない写真の使用料には適用されないというべきである。 (二) 名誉回復措置について 原告主張の写真の被写体の一部とされた大仏、茶室等は、広く一般に公開されているものであり、これらの写真を湘南文学の旅に転載しても、その所有者、管理者らの所有権、プライバシー権を侵害するものではなく、その感情を害するともいえない。原告は、これらの者から、無断転載について抗議が寄せられたとするが、仮にそのような事実があったとすれば、それは、原告が、被告から「湘南文學」の制作、販売委託を打ち切られたことを根にもち、関係者を唆したからとしか考えられない。したがって、原告の信用、名誉が害されたとはいえず、被告に対し、名誉回復措置を求める理由はない。 (三) 弁護士費用について 原告の主張は争う。なお、原告のした文化庁長官に対するあっせんの申請について、被告は、平成6年2月21日、上申書を、同月24日、答弁書を提出したが、文化庁長官はあっせんを開始しなかったのであり、被告がこれに応じなかったのではない。 第3 争点に対する判断 一 「湘南文學」の発行と本件紛争の経緯 前記争いのない事実等に加え、証拠(甲1号証の1ないし21、2、3号証、8ないし12号証、21号証の1、2、22、23号証、25号証の1ないし5、26号証の1ないし6、27号証、30号証、32号証の1、2の各1ないし5、同号証の3の1ないし7、同号証の4の1ないし6、33号証、34号証の1、2、35号証の1ないし5、36号証の1、2、37ないし39号証、40号証の1、2、41、42号証、47号証の1、2、51、52号証、53号証の1ないし3、54号証、55号証の1、2、57、58号証、59号証の1、2、60ないし64号証、69、70号証、75号証、乙1ないし7号証、9ないし25号証、26号証の1、2、27、28号証、35、36号証、38ないし40号証、42、43号証、49ないし51号証、55ないし58号証、60ないし62号証、63号証の1ないし34、65、66号証、証人赤羽根龍夫の証言、原告代表者尋問の結果、弁論の全趣旨)によれば、以下の事実が認められる。 1 原告は、月刊誌「かまくら春秋」、季刊誌「We湘南」を発行するほか各種単行本の発行を手掛け、タウン誌の全国コンクールで入賞歴を有するなど著名な地方出版社である。原告は、これまで、自ら出版物を刊行するだけでなく、発行元の企業数社との間で、発行元が費用を負担し、原告が制作を担当するかたちで雑誌の出版を行っていた。 2 湘南短大は、当初、国文学科の知名度の向上と地域の文化活動の振興を図る目的で、文芸誌「湘南文學」の発行を企画し、平成元年ころから、同短大内に発行準備委員会を設置し、平成2年ころには、同短大教授の三田英彬(以下「三田」という。)を中心として原稿の執筆依頼を始めるなどした。また、同短大は、同年7月ころ、地元出版社としての知名度に期待し、三田を通じて原告に対し発行への協力を依頼した。同年末ころ、赤羽根は、三田に代わって原告代表者と会い、発行の相談をもちかけ、原告は、このころ、発行への協力を承諾した。湘南短大は創刊号の企画を練り、予算を検討するなど、発行に向けて準備を進め、原告も企画の一部を提案したり、執筆者を募るなどしてこれに協力した。そして、「湘南文學」は、湘南短大の国文学科の雑誌から被告学校法人の雑誌へと変っていった。 3 平成3年1月には、湘南短大学長門脇稔を編集代表者とし、赤羽根、原告代表者のほか、同短大教授ら4名の編集委員で構成する湘南文學編集委員会が企画・編集を担当し、原告は、制作・販売を担当する方針が決まった。掲載する原稿については、編集委員の湘南短大教授が学内者を中心に執筆を依頼し、原告においても、知合いの作家らに執筆を依頼するなどし、原稿料、印刷料、写真撮影料等の費用は、そのほとんどを被告が負担することとなった。そして、同年1月30日の被告の理事会において、「湘南文學」の発行が承認された。 なお、被告は、平成3年4月1日から平成6年3月31日までの間、原告代表者を有給の「企画室顧問」に委嘱して「湘南文學」の発行を含む被告の広報活動に関する助言、協力を求めるとともに、平成5年ころまでの間、湘南短大非常勤講師に委嘱していた。 4 「湘南文學」の制作の過程で、被告から「湘南文學」に掲載する「湘南短大生の文学散歩」の挿入写真については、かねてから撮影を依頼していた山下写真館に撮影させてほしいとの依頼があり、原告はこれを了承した。そして、「湘南文學」創刊号及び第2号に掲載された「湘南短大生の文学散歩」の挿入写真は、山下写真館が撮影し(一部は、赤羽根が撮影した)、口絵写真の多くは、日本近代文学館から入手したものを印刷した。これに対し、原告代表者は、「湘南文學」創刊号及び第2号の表紙は、宮川が原画の油絵を複写したもので、口絵の資料写真は日本近代文学館から借りたものを宮川が複写したものであると供述する。 しかし、原告代表者は、他方で、第3号ないし第5号の表紙については、原画のポジフィルムを借りたものであると供述しており、創刊号及び第2号についてのみ、宮川が原画を自ら複写したとはにわかに認められない。また、証拠(乙18ないし20号証、34号証、36、37号証、41号証、証人赤羽根龍夫の証言)によれば、創刊号及び第2号の口絵写真の多くは日本近代文学館の資料写真であるところ、同文学館は申込者に対し肖像写真等の複製を1枚2000円で交付していること、入手した複製写真は、自動印刷が可能で、わざわざ再度複写する必要はないことが認められる。したがって、これらの写真を宮川が自ら複写したものであるとは認められない。 原告代表者は、創刊号、第2号に連載された「シリーズエッセイ・海」の挿入写真と、第2号の口絵に用いられた風景写真等は、宮川の撮影によるものであるとも供述する。しかし、証拠(乙11、12号証、19号証、証人赤羽根龍夫の証言)に照らせば、少くとも、これらの写真が、創刊号、第2号に掲載する目的で宮川が撮影したものであるとはにわかに認められない。 5 原告は、「湘南文學」第3号からは、「湘南短大生の文学散歩」の挿入写真の撮影を、かねてから原告の撮影の仕事を担当していた宮川に依頼することとなった。宮川はこれを了承し、「湘南文學」の第3号ないし第5号について「湘南短大生の文学散歩」のほか、挿入写真のほとんどを撮影した(「湘南短大生の文学散歩」の挿入写真の一部は、赤羽根が撮影し、口絵写真の一部は、原告代表者が撮影した。)。本件写真の撮影は、原告の発行する「We湘南」に掲載する写真の撮影などと一緒に行われ、毎号半日ないし1日ほどの時間を費やし、モデルである湘南短大生とともに、赤羽根が同行して、被写体やアングルについて宮川に指示を与えるなどした。 撮影後、本件写真のネガフィルムは、原告が保管し、被告は、その焼増しを必要とする都度、原告に対し焼増し料の実費を支払うなどして交付を受けていた。 6 被告は、「湘南文學」第1号ないし第5号について、別紙「『湘南文學』編集・制作費等一覧表」のとおり、編集レイアウト料、学校側負担金、精算金等を支払った。これには、毎号、写真撮影費用15万円のほか、写真資料代20万円が含まれており、原告は、右撮影費用から経費等を差し引いた残額を宮川に支払っていた(しかし、その詳細は不明である。)。なお、被告は山下写真館に対し、創刊号及び第2号のそれぞれについて撮影料として5万円を支払った。 原告は、神奈川県、東京都を中心とする主要な書店を通じて「湘南文學」を販売するとともに、全国の大学や図書館等に配付するなどした。 7 「湘南文學」第3号発行後の平成4年6月ころ、赤羽根は、原告に対し、「湘南文學」の原稿を使用して単行本(湘南短期大学学芸文庫(仮称))を出したいとの話をもちかけた。そこで、原告の社員2名は、同年6、7月ころ、湘南短大に赴き、交渉の上、それぞれ、発行部数3000部の場合は203万5000円、5000部の場合は225万5000円とする見積書を提示した。 なお、そのころ、被告から「湘南文學」に掲載した写真のうち約30枚を右学芸文庫に掲載したいとの申入れがあったため、原告の担当者は、掲載料として、1枚につき5000円、合計15万円と見積りをし、その旨を右2通の見積書に記載した。 しかし、被告は、原告の発行費の見積りが高いと感じたため、右の話はそれ以上進まなかった。このころから、被告は「湘南文學」の発行費の見積りについても、高額すぎるのではないかとの不信感を抱くようになった。そして、前記湘南短期大学学芸文庫(仮称)の具体化したものである「湘南文学の旅」については、同年7月ころ、神奈川新聞出版局に見積りを依頼したところ、3000部で88万5000円で出版できるとの回答を得たことから、原告には依頼しないこととして、同年8月ころ、その旨を原告に伝えた。 8 赤羽根は「湘南文學」第3号、第4号掲載写真、第5号掲載予定の写真を「湘南文学の旅」に転載するなどの必要から、平成5年2月ころ、原告に対し、これらの合計数10枚の焼増しを依頼するなどし、その交付を受けた。なお、これに関し原告は、少くとも、右写真の一部を同封した使い古しの大型封筒(乙1号証、なお、写真の一部の裏には「?(著作権を示す記号)株式会社かまくら春秋社」、「無断転載禁ズ」などとの記載がある。)の表に、「写真のかしだしは1枚5000円となります。よろしくお願いいたします。かまくら春秋社」と記載し、赤羽根に交付した。 原告は、右封筒は、前記見積りを依頼されたころに、一般的に写真の転載については、原告に著作権があることを明らかにするため、前記認定のメモ書をして赤羽根に交付したものであり、右に写真は入れていないと主張し、原告代表者はこれに副う供述をする。しかし、前記認定のような見積りと説明の経過に照らし、そのほかに(交付した写真とは別個に)、わざわざ右のような封筒を渡す必要があったとはにわかに考えられず、右の主張は採用しえない。 9 被告は、平成5年4月1日、「湘南文学の旅」を発行した。これには、別紙写真目録番号1ないし20のとおり、「湘南文學」第3号ないし第5号に掲載された写真の一部とこれらに掲載はされていないが、宮川が取材時に撮影した写真の合計20枚(本件写真)が掲載されていた。 10 原告は、同年4月になって、「湘南文学の旅」に本件写真が掲載されていることを知り、無断転載であるとして、被告に対し異議を申し入れた。被告は、同年4月16日、原告に対し、「湘南文學」第5号の発行費に関する質問書を送付し、その中で本件写真の著作権に触れ、本件写真は被告の費用負担において撮影を依頼したもので、所有権は被告にあると主張した。原告は、同年6月15日、被告に対し、本件写真の著作権は撮影者にあり、原告はその使用許諾の権限を撮影者から委譲されている旨の回答をした(甲9号証)。これに対し、被告は、同月22日、本件写真の撮影は赤羽根の指示によりされたもので、宮川を本件写真の著作権者と考えることはできないが、本件写真につき1枚当たり5000円を支払うことで解決を図る用意がある旨の回答をした。しかし、原告は、同年7月8日、被告に対し本件写真の使用には、原告の承諾が必要であり、その無断使用は原告の著作権を侵害するなどとして、無断転載等について謝罪を求める通知書を送付した。 11 しかし、結局、話合いはつかず、また、同年4月ないし7月ころには、原告が主張する本件写真の一部を含む写真4枚の被写体とされた史蹟の管理者等4名から右写真の「湘南文学の旅」への無断転載について、原告や湘南短大学長宛に抗議の手紙が寄せられるなどした。このような状況の中、被告は、平成5年9月22日、編集委員会を解散し、その旨を原告に通知した。 原告は、平成6年1月31日、文化庁長官に対し、被告に対し、本件写真20枚の使用料として、1枚当たり5000円計10万円の支払を求め、本件写真の無断転載を謝罪することを求める著作権紛争解決あっせんの申立てをしたが、結局、あっせんは不成立となった。 12 このように、被告の原告に対する「湘南文學」の制作、販売の委託は第5号で打ち切られ、その後、第6号から第9号までは被告が独自に発行を続けた。 原告は、「湘南文學」の題号について自らが商標権を有するとして、同年2月8日、横浜地方裁判所横須賀支部に対し、右題号を使用して印刷物を発行することの禁止を求める仮処分(平成6年(ヨ)第7号商標権侵害禁止仮処分申請事件)を申し立てた。しかし、同裁判所は、同年8月12日、原告は被告に対し右商標の使用を禁止する権利を有しないとして、これを却下する決定をした。 以上のとおり認められ、甲30号証、乙14、15号証、原告代表者尋問の結果中、右認定に反する部分はにわかに採用しえない。 二 本件写真の著作権の帰属 1 前記認定の事実、すなわち、7の写真掲載料を計上した見積書の記載、8の封筒記載の文言や写真の嚢の記載、10の原告の被告に対する回答等によれば、原告は本件写真の著作権を有しているかのようである。 そして、原告は、「湘南文學」創刊号発行直前の平成3年4月2日、宮川との間で本件写真の著作権譲渡契約を締結したとし、これを裏付けるものとして、同日付けの合意書(甲7号証、『一 原告は宮川に対し、被告が発行する「湘南文學」に掲載するための写真の撮影を依頼し、宮川はこれを承諾する。二 撮影料については、拘束時間及び撮影点数に基づき、協議の上定める(撮影実費は別途支払う。)。三 宮川は原告に対し、第一項により撮影した写真について著作権を譲渡する。』という内容のもので宮川名義の署名押印と原告代表者の記名押印がある。ただし、被告は、その成立を否認している。成立についての裁判所の判断は後記のとおり)を提出する。 しかし、原告代表者尋問の結果によれば、原告は宮川に対し、右合意書を取り交わした際、著作権譲渡の対価を支払っておらず(甲7号証にも、対価に関する記載はない)、また、本件写真を二次使用する都度、撮影者に使用料を支払うこととし、発行元から二次使用の申入れがあった場合、原告において使用料の支払を受け、これから手数料(一般的には20ないし30パーセントという。)を差し引いた額を撮影者に支払うこととしていたという(代理店的な業務であるともいう。)のであり、また、原告が平成5年6月15日、被告に対し、写真の著作権は第一次的には撮影をしたカメラマンにあり、本件写真の使用許諾権は、撮影者から原告に委譲されているとの回答をしたことは前記認定のとおりである。 これらのことからすると、原告は、せいぜい、宮川に代わる本件写真の使用許諾権者の立場にあったとみうるに過ぎず、少くとも、原告自らが本件写真の著作権者たる立場にあったとはにわかに認め難い。 なお、原告代表者は、宮川に対し、直接的な譲渡の対価とは別のかたちで実質的な対価を支払っており、このほかに、前述の二次使用料を支払う意向であったかのように供述するが、著作権を譲り受けた後、譲受人が代金とは別に、譲渡人に対し二次使用料を支払うという取引の形態は想定し難いというべきである。 また、宮川が「湘南文學」の撮影に本格的に関与したのは、第3号以降であり、創刊号及び第2号の掲載写真のうち、宮川が撮影したと認める余地のあるものはごく限られていることは、前記認定のとおりである。なお、表紙絵や口絵(資料写真)については、仮に宮川が撮影したものであるとしても、原画を忠実に複写したに過ぎず、それ自体著作物というべきものではない。 そうすると、少くとも、宮川が「湘南文學」創刊前の時点で、これらの写真について、ことさら著作権を問題とし、原告と著作権譲渡の合意をしたというのは、不自然というべきである。 原告は、「湘南文學」は創刊前にすでに第10号までの発行が決まっており、宮川は第10号までの掲載写真の撮影を了承していたから、創刊前の時点で宮川が原告と著作権譲渡契約を締結したとしても不自然ではないとし、原告代表者もこれに副う供述をする。 しかし、乙52ないし54号証、60号証、証人赤羽根龍夫の証言に照らせば、「湘南文學」創刊前の時点で第10号までの発行が決まっていたとはにわかに認められない(甲47号証の1、2によれば、原告が被告に対し「湘南文學」第10号までの企画書を提出したのは、平成4年3月に至ってからであることが認められる。また、甲46号証は、その記載の内容からみて、創刊号の発行前に作成されたものとは認められない。)。また、証人赤羽根龍夫の証言によれば、赤羽根は平成3年10月ころ、宮川に会って、創刊号の「湘南短大生の文学散歩」の箇所を示し、写真のイメージを説明したところ、宮川は「湘南文學」を初めて見るような顔をし、湘南短大の存在自体知らない様子であったことが認められる。してみれば、同年4月の時点で、宮川が第10号までの写真撮影を承諾していたとは認め難いというべきである。したがって、原告の前記主張は理由がない。 以上のことからすれば、前記合意書がその作成日付のころに作成されたことやその内容が原告主張のような著作権譲渡の実体を伴うものとはにわかに認められず(作成名義人である宮川と原告によって作成されたものとは認められるとしても)、この点に鑑みると、前記7、8、10の事実から直ちに原告が本件写真の著作権を有すると認定するには不十分といわざるをえず、他に、原告と宮川との間で本件写真の著作権を原告に移転する旨の合意がされたことを認めるに足りる証拠はない。なお、弁論の全趣旨によれば、原告は、この点に関する重要な証人である宮川潤一の取調べを一旦申請しながら、何故か、その取調べに消極的であり、ついには、平成9年9月1日の第17回口頭弁論期日において、右宮川の証人申請を撤回するに至っていることが明らかである。 以上によれば、本件写真の著作権が宮川から原告に移転したとの事実については、未だその証明がないといわざるを得ず、原告の写真著作権侵害による損害賠償請求はその余の点について判断するまでもなく理由がない。 2 他方、被告は、本件写真の著作権を宮川との黙示の合意により譲り受けたとするが被告と宮川との間にそのような合意があったことを認めるに足りる証拠はない。 被告は、「湘南文學」発行の度に、高額の撮影料を支払っており、これは撮影に係る写真の著作権譲渡の対価を含むものであるとする。そして、被告が「湘南文學」第3号ないし第5号の発行に当たり、制作費の一部として撮影料15万円を支払い、その一部(ただし、その金額は不明)が原告から宮川に支払われたことは前記認定のとおりである。 しかし、仮に右撮影料が高額であるといえるとしても、これが被告から宮川に直接支払われたものではなく、制作費の一部として原告に支払われたものに過ぎないことからすれば、それが直ちに、著作権譲渡の対価を含むものとはいえない。そして、他に、右撮影料が著作権譲渡の対価を含む趣旨で交付されたものであることを認めるに足りる証拠はない。 また、被告は、毎号当たり約450万円の制作費を原告に支払っていたことや、本件写真の撮影に赤羽根が同行し、宮川に対し被写体、カメラアングルなどについて指示を与えていたことから、本件写真の撮影に先立ち、その著作権は宮川に成立すると同時に被告に移転することが予定されていたとし、原告代表者は平成3年10月ころ、その旨を宮川に伝え、承諾を得たとする。 しかし、被告が原告に対し、高額の制作費を支払っていたからといって、直ちに、本件写真の著作権を被告に帰属させる合意が存したと推測しうるものではなく、他にそのような合意が存したことを窺わせる証拠はない。また、被告が、平成3年10月ころ、原告代表者を通じて、宮川から本件写真の著作権譲渡について承諾を得たことを認めるに足りる証拠もない。 なお、赤羽根が本件写真の撮影時に宮川に対し被写体、アングル等に関する指示を与えたことは前記認定のとおりであるが、このことから、赤羽根が本件写真の創作活動の一部を担ったとまではいえず、右事実は本件写真の著作権の帰属を左右するものではない。よって、被告の主張(反訴請求)は理由がない(原告は、被告の主張は、時機に遅れたものとして却下されるべきであるというが、右主張のため、訴訟の完結が遅延するとまでは認められないから、右の申立ては採用することができない。)。 3 次に原告の名誉毀損の主張について判断する。証拠(甲1号証の6及び16、4ないし6号証、14号証、22、23号証、71ないし74号証、原告代表者尋問の結果)によれば、本件写真の一部(2枚)を含む原告主張の写真4枚について、被写体とされた史蹟の管理者等4名から、撮影は、かねて懇意の原告に協力を依頼されて「湘南文學」に掲載するということで応じた(許可した)ものであり、「湘南文学の旅」に転載することは了承していないとして、原告や湘南短大宛に、平成6年4月ないし7月ころ、抗議の手紙が寄せられたこと、なお、一部の者に対しては、湘南文学編集委員赤羽根龍夫名義でおわびの手紙が出されていること、原告代表者は、右の結果は原告の信用上、非常に問題である旨供述していることが認められる。 しかしながら、前掲証拠によれば、前記抗議文は、原告自身の責任を問題とするよりは、発行元である被告に謝罪を求め、あるいは、原告を通じてそのように取りはからうことを要望する内容のもであることが認められる。また、これらに原告を非難する意味合いが全く含まれないとはいい切れないとしても、原告は「湘南文學」の発行者ではないことその他原告の立場からして、原告の出版社としての信用問題が取り沙汰されていたわけではなく、せいぜい道義的な責任が問題とされていたに過ぎないというべきである。してみれば、少くとも、原告が法的な意味での名誉、信用を毀損、失墜させられるに至ったとはにわかに認められない。 また、仮にこの点を描くとしても、右のような事実関係のもとにおいて、原告に対する名誉回復処分として、原告の請求するような関係者に対する謝罪文の交付等を求めることが相当であるとは、にわかにいえない。 したがって、原告の右請求も理由がないというべきである。 三 結論 以上によれば、原告の本訴請求及び被告の反訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないので、棄却することとし、主文のとおり判決する。 横浜地方裁判所第1民事部 裁判長裁判官 浅野正樹 裁判官 近藤壽邦 裁判官 近藤裕之 別紙1(陳謝文) 拝啓 当学校法人は、株式会社かまくら春秋社を介して、貴殿より「湘南文學」に掲載する写真の撮影をさせていただきましたところ、貴殿の了解を得ることなくしてこの写真を「湘南文学の旅」に転載しました。これは、当学校法人の一方的な不手際に基づくものであり、貴殿に写真撮影への協力をお願いした株式会社かまくら春秋杜は全く関与していないことです。ここに、当学校法人は、株式会社かまくら春秋社及び貴殿に多大のご迷惑をおかけしたことにつき、深く陳謝の意を表します。 敬具 平成 年 月 日 横須賀市稲岡町82番地 神奈川歯科大学内 学校法人 神奈川歯科大学 理事長 久田太郎 各位殿 別紙2(関係人目録) (1)〒248 鎌倉市(以下住所略) 佐藤密雄 (2)〒240-01 三浦郡(以下住所略) 堀口すみれ子 (3)〒249逗子市(以下住所略) 洞外正教 (4)〒247鎌倉市(以下住所略) 高畠瑞峰 目録(写真著作物目録) 被告が発行する雑誌「湘南文學」第3号ないし第5号登載の「湘南短大生の文学散歩」文章中に挿入するために撮影した写真 写真 撮影者氏名 宮川潤一 住所 川崎市(以下住所略) 撮影日 (1)平成4年1月ころ (2)平成4年9月ころ (3)平成4年11月ころ 撮影場所 (1)鎌倉市、逗子市 (2)鎌倉市、横須賀市、東京都渋谷区 (3)三浦市 撮影対象 被告所属の女子短期大学生および関連風景 原板フィルムモノクロームネガ、カラーネガ、カラーポジ、ポジブリント。 |
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