判例全文 line
line
【事件名】「朝日新聞」実名不掲載記事の名誉毀損事件(2)
【年月日】平成10年6月26日
 仙台高裁 平成9年(ネ)第302号 損害賠償請求控訴事件
 (原審・仙台地裁石巻支部平成7年(ワ)第111号)
 (平成10年3月17日 当審口頭弁論終結)

判決
控訴人 株式会社朝日新聞社
右代表者代表取締役 松下宗之
右訴訟代理人弁護士 秋山幹男
同 近藤卓史
被控訴人 X
右訴訟代理人弁護士 濱野邦


主文
 本件控訴を棄却する。
 控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由
第一 当事者の求める裁判
一 控訴人
1 原判決中、控訴人敗訴の部分を取り消す。
2 被控訴人の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
 主文同旨
第二 事案の概要
一 本件は、被控訴人が、控訴人に対し、控訴人が報道した被控訴人の犯罪嫌疑に関する新聞記事により、被控訴人の名誉、信用が毀損されたとして、不法行為に基づく損害賠償(慰藉料)を請求した事案である。
二 争いのない事実及び証拠上明らかな前提事実
1 被控訴人は、宮城県石巻市で不動産取引を業とするX1株式会社(以下「X1」という。)を経営している。
2 X1は、平成二年一〇月三〇日、埼玉県上尾市に住む医師甲野太郎(以下「甲野」という。)に対し、石巻市門脇町一丁目所在の病院(地積合計一四九七・六〇平方メートルからなる四筆の土地と床面積合計一八九三・六四平方メートルからなる建物三棟。以下「本件病院」という)を代金四億五〇〇〇万円、手付金一〇〇〇万円の約定で売り渡す旨の契約を締結した(以下「本件売買契約」という。)。
3 甲野は、平成五年二月一六日、弁護士中川徹を代理人として、埼玉県大宮警察署に対し、告訴人を甲野、被告訴人をX1、被控訴人及びAとして、本件売買契約に関して被害を受けたなどとして、次の告訴事実(要旨)に基づく告訴をした。
(一)本件病院にはその時価を超える巨額の根抵当権その他の担保物件が設定され、しかも競売開始決定までされているのにもかかわらず、X1及び被控訴人は、甲野に対し、故意にこれらの事実を告げずに本件売買契約を締結させた。(宅地建物取引業法四七条一号、八〇条、八四条)
(二)X1は、手付金貸付名目で、債権者X1、債務者甲野、金額一〇〇〇万円、弁済期平成二年一二月三一日、利息年一割五分の約定による平成二年一一月一日付公正証書を作成させた。(宅地建物取引業法四七条三号、八一条、八四条)。
(三)被控訴人とAは、共謀の上、手付金名下に金員を騙取することを企て本件売買契約を締結させるとともに情を知らない甲野に白紙委任状を交付せしめて手付金を貸付目的とする公正証書を作成し、実際には金員貸付けの事実がないにもかかわらず一〇〇〇万円の領収書等を発行するなど、あたかも甲野が金銭消費貸借上の債務を負担しているかの如く装い、「この公正証書は一人歩きするよ。もし金を払わなければこの証書を暴力団に渡す。」などと申し述べて、以後執拗に甲野を追い回し、平成三年四月から五月にかけて数回にわたって口座振り込みさせて三〇〇万円を騙取した(刑法二四六条一項、六〇条)。
4 控訴人は、平成五年一〇月二〇日付け朝日新聞の埼玉県版において別紙一の記事を、宮城県版において別紙二の記事(以下これらを「本件各記事」という。)を掲載して発行したが、本件各記事のうち、宮城県版の内容は、次のとおりである。
 「石巻市内の不動産業者らが、多額の担保のついた同市内の病院の売買話を医師にもちかけ、手付金三百万円をだましとったとして、埼玉県大宮署は、十九日までに、不動産業者ら二人を詐欺と宅地建物取引業法違反(重要事項不告知)の疑いで浦和地検に書類送検した。
 送検されたのは、石巻市門脇の不動産会社役員(五八)と埼玉県坂戸市片柳の医療コンサルタント(六七)。
 調べによると、二人は一九九〇年十月初旬ごろ、当時、同県上尾市内に勤務していた医師(四八)に「石巻市内の一等地にいい病院があるから買わないか」などともちかけ、同月三十日、大宮市内のホテルで、代金四億五千万円で売買契約を結んだ。
 ところが、医師は予定していた銀行融資が得られず、売買は実現しなかった。しかし、不動産業者らは、手付金貸し付けの名目で一千万円を医師に貸したという公正証書を作成しており、九一年一月ごろ「証書を買い取ってほしい。買い取らなければ、証書はひとり歩きするよ」と医師に迫り、四月から五月にかけ、数回にわたり計三百万円をだましとった疑い。また、不動産業者らは、病院に数億円にのぼる多額の担保がついていたことを医師に告知しなかった疑い。
 病院は、もともと石巻市内の医師が経営していたが、多額の借金を負い、医療保険の不正請求を行うなどしたため、八七年七月、保険医の資格を取り消され、事実上廃業していた。契約当時は、すでに競売開始決定がされていた。不動産業者らは、九一年一月、病院を都内の医療法人に売り渡している。」
5 浦和地方検察庁は、被控訴人に対する前記告訴事件について、宅地建物取引業法違反被疑事件は平成五年一〇月二九日付けで嫌疑不十分及び起訴猶予を理由に、詐欺被疑事件は平成六年三月三一日付けで嫌疑不十分を理由に、それぞれ不起訴処分にした。
6 甲野は、浦和地方裁判所に対し、被控訴人とX1を被告とする損害賠償請求の訴えを提起したが、その請求の原因の骨子は、次のとおりである。
(一)本件病院には多額の担保権が設定され、かつ二重の競売開始決定による差押登記がされていたのに、被控訴人ら(被控訴人とX1、以下同じ)は、その事実を告げなかった。これは重要事項説明義務の不履行(宅地建物取引業法四七条一号違反)に当たる。また被控訴人らは、甲野には手持資金がなく、しかも希望額の銀行融資が受けられないことを知っていながら、実際には金銭の授受がないにもかかわらず、X1が甲野から手付金一〇〇〇万円を受領したかのような領収書を発行するなどの外形を作出した。これは、手付金の貸し付けを禁じた宅地建物取引業法四七条三号に違反する。
(二)被控訴人らは、手付金名下に金員を入手することを企て、本件売買契約を締結させるとともに、情を知らない甲野に白紙委任状を交付させて、金額一〇〇〇万円の金銭消費貸借契約公正証書を作成させ、さらに「この公正証書は一人歩きするよ、もし金を払わなければこの証書を暴力団に渡す。」と申し述べて、以後執拗に甲野を追い回し、四回にわたり、合計三〇〇万円を騙取ないし喝取した。
7 浦和地方裁判所は、平成七年一〇月一二日、甲野の右訴訟について、請求棄却の判決を言い渡し、その控訴審である東京高等裁判所は、平成八年五月二九日、控訴棄却の判決を言い渡したが、これらの判決における認定判断の骨子は次のとおりである。
(一)被控訴人は、平成二年一〇月七日ころ、本件売買契約に先立ち、甲野を本件病院の現地に案内し、本件病院が売りに出された事情、担保権設定登記の内容、その債権者との間で、合計二億九四一七万四四四六円の債務を弁済することにより、競売申立が取り下げられる旨の了解ができていることなどの説明をした。これに対し、甲野は、本件病院の購入希望を強く持ったが、購入資金がなかったため、購入するには融資を受ける必要があり、被控訴人にもその旨を話した。
(二)甲野は、同月九日付けで、本件病院を四億五〇〇〇万円で買い付けることを証明する旨の買付証明書をX1に送付し、さらにかねて取引のあった銀行に融資の依頼をするとともに、被控訴人に対し、右融資の依頼をしていること、勤務先の診療所を同月三一日付で退職する予定であることなど、本件病院に対する買い付けの熱意を訴える書簡を送った。そのため、被控訴人は、甲野が確実に融資を受けられるものと信じ、本件病院を甲野に売却することにした。
(三)被控訴人と甲野は、同月二七日ころまでに、本件病院を代金四億五〇〇〇万円、手付金一〇〇〇万円で売り渡す旨の概略の合意が成立したが、甲野から、被控訴人に対し、手持金がないので手付金一〇〇〇万円を一時立て替えてほしい旨の依頼があった。このころまでに、被控訴人と甲野との間で、X1が甲野に対し、本件売買契約の手付金分として一〇〇〇万円を貸し渡すこと、この貸金については公正証書を作成すること、甲野は融資実行時にこの貸金を一括返済することなどの合意が成立していた。
 同月二九日、X1は、本件病院を三億六〇〇〇万円、手付金一〇〇〇万円で買い受けた。
(四)同月三〇日、甲野、被控訴人、司法書士その他の者が同席して本件売買契約が締結され、同日、X1から甲野に対する手付金分一〇〇〇万円が貸し付けられ、甲野からX1に対する手付金一〇〇〇万円が支払われた相殺処理が行われ、甲野は公正証書作成手続を右司法書士に委任することとし、委任状に署名押印した。なお、同日、X1から甲野に対し、本件病院の物件案内書が交付された。
(五)本件売買契約では、X1は甲野に対し、平成二年一一月三〇日までに本件病院を引き渡すとともに、何ら負担のない所有権の移転登記をすること、他方、甲野はX1に対し、売買残代金四億四〇〇〇万円を支払うこととし、売主違約による解除の際の手付損金倍返し、買主違約による解除の際の手付流れが約された。
(六)ところが、甲野の銀行からの融資の話は難航し、結局融資を受けることができなくなった。甲野は、同年一二月二五日、X1に対し、銀行からの融資話が不成立となったので、本件病院を買い受けることができなくなった旨を連絡した。そこで、X1は、甲野に対し、同月二八日ころ、平成三年一月一日付けをもって、甲野の代金支払債務の履行不能を理由に本件売買契約を解除する旨の意思表示をした。
(七)甲野は、同年一月下旬、X1を訪ね、謝罪するとともに前記貸金債務を一〇〇万円に減額してほしい旨を依頼したが、X1はこれを断った。同月一五日、甲野とX1の間で、右貸金を三〇〇万円に減額することを合意し、甲野は、これに基づき、X1に対して念書を差し入れるとともに、同年五月一七日までに、五回に分けて合計三〇〇万円を支払った。
(八)右(一)ないし(七)の事実のとおり、被控訴人らが甲野に対し、重要事項を説明しているのであるから、宅地建物取引業法四七条一号違反の事実はなく、また、同法四七条三号は、顧客に手付金を貸し付けるなどの方法によって契約の締結を誘引する行為を禁じているのであるから、その違反もない。さらに、公正証書作成の経過に違法はなく、三〇〇万円の受領は騙取でも喝取でもない。したがって甲野の請求はすべて理由がない。
三 争点
 本件の争点は、
l 本件各記事が被控訴人の名誉を毀損するものであるか否か、
2 本件各記事について、真実性の証明があるか、また、控訴人において真実と誤信したことについて相当の理由があったか否か
3 損害の額
 の点であり、これらに関する当事者双方の主張は、原判決「事実及び理由」欄の「二争点」に記載のとおりであるから、これを引用する。
四 当審における控訴人の主張
 本件各記事には、書類送検されたという客観的な事実以上の記載はない。したがって、真実性の証明の対象は、書類送検の事実だけである。このような場合、書類送検された内容についてその疑いが濃厚であることまで証明できない限り報道できないとすると、犯罪事実の嫌疑という公共的事項に関する表現の自由は著しく制約されてしまうのである。したがって、記事が書類送検された事実以上にことさらに犯罪を犯したことが確実であるかのような記載をしていなければ、それは犯罪事実の嫌疑に関する事実の報道として許されると解すべきである。
五 証拠<略>
第三 当裁判所の判断
一 争点1について
 当裁判所は、本件各記事のうち、埼玉県版の記事については、その読者において、記事の対象となっている人物や病院を特定することが困難であるから、名誉毀損には当たらないが、宮城県版の記事については、不特定の読者において、記事と被控訴人との結びつきを認識することができ、被控訴人の名誉を毀損するものであると判断する。その理由は、原判決の理由説示(原判決一二枚目裏二行目から一五枚目裏一行目<編注・本郷八〇頁三段二七行目〜八一頁三段一二行目まで)のとおりであるから、これを引用する。
二 争点2について
1 本件記事の真実性について
 本件各記事のうち宮城県版(以下「本件記事」という。)は、いまだ公訴の提起されていない犯罪に関する事実を報道するものであるから、その性質上、公共の利害にかかわるものである。
 本件記事には、前記のとおり、第一文において、不動産業者ら二人が詐欺と宅地建物取引業法違反の疑いで書類送検された旨が記載されている。そして、これに続く第二文以下が単に送検された被疑事実を明示したにすぎないとすれば、控訴人が主張するように、本件における真実性証明の対象が書類送検の事実だけであると解することもできないではない。しかしながら、本件記事のうち第三文以下には、まず「調べによると」とあり、次いで不動産業者らが不動産に多額の担保のついていることを知らせないで売買の話を持ちかけて契約を締結したという宅地建物取引業法違反の事実と手付金貸し付けの名目で公正証書が作成され、三〇〇万円をだましとったという詐欺の疑いがある旨の記載がある。これは、詐欺と宅地建物取引業法違反による書類送検の事実のみにとどまらず、警察などの捜査機関による調べ、あるいは記者の取材等による調査の結果によって、具体的な容疑の事実が明らかになっていることを示した記事であるといわざるを得ない。また、見出しは、別紙二のとおり、まず「多額の担保ついた病院の売買話で」とあり、行を改めて太字ゴシック体で「手付金三〇〇万円取る」と強調し、さらに行を改め、「石巻の不動産業者ら二人 詐欺容疑で書類送検」というものである。
 控訴人は、本件記事は単に書類送検されたという事実が内容になっているに過ぎないと主張する。しかしながら、司法警察員は、犯罪の捜査をしたときは、原則としてすべて事件を検察官に送致しなければならず(刑事訴訟法二四六条)、特に告訴を受けたときは、速やかにこれに関する書類及び証拠物を検察官に送付しなければならない(同法二四二条)のであり、送致される事件には必ずしも証拠による裏付けが十分ではなく、嫌疑がないものとして不起訴になる事件も含まれているものである。したがって、一般的に送検の事実についての報道が許されないとはいえないにしても、送検の事実だけを報道するというのであれば、右のような送検の性質を踏まえ、表現上慎重な配慮が要請されるものというべきである。しかるに、本件記事は、右にみたように、書類送検されたというだけにとどまらず、容疑実事の存在を断定したとまでは言えないにしても、あたかもその容疑の事実が右の調べによって裏付けられているかのような印象を読者に与えるものであり、一般の読者が見出しにおいて強調された表現と併せて読めば、これは書類送検されたという事実の報道ないしその限りにおける犯罪の疑いというものを超え、犯罪事実が調べによってそれなりに裏付けられ、容疑が濃厚になっていることを強く印象づける報道記事であるというほかはない。
 そして、前記第二、二、5ないし7の事実のとおり、被控訴人の容疑は不起訴処分(重要事項告知義務違反び詐欺は嫌疑不十分、手付金貸付禁止違反は起訴猶予)で終わったほか、被控訴人が本件病院に多額の担保が設定されているのにこれを告知しなかったこと及び三〇〇万円を騙取したことについては、これを認めることができず、手付金貸付禁止の規定にも触れないとする内容の民事事件の判決が出されているなど、被控訴人の容疑が濃厚であったとはいえないものがあり、これらを覆し、被控訴人の容疑が濃厚であったとか、調べによって容疑が裏付けられていたことを認めさせるに足りる証拠はない。
2 真実性の誤信について
 当裁判所は、被控訴人の宅地建物取引業法違反及び詐欺の各罪の容疑が濃厚であるとの点について、控訴人において真実と誤信したことに相当の理由があるものとは認められず、本件記事による報道については控訴人に過失があると判断する。その理由は、次のように付加訂正するほか、原判決の理由説示(原判決二〇枚目裏五行目から二五枚目表五行目<同八三頁一段一六行目〜八四頁二段三一行目>まで)のとおりであるから、これを引用する。
 原判決二四枚目裏四行目<同一四行目>の次に行を改め、「甲野の告訴状の記載によれば、本件病院には多額の担保が設定され、しかも競売開始決定がされていたのにこれらの事実を告げなかったという点は、被控訴人らの宅地建物取引業法違反を構成する事実であるとともに、甲野において、詐欺の事実の前提事実として重要な事実と認識していることが明らかである。しかしながら、このような事実は、登記簿の記載を見れば一目瞭然であり、不動産業者の被控訴人が、医師としての長い経験を有し、社会的には常識人と理解できる甲野に対し、このようなすぐに判るようなことをあえて告げないで四億五〇〇〇万円もの不動産の売買契約を締結させることは通常想定し難く、また、このような基本的な事実を知らないまま、何億円もの融資を銀行に申し込み、融資の交渉を続けるなどということは、右のように高額の不動産取引に関与する者の行動としては極めて不自然であること。」を加え、同二四枚目裏末行の「原告Xや」を「被控訴人など甲野と対立する側の関係者からは全く事情を聞いていないほか、比較的第三者的な立場の関係者である」に改める。
三 争点3について
 以上の認定判断を前提にすると、本件記事によって控訴人が被った精神的損害を慰謝するに足りる金額は五〇万円と、また、弁護士費用については、控訴人の不法行為と相当因果関係のある損害は一〇万円と認めるのが相当である。
四 以上によれば、原判決は相当であり、控訴人の本件控訴は理由がないから棄却することとして主文のとおり判決する。

仙台高等裁判所民事第1部
 裁判長裁判官 武藤冬士己
 裁判官 畑中英明
 裁判官 若林辰繁


別紙一・二<略>
line
 
日本ユニ著作権センター
http://jucc.sakura.ne.jp/