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【事件名】フジテレビの医療過誤報道名誉毀損事件
【年月日】平成10年6月19日
 東京地裁 平成9年(ワ)第6105号 損害賠償等請求事件
 (平成10年3月20日 口頭弁論終結)

判決
原告 学校法人甲野大学
右代表者理事 乙山太郎
右訴訟代理人弁護士 萩原平
同 田中永司
同 後藤邦春
被告 株式会社フジテレビジョン
右代表者代表取締役 日枝久
右訴訟代理人弁護士 渡部喬一
同 小林好則
同 小林聡
同 仲村晋一
同 松尾憲治
同 飯田雄大


主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由
第一 請求
 被告は、原告に対し、五四〇〇万円(慰藉料五〇〇〇万円及び弁護士費用四〇〇万円)及びうち五二〇〇万円(慰藉料五〇〇〇万円、及び弁護士費用四〇〇万円のうち成功報酬相当額二〇〇万円を除いた部分)に対する平成九年四月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は、被告放送の番組「ニュースJAPAN」において、別紙一記載の謝罪放送を一回放送せよ。
第二 事案の概要
 本件は、原告が、被告の放送した番組によって名誉を毀損されたと主張し、不法行為を理由に、慰藉料五〇〇〇万円及び弁護士費用四〇〇万円並びに不法行為後の日からの遅延損害金の各支払、謝罪放送を請求した事案である。
一 前提となる事実
1 当事者
(一)原告は、教育基本法及び学校教育法により、学校教育を行うことを目的とする学校法人であり、甲野大学等を設置し、同大学医学部附属溝口病院(本件病院)等を経営している。
(二)被告は、放送法による一般放送事業等を営む株式会社であり、月曜日ないし金曜日の午後一一時ころから翌日午前〇時二〇分ころまで、「ニュースJAPAN」と題する番組を全国放送している(争いない。)
2 被告は、平成九年二月二四日午後一一時から放送された右番組において、「医療ミス」の主題及び「嘘のカルテ」の副題の下に特集番組(本件番組)を放映し、同番組中、冒頭で、右主題及び副題の字幕、医療過誤により重い障害を負った丙川松夫の介護に関する放送がされ、「失われた人生を返せ!医療過誤被害の現実」の見出しの後に、別紙二のとおり、元本件病院の勤務医師であった丁原竹夫こと丁原夏夫から原告に対して提起された医療過誤を理由とする訴訟についての放送(以下、丁原に関する部分を「本件放送部分」という。)がされ、これに引き続き、「医療過誤訴訟では、原告である患者等の請求認容例が少なく、その一因として、裁判で重要な証拠となるカルテが医師等によって改ざんされることが挙げられる。」との説明(ナレーション)の後、医療過誤訴訟においてカルテの改ざんが明白となった戊田梅夫に関する放送がされた。
二 争点
1 争点1(請求原因。本件番組による原告の社会的評価の低下)
(一)原告の主張
(1)本件放送部分中別紙二の@、A及びC部分は、丁原について、本件病院の医師が医療過誤を犯した上、治療内容につき虚偽説明をし、説明を避け、又は丁原から逃げ回っているとの印象を一般視聴者に強く抱かせるもので、原告の社会的評価を低下させた。
(2)本件番組においては、前記前提事実記載のとおり、冒頭で、「医療ミス」及び「嘘のカルテ」の主題及び副題の字幕が放映され、医療過誤により重い障害を負った丙川の介護に関する放送がされ、「失われた人生を返せ! 医療過誤被害の現実」の見出しの後に、本件放送部分が放映される構成となっており、一般視聴者は、丙川に関する放送部分により、医療過誤による被害の悲惨さを印象付けられ、これに続く本件放送部分により、本件病院の医師の医療過誤のため丁原が人生を失うほどの悲惨な被害を受けたと認識することとなり、これにより、原告の社会的評価が低下させられた。
(3)本件番組においては、本件放送部分に続き、前記前提事実記載のとおり、医療過誤訴訟において、カルテの改ざんが明白となった戊田に関する放送がされ、これにより、本件病院の医師が、医療過誤を犯した上、丁原のカルテ等を改ざんしたとの印象を一般視聴者に与え、原告の社会的評価が低下させられた。
(二)被告の反諭
(1)本件放送部分において、本件病院の医師が医療過誤を犯したと断定した放送はなく、別紙二Aとともに、同B及び同Dの説明を加え、丁原の主張とともに、原告の主張を紹介し、両者間に医療過誤訴訟が係属中であることを明示した。
(2)丙川に関する放送部分は、現行の看護体制において、入院患者の付添いが廃止されて看護婦が介護を行うものとされたが、実際には、医療過誤で重い障害を負った患者が病院で看護を受けることは困難であるという、病院の介護体制における問題点及び患者の介護の現状を、本件放送部分は、医師である丁原が治療についての説明不十分として、自身が勤務していた病院を訴えたことを、戊田に関する放送部分は、医療過誤訴訟において、患者が医師の治療上の過失を証明することが困難な実情にあること及びカルテの改ざんが明白となり、死亡した患者の遺族に有利な和解が成立した事例を紹介し、医療過誤が遺族に与える精神的苦痛をそれぞれ取り扱っており、本件番組は、全体として、医療過誤に関する諸問題の中から、異なる題材を取り上げたもので、題材及び手法もそれぞれ異なっており、本件放送部分が、一般視聴者に対し、前後の放送部分と相まって、本件病院の医師の医療過誤を印象付けることはない。
2 争点2(被告の抗弁。真実性又は真実と信じたことについての相当理由)
(一)本件番組は本件病院と丁原との間に係属中の医療過誤訴訟及び医師の責任が明らかとなった医療過誤の事例を取り扱っているところ、医療に関する問題は、国民全体の関心の極めて高いもので、公共の利害に関する事実であり、被告は、医療に関する諸問題を視聴者に伝えるために本件番組を制作し、放送したのであって、公益を図る目的に出たものである。
(二)取材の経緯
(1)本件番組のディレクターである被告従業員Xは、丁原を取材し、同人から、平成五年九月二四日、右手術を受け、手術後手術部位外から激痛を生じ、主治医に報告したものの、症状の原因等につき何の説明もなく、同年一〇月一九日、本件病院でMRI検査を受け、股関節内側の軟部組織内に出血が見られた旨診断され、同六年二月、東横病院で同検査を受け、同部位に骨頭軟骨の一部欠損が認められた旨診断され、同年三月及び四月、本件病院でMRI検査を受け、同部位の軟部組織の増殖が認められた旨診断され、同年一〇月、本件病院の放射線科医長から、右手術の際に、下肢の引っ張り損傷による剥離骨折が生じた可能性がある旨告げられ、同年一一月、同人から、大腿骨頭の円靭帯骨付着部に剥離骨折又は円靭帯損傷が生じた旨診断されたと告げられた。
(2)丁原のカルテには、手術部位について、臼蓋窩及び円靭帯が視認できるように図示されていたところ、Xは、本件番組制作に先立ち、複数の整形外科医に取材し、右手術に際して通常用いられる下肢の引っ張りによって、臼蓋窩及び円靭帯が外部から明確に視認できる状態に変化することはない旨告げられた。
(3)Xは、同九年二月一七日、原告本部広報委員会委員長である甲田春夫に対し、取材申込書を送付し、丁原から提起された医療過誤訴訟等について取材を申し入れ、同月一八日、同人から、本件病院の勤務医師等へ直接の取材及び撮影をすることを拒否され、訂正申入書と題する書面(原告が、朝日新聞に対し、右医療過誤訴訟に関する同新聞記事について訂正を申し入れたもの。)を送付され、同書面中の文言を原告の回答とするよう告げられ、同文言を引用して、本件放送部分中の原告の主張を放送した。
3 争点3(請求原因。損害)
(一)慰藉料
 原告は、本件番組の放映により、名誉を著しく傷つけられ、その回復を図るに五〇〇〇万円を下らない無形の損害を被った。
(二)弁護士費用
 原告は、本訴の提起及び追行を原告訴訟代理人らに委任し、央着手金二〇〇万円を支払うとともに、成功報酬二〇〇万円を支払うと約束した。
(三)謝罪放送の必要性
 本件放送部分は、前記のとおり、本件病院の医師が医療過誤を犯したとの印象を与えるものであり、本件番組が誤報であったことは、一日も早く一般視聴者に伝えるべき事柄であり、請求の項記載の謝罪放送をする必要がある。
第三 当裁判所の判断
一 争点1(原告の社会的評価の低下)について
1 テレビ放送とこれによる社会的評価の低下についての判断
 テレビ放送の視聴者は、新聞や雑誌等の場合と異なり、情報を十分に検討する時間的余裕なく、映像又は音声の形で流された情報を受領しながら、瞬時の検討を余儀なくされるのであり、その後の情報受領過程で、一旦受けた印象を払拭することは必ずしも容易でなく、むしろ、その印象を前提とした上で、さらに新たな情報を受領し、判断資料に組み入れていくのである。テレビ放送のかかる特性に鑑みれば、ある放送部分が他人の名誉を毀損するか否かの判断においては、当該放送部分の吟味とともに、その前後の放送内容をも併せ考慮した上で、一般視聴者を基準として、当該放送部分が、他人の社会的評価を低下させるかどうかを検討すべきである。
2 本件放送部分による原告の社会的評価の低下
(一)本件放送部分は、前記前提事実記載のとおり、丁原が、本件病院で受けた股関節手術について医療過誤があると主張して訴訟を提起したことを内容とするもので、右訴訟が本件病院の元理学療法科医長であった丁原の提訴にかかるものであることから、一般の視聴者に対し、丁原の主張にそれなりの根拠があるのではないかという印象を与えることは否めない。
(二)しかしながら、本件放送部分が、丁原から提起され、未だ決着を見ない訴訟についての同人の一方的主張を述べさせたにとどまるものであることは、一般人においても誤解しようがなく、右部分の内容が原告の社会的評価を低下させるものに当たるということはできない。
3 本件番組による原告の社会的評価の低下
(一)本件番組においては、前記前提事実記載のとおり、医師に責任がある医療過誤により介護を要する状態となった丙川に関する放送部分、遺族が提起した医療過誤訴訟において、死亡した患者についてのカルテの改ざんが明白となり、遺族に有利な和解が成立した戊田に関する放送部分の間に本件放送部分が放送されており、本件番組を全体として見るときは、医師である丁原の本件放送部分中の説明(別紙二の@及びC部分)と相まって、本件病院の医師も責任を負うべき過誤を犯し、又はカルテの改ざんをしたのではないかとの誤解を招き兼ねないものと言いうる。殊に、前記のように、視聴者において、新聞等の場合と異なり、受領した情報を十分に検討する時間的余裕のないテレビ放送の特色を考慮すると、前後に医師の責任の明らかになった題材について放送し、その中間に、原告の責任を追及する反対当事者の一方的な主張を放送するのは、報道の一翼を担うテレビ放送事業に携わる者として、見識を疑われてもやむを得ない方法というべきである。もっとも、丁原の一方的主張のみが放送されることとなった経緯については、原告において、書面による応対の外、被告の担当者の取材に応じなかったことも寄与していることは明らかであるが、原告が被告の取材に応じる義務を負うものでもない以上、原告の対応の故に右のような報道が正当化されるものでもない。
(二)しかしながら、一般のテレビ視聴者は、医療過誤として医師の責任が明らかとなった事例と患者が一方的に医療過誤の訴えをして提訴中の事例とを識別する程度の英知を有していることも明らかであり、両者を区別なく扱って放送して疑問を抱かない報道に従事する者の見識を疑うことはあっても、本件番組の放送により、原告がその責めを負うべき医療過誤を犯したとの印象を受けるとは考え難いというべきであって、本件番組により原告の社会的評価が低下させられたとまでいうことはできない(本件放送部分又はその前後において、「医療ミス」、「嘘のカルテ」及び「失われた人生を返せ!医療過誤被害の現実」の字幕並びに丁原のカルテ等の映像が放送されていても、それが右認定を左右することもない。)。
二 結論
 よって、その余の点を検討するまでもなく、原告の請求は理由がないから、失当として、棄却すべきである。

東京地方裁判所民事第1部
 裁判官 柴崎哲夫
 裁判官 高島義行
 裁判長裁判官 江見弘武は、転補のため、署名及び押印をすることができない。

裁判官 柴崎哲夫


別紙一・二<略>
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