判例全文 | ||
【事件名】電話番号掲載によるプライバシー侵害事件 【年月日】平成10年1月21日 東京地裁 平成8年(ワ)第22728号 損害賠償等請求事件 判決 原告 甲野花子 右訴訟代理人弁護士 的場徹 同 長谷一雄 同 佐藤容子 被告 日本電信電話株式会社 右代表取締役 宮津潤一郎 右訴訟代理人支配人 宇田好文 右訴訟代理人弁護士 佐藤安男 主文 一 被告は原告に対し一〇万円及びこれに対する平成八年一一月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。 二 原告のその余の請求をいずれも棄却する。 三 訴訟費用は、これを四〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。 四 この判決は第一項に限り仮に執行することができる。 事実実及び理由 第一 請求 一 被告は別紙一の電話帳目録一及び二記載の各電話帳(以下「本件一及び二の各電話帳」などと同目録記載の番号をもって表示する。)の配布先に対し別紙二記載の広告を被告の負担において一回配布せよ。 二 被告は原告に対し三〇〇万円及びこれに対する平成八年一一月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。 第二 事案の概要 本件は、原告が、自己の氏名、電話番号及び住所を電話帳に掲載しないよう求めたにもかかわらずこれを掲載されてプライバシーを侵害され、精神的損害を蒙ったと主張して、電話帳の発行・配布業務を行う被告に対し、人格権に基づき、原告の電話番号等の掲載された電話帳の配布先に当該電話帳の廃棄を求める広告の配布を請求するとともに、不法行為に基づき、慰藉料三〇〇万円の支払を請求した事案である(慰謝料請求の遅延損害金の始期は訴状送達の日の翌日である。)。 一 争いのない事実等(証拠を掲記しない事実は当事者間に争いがない。) 1 当事者 原告は、肩書地に未成年子と共に居住する都立高校の教師であり、被告との間で加入電話契約を締結している者である。 被告は、日本電信電話株式会社法に基づき、国内電気通信事業を営むことを主要な事業目的として設立された株式会社である。 2 原告の電話番号等の電話帳への掲載 (一)原告は、平成七年三月二三日被告の港支店瀬田営業所に赴き、同営業所職員に対し、東京都世田谷区(住所略)から現住所地(住所略)への転居に伴い、電話の移設及び電話番号の変更を求めるとともに、原告の氏名、電話番号及び住所を電話帳に掲載しないよう求めた。 (二)しかし、被告は、平成八年三月を発行期とする本件一及び二の各電話帳に原告の氏名、電話番号及び住所を掲載し、これを東京都世田谷区内の加入電話契約者(以下「契約者」という。)等のうち希望者に対し配布した。 二 当事者の主張 1 原告 (一)被告は、前記一の2のとおり、原告の明示の意思に反して原告の氏名、電話番号及び住所を本件一及び二の各電話帳に掲載してこれを配布した上、その後の原告の要求にもかかわらず、本件一及び二の各電話帳を回収するなどの方策を講じなかった。 (二)個人の電話番号、住所及び世帯主の氏名は、人格権としてのプライバシー権の客体というべきであり、これを当該個人の同意なしに公表することは当該個人のプライバシー権を侵害する行為というべきであるところ、一般的に電話帳に掲載されるのが世帯主の氏名であると考えられることからすれば、前記一の2の(二)の被告の行為は、原告のプライバシー権を侵害する行為である。 そして、プライバシー権を侵害された者は、侵害者に対し、侵害状態を除去することを求める請求権(人格権に基づく妨害排除請求権)を有するから、原告は被告に対し、右請求権の一つとして、原告の電話番号等が記載されている本件一及び二の各電話帳の配布先に当該電話帳を廃棄するよう求める広告の配布を請求する権利を有している。 (三)また、被告の右行為は、被告の重大な過失によるものであって、これによって原告は電話による嫌がらせや住居侵入などの被害を受けるのではないかとの不安感に苛まれるなどの精神的損害を蒙ったから、原告に対する不法行為を構成する。 2 被告 (一)個人の氏名、電話番号及び住所は、個人の私生活の細部にわたる情報ではないこと、右のような個人の基本的な情報を外部に知られないようにすることは事実上不可能であること、原告自身本件一及び二の各電話帳以外から原告の氏名、電話番号及び住所が外部に漏れる可能性が存することを認めていたこと、以上の事情に照らせば、原告の氏名、電話番号及び住所はプライバシーとして法的に保護されているものではないというべきである。 (二)仮に、原告の電話番号等がプライバシーとして法的に保護されるものとしても、前記一の2の(二)の被告の行為は害意をもってなされたものではないこと、本件一及び二の各電話帳に原告の電話番号等が掲載されて一年余りが経過した平成九年四月までに原告に現実の損害が発生していないこと、本件発覚後被告が原告に対し可能な限りの対応策を提案したこと、原告が蒙ったと主張している精神的損害は非常に軽度であると考えられること、以上の事情に照らせば、被告の右行為は違法性を欠く (三)被告の右行為の態様、性質等に加え、既に新年度(平成九年度)の電話帳が配布されている現在において、本件一及び二の各電話帳の廃棄を求める広告を配布する実益に乏しいと考えられることからすれば、原告の広告配布請求は認められない。 三 主要な争点 1 被告の行為の違法性の有無 2 人格権に基づく広告配布請求の許否 第三 争点に対する判断 一 前記争いのない事実等に加え、<証拠略>によれば、次の事実が認められる。 1 原告の生活歴等 原告は、昭和五八年四月以降都立高校の教職にある女性であり、平成五年三月に離婚した前夫は大学の教員である。 原告は、平成五年一月前夫と別居するため、横浜市緑区から東京都世田谷区(住所略)のマンションヘ、前夫との間の娘(平成九年七月当時六歳)とともに転居したが、平成五年秋ころ、原告宅に頻繁に嫌がらせ電話がかかるようになった。右電話は前夫に宛てたものであることが判明したが、その後、原告宅に嫌がらせ電話をかけたと思われる前夫の教え子(男性)が前夫宅に侵入するという事件が起きたことから、原告は、当時保育園に通っていた娘に万一のことがあってはいけないなどと思い、転居を決意し、平成六年五月現住所地の新築マンションを購入し、マンション完成後の平成七年三月ころ現住所地に転居した。 なお、原告の氏名、電話番号及び住所は、出身高校の同窓会名簿、所属学会名簿及び東京都教職員名簿に掲載されている。 2 原告の電話番号等の電話帳への掲載等 (一)原告は、平成七年三月二三日被告の港支店瀬田営業所に赴き、同営業所職員に対し、右転居に伴い、電話の移設及び電話番号の変更を求めるとともに、従前どおり原告の氏名、電話番号及び住所を電話帳に掲載しないよう求めた(原告は、旧電話番号についても電話帳への掲載を求めていなかった。)。 (二)しかし、被告の港支店世田谷一一六センタの職員がコンピューター処理を誤ったことから、平成八年三月を発行期とする本件一及び二の各電話帳に、原告の氏名、電話番号及び住所が掲載され、被告は、本件一及び二の各電話帳を、業者を介して配布対象地域内の契約者のうち希望者に対しほぼ平成八年二月中に配布したほか、対象地域内の新規契約者のうち希望者に対し契約の際に交付し、対象地域外の契約者についても希望者に対し販売又は配布し、対象地域内の公衆電話に備え付けた。 (三)なお、電話帳に掲載される氏名は、契約者又はその契約者が指定する者の氏名、名称若しくは称号のうちの一つとされており、かつ、住所の記載からは、集合住宅名称及び部屋番号数が除かれている。 また、本件一の電話帳には、掲載対象者約四六万件のうち掲載希望者約二〇万件の電話番号等が掲載されている。 3 本件の発覚及びその後の交渉経過 (一)原告は、平成八年六月セールスの電話を受け、また、ダイレクトメールを受け取ったことなどを契機に、本件一及び二の各電話帳に原告の電話番号等が掲載されていることを知り、今後、電話による嫌がらせや住居侵入などの被害を受けるのではないかとの不安感を覚えた。そして、原告は、同月二四日被告に対し、右掲載について電話で抗議した。 (二)被告担当者は、原告の抗議から数日後原告に対し、対応策として、@電話番号の変更(親戚、知人等に電話番号が変更となったことを通知する費用を含む。)、A「二重番号サービス」(現在利用中の電話番号にもう一つ別の電話番号を用意し、契約者の電話機からの操作によりサービス開始のセットをすると、現在利用中の電話番号にかかってきた電話には契約者に代わってメッセージを伝え、もう一つ別の電話番号にかかってきた場合には契約者が電話を受けることができるというサービス)の使用、B「迷惑電話おことわりサービス」(迷惑電話を受けた直後に、契約者が電話機から登録操作を行うことにより、以降同じ電話番号からかかってきた場合には、契約者に代わって自動的にメッセージで応答するサービス)の使用、C発信専用回線及び留守番電話付ファックスの設置(相当額の損害賠償)を提案した。しかし、原告は、住所が電話帳に掲載されたことについての対処がなされていないことを理由に、右提案を受け入れず、被告に対し、本件一及び二の各電話帳を回収するよう求めた。 (三)被告は、原告との交渉の過程で、原告の要望により、本件一及び二の各電話帳のうち未配布の在庫約五万冊について、五四四人日相当の労力及び約五五二万円の経費を掛けて、原告の氏名、電話番号及び住所の掲載欄に特殊シール(原告の情報の削除が目立たないように、原告の情報の掲載欄の前後二、三件の情報が印刷され、かつ、強い粘着力により紙から剥がすことができないシールである。)を貼付して本件一及び二の各電話帳の修正版(以下「修正版」という。)を作成し、また、公衆電話に備え付けられていた本件電話帳を修正版と差し替えた。 (四)その後、原告はあくまでも本件一及び二の各電話帳の回収を求めたが、被告は、回収の実効性に疑問が存したことや回収及び修正版の再配布には約二億円の費用が掛かるものと予想されたことなどの理由でこれに応じなかった。 (五)なお、被告は、原告の電話番号等が掲載されていない平成九年度の電話帳(発行期平成九年三月)を、前記2の(二)と同様の範囲に配布するとともに、本件一及び二の各電話帳の一部を回収した。電話帳の回収は、通常、新年度の電話帳を配布する際に、家人が在宅している場合は旧年度の電話帳を回収する旨声をかけてなされ、また、留守の場合は回収する旨のチラシをポストに投入する方法によりなされるが、回収率は三一パーセント前後に止まる。 二 右認定事実を前提に検討する。 一 争点1について (一)被告は、前記一の2の(二)のとおり、担当者の事務処理上の過誤によって、原告の氏名、電話番号及び住所を、原告の明示の意思に反して本件一及び二の各電話帳に掲載した上、これを配布した。 (二)そこで、自己の意思に反してその氏名、電話番号及び住所を公表されないという利益が、法的に保護されるものであるか否かについて検討する。 「他人に知られたくない私的事柄をみだりに公表されないという利益(プライバシーの利益)は、他人がみだりに個人の私的事柄についての情報を取得することを許さず、また、他人が自己の知っている個人の私的事柄をみだりに第三者へ公表したり、利用することを許さず、もって人格的自律ないし私生活の平穏を維持するという利益の一つの内容として、法的保護の対象となるというべきであり、そのためには、公表された事柄が、@私生活上の事柄又は私生活上の事柄らしく受け取られるおそれのある事柄であること、A一般人の感受性を基準にして、当該私人の立場に立った場合、公開を欲しないであろうと認められる事柄であること、B一般の人に未だ知られていない事柄であることを必要とするものと解される。 (三)(1)そこで検討するに、個人の氏名、電話番号及び住所は、社会生活上、公的機関や友人など一定の範囲の者に了知され、これらの者により日常的に利用される情報であること(公知の事実)からすれば、必ずしも私生活上に限られた事柄であるものとはいい難い面も存する。 しかし、個人の氏名、電話番号及び住所といった情報は、その私生活の本拠である住居に関するものであること、現代社会においては、このような情報が当該個人の了解する範囲外の者の目にさらされることによって私生活上の平穏が害されるおそれが増大しつつあること(公知の事実)、プライバシーの利益の保護が人格的自律ないし私生活上の平穏の維持をその主旨とすること、以上によれば、原告の氏名、電話番号及び住所は、私生活上の事柄である(前記@)ものというべきである。 (2)また、原告が嫌がらせ電話などで悩んだ経験を有していること、原告が被告に対し自己の氏名、電話番号及び住所を電話帳に掲載しないよう事前に明示的に求めたこと、本件一の電話帳の掲載件数が掲載対象件数の半数にも満たないこと、以上の事情からすれば、本件における原告の氏名、電話番号及び住所は、一般人の感受性を基準にして、原告の立場に立った場合、公開を欲しない事柄である(前記A)といえる。 (3)更に、原告の氏名、電話番号及び住所は出身高校の同窓会名簿、所属学会の名簿及び東京都職員名簿に掲載されており、かつ、公的機関等に保有されているものと思われるが、これらのことは、本件一及び二の各電話帳の配付対象者らが配付当時(平成七年二月ころ)以前において原告の電話番号等を了知していたことを推認させるに足りるものではないから、原告の氏名、電話番号及び住所は、一般の人に未だ知られていない事柄である(前記B)ものというべきである。 (4)以上によれば、原告の氏名、電話番号及び住所は、法的に保護された利益としてのプライバシーに属するものというべきである(なお、電話帳に掲載される氏名は必ずしも世帯主の氏名ではないから、電話帳への氏名掲載は、必ずしも世帯主の氏名の公表を意味するものではない。また、本件において氏名は主に個人を特定する意味を有するに過ぎないが、電話番号及び住所と不可分の情報であるから、氏名を電話番号及び住所と切り離して考慮することはできない。)。 (四)この点に関し被告は、前記第二の二の2の(一)及び(二)のとおり、被告の行為には違法性が存しないなどと主張するが、原告が電話番号等の公表を受忍しなければならない正当な理由は存せず、被告の事後的な対応などの被告主張に係る事情が前記一の2の(二)の被告の行為の違法性の有無に影響するものとはいえないから、被告の右主張はいずれも失当である。 したがって、被告は、原告の右プライバシーの利益を侵害したことによって原告が蒙った損害を賠償する責任がある。 (五)そして、一方で、原告の電話番号等の本件一及び二の各電話帳への掲載は原告の明示の意思に反したものであること、原告が幼い娘と二人暮らしをしている者であること、原告の氏名(女性の名前)の電話帳への掲載により、家庭に男性がいないことを不特定者に知られるのではないかとの不安を原告が抱くのも無理からぬことと思われ、他方で、平成八年二月ころ以降原告の私生活上の平穏が具体的に害されたとの事情は窺われないこと、被告に害意ないし故意は存しなかったこと、被告は平成七年三月当時原告の前夫の教え子にかかわる事情(前記一の1)を把握していなかったと思われること、前記一の3の(二)及び(三)のとおり、被告は原告に対し対応策を示し、かつ、相当な経費及び労力を掛けて一応の対策を講じたこと、平成九年三月ころ原告の電話番号等の記載が存しない新年度の電話帳が配布されていること、その他本件に顕れた一切の事情を考慮すれば、被告が原告の蒙った精神的苦痛に対して支払うべき慰謝料額は一〇万円とするのが相当である。 2 争点2について (一)右1の(三)に述べたとおり、原告の氏名、電話番号及び住所は法的に保護された利益としてのプライバシーに属するものというべきであるが、更に進んで、人格権に基づく妨害排除請求権として原告の求める広告配布請求が認められるか否かは、本件における原告のプライバシーの内容、プライバシー侵害の態様、侵害の継続状況、プライバシー侵害状態の除去に対する広告配布の実効性等を勘案して決すべきものと解される。 (二)そこで検討するに、原告の氏名、電話番号及び住所は、それ自体の性格としては原告の人格的自律ないし私生活上の平穏を害する事柄ではないこと(原告の電話番号等を知った第三者による侵害のおそれが生じるにとどまる。)、本件一及び二の各電話帳にはかなりの件数の電話番号等が掲載されており(本件一の電話帳は約二〇万件)、原告に関する情報の特定性が比較的弱いと思われること、本件一及び二の各電話帳は相当部数が頒布されているが、そのうち、約三一パーセントは被告の手により回収されているものと推認されるし、残りの約六九パーセントについても既に新年度の電話帳が配布されていることから、その多くが電話帳所持者の手によって廃棄されているものと推認されること、本件一及び二の各電話帳所持者のうち転居等により配布対象地域外に移動した者も相当数いるものと考えられること、仮に原告の求める広告を配布したとしても、本件一及び二の各電話帳の廃棄は広告配布を受けた者の意思に委ねられるから、その実効性が必ずしも期待できないことなどの事情に照らせば、少なくとも本件において、人格権に基づく妨害排除請求として、被告に別紙二記載の広告の配布を求めることができるものとは解し難い。 三 よって、原告の本訴請求は、被告に対し、一〇万円の慰藉料及びこれに対する平成八年一一月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余の請求はいずれも理由がない。 東京地方裁判所民事第32部 裁判長裁判官 土肥章大 裁判官 小野洋一 裁判官 馬渡直史 別紙 一 電話帳目録<略> 二 広告<略> |
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