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【事件名】学会誌著者順序入れ替え事件
【年月日】平成8年7月30日
 東京地裁 平成5年(ワ)第1653号

判決
原告 大久保由紀子
右訴訟代理人弁護士 永倉嘉行
被告 社団法人日本オペレーションズ・リサーチ学会
右代表者理事 伊理正夫 ほか二名
被告三名訴訟代理人弁護士 佐野稔


主文
一 被告吉田敏弘は原告に対し、金一二〇万円及び内金一〇〇万円に対する平成五年六月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを三分し、その一を被告吉田敏弘の負担とし、その余を原告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは原告に対し、連帯して金三五〇万円及び内金三〇〇万円に対する平成五年六月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告らは、原告のために、別紙(一)記載の内容による謝罪広告を、被告日本オペレーションズ・リサーチ学会発行月刊「オペレーションズ・リサーチ」誌に別紙(二)記載の掲載条件で、別紙(三)記載の各新聞の各全国版に別紙(四)記載の掲載条件で、それぞれ一回掲載せよ。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告の経歴等
 原告は、平成二年(一九九〇年)四月筑波大学大学院経営・政策科学研究科経営システム科学専攻に入学し、同年一二月同大学院同専攻の木島正明助教授(以下「木島助教授」という。)の指導を受け経営システム科学の研究を行い、平成四年三月「オプション組み入れポートフォリオの収益率分布評価システムの構築」を修士論文(以下「本件修士論文という。)として、同大学院同専攻に提出し、同修士課程を終了した。
 原告は、同年九月、右修士論文で被告日本オペレーションズ・リサーチ学会(以下「被告学会」という。)から第一〇回学生論文賞を受賞し、同月の被告学会秋季研究発表会および同年一二月の被告学会の「金融と投資のOR」定期研究会において「オプション組み入れポートフォリオの収益率分布評価」を発表した。
2 本件修士論文の概要とその研究過程
(一)本件修士論文の概要は次のとおりである。
 近年金融市場の自由化が進展するなかで投資手法が多様化していることから特に株式から構成されるポートフォリオ(複数証券の組合せ)にオプション(一定期日に一定価格で証券を売買する権利)を組み入れる手法は、リスク回避や投機等の目的のために広く利用されている。その際に、ポートフォリオの価値が将来時点においてどのような確率分布に従うかを予測し、確率分布に見合うようにポートフォリオデザインをすることが重要である。本件修士論文は株式から構成されるポートフォリオにコール・オプション(買いオプション)やプット・オプション(売りオプション)を組み入れた場合の収益率の確率分布を求め、投資家のポートフォリオデザインを支援するシステムを構築したものであり、従来の研究と異なる重要な点は、(1)現状に即するために、日本で実際に売買されている株価指数オプションを対象とし、(2)収益率の確率密度関数値を近似値ではなく正確に求めたことであって、最後にモデルの有効性を実証するために多くの数値計算を行っていることである。
(二)本件修士論文成立における研究過程
 原告は平成三年五月ころ研究を開始し、原告独自でBookstaber,R.and Clarke.R,"An Algorithm to Calculate the Return Distribution of Portfolios with Option Positions,"Management Scienceという論文を検索して、ゼミナールで発表し、モデルの問題点(必ず同一銘柄の株式とオプションを組合せていること、日本では株式オプションが導入されていないこと、確率密度関数は近似計算で求めていること等)を指摘し、この欠点を克服すべくポートフォリオに株価指数オプションを導入し、近似計算を行わず実際に計算した。モデルの構築、確率密度関数の導出には平成三年八月から同年一一月くらいまでの約四か月間を費やし、さらに条件付確率の計算には、式の導出が複雑なため多くの時間を要した。原告は同年一一月に右確率密度関数が導出されたのち、これをプログラム化し数値計算を行い、本件修士論文を書き上げた。
3 オペレーションズ・リサーチ誌への掲載
(一)本件修士論文は、原告単独の創作活動により創作されたものであるところ、原告は平成四年四月木島助教授から、被告吉田敏弘(以下「被告吉田」という。)の一般的助言を得て右修士論文としてまとめあげるよう指示を受け(原告は修士課程終了後も木島助教授のゼミに参加していた)、同論文のうち、その中核である「オプション組み入れポートフォリオの収益率分布評価」の部分(以下「本件著作物」という。)を抽出して雑誌に掲載すべく、その作業を始めた。そして、被告吉田が投稿の窓口となり、同被告が編集委員となっている被告学会の機関誌であり被告学会の発行する月刊誌「オペレーションズ・リサーチ」誌(以下「本件雑誌」という。)に投稿掲載することとなった。
(二)その間の平成四年六月、原告は木島助教授から、本件著作物を同年九月に開催する被告学会秋季研究発表会で発表するよう指示を受け、同会発表予定論文の予稿集に載せようとして本件著作物の概略を提出しようとしたところ、木島助教授は、論文発表の第二著者として被告吉田を加えることを指示した。その結果、本件著作物は同秋季研究発表会で「オプション組み入れポートフォリオにおける収益率分布評価」の題名のもとに第一著者を原告、第二著者を被告吉田として、原告から発表され、本件修士論文は、原告創作の論文として、被告学会から第一〇回学生論文賞を受賞した。
(三)右の経過において、原告の創作にかかる本件著作物は、被告学会発刊の本件雑誌に掲載されることとなるが、原告は本件著作物を発表するに際し被告吉田が若干の一般的助言を与え、かつ算式の検証を手伝っていることから、木島助教授の指示により被告吉田を第二著者として本件著作物を本件雑誌に発表掲載するにつき名を連ねることを承諾し、被告吉田を、同被告が本件雑誌の編集委員でもあることから、本件著作物掲載についての連絡担当とした。
4 被告らの地位と立場
(一)被告吉田は本件雑誌の平成五年五月発刊当時ソロモン・ブラザーズ・アジア証券会社に勤めるかたわら、本件雑誌の編集委員をつとめていた。
(二)被告浦谷規(以下「被告浦谷」という。)は、本件雑誌の編集委員でかつ編集副委員長であると同時に本件著作物を本件雑誌に掲載するにあたっての査読者であった。
(三)被告学会は本件雑誌の発行者であり、被告吉田及び被告浦谷を編集委員及び査読者として使用するものである。
5 著作者人格権の侵害
 被告吉田は、平成四年一〇月ころ、木島助教授を介して、当時筑波大学大学院経営・政策科学研究科経営システム科学専攻の教授である訴外森村英典(以下「訴外森村」という)に東京近辺の大学の教員となるべく就職を依頼し、同訴外森村は、同専攻の副研究科長(当時)である教授梅田富夫や教授加古宜士などに被告吉田を同専攻の教官に就職させるべく運動していた。当時、筑波大学の教官となるためには、論文業績で博士論文一、査読付論文一が発表されていることが採用審査基準であった。
 被告吉田は、本件著作物を被告学会の本件雑誌に掲載すべく、本件雑誌の編集委員会に本件著作物の著作名を著作者である原告を第一著者、被告吉田を第二著者と記載して平成四年一〇月二〇日提出し、右同日、本件著作物は同編集委員会により受理された。本件著作物は、同年一二月八日再度被告学会の編集委員会に提出され再受理の段階でも、著者名著者順序は第一原告、第二被告吉田で提出されており、その後、同編集委員会の副編集委員長であり、本件著作物の査読者となった被告浦谷は、被告吉田に対し、本件著作物の著者順序を被告吉田を第一著者、原告を第二著者に入れ替え変更するよう指示し、被告吉田はこれを受け、敢えて自己の前記就職活動を有利にするため、少なくとも平成五年二月四日以降、印刷段階に至って、本件著作物の著者順序を第一著者被告吉田、第二著者原告に変更し、かつ原告名を「大久保由紀子」から「大久保由起子」に変更した。被告学会編集委員会は、右の著者順序が虚偽であり、原告名の「大久保由起子」が「大久保由紀子」であることを知悉しながら、平成五年四月ころ被告らは共謀のうえ、故意に、同年五月一日発行の本件雑誌二四五頁以下の論文・研究レポート欄に第一著者を「吉田敏弘」第二著者を「大久保由起子」として敢えて掲載発刊した。前記のとおり、本件著作物は原告の創作にかかるものであり、被告吉田は原告が本件著作物を学術論文として発表するに際し、一般的助言と算式の検証を行ったのみであり、著者順序も原告を第一著者、被告吉田を第二著者として記載することに当初から合意されていたにも拘わらず、被告らは敢えて、本件著作物を被告吉田の教官採用審査における業績とするため、虚偽の著者順序、著者名を使用して本件著作物を掲載したものであり、右所為は原告の著作者人格権と名誉を侵害する。
6 損害賠償及び謝罪広告請求権
(一)原告は、原告創作にかかる本件著作物につき、著作者でない被告吉田を第二著者として記載することを認めたにすぎないにも拘わらず、被告らは敢えて第一著者を被告吉田とし、しかも原告の氏名を「大久保由起子」として記載し表示したことにより、その著作者としての氏名表示権等の名誉を著しく毀損され多大な精神的苦痛を被った。これを慰謝するに足る金員は、金三〇〇万円を下らない。
(二)本件著作物の著作者についての虚偽記載は、被告吉田の教官採用のための業績をクリアーするために行われたものであり、それは、原告創作の著作物を他人に盗まれたことにも匹敵する。
 本件雑誌の発行部数は約六〇〇〇冊であり、その購読者は、被告学会会員約三〇〇〇名のほか、定期購読者、海外の研究者、店頭販売での購入者、全国の図書館、大学等であり配布地域は、関東地方の五七・一パーセントをはじめとして全国および海外に及んでいる。
 また、本件著作物は、科学技術庁監督下の特殊法人「日本科学技術情報センター」のオンライン情報検索システムにも当然ながら虚偽の著者順序、著者名で収録され、全国に情報提供がなされ、原報の複写サービスが行われている。
 被告らによる原告の著作者人格権の侵害により毀損された原告の名誉を回復するためには、本件雑誌及び別紙(三)記載の新聞の各全国版に広告して被告らに謝罪させる必要がある。
(三)弁護士費用
 原告は、被告らの前記行為につき、原告が誠意ある対応を求めたのに対し、被告らはその非を認めず、何ら誠意ある対応を示さなかったので、原告は本訴の提起を原告訴訟代理人に委任せざるを得なかった。これに要する弁護士費用中、金五〇万円をもって、本件不法行為と相当因果関係のある損害として請求する。
7 よって、原告は被告らに対し、著作者人格権及び名誉毀損による原状回復請求として別紙(一)の謝罪広告を被告学会発行にかかる本件雑誌及び別紙(三)各記載の新聞の各全国版に各一回掲載すること、損害賠償として金三五〇万円及び弁護士費用五〇万円を除く、金三〇〇万円に対する本件不法行為の翌日以降の日である平成五年六月一日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いをそれぞれ求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実について
(被告学会)
 同1の事実のうち、原告がその主張の日時に被告学会からその主張の受賞をしたこと、原告がその主張記載の各日時に各発表をしたことは認め、その余の事実は不知。
(被告吉田)
 同1第一段のうち、原告の入学年月日は不知、その余の事実は認める。
 同2第二段の事実は認めるが、原告主張の発表内容とその主張の修士論文の内容とは異なる。
(被告浦谷)
 同1の事実は不知。
2 請求原因2の事実について
(被告学会)
 すべて不知。
(被告吉田)
 同2(一)の事実は認める。
 ただし、原告主張の修士論文は限定された視点からの分析に止まっていた。
 同2(二)の事実は不知。
(被告浦谷)
 すべて不知。
3 請求原因3の事実について
(被告学会)
 同3(一)の事実は不知。
 同3(二)の事実のうち、原告主張の題名の論文がその主張の著者名のもと及び発表会で発表されたことは認め、その余の事実は不知。
 但し、この時に発表された内容と被告学会誌に掲載された論文の内容は異なる。
 同3(三)の事実のうち、原告主張の題名の論文が本件雑誌に掲載されたことは認め、その余の事実は不知。
(被告吉田)
 同3(一)の事実のうち、原告がその主張のゼミに参加していたこと、原告の修士論文を基礎として原告と被告吉田の共同作業の結果、原告主張の題名の論文を完成させ、その主張どおりの本件雑誌に投稿した事実を認め、その余は否認する。
 同3(二)の事実のうち、原告主張の題名の論文がその主張の著者名のもと及び発表会で発表されたことは認め、その余の事実は不知。
 但し、この時に発表された内容と被告学会誌に掲載された論文の内容は異なる。
 同3(三)の事実のうち、原告主張の題名の論文が本件雑誌に掲載されたこと、被告吉田が本件雑誌の編集委員であったことは認め、その余の事実は否認する。
(被告浦谷)
 同3(一)の事実のうち、原告主張の題名の論文がその主張どおりの本件雑誌に投稿掲載されたことは認め、その余の事実は不知。
 同3(二)の事実のうち、原告主張の題名の論文がその主張の著者名のもと及び発表会で発表されたこと、その主張の論文賞を受賞したことは認め、その余の事実は不知。
 同3(三)の事実のうち、原告主張の題名の論文が本件雑誌に掲載されたこと、被告吉田が本件雑誌の編集委員であったことは認め、その余の事実は否認する。
4 請求原因4の事実について
(被告学会)
 同4(一)の事実のうち、被告吉田が本件雑誌の編集委員をつとめた事実は認め、その余の事実は不知。
 同4(二)の事実は認める。
 同4(三)の事実のうち、被告学会が被告吉田及び同浦谷を使用していたことは否認しその余の事実は認める。
(被告吉田及び同浦谷)
 同4(一)の事実は認める。
 同4(二)の事実は認める。
 同4(三)の事実のうち、被告学会が被告吉田及び同浦谷を使用していたことは否認しその余の事実は認める。
5 請求原因5の事実について
(被告学会、同吉田、同浦谷)
 原告主張の各日時に、その主張内容の題名の論文が提出、受理されたこと、原告主張の日時発行の本件雑誌記載の箇所に、その主張の題名の論文が、その主張の態様で掲載発行されたことは認め、その余の事実は否認する。
6 請求原因6の事実について
(被告学会、同吉田、同浦谷)
 同6(一)の事実のうち、第一著者を被告吉田とした事実及び原告主張の誤表示があったことは認め、その余の事実は不知。
 同6(二)の事実のうち、第二段及び第三段記載のシステムに記載のとおり収録されていることは認め、虚偽の著者順序及び著者名であることは否認し、その余の主張は争う。
 同6(三)の主張は争う。
三 被告らの主張
1 吉田の論文(甲第一号証)の新たな知見
(一)原告の修士論文(甲第二号証)は、(1)コール・オプションとプット・オプションが、それぞれ一種類ずつの場合、(2)二種類のコール・オプションの場合、(3)二種類のプット・オプションの場合の三つの場合を、それぞれ別々に考察している。
(二)他方、コール・オプションやプット・オプションの権利行使価格と、対象となるポートフォリオの株価指数の値との大小関係によって、三通りの場合、(A)株価指数がAの領域の場合、(B)の領域の場合、(C)の領域の場合が考えられる。
(三)原告の修士論文は、要するに、前記(一)の(1)(2)(3)の各々について、前記(二)の(A)(B)(C)の各場合、つまり全部で九通りの場合を個別に考察しているのである。
(四)これに対し、被告吉田の論文(甲第一号証)は、合計n個(任意個数)のコール/プット・オプションを考察の対象としたうえで、まず各オプションの権利行使価格Li(i=1.2‥n)を昇順に並べれば、前記(一)の(1)(2)(3)のようにコール・オプションとプット・オプションとを別々に考察する必要がなくなり、従って両者を統一的に考察できることを明らかにした。
(五)被告吉田は、さらに、右n個の権利行使価格Li(i=1.2‥n)に加えて、新たに「二つの仮想のオプション」を導入し、その権利行使価格を各々LoとLn+1とする、との「新たな知見」を示した。これにより、Lo↓−∞、Ln+1↓+∞、とすれば各々、前記(2)の「Aの領域」と「Cの領域」とに対応できるばかりでなく、全ての場合が、「権利行使価格がLiとLi+1(i=0.1.2……n)の区間内にある場合」として統一的に考察できることになる。
(六)被告吉田が示した右の新たな知見により、コール・オプションとプット・オプションが計n個含まれる一般的なケースにおいても、原告が求めた前記(二)の(B)の場合に対応する考察、すなわち、「両者の値がLiとLi+1によって特定できる区間における考察」のみで、しかも定理の証明上は、オプションがコールかプットかを意識することなく統一的に考察できることが示されたのである。
2 証明方法(導出方法)の同一性について
(一)被告吉田の本件著作物が示した先駆的価値は、(1)前記三1(六)に述べたとおり、ファイナンス実務の上で利用価値のある「コール・オプションとプット・オプションが計n個含まれる一般的なケース」であっても、原告の修士論文中の前記三1(二)の(B)の場合に対応する考察のみで足りること、及び(2)そのような定性的な議論に止まらず、実際にもそのような投資収益率の確率分布を与える計算式を導出したことにある。
(二)被告吉田は、あらゆる場合が原告の求めた前記三1(二)(B)の場合の考察のみで十分であり、前記三1(二)の(A)と(C)の場合は、考察の必要がないことを示した。すなわち、本質的には同じ証明方法によって、一般の場合が算出できることを示した点において、被告吉田の新たな知見が認められるのである。
(三)原告の当時のファイナンス分野に対する理解レベルと数学上の能力では、本件学会論文(甲第一号証)を作成することはできなかったのである。

第三 証拠《略》
理由
一 原告と被告三名との間において争いのない事実は、以下のとおりである。原告が平成四年九月に被告学会から第一〇回学生論文賞を受賞したこと、同月の被告学会秋季研究発表会および同年一二月の被告学会の「金融と投資のOR」定期研究会において「オプション組み入れポートフォリオの収益率分布評価」を発表したこと、右題名の論文が平成四年一〇月二〇日、被告学会に提出、受理されたこと、同年一二月八日、同題名の論文が再提出、受理されたこと、平成五年五月一日発行の本件雑誌二四五頁以下の研究レポート欄に第一著者を被告吉田、第二著者を原告とする右題名の論文が掲載されたこと、被告吉田が本件雑誌の編集委員をつとめたこと、被告浦谷が本件雑誌の編集委員でかつ編集副委員長であると同時に本件著作物を本件雑誌に掲載するにあたっての査読者であったこと、被告学会が本件雑誌の発行者であること。
 右争いのない事実並びに《証拠略》によれば、次の事実が認められる。
1 経緯
(1)原告は、昭和五〇年日本女子大を卒業後、株式会社三菱重工業に入社し、主に構造計算システム開発の業務に従事した。その後、シンクタンクの小野事務所に就職し、主に数値解析のシステム開発業務に従事し、昭和五九年有限会社エイ・ピー・エルソフトウェアを設立し、ファイナンス分野のシステム開発を中心とする業務を行っている。平成二年四月に筑波大学の夜間大学院に入学し、平成三年四月から木島助教授、高橋三雄教授、金崎講師、米沢助教授を指導教官として、指導を受けていた。
 原告は、主に木島助教授の指導の下で、経営システム科学の研究を行い、平成四年三月「オプション組み入れポートフォリオの収益率分布評価システムの構築」と題する本件修士論文(甲第二号証)を作成し、これを同大学院経営・政策科学研究科経営システム科学専攻に提出し、同修士課程を終了した。なお、原告は、同大学院一年生の六月ころ、ブックステーバー(Bookstaber)の論文を読んだことから右テーマを決めていた。
 なお、被告吉田は、原告が同大学院を修了する一年前に修了していたが、原告が本件修士論文の作成するにあたり、実務家にアンケートを取る際、被告吉田の会社の名簿を借り、これをもとに自らアンケートをとり、回収、集計等の作業を行った。
(2)本件修士論文の概要は以下のとおりである。
 近年、金融市場の自由化が進展するなかで投資手法が多様化してきていることから、特に株式から構成されるポートフォリオ(複数証券の組み合わせ)にオプション(予め定められた期日(満期日)に、あるいはその期日までに、予め定められた資産(原資産)を、予め定められた価格で、あるいは予め定められた方法で計算される価格(権利行使価格)で購入する、あるいは売却する権利である。)を組み入れる手法は、リスク回避や投機などの目的のために広く利用されているが、その際にポートフォリオの価値が将来時点においてどのような確率分布に従っているかを調べ、確率分布に見合うようにポートフォリオをデザインすることが重要であるため、本件修士論文において株式から構成されるポートフォリオにコール・オプション(原資産を購入する場合)やプット・オプション(売却する権利の場合)を組み入れた場合の収益率の確率分布を求め、投資家のポートフォリオデザインを支援するシステムを構築したものであり、従来の研究と異なる点は、(1)現状に即するために、実際に日本で売買されている株価指数オプションを対象とし、(2)収益率の確率密度関数値を近似でなく正確に求めた点にあるとしている。
(3)原告は、被告学会において右本件修士論文により学生論文賞を受け、そのアブストラクト(予稿集)が本件雑誌一九九二年一一月号に掲載された。
 原告は、本件修士論文作成後、木島助教授の指示により、被告吉田の助言を得て右本件修士論文を学術論文としてまとめることとし、本件修士論文のうち、「オプション組み入れポートフォリオの収益率分布評価」に関する部分の作成作業を始め、これを被告学会の発行する本件雑誌に投稿掲載することとし、同年六月ころから、筑波大学のUNIXワークステーション上にあるTeX(テフ)システム(文章形成システム)により、原稿作成の作業を始めた。
 そして、原告は、平成四年六月ころ、「オプション組み入れポートフォリオにおける収益率分布評価」と題する乙第二一号証の二(乙第六号証はその抜粋)を作成した。
(4)その後、被告吉田は、同号証の定理1等に検討を加え、同題名の乙第二二号証を作成した。この点、原告は、自らが乙第二二号証を作成した旨供述するが、《証拠略》によれば、被告吉田は、原告が自らのパスワードを用いて利用していた筑波大学の右TeX(テフ)システムを木島助教授の指導の下で、原告のパスワードを共有して利用し、右論文作成に協力していたこと、そのため、乙第二二号証の作成の元となるTeX(テフ)ファイルを所持していることが認められ、右事実に照らすと原告の右供述は措信し難い。
 この間、原告は、平成四年九月九日及び一〇日、被告学会の秋季研究発表会において、本件修士論文とほぼ同一内容の論文を発表するため、アブストラクトを作成したが、その際、木島助教授から被告吉田を第二著者に加えるよう指示を受けた結果、原告を第一著者被告を第二著者として被告学会に右アブストラクトを提出した。
 なお、乙第二一号証の二、同第二二号証ともその表紙における著者名は、原告が第一順位で、被告吉田が第二順位であった。
(5)その後、被告吉田は、木島助教授からコメントを得て、乙第二二号証の手直しをした。さらに、被告吉田は、右手直しした論文を平成四年一〇月二〇日、被告学会に提出し同学会のレフェリーから、右論文においては、株価が負になることが問題であること、その他数値例、数値計算、図を付け加えたらどうかとのコメントを得、これを原告に示して原告とともに右論文を手直しした。
 そして、被告吉田は、平成四年一一月下旬ころ、原告に論文の内容についてコメントを求めるため、甲第八号証を手渡した。
 なお、乙第二六、第八、第九号証とも、その各表紙の著者名は、原告が第一順位で被告吉田が第二順位であった。
(6)ところが、被告吉田は、自らが右論文を完成したとして、友人でかつ右論文のレフェリーであった被告浦谷に対しその旨述べたところ、同人から著者順序を入れ替えたらどうかとの示唆を受け、平成四年一二月八日、原告に無断で右論文の著者順序を入れ替え、被告学会に再提出した。
 被告学会は、その後、右論文を本件雑誌の平成五年五月号に掲載した(甲第一号証=本件著作物)。なお、右掲載論文の原告の「由起子」の字は、誤植であった。
 本件雑誌に掲載された本件著作物の内容は、将来時点におけるポートフォリオの収益率の確率分布を求めて評価するモデルを研究するものであり、右論文は、シングル・インデックス・モデルを仮定することにより証券間の相互作用を簡素化した上で、オプションの行使条件にある種の仮定を設け、条件付確率であるポートフォリオの収益率分布を解析的に求めたものであり、その中核部分は、ポートフォリオの収益率の確率密度関数に関する別紙記載の定理1にある。
2 本件修士論文(甲第二号証)と本件著作物(甲第一号証)の同一性について
(1)本件修士論文の概要は前記1(2)のとおりであり、その内容は、《証拠略》によれば、株価指数オプションを組み入れた株式ポートフォリオの収益率分布を求めるのに、まず株式ポートフォリオの価値と株価指数オプションの基礎になる株価指数との関係をシングルインデックスで表し、その上でオプションの満期時点における株価指数の価格と株価指数オプションの行使価格の関係に着目した。そこで、すべてのオプションの満期日は同一で、{プット・オプションの行使価格〈コール・オプションの行使価格}という仮定をおくことにより、それらにかかるオプションの行使を互いに排反な事象に分割することによって、オプションを組み入れたポートフォリオの収益分布を導出した。この仮定をおく限りは、ポートフォリオに組み入れるオプションのどのような組み合わせに対しても、満期時点における株価指数の価格に基づくオプションの行使に関する事象は、(a)プット・オプションが行使される互いに排反な事象の群、(b)いずれのオプションも行使されない事象、(c)コール・オプションが行使される互いに排反な事象の群、の三つの群に分類される。そこで、本件修士論文は、ポートフォリオに組込まれるオプションの組み合わせを、(1)行使価格がL1のプットと行使価格がLnのコール(L1<Ln)、(2)行使価格がL1のプットと行使価格がLkのプット(Li<Lk)、(3)行使価格が、Lk+1のコールと行使価格がLnのコール(Lk+1<Ln)の三つのパターンに整理し、この(1)、(2)、(3)のパターンについて、満期日において確率的に実現する株価指数の価格SMTに基づいてオプションが行使される事象を右(a)、(b)、(c)の三つの互いに排反な事象群に分け、その各事象群中の各事象が起こった場合のポートフォリオの収益率の確率は、それらに全確率の公式を適用してシングルインデックスモデルの誤差項に対する条件付き確率に変換してこの誤差項と株価指数の確率が独立であることから求まるので、これらを加えることによりオプション組み入れポートフォリオの収益率の確率分布を導出しているものである。また、仮定によりオプションの行使価格の並びがLk<Lk+1であるから、右(1)、(2)、(3)、のパターンで(Li<Lk)<(Lk+1<Ln)の場合についてのオプション組入のパターンを網羅しているとされている。
(2)この点、鑑定人鈴木義一郎の鑑定結果によっても、本件修士論文と本件著作物とは理論構築上全く同一のものであるとされている。
 すなわち、本件修士論文の核心となる部分は、収益率Xの確率分布を導出し、本件著作物の定理1と対応し、本件著作物では、一つだけのケースにまとめて表記されているが、hAi(X)という関係が(1≦i≦k)、(i=k+1)、(k+2≦i≦n+1)という三つの場合で異なる形になっている。これに対し、本件修士論文では、(A)、(B)、(C)という三つの場合に分けて、ha(X)、hb(X)、hc(X)という関数を与えている。これは、本件著作物の定理1で、k=1、n=2とした場合に対応している。
 つまり、本件著作物では、任意のk、nについて述べているので、本件修士論文を拡張したかに見えるが、kはプット・オプションの個数で、nーkがコール・オプションの数であり、これらを任意個数と考えても、代表して一個だけ(つまりk=1、n=2の場合)を考えても、本質的には同じであり、排反事象の数を増やしたことで証明法が変わるわけではないから、何ら本質的な拡張とはなっていないとされる。むしろ、"Σー記号"を導入した分だけ、結果が読みにくくなっている。形式的な記号などがある程度は異なっていても、証明のテクニックが同じであれば、異なる論文とはいえないとされる。本件著作物の定理は、本件修士論文の一般化になっていない。従前の理論には含まれていない全く別個の理論を包含していない。つまり、本件著作物の定理1の証明は、本件修士論文の結果の導出方法と同じであるとされる。
 次に、同鑑定によれば、論文作成の視点、着眼点について、本件著作物は、本件修士論文に書かれた内容を微調整してまとめられている。また、論文の構成については、多少の形式的な相違があるにすぎない。素材の選択について、本件著作物は、従来の研究結果だけでは不十分な問題点として、ポートフォリオによる意思決定の要因として、収益率の"確率分布"を考えるべきであるとしている。この点に関して本件修士論文においても全く同一の主張を行っている。従来の手法との比較について、本件著作物は、確率分布を解析的に導出したことにより、モンテカルロ・シミュレーションの方法と比べて、計算時間が大幅に短縮されることを検証している。本件修士論文では、パーソナルコンピュータで利用できるプログラムとその実行例を提示して、すでに実用に十分耐え得ることを示している。ただシミュレーションの方法との比較は行っていないが、シミュレーションはグリッドを細かくすればいくらでも計算時間がかかることになるので、解析的な結果を得た以上はシミュレーションの実験をする必要がないと考える方に理があるとされている。
 さらに、被告吉田が、本件修士論文の定理における"B"という項を、本件著作物の定理1における(図一)という項に一般化できることを論証した点に価値があるとする旨の主張については、"プット・オプションの行使価格はコール・オプションの行使価格より小さい"という前提条件より各Biは互いに"排反"な事象となり、個別に確率を求めた値を加算すれば済み、しかも、各Biの確率の計算は、本件修士論文で示されたBiの確率の計算方法と同一であるから、本件著作物の定理1は本件修士論文を一般化していないとされる。また、定理以外の両論文の内容について、論文の構成は異ならず、両論文ともポートフォリオによる意思決定には収益率の確率分布を考えるべきであるとする点においては同一の主張であるとされている。
(3)これに対し鑑定人大西匡光は、本件著作物は、n種類のオプションを組み入れた場合、一般的な解決は困難であると予想されるが、収益率分布の解析的導出を容易にするためのそれらオプションの権利行使価格に関する条件を見つけだしたとする。しかしながらポートフォリオに組み入れるオプションの行使価格は、(Li<‥‥<Lk)<(Lk+1<‥‥<Ln)と仮定している点は、行使価格の異なるプットとコールをそれぞれ行使価格の昇順に並べ、プットに対してL1…Lk、コールに対してLk+1…Lnと命名したに過ぎないから、右仮定は自明のことであり、本件修士論文における(L1<Lk)と(Lk+1<Ln)とおいているのと同様である。本件修士論文において仮定した(プットの権利行使価格)<(コールの行使価格)をそのまま適用することにより(L1<‥‥<Lk)<(Lk+1<‥‥<Ln)のように各権利行使価格間の関係が規定されるから本質的に異なる条件を本件著作物で見いだしたとはいえない。
 また、同鑑定人は、本件著作物が本件修士論文においてなされた手法の本質と適用範囲をより明確にしたとするが、前掲鑑定人鈴木の鑑定の結果によれば、本件著作物は、本件修士論文と同一解析手法を適用したものといえるので、右大西鑑定は採用できない。
 さらに、鑑定人大西は、本件著作物は、Lo=−∞、Ln+1=+∞と定義したことにより場合分けを統一的に行うことができ、証明の論理的展開の見通しを良くすることに成功しているというが、一方で同人は、正規分布の仮定は株価や株価指数が負となる可能性を生じさせると述べており、そうならば、株価指数が負となるオプションの行使価格を負の無限大(L=∞)と定義することは不適当であって、証明の論理展開の見通しを良くすることに成功しているとはいえない。
 また、鑑定人大西は、本件著作物と本件修士論文は著作物として異なっているとし、その理由として、本件著作物は、本件修士論文と比較して、より一般化された理論的結果(定理1)を導出しているという点で学術論文としての水準は数段進んでおり、その定理の証明を簡単化するための工夫や読者への配慮、さらにはその内容の実際上の価値を示すための多くの努力がなされているとするが、前記のとおり、鑑定人鈴木の鑑定の結果に照らして右大西鑑定は採用できない。
二1 以上によれば、本件著作物が、前記1に認定の経緯のとおり、原告が作成した本件修士論文に被告吉田が原告とともに検討を加え、さらに被告吉田自身で乙第二二号証として検討した結果であるとしても、結局、本件修士論文と理論構築上同一であり、本件著作物の中核である定理1についてもその導出方法については本件修士論文の定理を一般化したものとまではいえず、さらに、定理以外の両論文の内容について、論文の構成は異ならず、両論文ともポートフォリオによる意思決定には収益率の確率分布を考えるべきであるとする点においては同一の主張であると言わざるを得ないから、本件著作物の主要な著者は、原告であると認めるのが相当である。
2 《証拠略》によれば、論文を書くのに最も貢献した者が第一著者となるものであり、第一著者かそれ以外の共著者かは、評価その他の点で大きな違いがあること、第一著者がその研究の責任と権利をもっていることが認められ、右事実に照らすと被告吉田が本件著作物の第一著者として原告の承諾なくして著作順位を変更して、被告学会に本件著作物を再提出した行為は不法行為を構成するものと言わざるを得ない。
 この点、被告吉田、同浦谷は、著作順序は大した問題ではない旨供述するが、右各証拠に照らし措信し難い。
 なお、原告は被告吉田が自己の就職活動を有利にするために、右行為を行った旨主張するが、右事実を認めるに足る確たる証拠はない。
三 原告は被告浦谷が被告吉田と共謀して本件著作物の著者順序を入れ替えた旨主張するが、前記一1に認定のとおり、被告浦谷は被告吉田が自ら本件著作物を作成した旨述べたことを受けて本件著作物の著者順序を入れ替えたらどうかと示唆したものであって、右事実のみから被告浦谷と被告吉田が本件著作物の入れ替えについて共同不法行為が成立するものと認めることはできない。他に被告浦谷について本件に関して不法行為が成立したことを認めるに足る証拠はない。
四 原告は被告学会についても使用者責任が発生する旨主張する。しかしながら、使用者責任が発生するためには、行為者と責任を負う者との間において指揮監督関係があることが必要であるところ、前記争いのない事実によれば、被告吉田は被告学会の編集委員であり、被告浦谷は査読者であるが、同人らと被告学会との間において指揮監督関係があることを認めるに足る証拠はないから、被告学会に対する使用者責任を認めることはできない。
五 謝罪広告を求める請求について
 前記認定のとおり、被告浦谷及び同学会に対する不法行為が認められないから、同被告らに対する謝罪広告請求は理由がなく、《証拠略》によれば、被告学会は、原告の請求により、被告学会誌一九九三年六月号二九二頁に本件著作物の著者名が違っていたとして、原告主張の著作者順序に訂正するとともにお詫びする旨の訂正文が掲載されたことが認められ、右事実に照らすと、被告吉田に謝罪広告をするように命じるまでの必要はないというべきである。したがって、原告の謝罪広告を求める請求は理由がない。
六 損害について
1 慰謝料
 前記一1に認定の諸事情を考慮すると、本件著作物につき著作者順序が入れ替わった本件著作物が掲載されたことにより原告が被った精神的苦痛等に対する慰謝料としては金一〇〇万円が相当である。
2 弁護士費用
 原告が本件訴訟の提起、追行を弁護士である本件訴訟代理人に委任したことは明かであるところ、本件における審理の経過、事案の性質、認容額等を総合すれば、弁護士費用は金二〇万円が相当である。
七 以上のとおり、原告の被告らに対する本訴請求は、被告吉田に対する金一二〇万円及び右金員から弁護士費用分金二〇万円を控除した金一〇〇万円に対する本件不法行為の後である平成五年六月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

裁判官 玉越義雄

別紙 (一)〜(四)《略》
別紙《略》
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