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【事件名】「サンジェルマン殺人狂騒曲」事件(3)
【年月日】平成8年7月12日
 平成5年(オ)第79号
 (一審・東京地裁昭和59年(ワ)第11837号、二審・東京高裁平成3年(ネ)第835号)

判決
上告人 X
右訴訟代理人弁護士 安原幸彦
被上告人 株式会社中央公論社
右代表者代表取締役 Y1
被上告人 Y3
被上告人 Y2

 右当事者間の東京高等裁判所平成三年(ネ)第八三五号損害賠償等請求事件について、同裁判所が平成四年九月二四日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。


主文
 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人の負担とする。

理由
 上告代理人安原幸彦の上告理由について
 所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り右事実関係の下においては、被上告人らの本件行為が上告人の本件著作権を侵害するとは認められないなどとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
 よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

最高裁判所第二小法廷
 裁判長裁判官 河合伸一
 裁判官 大西勝也
 裁判官 根岸重治
 裁判官 福田博


上告代理人安原幸彦の上告理由
第一点 原判決には判断遺脱、審理不尽、理由不備の違法がある。
一、原判決は「本件訳書の出版に至る過程において、控訴人翻訳原稿を参照しながら、既に完成していた被控訴人Y2の翻訳原稿に部分的改変を加え、本件訳書を完成した事実を推認するのが相当というべきである。」(一九丁裏)と述べ、被上告人Y2(以下たんにY2という)らが上告人の翻訳文(甲第二号証)を盗用した事実を認め、これを否定した第一審判決の誤った事実認定を正した。にもかかわらず原判決は、盗用事実自体に対する上告人の損害賠償請求に対し、何らの判断も示すことなく、上告人の請求を認めなかった。その理由は、上告人は盗用事実自体について著作権侵害を主張せず(二四丁裏)、上告人翻訳文全体の著作権侵害のみを問題としている(二四丁裏、二七丁裏)からというのである。しかしながらこれは上告人の主張を誤解乃至曲解したものとしか考えられない
二、上告人の主張についての原判決の右のような理解は、原審第四回口頭弁論調書の次のような記載によっているものと思われる。
 「被控訴人Y2が、原判決別表三ないし一〇、一一の1、2記載のように、控訴人翻訳書に用いられている訳文又は訳語と同一又は酷似した表現により被控訴人Y2翻訳書を著作している以上、被控訴人Y2は、控訴人翻訳文全体の複製権及び氏名表示権を侵害したものというべきである。控訴人は著作権に基づき、被控訴人Y2翻訳書全体について、複製権及び氏名表示権侵害を理由とする差止及び損害賠償を求めるものであり、同翻訳書中、原判決別表三ないし一〇、一一の1、2記載の個々の訳文、訳語について、複製権及び氏名表示権侵害を理由とする差止及び損害賠償を求めるものではない。」
 上告人のこの釈明は、けっして盗用事実自体に対する著作権侵害を理由とする損害賠償請求をしないことを言明したものではない。
 上告人はY2翻訳書の盗用事実について、具体的には第一審判決別表三ないし一〇、一一の1、2のとおり、第一章、第七章、第一三章における盗用事実しか指摘していない。
 これは訴訟経済上全章にわたってこれを主張立証することがあまりに煩瑣であるので、冒頭、中間、最終の章の盗用事実を主張したものである。第四回口頭弁論調書の右記載はこの点を釈明したものであり、上告人の主張は他の章には盗用事実はないという趣旨ではないことを明確にしようとした。だからこそ、上告人は「Y2翻訳書全体について」上告人翻訳文の著作権侵害を理由として差止め並びに損害賠償を求めるのであり、第一審判決別表三ないし一〇、一一の1、2記載の個々の盗用事実についてだけ差止め並びに損害賠償を求めるものではないと述べているのである。
 原判決は、これを曲解し個々の盗用事実について上告人は一切問題としないとしているものであり、明らかに上告人の主張をねじ曲げている。
三、上告人がY2による上告人翻訳文盗用の事実自体を問題としてきたことは、第一審以来の訴訟経過に照らしても明らかである。
 主張においても上告人は、第一審昭和六〇年五月二〇日付準備書面で「被告Y2の行為は、原告の翻訳原稿の盗用であって複製ではない」(一丁表)とし、同昭和六一年一月二九日付準備書面でも「被告Y2は、本件翻訳を出版するにつき、被告Y3から渡された原告の翻訳原稿の中から、随所に、しかも全般にわたり、原告の同意なく、原告の翻訳原稿の文章をそのままか、あるいは若干加筆訂正して、これらを自己の翻訳文の中に使用して自己の翻訳文を完成した。」(七丁表)とし、上告人の翻訳文を盗用したこと自体を問題としているのである。
 本件は第一審以来、この盗用事実の有無という事実認定が最大の争点となって来た事案である。争点はそれのみといっても過言ではない。単純化していえば、盗用が認められれば上告人の勝ち、認められなければ被上告人らの勝ち、という筋の事案なのである。そこで両当事者もY2の翻訳原稿の見方(乙第二四号証の一、二、別宮意見書=甲第二〇号証、右原稿の授受の日、「エンジョイ・グラフティー」(乙第五号証)の記載などについて主張立証を尽くし、又上告人が盗用を裏づける事実として主張した、上告人の誤記をそのまま利用している事実、同じ言葉を本書では正しく翻訳し「シャンゼリゼは死体がいっぱい」では多数誤訳している事実、人称の用い方が混乱している事実などについても主張立証を尽くしたのである。
 これらはすべてY2による盗用を問題とし、これに対する損害賠償を求めるからであって、これを上告人が問題にしないはずがないのである。
四、原判決は、個々の盗用事実と全体としての著作権侵害の関係について、差止請求と損害賠償を全く同列に論じているが、正しくない。
 差止請求については、確かに個々の盗用箇所を差止める場合と著作物全体を差止める場合がある。本件の場合、例示的に挙げた三章だけでなく全章に盗用が及んでいるので上告人はY2翻訳書全体について上告人翻訳文全体の著作権を侵害したものとして差止めを求めたのである。これは上告人の請求の趣旨からも明らかであり、右調書に記載されているとおりである。
 しかし損害賠償について個々の盗用事実と全体としての著作権侵害を論じる実益はあまりない。上告人は原審でも次のとおり主張している。
 「控訴人が原審以来強調しているように、文学書の翻訳はそれ自体翻訳者の思想や原書に対する解釈を示す著作物であり、著作権法上の保護を受けるものである。何故なら翻訳者は原書の意味内容を異なる言語体系である日本語に表象するため、自己の思想や研究の成果を駆使し、熟考を重ねて訳語を作出し、訳文を作成するからである。従って控訴人の翻訳原稿の中からその作出した訳語、作成した訳文を使用するには当然控訴人の許諾が必要であり、この理は一応の原稿が出来ていて、その不備を補いこれを完成させるために控訴人の原稿を使用する場合でも全く変わりがない。」(原審一九九一年九月一二日付準備書面五頁以下)
 盗用は特に違法性の強い悪質な著作権侵害といわれており、盗用事実が認められればそれだけで著作権侵害は成立する。盗用を問題とする限り、損害賠償を求める対象を個々の盗用事実なのか全体としての著作権侵害なのかをわけて論じることはほとんど意味のないことなのである。前記の調書の記載は、上告人の主張を整理する上では、差止請求についてこそ意味はあれ、損害賠償請求については無意味な記載というべきである。
五、以上のとおり、原審は盗用事実自体に対する上告人の損害賠償請求について判断を示さなければならなかったのであり、これを欠いた原判決には判断遺脱、審理不尽、理由不備の違法があることは明らかである。
第二点 原判決は著作権法の解釈適用を誤った違法があり、この法令違背は原判決に影響を及ぼすことが明らかである。
一、原判決は最高裁昭和五三年九月七日第一小法廷判決を引いて、著作権法二一条の複製権の侵害とは「既存の著作物に依拠し、その内容及び形体を覚知させるに足りるものを再製することをいう」という。
 右判例は周知のように、著作権侵害の成立要件として既存の著作物の存在・内容を知っていることを要するか否かが争点となったケースについて、最高裁がこれを積極的に解し既存の著作物の存在・内容を知らなかった者にはそれと同一性のある作品を作成しても著作権侵害の責任は生じないとしたものである。それが原判決引用の前半部分の「既存の著作物に依拠し」と判示する部分である。そしてY2翻訳書が上告人翻訳文の存在・内容を熟知し、その訳語・訳文に依拠していることは原判決が正しく認定したとおりである。
 原判決引用の後半部分「その内容及び形体を覚知させるに足りるものを再製する」と判示する部分は、同一性について述べた部分である。それは右判断が原判決引用部分に続いて「既存の著作物と同一性のある作品が作成されても、それが既存の著作物に依拠して再製されたものでないときは、その複製をしたことにはあたらず」と述べていることからも明らかである。
 右判例は音楽作品の事例だったため、既存の著作物と、問題となった著作物の同一性が認められるか否かの判断が微妙であった。第一審判決は音楽の要素として旋律、和声、節奏、形式の四つをあげ、それぞれについて同一性を論じた上、結局同一性を否定した。第二審は同様の判断手法に立ちつつ同一性を肯定した。
 しかし、本件は翻訳書の事例であり、構想を盗んだのではなく言葉や文章自体を盗んだケースであるから、同一性の判定に困難性はない。しかも第一章(二六頁)に六〇箇所、第七章(二五頁)に七五箇所、第一三章(二二頁)に九〇箇所とおびただしい数の盗用がされている。Y2翻訳書には端的に上告人の著作物たる訳語あるいは訳文が用いられているのであるから、それだけで上告人翻訳文との同一性に疑いはなく、又上告人翻訳文の内容・形体を覚知させるに足りるものというべきである。文体の違いなど何ら問題とならないはずである。
二、原判決は、Y2らによる上告人翻訳文からの訳語・訳文盗用を認めながら、「両訳文間の基本的構造、語調、語感における大きな相違に埋没してしまう結果、本件訳書が控訴人翻訳原稿を全体として、内容及び形体において覚知せしめるものとまではいえない」(二七丁裏)としている。
 原判決はその具体例として二つ挙げ、上告人とY2の各訳文の対比を行っているが、その例自体が失当であることは次の点から明らかである。
 第一例の各訳文においては、上告人の訳文は原文通り一文になっているが、Y2の訳文は上告人の訳文を使用したことを隠すために、上告人の訳語を他の同意語に変えたり(「バーの方では」を「カウンターでは」に、「ムード音楽」を「甘い音楽の調べ」に、「サイコロ勝負」を「ダイス」に、等)、漢字をひらがなにしたり他の漢字に転換したりして(「しみ一つない」を「染みひとつない」に、「上衣」を「上着」に、等)、フレーズの順序を変えて三文にしているに過ぎず、両者の訳文は文意において全く同一であり、形体も同一と評価すべきである。両者の訳文は、フレーズの順序が違うことを除けば、主語・述語等の関係も同一になっており、Y2の訳文には誤訳もなく、原文に対する付加、削除等も認められない。しかも、上告人が原判決別表三の1と2で「独創的な訳語」として採り上げた「しみ一つない」及び「興じていた」という訳語が踏襲されており、対比して見れば、Y2の訳文が上告人の訳文を覚知させるに足りるものであることは、一見して明らかである。
三、確かに、第二例として採り上げられたものは、盗用部分が最も少ない第一章冒頭部分の文章であり、Y2の訳文は原文が一文であるのに八文にもなっており、初歩的な誤訳が散見される(「公園」を「広場」に、「皿」を「勲章」に、等)ばかりか、付加(「陶芸家」、「どうだい、とばかりに」、その他多数)や削除(「inlassablement=倦まず弛まず」)が認められ、上告人の訳文とは文意においても、主語・述語等の関係においても、著しく相違している。すなわち、この第二例は、Y2が雑誌「エンジョイグラフティー」に発表した訳文と同質のものであり、二審判決が「理由」三の2の項で「何ら前記の推認の妨げとなるものではない」と認めているように、右部分の表現形式が顕著に相違することは、第一例のY2の訳文が上告人の訳文に依拠していることを例証するもの以外の何ものでもない。このようなものを例にあげて、同一性を否定するのは恣意的でかつ一面的な評価といわなければならない。
 原判決別表三ないし一〇及び同別表一一―1と2を見れば明らかなように、Y2の翻訳書には前記第一例におけるのと同様のことが、至るところで行われている。これだけの盗用をしていながら、「覚知せしめるものとはいえない」はずがない。
四、原判決の論法でいけば、盗用者は文体を変え、一文を二文・三文にすれば容易に著作権侵害のとがめを免れることになる。このような不正義不公正が許されるはずがない。第一点の原告の主張の曲解とあわせて、不当に被上告人らを免責する原判決の姿勢は、国民の目から見れば不公正さを示すものと言われても仕方ないものである。最高裁判所が原審の誤りを正し司法の健全な姿を国民の前に示すことを衷心より願うものである。なお、原判決の明らかな誤記を指摘しておく。


引用フランス語の誤り
(1)判決一二丁一〇行め 「DES PRES」は、「DES―PRES」が正しい。
(2)  同一三丁一行め 「CADAVERE」は、「CADAVRE」が正しい。
(3)  同一三丁二行め 「LEX」は、「LES」が正しい。
(4)  同二二丁七行め 「Alors」は、「Alors,」が正しい。(ヴィルギュールがないと文意が異なる)
 以上
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