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【事件名】目覚め事件(2)
【年月日】平成8年4月16日
 東京高裁 平成5年(ネ)第3610号、平成5年(ネ)第3704号
 (原審・東京地裁昭和63年(ワ)第6004号)

平成5年(ネ)第3610号事件控訴人 株式会社テレビ東京
右代表者代表取締役 杉野直道
右訴訟代理人弁護士 光石忠敬
同 光石俊郎
平成5年(ネ)第3704号事件控訴人 近藤晋ほか一名
右両名訴訟代理人弁護士 松井正道
右訴訟復代理人弁護士 岡邦俊
平成5年(ネ)第3610号事件、同年(ネ)第3704号事件被控訴人 田中喜美子
右訴訟代理人弁護士 金住典子
同 小山久子
同 吉岡睦子


主文
 控訴人らの本件各控訴をいずれも棄却する。
 控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実
一 当事者の求めた裁判
 控訴人らはそれぞれ、「原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。被控訴人の請求をいずれも棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文一項と同旨の判決を求めた。
二 当事者の主張
 当事者双方の主張は、次のとおり附加、訂正、削除するほか、原判決の事実摘示(五頁二行ないし六四頁六行)と同一であるから、ここにこれを引用する。
1 原判決二一頁七行目の「は明らかである。」の次に改行して、「仮に控訴人テレビ東京につき民法七一九条に基づく責任を問い得ないとしても、控訴人テレビ東京は、控訴人IVSと同社に勤務する控訴人近藤、同社から依頼された大石静、山本厚を実質上使用して本件テレビドラマを制作させたものであるから、民法七一五条に基づく使用者責任を負うべきである。」を加える。
2 同二五頁九行目の「被告ら」を「控訴人近藤及び控訴人IVS」と改める。
3 同二七項三行目から二八頁一行目までを、「後記控訴人テレビ東京の主張のとおり、控訴人テレビ東京は本件テレビドラマの共同制作者ではないし、控訴人テレビ東京には本件テレビドラマの制作、放映について原告著作物への依拠は存しない。なお、本件テレビドラマには、当初から原著者名、原著書名の表示はなかった。」と改める。
4 同二八頁六行目から一〇行目までを、「本件テレビドラマは、控訴人近藤及び控訴人IVSの持込み企画で、両者が制作したものであり、しかも、本件テレビドラマの制作については、控訴人IVSが一切の権利義務関係の処理を自己の負担と責任において行う約定となっていたうえ、控訴人近藤及び控訴人IVSは、本件テレビドラマの企画提案から制作、納入、放映の全期間にわたり、控訴人テレビ東京に対し一貫して原告著作物の存在(放映直前にはその内容)を隠蔽し、控訴人テレビ東京を偽り続けたものであるから、控訴人テレビ東京に対し過失責任を負わせることは著しく公平を欠くものというべきであるまた、控訴人近藤及び控訴人IVSは、控訴人テレビ東京との関係では請負人ないし受託者として独立して責任をもって本件テレビドラマを制作したものであるから、控訴人テレビ東京が使用者責任を負うことはない。」と改める。
5 同二九頁二行目の「四 被告らの主張」を「四 控訴人近藤及び控訴人IVSの主張と改める。
6 同五二頁末行の「作業を」の次に「経て」を加える。
7 同五六頁九行目の「承諾していたものである。」の次に改行して、
「五 控訴人テレビ東京の主張
1 本件テレビドラマは、控訴人近藤及び控訴人IVSによって控訴人テレビ東京にその企画が持ち込まれ、控訴人近藤及び控訴人IVSが責任をもって制作した、右両者の単独著作物であって、控訴人テレビ東京との共同制作にかかる共同著作物ではない。控訴人テレビ東京は、本件テレビドラマがシリーズ物の一話である特殊性に鑑み必要最小限の調整を行ったに止まり、著作権が発生する制作行為は一切していない。単独著作権者たる控訴人近藤及び控訴人IVSから放送権等につき契約によって利用許諾を受けたにすぎない。
 したがって、控訴人テレビ東京には本件テレビドラマの制作に伴う著作権法上の責任が生じる余地はない。
2 控訴人近藤や控訴人IVSから控訴人テレビ東京に対して、被控訴人又は原告書籍についての説明は一切なく、控訴人テレビ東京は原告書籍又は原告著作物の存在及び内容について全く知らなかったものであって、控訴人テレビ東京には、本件テレビドラマの制作放送について原告著作物への依拠が存しないから、著作権侵害の要件事実を欠き、本件著作権侵害は控訴人テレビ東京に関する限り成立しない。」を加える。                  8 同五六頁一〇行目の「五 被告らの主張に対する原告の認否」を「六 控訴人近藤及び控訴人IVSの主張に対する被控訴人の認否」と、右五項中の「被告ら」をいずれも「控訴人近藤及び控訴人IVS」と、それぞれ改める。
9 同五七頁二行目の「そうである部分」を「そうでない部分」と改める。
10 同六四頁六行目の次に改行して、
「七 控訴人テレビ東京の主張に対する被控訴人の認否
1 控訴人テレビ東京の主張1は争う。
 本件訴訟においては、控訴人テレビ東京が主張するような共同著作権が発生する共同制作であるか否かが問題となるのではなく、共同不法行為の成立が認められる要件としての「共同制作」(共同作業)の実態があったかどうかであり、その実態が認められれば控訴人テレビ東京の共同不法行為の責任が認められるところ、本件テレビドラマについて控訴人テレビ東京に「共同制作」の実態が存したことは明らかである。
2 同2は争う。
 控訴人テレビ東京は、控訴人近藤からの本件テレビドラマの企画提案の過程において原告著作物の存在について知らされていたし、脚本づくりの段階、遅くとも決定稿の手直し段階では原告著作物や著作者について了知していた。また、控訴人IVSが控訴人テレビ東京に納入した本件テレビドラマの作品には、原告著作物及び著書名が表示されていた。仮に、納入された作品に右表示がなされていなかったとしても、昭和六二年二月八日に控訴人近藤から「田中喜美子著『妻たちはガラスの靴を脱ぐ』より」とのテロップを受領したときには、原告著作物の存在を知っていたことは疑いがない。
 仮に、控訴人テレビ東京は、丙第三号証の出現まで本件テレビドラマの原作を知らなかったとしても、本件テレビドラマの放映前には原作及び原作者の存在を知った以上、原作者の承諾の有無を確認しなかったことに過失がある。」を加える。
三 証拠《略》
理由
一 当事者、被控訴人が原告著作物を著作したこと及び本件テレビドラマの放映等について
 原判決理由一(六四頁末行から六六頁一行目まで)を引用する(但し、六五頁二行目の「1(一)ないし(二)」を「1(一)ないし(三)」と改める。)。
二 原告著作物の内容及び著作物性について
 原判決理由二1、2(六六頁三行目から八五頁四行目まで)を引用する。
三 本件テレビドラマ制作・放映の経緯及び本件テレビドラマの制作者について
1 前記一に判示した事実に加えて、《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
《証拠判断略》
(一)控訴人近藤は、長年にわたり、プロデューサーとして数多くのテレビドラマ番組の企画、制作に従事してきたものであるところ、昭和六〇年一一月頃、控訴人IVSに入社して常務取締役に就任し、テレビドラマ番組の受注、制作に携わっていたが、昭和六一年四月中旬頃、原告書籍を読み、原告書籍に表された女性の自立に関する被控訴人の思想に感銘を受け、被控訴人の右思想を基本的には忠実にドラマ化し、世に伝えたいと考え、同月二三日頃、それまで見ず知らずの関係であった被控訴人に電話をかけ、原告著作物を含め、原告書籍のテレビドラマ化について了承を求めた。その際、控訴人近藤は、被控訴人に対し、ドラマ化の決定までは一か月ほどかかる旨、ドラマ化の手法については種々の態様があり、どのような手法を採るかは任せて欲しい旨を告げた。被控訴人も、ドラマ化のための脚本が別途制作され、あるいはドラマ化に適するように原作の内容に多少の変更があるであろうことは認識し、原告著作物を含め、原告書籍がテレビドラマ化されることを基本的に承諾した。
(二)控訴人近藤は、昭和六一年五月頃、TBSテレビに対し、原告著作物をドラマ化した「妻たちはガラスの靴を脱ぐ」との表題の連続ドラマの企画案を指示したが、右企画案が原告著作物の思想内容をほぼ忠実にドラマ化しようとしたものであったため、同社は、控訴人近藤の企画案のストーリーが、女性の自立というテーマを取り扱い、離婚という形での家庭破壊や企業告発にまで至る意識変革を描くものであって、主たる視聴者である主婦層の価値観からかけ離れており、反発を招く恐れがあるなどとして難色を示し、右企画は採用されなかった。
(三)控訴人近藤は、原告書籍中の作品に示された被控訴人の思想の展開が、従来の女性ドラマのものに比し、非常に新鮮であり、優れたものであると評価していたため、昭和六一年一〇月頃、控訴人テレビ東京の担当者(遠藤慎介、佐々木彰)に対し口頭で、控訴人テレビ東京の「ドラマ女の手記」シリーズの一話として、海外単身赴任という試練を経て女性が自立していくといった内容のドラマをやりたいと提案し、控訴人IVSは、同年一一月初旬頃、表題を「ある海外転勤者の妻の手記ー愛は単身赴任を拒んだー」とし、原告著作物の内容を約二〇〇〇字にまとめた梗概を記載した企画書を控訴人テレビ東京に提出した。しかし、控訴人テレビ東京の右担当者は控訴人近藤に対し、TBSテレビと同様の理由を挙げて右企画書の内容によるテレビドラマ化に難色を示し、視聴者の反発を招かないようにハッピーエンドのものとなるように求め、そのように改められれば採用が可能であるとの意向を示した。
(四)右のような状況から、控訴人近藤は、原告書籍中の各編を忠実にテレビドラマ化して放映することは困難であり、視聴者の反発を招かない程度の内容に変更する必要があると考え、多くの主婦達が抱いている価値観の中で、会社と社員は相互に依存しているという前提のもとに海外単身赴任をめぐる関係を作っていくものとし、夫婦は離婚という形の家庭破壊にまで至らず、より強い夫婦の絆を見出すという方向の企画を提案し、控訴人テレビ東京に採用された。
 そこで、控訴人IVSは、本件テレビドラマを制作することになり、控訴人近藤自らプロデューサーとなり、同年一一月下旬頃、前記の企画方針に基づいた脚本の執筆を大石静こと高橋静に依頼し、控訴人近藤の制作意図の説明、原告著作物を素材の一部として使用すること等の打合せを経て、同年一二月中旬頃、脚本の決定稿が完成した。右の脚本に基づき、同年一二月下旬頃、監督を山本厚として本件テレビドラマの撮影を開始し、編集、音入れ等の作業を経て、昭和六二年一月一九日、控訴人テレビ東京に本件テレビドラマのビデオテープを納入した。
 控訴人テレビ東京の担当者である佐々木彰は、右脚本の準備稿を読んで会話の部分を一部修正するよう求めたり、撮影現場にも一度立ち会ったことがあった。
(五)昭和六二年一月三〇日に、控訴人テレビ東京と控訴人IVSとの間で本件テレビドラマについてテレビ番組製作契約書が調印されたが、右契約書の各項の一部となっている「テレビ番組製作契約基準条項」の第一条には、控訴人IVSは本番組について控訴人テレビ東京と事前に協議し、控訴人テレビ東京の製作意図を実現するよう控訴人テレビ東京と緊密な連絡の上番組製作にあたること、本番組の製作業務上重要な作業は、事前に控訴人テレビ東京との協議により決定進捗すること、本番組の製作途上、各作業項目について重要な変更をするときは事前に控訴人テレビ東京の承諾を得ること、第一二条には、控訴人IVSは、この契約により控訴人テレビ東京が取得する諸権利を支障なく行使できるように、本番組に使用される一切の著作物の著作権等の処理をすべて控訴人IVSの負担と責任において行うものとすること、がそれぞれ定められている。
(六)控訴人近藤から海外単身赴任ものについての企画提案があった当初から本件テレビドラマの制作、納入に至る段階まで、控訴人近藤や控訴人IVSから控訴人テレビ東京に対し、原告書籍や原告著作物のことについての説明はなかったし、昭和六一年一二月中旬頃控訴人IVSから控訴人テレビ東京に提出された本件テレビドラマの番組製作見積書の「脚本費」欄の「原作使用」の項目は空白であった。控訴人テレビ東京側でも、控訴人近藤や控訴人IVSに対し、本件テレビドラマには原作なり、使用している素材があるのかどうかについて確認しなかった。
(七)昭和六二年二月初旬頃、控訴人テレビ東京に提出される企画書の整理等を担当している者が、すでに控訴人IVSから納入され、試写も終えていた本件テレビドラマと基本的ストーリーが類似したドラマの企画書が他社から提出されていることに気付き、右企画書の表紙に「田中喜美子著『妻たちがガラスの靴を脱ぐ』(汐文社刊)より」と表示されていることを知った。このことの報告を受けた前記佐々木は、同月六日、控訴人近藤に対し、本件テレビドラマの原作はどうなっているか確認した。これに対し、控訴人近藤が、原作ではないが、被控訴人の著作のアイデアを借りていることがあると説明したので、被控訴人との間で問題が生じないように被控訴人の了解を得るように指示し、必要があれば放映の中に原作の表示等をすると伝えた。
(八)控訴人近藤は、昭和六二年二月七日、「わいふ」の編集室に被控訴人を訪ね、原告書籍中の作品をテレビドラマ化した作品ができあがったので放映の許可をもらいたい旨、被控訴人を原作者として表示することを承諾されたい旨を申し入れたが、被控訴人が脚本も見ていない状態では返事のしようがない旨述べたため、同日、本件テレビドラマの脚本の準備稿を持参して、被控訴人に交付した。被控訴人は、右脚本を読み検討したところ、原告著作物と前半部分が同じであるにもかかわらず、後半の部分が全く違う結末となっている点について、原告著作物における被控訴人の思想とは正反対の内容の作品とされたものであって、放映を許可することは到底できないと憤慨し、同月八日、控訴人近藤に対し電話でその旨を述べてドラマ化を拒絶した。
 控訴人近藤は、急遽、被控訴人方を訪ね、被控訴人に本件テレビドラマの放映について許諾するよう懇請したが、被控訴人は、本件テレビドラマの制作や放映を容認するつもりはない旨告げるとともに、本件テレビドラマを放映せざるを得ないのであれば、原作者として氏名を表示することは一切断る旨などを申し渡した。
(九)右二月八日に、控訴人近藤から控訴人テレビ東京に対し、被控訴人から基本的に了解が得られ、放映の中に原作の表示等をすることも必要がない旨の連絡があったので、控訴人テレビ東京は、翌二月九日午後九時から本件テレビドラマを放映した。
 他社から前記企画書が提出されていることを知ったときから右放映に至るまでの間に、控訴人テレビ東京では、原告書籍を読んで本件テレビドラマと類似しているか否かについての検討はしなかった。
(一〇)本件テレビドラマの最後には、控訴人テレビ東京と控訴人IVSの制作によるものであること、チーフプロデューサーとして控訴人テレビ東京の遠藤慎介が、企画プロデューサーとして控訴人近藤が、プロデューサーとして控訴人テレビ東京の佐々木彰がそれぞれ表示されていた。本件テレビドラマの脚本の決定稿にも、制作が控訴人テレビ東京と控訴人IVSによること、チーフプロデューサーが控訴人テレビ東京の遠藤慎介及び控訴人IVSの控訴人近藤であり、プロデューサーが控訴人テレビ東京の佐々木彰であることが表示されていた。
2 右認定の事実によれば、本件テレビドラマは、控訴人IVSと控訴人テレビ東京の共同制作にかかるものであり、控訴人近藤がその制作を主体的に担当したものであって、控訴人テレビ東京の遠藤及び佐々木は、控訴人近藤や控訴人IVSから当初企画提案のあった内容について検討し、控訴人近藤に対し、視聴者の反発を招かないようにハッピーエンドのものとなるように求め、本件テレビドラマは右意向に沿うような内容のものとなっていること、右佐々木は、本件テレビドラマの脚本の準備稿を読んで会話の部分の一部修正を求め、撮影現場にも一度立ち会っていること、控訴人テレビ東京と控訴人IVSとの間で本件テレビドラマについて調印されたテレビ番組製作契約書中の「テレビ番組製作契約基準条項」第一条の内容、本件テレビドラマの決定稿や本件テレビドラマの最後には、制作が控訴人テレビ東京と控訴人IVSによるものであること、控訴人テレビ東京の遠藤がチーフプロデューサーとして、佐々木がプロデューサーとして表示されていることを総合すると、控訴人テレビ東京も本件テレビドラマの共同制作者の一員であることは否定できないものと認められる。
四 本件テレビドラマの内容について
 原判決理由四(九三頁八行目から一〇三頁六行目まで)を引用する(但し、原判決九三頁八行目の「成立に争いのない乙第六号証」を「前記乙第六号証、乙第一九号証」と、同頁末行の「被告近藤本人尋問の結果」を「控訴人近藤本人尋問の結果(原審)」とそれぞれ改める。)。
五 翻案権及び放送権侵害の成否について
1(一)ある作品について著作権侵害が成立するためには、当該作品が原著作物に依拠して作成されたものであることが必要であるところ、前記三1に認定のとおり、本件テレビドラマは原告著作物を素材の一部として使用すること等の打合せを経て完成された脚本に基づいて制作されたものであって、控訴人IVS及び控訴人近藤が原告著作物の存在及び内容を知っていたことは明らかである。
(二)ところで、ある作品の制作者において原著作物に接する機会がなく、その存在及び内容を知らなかった場合には、これを知らなかったことについて過失があると否とにかかわらず、原著作物に依拠して当該作品を制作したものということはできず、その者に著作権侵害の責任を問うことはできないものと解される(最高裁昭和五三年九月七日判決、民集三二巻六号一一四五頁参照)。
 右のように、対象となる作品が原著作物に依拠して作成されたものであるか否かは、当該作品の制作者につき判断されるべき事項であるから、対象となる作品が共同制作にかかるものである場合には、共同制作者のそれぞれにつき依拠の要件を充足しているか否かを判断する必要があるが、共同制作者の全員が原著作物に接していなければならないというものでは必ずしもなく、自らは原著作物に接する機会がない場合であっても、当該作品を制作するについて他の共同制作者が原著作物に接していて、これに依拠していることを知っているような場合には、原著作物に接する機会のない者についても、同様に依拠の要件を充足しているものと認めるのが相当である。
 そこで、控訴人テレビ東京について依拠の要件を充足しているといえるか否かについて検討する。
 前記三1に認定のとおり、控訴人近藤から海外単身赴任ものについての企画提案があった当初から本件テレビドラマの制作、納入に至る段階まで、控訴人近藤や控訴人IVSから控訴人テレビ東京に対し、原告書籍や原告著作物のことについての説明はなかったこと控訴人IVSから控訴人テレビ東京に提出された本件テレビドラマの番組製作見積書の「脚本費」欄の「原作使用」の項目は空白であったこと、控訴人テレビ東京側でも、控訴人近藤や控訴人IVSに対し、本件テレビドラマには原作なり、使用している素材があるのかどうかについて確認しなかったことが認められ、これらの事実によれば、控訴人テレビ東京は、本件テレビドラマの制作の段階においては、自ら原告著作物に接したことはなく原告書籍や原告著作物の存在及び内容を知らなかったものと認められる。
 しかしながら、前記三1に認定のとおり、控訴人テレビ東京は、昭和六二年二月初旬頃本件テレビドラマと基本的ストーリーが類似したドラマの企画書が他社から提出されていることに気付き、右企画書の表紙に「田中喜美子著『妻たちがガラスの靴を脱ぐ』(汐文社刊)より」と表示されていることを知ったこと、同月六日、前記佐々木が控訴人近藤に対し、本件テレビドラマの原作はどうなっているか確認したところ、控訴人近藤は、原作ではないが、被控訴人の著作のアイデアを借りていることがあると説明したこと、佐々木は、被控訴人との間で問題が生じないように被控訴人の了解を得るように指示したことが認められ、これらの事実によれば、控訴人テレビ東京は、昭和六二年二月六日の時点では本件テレビドラマを制作するについて控訴人IVS及び控訴人近藤が被控訴人の著作物に接していて、これに依拠したものであることを知っていたものと認められるから、控訴人テレビ東京についても原告著作物への依拠の要件を充足しているものと認めるのが相当である。
2(一)前記二に認定の事実によれば、原告著作物の基本的なストーリーは、「建設会社に勤務する主人公章子の夫がサウジアラビアへ二年間の単身赴任を命じられる。章子は、夫と同行したいと願い、夫と議論するが、会社の方針によって許されないまま、夫は赴任する。章子は希望を実現しようと夫の会社と直談判するが、会社側は、治安の悪さを理由に章子を説得しようとする。章子はサウジアラビアに社員を派遣している石油会社や商事会社を訪ね歩き、会社が同行を許さない理由とする事情は真実でないことや、企業の海外単身赴任の実情を知るとともに、社員用アパートを提供できるかも知れないという企業まで見つけた。章子は自力でサウジアラビアへ赴こうとするが、回教国である同国へは、女性の単身での入国ビザが得られないという障害にぶつかる。しかし、書類上の操作で入国が不可能ではないことを知る。章子が夫の後を追って行きそうだと知った会社は、単身赴任の慣行を維持しようとして、夫に帰国命令を下し、章子は別れてから六か月半後に夫を取り戻す。しかし、章子と夫との間には亀裂が生じ、章子が就職したことが破局の直接的なきっかけとなる。章子は、次第に仕事と家庭の両立が困難な状況になり、実事の分担を巡って夫婦間の溝は深まり、離婚するに至る。その後、章子は、章子の新しい生き方を尊重する男性と再婚する。」というものである。
(二)前記四に認定の事実によれば、本件テレビドラマの基本的なストーリーは、「建設会社に勤務する主人公章子の夫がサウジアラビアへ二年間の単身赴任を命じられる。章子は、夫と同行したいと願い、夫と議論するが、会社の方針によって許されないまま、夫は赴任する。章子は希望を実現しようと、サウジアラビアに社員を派遣している石油会社や商事会社を訪ね歩き、企業の海外単身赴任の実情を知るとともに、社員用アパートを提供してもよいという企業まで見つけたうえ、夫の会社と直談判するが、会社側は、赴任者のチームワークが乱れることを理由に章子の願いを拒絶する。章子は自力でサウジアラビアへ赴こうとするが、回教国である同国へは、女性の単身での入国ビザが得られないという障害にぶつかる。しかし、書類上の操作で入国が不可能ではないことを知る。章子が夫の後を追う恐れがあると知った会社は、夫に帰国命令を下す。現地の上司のとりなしで、章子を説得するため一時帰国した夫は、隣人の妻の不倫相手の刃傷沙汰に巻き込まれて負傷し、入院する。章子と夫との間に溝ができかけるが、章子は夫の真意を知り、よい妻になろうと決意し、夫の単身赴任先に同行しようと大騒ぎしたことを夫に謝り、章子と和解した夫は、再度単身赴任し、章子は日本で職業に就く。」というものである。
(三)右(一)及び(二)の事実によれば、原告著作物と本件テレビドラマは、主人公の夫が帰国するまでの前半の基本的ストーリーが極めて類似していることは明らかである。
 また、前記二及び四に認定した事実によれば、原告著作物と本件テレビドラマとは、主人公の名前(章子)、夫婦の間の子供の有無(なし)、共働きかどうか(専業主婦)、夫の勤務先(海外に支社をもつ建設会社)、夫の転勤先(サウジアラビア)が同じであり、主人公やその夫の性格、人物像も類似していること、原判決別紙対照目録中の「具体的な内容の類似点」の項に記載のとおり、単身赴任についての問題提起、単身赴任命令に対する妻(主人公)の問題意識、海外転勤に妻を同行させない会社の事情、同行できないことを知った妻の対応・行動、妻のサウジアラビア行きの可能性を知った会社の対応等についての前半のストーリーの細部も類似しており、その表現の具体的な文言までが共通している部分もあることが認められる(但し、原判決別紙対照目録中の「甲第八号証の本件テレビドラマ」欄の「妻の行動(生き方)」の項中、章子が訪れる会社名に「亜細亜石油」とあるのは「光亜石油」が正しく、「三友物産」と会社名は明示されない。また、章子が訪れる語学学校名に「アジア・アフリカ語学院」とあるのは「アラビア語学院」が正しい。
 他方、原告著作物と本件テレビドラマは、主人公の夫が帰国して後の後半の基本的ストーリーにおいて、原告著作物が、前記(一)のとおり、章子が就職したことが直接的なきっかけとなって、章子夫婦は離婚し、章子は、章子の新しい生き方を尊重する男性と再婚するのに対し、本件テレビドラマでは、前記(二)のとおり、章子と夫との間に溝ができかけるが、章子はよい妻になろうと決意し、夫の単身赴任先に同行しようと大騒ぎしたことを夫に謝って夫婦は和解し、夫は再度単身赴任するというもので、大きく異なっているまた、本件テレビドラマには、原告著作物には登場しない、主人公の社宅の隣人の美貴夫婦、主人公の学生時代の先輩玲子等が登場する点でもストーリーが異なっている。
(四)ところで、原告著作物における、前半の基本的ストーリー及び単身赴任についての問題提起、単身赴任命令に対する妻(主人公)の問題意識、海外転勤に妻を同行させない会社の事情、同行できないことを知った妻の対応・行動、妻のサウジアラビア行きの可能性を知った会社の対応等の細かいストーリーとその具体的表現は、原告著作物を特徴づける個性的な内容表現を形成する要素と認められるところ、前記認定のとおり、本件テレビドラマは、前半の基本的ストーリーやその細かいストーリーが原告著作物と類似し、また具体的表現も共通する部分が存するものであり、後半の基本的ストーリー等において前記のような相違点があるにもかかわらず、原告著作物を読んだことのある一般人が本件テレビドラマを視聴すれば、本件テレビドラマは、原告著作物をテレビドラマ化したもので、テレビドラマ化にあたり、夫の帰国以後のストーリーを変えたものと容易に認識できる程度に、本件テレビドラマにおいては、原告著作物における前記の特徴的・個性的な内容表現が失われることなく再現されているものと認められるから、本件テレビドラマは原告著作物の翻案であると認めるのが相当である。
 右認定の趣旨に反する甲第二三号証及び甲第二六号証の記載内容は採用できない。
3 右1及び2によれば、控訴人らの本件テレビドラマの制作は原告著作物について被控訴人の有する翻案権を侵害するものであり、また、本件テレビドラマの放映は、被控訴人が著作権法二八条により有する本件テレビドラマについての放送権を侵害するものというべきである。
4 控訴人近藤及び控訴人IVSは、本件テレビドラマの制作は翻案権の侵害に当たらないとして種々主張するので、この点について検討する。
(一)控訴人近藤及び控訴人IVSは、被控訴人は、原告著作物の内面形式(原告著作物の個性的特徴であると識別される筋、仕組み、主たる構成)を明らかにしたうえ、それが本件テレビドラマに再現されていることを対比して客観的に主張していないから、翻案権侵害を根拠づける主要事実を十分に主張していないものであり、被控訴人の請求は主張自体失当である旨(控訴人近藤及び控訴人IVSの主張1(一))、原告著作物中、山脇史子の執筆になる体験記や同人の体験談に表現されている話の展開と同一の筋、仕組み、構成部分は、被控訴人の創作であるということはできず、この部分に被控訴人の著作権は及ばない旨(同人(二))、物語性(ストーリー、筋)中の創作的部分がドラマ化権上保護に値する部分であるが、原告著作物をドラマ化という観点からみた特徴として、(1)妻の目覚めに関し、作者自身の見解、意見を表明した部分や、登場人物(主人公の章子)が作者に報告するという形で、実在の山脇史子の考え、見解を述べた部分が多い、(2)章子等の登場人物に関する行動、でき事を一般的、抽象的に描いた部分や、章子等の感情をそのまま直接表明した部分が多い、(3)夫の海外単身赴任をめぐって、実在の山脇史子らが実際に体験、行動した事実をそのまま述べた部分が多い、という点を挙げることができるが、これらはいずれも著作権法上の保護範囲に該当しないものであり、原告著作物の中からこれらを除外すると、被控訴人が創作した部分はほとんど残らず、本件テレビドラマによるドラマ化権侵害の余地はない旨(同1(三))主張する。
 前記二に認定のとおり、原告著作物は、「わいふ」に掲載された山脇史子の投稿や同人から聴取した内容をもとにして、ルポルタージュ風の読み物として著述されたものであり右山脇の投稿において述べられている「建設会社に勤務する夫がサウジアラビアに二年間の単身赴任を命じられ、自分(妻)も同行を希望するが、会社の事情で許されなかったため、同行を実現しようと、夫の勤務先にかけあうが、サウジアラビアは危険であり、女性が暮らせるような国ではないという答えであった。それならサウジアラビアが安全な国であるという資料があればいい訳だろうと、石油会社や商社などを訪問し、実情を尋ね歩いた結果、サウジアラビアは珍しいほど犯罪が少なく、現に長期滞在者は家族を同伴していることがわかった。」という事実経過と、転任は家族同伴が本筋であるという山脇の考えは、原告著作物においても取り入れられているところである。また、前記二の認定事実及び《証拠略》によれば、原告著作物には、作者である被控訴人自身の見解、意見を表明した部分や、登場人物(主人公の章子)が被控訴人に報告するという形で、山脇の体験したことや考えを述べたと推測される部分もあることが認められる。
 ところで、著作物中に他人の体験記や体験談に表現されている話の展開がそのまま表現されているような場合には、その表現部分に創作性を認めることはできないが、他人の体験記や体験談に表現されている話の展開を素材としながら、これに創作的な脚色が加えられ、あるいは具体性をもって表現されているような場合に、右素材とされた表現部分を取り出して著作権の保護範囲から除外してしまうことは、右脚色や具体性をもった表現を実質的に無意味なものとしてしまうことになり、著作権法が著作物に創作性を必要としている趣旨にも反するものと解される。
 しかして、原告著作物には、山脇が投稿に記載し、被控訴人に対して述べた前記事実経過や山脇の考えが取り入れられているものであるが、前記二の認定事実や《証拠略》から明らかなとおり、原告著作物においては、右事実経過等について、種々の創作的な脚色が加えられ、あるいは具体性をもった表現が施され、これらが一体となって、原告著作物の表現形式上の特徴部分を形成しているものと認められるから、原告著作物に取り入れられている前記事実経過等の表現部分について、被控訴人の創作ではないとして著作権の保護範囲から除外することは相当ではないものというべきである。
 次に、前記二の認定事実及び《証拠略》によっても、原告著作物には、章子等の登場人物に関する行動、でき事を一般的、抽象的に描いた部分や、章子等の感情をそのまま直接表明した部分が多く存するものとは認め難いが、原告著作物にあって、登場人物の行動、でき事が一般的、抽象的に描かれている部分があるからといって、また、登場人物の感情がそのまま表明されている部分があるからといって、その各部分が物語性を認められる要素を備えていないものとは認められず、著作権法上の保護の範囲に該当しないものとすることはできない。
 更に、ドラマ化とは、控訴人近藤及び控訴人IVSの主張するとおり、通常はドラマの核ともいうべき物語性の部分を原作から借用して映像化等することであって、原則的には物語性中の創作的な部分がドラマ化権上保護に値する部分であるということができ、また原告著作物中の被控訴人の見解や意見を表明した部分自体には物語性がないとしても、原告著作物に創作的な物語性を有する部分が存することは叙上判示したところから明らかである。
 なお、被控訴人は、翻案権侵害を根拠づける主要事実は主張しているものと認められる 右のとおりであって、控訴人近藤及び控訴人IVSの前記主張はいずれも採用できない。
(二)控訴人近藤及び控訴人IVSは、原告著作物と本件テレビドラマとは、内面形式(基本となる筋、仕組み、主たる構成)において全く異なるとして、まず、原告著作物は、女の自立のための戦いという見地から、会社側の命ずる単身赴任は、妻や女性に対する蔑視であるとして、企業や世間の常識を告発するという基本思想を普及宣布することを目的とするものであって、その実質は読み物の形式を借りた論説であり、被控訴人が聴取した第三者の体験談を素材とし、章子という主人公が、その体験経過を筆者に報告するという形態にまとめ、読み物としたという表現形式を採用しているから、その構成形式は、被控訴人が体験者である章子から聞かされたことを、でき事の順序に従って記述しつつも、所要の箇所に被控訴人の問題意識を開陳するものであり、登場人物のみの行為の連鎖ではないのに対して、本件テレビドラマは、第三者の被控訴人に対する体験報告という筋立てではなく、主人公等の行動自体を表現したものであって、その内面形式において全く異なる旨主張する(控訴人近藤及び控訴人IVSの主張1(四)(1))。
 前記二の認定事実によれば、原告著作物には、現在の結婚の内容、制度に疑問を持ち、社会的に目覚めて、自立しようとする妻の姿を描くという観点から、主人公の夫の海外単身赴任をめぐって現れた、企業が社員のみならずその妻をも支配している状況の指摘、主人公の夫に代表される世の男性の、男は外で働き、女は家庭を守るという伝統的役割分業観の指摘、妻の働く女性としての自立の勧め等の被控訴人の思想、主張が明確に表現されていることは明らかである。
 しかし、前記二に認定のとおり、原告著作物には、主人公章子の夫の海外単身赴任というでき事を中心に、章子夫婦の出会いから、結婚、夫の海外単身赴任と同行を望む章子の活動、夫の帰国と章子の就職、その後の夫婦生活の破局、章子の再婚までのストーリーが章子や夫の心理状態、感情をも含めて具体的に描写されており、これを読み物の形式を借りた論説であるということはできない。
 本件テレビドラマは、前記四に認定のとおり、一部に章子自身の短いナレーションがいくつか入るほかは、登場人物の会話や行動等でストーリーが展開しているものである。これに対し、原告著作物は、前記二に認定のとおり、一部に主人公が著者に話し掛け、あるいは報告する形式の部分、著者が一人称で自己の目から見た主人公や夫等の客観的状況を描写し、愛、結婚、家庭、単身赴任、会社の社員支配等についての意見を開陳する部分が加えられているが、主に主人公や夫等の登場人物の会話や行動、あるいはその心理や思考を三人称体で客観的に描写する形式でストーリーが展開されているものである。
 右のとおりであって、原告著作物と本件テレビドラマとは、構成の形式に若干の違いはあるものの、内面形式において全く異なるものとまでは到底認められず、控訴人近藤及び控訴人IVSの右主張は採用できない。
 次に、控訴人近藤及び控訴人IVSは、原告著作物と本件テレビドラマとは、(a)その根本思想ないしテーマの点、(b)両者の作品における主人公の人物像、主人公が対立葛藤する対象の違いなどの差異等、構成、展開の点のいずれの側面から検討しても全く相違しているから、本件テレビドラマは控訴人近藤らの独自の創作活動の成果であって、原告著作物とその内面形式に共通性はなく、原告著作物の二次的著作物という範囲を超えたものであり、いわゆる純創作の域にあることは明らかである旨主張する(同1(四)(2)。
 原告著作物には、現在の結婚の内容、制度に疑問を持ち、社会的に目覚めて、自立しようとする妻の姿を描くという観点から、主人公の夫の海外単身赴任をめぐって現れた、企業が社員のみならずその妻をも支配している状況の指摘、主人公の夫に代表される世の男性の、男は外で働き、女は家庭を守るという伝統的役割分業観の指摘、妻の働く女性として自立の勧め等の被控訴人の思想、主張が明確に表現されていることは前記のとおりであり、他方、前記四に認定の事実によれば、本件テレビドラマには、制作者の思想、主張が直接的に明確に述べられる部分はないが、その全体からみても、海外単身赴任が夫婦、家族の生活に与える影響を描きつつも、やりがいのある仕事をするために必要な場合もあると肯定的にとらえ、社会的視野が狭く、夫婦の愛情のみを大切に考えて同行を強く望んでいた妻が、夫の海外単身赴任先での仕事にかける情熱を理解し、よい妻になろうと決心して単身赴任を受け入れると、厳しく対応していた夫の上司も、意外とものわかりよく夫の再赴任の機会を与えるという形で問題が解決するなど、企業批判の思想は汲み取れず、また、仕事を持つ玲子のてきぱきとした態度やいきいきと働く妻の描写等から、女性が社会に出て働くことの肯定的態度は窺われるが、男性の伝統的分業観への批判や、離婚をも厭わない女性の自立の主張は読み取ることができず、海外単身赴任をめぐるサラリーマン夫婦の家庭と仕事の葛藤、苦しみと喜びを、調和的、常識的に描くという以上に明確な思想主張の表明は認められない。また、原告著作物と本件テレビドラマには、筋、構成及びその展開において、前記2(三)に認定のとおりの相違点がある。
 しかし、前記2(四)に認定のとおり、原告著作物における、主人公の夫が帰国するまでの前半の基本的ストーリー及び単身赴任命令に対する主人公(妻)の問題意識、海外転勤に妻を同行させない会社の事情、同行できないことを知った妻の対応・行動、妻のサウジアラビア行きの可能性を知った会社の対応等の細かいストーリーとその具体的表現は、原告著作物を特徴づける個性的な内容表現であるところ、本件テレビドラマは、原告著作物と前半の基本的ストーリーやその細かいストーリーが類似し、また、具体的表現も共通する部分が存するものであって、原告著作物を読んだことのある一般人が本件テレビドラマを視聴すれば、本件テレビドラマは、原告著作物をテレビドラマ化したもので、テレビドラマ化にあたり、夫の帰国以後のストーリーを変えたものと容易に認識できる程度に、本件テレビドラマにおいては、原告著作物における右特徴的・個性的な内容表現が失われることなく再現されているから、前記のような相違点があることを考慮しても、本件テレビドラマが原告著作物の翻案であることを否定すべき程度にまで内面形式に共通性がないとはいえず、本件テレビドラマが控訴人近藤らの独自の創作活動の成果であるとは認められない。
 したがって、控訴人近藤及び控訴人IVSの右主張は採用できない。
(三)控訴人近藤及び控訴人IVSは、本件テレビドラマは、原告著作物から独立して独自に企画、構想、取材、脚本執筆の作業を経て実施されたものである旨主張する(控訴人近藤及び控訴人IVSの主張1(五))が、右主張も採用できないことは、叙上判示したところから明らかである。
六 著作者人格権侵害の成否について
 原判決理由六1、2(一二一頁一行目から一二五頁一二行目まで)を引用する(但し、一二一頁一〇行目の「前記五3」を「前記五2」と改める。)。
七 包括的承諾の有無について
 原判決理由七1ないし3(一二五頁四行目から一三二頁九行目まで)を引用する(但し一二五頁五行目の「証人佐々木彰の証言、」の次に「当審証人遠藤慎介の証言、」を、同頁六行目の「近藤」の次に「(原審・当審)」をそれぞれ加える。一二九頁末行及び一三一頁三行目の「昭和六一年四月二二日頃」を「昭和六一年四月二三日頃」と改める。)。
八 控訴人らの責任について
1 控訴人近藤及び控訴人IVS
 原判決理由八1、2(一三二頁末行から一三四頁四行目まで)を引用する。
2 控訴人テレビ東京
(一)前記三1に認定のとおり、控訴人テレビ東京は、昭和六二年二月初旬頃、本件テレビドラマと基本的ストーリーが類似したドラマの企画書が他社から提出されていることに気付き、右企画書の表紙に「田中喜美子著『妻たちがガラスの靴を脱ぐ』(汐文社刊)より」と表示されていることを知り、同月六日、担当者の佐々木が控訴人近藤に対し、本件テレビドラマの原作はどうなっているか確認したところ、控訴人近藤は、原作ではないが被控訴人の著作からアイデアを借りていることがあると説明したこと、そのため、佐々木は控訴人近藤に対し、被控訴人との間で問題が生じないように被控訴人の了解を得るように指示したこと、同月八日、控訴人近藤から控訴人テレビ東京に対し、被控訴人の了解が得られた旨の連絡があったので、同月九日に本件テレビドラマを放映したこと、他社から前記企画書が提出されていることを知ったときから右放映に至るまでの間に、控訴人テレビ東京の担当者は、原告書籍を読んで本件テレビドラマと類似しているか否かなどについて検討したことはなかったことが認められる。
 ところで、放送事業、放送番組の制作等を業としている控訴人テレビ東京としては、その制作、放映するテレビドラマが他人の著作権や著作者人格権を侵害することのないように万全の注意を払う義務があることは当然であり、このことは、当該テレビドラマの制作を第三者に委託し、これを放映する場合であっても同様であるところ、控訴人テレビ東京は控訴人近藤や控訴人IVSに対し、本件テレビドラマの企画提案、制作の段階で、本件テレビドラマには原作なり、使用している素材があるのかどうかについて確認しなかったものであり、しかも、本件テレビドラマの放映前に、本件テレビドラマと基本的ストーリーが類似した内容の企画書が他社から提出されていることや、その企画書に被控訴人名や著書名が表示されていることを知りながら、また、控訴人近藤からは、被控訴人の著作からアイデアを借りていることがあるとの説明を受けていながら、自ら原告書類を読んで、本件テレビドラマの制作、放映が被控訴人の著作権や著作者人格権を侵害するものではないか否かを検討することもなく、また、被控訴人の了解を得た旨の控訴人近藤の回答を安易に信用して、被控訴人に許諾の確認をしなかったものであって、これらの過失により、本件テレビドラマの制作、放映により被控訴人が原告著作物について有する翻案権及び同一性保持権を侵害し、被控訴人が二次的著作物である本件テレビドラマについて有する放送権を侵害したものと認められる。
(二)控訴人テレビ東京は、本件テレビドラマは控訴人近藤及び控訴人IVSの持込み企画であり、しかも、本件テレビドラマの制作については、控訴人IVSが一切の権利義務関係の処理を自己の負担と責任において行う約定になっていたうえ、控訴人近藤及び控訴人IVSは、本件テレビドラマの企画提案から制作、納入、放映の全期間にわたり、控訴人テレビ東京に対し一貫して原告著作物の存在(放映前にはその内容)を隠蔽し、控訴人テレビ東京を偽り続けたものであるから、控訴人テレビ東京に対し過失責任を負わせるのは著しく公平を欠くものである旨主張する。
 前記三1に認定のとおり、控訴人テレビ東京と控訴人IVSとの間で本件テレビドラマについて調印されたテレビ番組製作契約書の条項の一部である「テレビ番組製作契約基準条項」の第一二条には、控訴人IVSは、この契約により控訴人テレビ東京が取得する諸権利を支障なく行使できるように、本番組に使用される一切の著作物の著作権等の処理をすべて控訴人IVSの負担と責任において行うものとすることが定められているが、右約定を理由として、第三者である被控訴人に対する権利侵害についての注意義務が軽減されたり、免除されたりするものではない。また、控訴人近藤及び控訴人IVSが控訴人テレビ東京に対し、原告著作物の存在・内容を隠蔽していたものであるとしても、控訴人テレビ東京においては、本件テレビドラマの放映前に偶然とはいえ、本件テレビドラマと基本的ストーリーが類似した内容の企画書が他社から提出されていることや、その企画書に被控訴人名や著書名が表示されていることを知ったものであり、控訴人近藤からは被控訴人の著作からアイデアを借りているとの説明を受けたこと、控訴人近藤が控訴人テレビ東京から指摘されて初めて被控訴人の著作からアイデアを受けている旨説明したことからしても、控訴人テレビ東京としては、本件テレビドラマの制作、放映が被控訴人の著作権等を侵害するものではないかという疑いを持って当然であると考えられることからすると、控訴人テレビ東京に過失責任を負わせることが著しく公平を欠くものであるとは認められない。
 したがって、控訴人テレビ東京の右主張は採用できない。
3 なお、被控訴人らの翻案権、放送権、同一性保持権侵害の行為は共同不法行為を構成するものと認められるから、控訴人らは連帯してその責任を負うものである。
九 損害額及び名誉回復措置について
 原判決理由九1ないし3(一四二頁七行目から一四八頁三行目まで)を引用する(但し一四二頁八行目の「近藤」の次に「(原審・当審)」を加える。)。
一〇 結論
 以上のとおりであって、被控訴人の控訴人らに対する請求はいずれも原判決の認容した限度で理由があり、原判決は相当であって、控訴人らの本件各控訴はいずれも理由がないから棄却し、控訴費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

裁判長裁判官 伊藤博
裁判官 濱崎浩一
裁判官 市川正巳
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