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【事件名】児童文学無断脚色・上演事件
【年月日】平成8年1月29日
 福島地裁 平成6年(ワ)第112号 損害賠償等請求事件

判決
福島市(以下住所略)
 原告 新開ゆり子こと 新開ユリ子
右訴訟代理人弁護士 荒木貢
福島県(以下住所略)
 被告 金子洋一
同県(以下住所略)
 被告 原町市民謡ミュージカル実行委員会
右代表者 会長 伊藤博人
同市(以下住所略)
 被告 原町商工会議所
右代表者 会頭 伊藤博人
同市(以下住所略)
 被告 原町市
右代表者 市長 門馬直孝
右4名訴訟代理人弁護士 渋佐寿平
同 太田雅利


主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由
第1 原告の請求
一 原告に対し、被告金子洋一は金300万円、同原町市民謡ミュージカル実行委員会、同原町商工会議所及び同原町市は、各自、金340万円並びに各右金員に対する平成6年3月24日から支払済みに至るまで年5分の割合による金員を支払え。
二 被告金子洋一及び同原町市民謡ミュージカル実行委員会は、原告に対し、財団法人福島県文化センター発行の「文化福島」、「広報はらまち」、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、河北新報、福島民報及び福島民友新聞に別紙1記載の謝罪広告を、同2記載の条件で各1回掲載せよ。
第2 事案の概要
一 本件の概要
 本件は、児童文学作家である原告が、原町市内で開催された民謡ミュージカルの脚本及びパンフレットは原告の著作物に依拠した二次的著作物であり、原告は著作権及び著作者人格権を侵害されたとして、同ミユージカルの脚本作成及び演出を担当した被告金子洋一、主催者の被告原町市民謡ミュージカル実行委員会並びに右委員会の構成団体である被告原町商工会議所及び同原町市に対しそれぞれ損害賠償を請求するとともに、前2者に対し、原告の名誉回復措置として謝罪広告の掲載を請求したが、被告4名は、右脚本は原告の著作物に依拠しておらず別個独立して創作された作品であるとして争った事案である。
二 争いのない事実及び証拠から明らかな事実
1 原告は、児童文学作品である歴史小説「虹のたつ峰をこえて」(以下「著作物甲1」という)及び「海からの夜明け」 (以下「著作物甲2」という)を執筆し、いずれも株式会社アリス館において前者は昭和50年に後者は昭和56年に出版した。右各小説は、北陸から相馬への移民の姿を描いたものであるところ、原告の思想または感情を創作的に表現したものであって、文芸の範囲に属するものであるからいずれも著作物であり、原告はその著作者である。
2 権利能力なき社団である被告原町市民謡ミュージカル実行委員会(以下「実行委員会」という)は、平成5年7月24日、原町市において「歴史を謳う民謡ミュ−ジカル、故郷の土」と題したミュージカル(以下「本件ミュ一ジカル」という)を制作して上演し、被告金子洋一(以下「金子」という)は、同ミュ−ジカルの脚本(以下「本件脚本」という)の執筆及び演出に従事した。
 また、被告実行委員会は、同ミュージカルのパンフレット(以下「本件パンフレット」という)を作成し、観客に頒布した。
3 原告は、被告金子及び同実行委員会に対し、本件脚本の執筆及びパンフレットの作成、本件ミュージカルの上演にあたり、著作物甲1、2を利用することについて許諾したことはなかったし、また本件脚本及びパンフレットに原作者として原告の氏名が表示された事実もない。
 そして、被告金子は、財団法人福島県文化センター発行の「文化福島」平成5年7号誌上で、本件脚本が自己の創作である旨を述べた。
4 被告原町商工会議所(以下「商工会議所」という)及び同原町市は、被告実行委員会の構成団体であり、同会議所は、当時の会頭斎藤京市、専務松浦尚三を被告実行委員会の会長、事務局長にそれぞれ就任させるとともに、職員らを事務局に参加させた。また、同市は、市長門馬直孝を同委員会の顧問にした上、職員らを事務局に参加させた。
5 被告実行委員会は、かつて、相馬野馬追民謡祭り実行委員会の名で、原町市において、昭和62年7月24日「相馬野馬追民謡まつり、民謡ミュ一ジカル、駒に謳え民謡に躍れ」、同63年7月24日「市民のみんなでつくる民謡ミュージカル、穂に穂花咲く相馬の譜」を主催、上演し、また、被告原町市は、平成元年10月20日、利賀村において、「民謡ミュージカル、故郷の土」を同村と共催で上演した。被告金子は、これらのミュージカルに出演あるいは演出をした。
三 原告の主張
1 本件脚本及びパンフレットは、以下のとおり、原告の著作物甲1、2にしか記述されておらない内容を含み、著作物甲1に著作物甲2の記述を一部変更して脚色されたものであるから、いずれもそれらの二次的著作物である。
・ 本件脚本には、「江戸時代末期に、五箇山から数多くの人々がここ相馬を目指した」との記述があるほか、「五箇山」「五箇」の地名が十数ヵ所に使用され、本件パンフレットにも、「相馬に旅立った五箇山の人々」などと数ヵ所にその地名が使用されているところ、史実によると五箇山から相馬への移民は十数戸にすぎなかった上、著作物甲2が同地内出身の少年を主人公とした物語であることに鑑みると、著作物甲2を脚色したものである。
・ 本件脚本及びパンフレットには登場人物として「伏見儀助」が存在し、同人が相馬藩の隠密として飴屋、行商人、修業<「業」は「行」の誤?>僧に姿を変えて活躍したこと、最後には捕えられて処刑されたこと、その際に故郷の歌を歌っていたことなど同人に関する内容は著作物甲1の記述と同一であるところ、同人は、原告の創作上の人物である。
・ 本件脚本及びパンフッレトにおいては、伏見儀助が自己の小屋に火を放ち、その間に移民を出発させるという内容になっているところ、著作物甲2には寺の火事の間に移民が出発するという内容があり、寺の火事は原告の創作した事件であって、同著作物にしか顕れない事実である。
・ 本件脚本及びパンフレットには、右の他、移民が移住の途中「親不知」と称される難所を通過し、新潟から会津を抜ける経路を辿ったこと、移民の道中に宿改めがあったことなど著作物甲1、2の内容を要約した部分が多数存在する。
2 本件脚本及びパンフレットは、以下の点において、著作物甲1、2の内容を改変したものである。
・ 著作物甲1は、二人の少年僧が主人公であり、同人らが苦心して農民を移民させる話であるところ、本件脚本及びパンフレットでは、少年僧の話が切除され、主人公が変更されている。
・ 著作物甲1は、伏見儀助を生命を賭して移民事業に取り組み、それにより最後には捕えられて処刑された崇高な人物として取り上げているところ、本件脚本及びパンフレットでは、著作物甲2の出火話を同人が火を付ける話に改変して、同人を火付けのかどで処刑された重罪人とし、さらに、同人を慕う娘を登場させるなど通俗的人物として取り扱っている。
3 被告金子は、本件ミュージカルの脚本を作成し、演出を担当するに際し、前記利賀村において上演された「民謡ミユージカル、故郷の土」で、脚本、演出、主演の3役を担当した後、同ミュージカルが原告の著作権を侵害するものであるとの原告の抗議を受け、原告に謝罪したという過去の経緯から、被告金子の本件各行為(前記二2、3)が原告の脚色権、上演権を内容とする著作権及び氏名表示権、同一性保持権を内容とする著作者人格権を侵害するものであることを認識していたのであるから、原告に対し、損害賠償責任を負う。
4 また、他の被告3名は、本件ミュージカルを制作して上演し、その脚本、演出を金子に担当させ、また、本件パンフレットを作成するに際し、被告実行委員会が前記「相馬野馬追民謡まつり、民謡ミュージカル、駒に謳え民謡に躍れ」、前記利賀村における「民謡ミュージカル、故郷の土」を原告に無断で上演したこと(前記「市民のみんなでつくる民謡ミュージカル、穂に穂花咲く相馬の譜」の上演については原告の許諾を得ている)などについて、原告が被告金子、同商工会議所及び同原町市に対し著作権侵害である旨の抗議をし、同市市長門馬直孝らが原告に謝罪したという過去の経緯から、右被告3名の本件各行為(前記二2、3、4)がそれぞれ原告の著作権及び著作者人格権を侵害するものであることを認識していたのであるから、
・ 被告実行委員会は、同会が行った侵害行為、その会頭が職務を行うに付き原告に損害を与えたこと及び使用者である構成団体の不法行為について
・ 被告商工会議所及び被告原町市は、自らの侵害行為、それぞれその代表者及び職員がその職務として、被告実行委員会の構成員となって著作権及び著作者人格権の侵害行為を行ったことについて
 いずれも原告に対し、損害賠償の責任を負う。
5 被告4名の右各侵害行為は、共同して実行したものであるから、共同不法行為にあたる。
6 原告は、被告実行委員会、同商工会議所及び同原町市が無断で本件ミュージカルを上演したことにより、原作使用料として得られるべき利益40万円の損害を負った。また、原告は、被告4名の共同不法行為により著作権及び著作者人格権を侵害され、多大な精神的苦痛を受けたのであって、これに対する慰謝料は300万円が相当である。
7 被告金子及び同実行委員会は、前記のとおり原告の著作者人格権を侵害したのであるから、原作者の名誉回復措置としての謝罪広告掲載の責任を負う。
四 被告らの主張
 本件脚本は、被告金子が歴史的事実、民間伝承等に基づき、それらに同被告が独自に発想した物語を加えて創作したミュージカル作品であって、原告の各著作物の二次的著作物ではないから、被告4名は、原告の著作権及び著作者人格権を侵害した事実はない。したがって、被告4名は、原告に対しいずれも損害賠償責任を負うことはない。
五 争点
 被告4名の原告に対する著作権侵害及び著作者人格権侵害の有無(本件脚本及びパンフレットが原告各著作物の二次的著作物であるか、それに依拠せず、独立して創作された作品であるか)
第3 争点に対する判断
一 本件脚本について
1 証拠(乙3ないし6、8、10ないし15、17)を検討すれば、本件脚本が書かれた当時 (平成5年ころ)歴史上の事実として認識され、あるいは、民間伝承として流布されていた事実として、以下の事実が認められる。
・ 相馬藩は、17世紀後半から天候異変が始まり、1783年(天明3年)、大飢饉により決定的な打撃を受けた。その後も天明6年まで天候異変が続き、この3年間に領内の人口は餓死や逃亡により約3分の1に減少し、収穫高も過去の3分の1に減少した(乙11の2)。この事態にあって、相馬藩主樹胤に仕えていた家老久米泰重は、藩の復興政策のーつとして北陸からの移民により農戸の増加を図ることを藩主に献策した。財政難であった藩はこれに消極的であったが、久米個人が藩に関わらない立場で実行するならばということで了解したため、同人は、1813年(文化10年)、家老職を辞して隠居し、泰翁と称して移民誘致の活動を始めた(乙3の2、4の2、5の2、10の2)。
・ 1810年、浄土真宗の僧閾教は相馬に東福庵を開き、布教にあたっていたが、当時、相馬藩の領民にはまだ同宗派の信徒は少なかった。そこで、久米は、閘教に対し、加賀越中の同宗派の信徒を相馬に移民させれば同宗派の拡張になるともちかけ、布教ヘの協力を条件に移民誘致への協力を申し入れ、同人の同意を得た。そして、同人のもとで修行中であった少年僧発教が、加賀の五家郷から最初の移民を誘導してきた(乙3の2、5の2、6の2、10の2、15の88頁。なお、乙3の2では久米が発教に相談を持ちかけたとなっている)。
・ 幕藩時代、領民が他藩領内に移住することは禁止されていたため、移民誘致は隠密裏に行われねばならず、勧誘及び移住の道中いずれにおいても多くの危険が伴い、勧誘に当たる者も移民も命懸けであった(乙5の2、10の2)。一方、相馬藩は、危険を冒して移民して来た農民に対し、開拓地及び農具や家具を与え、その保護を図った(乙3の2、5の2。)
・ 移民誘致は、1810年(文化7年)ころから始まり、1845年(弘化2年)ころまでの間に、加賀、越中などから約1800戸の移住があった。加賀、越中からの移民の経路は、陸路の場合もあるが、多くは海路を選び、新潟から会津に入り、福島の中通りを通って相馬に向かうものであった(乙10の2、15の76頁)。また、利賀村の所在する地域の総称である五箇山は、加賀からの脱出口のーつであった(乙15の98頁以下)。
・ 伏見儀助は、相馬藩士であり、久米の命を受けて隠密として加賀藩領内に潜入し、飴屋や行脚僧に姿を変えて移民の勧誘を行い誘致に貢献した者で、勧誘を行った疑いで捕えられ、金沢城下で処刑されたが、その際、飴屋の姿で飴や音頭を唄っていたと伝えられている者である。同人の墓は原町市に存在している(乙6の2、8、15の171頁、17の7)。
 なお、原告は、乙第8号証に掲載されている詩の原作品は原告と岡和田甫が共同著作した作品であり、その過程で伏見儀助と命名された人物像が生み出されたのであって、乙6、14、15はこの原告らの著作物を利用して書かれたもので、伏見儀助は原告が創造した人物であると主張するが、原告がその詩作に共同したと窺わせる証拠が見当たらないこと(乙8、17)に徴すると、原告が乙第8号証に記載されている詩歌の共同著作者とまでは認められず、また、原告と「野火の舞」の著者中井安治との間に親交があったと認められるものの、証拠上(原告本人、甲25の1、2、乙15の後記にあたりての部分)、同人が原告の著者物を参照して右小説を執筆したかは明らかでなく、結局伏見儀助は原告が創造した人物であるとは認められない。かえって、証拠(甲23、乙6の2、15の171頁)によれば、平成5年ころには、伏見儀助が実在の人物であると一般に認識されていたと認めるのが相当である。更に、乙第8号証の詩歌は原告の著者物より以前の著作物であって、これを参考にしたとしても本件著作権侵害の理由とならない。
2 また、証拠 (甲1ないし3)によれば、以下の事実が認められる。
・ 本件脚本 (甲3)は4幕からなり、第1幕は、相馬藩家老久米泰重が五箇山から相馬への移民に協力している発教に対し、隠密伏見儀助を引き合わせる場面、第2幕は、儀助が、飴屋に扮して歌を歌うなどして村人を勧誘する場面、第3幕は、村人が故郷を離れ、困難な旅を伴う移住を悩む姿と儀助が村人を無事出発させようとして自分の小屋に火を付け、そのために捕えられていく場面、第4幕は、儀助が処刑されたことを相馬に向かう途中で知った村人が、宿改めから逃れ、親不知と称される難所を越え、会津を抜ける苦難の旅を続けて相馬にたどり着き、儀助を思いながら、久米や発教と共に相馬の再建を誓う場面によって構成されている。
・ 著作物甲1は、越中にある寺の二人の少年僧林能(発教)と光林(恵順)が主人公であり、両名が相馬藩家老久米から加賀藩の浄土真宗の門徒を相馬に誘致する旨の命を受け移民を勧誘する伏見儀助(僧・良弁)から協力を依頼され、発教は相馬で、恵順は越中で修業をした後、両名が初めての移民を誘致し、成功するというもので、前半部分は、移民の出発までの両名の話や儀助が相馬藩の隠密として飴屋の姿をして各地をまわり、移民を勧誘するという話であり、後半部分は、久米に会い協力を頼まれ相馬から越中に戻った発教が農民に相馬の話をして移民を集め、発教と恵順が移民を先導して相馬ヘ旅立ち、一行が親不知と称される難所をとおって、陸路新潟から会津を抜けて相馬に向かう1か月半の行程において、日中薮などに隠れて夜中に歩くなどの苦労を続け、相馬に無事たどり着く。そして、その数年後、発教が越中に出向く途中で、儀助が移民勧誘をしたかどで処刑されたことを知り、同人の首を持ち出し、その遺骨を相馬に葬るというものである。
・ 著作物甲2は、著作物甲1の続編であり、その前半部分は、農民が初めて相馬に移民してからおよそ25年後、厳しい年貢の取立てに苦悩していた加賀の農民が先に移住していた発教らの招きで相馬に移住することになり、その一行に加わった五箇山出身の少年三郎を主人公として、相馬移民の旅を描いたもので、出発の前夜に寺が火事となったため、その騒ぎが奉行所に知れる前に一行は出発するが、移民を取り締まる役人の目を逃れるため、日中は寺に身を寄せ夜中に移動するなどの苦労をしながら富山城下に入り、そこから船を利用し、船底に身を潜めて新潟まで行き、その後会津を抜ける際に少年の祖母が他界するなどの苦難が続くが、相馬に着くと人々に手厚く歓迎されるというもので、後半部分は、相馬に移住した後の話である。
3 そこで、著作物甲1、2と本件脚本を対比すると、いずれも加賀藩から相馬藩への移民事情を題材とし、農民が相馬へ移住する苦難の道中紀行が含まれていること、著作物甲1も本件脚本も、発教及び伏見儀助が登場人物であること、儀助が飴屋の姿などをする隠密として活躍するが、その最後は捕えられ、歌を歌いながら処刑されること、移民が辿ったとされる相馬への経路が、いずれも親不知と称される難所を通過し、陸路で新潟から会津、相馬であること、著作物甲2も本件脚本も、五箇山からの移住であること、移民の出発時に火事が起きていることなど前記原告の主張1記載の点に類似性、共通性を有していることが認められる。
 他方、著作物甲1、2は読者層を小中学生としているのに対し、本件脚本は一般市民を観客の対象としている。そして、著作物甲1においては、時代設定が最初に移民した時で、主人公が二人の少年僧発教兄弟であり、主題は最初の移民誘致に貢献し、移民を誘導した同人らの話である。伏見儀助は、移民を勧誘する相馬藩隠密であって、重要な登場人物ではあるがわき役にとどまり、発教兄弟による移民勧誘・誘導の紀行がいったん結了した後、それから数年を経た時を設定して儀助が処刑されたことを発教が悼む物語がなされている。これに対し、本件脚本においては、時代設定が既に移住が始められたころにおかれ、主人公は儀助と村人であり、儀助の移民誘致における生きざまが中心主題となっており、儀助は移民の出発の際に捕えられ、移民らが旅の途中でそれを知るという設定になっている。また、発教は少年僧の設定ではない上、わき役にとどまり、移民に同行する場面は設けられておらないなど時代設定、登場人物の設定及び行動、主題などの点で相違点がある上、本件脚本には、久米が隠密を送ろうと決意し、自分の邸内において発教に儀助を引き合わせ、同人が発教に協力することになるという一幕を設けていること、儀助を慕う娘幸を登場させ、移民の相馬への憧れや儀助に対する敬愛の念を娘に代表させるなどの重要な役柄を担わせていることなど構成、登場人物、物語の展開等につき、被告金子なりに独自の工夫、創作を加えて表現していることが認められる。そして、移民が出発する際の火災については、時代設定が異なるほか、著作物甲2においては、失火が原因で寺が炎上し、その火災が発覚する以前に出発しなければならないとして扱われているのに対し、本件脚本では、儀助が移民を出発させる助勢手段として自己を犠牲にして意図的に自分の小屋に火を付けたというもので、火災の意味するところに相違点が認められる。両者は、文脈を異にする文芸作品であるということができる。
 加えて、本件脚本の台詞には、著作物甲1、2の具体的表現を利用した点は認められない。
4 以上に認定及び対比したところによれば、確かに、本件脚本と著作者〈「者」は「物」の誤〉甲1、2の内容の一部との間には共通点、類似点が多数存在することが認められる。しかしながら、それらの共通点、類似点の殆どは本件脚本が書かれた当時において史実もしくは伝承と認識されていた事実(相馬藩の移民政策、相馬に移住した利賀村民がいたこと、儀助が飴屋に扮して移民を勧誘すること、同人が歌を歌いながら処刑されたことなど)及び客観的事実(北陸に比較して相馬は雪が少ないことなど)、あるいは、それらの事実及び時代背景から一般的かつ容易に推認できる事実(藩の取締りが厳しくなったこと、宿改めがあったこと、凶作で農民が山の草木をも食料にしたことなど)である。歴史的文学においては、その素材として利用される歴史上の事実や伝承は万民の自由な利用が許されるべき性質のものであり、歴史上の事実や伝承に従って記述することによってストーリーに共通性、類似性が現れるのはむしろ通例であるから、これらの共通点、類似点を除くと、本件脚本は、右相違点、工夫点の方が共通点、類似点よりも強く印象付けられ、本件ミュージカルの観客に対し、著作物甲1、2のストーリーを連想させ、これらを脚色したものであるとの印象を与えることはなく、むしろ被告金子が創作した物語であるとの印象を与えるに充分であり、右対比に加え、被告金子が、過去に原告から著作権侵害の抗議を受けたことがあったため、今回はその轍を踏むまいと心掛けて、本件脚本が原告の著作権を侵害しないように歴史的事実を基礎に独自の創作をしたという(乙16、19)経緯等を総合して判断すれば、本件脚本は、著作物甲1、2に依拠して執筆されたとは認められない。
 なお、被告金子には、著作物甲1を脚色したミュージカルの出演あるいは演出の経験があること(甲8、10、11、17)に照らすと、同人が、移住経路に親不知の難所があること、出発時に火災が起こることなどの点について著作物甲1、2を参考にしたことは考えられないではないけれども、仮にそうであったとしても、前記のとおりの表現方法の差異に照らせば、被告金子は、本件脚本において原告のアイデアもしくは小説の題材を参考にしたにとどまり、原告が思想、感情を創作的に表現した著作物の部分については、これを利用しておらないと認められる。
 そうすると、本件脚本は、被告金子において相馬移民の歴史と伝承に取材し、同被告の思想及び感情を創作的に表現して執筆した文芸作品であって、原告の著作物とは別個に著作されたもので、これらに依拠した二次的著作物とは認められない。
二 本件パンフレットについて
 証拠(甲4)によれば、本件パンフレットは、本件ミュージカルの内容をその各幕ごとに要約し、配役を紹介する部分及び相馬藩の移民政策、伏見儀助、利賀村を解説、紹介する部分から構成されたものであることが認められ、本件脚本が原告の著作権を侵害しないこと、伏見儀助が史実と伝承に従って紹介されていることなどに照らすと、本件パンフレットは、著作物甲1、2の二次的著作物とは認められない。
第4 結論
 以上のとおり、本件脚本は被告金子の独自の著作物と認められ、被告ら4名が原告の著作権及び著作者人格権を侵害した事実はないから、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がない。したがって、原告の請求をいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法89条、93条1項を適用して主文のとおり判決する。

福島地方裁判所第1民事部
 裁判長裁判官 木原幹郎
 裁判官 林美穂
 裁判官 野口佳子

別紙1
 謝罪広告
 私、金子洋一は、平成5年7月24日原町市体育館において開催された「歴史を謳う民謡ミュージカル・故郷の土」の脚本である「民謡ミュージカル・故郷の土」において、あなたの著作物の主人公を切除し、「儀助さんは自分とこへ火を付けた」と改変し、これを上演させたこと、また、財団法人福島県文化センターが平成5年7月1日発行した「文化福島」7月号「今目の人」欄において、誤解を与える記事を掲載させたことにより、あなたの名誉を毀損したことは誠に申し訳なく、ここに深くお詫び申し上げます。
 私、原町市民謡ミュージカル実行委員会は、右「歴史を謳う民謡ミュージカル・故郷の土」の同名のパンフレットにおいて、あなたの著作物の主人公を切除し、「儀助は……火事騒ぎを起こす」と改変し、右改変された脚本に基づいてこれを上演させたことにより、あなたの名誉を毀損したことは誠に申し訳なく、ここに深くお詫び申し上げます。
 平成 年 月 日
 相馬郡鹿島町北畑139番地
 金子洋一
 原町市橋本町1丁目35番地
 原町市民謡ミュージカル実行委員会
 新開ゆり子殿

別紙2
 「文化福島」、「広報はらまち」、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、河北新報、福島民報及び福島民友新聞各紙に、活字は明朝で、題字は20級活字、本文・年月日・謝罪者の住所は各12級活字、謝罪者名と名宛人は15級活字を使用すること。

以上                       
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