判例全文 line
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【事件名】「ウォール・ストリート・ジャーナル」事件(2)
【年月日】平成6年10月27日
 東京高裁 平成5年(ネ)第3528号 著作権仮処分異議控訴事件
 (原審・東京地裁平成3年(モ)第6310号)

判決
控訴人 株式会社ノウハウ ジャパン
右代表者代表取締役 Y
右訴訟代理人弁護士 内田実
同 椙山敬士
同 藤田康幸
同 井上智治
同 安田修
同 野間自子
同 田中憲彦
同 下島正
同 小川憲久
同 木ノ元直樹
同 吉田正夫
同 久保貢
同 池田純一
同 大野了一
同 水上康平
被控訴人 ダウ・ジョーンズ・アンド・カンパニー・インク
右代表者 X
右訴訟代理人弁護士 内田晴康
同 増田晋
同 末吉亙
同 今村誠
同 飯塚卓也


主文
 本件控訴を棄却する。
 控訴費用は控訴人の負担とする。

事実
第1 当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 控訴人と被控訴人間の東京地方裁判所平成2年(ヨ)第2550号著作権仮処分申立事件について、同裁判所が平成3年9月24日にした仮処分決定を取り消す。
3 被控訴人の本件仮処分申立てを却下する。
4 訴訟費用は第1、2審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
 主文と同旨
第2 当事者の主張
一 被控訴人
〔申請の理由〕
1 被控訴人は、日刊新聞の発行を主な業務とするアメリカ合衆国デラウエア州法上の法人であり、日刊新聞〔THE WALL STREET JOURNAL」(以下「被控訴人新聞」という。)の発行者である。
2 被控訴人がこれまで発行してきた被控訴人新聞及び将来発行する被控訴人新聞は、いずれも編集著作物である。
(一)被控訴人新聞は、世界中で生起するさまざまな出来事(素材)の中から、経済ニュースを中心に、報道する価値を認め得るものが選択され、更にその内容及び重要度の分析に基づき、速報性の高い経済ニュース、速報性の低い経済ニュース、特集記事、国際ニュース、政治ニュース、レジャー関連記事、社説、投資情報、相場表などのカテゴリーに分類され、その分類に従って、紙面に割り付けられるものであるから、特定の日付けの紙面全体が素材の選択及び配列に創作性のある編集著作物に該当することは明らかである。
(二)被控訴人は、1889年以来、組織を拡充整備し、世界的規模でニュースソースを収集し、これを的確に伝達できるための体制を構築しつつ、継続して被控訴人新聞を発行してきたものであり、将来もこれを継続するものである。したがって、被控訴人新聞が将来においても反復継続して発行される蓋然性は極めて高い。そして、被控訴人が、これまで確立してきた記事の収集、選択及び配列の手法に依拠し、被控訴人新聞を発行する限り(現在のところ、これらに関する大幅な変更の予定はない。)、素材の選択及び配列に創作性のない紙面ができることなどあり得ないから、将来発行される被控訴人新聞も全体について編集著作物性を有するものである。
3 これまで発行してきた、また将来発行する被控訴人新聞の編集著作権は、被控訴人の発意に基づき、その従業員が職務上作成し、被控訴人の名義のもとに公表するものであるから、被控訴人に帰属するものである。
4 控訴人は、被控訴人が編集著作権を有する被控訴人新聞を勝手に翻案し、その編集著作権を侵害している。
(一)控訴人は、特定の日付けの被控訴人新聞のほとんどすべての文章記事について、その一部(短い記事であれば全部)を翻訳し又は日本語で要約したものを作成し、これを被控訴人新聞の紙面における記事の割付順序とほとんど一致するように配列し、当該日付けの記事が一覧することができる文書(以下、控訴人が被控訴人新聞に対応して作成している文書を「控訴人文書」という。)を作成・頒布している。
 かかる控訴人の行為は、被控訴人新聞の文章記事を利用して文書を作成している点において、被控訴人新聞における素材の選択の創作性を利用するものであり、また被控訴人新聞の記事の分類に従って記事の分類のための表題まで付して配列している点において、被控訴人新聞における素材の配列の創作性を利用するものであるから、編集著作権の侵害に該当することは明らかである。
 なお、控訴人文書は確かに被控訴人新聞のすべてを網羅している訳ではなく、広告、図表及びいくつかの記事(疎甲第8号証においては174項目中10項目)は控訴人文書に掲載されていないが、被控訴人新聞は、広告及び図表を除いた文章記事のみについても、選択及び配列の創作性が認められるのであるから、かかる文章記事のほとんどを利用して抄訳文章を作成し、これが被控訴人新聞の記事の順序とほぼ一致する形で配列されている控訴人文書は、被控訴人新聞における素材の選択及び配列の創作性を利用するものであり、編集著作権の侵害に当たる。
(二)かかる控訴人の編集著作権侵害行為は、将来も継続して行われる蓋然性が極めて高い。控訴人はこれまで、被控訴人新聞の発行日毎に、その素材の選択及び配列の創作性を利用する行為を反復継続してきており、今後も継続する意向を表明しているから、被控訴人が将来発行する被控訴人新聞についても同様に編集著作権侵害行為をする蓋然性が極めて高いというべきである。
5 保全の必要性は次のとおりである。
(一)控訴人は、被控訴人の従業員である記者及び編集担当者の汗の結晶として集大成された被控訴人新聞の記事を、翻訳家を雇って抄訳等させ、これをワードプロセッサで打ち込んでファクシミリで会員に送付するという、極めて安易な方法によって前記侵害行為を行っているものであり、かかる行為が放置されるならば、新聞業界全体に大きな影響を与えることになる。
(二)控訴人は、被控訴人からの昭和63年4月頃からの再三の中止の申入れにもかかわらず、侵害行為を止めない。
(三)また将来発行される被控訴人新聞についても控訴人により同様の侵害行為がなされる蓋然性は極めて高く、この侵害行為に対する差止めが認められないと、被控訴人はすでに発行された分についてのみ日々差止請求訴訟を提起せざるを得ないという不合理な事態に陥るから、将来成立する高度の蓋然性を有する編集著作権に基づいて、これに対する将来の侵害行為の差止めが認められる必要がある。
〔控訴人の主張に対する反論〕
1 控訴人は、著作権法10条2項について、憲法の規定する表現の自由に由来する重大な要請のために、著作権は一定程度道を譲るべきことを著作権法自体が宣言しているものである旨主張するが、同条項は、著作物に該当しない性格のものを念のために確認的に規定したものにすぎず、右主張は独自の見解にすぎない。
2 控訴人は、編集著作権の侵害が認められるのは、原素材の複製物又は翻案物を利用した場合で、かつ、同じ選択・配列をした場合に限られるとするもののようである。
 しかし、編集著作物の素材はそもそも著作物に限られないのであるから、編集著作権の侵害の成否を限界づけるために、原素材の複製物とか翻案物という概念を持ち込むことは誤りである。原素材との間に一定の利用関係は必要であるにせよ、編集著作権は選択・配列における創作性を保護するもので、原素材の著作権を保護するものではないから、原素材の複製物や翻案物に限定される理由はない。
 また、新聞の場合、素材は個々の記事を意味するとしても、素材の選択の本質は、素材である個々の記事に具現された情報の選択にある。すなわち、個々の記事の選択・配列は、編集者が収集したさまざまな情報の中から一定の編集方針に基づいて報道する価値のあるものを選択し、その重要性に応じて配列することにこそ実質的な意味が存するのであり、それが新聞について選択・配列の創作性の認められる所以である。
 したがって、新聞の編集著作物性は、一定の編集方針に基づいて報道する価値のあるものを選択し、その重要性に応じて配列するという新聞における選択・配列の創作性にあり、その本質が複製、翻案されることによって侵害されるというべきである。
 かかる観点で控訴人文書を評価すると、まさに編集著作物である被控訴人新聞の翻案に該当することは明らかである。
 また控訴人は、控訴人文書の文章は、被控訴人新聞の記事の目次ないし索引にすぎず、原文との代替性が完全に失われていて、複製や翻案という著作権侵害関係にたたない旨主張するが、控訴人文書における各抄訳文章のほとんどは、単なる目次ないし索引にとどまらず、被控訴人新聞の各記事の内容を伝達するものであり、控訴人文書を読めば、1日分の被控訴人新聞の記事の概要が分かる仕組みになっているから、控訴人の右主張は理由がない。
3 控訴人は、原判決が控訴人文書の発行事前差止めを認めたことについて、憲法21条に違反する旨主張するが失当である。
 著作権侵害に当たる行為は、そもそも表現の自由による保護の対象とはなり得ない行為である。著作権侵害行為は、単なる他人の精神活動の所産の模倣、盗用にすぎず、およそ表現の自由によって保護されるべき「人の内心における精神活動」とは無関係である。著作権法112条が事前差止請求権を明定しているのも、著作権侵害行為が表現の自由によって保護されるべきものでないことを前提にしているものである。
4 控訴人は、控訴人文書は公正利用として許容されるものである旨主張するが失当である。
 著作権法は、30条ないし50条において著作権が制限される場合を個別的に定めており、一般条項としての公正利用の規定は存しない。公正利用の抗弁をわが国著作権法のもとでも認めるべきか否かの議論は始まったばかりであり、何をもって公正利用とするかの解釈論はおよそ固まっていない段階である。したがって、右個別の制限の規定の範囲で、例えば引用(同法32条)等により、著作物を利用することが可能である以上、安易に「公正利用」といった曖昧な概念を導入し、著作権者の権利を不当に狭めることがあってはならない。
 そして、控訴人は、被控訴人新聞の世界的名声を奇貨とし、同新聞がある日の紙面においていかなる出来事を取り上げているか、同新聞がいかなる出来事を重要と扱っているかということを一覧できる控訴人文書を作成・頒布し、もって利益を得ることを目的としているのである。
 したがって、控訴人文書が公正利用に該当するとは到底いえないことは明らかである。
二 控訴人
1 憲法21条の定める表現の自由は、今日の高度情報化社会においては、単に情報の発信者の自由であるだけでなく、情報の受け手の知る権利をも保障するものであり、特に時事に関する情報の流通は民主制にとって不可欠である。
 情報の自由な流通に関する制約の一つとして著作権制度があり、著作権法は著作者に対し創作への報償として一定の権利を付与するが、情報の過度の独占は文化の発展を阻害するものであるから、同法の目的は、創作への報償と情報の自由流通の間に適切なバランスを取り、もってトータルな制度として文化の発展(殊に時事情報については民主主義の保全、発展)をとることをめざすことにある。
 また、事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道は言語の著作物に該当しない旨を規定した著作権法10条2項は、情報、殊に時事に関する情報は民主性の基盤として最も重要なものであることから、表現の自由に由来する重大な要請のために著作権は一定程度道を譲るべきことを宣言した規定であると解すべきである。
 したがって、控訴人文書のように、ニュース又は時事の事実(又はそれ以下)を提供するものであって、被控訴人新聞の記事に代替するものではなく、むしろアクセスを容易にするだけの情報を提供するにすぎないものが著作権法の名の下に禁止されることは、時事情報の流通を過度に制限するものであって許されないものというべきである。
2 編集著作物は、与えられた素材を選択・配列するという、それ自体では創作性の発揮しにくい行為を根拠とするから、その保護も弱くならざるを得ない。
 本件において、1日分の新聞の編集著作権を考えるについては、個々の記事を既存の所与の素材として考えなければならないし(取材から記事原稿作成に至るまでの一切の労力、行為は、編集著作権の成立や保護範囲の判断から排除されなければならない。)、素材の選択・配列行為があっただけでは足りず、これに創作性がなければならないものである。素材の選択・配列行為は、元来従属的で創作性を発揮しにくいものであるから、安易に著作物性が認められてはならないし、仮に編集著作物性が認められる場合であっても強い保護を与えるべきではない。そして、新聞においては、素材の特性から、事実自体の独占につながらないように格別の配慮が必要である。
 3 編集著作権は特定レベルの素材を前提に、その選択・配列の創作性によってかろうじて成立する微妙な権利である。素材の表現が異なれば、素材に依存する編集著作物の表現も異ならざるを得ない。そして、新聞は時事に関する編集著作物であるから、その編集著作物性が保護されるのは、対象とされる文書の素材=要素が、編集の対象である記事等と同一又は少なくとも翻案物に当たる場合に限られる。素材の表現レベルを無視し抽象的な選択・配列だけを取り上げて、編集著作物の表現を問擬することは誤りである。被控訴人が素材=出来事とするのは、素材の表現レベルを全く無視する議論である。
 本件においては、言語表現としての素材のレベルが全く異なっており、被控訴人新聞の各記事とこれに対応する控訴人文書の文章とは、複製や翻案という著作権侵害関係にたたない。すなわち、控訴人文書の文章は、被控訴人新聞の記事の抄訳でも要約でもなく、極めて簡略な要旨あるいは目次ないし索引程度のものであって、原文との間の代替性は完全に失われている。また、控訴人文書には被控訴人新聞の記事のすべてが要旨化されて記載されているわけでもない。
 更に、控訴人文書には、新聞という紙面の編集において最も重要な記事原稿自体のカットや修正の結果である配列は維持されておらず、記事等以外の部分すなわち紙面全体のレイアウトの一貫性、新聞紙としての表題の置き方、各記事の位置などのまとめ方、政治、経済、国際記事、国内記事等のそれぞれの配置―紙面の左右・縦横、上下、記事と一体化している図表や統計表、広告デザインの規律等、総合的な意味での配列において被控訴人新聞とは全く異なっており、要旨的な意味はもとより、いかなる意味でも翻案関係にたたない。
4 ECのデータベースの保護に関する指令案によっても明らかなとおり、データベースのために作成される抄録や要旨のような原著作物自体を代替しないものは、許諾なしで、データベースに編入できるものとされているところ、この考え方は、電子的手段によらない編集物についても当然適用できるものである。そして、このデータベース又は非電子的編集物に編入される著作物は、個別の著作物に限られず、編集著作物も含まれるのであり、またこの編入される編集著作物の素材が要旨で代替し得ない以上、編集著作物自体も代替し得ないと考えるべきである。
 本件において、被控訴人新聞の各記事に対応する控訴人文書の各記述は、利用者に原情報の検索手段を提供する書誌的情報であって、最小限の要旨以外の何ものでもないものであり、控訴人文書によって被控訴人新聞を代替し得るものではない。これにより被控訴人新聞の個々の記事についても、全体についても代替し得るものでないから、これらを非電子的編集物である控訴人文書に編入することは当然許容されるものである。
5 被控訴人は、将来にわたり発行される被控訴人新聞についての編集著作権に基づく差止めを求めている。しかし、著作権は著作物の創作という事実によって発生するのであって、著作物の存在しない、その内容さえ分からない段階で著作物としての保護が与えられるなどということは、著作権法上考えられないことである。具体的著作物が作成されていない段階で、将来著作物が作成されたら、その著作権侵害の排除を求めるということは、著作権法の定める規範の確認を求めているに等しく、具体的法律関係に関する争訟とはいえない。
 したがって、将来発行される被控訴人新聞についての編集著作権に基づく差止請求は全く理由がないというべきである。
6 本件仮処分によって控訴人が受ける不利益は、控訴人の営業利益にとどまらず、その表現の自由という基本的人権の制限をもたらすものであり、更には高度情報化社会における控訴人を含めた国民全体にとってのメタ情報の制限という極めて重大な結果を生ずるものである。一方、控訴人文書の発行継続により、日本における被控訴人新聞の売上げが減少し、被控訴人が著しい損害を被るなどということは全くあり得ない。
 したがって、保全の必要性はないものというべきである。
7 原判決は、控訴人文書に対する発行事前差止めの仮処分を認めているが、明らかに憲法違反である。
 控訴人の発行した(また将来発行する可能性のある)ウォール・ストリート・ジャーナル紙の翻訳・抄訳物は、憲法21条1項によって原則として発行が自由に認められるところの表現物(出版物)であり、これを出版する行為は、表現の自由として保障された基本的人権の具体的実現行為である。
 ところで、著作権法112条の適用については、憲法21条を頂点とし、著作権法を下位法とする法構造に矛盾してはならないのであり、差し止められる表現が特に保障の必要性の高いものである場合には、一層、事前差止の可否は慎重に決せられるべきである。
 結果的に著作権を侵害することになる表現といえども、憲法21条で保障される表現であることに変わりはなく、ただ、表現が第三者の著作権を侵害することから、侵害される著作権者の利益を保護するために一定の制約が認められることになるのである。そして、その制約が認められるとされる場合であっても、より制限的でない他のとり得る手段がないかどうか、事前抑制禁止の法理・検閲禁止に違反していないかどうかを、規制される表現の内容、表現によって侵害される著作権の侵害の程度・明白性、著作権の保護回復の可能性の有無などを総合的に衡量して、いかなる方法・程度の規制が適当であるかを判断しなければならないのである。
 本件における控訴人の表現行為は、その対象が時事に関するものであること、被控訴人新聞の英文のままではほとんど内容を理解することが不可能な大多数の日本国民に対し、情報受領能力を付与し、特にわが国の国民の知る権利を充足するものであること、控訴人の表現行為は、英文を和訳した上に、被控訴人新聞の各々の長文の記事を、抄訳してわが国国民に提供するものであって、わが国内における情報の、より広範かつ迅速な流通に寄与するものであることからして、特にわが国の民主制にとって重要なものであること、これに対し、被控訴人が裁判所に求めていることは、自己の利潤追求という経済的利益のために、控訴人の表現の自由を事前に差し止めよというものであること、控訴人の表現物の発行による被控訴人の不利益の発生そのものが明白であるか否かは極めて疑わしいこと、仮に被控訴人に不利益が発生したとしても、金銭的な損害[填]補によって必要かつ十分な不利益回復が可能であること、によれば、原判決が控訴人に対して、表現物発行事前差止仮処分を命じたことは明らかに憲法21条1項に内包された「事前抑制禁止の原則」又は同条2項に規定された「検閲の禁止」に違反するものである。
8 仮に、控訴人文書が被控訴人新聞の編集著作権の保護範囲に属するものであるとしても、控訴人文書は公正利用として許容されるものである。
 著作権法30条以下において、著作権の制限の条項が設けられているが、これらの規定は、個別的な状況のもとで著作権が制限されるという形をとっており、教育目的その他異なる文化、社会的な価値がある場合に、一定の条件下で定型的に著作権が制限されることになっている。しかし、これらの規定に内在する法理は、公正な利用は許されるということである。また、同法1条は、「これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作権者の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とする。」と定めており、かかる一般目的と前述の個別規定に内在する法理を併せ考えれば、わが国においても公正利用の法理が認められるべきである。
 本件において、具体的に分析検討すると、次の点が認められる。
(一)控訴人文書が被控訴人新聞を利用する目的は、日本人読者が被控訴人の報道するニュースへのアクセスを可能にするため、要旨又はそれ以下の情報を記載することにあるから、商業性はあるけれども、公共的意義も存する。
(二)被控訴人新聞は、ニュース報道を主目的とした新聞であるから、民主社会においては、公共的使命を帯びたものであり、情報の自由流通という重大な要請を有している。
(三)被控訴人新聞と控訴人文書を比較すると、1989年9月28日付け被控訴人新聞A2(IBM関連記事)で訳文が83行であるのに対し、控訴人文書においては1行にみたない。同じくA3(ソニー関連記事)では127行対1.5行である。
 このように、控訴人文書は被控訴人新聞の僅か1.2パーセントしか使用しておらず、量的に僅少である。
(四)被控訴人新聞は、日本人読者にとっては、よほど語学力と時間がなければ読みこなすことは不可能といってよいが、控訴人文書により、被控訴人新聞の記事の検索が短時間で可能となり、これがより身近なものとなるから、購入者はむしろ増えると考えられ、市場へのマイナス影響もない。
 以上、控訴人文書が被控訴人新聞を使用する目的及び性格(使用が商業性を有するかどうか又は非営利の教育を目的とするかどうか)、被控訴人新聞の性質、被控訴人新聞全体との関連における使用された部分の量及び実質性、被控訴人新聞の潜在的市場又は価格に対する使用の影響等を考慮すると、控訴人文書は公正利用に当たるものというべきである。
第3 疎明関係<略>

理由
一<証拠略>によれば、次の事実が認められる。
1 被控訴人は、米国ニューヨーク州に本社を有し、ビジネス専門紙や20紙を超える地方新聞を発行し、また各種メディアを使用した情報の提供サービス等を行っている会社であって、1987年度には、年間売上高13億ドル、従業員数9000名に及び、米国のビジネス誌「フォーチュン」の選ぶ500社ランキング中の264位にランクされている。
 被控訴人の発行する被控訴人新聞は、1889年に創刊されて以来継続して発行され、1日の発行部数が200万部を超える米国最大の日刊紙であって、媒体のクオリティのみならず、これを支える読者の質の高さに定評があり、米国のみならず多くの国で頒布され、大きな影響力を保っている。
 被控訴人新聞は、従来から、経済記事を中心とするものであって、スポーツ記事や犯罪記事のような一般社会記事を掲載しないこと、情報の背後にある数字や事実を分析し、トレンドを的確に読み取り、適切な解説をすることを重視すること、できるだけ多くの情報を提供するために写真を使用しないこと、大字化はしないことなどの伝統的な一定の編集方針を堅持している。
2 被控訴人の従業員である記者は、電話及び面接取材、記者会見、資料調査等によって情報を収集した上、記事原稿を作成し、担当局長や地方支局長による見直し、添削等のチェックを経て、この記事はニューヨークにある被控訴人のウォール・ストリート・ジャーナル・ニュース室に送付される。同室には、これらの記事が収集されるほか、APやロイター等の通信社からも電信記事が入ってくる。被控訴人の従業員である編集者は、これらの多数の記事の中から、被控訴人新聞の編集方針に従い、またニュース性等を考慮して採否を決定するとともに、掲載すべきものとして選択した記事については、その重要性や性格・内容等に従って配列の工夫をしている。
3 1日分の被控訴人新聞は、A2判数10頁で構成され、その中には経済ニュース、国際ニュース、社説・論評、株式相場や先物取引相場等の各種相場表、広告等が掲載されているが、報道記事、社説・論評が主要な部分を占めている。
 被控訴人新聞の1989年9月28日版(疎甲第8号証)についてみると、同版は62頁からなるが、第1頁は縦6列に区分され、左から2列目と3列目には、「What's News―」という表題のもとに、「Business and Finance」という表題の欄と「World・Wide」という表題の欄があり、「Business and Finance」欄には別紙(1)の番号1ないし14記載の経済ニュースと市況が、「World・Wide」欄には別紙(1)の番号15ないし26記載の国際ニュース等がそれぞれ掲載され、左から5列目には、「Business Bulletin」という表題で7項目のニュースが掲載され、左から1列目、4列目、6列目には、長文の特集記事が掲載されている。そして、第2頁から第26頁までは、別紙(1)記載の右経済ニュースや国際ニュース等に関する詳細な記事(例えば、別紙(1)の番号@、Aの詳細記事は、それぞれ別紙(2)の@、Aのとおりである。)と共に、それ以外の特集記事、重要性・速報性の高いとみられる経済ニュース、国際ニュース及び政治記事、レジャー関連記事、社説・論評、広告等が掲載されている(但し、第32、33、35頁にも、右のうちの3項目の記事が掲載されている。)。第27頁から第33頁までは、「MARKET-PLACE」という表題のもとにやや速報性が低いとみられる経済ニュースが中心に掲載されている。第35頁から第62頁までは、「MONEY & INVESTING」という表題のもとに株式、債券、商品、外国為替その他の投資情報に関する記事を中心に各種相場表や広告が掲載されている。
 右のとおり、被控訴人新聞は、主として経済ニュースや国際ニュース等に関する記事や社説・論評からなる部分、「市場」(MARKETPLACE)に関する記事からなる部分、「金融及び投資」(MANEY & INVESTING)に関する記事からなる部分の、内容的に三部構成となっており、右同日版に掲載されている記事等(記事及び社説・論評)は170程度である。
 右同日版の記事等のうち、最も短いもので6行(1行の字数は約40字)というものもあるが、300行を超える長文のものもある。
4 控訴人は、昭和61年9月から、「アメリカを読む研究会」という名称で、被控訴人新聞やニューヨークタイムズ(平日版、日曜版)等につき「ヘッドラインサービス」(抄訳サービス)を受ける会員を募り(会費は一紙当たり月額3万円)、これらの新聞が発行される毎に、被控訴人新聞については、例えば別紙(3)のような控訴人文書(別紙(3)は控訴人文書の一部である。)を作成して、これを郵便又はファクシミリにより会員に送付している。控訴人が、右サービスについて、雑誌・新聞に掲載している宣伝広告には、「全記事完全抄訳サービス」、「取捨選択することなく全記事を細大もらさず取りあげています」、「5分で読むアメリカの一日」、「情報を『ヘッドライン』で読むメリット @煩わしさを解消 和訳抄訳でその日の記事が一目瞭然。Aスピード情報 他に先んずる情報収集が可能。B全記事完全網羅 必要な情報を選択できる。Cビジネス・ヒント 1行の見出しにひそむビジネス・ヒント。D希少価値としての情報 日本で報道されない情報も。E索引として コンパクトなヘッドラインのためファイルの資料となる。」などと記載されている。同研究会の会員数は、昭和63年11月8日現在で20名以上に及んでいる。
5(一)控訴人文書は、別紙(3)のような形式のもので、第1頁の最上段に「ウォールストリート・ジャーナル 89年9月28日木曜日」というように、被控訴人新聞の名称、日付け及び曜日が記載され、特定日付けの被控訴人新聞に関するものであることが明らかにされている。
(二)1989年9月28日付けの控訴人文書についてみると、同文書は11頁からなるが、同文書には、〔1面〕という表題のもとに、同日付けの被控訴人新聞の第1頁から第26頁までの掲載記事に対応する分がA1からA78までの番号が付されて記載され(但し、3項目は欠番)、〔マーケットプレース〕という表題のもとに、右被控訴人新聞の第27頁から第33頁までの掲載記事に対応する分がB1からB27までの番号が付されて記載され、〔マネー&インベスティング〕という表題のもとに、右被控訴人新聞の第35頁から第62頁までの掲載記事等に対応する分がC1からC42までの番号が付されて記載されている。
 右A1ないしA78、B1ないしB27、C1ないしC42の各記述は、被控訴人新聞における記事等の割付順序と原則としてほぼ同様の順序で配列されている(頁順により、同1頁内の複数の記事等については左上、左下、右上、右下の順による。)。
 右控訴人文書において、〔1面〕中の〈主要経済ニュース〉という表題のもとに記載されているA1ないしA13は、右被控訴人新聞の「Business and Finance」欄に記載されている経済ニュース(別紙(1)の番号1ないし13)及びその詳細記事にそれぞれ対応するものであり、〈主要国際ニュース〉という表題の下に記載されているA14ないしA26(A15は欠番)は、右被控訴人新聞の「World―Wide」欄に記載されている国際ニュース等(別紙(1)の番号は15ないし26)及びその詳細記事にそれぞれ対応するものである。
 右被控訴人新聞に掲載されている記事等は170程度であるが、このうち控訴人文書において対象とされていないものは10項目程度であり、被控訴人新聞に掲載されていない記事等が控訴人文書の対象とされていることはない。
(三)被控訴人新聞において用いられている、前記「What's News―」「Business and Finance」「World―Wide」「MARKETPLACE」「MONEY & INVESTING」という表題の他に、被控訴人新聞において記事の分類のために用いられている、「LEISURE & ARTS」「REVIEW & OUTLOOK」といった表題についても、控訴人文書においては「レジャー&アート」「社説&論評」と訳して使用されている。
 なお、控訴人文書には、被控訴人新聞に掲載されている広告や相場表は記載されていない。
(四)控訴人文書は、1項目につき1行(1行当たり約34字)ないし3行程度の文章からなっていて、被控訴人新聞の記事等と比べると相当短いものであり、項目毎にみるならば、同記事等におけるような詳細な情報を提供するものではないが、控訴人文書の各記述はほとんど、それぞれ対応する被控訴人新聞の記事等の核心的事項を抄訳したもの、あるいは抄訳したものを若干言い換えたものや、記事全体の趣旨を要約的に表現したものであって、被控訴人新聞の記事等に具現されている情報の核心的事項はおおよそ把握し得る内容のものとなっており(このことは、例えば、別紙(1)、(2)の各@、Aの記載と、別紙(3)のA1、A2の記載との対比によっても認め得るところである。)、控訴人文書においては被控訴人新聞の掲載記事のほとんどがその対象となっていることと相まって、控訴人文書によれば、特定の日付けの被控訴人新聞がどのような客観的な出来事を取り上げ、それにどのような重要性を与えているかの概要を知ることができるものとなっている。
6 控訴人は、昭和63年4月頃から被控訴人より再三著作権侵害を理由とする中止の要請を受けながら、控訴人文書の作成・頒布行為を中止せず、殊に平成元年5月には警告書と題する内容証明郵便で中止を求められながら、同年11月20日付けで、会員に対し、「著作権上の問題が生じたので、記事の原文コピーサービス及び全訳サービスを中止するが、これに代わるものとして日本語要約サービス(控訴人文書の作成・頒布)については引き続き行う」旨を記載した文書を送付している。
二 前記認定事実によれば、被控訴人新聞の紙面は、報道記事、社説・論評が主要な部分を占め、その他に各種相場表、広告等によって構成されているところ、被控訴人の従業員である編集担当者は、そのもとに集められた多数の記事等の中から、被控訴人新聞の一定の編集方針に従い、またニュース性を考慮して、情報として提供すべきものを取捨選択し、その上で各記事等の重要度や性格・内容等を分析し、分類して紙面に配列しているものであって、被控訴人新聞のこのような紙面構成は、編集担当者の精神的活動の成果の所産であり、また被控訴人新聞の個性を形成するものであるから、特定の日付けの紙面全体は、素材の選択及び配列に創作性のある編集著作物と認めるのが相当であり、その編集著作権は、被控訴人新聞を発行する被控訴人に帰属するものというべきである。
三 そこでまず、既に発行された被控訴人新聞の編集著作権に基づく控訴人文書の作成等に対する差止めの可否について検討する。
 新聞は、社会において日々生起するさまざまな出来事を迅速に、かつ幅広く伝達するための刊行物であるから、素材の選択によって編集著作物としての創作性を有するものと評価し得ることの最も重要な要素は、まず、収集された素材である多数の記事に具現された情報の中から、一定の編集方針なり、ニュース性等に基づき、伝達すべき価値のあるものとして、どのような出来事に関する情報を選択して表現しているかという点に存するものと解される。また、配列についていえば、選択された情報(記事)がその重要度や性格・内容等に応じてどのように配列されているかという点にあるものと解される。
 被控訴人新聞が編集著作物性を有するものと認められるのも右の趣旨によるものであるから、控訴人文書の作成・頒布が被控訴人新聞の編集著作権を侵害するものであるか否か、すなわち、控訴人文書が被控訴人新聞の翻案であるか否かは、控訴人文書が被控訴人新聞に依拠して作成されたものであるか否か、その内容において、当該記事の核心的事項である被控訴人新聞が伝達すべき価値のあるものとして選択し、当該記事に具現化された客観的な出来事に関する表現と共通しているか否か、また、配列において、被控訴人新聞における記事等の配列と同一又は類似しているか否かなどを考慮して決すべきと解するのが相当である。
 ところで、控訴人文書は、特定の日付けの被控訴人新聞に関するものであることが明らかにされていること、被控訴人新聞に掲載されている記事等のうち控訴人文書において対象とされていないものは僅かであり、被控訴人新聞に掲載されていない記事等が控訴人文書の対象となっていることはないこと、控訴人文書の各記述はほとんど、それぞれ対応する被控訴人新聞の記事等に具現されている情報の前記核心的事項をおおよそ把握し得る内容のものとなっており、控訴人文書によれば、特定の日付けの被控訴人新聞がどのような出来事を取り上げているかの概要を知ることができること、控訴人文書においては、被控訴人新聞の掲載順序にそれぞれ対応する分が、被控訴人新聞において用いられている表題と同様の表題のもとにそれぞれ区分されて、被控訴人新聞における割付順序とほぼ同様の順序で配列されていることなど前記1項5に認定の事実によれば、控訴人文書は被控訴人新聞に依拠して作成されたものであり、内容において、当核記事の核心的事項である被控訴人新聞が伝達すべき価値のあるものとして選択し、記事に具現化された客観的な出来事に関する表現と共通している上、被控訴人新聞における記事等の配列と類似していることが認められるから、控訴人文書は対応する特定の日付けの被控訴人新聞の翻案に当たり、控訴人文書の作成・頒布は被控訴人新聞の編集著作権を侵害するものと認めるのが相当である。
四 次に、将来の控訴人文書の作成・頒布行為に対する差止めの可否について検討する。
1 著作権法112条は、著作権を侵害するおそれがある者に対し、その侵害の予防を請求することができる旨規定しているから、既に著作権が発生している場合には、たとえ侵害行為自体はいまだなされていない段階においても、予測される侵害に対する予防を請求することができることはいうまでもない。
 問題は、請求の根拠となる著作物が口頭弁論終結時に存在しておらず、将来発生することとなる場合にも将来の給付の訴えとして差止請求を求めることができるかという点にある。
 民事訴訟法226条は、将来の給付の訴えについて、予めその請求をする必要がある場合にはこれを認めているが、この訴えが認められるためには、その前提として、権利発生の基礎をなす事実上及び法律上の関係(請求の基礎たる関係)が存在していることが必要であり、したがって、将来発生する著作権に基づく差止請求を無条件に認めることはできない。
 しかし、新聞の場合について考えてみると、当該新聞が将来も継続して、これまでと同様の一定の編集方針に基づく素材の選択・配列を行い、これにより創作性を有する編集著作物として発行される蓋然性が高く、他方、これまで当該新聞の発行毎に編集著作権侵害行為が継続的に行われてきており、将来発行される新聞についてもこれまでと同様の編集著作権侵害行為が行われることが予想されるといった事情が存する場合には、著作権法112条、民事訴訟法226条の各規定の趣旨、並びに新聞は短い間隔で定期的に継続反復して発行されるものであり、発行による著作権の発生をまってその侵害責任を問うのでは、実質的に権利者の救済が図れないこと、新聞においては、取り上げられる具体的な素材自体が異なっても、一定の編集方針が将来的に変更されないことが確実であれば、編集著作物性を有するものと扱うことによって法律関係の錯雑を招いたり、当事者間の衡平が害されたりするおそれがあるとは認め難いことに鑑み、将来の給付請求として、当該新聞が発行されることを条件として、予測される侵害行為に対する予防を請求することができるものと解するのが相当である。
2 本件についてみるに、@被控訴人は、年間の売上高が13億ドルで、「フォーチュン」誌の選ぶ500社ランキングにおいて264位にランクされるなどの有力メディア企業であること、及び被控訴人新聞は、1889年に創刊され、以来継続して発行されている米国最大の日刊新聞であって、従前から一定の編集方針を有し、これを堅持していることからすれば、被控訴人新聞は、今後も従前からの一定編集方針を堅持し、素材の選択・配列について創作性のある新聞として、継続して発行される蓋然性が極めて高いものと認められ、したがって、被控訴人が将来発行する被控訴人新聞も、これまでと同様の編集著作権を取得するものと認めるのが相当であること、A控訴人は、昭和61年9月から、被控訴人新聞が発行される毎に継続して控訴人文書を作成・頒布してきたものであって、これが被控訴人新聞の編集著作権の侵害に当たることは前記認定、説示したところであるが、更に、控訴人は被控訴人からの中止要請に対し、記事原文コピーサービス等は中止したものの、控訴人文書の作成・頒布は中止せず、かえって顧客である会員に対し、今後もこれを継続する旨を記載した文書を送付していることを併せ考えれば、控訴人は、将来被控訴人新聞が発行される毎に、これに依拠してこれまでと同様の控訴人文書を作成・頒布して編集著作権侵害行為を行うであろうことも確実であると認められること、B控訴人文書は、被控訴人新聞の発行後直ちに作成・頒布されるものであるから、被控訴人において、被控訴人新聞を発行する都度、対応する控訴人文書の作成・頒布の予防ないし停止を請求すること、そしてその目的を達成することは、事実上極めて困難であるといわざるを得ないことを総合すると、被控訴人は、将来の給付請求として、被控訴人新聞が発行されることを条件に、これに対応する控訴人文書の作成・頒布行為の予防を求めることができるものというべきである。
3 控訴人は、著作権は著作物の創作という事実によって発生するものであって、著作物の存在しない、その内容さえ分からない段階で著作物としての保護が与えられるなどということは、著作権法上考えられないことであり、また、具体的著作物が作成されていない段階で将来著作物が作成されたら、その著作権侵害の排除を求めるということは具体的法律関係に関する争訟とはいえず、将来発行される被控訴人新聞についての編集著作権に基づく差止請求は理由がない旨主張する(控訴人の主張5)。
 しかし、前記2に述べた理由により、被控訴人が将来発行する被控訴人新聞も、これまでと同様の編集著作権を取得するものと認めるのが相当であることを前提とし、かつ、将来の給付の必要性がある場合に当たるとして、被控訴人新聞が発行されることを条件に、発行により生じる編集著作権に基づく予防請求を認めたものであり、もとより具体的法律関係に関する争訟性も充足しているものであって、控訴人の右主張は理由がない。
五 保全の必要性の存否について検討する。
 前記1項に認定の事実によれば、控訴人は、今後も引き続き控訴人文書を作成・頒布するものと認められるところ、右行為により、被控訴人新聞の講読者が控訴人文書の講読に切り替えたり、あるいは、被控訴人新聞の潜在的講読予定者が控訴人文書を講読したりすることも十分考えられるところであり、これによって、被控訴人が著しい損害を被るおそれがあると認められるから、保全の必要性があるものというべきである。
 控訴人は、保全の必要性がない旨反論するが(控訴人の主張6)、採用できない。
六 控訴人の各主張(同5、6は除く。)について検討する。
1 控訴人は、憲法21条が定める表現の自由は情報の受け手の知る権利をも保障するものであり、特に時事に関する情報の流通は民主制にとって不可欠であるところ、著作権法は著作者に対し創作への報償として一定の権利を付与するものの、情報の過度の独占は文化の発展を阻害することから、同法は、創作への報償と情報の自由流通の間に適切なバランスをとることを目的とするものであり、また同法10条2項は、表現の自由に由来する重大な要請のために著作権は一定程度道を譲るべきことを宣言した規定と解すべきであるとして、控訴人文書のように、ニュース又は時事の事実を提供するものであって、被控訴人新聞の記事に代替するものではなく、むしろアクセスを容易にするだけの情報を提供するにすぎないものが著作権法の名の下に禁止されることは時事情報の流通を過度に制限するものであって許されない旨主張する(控訴人の主張1)。
 憲法21条が定める表現の自由が、情報の受け手の知る権利をも保障するものであり、特に時事に関する情報の流通が民主制にとって不可欠であることは、控訴人主張のとおりであり、また、著作権法は、著作物等の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とするものである(同法1条)。
 ところで、事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道は言語の著作物に該当しない旨を定めた著作権法10条2項は、事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道は同法2条1項1号にいう「思想又は感情を創作的に表現したもの」に該当しないことから、保護の対象にならない旨を確認的に規定したものであると解され、時事に関する情報が民主性にとって重要であるという観点から権利制限をしたものとは解し難く、したがって、控訴人主張のように、同法10条2項が、表現の自由に由来する重大な要請のために著作権は一定程度道を譲るべきことを宣言した規定であると解することはできない。
 そして、そもそも控訴人文書は、前記認定のとおり、被控訴人新聞の翻案に当たるものであって、単に被控訴人新聞へのアクセスを容易にするだけの情報を提供するにすぎないというものではなく、控訴人文書の作成・頒布を差止めることが時事情報の流通を過度に制限するものとは認め難いから、控訴人の右主張は理由がない。
2 控訴人は、編集著作物は与えられた素材を選択・配列するという、それ自体では創作性の発揮しにくい行為を根拠とするから、その保護も弱くならざるを得ないし、新聞においては、素材の特性から、事実自体の独占につながらないように格別の配慮が必要である旨主張する(控訴人の主張2)。
 しかしながら、素材を選択・配列することが創作性を発揮しにくい行為であり、その保護も弱くならざるを得ない旨の一般論自体採用することができない。そして、新聞の場合、素材である多数の記事の中から、伝達すべき情報として何を取り上げ、これをどのような形で取り扱うかは、当該新聞の個性を形成するものであり、新聞としての創作性を発揮し得るものであるところ、被控訴人新聞は、一定の編集方針に基づいた伝達すべき情報の選択、及びその配列に創作性を認め得るものであるから、これに対して所定の保護が与えられるのは当然であり、このことが事実自体の独占につながるということにはならないのであって、この点に関する控訴人の主張も理由がない。
3 控訴人は、素材の表現が異なれば、素材に依存する編集著作物の表現も異ならざるを得ず、また、新聞は時事に関する編集著作物であって、その編集著作物性が保護されるのは、対象とされる文書の素材=要素が、編集の対象である記事等と同一又は少なくとも翻案物に当たる場合に限られるところ、本件においては、言語表現としての素材のレベルが全く異なっており、控訴人文書の文章は、被控訴人新聞の記事の抄訳でも要約でもなく、極めて簡略な要旨あるいは目次ないし索引程度のものであって、原文との間の代替性は完全に失われていること、控訴人文書には被控訴人新聞の記事のすべてが要旨化されて記載されているわけでもないこと、控訴人文書は、総合的な意味での配列において被控訴人新聞とは全く異なっていることを理由として、控訴人文書は被控訴人新聞と翻案関係にたたない旨主張する(控訴人の主張3)。
 新聞記事は、客観的な出来事を素材とするものであっても、一定の観点ないし価値基準の下に、収集した客観的事実のみならず、その背景事実や第三者の発言等の情報を評価、確認して当該記事に盛り込む事項を選択し、これを構成して表現するものであるところ、新聞が、素材の選択によって創作性を有するものと評価し得ることの最も重要な要素は、収集された素材である多数の記事に具現された情報の中から、一定の編集方針なり、ニュース性等に基づき、伝達すべき価値のあるものとして、どのような客観的な出来事に関する情報を選択して表現しているかという点に存するものというべく、したがって、新聞の編集著作権に対する翻案権の侵害が成立するためには、対象となる文書が、当該新聞に依拠して、そこで取り上げられ、記事に具現化されている情報の核心的事項である客観的な出来事の表現と共通するものを同様に要素としていれば足り、両者の個々の素材(要素)自体の具体的な表現や詳細な内容が相当程度において一致していることまでは必要ないものと解するのが相当である。また、選択された情報(記事)がその重要度や性格・内容等に応じてどのように配列されているかという点に当該新聞の配列上の特徴が存するのであるから、対象となる文書が、当該新聞における特徴的な配列と一致又は類似していれば翻案関係にあるものというべきである。
 しかして、前記三項に認定のとおり、控訴人文書は被控訴人新聞に依拠して作成され、同新聞で取り上げている情報のほとんどをその要素として取り込んでいること、控訴人文書の文章は1項目につき1行ないし3行程度の短文であるが、被控訴人新聞の個々の記事の前記核心的事項をおおよそ把握し得る内容のものであって、極めて簡略な要旨あるいは目次ないし索引程度のものとはいえず、また原文との間の代替性が完全に失われているとまではいえないこと、控訴人文書の体裁は、被控訴人新聞の紙面全体のレイアウトとは異なっているが、被控訴人新聞の掲載記事にそれぞれ対応する文章が、同新聞において使用されている表題と同様の表題のもとにそれぞれ区分され、ほぼ同様の割付順序で配列されていることに照らして、控訴人の右主張は理由がないものというべきである。
4 控訴人は、データベースのために作成される抄録や要旨のような原著作物自体を代替しないものは、許諾なしで、データベースに編入できるものとされているところ、この考え方は、電子的手段によらない編集物についても当然適用できるものであるなどして、被控訴人新聞の各記事に対応する控訴人文書の各記述は、利用者に原情報の検索手段を提供する書誌的情報であって、最小限の要旨以外の何ものでもなく、これにより被控訴人新聞の個々の記事についても、全体についても代替し得るものではないから、これらを非電子的編集物である控訴人文書に編入することは当然許容されるものである旨主張する(控訴人の主張4)。
 しかし、前記3において説示したとおり、新聞においては、素材である多数の記事に具現された情報の中から、伝達すべきものとして、どのような客観的な出来事に関する情報を選択しているかという点に素材の選択による創作性の最も重要な要素が認められるのであるから、新聞の編集著作権に対する翻案権の侵害が成立するためには、前記のとおり、当該新聞及び対象となる文書における個々の素材(要素)自体の具体的な表現や詳細な内容が相当程度において一致するものであることまでは必要でなく、当該記事の核心的事項である客観的な出来事の表現をおおよそ把握し得るものであれば足りるものと解するのが相当であって、編入につき完全な代替性を基準とするデータベースの場合と同一に論ずることはできない。のみならず、被控訴人新聞の各記事に対応する控訴人文書の各記述が、利用者に原情報の検索手段を提供する書誌情報にすぎないものとは認め難い。
 したがって、控訴人の右主張は理由がない。
5 控訴人は、控訴人の主張7記載の理由により、原判決が控訴人文書の発行事前差止仮処分を認めたことは憲法違反である旨主張する。
 出版物の頒布等の事前差止め、すなわち表現行為に対する事前抑制は、当該出版物がその自由市場に出る前に抑止して、その内容を読者の側に到達させる途を閉ざし、又はその到達を遅らせてその意義を失わせ、公の批判の機会を減少させるものであり、また、事前抑制たることの性質上、予測に基づくものとならざるを得ないことなどから、事後制裁の場合よりも広汎にわたり易く、濫用の虞があるうえ、実際上の抑止的効果が事後制裁の場合より大きいと考えられ、したがって、表現行為に対する事前抑制は、表現の自由を保障し、検閲を禁止する憲法21条の趣旨に照らし、厳格かつ明確な要件のもとにおいてのみ許容され得るものと解される(最高裁昭和61年6月11日判決・民集40巻4号872頁参照)。
 ところで、著作権侵害行為については、著作権法112条により事前差止めが認められているし、表現行為に対する事前抑制が許容されるために右のような要件が必要であるとされる前記理由に鑑みれば、事前差止めであっても、前記のような弊害が生じる危険性がほとんど存しない場合には、当該事前差止めは、実質的には、事前抑制に当たらないものと解するのが相当である。
 本件において、控訴人は、昭和61年9月から、被控訴人新聞が発行される毎に継続的に控訴人文書を作成・頒布してきたものであり、すでに作成・頒布された控訴人文書は被控訴人新聞の編集著作権を侵害するものであること、原判決が発行事前差止めの対象とした原判決別紙文書目録(一)、(二)の文書は、すでに発行・頒布された控訴人文書の構成と同一であって、具体的な要素(素材)の点は別として、その他の内容はすでに公のものとされているとみてよいこと、右文書目録(一)、(二)の記載は、侵害文書を構成するものとしての特定として明確であること、及び、原判決は口頭弁論を経てなされたものであることを総合すると、原判決が、控訴人文書に対する発行事前差止めの仮処分を認めたことによって、前記のような弊害が生じる危険性があるとは認め難く、実質的には事前抑制に当たらないものと認めるのが相当である。
 また、憲法21条2項前段にいう検閲とは、行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査したうえ、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべきであるところ、仮処分による事前差止めは、表現物の内容の網羅的一般的な審査に基づく事前規制が行政機関によりそれ自体を目的として行われる場合と異なり、個別的な私人間の紛争について、司法裁判所により、当事者の申請に基づき差止請求権等の私法上の被保全権利の存否、保全の必要性の有無を審理判断して発せられるものであって検閲には当たらないものというべきであるから(前記最高裁判決、及び最高裁昭和59年12月12日判決・民集38巻12号1308頁参照)、原判決が控訴人文書に対する発行事前差止めの仮処分を認めたことが、憲法21条2項前段が規定する検閲の禁止に違反するものということはできない。
 控訴人は、著作権を侵害する表現は、侵害される著作権者の利益を保護するために一定の制約が認められるが、著作権を侵害する表現といえども憲法21条の保障する表現である以上、より制限的でない他のとり得る手段がないかどうか、事前抑制禁止の法理・検閲禁止に違反していないかどうかを、規制される表現の内容、表現によって侵害される著作権の侵害の程度・明白性、著作権の保護回復の可能性の有無などを総合的に衡量して、いかなる方法・程度の規制が適当であるかを判断しなければならない旨主張して、考慮されるべき事情を挙示する。
 しかし、控訴人文書の作成・頒布による被控訴人新聞の編集著作権に対する侵害行為は明白であり、しかも昭和61年9月以降継続的に、侵害行為が行われてきたものであること、被控訴人新聞の編集著作権を保護するためには控訴人文書の発行差止めが有効かつ適切であること、その他本件に顕れた一切の事情を考慮すると、原判決が控訴人に対して、控訴人文書の発行事前差止仮処分を命じたことが、事前抑制又は検閲に当たるとは到底認められない。
 したがって、控訴人の主張7は理由がない。
6 控訴人は、控訴人の主張8記載の理由により、控訴人文書は公正利用に当たる旨主張する。
 著作権法1条は、著作権法の目的につき、「これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作権者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とする。」と定め、同法30条以下には、それぞれの立法趣旨に基づく、著作権の制限に関する規定が設けられているところ、これらの規定から直ちに、わが国においても、一般的に公正利用(フェアユース)の法理が認められるとするのは相当でなく、著作権に対する公正利用の制限は、著作権者の利益と公共の必要性という、対立する利害の調整の上に成立するものであるから、これが適用されるためには、その要件が明確に規定されていることが必要であると解するのが相当であって、かかる規定の存しないわが国の法制下においては、一般的な公正利用の法理を認めることはできない。
 なお、念のため付言するに、フェアユースに基づく著作権の制限を規定しているアメリカ合衆国著作権法107条は、著作物の使用がフェアユースとなるかどうかを判断するについて、(1)使用の目的及び性格(使用が商業性を有するか非営利の教育的な目的であるかという点を含む)、(2)著作権のある著作物の性質、(3)著作物全体の関係における使用された部分の量及び重要性、(4)著作物の潜在的市場又は価値に対する使用の及ぼす影響、という要素を考慮すべきであると規定しているところ(疎乙第128号証の1)、控訴人は、右のような判断指針の適用を前提として、本件につき公正利用の法理が認められるべきであるとするのであるが、右のような指針に基づいて判断したとしても、控訴人文書の被控訴人新聞の利用が営利を目的とするものであることは否定できないこと、控訴人文書は被控訴人新聞に比べると量的には非常に少ないものとなっているが、控訴人文書の各記述は被控訴人新聞の記事等により伝達しようとしている情報の核心的事項を表現しているものであって、単に被控訴人新聞の報道するニュースへのアクセスを可能にするといった程度のものではなく、控訴人文書によれば、特定の日付けの被控訴人新聞がどのような出来事を取り上げているかの概要を知ることができること、控訴人は、前記1項に認定したとおり、控訴人文書を講読すれば、わざわざ被控訴人新聞を講読しなくとも同新聞の掲載記事の内容が把握できるとも受け取れる宣伝広告をしていること、控訴人が、今後も引き続き控訴人文書を作成・頒布することにより、被控訴人新聞の講読者が控訴人文書の講読に切り替えたり、あるいは、被控訴人新聞の潜在的講読予定者が控訴人文書を講読したりすることが考えられることなどからすると、被控訴人新聞がニュース報道を主目的とした新聞であること、控訴人文書にもそれなりの有用性があることを考慮しても、控訴人文書が公正利用に当たるものということはできない。
 したがって、控訴人の主張8は理由がない。
七 以上のとおりであるから、控訴人に対し、原判決別紙文書目録(一)の文書の作成・頒布、及び、特定日付けの被控訴人新聞が発行されることを条件とする、同目録(二)の文書の作成・頒布の各差止めを命じた原判決は正当であり、本件控訴は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法95条、89条を適用して、主文のとおり判決する。

東京高等裁判所
 裁判長裁判官 伊藤博
 裁判官 濱崎浩一
 裁判官 押切瞳
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