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【事件名】モリサワタイプフェイス事件(2) 【年月日】平成5年12月24日 東京高裁 平成5年(ワ)第594号 不正競争仮処分申請却下決定に対する抗告事件 (原審・東京地裁平成2年(ヨ)第2600号) 決定 抗告人 株式会社モリサワ 右代表者代表取締役 X 右訴訟代理人弁護士 小林秀正 同 渡邉幸博 被抗告人 Y 主文 原決定を取り消す。 抗告人が金五〇〇万円の保証を立てることを条件として、次のとおり決定する。 被抗告人は原決定別紙債務者書体目録(一)ないし(四)記載の各書体を入力したフロッピーディスク、光ディスクその他の記憶媒体を製造及び販売してはならない。 申請費用は原審及び当審を通じて被抗告人の負担とする。 理由 第一 当事者の求めた裁判 一 抗告人(原審債権者) 「原決定を取り消す。被抗告人は原決定別紙債務者書体目録(一)ないし(四)記載の各書体を入力したフロッピーディスク、光ディスクその他の記憶媒体を製造及び販売してはならない。申請費用は被抗告人の負担とする。」との決定 二 被抗告人(原審債務者) 「本件申請を却下する。申請費用は抗告人の負担とする。」との決定 第二 当事者の主張 一 抗告人の申請の理由 1 抗告人は、書体の開発及びその開発した書体を使用した写真植字機の製造販売、電算写植機、周辺機器の開発等を事業内容とする会社であり、原決定別紙債権者書体目録(一)の書体(書体名リュウミンL-KL、昭和五七年六月開発)、同(二)の書体(書体名太明朝体A101、同三五年二月開発)、同(三)の書体(書体名中ゴシック体BBB1、同三九年三月開発)及び同(四)の書体(書体名太ゴシック体B101、同三六年四月開発、以下、一括して「抗告人書体」という。)をそれぞれ株式会社モリサワ文研に委託して製作し、これらの抗告人書体は、写真植字機の文字盤に組み込まれて販売される他、フィルム、印画紙に焼き付けて、あるいはデジタル化してフロッピーディスク等の記憶媒体に記録されて文字書体そのものとして販売され、若しくは、有償の使用許諾契約を締結することによりユーザーの利用に供されている。 2 文字書体ないし書体とは、記録や表示、印刷などの文字組に使用するために当該書体の骨格となる字体に装飾を施し特徴づけた一組のデザインをいうところ、抗告人書体は、以下の特徴を有する。リュウミンL-KLは、長文の本文組版での使用に適した画線の太さを持つ。ハライや点の形は鋭く、逆に縦画と横画の細部には滑らかな曲線を多く取り入れ、活字書体の明快さと写植書体の柔らかい優雅さとを融合させたデザインである。太明朝体A101は、漢字の縦画と横画の太さの差の大きい明朝体である。仮名は力強い打ち込みとはねを有しており、中見出しや広告コピーなどで威力を発揮する。画線の太さは本文用と見出し用の中間に位置し、小さいサイズから大きなサイズまで幅広い用途をカバーする。中ゴシック体BBB1は、本文組版に適した画線の太さを持つゴシック書体である。仮名は漢字に比べてやや小さめで、本文での読みやすさを優先させている。明朝体で組んだ本文のための小見出し用としても太さのバランスがとれて適している。また、漢字は直線的な画線で構成されているのが特徴である。そして、線画の頭部に突起があり、これが各文字の識別を助けている。太ゴシック体B101は、見出しを主目的としたゴシック体である。漢字は直線的で、直線の尖端部分が力強くラッパ状、仮名は、筆の勢いを残していて、連続性があって力強い。画線の太さは本文用と見出し用の中間に位置するので、広告コピーからディスプレイまで用途は広い。また、縦画の頭部に突起があり、これが各文字の識別を助けている。 そして、抗告人書体は、無体物であるが、前項に述べたように、書体それ自体が商品価値を有するものとして取引の対象とされているものであるから、不正競争防止法一条一項一号の定める「商品」に該当するものである。 3 文字書体の需要者はコンピュータ、ワードプロセッサのメーカー、写真植字ないし電算植字による印刷業者等を主体とするが、いずれの需要者にあっても文字書体の見やすさ、美しさに関心を持ち、他社のものも含めて複数の文字書体の中から目的に適った書体を選択しており、これら需要者の間では、抗告人の代表的な書体である抗告人書体は広く知られている。なお、被抗告人は、以前、株式会社ラボネートの代表者であった者であり、同社は昭和五七年七月頃から同六二年五月頃までの間、抗告人から抗告人書体を含む抗告人の書体の搭載された電算写植機を買入れ、また、同社倒産後の同年九月にも被抗告人は右電算写植機を抗告人から購入している。したがって、被抗告人は、本件各文字書体の形態の周知性を熟知しているものである。なお、被抗告人は、後記のとおり、被抗告人書体を作成する上で、抗告人の「中明朝体」、「太明朝体」、「中呉竹体」、「太呉竹体」等の書体を参考にしたことを自認しているが、これらはそれぞれ抗告人書体である「リュウミンL-KL」、「太明朝体A101」、「中ゴシック体BBB1」、「太ゴシック体B101」にそれぞれ該当することは明らかなところである。 4 被抗告人は、コンピュータ、ワードプロセッサ等のソフトウェアの開発、販売を業とする者であるが、平成元年九月ないし同二年三月頃から原決定別紙債務者書体目録(一)の書体(書体名mincho1)、同(二)の書体(同mincho2)、同(三)の書体(同gothic1)及び同(四)の書体 (同gothic2、以下、一括して「被抗告人書体」という。)をデジタルフォント化してフロッピーディスクに入力し、これを搭載したレーザープリンタ(商品名「JACシステム」)を販売している。 5 リュウミンL-KLとmincho1、太明朝体A101とmincho2、中ゴシック体BBB1とgothic1、太ゴシック体B101とgothic2について、それぞれ対比すると、双方の文字を通常の取引に際して需要者に提供するものよりも数等倍拡大したときに初めて微細な点において発見し得る程度の差異しかなく、双方の文字書体は形態的に同一といわざるを得ない。 6 抗告人書体と被抗告人書体はそれぞれ形態が同一であり、需要者も競合しており、競業関係にある。そうすると、商品の出所が同一であるとの誤認混同(狭義の混同)のみならず、抗告人と被抗告人との間に財政上の関係、人的関係、組織上の関係、委託ないし許諾契約等の契約上の関係が存するのではないかと需要者、取引者が誤認する混同(広義の混同)も存する。 7 以上のとおりであるから、不正競争防止法一条一項一号に基づき、被抗告人は、前記各書体を入力したフロッピーディスク、光ディスクその他の記憶媒体の製造及び販売をしてはならないとの裁判を求める。 二 申請の理由に対する被抗告人の認否及び反論 1 申請の理由に対する被抗告人の認否 申請の理由1のうち、抗告人がその主張するような事業内容を営む会社であること、同3のうち、被抗告人が抗告人から電算写植機(「ライノトロン」)と抗告人書体を含む抗告人の書体のフォントセットを購入し、電算写植業を営むこと、及び同4の事実はいずれも認めるが、その余はすべて争う。 2 反論 (一)本件申請においては、差止の対象物が特定されていない。すなわち、抗告人は、差止対象物の表示として、被抗告人書体の商品名を示す表示を掲記したのみで、そこに記載した文字書体を入力したフロッピーディスク等の記憶媒体を製造販売してはならないとの趣旨の申請をしている。しかし、被抗告人書体は、これを入力したフロッピーディスク等の記憶媒体内に固定されているが、これをそのまま視覚的に認識することはできないのであるから、結局、差止の対象物の特定として、被抗告人書体を入力したフロッピーディスク等の記憶媒体自体が抗告人書体を示すものともいえないのである。したがって、本件申請は、差止の対象物の特定を欠くものであるから、不適法として却下されるべきである。 (二)不正競争防止法一条一項一号の「商品」とは、動産であり、したがって、有体物に限られると解すべきであり、抗告人において無体物であることを自認する書体は前記の「商品」に該当しないから、本件申請はこの点において既に理由がない。 (三)抗告人書体は、「商品の形態」ではなく、不正競争防止法一条一項一号所定の「商品タルコトヲ示ス表示」に該当しない。すなわち、抗告人は、書体を「文字書体ないし書体とは、記録や表示などの文字組に使用するために当該書体の骨格の元となる字体に装飾を施し特徴づけた一組のデザインをいう。」と主張しているが、かかる意昧での書体は、活字による方法、光学的方法、電磁的方法等の技術的手段で固定し、表示されるものである。このように、書体を視覚的に認識するためには、いずれの場合においても、右手段を用いて、記録や表示、印刷などに一組のデザインとして出力表示されない限り、視覚的に認識することはできないのである。そうすると、記録や表示、印刷等に一組のデザインとして出力表示されない状態における抗告人書体は、不正競争防止法上の「商品タルコトヲ示ス表示」に相当する「商品の形態」に該当するとみることは到底できないし、他方、前記の各技術的手段を持って出力表示された抗告人書体は、既に取引の対象である「商品」とはいえないのである。因みに、抗告人書体は、これを入力したフロッピーディスク等の記憶媒体内に固定されているが、これをそのまま視覚的に認識することはできないから、結局、抗告人書体を入力したフロッピーディスク等の記憶媒体自体が抗告人書体を示すものともいえないのである。なお、仮に、フロッピーディスクを無定形物の「容器」に準ずるものとみなし得たとしても、その場合においては、当該「容器」の形状等を「商品の形態」とし、また、容器上の表示を「商品タルコトヲ示ス表示」とみて、その周知性等の不正競争防止法所定の各要件の該当性の有無を論ずべきものであって、この観点からみても抗告人の主張は失当であることは明らかである。 (四)抗告人書体が周知であることの立証はない。不正競争防止法一条一項一号の「周知性」の要件を充足するというためには、抗告人書体の特徴が明らかであること、抗告人書体は何の上に固定されているものであるのか、どの程度の人の間で知られているか、の各要件が主張立証されることが必要であるが、本件においては、何らこれらの点は主張立証されていない。すなわち、抗告人は抗告人書体の名称を表示するのみで、抗告人書体の特徴を客観的に認識できる程度に表示特定していないし、他の要件についても明確な立証はないから、抗告人書体は前記の「周知性」の要件を満たすものでないことは明らかである。 (五)抗告人書体と被抗告人書体は類似していない。抗告人書体と被抗告人書体が物理的に異なることは疑問の余地がなく、また、両書体の顕著な差異を挙げると、@縦横比の違い、全体的にみて被抗告人書体は抗告人書体に比して、偏平であること、A線の違い、全体的にみて被抗告人書体は抗告人書体に比較して文字を構成する線の太さが太いこと、Bハライ、ハネ等の先端部の形状の違い、抗告人書体はこれらの先端部が鋭く延びているのに対し、被抗告人書体は、先端部が先に行くに従って短い直線とつなぎ合わせることによって、内側に曲がり込ませていることから、全体として鈍い形状となっていること等の差異があり、両書体が類似していないことは明らかである。 なお、被抗告人書体の開発の経緯は以下のとおりである。被抗告人は、従来、抗告人が販売する電算写植機「ライノトロン」とフォントセットを購入して使用していたが、右写植機に搭載されていた抗告人書体には、書体の不揃いと不統一、特に日本語文字とアルファベットのベースライン(文字下側の基準線)が不揃い、不統一であり、また、書体の種類、とりわけ横組に適したやや幅広の書体が不足しており、ユーザーの要望にもかかわらず、その開発にも期待が持てない状況であり、さらに、ポイントの小さい文字を印字する際、先端部の更に先に線条のノイズが発生する、手へん等の交点が抉れる等の欠点があった。そこで、被抗告人は、上記のような欠点を克服した書体を開発すべく、@縦横比を、印刷業界において最も高いシェアを有する書体業者である写研の書体に近い横広のものとする、A部首の幅も、どっしりとした印象の文字となるように幅の広いものとする、Bハネ、ハライの先端部を抗告人書体のように鋭角的に交叉させるのではなく、徐々に内側に巻き込むような形状とし、ポイント数の小さな文字を印字したとき、交点の先に生ずる余分な線が発生しないようにする、Cベースラインについても、日本語文字とアルファベットとが統合のとれたものとし、かつ、ユーザーが自由に調整できるようにする、等の点を基本的コンセプトとした上で、抗告人書体(被抗告人所有のライノトロン二○二EWTから出力した抗告人書体の「中明朝体」、「太明朝体」、「中呉竹体」、「太呉竹体」等)と写研書体との中間で、どちらかといえば写研書体のどっしりとした安定感を基調とし、これに抗告人書体の華麗さを付加した書体の作成を意図したものである。 (六)被抗告人書体を抗告人書体と混同するおそれはない。仮に、抗告人書体を「商品の表示」と仮定しても、これを現認し得るのは次の二者であるが、この二者のいずれにおいても混同が生ずる余地はない。すなわち、まず、当該フォントを使用した印刷物の読者についてみると、これらの者にとっては、印刷物に記載された「情報」(文書の内容)とレイアウトを含めた紙面の美醜が問題であって、その書体がどこのものであるかについては関心を持たない。次に、印刷物の製作者、すなわち、印刷業者及び紙面構成を行う「アートディレクター」ないし「デザイナー」についてみると、これらの者は、当該書体が紙面上に印刷された結果の紙面全体の見た目の美醜、言い換えれば、「どう仕上がるか」であり、それを構成する文字の形態をどの書体メーカーが作成したものであるかとは無関係である。したがって、いずれの場合においても、書体の選択に当たってその基準となるのは、当該書体が「美しいか」とか「好ましいか」であって、「誰が発売している書体」かは何ら選択要素となり得ないのであるから、両書体間に混同が生ずる余地はない。 第三 当裁判所の判断 一 申請の理由1のうち、抗告人がその主張のような事業を営む会社であることは当事者間に争いがなく、<証拠略>によれば、その余の事実を一応認めることができ、他にこれを左右する疎明はない。 二 被抗告人は、本件申請は差止の対象物が特定されていないから、不適法であると主張するので、まず、この点から判断する。 本件申請は、被抗告人書体であるmincho1及び2並びにgothic1及び2の入力されたフロッピーディスク、光ディスクその他の記憶媒体の製造、販売の差止を求めるものであるところ、後述するとおり、書体それ自体は観念的存在であって、これを取引の対象とするためには、書体を何らかの媒体に固定することが必要であり、そして、書体を固定した媒体を特定することにより、当該書体は他の書体と区別されて取引されることが可能となるのである。したがって、右固定媒体の特定により、書体を特定したことになるものということができる。したがって、前記の被抗告人書体は、記憶媒体であるフロッピーディスク、光ディスク等に入力され、保存されているものであるから、書体名で当該書体が固定されたフロッピーディスク等の記憶媒体を特定することにより、差止の対象物である被抗告人書体を特定することが可能であって、かかる書体の特定方法に何ら欠けるところはない。被抗告人は、書体を直接視覚的に認識できない以上、書体は特定されていないと主張するが、直接視覚的に認識できるか否かの問題と差止の対象物の特定の問題は異なる問題であって、被抗告人書体を直接視覚的に認識できないから差止の対象物が不特定であるとする被抗告人の主張は採用できない。 三 被抗告人は、書体は不正競争防止法一条一項一号所定の「商品」に該当しないと主張するので、この点について検討する。 不正競争防止法は、その一条一項一号等に「商品」なる用話を使用しているが、右用語の意義を格別定義した規定を設けていないことからすると、その意義の確定は解釈に委ねられているものと解される。ところで、各種の不正競争行為の類型について当該行為の差止及びこれによって生じた損害の賠償責任を規定する不正競争防止法一条一項及び一条の二並びに不正競争目的をもってする前記の不正競争行為に対する罰則を規定する同法五条等の規定に照らすと、同法は、不公正な競争行為を排除し、公正な取引秩序の維持、確立を目的とするものであることは明らかなところであるから、同法が使用する用語の解釈に当たっては、同法のかかる目的を充分に考慮に入れて解釈することが必要であるというべきである。そして、このように不正競争防止法は、公正な取引秩序の維持、確立を目的とするものであるから、取引の実情を踏まえ、その実情の中において、公正な取引秩序の維持、確立の観点に立ち、同法が規定する前記の不正競争行為の類型に該当するか否かを検討すべきものというべきである。そこで、前記の「商品」の概念についてみると、経済的価値を肯定され取引対象とされる代表的なものとして有体物があることはいうまでもないところであるが、社会の多様化に伴い、新たな経済的価値が創出されることは当然のことであることからすると、その有する経済的な価値に着目して取引対象となるものが有体物に限定されなければならないとする合理的な理由は見いだし難い。この意味で、無体物であっても、その経済的な価値が社会的に承認され、独立して取引の対象とされている場合には、それが不正競争防止法一条一項の規定する各不正競争行為の類型のいずれかに該当するものである以上(この点について、<証拠略>によれば、書体はフロッピーディスク等に記録されて国内で販売されることはもとより漢字使用国に輸出されている事実が一応認められることからも窺われるように、無体物であっても、「販売」、「拡布」、「輸出」が可能であり、また、「品質」、「内容」、「用途」、「数量」等が問題となり得ることも明らかであるから、前記の不正競争行為類型のいずれかに該当することは十分に可能というべきである。)、これを前記の「商品」に該当しないとして、同法の適用を否定することは、同法の目的及び右「商品」の意義を解釈に委ねた趣旨を没却するものであって相当でないというべきである。 そこで書体を巡る取引の実情について検討する。まず、その前提として、書体の概念についてみるに、<証拠略>によれば、「字体」が「表現された字形の基礎にある文字観念で、個々の文字を識別する要素としての点画の組合せ方をいう。すなわち、字体は抽象的なものであり、具体的には字形として実現する。」(<証拠略>)などと定義されているのに対し、「書体」は、「記録や表示、印刷などの文字組に使用するために当該書体の骨格の元となる字体に装飾を施し特徴づけた一組のデザイン」(<証拠略>)あるいは「一定の様式によって骨組(字体)に肉付けされた文字の姿」(<証拠略>)、「字体をもとにして、ある一定のルールで肉付けし、様式化したもの」(<証拠略>)などと定義され、右の「一定の様式」あるいは「一定のルールで……様式化した」とは、書体を構成する「線」、「はね」、「そり」、「はらい」、「点」、「はねあげ」等の諸要素(エレメント)を一定のデザイン上のルールに従い、統一的に処理することを意味することが一応認められ、他にこれを左右するに足る疎明はない。 以上によれば、「書体」とは、抽象的な観念である字体を基礎にし、これを製作者が自ら創作したデザイン上の一定のルールに従い様式化した文字群であって、字体とは異なる概念であると解するのが相当である。 そこで進んで、書体を巡る取引の実情について具体的に検討するに、<証拠略>によれば、従来、書体は、活字や文字盤として供給されたことから、主として印刷業界で取り引きされてきたが、近年におけるパーソナルコンピュータ、ワードプロセッサ等の情報処理機器の普及につれ情報処理産業や広告サイン文字等の分野に取引分野を拡大してきた。抗告人においても、その開発した書体の使用について中日新聞社、読売新聞社等の数社の新聞社と有償の使用許諾契約を締結し(<証拠略>)、また、富士ゼロックス株式会社、昭和情報機器株式会社等の数社のプリンターメーカーとの間で当該メーカーが製造販売するプリンターに抗告人開発の書体(本件の抗告人書体も含まれている。)を使用することについての有償使用許諾契約を締結している(<証拠略>)事実を一応認めることができ、他にこれを左右する疎明はない。そして、<証拠略>によれば、他の有力な書体メーカーである写研、リョービ等について抗告人の前記取引状況と同様の事情にあるものと推認でき、他にこの推認を左右する疎明はない。 以上の事実によれば、印刷業者、新聞社、プリンターメーカー等は、それぞれ自己の用途にとって最も好ましいと考える特定の書体を選択し、当該書体メーカーと有償の使用許諾契約等を締結してその書体を使用しているものということができるから、抗告人らの書体メーカーによって開発された特定の書体は、正に経済的な価値を有するものとして、独立した取引の対象とされていることは明らかというべきである。そうすると、かかる性格を有する書体を単に無体物であるとの理由のみで不正競争防止法一条一項一号の「商品」に該当しないとすることは相当ではないというべきであり、したがって、この点に関する被抗告人の主張は採用できない。 四 不正競争防止法一条一項一号のその余の要件について検討する。 1 まず、抗告人書体それ自体の形態が「広く認識セラルル……他人ノ商品タルコトヲ示ス表示」との要件を充足するか否かについて検討する。<証拠略>によれば、抗告人書体は、活字、写植等の印刷、編集、製本技術等に関する一般的な概説書(例えば、その代表的なものとして前掲疎甲第四七号証の日本エディタースクール編集の「標準編集必携」を挙げることができる。)において、いずれも抗告人会社の代表的な書体として取り上げられている事実が認められ、この事実からすると、抗告人書体は書体取引における主要な需要者である印刷業者、製本業者、写植機製造業者等に広く知られているものと推認することが可能であり、そして、前記の各書物において他の書体メーカーである写研、リョービ等の書体が抗告人書体と並べて紹介されている事実からしても、抗告人書体は前記のような業界の者に、書体自体が持つ形態的特徴によって広く認識されているものということができる。さらに、<証拠略>によれば、抗告人書体はキャノン株式会社、QMSジャパン株式会社、セイコーエプソン株式会社、沖電気工業株式会社等の製造販売するレーザープリンター等に標準搭載書体として採用されている事実が一応認められ、この事実も抗告人書体の周知性を裏付けているものということができる。また、抗告人書体それ自体に即して検討しても同書体が他社の書体に比して形態的特徴を有することを肯定できることは後記2に説示するとおりである。なお、抗告人書体にはそれぞれ書体の名称が付されており、前掲疎甲第三号証、第五二号証の三等の抗告人書体の見本帳においても抗告人書体に添えて書体名が付されている事実を一応認めることができるが、これらの書体名は取引における商品特定の符号にすぎず、かかる符号による特定が可能となるのは抗告人書体自体が形態的特徴を有するが故であるから、書体名をもって取り引きされることが形態的特徴を否定する根拠となり得るものではないことは明らかである。 被抗告人は、フロッピーディスク等に固定されている抗告人書体は、記録や表示、印刷などに一組のデザインとして出力表示されない限り、視覚的に認識することはできないから、出力表示されない状態における抗告人書体は、不正競争防止法上の「商品タルコトヲ示ス表示」に相当する「商品の形態」に該当するとみることはできないと主張する。確かに、フロッピーディスク等に記録された抗告人書体を出力することなく視覚的に認識できないことは被抗告人の主張するとおりである。しかしこの場合においても、かかるフロッピーディスクを購入する者は、当然、出力表示するなどして、記録されている書体の形態的特徴を認識した上で購入の可否を決定することは当然のことであり、書体自体が形態的特徴を有するというためには、書体が常に外部に表示されていることを必要とするものではないから、被抗告人の右主張は採用できない。また、被抗告人は、フロッピーディスクを無定形物の「容器」に準ずるものとみなし得たとしても、当該「容器」の形状等を「商品の形態」とし、また、容器上の表示を「商品タルコトヲ示ス表示」とみて、その周知性等の不正競争防止法所定の各要件の該当性の有無を論ずべきものであると主張するが、フロッピーディスクの包装容器の形態表示性の問題と記録固定された抗告人書体自体の形態表示性の問題は別個の問題であり、両者は両立し得るものであるから、この主張も採用できない。 さらに、被抗告人は、抗告人は抗告人書体の名称を表示するのみで、抗告人書体の特徴を客観的に認識できる程度に表示特定していないと主張する。しかし、抗告人書体は抗告人書体目録によってその客観的特徴が示されているのであり、これをもって足りるというべきであるから、被抗告人の前記主張も採用できない。 2 次に、抗告人書体と被抗告人書体の類似性の有無について検討する。 <証拠略>によれば、以下の事実を一応認めることができる。すなわち、「斡」、「扱」、「宛」、「姐」、「虻」、「飴」、「絢」、「綾」、「鮎」、「或」、「粟」、「袷」、「安」、「庵」、「按」の一五文字について、いずれも四二ミリメートル×四二ミリメートルに拡大した抗告人書体に同様に拡大した被抗告人書体(疎乙第一一号証の一ないし四に記載のもの)、写研書体、モトヤ書体、凸版印刷書体、毎日新聞書体、日本活字書体、朝日新聞書体、岩田書体等を重ね合わせると、被抗告人書体は、前記一五文字の全てについて、各文字の一部の線において抗告人書体より幅広である点に差異があるが、右差異以外においては殆ど重なり合うのに対し、他社の書体においては、リュウミンL-KLでは「絢」についてモトヤ書体がほぼ同一であるほか、被抗告人書体ほどではないが比較的類似性の強いものとして「宛」、「或」、「安」についての写研書体、「虻」についてのモトヤ書体、太明朝体A101では、被抗告人書体ほどではないが比較的類似性のあるものとして「庵」についての写研書体、中ゴシック体BBB1では、被抗告人書体ほどではないが比較的類似性のあるものとして「宛」、「鮎」についての写研書体、「安」、「庵」についての朝日新聞書体、太ゴシック体B101では、ほぼ被抗告人書体と同程度に類似性の高いものとして「宛」についての写研書体、被抗告人書体ほどではないが比較的類似性のあるものとして「姐」、「虻」についての岩田書体、「絢」、「鮎」、「庵」についての写研書体があることが一応認められ、他にこれを左右する疎明はない。この事実によれば、前記の拡大文字の全てにおいて被抗告人書体は抗告人書体に酷似しているといって差し支えがないものというべきであり、拡大しない場合においては、前記程度の差異をもって両書体を区別することは困難であって、この意味において抽出された両書体は同一といって差し支えがないものというべきである。これに対し、前記の他の書体においては、その一部の文字に類似性の認められるものがあるが、既に認定したように書体が文字群であることを考慮すると、前記認定の程度の類似では書体の類似性を肯定することはできないものというべきである。なお、被抗告人は、その書体の開発に当たり、抗告人書体と写研書体を参考にし、両者の中間、どちらかというと写研書体に近い書体として被抗告人書体を開発した旨主張するところであるが、前掲疎甲第四二号証の各社書体の重ね合わせの結果によれば、写研書体に近い書体として開発したとの主張は疑問とせざるを得ない。そして、疎甲第三〇号証(日本タイポグラフィ協会会員Aの平成三年一月三〇日付け意見書)及び第三七号証(前記Aの同年六月六日付け意見書)には、書体の同一性、類似性の判断は@デザインのコンセプト(書体のカテゴリー、使用目的、発想等)、A骨格の形(文字の骨組みの線画、重心の取り方、ふところ等)、Bエレメント(部分品)の形(縦、横画の太さ、点、ハライ、ハネ等)の三つの観点から判断するが、前記@は具体的にはA、Bとして現れるものであるから、主としてA、Bの観点から判断するのが通常であること(なお、疎乙第一〇号証によれば、抗告人書体と被抗告人書体は非類似であるとの結論を採るグラフィックデザイナーB作成の意見書においても、同様の手法によって検討していることはその比較対照結果欄の記載に照らして明らかなところである。)、右手法によって両書体を比較検討すると、両書体は全体的特徴並びに骨格及びエレメントの特徴が同一であり、同一書体であるとの意見が記載されているところ、この意見は、前掲疎甲第四二号証の両書体の重ね合わせの結果と良く符合するものであって、その結論に至る過程にも格別不合理とする点はみられず、採用するに足りるものというべきである。これに対して、前掲疎乙第一〇号証には、前記のとおり両書体は非類似すなわち「視覚的にも全く異なる印象のものである」との結論(二頁末行)を導いているものであるところ、両書体の差異として被抗告人書体は抗告人書体より「縦横の太さが太い」ことを強調する点は、前掲疎甲第四二号証の前記認定と符号するものということができる。しかしながら、両書体をもって「視覚的にも全く異なる印象のものである」と結論する点は、前掲疎甲第四二号証に示された両書体の重なり具合からみてたやすく採用することはできないものといわざるを得ないというべきである。以上の事実に加えて、本件係争書体の全部の文字について抗告人書体と被抗告人書体を重ね合わせた<証拠略>によれば、上記の抽出された一五文字の場合とほぼ同様の重なり結果を示す事実を一応認めることができ、他にこれを左右する疎明はない(疎乙第七号証の一ないし四及び同第九号証の一ないし四も右認定と矛盾するものではない。)。そうすると、他に特段の反証がない本件においては、両書体は同一というべきである。 3 進んで、被抗告人が被抗告人書体を販売する行為が不正競争防止法一条一項一号の「他人ノ商品卜混同ヲ生ゼシムル行為」に該当するか否かについて検討する。 被抗告人がその書体をデジタルフォント化してフロッピーディスクに入力し、これを搭載したレーザープリンタをJACシステムの商品名で販売している事実は当事者間に争いがない。そして、<証拠略>によれば、JACシステムの宣伝用カタログには販売元として「情報工学研究所」、開発元として「Information&Engineering Laboratory」との表示が記載されていることが一応認められ、この事実によれば、被抗告人書体が記録されたフロッピーディスク等にも同様の表示があることが推認されるから、JACシステムの購入者は、被抗告人書体は前記の「Information &Engineering Laboratory」が開発した書体であることを容易に認識するものと推認することができる。他方、抗告人書体についてみると、<証拠略>によれば、抗告人書体の記録されたフロッピーディスクあるいはこれを搭載したプリンター等にも抗告人書体の名称及びその開発者が抗告人である旨の表示がされていることが一応認められるから、以上の各事実からすると、両書体が同一であっても、混同が生ずるとはいえない、といえなくもない。 しかしながら、<証拠略>によれば、被抗告人からその書体の売り込みを受けた日製産業株式会社は、右書体が抗告人書体と同一であることから、抗告人の許諾を得ているものか、それとも抗告人から委託を受けて販売しているものと誤信したとの事実が一応認められるところである。ところで、書体の記録されたフロッピーディスク等の記憶媒体の取引においては、記録されている書体自体の有する形態上の価値が唯一最高の価値というべきであり、需要者はこの書体の形態に注目し、この形態を殆ど唯一の選択の基準として取引を行うであろうことは疑問の余地がないところであるから、書体取引において唯一最高の価値を持つ書体の形態において、前記認定のように抗告人書体と被抗告人書体は同一であることからすると、需要者において、抗告人と被抗告人が右のような製造許諾ないし販売提携等の緊密な営業上の関係が存するものと誤信するであろうことは十分に予測されるところであって、かかる誤信を生ぜしめる以上、混同のおそれがあるというべきである。 被抗告人は、印刷物の読者並びに印刷業者及び紙面構成を行う「アートディレクター」ないし「デザイナー」等のいずれにとっても、書体の選択の基準となるのは、当該書体が「美しいか」とか「好ましいか」であり、「誰が発売している書体」かは選択要素となり得ないから、両書体間に混同を生ずるおそれはないと主張する。しかし、前記認定の書体取引の実情に照らすと、一般の読者が書体取引の需要者に該当するといえないことは明らかであるから、かかる者を対象として混同の有無を論ずるのは妥当ではなく、また、印刷業者等にとってみても、被抗告人が主張する当該書体が「美しいか」否か等の評価は使用する書体によって決定されるものであるから、いかなる書体を使用するかはいかに仕上げるかに決定的影響を及ぼすものとして、極めて重要な事項であることは明らかであるから、「誰が発売している書体」かが重要な選択要素にならないとの被抗告人の前記主張は採用できない。 したがって、被抗告人の行為は前記「混同」の要件を充足するものというべきである。 4 以上によれば、被抗告人によるその書体の販売行為は、不正競争防止法一条一項一号の要件を全て充足しているものというべきであり、被抗告人が現に販売行為を継続している以上、保全の必要性があることは明らかである。 五 よって、本件申請は理由があるからこれを認容すべきところ、これと異なる原決定は相当ではないからこれを取り消すこととし、申請費用の負担について民事訴訟法九六条、八九条を適用し主文のとおり決定する。 東京高等裁判所 裁判長裁判官 松野嘉貞 裁判官 濱崎浩一 裁判官 田中信義 |
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