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【事件名】チューリップ事件(2)
【年月日】平成2年12月18日
 東京高裁 平成元年(ネ)第607号 著作権確認請求控訴事件
 (一審・千葉地裁昭和55年(ワ)第558号、第1102号)

判決
控訴人 X2
控訴人 X3
控訴人 X5
控訴人(亡X4承継人) X6
控訴人(亡X4訴訟承継人) X7
右控訴人5名訴訟代理人弁護士 大村武雄
同 西山宏
被控訴人 Y2
被控訴人 Y3
被控訴人 Y4
被控訴人 Y5
被控訴人 Y6
右被控訴人5名訴訟代理人弁護士 小坂嘉幸


主文
 本件控訴をいずれも棄却する。
 控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実
第1 当事者の求めた裁判
一 控訴人ら
 原判決を取り消す。
 控訴人らが、別紙楽曲目録記載の楽曲及び別紙歌詞目録記載の歌詞について、著作権を有することを確認する。
 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人らの負担とする。
二 被控訴人ら
 主文同旨
第2 当事者の主張及び証拠関係
 当事者双方の主張及び証拠関係は、次のとおり付加するほかは原判決の事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。
一 控訴人ら
 当審鑑定人Tの鑑定結果によれば、本件楽譜(甲第1号証、甲第18号証)に使用されたインキは戦前にしか使われていなかった亜麻仁油であることが明らかである。したがって、本件楽譜は戦前、すなわち大正11年当時に作成されたものである。
 また、本件楽譜の文字、表現等について、本件楽譜の表紙に記載された正式な標題は「赤坂尋常小学校創立五十年/記念日の歌」となっており、「周年」という表現は使われておらず、他の資料との間に表現の違いはない。
 次に、原判決は、本件楽譜が粗雑であり、略字を用いた簡略なもので、他の資料と対比して不均衡である旨認定している。しかしながら、本件楽譜は画用紙を安直に利用して謄写印刷したものではなく、楽譜用に裁断した用紙を使用しているものであり、また手書きの文章では他にも略字が使われているもの(甲第4号証の2)があり、教育勅語にも略語は用いられているのであって、略語があるから簡略なものであるとはいえない。さらに、童謡童話大会のために作られたプログラム(甲第21号証)は、本件楽譜と同様、謄写版印刷されたものであり、印刷の態様に不均衡の感はない。
 次に、本件楽譜の歌詞が全て平仮名で書かれている点については、本件楽譜は既に平仮名教育を受けた5、6年生に配布されるものであったことから片仮名を使用しなかったものであり、そもそも楽譜の歌詞を片仮名で書くか、平仮名で書くかは教科書を除いては作者の任意に委ねられていたものである。したがって、本件楽譜の歌詞がすべて平仮名で書かれていることは何ら異例なことではない。
 次に、原判決は、X1(以下、単に「X1」という。)は幼稚園唱歌の協議会等に出席した形跡がないことなどから、絵本唱歌編纂に関与していなかった可能性が高いと認定している。しかしながら、右認定は、日本教育音楽協会における唱歌研究部の果たした役割を誤解し、「エホンシヤウカ」の編纂委員会と混同した結果生じた誤った認識に基づくものである。すなわち、個々の唱歌集の編纂委員と唱歌研究部とは別個のセクションであり、しかも、「教育音楽」8巻12号大会記事欄(乙第4号証)から明らかなように「エホンシヤウカ」については、編纂委員会とは別に歌詞及び曲の審査を担当するものがいたのである。X1は日本教育音楽協会の裏方として「エホンシヤウカ」の編纂全般に係わりをもっていたものであり、このことは「エホンシヤウカ」の関係者慰労会をも兼ねた新尋常小学唱歌の編纂関係者慰労会に招かれていることからも窺われる。
 さらに原判決は、原審証人Aの証言から、チューリップの詞は同証人が作詞したようにも窺えないではないと認定しているが、同証人の証言及び他の証拠(乙等46号証、第105号証、第106号証)に現れた同人の供述内容には多くの疑問があり、また作詞の経緯について供述に重大な変遷があるなど、到底信用できるものではない。むしろ、「チューリップ」の1番の詞については、「ドノハナミテモキレイダナ」のくだりと赤坂小「記念日の歌」1番の最終行が歌い出しの「かざれかざれきれいにかざれ」を受けて、「どのこの顔もうれしさう」と結んでいる点、「記念日の歌」の1番から3番の歌い出しがいずれも、「一 かざれ かざれ きれいにかざれ 二 ならべ ならべ 正しくならべ 三 歌え 歌え 聲はりあげて」という素朴で直截な表現をとり、語句を重畳的に用いている点など、「記念日の歌」との間に共通性が認められるものである。
二 被控訴人ら
 控訴人らは、本件楽譜のインキに亜麻仁油が使用されていることから、右楽譜は大正時代に作成されたものであると主張するが、戦後も謄写用インキの材料として亜麻仁油は使用されていたのである。したがって、本件楽譜から亜麻仁油が検出されたからといって、直ちに本件楽譜が大正時代に作成されたものであると認定することはできない。
 また、控訴人らは、他の資料にも略語が使用されているものがあり、また、謄写版印刷されたものもある旨主張するが、控訴人等が指摘する甲第4号証の2の中の「学」の字は草書体であって、「學」の字の略字ではない。また、赤坂尋常小学校は、創立50年記念に際し、開校50年記念誌(甲第5号証の1、2)と、創立50年記念童謡童話大会のパンフレット(甲第3号証)まで活版印刷している程であるから、当然、創立50周年記念日の歌も事前に活版印刷されてしかるべきである。仮に、童謡童話大会のプログラムが変更されたとしても、本件楽譜が謄写版印刷のままであることは奇異なことである。
 なお、謄写印刷されている童謡童話大会のプログラム(甲第21号証)は、大正時代には使用されていないはずの文字が散見され、また、その出所に不明な点があることからして、戦後何者かによって作成され赤坂尋常小学校に持ち込まれた偽造文書であると思われる。
 次に、控訴人らは、乙第4号証の記事を基に、「エホンシヤウカ」については、編纂委員会と詞及び審査に当った者とは別であったと主張しているが、右記事は当時幼稚園唱歌と平行して進行していた尋常小学校の作曲に関する委員会の記事であり、幼稚園唱歌の記事ではない。
 そして、X1が幼稚園唱歌研究部委員会、新幼稚園唱歌編纂会のいずれにも出席した形跡のないことは、乙第1号証ないし第12号証の雑誌「教育音楽」の記事からも明らかであり、この点における原判決の認定に誤りはない。
 さらに、控訴人らは、Aの供述を云々するが、同女の供述は真実の関係者のみが知ることのできる事実を述べており、他の証拠資料とも整合するもので、充分に信用できるものである。
三 証拠関係
 当審における証拠関係は、本件記録中の書証及び証人等目録記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

理由
一 当裁判所も原審と同じく、控訴人らの請求は失当であって棄却されるべきものと判断する。その理由は、左記に付加、訂正するほかは原判決の理由説示のとおりであるから、ここにこれを引用する。
1 原判決第25丁表第11行の「昭和11年」とあるのを「大正11年」と改める。
2 原判決第27丁表第6行の「次に」から同丁表末行の「認められる。」までを「次に、本件楽譜に使用されているインキについてみるに、原審鑑定人Pの鑑定の結果及び当審鑑定人Tの鑑定の結果によれば、謄写インキの技法は大正初期にオランダから技術輸入され、我が国でも謄写インキが製造販売されるようになったこと、本件楽譜に使用されたインキには亜麻仁油が使われていることが認められる。ところで、原審鑑定人Pの鑑定の結果によれば、謄写インキに用いられていた亜麻仁油は戦後使用されなくなったということであるが、右の点は鑑定人Pが他から伝え聞いたことにすぎないものであり、かえって、成立に争いのない乙第120号証の3、同第121号証によれば、亜麻仁油は戦後も謄写用インキのインキ材料として使用されていたことが認められる。」と改める。
3 原判決第30丁裏第11行の「「小学校」」から同第31丁表第3行の「とりわけ、」までを削除する。
4 原判決第37頁〈「頁」は「丁」の誤?〉裏第2行の「前掲乙第3号証」とあるのを「前掲乙第1号証」と改める。
5 控訴人らは、本件楽譜の表紙に記載された正式な標題は「赤坂尋常小学校創立五十年/記念日の歌」となっており、他の資料の表現との間に差異はない旨主張する。
 成立に争いのない甲第1号証、甲第18号証によれば、本件楽譜の表紙部分には「赤坂尋常小学校創立五十年」「記念日の歌」と記載されていることが認められるが、本件楽譜の表紙部分に記載されたものが正式な標題であるとはいえないし、たとえ「赤坂尋常小学校創立五十周年記念日の歌」と題されたものが正式な標題ではないとしても、そこに「周年」という表現が使われていること自体が異例であることにかわりはなく、本件楽譜が他の資料と比較して不自然なものであることは否定し得ない。
6 控訴人らは、本件楽譜は楽譜用に裁断した用紙を使用しており、また手書きの文章(甲第4号証の2)では略字を使用しているものもあり、「々」も教育勅語や国定教科書で使われていたこと、そして、童謡童話大会のプログラムは謄写印刷されたものであったこと等を挙げて、本件楽譜が他の資料に比べて粗雑で、簡略なものであり、著しく不均衡の感を免れないとした原判決の認定を非難する。
 なるほど、童謡童話大会のプログラム(甲第21号証)は謄写印刷されたものであるが、原本の存在及びその成立について争いのない甲第3号証によれば、これは右大会が直前になって挙行の時間が変更になったことにともない急遽作成されたという事情によるものと思われ、「大正11年11月11日」とあることから記念日の数か月前に刷り上げられたことになる本件楽譜と同列に評価することはできないものである。
 したがって、この点における控訴人らの主張もまた採用し得ない。
7 控訴人らは、五線下の歌詞を第1番は片仮名、第2番が平仮名、第3番が片仮名で記載するのは教科書に限ってのことであり、それ以外の楽譜では作者の任意に委ねられていたと主張する。
 なるほど、成立に争いのない甲第23号証の1ないし4によれば、昭和4年10月に刊行された日本児童文庫に登載された歌詞の記載方法を見ると、あるものは1、2番とも平仮名で、またあるものは、1番、3番が平仮名、2番が片仮名で記載されていることが認められる。
 しかしながら、成立に争いのない乙第73号証の1ないし4、第75号証の1ないし7、第76号証の1ないし3、第77号証ないし第80号証の各1ないし4及び原審におけるY2、X1各本人尋問の結果によれば、大正11年当時、全く例外がなかったわけではないが、五線下の歌詞は1番が片仮名、2番が平仮名、3番が片仮名と交互に書かれるのが通例であったことが認められ、前掲甲第23号証の1ないし4から、直ちに、歌詞を平仮名で記載するか、片仮名とするかは作者の任意に委ねられていたと認めることはできない。
8 控訴人らは、唱歌研究部と個々の編纂委員会とは別個のセクションであり、また「エホンシヤウカ」については、編纂委員と歌詞や曲の審査委員とは別であるから、X1が協議会や理事会に出席していないからといって、絵本唱歌編纂に関与していなかったとはいえない旨主張する。
 しかしながら、「教育音楽」第8巻第12号の本会記事(乙第4号証)から「エホンシヤウカ」については編纂委員と歌詞等の審査委員が別であったと認めることはできない。成立に争いのない乙第3号証ないし乙第13号証によれば、X1は唱歌研究部委員会や唱歌編纂委員会に出席した形跡がないことが認められ、また、本件全証拠を検討するもX1が「エホンシヤウカ」の審査、編纂に当って何らかの会合に出席していたことを認めるに足る証拠はない。この点に関し、原本の存在及び成立について争いのない甲第27号証の2、3によれば、X1は昭和7年6月6日に行われた新尋常小学唱歌編纂関係者慰労会に出席していることが認められるが、右慰労会の出席者名からしてこれが「エホンシヤウカ」関係者の慰労会をも兼ねていると認めることはできない。してみると、X1が絵本唱歌編纂に関与していなかった可能性が高いことは否定し得ない。
9 控訴人らは、Aの一連の供述には疑問が多く、到底信用できるものではないし、また、「チューリップ」の歌詞と本件楽譜に記載された歌詞とは共通性が認められる旨主張する。
 しかしながら、乙第46号証の新聞「赤旗」に掲載されたAの供述、乙第105号証の同女の本人尋問調書、乙第106号証の同女の報告書及び同女の原審における証人尋問調書の内容を検討するも、これらが相互に矛盾し、不自然なものであると認めることはできない。また、「チューリップ」の歌詞と本件楽譜に記載されている歌詞とを比較検討するも、これらが同一人によって創作されたことを窺わせるに足る程の共通性を認めることはできない。
二 よって、原判決は相当であって、本件控訴はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第95条、第93条第1項本文、89条を適用して、主文のとおり判決する。

東京高等裁判所第6民事部
 裁判長裁判官 藤井俊彦
 裁判官 竹田稔
 裁判官 岩田嘉彦
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