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【事件名】“動書”書体事件
【年月日】平成元年11月10日
 東京地裁 昭和62年(ワ)第1136号 損害賠償請求事件

判決
原告 X
右訴訟代理人弁護士 大谷昌彦
同 中川徹也
同 嶋田貴文
被告 【A】
右訴訟代理人弁護士 近江福雄
右訴訟復代理人弁護士 梅野茂夫
同 坂口孝治
同 前田豊
右訴訟代理人弁護士 三浦邦俊
右訴訟復代理人弁護士 梅野茂夫
被告 【B】
右訴訟代理人弁護士 前田豊
右訴訟復代理人弁護士 坂口孝治
同 近江福雄
被告 【C】
被告 【D】
右両名訴訟代理人弁護士 坂口孝治
同 山本紀夫
同 山本智子
右訴訟復代理人弁護士 梅野茂夫
同 近江福雄
同 前田豊

 右当事者間の昭和62年(ワ)第1136号損害賠償請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。


主文
 原告の請求をいずれも棄却する。
 訴訟費用は、原告の負担とする。

事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告【A】(以下「被告【A】」という。)及び同【B】(以下「被告【B】」という。)は、原告に対し、各自555万5000円及びこれに対する昭和62年1月1日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告【C】(以下「被告【C】」という。)及び同【D】(以下「被告【D】」という。)は、原告に対し、各自220万円及びこれに対する昭和62年1月1日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は、被告らの負担とする。
4 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
 主文同旨
第二 当事者の主張
一 請求の原因
1 原告は、「【E】」の雅号を有する書家であるところ、別紙目録(一)ないし(六)記載の書(以下「本件書(一)ないし(六)といい、これを総称して「本件書」という。)を書し、これらを昭和47年4月25日発行の出版物「動書」に原告の著作者名を表示して掲載した。
2(一) 被告【A】は、昭和51年までに、別紙目録(七)記載の「横山整骨院」の文字が表示されている看板(以下「本件看板A」という。)を被告【B】に注文して制作させ、同年以降、その経営に係る横山整骨院本院及び分院四か所の計五か所に本件看板Aを設置して展示している。
(二) 被告【B】は、被告【A】から本件看板Aの注文を受けてこれを制作した。
3(一) 被告【C】は、昭和53年までに、別紙目録(八)記載の「鶴」の文字が表示されている看板(以下「本件看板B」という。)を被告【D】に注文して制作させ、同年以降、その経営に係るスナツク「鶴」に本件看板を設置して展示している。
(二) 被告【D】は、被告【C】から本件看板Bの注文を受けてこれを制作した。
4 被告らの右本件看板A及びBの制作、展示は、それぞれ著作物である本件書(一)ないし、(六)の複製に当たるから、原告が本件書(一)ないし(六)について有する複製権を侵害するものであり、かつ、本件看板A及びBには原告の氏名を表示していないから、原告が本件書(一)ないし(六)について有する氏名表示権を侵害するものである。
5 被告らの右著作権侵害及び著作者人格権侵害の行為は、いずれも故意あるいは過失に基づくものであり、また、被告【A】と被告【B】の各行為及び被告【C】と被告【D】の各行為は、それぞれ共同不法行為を構成するものである。
6(一) 原告は、被告らに対し、その著作権の行使につき通常受けるべき金銭の額に相当する額を自己が受けた損害の額として、その賠償を請求することができるところ、原告は、第三者に対し、本件書を題字等として複製し展示することを許諾し、その許諾料は、一つの題字について4字以内を一件、4字を超えるときは1字増すごとに0.25件を加えるものとし、1年間について1件当たり、昭和51年から同53年まで4万円、同54年から同56年までは6万円、同57年は8万円、同58年は10万円、同59年から20万円とし、看板等を2か所以上に設置して使用する場合には、2か所目以降は、1か所当たりの額の二分の一としている。
(二) ところで、本件看板Aは、同51年以降、「横山整骨院」の5字、すなわち、1.25件分が4か所で用いられ、本件看板Bは、昭和53年以降、「鶴」の1字、すなわち、1件分が用いられたのであるから、原告がその著作権の行使につき通常受けるべき金銭の額に相当する額のうち、同61年までの分は、計数上、被告【A】及び同【B】については各自405万円、被告【C】及び同【D】については各自100万円となる。
7 原告は、被告らの前記著作者人格権侵害行為により精神的苦痛を被ったものであるところ、前記各侵害行為の態様及び期間等に照らすと、これを慰謝するに足りる金銭の額は、いずれも100万円を下らない。
8 原告は、本件訴えを提起、追行するため弁護士に訴訟委任し、弁護士費用の支払いを余儀なくされたが、そのうち、被告らの本件不法行為と相当因果関係に立つ損害は、被告【A】及び同【B】については50万5000円、被告【C】及び同【D】については20万円を下らない。
9 よって、原告は、被告らに対し、著作権及び著作者人格権侵害の不法行為に基づく損害賠償金及びこれに対する弁済期後である昭和62年1月1日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金として、請求の趣旨記載の各金員の支払いを求める。
二 請求の原因に対する認否
1 被告【A】
(一) 請求の原因1は認める。
(二) 同2(一)のうち、被告【A】がその経営に係る横山整骨院の本院及び分院四か所の計5か所に本件看板Aを設置していることは認めるが、その余の事実は否認する。本件看板Aを設置した時期は、野間分院が昭和51年7月、住吉分院が同52年4月、福岡本院が同54年4月、中尾分院が同58年5月、前原分院が同59年7月である。
(三) 同4及び同5は否認する。
(四) 同6のうち、(一)は知らない、(二)は否認する。
(五) 同7及び同8は否認する。
2 被告【B】
 請求の原因1及び同2(二)は認め、同2(一)は知らない、同4ないし同8はいずれも否認する。
3 被告【D】及び同【C】
 請求の原因1及び同3は認め、同4ないし同8は否認する。
三 被告らの主張
1 被告【A】
(一) 本件書は、著作物性を有しない。すなわち、文字及びこれに付随して広く用いられる記号は、様々な態様をとりうる書体をもって、はじめて、かつ、専らこれによって表出されうるものであり、書体を伴わない文字等はない。このように、文字等については、その表出に用いられる書体が文字等と不可分に存しているというべきである。したがって、特定人に対し、書体について独占的排他的な権利である著作権を認めることは、万人共有の文化的財産である文字等について、その限度で、その特定人にこれを排他的に独占させ、著作権法の定める長い保護期間にわたり、他人の使用を排除してしまうこととなり、容認しえない。もっとも、文字を素材にした表現のうち、専ら思想又は感情に係る美的な創作であって、文字等が本来有する情報伝達という実用的機能を果たすものではなく、美的な観賞の対象となるものであるときには、それは、文字等の実用的記号としての本来的性格を有しないから、著作物性を有することは否めない。しかしながら、本件書は、右のような著作物性を有するものではない。すなわち、原告は、本件書その他の文字をデザイン化して「動書」と銘うち、これらをその出版物に一挙に発表することによってデザインの排他化・独占化を図り、他の者がこれを使用していることを見付けるや、著作権侵害を理由に多額の使用料を奪い取ろうとする意図を有するものである。つまり、本件書は、純粋な美術作品というよりは、むしろ、使用料を徴収したうえで複数回にわたって使用を認めるという本来的性格を有するものであり、専ら思想又は感情に係る美的な創作であって、文字等が本来有する情報伝達という実用的機能を果たすものではなく、美的な観賞の対象になるものとは言い難いものである。原告は、本件書の書体に著作権があることを前提に、その書体が情報伝達のために用いられる事態を予測してこれを公表しているのであって、本件書は、もはや、「美的な鑑賞の対象」とはいえず、いわば「商売の対象」である。
(二) 仮に本件書が著作物性を有するとしても、被告【A】は、本件書を複製していない。
(1) 被告【A】は、昭和51年7月ころ、その経営に係る横山整骨院野間分院の改装工事を訴外佐戸修建築事務所に依頼したが、その際、同事務所から、看板の文字として、本件看板Aに表示してある文字の提案を受けたので、これをそのまま採用することとし、アジア美研こと訴外【F】に本件看板Aの制作を依頼したのでって訴外事務所が、いかなる経緯で本件看板Aの文字を作成したのかは全く知らない。また、右野間分院以外の本院及び分院についても、同様の経緯で看板を制作したものである。
(2) 一品製作の書については、そこに書かれた文字そのものに著作物性か認められる余地がありうるが、書体には著作物性が認められないから、その作品を忠実に模写した場合を除いては、著作物の複製には当たらないというべきである。これを本件についてみると、本件書(一)ないし(五)と本件看板Aとを対比してみれば明らかなように、両者には、文字それ自体の共通性及び通常の筆法に基づく共通性のほかは、類似する点は見受けられないから、本件看板Aは、本件書(一)ないし(五)を複製したものとはいえない。
2 被告【B】
(一) 被告【A】の右(一)の主張と同じ
(二) 原告が本件書を掲載したと主張する出版物「動書」には、別紙(1)ないし(5)記載のとおり、同じ文字が何度も使用されているものがある。これらの文字は、「花」にしても「山」にしても、それぞれ1字1字の字体が異なり、全く別物の文字であるということができる。おそらく、原告は、右「動書」に掲載された「花」や「山」の文字以外に、これらとは少しずつ違った「花」や「山」の文字を数多く書いているであろうから、原告が書く文字のバリエーシヨンは、無限に広がつていくはずであり、このことは、右の「花」や「山」以外の文字についても同様である。そうすると、原告が書いた文字をそつくり複写する場合は別として、第三者が原告の書いた文字に部分的に類似する文字を書く行為を禁ずることは、極めて危険である。すなわち、原告が書く文字自体がいろいろなバリエーシヨンをもっているのに、これらに著作物性を認め、そのうちの1文字についての類似文字にまで著作物性があるとすると、これらは増幅し合って、文字についての無限の著作物性を原告に与えることになるからである。したがって、本件書に著作物性が認められるとしても、これをそっくり複写するなど、そのままの形で再製されている場合にのみその複製物であると解すべきである。これを本件についてみると、本件書(一)ないし(五)と本件看板Aとを対比してみれば明らかなように、両者の字体は異なるのであるから、本件看板Aを制作した被告【B】の行為は、原告の著作権を侵害するものではない。
3 被告【C】
 被告【C】は、遅くとも昭和53年にスナック「鶴」の看板のデザインを第三者を通じて被告【D】に依頼した。その際、被告【C】は、書体について何らの注文もつけていないのであつて、本件書を複製していない。
4 被告【D】
 被告【D】は、第三者を通じて被告【C】からスナック「鶴」の店名の書体のデザインを依頼され、原告の「動書」を参考にはしたものの、独自のものを作成した。
 これが本件看板Bに表示されている書体であって、本件書を複製したものではない。
四 被告らの主張に対する原告の反論
1 筆写文字による書は活字体にはない墨の濃淡及び筆勢(筆法)、点や線の形及びその組合わせによる字全体の形(構成)などの表現により、筆者の思想、感情を表現することが可能である。そして、単なる情報伝達という実用機能のみを果たすものではなく、筆者の思想、感情を表現した美的観賞の対象となる書には、著作物として保護が与えられる。ところで、本件書は、静は死に通じ動は生を現す、あるいは、生命は動に宿すといった原告の思想を、立体躍動の筆法、構成により表現した美的観賞の対象となる書であるから、著作物性を有する。
2 著作物の複製とは、原著作物の再生であるが、必ずしも原著作物と全く同一のものを作り出す必要はなく、多少の修正増減があっても著作物の同一性を変じない限り、同一物の複製に当たり、複製権はこれにも及ぶことになる。ところで、筆写文字による書は、墨の濃淡及び筆勢(筆法)及び点や線の形とその組合わせによる字全体の形(構成)などの表現による著作物である。したがって、右の各要素を対比することにより、多少の違いがあっても、全体として同一性が維持されている限り、複製と判断されるべきである。
 被告らのように書の複製を使用した看板を制作する場合には、
(一) 看板自体に大体の「当り」と「輪郭」を下書きし、原稿の文字を見ながら、直接に筆で塗りつぶすようにして書きあげる。
(二) 原稿文字を看板の原寸大に、目で見て拡大しながら別の紙に書き写す。その紙を文字の輪郭どおりにカツターで切り抜く。文字を切り抜いた紙を看板に貼り付ける。塗料をエアーコンプレツサーで吹き付けた後、紙を剥ぎ取る。
(三) 原稿文字を看板の原寸大に、目で見て拡大しながら別の紙に輪郭だけを書く(写真スライドで拡大することもある。)。この紙を樹脂板に貼り付け、文字の輪郭どおりに糸鋸で切り抜く。切り抜かれた文字を看板本体の樹脂板に接着して仕上げる。といった作業が行われるので、原稿文字を写真スライドで拡大するもの以外については、作業の過程において、多少の変形が生じる。したがって、原字と対比して多少の変形があるからといって、著作物の複製に当たらないとはいえない。
 以上の見地からすれば、本件看板A及びBは、いずれも本件書の複製物である。
第三 証拠関係(省略)

理由
一 請求の原因1の事実は、当事者間に争いがない。
二 そして、請求の原因2(一)のうち、被告【A】がその経営に係る横山整骨院の本院及び分院4か所の計五か所に本件看板Aを設置していることは、原告と被告【A】との関係において、同2(二)は、原告と被告【B】との関係において、同3は、原告と被告【C】及び同【D】との関係においてそれぞれ争いがない。
三 以上の争いのない事実に基づき、本件書の著作物性及び被告らの行為が原告の著作権を侵害するものであるか否かについて判断する。
1 被告【A】及び同【B】は、文字の書体に著作物性を認めるべきではないということを前提として、本件書には著作物性がない旨主張するが、原告は、自ら書した本件書を書の著作物として主張しているのであって、その書によって表されているもののうち、書体のみを著作物であるとして主張しているものでないことは、その主張に照らして明らかであるところ、右争いのない請求の原因1の事実及び別紙目録(一)ないし(六)記載の本件書自体によれば、本件書は、原告がその思想又は感情を創作的に表現したものであって、美術の範囲に属する書としての著作物であると認めることができる。そして、仮に、同被告らのいうように、原告において、本件書を書した後、これを使用する者から使用料を徴収するなどの行為をしたとしても、そのことによって、本件書の著作物性が失われるものではない。したがつて、被告【A】及び同【B】の右主張は、採用することができない。
2 ところで、本件書は、文字をもって表現されているものであるから、そのうちでも字体が最も大きな要素をなすものと解される。そして、原告が本件書の複製物であると主張するものが看板に記載された文字であること及び被告らの主張に対する原告の反論2の主張内容に照らし、原告は、本件看板A及びBに表示されている文字の字体が本件書の字体に類似していることをもって、被告らの行為が本件書の複製に当たる旨主張しているものと解される。
 しかしながら、文字自体の字体は、本来、著作物性を有するものではなく、したがってまた、これに特定人の独占的排他的権利が認められるものではなく、更に、書の字体は、同一人が書したものであっても、多くの異なつたものとなりうるのであるから、単にこれと類似するからといって、その範囲にまで独占的な権利を認めるとすれば、その範囲は広範に及び、文字自体の字体に著作物性を認め、これにかかる権利を認めるに等しいことになるおそれがあるものといわざるをえない。したがって、書については、単にその字体に類似するからといって、そのことから直ちに書を複製したものということはできない、と解すべきである。
 これを本件についてみるに、本件書(一)ないし(六)とこれに対応する本件看板A及びBに表示されている文字とを対比すると、各字体の間には、一見して明らかな相違があるか、せいぜい字体が単に類似するにすぎないものと認められるから、被告らの行為をって、本件書を複製したものとすることは困難であるというほかはない。なお、両者が、字体以外の要素、例えば、墨の濃淡、かすれ具合、筆の勢い等の点について類似していることを認めるに足りる証拠も存しない。
四 以上によれば、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法89条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所
 裁判官 清永利亮
 裁判官 小林正
 裁判官 若林辰繁


別紙省略
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